冷光霽月の調べに、耳を傾けて
扱う武器は好き嫌いで定めるべからず。
自らの本領と、相手によって使い定めるべし。
そのようにとはかの有名な二刀遣いの剣豪が印した言葉。
ひとつに強さを定めるものではない。
それは弱さもまた定めることなのかもしれない。
ならばと呼吸を落ち着けながら、夜刀神・鏡介(道を探す者・f28122)は目の前の一振りにと視線を向けた。
――
大刀【
冷光霽月】
世界を蝕む毒を払い、闇を断つ光あれと祈りを込めて鍛えられたその姿は、誰が見ても息を呑む業物である。
冷ややかにと冴え渡る刀身は、艶やかなる月灯りを帯びるが如し。
全長2メートルを超える大太刀が故にか放つ雰囲気もまた厳か。
銘の通り、曇ることなき冷艶さと破山の威を秘めているのだ。
いっそ神事が為に造られ、祀られているかのような一振り。
使いこなせば鎧ごと斬り伏せる刃となろう。
そも、余りに巨大な災厄を斬る為にこの大太刀はあるのだ。
が、それは使いこなせればの話であり、武芸で扱う武器とは容易にその術理を習得できるものではない。
一刀流が容易く二刀には馴染めぬように。
打刀を持ちいるものが、槍の間合いと視線を知れぬように。
逆に流れる刀の流麗さを、長柄は持ち得はしない。
同じく鉄の刃を持ちいるものなれど、その強さとは異なるもの。
武器を持ち変えれば容易くその強さを得られるものではないのだ。一に修練、二に修練、続いて何処までも修練。
型の反復稽古とは、古き技の秘奥を身に染みこませるものでもあるのだから、扱う武具の長さや重さ、材質まで統一させることとてある。
武器をまるで違うものと変えること。
端的にいって困難である。
だが、だからといって諦める理由にはなりはしない。
「ふー……」
張り詰めた息を零しながら、夜刀神は冷光霽月へと手を伸ばす。
握り、構えれば腕に掛かるのはずしりとした重さ。冷光霽月は丈だけでも普段扱う鉄刀や神刀の二倍の長さはあるが、重さは恐らくその数倍。
振るえば長さ故の遠心力もまたかなり掛かるだろう。
この大太刀を持って、自ら今まで鍛錬し続けた剣術が使えるようには到底思えない。
それでも夜刀神にはこの冷光霽月にて出す技が、振るうべき太刀筋が見え始めていた。
「……しっ!!」
裂帛の気合いと共に振るうは颶風の剣閃。
身ごと振るう大太刀は、初速こそは打刀に負けても最高速度ではむしろ超えているだろう。
切っ先が音の壁を幾枚と斬り捨てる感触。
だが、此処で止まらぬと夜刀神は腕と身を廻す。
更にと曇りなき刀身が描くは刃による幻月。
踊るようにと奔る烈刃は地上に降りた冷たき月を幾重にも描き、周囲に剣風を渦巻かせる。
嵐の様相ではあるが、同時に何処までも精妙なる剣の舞いだ。
重い、長い、故に遅い――などとはならない。
その武器の長所を理解したが故の、威烈の破剣が此処にある。
間合いを用いて先んじて斬る。
鋼の重さ故に、受けられてなお砕き斬る。
更には打刀では本来届かぬ膝下、脛にも斬り付けるという、剣士だからこそ回避困難な太刀筋も含まれていた。
その上で疾い。留まらない。
終わりこそは制御が効かず、ぐるりと切っ先が暴れて渦巻くような隙あれど、見事な乱舞だった。
「……ふー」
ようやくと息を付く夜刀神。
振るい続ける最中は呼吸も出来なければ、鍛え上げ続ける肉体にも相応の負荷がかかる。
僅かな間で肌に滲む汗は、ただ大太刀に不慣れというだけではないのだ。
「こんな、ものかな。基本は」
何時もは夜刀神の穏やかな黒い眸は、今ばかりは闘志に燃えている。
