●櫻禍刻
朱砂の大鳥居が迎える桜の領域。
其処は幽世の片隅に存在する、静かな神域だ。
明けも暮れもしない時間の狭間にあるような場所に或る日、深い影が射した。
それはたった一瞬のこと。
誰にも気付かれぬまま、神域にはすぐに穏やかな空気が戻ってきた。だが、其処にいつもはいないはずの幽世蝶が訪れ始める。
桜色の蝶々に薄青の蝶々、真白な蝶々、美しい漆黒の蝶々や銀の蝶々など、訪れた蝶は淡い光を纏いながら、神域の水面の上を舞っていた。
此れは幽世における異変の兆し。
蝶々達は揺らぎ舞う桜の花と戯れるように飛び、淡い光を散らせてゆく。
そして――其処に、朱色に塗られた太鼓橋が現れた。普段はあるはずのない橋は、黄泉へと繋がるもの。ときおり幽世の何処かに現れる不思議な橋だ。
迎桜の神域は一時的に黄泉の世界に繋がった。
《あいしているよ》
《だいすき》
《会いたい》
そういった言葉と共に過去に愛を抱けば、亡くした存在の魂が、かえってくる。
今一度、懐かしい縁者と共に過ごす時間が訪れるのだ。されどこれは永遠ではない。たったひととき。邂逅の果てに訪れる再度の別れを覚悟してでも、逢いたい人がいる。そんな思いに応えてくれるのが此のまぼろしの橋だ。
抱く想いは花となり、やがて水面に咲き誇る。その花が枯れるときが別れの合図。
其れを識りながら――君は、誰を呼ぶのだろうか。
●水底の桜獄
神域内。深い水底から泡沫が浮かんでいる。
ぷくり、こぽり。泡沫が生まれたその場所だけが、まるで母の肚の中に満たされた羊水のようなものに変わり、深い闇を湛えていた。
其処に潜んでいるのは真白き呪神。七つの大罪を宿す七首の大蛇だ。
名を、愛呪と云う。
その根源は母の愛。ある龍の子へ向けた守護の想いが狂気じみた呪に変わり、神殺の呪詛を宿して呪神に至ったもの。
命と愛と痛みを呪に変え、煮詰めた世界中の絶望と憎悪を撒き散らす存在。
魂は穢れ、母の愛は世界への憎悪に変貌した。関係のない者すら穢して喰い滅ぼそうとする愛の呪は今、暴走しかけている。
されど彼女は未だ動き出すときではないと識っていた。愛しき子が訪れ、その身を抱くまで――此の神域に潜んで時を待つべきだ、と。
七首は狂気に沈み、僅かに遺った意識の中で待ち続ける。
愛しき子を、永遠にするために。
●愛を識る者
「大切に思えば想うほどに、愛の糸が絡まっていく。……哀しいことだわ」
意図と絲。愛と哀。
それらが絡まって解けなくなった状態にある骸魂がいる。そのように語った花嶌・禰々子(正義の導き手・f28231)は、現状について話していく。
「桜獄大蛇――愛呪。それが彼女の今の名よ」
骸魂は現在、幽世に存在する神域に潜んでいるという。水底に潜んだまま誰かを待ち受けているらしいが、まだ動き始めてはいない。僅かな気配を察知した幽世蝶達が集まっており、其処にいることが判明した。
「彼女の魂の元は或る人のお母さんだったみたいなの。腹を痛めて産んだ子が生贄にされる未来を受け入れたくなくて、彼女は呪いに手を染めた。他の人達を生贄にして、自分の子だけは助けたい。叶うなら永遠にでも生かしたい……という、赦されぬ行為よ」
しかし、それは愛ゆえの行動だった。
禰々子は小さく俯き、その行為をどのように判断するかは各自に任せると告げた。禰々子は愛とは何なのかを深く考え、手放しに責められないと考えたのだろう。
その選択もまた、母なりの正義だったからだ。
「今、彼女の魂は呪いに染まりきっているの。当初の目的もほとんど忘れて、命を喰い散らかすだけの呪神に成っているわ。愛の意味も見失いかけているみたい」
されど、未だ止められる。
動き出していない今ならば愛呪が完全に狂う前に決着をつけられるだろう。そのためには神域に赴き、愛を示せばいい。
偶然か必然か、件の神域には『まぼろしの橋』が現れている。
「黄泉と繋がった橋で、大切な人を呼べば応えて現れてくれるわ。その人とは水面に咲いていく花が枯れてしまったらお別れだけど、お話する時間は十分にある。花が枯れるのは少し先だから、愛呪との戦いでも力を貸してくれるはずよ」
まずは神域で過ごして時を待ち、愛呪との戦いに備える。
呼び出せるのは死者だけだが、協力を得られれば心強い味方になってくれる。無論、その先に待っているのは別れだが――。
「愛呪に愛を教えてあげるの! これが死を経ても続く自分達の愛と絆だ、って!」
親愛、愛情、友愛、兄弟愛に師弟愛。
人によって愛の形は様々。どんな愛でもいい。愛呪にたくさんの愛の形をみせてやれば、奇跡だって起こるはず。
禰々子は強く掌を握り締め、愛の強さは素晴らしいものだと語った。だが、此度の状況で懸念されることもある。
「でも、気を付けて。愛呪は新たな贄を探しているみたいなの」
歪んだ己の愛を永遠にするため。
神域に訪れた者の身体を奪い取り、己の力とする能力が愛呪にはある。もし贄に選ばれた場合、想い人との繋がりが一時的に切られてしまう。そうして対象は愛呪の一部となって、精神的な苦痛の檻――桜獄に囚われる。
「それでも、皆なら大丈夫だと思っているわ。だって囚われたら愛呪の内側、つまりど真ん中から呼びかけることができるのよ。それって絶好のチャンスだもの!」
苦痛はあるが、精神力で対抗することができる。
想い人との共闘で愛を示すか、敢えて愛呪に身を明け渡して対抗するか。どちらの戦い方でも有効だ。もちろん、猟兵らしく真正面から力で立ち向かっていくのもいい。
「……お願いね、皆」
禰々子は真剣な眼差しを向け、仲間達を見送った。
どうか――君たちの愛が、哀しい呪いを解く力になりますように。
犬塚ひなこ
今回の世界は『カクリヨファンタズム』!
愛を呪いとする呪神が現れました。決着をつけましょう。
●一章
日常『櫻禍刻ノ神域』
美しい神域の水面に『まぼろしの橋』が現れました。
OPのような言葉を唱えると大切に想っている死者、つまり『想い人』が一時的に実体を持って現れます。
語り合ったり、景色を見たり、穏やかな時間をお過ごしください。
その方がどんな関係の相手で、どのような口調なのかをプレイングにお書き添えください。一人称や性別が分かり、幾つか台詞が書いてあれば判断可能です。
口調が書いてあれば会話内容のお任せも歓迎です。
今回、想い人は二章で共闘してくれます。
戦闘能力のない方でも幽世蝶の力を得て援護に回ります(複数人を呼ぶことも可能ですが、何人でも戦闘能力は同じ値になります)
神域の景色はとても綺麗なので、敢えて誰にも会わず眺めるだけでもOKです。
🐍特殊状況『愛贄』🐍
上記に加え、プレイングのどこかに『🐍』の絵文字を書いてくださった場合。
あなたは二章開始時、今回の敵に身体と力を奪われた状態になります。贄に選ばれた場合のみ、想い人の姿は一章終了時に消え、あなたは愛呪の中に囚われます。
結果はこちら側で二章始めに追加描写を致します。
※愛贄は敵の首の数に合わせ『最大で七人』となります。
万が一ですが、もし七人以上の希望があった場合はあみだくじで決めさせて頂きます。贄にならなかった方はそのまま二章で想い人と共闘できます。
希望者がゼロでも二章が不利になることはないのでご安心ください。
●二章
ボス戦『桜獄大蛇・愛呪』
愛する子を生き存えさせるというだけの、当初の目的を見失ってしまった呪神。
一章にご参加頂いた方は、想い人さんと一緒に戦えます。
あなたの愛はどんなものなのか。大切な人と一緒に戦うことで示せます。愛贄に囚われた人が知り合いだった場合、その方の名前を呼ぶのも効果的です。
想い人に会わなかった・敢えて一人で戦う選択も可能です。ご自由にどうぞ。
🐍愛贄に選ばれた方の場合。
愛呪に身体の自由を奪われており、精神的な苦痛を与え続けられています。(敵のWIZ能力)心で抗うことで呪いを内から解くことが出来ます。もしかすれば一章で会っていた想い人が力を貸してくれるかもしれません。
いざ、あなたの精神力や愛が試されるときです!
その他、詳しい状況は二章開始時に追記します。
第1章 日常
『櫻禍刻ノ神域』
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POW : 焦がれるような強い想いを抱く
SPD : 楽しく嬉しい想いを抱く
WIZ : 優しくあたたかな想いを抱く
イラスト:朝梟
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種別『日常』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
フレズローゼ・クォレクロニカ
🐰🌺
◎
ダーリン!!
元気な声を出して一華くんにぎゅってするんだ!
嘘だ
ビックリしてた
う、うん…
橋にいる…ボクのママ
その意味を知っている
ボクは信じたくなかったんだ
ママが、もう生きてないなんてさ…
ひゃあ!?尻尾つついた!責任とって結婚してもらうから!
照れ隠しに握る掌
ボクもしっかりしなきゃ
ママ……
ギュッと瞑った瞳を開けばママがいる
金蜜の髪に七彩の薔薇が咲いてる
背中の金の六枚翼が揺れて
優しい常磐の瞳は、薄らとした記憶と同じ
ママ……!!
逢いたかった
ずっと!
泣いてしまえば涙は溺れてしまえるくらい流れるんだ
フレちゃん!泣かないのよ
わたしもフレちゃんに会いたかった…寂しい思いをさせてごめんね
って抱きしめてくれる
ぼえーん!
あの子は
いちかくん
ボク結婚するの…
フレちゃん、ちゃんと赦しをもらわなきゃだめよ…ってママはビックリしてるけど確定してるから頑張るもん
ばっちくない!
一華くんのママは…ははぁ成程…(櫻宵が好きそうな凛とした美人さん
ご挨拶したら、涙を拭いて!
ママと一緒の絵を描いたげる!
ひとときでも、永遠なんだ
誘七・一華
🐰🌺
◎🐍
うわ!フレズ!
別にビビってないからな!
かあさまを迎えに行こう
コマ、マコもこっちだ!
競うように橋へ
少しだけフレズの顔が強ばって見えたから…大丈夫だよと尻尾をつついてやる
手を繋いでやるよ
何も怖くないぜ
かあさま!!
靡く黒髪に、俺と同じ白い角
牡丹一華が咲くように優美に笑う、凛とした鬼姫
俺の自慢のかあさま!
一華、いい子にしていましたか?
って優しく撫でてくれる
温かくていい香りのする大好きなかあさまだ
かあさま、俺ね
神様に色んなことを教わってるんだ!
少しは強くなれたし、賢くなれたぜ!
かあさまの子だもん、当然!
えっと、こっちはフレズ……俺の婚約者らし……フレズ?!
どうしたんだよそんなに泣いて……
ばっちくなってるぞ…
一華、女の子にばっちいなんて言うものではありません
かあさまに窘められて少し唇を尖らせる
擽ったい心地だ
フレズの母様も美人だな…
お姫様みたいだ
え?いいのか!
じゃあ描いてくれ!
ふふ…かあさまと並んだ唯一の絵
今日の神域は賑やかだ
蝶々が沢山だ
蝶館での事を思い出す
俺だって守る
大切なひとを未来も
●愛しき華
朱桜が咲き誇る彼岸と此岸の狭間。
此処はうつろうことのない、漄なき櫻禍刻の神域。満ちたままの満月は天涯を飾り、はらり、はらりと舞うくれないの桜が水面に躍る。
大鳥居を越えた水面の地表には朱塗りの橋が現れていた。
普段は存在しないそれは黄泉と現世、神域を繋げるまぼろしの橋。その周囲には色とりどりの幽世蝶が飛び交っていた。
そして、其処に或る少女の明るい声が響き渡る。
「ダーリン!!」
「うわ! フレズ!」
フレズローゼ・クォレクロニカ(夜明けの国のクォレジーナ・f01174)は、橋の手前で水面を見つめていた誘七・一華(牡丹一華・f13339)の元に飛び込んだ。両腕を伸ばしてきた少女に対し、一華は反射的に腕を伸ばし返して受け止める。
えへへ、と嬉しそうに笑ったフレズローゼはぎゅっと一華に抱き着いた。
「別にビビってないからな!」
「嘘だ、ビックリしてた」
思わず強がってしまった一華に向け、フレズローゼはくすくすと笑う。彼女としては未来の婿様の緊張を解してやりたかったのだが――。
「別にそんなこと……じゃなくて、フレズ。橋に行こう」
「う、うん……」
「かあさまを迎えに行こう。コマ、マコもこっちだ!」
狛犬達を連れる一華に誘われたフレズローゼの身体が強張る。駆ける二人が朱の橋の方に進む度、橋の上に佇む人影がはっきりとした形になっていった。
フレズローゼは嬉しさよりも複雑な気持ちを抱いている。会いたいと願った人が橋の上に現れるということ。フレズローゼはその意味を知っていた。いつか何処かで逢えると信じていたかった人と此処で逢うことが怖い。
(信じたくなかった。ママが、もう生きてないなんてさ……)
「フレズ、大丈夫だよ」
「ひゃあ!? 一華くんが尻尾つついた!」
少女の様子が気になった一華は、その尾に悪戯っぽく触れた。驚いてぴょこんと飛び上がったフレズローゼは尾を押さえる。其処に一華の手が差し出された。
「手を繋いでやるよ。何も怖くないぜ」
「う、うう……責任とって結婚してもらうから!」
フレズローゼは照れ隠しにふいっとそっぽを向きながらも彼の掌を握る。一華は静かに笑って手を握り返してくれた。ボクもしっかりしなきゃ、と気を引き締めた少女は真っ直ぐに橋を見つめる。
そうして、其処には二人分の人影が現れた。
「ママ……」
「かあさま!!」
少女がぎゅっと瞼を閉じたと同時に一華が橋の上に駆けていく。連れられる形でフレズローゼも橋に辿り着き、瞑っていた瞳をひらいた。
其処に映ったのは金蜜の髪に七彩の薔薇を咲かせた美しい歌姫。背中に広がる金の六枚翼が揺れ、常磐の瞳がフレズローゼを映し返す。
それは薄らとした記憶と同じ姿。少女の母そのものだった。
「ママ……!!」
「フレちゃん……」
自分の名前を呼んでくれた声は優しい。円な苺月の瞳に大粒の涙を湛えたフレズローゼは母の元に飛び込んだ。
「逢いたかった。ずっと! ずっとママに……!」
「泣かないのよ。わたしもフレちゃんに会いたかった……」
ロゼはフレズローゼの淡い苺色の髪をそっと撫でる。母と娘が再会を果たす最中、一華も産みの母親の姿を確かめていた。
靡く黒髪に、一華と同じ白い角を宿す麗しい鬼姫。それがサクヤ。一華にとっての自慢の母だ。牡丹一華が咲くように優美に笑ったサクヤは息子をそっと抱き寄せた。
「一華、いい子にしていましたか?」
「うん!」
サクヤは一華の頬に触れ、優しく撫でてくれる。温かくていい香りのする彼女に身を寄せた一華は嬉しそうに笑む。彼女はいつも見守ってくれている気がするが、こうして目の前に居てくれることは少ない。
「かあさま、俺ね」
「どうしましたか?」
自分の口で近況を報告したいと思った一華は母を見上げた。
「神様に色んなことを教わってるんだ! 少しは強くなれたし、賢くなれたぜ!」
「本当にいい子だったのですね」
「かあさまの子だもん、当然!」
褒められたことで笑ってみせた一華は胸を張って誇る。サクヤは愛おしそうに息子の背に腕を回し、成長を確かめていった。
その隣ではフレズローゼとロゼがゆっくりと言葉を交わしている。
一度泣いてしまえば涙は溺れてしまえるくらいに流れた。私はちゃんと此処にいるから、と伝えたロゼはきゅっと掌を握り締める。
「寂しい思いをさせてごめんね」
「ううん……あのね、お手紙がね……、ママとパパの、言葉のお手紙をね……!」
フレズローゼは泣きじゃくりながらも母に抱きつき、これまでのことを話す。
――『しあわせにおなりなさい』
自分が受けた言の葉が手紙になる迷宮で見つけた、両親からの言葉。それを見て嬉しかったこと。夢迷宮の世界で絢爛の薔薇が咲き誇る郷に行ったこと。モスグリーンの屋根の可愛いお家でママとパパとお茶会をしたこと。
フレズローゼが語る記憶を聞きながら、ロゼは涙を指先で拭ってやった。
「私からあなたに触れたり、声を掛けることは出来なかったけれど……ずっと見守っていたから知っているわ。よく頑張りましたね、フレちゃん」
慈しみの心を向けて抱き締め続けてくれるロゼの瞳にも、涙が浮かんでいる。
愛しい、愛しい娘。
その声と指先、眼差しからもフレズローゼを想う心が伝わってきた。
「ぼえーん! ママ、ママ……!!」
「うふふ、フレちゃんったら」
途中でフレズローゼが乙女にあるまじき泣き方をしたので、ロゼは娘を宥める。その声を聞いたサクヤが横を向き、一華に視線を向けた。息子の口から少女のことを紹介して欲しいといった様子だ。ロゼも娘の背を撫で、あの子は? と聞いた。
「あの子はいちかくん。ボク、結婚するの……」
「えっと、こっちはフレズ。俺の婚約者らし……フレズ?!」
二人が互いに説明をしようとする。しかし、フレズローゼがあまりにも涙に濡れていたので一華が驚いてしまった。
「どうしたんだよそんなに泣いて……ばっちくなってるぞ」
「乙女の涙だもん」
「一華、女の子にばっちいなんて言うものではありません」
「フレちゃん、きれいきれいしましょうね」
サクヤはぴしゃりと一華を叱り、ロゼは娘の鞄からハンカチを出して涙を綺麗に拭いてやった。一華は母に窘められたことで少し唇を尖らせ、フレズローゼは優しい心地に身を任せる。母の声や掌を擽ったい心地だと感じるのは一華もフレズローゼも同じ。
「それにフレちゃん、ちゃんと赦しをもらわなきゃだめよ」
「ビックリしないでいいよ、ママ。確定してるから頑張るもん」
「俺は……うん、フレズのことは嫌いじゃないぜ」
ロゼは暫し瞼を瞬いていたが、娘の言葉にくすりと笑む。サクヤも一華の反応がまんざらでもない、或いはまだピンときていないことを知り、静かに双眸を細めた。
そして、サクヤとロゼは穏やかな視線を交わす。
自称婚約者のフレズローゼと、誘七家の跡取りとして育っている一華。
二人が一緒になる未来は前途多難だろうが、いずれ想い合うようになっていくのならば母としては応援したいもの。
「ロゼさん」
「ええ、サクヤさん」
名前を呼びあっただけで意気投合した二人は微笑みあった。子供達にはその意味が分からなかったが、母同士の公認は得られたようだ。
笑うロゼを見上げた一華は何だか嬉しい気分になった。
「フレズの母様も美人だな……お姫様みたいだ」
「ありがとう、一華くん」
「一華くんのママもとびっきりの美人だね! ははぁ、成程……」
「ふふ、フレズさんもお母様似で可愛らしいこと」
互いの母と言葉を交わした少年と少女はひとときの邂逅を心から喜ぶ。それから暫し、フレズローゼと一華は母との時間を楽しんだ。
そんな中、ふと思い立ったフレズローゼは一華とサクヤに向けて筆を掲げてみせた。
「そうだ、一華くんとママと一緒の絵を描いたげる!」
「え? いいのか!」
「ひとときでも、永遠なんだ。ママも絵にするからじっとしててね!」
「お願いね、フレちゃん」
「じゃあ描いてくれ! かあさまも俺の横に並んで!」
「はい、一緒にいますよ」
フレズローゼはまず一華達を描き、次にロゼの絵を描いた。後で隣に自分の絵を付け足そうと決めたフレズローゼは瞳に母の姿をしっかりと映していく。
今日の神域は賑やかで、蝶々がたくさん舞っている。或る蝶館での出来事を思い出した一華は静かに決意していた。
(そうさ、俺だって……!)
