花のように色はなくとも
真白き雪は、花のように色を持たないけれど。
きっと結ぶ縁はある。
去年と来年。その境を結ぶのは降り積もる雪なのだから。
誰かと誰かをまた結ぶのも、その雪色なのかもしれない。
花のように香ることさえないのだけれども。
静かに語られる言葉は、静寂と心の裡に響き渡る。
「左様で」
物静かに呟くのは月白・雪音(月輪氷華・f29413)。
雪と見紛うような一切の色なき白の長髪。
着物もまた白を主とした彩りで、雅びさとともに静けさを纏うかのよう。
何処であっても目を引くような姿、いいや色彩だった。
だからこそ、黒い黒い夜の裡に互いを見つけられたのだろう。
「ええ。まだ、この場に留まろうと思うような場は見つけられずにおります」
雪音にそう語りかけるのは、同じく白髪が特徴的な少女だ。
名を夕凪。ある事件で妖刀を取り、支配され、そして雪音に助けられた、今は『さいわい』なるを探すもの。
「世はそれぞれに美しい。ならば、それぞれに『さいわい』はありますので……ひとつに留まるのは、惜しいかと」
くすりと笑いかける表情は年頃の少女のそれ。
多少の聡さが鋭さや優雅さを見せても、楽しげに微笑み語らう姿は産まれて、生きてきた年月の分しかない。
ならばそれでよいのだ。
無理に背伸びせずとも、今を生きる心ならばと。
「それはよい考えかと存じます」
雪音はこくりと頷き、 丁寧にと両手で持った湯飲みへとふぅ、吐息を吹きかける。
表情のひとひとら、変わる事のない雪音。
それが頬を動かし、目を細めてと情動の動かし方を知らぬ雪音の常。
声色も鈴が鳴るかのようにであり、思いというものが感じられない。
だが、次なる嬉しさを探すように。或いは、弾む心を表すようにと忙しくなく動くのは、この出会いを喜んでいるからだろう。
雪音と夕凪の色の無い、白を宿す髪。
眸の色こそ違えれど、それはサムライエンパイアではあまりにも珍しい色だった。
平穏と『さいわい』を願いつつも、身に有りて燻るは獣の衝動と妖刃の呪い。
はて、自分たちはどうして似ているのだろうか。
或いは、何処まで似ているのだろうかと雪音の赤い双眸が夕凪の青い瞳を見つめる。
夕焼けと宵のように、それだけは相反する色を。
「どうなされました、雪音さん」
「いいえ。……強いていえば、外は祭事なのですね」
ああ、と夜の向こう。暗闇の中に灯された橙の灯りを見つめる夕凪。
年の暮れにはそういうものが多い。一年に連なる災い、厄を祓い清めて、次なる年をと願うのならば。
外では灯された篝火にひとつ、ひとつと祈りを込めて、札をくべている。
それはさながら、七夕にて笹の葉に短冊を吊すのに似ていて。
けれど、寒さ厳しい夜にして、篝火のぬくもりに許されて安堵するように、今年に残された思いと未練を投げ入れる。
来る次の年には、何も振り返らずに背筋を伸ばして真っ直ぐに前を向けるようにと。
「ええ、お祭りですね。来年の為の」
「善いものです。斯くも平穏である民の、息遣いというものは」
その為にこの武はある。力というものはある。
ならばこそ振るわざる時にこそ喜びというものがあるのだろう。
雪音は穏やかなる時を、流れる憩いのひとときを、ただ尊ぶように瞼を閉じる。
ただ熱い茶は苦手なのか、ふぅ、湯飲みへと息を重ねる雪音。
その様子をくすくすと微笑んで眺めれば、ヨモギの団子に口を付ける夕凪。
「そういえば、もっと甘いものでなくてもよいのでしょうか?」
年頃、それこそ二十歳には満たない少女ならば甘いものが好物なのではと、首を傾げる雪音。
此処にある団子ならば黒蜜やみたらしなどがある。
そちらの方より、少し渋いといえる品ばかり選ぶ夕凪にと問いかければ、困ったように首を傾げられた。
