鬼河原探偵社プレジャートリップ
●小国家『ビバ・テルメ』
クロムキャバリアは数多くの小国家が乱立する世界である。
遺失技術によって作られたプラントなくば人々の生活は立ち行かず、プラントこそが小国家の要であった。
故に人々は争う。
限られたプラントを他よりも多く、より優れた環境を、より良い生活を得るために。
しかし、そんな相争う小国家群において小国家『ビバ・テルメ』は異色の成り立ちを持つ小国家であった。
まず、この小国家の前進は『ファン・リィゥ共和国』である。
背後には鉱山跡地と湾。そして前面には遺棄されたかつての工場施設群。
天然の要害に守られた非常に優れた立地で安穏を貪るようにキャバリア闘技場によって他国からの難民や滅びた小国家から合流した人々によって享楽のままに月日を重ねた小国家であった。
だが、そんな安寧も長くは続かない。
オブリビオンマシンによる事件の頻発と猟兵による介入。
『神機の申し子』と呼ばれるアンサーヒューマンのクローン部隊。
いくつかの事件を経て『ファン・リィゥ共和国』は滅びるに至った。
だがしかし、一人の猟兵によってこの地は『神機の申し子』と共に再生され、鉱山跡地から湧き出した温泉をもって観光を資源とする温泉小国家『ビバ・テルメ』として生まれ変わったのだ。
確かに未だ戦乱の脅威は『ビバ・テルメ』を真の楽園へと至らしむるを阻むものである。
だが、このような小国家があるということは平和を望む者たちにとっては得難いものであったことだろう。
誰もが湯気煙る温泉小国家を楽しむことができるのだから――。
●観光シーズン
「え~右手に見えますのが棚湯ってやつだな。所謂、棚田みたいなもんだ。大体、五層くらいに湯を段階的に分けて順々に源泉の温度を下げていってる……っていうのは、姐さん方には百も承知か」
サブリナ・カッツェン(ドラ猫トランスポーター・f30248)の言葉に鬼河原・桔華(仏恥義理獄卒無頼・f29487)は、まあ、それはそうだがと言わんばかりに頷いた。
「だがまあ、こういうのは気分だよ気分。観光している、案内されてる、そう思うだけで気分は上がってくるもんだろう?」
なぁ、と隣に歩く伊武佐・秋水(Drifter of amnesia・f33176)に語りかければ彼女もまた然り、と頷く。
「記憶喪失であるがゆえに、私にはいずれも新鮮に見えるものである。こういう時、記憶喪失も悪くはないなと思うのでござるよ」
「はんえ~……とんでもねぇ湯気だべな~……」
「百重さん、お口、ぱっかーんしてますやん! お上りさんと間違えられますよって」
「いんや~これは結構なもんだべ?」
天山・睦実(ナニワのドン勝バトロワシューター・f38207)は、八洲・百重(唸れ、ぽんぽこ殺法!・f39688)の様子に笑う。
いつもよりもテンションが高いように思えるのは、睦実がこうした旅行というものが修学旅行以来であるからだ。
「おい、他にも客がいるんだ。気を遣いな」
「は~い、すんまへーん」
でも、と睦実は思うのだ。
こんな小国家まるごと温泉歓楽街みたいな雰囲気の場所が戦乱の世界、クロムキャバリアにあるなんて思いもしなかったのだ。
事の発端は簡単なものだった。
初秋、残暑が長引き、酷暑の日々をなかなか忘れられない日々が続いてはいたが、なんとか秋らしいという気候に移り変わってきていた。
UDCアースにて居を構える桔華の鬼河原探偵社もまた同様である。
夏の一悶着は大騒動と成ったが、まあ、それも思い返してみれば酷暑のせいであったのだと頷ける。
あの暑さは人をどうにもおかしくさせる。
アレでオブリビオンのせいではないというのだから、昨今の気象の異常さがわかるというものである。
そして、待望の秋。
紅葉であったり、スポーツであったり、芸術であったり。
多くが来たる冬に向けて英気を養う季節でもある。
無論、グルメもまた楽しむのに良い季節。即ち、観光シーズンというわけだ。
だがしかし、何処へ言っても皆考えることは同じである。