その思いに呼応するように水面に牡丹一華と薔薇の花が咲き誇る。その中に光る眼が隠れていたことは未だ、誰も気付いていなかった。
そして――母と子の絵が完成した。
「すごいな、フレズ! かあさまも見――……え?」
絵に感心した一華がサクヤの方に振り返ろうとしたとき、違和感が廻る。
ぽちゃん。
水滴が水に落ちたような音が響いたかと思うと一華の姿がその場から消えた。何かに吸い込まれたと表すのが相応しいだろう。
「一華くん!? サクヤさんも、姿が消えてく……?」
「時が来ましたね。……後は、宜しくお願いします」
「はい、サクヤさん」
フレズローゼが驚く最中、サクヤは静かに消えていった。彼女の思いを受け取ったロゼは、娘の身体を自分の方に引き寄せる。
「ママ! 一華くんが……!」
慌てているフレズローゼに向け、ロゼは優しく語りかけた。
「大丈夫よ、フレちゃん。大切な人を取り戻しましょう。私達の手で、共に――」
「そうだね……。うん、ママと一緒に!」
その声を聞いたフレズローゼは落ち着きを取り戻していく。おそらく一華は贄に選ばれたのだろう。櫻宵と血の繋がった者として、永遠に続く愛呪の礎とする為に。
されど、フレズローゼはそうはさせない。
「――絶望を塗り替えたげる!」
未来の旦那様は誰にも渡さない。恋する乙女の誓いは強く燃え上がってゆく。
●壱番目の贄
沈む、沈む、沈み続ける。
水底に飲み込まれていくような感覚が一華に与えられている。深い闇の中で揺蕩いながら、一華は先程に抱いた決意を思い返していた。
(絶対に守る。大切なひとを。それから、未来も――)
壱之首の贄――誘七・一華。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
唯嗣・たから
WIZ/◎/🐍
■
会いたい人→両親※姿だけ
■
おとうさん、おかあさん。
そちらでは、元気ですか。
たからの魂の半分とは、会えましたか。
おとうさんとおかあさんが、たからが殺されて悲しくて、生き返らせてくれたこと、実はちょっと悲しかった。
だって、骨になったから。死ななくなっちゃって、おとうさんとおかあさん、お友達に二度と会えなくなったから。
…随分前にみんなを見送って、ひとりになった。
新しいお友達できたし、いろんな楽しいこと知れた。ありがとう、て思えるようになった。だけど、やっぱり寂しい。悲しい。
…あのね、たから、これから会う神様に、伝えたいこと伝えてくる。たからだから、言えること、あると思うから。
●唯一の月
水面の地表を歩けば爪先から波紋が広がっていく。
黒猫のからくり人形、クロと手を繋いで歩く先には花と蝶が舞っている。
唯嗣・たから(忌来迎・f35900)は暗い眼窩の奥に美しい光景を映した。いつも掛けているサングラスに映り込んだ蝶々は優雅に飛んでいる。
「……きれい」
まるで魂を導いているようだと感じながら、たからはクロと共に先を目指す。
たからが歩く度に靴紐に結ばれた鈴がちりんと鳴った。その音はまるでこれから、神聖な場所に向かう心構えのように響いている。
神域の鳥居を潜り、浅い水面が続く道を進むと朱塗りの橋が見えた。ゆっくりと橋の真ん中まで進んだたからは水を見つめる。
深く被ったフードの合間から骨の顔が覗いていた。
この躰を見て思い出すのは――やはり、あの二人のこと。
「おとうさん、おかあさん」
たからが言葉にしたのは自分の両親のこと。
その声に呼応するように静かな霊気が渦巻き、人影を作り出していく。
其処に現れたのは或る隠れ里に住んでいた夫婦。たからの母と父だ。娘を愛するがゆえに反魂の儀を行った者達。骨だけの骸として娘を半分だけ生き返らせた彼らは、蘇ったたからよりも先に逝ってしまった。
たからは彼らに歩み寄り、口元をそっと緩めてみせた。
「そちらでは、元気ですか」
「……」
「…………」
「たからの魂の半分とは、会えましたか」
二人に語りかけるたからは元から答えを期待していない。彼らはただ娘を見守るように微笑んでいるだけだ。たからの魂の半分は向こう側にいるから、きっと両親も分かってくれているだろう。
たからは僅かに下を向き、自分の顔を隠すようにフードを被り直した。
両親の姿を見られて嬉しい気持ちがないといえば嘘になる。会いたいと願ったからこそ彼らが此処にいるのだから、本当は喜ぶべきだ。
しかし、これからたからが語るのは二人を否定するような言葉。
少しばかり後ろめたくもあったが、伝えたいと思っていたことでもある。
「おとうさんとおかあさんが、たからが殺されて悲しくて、生き返らせてくれたこと、実はちょっと悲しかった」
それほどにたからを想ってくれたのだと解る。
けれども――。
「だって、骨になったから。死ななくなっちゃって、おとうさんとおかあさん、お友達に二度と会えなくなったから」
嬉しいより、哀しいことが増えた。
みんなたからよりも先に最期を迎えて、さよならをした。
「……随分前にみんなを見送って、たから、ひとりになったの」
たからはクロを抱き締めながら父と母をそっと見上げる。ずっとこの姿のままでいきてきた。マスターに出会って名前を継いで、寂しいことは少なくなったけれど、それでも一度抱いた哀しみは消えない。
長い長い時の中で竜神親分と友達になりたいと思ったのは、見送らない友達が欲しかったから。終わりを見届ける尊さも知ったが、見送り続けるのはやっぱりつらい。
両親はそのように語った娘を見つめている。
二人はやはり何も言わない。
自分達に、今の娘に何かを語る資格がないと思っているのだろうか。それとも、もっと別の理由があるのかもしれない。
たからはそれでいいと考えながら両親に語っていく。
「でもね、新しいお友達ができたよ。それに、猟兵になっていろんな楽しいことも知れた。だから――ありがとう、て思えるようになった」
「……」
「……」
たからが紡いでいく言の葉を、両親はじっと聞いていた。
一度だけ顔を上げたたからは二人の眼差しを受け止める。何でも言っていい、と語るような父と母の視線は何処までも優しかった。
「だけど、やっぱり寂しい。悲しい」
そうして、たからはどうしても捨てきれない思いを声にする。まだ少し俯いたままだった彼女の影にふたつの影が重なった。
両親の腕が、細い骨の躰を抱きしめてくれている。
触れたぬくもりは生前に感じていたままのもの。この姿になったたからも、半分の魂と同様に愛してくれているのだということが伝わってきた。
フードの上から父が自分を撫でてくれている。
自分の指先をしっかりと母が握ってくれていた。
骨の躰にも熱が伝わってくるかのようで、たからはゆっくりと視線を上げる。
「……あのね、」
寂しくて辛いということを両親に伝えたかったのではない。
此処に訪れたのは愛を識りたいから。
愛を忘れかけている呪いの神様に手を差し伸べたいと感じたゆえ。
「たから、これから会う神様に、伝えたいこと伝えてくる。たからだから、言えること、あると思うから」
死を越えても尚、続く愛の形。それが自分という存在だと信じて――。
●弐番目の贄
たからが両親から躰を離すと、ふわりと水面に花が咲いた。
蓮華の花は美しく咲き誇っていったが、すぐに静かに枯れていく。
お迎えだと感じたたからは天を仰いだ。同時に水滴が落ちるような音が響き渡る。それまで其処にいたたからや両親の姿が、朱の橋上から消えていく。
呪の水底に沈みゆくたからの眼窩には、遠い空に浮かぶ月が映っていた。
弐之首の贄――唯嗣・たから。
大成功
🔵🔵🔵
ヲルガ・ヨハ
◎🐍
(変身なし。からくり人形は水濡れ厳禁)
"おまえ"と呼び侍らす
からくり人形の腕に抱かれ
歩を進ませるは、朱け橋の前
薄絹越しに土塊の下僕を見上げる
ーーわれはこの面の下の貌を知らぬ
嗚呼
呼ばうその名さへ
喰らい、忘れ果てたと云うのに
それでも未だのこる、
このこいし想いをなにとたとう?
まほろばに消ゆ、胡蝶の夢とて
もしかしたら
おまえの顔を、識る事がーー
さて、と言葉をたぐる
そうして
するりこぼれおつる儘
唱えたものは
「『おまえはーーわれのものだ』」
そうだろう?と微笑みをたたえ
すべてを忘れたが、それだけははっきりと解る
嗚呼、されど
水面は静まりかえり
……ふふ、ふ
そうか、そうか
用は済んだとばかり、ふいと尾を翻せば
待ちぼうけと立つ"おまえ"の腕へ収まる
死者ではないと云う事か、
さあ、それともーー?
"おまえ"と二人、そぞろ歩くは静謐たる神域
ひらり、ひらり
たゆたう蝶々に誘われ
気紛れにその腕に触れる
嗚呼、忌まわし渾沌氏……あの男
われから"おまえ"を奪おう等と、痴れ者が
ひらり
蝶々舞うさまに視線向ければ
びたり、尾を揺らして
●忘却に遺されしもの
――“おまえ”。
其れが付き従うからくり人形の今の名代わりであり、呼ばう音だ。
ヲルガ・ヨハ(片破星・f31777)は人形に抱かれ、水面の地表が続く神域を往く。
侍らすからくり人形の腕は、主が落ちないように優しく、それでいて強く身体に回されている。歩けば波紋が広がる地面は鏡面のよう。
其処には自分たちの姿が逆しまに映っているが、不思議と濡れたり飛沫があがることはない。おそらくは濡れてはいけない者から水を弾いてくれているようだ。この神域は厄を祓う力が巡っている故、望まなければ水が染むこともないのだろう。
そうして、歩を進ませるは朱け橋の前。
先程から、周囲には色とりどりの蝶々が何羽も舞っている。それらはヲルガ達を導くように先を進んでいた。
足元の水面に映る蝶々は美しい。
これが異変の予感だと言われても常人ならば信じないだろうが、ヲルガはしかと識っている。崩壊が正にいま其処に訪れているのだ、ということを。
水面の自分達をちらと見たヲルガは、ゆっくりと視線を上に向けた。
からくり人形は既に橋の上に足を掛けている。そのまま、まぼろし橋の中央まで進んだ人形に止まれと命じ、ヲルガは双眸を細めた。
視線は薄絹越し。土塊の下僕を見上げたヲルガは一度、瞼を閉じる。
(――われはこの面の下の貌を知らぬ)
無理に見たいとは思わない。
だが、まったく気にならないのかというと嘘になってしまう。
「……おまえ」
薄絹の奥の瞳をひらいたヲルガは、からくり人形を呼ぶ。声としての答えはない。遮られた視線も見えない。それが常であり、当たり前だ。
「嗚呼――」
知らない。識らない。何もしらない。
呼ばう其の名さえ喰らい、忘れ果てたと云うのに。
心の奥底に眠る静かな衝動が求めている。知らぬものを視たい。己の面紗で隔てられたかんばせを瞳に映したものには、神罰が下るというのに。自分は視たいと望んでいる。
いけないことだとは感じていた。
忘れ去ったことにも理由があるのだと分かっている。
それでも未だのこる、このこいし想い。
「なぁ、これをなにとたとう?」
問いかけてみてもヲルガの疑問に答えてくれるものはいない。傍に添うおまえは何も語らないと分かっている。
そうだとしても問いかけずにはいられなかった。
まほろばに消ゆ、胡蝶の夢とて。
もしかしたら。
(もしかすれば、おまえの顔を、識る事が――)
一縷の望み。僅かな希望。
この思いにはそういった言葉を当てはめるのが相応しいだろうか。ヲルガは逡巡する様子をみせる。とはいっても、薄絹の下の表情は誰にもみえない。それは己だけが感じる迷いであり、僅かな間だけのものだった。
「さて、」
橋の上から水面を見下ろしたヲルガは言葉を手繰っていく。
裡に眠らせていた思いを声にすれば、この領域は黄泉に繋がるという。魂は導かれ、ひとときだけ実体を伴う。そのことに賭けてみたかった。
このように思うのも気の迷いかもしれない。そうだとしても、此処に訪れた以上は試してみるのがいいはず。
ヲルガはからくり人形を橋の上で待たせ、欄干にふわりと游いでいった。
そうして、するりとこぼれおつる儘に唱えた言の葉は――。
「『おまえは――われのものだ』」
そうだろう? と、微笑みをたたえたヲルガは自信を持っている。
すべてを忘れた身ではあるが、ただそれだけははっきりと解っていた。いずれ蝶々に導かれるように魂が訪れるのだろう。
そして、それはヲルガの前に現れて言葉を紡いでくれる。
そうだと示す声を向けてくれる――はずだと、思っていた。しかしそれは半分しか予想していなかったもの。残りの半分は、何も起こらないという予感。
水面は揺らがない。
魂は導かれず、ただ蝶々が周囲を飛び交っているだけだ。
ヲルガは軽く肩を竦め、やはりな、という思いを胸に抱いた。静まり返ったままの水面を見下ろし続けているヲルガ。その口端が軽く上がった。
「……ふふ、ふ」
零れ落ちたのは乾いた笑い。
何も変わらぬ水面には花すら咲かなかった。ヲルガは俯き、そっと呟く。
「そうか、そうか」
納得していた。するしかなかったという方が正しいだろう。そうしてヲルガは用が済んだとばかり、ふいと尾を翻す。
ゆるりと游いだヲルガは、待ちぼうけ状態で立っていた“おまえ”の腕に収まった。
軽く身を寄せても土塊の躰からは熱を感じない。もし望んだように彼のひとが訪れたならば、ひとときの熱を感じられたかもしれないが――。
「死者ではないと云う事か」
さあ、それとも――?
裡に浮かんだ思いは言葉にせず、ヲルガは橋から下りていく。
おまえと二人、そぞろ歩くは静謐たる神域。足元に広がっている波紋は変わらず、二人の身体を濡らしたりはしない。
ひらり、ひらり。ふわり、ふわり。
たゆたう蝶々に誘われて歩く神域はとても美しかった。されど、美麗であるからこそ自分の中に生まれた黒い思いが目立つ。
ヲルガは気紛れに、その腕に触れてみた。胸裏から溢れ出していくのは憎しみや怒りにも似た黒い感情だ。
「嗚呼、忌まわし渾沌氏……あの男。われから“おまえ”を奪おう等と……」
痴れ者が、とヲルガが呟いた瞬間。
――ぽちゃん。
雫が水を穿ったような音が響き渡ったかと思うと、ヲルガの姿が消えた。
濡れない水面の上で立ち尽くす人形は主を失い、今度こそ本当の待ちぼうけになってしまう。主と従者は離れ離れ。
しかしそれは紛れもなく、ヲルガが愛の贄に誘われた証だった。
●参番目の贄
ひらり、ぷかり、ゆらり。
深い水底に沈むが如き感覚を抱きながら、ヲルガは天を仰ぐ。
水面の上には蝶々が舞っている。自分は浮かぶことが出来ずに沈み続けるのだと感じ取ったヲルガは上に視線を向け続けた。徐々に身体の自由が効かなくなっている。だが、ヲルガは最後の抵抗として、びたりと尾を揺らした。
参之首の贄――夜半のヲルガ。
大成功
🔵🔵🔵
籠野・つぼみ
愛しているわ。そう呟いたときに現れたのは、昔の恋人でした。
久しぶりね。ずっと、会いたかったわ。僕も、って、そんな、私。嫌だ、涙が出てきちゃったわ。
私、ずっとあなたと一緒にいたかったの。好きってきちんと伝えたのに、あなたは、信じてくれなかったでしょう。
「僕も、好きだったよ。今も、ずっと」
私たち、想い合っていたのよね。そうでしょう。これからも一緒に歩いて行けるって、そう信じていたのよ。
「閉じ込めて、ごめんね」
今、謝らないで。謝ってほしいわけじゃないのよ。違うのよ。私は、ただ。
ああ、抱きしめてくれるのね。……好きよ。昔からずっと。今も、ずっと、好き。愛しているわ。
(アドリブ歓迎)
●重なる想い
桜の花弁が舞う美しい神域。
水面の地表が続く鳥居の向こう側には幽世蝶がひらりと游いでいる。
ゆっくりと神域を進んでいく籠野・つぼみ(いつか花開く・f34063)は、恋しき想いを馳せていた。
想うのは、一度は結ばれたけれど赤い糸が結ばれなかった相手。
今はもう独りだというのに。
悲翼恋離のあのときも、椿姫の事件のときも、聖なる夜の燈火の前でも。
ずっと想っていた。やっぱり隣にあの人――昔の恋人がいてくれたらいい、と。
たくさんの景色や出来事を、あの人と一緒にみたかった。これほどまでに想い続けるのは囚われているから。
愛情も憎しみもある。あの日を思い出す息苦しさもまだ此処にある。
忘れたい。忘れたくない。
思い出したくない。思い出してしまう。
相反する気持ちを抱きながらも、つぼみは彼の人に逢うことを決めていた。
「――愛しているわ」
辿り着いたまぼろしの橋の袂でそう呟けば、水面が揺らぐ。桜の花が水の上に咲いていくという不思議な光景が現れた直後、橋の上に人影が現れた。
これまでは誰もいなかったはず。
それなのに、其処には――つぼみの昔の恋人が立っていた。
「久しぶりね」
「ああ、久しぶり」
つぼみは溢れ出る感情を抑えながら、彼が立つ橋の上まで歩み寄る。彼は穏やかな笑みを浮かべて待っていてくれた。その周囲には幽世蝶が美しく羽ばたいている。
「ずっと、会いたかったわ」
「――僕も」
「そんな、私……。嫌だ、涙が出てきちゃったわ」
「泣いていいんだよ」
感情が抑えきれなくなったつぼみの瞳から涙の雫が零れ落ちた。
彼はそんなつぼみの気持ちを否定せずにいてくれる。愛している、という真っ直ぐな思いを受けて顕現した魂だからこそ、こんなにも優しいのだろう。
「私、ずっとあなたと一緒にいたかったの。好きってきちんと伝えたのに、あなたは、信じてくれなかったでしょう」
唇から零れ落ちていくのは、過去から抱き続けていた想い。
擦れ違ってしまった思いを正したい。それだけが心残りで、其処から生まれた様々な思いや考えがつぼみの魂を苦に染めていた。
けれども今はそれも関係ない。彼はつぼみを真っ直ぐに見つめた。
「僕も、好きだったよ。今も、ずっと」
「…………」
「…………」
つぼみは彼にそっと身体を預ける。
暫し、二人は何も言わずに触れ合っていた。つぼみは彼の胸元に額を寄せ、彼はつぼみの髪を優しく撫でる。
彼が先程に告げてくれた言の葉がすっと心の奥に届いていた。現世のしがらみや過去の感情は今だけは何も関係なかった。
そのことを理解したつぼみは彼に語りかけていく。
「私たち、想い合っていたのよね。そうでしょう。これからも一緒に歩いて行けるって、そう信じていたのよ」
「閉じ込めて、ごめんね」
彼もつぼみが自分に囚われていることを知っていたようだ。
死を迎えた彼は何も伝えられなかった。されど、此処で伝えることができる。
しかし、つぼみは彼の口元に指先を添えた。
「今、謝らないで。謝ってほしいわけじゃないのよ。違うのよ。私は、ただ――」
「……分かっているよ」
それでも言わせて欲しかったのだと告げ、彼は両腕を伸ばす。
「ああ、抱きしめてくれるのね」
――好きよ。
昔からずっと。今も、ずっと、好き。
つぼみは彼に心からの想いを告げた。彼はその声にそうっと耳を傾け続ける。
「愛しているよ」
「愛しているわ」
そして、二人の声が重なった。
それから暫し、つぼみ達は橋の上で愛を語らいあった。これまで伝えられなかった言葉を伝え尽くすために。
水面に咲く桜の花は、そんな二人を静かに見守っていた。
大成功
🔵🔵🔵
真宮・響
亡くなった想い人、か。最近想い出す人がいる。
子供達連れて戦うなか、うっかり忘れそうになっていたアタシの人生の原点。
《会いたい》心から呟く。
現れたのはアタシの母親だ。優れた歌手だったが、身体が弱かった。舞台で歌った後倒れ込んでしまうぐらい。
歌の歌い方、歌の原点。全て母上から教わった。現れた母親は相変わらずの笑顔で「私も会いたかったよ」と「元気なようで良かった」と気軽に話しかけてくるだろう。
母上は私が15歳の時短い生涯を終えた。家を捨てた身でも歌を歌い続けているのは歌に身を捧げた母上を見ていたからこそ。
母上、アタシの歌を聴いてくれないか。貴女の背を追って辿り着いた歌だ。赫灼のグロリアを歌い上げる。
●響く赫灼
「亡くなった想い人、か」
そういえば最近、よく思い出す人がいる。
真宮・響(赫灼の炎・f00434)が思い浮かべていたのは遠き過去の記憶。
子供達を連れて戦ってきた母として、懸念や心配事がこれまでたくさんあった。それゆえに正直を言えば、“彼女”のことを思い出すことは少なかった。
「うっかり忘れそうになっていたよ……」
申し訳ないね、とそっと心の中で謝った響は神域の中を歩いていく。
進む度に足元の浅い水面に波紋が生まれる。それは静かで優しく、心が落ち着くような揺らぎだった。
それに何だか誰かに呼ばれているような気がして、響は淡く笑む。
「でも、貴女はアタシの人生の原点だ」
そして、響はまぼろしの橋の上に立った。水面を覗き込めば自分の姿が逆さまに映って見える。周囲に舞う蝶々は光を反射しながら水の上で羽ばたいていた。
《会いたい》
先程から考えていた彼女のことを思い、響は心から呟く。
