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りんっと、風鈴が靡く。その音だけが涼やかで、窓から吹き込む風は生暖かい。
リビングの灯りはやや薄暗いが、住民の片羽・サラ(星空蝶々・f29603)も夕鶴・朔夜(嘘の箱庭・f34017)も慣れっこだ。
むしろ
沙羅は自分の肌を気遣って控えてくれている。彼女自身が放つキラキラとした星光は心地よいのに、蛍光灯は刺すようで朔夜は苦手だ。
「沙羅、食後のデザートとしゃれ込もうじゃないか」
手品師のように勿体つけて取り払ったレースのクロスの元に現れたるはシュークリーム様ご一行様!
「手作りだよー」
そう聞いたとたん、サラの眉が疑わしさに顰められる。
「変なもの入れてない?」
「ふふ、ロシアンシュークリームだけど何か?」
「もー! 普通に美味しいの作ってよ!」
「ホイップクリームからカスタードクリーム、桃、パイナップル。外れは激辛ワサビね」
「5分の1……」
意を決してひとつを手に取り、ぱくっ!
「~~~!!」
声にならない悲鳴の後で、こてんと後ろにひっくり返り手足をじたじた。そんなダンゴムシめいたアクションに、朔夜はぷはっと吹き出した。
「………なんで美味しいの多いのにわざわざハズレを引くのかなあ。ダイレクトに行ったよね」
「知らないもん!!」
もぎゅうと噛みしめる度にワサビの辛みが脳天を突き抜ける。
「安心して、UC乗せてないよ」
「乗せててたまるか! 朔夜さんの意地悪!」
涙目で一気に残り半分を飲み込んで、お皿に残るあまーいのへと手を伸ばす。
「あ、パイナップルだー♪おいしー♪」
小花が散るような笑顔ではむはむと頬張る様子に、朔夜は紅茶を啜り満足げだ。
人の手による創造物の筈なのに、このヴァーチャル少女はとても自然な感情反応を見せる。
嘗て
開発者と共に研究に取り組んだ日々はもはや遠い昔の話なのだが、なんだかとても感慨深い。
――片羽サラは、サラが組織に来てから自分でつけた名前だ。名があれば己を認識するように、以降のサラは著しい速度で『自我』を強くしていった。
元々あった家の名前、サラは漢字で沙羅と書く。朔夜は未だ「沙羅」と呼ぶ。
(「彼女が今の沙羅を見たら、なんて言うだろうなぁ」)
朔夜の脳裏には、薄い色の肌に素っ気ない眼鏡をかけた女性の姿が浮かぶ。ポケットに手を入れて視線だけで見返してくるその表情は窺えない。
――だって、もう彼女は彼岸の人だから。
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最初はハズレを引き当てた自分をからかういつもの朔夜に見えていた。けれどなんだろう、今はちょっと違う。赤い瞳は此処じゃない何処かを見ているようだ。
むぅと齧歯類のように口を窄めて、それでもサラはシュークリームを頬張るのを止めない。
サラは出逢った頃の名残で「サクヤさん」と呼ぶが、本来は『朔夜』と書くらしい。それは今はサラと名乗る自分を元々の『沙羅』と呼ぶのと似ている。
「……?」
遠くを見ていた双眸がいつの間にか自分に向いていたのにサラは首をこてりと傾げる。
「沙羅、前に比べて大分人間らしくなったよね」
「ええ、お陰様で」
「誇らしい限りだ」
褒めたのにサラの眉がぐぐっと寄る。
「というかモルモットじゃないし。普通の人間だし」
「そうだね、ごめんごめん」
「許さないー」
ふんっとちょっと大げさにそっぽを向いて見せた。けれどもう怒ってないもんと露わ。人ならではの『矛盾』の再現に、朔夜はよしよしと満足げだ。
「別に僕も彼女もマウス実験をしていた訳ではないんだよ」
「それはわかってるけど」
頬杖をついて星宿る双眸を見つめ返し、朔夜は話を続ける。
「開発者の彼女は不治の病に侵されていたんだ。だから、余命3年の間に自分の生きた形を何かに残そうとした」
「!」
はたっ! と、サラの睫が瞬いたが慌てて平静を装う。
朔夜から開発者の話が飛び出してくるのは稀で、その気まぐれを「やーめたっ」と翻されないように……サラの考えはそんな所だろう。
ふっと口元を崩したならば、お見通し感が気に障ったか、サラは瞳をじとりとさせる。
「聞き逃すものかー!! 逃がさんぞー」
「それ、言っちゃうんだ……くくく」
堪らずに笑みを零し最後のひとつに指を伸ばしたら、サラに横からぶんどられた。
もぐもぐと口を動かしながらも、お星様の瞳は「続き続き」とねだる。
「開発者の彼女はね、所謂創作と言われる、物語を作り出すのが好きな人だったよ」
「……うん、でも意地悪な話だった」
与えられたのは、とてもとても窮屈な家庭環境であった。
「だから沙羅はあの家を飛び出したんだろう?」
「そりゃそうだよー! あのままいたら絶対に無理矢理おじさんと結婚させられてたし!」
恋愛したーい! そんなサラは今、己が夢見た通りに恋に身を焦している。
「そういう立場もあるんだって、知ることも出来ただろう?」
「それは、そうかもだけどー……」
