●時を省みず、
――いつかは、この村もひっそりと消えてなくなるのだろう。
全ては、ああ、時の流れに呑まれ、塵となりゆく定めだ。もしくは、別の何かに成り変わっていくか。
再度灯が燈った梶本ですら、それは例外ではあるまい。この世に産み落とされたものはすべて、例外なく最後は散るのが必定だ。
村も、命も。名前も、銘も。善悪、罪科も。人も、刀も、そのすべてが。
しかしながら――。
●これより先は、太刀合せにて
「これは皆々様! ようこそ梶本にいらっしゃいました、ここは一つご用向きをお聞きしてもよろしいですかな?」
「なんだァ? 金髪の……テメェ、猟兵かなにかかよ」
ここはサムライエンパイア、梶本村の麓。あの事件から後のことだが、いつのことかは詳細は不明である。
山の麓から梶本に伸びる村へ繋がる一本の坂道を、とある集団が登っている。
大勢が編笠に着流し、剃らずに伸ばしたという風情。浪人の類と見て良いだろう。長物も腰に携えており、人によっては着流しに赤黒い染みを残したままである。
さらに――どうも、それだけではない。腰の光り物によく目を凝らせば、怪しげな輝きが漏れ出ているのが分かった。
黒くぬめった、おどろおどろしい輝き。漏れ出ているのは骸の海と見て間違いあるまい。
「仰る通り。話の行きがかり上、梶本の用心棒をやってるモンの一人でしてね」
「それならよォ、死にたくねえならさっさとこの道を開けるこった。長筒一人でこの人数、勝てると思うかよ」
その一団を小さな赤い鳥居の前で止めるのは、世界に似合わぬ金髪の男。
肩には大仰な狙撃銃を構えており、口元がいやににやけている。服の下にも他の得物を用意しているらしい。
「ほう! とするとお前ら、梶本の名刀泥棒ってな具合だな。それなら通すわけにいかねえや」
「仰る通りよォ、あの名刀が使い手の元にあっちゃ後々困るんでなァ! 押し通るぜェ!」
金髪の男の静止にも構わぬと言った様子で、浪人たちは腰の長物を鞘から抜き放つ。
やはりそうだ。こ奴らは骸の海の影響を受け、正気を失っている。目の色がやけに煤けているのがその証。
金髪の男はやれやれと肩をすくめると、鳥居に向かって声をかけた。さてさて皆様お待たせいたしました。
この段、この件、この話。愈々以て――まさに真打の登場でございます。
「灰二。出番だぜ。お前の切れ味、良く見せてくれるかい?」
「ああ。わかッた。望むのならば腕を貸そう。いざ、尋常に」
浪人たちが刀を抜き放った勢いのまま金髪の男に斬りかかっていくその時、赤い鳥居の陰からぬうと長身長髪の色黒の男が現れた。
握った刀と鞘にて金髪に向かって稲光る悪刃二振りを軽々と止めて見せると、一つ瞬いたその次には返しの一閃にて浪人たちを退かせてみせる。
箱から抜け出でて戦場求める宿り神。佩くは自身の心臓、銘は「鸙野」。凡百の打刀をまるで紙でも裂くように引き裂く魔性の刃。
その男は人の世にあって、人の身ではない。猟兵である。
その名を――。
「テメエ何もんだァ!? 名を名乗りやがれェ!」
「鸙野・灰二(宿り我身・f15821)という。斬り合うのだろう、よろしく頼む」
「なッ……?! 誰がよろしくしてやるかよ、テメェらあの野郎をぶっ殺せ!」
「……ふむ。では銘より刃で語ッてやろう。我が身宿る刃の切れ味、御覧じろ」
灰二はぎらりと獲物を構え、彼の眼光が燃え盛るように敵を見据えた。
その手に握った飾り気の無い刀、鸙野という名の一振りが、只々煌々と輝いて敵を求めている。
追い縋るように振るわれる浪人の刀がいち、にい、たくさん。しかし、彼は臆さない。むしろ嗤っているようですらある。
「納、あれらは刀じゃアないな」
「刀型のオブリビオンと見て良いぜ。人に憑りつくタイプのな。偽刃とでも呼称しようか。あれを壊せば……」
正純の目の前に躍り出た灰二は、浪人の振るう袈裟斬りを鞘で受け止め、胴に腰の入ッた蹴りを見舞う。
二人まとめて斬り払おうとして放たれた横薙ぎへは、鸙野の茎に近しい部分を腰元から右手で滑らせることで止め、開いた左手で浪人の手指をからめとり、骨を折ってみせる。
「目の前の浪人を殺さずとも好い、と」
「そういうこった。生かしてやりたいのかい」