そうすることで水面が揺らぎ、其処に蓮華の花が咲いていった。やがて、響の目の前には美しい女性が現れていく。
「――響」
「母上……」
彼女が自分を呼んだので、響もそっと呼び返す。
想っていたのは母親のこと。
彼女は優れた歌手だった。今も美しい舞台衣装を着ており、かつてのままの姿をしている。幼い響が話に聞いて、一番綺麗だと感じていた衣装のようだ。
母は皆に好かれてたという。しかし、彼女は身体が弱かった。
舞台で歌った後倒れ込んでしまうほどに。されど彼女は自分を慕ってくれる人々のために歌い続けた。身体に負担をかけていると知っていても、歌に人生を捧げた。
そんな彼女を母に持つ響も歌を愛した。
歌の歌い方、歌の原点。詩に込められた思いを読み解く方法。
それらを全て母から教わった。
自分の名前が音楽に関係する『響』という字なのも彼女が歌手だったからだろうか。
「また会えるなんて……母上。やっぱり綺麗だね」
「私も会いたかったよ」
現れた母は相変わらずの笑顔で笑いかけてくれた。響が立派に成長して子供を育てていることを知っているのか、母親は慈しみの視線を向けてくれている。
「あなたもあなたの子も、元気なようで良かった」
そういって気軽に話しかけてきた母はあの頃のままだ。私もおばあちゃんね、と笑った母はとても嬉しそうだった。
「ふふ……」
つられて響も微笑む。
彼女の見た目が今もこうして若い姿なのは理由がある。
響が十五歳の時、母は短い生涯を終えた。家を捨てた身でも、響が歌を歌い続けているのは――歌に身を捧げた母を見ていたからこそ。
涙が滲みそうだったが、響は真っ直ぐに母を見つめた。不思議そうに首を傾げた母親は響に視線を返す。
「どうしたの、響?」
「母上、アタシの歌を聴いてくれないか」
響は成長した自分を母に見て貰いたいと考え、橋の上で瞼を閉じた。
これは、貴女の背を追って辿り着いた歌だから。
そういって響は歌声を響かせていく。
――赫灼のグロリア。
先へ進む者達に栄光あれ。
共に歩く者達に幸福あれ。
過去に沈む者に冥福あれ。
ゆっくりと歌い上げられていく曲に耳を傾けた母は優しい眼差しを向けてくれた。
彼女の視線を心地よく感じながら、響は音を紡ぐ。水面に咲く花も、宙を舞う蝶々達も、彼女達の姿を優しく見守ってくれているようで――。
それから暫し、響の歌声が奏でられていった。
大成功
🔵🔵🔵
真宮・奏
亡くなった想い人ですか・・・やっぱりあの人ですよね。
《だいすき》今もそうだからそう呟きます。
現れるのは5歳の時目の前で死んだお父さん。目の前で、血まみれになって。
たとえ10年以上の年月が過ぎても、両手剣を抱えて私たちを守ってくれていた、その頼もしい背中は忘れる事は出来ません。お父さんは「大きくなったな。俺の肩ぐらいにはなったんじゃないか?」と大きな手で頭を撫でてくれるかな。お父さんのようになる為に、私、頑張ったんだよ。
あ、ダンスも上手くなったんだよ。絢爛のクレドでとっておきのダンスを披露。ああ、この時間がいつまでも続くといいのに。
●奏でる絢爛
「亡くなった想い人ですか……」
そう言われて思い出すのは、やっぱりあの人しかいない。
真宮・奏(絢爛の星・f03210)は美しい神域の景色を眺めながら、朱の鳥居を潜っていった。誘うように舞う幽世蝶は何だか愛らしい。
腕をそっと天に伸ばした奏に向け、蝶々が舞い降りてくる。指先に止まった幽世蝶はゆらりと翅を揺らした。それはまるで魂が導かれているような光景だ。
一羽の幽世蝶と共にまぼろしの橋の上まで進んだ奏は、そうっと目を閉じた。
とても静かで心地良い空気だ。
此処に危機が忍び寄っているという感じはしないが、周囲にこれほどまでに幽世蝶が舞っているのは異変の兆しでもある。
奏はそのためにも逢いたい人を呼ぼうと決め、橋の上から水面を見下ろす。
《だいすき》
彼の人に抱く思いは今も変わらないから、そう呟いてみた。
其処には誰もいなかったというのに突如として水面に波紋が広がる。驚いた奏が一歩後ろに下がると、其処に人影が出現した。
「……お父さん」
現れたのは奏の父親。彼は五歳の時に目の前で死んだ。
目の前で、血まみれになって――。
奏の脳裏にあの日の記憶が蘇ったが、聞こえた声が現実に引き戻してくれた。
「大きくなったな、奏」
「うん、お父さん」
いま此処にいる父は血まみれなどではない。在りし日の穏やかで優しい姿のまま、奏の前に現れている。
奏はほっとした気持ちを抱いて、父のそばに歩み寄った。
たとえ十年以上の年月が過ぎても大好きな気持ちはずっと同じ。両手剣を抱え、自分たちを守ってくれていた。その頼もしい背中も、真剣な顔も――優しい表情も忘れることは出来なかった。
父は奏に手を伸ばし、頭をゆっくりと撫でてくれる。
「身長も伸びたな。俺の肩ぐらいにはなったんじゃないか?」
「そうだね、もう十年も経ったんだよ」
「寂しくさせてしまったな、奏。響……お母さんにも苦労を掛けてしまっただろう」
「心配しないで、大丈夫。後でみんなで会えるよ」
大きな手で頭を撫で続けてくれる父に笑みを返し、奏は微笑んだ。まずは父と娘でたくさん話しをして、次は家族みんなで語り合いたい。
水面に咲いた花が枯れるまでの時間だが、そのひとときは十分に過ごせる。
「お父さんのようになる為に、私、頑張ったんだよ」
「そうか……」
奏が嬉しそうに語ると、父はしみじみと頷いた。どんなことが得意になったのか、何を好きになったのか、どういった暮らしをしているのか。父から聞かれたことにひとつずつ答えていった奏は、ふと思い立つ。
「あ、ダンスも上手くなったんだよ。とっておきのダンスを披露するね」
「それは嬉しいな。どれ、見せてくれ」
父の前で軽くお辞儀をした奏が舞っていくのは――絢爛のクレド。
信じたいから強く願う。
人は何度でも立ち上がれるから。この想いよ、皆の鼓舞となって広がれ。
思いを踊りに込めた奏は、笑顔で自分を見つめてくれる父に笑いかけた。そうして、胸裏から溢れる気持ちを強く抱く。
――ああ、この時間がいつまでも続くといいのに。
いずれは消えてしまうと知っているけれど、少しでも長く。父と母と自分たちが揃っている時間を大切にしたい。瞬きひとつだって惜しいくらいに今が幸せだ。
そうして、家族団欒のひとときは巡っていく。
大成功
🔵🔵🔵
神城・瞬
亡くなった想い人・・・そうですね、あの人ですかね。
《会いたい》心を込めて呟きます。
目の前に現れるのは生みの母親。6歳の時に死に別れましたが、魔術の基本は全てお母さんから教えられました。厳しい母でしたが、母の指導があったこそ今も育ての母さんと奏を守れてます。
生みのお母さんはさり気なく僕の隣に座って「立派に私の言う通りに実践しているようね?でも基本が大切よ」ときりっとした顔で相変わらず説教になってしまう生みのお母さんにいつも通りだと微笑み。
あ、こういう事もできるようになったんですよ?と清光のベネディクトゥスを奏でて精霊を呼んで、周りを舞わせます。
●瞬きの清光
「亡くなった想い人……そうですね、あの人ですかね」
幽世蝶が舞い、桜の花弁が優雅に揺らめく不思議な神域。その最中に現れたまぼろしの橋に向かいながら、神城・瞬(清光の月・f06558)は思いを馳せる。
水面に映った自分の姿を見下ろしてみた瞬には、会いたい人がいた。それは普通に生きている間は絶対に会えない人だ。
黄泉と幽世を繋ぐ、まぼろしの橋の上でなければ再会が叶わない。
だからこそ瞬はこうして此処に訪れた。
こっちだよ、というように導いてくれる幽世蝶の後を歩き、瞬は橋の上に辿り着く。花と蝶を映し込む水面を覗き込み、瞬は口をひらいた。
《会いたい》
心を込めて呟いたのは、此処に訪れたときから考えていた人への思い。
周囲を舞っていた蝶が淡い光を放ったかと思うと、水面を覗いている瞬の隣に光が集まっていった。次第に人の形を成していった、そのひとは――。
「お母さん……」
瞬の産みの親である女性だ。
育ての母親は別に居るが、自分をこの世に産んでくれた母は彼女だけ。瞬の母は六歳のときに死に別れたきりだ。
しかし、瞬はそれまでに魔術の基本を母から習っていた。
今も扱う魔術の基礎は全て母から教えられたものであり、現在の瞬の中にしっかりと息衝いているもの。厳しい母だったが、彼女の指導があったからこそ今がある。
「ああ、瞬……」
久方振りね、と語った母は手を伸ばす。しなやかな指先が瞬の頬に触れ、その肌を優しく撫でてくれた。
慈しみが宿った仕草にあたたかさを感じた瞬は双眸を細める。
瞬の母はさりげなく隣に座り、あなたも腰を下ろして、と誘った。瞬は頷いて従い、母の隣でそっと語っていく。
「ありがとう、お母さん。おかげで育ての母さんと奏を守れています」
「立派に私の言う通りに実践しているようね?」
「はい、お母さんの教えがあったからこそです」
「いつでも基本が大切よ」
きりっとした顔で告げ返した母の口調はあの日のままだ。相変わらず説教になってしまうのが彼女らしいと感じた瞬は柔らかく微笑む。
少年だった頃とは違い、今は厳しい口調も自分のためだと解っていた。それから暫し、母と息子は様々なことについて語り合っていく。
「好きな子は出来たのかしら」
「ええ、まぁ……。今はまだまだですが、いずれ彼女の想いや気持ちを丸ごと支えてやれる男になりたいです」
「それがいいわ。中途半端はいけないもの」
「お母さんもそう思いますか。ますます頑張らなければいけませんね」
二人は素直な思いを伝えあう。しかし、やはり瞬の母は彼女らしいままだった。たくさんの話をしていく中、いつしか二人は魔術のことを語り合う流れになっていった。
「基礎を活かした応用はできている?」
「勿論です。あ、こういう事もできるようになったんですよ?」
「ええ、ぜひ見せて?」
母に問われたことで瞬は清光のベネディクトゥスを奏でた。呼んだ精霊に願った瞬は、母の周りを舞わせていく。
――これから歩む道のりに祝福を。
願う思いと共に舞う精霊は、母と息子の周りを美しく舞い踊っていった。
そして、親子水入らずの時間が流れていく。
音が響いて奏であうように、母と子という繋がりは絶対に切れない。絆というものを感じ取りながら、瞬は美しい水面に映る自分達の姿を暫し眺めていた。
大成功
🔵🔵🔵
唄夜舞・なつめ
【再邂】
……?あの雰囲気、どっかで…?
なァ。っておわっ!?
そンなにビビんなくてもいーだろ!?
!その呼び方…!
お前、まい…なのか!?
すっげェ!
こんなことってあンだなァ!?
俺も一族が襲われた時に命落っことしたンだけどよ。何故かこう生まれ変わっちまったみてーで。…1度や2度じゃねーけど。
俺もまたお前と会えて嬉しーよ。
…そーいやお前、
そんな手足じゃ無かったよなァ?
一体何が……そーだな。
コレが終わったらゆっくり話そう。
おう、分かってる。
《だいすきだ》
現れるのは
雪のような髪に肌
苺の瞳に優しい眼差し。
おれの、弟。
よー、あの世で元気にしてっかァ?
あ?泣いてねーよ!
けど、まいとも再会出来たンだ。
今度はお前と『生身』で再会してェなァ。
そっちに引きこもってねーで
生まれ変わってこいよ。
俺の弟だったら、そんぐらいできンだろ?
……まいも、喜ぶぞ。
こーら、まい。そんなにはしゃぐと
昔みてーに迷子になってヒンヒン泣く羽目になンぞ!
ったく昔っからおめーは迷惑ばっかかけやがって!
懐かしい。愛おしい。この時がずっと続けば──。
歌獣・苺
【再邂】
…?ぴゃっ!?
わわわ私美味しくない兎ですぅうう!
……って、その怖い目と歯…
もしかしてなつにぃなの…?!
死んじゃったけど何度も生まれ変わった…?
し、信じられない。
でも、本当なんだ
嬉しい、嬉しいよなつにぃ。
ねぇ、この依頼が終わったら
いっぱいお話しよう?
教えて、これまでの事
私も教えるから
私たちが呼ぶのはもちろん
まーくんだよね
なつにぃの大事な愛する弟で
私の最愛の人
久しぶりに3人で歩きたいな
なつにぃ、一緒に。
《あいしてるよ》
まーくん…!
今日はね、なつにぃも一緒だよ!
嬉しいね、嬉しいよね!
ふふ、懐かしいな
2人は私の近所のお友達で
よく色んなところ
連れていってくれたんだっけ。
そ、そんなに
迷惑かけてないもんっ!
ちょっと色んなことに
興味津々だっただけで…!
…あぁ、懐かしいな。
強くて何からでも
守ってくれそうななつにぃ。
なつにぃに似てるけど
全然怖くなくて
すっごく優しいまーくん。
そんなふたりと共に歩くのは
歩めば咲きゆくネリネの花
雪のように白い幽世蝶もいた
ずっと、ずっと。このしあわせが続けばいいのにな──。
●愛しい心
焦がれるような強い想いを抱いて。
楽しく嬉しい記憶を巡らせて、優しくあたたかな想いを宿す。
朱砂の大鳥居を越えて進んだ桜の領域には穏やかな空気が満ちていた。
「……?」
神域の最中、唄夜舞・なつめ(夏の忘霊・f28619)は不思議な感覚を抱く。
進む先に誰かがいる。それは妙に懐かしいような気がして、なつめは首を傾げた。
「あの雰囲気、どっかで……?」
誰だろう、と考えているなつめの視線は鋭くなっている。その気配を察知した歌獣・苺(苺一会・f16654)もおかしな感覚をおぼえていた。
「……?」
視線を感じた方に振り返ってみれば、獲物を狙うような眼差しをした者がいる。驚いた苺はそれが誰なのか確認できず、毛を逆立てる勢いでぴょんと跳んだ。
「ぴゃっ!?」
「なァ。っておわっ!?」
それと同時に声を掛けたなつめもまた、彼女の反応に驚いてしまった。脱兎のごとく逃げ出した苺だったが、橋の袂に足を引っ掛けて転ぶ。
「わわわ私美味しくない兎ですぅうう!」
「そンなにビビんなくてもいーだろ!?」
追いかけたなつめは転んだまま身を縮めた少女に手を伸ばした。ちらりとなつめを見た苺は、ハッとして目を見開く。
「……って、その怖い目と歯……もしかしてなつにぃなの!?」
「その呼び方! お前、まい……なのか!?」
「そうだよ、なつにぃ」
「すっげェ! こんなことってあンだなァ!?」
久方振りに再会した二人は驚きあいながらも手を取り、橋の上に立つ。それからなつめは苺にこれまでのことを話してやる。
自分は一族が襲われた時に命を落っことした。しかし、何故かこうして生まれ変わってしまった。それも一度や二度ではなく何度も。
「――ってわけだ」
「死んじゃったけど何度も生まれ変わった? し、信じられない」
「別に信じなくてもいいぜ。でも、俺はここにいるのは本当だ」
「本当なんだ……。嬉しい、嬉しいよなつにぃ」
「俺もまたお前と会えて嬉しーよ。そーいやお前、そんな手足じゃ無かったよなァ? 一体何が……」
「ねぇ、いっぱいお話しよう? 他にも教えて、これまでのこと。私も教えるから」
「そーだな。今からゆっくり話そう」
そうして言葉を交わした二人はお互いのことを伝えあった。まだ敵の気配はないので、すべてが終わらずとも語り合える時間はあるだろう。ゆっくりと過ごした二人は話したかったことを語り合い、暫しの時を過ごす。
そして、互いの現在を確かめあった二人は水面を見下ろした。
此処では今、黄泉との道が繋がっている。
「私たちが呼ぶのはもちろん、まーくんだよね」
「おう、勿論だ」
頷きあった苺となつめは浅い水面の奥を見据え、そっと声を紡ぐ。
「なつにぃ、一緒に」
「分かってる」
《あいしてるよ》
《だいすきだ》
共に呼び、願ったのは雪のような髪と肌の男。
苺の瞳に優しい眼差し。その人物は――。
「兄貴! 苺!」
「まーくん……! 今日はね、なつにぃも一緒だよ!」
「ああ――おれの、弟」
なつめが語った通り、大事な愛する弟であり、苺のにとって最愛の人。
「なつにぃ、まーくん。久しぶりに三人で歩きたいな」
「おう、行こうぜ」
現れた男に対して苺が手を伸ばす。彼はそっとその手を取り、反対側の手をなつめに差し伸べた。なつめも弟の掌を握ってやる。
少しばかりくすぐったい気もしたが、久々の再会だ。
そうして、三人は水面の地表をゆっくりと歩いていく。周囲に舞う幽世蝶は美しく、ひらひらと舞う桜の花も三人を祝福しているかのようだ。
なつめは弟を見遣り、明るく笑いかける。
「よー、あの世で元気にしてっかァ?」
「兄貴、泣いてる?」
「あ? 泣いてねーよ!」
されど弟は聡く兄の様子に気付いていた。首を振ったなつめは瞳の端に浮かんでいた涙を指先で拭って誤魔化す。その様子を見ていた苺は柔らかに微笑んだ。
「嬉しいね、嬉しいよね! 泣いちゃうくらいにね!」
ゆるりと歩きながら思い返すのは過去のこと。苺にとって二人は近所のお友達で、よくこうやって色んなところに連れていってくれた。
「ふふ、懐かしいな」
「そうだな、まいとも再会出来たンだ。嬉しくって堪らねェなァ」
なつめは苺と話しながら、今度はお前と生身の状態で再会したい、と弟に語った。すると弟は今だけは生身だと答える。それがこのまぼろしの橋と神域が織りなす不思議な力だと話した弟は、嬉しそうに笑んだ。
「そンでも一時だけだろ?」
「それは……そう、だけど」
「だったらそっちに引きこもってねーで生まれ変わってこいよ。俺の弟だったら、そんぐらいできンだろ? ……まいも、喜ぶぞ」
「…………」
なつめが語りかけたことに対し、彼は曖昧な笑みを返した。
出来るかどうかは魂が廻るかどうかによる。望めば叶えられるかもしれないが、心の奥底から願わなければ難しいことでもある。なにかひとつでも心に引っ掛かりがある場合、或いは本人が動かない場合は黄泉に魂は揺蕩う儘。
転生すると断言できない様子の弟の様子を見て、なつめは双眸を細めた。
だが、今こうして傍にいる時に憂いを広げなくてもいい。そう判断したなつめはそれ以上のことを語らなかった。
そんな中、苺は周囲に飛んでいる蝶々を追いかけて駆けていく。
「まーくん、なつにぃ! 見て、いっぱいいるよ!」
「こーら、まい。あんまり先に行くな。そんなにはしゃぐと昔みてーに迷子になってヒンヒン泣く羽目になンぞ!」
「そ、そんなに離れてないよ!」
「あはは!」
ぴしゃりと苺を叱るなつめ。迷子のことを思い出して少しだけ涙目になる苺。そんな二人を笑って見守っている彼。
三人は今だけ昔に戻ったかのような心地を覚えていた。
「ったく昔っからおめーは迷惑ばっかかけやがって!」
「迷惑かけてないもんっ! ちょっと色んなことに興味津々だっただけで……!」
「ほんま、苺はしゃーないなぁ」
なつめと苺が和気藹々と言葉を交わしていると、彼はあのときのようにしみじみとした様子で淡く笑った。
(……あぁ、懐かしいな)
苺は彼の横にぴったりとくっつき、その温もりを確かめる。気付けばなつめも苺に寄り添うように横に立っていた。きっと迷子防止なのだろうが、それでも苺はとても嬉しい気持ちを抱いていた。
――強くて何からでも守ってくれそうななつにぃ。
――なつにぃに似てるけれど全然怖くなくて、すっごく優しいまーくん。
そんなふたりと共に歩くのは、幸せ以外の何物でもない。大好きな二人に再会できた今を大切に想いながら、苺は花と蝶が揺らぐ水面を進む。
足元は水場だというのに、不思議と濡れないのは此処が神域だからだろう。優しさが満ちていると感じながら、一行はのんびりとした時間を楽しんでゆく。
歩む度に咲きゆくのはネリネの花。
ダイヤモンドリリーとも呼ばれる花々は淡い光を受けて美しく輝いている。宝石のようにキラキラと光る花の合間を進み、三人は笑みを重ねた。
雪のように白い幽世蝶も傍にふわりと舞い降りてきている。その蝶々を眺めた苺となつめは心地よさを感じていた。
そうして、二人はよく似た思いを抱く。
ずっと、ずっと。このしあわせが続けばいいのにな――。
懐かしい。愛おしい。この時がずっと続けば――。
心に浮かんだ想いに呼応するようにネリネがゆっくりと咲いていった。
いずれ花は枯れ、三人で過ごすひとときはいずれ終わってしまう。それでも、花が枯れても残る言の葉がある。
ネリネの花言葉。それは――『また会う日を楽しみに』。
この時間が過ぎ去っても、いつかまた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
縹・朔朗
◎
愛ゆえの呪い、とな
私とあなたに施された呪いは
父上なりの愛だったのだろうか
…いいや、到底考えられませんね
あの人に、愛の心など…
いえ、それよりも
あなたに、
身も心も大変美しく、太陽のようで、私の心の友であるあなたに
逢えるものなら…『逢いたい』
逢う心構えが確りしているとは言い切れませんが、ね
…雪枝?