剣に生きるが故の性分。武の術と理を突き詰めようとする、果て無き願いでもあった。
「ただ、大太刀の大まかなのは、先ほどの乱撃を基礎としての三つだな」
夜刀神は呟く通り、打刀とは扱いが違う三つの戦型を見出している。
それを確かめるようにと長い柄を掴む指を、手を滑らせる。
握りは打刀でも精妙さを司るものではあるが、大太刀では更に扱いが異なる。長い刀身に合わせたこれもまた長い柄は、いわば梃子の原理で大太刀を振るう為のものだ。
故に、その一つ目の戦型として夜刀神は柄を長く握り、担ぐようにと上段に構える。
流石にこの重量、捧げるように持つには出来ない。
故に起こりは読みやすく、初速は更に劣る。
が、大太刀ならばと最もイメージしやすい威力重視の一閃が放てるのだ。
無論、それだけには留まらない。
「は――!!」
夜刀神が繰り出すは電光石火の一刀。
起こりの読みがし易いから何だ。
その見切りを越える程の刀身と最高速。
受ける事など赦さぬという落雷めいた剛剣は、斬鉄剣と云う言葉も浮かぶ。鎧であれ、盾であれ、或いは竜鱗や強固な外殻とてこれを受けて無事でいる者はいまい。
が、これは夜刀神がただ放ったのではない。
その心の眼で俊足を以て踏み込む者の呼吸に合わせ、
後の先で放ったものである。
歩法であれ、騎馬であれ、自ら高速で走る者は守りが疎かとなるもの。
そこに大太刀の間合いを活かして、相手の意と機会を呼んで放つ一閃はただそれだけで雌雄を決するだろう。
外せば負ける。
越えれば負ける。
が、その反対として起こりと剣速を研ぎ澄ませば、一刀で勝敗を決す雷神の剣へと成り得るのだ。
相手の挙動の始まりを見切り、敵の速度に合わせて最速の一閃を繰り出す。
それこそ武神と名高き鹿島の神は建御雷。
まさしく、剣神の技とも言えるだろう。
雲耀の太刀こそが至高という刀術において、間違いなく正道の技であった。
「そして」
夜刀神の剣弧を描いた大太刀の切っ先は地面を向いたまま。
けれど、これらを燕の如く翻せして返せば、確かに秘剣そのものだ。
残念ながらそれは今の夜刀神では再現出来ない事だが、
異能も絡めば更に幅は広がるだろう。
自ら打ち懸かるだけではなく、相手を誘っての技は打刀の術理にも似る所がある。
が、一方で苛烈に、熾烈にと自ら斬り懸かる事が出来るのも大太刀の利点か。
「……確かに、大太刀相手なら振り切るより先に間合いを詰めようと思うだろう」
少なくとも槍ならばその懐に入る。
長柄や大型武器相手への常套手段であり、ならばと扱う側もその対処に熟知して鍛錬しているのだ。
「そこを誘うか。或いは、誘いと迷った所を断つか」
同じ構えと技ながら、その攻め型は二つに分かれる。
先の先か、後の先か。
どちらも大太刀を執る側が握れよう。
果敢なる刃は、恐れを棄てる勇猛さは攻守において活きるのだ。
それらを理解して、体現してみた所で夜刀神は更に柄を握る手を滑らせる。
柄を梃子の原理で扱う事で大太刀の重さを軽減し、むしろ勢い付かせるのが握りの基本としながら、他もあるのだと夜刀神は感じるのだ。
「そして、こう……か?」
するりと流れる大太刀の刀身。
受けるようにした直後、くるりと巡る様は優雅ささえ憶えるだろう。
が、これは先の通りに梃子の原理。
敵の攻撃を刀身で受けた後の、返しの技である。
絡み技であり、守りながらの崩し技である。
簡単に言えば自らの腕を力点、支点とし、相手の武器を受け止めた場所を作用点とする。