ひとを生かすための剣。“活人剣”と呼ばれるに相応しい大立ち回りだが、それもあくまで敵の対処について最終確認を取るまでのこと。
火花散らして花風乱れ、一切合切は太刀合せによる力と力のぶつけ合い。お為ごかしをどれだけしても、刀という存在はそのためのもの。
「操られているなら、斬り合いも本意ではあるまい。……それに」
「それに?」
灰二は正純に確認を取るや否や、蹴りを喰らって息が乱れた浪人に躍りかかるように襲い掛かっていく。
信じられない程の精妙さで足先を繰り、足場の悪い坂道をものともせず。他の浪人が振るった偽刃をすら足蹴にしながら跳躍した灰二は、隙を見せた浪人の肩口へと着地した。
そのままゆらりと上体をしならせ、地面へ着地しながら身を旋回。順手に構えた鸙野を以て、オブリビオンが擬態した偽の刃を真っ向から斬り下げてみせる。
不思議なことに、偽刃が折れてしまえばそれを握る浪人の意識も途絶えていくようだ。
「モノの理想を表すような力ではあるが――狂ッて刀に操られる侍を斬るより、正気のまま刀を握る侍を斬る方が好い」
「ハッハ! 上等だぜ、それじゃあ方針は決まったな」
先ほど骨絡みを見舞ッたもう一人の浪人も逃さぬとして、苦しむ様子の浪人へ先手先手を取ろうと抜き身の灰二が奔る。
『斬られる前に斬る』。早い話が、それだけだ。敵もさせぬと灰二を囲むが、彼らの剣技に先んじて目にも止まらぬ早業を披露する灰二は、その掌の中で幾多も変幻自在に剣技を放つ。
折れた手指で大仰に構えられた大上段は身幅が無防備だ。灰二はするりと鞘に鸙野を収め直すと、次の刹那には収めた刃を鞘走らせて敵の構える偽刃を見事に叩き折って見せる。
「甘いんだよ、このクソ猟兵がァ!」
しかし、灰二の大活躍を許すまじと他の浪人たちが手元の刃を振るっていく。灰二は真正面以外の敵を見ようともせず、他の方向からの攻撃は意にも介していないらしい。
それは油断か、あるいは――。
「甘いんだよ、浪人諸君。野暮だぜ」
BLAM!
悲しいかな、浪人たちが灰二の後ろから放つ攻撃は彼に届くことはなかった。
灰二のすぐ後ろ、鳥居を背にした佇む正純が構えた回転式拳銃から六発の弾丸が放たれ、そのいずれもが偽刃を根本から叩き折ることに成功したゆえである。
「人を後ろから斬っちゃいけねえな。オブリビオンに身体を操られちまうってのは悲しいもんだね」
「助太刀感謝する、納。早いところ解放してやるとしよう。偽の刀に操られる様など、見てられん」
ゆえに、灰二は真正面だけを向く。後ろを見ることなく、過去を斬り捨てる。
灰二は人ではない。百年使われた器物に魂が宿り、人間の肉体を得た存在――刀の
宿り我身だ。
だからこそ、彼は人を斬り、人を活かそうとするのかもしれぬ。過ぎた時が大きいからこそ、我が身灰燼に帰すとも、刀の本懐に至ろうとする。刀の本懐から外れまいとするのだ。
それはストイックで、折れず曲がらず、真っ直ぐな刃のような生きざまだ。
「応よ、同意するぜ。こういうのは無しだよなァ」
「過去は過去に返してやろう。人や刀に泥を塗るのならば猶のこと」
二人の猟兵は肩を並べ、浪人たちの前に立ちふさがる。
梶本にはこういう言い伝えが残っている。
――心悪しきものが梶本を目指そうとした場合、村へ繋がる一本道は猟兵たちの残した策略によってすぐさまその姿を変え、村への道を閉ざすのだとか――。
これが、それだ。
猟兵たちが遺した策略とは、正純と彼が呼び出す猟兵たち。そしてそれこそが、梶本の守りに関する言い伝えの正体でもある。
「これからは俺の指揮の下で動いてもらうぜ、灰二。いつかと同じく、今は俺がお前を揮おう」
「承知した。今日鸙野はお前の刀だ、思うまま揮ッて呉れ。あの侍たちを過去から救ッてやる」
二人の気迫に気圧されたか、浪人たちはじりじりと下がっていく。有象無象のオブリビオンの偽刃すら、猟兵の圧に臆しているが故である。
しかし、その様を見て許せぬとばかりに斬り込むのは灰二である。
「身体を乗っ取るのは好い。だが、侍のすがたかたちで斬り合いに臆するのはいただけん」
「灰二、崖には落とすなよ。追い込むならばあっちだ」
「良いのか。納の獲物には向かんだろう」
「一切合切斬るのはよ――灰二、お前に任せてんのさ。代わりに、撃つのは俺に任せとけ」
