●水が合う
『无灰』と呼ばれた一匹のグリフォンは風を感じて顔を上げた。
自身がいる店先。
そこに風が吹いた。それは何処かで蝶が羽撃いた故に起こった風であったかもしれないし、誰かが欠伸を発したが故に生まれたものであったかもしれない。
どちらにせよ、今、彼の灰色の羽根が揺れて銅色の瞳が開かれる。
「あーもー、しつこいってば」
「ですが何度も申し上げておる通り……」
自分が居眠りしていた店先の奥で何か声が聴こえる。
人の言葉だ。
理解はできるが、そのニュアンスまではわからない。
雌雄の違いはわかる。
のそりと体を動かす。ただそれだけで雄の方の気配がピリつくのを感じた。
「クエッ!」
一鳴きする。
ただそれだけでいいのだということは、此処数日でわかっていた。雄は何か慌てたように店先へと飛び出していく。
何をそんなに慌てているのかを理解できなかったが、こうすると美味しいものが食べられるということを理解している。ふんす、と息を吐き出すと店の奥から己の知る雌……この場合は『若桐』という名前が正しいだろう。
形容する言葉。
いや、形容する、というのは間違いであることを『无灰』は理解している。
同種である黒と白のグリフォンは、そう訥々と己に説いてくれた。
わかっている。
これはそういうことなのだ。
「どうしたんだい。喉が乾いたのかい? あらら……水桶の中の水がもう空っぽだね。よくまあ、飲むものだ。君は人ならば所謂『ザル』という類になっていたかもしれないねぇ」
何を行っているのかわからないが、呆れたような表情ながらも『若桐』が、裏腹なる感情を抱いていることはわかる。
空になった水桶を彼女は持って笑った。
「まあ、いいタイミングで鳴いてくれたものだよ。助かったよ」
そう言って己の頭を撫でる。
美味しいものがほしいんだけど。
その表情を彼女は理解したのかわからないけれど、彼女は手招きする。店の中に入るのはこういうときだけだとしっかりと教えてもらった。
だから、『无灰』は体を揺らしながら店の中へと進む。
「おいで。甘いものはあんまり食べてはいけないのだろうけれど、少しくらいならばいいだろう」
そうなのだ。
甘いもの。
それはとっても美味しいものだ。時に、己を懐柔しようとする者もいるが、『若桐』がくれるものしか食べてはならない。
何が入っているかわからないからだ。
彼女の掌に乗っているのは、桃色の小さな粒めいたものだった。
なんだろうこれ。
「桃饅頭という。縁起物だともらっていたんだけれどね。お食べ」
桃は美味しい。
でもなんか小さいし、形が違うなと思ったのだが、まあ、美味しいからというのならば食べてみよう。特に考え無しに口に運ぶ。
すると、しっとりとした感触がある。
桃の瑞々しさとは異なる食感だ。面白い。それに甘さが違う気がする。
「ハハ、美味しいかい? よかった。もう少ししたら『阳白』と黒『阴黒』も戻ってくるだろうから、その時まで店番よろしく頼むよ」
そう言われて頷く。
またこれが食べられるのなら、と『无灰』は首を振り続ける。
そんなに、と『若桐』は笑っている。
外に出ると陽気が心地よい。
秋が過ぎて冬に差し掛かろうとしている。陽なたの陽気がちょうどよいのだ。朝晩は冷えるけれど、日中は暖かなものだ。
もうすぐかな。
まだかな。
先輩グリフォンたちが戻ってきたら何をして遊ぼうか。
うとうとする『无灰』は午睡の中で幸せな夢を見る。長く続く日常は、どこに繋がっているのだろう。
そう思いながら、まどろみの中に灰色の毛並みは陽光に沈むのだった――。
成功
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