その問には未だ正解がない
●ある猟兵のこと
雨野雲珠には■がある。
●今日のおはなし
さて、どこから話をしたものだろう。
始まりはそう、いつもの三人組がアルダワでいつものようになんてことない依頼を終えたところ。三人組とはすなわち、かみさまこと朱酉逢真、その信徒の猫好き剣士の深山鴇と、同じく信徒である桜の精、雨野雲珠である。
仕事も終えてもう帰るだけ、という気持ちでそこいらにいた三人へ「
猟兵さん!」という、どこか切羽詰まった声がかかったならば、振り返らない者は彼らの中にはいなかった。
振り返れば、ああ、言い忘れていたけれどここは猫の国であったから、当然そこにいたのはケット・シーだった。二足で歩く猫の姿をした妖精だ。
「どうしたんですか?」
優しい桜の子がそうして膝を折って聞き返した。
猫妖精が言うには、蓄えていた薬草が切れてしまいそうで困っているのだそう。しかし薬草はケット・シーでは決してたどり着けない場所にあり、冒険者の誰かにでも依頼出来ないか悩んでいた、という。
「決してたどり着けない……そんなに危険な土地なんですか?」
訊いてみると、
メンター大草原を超えて、
ポリガマ山を登り、ジョオウイカが棲む
セピア湖を超えた先の花畑にあるのだそうで。
「なるほど……?」
鴇は絶妙に神妙な顔をして。
「そりゃ無理だわ」
逢真もこのように頷いた。
「ふむふむ」
雲珠もまたゆっくりこの話を頭の中で噛み砕いて、
(薄荷に……マタタビに……イカ……)
この話の困難さを理解した。
「ああ!なるほど、お猫さ……ケット・シーさんたちには毒ですね」
中毒を起こす、酔っ払う、腰を抜かす……等、諸説あるものの、猫には良くないとされるものばかり。それらを乗り越えた先の花畑でしか取れない薬草は『試練の薬草』とまで呼ばれ、凡そ普通のケット・シーではその道のりを超えられないのだとか。猟兵ですら、その道のりをショートカットすることは出来ないらしい。さすがは蒸気と魔法の世界アルダワ。便利な
UCも今回は使えないということだ。
……ところで。
「あの、イカって……」
イカとは淡水の湖に棲息するものだったのか? という雲珠の素朴な疑問はしかし、
「雲珠君、空飛ぶ海老や鮫や鮪がいるくらいなんだ、イカなんて珍しくもない、そうだろう?」
そう云う鴇の猟兵あるある話と
「坊、シッ。ここは地球じゃねェんだ、ドラゴンがいる世界なンだ。湖にイカくらい居るさ」
逢真の真顔の説得に消し飛んだとさ。
●さっそく出発
さて、ショートカット禁止、徒歩で進むしかないというこの事態……えっ、そもそもこの依頼を受けるかどうかの話はどうしたかって? ではさっきの依頼を聞いた直後の話を少しだけ。
まず雲珠が逢真を振り返り、『坊の頼み、つまり"いのち"の頼みだ。いいよォ』そして鴇を振り返り、『猫の……ケットシーの頼みを断るだなんて、ねぇ?』
……こうだ。鴇に至っては話を聞くより以前から、断るつもりはこれっぽっちもなかったみたい。
かくして、猫にとってなら壮大な試練の、猟兵たちにとってはちょっと勝手が違うだけの楽しい旅が始まったわけだ。
「たまにはこういう冒険もいいものさ、皆で行こうじゃないか」
じゃあ俺は侍剣士っぽい格好にしようか、そんなことを言って鴇は笑った。
