ナイトメア・レリックの夜
●旅のおわり
夜の影は、見たくもないものまで見せてくる。
――ああ、畜生。忘れてたんだ。もう、忘れたはずだったんだ。
手に馴染んだはずの剣が、妙に重い。己の呼吸がひどく乱れて、ガンガンと頭を揺さぶるような声が、恨みを、嘆きを、そして愛を訴える。
――やめてくれ。もうやめてくれよ。
「……おとうさん」
「違う! あれは幻覚だ。しっかりしろよ」
「でも……」
仲間の少女がしゃくり上げて、弓を取り落とす。うわごとのように漏らすのは、幼い頃に生き別れたとかいう父親を呼ぶ子供じみた声だ。いつもはおとなぶって斜に構えたクソガキのくせして。
無口なドワーフの旦那も、故郷に嫁を待たせてるはずの魔術師も、どいつもこいつも簡単に騙されやがって。
ふざけんなよ。冗談じゃねえ。
こんな依頼、受けなきゃ良かった。大昔に手ひどい別れ方をした、もう顔も忘れたはずの女の幻影なんかが最期に見る顔だなんて、笑えない冗談にもほどがある。
こんな安っぽい愛の言葉に、それでも心乱される自分が、何より一番笑えない。
「――畜生ッ!」
塗り込めたような昏い星空に唾を飛ばして。
男は、その旅路に終わりを迎えた。
「ひとつ、仕事を受けて来て貰いたいのです」
ルイーネ・フェアドラク(糺の獣・f01038)はそう告げて、地図を広げた。知るものであれば気づくだろう、アックス&ウィザーズのとある大陸が手書きで描かれている。
集まった猟兵たちへ向け、その一点を指で示す。
「ここに、洞窟があります。どうやら少し前から魔物が住み着いているらしく、冒険者に向けて酒場で依頼が出されました」
依頼書によれば、討伐対象は2種の魔物――オブリビオンだ。洞窟内と、その洞窟を抜けた先に、それぞれ縄張りを張っているらしい。
魔物の討伐といえば、冒険者が請け負う依頼としてはオーソドックスだ。彼の世界の冒険者たちは強く、そこいらの魔物であれば難なく倒してしまう。だが、件の依頼は彼らには少々荷が重かったらしいと、狐は嘆息した。
「私が予知したのは、依頼を受けた冒険者たちの死です」
それを知った以上、放置はできない。
今からであれば、彼らに先んじて依頼を受けることができる。一介の冒険者の手には負えないモンスターでも、猟兵であれば倒せるだろう。
「ですが、問題がひとつ。洞窟の向こう側にいる敵は、精神攻撃の類を備えているようです。幻聴や幻覚によって、縄張りを荒らす者を誘い、魅了し、捕らえる力です」
誘いは、心弱き者であれば抗えぬほど、強い。
それがどのような誘惑の姿をしているのかは定かではない。推測できるのは、見る者の心を強く揺さぶり、心を捉えるような「何者か」、あるいは「過去の情景」などであるということだ。
「まず、洞窟内で幻聴が聞こえます。呼び声、のようなものですね。これには強いて抗わず、声の聞こえる先へと向かってください。その先で恐らく――幻覚を見せる敵が待ち受けています」
それは、死者の姿をしているかもしれない。心の傷となったかつての光景であるかもしれない。甘言、空言、欺瞞、あらゆる戯れ言は、己の心の内が望むままに吐き出される言葉だ。確かなことは、すべてが偽りであること。
「まやかしに囚われぬよう、気をつけてください」
それはきっと容易いことではないと、ルイーネもまた知ってはいる。だが、グリモア猟兵である彼は、知って尚見送ることしかできないのだ。
「そうそう、討伐を終えたあとのことですが」
気分を変えるように、狐は地図の一角をトントンと指で叩く。洞窟からは少しばかり離れた場所だが、長時間の移動というほどでもない。
「ラクリムという町で、少しばかり遊んできてはいかがですか。不可思議に美しい、鉱石のランタンと――夜市で名高い観光地です」
星空の下、町を彩る鉱石ランタンの明かりの中で、夜毎に賑やかな市場が開かれているという。
ご興味がおありでしたら是非、とルイーネは微笑み、猟兵たちに地図を手渡した。
鶏子
お世話になっております。鶏子です。
アックス&ウィザーズでのシナリオをお届けいたします。
●シナリオ構成
第1章:『エレメンタル・バット』(集団戦)
第2章:『幻惑喰いの大花』(ボス戦)
第3章:『夜市にて』(日常)
●第一章
洞窟内での戦闘です。時間帯は夕刻。
この時点で幻聴である『呼び声』が聞こえてきます。聞こえる声は人それぞれ異なります。
誰の、どのような声なのか、言葉なのか。声に対する想いなどを綴っていただければと思います。
戦闘はさくっと軽めで構いません。
●第二章
洞窟を抜けた先、夜の野外での戦闘です。
拓けた場所で足場などに問題はありません。花はたくさん咲いています。
戦闘中、花粉はあたりに蔓延しています。WIZのユーベルコードを使用していなくても、幻覚を見ているプレイングをかけてくださって構いません。
あなたを誘い、心を捕らえ、戦意を喪失させたり動揺させたりするような幻覚を見るでしょう。
どのような幻覚であるのか、教えてください。
心を強く持つ、過去ではなく現在・未来を選ぶ、何らかの方法で偽りを見破ることなどで、幻覚から逃れることができるでしょう。
●第三章
鶏子の前作「ジオロジアに蝶の舞う」で出てきたラクリムの町で夜市を楽しんでいただけます。
前作を知らなくても問題はありません。
町や夜市の詳細は、断章にて。
●最後に
すべてのプレイングの採用はお約束できませんが、なるべく頑張ります。
第三章のみのご参加も歓迎します。
よろしくお願いいたします。
第1章 集団戦
『エレメンタル・バット』
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POW : 魔力食い
戦闘中に食べた【仲間のコアや魔法石、魔力】の量と質に応じて【中心のコアが活性化し】、戦闘力が増加する。戦闘終了後解除される。
SPD : 魔力幻影
【コアを持たないが自身とそっくりな蝙蝠】が現れ、協力してくれる。それは、自身からレベルの二乗m半径の範囲を移動できる。
WIZ : 魔力音波
【コアにため込んだ魔力を使って両翼】から【強い魔力】を放ち、【魔力酔い】により対象の動きを一時的に封じる。
👑11
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暗く湿り気を帯びた洞窟内には、無数の影が潜んでいた。
数えきれぬほどの小さな気配は、この洞窟に棲みついたという魔物たちだろう。侵入者たちを警戒するようにキィキィと盛んに鳴き声を立て、胴体たるコアをぼうと闇の中で妖しく灯らせている。
元々はそれほど強いモンスターではない。
この蝙蝠たちだけであれば、恐らく酒場に出入りする冒険者たちでも事足りる。だが、どうやらこの者たちに力を与える存在がいるようだった。
あたりに充満する魔力を吸収して、蝙蝠たちは活性化している。
ならば、進むべきは洞窟を抜けた先。矮小なモンスターに影響を及ぼす大本の魔性を倒すことこそ先決だろう。進路を塞ぐ蝙蝠たちを相手取るのは最小限で構わない。
その判断のもと、猟兵たちは夜の洞窟へと足を踏み入れた。
真宮・響
【真宮家】で参加。
・・・凄く物騒で不吉な予知だね。もう犠牲者が出てるようだから、これ以上命が失われる前に何とかしないとね。
奏と瞬と一緒に洞窟に聴こえてくる声は忘れはしない、10年前に死んだ、夫、律の声。
「余り心配させるな」
「しっかりしろ。お前がダメになったら奏がどうなる」
「頼りにしている。傍を離れるな」
ストレートに愛してると言わない、融通が利かなくて、不器用だった夫。でもあの人はいつもアタシを想って声を掛けてくれていた。
でも、これは幻聴だって分かる。あの人はもういない。思い切ってブレイズランスを振り回して幻聴ごと敵を薙ぎ払うよ。
真宮・奏
【真宮家】で参加。
あ、響母さん、私達猟兵が先に洞窟にいけば、予知に出た皆さんは死ななくて済むそうです。そんな沈痛な顔しなくて大丈夫ですよ。・・・私達が上手く倒せれば、ですが。
洞窟にいけば、5歳の時に死んだお父さんの声が。
思えば凄く厳しい人でした。私は怒られてばかりで。
「お前ははしゃぎすぎた。もっと落ち着け」
「どうして言う事を聞かないんだ。後で痛い目に遭うぞ」
「よくやった。お前にしては上出来だ」
久し振りに聞く声からはっと我に返ります。そうだ、お父さんはやる事を間違っちゃいけないって良く言っていた。アクアセイバーとシルフィードセイバーを目の前の敵に向かって思いっきり振り抜きます。
神城・瞬
【真宮家】で参加。
そうですね、奏の言う通り、先んじて洞窟にいって敵を退治すれば、予知に出てくる冒険者の皆さんは犠牲にならずにすみますね。確実に退治して犠牲を防ぎたいですね。
洞窟に入って聴こえてくるのは、生みの母、麗奈の声。僕の術の師でもあった人。
「難しいだろうけど、貴方なら出来る」
「貴方は大事な息子。何かあったらお母さんに何でもいいなさい」
厳しいながらも心優しい母でした。でも、今は。幻聴を振り切って、氷晶の矢で敵の群れを撃ち抜きます。
「例の冒険者たち、間に合ってよかったよ」
安堵したように、真宮・響(赫灼の炎・f00434)が胸を撫で下ろす。
予知を信用していなかったわけではないが、これで無事、死を予知された冒険者たちの命を救うことはできただろう。先んじて契約された依頼に、彼らが関与することはない。
「はい。これで彼らは無事に旅を続けられますね。……私たちが上手く倒せれば、ですが」
かすかな不安を覗かせるのは、響の娘である真宮・奏(絢爛の星・f03210)だ。そんな彼女を安心させるように、傍らの義兄、神城・瞬(清光の月・f06558)が穏やかに告げる。
「大丈夫ですよ。僕も、響母さんもいます」
「そうだよ。二人のことは絶対にアタシが守るからね」
大切な娘と息子を、傷つけさせやしない。
血ではなく心の絆で繋がる家族三人は、そうして洞窟の奥へと向かった。
進路を阻む蝙蝠を手早く打ち倒しながら進んでいた響が、まず始めに足を止めた。
まだ洞窟の終わりは見えない。闇は深く、見通せない。
その果てしのない暗闇の奥深くから、声が聞こえた。それはあまりにも唐突で、響は思わず息を詰める。
『――響』
己の名を呼ぶその声を、彼女が聞き間違えるはずがなかった。
低い声音。聞き慣れた――懐かしい、声。
『響、余り心配させるな』
懐かしいその声ひとつで、思い出は鮮やかに蘇る。
出会った頃の響はまだうら若い乙女で、世界のことなどなにも知らない箱入り娘だった。彼女の世界が一変したその日のことを、今でもよく覚えている。それまで出会ったことのない、外の世界を体現したかのような男の存在が、響の人生を変えたのだ。
――律。アタシの人生の中で、今なお鮮やかに色づく最愛の夫。
『しっかりしろ。お前がダメになったら奏がどうなる』
共にいられた時間は短かったけれど、失ったときの悲しみは海より尚深く心を沈ませたけれど、それでもあの人が与えてくれたものはかけがえのない宝となった。
決して忘れはしない。
――ああ、あの人の声だ。なんて懐かしく、愛おしいひびきだろう。
融通が利かなくて、不器用な人だった。愛してるなんてストレートに言ってくれた試しはなかったけれど、いつでもアタシを想って声を掛けてくれる、そんな人だった。
『頼りにしている。傍を離れるな』
先に離れていってしまったのはそちらだろうに。そう内心で反論して、苦く笑う。
ちゃんとわかっているよ。あの人はもういない。今、この耳をくすぐる声は幻聴に過ぎず、まやかしを生むのはアタシの心、思い出だ。
奏もまた、母と同じ声を聞いていた。
彼女が五歳の頃に死んでしまった、父の声。幼かった彼女が父と一緒にいられた時間は短く、思い出は数少ない。けれど記憶の中の父の姿はいつでも力強く、その背中は大きく広かった。
『奏』
たしなめるような、低い嘆息。
『お前ははしゃぎすぎだ。もっと落ち着け』
そう、よくこんな風に叱られた。お父さんは凄く厳しい人で、幼い私は怒られてばかりだった。
『どうして言う事を聞かないんだ。後で痛い目に遭うぞ』
脅すようにそう怒られても、私はあまり言うことを聞けなくて。思い返せば肩を竦めたくなるくらい、私はお転婆で、危なっかしい子どもだった。
お父さん。あの頃の私、とてもたくさん心配を掛けていましたね、きっと。
私はうんと子どもだったし、あんなに早く別れが来るなんて思いもしていなかったけれど。
懐かしい父の声に甘えるように、奏はそっと瞼を伏せて――。
『――よくやった。お前にしては上出来だ』
ハッと、目を開いた。
あれはいつだっただろう。いつも怒られてばかりの父に褒められたのがとても嬉しくて、誇らしかったことを覚えている。
厳しい人だった。間違えれば叱られて、軽率さを怒られて、けれど、上手にできればちゃんと褒めてくれた。見ていてくれた。
――いいか、奏。
「……やることを、間違っちゃいけない」
そう、よく言っていた。目の前のことをよく見て、考え、やること、すべきことを間違えるなと。それが父の教えだ。
「そうね、お父さん。思い出しました」
聞こえる声はまやかしでも、思い出の中の教えは真実だ。
私のやること、すべきことを。
「私は、間違えません」
瞬は、響の実の子どもではない。妹と呼ぶ奏とも、血は繋がっていない。
二人を家族として愛しているし、今の自分が生きる場所は彼女たちの傍らだと決めてはいるが、彼を産み6歳まで育ててくれた実の親を忘れたわけではない。
『いらっしゃい、瞬』
――聞こえてきたのは、彼の生みの母、麗奈の声。彼の術の師でもあった人。
幼いあの日、無残に里で散っていった、僕の一人目の母。
『難しいだろうけど、貴方なら出来る』
術の扱いに手こずる僕を、励ます声がする。師としての母は決して生易しくはなくて、時に手厳しく、息子といえども甘やかすことなく教え導く人だった。
『貴方は大事な息子。何かあったらお母さんに何でもいいなさい』
けれど、母としての彼女は優しかった。
厳しいながらも、心優しく息子を愛する母親だった。
まやかしの母の声が、幼い頃の記憶を呼び覚ます。小さな僕の手を引く、柔らかな母の手。あたたかで、幸福だった日々。
愛されていたし、愛していた。
「けれど、すべては打ち壊された」
6歳のあの日、月読の紋を掲げるあの懐かしき里は襲撃を受け、幼い瞬は両親を失ったのだ。それはすでに変えられない過去だ。
母は死に、僕は響母さんと奏に出会った。
「忘れません。これからも、覚えています」
だがそれは、まやかしに縋るという意味ではない。
瞬は闇の中で煌めく金の髪を払い、哀切をそっとしまいこんで、氷晶の矢をつがえた。
「――先へ、進みます」
大成功
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アダムルス・アダマンティン
再びこの地の土を踏むことになるとは、因果なものだ
燃え盛るソールの大槌を手に、洞窟を進んで行く
聞こえて来るのは、他でもない己自身の声
「金槌を持たずして戦鎚を手にし、金床で鉄を作らず戦場で武器を振るう」
……
「神が神たる己の司りし聖性を行わずして、いかでか神たりえようか。人の子らの信心を得られようか」
……
「貴様は戦神にあらず戦士にあらず。鍛冶の神にして炉を司ることこそ務め」
……黙れ
「戦に赴く者のために武器を用立てることはあれど、武器を手に戦に赴く道理もなし。なにゆえその道を往く?」
……武器に選ばれたがゆえに
……我が兄がそうあれと願ったがゆえに
燃え盛るは地獄の炎、ブレイズフレイム
ここは少し、暗過ぎる
闇を照らすもの、それは尽きることなき地獄の炎。
アダムルス・アダマンティン(Ⅰの“原初”・f16418)の手にしたソールの大槌が、猛々しく燃え盛り、影に覆われた岩壁をその炎で照らし出している。
「再びこの地の土を踏むことになるとは、因果なものだ」
つい先だって関与した事件は、この洞窟からほんの目と鼻の先にある山脈でのこと。モンスターの跋扈はこの世界の常であるとはいえ、骸の海のさざなみも随分と忙しないことだ。
