願いの天灯 ~永遠そばに~
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潮の香り仄か、二人の鼻孔を擽った。
堤防の向こう側、揺らめく波が夕焼けをきらりきらりと反射する。一時として同じ形のない茜色に目を奪われたのはほぼ同時。
杣友・椋(悠久の燈・f19197)とミンリーシャン・ズォートン(戀し花冰・f06716)は、それ程に心の形が似ている。今も手を握り、同じタイミングで視線が絡む。
ミンリーシャンの空色金魚の裾が風を掠める。甘い金木犀に、浅葱の着流しを纏う椋は心地よさげに瞳を眇めた。
「僕いちばーん!」
「待ってよぅ!」
背後から、からころからころと不揃いのメロディが奏でられた。
堤防の上を黒と白に金魚模様が揃いの浴衣で二人の子供が駆け抜けて行く。危ないから待ちなさいと追いかける母親の背を見たら、二人して口元が綻んだ。
「元気だな」
「はやくお祭りに行かなくちゃってなるね」
鄙びたアスファルトを叩き、色とりどりの浴衣を翻す人々が脇を抜けていくのにあわせ、手をつなぎ歩き出す。
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突き当たりの神社までは真っ直ぐな石畳。縁取るように赤と白の祭り提灯が淡い光をてんてんと零す。
一気に人の密度が跳ねあがる。
(「迷子にったらぶっ潰されちゃうのかな」)
ミンリーシャンはそわっと20センチ向こうの彼を伺う。
「……リィ、はぐれたらぶっ潰すからな」
ほらやっぱり。
「うん、だ、だいじょうぶ……」
優しい脅……忠告に、ミンリーシャンは花冰の下駄が足を止めた。瞳は漫画の表現を借りるなら、輪郭がぶれてまんまる。
「潰されないよ」
「……俺より人波に潰されそうだな」
小動物のようにぷるぷる震えるのを抱き寄せて道をあけた。そこを高校生グループが楽しげに過ぎていく。
「大丈夫、今みたいに。椋がいるから」
今度は確信の口ぶりで、背中から戻った手を握りしめた。この手があれば大丈夫。今日も明日もこれからの未来も。
ああ、はぐれるものかと椋は握り返した。指飾る誓いの環が茜と提灯の光で煌めく。
椋の耳が赤いのにミンリーシャンは花唇を綻ばせる。
転ばぬように花冰は涼やかな音をたて一歩二歩。帯で愛らしく転がる鈴を椋がちょんとつつく。
「聞き間違うものか、絶対に見つける」
「うん、うん」
茜から赤紫に変わる空の元、神社までの道をそぞろ進む。
出迎えてくれたのは、誇らしげに提灯をぶらさげる鳥居だ。潜った先の階段をとんとん、と登り、ミンリーシャンは傍らを見上げた。
「椋、今日は御守りを買ったあと天灯を飛ばすんだよね?」
「……ん? ああ、此処には珍しい御守りがあるって聞いて――」
まるで猫の仔のように、水縹の双眸が吸い寄せられるのに気づいた。
「……どうした?」
“水占い”
そう記された看板と彼を見比べて。
「へぇ、こんなのもあるのか」
「水占いって……なぁに?」
ことりと首を傾げる彼女は全く知らないよう。これはいい、きっと驚き大はしゃぎに違いない。
「やってみりゃ分かるよ」
椋は“水占い”の列へと手を引いた。
「“百聞は一見に如かず”だね」
いつも初めてを教えてくれる彼から習った文言を、ミンリーシャンは得意げに口ずさんだ。
「そうそう。俺も実際にするのは初めてだ」
やがて目の前のカップルが脇へと流れ、二人の視界には――。
「おみくじ?」
「まぁそんなもんだな」
視界には、お布施入れの木箱。そして短冊のように木枝に下がる紙が現れた。
「お好きなのをどうぞ」
「はい。えーっと……」
選ぼうにも全て真っ白け。ミンリーシャンはぱちくりと瞳をさせた後で、椋の横顔を見あげる。