良い観光地というのは、どうにも人がごった返していけない。
かといって、人を避ければ道が遠のく。
故に桔華は二択を強いられていた。
人を避けて交通の便悪い僻地へと向かうか。
それとも、是として人混みへと足を踏み込むか。
慰安というのに、どうしてこんなに悩まなければならないのか。
「それなら良い場所がある」
そういったのはサブリナであった。
鬼河原探偵社は確かに猟兵と書いて問題児と読ませる類の連中のたまり場である。
確かに問題児は多い。が、サブリナのように世界を股にかけた個人貿易を生業としている者だっているのだ。
軽い雑談のつもりで話を降ったのだが、思いの外色よい返事が聞けたではないか。
「で、それはどこなんだい? 思いつくのはグリードオーシャンか、はたまたキマイラフューチャーか?」
「いいや、どちらでもないさ」
「であるのならば?」
「クロムキャバリアさ!」
彼女の言葉はあまりにも慰安旅行とはかけ離れていた。
クロムキャバリアは戦乱の世界。
どう考えても観光なんて出来る場所などないだろう。だが、サブリナは得意げに笑む。
「あるんだな、これが。とびっきりの温泉地ってやつがさ!」
その一言が決め手となって鬼河原探偵社に偶然集まっていた猟兵達と共に、こうして小国家『ビバ・テルメ』へと足を運ぶ段となったのだ。
「だがしかし、この小国家も多くの事件があったと聞くが」
封神武侠界の瑞獣、黄・威龍(遊侠江湖・f32683)は、猟兵たちが関わったオブリビオンマシン絡みの事件のことを聞き及んでいた。
戦禍というものは、どの世界も同じである。
程度の差はあれど、しかし戦いが起これば傷つく者もいるだろう。
だが、今まさに彼が目にしている『ビバ・テルメ』はUDCアースなどでも類を見ないほどに温泉という観光資源を活用した小国家であるように思えたのだ。
「ああ、猟兵のみんなやこの小国家の市民のがんばりもあるんだろうさ。結構、オブリビオンマシンや他国との軋轢なんかで被害はあるけれど、たくましいってもんさ」
サブリナノ言葉に威龍は頷く。
彼等の生きる活力というものがそこかしこに感じられる。
活気がある、というのは良いことだな、と彼はしみじみと思う。
「兄者! あの赤と青の半分このキャバリアはなんであるか! 力比べをしてもいいか! 挑んでもいいか!」
そんな彼の隣……いや、正確に言うならば、彼が襟首を掴んで離さない、飛・曉虎(大力無双の暴れん坊神将・f36077)が血気盛んにも体高5m級のキャバリアを指さして興奮している。
それを宥める……というよりは、彼の握った拳の音が聞こえてビクっと曉虎は借りて来た猫へと変貌する。
「あ、いや……冗談である。ゲンコは勘弁なのだ!?」
「ならいい。今回は慰安旅行だ。俺もてめぇの石頭に拳を叩きつけたいとは思っちゃいねぇよ」
「そうか! そうなのか! であるのなら……」
「調子に乗ったら」
「あ、ちょっとした冗談なのである。本気にしないでほしいのである兄者よ」
な、な! と曉虎はまたも肩をビクつかせる。
「ありゃあ、この小国家の守りの要であるサイキックキャバリア『セラフィム』ってやつだな。四人の『神機の申し子』の機体だ」
サブリナは曉虎が興味を示した機体を指さして説明する。
そう、この小国家には多少の防衛戦力があるが、その戦力の過半数を担うのが四騎のサイキックキャバリア『セラフィム』なのである。
一様に赤と青のカラーリングの装甲を持っていることが特徴的であった。
「ほーん。なるほど……」
「しかしまあ、あの機体。この世界由来のものなのかね」
そう言って『セラフィム』を見やるのは、スペースオペラワールドからやってきたバルバリア星人、ザッカリー・ヴォート(宇宙海賊・f41752)である。
彼の瞳には、あの『セラフィム』なるキャバリアがどうにもこの世界由来のものであるようには思えなかった。
サイキックキャバリアと分類されるキャバリアは、サイキックロードをもって出現するのだという。