どうしました、急に翻々と舞って――
あなたは
―久し振りだね。僕だよ、望之助だよ。晴九郎…いや、今は朔朗と呼ぶべきかい?
本当に、あなた…なのですか
―僕の他に誰がいると云うの。ほら、触れて御覧
その白い手に触れれば、確かに存在して
涙が溢れそうなのを必死に怺える
そして言葉を漸く紡いで行く
望之助、俺は…
俺が全て享け負うべきだった呪に苦しむあなたを
まだ死ぬ筈でなかったあなたを
救うどころか喰らって生き永らえた
…言葉にするのも、悍ましくて堪らないくらいです
あなたは俺を憎んでいますか?
たとえ赦されなくとも
此れだけは誓う
もしあなたが骸の闇に呑まれる時が遣って来たら
その時こそは
俺があなたを救いたい
決して破りはしない
約束です
●澪標
穏やかな神域に影が滲み始めている。
未だ目には見えない危機を思い、縹・朔朗(瑠璃揚羽・f25937)は水面の上を歩く。爪先が浸るほどの浅い水面は不思議と、進んでも濡れるものではない。
その心地を確かめるようにゆっくりと進む朔朗は、そっと呟いてみる。
「愛ゆえの呪い、とな」
誰かを愛するが故に深まった呪。
呪いとはきっと、想いや思いがあるから生まれるものなのだろう。実際、朔朗自身にも思い当たることがある。
脳裏に浮かんだのは鎖ざしたはずの過去の記憶。
暗闇。漆黒の閉鎖空間の中で罪無き人々が蠢き、それらを己が喰らう光景。それから、最後に残った自分は――。
何と悍ましい、と以前にも感じた。
道士でありながら、自己そのものが呪物であることを知った。
蠱毒と孤独。
朔朗は過去に苛まれそうになりながらも、自分を強く持つ。幸いにもこの神域は厄を巡らせない力もある。それすら破る愛の呪が潜んでいるのだが、今は穏やかだ。
そうして、歩を進める朔朗は思いを巡らせる。
(私とあなたに施された呪いは……父上なりの愛だったのだろうか)
ふと浮かんだ考えは無意識のもの。
はたとして首を横に振った朔朗は、すぐに言葉を紡いだ。
「……いいや、到底考えられませんね」
あの人に、愛の心など。
あるはずがないと声にしかけた朔朗は押し黙り、呼吸を整えた。今はそのようなことなど考えなくていい。そう示すように美しい幽世蝶、雪枝が朔朗の前を飛んでいった。
「いえ、それよりも」
蝶々の軌跡を目で追った朔朗はまぼろしの橋の上に歩いていく。
橋の上から見下ろした水面には自分の姿が映っている。此処は今、黄泉路と繋がっているという。
いとしく想うひと、こいしく願う相手を呼べば縁が繋がる。
「あなたに、」
朔朗は或るひとを思いながらちいさな言葉を落とした。
身も心も大変美しく、太陽のようで、己の心の友であるあなたに。
逢えるものなら――。
《逢いたい》
「逢う心構えが確りしているとは言い切れませんが、ね」
心の中で思いを唱えた朔朗は少しばかり苦笑いを浮かべた。そうしていると、幽世蝶の雪枝が彼の周囲をひらひらと羽撃いていく。
その動きが先程とは違うと気付いた朔朗は彼女に指先を伸ばした。
「……雪枝? どうしました、急に翻々と舞って――」
蝶々に駆けた声が不意に途中で止まる。紡がれなかった言の葉の先、其処には薄っすらとした人影が現れていた。
「あなたは、」
朔朗の声が僅かに震える。恐ろしさや怯えからのものではない。先程に思い浮かべたばかりの人物が其処に立っていたからだ。
「――久し振りだね」
「……あなた……なのですか」
静かに笑いかけてきた相手に対し、朔朗は確かめるように問いかけた。すると彼は双眸をゆっくりと細めて答える。
「僕だよ、望之助だよ。晴九郎……いや、今は朔朗と呼ぶべきかい?」
「本当に、……本当に?」
信じていないわけではなかったのだが、朔朗は目の前の出来事を受け入れられていなかった。心構えがないと自分で語っていた通り、心が揺らいでいる。
「僕の他に誰がいると云うの。ほら、触れて御覧」
望之助は朔朗の手に触れ、その腕を軽く持ち上げてみせた。そのまま朔朗の掌を自分の頬に導いた望之助は静かに笑む。
熱がある。生きているようなあたたかさが感じられる。
白い手に触れたことではたとした朔朗はこれが現実だと悟った。彼は確かに存在していて、黄泉から帰ってきた。
涙が溢れそうになるのを必死に怺えた朔朗は、彼の声で紡がれた『晴九郎』という名前の響きを懐かしく感じている。
そして、しかと思いを噛み締めた朔朗は漸くしっかりとした声を紡いでいく。
「望之助、俺は……」
自分が全て享け負うべきだった呪に苦しむあなたを。
まだ死ぬ筈でなかったあなたを、救えなかった。
救うどころか、喰らうことで生き永らえた。
後悔でしかない過去を語り、俯いた朔朗の手は震え続けている。その手を握り返した望之助は静かにそれを聞いていた。
「……こうして言葉にするのも、悍ましくて堪らないくらいです」
「大丈夫だよ、もう終わったことだから」
望之助は平坦な声で答える。それだけでは感情が読み取れなかったが、激しい怒りを抱いているわけではないようだ。
「あなたは俺を憎んでいますか?」
「憎まれたい? それとも、赦されたい?」
朔朗が問いかけると望之助は質問を返してきた。それは自分がどう思っているかよりも、晴九郎であり朔朗でもある者がどう思われたいか、と投げかけているようだった。
おそらく、望之助自身にも解らないのだろう。
まだ彼の魂は寸前のところでオブリビオンになっていない。もし既に存在がオブリビオンになっていたならば、こうして現れることはなかったはずだ。
そのことを理解した朔朗はそっと顔を上げた。
「たとえ赦されなくとも、此れだけは誓う」
――もしあなたが骸の闇に呑まれる時が遣って来たら、その時こそは。
「俺があなたを救いたい」
「……そっか」
朔朗の言葉を聞いた望之助は静かに頷いてみせた。
「決して破りはしない、約束です」
「僕からも、約束して欲しい。もし僕が深い闇に堕ちたら――どうか、」
その先に交わした言の葉は、二人と一羽だけしか知らない。
望之助と晴九郎。
そして、縹の名を宿す朔朗としての己。
誓いを立てた彼らの姿を、雪枝の霊が宿る幽世蝶がそっと見守っていた。
大成功
🔵🔵🔵
君影・菫
◎
死んだ人に逢いたいなんて思わんかった
でも、
うちが真似る相手
いっとう長く過ごしたから影響は一番
うちを“すみれ”と呼んだキミ
ひとに近づいた今なら、
「あいたい」
瞬けば、その人がいる
うちと同じ顔で、同じ喋り方をするひと
真似てるのうちやけど
違うのは髪色だけ
『はら、もしかして――すみれ?』
「わかるん?」
『うちと同じ顔にその髪色やもの』
何より簪と指して咲う顔は大人でうつくしい
…そう、この髪は彼女が想い人から貰った翡翠から染まった彩
藤と呼ばれた遊女はすみれと呼ぶ簪を挿して
藤菫(ふじすみれ)という花魁になった
飾られるだけじゃ気付かんかったけど
今なら彼女が深く、愛してくれてたのが解るんよ
触れるゆびさきはどの持ち主より優しかった
「藤菫はん、」
『もう、他人行儀やね』
「ほんなら、藤ねえ」
『ふふ、ええな』
ねえさんと郭の子たちがいうてたから
あんな、うちにおとーさんが出来たよ
それからここは、うちのお気に入りの場所
応援したい神さまのいる場所
外に憧れてた藤ねえに見て欲しいって思ったん
綺麗やろて咲えばどキミはどんな顔を――
●藤と菫と桜花の戯れ
一歩、また一歩。
進む度に足元にやさしい波紋が広がっていく。
桜がひらりと舞い、花弁の影が水面に映っている。花と戯れるように飛ぶ蝶々達を振り仰いだ君影・菫(ゆびさき・f14101)は、緩やかな歩幅でまぼろしの橋を目指した。
其処は今、黄泉との架け橋となっている。
橋の上で想い人を呼べば縁が繋がっている相手が現れる。
「これまでは、死んだ人に逢いたいなんて思わんかった。でも――」
そっと呟いた理由は今までを省みるため。
菫にとって死者は過去のもの。
言葉通りに過ぎ去ったひとを自分の感情だけで呼び起こすことをよしとしなかった。それは菫の在り方が普通の人間ではないヤドリガミだからでもある。
しかし、今は違う。
「今のうちの……この、姿を」
彼女が見たらどう思うだろうか。自分が姿を真似る相手を思い浮かべた菫は、足元の水面に映り込む景色を見つめていた。
其処には変わらず、美しく舞う桜や蝶々の様子と自分が映っていた。水面が鏡になっているように、菫自身もまた彼女の鏡写しなのだろう。
されど、この姿を取ったことに関しては後悔などはしていない。
「そうやね、いっとう長く過ごしたから影響は一番」
――うちを“すみれ”と呼んだキミ。
懐かしくも切ない気持ちを抱いた菫は自分の胸元に掌を当てた。最初こそ自分はひとではないと感じていたが、ヤドリガミであっても心は持てる。寧ろ心というものを宿したからこそ、今の自分が在る。
だから。こうして、ひとに近づいた今なら――。
「あいたい」
菫は心からの言葉を紡ぎ、水面を見つめていた瞳を宙に向けた。
あえるんかな、と呟いた菫は振り向いて橋の欄干に背を預ける。ぱちりと瞬いた菫が再び瞼をひらいたのはたった一瞬。
たったそれだけの間に、その視線の先に彼女が現れた。
「はら、もしかして――」
首を傾げた女性は菫と同じ声と顔をしている。違うのは髪の色だけ。口調は菫の方が真似ているので同じで当然だが、纏う雰囲気もよく似ている。
「キミは……本当に――ああ、本当に会えるんや」
菫は少しばかり信じられないといったように何度も瞼を瞬かせた。まぼろしのようだと感じたが、幾度目を擦ってみても彼女の姿は消えない。
「すみれ?」
そして、彼女は此方の名を呼んだ。ぱち、と再び瞬いた菫は驚いている。
「わかるん?」
「うちと同じ顔にその髪色やもの。何より、その簪」
菫色に金が奔る上品な簪。菫の髪に飾られた本体を示した彼女はたおやかに咲う。その表情は大人でうつくしい。
そう、この髪は彼女が想い人から貰った翡翠から染まった彩。
彼女にとっても思い入れのある色を宿しているゆえ、菫のことが分かったらしい。
かつて彼女は藤と呼ばれていた。
藤は自らがすみれと呼ぶ簪を挿して、藤菫という花魁になった。
彼女は驚いたままの菫の髪をやさしく撫でてから、あの日々の中でそうしていたように簪に指先で触れた。
菫は藤に身を委ね、されるがままに受け入れた。
(そう、やったんや……)
彼女の慈しむような眼差しと指先の温度を感じて、わかったことがある。
飾られるだけでは気付かなかったが今なら理解できた。彼女が深く、とても深く自分を愛してくれていたことを。
遊女や花魁を飾る品として受け継がれてきた簪。
触れてくれる藤の指先はこれまでのどの持ち主よりやさしくて心地好い。菫は真っ直ぐに藤を見つめ、その名を呼んでみる。
「藤菫はん、」
「もう、他人行儀やね」
すると藤はやわらかな微笑みを浮かべた。既にこの世から去った者であるからか、このまぼろし橋の力が巡っているからか、藤はすべてを解ってくれている。
自分達は深い関係のあるものだと告げてくれた彼女に向け、菫も咲ってみせた。
「ほんなら、藤ねえ」
「ふふ、ええな」
「ねえさんと郭の子たちがそういうてたから、うちも親しみを込めて」
「なんや、同じ姿なこともあって双子の妹ができたみたいや」
菫が呼び直した響きを気に入ったらしく、藤は嬉しそうに双眸を細める。そうして藤は菫のことを聞きたいと願った。
こうして逢えたのだから、菫がどのように生きたのかを知りたい、と。
快く頷いた菫は藤に語っていく。
「あんな、うちにおとーさんが出来たよ」
「おとーさん?」
「うちのこと、すごく大事にしてくれるひとなんよ」
「ふふふ、その口ぶりからどれだけ好きか伝わってきたわ」
藤は口元に手を添え、くすくすと穏やかに咲う。その表情も仕草も本当に花のようだと感じながら、菫は周囲を示した。
「それからここは、うちのお気に入りの場所。応援したい神さまのいる場所」
「かみさま……。それは素敵やね」
うちも拝んどこかな、と両手を合わせた藤は桜舞う空を見上げた。此処は郭とは違って広々とした自由な世界だ。
狭い世界に身を投じた遊女だった彼女に、菫が見せたかった景色でもある。
「藤ねえ、外に憧れてたやろ。だから見て欲しいって思ったんよ」
「だから、うちを呼んだん?」
「そういうことになるやろか。ほら、綺麗やろ」
菫は自分達の間に飛んできた蝶々や、足元に広がる水面を示した。キミはどんな顔をするだろう。期待を抱いた菫が藤を見つめた、次の瞬間。
「ほな、探検に行こか。菫もおいで!」
「藤ねえ? ま、待って……!」
急に手を引かれた菫はきょとんとした表情を浮かべた。まさか藤が童女のようにはしゃいで駆け出すとは思っていなかったからだ。探検と言われたように、彼女は広い世界を見たくて仕方なかったのだろう。
「時間はたっぷりあるようでないんやろ? それやったら、存分に楽しも!」
「今だけの時間を……。そうやね、藤ねえ!」
微笑みを重ねた二人は神域の中で蝶々や桜と戯れながら駆けていく。
水面に咲いた花が枯れるまで。
そして――哀しみに彷徨うかの呪母神に、愛を思い出して識って貰うために。二人は手を取り合ったまま、水面に映る天に思いを馳せた。
大成功
🔵🔵🔵
宵鍔・千鶴
直ぐに、きみの元へ
独りにしないから、と
誓いは未だ果たしてない
……行けない理由が
残しては逝けない人達が
出来てしまったから
エト、ごめん
(幼い姿の少女、嘗て共に時間を過ごした幼馴染はわらってる、)
変わらない、花みたいに咲う
此れは俺の都合の良いきみ?
(あら、どうしてそう思う?)
だって、きみの凡てを奪ってしまった
夢も未来も時間も、其の身を
赦せる筈がない
忘れられない、
忘れちゃいけない
そんな呪いを己に掛け続けて
俺を、きみだけは赦しちゃいけない
(痛かったわ、苦しかったわ、
……でも、貴方が在るなら、私も在るの、証明になるの
悔しいのは、そうね
もう貴方と唄えないこと
桜を、観れないこと
最期は誰そ彼時、何も視えない)
(真赤な夕陽、真赫な貴方
不思議と千鶴の貌はよく見えた
大粒の泪の雫が落ちていた)
(ゆるさないわ
生きて欲しいから
忘れないで
其れが貴方の背負う罪の業
非道い女でしょう?