「俺は……これにする」
椋は潔く手前の1枚をぷつりと千切った。
「じゃあ私は、これ」
ぷつり、椋の引いた隣の紙を生真面目に引いてみた。その所作が余りに可愛らしくって、椋はぷはっと吹きだす。
「うぅん、やっぱり真っ白……って、なんで笑うのー? 私、なにか間違っちゃった?」
だから真っ白なのかなぁと涙目。
「いや、間違ってない」
巫女が示す水占斎庭へと導いた。
石造りの四角い水場には、二人と同じく白い紙を手にした人々が群がっている。
「すいません、ここいいですか? ……っと、ほら、リィ。段差があるから気をつけて」
「あ、ありがとうございます。うんっしょっと」
譲ってくれた二人連れに頭を下げてから、満ちる御神水を覗き込んだ。
「ここからどうす……わ?! 破れちゃうよ?!」
ちゃぷり。
椋は躊躇いなく白紙を御神水に潜らせる。
「何も書いてない――って思うだろ?」
わたわたと腕を振るミンリーシャンは、某かの文字が浮かぶんだのにますます吃驚。
「わあっ! すごいの、魔法がかかってるー!!」
感動した様子の彼女に、椋は何故だか得意気になってしまう。
「リィもやってみな」
口端を持ちあげる椋の引いたのは『中吉』だ、悪くはない。
(「――良い人はすぐそばにいるって、本当だな」)
むんっと唇を結んだ彼女が水に潜らせるのを目で追い、占いの結果には大満足だ。
「リィは何が出たんだ?」
「わ、大吉! なになに……『全て吉方へ、今の縁は大当たり』だって!」
これは絶対に椋のことだよ、なんて大はしゃぎする彼女を愛おしげに見つめる。
「椋のくじには何が書いてあったの?」
「なーいしょ」
覗き込んでくるのをリーチ差を生かして遠ざける。ちろっと舌を出して軽い意地悪、そんな気分なのだ。
「Σなんで!? 私も椋の見たいのにもおーっ。」
「はは、拗ねんなよ」
ぷーっとお餅のように頬を膨らませるミンリーシャンへチェシャ猫めいた笑いをますます深め、楽しげにふざけあいっこ。転ばぬように、周囲の邪魔とならぬようには弁えて。
「テレビ番組の占いを見るのとはまた違うな。こういう占いも新鮮で良いもんだな」
「みんなもびっくりしてるね。すごいよね、文字が出てくるんだから」
湿った紙をすかしふふっと笑う。
そこかしこで水の魔法に驚く声がさんざめく中、次に見えてきたのはお守りの授与所だ。
家内安全、交通安全、受験に勝つ……そんなオーソドックスなものから、見たことないような物珍しいものまで沢山。絵になるというか、もはや壮観だ。
「さぁて……どこにあるかな」
心に決めたお守りはあるのだが、こうも沢山種類があると探すのも一苦労だ。
真剣にお守りの群れを凝視する椋の隣、ミンリーシャンは銀色のまぁるい鈴に目を留めた。鈴は古来より魔除けとして重宝されているが“神様に呼び掛ける”力も有しているとか。
“水琴鈴”と名札のついたそれを持ちあげて上下にしゃんっと揺すってみた。
――かみさま、かみさま……彼の探し物が見つかりますように。この人は私の大切な人なんです。
「?」
しゃんしゃん……彼女の無垢さと興味津々そのままに鈴が揺すられる。微笑ましくてなんだか力が抜ける。すると目端に、白と深い藍の揃い守りが引っかかった。
見つけた。
満足げに頷いて、記された分のお布施を渡す。
「椋、探してた御守りは見つかった?」
見ているのに気がついて、ミンリーシャンは水琴鈴を手にして彼の元へとからりころり。
近づいたなら、夜色の浴衣から見える白磁のようにつるりとした肌に目がいった。その上にしゃなりとのる藍の髪。同色の角は繊細でため息が出る程に美しい。
男らしい振る舞いに不思議と似合う異界の美、ミンリーシャンの頬が甘酒に酔ったようにふわりと熟れる。