であるのならば、どうにも鋼鉄の巨人闊歩する世界には似つかわしいものであるように思えたのだ。
「まあ、細かいことはいっか。ここにゃ、駐禁切符切る宇宙騎士様も来れやしねぇしな!」
「この歓楽街にはキャバリア闘技場もあるんだろう?」
その隣をリコ・エンブラエル(鉄騎乗りの水先案内人・f23815)は『パワードギア』ではなく、自分の足で歩みながらサブリナに尋ねる。
クロムキャバリアと言えば、戦場の花形は人型戦術兵器である。
なら、この小国家の前進となった『ファン・リィゥ共和国』が闘技場で財を成したように、『ビバ・テルメ』にもキャバリアファイトなる闘技場があってもおかしくない。
むしろ、リコにとってはそれが今回の慰安旅行にやってきた最大の目的でもあった。
「あー、どうなんだろうな。そもそも、この小国家の前進が、キャバリア闘技場が盛んだったんだけど……今や温泉に取って代わられてるからな。しかも、キャバリア戦力に余裕がないと来てる」
であるのならば、貴重なキャバリアを闘技場という娯楽に回すだろうか?
いや、その余裕はない。
リコには悪いが、彼の最大の目的は果たせそうになる。
が、そのかわりとサブリナは彼に一つの盤面を手渡す。
「これは?」
「ああ、なんだかこの小国家ではやってるらしい、クロムキャバリア式チェスだな。アンタにゃ、ちと物足りねぇだろうけど、盤面が二層になっていて高低差まで意識した戦術的なボードゲームらしい」
「ほう。それは思ったより面白そうだ」
「ははん? 三次元チェスの亜種みてぇなもんか」
ザッカリーはリコに手渡されたボードゲームを覗き込む。
あとでやってみようぜ、と男衆は頷きあうのだ。
「と、今夜の宿はこちらですかな?」
そうこうしている間に、今夜の宿に到着する。
共にやってきていた、獅子戸・馗鍾(御獅式神爺・f43003)は、この中でも鬼河原探偵社とのつながりが気迫な呂兵だった。
縁もゆかりも無いと言って差し支えないだろう。
だが、教育係兼後見人として仕えている主が、探偵社と懇意にしているのだ。
そんな主が一時に休暇を彼に与えたのだという。
『日頃爺には苦労をかけているから』
その言葉に彼はあまりのことに矢が降ってくるのではないか、はたまた明日は雪であろうかと思ったが、労いの言葉に水を差すほど野暮でもない。
訝しむ気持ちあれど、まあ温泉旅行に行けるのだし、気持ちは受け取っておくべきとこうして探偵社の面々に紛れてやってきていたのだ。
「いやはや、斯様な立派な宿を取っていただけるとは。日頃若がご迷惑をおかけしているというのに」
「なに、彼奴も探偵。それ相応に手伝ってもらっているんだ。こちらこそ……いや、此度は慰安。そう畏まらずに楽しんでくれ」
桔華の言葉に馗鍾は心遣いもまた一党を率いる器を見たかも知れない。
サブリナの案内と共に『ビバ・テルメ』の温泉宿にチェックインする一行。
二泊三日の計画であるが、一先ず皆、温泉をまずは楽しむべしと一日目の日程は抑えてある。
二日目は各々の自由行動。
三日目に共に帰還という計画である。
あまりにも大雑把であるが、事細かく決めすぎても、問題児だらけの猟兵が集まる探偵社では持て余すというもの。
であるのならば、各々で自由に過ごすのが最大の慰安であるとも言える。
「おっと、失礼」
そう声が頭上から聞こえ、一行の前に影が落ちる。
それは巨大なサメであった。
陸地にサメ。
「んなー!? なんだお前は!?」
曉虎が思わず臨戦態勢になるが、しかし、その巨大なサメを前にしても周囲の人々が騒ぎ立てていない。
これだけ巨大なサメが陸地を闊歩していようものなら、大騒ぎになって然るべきである。
だがしかし、誰も騒ぎ立てていない。
つまり、それは。
「我々サメを見て、そのような反応をする、ということは。お前たちもまた猟兵、ということだな」
「そうだが。カタギの方々がイモ引かぬってことは、そういうあんたも猟兵ってことかい……ああ、いや。その姿、どっかで見たな、と思ってはいたんだ」
