ぱらいそ果ての村祭り~狼覧と刃狼の修行日記より~
●去年の万聖節《ハロウィン》後日談
「すーー」
「くーー」
後に「あの
万聖節の大騒動」と語りぐさになった事件の深夜、
刃狼と
狼覧は、修行所で布団を並べてぐっすりと眠りにおちていた。
友達の妖怪が操られて恐い思いをしたけれど、なんとか守り切れてほっとした。
阿吽の師匠は、戻ってきた弟子達を前にして素知らぬフリをしたものだ。もう全力を振り絞って戦った狼覧と刃狼は問い詰める気も沸かずすぐに身を清めて眠りに落ちた。
――さて、空気に融けて漂い、そんな弟子達の寝顔を見守る阿吽師匠の会話をこちらに記す。これは二人の弟子が預かり知らぬ話だ。
『はっはっはっ、うむうむ、よう寝とるわい! 無事でなによりじゃ』
白銀の毛色をした阿がのんきに笑うのを、吽は黒の中で阿とそこだけ同じ色の丸い眉を持ちあげた。
『わらわが始めた力試し、最中にすごい目つきで睨んでおったよのう。取って喰われるかとヒヤヒヤしておりました』
からかい半分の揶揄に阿は顎を持ちあげ応じる。
『もはや仮装なぞ出来ぬ俺様達よ。手出し出来ずにみておるしかないのは歯がゆかった。吽、てめぇの面でも睨まねば気が紛れんわい』
要は弟子達が心配でした、ということである。
剛胆に見えて実は心配性な所がある阿に対し、吽は“回避しそびれ巻き込まれたのであれば自らの手で打開する。出来なければ滅ぶのみ”と少々手厳しいことを言いがちだ。本心は然程阿と変わらぬのだが。
『此度の妖怪どもと深く付き合わぬようにと言い聞かせてはおったのじゃが……』
『ダチに知らん顔はできねえわなぁ』
『……確かに阿の言う通りじゃがのう』
この神社は神域とカクリヨを往ったり来たり、そうやって周囲の浄化を担っている。穢れがたまれば神域に逃がしているのだが、それが頻繁になるのはうまくない。
出来うる限り穢れを撥ねのけカクリヨにて霧散させるのが、狛犬の大切な使命のひとつだ。
ところで、力の弱い妖怪はすぐに魔に魅入られる。其奴らを神社に迎え入れふれあうことは、穢れを溜めこみやすくなってしまう。
『わらわ達はそれ故、守護者であった当時は妖怪との交流を控えた』
『そうな。協力関係が結べる程に、某かの力ある者を選んだわい。その面をくれた一つ目ばあやみてぇなよ』
そうせざるを得ぬ理由があったと目を伏せる吽を、阿は飄々とした大きな瞳で追いかける。阿は色々なことを忘れがちだ。そうやって未来ばかりを見るのに吽は救われもした。
『わらわはその方針を少々変えようかと思うておるのじゃ』
『ほほう? まぁ良いんじゃねぇかい。あやつら、里の妖怪らを構うのがだぁい好きじゃしのぅ』
『……そう、かつてのわらわのようにの』
苦笑いの吽に、阿は浮かんだ身でぐるりと頭上で弧を描く。
『いいんじゃねぇか? 弱き妖怪を護る為に、刃狼も狼覧も知略と力を駆使してきり抜けた。あやつら二人だけで囚われとったら、いまこうしてスヤスヤと寝息をたてとらんかもわからんぞ?』
護るからこそ強くなる――それを阿自身も身をもってよく知っている。
方針変更を口にしながら未だ迷いが強い吽へ、阿は真正面に降り立つ。
『誰ぞを護る為なら腹の底から力が湧き出る。そりゃあ吽が俺様に教えてくれたこった』
『……じゃがのう、同時にわらわはそなたに大きな傷を負わせてしもうた』
弟子達が聞けば意外な顔をするやもしれぬ。
どちらかといえば人情派で話が通じるのが阿で、冷静であるが故に切る時はバッサリの吽、そのような印象が強いから。
『ははは、ありゃあ俺様が未熟だったってこった。いやぁ、初めて真剣に戦ったらあないなことになっちまったわい!』
――阿吽師匠が、弱き妖怪と接することを控えざるを得なかったのは、百年ほど阿が怪我で戦う力を損なっていたからが大きい。
『……あの時、俺様が治るのを待ってくれたのはよ、感謝しかねぇや。なぁ、吽や。刃狼と狼覧に同じ轍を踏ませたかぁねぇから今も迷っておるんじゃろ?』
『そうな。阿、そなたはわらわをよぉ見通してくる』
力の弱い物の怪を護ると、それだけ負担が掛かる。
『どんだけ付き合ってると思ってんだよ。なら、あやつらめを徹底的にしごいてみるのはどうじゃ?』
――指の隙間からなにも取りこぼしたくないのならば、強くなるしかない。
『俺様は戦う力ばーっかりに目が向く。吽、他はいつもの通りに任せたぞい。いつ復活できるともわからぬ、否、復活するかすらあやうかった俺様を信じて待ってくれた心の強さ、弟子どもに教えてやれ』
白銀の狛犬は四角い歯を見せにかっと笑う。
――阿吽はふたりでひとつ。
だが、戦えなくなった阿から離れ、吽ではなくひとりの力を持つ神獣として生きる道もありはしたが、黒い狛犬はそれを選ばなかった。
