マーファン・チョコリィ
●魅惑の
チョコレート、というのは厄介なものである。
甘く、香り豊かで、一口含めば虜になってしまう。
一つ、また一つ。
そうやって手を伸ばしてしまう。
誰が責められようか、いや誰も責められはしまい。
日頃、功夫を欠かさぬ者であってもチョコレートの甘さは骨抜きにしてしまうし、腰砕けにしてしまうものである。
抗いがたいもの。
故に……というわけではないが厳・範(老當益壮・f32809)に師事する宝貝人形『花雪』は巧克力、即ちチョコレート作りに奮闘しているのだ。
こっそり作って驚かせたい。
異世界で聞くところによると2月14日は、バレンタインデーと言うらしい。
日頃の感謝を、思いを伝える日である、と。
そのように伝え聞いてから『花雪』は、なるほど、と思ったのだ。
自分がどれだけ感謝しているのかをしめすには形にすれば伝わりやすい。言葉は音に乗って確かに伝わる。
けれど、言葉というのは案外伝わりにくいものなのだ。
「お爺さまも、お婆さまも。みんなに私の感謝を伝えたい」
それは毎日伝えていることだ。
どれだけ言葉を尽くしたって伝えきれないものだろう。
だから、チョコレートという形にして伝えるのだ。
そうしたのならば、みんなは己の感謝の心をしっかりと理解してくれるだろう。
ならば、行動あるのみである。
「楽浪郡にゆけば、確か材料が手に入るはず。前に一度見かけた……ような気がします! いざ! ……ってきゃあっ!?」
だが、行きがけにいきなり荷物に躓いて盛大な音を立ててしまう。
何事かと誰か来る前にこの場を離れなければ。
「だ、大丈夫ですよね? バレてないですよね?」
そさくさとなんとも情けない気持ちになる。
いきなり躓いてしまった。
けれど、幸いにして誰かが出てくることはなかった。
朝早くに行動したのがよかったのかもしれない。
『花雪』は楽浪郡の市場でチョコレートの材料を買い込む。
と言っても、原材料であるカカオから、というわけではない。
それはとても大変である。
はっきりいって一朝一夕でできるものではない。
チョコレート作りというのは本当に大変なのである。過酷、と言ってもいい。
なので、『花雪』は湯煎用のチョコレートを買い込んで厨房に立つ。
「なるほど。直接鍋にかけては焦げてしまう、と……湯煎、が適しているのですね!」
なるほどなるほど。
『花雪』は楽浪郡の市場でのやり取りを思い出す。
店先の御婦人が言っていたのだ。
悪いことは言わないから、一からはやめておけ、と。
確かに大変だ。
けれど、湯煎用のチョコレートを溶かして型に注ぐだけではなんともお手軽過ぎる気がする。
そう、自分の感謝の想いは簡単なものではないのだ。
己の思いを形にするのならば、生半可はダメだ。
「型……あ、これをこうして、こう……すれば! 桃の形になりますね!」
工夫しよう。
そう思う心のままに『花雪』は厨房であれこれ作業を進めていく。
「ふふ、みんなびっくりするでしょう」
こっそりチョコレートを用意しただなんて知れたら! とウキウキしてくる。
けれど、悲しいかな。
『花雪』の行動は筒抜けだった。
まず第一に、家を出る時に躓いた音で誰も気が付かない訳がないのだ。
けれど、みんな『花雪』がこっそりでていくのを見て悟られぬようについてきていたのだ。
楽浪郡で買い物をしている時点で察するものもいたけれど。
しかし、気が付かないふりをするのは骨が折れただろう。
なにせチョコレートの甘い香りは厨房に充満し、さらには家中に漂っていたのだから。
けれど、それでも知らぬふりをするのもまた優しさだろうと皆、必死だったのだ――。
成功
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