温泉宿にチェックインする前に、こうも一悶着あるとは思っていなかったが、これはある種の猟兵同士が引き合う運命であろう。
そう、この巨大なサメは獣人戦線の獣人においては、さらに少数種族『サメ』の猟兵、マノ・ドントレス(コマンドーシャーク・f44728)であった。
「申し遅れた。此度よりオブリビオンとの戦い、戦線に並び立つことになった『サメ』の獣人である。驚かせたのならば申し訳ない」
凶暴な見た目とは裏腹にマノは非常に紳士たる男であった。
はっきり言ってデカすぎる。
その巨体で温泉に? と一行は思ったかも知れない。
だが、彼は一行の疑問を察したのか、苦笑いをするように体を揺らす。
「ああ、どうやらこの世界にはジャイアントキャバリア素体を生み出すための巨大な容器があって、この小国家には、それを湯船にした、という売り文句で客を引くらしいということを耳にしてね」
それで、彼はこの温泉宿にやってきたのだという。
一般人に違和感を与えぬのが猟兵の共通した能力である。
人々はマノを見ても、大きな人だなぁ……くらいの認識の領域をでないのだ。
だからこそ、周囲の人間は皆、彼を見てもそこまで騒ぎ立てることがなかったのだ。逆に猟兵であれば、その姿に違和感を覚える。
そうでなくても巨大なサメである。
曉虎でなくてもビビる。
「ビビっておらぬからな!」
「ハハハ、申し訳ない。驚かせてしまったようだな」
「驚いてもおらぬわ!」
「まあ、同じ宿になった縁だ。共に療養しようぜ」
「それがよろしいかと。袖振り合うも多生の縁でございますな」
男性陣はマノが同じ男性であるとわかり、また猟兵であるということもあって非常に好意的であった。
しかも、ジャイアントキャバリア素体の湯?
なんだそれはと興味津々なのである。
「ま、どちらにせよ、よろしいのでござらんか?」
秋水は桔華たちと共に一先ずと慰安旅行に加わったサメ、マノとの縁を結び慰安旅行の肝たる温泉へと足を向ける。
そう、本番はここからなのだ。
「こっちは男湯と女湯に別れてるんだよな」
「混浴じゃないのかい」
「流石に公序良俗にってやつだな。水着着用なら混浴を謳う宿もあるだろうけどさ、まあ、水着で温泉っていうのも悪かないが、折角なんだ」
「それもそうか」
「早く行きましょうやー! 温泉がウチらを待ってますよって!」
もう睦実のテンションが振り切っている。
さっき怒られたばっかりだというのに、もう駆け出したくてウズウズしているようだった。
桔華は、まあ仕方ないかと宿の部屋へと荷物を運び込み一つ音頭を取る。
「それじゃあ、諸君よ。僅かばかりではあるが温泉を堪能し日々の疲れを癒やしな。解散!」
その言葉と共に探偵社の面々は、ぞろぞろと、または競うようにして温泉へと駆け出していく。
「ひゃっほーい! ウチが一番や!」
「ムハハハ! 我輩が一番に決まっておろうが!」
「あ~走っちゃ危ないべ~! むっちゃんも~!」
睦実と曉虎が駆け出していくのを百重は追いかける。
その騒々しい背中を見送り、桔華と秋水は顔を見合わせる。
「我々も向かうとするでござる」
「まあ、元気なことはいいこったな」
「それじゃあ、姐さん。俺等も」
威龍の言葉にひらひらと手を振って返す。
「畏まるなって。無礼講なんだから」
「それはそれとしてケジメってもんがあるからな。あいつがやらかしたら、遠慮なくやってくれ」
彼が示すのは駆け出していった曉虎である。
よく言い聞かせてはいるが、何分調子に乗りやすい気質。
絶対やらかすと彼は確信していたのだ。
「まあ、そうならないようにするのも大人の務めってやつよ」
それじゃあな、と面々は男湯と女湯に分かれていくのだった――。
●キャッキャウフフ
温泉において男湯と女湯は何故分かたれているのか。
それは疑問なのか? と思わずにはいられない疑問であった。
が、まあ、男というのは単純なものである。垣根があれば、その先にある桃源郷を見たいと思う。
むしろ、覗かねば失礼に当たるというものである。
