秋、休日、昼。UDCアース。
陶器市を兼ねた縁日でにわかに賑わう寺参道に、おろし立ての浴衣に着替え歩く姿、三つ。
「それなりに人入りも多いね。都内や観光地だとどうにも芋洗いの様相を呈して落ち着かない。祭りはこのぐらいが一番だよ」
深山・鴇の装いは、鳶めいた二色染めの浴衣に長羽織。あしらわれた彼岸花は、丁度朱酉・逢真と揃いの柄だ。
「縁日てェと、シーズンはちと過ぎてるモンなァ。俺ァ盛りの頃よりギリギリのが性に合うからよ、居心地いいや。ひ、ひ」
「それってもしかして、食べ物は熟れ頃を過ぎて傷んでしまう一歩手前が一番美味しい、みたいなお話です
……??」
勝色めいた木綿の浴衣に朱の前掛けを結び、少し動きやすいようにアレンジした雨野・雲珠はどことなく丁稚めいているようにも見える。多分、居並ぶ屋台や陶器業者に混ざったら、誰も来訪者とは思うまい。もともと世話焼きな性分なのもあるだろう。
ことのきっかけは、鴇の提案だった。
せっかく浴衣を新調したなら、何処かで身につけたいと思うのは人の性――もっともここに居るのは人と神と桜の精なのだが――さりとて折り悪くというべきか、夏真っ盛りをいくらか過ぎた頃である。ならば来年の夏を待とうか。となると今度は、陰気な神様が
暑気にやられて動きづらい。それじゃあ秋祭りはどうか、というふうに話が動いた。
『秋祭りなら、UDCアースが頃合いかな。行くなら寺の方がいいねえ』
『お気遣いありがたく。お陰様でこの通り陰気にジメジメしてるぜェ』
『そこは元気溌剌とかなのでは……あっ、陶器市が催されてるところがあるそうですよ!』
……とまあ、こんな具合にあっさりまとまった形である。
「ところで、帝都では「神様仏様」ってよく聞くのですが……」
りんご飴を頬張り、もぐもぐごくん。雲珠の疑問提起。
「神仏の違いというのが、俺よくわからないんですよね。かみさま的にはどうなんです?」
「そォさな――強いて言うなら覇王と
英雄の違いかね」
「ほう。その心は?」
「仏てェのは、
加護で信仰を得る。なにせ奴さんらのご利益は、願えば手に入るようなモンじゃねェからよ」
「え、違うんです?」
雲珠はピンとこないのか、目を丸め瞬いた。
「ひ、ひ……マ・教えや肝心の仏にもよるモンさ。
だが敢えてひっくるめちまうンなら、「ありがたい教えに従い真摯に生きてりゃいいことある」っつゥ具合よ。
現世利益の類をポンと与えるようなンは、ホレ……
信者が殺し合った挙句、都合よく悪魔にされちまったりしてるだろう?」
たとえば
ベルゼブブ。こと西洋に於いて、習合の過程で神性を剥奪され凋落した存在は枚挙に暇がない。
もともと
神性が別々に在ったとしても、人間はそこに定義を加え、そして信仰を変える。一方、御仏はまず仏があるのであって、信者はただ経を唱え教えを有り難み、慎ましやかに生きればよいのである。
そのように噛み砕かれたとも言えるが、逢真はあえてそのあたりをばっさり省いた。
「対して神は、信仰から
権能を得る。どンだけ強大な神だろうが、崇められなくなっちまえば
それまでよ。ひひ、いろンな
世界で、いろンな神々がだァれにも知られず消えちまッてンだぜ……」
それはこのUDCアースが、まさに好例だ。妖怪のように忘れられたモノたちは別世界に渡り、恐るべき邪神もまた忘れられたことで――それ自体を最大の武器とした
邪神もいたが――力を大きく減じたのである。
「俺からすりゃア、どっちも"いのち"の願いから生まれたモンだけどな」
「最終的にひっくるめてひとまとめにしてしまうあたりが、逢真君らしいとも言えるね」
歩きながら酒器を手に取り、眺め、鴇が言った。
「さすがは大店の旦那さま……!」
「君、頭の仲間で店の小僧になってないかい? 駄賃でもあげようか?」
「おいおい、旦那ァ。それなら俺にもちッとは飴をくださいや」
逢真がわざとらしくへりくだった笑みを浮かべ、四つの手を卑しくも椀のように差し出した。
雲珠、それを見て再び瞬きし、目を擦る。
「あれれ? かみさま、腕四本ないですか!?」
然り。逢真は四臂の異相。あまりに当然かつ、鴇がまったく指摘しないものだから気付かなかったらしい。
「わあ! わあ! かっこいい!」
「と、うちの小僧(ではない)が喜んでるのはともかく、
逢真君にはさんざん飴をあげてるのでナシだ」
代わりに鴇は2つ目のりんご飴を雲珠に買ってやった。贔屓!