仲間の復活を信じ、当時の師匠の手を借りこの神社をひとりで守護し続けた。
『なぁにも特別の強さではないのじゃ。わらわの相方は其方をおいて他にはおらぬ――それだけじゃ』
口を開く阿、きゅっと閉じる吽、どちらも朗らかな笑顔で弟子達の上空を巡ると、すぅっと空間に融けた。
――こうして、よその世界の言葉を借りるならば“すぱるた”な鍛錬の日々が幕を開けたのである。
●すぱるた特訓の日々
大特訓は11月の初っぱなから始まった。休みの日を入れて、今日は七回目。
狼覧の師匠が阿、刃狼の師匠が吽。だが個別に習うことは余りなく、いつも師匠弐、弟子弐の四で過ごすことが多かった。
『がっはっはっはっはっーー! 今日は俺様の攻撃をどんだけ避けられるかのう?!』
巨大な水車、留め具部分が全て外向きの刃。これは阿師匠が好んで使う技の1つだ。
「先日のような遅れはとりません」
自らの妖力を宿す刀を片手持ちで翳し、刃狼は毅然とした口ぶりで言い返す。袖から見える腕にはまだ治りきらぬ傷の包帯が巻かれている。
「ハロちゃん、無茶しないでー! ええっと……」
一歩後ろでハラハラと符を五枚握るのは狼覧である。どの符を放つかで悩む。修行が激しくなってから怪我する刃狼に焦り守護の札を投げていたが、それだけでは追いつけないのは骨身に染みている。
「ハァッ!」
土塊を蹴り果敢に飛び込んでいく刃狼。狼覧をひとかけらであれ傷つけないという誓いで一杯だ。
「盾!」
先日の血だらけで倒れた刃狼を思い出し、咄嗟に浮かんだ術式を解き放つ。ぶぅんっと幾何学が舞い踊り刃狼への痛みを退けるに偏った力を展開する。
がいんっと水車を弾かれ仰け反る阿。だが豪快にあいた口は笑ったまんまだ。
『ほうれ! 後ろも気をつけて見られよ』
「きゃん!」
2つに分れた尻尾の根元に黒の沙羅砂が降り注ぐ。すると火がつきたまらず狼覧が悲鳴をあげてすてんっと転ぶ。
「!! 狼覧さん?!」
珍しく尻尾を太らせて振り返る刃狼の躰が影に覆われる。
『後ろを見る余裕があるたぁ、俺様も舐められたもんだぜぇ』
――。
勝負あり、師匠!
『ほうれ、今日はさあびすよ』
傷だらけで転がる刃狼と狼覧の傷の上を吽師匠が通過すると、洗ったようになくなった。二人の弟子は瞳をまんまるにして頭上に浮かぶそれぞれの師匠を見上げた。
「真剣の戦いを知る為に、手加減はなし。痛みがある中でも戦う精神力を育てる為に、手当もしない――そう仰っていた筈ですが……?」
万聖節の次の日から師匠達より告げられた修行方針の変更を、刃狼は受け入れたと示したつもりだ。だから久しぶりの手当には、気持ちが傷つけられたようで、珍しく口答え。
「けれどハロちゃんの傷は、とっても深かったよー。吽師匠、ありがとうございます!」
「……そうか、わたしは狼覧さんを守れなかったのか……」
可愛い弟分を傷ひとつつけないと気張っていたのに、不甲斐ない。
「それは違うの……ぼくだって、ハロちゃんと戦えなかったの」
シュンと耳を垂れる弟子達へ、ぶらさがるように手をのせるとふかふかと撫でた。阿はそのまま続ける。
『傷を治したのは明日から旅行だからだってのよ』
『然様。明日より、わらわが大昔に世話になった『
猫夫人』の宿に名代として赴いてもらうのじゃ』
パッと容を輝かせたのは狼覧だ。
「海のそばのお宿なの! 季節柄泳ぐのは難しいけど、村をあげてのお祭りがあるってお話してくれたの! 阿師匠、吽師匠」
『あちこちいたいいたいじゃと、祭も愉しめぬぞよ』
「そっか……そうなの! ね、ハロちゃん」
「……はい。狼覧さんの言う通りです」
相棒と師匠達が明日を見ているのに、自身は不甲斐なさに歯がみしている。刃狼はグッと拳を胸に押しつける。
「ハロ、ちゃん……?」
心配と下がるしっぽ、とたたっと覗き込む海色の瞳を前、刃狼は食いしばる口元を解いた。
「大丈夫です。明日は師匠達の名代として恥じないよう振る舞います」
『うむ。そうしてたもれ』
先にしゅわっと虚空に融ける吽師匠。
『お主らは、互いのことしか見とらんのう』
そう残し阿師匠もまた融けた。
二人の弟子は顔を見合わせる。
「……それは、いけないことなの?」
「わたしは、狼覧さんを護りたいです」
「ぼくは、ハロちゃんが無事戦えるようにってがんばりたいのー」
師匠に届けと声を張るも、気配すらなく答えは返らない。
●前夜のお話
何処か釈然とせぬまま身を清めると、刃狼と狼覧ははやめに床についた。
寝起きする神社の修行所の壁には阿と吽の狐面がかかる。ぱたぱたとハタキで埃を払われているからか、いつもピカピカだ。
「……ねーえ、ハロちゃん。起きてる?」
「……はい。狼覧さんも眠れませんか?」