さて、この地の魔性は幻覚幻聴をもたらすという話だが。
隆起する地面を踏みしめ進む。神たる男の耳にそれが届いたのは、それからすぐのことだった。
『――なにゆえか』
『金槌を持たずして戦鎚を手にし、金床で鉄を作らず戦場で武器を振るう』
誰の声かと探る間もなく、知る。
それは己の、アダムルス・アダマンティン自身の声だった。
『神が神たる己の司りし聖性を行わずして、いかでか神たりえようか。人の子らの信心を得られようか』
肉声ではないというのに、不思議とその言葉は存在感を伴い、濡れた岩壁に大きく反響して聞こえた。
「…………」
男は不愉快そうに唇を引き結んだ。
だが、その眼差しは揺るがない。悠然と堅い足音を響かせる男の目は、ただ真直ぐに闇の向こうを見透かす如く見据えられている。
声は問う。何度でも。
己が役目を忘れたか、己が使命をなんと心得るのか、と。
「…………」
『貴様は戦神にあらず戦士にあらず。鍛冶の神にして炉を司ることこそ務め』
「……黙れ」
低く吐き捨てる。
幻聴になど今更言われずとも、わかりきったことだ。初めから、知っていることだ。
元よりこのまやかしは、己が胸中より吐き出される言の葉に過ぎぬのだろう。なんたる皮肉かと、アダムルスは、それ以上の反論の代わりに大槌を握る手に力を込めた。
深き呼吸を一つ。
『戦に赴く者のために武器を用立てることはあれど、武器を手に戦に赴く道理もなし』
身のうちで膨れ上がる炎の熱を感じ取る。
『――なにゆえその道を往く?』
まやかしに応えを返したところで詮無きことだと知りながら、男は静かに告げる。
「……武器に選ばれたがゆえに」
肉を裂いて、紅蓮の炎がごうと噴出した。
荒々しく吹き荒れる地獄の炎が、洞窟内の酸素を燃やしながら岩壁を舐め、地面を這い、音を立てて影に潜む者共を焼き尽くしていく。
切欠はそう、クロノスウェポンたるソールの大槌が己を見いだしたこと。
――そして。
「我が兄がそうあれと願ったがゆえに」
闇を駆逐するもの、それは尽きることなき地獄の炎。
暗き道行きを、焼尽の光で照らすもの。
大成功
🔵🔵🔵
リュシカ・シュテーイン
「ふん、いつまでそんな所に居るつもりなのかしら?」
「早くこっちに来なよリュシカ、約束を忘れたのかい。三人で子供達に魔術を教える学校を作るんだろう?」
ふふぅ、それほど長く経ったわけではないのにぃ、二人の声が懐かしく聞こえますねぇ
自他共に厳しいですがぁ、私を認めて競い合ってくれたあの子ぉ
いつも親身でぇ、温かなパンを振る舞ってくれたあの子もぉ
……何もかもがぁ、懐かしくぅ、惹かれそうになりますねぇ
でもぉ……大切な幼馴染もぉ、私を侮蔑する他の魔女もぉ、ここには居ない『別世界』なんですよぉ
私は【スナイパー】でぇ、爆破の法石をスリングで射出しぃ、幻影の元を断ち切りますぅ
いつか必ずぅ、そちらに帰りますからぁ
『おはよう、リュシカ』
『早くしなさいよ。置いていくわよ、ほら』
懐かしい声だった。
何年も昔というわけでもないのに、不思議ともう随分前のことのようにも感じる。
リュシカ・シュテーイン(StoneWitch・f00717)はおっとりと緑の瞳を瞬いて、あらあらぁと微笑んだ。幻聴とは聞いていたが、まさか彼らの声を聞けるとは思っていなかった。
「ちょっとぉ、嬉しいですねぇ」
ふふ、と笑って小さな水たまりを跳んで避ける。
手元には、光のルーンを刻んだ小さな宝石たち。放つ光は淡いが、自分ひとりの足元を確認するのには十分なもので、何より淡いからこそ長持ちする。無駄遣いはできない身の上としては、大切なことだ。
聞こえる声は二つ。近くも遠いまやかしの声は、きらきらと輝いている。
『早くこっちに来なよ、リュシカ』
優しくて、いつも親切で。よく食事を抜くリュシカに、温かなパンを振る舞ってくれたあの子。
『まったく、たまにはちゃんと怒りなさいよ』
自他共に厳しいけれど、リュシカを認めて対等に競い合ってくれた、あの子。
ふたりとも、大切な幼馴染みたちだ。
かつては彼らと笑い合う日々が日常だった。肩身の狭い思いも、辛い経験もそれなりにはしたけれど、彼らがいたから、リュシカは決して寂しくはなかった。ひとりきりではなかった。
あの子たちは今、どうしているだろう。
「心配ぃ、かけてますかねぇ……」
事故だったのだから仕方がないと言い訳をしてみても、遠い世界にいる彼らには決して伝わらない。元気でいることだけでも、伝えられればいいのだけれど。
『リュシカ、約束を忘れたのかい。三人で子供達に魔術を教える学校を作るんだろう?』
『ふん、いつまでそんな所に居るつもりなのかしら?』
「忘れてなんてぇ、いませんよぉ」
忘れるはずがない。大事な大事なリュシカの夢であり、約束なのだから。
決して忘れない。約束は手放さない。
きらきらと眩しい、懐かしい声を追う。追いながらも、リュシカはローブのポケットから使い慣れた爆破の法石を取り出した。
あの子たちの声が聞けたのは、少しだけ嬉しい。惹かれそうにもなる。
けれど、彼らはリュシカが帰るすべを失った、遠い遠い『別世界』にいる友。追いかけたとて、追いつけはしない幻。
スリングを構える。
――約束は、絶対に守る。
「いつか必ずぅ、そちらに帰りますからぁ」
だからもう少しだけ、そちらで待っていてくださいね、と。
大成功
🔵🔵🔵
七那原・望
【FH】
おいで、リリア。
自分と少し似た声がそう呼びます。
……リリア?
知らない名前なのです……
でも……ちょっとだけ、懐かしいような……
不思議なのです。
……あ、シャルロットさん、大丈夫です?
……もう会えないとわかってるからこそ、余計に、ですよね……
あまり無理はしない方が……
そう、ですね……進まないとなのです。
それが今わたし達のやるべき事なのですから。
【第六感】と【野生の勘】で敵の位置はわかります。
【マジックオーケストラ】で召喚したねこさんや影達に先行してもらって、露払いをしてもらうのです。
この先に進むと今度は幻覚を見せられる、のですよね……
うまく切り抜けられると良いのですけど……
シャルロット・クリスティア
【FH】
……パパ……ママ……?
……っと、すみません望さん、ぼーっとしちゃって。
いえ、本当に聞こえるんだな、と思っちゃいまして……。
聞き飽きた……などとは言いませんが、
もう会えない人の声をあちこちで何度も聞かされると、少し参りますね。やれやれ。
オブリビオンが過去の存在だから……って言うのは関係あるのかわかりませんけど。
……いえ、大丈夫です。行きましょう。
わかっているからこそ、止めなければ。
いずれにせよ……まずは奥への道を拓かなければ、ですか。
私の目なら、洞窟内であろうと本物と幻影の区別はつきます。
あとは、射程ギリギリから正確にコアを狙撃するのみです。
突出し過ぎないように。慎重に行きましょうね。
『おいで、リリア』
聞こえた声に、七那原・望(封印されし果実・f04836)はこてんと首を傾げた。
暗闇に閉ざされた洞窟であろうと、望にとっては青空の下と大差ない。彼女の世界は常に闇の中にある。彼女にとっては、音、匂い、気配、視覚以外のあらゆるものが世界の姿だった。
「……リリア?」
知らない名前。けれど、その名を呼ぶ声はどこか己の声に似ている。
肉を伴う声音ではない。空虚な、まぼろしのオトだ。
『おいで、リリア』
声は繰り返し誰かを呼んでいる。誰を呼んでいるのだろう。
リリア。知らない名前。けれど、何だか懐かしい響きのように感じられる。
「不思議なのです」
首を傾げたまま、大きく突き出た地面を翼の羽ばたきひとつで飛び越える。そうして、ふと傍らを振り仰いだ。
「……パパ……ママ……?」
シャルロット・クリスティア(ファントム・バレット・f00330)が思わずといった様子で零した声。拾い上げた望がその顔を見上げる。
「……シャルロットさん、大丈夫です?」
幼子に呼ばれて、シャルロットはすぐに我に返った。放心は軽いもので、「すみません、ぼーっとしちゃって」と苦笑して歩を進める。
なにかを――呼び声を追うように視線を巡らせ、浅く嘆息した。
「いえ、本当に聞こえるんだな、と思っちゃいまして……」
何が聞こえるのか、などと無粋なことは問わなかった。己に不思議な声が聞こえているように、この金髪の狙撃手の耳にも――心にも、惑わしの声が届いているのだろう。
「聞き飽きた……などとは言いませんが、もう会えない人の声をあちこちで何度も聞かされると、少し参りますね」
シャルロットの声に滲む苦みを感じ取って、望はゆるく背後で両手を組んだ。遠い反響音。鋭敏な鼓膜が捕らえる、奥深くにざわめく気配。洞窟の出口はまだまだ遠そうだ。
猟兵が、己の過去と否応なしに向き合わされる機会は少なくない。シャルロットにとってもこれが初めての経験ではなく、胸の痛みは多少麻痺すれども、重苦しさに変わりはなかった。
過去から届く声、姿。それらはオブリビオンが過去たる骸の海からしみ出す影だからなのかもしれない。あるいは、単にシャルロットの巡り合わせが悪いだけなのかもしれないけれど。
「……もう会えないとわかってるからこそ、余計に、ですよね」
幼い声が、気遣わしげに囁いた。
予知の通りであれば、幻聴は誘い水に過ぎない。洞窟を抜けた先では更なる幻惑が待ち構えているという。彼女がそれに打ち負けるなどとは思わないが、いやなものを見ることにはなるかもしれない。
「あまり無理はしない方が……」
年下の少女の労りの声を受け止め、シャルロットは緩く首を振った。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
変わらず気は重い。だが、かといって逃げ帰ってどうなるだろう。
覚悟の上で来たのだ。戦い、悲劇を起こさせぬために。ここで食い止めるために。
望の手にした白いタクトが、りんと鈴の音を慣らして暗闇の先を示す。
「声が聞こえるのは、向こうですー」
いくつか分かれ道があるようだが、望の五感はすでに行く先を捉えている。
邪魔立てするかのように集い始める蝙蝠たちの輝くコアを見据え、シャルロットはライフルを構える。
「慎重に行きましょう」
声は止まない。
呼び返したくなる心に手綱を掛けて、静かに息を吐く。
小さな子どもの手が、タクトを大きく振り上げた――。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
ルフトゥ・カメリア
……呼び声、ね
誰が呼ぶって言うんだろうな
洞窟だと狭ぇだろうし、バスターソードや鉄塊剣振り回すのは厳しいな。つーか視界悪そう
まあ、炎照らせばどっちの意味でも何とかなるか
敵は燃やそう
色々な声が重なって聞こえる
多く聞こえるのは怨嗟だろう
徐々にひとつひとつはっきりに聞こえ始めると、その中に、聞き覚えなんてないはずなのにひどく懐かしい声を聞いた
「椿」
「僕たちのかわいい子」
「妹を守ってあげるんだよ、君はお兄ちゃんなんだから」
「……うん、いいこ。君たち双子は僕たちの自慢だよ」
柔らかく、優しい男の声
……椿って、誰だよ
こんな声、知らない
こんな愛おしそうな声を向けられたことなんて、ない
何だか胸が苦しい
何だよ、これ
少年の歩みとともに、ネモフィラの花が咲く。揺らぎ、燃える。
花のあとを辿るように歩きながら、ルフトゥ・カメリア(月哭カルヴァリー・f12649)は先ほどからずっと聞こえていた呼び声が、少しずつ近づいてきていることに気づいた。
はじめは聞き取れぬほどに遠く、かすかな声だったそれが。
彼の歩みに応じるように、徐々に近くへと。
『 』
別に、期待なんてしていなかった。
ただ、心を揺らがせるような呼び声とはどんなものかと、誰の声だろうかと、そう――思っただけで。
聞き取ってしまえば何てことはない。面白みの欠片もない、恨み辛み怨嗟の言葉たち。
彼の過去を覆い尽くしてきた、腐った連中の腐った口臭までもが蘇りそうだ。
「ふん。……どうせ俺を呼ぶ声なんて、こんなもんか」
屑め。糞餓鬼。悪魔。お前のせいだ。許さない。死んじまえ。殺してやる。
ロクデナシの言葉なんてどれもこれも似たようなものだ。うるせえなと舌打ちをひとつ吐き捨てて、自嘲した。
ああ、確かにいい気分はしないだろうさ。
けれど、生憎とこの程度の怨嗟で心惑うような可愛げは、薄汚い路地裏に捨てて久しい。
こうなりゃ適当にそこら辺の蝙蝠を燃やしながら先へ進むか、と。
つまらなさそうな顔で溜息をついて。
『――椿』
安っぽい怨恨に満ちた声が遠ざかる。
ルフトゥは思わず足を止め、訝しげに眉をひそめた。険しく眇められた赤椿の双眸が、不可解そうに周囲を見渡す。
『椿』
――だれだ、それは。
『椿。僕たちのかわいい子』
柔らかく、優しい男の声が聞こえる。
聞き覚えのない、なのに何故だかひどく懐かしい響きを伴う声だ。
『椿』
『妹を守ってあげるんだよ、椿。君はお兄ちゃんなんだから』
だから、……椿って、誰だよ。
だれだよ、おまえ。こんな声は、知らない。
知らない男の声など聞き流してしまえばいいのに、ルフトゥはどうしてだかそれもできず、怯んだように喉を鳴らした。
『……うん、いいこ。君たち双子は僕たちの自慢だよ』
「……、知らねえよ。なんだ、これ」
混乱する。
こんな声は知らないはずだった。何より、こんな愛おしそうな声を向けられたことなんて、ない。
ルフトゥを呼ぶ声など、虫螻みたいな奴らの恨み辛みくらいのはずだ。
そのはずなんだ。
混乱にあえぐ少年の周囲で、ネモフィラの花影がかぼそげに震える。
こんな胸の苦しさも――俺は、知らない。
大成功
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三岐・未夜
…………何だか行かなきゃいけない気がしたんだ
でもちょっと既に後悔してる……
聴こえた声に、びくっと肩を跳ねさせ、耳が立って尻尾の毛が逆立った
「おいで」
「おいで」
「吾のかわいい子」
「全てを委ねお眠り」
「痛いことも、苦しいこともない」
「独りになどさせない」
「永久に」
「吾の神使」
「魂を吾に明け渡せ」
「さびしいさびしいと泣く夜は辛かろう」
「おいで」
「吾の元に」
老若男女男とも分からない声がぞっとするほど優しく
呑み込まれそうな甘い毒
本気で気遣い愛す、どろどろに甘やかす声
フードの上から耳を両手で塞ぐ
こわい
……ぅ、……うる、うるっさい!!
恐怖を叩き切るように玄火を撒き散らして敵を焼きながら、出口まで必死に走った
闇の中に、たそがれの炎がひとつ。
孤独差す狐火の色よりもずっと、その影に身を潜める青年のさみしげな風情ばかりが色濃かった。息を詰め、身を縮め、覆った前髪の下から忙しなくまなざしが周囲を窺う。
どうしてひとりでこんなところへ来てしまったんだろう。
影は深く、キィキィと鳴く蝙蝠たちの羽音はひどく不気味だ。けれどそんなものよりも、正体のわからぬ不安が三岐・未夜(かさぶた・f00134)のこころをか細くさせた。
どうしてだか、行かなければいけない気がしたんだ。してしまったんだ。
岩壁に触れた指先が、しっとりと濡れそぼつ。
見慣れた炎の色に縋るようにして、濡れた指先を握りこみ――。
『――……』
不意に、ぞわり、と全身の毛が逆立った。
『おいで』『おいで』
『……こちらへ、おいで』
岩壁に反響し重なり合う、輪唱。
さざめくような声が、不協和音を奏でながら未夜の神経を撫でていく。
「……ぅ、」
怯えて縮こまった喉で呻き、耳を高くそばだてる。膨れ上がった尻尾の先までをも、恐ろしく甘い声音が次から次へと愛撫していく。
『おいで』『おいで』
『吾のかわいい子』
『全てを委ねお眠り』
『痛いことも、苦しいこともない』
『独りになどさせない』『永久に』
『おいで』
それは男のものとも女のものともつかない。老いた嗄れ声にも、若く張りのある声にも聞こえる。優しく宥め、手招き、慰めるようなやわらかな声音だ。
それが、おそろしい。
こわい。こわい。怖い……!