千鶴
私ね、あなたが好きよ
屹度戀をしていたの)
エト、
きみはとっくに解っていたんだろ、俺の気持ち
散らないで あと少しだけ
薄紅の美しい桜
大切なきみへ
●果たせぬ希求
嘗て、誓ったことがある。
――直ぐに、きみの元へ。独りにしないから、と。
美しく舞う蝶々が天を行き交う。
明けも暮れもしない空を仰いだ宵鍔・千鶴(赫雨徨花・f00683)は肩を竦める。
誓いは未だ果たしていないまま。
あのときに誓った思いは決して嘘ではない。けれども、今の千鶴には行けない理由が生まれてしまった。本当はすぐに向かえば良かったのだろう。
きみの傍に。
きみだけを想う証を示すために。
しかし、千鶴には残しては逝けない人達が出来てしまった。だから、まだいけない。彼女の元に進むことは出会ってきたすべてを裏切ることにも等しい。
されど逆に考えれば、そのことが彼女への裏切りにもなる。そう考えた千鶴は敢えて何も言葉にしなかった。
視線を下ろした千鶴は緩やかに進み始める。
目指すのは桜の神域の最中に現れた、まぼろしの橋の袂。ひとつ歩を進める度に波紋が生まれていった。それは優しいものであるはずだというのに、今の千鶴にとっては後悔や不安が広がっている兆しのようだと感じられる。
そして、千鶴はゆっくりと口をひらいた。
「――エト、」
名前を呼べば、周囲を飛び交っていた幽世蝶達がさっと波が引くように飛び立つ。千鶴は水面の向こう側から何かが訪れたような感覚を抱き、反対側の袂に目を向けた。
其処にはそれまでいなかったはずの人影があった。
「……ごめん」
エトと呼ばれたのは幼い姿の少女だ。千鶴にとっての幼馴染であり、あの誓いを捧げた相手でもある。嘗て共に時間を過ごした幼馴染は微笑みながら問いかけた。
「どうして謝るの?」
「…………」
千鶴は何も答えられず、一度だけ無言になる。
そんな彼を少女が見つめていた。あの頃変わらぬ笑顔。まるで花のように咲う彼女はまぼろしのようだ。本物なのかと疑ってしまうのは、千鶴の心の奥底に昏い後悔めいた思いがあるからかもしれない。
「此れは俺の都合の良いきみ?」
「あら、どうしてそう思う?」
問いかけてみると、少女は逆に質問を投げかけてきた。
二人の間に風に流されてきた桜の花が通り抜けていく。まるで境界線を描くように飛び去っていった桜の花は蝶と戯れるように揺らめいていた。
橋の此方側と向こう側。
反対側に立つ二人は此岸と彼岸に分かれたままであるかのよう。千鶴は自分の拳を強く握り締め、少女に答えを返していく。
「だって、きみの凡てを奪ってしまった」
痛いほどに強く力を込めた拳は震えていた。それでも千鶴は幼馴染から視線を外したりはしない。代わりに、ぽつり、ぽつりと降る雨の如き言葉を落とした。
その夢も、未来も、時間も。
そして、其の身を。
もし自分が彼女の側であったならば赦せる筈がない。
「そうね。痛かったわ、苦しかったわ」
少女は千鶴が語ったことに対し、淡々とした声を紡いだ。その口元は先程と変わらず、花咲く笑みを形作っていた。
忘れられない。
否、忘れてはいけないことをした。
「そんな呪いを己に掛け続けて……俺を、きみだけは赦しちゃいけない」
「そう?」
「……え?」
千鶴が胸元を押さえると、少女から意外な声が返ってきた。赦すべきか、赦されざるべきか。それ以前の話だと言った彼女から語られたのは――。
「貴方が在るなら、私も在るの、証明になるの」
「証明、なんて」
首を横に振った千鶴に向け、少女は訥々と言の葉を紡ぎあげていった。
「だけど悔しいわ。その理由は、そうね……もう貴方と、」
唄えないこと。
桜を、観れないこと。
少女が話した言葉を聞き逃さなかった千鶴は暫し、じっと彼女を瞳に映していた。
そんな中であの日の記憶が二人の間に廻る。
少女の最期。
あれは誰そ彼時。何も視えないことが、悔しい。
真赤な夕陽に、真赫な貴方。誰もが影になって解らなくなる。でもね、と口をひらいた少女は千鶴を見つめ返した。
「不思議と千鶴の貌はよく見えた。大粒の泪の雫が落ちていたから、解ったの」
だから、と少女は話を続ける。
今はその声だけを聞くべきだと感じた千鶴は自分から語りかけることを止めた。それでいいというように少女は千鶴に声を向け続ける。
「ゆるさないわ」
――生きて欲しいから。
「忘れないで」
――其れが貴方の背負う罪の業。
「こんなことを言う私は非道い女でしょう?」
「非道いのは俺の方だ」
揶揄うように少女が問いかけてきたことで、千鶴は己を示した。しかしそれは少女が満足する答えではなかったらしい。
「千鶴」
「……エト」
名前を呼びあった二人の距離は最初からまったく変わっていない。だが、其処には確かに繋がった紲があるように思えた。
少女は先程の言葉の続きを妙に淡々と、それでいて噛み締めるが如く語ってゆく。
「私ね、あなたが好きよ。屹度、戀をしていたの」
「きみはとっくに解っていたんだろ、俺の気持ち」
「――そう、ね」
橋の袂と袂。此方と彼方。重なった眼差しは言葉よりも雄弁に、千鶴と少女が抱く思いを伝えあうものとなって巡っていく。
水面にはいつしか、千鶴とエトが過ごせる時の刻限を示す花が咲いていた。
まだ花々は咲き誇っており、枯れる気配は何処にもない。つまり暫しの猶予が残されているということだ。
ただ望みさえすれば、少女は時間が枯れる最後まで傍にいてくれるのだろう。
だからこそ、千鶴は願う。
散らないで、あと少しだけ。
薄紅の美しい桜――大切な、きみへ。
大成功
🔵🔵🔵
ルーシー・ブルーベル
◎
会いたい
逢いたい
ずっと願っていた
あなたが亡くなってから色々なことを識って
またお話したいって
レイラ・ブルーベル
育てのお母さま
ルーのお母さま
金髪に青の目
身体が弱くて常に伏していらして
少し眉を下げて微笑むのが貴女のクセ
キレイって憧れた
改めて見ると良く分かる
ルーはお母さまにそっくり
わたしよりも
「ルーシー、久しぶりですね」
優し気な声に涙が滲む
ルーが、蒼蝶がひらと舞うと
お母さまが驚いたように「ルー」と呟き、指を伸ばす
…そうか
分かっちゃうんだ
その蝶に宿る魂が、あなたの娘だって
本当に愛していたのね
ルーもお母さまも嬉しそう
…お母さま、お久しぶりです
またお会い出来て嬉しい
お伝えたい事があったから
「何でしょう?」
優しくして下さって有難う
貴女との温かな時間があったから
私は愛を持てた
例えそれが哀憐からでも
ほんの僅かは本当に愛があったと信じても、いいでしょう?
眼帯を贈って下さって有難う
ブルーベルじゃなく
生家の花紋を刺繍して下さった魔祓の眼帯
お陰で私はまだ青花に喰われずにいる
今ね
大好きな人、沢山いるのよ
沢山いるの!
●母としての愛、娘としての心
会いたい。
逢いたい。もう一度だけでも。
ずっと、ずっと。心の底から、また会いたいと願っていたひとがいる。
「この先に行けば、逢えるのね」
ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)は期待と少しの不安を抱きながら、暮色と曙色が入り交じる神域をそうっと進んでいった。
まぼろしの橋に向かう際、想うのはあの人のこと。
(あなたが亡くなってから、色々なことを識って――またお話したいって)
その人の名はレイラ・ブルーベル。
少女にとっての育ての母。
そして、今はルーと呼ぶ彼女の本当の母親。
ルーシーの名を継ぐ少女は橋の上を歩いていく。一歩、また一歩と踏み締める度に彼女の姿が記憶に浮かんだ。
透き通るような金の髪。花のような青の瞳。
彼女はとても身体が弱くて常に床に伏していた。時々起き上がって、ベッドの傍に訪れたルーシーに笑いかけてくれた。
少し眉を下げて、静かに微笑むのが彼女の癖。
弱々しくとも美しさは衰えておらず、幼い頃のルーシーは彼女のことをとてもキレイだと思っていた。勿論、今も。
そう感じたのは、橋の上に彼女が立っていたからだ。
改めて見るとよく分かる。
「ルーはお母さまにそっくりね。わたしよりも」
ルーシーは自分の肩に止まっている蒼い蝶に語りかけた。蝶々が動く前に橋の上に現れた人影――レイラがルーシーの方に歩み寄ってくる。
「ルーシー、久しぶりですね」
「……お母さま、お久しぶりです」
掛けられた声に応えるべく、ルーシーはスカートの端を両手で摘んでお辞儀をした。此方を慈しむような眼差しも、優しげな声も懐かしい。
ルーシーの瞳には涙が滲んでいた。
レイラはそっと指先を伸ばし、頬に伝いそうだった涙を拭ってやる。
「泣かなくていいのですよ、ルーシー。……ルー?」
そのとき、少女の肩から蒼蝶が飛び立った。ひらりと舞う蝶がレイラの方に羽ばたいたことで彼女の言葉が止まった。そして、もう一度はっきりと言葉にする。
「ルー」
蝶々はレイラが伸ばした指先に止まった。その翅は何処か嬉しげに揺れている。
母が驚いていると感じたルーシーは、静かに頷いた。
「……そうか、分かっちゃうんだ」
蝶に宿る魂が、あなたの――レイラの実の娘のものだということを。
彼女もまた既に死した存在であるからか、蒼蝶と言葉を交わさずとも意思が通じ合っているようだ。ルーシーには、ルーとレイラが見つめ合っているように見えた。
(本当に愛していたのね)
親子の再会に立ち会えたことを嬉しく感じ、ルーシーは微笑む。
青い瞳と蒼い蝶。似た色を宿した双方からは愛おしさが溢れているようだ。
「ルーもお母さまも嬉しそう」
「貴女もですよ、ルーシー。とても幸せそう」
ルーシーがそっと語ると、レイラは此方にも手を伸ばしてくれた。二人ではなく、三人での再会だと語るようにして母はルーシーを抱き寄せてくれる。
仄かな温もりを感じたルーシーは一度だけ瞼を閉じた。彼女が自分たち二人の母親でいてくれるのだと知った少女は身体を離す。
「またお会い出来て嬉しい。お母さまにお伝えたい事があったから」
「何でしょう?」
見上げるルーシーの視線を受け止め、レイラは眼差しを返した。少女達の間にふわりと花弁が舞う。それは水面に咲いたブルーベルの花の欠片だ。これはきっと、レイラとルーシーが共に居られる時間を示したものだろう。
凛と咲くブルーベルの花が枯れたとき、別れは訪れる。
しかし、今は枯れる気配は見えない。まだこの時間を楽しんでいいと語るようにしてまぼろしの花は咲き誇っている。
花も再会を祝福してくれているようで、ルーシーは更なる嬉しさを噛み締めた。
そうして、ルーシーはレイラに思いを告げてゆく。
「優しくして下さって有難う」
「いいえ、母として当たり前のことです」
ルーシーが伝えた感謝に対してレイラは真っ直ぐに答えた。謙遜をしすぎるわけでもなく言葉を受け入れる彼女。その肩では蒼蝶が翅を揺らしている。
「貴女との温かな時間があったから、私は愛を持てた」
「……ええ」
「お母さま。たとえそれが哀憐からでも、ほんの僅かは本当に愛があったと信じても、いいでしょう?」
母として。先程に彼女が語った言葉を確かめるように、ルーシーは問う。
するとレイラは首を横に振った。
「確かに代わりとして連れて来られた貴女のことは不憫だと思いました。憐憫の感情がなかったと言えば嘘になるでしょう。でも……」
おいでなさい、と言葉にしたレイラは両腕を伸ばしてルーシーを引き寄せる。
ほんの僅か、などではない。
ルーシー・ブルーベルという存在ごと、貴女を愛するようになった。
「愛は最初から胸の中に存在するものではありません。少しずつ識って、学んで、育んでいくものなのですよ」
そういってレイラはルーシーを抱き寄せた。ふたりでひとつになった存在を慈しみ、愛おしいと想っている。
今だけはブルーベル家のことは関係がない。母と娘として過ごした三人が共にいるということだけを思えばいい。
母に抱き締められたルーシーも、そっと自分の腕を彼女の背に回す。蒼蝶は母の頬に擦り寄るように羽ばたいてから、ルーシーの頬をくすぐった。
それから暫し、少女は母の腕に抱かれていた。
顔を上げたルーシーは確かな愛を感じ取り、もうひとつの礼を言葉にする。
「眼帯を贈って下さって有難う」
ブルーベルではなく、少女の生家の花紋を刺繍してくれた魔祓の眼帯。今も大切に身に付けている眼帯は宝物。
「お陰で私はまだ青花に喰われずにいるの」
「良かった……」
レイラは心底安堵した様子で、眉を下げて微笑んだ。そうして、ルーシーはもっといっぱい話をしたいと願い、レイラに笑顔を見せる。
「今ね、大好きな人、沢山いるのよ。本当に沢山いるの!」
「ふふ。もっと聞かせてくださる?」
「もちろん!」
母から問われたことに満面の笑みで答えたルーシーは、指折り数えて語っていく。
楽しかったこと。嬉しかったこと。
苦しかったことも、それを乗り越えて此処まで歩いてきたことも。
これまで生きてきた、全てを伝えるために。
大成功
🔵🔵🔵
荻原・志桜
◎
大切で、大好きなひと
魔法の師匠がそこにいる
せんせい!そーーらーーくんっ
にひひ。また逢えたね
名を呼んで飛び付いて
いつものやり取りは胸を温かくさせる
呆れたようにヒマなのか、なんて言われるけど
だって話したい事たくさんあるんだよ
聞いてほしいことも、聞きたい話だって
時間が足りないの、全然足りない
ねえ、昊くん
愛ってなんだと思う?
たくさんの形があって、心を寄せる相手によって違うの
大切な友達、守りたいと思う子、いとしいひと
あと先生にもね、わたしから向ける愛はあるんだよ
にひひ。なんだと思う?
あ、だめだめ!面倒臭がらないで!
むぅ、わかりますー。だって近くでずっと見てきたもん
きっと師弟愛。先生がいるからわたしがいるの
たくさん怒られても、全然上手くいかなくて落ち込んでいても
わたしができるまで支えてくれていたの
なにひとつ忘れてない
あのね、昊くん。お願いがあるんだ
頑張れ、負けるなって応援してね
そしたらわたし何があっても諦めないから
だからずっとずっと応援してほしいの
魔法使いと魔女の約束
決して破ったらいけないんだから
●桜穹綵
「――せんせい!」
桜の花が咲き誇る、まぼろしの逢瀬橋。
明るく響き渡る声が向けられた先には、桜色の髪の青年が立っている。
「ん?」
「そーーらーーくんっ」
「うわっ!」
名を呼ぶと同時に飛び込んできた少女、荻原・志桜(春燈の魔女・f01141)。その身を反射的に受け止めた青年は声をあげた。抱き留めたかったのではなく、こうしなければ自分が転倒すると判断したからだ。
「お前なぁ……呼んだ矢先に飛び付いてくるやつがいるか」
「にひひ、だって昊くんがいたから」
「答えになってねぇだろ」
肩を竦めた青年。彼は志桜にとって大切で、大好きなひと。
魔法の師匠であり初恋の相手。以前と変わらぬ姿の彼は、志桜の身を引き剥がした。少々乱暴ではあるがそれこそが彼らしい反応だ。
「また逢えたね」
「志桜の方が逢いに来たんだろ」
「そうだけど、昊くんも待っててくれたもん」
「まぁな」
咲う志桜の頬を摘んだ昊は呆れの溜息を付いた。頬に痛みが伝わってきていないのは、彼が力を込める前に手を離して橋の欄干に背を預けたからだ。
「ヒマなのか、お前」
「暇じゃないから来たの。だって話したい事たくさんあるんだよ」
「……そうか」
「聞いてほしいことも、聞きたい話だってあるし、時間が足りない。全然足りないから、昊くんに逢いたかったの」
真剣な顔をした志桜を見遣ってから、昊は水面に咲いた不思議な桜を眺める。
この時間が続くのは花が枯れるまで。
刻限を理解した彼は、何が聞きたいのだと言葉にした。
「ねえ、昊くん。愛ってなんだと思う?」
志桜は昊の隣に立つ。甘えるように軽く寄り掛かりながら昊を見上げると、彼は顰め面をしていた。急に何を聞いてくるんだこいつは、という顔だ。志桜はくすりと笑いながら自分の思いを話していく。
「愛ってね、たくさんの形があって、心を寄せる相手によって違うの」
大切な友達。守りたいと思う子。
それから、いとしいひと。
「あと先生にもね、わたしから向ける愛はあるんだよ」
「愛が何か解ったら哲学者も要らなくなるだろ。だが、まぁ……一応、聞いてやる」
「にひひ。なんだと思う?」
「急にクイズ形式かよ」
人差し指を立てて問題を出した志桜から視線を逸した昊は反対側を向く。かなり面倒がられていると感じたが、志桜は引き下がらなかった。
「あ、だめだめ! 面倒臭がらないで!」
「わかるか、そんなもん」
「むぅ、わかりますー。だって近くでずっと見てきたもん」
志桜は昊の視線が向けられている方に回り込み、再びぎゅっと身を寄せる。すると昊は深く息を吐き、気まずそうに頬を掻く。
「……お前に恋されてた自覚はあった、けどな」
「――え?」
知ってたの? 気付いていたの? と困惑する志桜の頬が赤く染まる。自分でも最近に自覚したばかりだというのに、まさか師匠が想いに気付いていたなんて。
「そらくんの意地悪……」
「気付かねぇならそのままでも良かったんだ。俺が気持ちに応えられるわけがないこと、志桜も知ってただろ」
「……うん」
昊は宥めるように志桜の頭を撫でた。当時の彼が抱えていた事情を思うと切なさが巡ったが、今はそれ以上の絆を感じているので心はあたたかいまま。
「それで、答えは?」
昊は先程の答えを求めた。直接、志桜から聞きたいと考えたようだ。
「あのね、きっと――師弟愛。先生がいるからわたしがいるの」
たくさん怒られても、全然うまくいかなくて落ち込んでいても、彼は密かに支え続けてくれた。師匠と弟子として過ごした日々は、なにひとつ忘れていない。
「そういう愛なら、俺も――」
「昊くんも?」
彼が何かを言いかけたことで、志桜がぱっと笑みを咲かせた。その様子に気付いた昊は慌てて首を横に振る。
「何でもねぇ。これ以上、愛の哲学時間になるなら帰るぞ」
「だ、だめ! 帰らないで!」
踵を返そうとする師の背中に抱きついた志桜は黄泉への帰還を阻止する。しかと掴まったことで彼に宿る温もりが直接感じられた。そして、志桜はそのまま彼に願う。
「あのね、昊くん。お願いがあるんだ」
「叶えてやれるかどうかは別だが、何だ?」
「どんなことがあっても頑張れ、負けるなって応援してね。そしたら、わたし何があっても諦めないから」
だからずっとずっと応援してほしい。
志桜の言葉を聞いていた昊は少し考えてから、短く答えた。
「嫌だ」
「ええっ!? なんで、どうして?」
驚いた志桜の手を取り、再び引き剥がした昊は弟子の真正面に向き直る。あのなぁ、と呆れた顔をした昊は志桜の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「言わなくても頑張り続けて、負けられない戦いに挑むお前だ。諦めない心だって既にあるだろうが。それに、俺は……ずっとはお前の傍にいられない」
「昊くん……」
彼は己が死者であることを深く理解している。心が折れそうになったときに傍にいられない自分では、志桜の願いを叶えてやれないと感じているのだろう。
「だから――」
腕を貸せ、と告げた昊は志桜の掌を握って持ち上げた。
志桜が反応する前に彼は手首に口許を近付け、一度だけそっと口付けを落とす。
頑張れ、負けるな。ふたつの言霊が光を宿して形を成していく。
「そら、くん……?」
「嫌だとは言ったが、やらないとは言ってない」
手首に宿った光は、桜のチャームが揺れる言霊のブレスレットになった。志桜の手を離した昊は、自分の胸元に揺れる桜の花弁のペンダントを示し、悪戯っぽく笑った。
「このお返しもしてなかったからな」
「うん……うんっ、ありがとう! 昊くん大好き!」
「俺が傍にいなくてもこれが応援の代わりに……って、うわ。抱きつくな。暑苦しい、うざってぇ、面倒くせぇ!」
「にひひ。暫く離さないから!」
魔力で紡がれた桜のブレスレットは師匠から弟子へ想いの形。二人を繋ぐ桜の花は、これからもずっと続く応援の証になる。
これは魔法使いと魔女の約束。
決して破ってはいけない。否、絶対に破れない――ひとつの愛のしるし。
大成功
🔵🔵🔵
橙樹・千織
◎🐍
この神域も美しいわね
館と同じ朱の太鼓橋
そっと触れ言の葉を紡ぐ
だいすき
空気が揺らぎ
近付く衣擦れの音
嘘…、母様?