「うん、明日はやいのにね」
ころんと布団で身を返し、ハロの赤い双眸と視線を結ぶ。
「師匠達の考えに……わたしは足りていないようです」
わたしたちは、と言いかけて刃狼は個人のことに言い直した。
「ぼくも足りてないの」
俯く狼覧の前髪に刃狼の指が伸びた。泣き出しそうな瞼にちょんっと触れて前髪を撫で下ろす。
「落ち込まないでください。わたしが引きずってしまいましたか? わたしは大丈夫です。悔しいけれど、それだけ伸びしろがあるということですから」
いつもも明るく支えてくれる弟分を、今夜は不器用ながらも励ましてみた。
夜の薄闇の中でも、ぽわぁっと狼覧の頬が紅潮するのがわかる。刃狼が強がりの嘘をついているのではないとわかったからだ。
「のびしろ……そっか、ぼくもハロちゃんも、これからどんどん強くなれるの。こんな簡単なことを忘れちゃってたのー」
あふり、と欠伸。
刃狼はそっと布団を肩までかけてやり、ほんのりと優しく笑う。
「ご飯も美味しくて、温泉もとっても気持ちの良い所だそうですよ。楽しみですね」
「うん! お祭りもあるって聞いてるの! お祭りの終わりまで2週間、ゆっくりしておいでって阿師匠が言ってくれてるの」
「ええ、吽師匠も骨休めをしておいでと。それではもう寝ましょうか」
「うん、おやすみ、ハロちゃん」
「はい、おやすみなさい、狼覧さん」
そしてどちらからともなく寝息をたてはじめた。
●神無月の旅行
――出立前、阿吽の師匠は口を揃えてこう言った。
『なんぞな、あった時は必ずふたりで相談するのじゃぞ』
『二人の中に、それぞれが棲んでるんだろうけどよ、そればっか見るんじゃねえぞ』
更なる意味を深く理解すべく刃狼が口を開くも、話は終わったと言わんばかりに狛犬の姿は消え失せた。
「……むむ、いらっしゃるのはわかるのですが」
空間がぴぃんと張り詰めているのは、師匠の守護下に入ったからだ。
「こうなっちゃうと、ヒントもくれないの」
「そうですね。遅れてしまうと師匠の顔に泥を塗ってしまいます。行きましょうか」
「うんうん、楽しみなの!」
――訪れた土地は、カクリヨらしく不可思議な場所だ。
「ねえ、また橋なの!」
「そうですね。もう幾つ渡ったでしょうか……」
木板の撓む道に踏み込んで川を越えていく。入り組んだ土地故、川の形も把握できない。
「んー、森の良い香りがするのー」
鼻をひくつかせる狼覧。生い茂る木々はこの季節には不似合いなほどに蒼い。
「海沿いと聞いていたのですが……」
「うん、不思議なの。さっきはー、街だったの」
狼覧は読書家だ。共に過ごす刃狼もいつしか借りて読む内に、
他の土地の形も窺い知ることになった。カクリヨのみの常識ならば不思議がる発想がまずない。
「橋を渡る度に景色が変わっている気がしますね」
「!! 本当なの! さすがハロちゃんなのー」
姉貴分の鋭さに瞳をまあるくしていたら、そこに古民家が映りこむ。
ざざーん、と、波音がさんかくの耳に入り込んできた。二人は『狭間の宿』に無事到着したのである。
帳場には、黒い尻尾を三本這わせて寛ぐ女将が待ち構えて居た。
『うにゃ、いらっしゃぁい。
阿天と
吽海の弟子にゃんね』
黒猫の化身である女主人は猫夫人と名乗った。しなやかな四肢は猫のそれ、頭には三角耳。狼覧に似た見目をしている。
「はい」
頷く刃狼はそっと狼覧の袖を引いた。
「は、はい! ぼくは阿の名代、狼覧なの! 阿師匠が元気にされているか見てきて欲しいと言っていたの、それでー……」
挨拶は練習した筈なのに、狼覧の口からは伝えたいことがわぁっと溢れて止らない。おめめは@@――あ、っと刃狼は頃合いを見て挨拶を引き取る。
「狛阿吽の吽の名代、刃狼です。神社を離れること叶わずに、長く訪れることできなかったことを詫びておりました。狼覧と刃狼、弟子の身ではございますがなんなりと申しつけくだされば幸いです」
猫夫人はマズルをもふっとさせて煙管の煙を吐いた。
『もー、堅苦しいにゃんねぇ! 修行でしごいたから遊ばせてやってくれって聞いてるにゃんよ~。でー、そっちが阿天の弟子でー……』
「はい、なの!」
『こっちが吽海の弟子』
「はい」
猫夫人は片耳をぴこっと外へ向ける。
『うんにゃぁ~、なぁんか逆っぽいのにゃあ』
猫夫人は腕を組むとしれっとこう宣う。
――阿天は無口な少年で、吽海がおすましながらよく喋る少女だった、と。
「ええ! 阿師匠は陽気なのー、無口って全然違うのー!!」
びっくり狼覧。
「吽師匠は……余り変わられないかもしれませんね」
納得の刃狼。
『うにゃ、阿天が陽気なのはにゃあは知ってるのにゃ、あー、ちょい待ちにゃん』
戸棚から、木の割り符を取り出すと、猫夫人はそれぞれ首からかけてやる。