(「……気品漂う所作とか、整った綺麗な顔とか、ああぁ好きッ」)
神域の受領所だけど、そう口にしてしまいたいぐらい。
「――ん?」
一方の椋はミンリーシャンの内心は知らず。風の通るご神木の傍らまで手を引いてから、いつも通りの顔で一対のお守りを掲げた。
「ほら、これだよ」
それぞれ紋付き袴と白無垢を模したお守りを見せてから、椋は紋付き袴の方をミンリーシャンの掌におとす。
「かわいいね。これは……紋付き袴、かな??」
「当たり。夫婦守りだ。俺が持つのはミンリーシャンの白無垢」
掲げた白いお守りを大切そうに手につつんだ。
――夫婦が幾久しく共に在れるよう願う、共に分けて持つお守り。
「ずっとリィと一緒に居たいから――これを探していたんだ」
「……」
ミンリィーシャンは紋付き袴のお守りと椋の顔を行ったり来たり、問いかけるように開いた唇からは、淡く「え」と小鳥の囀りが溢れた。
「これだけは、本当に譲れない願いだから」
「……」
嬉しいって言いたいのに――言葉より先に、ぽろりぽろりと熱い涙がこぼれ落ちてしまう。
ひとりぼっちを、消してくれた。
その寂しいをこれから生涯遠ざけてくれる。いつもそうしようって伝え合ってきたけれど、こんな風に形にして見せられたら感極まって泣いてしまう!
「……泣くなっつの」
ずずっと幼く鼻を啜る背中をそっとさすり、溢れる涙に人差し指を宛がった。
ああ、わかる。
彼女は嬉しくて泣いてくれているのだ。
……椋は泣かない、けれども、嬉しい気持ちは同じだけの熱で胸をじわりと焦した。
「うぅ……」
言葉より先に、躰がぴたりとそばに行きたいと願った。望みの儘にミンリーシャンは、椋の胸へと飛び込む。
「……っ!」
瞳を瞬せた彼の背を追いかけて小さな羽根が小さくぱたり。そうして腕をまわし、渾身の想いでぎゅうと捕まえて抱きしめる。
泣き虫な私の涙を彼に拭って貰うのはこれで何度目だったか――そしてこれからも沢山拭われるんだろうな。だったらその分、ううん、もっともっと抱きしめないと。
「もっと強く」
ああだけど、抱きしめ返してとねだってしまうのだ。壊れてしまっても構わない、ぎゅっとして欲しい。
「……」
切々と細い腕から伝わる想いを受け取って、椋は望みの儘にミンリーシャンの華奢な背中を抱き寄せた。
胸元に頬を押しつけて、涙に濡れた頬を掌で撫で上げる。
強く、強く、互いの想いを伝え合うように抱きしめ合う。
何よりも大切な存在と、同じ思いを重ねることができる――なんて幸せなのだろうか。
……行き交う人々の微笑ましく応援するような眼差しに包まれながら、二人は長く抱きしめあっていた。
●
――夜のまにまに。
先程の賑やかさは遠く、提灯のあかりも消えた。けれど、今居る広場はあたたかくも明るい。皆が抱える“願いの灯”が、そこかしこで煌めいているからだ。
願いの
天灯――たったひとつだけ、なによりも大切な願いを託して天まで届け。
互いに願いを記した所で目が合った。けれど先程のふわふわとした幼気さから、二人とも何処か落ち着いた彩を眼差しに宿している。
「リィも書けたか?」
「うん、書けたよ。天灯どこで飛ばそうか?」
改めて願いを心から濾しあげられたから――。
“椋と永遠に一緒にいられますように”
“リィとずっと一緒に居たい”
ああ、同じだ。
飛びたがるランタンを抱え、反対の手はもちろん二人をつなぎあわせる。
「今世だけでなく来世も、何度生まれ変わっても貴方と巡り逢いたい……」
紙は足りなくて文字に込めた。囁かれたミンリーシャンの願いに、椋は同じだと頷く。
「どんな困難だって二人でなら乗り越えられる。願わくば、来世もその先も君と」