が、探偵社の男性陣は皆、理性ある者たちであった。
「いや、別に理性があるからではねーよな」
ザッカリーは男湯に浸かり、呟く。
「ああ、いのちしらず……いや、いのちいらずでないかぎりはな」
同感だというように威龍は頷く。
そう、彼等の言葉は正しい。
今、女湯には見目麗しい猟兵たち……桔華たちが湯船に浸かり温泉を堪能しているのだ。
熱によって桃色に染まった肌。
上気する頬。
項に張り付く後れ毛。
一糸まとわぬ裸身を彩る熱は、はっきり言って極楽浄土の光景そのものであっただろう。
生命を賭すに値するものであった。
他の猟兵たちであったのならば、多少は笑って済ませるところがあったかもしれない。
が、ここにいるのは探偵社の女性猟兵たちである。
覗いてお縄になる程度で済むわきゃない。
多分、生きていることを後悔するぐらいのあれやそれ的な制裁が加えられることは言うまでもないのだ。
故に彼等は温泉を健全に堪能していた。
「失礼。そちらに湯が溢れるやもしれないが」
そう言ってマノが浸かるのは、彼が言っていたジャイアントキャバリア素体の湯である。
3メートルはあろうかという巨体。
それが肩まで浸かることができるとなれば、その水深と湯量は言うまでもない。
ざぶん、と威龍たちの湯船まで大量の湯が溢れてくる。
「いいや、構わねぇよ。気兼ねするこたぁない。あんたも俺たちもただの湯治客だ」
「心遣い感謝する」
「しかし、独り占めでございますな」
「はは、違いない」
そんな男たちの健全なやり取りの隣では、女性陣たちが大はしゃぎであった
いや、一部のというのが正しいだろう。
「ムハハハ、男湯女湯別れているのは僥倖であった! 兄者は此処に折らぬ! 最早我輩を止める者などおらぬ!」
曉虎は盛大に笑う。
が、考え直す。
恐ろしき兄者が姐さんと呼び慕う桔華がいるのだ。
彼女は夜叉。
であるのならば、此処は大人しくしておくのが良いだろうと動物的直感が働き、彼女はしずしずと湯船に浸かる。
だが、悪くない。
案外、良い。この湯、この熱、最初は暑すぎるかもしれないと思ったが、体の血流が活性化し、己が体躯に力を漲らせるのだ。
「ゆっくり浸かれよ」
「まるで引率者でありまするな」
桔華の言葉に秋水は笑って、持ち込んだ徳利から酒を杯に注いで彼女へと手渡す。
「いやに気が利くじゃあないか」
「なに、温泉と暮れば、日本酒でござろう。きゅっとやれば、それだけで自堕落真っ逆さまというやつでござる。であるのならば、ご相伴頂きたいと思うのも?」
「違いないな」
杯が合わさり、軽い音が響いて二人は注がれた酒を煽る。
たまらない。
慰安旅行にそこまで期待があったわけではないが、これは思った以上に良いではないか。
戦乱の世界であっても、この小国家が観光資源でやっていける理由がわかるようであった。
この心地よさを前にしては、争いごともどうでもよくなりそうだった。
サブリナも日々の疲れを癒やすように浸かり、息を吐き出す。
相棒であるタマロイドの『MK』は男湯の面々を案内して別れている。なので、久方ぶりにこうして羽根を伸ばすことができるのだ。
だが、そんな彼女たちを恨めしげに見ている者がいた。
そう、睦実である。
彼女の体型はスレンダーである。
ほっそりとした手足。
確かに彼女は大飯喰らいである。
が、どれだけ食べても彼女は身につかぬ体質なのだ。それは確かに羨むことである。
事実、百重は羨ましくて仕方がないのだ。
「ぐぬぬ……これが胸囲の格差社会というやつですやん」
そう、眼の前に広がるのは桃源郷。
桔華は言わずと知れたナイスバディ。
背に
刺青背負えど、すらりとした女性らしい脚線美。きゅっとしまったスリムな腰。なのに、出るところはでているのである。
はっきり言って目の保養でしかない。
くわえて、秋水である。
惜しげもなく湯船に投げ出された肢体。
一言で言うのならば豊満である。
湯船に! 双丘が浮かんでいるのである! なんということだろうか。小島かな? と見紛うほどである!