「産まれ育った里では、こうも甘いものはなかったものですから。慣れなくて」
「成る程」
思い出せば、夕凪は山近くの村の出自だ。
暮らし自体は質素なものだった筈である。
「だからこそ、『さいわい』を求める旅は、なんとも美しく、素晴らしいものばかりです」
夕凪は青い眸を喜びと思い出で輝かせる。
ああ、とため息をひとつ零すのはそれだ素敵なものと出会った記憶が鮮やかだからか。
雪は色なき白なれど。
花のような思いと触れた時、その色を際立たせる。
無垢で知らずの多い夕凪が、斯くも『さいわい』なる世を見たとき。
「寒椿の雪の奥から覗く深い赤の艶やかさたるや――なんて、恩人たる雪音さんの前では気取るようなもので、少し嫌ですから」
少しだけ和やかに頬元を緩めて夕凪は語る。
「京の都の、着物の鮮やかたるや花を纏うが如し。同じ布であれど、どうしてああも色を彩れるのでしょうか」
「……」
成る程。山で育った少女は、着物の華やかさたるを知らない。
猟兵たちと出会った時は、彼ら彼女らが特別だから。と思うばかりだっただろう。ある種、どんなに素晴らしくとも天人たちという手の届かぬ寓話に憧れは抱かない。
「いいえ、それは人の技。より美しいという『さいわい』を求めて、或いは、求める声に応じて培われた知識と技術」
今までという過去の人達が求める美へと、確かに応えたもの。過去から今、未来へと生きるのは心のみにあらず。
形となり、傍にあり、そして生きる日常にある。
「だからこそ、斯くも美しいのでしょう。天女の羽衣など、と諦めずに進み続けた人の、手の、指と目の紡いだ、ひとつの『さいわい』」
また、それは芸事にも通じるのだろう。歌という喉を用いた巧みなる情動の風、龍笛と琵琶に堤と鳴らして響かす思い。どれも誠実に、誰かの心に届けと、明日に繋がれと今に奏でられる『さいわい』の願い。
力なくとも、思いある民たちの暮らしそのものだ。
夕凪の声は幸せと喜び、未来への憧憬に満ちている。
かつて独りと残り、絶望の黒に染まった少女はもういない。
「ならば、夕凪様のその髪に留まる簪も、また夕凪さんの」
そっと雪音が自らの胸に触れて。
表情こそ糸の一筋たりとも乱れぬ氷花のような澄んだ美しさのままに。
それでもと穏やかなる呼吸の旋律に乗せて、雪溶けるような柔らかな声を唇から紡ぐ。
情動を顕す術は知らぬまま。
さそれど、顕す色なき雪の白さは。
傍にある誰かの心の色を受けて、より美しき雪花となる。
「或いは、『誰か』の『さいわい』となって形となり」
そうして、その誰かは私でもあるのだと。
かつて救った少女が、着飾ることへの喜びを見いだしたことに、ゆらゆらと白虎の尾が揺れた。
「新たなる『さいわい』として、誰かの胸に留まりましょう」
ちりん、と。
氷が響くような美しく澄んだ音色を立てる、雪音の耳飾り。
「そうして次なる場へと、『さいわい』へと、『誰か』が心の羽ばたく源となれば、私も嬉しく思います」
静かに静かに、表情のひとひとら変えることなく雪音が告げれば。
ゆったりと踊るかのように、穏やかに揺れ続ける耳と尾。
「それが私の振るう武の願い、力なき民が憂うことなく生きられる世の姿なれば」
力なく。
されど、願いと思いだけを抱いて。
或いは憧れを胸に秘めて、望む未来へと自由に歩けること。
「所詮は我が身の武は暴力。それも蝶の翅が羽ばたくような些細なものであれ、胡蝶の夢の如く、何処かへと繋がることを信じております故に」
だから、だから。
こうして、些細な日常の欠片を、救うことのできた夕凪と過ごせることに。
然りと通せた。夢物語ではないと、此処に見つめられる。