そうすれば攻撃の受け止められた相手には、まったくの予備動作なしで恐ろしい程の力が加わる。そこに刀身の捻りも加えればどうなるか。
鍔競る中でそんなものを受ければ思わず姿勢を崩すだろう。
敵手の斬撃に対して弾くように扱えば、それこそ相手を投げるようにとて使える。
打刀でも似たような技はあれど、柄が長いぶんだけ大太刀ではそれが更に強く働くのだ。完全な見切りは必要であれ、攻め懸かって来た相手を弾き飛ばして崩すには十分。
「けれど、俺にはやはりこれが性分かな」
その前振りの通りに夜刀神の大太刀、冷光霽月が迅風の如く斬円を描く。
先の通り、刀身の長さを活かした斬撃のリーチに、梃子の原理を得ての巡る遠心力の加速。
自らは重さを棄てたかのような疾風の太刀筋に、峻烈なる威が重なる。
僅か四つの剣閃。が、瞬きより速く放たれたそれらは、どれも乱という言葉が似合わぬ程に精妙。
いっそ風雅さ感じるのは、冷たくも清澄なる刃金が弾く光のせいか。
まるで雪風が舞い、月光が零れる。
――雪月花と、その言葉が知らずに心に流れるほどに美しい。
世界の全ては移りゆく儚きもの。
夜刀神の繰り出す刃に触れる総べて、世より散りゆく定めと詠う。
ほんの一瞬。
されど凄まじき剣気が走り抜けた後に残るは、なんとも静けさ。
夜刀神より、重い吐息が零れる。
そして表情に浮かぶのは、闘争心と挑戦心を燻らせる苦い笑み。
「これを何の迷いもなく、更に速く放てればいいのだけれどな」
一瞬で四閃、それも鋼を断つ威を込めて。
その為には相応の構えと呼吸の練りが必要で、更には後の隙というのも大きい。
必殺剣――出せば必ず殺す剣と云えば聞こえは良いだろう。
事実、それだけの意思と決意を込めて、それこそ剣にて歌い上げる宣言だ。
が、出して殺しきれなければ後はないという意味でもある。
「そういうのは、ちょっとな」
この辺りはやはり、流麗にして隙のない打刀を扱う夜刀神だろう。
そのような隙とリスクのあるものには苦手意識があるのか、四連剣を出し切った後の身の硬直を思い出して恥じるように頬を歪めた。
夜刀神も大太刀を振るう感覚こそは掴めたが、では実戦に持ち込めるかといえば否だろう。
打刀の技をそのまま使うのはリスキー過ぎる。ある程度の大太刀への調整か、この冷光霽月の性質をもっと理解する必要があるだろう。
もしくは冷光霽月での新しい専用の技と術理を編み出すのか。
「今後の課題ではあるけれど、それが簡単にできるなら……剣はこれほど奥深くはないだろうね」
それこそ天の峰を越えるほどの高さが剣にはある。
全てを簡単に理解し、剣聖と歌われるほどの存在になるなど困難。
いいや、だからこそ追い求めて、焦がれるのだと、夜刀神は小さく笑った。
「少しの試しで、少しの戯れで。戦いで使えるほどの才能があるなら、悩み事はもっと減っているだろうね」
そして。
それは剣のみあらず。
「そんな才が世にあるなら、世の中はなんて――綺麗で浅い、淡泊な川の流れなのだろう」
困難なる今を斬り拓き、理想へと至ろうとする。
それこそが剣たる者の道で宿命なのだろうと、夜刀神は瞼を閉じた。
腕にある冷光霽月の重さが、振るう前より少しだけ心地良い。
錯覚などではなく、ほんの僅かにその刃と強さに近づけたからだと信じながら、夜刀神はもう一度だけその刃を振るった。
冷光霽月の奏でる刃の音色に耳を傾けて――冷艶なる刀身を自在に操る姿を夢想する。
必ずや叶えて至るのだと誓いながら。
成功
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