濁流のように押し寄せる甘い甘い声に、飲み込まれそうになる。
脳髄が痺れるほどの甘露の響き。蜜のように甘い、底なし沼の愛。
偽りなく愛を注ぎ、どろどろに甘やかす数多の声。
『おいで』
『吾の神使』
『魂を吾に明け渡せ』
『さびしいさびしいと泣く夜は辛かろう』
『……おいで』
『――吾の元に』
狐火がぶわりと燃え盛る。
「……ぅ、……うる、うるっさい!!」
甘い毒を拒絶するようにフードの上から耳を覆った。がむしゃらに駆け出す。
感情のままに撒き散らす炎で闇を焼きながら、未夜は必死に逃げ出した。
大成功
🔵🔵🔵
レイラ・エインズワース
鳴宮サンと(f01612)
ヤナ気配、早く抜けて元凶を討たないとネ
声が聞こえる
今まで“私”を所有した持ち主の声
「こんなはずじゃなかった」
「こんなこと望んでない」
「これは呪われている」
私は欠陥品で、曰く付きの品と言われてもなお、求めるヒトは絶えず
死からの帰還は、ヒトの夢
ソレはもうわかってるカラ
鳴宮サン、なんかピリピリしてル?
きっと声が聞こえているのカナ
ン、無理はしないでネ
私は大丈夫、大丈夫だカラ
(こんなの、自分でもわかってるコト)
ふと、耳に入る懐かしい声
私を作った辺境の領主
妻を蘇らせようとした魔法使い
「お前じゃない」
一度足を止めるケド
すぐに歩き始めるヨ
蝙蝠にはユーベルコードで攻撃
ジャマ、しないデ
鳴宮・匡
◆レイラ(f00284)と
隣を歩く少女を気遣いながら歩む
敵へは、気付いた傍から【千篇万禍】で狙撃を
耳に届く声をよく知っている
あの人の声だ
戦場で俺を拾い、育てて
戦う力と心を律するすべを与えて
……俺を庇って死んだ、あの人の
それを耳にして浮いたのはかすかな苛立ち
過去の残滓が「あの人」を模ることを
多分、俺は許していない
ん、どうしたレイラ
……ピリピリしてるように見える?
気のせいだよ
こんなのは、ただのノイズだ
(――そのはずなんだ)
(だから、思い出させないで)
――止まった足に、彼女の横顔を見遣る
大丈夫、と紡ぐ言葉の通りじゃないなんて判っている
支えよう、と思ったら
……まだ頑張れるような気がした
早く、先に進もう
「足元、気をつけて」
砕けた岩、煤けた破片は先行した猟兵の足跡だろうか。
鳴宮・匡(凪の海・f01612)の差し出す手に「ありがト」と応え、レイラ・エインズワース(幻燈リアニメイター・f00284)はスカートの裾を手繰り寄せながら慎重に歩を進めた。
予知に違わず、その小さな耳は囁くような偽りの声を捉えている。
ひとりのものではない。彼女がまだただの魔導具であった頃、彼女を求め、彼女を所有し、そして――拒絶し手放した者たちの声。
レイラは人間の願いによって生み出された。
夢を注がれ、渇望を与えられ、曰く付きと知ってなお彼女を求める者は絶えず、数多の人の手を渡り歩いた。誰もが彼女になにかを求め、けれど最後には必ずこう言うのだ。
『こんなはずじゃなかった』
『こんなこと望んでない』
『これは呪われている』
死からの帰還は、人間の夢なのだろう。
(私は出来損ないの欠陥品。ソレはもう、わかってるカラ)
密やかな吐息をついて、レイラは携える長杖を掲げた。ランタンに灯る紫焔が、過去からの呼び声にぼうと揺らぎ、あたりを照らし出す。声の聞こえる方向へと道を選びながら、レイラは幻聴から傍らの青年へと意識を移した。
戦いの場で肩を並べるのは、初めてではない。
何度か共に世界を渡り、敵を前に背を預け合った。だから今の彼が少しだけ――そう、ほんの少しだけ、神経を尖らせていることに気づける程度には、彼の気配を知っている。
戦いの最中であっても冷静さを失わない彼にしては珍しい。
「ん、どうしたレイラ」
視線を感じてか、匡が振り返る。尋ねる声は平時と何ら変わらないようにも聞こえるけれど。
「……鳴宮サン、なんかピリピリしてル?」
彼にもきっと聞こえているはずの幻聴が、そうさせているのだろうか。
気遣うような目線に、匡は静かに瞬きを返し――。
「気のせいだよ。こんなのは、ただのノイズだ」
少しだけ語尾を強めて、言い切った。
(そう――そのはずなんだ)
(だから、思い出させないで)
レイラに対しては誤魔化したが、自分自身は誤魔化しようがない。
脳裏に響く声に、心惹かれて動揺しているわけではなかった。むしろ、その逆だ。
『――――』
聞こえる声は、鳴宮・匡という人間を作り上げた人のものだ。今の彼を形成するすべてのものは、あの人の導きと教えにより作られている。
戦場で彼を拾い、育て、戦う力と心を律するすべを与えてくれた人。
そして、
(……俺を庇って死んだ、あの人の)
懐かしい、とは思いたくなかった。
魔物などのまやかしによって再現された「あの人」の声を、匡は許容できない。
この苛立ちの正体を、彼は知っている。
――過去の残滓が「あの人」を模ることを、多分俺は許していない。
静かに銃を構え、トリガーを引く。
鈍い発砲音と共に放たれた銃弾が、疾駆する蝙蝠を穿ち射止めた。悲鳴一つ漏らせぬままに、魔性の核が砕け散る。――肩越しにそれを聞いて、レイラがゆるりと背後を振り返った。
「……ごめん。ありがト」
「いや。平気か」
「勿論、大丈夫だヨ」
言葉少なく応えて、レイラはにこりと柔く微笑う。
一瞬の油断――とも言えぬ刹那ではあったが、思わず足を止めてしまった彼女を窺うように、匡は平静さを取り戻した瞳で少女を見下ろす。
彼女が何を聞いたのか、それは問わない。
けれど、言葉通りではないことくらいは、判っていた。
(不思議だな。彼女を支えようと思うだけで、まだ頑張れるような気がする)
気丈に振る舞う少女のこの笑顔の前で、心を揺らがせているわけにはいかない、と。
「長居は無用だな。レイラ、早く先に進もう」
「――そうだネ」
青年の背中を追いながら、レイラは脳裏に、先ほどの声を蘇らせた。
『お前じゃない』
はじまりの願い。名もなきカンテラに渇望を注いだ男。
妻を蘇らせんとした、辺境の領主にして魔法使いたる男の声を思い出す。あれはもう、随分と遠い記憶だ。
――願いは、叶わなかった。
「行こう、鳴宮サン。元凶を、討ちに」
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
日暈・明
SPD
ふん、明は強くなったんだ
幻覚なんかに惑わされるもんか
っていっても、ついて行かなきゃいけないんだな?
しょうがないなぁ、惑わされてやるよ
しかし、依頼ってはじめてだな
周りの猟兵からみたら私はひよっこな訳だ
周りに仲間がいて協力できそうなら【援護射撃】使いたい
んで【千里眼射ち】で戦う
げぇ、数多いな
てか幻覚っていつ来るん
…相棒(※鷹)気をつけろ
ち、こりゃたまったもんじゃないな
先生の声だ
弓の一切合切叩き込みやがった人間の師匠
人間嫌い直せってうるさかったな…
あぁ、反吐が出る
あの頃の喧騒なんて、いとおしいなんて思わなかったのに
何でこんなにも惹かれるのか…わからない
チビって呼んでる
誰がチビだ、射抜いてやる!
「幻覚。幻覚、なあ」
暗闇に明かりを灯し、少女がひとり洞窟を進んでいく。
伴うのは鋭い嘴と爪を備えた猛禽の鷹が一匹、そして小さな背には大型の狩猟弓。一見少年のようでもあるし、あるいは日によっては確かに少年の場合もあるが――日暈・明(太陽に憧憬せし者・f13200)の肉体は、間違いなく未成熟な少女のものだ。
「最初は幻聴だったか。今のところ、何も聞こえないな。相棒、お前はどうだ?」
なにか聞こえるかと問う先で、鷹がくるると喉を鳴らす。
足取りは年の割には慎重ながらも無造作で、背負う弓は使い馴染んだ様子だったがわずかな緊張は押し隠せない。彼女にとっては、これが猟兵としての初仕事だった。
依頼を受けるのは初めてだが、鷹の扱いと弓の腕にはそれなりに自信がある。
「……ふん、明は強くなったんだ。幻覚なんかに惑わされるもんか」
いつでも来いとばかりに、少女はキィキィと鳴く蝙蝠たちの気配に耳を澄ませた。
勢い込む明の神経が、その声を捉えたのはそれから間もなくのこと。
途中で気の荒い蝙蝠を二羽ばかり射止めたが、それ以上のさしたる戦闘には突入せぬまま、恐らくは洞窟の中盤あたりまで差し掛かっている。
「――来たぞ、相棒。気をつけろ」
なにかが聞こえる。まだ、言葉までは聞き取れない。
そこで不意に、少女は思い出した。
惑わされるものかと気負っていたが、グリモア猟兵は「声についていけ」と言っていなかったか。元凶の待ち受ける出口は、その声が聞こえる方向だ、と。
「しょうがないなぁ、惑わされてやるよ」
さて、自分を惑わせる声とやらはどんなものか。
よほど恐ろしいものか。あるいは、よほど好ましいものか。珍しい鳥の鳴き声なんかだったら、少し嬉しいかもしれないなと心の隅で思う。
――だが、残念ながらそのどちらでもなかった。
『――……!』
聞き取った声に、明は思わず肩を窄めた。
「げぇ、これ先生の声だ」
顔をしかめる少女の帽子に包まれた頭を、相棒の嘴が軽くついばむ。
叱りつける声に、その表情までもが脳裏に蘇るようだ。
幼い明に、弓の扱いの一切合切を叩き込んだ人間の師匠。動物にばかり親しむ明に、口を酸っぱくして人間嫌いを治せと言い聞かせた。言うことなど聞きやしなかったが。
「ち、こりゃたまったもんじゃないな」
まさか、こんな場所に来てまで師匠の叱咤の声を聞く羽目になるとは思わなかった。
――うるさいなあ。ったく、反吐が出る。
いい加減に耳にタコができちまった。この声に、懐かしさを感じるなんて。
あの頃は鬱陶しいばかりで、いとおしいなんて思わなかった。なんで今になってこんなにも惹かれるのか、わからないけれど。
「……うるさいなあ」
への字に曲げた口で減らず口を叩く。
「あっ、またチビって呼んだな! 誰がチビだよ、射貫いてやる!」
弓を手に声を追う少女の目が、少しだけ嬉しそうに見えたことを、相棒である鷹だけが知っていた。
大成功
🔵🔵🔵
朽守・カスカ
命が失われないように、守りたいのもあるけれど
鮮やかに彩られた日々が
少しずつセピアに褪せてゆくのが寂しくなるときもある
だから、行こう。
耳に届くその音は
私の名を呼ぶ父の声のように聞こえた
懐かしさを覚える響きに
逢いたいかと問われたら、……逢いたいさ。
(でも、それは叶わないこと)
ああ、どうにも、心が乱されてしまうけれど
為すべきことなすために、奥に進もう
【幽かな標】
蝙蝠よ、お前達は惑わし、迷わすものだね
でも、それもお仕舞いさ
この灯は、惑わぬように、迷わぬように
標となる光なのだから
一匹ずつ、ガジェットで倒して行こう
やはりどうにも落ちつかないから
早く、切り抜けるとしようか
命が失われぬよう、守りたいとは思う。
けれど、思うのだ。
鮮やかに彩られていたはずの日々が、少しずつセピアに褪せていく。それは酷く寂しいものだ、と。
――だから、行こう。
今でもきっと、心のよすがとしている。
瞬く灯台の火が船を導くように、からっぽの人形をたくさんのもので満たし、育て導いた、父と呼ぶひとのこと。
彼が遺した灯台で、彼の遺した道具たちに囲まれ、彼の遺した思い出と共にひとり暮らす日々。自由で、気ままで、時にものさみしさはあれども穏やかな毎日の中で。
彼を真似るように、だれかを導き照らすことを、選んだ。
(……父さん)
いまはもう、静かな骸の海で眠るひと。
『――カスカ』
耳に届くその声は、私の名を呼ぶ父の声のように聞こえた。
朽守・カスカ(灯台守・f00170)は無言で耳を傾け、瞼を伏せる。
声が何度も何度も、彼女を呼ばう。懐かしい響きで、教え諭すように、喜びを分かち合うように、慰めを与えるように、かつてはすぐ傍らにあったその声が呼ぶ。
失われたぬくもりを思い出す。
失われたことを識っているからこそ、逢いたいかと問われれば、
(……ああ、逢いたいさ)
当然だろう。
いまでも、いつでも、あの人に逢いたい。もう一度笑い合って、触れあって、名を呼んで欲しい。だって、家族なんだ。
(でも、それは叶わないこと)
朽ちた灯台に明かりを灯したとて、朽ちた父の亡骸に命の火が宿ることはない。
命は戻らない。
「ああ、どうにも、心が乱されてしまうね」
致し方のないことかと嘆息をして、カスカは寂しげに笑った。
為すべきを為すため、還すべきを還すため、しるべの灯をともす。カラン、と小さく金具を鳴らして掲げるランタンが、かそけき光でカスカの夜明けを孕んだ白き髪を映し出す。
「蝙蝠よ、お前達は惑わし、迷わすものだね」
足を踏み出す。
影からこちらを窺う無数の核が、警戒の色を強めて明滅する。ギィ、と罅割れて鳴く声に、灯台守の柔らかな声音が重なった。
「でも、それもお仕舞いさ。この灯は、惑わぬように、迷わぬように――標となる光なのだから」
――おかえり、深き海へ。
ガジェットの蒸気が掻き消える頃、カスカは既に道の先へ歩を進めていた。
『――カスカ。こちらへ来てごらん』
声は止まず、彼女を呼び続けている。
ざわめく心を宥めるようにして、カスカは堪らずに足を速めた。
大成功
🔵🔵🔵
セラフィム・ヴェリヨン
綾華さま(f01194)と
私に誰かの声が聞こえるとしたら
思いつくのはひとりだけ
ただの楽器だった頃慈しんでくれた女主人
麗しく愛に満ちた貴婦人
奏でる度私を褒めてくれた
ー私の可愛い天使
ー愛しい声を聞かせてね
ほんの少し胸が痛む
もしかしたらこれが
寂しいって気持ちなのかしら?
でも平気
私はね、その声が大好きで
いつでも幸せな気持ちになれたもの
だから懐かしくても苛まれはしない
綾華さまには笑みで平気と答え
寧ろお顔の色が優れない貴方が心配だわ
届くなら少し頬に触れて
音にせず口だけで大丈夫か尋ね
戦闘では拘束に回り
UDCをUSで少女の姿に変わらせ
劈くような悲鳴をあげる
有罪確定の裁判を
貴方達はもう刑台の上
執行はかの鍵へ委ね
浮世・綾華
ラクリムので夜市があるんだと
セラちゃん(f12222)を誘って
聴こえてくるのは少年の声
幻惑系の敵に何度か見せられたその子の『――アヤ』と響く音
知らないはずなのに、知っている
鍵をかけた、記憶
確かめようとしても、その術がない
ただ酷く頭痛がする理由を、わけを
思い出せば、己を保てるか
分からない、ということ――
……けれど
今は自分より彼女の方だ
どうにか、心を落ち着かせ
セラちゃん、大丈夫?
おれは、だいじょうぶ――
触れる手のひらに、瞬き
凪いでいく心
礼を告げ手を重ねてから
ゆっくりとおろし目を細め
今はあれ、たおさねーと
こいつらと戦うのはハジメテじゃない
絡繰ル指で複製した刀で
拘束してくれた敵を一体ずつ仕留めていく
記憶の中から誰かの声が響くのだとしたら、セラフィム・ヴェリヨン(Trisagion・f12222)にとってそれは、ただひとりでしかあり得ない。
『――私の可愛い天使』
歌ってちょうだい、と甘やかな声が命じる。
指先に乞われるたび、セラフィムはその身を震わせ、幻想の歌声を奏でた。より高く、より深く、より美しく――セラフィムが心を込めて歌うたびに、彼女は喜び褒めてくれた。
麗しく愛に満ちた貴婦人。私の大切なご主人様。
(あの日々は、アルモニカである私にとっても歓びの日々だった)
宿神となりヒトの身を得た今も、この器には彼女が愛してくれた歌声が満ちている。
『私の可愛い天使。さあ、愛しい声を聞かせて』
けれど、ヒトの身を得たからだろうか。
耳をくすぐる懐かしい声に、どうしてだか胸が痛むのは。
柔く、締め付けられるような想いがするのは。
(もしかしてこれが、寂しいって気持ちなのかしら?)