「ん? なんだい、どうしたんだい?」
そんなに睨んで、と睦実に言うサブリナも彼女たちから比べれば、小ぶりであるがしかし充分に魅惑のバストサイズである。
きれいな形をしている。
なんとも羨ましい。
「ムハハハ! 滾る、滾るぞ! これは!」
温泉の泉質にはしゃいでいる曉虎もまたトランジスタグラマーである。
幼い体躯であるのに、見事なスタイルをしている。
はしゃぐ度に揺れては、お湯に波間を起こしている。何が揺れているのかは、文脈から察して頂きたい!
「むっちゃん? むっちゃん、どうしたんだべ~?」
そして、最後に百重である。
プロレスラーとちて鍛え上げられた体躯。
がっしりとした骨太であるが、しかし、ザ・包容力と言うに相応しい膨らみを二つ持っているのだ。
言い換えるなら、たわわな果実が二つもあるのである。
睦実は、そうした豊かさに囲まれているのだ。
もしも、彼女が男性だったのなら! こんな桃源郷はまたと拝むことはできな垂涎の光景であったのだ。
だが、それでも彼女にとっては耐え難い屈辱!
自分だけ!
あと一人でも自分と同じ体型の者がいたのなら! まだ耐えられたかもしれない。
が、無理である。
「うちに……」
「え、なんだべ?」
聞き返す百重が身をかがめた瞬間、睦実は彼女の背後に目にも止まらぬ速度で回り込む。
伊達にアスリートではないのだ。
まるで一瞬。
百重の瞬き一つ。
その瞬間に背後に回り込んで、そのザ・包容力たる膨らみを睦実は鷲掴みにしていた。
指が沈み込み、形を変えるザ・包容力。
「うちに少しわけんかい!!!」
あるのが悪い!
そう言わんばかりに睦実は一瞬にして、沈み込んだ指でもって揉みしだく。
「ひゃああん!?」
今、すっごい可愛い声しませんでした? 気の所為?
いや、気の所為ではない。
百重の声である。しかし、その可愛らしい声も長くは響かない。
彼女もまたプロレスラーの端くれ。
一瞬で背後に回った睦実を背負投げ一閃でもって湯船に投げ飛ばしてしまったのだ。
盛大に水しぶきと水柱を上げて湯船に飛び込む睦実。
「は、はわわわ、やっ、やっちまったべ! むっちゃん、大丈夫だべ~!?」
百重が慌てて、湯船へと睦実を救い出そうとする。
だが、また背後に回り込んだ睦実が背後からの、アイアンクローである。
「ひゃわ~!? や、やめてけれ、む、むっちゃぁん!」
再びぶん投げられる睦実。
その様を見やり、曉虎はニヤリと笑う。
「ほう、これがプロレスか!」
「ち、違うべ~! こんなのプロレスじゃないべ!」
「問答無用! ここには兄者もおらぬ! 我輩も大力無双の名に恥じぬ暴風を振るおうぞ!」
始まった乱痴気騒ぎにサブリナは君子危うき近づかずと言わんばかりにコソコソと湯船から這い出そうとする。
が、その前に曉虎がすでに立っていた。
「んな!? なんであたしまで!」
「ムハハハ、サブリナよ、逃さぬぞ!」
「あぁっ! ちょ、やめ! つよい! せめて優しく!」
「ムハハ、大力無双、がっぷり四つよ!」
睦実を端に発した大騒ぎは曉虎によって被害を拡大していく。
「……ぶくぶく……」
ざば、と湯船から飛び出した睦実が次なる標的にしたのは秋水である。
その見事な双丘! 否! 小島二つを湯船たる大海に沈めねばならぬ。これは彼女の使命なのだ! 行け! 秋水さんのあられもない声をあげさせるのだ! いけいけゴーゴー!