「ひひ、こりゃ厳しい旦那だこって。こちとら毎日汗水垂らさずだらけてるッてのにまァ」
「
陰だからいいが、字面だけ見るとただの穀潰しじゃないかそれ」
あまり間違っていない気もする。
「と、ところでかみさま、腕が四つもあったら頭が
わやにならないんですか? どうなんです??」
「《《
服》》は俺の一部だからよゥ、ヘイキだとも。そもそも俺ぁヒトと違って、
脳で
容物を動かしてるワケじゃねェしな――」
言葉はふと途切れ、逢真の視線が一点に注がれる。
「この茶碗、いいねェ……持ち主がおっ死んだか、それとも買い手の間で諍いでもあったか……ひひ、気に入った」
「陶磁器として、というより呪物としての観点だねそれは……」
「あ、俺、このお猪口が好きかもしれません……!」
ややへっぽこな千鳥の描かれた蕎麦猪口の魅力に、雲珠は魅了されてしまったようだ。
●
と、気ままにだらだらと陶器市を流した一行は、やがて寺の境内へ。
この祭りはあくまで陶器市が本体であるようで、縁日としては盛りを外した今日にあっては、参拝客もまばらだ。
「ご本尊様に挨拶だけでも済ませておきませんと」
りんご飴を食べ終えた雲珠は、きちんと串を懐に仕舞い、口元を拭った。
「そうだね、お賽銭ぐらいは置いていこうか」
鴇は逢真を一瞥。当人は軍馬ほどもある仔猫を喚ばい、その背に乗って一休みの構えだ。
「俺ァここで待ちぼうけしとくぜ。行っておいで」
「そうかい。"ちびすけ"も、このぐらい人気がないならゆっくりできそうだね」
鴇は仔猫の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。そして、雲珠を追ってゆるりと歩き出した。
直後、破滅が降った。
「ギ――ッ!?」
「え?」
呻き。轟音。雲珠の視界は鳶色に覆われ、次いでもうもうと土煙が左右に蔓延る。鴇が背負うような形で、自らを庇っているのだと、そして彼の前――つまり逢真と"ちびすけ"がいた場所に、何か恐ろしいものが振り下ろされた、あるいは降ってきたのだと理解した時、ばさばさと風が吹いて土煙を散らした。
「わ……!」
背に庇われていてなお、思わず丸まってしまうほどの衝撃。それが大質量の落下ではなく、熱、すなわち光輝の一撃であることは、見ずとも肌で感じられた。衝撃波は呼吸に喘ぐほどの熱を孕んでいたからだ。
「逢真君!」
叫び、次に"ちびすけ"の安否を呼ぼうとした鴇は、開きかけた口を閉じて苦虫を噛み潰した。仔猫の残滓が融け崩れ、消滅する。対して、庇われた神は右足の膝から先が丸ごと失くなっていた。尻餅をついた彼の前には、"ちびすけ"の巨体とおおまか同じ幅の抉れ。削り取ったのではなく、純粋な熱が融解せしめたのである。
「仕留め損ないましたか。やはり、残骸たるこの身ではままなりませんね」
声は頭上から降った。警戒と敵意、そして戸惑いの三つの視線を浴びたそれ――さながら天岩戸から現れた太陽神の如き、神々しい姿の女性は憂いある眼差しに瞼を伏せる。
「……ですが次はありません。覚悟なさい、行疫神よ」
それもすぐに烈輝なる殺意に払われた。当然、その凝視が注がれるのはただ一柱のみ。
「チッ……妙な気配はしてたがよ。ちと気が緩ンじまってたかね……」
「またらしくもないことを。つまり、
向こうがそれだけ狡猾になってきたということだろう」
鴇は逢真を横切り、空に浮かぶ女傑の視線を遮った。そして、憮然と睨み返す。その間に雲珠が駆け寄り、傷を案じた。
「……?」
戸惑ったのは女の方である。鴇がなぜ己を睨むのか、見当がつかない様子。
「何をしているのです。お退きなさい。貴方の後ろに在るのは――」
「病毒の厄神、って? ならそれ以外は?