『あんたたち、それ外したらダメだかんにゃ。お祭りの奴らの中にゃ、タチの悪いのがいるけどー……って、それは阿天と吽海から聞いてるにゃん?』
二人は顔を見合わすと、ぶんぶんっと首を横に振った。猫夫人はぱたりっと三本のしっぽをゆすると、愛嬌ある牙を見せる。
『あーいつら、恥ずかしい失敗だからって黙ってたにゃぁ? まぁいいにゃ。とにかく割り符を外したらダメにゃ』
ぱんぱん! ならぬ、ぽふぽふっとにくきゅうおててを叩くと、案内役の白にゃんこが現れた。こちらは四つ足の獣スタイルだ。
『部屋に
案内よろしくにゃ。丁重ににゃ』
『にゃあ~ん』
元気よく返事をすると、ついてこいと言わんばかりに白猫が前を歩き出す。
●街探索
荷物を解き、山菜おにぎりと焼き魚の簡単だが滋味深いお昼ご飯をいただいたなら、二人は街の探索に飛び出していく。
旅館の裏口から割り符をからからと下げて、きゅっと手をつなぎ弾む足取り。
街は、人間の世界で言うところの『温泉街』に似た雰囲気の場所である。石畳の坂道に猫夫人の温泉宿より大きめの建物が軒を連ねている。
方々にあるのは猫を象った看板。猫夫人がこの街での名士だとすぐにわかる程に猫だらけだ。
煌びやかな七色の布をあしらった飾りがそこかしこでひらひらしている。まるで海月のように可愛らしくて狼覧はすっかり視線を奪われた。
「ほえー……思ったより人がいるのー……」
着物姿の老若男女が行き交っている。仲良く話す者、気ままにぶらつく者、みな和やかだ。
「……気づきましたか? 狼覧さん」
「?」
声を潜め刃狼は続ける。
「みんな“ひと”の姿をしています。先ほどの猫夫人にはネコミミと尻尾がはえていましたけれど、彼らは普通の耳だししっぽはないです」
「!!! ホントなの!」
よくよく見れば、のっぺらぼうやみつめ、河童、タヌキ……そういった“妖怪”が全くいない。
今までは生活してきた神社のまわりは砂利道に木造建築が軒を連ねる。現代社会の人間の言葉を借りるならば『戦前の片田舎』だ。
川では河童が水遊びをしているし、一反木綿と一つ目小僧がかくれんぼ。刃狼や狼覧より更に動物めいた見目の獣人が旅で立ち寄ることもある。
立ち止まり、改めて周囲をみつめていたならば、後ろから明るい男の子の声がかかる。
『ねえ、ここにくるのははじめて?』
振り返ると、お日様でやけた浅黒いやせっぽっちの少年が、白い歯を見せニコニコと笑っている。年齢は狼覧よりちょっとだけ年下に見えた。
少年は『ひなた』と名乗り、二人の下げる割り符を見て瞳を瞬かせる。思うより長い睫がそこだけ見ればお人形さんのように綺麗である。
「はじめまして、ひなたさん。私は刃狼と言います。とある神社の守護者となるべく修行中の身です。未熟者ではありますが、どうぞよろしくお願い致します」
深々と頭を垂れる刃狼にあわせ、ぺこんっとお辞儀する狼覧。
「はじめましてなの。ぼくは狼覧。ひなたくん、よろしくなの。刃狼ちゃんは大事な相棒なの! ぼくも修行中、です」
神社と聞いて頷くひなたが、ぴくんっと固まった。
「「??」」
『ああごめん。そっかぁ……』
うんうんとなにかに納得したように頷くと、口元に指をあててひなたは言葉を探す。
『僕、ふるーーーーい友達に狛犬さんの化身がいてね。ちょっとその人達に似てるなぁって思ったんだ』
カクリヨで見た目と年齢の歳を云々するのも野暮だ。二人の狛犬見習は顔を見合わせてから「師匠かも」と口々に言う。
『あ、そうなの? んー、こっちが阿ちゃん、こっちが吽ちゃん』
刃狼、狼覧の順に指さされ、二人はくすぐったそうに肩を窄めてからにんまり。
「はっずれー! ぼくは阿師匠の弟子だよ!」
「私は吽師匠の教導を受けてます。あの、初めて逢った人にこのようなことを訪ねるのもなんなのですが、そんなに逆の方がしっくりくるのですか?」
ひなたは間髪を入れずに大きく頷いた。
『阿ちゃんは男の子で吽ちゃんが女の子だったから、性別をあわせたってならわかるよ。雰囲気も、多分持ってる武器も、逆の方がぴったりでしょ?』
そうさらりと見抜き、ひなたは歩き出す。
石畳に黄昏がさす。茜色を踏みしめけんけんぱ――「ようこそぱらいそへ」と綴られた看板のギリギリで振り返る。
『ここまで。あっちから、ここまでに明日の夜からお祭りがでるよ! あとー、通ってきたいくつかの十字路も、屋台で一杯になるからね! 楽しみぃ~』
ほこほこと笑って二人の背中をとんっと内側へ押し返す。まるで、看板の先には行ってはならぬと言いたげだ。
――それから、更に道案内を受けて巡り、お腹がなったので二人はひなたと別れることになった。
「じゃーあ、明日。猫夫人のお宿をでた所で待ち合わせなの!」