逢真は大きな黒猫の背に乗ってのんびりと。急ぐ旅路でもない。
喉に良さそうな平原の、道すがらでミントを摘んで。酔っ払った虎が襲ってくる山ではちょっと虎に寝ててもらい、マタタビもお土産にちょっとずつ。湖で立ち塞がったでっかいイカは、鴇がバッサリと足を斬り落とした。
そうこうするうち、日も傾いて。
●焚き火を囲んで
「おや、日が暮れるね。ここらで野営と行くかい?」
誰からともなく言い出して。泊まるには七之宮があるからいいけれど、せっかく普段とはちょっと違う冒険の夜だ。食材囲んで焚き火といこう。そんなふうに話が転がったのだ。
鴇が小刀でささっと活造りなぞ拵えたり、雲珠が七之宮から持ってきた味噌玉で簡単お味噌汁。飯盒でご飯も炊いて、焚き火の周りはすっかりごちそうだらけの様相。
「お疲れサンさ、おふたりサン」
イカ焼けてるよ、と逢真がわらう。
もちろんその焼けてるイカを捌いたのは鴇で、お刺し身用とイカ串用にと取り分けたのは雲珠だった。雲珠は用意のいいことにちゃっかりお醤油も持ってきていて、「至れり尽くせりだね」と鴇も笑った。
「うん、お陰様で御影は元気だよ、先日もよく伸びてた」
「ソイツぁ何より」
「猫は液体……!」
ぱちぱちと、ときおり薪の爆ぜる音がして。よく伸びる猫の話、すまほで見せてもらった写真。駄菓子屋だが煙草屋だかいよいよ分からなくなっている店の品揃え。
各々好きずきに話して、何となくこの夜の過ごし方が気に入ってきたような頃。
「……お二人とも、ありがとうございます」
そんな中、そっと、雲珠はそんなふうに言い出した。
「困ってる方のお役に立てる上に、今回はおかげさまで道中不安もなくて……」
一人旅だと、どうしても危ないことも多いから。そう付け加えた。雲珠ひとりで巨大なイカと対峙するのは難しいし、虎を相手取りながらマタタビは集められなかっただろう。もしかしたら、最初にケット・シーさんに声をかけられた時点ですぐにうんとは頷けなかったかもしれない。
だから、こうしてお二人のちからを借りることができて助かった、と。
「俺、医療の及ばない地域を、こうやってまわりたいなって思ってて……」
ずっと前から思っていたこと。往診でも手の届くのは、ごく身近な範囲だけだ。そういうのではなく、もっともっと広い範囲の、街から離れた遠くの村とか里とか、そういう場所に。
今箱宮が枝絡みで繭のようにガッチリと固定されているのも、元々はそういう遠出のときの仮宿として使えないかと試行錯誤した結果に編み出したものだ。
「福祉の手が届かないひとたちの一助になれたらって……ほら、帰りは【旅支度】があれば帰ってこれるでしょう?」
行きのことだけ考えればいいなら、行動範囲はぐんと広がるはずだ。
「ああ、なるほどね」
鴇が頷いた。今回はショートカット禁止とのことで封印されているが、雲珠にもワープのようなことが出来る
UCはある。多少の条件はあるが、帰りにだけ使うつもりであるならとても便利なものになるはずだ。
そうなったら、今よりもっともっとたくさんの人の手を取れる。そうして、そうして、たくさん働いたらば、先生が安らげるおっきな神社も建てたいし。
「ふふ、その時はかみさまの摂社も建てますからね!」
ぬしさまにはちゃんとお断りした上で、ええ、約束通り敷地内にどーんとですよ!