確かに、異世界の友人が語る身分差の話も親身になって聞ける。
「|彼女は、物語に起伏を求めたからね」
「サクヤさんの趣味じゃないの?」
疑わしい目つきには、ふふっと笑うだけ。もうっと膨れつつも、机につっぷしたサラは上目で先を促す。
「そうやって、自分の創作を電子の中に残そうとしたんだ」
朔夜の眼差しは珍しく優しさが露わだ。注がれたサラは胸元に手を宛がい瞳を伏せる。
「僕は残されているひとりなんだよ、ね?」
群像劇を彩る一人、サラにはその自覚がある。
「そう。彼女は願ったんだ『彼らに命を吹き込んでずっと生きていてほしい』と。僕はその願いを叶えたくなったんだよね」
自分の命の刻限が近づく中で切な願いを抱く彼女に
朔夜は甚く惹かれた。
「気紛れだよ、退屈しのぎだよ。でも、共犯者してるのは楽しかった。やがて彼女の命が尽きて、その活動は終わったよ」
ああやっぱり“優しさ”を隠す人だなぁとサラは思う。だからそこはつつかずに知りたい問いかけを口ずさんだ。
「お母さんとは長い付き合いだったの?」
「彼女とは2年半くらい一緒だったかな。余命宣告が3年だったからね」
「そっか……2年半」
思ったより短いなと思う。もうサラは既にそれ以上に“稼働”している。3年なんてあっという間だった。
「ねえねえ、サクヤさんとお母さんは……」
恋愛体質の義妹が意味深げに身を乗り出すのに、朔夜は手を振って払う。
「ないない。一緒に生み出す共犯者、それ以上でもそれ以下でもないよ。友達と呼べるかも微妙なラインだ」
「本当にー?」
疑いの問いかけを紡ぎながら、これは本当のことだろうなぁとサラは嗅ぎ分けている。
「でも……願いは叶えられたのかなと思うよ」
沙羅という存在が鮮やかに
生きだした、その切っ掛けぐらいにはなれた自負はある。
電脳の箱庭の中で、厳格な家を飛び出してきた沙羅を受け入れた組織。サクヤの役回りはその中の兄貴分。
沙羅は、相棒や黒姫をはじめ様々な縁を得て、ぶち当たる事件に悩み向き合って成長してきた。
「君のおかげで僕に妹分は出来てるみたいだ」
「中々逢いに来てくれなかったけどね」
寂しかったんだからと膨れる。現実世界に顕現した時のサラは寂しくて箱庭での“家族”を求めていた。
「僕が居ないからこそ見える景色は沢山あっただろう?」
「そうだけどー」
そもそも開発者とグルだって話も外に出て来てから明かされた。それまでは群像劇の登場人物の1人だと信じていた。
「……うん! お話ありがと」
でも今言いたいのは文句よりお礼だ。
会うことなくこの世を去った母である開発者を浮かべる。サラを熱心に作ってくれた。具現化の糧は、間違いなくお母さんの残したいって情熱だ。
(「もうちょっと過去の設定を優しくしてくれても良かったのになー」)
それでも一度は話しかった、お母さん。
感慨に耽る義妹を前にサクヤはキッチンへ。
洗い終えた皿を立てかけて、朔夜は微苦笑を浮かべる。水に濡れた白い皿に映る自分は生きてきた長さには大凡相応しくない若々しさだ。
開発者の彼女がこの世を去ったように、人間はいずれ離れていくものだ。沙羅も人としてのリアリティを得る度に、不滅の存在から遠ざかっていく――そう、沙羅とて、長く傍にいてくれるかも分からない、のに。
(「ちょっと沙羅に感情移入しすぎかもな」)
朔夜は気づいている。
未だ自分は過去に住んでいた屋敷から、家族の思い出に囚われたまま。前を向けていないのかもしれないと。癪だけど
「ねー、サクヤさん。おかわりー」
「シュークリームはあれで最後だよ」
「えー、おかわりないのー」
甘えるように膨れるほっぺの妹に、朔夜は喉を鳴らす。そうして冷蔵庫を指さした。
「そろそろミルクゼリーが固まってるかもね」
「やった! サクヤさんって意地悪だけど、なんだかんだで……」
優しいなんて言ったら「そんなことない」って隠すだろう。情があるところが好きなんて言ったら無理して削ってそうする筈――だから、沙羅はそこで一旦言葉を句切ると、ガラス容器を手にくるりんと振り返った。
「ずっと僕は妹だからね」
――おや、なんて不意打ちをするんだ、この子は。
いつも思慮深げにしている朔夜は一瞬だけどまんまるに目を見開く。
「抜かりなくゼリーを用意しておいたからかい?」
「それもあるー」
一緒に食べよって笑ってトレイに2つ目のゼリーを置いた。沙羅とはそういう子だ、楽しいは親しい人と分かち合いたい。そうして相手の心を弾ませる、暗い気持ちをぽいっととっぱらってくれるのだ。
“ねぇ、魔法使いさん。あなたが居たから私は願いを叶えられた。その恩返しは出来ているかしら?”
振り返った
彼女は控えめに微笑んでいた。全く似ていな顔立ちなのに、何処か沙羅に似た顔で。
(「ああ充分にね」)
悔いのない人生だったと口ずさむ彼女に心の中で手を振って、朔夜は沙羅と共にゼリーを頬張った。
ああ、確り甘い。
成功
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