「よろしくお願いしますね、ひなたさん」
『うん、迎えにいくよ。明日楽しみにしてるね』
大きくバイバイと手をふったひなたは駈けだしていった。
「…………ッ?」
そのひなたの背に刃狼は一瞬違和感を抱く。
(「なんでしょうか? 別の存在が重なったような――??」)
違和感というレンズを通して温泉街を眺めたならば、そこかしこにそんな人々がいるようにしか見えない。
「――ッ」
「ねえ、ハロちゃん。夕ご飯楽しみなの。先に温泉かな?」
●温泉はたのし
宿の部屋に戻り、刃狼はほぅっと大きくため息をつく。
落ち着かない。
なんだか心がガチャガチャと騒々しい。全身の毛が逆立つような……長閑な温泉地でお祭りと思ったら大間違いだった。
「~♪ お気に入りの浴衣は明日のお祭りだから、今日は旅館のを着るのー」
狼覧と話し合おうと思ったが、弟分は鼻歌交じりに温泉の用意をしている。ひなたとも仲良くしていたし切り出すのは躊躇われた。
(「ひなたくん、不思議な感じ……ううん、ここにいるひとたち、みーんななんだか……」)
一方の狼覧もまたとりまく謎めいた雰囲気に気づいてはいた。けれど、出発前の修行で心配して却って刃狼に気を使わせてしまった。だからこの旅行中は暗い顔をしないと密かに決めていた。
「温泉、とおっても大きいって言ってたの! 楽しみ」
「そうですね」
にこぱっと満面の笑みの狼覧を前にして、刃狼も頬を緩めた。心身の疲れは温泉でサッパリと流そう、それがいい。
『にゃ~ん! にゃにゃ!』
「え? 一緒に脱いじゃダメなの?」
白猫に旅館浴衣の裾を咥えられて狼覧はきょとりとアクアマリンをしばたかせる。
……脱衣所が男女で別れているなんて初めてのこと、だからそんな一幕がありましたとさ。
「わぁあああ、広々してるの!」
「ええ、これは見事ですね」
反響して柔らに弾ける声はワクワクに満ちている。
男女脱衣所より、大きなバスタオルをくるりと巻き付けてほぼ同時に出て来た二人は、絶景にぽかーんと口を開き感動する。
真正面には厳つい岩! 黒檀を滴り流れる温泉は湯気をふわふわと放ち冬が近いというのに風呂場はあたたかだ。
くんっと刃狼が鼻をひくつかせる。
「これは……甘い香りですね」
蕩けるような香しさは、果実ではなく花のようだ。
「あ、見てみてハロちゃん! こっちの檜のお風呂にちっちゃなお花がいっぱいなのー!」
きらきらきらきら、そう両手をあげてはしゃぐ足元には金木犀が水面を飾っている。すぐそばには金木犀の枝が揺れている。
「これは、嬉しいですね。たっぷりと入らないと」
「ふふふ、ハロちゃんはお風呂が好きなの。湯治でものぼせたの」
「コホンッ、今日はそのような不覚はとりません」
――人それをフラグと言う。
さて、かけ湯をしタオルごとつかってよいとの聞いたので、まずはそのまま大温泉に身を沈める。
「にゅ~……! しゅわ~、よく見ると白く濁ってて、びりびりってくるの~~!」
おめめをきゅっと閉じて感じ入る弟分に口元が緩む。
「これは……硫黄ですね。傷の全般に聞きます。体もほぐれますよ」
「ほんと? あ……ハロちゃんがそう言うなら効くって感じするの……ほふぅ~」
白く濁る湯船の中で二の腕をさすりしみじみ。肩ふれあう距離で、自然と笑みが零れた。男女の別あれど、家族のように育った二人だ、刃狼からするとこれが一番自然だ。
「ねーえ、ハロちゃん。師匠のお名前、憶えてる」
けれど、狼覧は内心にドキドキを隠し込んでいる。だから師匠の話を出してときめきを逃がそうとする。
「はい。阿天様と、吽海様とおっしゃるのですよね」
「お空と海なの。素敵だねー」
「はい」
先ほどひなたから更に詳しく聞けた話を互いに口にする。
――年の頃は丁度いまの二人ぐらい。
――銀色の髪でとても無口な阿天様。ちょっと取っつきづらい感じがした。
――黒髪の吽海様は、もう慣れているのか街の人々とばかり交流していた。
――二人は余り話さず、距離もあった。
「仲良しじゃなかったの、とっても意外」
「そうですね。阿吽の師匠は息がぴったりの見習いたい関係です」
「うんうん! あんな風に仲良くなった切っ掛けってなんだろー?」
ことりと首を傾けたなら、狼覧のまとめ髪がぱたり、ぽちゃん。
「わわっ!」
「あ、動かないでください。わたしがまとめ直しますから」
動いた拍子に胸で止めたタオルが解けかける。刃狼は温泉にぐっと身を沈めると、腕だけのばして狼覧の髪に触れた。
ふわりとたち上る硫黄に隠し込まれた刃狼の香りに狼覧は瞳を眇めた。
いつもそばにいてくれる、しっかりしていて支えてくれるちょっとだけお姉さんの刃狼。男女の別を意識せずこうしていられるのはあとどれぐらいだろう?