青く燦く海原の髪が、少女の白い貌を覆い隠す。俯く彼女に声を掛けようとして――浮世・綾華(美しき晴天・f01194)は、ぎくりと言葉を呑んだ。
『――アヤ』
背筋をひやりと冷気が撫で下ろす。
奥歯を噛みしめ、震えそうな指を握り込む。うつろに揺らぐ脳裏に、過るのは空色の少年の姿だった。
……ああ、まただ。
……また、お前なのか。
たびたび綾華の前に幻影となって現れては、彼を惑わせる――見知らぬはずの、少年。
そう、知らないはずだ。記憶の中に少年の姿はない。けれど同時に綾華は、自分は彼のことを“知っている”はずだとも思った。
欠けた記憶。抜け落ちた空白。――鍵を、かけたのは。
(ああ、頭がどうにかなりそうだ)
頭の奥を打ちつけるようなこの酷い頭痛は、まるで己への警告のようだった。
――思い出してはならない。
その鍵を開けた瞬間、己が己ではなくなるような――そんな予感が、していた。
(それはひどく、おそろしく)
耳を塞ぐように、心に薄膜をかける。
少年の笑い声を聞きながら、男は大きく喘いで意識を現実へと差し戻した。今は、己の記憶にかまけている場合ではない。
――俺のことより、彼女の方だ。
「……セラちゃん、大丈夫?」
長躯を屈めて心配そうに覗き込む男に、セラフィムは頷く。
女主人の甘やかな声にゆったりと目を細めて、そっと胸へと手を当てた。
(幸せな気持ちを、覚えてる。私はこの声が大好きだった)
少しだけ覚える切なさは、痛みではない。懐かしさを愛おしんでも、苛まれはしない。
自分は平気なのだと伝えるように微笑んで、それよりも、と胸に当てていた手を静かに差し伸べる。
(私よりも、貴方の方がずっと辛そうだわ)
指先を男の頬へ触れさせれば、ひやりと冷たい膚の色に気遣わしげな眼差しを向ける。こんなに青褪めた貌で、平気な振りをして。ひとの心配ばかりを、して。
“だいじょうぶ?”
音を伴わぬ唇が、言葉を形作る。
ふ、と。その一瞬、見上げる男の表情がひどく無防備なものに見えた。緋色の双眸が、セラフィムのしろがね色の瞳を映して、静かに瞬く。
「――……ン。だいじょうぶだよ」
男は少女の掌に己のそれを重ね、目尻を和らげた。
失われた過去、遠い調べ、喪失の響き。そして、封じられた記憶の深層。
そのどれもが本来、魔性が無遠慮に掻き乱してよいものではない。
(――裁定の時です。罪ある者に、裁きを)
セラフィムのユーベルコードが、悪しきを糾弾する少女を召喚する。
心を暴く行為は悪辣で、残酷だ。秘め事は晒されてはならず、あるいは暴かれるべき時が来るとしても、それはまやかしの手遊びなどではない。
劈く少女の悲鳴が、洞窟の奥深く、暗闇の果てへと迸った。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
第2章 ボス戦
『幻惑喰いの大花』
|
POW : 喰らいつく
単純で重い【花の中心にある口による噛みつき】の一撃を叩きつける。直撃地点の周辺地形は破壊される。
SPD : 蔦を振り回す
【蔦の先の花粉嚢】が命中した対象を爆破し、更に互いを【頑丈な蔦】で繋ぐ。
WIZ : 幻覚を見せる
【幻を見せる効果のある花粉】が命中した対象にダメージを与えるが、外れても地形【を花粉で埋め尽くし】、その上に立つ自身の戦闘力を高める。
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
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洞窟を抜けた先で、その敵は待ち受けていた。
夜空は深く晴れ渡り、今にも降り注ぎそうなほどに見事な星空が広がっている。さやさやと夜風に揺れる野花の奥に、一際大きな花弁でゆうらりと咲く、花の姿がった。
それは人食いの花。
おそろしき、魔性の花だ。
あたりには幻覚作用を齎す花粉が蔓延し、牙剥く大口が、惑わせた餌の誘き寄せられる時を今か今かと待っている。その肉を捕らえようと、太くしなやかな蔦がくねりながら大地を這う。
立ち向かう猟兵たちもまた、幻覚に囚われるだろう。
それは甘言を吐き、空言を紡ぎ、欺瞞に満ちているだろう。心をくすぐり、欲を煽り、甘い手招きで死へと誘うだろう。
――抗わねば、待つのは花の腹の底だ。
※プレイングの受付は5/23、AM8:30~です。
真宮・響
【真宮家】で参加。
懐かしい声を辿って進んで開けた場所に出てみれば、やっぱり、あの人がいた。
・・・律。10年前にアタシと奏を庇って死んだ、最愛の夫。
律の姿をしたモノはきっとこう言うだろう。
「置いて行ってすまなかった。随分長い間かかったが、迎えに来た」
「もう身を危険に晒して子供達と戦う必要はない。あの子達も子供ではない。親がいなくてもやっていけるだろう」
「さあ、おいで。一緒に行こう」
ふん、冗談じゃない。確かに子供達は強くなってる。でもあの子達の成長をいつまでも見守るのが母親の役目だ。
だから、まだアンタと一緒に行けない。振り切るように全力で竜牙を振り切るよ。
真宮・奏
【真宮家】で参加。
とても懐かしい声に誘われるまま洞窟の道をゆけば、10年前に死に別れた顔そのままにお父さんが仁王立ち。また怒られるのか、と尻込みしてれば、発された声はらしくない優しい言葉で。
「奏、長い間待たせた。迎えに来た」
「お前が進んで体を張るのはもういいだろう。本当は苦しくて仕方ないんじゃないか?」
「もう楽になろう。お父さんと一緒に休める場所に行こう」
お言葉ですが、私が盾になるのは、家族でのささやかな幸せを護る為です。決して敵に勝つ為ではありません。
進んで楽な道を歩もうと思いません。自分で選んだ道です。だから、今は。信念の一撃で幻を斬り裂きます。
神城・瞬
【真宮家】で参加。
とても懐かしい声を辿って辿り着いた先は、僕と同じ色の金髪、青い目。
忘れられない、6歳の時、僕を庇って目の前で死んだ、生みの母、麗奈の姿。変わらない黒いシンプルなワンピース姿。きっと、優しく微笑んで、こう言うだろう。
「・・・待たせたわね。瞬。今まで1人で辛かったでしょう?迎えに来たよ」
「貴方にとっては血の繋がりのある人達といるのが何より幸せでしょう?頑張らないで一緒にいらっしゃい」
・・失礼ですが、血の繋がりよりも心の繋がりが重要な意味を持つことがあります。僕は望んで義母と義妹と共にいます。それが僕の選んだ道です。
だから、今は一緒にいけません。氷の槍で幻を撃ち抜きます。
花粉を巻き上げる風が止んだ時、月下には男がひとり佇んでいた。
――真宮・律。響の最愛の夫であり、奏の父親。十年前に家族を庇い死んだ男の懐かしい面影を前にして、響は「ああ、やっぱり」と独りごちた。
声を聞いた時から、幻影が現れるとするならば彼の姿だろうと予感していた。
幻影が静かに片手を差し伸べる。
淡い月明かりが、その半身に青白い影を落としていた。
『――律。置いて行ってすまなかった。随分長い間かかったが、迎えに来た』
声は奇妙なほど静謐で、穏やかだった。
『もう危険に身を晒して子供達のために戦う必要はない。あの子達ももう子供ではない。親がいなくてもやっていけるだろう』
そして、空虚なほど耳に快い。
この男と出会い、響は人生を得た。
広い世界を知り、自由を知り、愛し愛されることを知った。共に手を携え、同じように年月を重ねて老いていくものとばかり、思っていた。
今からでも間に合うと、影は語りかける。
『さあ、おいで。一緒に行こう』
誘う夫の声に、響は長く深い嘆息を吐いた。
「……まったく、よくできた幻影だよ」
皮肉めいた声音で、苦笑する。目前の夫は十年の月日などなかったかのように、響の記憶通りの面差しで、立ち姿で、仕草で、声で惑わせてくる。だからこそ、彼女は「よくできた偽りだ」と吐き捨てた。
夫の顔で、夫の声で、――言うに事欠いて、子を捨てろ、と。
「ふん、冗談じゃない」
確かに奏も瞬も強くはなった。だが、あの子達の成長をいつまでも見守るのが、母親である響の役目だ。そればかりは誰にも譲れないし、投げ捨てたりなどできるはずがない。
「だから、まだアンタと一緒には行けないよ!」
槍の切っ先が風を切る。
穂先の向こうで、偽りの影がぐにゃりと歪み、掻き消える。うぞりと影に潜んでいた蔦を、鮮やかに断ち切りながら、響は「それに」と呟いた。
「アタシの旦那は、もっといい男だよ」
奏の前に現れた幻影もまた、父親の顔をして像を結んだ。
幼い頃に染みついた反射というのは不思議なもので、咄嗟に「叱られる」と身構える己がどこかおかしかった。だって先ほど、惑わしの声に怒られたばかりだ。
けれど父は尻込みをする娘に向けて、優しく微笑む。
『奏、長い間待たせた。迎えに来た』
「…………」
『もうお前が体を張って傷つくことはない。本当は苦しくて仕方ないんじゃないか?』
戦わなくていい。お父さんが守ってあげるから、と。
慈しむような目で、父親が真綿でくるむような優しい言葉を紡ぐ。
少女の身で鎧を纏い、剣を振るってきた。何度も傷ついて、傷つけて、敵とはいえ――命を奪ってきた。年頃の娘が野蛮なことをと眉をひそめる他人の声を何度も聞いた。同じ年頃の子どもたちとままごとで遊ぶより、稽古漬けの毎日を選んだ。
――自分は、苦しかっただろうか。
いくら戦乙女のように剣を振るおうと、奏も年頃の娘だ。きれいなものは嫌いじゃないし、時にはかわいらしいワンピースだって着たい。……戦うことが、好きなわけではない。
けれど。
「本当に、偽物なんですね」
剣を手に、佇む。
握りこんだ柄の感触はひどく手に馴染んでいる。鎧の重さも、剣を振るう意味も、傷つく痛みも、奏はすべてを知った上で、自らの足でここにいるのだ。
『もう楽になろう。お父さんと一緒に休める場所に行こう』
「――いいえ。お言葉ですが、私が盾になるのは、家族でのささやかな幸せを護る為です。決して敵に勝つ為ではありません」
すべては、奏自身がそう在りたいと願い、そう在るべく努力を続けてきたからだ。
母も義兄も、決して彼女にそのようなことを強制はしなかった。選んだのは奏であり、これからも選び続けていくと決めている。
楽な道を歩もうとは思わない。厳しい道程であろうと、自分で選んだ道を歩いて行く。
「あなたは、お父さんじゃない」
――似ているな、と思った。
星空の下で煌めく髪の色合いだとか、面差しの小さな部分だとか、鏡写しとまでは言わないが、確かに血の繋がりを感じる。
たおやかに微笑む母・麗奈の姿を前に、瞬は内心で独りごちた。
幼い頃の記憶などひどく不確かであってもおかしくはないのに、思いのほか自分の記憶力というものは鮮明だったようだ。
『瞬。あなたを置いていってしまって、ごめんなさい』
かすかな風を受け、漆黒のワンピースが揺れる。
瞬が母のことを思い出す時、彼女はいつもこの黒い服を身に纏っている。母がいつも好んで着ていたからだろうか。白い肌とのコントラストが、幼心にも美しかった。
その漆黒が、滴るほどの鮮血に浸された瞬間がフラッシュバックする。
奥歯を噛みしめ、瞬は眇めた瞳で母の姿を見つめた。
ほっそりとした指先。あの指に髪を梳いてもらうのは心地よかった。
今見れば随分と華奢な肩は、あの頃は随分と大きく感じられ、彼を正しく導く広い背中だった。
穏やかな、青い瞳。――母親の愛情を湛えた、懐かしい眼差し。
『今までひとりで、寂しかったでしょう。辛かったでしょう。さあ、お母さんと一緒においで。迎えに来たよ』
父が死に、母を失い、ひとりで取り残された夜の心細さを思い出す。
この広い世界にひとりきりで放り出された、心許なさ。家族を殺された喪失の悲しみと、理不尽を恨み吹き荒れる心の渇いた感覚。
悲しくて悲しくて、寂しくて、辛くて。
瞬は、母の幻に過去を梳かし見て細く溜息をついた。
「ええ、確かに僕はひとりになった。……けれど、そんな僕の手を拾い上げてくれた人がいます」
『けれどその人は、他人でしょう。血の繋がった家族じゃない』
「……血の繋がりより、心の繋がりが重要な意味を持つことがあります」
今でも彼女が、瞬にとって母であることに違いはない。彼女が瞬を産み、幼い彼に愛情と知識、技術を注ぎ、瞬という人間の地盤を作った。けれど、今の彼を育て上げたのは――響であり、共に育った奏もまた、彼にとっては大切な家族なのだ。
ふたりの手をとったその日から、瞬は彼女たちと共に生きる道を選んだ。
「今の僕は、孤独じゃない。だから、……安心してください」
あなたの元にはまだ、行けないけれど。
偽りの虚像にではなく、天にいる母へと向けて囁いた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
シャルロット・クリスティア
【FH】
燃え落ちたはずの故郷。
この世にいないはずの両親。
こっちへおいでと手招きする、温かく穏やかな空間。
戻りたい……もう戻れない、あの頃。
えぇ……恋しいですよ、とても。
戻りたいと、またみんなと暮らしたいと、何度願ったことか。
ですが……それで現実を見失うほど、堕ちてはいませんよ。
炎爆弾で、望さんを狙う敵を、花粉ごと吹き飛ばすつもりで撃ち抜きます。
私一人の未練の為に……救える誰かを見捨てることなんて、それこそみんなに申し訳が立たないですから。
大丈夫ですか、望さん?
はい、私は大丈夫。やるべきことがまだ残ってるので。
……まだ行けそうですか?気を引き締めていきますよ!
七那原・望
【FH】
村の中
物心付く前に亡くなったお父様とお母様がわたしを『リリアーレ』と呼びます。
更にわたしと瓜二つの、5年程同じ時を過ごしたお兄様が『おいでリリア』と手を差し伸べてきます。
物心付く前の、思い出せない筈の記憶が連鎖的に湧き上がって、わたしは恐怖を懐きます。
3人はわたしにとても優しくて。
なんで、どうなって、あなた達は一体……
想像しなかった内容の幻覚を見せられ、わたしは取り乱します。
シャルロット……さん……
ぇと……ありがとうなのです……
シャルロットさんの方は、大丈夫でしたか……?
そうですね。次は惑わされません。
【第六感】と【野生の勘】で位置を割り出し、【マジックオーケストラ】で花を散らします。
記憶の中で、炎は燃え続ける。
崩れ落ちた家屋の下で、残酷なる粛正の手の許で、いくつの命が潰えただろう。あらゆる抵抗は実を結ばず、ひとつの村が呆気なく地図上から消え失せるまで、大した時間はかからなかった。
――それが、現実。
ああ、けれど。眼前にやわらかく広がる穏やかな光景に、シャルロットはじくりと痛む胸のうずきを感じる。
村を焼き尽くした炎などどこにもなく、喪われた人々が朗らかに笑う。
『どうしたんだ、変な顔をして』
『お腹すいた? そろそろ食事にしましょうか』
『ねえねえ、あとで遊ぼうよ』
両親が、隣人が、幼馴染みが――村の人々が平凡を享受していたあの頃。
彼女の目に映ったのは、優しく穏やかな、故郷の光景だった。
『シャル、シャルロット』
『おいで』
『行こうよ』
彼らの手招きに応えられれば、と思う。
その誘惑に身を任せてしまえばどうなるかを、彼女は理解していた。
恋しいと、素直な心は騒ぐ。
あの頃に戻れたらと何度願ったことか。眠れぬ夜に喪失の痛みを思い出し、孤独な夜にこれが夢であればと何度も思った。けれど無情にも夜が明けて、シャルロットは何度でも一人で歩き出す。
それが、現実だからだ。
「偽りの夢に現実を見失うほど、堕ちてはいませんよ」
切なさを飲み下し、シャルロットは冷静にライフルの引き金へと指を掛けた。
シャルロットとは裏腹に、望は自分の見ているものが何であるのか、わからずにいた。
封じられた視覚ではなく、まるで脳髄に直接映像を叩き込まれているかのように、脳を灼く幻覚にぐらぐらと思考が揺らぐ。
母の顔があった。
父の顔があった。
いいや、望は両親の顔を覚えてはいない。彼らは望が物心つくより前に既に亡くなっている。けれど、彼らが父であり母であるのだと、教えられずともわかった。
『リリアーレ』
『リリアーレ』
幻影が望に呼びかける。
知らぬはずの母が、知らぬ名で彼女を呼ぶ。知らぬはずの父が、知らぬ名で彼女を呼ぶ。
「これは、なに……」
『おいで、リリア』
ハッと息を呑んだ。母の傍らに、“望”がいる。――いや、違う。あれは、
「お、にいさま……?」
望によく似た幼い少年が、小さな手を差し伸べている。
おいでリリア、こちらだよ、と。柔らかな頬で笑いかける少年は、望の兄。かつて、五年ほど同じ時を過ごした、彼女の「お兄様」。
『リリアーレ、どうしたの』
そんな名前、知らない。
『きみはリリアだよ、リリアーレ』
知らない。
『――忘れてしまった?』
混乱に喘ぎながら、望は身を震わせた。
父も母も、兄も、皆が優しげに微笑んで彼女を呼ぶ。見させられている光景がどうしても理解できなくて、望は後退った。
「知らない。知らない。なんで、どうして……あなたたちは……!」
取り乱す少女の眼前で、炎が爆ぜた。
爆風が起こり、望の髪を掻き乱す。炸裂した炎は魔力の渦となって周囲を赤々と灼いていった。幻影もまた、火に巻かれて消滅する。
「大丈夫ですか、望さん」
駆けつけた金髪の狙撃手が、望の肩にそっと手を置いて熱風から庇うよう遮った。
呆然と友人の声がする方を見上げて、何度か唇を震わせる。大きく胸を喘がせてから、望はゆるゆると強ばった肩から力を抜いた。
「シャルロット……さん……」
ああ、彼女が幻惑の渦から助け出してくれたのだと、理解した。
「ぇと……ありがとうなのです……」
「いえ、お気になさらず。その、少し様子がおかしかったので……」
「……はい」
易々と敵の罠にかかってしまった。
シャルロットがいてくれて助かったと、小さな肩をさらに窄めるようにする少女に、シャルロットは何と言うべきか迷い、視線を闇にくねる花影へと向ける。
「……まだ行けそうですか?」
「大丈夫です。次はもう、惑わされません」
あれは何だったのだろう。
知らないはずの記憶を突きつけられた恐ろしさはまだ胸の中に残っているけれど、年上の友人の手のぬくもりに勇気づけられた。
あの記憶が何であるのかは、わからない。
わからないけれど、今はなにより、やらなければいけないことがある。
「あの花は、危険です」
「同感です。――気を引き締めて行きますよ!」
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
三岐・未夜
幻を見た
ひとり遠ざかって消えて行く友の背中と、カッターナイフ片手に嘲笑う友の姿
両親の幻を見るんじゃないかと身構えて覚悟はしていた
でも、まさか、親友たちの姿を見ると思わなくて
両親のことより、想うものが増えていたなんて、気付かなくて
動揺で、幻と現実が一瞬わからなくなる
なんで、なんでふたりが、
どうして
まっ、待って
待って!