正純の投げた言葉に返事はなく、灰二の顔にはただ、互いの腕を信頼しているが故の獰猛な笑みがあるのみだった。
さて、一本道の右側は断崖絶壁、左側は鬱蒼とした竹藪。さらに道は狭く、二人並ぶのが精一杯という所。正純の指示を叶えるべく灰二が選んだ道のりは、梶本に続く坂道の端、崖の際。
道と崖の狭間、ほぼ傾斜と言っても差し支えのないそこを、彼はその身で駆けている。坂の上から下に向かう形で勢いも付いている。危険なほどに。
「承知。存分に撃ち候え。代わりに斬るのは……」
瞬間、灰二が正純の視界から消失した。無論崖から落ちた訳ではない。付いた勢いそのままに、灰二は敵陣のど真ん中へ瞬時にして入り込んだからだ。
「――俺に任せてもらおう」
「くそッ、お前何なんだ……ッ!」
「さアて。ただの刀さ」
焦って斬りかかってくる相手のつま先を鋭い突きで刺し穿つことで速度を殺し、怯んだすきに相手の偽刃を竹の如くに克ち割る。
防御に優れる下段に構えた相手を見るや、足で地面の砂を巻き上げて一瞬時間を作り、姿勢を低くして放つ上段にて峰から打ち砕く。
握りは柔らかく、手の内はなお柔らかく。数の利を活かして複数で襲ってくる相手には、拙速とも思える速度で敵の刃が振り切られる前にこちらから敵の懐へ移動。
ただただ前だけを見詰め、そのまま握り込んだ鞘で一人の顎を砕き、逆手に構えた刀の柄をもう一人の鳩尾に突き刺す。反吐をまき散らして倒れる相手の偽刃を踏み折ッてみせる。
「大勢だッたのが、残りはお前らだけらしいぞ」
そうして残った数少ない敵の生き残りに、灰二は言葉での揺らぎを与えてみせた。
それが狙ったものかどうかは杳として知れぬが、効果は覿面。このままでは勝てぬと悟った偽刃どもは、時期を改めんとして竹藪の方に逃げていく――。
二人の狙いがそれだとも知らずに。
「良い動きだ。やっぱ頼れるぜ、お前は」
「どうも。揮い手の腕がいいからじゃアないか」
「さあて。それでは灰二よ。お前を揮う男の腕前が如何程か、しかと見ておきな」
慌てた蜘蛛の子のように竹藪の中に散らばっていく浪人たちだが、それをみすみす見逃す二人ではない。
正純は灰二が戦い続けていた時から覗き込んでいた狙撃銃のスコープ越しに敵を見詰めた。条件はすでに整っている。
ここには自分と、そして頼れる『刀』が一振りのみある。他に頼るべくもない。これ以上もない。
一撃必殺の魔弾の契約は、確かな取引によってのみ成る。
「一発勝負だぜ」
薬室に破壊が充満している。それは仕手の合図を待っている。
引き金に指をかけて、それに行けと命じる。撃針が動き、雷管が応え、火薬が応と破裂する。
鉛の弾は鞘走らせた刃の如く、使い手の意の儘に操られて絵を描く。
これは禁忌の芸工だ。人の技術と、モノの誠実さが織りなす芸術である。
そうして正純が放った魔弾は、偽刃と若竹の間で跳弾を繰り返し――、竹藪の中に逃げ込んだオブリビオンどもをすっかり排除してしまいましたとさ。
「御見事だ」
「互いにな」
●剣涯撒手
見えるのは、日中は見えなかった明るい光。『梶本の灯』。
「それで、俺への頼みとはなんだ。納」
「おう。ま、さっきは成り行き上灰二に手伝ってもらったがな、本命はあれじゃねえんだ」
煙突からたなびいて紫雲の雲の切れ間に届こうとする煙が、空高く立ち上って、夜になって、雲の代わりに星が空を覆っても。
「鸙野・灰二。お前を良い猟兵――いや、刀と見込んで取引したい」
「随分と改まッて物を言う。望むのならば力を貸そう。一体、何だ」
その下で、星々が空で散っていくきらめきに負けぬ明かりが――いつまでも、燈り続けている。
「釈泉、雷瑛、水際、不知火、禊、戴天、氷来。供花は信頼できる使い手に貰われたんで、梶本八作のうち、残り七つがあるよな」
「ああ。それがどうした」
「それらの持ち主を、灰二。お前に探してもらいたいんだ」
「…………」
梶本村の少し外れで、男たちが火を囲んでいる。
襲撃を退けたあと、二人はここで少し休憩を取っているらしかった。
そこで正純から灰二に投げられた取引は、梶本村の名刀七つの持ち主を探してほしい――というものだった。
「お前には、良い戦場へ飛ばして貰ッた恩がある」
「おう」
「望まれた以上。その取引、応じたいと思う心もある」
「ありがとよ」