もしかしたら、意識をした先に新たな絆が芽生える? ――それは、今の二人にはわからない、希望の未来地図。
「……よし、できましたよ」
懐くような表情に、刃狼はくすりと笑みを零すと指を動かした。
「ありがとうなの! ほふ。ほっぺたまっかっかかも。ハロちゃん、のぼせてない?」
「大丈夫ですよ。けれどお花の湯船に行きたいですね」
「良い香りしたもんね! いくの!」
狼覧が刃狼の手を取って湯船を出ようとするのを、一瞬だけ「あ」っと頬を赤らめ止る。
「?」
「……だいじょうぶ、です」
お湯を吸って重たくなったバスタオルを抑え込み、ざぱりと立ち上がる。くらっと頭がゆれたのは、きっと湯あたりのせい。
金木犀の湯につかり、甘い香りの中で交わされるのは先ほどの続きだ。けれど花の香りで柔らかくほぐれた空気で「帰ったら聞いてみよう」という流れで〆となる。
それはそれとして――ひなたのことを話そうか悩んでいた刃狼は、見事にのぼせてしまった。
「ハロちゃん! 大丈夫ーー?!」
「……ひなた、さん。気
………………」
●夜の珍事
「……んぅ」
茫洋とした意識で紅が電灯の下に晒される、額が冷たい。
『ふにゃ、だいじょぶにゃ?』
二本尻尾の真っ白猫娘が心配そうに刃狼の視界に割り込んでくる。
「……あー……私、は」
『のぼせちゃったにゃ』
狼覧の悲鳴に気づき駆け込んできた猫娘は、ぽふんっと弾けて猫に戻る。人化は短時間、毛繕いをしてきょとりとアイスブルーの瞳を瞬かせた。
ああ、と、刃狼は落胆で頭を抱える。
(「なんてことを……! 師匠の恩人の前でこんな醜態を晒してしまうなんて
……!」)
くらり、と頭が揺れた。未だのぼせの熱は芯に燻っている。いや、倒れていられない、そんな葛藤を見てとり白猫はぽすんっと布団を前足パンチ――「寝てろ」と言いたいらしい。
さてさて、一方の狼覧側である。
『頭冷したら治るにゃ~。よくあるにゃん。刃狼が落ち着いたらちゃんと呼ぶにゃ。狼覧もちゃあんと着替えとくのにゃあ』
運び出される刃狼を心配げに見送っていたら三毛猫娘がそう説明してくれ安堵した。
今は旅館の浴衣を身につけて、ぺしょんとちゃぶ台につっぷしている。
「ハロちゃん、長風呂ごめんなさいなのー」
頼りなかったかな、なんて落ち込んだ顔が硝子窓に映る。
かたん。
「ハロちゃん、元気になったの?!」
窓が揺れたのに突かれたように顔をあげた。よかった~との破顔は、すぐにきょとんっと傾げられた。
「……ひなた、くん?」
硝子戸をからりと開けて上がり込んできたのは先ほど別れた街の少年である。余りに性急で、狼覧は思考力を奪われる。落ち着いていれば、窓からの不法侵入を問いただす常識的な判断ができた筈なのに。
『こんばんは。ねえ、お願いがあって来たんだ』
ひなたは、狼覧が下げる割り符をじぃっと見据え畳みかける。
「お願い?」
頼まれればついつい耳を傾けてしまう狼覧の優しさが仇となる。そんな時に冷静に袖を引いてくれる刃狼は生憎とそばにいない。
ぐっと狼覧の腕にしがみつくとひなたは声を振り絞る。
『その割り符を貸してくれ、なぁ頼むよ……ぱらいその先に、まだ今なら戻れる筈なんだ』
ひなたの声は切実なる哀愁を帯びている。真剣な気持ちなのは明白だ。
狼覧はか細く震える彼に腕を伸ばしかけた所でのぼせかけた刃狼の言葉を思い出す。
(「ひなたくんに……気……ってハロちゃんは言いかけてた――恐らくは“気をつけて”なの」)
引っ込めた手で割り符をぐっと握る。
「これは、渡しちゃだめって女将さんに言われてるの……」
拒絶と取ったかひなたはカッと瞳を見開くと、狼覧目掛けて襲いかかろうとする。
『
俺は、母さんのいる元に還りたいんだよ……ッ』
「待って、落ち着いてお話するのー!」
修行で身につけた法術を使えば容易く払いのけられるが、優しい少年にそれは躊躇われた。
「――狼覧さんに何をする」
だから、守護の刃が、きた。
襖をあけて飛び込んできた刃狼は、後ろからグッとひなたを羽交い締めにする。触れればわかる、ひなたにはいま禍々しい何かが渦巻いている。
『お前の割り符でもかまわん……よ、こせええ』
ぐりんっと裏手にまわし刃狼の割り符を引きちぎろうとする。それを目の当たりにして今度は狼覧が怒る番だ。
「ダメなの! ハロちゃんに乱暴は許さないのっ!」
先ほどの躊躇いはどこへやら、必死にひなたの腕をつかみ取る。
『――にゃあのシマで暴れるのはいい加減にするにゃ
!!!!!』
ぱほんっ!