早く追い掛けないと、ひとりぼっちで消えてしまう
早く止めないと、あの人格は彼奴を壊してしまう
なのに、気ばかりが急いて
恐怖と混乱と動揺で動けない
敵の攻撃が目の前に迫っていることにも気付けずに
ちりん
鈴の音
ストラップの鈴音にはっとする
……っ、あぁぁあもう!!
やなもの見せやがって!
燃え尽きろ!
その幻影に侵された時、未夜はそこが戦場であることを亡失した。
――あまりにも、意外で。あまりにも、思いがけず。
見るとするならば両親の幻だろうと、覚悟をしていたのだ。初めから気構えていれば、無防備に精神を揺さぶられることもないだろうと、両親の姿に抗う心積もりはあった。
だからこそ、予想外だったのだ。
まさか、“彼ら”の姿を、見るだなんて。
暗がりの中、遠い遠い背中が見える。
鮮やかな色の髪が俯いて、大きなはずの体躯はどこかか細くて、無言で佇む様はまるで、はじめからひとりきりだとでも言うように。
――あれは、まさか。
呆然とする未夜の右手から、銀色の薄っぺらい光。
カッターナイフ。
歪んだ笑みを貼り付けた彼が、嘲笑うような目で未夜を見ている。目が合えば、途端にあっさりと逸らされた視線が、闇に閉ざされていくのがわかった。
「なんで、なんでふたりが、」
そこにいるの、と。
だって、両親だとばかり思っていたんだ。心を惑わせる存在だと、聞いていたから。
どうして彼らがと戸惑ううちに、彼らの背が遠ざかっていく。
「あっ、ま、待って……」
だって気づかなかった。
いつの間に、そんなに強く心に宿っていたのだろう。
いつの間に、こんなに重く心に住んでいたのだろう。
両親を想うように、彼らの存在がこんなに大きくなっていたことに。
「――待って!」
早く追い掛けないと、ひとりぼっちで消えてしまう。
早く止めないと、あの人格は彼奴を壊してしまう。
だから、つい。
未夜はこれが敵の罠であることを一時、忘れた。
がくん、と揺れた足元に、驚いて。
気づけば両脚は細い蔦が幾重にも絡みつき、その動きを大地へと縫い止めていた。
視界の隅で、鞭のようにしなる太い蔦が、獲物を捕らえんとたわむ。予備動作。
――ちりん。
鈴の音を聞いた瞬間、現実が押し寄せた。
何を考えるまでもなく、本能による防衛行動が炎を生み出す。黄昏の火は瞬時に高熱に達し、拘束する蔦を灰へと変える。
「……っ、の」
太い鞭が大地を抉るように叩きつけられる寸前、未夜はわずかに身を捻って回避した。たたらを踏みながら、目尻で嘲るようにくねる花の影を見た。
「…っ、あぁぁあもう!! やなもの見せやがって!」
――燃え尽きろ!
妖狐の咆吼と共に、業炎が大地を奔った。
大成功
🔵🔵🔵
ルフトゥ・カメリア
気分が悪い
あの声が頭から離れなかった
……仕事中に余計なこと考えてる暇ねぇだろ……
自戒の声も弱い
あれは、一体
頭を振って意識から追い出そうとする目の前に、ふと気付けば少女が立っていた
3歳程の、小さな女の子
自分と同じ薄藤の髪に、自分とは違う琥珀の瞳
愛らしく笑うそれに、警戒も忘れて呆然とする
…………おま、え、
無意識にふらふらと歩み寄り、手を伸ばし……た瞬間に敵からの一撃を無防備に喰らう
……ぐッ、ぁ、……っ……!
…………嗚呼畜生、腑抜けるにも程があんだろ俺
お陰さまで目が覚めた
ぼたぼたと落ちる炎の血液を更に燃え盛らせ、憎悪混じりに凶悪に嗤う
……余計な、ものを
【怪力、破魔、2回攻撃、鎧砕き】を炎ごと叩き込む
ああ、気分が悪い。
“椿”と呼びかける優しく穏やかな声が、いつまでも頭から離れない。鼓膜にやわらかく居残るその響きが、ルフトゥの心を騒がせて仕方がなかった。
「仕事中に余計なこと考えてる暇ねぇだろ……」
洞窟にぽっかりと空いた出口から、星空が覗く。
こちらに向けられた背中は猟兵のものだ。敵が待ち受けている。余所事に思考を向けている場合ではないと自戒するものの、己の声がどうにも迷いを含んでいることに気づかざるを得なかった。
――くそ、何なんだよ、一体。
指輪の嵌まる手を握りこむ。振り切るように洞窟を出たルフトゥだが、彼のそんな心の揺らぎを、敵の幻惑が見逃すはずもなかった。
一瞬のことだった。
気づいた時にはもう、彼の前には幼い少女が立っていた。
細く柔らかな髪が、夜に揺れる。ぱちりと瞬いた大きな瞳が、にこりと微笑んだ。
ルフトゥと同じ、薄藤に染まった髪。ルフトゥとは違う、琥珀色の瞳。
年の頃は三歳程だろうか。愛らしく笑う幼子が、ちいさなちいさな掌を開いてルフトゥをじっと見上げている。
「……おま、え」
彼らしくもなく警戒すら忘れて、呆然と目を見開く。
花びらのような唇が、なにかを紡いだ。その無垢な瞳に誘われて、思わずふらりと歩み寄る。
(――俺は、この子を、)
求めるように伸ばした手は、空を切った。
横殴りに絡みついた蔦がルフトゥの体躯を地面に打ち据える。
「……ぐッ、ぁ、……っ……!」
したたかに打ち付けた右肩が、ごきりと嫌な音を立てる。
毟られ千切られた黒羽が飛び散り、翼がばさりと彼の体を覆って伏せられる。喉の奥で呻き声を殺しながら、ルフトゥは血が滲むほど強く唇を噛み締めた。
(……嗚呼畜生、腑抜けるにも程があんだろ俺)
予め警告されていたというのに、幻聴だか何だかにまんまと騙されて油断して。
情けない。馬鹿らしい。
「けど、お陰さまで目が覚めた」
下半身に巻き付いた蔦を、左手で無造作に掴み引き千切った。
こめかみでも切ったか、疼くそこから滴り落ちる血液が花色の炎と化してあたりに火の粉を散らす。ぼたぼたと地面を穢すその炎を見つめていた瞳が、うっそりと前髪の間から敵を見据えた。
苛々する。無性に何かを殴りつけたくなって、ルフトゥは拳の代わりに炎に憎悪を注いだ。
抑えきれず吊り上がる唇の端で、昏く嗤った。俺はきっと今、碌でもないツラをしているはずだ。わかっていて、尚嗤う。
「余計な、ものを」
――見せやがって、と。低く掻き消えた言葉尻すらも、地獄の炎に灼かれて消えた。
大成功
🔵🔵🔵
レイラ・エインズワース
鳴宮サンと(f01612)
厳しくして駄目だったカラ
今度は懐柔?
見えるノハ、懐かしい顔
私そっくりの妻と立つ、私を作った魔法使い
「レイラ、よくやった」
「ついに再会が叶った」
「お前のおかげだ」
聞きたかった言葉
見たかった表情
でも、ダメ
その名前は彼女のモノ
ダメ
私にできるのは過去の投影ダケ
ダメ
そして、最期まで、貴方は私のコトなんて見ていなかっタ
言葉も願いも私の向こうに妻の幻を見てたダケ
だから――
呼び出すのは狂気の魔術師
コレが現実
叶わなかった理想
鳴宮サン大丈夫だっタ?
私は、大丈夫
デモ、うん、奇遇ダネ
ちょっと、気が立ってるカモ
イイ?
コレは私の感傷、誰にだって弄らせナイ
援護は任せテ
これダケは、残しちゃいけナイ
鳴宮・匡
◆レイラ(f00284)と
目の前にいるのは
長い黒髪の、よく知るひとだ
いつものように笑って、手を伸ばす
おいで、と呼ばわる声は優しくて
許せない、と思ったものは
それを模った相手だろうか
それとも――
ああ、
何もかもを奪った俺を、あの人が彼岸に誘うとしたら
きっと正当な事だと思うのに
――ごめん
まだ、そこには行けないよ
震える唇は、それだけを告げた
幻だ、判ってる
何を告げても、届くことはない
許されることなんてない
……俺が、自分を許すことも
それで、いいんだ
悪い、レイラ
待たせたかな
……俺は大丈夫だけど
気が立ってるって
そういう時は無理に大丈夫って言わなくていいよ
……俺も同じ気持ちだからさ
一撃で終わらせるよ
援護、宜しくな
過去の残滓が「あの人」を模ることを、許しがたいと思った。
だがそれは同時に、それこそが弱みだと知らしめることに相違ない。「あの人」が今でも男の中で特別な――それがどういう意味を、感情を含むものかは別としても――位置を占めているのだと、告げているも同然だ。
長い黒髪が、涼やかな夜風になびいて揺れる。
匡は冷静であらんと務める視線で、その人の細部を探って差異を探した。ほくろの位置、目線の落とし方、靴に残るささいな疵跡、何でもいい。どれか一つでも記憶の中の姿と重ならないものがあればいいと、思った。
くだらないと、わかっていても。
記憶を映して実を結ぶ虚像であれば、差異などあるはずもない。
湿った風がふたりの間を吹き抜けて、その距離を縮めようとするかのように声が響いた。
『――おいで』
よく知る声、よく知る響き。彼の名を呼び優しく手招く姿に、匡は堪らず一瞬だけ目を瞑った。
許せないと思ったのは、果たして本当に「あの人」を模る相手か。
喪失を愚弄するように、人の心を踏み躙るように翻弄するオブリビオンだっただろうか。
――それとも、
「……――ごめん」
いつものように笑う幻影へ向けて、震える声を押し出す。
「……ごめん。まだ、そこには行けないよ」
これが幻ではなくて、本物のあの人であったのなら。
(何もかもを奪った俺を、あの人が彼岸へ誘うのだとしたら――きっと正当な事だと思うのに)
厳しい現実を揺り起こしても効果がなければ、甘い言葉で懐柔を。
悪くない手だと、思う。魔性のくせして、世の中の常套手段というものを心得ている。人間の心の機微を、感傷の拠り所を、それらを惑わせるすべを、よく知っている。
『ああ、レイラ。よくやった』
レイラの目に映るのは、彼女を作り出した魔法使いの姿だった。
名もなきランタンに渇望を注いだ男。注いでも注いでも穴の開いたソレは希みを生み出せやしなかったけれど。
『ついに再会が叶った。見てくれ!』
歓喜に笑う男の傍らには、レイラにそっくりな妻が寄り添い立っている。
『お前のおかげだ、レイラ。ありがとう』
微笑む頬には命のぬくもりが宿り、柔らかな胸は脈動に小さく波打つ。
死んだ妻がようやく生き返った。願いは果たされた。すべてはお前のおかげだと、男は妻を抱いてレイラを賛美した。
――聞きたかった言葉。
――見たかった表情。
願いを注がれ生まれた器物が、それを願わぬはずがない。
どんなにか、そうやって認められたかったか。
「……でも、ダメ」
紫焔が揺れて、ささやく。
『レイラ』
その名前は彼女のモノ。
私は虚ろの器。あのひとの願いは尽きず注がれすぎて、いつしか溢れてしまった。叶えることもできない願いは、気づけば歪んで腐り果てた。
欠陥品にできることは、過去の投影くらいのもので。
『レイラ』
「ダメ。――貴方は最期まで、私のコトなど見ていなかっタ。貴方が見ていたのは、妻の幻」
呼ぶ名前も、見つめる面影も、すべては私のものじゃナイ。
だからダメダヨ、と。
いっそ優しく囁いて、レイラは“ありえなかった夢”を閉ざした。
すべては潰えた夢の数々だ。伸ばした手は決して届かず、無垢なる願いはやがて狂気へと至る定めだ。
召喚された狂気の魔術師こそが、現実だった。
「ア゛、アアアア、ァ」
狂乱に侵されたがらんどうの眼窩が、ひたりと空虚な理想を見て――夢はそれで終わり。
「悪い、レイラ。待たせたかな。大丈夫か?」
「鳴宮サン。私は、大丈夫」
肩を並べるふたりの前で、魔性の花が影絵めいて蠢いた。
幻惑も掻き消えてしまえば、どこか呆気ない。そこにはただの現実として、オブリビオンが待ち構えているだけだ。
「でも、ちょっと、気が立ってるカモ」
カンテラの中から、葬列の炎が音もなく大きく燃え盛った。
煌々と少女の赤い瞳を照らす焔をちらりと見て、匡はゆっくりと首を横に振った。
「そういう時は、無理に大丈夫って言わなくていいよ」
ホルスターから拳銃を引き抜き、セイフティーを弾く。
「……俺も同じ気持ちだからさ」
匡の凪いだ瞳に、懐かしい姿はもう映らない。
あの笑顔も、呼び声も、決して取り戻せぬ遠い過去にしか存在しない。あの人はとうに死んで、――俺は生きている。
胸の内で何を告げたところで、過去にいるあの人に届くことはないだろう。
許されることなんてない。そして、俺が自分を許すことも、ない。
(それで、いいんだ)
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
アダムルス・アダマンティン
「見ておくれよアダム! 今度の怪物は大物だろ?」
――そうだな
「これだけ大きければ、きっと良い生命創造の礎になってくれるよ」
――酔狂な。ヒトなどというものを作らずとも……
「この不死の怪物たちを倒して、世界の中心に凝縮して……。その後のことを考えなきゃ。ちゃんとね」
――解せぬ
「アダムは頭が固いなぁ。打ってる鉄みたいにカチコチだ! まあ大丈夫。いざ人間ができてみたら、案外愛嬌があるかもしれないよ?」
「アダムは待っててよ。また怪物を退治して来るからさ」
――それなら、新しい武器を
――待て、ソール兄さん
……刻器、神撃
死人に添える花にしては、醜悪に過ぎる
戦士にも、そして鍛冶にも。花は似合わぬ
摘み取るべきだ
その巨躯の浅黒い横顔に、少なくとも傍目に動揺は見られなかった。
業火に燃え盛る大槌を携え、ともすれば夜の色との境界も曖昧な漆黒のいでたちを、克明に照らし出している。
大花の放つ腐りかけの果実にも似た芳香、気まぐれに吹く微風、踏み拉く野草の感触――あらゆる感覚がしばし、遠ざかる。
変わって押し寄せたのは、記憶の奔流だった。
『見ておくれよアダム! 今度の怪物は大物だろ?』
快活な声が彼を呼ぶ。
アダムルスの黒瞳が焦点を結ぶ先で、幻影が形を成した。
光溢るるその地で、彼を振り返り溌剌と笑うその姿は、アダムルスの兄、ソール。懐かしい――この感慨ともいうべきものをそう呼び表すのが正しいのであれば、ひどく懐かしい、かつての姿だ。
――そうだな。と、言葉少なく同意する己の声までもが遠く蘇る。
『これだけ大きければ、きっと良い生命創造の礎になってくれるよ』
――酔狂な。ヒトなどというものを作らずとも……。
『この不死の怪物たちを倒して、世界の中心に凝縮して……。その後のことを考えなきゃ。ちゃんとね』
――解せぬ。
『アダムは頭が固いなぁ。打ってる鉄みたいにカチコチだ! まあ大丈夫。いざ人間ができてみたら、案外愛嬌があるかもしれないよ?』
兄が熱く語る展望を、この時の己はまるで解さなかった。
ソールはいつでもアダムルスが思いもよらぬようなことを考えたものだ。兄弟神とはいえ、保守的な己とはまるで異なる男だった。いや、兄弟神だからこそかもしれない。
何にせよ、これは過去の投影だ。
続きは――忘れるはずもない。
『アダムは待っててよ。また怪物を退治して来るからさ』
――それなら、新しい武器を。
――待て、ソール兄さん。
「……刻器、神撃」
ごうと音を立てて炎が猛る大槌を、アダムルスは短い呼気ひとつで大きく振り上げた。巨躯の腕が太く隆起して、風を巻き上げるようにして轟音とともに振り下ろされる。
――クロックウェポン、ソールの大槌。
兄の名を持つ巨大なハンマーが大地へと叩きつけられ、周囲の地面を円形状に陥没させた。圧し潰された妖の花が一瞬だけびくりと触腕を波立たせ、死に絶える。
大地を揺るがす轟音が止む。
野を焼く炎の中で、男は殊更静寂を纏い佇んでいた。
「死人に添える花にしては、醜悪に過ぎる」
そして、戦士にも、鍛冶にも――花は似合わぬ。
「――摘み取るべきだ」
大成功
🔵🔵🔵
日暈・明
洞窟ってのはじめじめして薄暗くて敵わんな
お、外出たのか
ってことは、この先に元凶が居やがるってことだな
―根を詰めすぎだ、休憩するぞ
―やれやれ、お前はキリの付け方が下手くそだな
…なるほどな、師匠は甘言なんて言わないと油断してたが
ち、矢も当たらん
―頑張ったじゃないか、今日はこのまま寝ても良いんだぞ
攻撃痛いし疲れたな
―眠るまで見ていてやる
…
(相棒、そんなに髪を引っ張らなくてもいい)
ここで寝てる場合じゃないって事、また教えられたな
明はもうあの頃のようなヘマはしない
師匠「狙っても構わんぞ、避けるからな」っていつも言ってたもんな
さあ、来いよ相棒…今日の獲物だ
迎え撃つ鷹の一撃(ハバタキネライサダメテクラエ)!