逢真君が今、ここで、何かしでかしたかい?」
「……何を言っているのです? まさか、妖しの外法で惑わされて!」
鴇はそれ以上言葉は要らぬとばかりに軽く頷いた。
「
あの女の差し金だね」
「マ、だろうな。ひひ、いやァ実際正論も正論なンだが――」
神の目配せには、鴇は振り返りすらしない。背中で語る、という奴だ。雲珠は言わずもがな。
「……俺もさすがにわかってきたわ。どうやら此処に居る
人間たちは、お前さんを選ばないそうだぜ」
女は心の底から嘆き、息を吐いて頭を振った。ちゃらりと、天光を意匠化した金飾りが綺羅びやかな音を漏らす。
「なんと嘆かわしい……であれば、この
叢雲切燕雀。人に祀られ願われし力のままに、お命頂戴いたします」
刃じみた殺意が心臓を竦ませる。はたしてその手に現れたのは、ぞくりとするほど磨き上げられた大太刀。女としてはやや長身なれど、刃渡り四尺を越えるであろう業物は実用に堪えぬ――ように、見える。だがそんな楽観視は出来るはずもなかった。鴇は己の頸を断たれる幻視を振り払う。
「なんて麗しい刃、なのにこの全く話を聞かない感じは、まさしく……」
「そういうことだ。なら存分に、邪魔立てさせてもらうよ!」
鴇が鞘走ったその瞬間、ぎぃん! と澄んだ苛烈な金属音。雲珠は瞬間移動じみて、太刀の間合いに近づいた凶手を認識。火花を散らし滑るように空中を踊り離れた敵へ、次は鴇が仕掛ける。刃先が石畳を削り、火花を生んだ!
「
疾ッ!」
ぎ、ぎ、ぎぃん! 女の表情は翳るばかりだが、それは鴇の撃剣を危うんでというよりも、目当てと異なる人間を手に掛けねばならぬことへの悲嘆が強い。女はやはり空中を飛び離れるが、それは撃たれた勢いによるものではなく……!
「来るぜ!」
「ぐ、ぅ――!」
金属音、そして熱風! 何が起きた? 雲珠は守護の結界を逢真のそれに重ねて事態を把握しようとする。二人からやや離れた位置、石畳が線状に抉れ煙を吹いた。
「熱線!?」
じゅ、じゅう、と嫌な音が響く。太陽の光そのものを凝り固めたような白熱する光条の嵐。だがそれらは尽く二人から逸れている――否、逸らしているのだ。斬撃波を浴びながらも、刃を鏡めいて斜めに構えた鴇によって。
「チッ、周りの被害も顧みてねェぞ、ありゃア!」
雲珠は参道の賑わいを思い出した。一瞬で己らを斬る覚悟を固めたあのヤドリガミならば、逢真に汚染されただの必要な犠牲などと欺瞞を吐き、丸ごと更地にすることさえ厭うまい。先の憂いある表情は、いわば面影に過ぎぬ。オブリビオンと化し、かの純粋勇烈なる女神の
教導を受けた今となっては!