佇むのは金糸に薄紅の花咲かせ
深紅の瞳と額に浮かぶ朱櫻の紋
薄紅の翼を携えた
嘗ての母
ー大きくなったわね、千織
…逢いたかった
はらはらと涙が散る
一度散り、姿が異なる自分に応えてくれた
柔く笑む優しい母に
ーあらあら、泣いているの?ふふふ、泣き虫さんねぇ
糸桜の森を護る一族でね
月の神を祀る神社があるのよ
…色々あったけれど、ね
森の外でね、友人もできたの
遊びに行ったり、背を任せたり
まだ全てではないけれど
識っても共にいてくれる人もいる
とても大切で、大好きな人達
恋人!?いないわ!?
友人達にも家族にも感謝してる
歪な私を認め愛してくれる
…私はとても幸せね
もうね、これを手放せないの
彼らがどう想うかはわからないけれど
この幸せを、彼らの日々を護りたい
彼らの為なら
この身を鬼に…獣に堕とすことも厭わない
母様はそういうことあった?
も、勿論それは最期の手段
そうならないように
母様のように護るにはどうしたら良いのかしら…
●桜が枯れぬように
「この神域も美しいわね」
ゆったりと水面の地表を歩き、桜が舞う景色を瞳に映す。
橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)は辺りに舞い飛ぶ蝶々を見渡し、此処に静かな危機が迫っていることを確かめた。
今はまだ穏やかで変わりのないように見えるが、幽世蝶は異変の兆し。本来ならば見つけられないちいさな綻びでも、蝶々達が見つけて導いてくれる。
歩けるほどの浅さの水面が広がる領域だが、この場所の何処かに深い海の如き水底が現れているという。未だ何処であるのかは突き止めることは出来ない。幽世蝶達も異変を引き起こすものの位置までは分からないらしい。
それゆえに千織は愛呪の在処を探ったりなどしなかった。
そうして進んでいけば、黄泉に繋がっているまぼろしの橋が視界に入る。
館と同じ朱の太鼓橋だと感じた千織はそちらに歩いていった。そして、中央まで進んだ千織は欄干にそっと触れる。
死に別れたいとしい相手と聞いて想うのは、あのひと。
橋から覗き込んだ水面に映っている自分の姿を確かめ、千織は言の葉を紡ぐ。
《だいすき》
そうすることで周囲の空気が揺らぎ、千鶴の耳に或る音が届き始めた。
近付くのは衣擦れの音。
振り向いた千織が目にしたのは、先程に思い浮かべた人の姿だった。
「嘘……、母様?」
千織の傍まで歩み寄ってきた女性は穏やかに微笑んだ。目の前に佇んだのは金糸に薄紅の花を咲かせたひと。
深紅の瞳は美しく、額に浮かぶ朱櫻の紋が印象的だ。
そして、背には薄紅の翼を携えた――嘗ての、母。
「大きくなったわね、千織」
母は双眸を細めてとても嬉しそうに語りかけてくれた。彼女を見つめ続けている千織の瞳には涙が浮かんでいる。
「……逢いたかった」
はらはらと涙が散った。その涙を認めて、そっと見つめてくれる母の眼差しはとても優しいものだ。
一度は散り、姿が異なる自分に応えてくれた大切な母。
柔く笑む優しい母は千織とは違って、あの日のままの懐かしい姿をしている。
「あらあら、泣いているの?」
「母様にまた逢えるなんて、此処に来るまでは思っていなくて……」
「ふふふ、泣き虫さんねぇ」
複雑な事情を抱えている千織は思い悩むことも多い。そんな自分でもこうして優しく包み込んでくれる母の存在は大きい。
母は千織に腕を伸ばし、泣き止むまでそっと抱いてくれた。
懐かしい香りと心地良さを感じた千織の涙は次第に止まっていく。哀しい気持ちよりも嬉しい思いが上回っていったからだ。
そうして、母は千織がこれまでどのように過ごしてきたのかを聞いた。
魂は黄泉から生者を見守ってくれるというが、その全てを把握しているわけではないのだろう。それに、母は娘の口から直接色々を聞きたいようだ。
千織は母に笑みを向けた後、そうっと瞼を閉じる。
思い返すのは、これまで自分が知ってきたたくさんのこと。
「糸桜の森を護る一族でね、月の神を祀る神社があるのよ……色々あったけれど、ね」
夢で見たこと。
実際に知識として得たこと。
そういったことをゆっくりと話す千織の声を、母は静かに聞いていた。幸いにも此度は時間もたっぷりある。
一時的に実体化した魂との別れの刻限。それを示す花はまだ枯れそうにない。
千織はこの時間を心地よく感じながら様々な話をした。
「森の外でね、友人もできたの」
「まぁ、素敵ね」
「遊びに行ったり、背を任せたり……まだ全てではないけれど、識っても共にいてくれる人もいるの」
「信頼できる人が出来たのね」
「そう――とても大切で、大好きな人達」
母の声を聞いていると落ち着く。千織は天を仰ぎ、これまでに話した人々の姿を思い浮かべていく。微笑んだ千織の横顔を見た母はふと問いかけた。
「その中に恋人さんはいるのかしら?」
「恋人!? いないわ!?」
「あらあら、まぁ。そんなに驚かなくてもいいのに。好いている方は?」
「それは……ええと、秘密にさせて?」
「仕方ないわねぇ」
くすくすと笑った母が纏う雰囲気は千織とそっくりだ。笑み方が同じなのも親子である証なのだろう。千織は呼吸を整え、ゆっくりと息を吐いた。
「でもね、友人達にも家族にも感謝してる。歪な私を認め愛してくれる」
「……ええ」
「私は、とても幸せね」
「千織がそう思えているのなら、私も幸せよ」
母は娘の幸福を願うもの。彼女は千織の笑顔が見られたことで満足しているようだ。千織は母から向けられる愛を感じ取りながら更に語っていく。
「もうね、これを手放せないの」
彼らがどう想うかはわからないけれど――。
この幸せを、彼らの日々を護りたい。
だから、此処に訪れた。母に逢いたいと願った気持ちもあれど、彼らの為ならば。
「この身を鬼に……獣に堕とすことも厭わない」
「……千織」
千織が覚悟を抱いた言葉を落とすと、母の口調が強いものになった。嗜めるような、それでいて娘を心配するような声色だった。
「母様はそういうことあった?」
「それを聞いてどうする心算なの?」
先達としての意見を聞いておきたくなった千織が問いかける。対する母は厳しい表情になった。其処ではっとした千織は慌てて首を横に振る。
「も、勿論それは最期の手段」
「最期……?」
千織が語っていく言葉を聞いた母は神妙な顔をした。
「そうならないようにしたいの。母様のように護るにはどうしたら良いのかしら」
「千織。それは貴女自身が――」
考えることよ、と語ろうとしたであろう母の姿が不意に消えた。気付けば水面に咲いていた花がすべて枯れている。
「え?」
千織が疑問を落としたと同時に、ぽちゃん、と水音が響いた。
●肆番目の贄
千織は自分が水底に引き込まれて沈んでいるのだと感じた。
何処とも知れぬ深い闇の中に引き摺り込まれ、自分が自分でなく成る。そういった感覚に抗おうとしても身体が上手く動かない。
母が最後に言っていたことを思い出しながら、千織は強く瞼を閉じた。
考えなければ。見つけなければ。自分で。
他の誰かの意見や考えではない。己だけの、唯一の答えを。
肆之首の贄――橙樹・千織。
大成功
🔵🔵🔵
兎乃・零時
🐍
◎
君を想いながら、気持ちを込め声を出す!
夢想ー!!
会いたいから会いに来たぞー!
最近お前を呼び出す術式見つけたけど
あのお前自身を出せるかちょっと不安だったっつぅか…
…だからお前に会いにきたのさ!会えて嬉しい!
色々と今までの事も含め話したかったしよ!
それが夢想へ送る信愛、友愛
一度きりでも確かに繋いだ縁
彼女に会う為に此処迄読み解いてきたのだから
…そういや、桜魔の魔導書っての解読してる時、一つ気づいたんだ
呪も想いが関係してるって
自分か誰かへ向け送る想い
それが結果として誰かの呪いにも祝いにもなる
愛呪もそう
一度半分のが入った事在るけど
あれも強い愛があったからこそ凄かった!
つまり想いは力だ!
そんで夢想も想いの力!夢想う心を力に変える!
そんなお前が居れば百人力だ!
だから、夢想!お前の力!貸してくれ!
・会いたい
「夢想の魔人」
『微睡む淡紅』の試練の際に出会いし魔人
イレギュラーな試練の影響で文字通り一度消滅…死んだ形
個体名は「Dreamer」
のんびり系の口調で一人称は私
他試練の事は把握してる
会話内容お任せ
●紐解く呪
黄泉と幽世を繋げるまぼろしの橋。
神出鬼没の不思議な橋は、想い人との再縁を繋ぐもの。
異変を報せる幽世蝶が舞う神域に足を踏み入れた兎乃・零時(其は断崖を駆けあがるもの・f00283)は、まぼろし橋まで一気に駆けていく。
「あいつなら、きっと……!」
零時は幸いにも死に別れた縁者はいない。
焦がれている過去の人なら存在するが、想い人と呼ぶには遠かった。
どれほど憧れていても、向こうが此方に同じくらいの思いを向けてくれているか、縁者として認識してくれていないと黄泉の道は繋がらない。また、骸の海から蘇るオブリビオンである場合はこういった場所に呼び出すことは難しい。
だが、今ならば『彼女』を呼べる気がした。
零時は橋の上に立ち、彼女を想いながら、気持ちを込めて叫ぶ。
「夢想ー!!」
勢いのある声が辺りに響き渡り、水面をわずかに揺らした。幽世蝶がゆらりと羽ばたく最中、零時は更に声の限り夢想――己の手で決着をつけた存在を呼ぶ。
「会いたいから会いに来たぞー!」
その声に呼応するように、淡い光が辺りに漂い始めた。光は徐々に人の形を取っていき、零時の目の前に顕現していく。
「ん、んん……何? 何だか変な呼び出し方してさ……ふあぁ……」
其処に現れたのは、欠伸をしている少女。
微睡む淡紅。終わらない眠りへの誘いを司っていた書の魔人の化身だ。
彼女はイレギュラーな試練の影響が出てしまい、一度は消滅した。そうして、魔人化する力を失っていたのだが――。
「夢想!」
「なーんだ、ご主人か。どうしたの?」
夢想は呼び出した主が零時だと知ると、持っていた枕を抱き締めた。どうやら縁者としての繋がりは十分だったようだ。
「いや、最近にお前を呼び出す術式を見つけたけどさ。いつでも呼べたんだが、あのときのお前自身を出せるかちょっと不安だったっつぅか……」
「そんなことを気にしてたの? もう、すごく遠回りして召喚された気分だよ」
零時は既に召喚の術式を会得していた。
されど彼自身が語ったように少しばかり懸念があったのだ。対する夢想はどうやら正規ルートではない召喚のされ方をしたことで、少し変な気分になったらしい。しかし、彼女は特に怒っているような様子はない。
「ごめんな……。だからここでお前に会いにきたのさ! 会えて嬉しいぜ!」
「仕方ないなぁ。でも、また呼んでくれたからいいよ」
私も会えて嬉しい、と返した夢想はふわふわとその場に浮いた。眠たげだが、書の主としての零時と会話できることが心地良いらしい。
「色々と今までの事も含め話したかったしよ!」
この思いが零時が夢想へ送る信愛であり、友愛のかたちだ。
一度きりでも確かに繋いだ縁は主と書として繋がり続けている。黄泉の力に頼ることになっても、こうして彼女に会う為に此処まで術式を読み解いてきたのだから。
「それで、お話するの? 敵を倒すの?」
「いや、まだ敵はいねぇ……と思う。だから話そうぜ」
「わかったよ、ご主人」
こくりと頷いた夢想はさりげなく、この領域に潜む危機を感じ取っていたようだ。零時が首を振ったことで、夢想も理解した。
そして、彼女は零時に問う。
「んー……ご主人じゃなくて、レイジって呼んで良い?」
「おう! そういや、桜魔の書ってのを解読してる時、ひとつ気づいたことがある」
「桜魔?」
「桜龍の呪法が記された書を託されたんだ。それに、呪も想いが関係してるって書いてあるように思えたんだよ」
自分か誰かへ向けて送る想い。誰かをいとおしいと懐う心。
それが結果として、別の誰かや本人にとっての呪いになり、祝いにもなる。
「愛呪も多分、そうなんだよな」
「なるほどねぇ。人の心が関係する以上、必然だと思うよ」
「だよな! 一度半分が入った事在るけど、あれも強い愛があったからこそ凄かった! つまり想いは――」
「力、なんだよね」
零時が語ろうとしたことを継ぐようにして、夢想が言葉を紡ぐ。
大きく頷いた零時は瞳を輝かせた。
「そう! そんで夢想も想いの力だろ! 夢想う心を力に変える! そんなお前が居れば百人力だ!」
「買い被りすぎだよ。ふふ、でも悪い気はしないなぁ」
真っ直ぐに願う零時の視線を受け、夢想はのんびりとした口調でふわりと微笑む。零時は夢想に手を伸ばし、その掌を強く握り締めた。
「だから、夢想! お前の力! 貸してくれ!」
「貸すも何も、私はもうレイジの力そのものだよ」
大丈夫、と夢想は語った。その答えが快いものだったので零時は喜びが宿った笑顔を浮かべる。そんな中、夢想はぽつりと独り言を零した。
「愛呪か……みんなだったらどう思うかな。地獄くんはいつも通りに地獄行きだって笑って、神聖くんは人なんて愚かだっていうだろうし、幻想ちゃんは……レイジに感心するかもしれないなぁ」
「夢想? 何か言ったか?」
「ううん、書の魔人の子たちを思い出してだけで……あれ?」
「書の魔人……!? って、どうした?」
夢想の独り言が気になった零時が問いかけてみると、答えの代わりに異変を感じさせる声が帰ってきた。おかしいな、と呟いた夢想の姿が薄れている。
「誰かが私達の繋がりを切って……あ、駄目かも。私、眠らされて――」
書の魔人は大きな欠伸をすると同時に消え去った。
だが、異変は零時の身にも起こっているようだ。闇に引き摺り込まれるような感覚が先程から巡っていた。
「夢想! おい、夢――!?」
ぽちゃん、と水に何かが落ちる音が響く。音と共に水面に出来た波紋が消えた時、その橋の上には誰の姿も見えなくなっていた。
●伍番目の贄
水底に沈みながら気を失った零時の心に、誰かが語りかけてきている。
――レイジ。
私はまた眠らされてしまうけど、繋がりはまだ此処にあるよ。とても苦しいだろうけど、私を呼んで。次は黄泉の力を借りるんじゃなくて、レイジ自身の力と意志で。
きっと難しい。この大蛇の力と愛と呪は、とんでもなく強いから。
だけどキミなら出来るよ。
信じてる。だって、この私のご主人になった子だから。ねぇ、レイジ。
伍之首の贄――兎乃・零時。
大成功
🔵🔵🔵
リル・ルリ
◎🐍
とうさん!かあさん!!
橋の向こうへ届く様に呼ぶ
駆けるヨルを追って游ぐ
──リル
逢いたかった!
とうさんと声と、かあさんの歌声が響く
ノアとエスメラルダ……二人並ぶ姿は穏やかで優しくて…やっと普通の夫婦になれたようだ、なんて
思い切り胸に飛び込んでも許されるよね?
大好きな肉親
抱きしめて
撫でてもらえる──確かな愛情を感じる
僕ね、今度はくきーを焼いたんだ
ヨルもこねてくれたんだから
おいしい?
ふふー!カムイの神域の桜、綺麗でしょ
カムイは僕の同志で神様
二人にも紹介しなきゃ
櫻も待ってるよ
櫻とカムイだって僕の愛するかぞくだからね
今は水面にも色んな花が咲いてるから
皆でお花見するのもいいよ
僕ね、とうさんに話したいことが沢山ある
かあさんに歌も習って歌いたい
僕は、大好きなひと達を救えるように
守れるようになるんだから!