――この姿、この名、この存在が果てたとしても、その先の人生でまた巡り逢おう。
一陣の風が吹き抜ける。まるで狙い澄ましたように。
合図にあわせ、願いが天へと託されていく。
椋とミンリーシャンも、あたため合った願いをのせてランタンから指を離した。
ああ、と、二人だけではない、そこかしこから感嘆のため息が漏れる。
天を埋め尽くす綺羅は荘厳ですらある。見上げる人々の瞳を眩く照らし、それがまたキラキラと輝くのだ。だから、写真でみるよりも遙かに美しい。
「――綺麗だな」
ありきたりな台詞だなと微苦笑を浮かべる椋は、傍らで指を組み祈る愛し人に気づく。
ああ、こんな時に彼女は決まって、この場に集う全ての願いが叶うようにと祈るのだ。
けれど、時に無碍にされてミンリィーシャンの心を鞭打つことが多々ある――だから、絶対に隣にいる。彼女がもう二度と心を苛まぬように、手をつなぎ、支えて寄り添って――。
(「そうだ、返ってこない想いがあける穴なんて、全て俺が埋め尽くす」)
「ぁ……」
うっすらと瞼をあいたミンリーシャンは、花綻びの笑みを浮かべた。
「椋、一緒に鳴らそ」
お揃いの鈴を掲げ、小鳥のように羽根を揺らす。
――かみさまかみさま、このあたたか彩の願い達を、どうか全て聞き届けてください。
そう彼女が囁くのに、椋は返事の代わりに先程求めた揃いの鈴を指にかけ下げた。
「そうだな、一緒だ」
水琴鈴は、二人の手でゆすられる。
しゃん、しゃんしゃん……と、清らかに、まるで嘔のように響く音。誰かの望みが零れぬように、全ての幸いを願う嘔。
もう随分と遠くなった光達を見送って、ミンリーシャンは頭をもたせかける。
「……私、もうすぐ椋と本当の家族になれるんだね」
「――ああ、そうだな」
家族。
生まれ落ちる時から定められた親じゃなく、兄弟でもなく、自分の手で択ぶ唯一の家族。
「掛け替えのない人を択ぶ。俺は、其れがリィで良かった」
あの日、リィが見つけてくれた、声を掛けてくれた……そう囁く声は、嬉しさに濡れた。
そんな未来なんて想像できない程、傍らに君が居る今が愛おしくて、離したくない……言葉の儘に、椋はミンリーシャンを強く抱きしめる。
「……うん」
か細い首肯。あわせてまた涙が落ちかけたけれどグッと堪える。だって今は、とっても幸せなんだから!
――ミンリーシャンは、臆病で泣き虫。飛べない羽根と寂寞を隠し込んで無理に笑っていた。けれど今は翳りのない笑顔で唯一無二の愛する人に躰を預ける。
あなたがずっと一緒と誓ってくれたから、もう笑顔は二度と曇らない!
「椋、貴方は私の幸せだよ」
「――俺だって。リィだけが、俺の幸せ」
くしゃくしゃの笑みは、いつもより幼くて不器用だ。そんな顔を見せてくれるて、ミンリーシャンは誇らしさで胸がいっぱいになる。
「両思いって、こんなにも幸せな事なんだね。私にこの感情を教えてくれて、ありがとう」
「本当に、幸せだ。だから、これからも君と一緒に居たい。君以外の人なんて考えられないし……」
指をつないだままで、片側の掌で淡い穹色の髪を包む。柔らかな手触り、甘い金木犀に耽るように鼻先を沈めた。
「俺以外の誰も君の傍に居て欲しくない」
「……! うん。私は、もう、貴方との未来だけを心に描いてきたの。それはこれからもずっとそうだよ」
願いの綺羅をその身に受けながら、誰よりも近くにと抱擁を繰り返す。
飛べぬ娘はもう迷わずに、真っ直ぐに彼の人の元へ帰り着く。
錆びた心で俯いていた竜の彼の元に、誰よりも優しく愛しい光がもたらされた。
そんな二人は、いつだって互いの心を護り抜くと、今一度此処で誓いを捧げるのであった――。
成功
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