「だが、俺にはもう連れが二振りも居る」
「そうだな」
「……何故、俺に。何故、俺なんだ。俺は」
「……」
囲む火が、薪を飲み込んでいく。火花が散ッて、ばちばちと音を立てた。
それ以外に音はない。二人の沈黙が、ただ、耳に響いている。
「灰二」
「何だ」
「お前の望みはなんだ? 教えてくれるか」
「戦場で折れること。俺の幸福で、刀の本懐だ」
「そうか」
「そうだとも」
「……梶本名刀の七本だって、同じ思いなのさ。思うことがあれば、きっとな」
「……。思うことはあるさ。刀の身でも、人の身になッてさえ、思うばかりだ」
「未練かい?」
「分からん。執着、かもしれん」
やり残したことを思うのは、人も刀も同じことか、と正純は思う。
その上で、敢えて目の前の猟兵に頼もう。やはり、この男が適任である。
刀として在り、刀としての最後を望む彼だからこそ、刀たちを託せる。
正純は頭を下げて灰二に希う。人は乞い願い、彼を、鸙野を望んだ。
「やはり灰二。お前に探してもらいたい。刀の未練を、執着を知るが故、お前以上の適任はいない」
「……」
「断りにくいことを言っている自覚はある。お前にとっては酷な話だとも思ってる」
「全く、断り難い話だ。俺の身には重い気さえする」
「ずっと肌身離さずって訳じゃない。相応しく、刀を揮う相手を探してほしい。猟兵でも、それ以外でもいい」
「俺に、人を見る目はないぞ」
「だが、刀を見る目はある。俺は侍じゃない。灰二とは主従関係もない。だから命令もできねえが……」
正純はそこでひとつ言葉を切った。
「灰は灰に、刀は刀に。お前が一番この件に向くと思ってるから託したい。その腕、借り受けたいんだよ」
「……これも、縁か。請け負ッた」
「そうかい――助かるぜ、ありがとよ。梶本村としても、争いの種になるならその方が良いって話だ」
「条件がある。ふたつな」
「言い値で払うぜ。なんだ」
「ひとつめ。全員分、見つけてやれるとは限らんぞ。俺もいつ迄の身か分からん」
「無論だ。その時は俺が引き継いで、めぐり合わせを待つさ」
「ふたつめ。良い戦場を、俺に呉れ。俺が折れてしまう、その時迄」
「当然だ。たくさん手伝ってもらうぜ? 俺が生きている限り、お前を揮わせてもらうさ」
「望むべくもない。納、俺に揮われて呉れ」
「……取引成立だな。よろしく頼むぜ、灰二。最後がくる、その時まで」
「最後か。……いつかは、来るのだろうな、何事にも」
「ああ。もしくは、最後など何ごとにも訪れないか、だ」
――いつかは、この村もひっそりと消えてなくなるのだろう。
再度灯が燈った梶本ですら、それは例外ではあるまい。この世に産み落とされたものはすべて、例外なく最後は散るのが必定だ。
村も、命も。名前も、銘も。善悪、罪科も。人も、刀も、そのすべてが。
しかしながら――。
戦のために鍛造された刀が、国宝や神具として扱われ、信仰の対象に成るように。
折れたとてその名を残し、人の記憶に残り続けるように。人は精神的な拠り所を刀剣に求めるものだ。
塵となりゆき、堆積し、他の物質の原料たる金属に変わっていくように。
全てが輪廻して繋がり、存在が変わりながら続いた場合、最後とはいつ来るのだろうか。
最後は誰の目に、誰の手によるものなのだろうか。
願わくば、定命ならざる刀の――人ならざる身を持つ、我らが刀の
宿り我身に、納得のいく最後が訪れんことを。
刀の連れ合いと人の連れ合いを増す中で、彼の最後を見届ける存在が多くあらんことを、願うばかりである。
●刀は奔る
時代が変われば、またどこかで梶本の名を聞くこともあるかもしれぬ。
そして最後に、『供花』以外の梶本の名刀七つは、今はもう梶本から離れているのだとか。
今はもうどこにあるかは定かではないが――。
心正しき人物の、もしくは『刀』の手の中に納まっていることだけは、疑いようのないことだろう。
もしかしたら猟兵の誰かが持っているのかもしれぬが、それをここでわざわざ記すのも野暮というものだ。
梶本の語り草は、これにて――本当の、本当に、幕切れである。
語るべきが語られたなら、語る言葉は少なくて良い。
ありがとう。後は、一切刃に拠ッて。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