僕らが会えるのは生と死が繋がった時だけ
例え水沫のような一時だってしあわせだ
噛み締めるように笑う
りるるりるり
生と死をこえて
継がれている想いがある
伝う愛を歌う
何処までも届くように
愛を無くしてしまった
君にも
●黒が繋ぐ緤
歌が響いている。
リルルリ、リルルリルルリ。
優しくて美しい、人魚の紡ぐ聲が――。
「とうさん! かあさん!!」
桜が舞うまぼろしの橋の上へ游いでゆくリル・ルリ(『櫻沫の匣舟』・f10762)は、其処に佇む黒衣の吸血鬼と揺蕩っている黒の人魚を呼んだ。
「きゅー!」
エスメラルダが腕を伸ばしたことでヨルがぴょこんと跳ぶ。
そして、その隣に立つノア・カナン・ルーがリルを見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「……リル」
ノアの声に合わせて、ヨルを抱いたエスメラルダが歌声を響かせる。おいで、と語るようにノアは両手を軽く広げた。
「逢いたかった!」
リルは彼の腕の中に飛び込んでいく。
あのときのように終わりを与える刃を刺すためではない。父と子として、当たり前に出来なかった抱擁をするために。彼から薫る黒薔薇の香りは心地よく、親子として触れ合えることが嬉しくて堪らない。
エスメラルダはリルの背に游ぎ寄り、ヨルごと息子を抱きしめた。
あの頃の何処か苦しげだった二人とは違い、今の彼らは穏やかな表情をしている。そっとノアから身体を離したリルに、エスメラルダがヨルを渡した。
そうして、彼女はノアの隣に並ぶ。彼に寄り添ったエスメラルダは慈愛に満ちた眼差しを向けていた。
「やっと、普通の夫婦になれたようだ」
――ルララ、ルルラ、ラララ。
ノアが語るとエスメラルダも幸せそうに歌った。
そうして、次は彼女がリルを抱きしめる。ノアは妻と息子の両方を抱き寄せ、親子としての抱擁を重ねた。
過ぎ去った時間を取り戻すように。
抱きしめて、撫でて、頬を寄せて。リルは其処に確かな愛情を感じた。
闇に閉ざされた世界では出来なかったことが此の神域では叶う。水面に咲いた黒薔薇が枯れるまでは一緒に過ごせることが本当に喜ばしい。
リルは存分に二人の温もりを満喫した後、用意してきた包みを取り出した。
「僕ね、今度はくきーを焼いたんだ」
「以前のライスボールの次はクッキーか」
「きゅっきゅー!」
「そうだよ、ヨルもこねてくれたんだから」
両親にクッキーの包みを渡したリルは、食べてみて、と二人に願った。
まるで少女のように瞳を輝かせたエスメラルダはクッキーを手に取り、小さな口でさくさくと食べていく。ノアは遠慮がちだったが、息子の手作り菓子を食べぬわけにはいかないとして静かに食んだ。
「おいしい?」
「……ああ。エスメラルダも『あまい! おいしい!』と言っている」
リルが問いかけるとノアは双眸を細めて答える。
エスメラルダは二枚目に手を伸ばしていた。その口許に残った欠片をノアが指先で拭ってやる。ただそれだけで、リルの心は幸福でいっぱいになった。
そうして、リル達は橋の上から神域の景色を眺める。
黒の人魚はヨルを抱いて宙を游ぎ、舞う桜や蝶と戯れていた。リルとノアは隣同士で並び、彼女が楽しそうに自由に游ぐ姿を見上げる。
「……美しいな」
「カムイの神域の桜、綺麗でしょ」
「いや、桜もだが――」
「そっか、美しいってかあさんのことだったんだね。ふふー!」
父が母を見つめる眼差しが優しかったのでリルは嬉しくなる。ノアは少しばかり誤魔化すように咳払いをしてから、リルに語りかけた。
「それで神の話だったな」
「うん! カムイは僕の同志で神様なんだよ。一緒に櫻も待ってるよ」
「彼奴もか。私のリルを喰らおうとしていた……」
櫻宵の話をしたことでノアの表情が僅かに変わる。水葬の舞台のことを忘れていないらしく、父としての複雑な気持ちが巡っているようだ。
「大丈夫だよ! 櫻が食べたがってた僕なら、呪いに取り込まれる資格が充分にあるはずなんだ。それに櫻とカムイだって僕の愛するかぞくだからね」
「……そうか、家族か」
リルが真っ直ぐに伝えたことでノアは神妙に頷く。そうしているとエスメラルダが二人の元に戻ってきた。その腕には数多の花が集められ、花束のようになっている。どうやらリルとノアのために摘んできたようだ。
黒薔薇は勿論、様々な彩の桜に牡丹一華、ネリネに菫。元より霊力で出来ている花々は摘んでも瑞々しく、萎れる気配はない。
「かあさん、僕にくれるの?」
想いの花束をリルに差し出したエスメラルダは、こくこくと頷いた。ノアにも黒薔薇だけの花束を贈った彼女は何処か得意げな笑みを浮かべている。
「皆でお花見をしてるみたいだね」
「そうだな、綺麗だ」
「僕ね、まだまだとうさんに話したいことがたくさんあるんだ。それにかあさんに歌を習って、一緒に歌いたい!」
「良いことだ。エスメラルダ、歌ってやるといい」
リルが願うと、ノアは妻をそっと呼んだ。幸いにも此度は時間がある。神域で過ごすひとときはこれまで以上に長いものとなるだろう。
話して、歌って、聴いて。親子で紡ぐ時間に期待を抱き、リルはエスメラルダに寄り添った。一番の特等席で歌を聴くためだ。
「やった! 僕は、大好きなひと達を救えるように、守れるようになるんだから!」
「そういえば、リルに教えていなかった詩があったな」
「とうさんの曲?」
「ああ。『黒の歌』だ。黒薔薇の聖女を諌める曲だが――何れの為に教えておこう」
「……うん、聞きたい」
曰く、黒の歌は未完成であるが故に教えなかったらしい。記されていない残りの部分はリルが創って紡いで欲しいとノアは願った。
それから、リル達は家族としての時を過ごししてゆく。
自分達が会えるのは生と死が繋がった時だけ。たとえ水沫のように消えてしまう時だってしあわせだ。噛み締めるように笑い、リルは覚悟を抱いた。
そして――。
●陸番目の贄
「とうさん、かあさん、行ってくるね」
「行ってくるといい。ただし必ず戻って来ることだ」
「勿論だよ! ヨルも一緒にいてくれるから、絶対に大丈夫」
――りるるりるり。
生と死をこえて、継がれている想いがあるから。伝う愛を歌う為にリルは自ら愛呪の元に向かうことを決めていた。
息子の意志を認めた二人の姿は、愛呪の影響で枯れ逝く黒薔薇と共に薄れゆく。
いってらっしゃい。
泡沫の如く微笑んだエスメラルダが見送るように歌を紡いだ。
――リルルリルルリ。
その声が消えた直後、花々を抱いたリルとヨルは呪の水底に囚われて沈んでいく。
何処までも届くように、歌よ響け。
どうか。愛を無くしてしまった、君のこころにも。
陸之首の贄――リルルリ・カナン・ルー。
大成功
🔵🔵🔵
誘名・櫻宵
🌸神櫻
◎🐍
硃赫神斬
カムイの分霊ではなく
あの頃と同じ厄神の一柱
大好きな私の師匠
イザナ!って
飛ぶように駆け抱き締めるなんて
師匠ったら大胆
過去の私達の姿も愛おしい
遥かな昔から結ばれた愛がある
幸せそうな神斬に咲む
掌を握り返しカムイに身を寄せる
私を助けてくれた師匠に少しは恩返しできたかな
淡い空を過去と今と歩み花見をするのは不思議な心地
張り合う?かぁいいこと!
未来は
これから私達が咲かせる
散ってもまた何度でも
諦めない
結ばれたいとが嬉しく倖せ
私の神様
あいしてる
目一杯の愛を伝える
離れないよういとで結んで
離さないで
ずっとずっと愛していて
そしたら私
どんな事でも乗り越えられる
一緒に生きていたい
旅する約束を今度こそ守る
櫻華
私の桜をあげる
カムイが
リルが
私の愛しい人達が
すくわれるよう
愛が叶い咲くよう
私が今までに咲かせた桜を全て
戀が出来てよかった
罪をしれてよかった
愛をありがとう
愛してる
おかげで私は変われた
師匠との約を果たす
母上…華蛇
私は此処に
あなたに愛する皆を傷つけさせない
母上達にも苦しんで欲しくない
あなたをとめる
朱赫七・カムイ
⛩神櫻
◎
イザナイカグラ
あの頃の君
その身は人形ではない美しい桜祝の竜神
花が咲く一時だけでも
生身の身体は懐かしいな
笑うイザナにに直ぐに駆け寄り抱き締めた神斬が微笑ましい
過去の私達も仲睦まじくて嬉しい
いつもと同じで少し違うね
花見か…いいね
イザナを想う神斬に負けないくらい私はサヨが大事なんだと張り合いたくなる
落ち着かない様子のホムラを撫でてから
愛しい巫女と手を絆ぐ
恩返し?きみが笑って生きていてくれるだけでいいのに
未来はまだわからない
これから咲かせていこう
リルが歌って櫻宵が咲う
共に生きる未来を
櫻ノ宵
解けぬよう離れぬよう
きみを見失わないように
御魂を結ぶ魂結びを施す
愛を込めて大切に
きっとかの神と私と
きみに永遠を願う心は同じ
あいしているんだ、櫻宵
離れたくない
ずっと一緒にいたい
神斬とイザナみたいに永遠を誓いたい
其れを選ぶのは櫻宵だけれど
サヨがくれた桜を優しく抱く
まるで護桜だ
サヨ!
きみを愛し救う
私はその為にうまれた
サヨを守る
連れては行かせない
きみに纏う呪厄を祓い廻らせ
繎の愛を
厄を正す
神斬
私は果たしてみせるよ
●千年の戀と愛
朱塗りの橋に佇む人影がふたつ。
其の影の主は、硃赫神斬とイザナイカグラ。
あの頃と同じ厄神の一柱。そして、美しい桜祝の竜神。
分霊や荒御魂が宿った人形ではなく、嘗て存在したままの彼らが其処に居る。
「花が咲く一時だけでも、生身の身体は懐かしいな。なぁ、神――」
「――イザナ!」
神斬は目の前の彼が以前のままの生身であると知り、飛ぶように駆けて抱き締めた。自分よりも背の高い神に飛びつかれたことでイザナの言葉が止まり、彼は半ば抱き潰されるようなかたちで神斬の腕の中に埋もれた。
「こら、おいたが過ぎるぞ」
「だって、イザナ……。イザナがいる。私の目の前にイザナが」
「落ち着け、神斬」
今の神斬はまるで、大好きな相手に千切れんばかりに尻尾を振っている大型犬のようでもあった。手を伸ばして頭を撫でてやったイザナは呆れ顔だが、その言葉から滲む嬉しさは隠しきれていない。
少し離れろ、と告げたイザナの声を聞いた神斬は素直に身体をずらした。それでもイザナに触れる腕は離されていない。
「こうして直に触れ合うのは、桜色の彼岸花をとってきてほしいと言われた以来だね」
「……そうだったな」
「あたたかいね。出会った頃の君のようだ」
「すまなかった」
「どうして謝るの? 過去も大事だけれど、今が在ればそれだけで私は幸福だよ」
「神斬……」
二人は過去を懐いながら、互いを見つめ合う。ひとときだけであっても自身として触れ合い、確かな熱を重ね合える時間が愛おしい。
「噫、私のイザナ」
「私にとっての桜色の彼岸花は、お前だった」
――あいしている。
言の葉を伝えた二人の影が再びひとつに重なり、抱擁が交わされる。それからイザナイカグラと硃赫神斬は決して互いを離さなかった。
●想い廻る未来
「師匠ったら大胆ね」
「噫、過去の私達も仲睦まじくて嬉しいな」
まぼろしの橋の袂で、その光景を見つめていたのは誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)と朱赫七・カムイ(厄する約倖・f30062)。彼らは自分達の過去の魂が実体に戻り、再び触れ合えたことを嬉しく感じていた。
櫻宵は思う。
自分を一時的に愛の呪いから遠ざけ、助けてくれていた師匠。これで彼に少しは恩返しができただろうかと。
しかし神斬もカムイも、こう語るだろう。
――きみが笑って生きていてくれるだけでいいのに、と。
前世と今。
遥かな昔から紡がれて結ばれた愛がある。幸せそうな神斬に咲み、カムイは手の中に収まっていたホムラを撫でた。
ホムラだけは落ち着かない様子であり、しきりに周囲を気にしているようだ。
「いつもと同じで少し違うね」
でも、大丈夫。そう告げたカムイはホムラへ、気になるなら辺りを見て回ってきて欲しいと願った。鍛えた翼を得意げに広げた雛は、ぴちゅん! と高速で飛び立っていく。
其の翼を見送ってから、カムイは櫻宵の手を握る。
「あら、どうしたの?」
「イザナを想う神斬に負けないくらい、私もサヨが大事なんだ」
あれほど仲睦まじい姿を見ると、つい張り合いたくなってしまうと話したカムイ。その掌を握り返した櫻宵はそっと彼に身を寄せる。
「かぁいいこと!」
「サヨも可愛らしいよ。誰よりも君が愛おしい」
「ふふ……」
二人は寄り添い、迎桜ノ神域の景色を見つめた。此処から続く巡りと縁を想うと心があたたかくなる。されど、未だ越えなければならない呪が残ったまま。
櫻宵とカムイは視線を重ね、未来を思う。
「未来は――」
「まだ、わからない」
「ええ。でもこれから私達が咲かせるの」
「咲かせていこう、共に」
散っても、枯れたとしても、また何度でも。
諦めないと決めた。すくうと誓った。二人は風に乗って舞う桜の花を瞳に映す。
春はこうして、桜を眺めよう。
夏には空を彩る花火を見よう。
秋には色付いた紅葉を狩ろう。
冬は湯気が立つ温泉に入ろう。
特別な夜には盃を重ね、紫陽花が咲く頃には並んで路を歩く。
月が綺麗だと笑いあって次の季節を迎える。幾度も、何度でもこうやってひととせを重ねて、共に過ごす未来を創ろう。
――櫻ノ宵。
カムイは約束と共に櫻朱の絲を紡いだ。
解けぬよう、離れぬように。そして、きみを見失わないように。
御魂を結わう、魂の結びを伴侶に廻らせる。カムイは愛を込めて大切に櫻宵を抱き締め、強い想いを込めた。
きっと、かの神と自分は同じ。きみに永遠を願う心は永き時を経ても色褪せない。
「あいしているんだ、櫻宵」
離れたくない。ずっと一緒にいたい。
神斬とイザナのように、離れても繋がる永遠を誓いたい。
カムイは心からの愛を囁き、櫻宵の額と己の額を合わせた。どの瞳でも櫻宵だけを映すという意味合いを込めた動作だ。
何を成すか選ぶのは櫻宵本人。けれども、此れが己の思いだとカムイが示す。
櫻宵は櫻朱の絲が絆がれていく心地を感じながら、彼に身を預けた。
「カムイ、私ね……とても幸せよ」
結ばれた、いと。
確かな縁を感じられることが嬉しくて堪らない。櫻宵は瞼を閉じることで、カムイの宿す熱と愛情にめいっぱいに浸った。
「私の神様。あいしてる」
「……噫、サヨ」
愛を伝えあった二人は心身共に離れぬよう、いとを結ぶ。
今だけは離さないで。
ずっとずっと愛していて。
いずれ訪れる刻限まで、こうしていてくれたらどんなことでも乗り越えられる。
「一緒に生きていたい。旅する約束を今度こそ守るわ」
同じくして、櫻宵も誓いを立てた。
――櫻華。
捧げて、攫って、纏って、囲って。咲き誇る為に。
「……カムイ、私の桜をあげる」
貴方が、リルが、私の愛しい人達がすくわれるように。
愛が叶い咲く為に。今までに咲かせた桜を全て捧げる。それこそが今から困難に立ち向かうと決めたサヨの覚悟だ。
カムイは櫻宵から身体を離し、敢えてそっと距離をあける。
「大切にして、離さないよ」
その代わりに櫻宵が纏う桜を受け取り、優しく抱く。
ふわり、ゆらり。
散りゆく桜を神域世界に広げていく櫻宵の姿は、まるで護桜だ。
カムイの視線の先で櫻宵は水面を見下ろしていた。それから宙を駆けるように地を蹴った櫻宵は桜の軌跡を残しながら、朱色の欄干の天辺に飛び乗る。
橋の上から神域のすべてを見渡した櫻宵。
彼はこれから――敢えて自らの身体を捧げ、愛呪との決着を果たしに往く。
ずっと、こわかった。
母の影に怯えてしまっていた。でも、今はもうこわくない。
櫻宵の瞳に透き通った雫が浮かんでいる。怯えや恐怖からではない、感謝の涙だ。
水面には数多の花が咲いている。
そのどれもが愛の想いを受けて咲いた美しき霊花だ。
「――戀が出来て、よかった」
罪をしれてよかった。
愛をありがとう。
愛している。おかげで、私は変われたから。
「師匠との約を果たすわ」
櫻宵が凛とした言の葉を紡ぐと、カムイの両隣にイザナと神斬が訪れた。その姿は既に薄れており、愛呪の影響で顕現できなくなっているのだと解った。
はらり、ひらり。
櫻宵の角や背に咲いている桜が瞬く間に散っている。それは花が枯れていると表してもおかしくないほどの変化だ。
「カムイ、解っているね」
「私達は櫻宵と共に一度は消える。外から事を成し遂げられるのはカムイだけだ」
神斬が確かめるように問い、イザナはこれからどうなるかを語った。
櫻宵が愛呪と同化すれば、魂を同じくするイザナも巻き込まれる。共に往くと決めた神斬も自らの魂をイザナに託していた。神としての力はカムイにすべて預け、意志と心だけをイザナに添わせているようだ。
「噫……」
「いざとなれば私達が最悪の事態を引き受けるよ」
「だが、お前はそれを良しとしないだろう?」
「任せたよ」
頷いたカムイに対し、消えゆくイザナと神斬は彼らなりの覚悟を伝えた。無論、二人は本当の最悪の事態が起こるまでは最後の手段を取る気などないはず。
その理由はカムイと櫻宵を信じているからだ。
神域に広がる櫻宵の桜は間もなく完全に散ってしまう。いよいよね、と感じて瞼を閉じた櫻宵は自分の身が愛呪となっていく心地を感じていた。
消えていく。
まずはイザナと神斬が。
櫻宵の心が、身体が、呪いを纏う愛に包まれていく。
「――サヨ!」
カムイは伴侶を引き止めたくなったが、そうすることで全てが台無しになることを知っていた。ゆえに駆け寄ることはしなかった。
代わりに腕を伸ばし、己が抱く想いを声にしていく。
「きみを愛し救う、私はその為にうまれた!」
「ええ、カムイ」
櫻宵は穏やかに双眸を細めた。
「故にサヨを守る。櫻宵を連れては行かせない! きみが纏う呪厄を祓い廻らせて、繎の愛を、厄を。全てを、正す!」
響き渡ったカムイの声を聞き、櫻宵は静かに微笑むだけ。それからカムイは大切な者達の名を呼びながら、此の先への思いを抱く。
「神斬、イザナ。――櫻宵」
「…………」
櫻宵はそれ以上、何も言わなかった。
その頬に伝った涙が水面に落ちていく。ぽちゃん、と幽かな水の音が辺りに響き渡った瞬間。櫻宵の身体が誰かに抱かれるようにして宙に浮かび上がる。
そして――世界が暗転した。
●櫻の想い
『おいでなさい、櫻宵。私の愛しい子……』
声が聞こえた。
真っ暗な闇の中。水の中のようであるというのに不思議と心地良い場所だ。きっと母の胎内に居たときは水など怖くはなくて、こうやって穏やかに揺蕩っていたのだろう。
(――母上)
櫻宵の身体は今、桜獄大蛇そのものになっている。
それゆえに此処は意識の中の世界だ。羊水の如き液体めいたものに満たされた場所はあたたかく櫻宵を閉じ込めている。
すぐ傍には愛呪の正体でもある母、華蛇の気配があった。
何とか声を出したくとも、今の櫻宵にはそうすることは赦されていない。
(母上、私は此処に)
『私の元に戻ってきてくれたのですね。ああ、櫻宵……』
華蛇は愛おしげに櫻宵を抱いているようだ。されど、櫻宵自身は何も見えず、何も語ることが出来ない。
華蛇は何も気に留めることなく、言葉を続けていく。
『あなたのために新しい贄を用意しましたよ。外の世界で縁を紡いだのでしょう。優しい心を持つ新たな友も、縁を深めた仲間も、あなたの愛しい者も招き入れました』
これで寂しくはないでしょう?
そのように語る華蛇は、櫻宵を呪の中で静かに眠らせる心算のようだ。
母の愛で包み込み、桜に攫われないように、永遠に。
何人たりとも目覚めてはいけない。
そのために華蛇は取り込んだ者達に苦しかった出来事を見せ、現世への未練を完全に絶たせる算段らしい。
(違うの、母上。そうじゃない……!)
櫻宵が叫ぼうとしても、その声は未だ華蛇には届かない。
しかし、今の櫻宵はそれで絶望などしなかった。戀を覚え、愛を識った櫻宵には何よりも強い意志がある。
負けない、と意志を持ち直した櫻宵は心の奥で誓ってゆく。
(あなたに愛する皆を傷つけさせない)
それに、元の贄達や母上達にもこれ以上は苦しんで欲しくない。
だから――。
あなたを、とめる。
●七之贄
一方、神域は深い夜が訪れたかのように変化していた。
水底で力を蓄えた愛呪の力は凄まじい。神聖な気が廻る神域すら穢し、変容させるほどのものだったようだ。
そして、此処には桜獄大蛇そのものが顕現していた。
喰桜を抜き放ったカムイは真っ直ぐに愛呪を見据える。同時に第三の眼をひらいていくカムイは、何よりも固く誓った思いを言の葉に変えた。
「私は、果たしてみせるよ」
七之首にして呪神。
桜獄大蛇、愛呪――誘七・櫻宵。
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
第2章 ボス戦
『桜獄大蛇・愛呪』
|
POW : 愛呪:いきていたいの?
【狂気と消滅を齎す、荒れ狂う狂愛の桜焔】が命中した部位に【感情全てを憎悪に変え、抵抗する程強まる呪】を流し込み、部位を爆破、もしくはレベル秒間操作する(抵抗は可能)。
SPD : 愛呪: おなかがすいたの。食べていい?
攻撃が命中した対象に【自我が崩壊する程の憎悪と激痛を齎す愛の呪】を付与し、レベルm半径内に対象がいる間、【魂を穢し侵食し歪ませて、喰らい続ける事】による追加攻撃を与え続ける。
WIZ : 愛呪:しにたいの?