洞窟から流れ出る空気はまだ湿り気を帯びていたが、中にいるよりは断然マシだ。
じめじめとした肌の感覚を振り払うように、相棒の鷹がその大きな翼を広げる。思いは同じだぞと思いながら、明もまた軽い動作で帽子を被り直した。
どうせ師匠が待ち受けているんだろうと、少々むくれた気分でいたから、驚きはない。
ただ、佇むその顔が妙に優しげに笑っているのが、気味悪かった。穏やかな眼差しでじっとこちらを見てくるものだから居心地が悪い。
こんな師匠の顔を、見たことがあっただろうか。
「なんか、変な感じだな……」
一応の気構えは忘れないまま、手に持ったままの大型弓を構えてはみたものの、さて、果たして幻影そのものを射て効果があるだろうかと考え。
不意に、師匠が軽く手を叩く。
『根を詰めすぎだ、休憩するぞ』
はたと見つめる先で、師匠がまるで仕方がないとでもいうような笑みを浮かべる。
『やれやれ、お前はキリの付け方が下手くそだな』
これは予想外だ、と明は思った。
何せ師匠は、凡そ甘言などとは縁のない人種だと思っていたからだ。だから、この敵が甘言を弄すると聞いてはいても、まるでイメージが湧かなかった。嘘くさいことを言われても、心を惑わすどころか笑ってしまいそうだ、と。
けれどこれは――予想外だ。予想外に、少しだけ心がざわついてしまった。
「ちょっと油断していただけだ。明はそんなものには惑わされないからな」
唇を引き結んで、矢を番えた。
大体、あんなもの普通は甘言のうちにも入らない。師匠はあんな人だったから明はこのような労わられ方はしたことがないが、言われたことはないが、
「明はそんな、ちょろくないぞ」
引き絞った弓から、矢を放つ。一射目は幻影の肩口を掠めるに留まる。
二射目は軽く避けられた。三射目、――なぜか大きく外れる。空しく暗闇に落ちる矢の行方を見て、明は不機嫌そうに舌を打った。
「ち、矢も当たらん」
どうしたんだ、とでも言うように、相棒が帽子を突く。
師匠に対して、矢が当たらないのも当然ではあった。あの幻影は、明自身の記憶の投影だ。つまり――明自身に、師匠に矢が当たるイメージが持てなければ、外れるのも道理というもの。
――そんなもん、どうやって抱けというんだ。
本気を出して狙ったところで、易々と避けられるイメージしかない。
『張ったじゃないか、今日はこのまま寝ても良いんだぞ』
「……うるさいな。師匠がそんなこと、言うもんか」
『眠るまで見ていてやる』
「…………」
(相棒、そんなに髪を引っ張らなくてもいい)
一瞬の心の揺らぎを感じ取ったのか、敏い相棒の目に咄嗟に言い訳すら出てこなかった。
わかっている。そんなに心配しなくてもいい。
(明はもうあの頃のようなヘマはしない)
矢が当てられないなら、別に拘泥はしないさ。明の持つ牙は、この弓だけではない。
「そうだろう、相棒。さあ……今日の獲物だ!」
掲げた腕から、勢いよく鷹を飛び立たせる。
羽搏く翼が夜風を切る。爛々と煌めく猛禽の眼は、明のそれと同様に強く敵を見据えていた。
大成功
🔵🔵🔵
セラフィム・ヴェリヨン
綾華さま(f01194)と
扇に合わせるよう
浮かぶ隣人に風を起こさせ
でもきっと幻覚は届いてしまう
ー楽園へおいで
ーひとりは寂しいでしょう?
よく似た声
でもそれだけ
あの貴婦人は笑って逝った
この世に残した未練などなく
私を呼ぶ筈もないわ
弔いの祈りだけ僅かに捧げて
風を強めて振り払い
綾華さまに駆け寄れば
先より乱れた様子に驚き
裾引くだけでは呼び戻せない
なら言葉を成さない硝子の声で
それでも名を呼ぶように
ー綾華さま、私をみて!
弱く頬を叩いて振り向かせ
庇って下さってありがとう
でも私も力になれるはず
例え非力でも
ほら、貴方を呼び戻せたでしょう?
立て直せたら微笑んで
さぁ悲鳴を上げて、魔女狩りの少女
鬼火が全てを燃やすまで
浮世・綾華
セラちゃん(f12222)と
随分でっかな口だこと
扇で風を起こすも
それはきっと避けきれない
自分より彼女の方が上手くいくのかもしれない
庇いきれるとも限らない
――セラちゃん
それでも癒してくれた彼女の盾にと
視界は暗闇に満ち
息苦しさに包まれる
…だして
――こわさない、で
(…ちがう、恐れているのは
狭くて暗いその場所でも
自分が壊されることでも、ない)
(――サヤ)
声があの子の名を呼ぶ前に引き戻される
ぁ――せら、ちゃん
悪い、また
…非力なんかじゃないよ
じんとすらしない頬冷たさに気づけば
慌てて拭い背を向けながらも
頭をふわりなで、ありがとな、と
(多分、痛かったのはその手の方だ)
どんな化け物でも相手は花だろ
鬼火で、燃やす
沈み込むように、暗闇へと落ちていく。
まるで深い深い水の中だ。わずかに開いた唇から、気泡の代わりに喘ぎ声を漏らす。耐えようのない息苦しさが、綾華の意識を塗り潰していった。
堕ちる寸前、水面に燦く光を見た気がした。
――嗚呼。己が、彼女の盾になど、なれようはずもなかったのに。
気がつけば其処は、小さな函の中。
何も見えない。
何も、聞こえない。
ただただ息だけが苦しくて、湧き上がる恐怖がすべての力を奪っていくようで。
『……だして』
背筋を這い上がる恐ろしさに、声すらも竦む。
か細い声音は、誰の耳に届くこともなく闇に消えるばかりだった。
――だして。
――こわさない、で……。
絶望の色を、この時に知った。
息ができない。苦しい。怖い。息が、――だれか。
(ちがう……恐れているのは、狭くて暗いこの場所でも、自分が壊されることでも、ない)
恐れていたのは――。
(――サヤ、)
声があの子の名を呼ぶ前に、世界が回転した。
視界を覆ったのは、緋色の背中。
長躯の彼に庇われる形で、セラフィムはそうっと彼の背を見上げた。
(震えていて、……その耳に触れたら、きっとまた、つめたい)
綾華の表情は、背後からは窺い知れない。
だからセラフィムは、脳裏に響いた甘やかな声に、短く弔いの祈りを捧げた。
あの貴婦人は笑って逝った。この世に残した未練などなく。
(私を呼ぶ筈もない)
少女は毅然と幻影に訣別し、花粉と共に風を払った。
それよりも、綾華の様子がおかしい。先ほどの比ではないほどに気配は乱れ、苦しそうだ。
(綾華さま)
うまく呼吸ができていないようで、顔色はひどく白く、その目は強い恐怖を訴えている。それでいて意識は虚ろで、裾を引くセラフィムのことも見えてはいないようだった。
(駄目。綾華さま、戻ってきて)
硝子の声が高く強く響き、男を呼ぶ。
(――綾華さま、私をみて!)
華奢な手が精一杯の力を込めて、男の頬を叩いた。
乾いた音に、束の間、強く叩き過ぎたかしらと心配になる。だが、ようやく男の目が焦点を結び、眼前で気遣わしく己を見る少女の姿を捉えた。
――青く燦く、光の色を。
「ぁ――せら、ちゃん……」
弱々しく紡がれた己の名に、セラフィムはほっとしたように肩を下した。
よかった、と微笑む彼女と、周囲とを見回して、綾華は状況を理解したようだった。「悪い、また」と強張る頬に、ゆるく首を振る。
(庇って下さってありがとう)
例え彼が力なく笑おうとも、セラフィムは嬉しかった。
けれど、私だって貴方の力になりたい。非力な身ではあっても、貴方をこうして呼び戻すことはできる。
にこりと微笑む少女の、なんと強いことか。なんと、しなやかなことか。
ふと己の頬を濡らす冷たさに気づいて、男は慌てて隠すように手で覆い、拭った。
気づかれただろうか歯噛みしながらも、綾華は少女のちいさな頭に掌を置いて、やわく撫でた。
「……ありがとな」
幻惑からは逃れられたとはいえ、未だ胸の内をひやりと潜むものは残る。
どうしようもないなと独り言ち、男は少女の前に立った。
――影絵めいた、悍ましき人食いの花。
「来い。燃やし、喰らい尽くせ」
差招く指先に呼応するように、綾華の周囲に無数の鬼火が現れる。
男に沿い、セラフィムもまた己が刃たる半月闘魚、色鮮やかなる青の隣人を手招く。優美な鰭を靡かせ、少女の求めるままにその身を変ずれば、刹那――夜を切り裂く絶叫が、花影を撃った。
「――借りは、返させてもらう」
悲鳴に追従するようにして、鬼火の群れが魔性花を襲った。
食らいつき、灰と化すまで逃さない。
――罪を抱いたまま、燃え尽きろ、と。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
第3章 日常
『夜市にて』
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POW : 店を見て回り、買い物をする
SPD : 料理や酒、甘味など食事を楽しむ
WIZ : ゆったり静かに星空や景観を愛でる
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●ラクリムの夜市
アックス&ウィザーズのとある地方にある町、ラクリム。
乾いた砂色の家々には美しい塗料で模様が描かれ、町並みの至る所には精緻な文様のランタンが吊り下げられている。それらすべては、ラクリムの宝である細工職人の手によるものだ。
中でも一際美しく灯るのは、ラクリムランタンと呼ばれる鉱石の光。
暗闇で光る性質を持つ宝石を、銀や木工細工などの函筒に閉じ込めてある。精霊や魂が宿るとも云われる、不思議なランタンだ。
――そして、町中を彩るランタンが幻想的に灯る夜こそが、ラクリムが最も賑わう時間だった。
どこかから楽の音が響き、店先に焚かれた香炉が幽玄に煙を立ち昇らせる。
物見の客は深夜に差し掛かっても途切れることがなく、呼び込みの売り子たちが道行く人の興味を引こうと競い合うよう。
身を飾るものが欲しければ、美しい耳環や首飾りの並ぶ宝飾店へ。男性客や冒険者向けに、革細工に宝石を加工した小物を売る店もある。
道端の露店を覗けば、鉱石の屑石が安く売られてもいる。あるいは、歩きながら食べられる軽食の類や、一杯の茶に果実水などで喉を潤すこともできる。大きなテーブルのある食事処に入るのもいいだろう。
土産に鉱石のランタンを買い求めてもいい。
火を使わぬラクリムランタンは、いつでも仄かな灯りで君の夜を照らし出すことができるはずだ。
真宮・響
【真宮家】で参加。
まず子供達の無事を確認するよ。今回はかなり精神的にきつかったからねえ。うん、大丈夫なようで何よりだ。3人で夜市を楽しもうかね。この街の風景は中々風情があっていい。
まず買い求めるのはラクリムランタン。旅暮らしだったアタシ達にとっていつまでも明るいランタンはなにより有難い。
奏、三人お揃いのブレスレットが欲しいと。いいね。今回は家族の大切さが身に沁みた。これから家族三人が手を取り合って歩いていけるようにとびっきりのブレスレットを買おうかね。確かにアタシたちの絆を繋いでくれる事を信じて。
真宮・奏
【真宮家】で参加。
(涙を目に溜めながら)ふええん、響母さんと瞬兄さんも無事で良かったです~。(ぐしぐしと涙を拭きながら)はい、怖いのはもう終わったので、3人でお買い物しましょう!!