逢真の信徒としても張り切りしきりの桜に、当の
逢真はくつりと低い笑いを返した。
「なァ坊、そンなにオシゴトが好きならウチに来たらどうだい」
「えっ……はい?」
ぱちくりと雲珠が瞬いた。意味が分からなかったというより、話が急であったように感じたのかもしれない。
「死後に俺の眷属になれば、彼岸でずゥっと働けるぜ。似たことやってる先輩もいるしなァ」
そんなに働くのが好きなら、死後もずっと働かせてやる、と。嫌味でもなんでもなく、ただそういう働き者の信徒が眼の前にいるからそう誘ったのだが。
「ふはっ」
喉に引っかかった煙草の煙を吐くように笑ったのは鴇だった。逢真はこちらにも改めて声をかける。
「旦那もどうよ、歓迎するぜ。神話だ伝説だのヤツらも多いでなァ、揉め事には事欠かねェ」
鴇の才覚をよくよく認めている逢真だから、こんな売り文句も出てくる。
「腕っぷし強いヒトはいくらでも欲しいのさ。意思が強けりゃ尚のことイイ」
強い眷属は随時募集中というわけ。
「どォだね、ふたりとも。なァに、死ぬまでに決めてくれりゃアいいさ」
「そいつは光栄な話だね」
前向きに検討させてもらうよ。期限が死ぬまでと言うならなおさら、ゆっくり検討してみるのは悪くないと思えたようで、鴇は本当に前向きに逢真の提案を受け取った。
●雨野雲珠には□がある
一方の、雲珠の応えはこうだった。
「えっ? いえ、お仕事が好きというか。うーん、まあ好きですが」
働き者ものだと言われたら、そうだろう。否定する材料はない。お仕事があるなら働いて、そうして誰かの役に立てたりするのは嬉しい。
「……でも、俺はぬしさまの桜ですから」
ぬしさまに捧げられた桜の身で、死後とはいえ勝手によその神様の眷属になる、というのはちょっと。
そんなふうに(あまりにいつもの通りに、一辺倒に)軽い言葉で断わってしまってから。
「ええと、」
ちょっとだけ目を伏せた。大事な方からのご厚意を、他の大事な方を言い訳に断るというのは、(どちらも大事な方で、こちらがもっと大事だから、とかそういうのではもちろんないのだから)どうにもまったく誠実ではない気がしてしまって。
それだけれど、上手く言葉にはできなかった。
(俺には、やるべきことがあって)
雨野雲珠が存在する限り、そうしなければいけない。
(お傍にいたいと思う大切な方がいて)
大切にしたくて、離れたくなくて、どうしようもない。
(頑張りたいけど、生きてるうちに成し遂げられるかどうか……)
雲珠としての
寿命がどれほど長いものかは分からない。でも、もしもそれが尽きたのちも未だ成し遂げられなかったら? やるべきことを、大切なものを残して、死んでしまうのだとしたら……?
『死後』について、もっとちゃんと考えないといけないのかもしれない、と雲珠は思う。
「とはいえ、うーん……」
うーん、うーん、と唸って考える雲珠を、鴇はふうわりとした笑みのまま眺めていた。見守っていたというほうがそうかもしれない。
●今のこたえ
「かみさま。ありがとうございます」
やがてうんと意を決した様子で、やっとのこと雲珠は逢真へと顔を上げた。
「あの……いつかもう一度訊いてくださいますか?」
今はまだ、『はい』とも『いいえ』とも答えられない。それが結論だった。だから、またいつか同じように。いつか──それこそ、俺がうっかり折れた時にでも。
「うん? ああ、いいとも」
ごくあっさりと逢真は答える。
「俺にとって、時間はあまり関係ないからな。……いくらでも待つさ」
さっきも言った通り、それこそ死ぬまで待っても別に構わないわけだし。
「……はい。ありがとうございます」
──雲珠は。
かみさまのお誘いは確かに嬉しかったのだ。認められている、必要とされているという気がして。
けれど、誘われたからとホイホイ宗旨変えしていい立場に彼はない。
──
今の雲珠は。
かつてのように、やるべきことを終わらせることばかり考えてはいない。大切なひとがいて、大切にされている自分がいることも、存分に分かっている。
だからこそ、ちゃんと。
そのひとたちと向き合って、今度こそ生きていかねばならないのだと、おもう。
箱宮を守る枝絡みが、あかあかと焚き火に照らされていた。
成功
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