触れることとて出来るし、ただの露と消える思いではないのだと、深緋の瞳が夕凪を見つめた。
「嬉しく。ただ、嬉しく……そう思っております」
氷姿の如き姿と、月影のような精神と魂をもって、こくりと頷く雪音。
ひとり、ひとり。
救ったひとと声を通わせるなど。
いいや、だからこそ憧れ、求め、雪音は願いて走り続ける。
武を振るうはこのぬくもりの為と、確かに胸を刻みつける。
その様子に僅かばかり驚くように。
瞼を瞬かせて微笑みを浮かべる夕凪。
「おや。これはまた雪音さんの姿という『さいわい』を見つけることの出来た、旅路のひとつですね」
「左様で」
そのような姿と声こそ、対話をもって過ごす心と日々こそ。
守りて、尊ぶべきもの。武の本懐とはかくたるものと、雪原のように美しくも厳しき雪音の心にひとつの柔らかな吹かせる。
ただと夕凪が小首を傾げた。
「しかし、私より若い雪音さんが、このような思いや佇まいを得るに至った旅路というのも、とても気になるものですね」
「おや」
尊敬すら滲ませる夕凪の声に、雪音は一息を零す。
そうして、ようやくぬるくなったお茶に一口をつけるのだ。
「私は二十歳を超えておりますが」
「……え?」
「それは多少失礼な態度かと存じます、夕凪様」
背は自らより二回りは小さく、顔には幼さの残ると見えた雪音の実の年齢に、驚きの声をあげる夕凪。そのままではすまさないと、追撃として雪音が言葉を続ける。
「背丈に育ち、表情という色がないからと、自分より幼く見るのは如何なものでしょう」
「あ、いえ。そう、じゃなくて。驚いてはいますけれど、納得というのでしょうか。……いえ、二十歳を超えてもその穏やかさは」
「……冗談です」
静かに、静かに。
ぴくりとも頬も瞼も動かさずに告げる雪音。
冗談やお茶目というには冷ややかで、心に冷たさの迫る気配がする。
ただ雪音その耳は楽しげに左右上下に揺れている。
雪音がいうからこその和やかさというものが、後から後からと湧き上がるのも事実。彼女ほどに誠実なひとが、打ち解けてくれたのだと、優しさをみせてくれたのだと、遅れて嬉しさが打ち寄せる。
「年は確かに二十歳を経ていますが、本当に大事なのは」
本音で喜び、楽しみ、この憩いのひとときに心を浸しているから。
雪音の心の情動を顕す方法と色を知らない。
喜びの色を、どうこの貌に出せばいいのだろう。
そういう雪の美貌。凛と静かに佇む氷の姿なれど。
「……どれだけの『さいわい』を今までに見て、触れてきたか。そうではありませんか?」
そうやって他者の、今を共に生きる者の心を汲み。
痛みと誇り。どうして生きるのかを、尊ぶものであれば、自らを顕す方法などいらないのかもしれない。
「そうかもしれませんね。ならばまたひとつ、ふたつとはいわず、もっとと」
続けましょう、『さいわい』なるを探す旅路を。
そう語る夕凪の瞳はとても穏やかで、柔らか。
ならばと。
雪音はその旅路に願いを懸けた。
「その『さいわい』なるを探す旅路が、いずれ――また別の誰かの『さいわい』なるに至る日を願っております」
蝶の翅が羽ばたくにも小さ過ぎる。
繊細なる瞬きを雪音は重ねた。
共に燻る災いを秘めども。
そのように産まれ、在りはしても。
どのように生きるかは自分たちで決められる筈。
誰かの平穏なる暮らしの為の武が如く、その旅が想いと心を繋ぐものであるように。
今宵の祭りに灯された火のように奪うではなく、先への導たれ。
――斯く願うはこの『さいわい』なるひとときを、もう一度と重ねる為に。
成功
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