鋭い舌鋒とは裏腹なやわらかな音がしたかと思うと、糸が切れたようにひなたの体が崩れ落ちた。
『ふー……』
てのひらを合わせビリリと空気を振わせるは、猫夫人その人であった。
●ぱらいそ逝く果て村
気を失ったひなたは別室に運ばれていった。
『ほんににゃ。師匠と同じことに巻き込まれるのにゃあ……』
嘆息と共に猫の女将は二人の見習狛の頭を優しく撫でる。
『阿天と吽海の時みたいに大事にならにゃくて良かったのにゃ』
体をゆらゆら撫でられるに任せていたが、はたりと二人同時に瞬いた。つまりは、師匠の時には大事になったわけで
…………。
『あ、気づいたにゃ? まぁここによこしたって事は聞かせるつもりにゃふよねえ』
煙管を詰め替えて、まろやかな煙と共に猫夫人はとうとう全てを明かしてくれた。
――ここは、カクリヨとは別の世界で命を終えた人の魂が辿り着く村。
『にゃあは、管理人にゃ。この村の他にも似たようなとこはあるんじゃにゃいのかにゃあ。知らんけど』
にゃははと笑いと煙に紛れながらも話は続く。
人の形を増やすわけにはいかず、飛んで来た魂はこの村にいる
誰かの中に取り込まれる。そこで多数と混ざり合いながら、この村で気ままに過ごすのだ。
皆、魂の海に融けると穏やかに漂う存在となる。彼らは己で己が彼ら。穏やかに温泉街で過ごす内に癒やされる。
『来たばかりの、死んだばかりの魂は未練があるからにゃあ……そこに、
割り符をぶらさげたお前達を見たら、縋り付いてしまうのにゃ』
「……それで、今日、ひなたさんが或る地点からおかしいな、と感じたのですね」
「ハロちゃんはそこまで気づいていたの?!」
「…………話せずに申し訳ありません。直感のようなもので、その……ひなたさんを悪く言うのも躊躇われたので……」
「ううん、ハロちゃんはちゃんと“気をつけて”って言ってくれてたの。それに助けに来てくれたのー! のぼせて倒れたのに……ごめんなさいなの」
刃狼はすっかり冷えた額を押さえ頬を赤くした。
「……恥ずかしいので、それはもう、ええ」
のぼせて倒れたなんてのは師匠に言って欲しくないなぁ、なんて遠回しに言ったが狼覧にはきっと伝わってはいまい。
『おもいで橋のたもとで元の世界の誰かに呼ばれたら、その割り符を渡すのにゃ』
下げる割り符を猫夫人は伸ばした爪でちょいっと引っかける。すると刃狼と狼覧からか細い糸が煌めいて見えた。
『にゃあが先っぽ持ってるから、時間が来たらひっぱって戻すんだけどにゃ』
「ぼく達がこれをもらえたのは……?」
『この街を歩けるようににゃ。大昔にも、お前らの師匠にも同じ割り符を渡したんだけどにゃあ――』
かりかりと頬を掻き、猫夫人はぽつりぽつりと過去を教えてくれた。
同じように、割り符を貸してくれと縋った者がいた。
話が通りそうな吽海だけの時につけ込まれたのだが、それを阿天はこっそりと見ていた。
「それで? 阿師匠はどうされたのですか?」
「余りお話をしなかったって聞いてるの……」
うむと頷き猫夫人は肩を竦める。
『阿天はにゃ、吽海に黙って其奴に自分の割り符を渡してしまったのにゃ!』
吽海が渡して災いが降りかかる前にと。確かに吽海は、人の情に振り回されがちで自己犠牲に走りがちだった、それは阿天の見立て通りだ。
『阿天は吽海に“彼奴に関わるな”と言ってそういうことをしてにゃ、まぁ――大変なことになったにゃあ』
災いの詳細は話すと祭が終わってしまうぐらい掛かるので、と、猫夫人は打ち切った。実際は重たい話なので、この村で祭りを楽しむ気分が吹き飛ぶからだ。
二人の見習いは知ろうよしもないが“阿天が狛犬としてしばし力をなくした”程には大変なことになったのである。
『怪我の功名もあったのにゃ。阿天と吽海の騒動のお陰で暴走する魂を鎮めることもできるようになったのにゃ――いちばんの薬は“お祭り”にゃ! 騒いでおいしーもの食べて、温泉もフルに解放にゃ!』
そう歯を開いて犬歯を見せて笑う猫夫人は、明るく前向きな阿師匠にも、しゃなりとしたたかな吽師匠にも良く似ていた。
『ひなたといったかにゃ? どうか恨んだりしないでにゃ。明日の夜は約束通りにお祭りに行くが良いのにゃ。それが、あの子に集う魂のなによりの慰めなのにゃあ』
お祭り好きの猫夫人は何処か祈るように二人を見つめる。
「うん! わかったの! ひなたくんとお祭りめいっぱい楽しむのー!」
「ひなたさんは、今日のことを忘れているのでしょうか?」
『しばらくは奥底に沈むから、忘れた風にはなるのにゃよ』
夜。
布団に入りいつものようにお話を――と思っていたのだが、ひなたとの件は思う以上に心身に疲労をもたらしている。
まるで出発した今朝がもう遠い日のようだ。
『なんぞな、あった時は必ずふたりで相談するのじゃぞ』
『二人の中に、それぞれが棲んでるんだろうけどよ、そればっか見るんじゃねえぞ』
師匠らがかけてくれた助言は経験談に裏打ちされたものだったのだ。
「ねえ……ハロちゃん。ぼくたちは、困ったことがあったら、ちゃんと……」
「はいー……相談、しましょう、ね……それで、協力ー……」
すーー……。
二人の狛犬見習は、いつものように互いにとって心地良い寝息をたてて眠りにおちた。
●神無月の祭
紙絵のようにあたたかみのある月の輝きの元に、賑々しい祭の音がしだした。
お手伝い猫さん達は、猫夫人の娘さん達。彼女らの手でそれぞれ着付けてもらったので、浴衣姿を見せるのはお互い初めてのワクワクさん。
「ハロちゃんお待たせなのー……ッ!」
瞳の色を雲で薄めたお色の浴衣に洋風の白いコートを羽織り出た狼覧は、刃狼の艶ある浴衣姿に息を飲む。
艶やかな瞳を引き立てる揃いの羽織、内側の浴衣は深い紺に金が巡りと命を描いている。
「……狼覧さん。どうでしょうか? 馬子にも衣装……となっていれば良いのですが……」
刀美人は照れたように髪をかきあげる。その仕草がまた優雅で、狼覧はしばし言葉を失い見とれてしまった。
(「いけないの……褒めないと、気が利かないの。胸一杯のこれ、だけど、伝えてもいいの?
