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01:覚書

エルンスト・ノルテ 8月17日01時

メモ帳。




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エルンスト・ノルテ 8月17日01時
■夢で逢えたら
 https://tw6.jp/scenario/show?scenario_id=56766

ミスがすごい。作文のルール知らずもすごい。
削除申請の仕方まで間違えている予感に震えている。

『リプレイは、こうではないよね……?』
私も思っている。今だ、治らず。

This manの、マーケティングだったのさ! といいながら
何のマーケティングかは言えない、という。
そうなると、それ本当? に立ち戻る。
その完成度が好き。ネットロアであり続けている。

プロデューサーというBOSSがいたのと、
一説には本家は映画の為のものとされている、ということで3章。

だからシナリオの立ち絵はヒカル。
開幕時点ではBOSSを伏せたかった。
黒い球体ヘッドの青年BOSSでThis man自体と戦うことも考えたけど、This manは夢に出てくるだけの存在だから違和感があって。

そこだけは、自分の判断であっていた気がします。
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エルンスト・ノルテ 9月8日14時
■雪降る街の、サマースクール
 https://tw6.jp/scenario/show?scenario_id=57449

人類遺跡をどげんかせんといかん!
結果、驚異の発展を遂げて……!?

提供されている敵と、頂いたプレイングとを相互させて書くということはどういうことかという、経験をさせて頂いた依頼でした。
心算通りには進まない。

そして始まるコミュニケーション。
洞窟壁画の淵に描かれた様々の文様は、絵ではなく文字に近いものかもしれぬという研究もあるそうで、しかし我々には最早読むことは出来ず。

人類遺跡を覆うものが、空白の何世紀なのかは分りませんが、
いつか読み解くことが出来るでしょうか。

その結果、発電の開始。
都合よすぎ? いや、結構現実味のある話。
昔、何かでこれに類する話をみたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=cnoRaccHfgM

結論:UCって、凄い!
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エルンスト・ノルテ 9月27日19時
■なにも、なかった
 https://tw6.jp/scenario/show?scenario_id=57954

救出の成功数が多分必要という話を見て。

ゲーム内の立場はこれに関してはMSですが、私という1プレイヤーが出したシナリオ。
座して敗北を待ちますか、いや、待たない。

過ぎ行く時間に怯え、追われたシナリオでした。
10日の延長の許されたものの……。

《桜の森の満開のした》という有名な小説がありますが、敵はそれになぞらえて選びました。
すきすき大好き~、安吾が。

戦闘は、一番ボス然とかけたのは、蝶であったなと。
話す内容は、三章のボスはそれなりに《諸悪の根源》の先触れらしいことを言えていた様に思うので、いいのかな。
オブリビオンというのが、そういう存在ですものね。

個々のリプレイでは、思い切った部分もあり。

全体はもう少し出来ることのあったのでは、という思いと
やりきったような気分と、混ざり合ってます。
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エルンスト・ノルテ 10月13日12時
■帝都櫻大戰㉔~なにもないから、描けるものを
 https://tw6.jp/scenario/show?scenario_id=58938

初めての戦争MS参加でした。

イティハーサ帝がたなびく何かを纏った灰であったことが、大きかった。

個人的に面白かったのは。
どうにか皆さんにリプレイを返したいと思って、
連携等OKというお言葉に甘えて、ひと組が出来ているのですが、
つまりそれが動機でひと組として書き始めて。
どう〆ようか、と悩んでいた終盤に、

『あ、これ、サメと兎だ』

そこまで全く私も気付いていなくて。
最初は鳥はダーウィンが許すより多くを謳うという事をですね。
そこに投入される昔話。
ちぐはぐと言えばちぐはぐですが、『記載を超える生』という意味ではいいのではないかと思って。

こういうことが、あるんだなぁ、と思いました。
一人でツボに入って(深夜テンション)何故か笑いながら書いていました。
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エルンスト・ノルテ 11月12日10時
■可想なる愛
 https://tw6.jp/scenario/show?scenario_id=59326

はじめて頂いたノベルのリクエストでした。
いい経験になりました。有難うございました。

道徳から遠い話、とは思いつつ。

『可想界は、感性の領域に発する種々な動因の原理――換言すればこれらの動因が意志規定に及ぼすところの原理を制限するために、およそ感性界に属するところのものを私の意志の規定根拠からことごとく排除しても、なお残されているような何か或るものを意味するに過ぎない。私はこれらの動因の原理を制限するために感性の領域に限界を付し、またこの領域はそのなかに何もかも余さず包含しているのではなくて、これを超えたところにもっと何かが有るということを指摘する、しかし私は、この「もっと有るところの何か」をこれ以上知らないのである。』

 カント著 篠田英雄訳 道徳形而上学原論 岩波文庫 p.174
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