(避難? いや、ダメだ。間に合わない!)
どうする。どのように立ち回る? 思考は神速の切り結びの中ではあまりにも億劫。何が出来る、何が――雲珠は考えようとし、それによって思考が乱れ、鈍麻し、その鈍さに苛立ちさらに慌てふためく。
「雲珠坊! すまねェが盾になっちゃアくれねェか!」
その思考を悟ったか否か、神の御言葉が目的をさやかにした。
「え」
「敵の前に出ろ、ってンじゃねェぜ。あの熱線が俺ら
以外を焼かねェようにすりゃ、それでいい」
ならば逢真は? 問い返すより先に、二重の結界が女を包んだ。ならば。
「動かないで――ください!」
雲珠は一歩前に出、両手を突き出した。抉られたことで石畳の下から顔を覗かせたガラス状の土が陶器めいて罅割れ、めりめりと枝が萌え出る。驚くべき速度で生長した枝は、たちまち眠りの姫を囲う茨の森めいて、逢真の防護をなぞるように生じた枝根の円蓋を築き上げた。
「これは! 桜の枝
……!?」
「貰った!」
鴇は一足一刀の間合い。利き手が霞み、抜刀! 真一文字の剣閃が煌めく!
「く……!」
女は大太刀を縦に構え受けた。円蓋状の狭い空間では、空を舞い距離を得ることは困難。ならば枝根と結界の破壊に専念する? 最悪手だ。鴇の撃剣はさらに烈しさを増す!
怒り。撃ち込みから感じる激烈な感情に、女は呻いた。惑わされ抱き込まれているならば、狂信や奉仕の悦びで撃ち込むのは理解できる。だが何故、何を怒っているというのだ?
「あなたが
厄神の信徒だというのならば、結構。しかし私は、正しきことを成そうとしているのであって――!」
「その手の戯言は、あの女で十分なものでね」
激しい激突。虚を突いた大太刀の一閃が頸を狙い煌めく。だが裂けたのは空のみだ。
「が、はッ!?」
人の身を得ていることが仇となった。脇腹にめり込んだ蹴り足に、肺の空気を全て吐きくの字に悶える。そこへ柄頭による殴打。こめかみが爆ぜ血が噴き出す。
「お前さんには、わからんだろう? わかってもらおうと思ってないさ」
逢真に手を出された。それは無論腹立たしい。逢真を庇い消滅した"ちびすけ"の仇討ちめいた復讐心もある。だがそれだけではない。
「俺が一番気に入らないのは、お前
らのお高く留まった性根だよッ!」
ざんッ! 枝根が斬撃で払われ、即座に蔓延る。円周状に走った熱線で焼かれ、漏れ出した熱波が雲珠を苦しめた。それでも青年は踏みとどまり、力を漲らせる。
「旦那ァ! 長くは保たんぜ!」
「いいえ、保たせます!」
雲珠の指先から血が零れ落ちた。破壊を凌駕するスピードの再生は、当然その心身に重い負荷を与える。鴇の気が逸る。熱線を囮にした縦回転斬撃。仕留めに来たか!
「ですが俺は、磨き抜かれた深山さんの剣技を信じております!」
「――!」
ごう! 地裂を生じる必殺の斬撃!
しかして、そこに男はなし。
「消えた!? まさか厄神の――」
言葉は噎せ、途切れた。吐き出されたのは声でなく、赤黒い血。女は見下ろした。己の胸、心の臓を破壊して突き出した刃を。
「驚いたかい? これがかみさまのご利益さ」
空間を割り背後に回り込んでの一撃。鴇は躊躇なく刃をV字に走らせ、その身体を、本体の大太刀を圧し折った。
「噫――!」
嘆き消え去る寸前、叢雲の銘与えられし神は視た。人々に守られながらも、あらゆる人間的感情では捉えきれぬ表情を浮かべ、己を看取る神の姿を――。
成功
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