「ふふふ、まだまだ甘いでござるな」
こん、と睦実の眼光鋭く迫る額に徳利の底が当たる。
瞬間、睦実は盛大に湯船を水切り石のように跳ねて百重にキャッチされる。
「わわ、だいじょうぶだべ、むっちゃん?!」
「クッション性も抜群なんて……! うち、悔しいで!!」
「ええ~!?」
そんな大騒ぎを他所に桔華は溜息をもたらす。
初日からこれである。
なんていうか、わかっていたことだった。
「予感がなかったわけじゃあないんだよ、本当に」
「気苦労が絶えぬでござるな?」
「何を他人事のように……」
「いやはや、まあまあ」
どれ、もう一献。そう言う秋水に窘められて桔華は杯を差し出す。が、そこに曉虎にぶん投げられたサブリナが飛び込んできて、酒は湯船に薄まる運命しかなかった。
何かが切れる音がした――。
●湯気の向こうに
「あ、それでチェック」
「なに? どういうことだ?」
「これを、こうして、こうなると、此処が補給線を維持できなくて大将騎が孤立無援になる」
威龍とザッカリー、リコはサブリナから手渡されたクロムキャバリア式チェスに興じていた。
いずれも温泉を堪能したあとである。
彼等は元々長湯をする性分ではない。早々に温まった体を浴衣に包んで、ロビーにてテーブルゲームをやってみようという話になったのだ。
サブリナのタマロイド『MK』の解説のもとにゲームが滞りなく進んでいったのだが、この盤面、面白いのが一対一ではなく、三人対戦になっているのである。
そう、所謂三国志めいた敵の敵は味方、味方の敵は敵、といった状況が生まれるのだ。
それがゲームに複雑さと面白さを生み出していたのだ。
「ああ、クソ。そういうことか!」
ザッカリーが膝を叩く。
彼の知る3次元チェスとは盤面が少ないが、三人というプレイヤー人数の差が決定的だったのだ。
なかなか侮れないな、と彼は思っただろう。
「ははぁ、複雑怪奇であるな」
その横ではマノがフルーツ牛乳を片手に……いや、まるで小さな乳酸菌飲料の容器のように傾けて三人の対戦を眺めている。
「にしても、女湯、騒がしくねーか?」
「大方、
シャオあたりが調子に乗ったんだろう」
「ま、あの連中に覗きがバレたら生命がいくつあっても足りねぇよな」
「話がはずんでいるのかもしれないしな。さ、もう一局やろう」
リコは適当に言っていた。
女湯には微塵も興味がないらしい。それよりも、このクロムキャバリア式チェスである。
なかなかどうして奥深い。
すっかり楽しくなってしまって、男衆と興じてしまっている。
「しかし、駒一つ一つにもやれることが変わるとはな。先程の指し手、見事だった。妙技と言って良い」
「あれは意表を突かれたぜ。三次元チェスでも筋が良いはずだ。後で、そっちもやろうぜ」
「3次元。それは一体どのような」
『――!!!』
それは男衆たちの座っていた腰が一瞬浮くほどの雷じみた怒声だった。
威龍は、肩をすくめた。
「ほらな?」
くわばらくわばら、と彼等は君子危うきに近づかず、と言わんばかりにゲームに興じ、その後ろでは馗鍾がマッサージチェアという極楽に全身の凝りをほぐされ濁音の如き『おほぉ!』という声を漏らしたが、桔華の怒声に幸いにもかき消されたのだった――。
成功
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