…………」)
眠る慕情は溢れさせてはいけない。
「きれい、なの……」
言葉少なな褒め言葉が却って照れを招く。ほわっと頬に朱を灯し、刃狼ははんなりと笑む。
「狼覧さんも大人っぽくて驚きました。金色使いが大人びていますね」
いつもの弟分が急に自分を飛び越していったようで、心臓の音がいつもよりはやい、かも。照れた見つめ合いから、気恥ずかしげにほにゃりと笑い手をつなぐ。
ここでひなたが来てくれればいいのだが、先に来たのは下心アリアリのお兄ちゃん達である。
『ねえねえ、お嬢ちゃんたちー、俺らとまわろうぜー』
厚かましく踏み込んでくるナンパ師は既にお酒がまわっている。
「……訂正してください。狼覧さんは男性です」
(「あ、怒るのはそこなの?」)
毅然とした刃狼に取り合わず、それでいてあわよくば触れようとする。そんな不埒な男の前に、ススッと狼覧は割り入る。いつもの引っ込み思案にはいまはおやすみなさい、なの。
「ぼく達、待ち合わせてる人がいるの。だからお兄さんたち、ごめんなさい」
指を空に。パァンとちっちゃな花火を弾けさせたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
『お待たせー、案内は任せてよー!』
そこにタイミング良くひなたが駆けつけてきた。刃狼が半目でじとっと睨めばナンパ師たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
『まずは、カルメ焼きな!』
屈託のないひなたには茜の浴衣がとてもよく似合っていた。少年だと思っていたけれど、少女にも見える。その理由は様々な魂の集積故だと今ならわかる。
『こっちこっちー、一番おいしいおっちゃんの店があるんだー』
温泉街を弾むように先導するひなた、それを手繋ぎの二人がからころと足音鳴らして追いかける。
『あっまくてーおいしいんだよ!』
琥珀の砂糖をくるくるしているテキヤのおいちゃんは妖怪だ。他の屋台にも、ひとつめさんやのっぺらぼうと、刃狼と狼覧が馴染みある姿が見られた。猫夫人が招いているのだそうな。
「わぁああ、ぷくーって膨らむのー!」
「すごいですね!」
お金のやりとりはない。
欲しいと言えばカルメ焼きもたこ焼きも、べっこう飴細工だってお気に召すまま。この屋台にある全て、誰もが欲しいだけもらえる、夢のようなお祭りだ。
がりんっと豪快にカルメ焼きをかじると、ひなたは次っとリンゴ飴とチョコバナナを指さした。
「……うん、よかったの」
「どうかしましたか?」
ちょこんと首を傾げチョコバナナに齧りつく刃狼へ、狼覧は相好を崩す。
「仲間外れさんはいないの。みんなみんな、楽しそうに過ごしてるの」
ナンパ師も厚かましさに目をつむれば楽しげではあった。
「……ぱらいそは天国。命付きた後にも、賑やかで笑い合えるようにと猫夫人は仰っていましたね。その通りになっていますね」
お酒を飲んではしゃぐおじさん。
人混みをうまく走り抜ける子供たち。
そして満面の破顔のひなた。
「ぼく達はなにができるかなって思ったけれど……女将さんはお祭りを楽しんでって言ってたの。それが大正解だったの」
かりんと囓ったリンゴ飴をはい、と刃狼へと差し出す。
華奢な口でかじりとり紅さしたように口元を染めた刃狼は、屈託なきくチョコバナナを狼覧へ。
「……あ、食べかけじゃない方がいいでしょうか?」
「ううん、いっただきまーす、なの」
はむりと甘い香りを頬張って狼覧の胸もいっぱいになる。
どぉん!
夜空に鮮やかな花火が咲いた。
『こっちこっちーー! よぉく見えるから』
イカ焼き、お好み焼き、串焼き……ワイルドなものを一通りもらってきたひなたが手をふった。二人は擽ったそうに笑い合うと、それぞれ手にした甘い屋台菓子を食べきって高台へとかけだしていった。
「はーい、喧嘩はやめるのー!」
――お酒に酔ったおじちゃんの小競り合いは、狼覧の法術“ねこだまし”でチャラにした。ぽふんっと手を打つと、そこにひらひらの七色の蝶々が現れる仕掛け。
七色は、虹。
命尽きたひとが渡る、虹。
七色飾りが揺れる。
猫たちが見守る。
ここはぱらいその果て――精一杯に生きた人の遊ぶ温泉の街。
成功
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