そうですね、火を使わないランタンは有難いものですので、まずはラクリムランタンを買いましょう!!えっと、実は買いたいものがあるのです。
ずっと家族一緒に頑張って行けるように、三人お揃いのブレスレットが欲しいです!!今回はとても心細かったものだから、一緒である証が欲しくて。綺麗なものを買って、いつまでも大事にします。ずっと三人が共に歩いて行けるように。
神城・瞬
【真宮家】で参加。
心配そうな顔の響母さんと安心した余り泣いている奏の顔を見て、ああ、やっぱり僕の居場所は2人の傍と確信します。きつかった事は確かですが、2人に会えたので、もう大丈夫ですよ。
確かに火の使わないランタンは重宝します。まずはラクリムランタンを買いますか。
お揃いのブレスレットですか。欲しいです。僕も三人で居れる幸せを再確認しましたので、三人の絆の証として。これからも家族3人でささやかな幸せな時を過ごせるよう、僕は力を尽くすとこのブレスレットに誓います。
夜市の賑わいは、戦いに荒んだ心を高揚させるにちょうどいい。
真宮家の三人組もせっかくの機会だからと、ラクリムの町へと足を踏み入れた。
が――。
「ううう~~~」
「ああ、ほら、擦るんじゃないよ、赤くなる」
広場のベンチに腰を下ろした途端、緊張の糸が切れたのか泣き出した娘に、響は穏やかな眼差しでその頭を撫でた。随分と成長したと思っていたが、泣き顔はまるで幼い頃と変わらない。母親の目とはそういうものなのかもしれなかった。
「だって、こ、怖くて……」
「うん」
「二人に何かあったらどうしようって思って」
「アタシも瞬も無事だよ。奏、アンタが護ってくれたお陰だ」
今回はかなり精神的にきつかったからねえ、と濡れた頬を優しく拭ってやりながら、響は娘を抱き寄せた。彼女自身、敵の幻影によって子供たちが傷ついてやしないかと心配していた。奏はある意味、こうして素直に泣いて感情を見せてくれるからわかりやすいが――。
「奏、落ち着いてください。もうすべて終わったんですから」
腰を屈めた瞬が、木製のゴブレットを差し出す。
ひんやりと冷たい果実水の香りに奏が義兄を見上げ、すんと洟をすする。ゴブレットを受け取ると、恥ずかしげにハンカチで頬を拭った。
「はい……響母さんも瞬兄さんも、無事で良かったです」
「それを飲んで落ち着いたら、三人で夜市を楽しもうかね」
泣いた分喉が渇いただろう、と笑う。
そうして響は、静かに佇む息子の顔を見上げて「アンタは大丈夫かい」と尋ねた。彼の境遇を思えば、彼の地で遭遇しただろう幻影には予想もつく。落ち込んではいないかと気遣う義母に、瞬はひとつ瞬いてから、緩やかに微笑んだ。
「僕は平気です。……きつかった事は確かですが、僕には響母さんも奏もいますから」
戦いの場を離れ、こうして心配をしてくれる響や、安心しきったあまり泣き崩れる奏の姿を見て、改めて知る。――自分の居場所は、彼女たちの傍らなのだと。それは揺るぎのない確信だった。
泣いてすっきりとしたのか、やがて奏は晴れやかな笑顔を取り戻した。
まさに泣いた烏が何とやら。けろりと笑う彼女に先導されるようにして、三人は夜市をそぞろ歩く。あちらこちらの露天を覗き、途中でラクリムランタンを購入しながら、一番の目当てはランタン屋に勧められた宝飾店だった。奏たっての希望だ。
――三人でお揃いのブレスレットが欲しい。
「ずっと家族一緒に頑張っていけるように、って。今回とても心細かったものだから、そういう証が目に見える形であればいいなって思ったんです」
形になど表さなくても、家族の絆は疑いようなく深い。けれど、瞬にも彼女の気持ちはよくわかった。
「いいですね。僕も欲しいです。いいでしょう、響母さん?」
「そりゃ勿論。そういうことなら、とびっきりのブレスレットを買おうかね」
色鮮やかな天幕の間をくぐり抜け、時折ついつい通りがかる店先の商品の物珍しさに足を止められながらも、辿り着いたのは女性客で賑わう緋色の天幕。軒先に揺れる花冠の意匠の灯火――ランタン屋がおすすめだと語っていた店に間違いない。
店にはたくさんの宝石が溢れ、ブレスレットに絞っても様々なものが並んでいた。ラクリムの特産でもあるコランダムの他、商人たちが各地で仕入れた色鮮やかな宝石たちだ。値段や、普段の生活――こと戦いにおいて邪魔にならないことなどの条件を鑑みて、三人が選んだものは美しい透明の石が煌めく銀細工のブレスレットだった。
小粒のダイヤモンドが嵌まった、ほっそりとした銀の腕輪。
「――ダイヤモンドには、永遠の絆という石言葉があるそうですよ」
どこかで聞きかじった知識だった。
UDCアースなどでは愛を誓う石としても有名ではあるが、血ではなく心で繋がりあう家族たちには、絆の証としてもぴったりだ。
また、非常に硬いことでも知られるダイヤモンドは、多少ぶつけたところで疵一つつかない。日常的に身につける上での不安も少ないと、これは探し物を手伝ってくれた店の売り子の言葉だった。
「……綺麗ですね」
三人の手首で、金剛石がきらきらと輝く。
星空に掲げる光を見つめて、声なく見交わす視線で決意を通わせた。
ダイヤモンドのように強く繋いだ絆のもと、いつまでも三人でともに歩いていけるように。
――そのささやかな幸福のために、力を尽くすことを。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
日暈・明
ふぅ、やれやれだ
戦って喉も乾いたしお腹も空いた
この際なんでもいいから明はフルーツジュースと肉が食いたいぞ
明は成長期?だからいっぱい食べないといけないんだ
相棒にはいつもより美味いエサを買ってやろう
なにせ明が一番頑張ったが、相棒も頑張ったからな
へえ、この街のメシ美味いじゃないか
やっぱアレかな、勝利の味ってやつ?
最初はそりゃ緊張したし、師匠出てきた時はどうしようかと
でも相棒がいてくれたからな
お前がいたらなんも怖くないや
あとは明が弓をもっと練習して
お前への指示が上手くなればいいだけなんだ
師匠、今頃どこで何してんだろ
弓も自信あったけど半人前だし
いたら煩いけど、いないと静かすぎるっての
調子狂うなぁ…ったく
夜市は盛況だった。
あちらこちらに灯るランタンの明かりが重なり、織り混ざり、町を複雑な色合いで染め上げている。深夜も近いというのに多くの人々が集い、町はざわめきに満ちていた。
「……人、多いな」
大通りの隅っこで、明はぽつりと呟いた。
人混みというほどではないが、少々及び腰になる。どうするかなと首を巡らせたところで――ふと、香ばしい匂いが漂うことに気がついた。肉の焼ける、いい匂い。触発されて、明の腹がぐうと鳴る。
「……メシ、食うか」
思い返せば、最後に食事をしてから結構な時間が経っている。
明は腹をさすりながら、ふらふらと露天へ近寄った。
都合良く空いたベンチに腰を下ろす。
薄い木皿の中では、綺麗な焼き目のついた粉物の生地が熱々の湯気を立てている。中には肉やら野菜やらが零れんばかりに挟み込まれていた。何と呼ばれる料理なのかは知らないが、香辛料の混ざったソースは食欲をそそるいい匂いがする。
「山で狩ったばかりの鹿肉だそうだ。よかったな、相棒」
別の皿には、新鮮な赤身の生肉。調理の過程ででた端切れ肉だそうだが、鋭い嘴で食んだ鷹は満足そうにくるると喉を鳴らした。
お前の餌をどうしようかと話していた言葉を拾ってか、あるいは獲物を狙う鷹の目に訴えられてか、店主が相棒のために肉を分けてくれたのは嬉しかった。果たして明のぎこちない礼はあの店主に伝わっただろうか。少しばかり気にかかったが――いや、肉を多めにと注文をつけたら「欲張りな坊主だ」と鼻で笑いやがった失礼さで帳消しだ、たぶん。
「明は成長期?なんだぞ。いっぱい食べないといけないんだ。それを」
ぶつぶつと零しながら、勢いよくかぶりつく。指と口元をソースで汚しながら頬張り、お、と大きな瞳を瞬かせる。もう一口。合間に冷えた果実水で喉を潤しながら、気づけばあっという間に皿は空っぽになった。べとべとの指先を舐めとりながら、ふんと鼻を鳴らす。
「なんだ。美味いじゃないか」
失礼な親父だから大して期待はしていなかったが、悪くない。
「やっぱアレかな、勝利の味ってやつ?」
腹がくちくなり、明は大きく体を伸ばしながら空を見上げた。
月明かりにも隠されぬ星空をぼんやりと見つめながら、「師匠、今頃どこで何してんだろ」と呟く。
幻影を見た時には内心どうしようかとも思ったけれど。
「……相棒がいてくれたからな」
ひとりだったら、あんな虚勢は張れなかったし、どうなっていたか知れない。
相棒の首元を撫でてやる。澄んだ瞳の中にも、星が散っていた。
「お前がいたらなんも怖くないや」
相棒もまた、明の瞳の中の星を見ているだろうか。
互いさえいれば、何も怖れるものはない。暗闇の道でも、きっと歩いていける。
鷹が相づちを打つように、キィと鳴いた。
大成功
🔵🔵🔵
七那原・望
【FH】
ラクリム……そういえばアックス&ウィザーズの街に入るのは初めてなのです。
果実水、おいしいのですー。ここはいい街なのですー。
教えてくれるのです?嬉しいのですー。
ラクリムランタンって宝石なのですよね?どんな感じなのですー?
シャルロットさんのお話を聞きながら、目が見えてた時の記憶を頼りにシャルロットさんが見ている物や景色を頭の中で思い描いてみます。
……えぇ、綺麗ですね。きっと、すごくきらきらしてて、美しいのです。
これは、石?
なんだかポカポカしてて、不思議なのですー。
いいのです?ありがとうなのです!大事にするのです。
いつか、目が見えるようになったら、またシャルロットお姉ちゃんと行きたいのです。
シャルロット・クリスティア
【FH】
仕事も済んだことですし、あったことは忘れて……とは言わないにしても、気分を切り替えるとしましょうかね。
ラクリムは宝飾品も綺麗で華やかな街ですし、いい気分転換になるでしょう。
一度来ていますし、簡単な案内なら、何とかやれると思いますよ。
……っと、そうか、望さんは目が見えないんですっけ……。
そうですね、何もわからないのはつまらないでしょうし、飾ってあるものをうまく口で説明できればいいのですが……ひとつ、頑張ってみましょうかね。
魔力を持つ石であれば、仄かに熱を放つランタンとか無いものですかね?
光は無理でも熱なら感じ取れるでしょうから、何か買ってあげたいところです。
深い夜を滲ませる、美しい灯火の数々。
人々のざわめきが遠く、近く、打ち寄せる波のように聞こえてくる。
以前訪れたときには、夜市を楽しむどころではなかった。宿の窓から賑わう喧噪を遠目にはしたが、実際に間近にしてみれば、昼の町との様相の変わりようにシャルロットは目を瞠った。
「すごいですね。……望さん、はぐれないように気をつけてくださいね」
白い翼をたたんだ少女の手を離さぬよう、しっかりと握る。
素直にこくりと頷いた望が、ふと空中へ向けて鼻をすんと鳴らした。
どこからか、甘く乾いた花のような香りが漂っている。入り交じるのは、食べ物のにおいと、香辛料のような芳ばしさ。
――知らない、町のにおい。
「そういえば、アックス&ウィザーズの街に入るのは初めてなのです」
変わったにおいがしますねと声を弾ませた少女に、シャルロットが手を引いて、近くの店先へ向かう。
「香炉が置かれていますから、この匂いでしょうね。金色の猫を模したデザインです。可愛らしいですよ」
シャルロットは今宵の己を、彼女の案内人及び『目』であるようにと定めた。
七那原・望は目が見えない。
小さな顔の半分を覆う封印は幼いこどもの姿を奇異な異相とさせてはいるが、猟兵ゆえに注目を集めぬことと、彼女自身が行動に不自由をしないことから、普段はあまり気にかける機会もない。だが、せっかくの観光でなにも見えないのではつまらない。
彼女の封印を、解いてやることはできずとも。
彼女の目の代わり程度であれば、勤められるだろう。
「ラクリムランタンというのは、特殊な鉱石を利用した灯りなんだそうです。この町には職人も多くて――」
シャルロットは先だって仕入れた知識を交えながら、目に映る光景を、店先の様子を、売られている珍しそうな商品を、少女に語っていく。望が興味を示すものがあれば、店主の了解を得ては手に取り、少女に触らせてやったりもした。
途中で果実水を購入し、鳥籠で美しい歌声を響かせる小鳥とふれあい、やがて二人は薄い黒布を幾重にも重ねた天幕を訪れた。しっとりとした暗闇を、連なる幻想の光が照らし出す。ラクリムランタンの専門店だ。
天幕の中には、数えきれぬほどのランタンが吊り下がっている。銀や金細工のものから、複雑な文様が透かし彫りにされた木工細工まで、あらゆる外殻の内側から、鉱石が淡い光を灯していた。
ふたりはしばらく店の中をめぐり、たくさんのランタンを見て回った。
望には灯る色の違いはわからない。けれど、触れた細工の妙や、シャルロットの尽くす言葉から、想像をすることはできた。年上の友人の説明を聞いているのは楽しく、彼女が丁寧に言葉を選び抜き、心をこめて伝えようとしてくれていることが、よくわかる。
だから十分に楽しんでいたのだけれど。
――少し待っていてください。
そう告げて場を外したシャルロットを待つこと、しばらく。戻ってきた彼女に手渡されたものは、望を大層驚かせた。
「魔力を持つ石なら、熱を放つようなランタンもあるのではと思って」
触れると、ほのかにあたたかい。
炎の属性を伴って結晶化した鉱石なのだという。火のように熱くはなく、ただ触れれば柔らかなぬくもりが伝わってくる。
「なんだかポカポカしてて、不思議なのですー」
「光は無理でも熱なら感じ取れるでしょうから。よろしければ、プレゼントさせてください」
「いいのです? ありがとうなのです! 大事にするのです」
素直に喜びの声を上げる望に、シャルロットもまた嬉しそうだ。
灯る光は、どこか空の色を思わせる。
「とても優しい光です。晴れた空のように深く澄んだ青色で。その、……わかりますか?」
「えぇ」
望は目隠し越しにランタンを見上げるようにして、うっとりと微笑んだ。
まだ、この瞳が封ぜられる前。あの頃に見た晴れ渡る青空を思い出しながら、ほうと息を吐いた。蒼穹に灯る光。ああ、それはきっと。
「……綺麗ですね。すごくきらきらしてて、美しいのです」
本当に、そう思った。
指で辿るフレームは丸みを帯びていて、シャルロットが言うには、台座をつけた小さい鞠のような銀細工だという。
あたたかな銀の鞠を手にした帰り道、望はふとラクリムの町を振り返る。
(いつか、目が見えるようになったら、またシャルロットお姉ちゃんと来たいのです)
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
レイラ・エインズワース
鳴宮サンと(f01612)
おつかれサマ
無事に解決できてよかったネ
せっかくだカラ、街の中、見て回ろうヨ
あたりにかかったランタンを見て、小さく感嘆の声を
綺麗ダネ、すっごく幻想的
石が光る、ナンテ不思議な話ダネ
帰りに一個買っていこうカナ、なんて思っタリ
だってほらこんなに綺麗なんだカラ
そういえばこの間もらったのは紅玉の、だったヨネ
あれに合わせられるようなの、あるといいなァ
もちろん!
ダッテ大事なモノだし?
差し出された手はちょっと迷ったあと取って
ちょっとのどかわいちゃっタ
どこかで何か飲みつつまた、見て回ろうヨ!
……大丈夫
だから今は、ここをもっといろいろ見て回りたいなって
デモ、ありがとう
そのトキはおねがいネ
鳴宮・匡
◆レイラ(f00284)と
ああ、お疲れ様
いいよ、見て回ろうか
元々、レイラに見せたいと思ってたから
眺めた景色は、何処か遠い
それは、きっと別のことを気にしているから
はしゃぎまわるレイラの姿を見ても
無理をしてる、ってわかるから
ああ、覚えててくれたんだ
そうだな、合わせるなら対になるように別の色とか、――
……かけるべき言葉を探したけど
結局、そんなもの
「ひと」でない自分には見つけられなくて
だから、代わりに手を差し出す
確かめるように握り締めて、目を合わせる
……少しは預けていいよって、前も言ったろ
そっか、……わかった
なら、気が済むまで付き合うよ
そうだな、その時は遠慮なくどうぞ
……いつでも、ここにいるからさ
「綺麗ダネ、すっごく幻想的」
幻想と現実が入り交じる夜市の光景を目にして、レイラが小さく感嘆の声を上げた。
彼女の本体たる紫焔の洋灯が夜を映し、一際美しく火影を揺らめかせる。
「ああ、レイラに見せたいと思ってたんだ」
跳ねるような足取りを追い、匡は少女の朗らかな笑顔に目を細める。
以前別の依頼で訪れた時に、彼女ならばこの町を気に入るのではないかと思った。いつか機会があればとは思っていたが、その機会は思いのほか早く訪れた。
「色々見て回りたいなァ。それとも、疲れちゃっタ?」
「いや、構わないよ。いくらでも付き合うさ」
あの程度で疲労するほど柔ではない。
少しばかり後味の悪い戦いではあった。己はいい。多少の苦さなど飲み下せばそれで済む。心を乱されることもない。
――だが、果たして目の前の少女はどうだろう。
「ラクリムランタン、だよネ。鳴宮サンに教えてもらって、楽しみにしてたんダ。石が光る、ナンテ不思議な話ダネ」
「君とどちらが不思議かと聞かれたら、君に軍配が上がりそうな気もするけど」
「ソウ?」
他愛なく言葉を交わしながら、夜市を見て回る。彼女は始終楽しそうで、朗らかに笑い、弾むような足取りであちらこちらへと興味を示した。
「帰りに一個買っていこうカナ」
呟いてから、ハッとしたように匡を仰いでぱたぱたと手を振った。
「もらったランタンは気に入ってるヨ! ただほら、こんなに綺麗なんだカラ、あの紅玉に合わせられるようなのがもう一つあるといいなァって」
「ああ……いいんじゃないか。そうだな、合わせるなら対になるように別の色とか、――」
言葉がふつりと途切れる。
彼女が隠したがっているのなら、見ない振りをして付き合うこともできた。
他愛のない話に他愛なく応え、笑顔には笑顔を返し、つかの間の非日常をただ楽しむ振りをして――、
(彼女がひとりきりになってから、なにがしかの整理をつけるのを、待つ?)
……そうじゃないだろう。
はしゃぎ回る彼女が、きっと無理をしているのだろうことに気づいていた。
気づいて、気懸かりで、ただかけるべき言葉だけが見つからなかった。
(結局そんなもの……「ひと」ではない自分に、わかるはずがない)
「……鳴宮サン?」
どうかしたかと尋ねる彼女に、片手を差し出した。
探して、探して、見つからない言の葉の代わりに。不甲斐ない科白の代わりに、ぬくもりを繋ぐ。
「……少しは預けていいよって、前も言ったろ」
よく熟れた果実のような瞳が、丸く瞠られて――ゆっくりと、緩んだ。
ためらいの残る掌を包むぬくもりは温かく、大きい。
「……大丈夫」
心配しなくても、平気ダヨ、と。
男の静謐な眼差しに困ったように笑って、レイラは小首を傾げた。
「ちょっとのどかわいちゃっタ。どこかで何か飲もうヨ」
促せば、匡は仕方なさそうに肩を竦めて「わかった」と歩き出した。
見慣れた広い背中。繋いだ手。――体温。
レイラは男の後頭部を見上げて、少しだけ迷ってから、握る手に力を込めた。
今はまだ、これが精一杯だけれど。
「そのトキは、おねがいネ」
一拍の間を置いて、男が笑う気配がした。
「ああ、遠慮なくどうぞ。……いつでも、ここにいるからさ」
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
セラフィム・ヴェリヨン
綾華さま(f01194)と
無事に来れて良かった
助けた、なんて積りはちっともないけど
優しい貴方は気になさるかしら
大丈夫、それより夜を楽しみましょう?と、笑ってみせて
ふわり光るランタンのなんて美しい
他も素敵だけど
やっぱりこれを手にしたい
ほんの一瞬瞳が陰った気がして
ふいに提案を
《綾華さま、私に貴方に合う光を選ばせて頂けますか?》
笑ってくれたなら頷いて
じっと店先を探し歩く
目に止まるのは緋色
宝珠で朱花を象った華やかなランタン
けど内に秘めたひかりは
ひやりと柔らかな水色を帯びて
きっとこれがいい
この光がどうか
貴方の道行を照らすよう
差し出される光には
嬉しいと笑って
私の色はかの貴婦人に似ていて
好きだから
浮世・綾華
セラちゃん(f12222)と
今日はいっぱい助けられちゃったな
情けないところも見せてしまったけれど
笑顔に絆されるように頷いて
どーせならラクリムランタン、欲しいよな?
――そしてこれなら、これがあれば、
暗闇を恐れることもないのだろう
…何故かそんなことを考えた自分に
思考は一時停止するも、軽く首を振り
愛らしい申し出を断る理由はなく
ふふ、んじゃあ選んで?
俺もセラちゃんの、選んでい?
セラちゃんセンスいーな
すげーきれい、さんきゅ
赤に空色が滲む
どこか懐かしいような、色
俺が選んだのは細身の銀筒の中に灯る鮮烈な青
鮮やかなその光は自分を“呼んで”くれた眩い君を思わせたから
セラちゃんみたいなひかり
ほら、きれーじゃない?
馥郁とした香炉の煙が、髪の先を掠めていく。
露天に並んだランタンを眺めていたセラフィムの、何気なく髪を掻き上げる仕草。白い頬を、ランタンの仄青い燈が照らす。
ちょうど人の通りが途切れたところで、綾華は彼女の隣に身を寄せた。
「今日はいっぱい助けられちゃったな」
思い返せば、随分と情けない姿を晒した。今更、取り繕う気も失せるほどに。
この身に錠を下ろした過去はあまりに容易く心を荒らす。彼女が呼んでくれなければ、果たして己はうつつに戻ってこられただろうか。
肩を落とし苦笑する男を、白魚の指先が誘うように袖に触れ、微笑う。
助けたつもりはないと言っても、きっと彼の心は晴れない。ならば今は。
(――それより夜を楽しみましょう?)
この一夜をただ、憂いを忘れて甘受しましょうと、触れた袖を引いた。
炎もなく、電気もなく、ただ自ずから光を生んで暗闇を照らす鉱石。
夜市に並ぶ品のどれよりも、やはりラクリムランタンの灯は一際心を惹く。せっかくの機会だから、元々購入して帰るつもりではあった。だからセラフィムがその提案をした理由はただ、不意に見た男の瞳が、ちいさく翳ったように見えたからで。
それをどうしても、放っておけなかったからだ。
《綾華さま、私に貴方に合う光を選ばせて頂けますか?》
自分のために眺めていた棚を、もう一度、今度は彼のことを想いながらじっくりと探し歩いていく。
護りたがりの彼の、押し隠しきれない小さな心の陰り。彼がこころを安らかにできるような、やさしい光がいい。うつくしい彼へ添うに相応しい造りがいい。
今頃は男もまた、彼女のために灯を選んでくれているはず。
そう思うと少しだけ、くすぐったい心地がした。
ふたりで探し当てたランタンを、贈り合う。
セラフィムが男のために探し出した光が、涼やかに灯った。
(緋色は、綾華さまの色)
宝珠で象られた朱色の花が、鮮やかに咲き光に添う。
とても華やかだけれど、男の色めく存在感にはこのくらいの艶やかさがよく映えるだろう。
そして何より、内に秘めたひかりが、ひやりと柔らかな水色を帯びているのがいい。
一目で、これがいいと思った。
(この透き通る水のひかりが、貴方の道行きを照らすよう)
男の差し出す光は、鮮烈なまでの蒼石がだった。
その玲瓏たるひかりは曇りなく澄み、きっとどのような昏い道でも目映く照らし、導く。
ほっそりとした優美な銀の筒に灯る青は、綾華を“呼んで”くれたセラフィムの眩さを思わせた。
――息を呑むほど、美しいと思った。この目に映る、彼女のように。
うつくしくつよい、天上めいた光だ。
その手がひどく小さく、浮かべる笑みのあたたかさも知ってはいるけれど。
《綾華さまの選んでくださったランタン、とても素敵です》
「セラちゃんみたいなひかりだと思ってさ」
ほら、きれーじゃない?と夜にかざせば、星の瞬きを透かして銀筒が静かに灯る。
セラフィムは微笑んで礼を紡いだ。この身が纏う、かの貴婦人によく似た色合いを褒められるのは、嬉しかった。
「セラちゃんセンスいーな。……すげーきれい、さんきゅ」
朱花に滲む淡いひかりを、綾華は眇めた双眸で眺める。
胸の奥、ひどくやわいところの琴線に触れるような、どこか懐かしい色だと思った。
《大切にいたします》
「……うん。俺も、大事にするよ」
願わくばこの光が、いつかの夜々を照らすしるべとなりますように。
大成功
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ユハナ・ハルヴァリ
夜市。
色々、たくさん、あるんですね。
迷い込んだら、帰ってこれなさそう。なんて。
……ルイーネは、……ああでも。誰かと一緒なら、僕は人波の中に
香のいい匂い。綺麗な音。
誘う声には逆らわずに伴われて、覗く
鉱石、少しくらいなら、持っておけるかな
ちょっとだけ、欲しいな
ランタンは、
たくさんたくさん、眺めて
目に焼きつくくらい。
置いておけるところがないので、眺めるだけ
星空を見上げることならたくさんあるけど
こんなに色鮮やかな夜も、あるんだなぁ
探検するみたいに市場の中、あちこちに見て回る
たのしいたのしい、一夜の夢
眠って見るのも、こんなのならいいのに
ひとつ、気に入りの緋蒼の灯
指でつついて、さようなら
良い人に、会ってね
星降る夜。
満ちるにはまだ遠い、細い上弦の月。それでも星の姿がくっきりと映るのは、自然の豊かなこの世界ならではだろうか。
けれど、今宵ばかりは天上の星々もどこか控えめな装いだ。夜市の燈は夜が深まると共に一層煌びやかに地上を彩っていた。
「……あ」
ユハナ・ハルヴァリ(冱霞・f00855)はふと、人波の向こうに赤錆色の狐の姿を見たような気がして、思わず声を上げた。
声を掛けようかと逡巡する間にも、少年の軽い体は波に浚われていく。
逆らうすべも知らず、ユハナは仕方がないかとばかりに流れに身を任せて近くの露天を覗いた。木製の櫛や筆、カトラリー、生活に寄り添う雑貨が織物を敷いたテーブルに雑多に並べられている。興味深そうに眺めはするものの、手は伸ばさなかった。
見るのは楽しいけれど、ユハナには必要のないものだ。
ただ眺め、時には焚かれた香の誘いに垂れ布の間をすり抜け、次には軽快なリズムの弦の音色に足を向け。ユハナは気まぐれな子供がそうするように、市場の中を見て回った。
少しだけ、探検気分だ。
「ラクリムといえば鉱石だ。お守り代わりにひとつどうだい」
客寄せの声に誘われて、ふらりと覗いた先に売られいたのは、色とりどりの鉱石の屑石たちだった。小さな籠にざらりと盛られ、近くには秤が置かれている。一粒いくら、あるいは量り売りでの商いのようだ。
――鉱石なら、少しくらいは持っておけるかな。
灯る石ほどの力は感じられないが、魔術との相性もよさそうだ。
少しだけ悩んでから、ユハナは小さな革袋と一緒にいくつかの石を買い求めた。ローブの内側にしっかりとしまい、さて次はと首を巡らせたところで――少年の肩が、ぽんと叩かれる。
「ユハナ、やっと見つけた」
赤錆色の狐が、そこにいた。
「どうですか、ラクリムの夜市は」
子どもの指先が、釣り鐘型のランタンをつついて揺らす。
混じり合う黎明の光に、その銀糸の髪がちらちらと瞬くようだった。
「たのしいです。一夜の夢、みたいで」
「そう、よかった」
「眠って見るのも、こんなのならいいのに」
子どもの大きな双眸に映る、数え切れないほどのランタンの灯。
素敵な音楽と香りに包まれて、賑やかな笑い声があちこちから響いて、おもしろいものがたくさんあって。迷い込んだらきっと、帰り道さえ忘れてしまいそうなくらい、楽しい迷路みたいな夢の世界だ。
「ランタン、欲しいですか?」
まあるい瞳に映る、緋蒼の灯。眼差しを逸らさぬまま、けれどユハナは無言で首を横に振った。
帰る場所すら持たない自分に、このランタンは大きすぎる。
「――良い人に、会ってね」
心を捉えたその灯に、囁き声で別れを告げる。
行こう、ルイーネ。と、背を向ける子どもに――狐はひとつ、苦笑を刷いて彼を呼び止めた。
「私への土産には、ちょうどいいと思いませんか」
大成功
🔵🔵🔵
三岐・未夜
……ランタン、
…………あー、えっと、お土産、に……
気持ちを切り替えようとしてるのに、離れて行くふたりの姿や、かみさまの声ばっかりが反芻されて折角の綺麗な品物も色褪せて見える
思い出すだけで怖くて、ずきずきする
…………ほんとに居なくなったりしない、よね……
分かんない
だって、「永遠なんて、どーこにもないの。夢の時間はいつか終わって、覚める時が必ず来るモンっしょ」って、あのピンク頭の羅刹は言ったから
夢を現実にするって出来ないのかな
幸せは幸せのままじゃいられないのかな
…………やだなぁもう
大好きなともだちのこと考えるなら、もっと楽しいこと考えたいよ
青と白と橙のほわりとした明かりのランタン3つ、お買い上げ
夜市の片隅を、とぼとぼと漆黒の狐尾揺らして歩く。
気持ちを切り替えようと町を訪れたのはいいけれど、どうしてだか気分が乗らない。いや、理由はわかっている。わかっているからこそ、気分を変えたかったのだけれど。
喧噪が耳にうるさい。
つい人の波を避けて通りを外れたら、危うく徒紅の女たちに袖を引かれかけ、慌てて戻ってきたのだった。夜に賑わう観光の町だ、然もあらん。そういう類いの店も一角には軒を連ねるというもの。
(……あー、えっと、お土産、)
自分のために何かを選ぶ気にはなれなかったが、せめて土産くらいは買っていくべきか。
目につく店先でぼうっと商品を眺めてみるが、目に映るものはどこか輪郭が曖昧で、紗幕を隔てたかのように遠い感覚。町の灯も、綺麗な品物も、どこか色褪せて見えた。
結局疲れてしまって、途中で路地の隅にしゃがみこむ。
遠ざかっていく“彼ら”の背中が、甘く痺れる“かみさま”の声が、幾度となく反芻されて消えてくれない。魔性の花を燃やし尽くしてそれで終わるはずではなかったかと、述べる先すら持たない恨み言が、浮かぶたびに未夜の頭を苛んだ。
大きな尾がはたりと、力なく揺れて地面に伏せる。
目を閉じても、耳を塞いでも、恐怖は去りゆかない。
あれは幻影。未夜を怖れさせるためだけに生み出された、まやかしの嘘。けれど、
(……ほんとうに居なくなったりしない、よね)
嘘がまことにならぬことを、誰が保証してくれるだろう。
――永遠なんて、どーこにもないの。夢の時間はいつか終わって、覚める時が必ず来るモンっしょ。
いつかの、ピンク頭の羅刹の言葉。
前髪の隙間から、黄昏れの瞳がぼうと霞むランタンの灯を見上げる。それすら頭痛を誘うような気がして、ゆっくりと瞼を下ろした。
嘘がまことにならぬのなら、夢もうつつにならぬのだろうか。
――どうして、幸せは幸せのままじゃいられないんだろう。夢を現実にするって、出来ないのかな。
「……やだなぁもう」
溜息を、ひとつ。そうして、強く頭を横に振った。
大好きなともだちのことを考えるなら、もっと楽しいことを考えよう。もっと嬉しくなるような、なにか。
そう、例えば――彼らを思わせるような、ランタン探し。
気合いを入れるように大きな尻尾をぐるりと降って、黒狐は歩き出した。
素敵なランタンを手に入れて、彼らに会いに行こう。
(そうして探し出した灯は)
(青と白、そして橙がほわりと灯る揃いのランタン三つ)
大成功
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ルフトゥ・カメリア
喧騒から離れて。
何か疲れた、見て回る気にもなれねぇし。
ゆっくり空でも眺めて、帰還までの時間潰しをしておくさ。
……あの声も、幻も。
本当のことだなんて保証は何処にもねぇ。
「椿」なんて俺は知らねぇし、あの男の声も聞き覚えはねぇ。
あの餓鬼も、見覚えなんてない。
……でも。
それでも、俺には覚えてることもある。
例えば、双子の妹が居ること。
例えば、母親の揺れるみつあみ。
例えば、父親の大きな翼。
酷く薄ぼんやりとした、ともすれば夢か妄想か何かなんじゃねぇかと思うような淡い記憶だ。
実感が無さすぎて、こんなの、ただの妄想なんじゃねぇかと、何度も何度も思った。
……でも、
本当で、
あってくれたなら。
…………馬鹿馬鹿しい。
伸ばした指の先で、星が瞬く。
魔法豊かな世界といえど、天に座す星々を掌で掴むことはできやしない。人間にできることといえば、精々が地上にまやかしの灯をともすことくらいなのだろう。
夜市の賑わいから遠く離れた、町の一角。職人通りと呼ばれる道筋をさらに山の方角へ登った坂道のてっぺんで、ルフトゥはぼんやりと空を眺めていた。
「何か、……疲れたな」
肉体的な疲労感はさほどでもない。ただ、喧噪の中に身を投じる気にはなれなかった。
この付近は職人たちの生活の場に近いのだろう。あたりに人気は乏しく、中心地のように目に眩しいほどの光の奔流もない。
静かだ。
ゆっくりと下ろした掌の中、古びた二つの指輪が星明かりを受けている。
握りこめば、冷たいはずの金属が体温に馴染むようだった。
――俺の知らない記憶も、この指輪は覚えているんだろうか。
「……“椿”、か」
あの声も幻も、本当のことだという保証は何処にもない。
所詮はモンスターの怪しげな術で生み出された虚像だ。ルフトゥは椿などという名前は知らないし、あの男にも心当たりはない。あの少女のことも――知らない。
すべてを偽りだと、切り捨てることは容易い。
忘れてしまえばいい。聴いた声のあたたかさも、男の声に滲んだ何かも、幼子の差し伸べた手も笑顔も、なにもかも。忘れてしまえば、いい。
――けれど、覚えている気もするのだ。
この心の、奥深く。魂が、覚えている。
例えば、双子の妹が居ること。
例えば、母親の揺れるみつあみ。
例えば、父親の大きな翼。
それは酷く薄ぼんやりとした、ともすれば夢ではないかと思うくらいに、遠く淡い記憶だ。記憶と呼ぶべきなのかも、わからない。
気づいた時にはルフトゥはひとりきり、薄汚い路地裏で野良猫のように暮らしていた。孤高の気儘な猫という意味ではない。残飯を漁り、足蹴にされる、碌でもない捨て猫だ。
「どうせ、ただの妄想だと……ずっと思ってた」
けれどもし、それが本当だったのなら。
夢や妄想ではなく、本当に、この俺にも――。
向かいの家の窓に、うっすらとしたシルエットが映る。
親子の笑い声と、抱き上げる仕草。窓に灯る、あたたかな団欒の色。
「……馬鹿馬鹿しい」
目を逸らし、吐き捨てる。
期待なんかしてどうするんだ。そんな甘さを、今まで何度裏切られてきた?
少年は自嘲の笑みを零して、灯に背を向けた。
帰ろう。――いつもの、日常へ。
大成功
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