骸魂【桜獄大蛇】が、愛呪を刻み寄生した【他者】と合体し、一時的にオブリビオン化する。強力だが毎秒自身の【寄生した主に絶望的な苦痛を与え、主の生命】を消費し、無くなると眠る。
イラスト:Kirsche
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
|
種別『ボス戦』のルール
記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※このボスの宿敵主は
「朱赫七・カムイ」です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
●愛ゆえの桜獄
黄泉と繋がった迎桜ノ神域。
其処は明けも暮れもしない美しい空が広がる場所――であるはずだった。愛しき人との邂逅を経ていた猟兵と黄泉の者達は、不意に違和を覚える。
刹那、空が昏くなる。瞬く間に闇に包まれた世界の中心に白い影が現れた。
それは巨大な大蛇だ。
人間を軽々と呑み込めるほどに大きな七つの蛇首。その中心には白い着物を着た白髪の女性が浮かんでいた。
桜色の瞳を持つ女の名は――華蛇。
桜獄大蛇・愛呪を作り出した張本人であり、自ら呪に身を捧げた女性だ。
しかし、今の愛呪の本体は華蛇ではない。七の首に囚えられた彼女の息子の身体が、愛呪そのものになっているようだ。
その証拠に、華蛇の身体は半透明の霊体になっている。
彼女の背に顕れている蛇首の巨大さは戦慄してしまうほど。しかし、猟兵達は怯んでなどいられない。
そのひとつずつに、贄として選ばれた猟兵が囚えられているからだ。
華蛇の意志を受けた愛呪は贄ごと息子を眠らせ、永遠に死なない存在にしようとしている。それが母としての愛だと信じているのかもしれない。
だが、彼女以外の誰もそのようなことは望んでいない。それだけは確かだ。
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
●愛の贄達
――いきていたいの? しにたいの?
壱之首、誘七・一華。
弐之首、唯嗣・たから。
参之首、ヲルガ・ヨハ。
肆之首、橙樹・千織。
伍之首、兎乃・零時。
陸之首、リル・ルリ。
七之首にして桜獄大蛇、愛呪――誘七・櫻宵。
贄となった者達は蛇首の中に囚われている。
呑まれてはいるが其処は腹の中などではなく、特殊な空間のようだ。たとえるならば母の胎内にある羊水の如き闇の領域。
水中のようでありながらそうではない。濡れない不思議な泡沫に満たされた場所と表すのが相応しいかもしれない。
内部の者には今、絶望的な苦痛の記憶や、哀しき未来の予想図が視せられている。
何の光景が視えているかは其々に違う。どのような者であっても、必ず心を折られるような絶望が押し寄せてきていることは確かだ。
現世は苦しみに満ちている。
諍い、争い、すれ違い。愛に破れて、想いは届かない。
辛いばかりの日々を過ごすよりも平穏な夢の中で眠ればいい。苦しいことからは逃げていい。諦めれば心が楽になれる。
そう語るようにして、贄達には愛呪から苦痛と絶望が与えられている。
君は痛みに耐え、抗わなければならない。
愛呪の狙いは君の生命力を疲弊させ、眠りに誘うこと。
呪いの主となった者が独りで寂しくないように伴の贄とされるのだ。いわゆる人身御供、或いは殉葬と呼ばれるものに近い。
愛呪を刻まれた贄達は、一時的とはいえどオブリビオン化している。
もしユーベルコードを発動したとしても、それは神域で愛呪と戦う猟兵達を苦しめるものとして巡ってしまう。
それゆえに、愛贄達は苦痛を乗り越えてから力を発動しなければならない。
もし苦痛に負け、抵抗することを諦めれば永遠の眠りが待っている。老いることも魂が廻ることもなく、其処に在り続ける存在になる。たとえ愛呪が滅びたとしても、眠り続ける運命が待っているだろう。
この愛呪の支配から抜け出すために必要なのは、純粋な心の強さ。
意思、或いは意志と呼ばれるもの。
愛とは何か。
愛することの意味。愛を思い出すことの尊さ。
思いを紡ぎ、心の中で自分なりの想いを響かせることが愛呪を解く鍵となる。
贄となった君は――愛と呪の狭間で何を想い、何を繋ぐのか。
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
●愛を識る者達
暗く染まった神域の水面を見下ろす華蛇。
彼女の姿は半透明のまま、蛇首の中央に位置している七の首の前に浮かんでいる。やがて、華蛇が視線を猟兵達に向けた瞬間。
桜獄大蛇、愛呪――誘七・櫻宵の中に華蛇の霊体が同化していった。
それまで七の首の前で気を失っていた櫻宵の瞳がゆっくりとひらいた。そして、その髪が次第に華蛇と同じ白に染まっていく。
彼の桜角や背の翼に咲いていたはずの桜はひとつ残らず散っていた。枯れ枝のようになった角と翼は、あのような桜など要らぬと示しているかのようだ。
『やっと、永遠の愛が叶いそうだというのに――』
花唇が紡いだのは櫻宵のものではなく、愛呪としての言葉だ。
乗っ取った身体を使い、呪神が語っているのだろう。愛呪の視線は変わらず、神域に集っている猟兵達に向けられていた。
此方が愛呪の目的を阻止しようとしていることが分かっているのだろう。その眼差しには敵意が宿っている。
『禍津の神……。猟兵風情が、邪魔をするな』
厳しい言葉と共に猟兵を睨み付けた愛呪は静かに片手をあげた。それと同時に、六つの首の中央辺りが薄っすらと透け始める。
其処には此処で新たに贄にされた者達の姿が見えた。
一華とリル、千織は瞼を閉じて俯いている。零時の顔は帽子に、たからの眼窩はフードに隠れ、ヲルガは元より被っている薄絹によって顔が見えなくなっている。
時折、贄の顔が苦痛に歪んだ。
『此の者達は、愛呪――私と共に永遠に眠るの』
愛贄達は愛呪の精神世界に囚われ、絶望を与えられているのだろう。
彼らも内なる世界で抗っているのだろうが、桜獄大蛇の力は強い。贄達を救うには外からの呼び掛けは勿論、蛇首の物理的な破壊も必要になってくる。
『邪魔な者は喰らって滅ぼすだけ。そうね、丁度――おなかがすいたの』
食べていい? と問う愛呪。
その眼差しは宛ら、獲物を前にして瞳を光らせる大蛇のようだった。
神域に立つ君は、まぼろしの橋で邂逅した者と共に戦うことができる。
愛しきひと、親愛を抱く者、友愛を抱く相手。君と相手の関係がどんなものであっても、此処で巡り逢えたということは愛が存在する証。
異変を報せてくれた幽世蝶もまた、君と大切な人の味方になってくれる。たとえひとりで戦う選択をしても、愛しい相手の心はすぐ傍にあるはずだ。
さぁ――共に愛を示し、全てを救え。
黄泉の縁を繋ぐ君の言葉と力こそが、哀しき愛と呪に光を宿すものとなるのだから。
フレズローゼ・クォレクロニカ
🐰🌺
◎
一華ァ!
一華くんだって戦ってる…ボクだって戦う!
待ってろダーリン!そんなとこでくたばらないで!
このまま未亡人になるわけにはいかない
ママ、ボクは諦めない
ボクはママから美しさを
パパから執拗さを受け継いだ
櫻宵に一華くんを食べさせちゃだめだ
…何時だって一華くんを大事に思ってるってしってる
ママはボクにしあわせにおなりなさいって望んでくれた
きっと櫻宵のママも
サクヤさんだって
ママが歌えば世界に虹の橋がかかるよう
心に華を咲かせて
歌と共に注ぐ光の雨の中
ボクは描く
ボクを生んでくれたママにしあわせを
例えこの世とあの世で別れても
愛は不滅だ!
ボクが生きてることが愛なんだ
薔薇十字架が煌めいて
歌を追風に思い切り駆け上がる
さあ描こう
希望と愛を!絶望と苦痛を塗り替える
女王陛下は赤が好き!
起きろ、一華くん!
示すんだ、ボクらの愛を!
ばーんと起こす
呪も憎悪も何のその
笑って駆けてなぎ払って爆破して
愛曇らせる濁りを吹き飛ばすよ!
愛満ちて生命廻るこの世界で、再び私達は巡り会う
─そうでしょうママ!
憎み苦しむのはもうおしまいさ
誘七・一華
🐰🌺
◎
懐かしい感じ
俺の前の贄は血筋が近いのか
孤独な家
皆が俺の事を半端者の鬼だと嗤う
竜の一族の恥だと
父様は俺にただ居ればいいという
跡継ぎだから
求められるのは跡継ぎで
「一華」じゃない
可哀想にと誰かが嗤う
負けない
俺は誘七を継ぐ
そうさ跡継ぎだから
間違ってるから変えるんだ
桜は咲いて笑顔も咲いて…そんな家に
家のせいにして逃げたりしない
苦しくても諦めない
俺が諦めたらフレズに笑われる
一転
血塗れのかあさまが倒れてて
傍で泣いているのは血塗れの兄貴と
…あれは赤ん坊の俺?
ああ…
かあさまは兄貴が
やっぱり
兄貴がとうさま
…兄貴は何時も守ってくれた
手を握って撫でて
何時だって家族でいてくれた
大好きなんだ
…紋白…お前の言う通りだな
できないよ
かあさま…力を貸して
戻って兄貴…とうさまを
とうさま、って
呼ぶ
俺はとうさまとフレズと皆と!
生きていく
それに頭突きの一つでも食らわせなきゃおさまらない
歪んでしまっても大好きな家族
守る救う
立ち止まらない
闇を咲かせるように思い切り破魔矢を放つ
かあさまの子だからな
かっこ悪い所なんて見せられない
●愛呪は深く
闇に包まれた神域の中、水面の地表には何も映っていない。
普段は美しく舞っているはずの桜の花は鳴りを潜め、静かに佇む朱砂の大鳥居だけが平時と変わらぬまま神域に立っている。
その鳥居よりも、巨大な存在に変じた呪の大蛇。其のうちのひとつ。
――『壱之首』の贄。
一華が桜獄大蛇に取り込まれたのは、偶然ではなく必然だ。
神殺の目的で編み上げられた愛呪、即ち華蛇。現時点の彼女の目的は愛しき者を永き眠りにつかせること。愛が向けられているのは櫻宵だけではない。
誘七に連なる一華もまた、華蛇にとっての愛しき者。
それゆえに一華も桜獄大蛇の中で眠るべき存在だとされていた。
壱之首から七之首。
それぞれに贄や主とされ、取り込まれた者達が眠った後。呪の主が寂しくないと判断された後に、愛呪こと華蛇は本来の目的――神殺しに挑むのだろう。
旧き因習を壊す。
憎き桜樹を討ち滅ぼすこと。
愛贄を集めたのはおそらく、その者達の力を使い、確実に事を成し遂げる為だ。
(母様……華蛇母様……)
一華にとって実の母はサクヤだが、華蛇は育ての母にあたる。
暗くて深い闇世界の最中で一華は華蛇を呼んでいた。されどその思いは届かず、虚空に消えていくだけ。その際、一華は不思議な懐かしさを抱いていた。
きっとこれは贄の感覚だ。
蛇首には元になった贄がいる。壱之首の礎になったのは誘七の血を引く者だった。
(俺の前の贄は血筋が近いのか……)
彼と感覚が繋がったような気がしたとき、一華に苦痛が与えられ始める。それは現世への未練を断ち切らせ、眠らせるために巡る絶望の幻。
誘七の敷地が見える。
其処には血族が多くいるが、とても孤独な家だ。
半端者。
穢れた鬼。
嗤い嘲り、竜の一族の恥だと皆が言う。
現在の当主である育ての父は、一華はただ此処に居ればいいとしか言ってくれない。
一華が次期当主とされているからだ。
しかし、求められているのは跡継ぎ。次の血を遺すための器という意味しかない。
(俺じゃない……『一華』じゃなくても、血が続けば……)
可哀想に。
あの子はただの繋ぎでしかない。
幻の中で誰かが嗤った。
誘七は龍の血を重んじる家であるから、きっと美しい竜の娘が一華の嫁としてあてがわれ、竜の血が強く出た子が次の当主として据えられるのだろう。
(俺じゃなくていい。他の誰かが当主になったって同じ……)
だったら、此処で眠ってしまっていいのかもしれない。この苦しみから逃げれば、華蛇様が優しく抱いてくれる。
兄貴と――櫻宵と一緒に、永遠に眠り続けられる。
一華の意識が揺らぎ、闇に傾く。
しかし、そのとき。
「――……一華ァ!!!」
壱之首の外で、少女の声が響いた。
それは腹の底から出した全力の呼び声だ。フレズローゼは蛇首の中に囚われている少年に向け、めいっぱいの声を轟かせていた。
「フレちゃん、喉が枯れてしまいそう……」
「大丈夫さ、ママ。一華くんだって戦ってる。だからボクだって戦うんだ!」
「……そうね」
「待ってろダーリン! そんなとこでくたばらないで!」
心配する母、ロゼに笑みを返したフレズローゼは力の限り叫ぶ。蛇首の内部は薄く透けて見えるが、一華の口許が苦しげに歪められていた。
「一華くん!」
「ああ……あんなに、愛が呪いに……」
フレズローゼとロゼは一華が苦痛を受けているのだと察する。されど、それが愛から齎されるものだということをロゼは理解していた。
「このまま黙って未亡人になるわけにはいかないからね。ママ、ボクは諦めないよ。だって、ボクは――」
ママから美しさを。
パパからは執拗さを受け継いだ。
愛呪そのものとなった櫻宵や、華蛇に一華を取り込ませてはいけない。
「……櫻宵や御義母様が、何時だって一華くんを大事に思ってるってしってる」
「そうね、フレちゃん」
「ママはボクにしあわせにおなりなさいって望んでくれた。だったら!」
きっと櫻宵の母である華蛇も。
そして、今も一華の傍にいるはずのサクヤだって。
フレズローゼとロゼ。絆で繋がれた母娘は強い意志を抱き、壱之首を見上げる。少女が握っている月色の絵筆と、母が手にした三輪の薔薇が彩る金の薔薇十字架。
ふたつの力が今、重なろうとしている。
●暁を齎す鬼
(…………フレズ?)
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、一華の意識が引き戻された。
はたとした一華は精神世界の苦痛に抗う気力を取り戻す。
負けない。
どのような闇が見せられようとも、一華は諦めたりなどしない。
(俺は誘七を継ぐ。そうさ、跡継ぎだから)
今の家の在り方は間違っている。求められているのが血であり、立場だけだと分かっているからこそ、変えられることもあるはず。
(絶対に導いてみせる。桜は咲いて、笑顔も咲いて――誘七を、そんな家にする)
自分はまだまだ弱い。
だが、全部を家のせいにして逃げたりしない。そんなことをすれば一華という存在は更に求められなくなってしまう。
苦しくても諦めない。そう決めた一華は先程に響いた声を思い出した。
(俺が諦めたらフレズに笑われる。フレズだったら、未亡人になっちゃうって泣いて……いや、泣かずに怒るんだろうな)
仮にも未来の妻だ。彼女を悲しませるようなことはしたくない。
一華の心は徐々に光に向かっている。だが、その様子を察した愛呪の力が更なる苦痛を与えてきた。
その瞬間、一華の視界が暗転する。
(あれ……かあ、さま……?)
目の前には先程まで視せられていた誘七の家ではなく、血塗れのサクヤが倒れている光景が広がっていた。
サクヤは息をしていないが、鮮血に濡れた身体が小刻みに震えている。死を迎えてすぐの状態なのだろう。
その傍で泣いているのは、同じく血塗れの櫻宵。そして――。
(……あれは赤ん坊の俺?)
櫻宵の口許が紅い血で染まっていることで、一華はすべてを理解した。
サクヤを殺めたのは櫻宵だ。
呪いの力によって、愛するものを喰らう宿命を定められた櫻宵。彼には赤子を育てられないと判断され、一華は誘七の家に引き取られた。
それから櫻宵は事実を隠すため、一華の兄だということにされていたのだ。
(やっぱり、兄貴がとうさま……)
薄々と気付いていた。
どうして一族で自分だけが鬼で、サクヤが母であるのに跡継ぎとされたのか。呪を宿していた硃赫神斬と邂逅したときに感じた違和。何故、兄が母の形見を持っていたのか。そして、櫻宵から向けられていた兄弟として以上の愛情。
「……兄貴は……何時も……」
守ってくれた。
囚われて身動きが出来ないはずの一華の口許が僅かに動いた。心が震えて、身体が熱くなって、様々な感情が湧いてくる。
櫻宵は手を握って、頭を撫でて、優しく笑ってくれた。どんなときも一華の盾になって思いを向けていた。何時だって家族でいてくれた。
もし母を殺した相手を見つけたら、復讐心に駆られるかと思っていた。しかし一華の裡には蝶の館で縁を紡いだ、或る少女の言葉が響いている。
――ねえ、一華くんはお母さんが好き?
(大好きだ。すごく、すごく……兄貴のことだって、大好きなんだ)
――だったら、一華くんが誰かを殺すくらい憎しみを抱いちゃいけないです。あなたのお母さんだって、きっと……幸せを願ってくれてるはずですから!
「……紋白。お前の言う通りだな」
復讐なんて、できない。
どんな親だってきっと同じ。子を想い、そのために最善を尽くそうとしている。その方法は様々で、ただ衝突しあうことがあるだけ。
「かあさま……力を貸して」
一華は苦痛と絶望の世界の中で手を伸ばした。いつの間にか櫻宵とサクヤの幻は消えており、闇の奥に小さな光が見えている。
「戻って兄貴……櫻宵とうさまを……とうさま、って呼ぶ。呼びたいから!」
――かあさま!
力の限り、声を振り絞った少年の鬼角と牡丹一華が光を放ち始めた。愛の呪縛が解けていき、壱之贄としての拘束が弱まる。
「俺はとうさまとフレズと皆と! 生きていく! それにとうさまに頭突きの一つでも食らわせなきゃおさまらないんだ!」
「ふふ……その意気ですよ、一華。それでこそ我が息子です」
次の瞬間、サクヤの声が耳に届いた。ふわりと伸ばされた母の腕が息子を背中から抱きしめる。そして、母の声が優しく紡がれていく。
おいきなさい。
貴方の心の赴くままに。貴方を呼ぶ、光の方へ。
●薔薇と七彩
蛇首が蠢き、荒れ狂う狂愛の桜焔が神域に広がっていく。
迸る焔は愛呪以外の存在を害し、排除しようとしているようだ。フレズローゼは既のところで炎を避け、ママ、とロゼを呼ぶ。
「フレちゃんだけに無理はさせません!」
ロゼは娘の声を受け、歌を紡いでいく。
薔薇の歌姫と呼ばれし者。それがフレズローゼの母、ロゼだ。
揺蕩う金蜜の髪は美しく、虹の如き七彩の薔薇は今も咲き誇り、円な常磐の瞳は真っ直ぐに娘を映している。
歌い紡ぐのは幻想童話。先ずは第一幕、幸福の青い鳥。
「ママの歌があれば、ボクは描けるよ。光も、幸福も、それから……未来だって!」
ロゼが歌えば世界に虹の橋が架かるかのよう。
歌姫の声は繋がれ、次々と移ろい変わってゆく
甘色ティータイム。神楽輝夜姫。泡沫人魚。薔薇の詩。深夜一時のシンデレラ。
祝宴に絲紡。
そして、愛に至る哀の物語。
歌姫の声を背に受けたフレズローゼの心には華が咲いている。
虹薔薇の絵筆で宙に絵を描いていく少女は、歌に合わせて様々な花を解き放った。
歌と共に注ぐ光の雨。
それは壱之首を穿ち、愛しいひとを取り戻すための一手になっていく。
「ボクは描き続ける。ボクを生んでくれたママにしあわせを教えてもらったから!」
たとえ、この世とあの世で別れていても。
もう現世では二度と逢えないとしても。
今を生きる少女は識っている。愛は此の身に宿り、今も輝き続けているから。
「――愛は不滅だ!」
「そうです……! 愛は死なない!」
「ボクが生きてることが愛なんだ!」
フレズローゼの声にロゼが思いを重ね、母と子の力が響きあった。
薔薇十字架が煌めき、虹薔薇の絵筆が彩を添える。
歌を追い風にしてフレズローゼは思い切り空中に駆け上がった。目指すはただ一点。未来の旦那様が閉じ込められた、壱之首。
フレズローゼが翔け、ロゼが渾身の声を歌い紡ぐ。
「さあ、描こう」
「さあ、歌いましょう」
「希望と!」
「愛を!」
――絶望と苦痛を塗り替える力。響き渡る歌声と、色彩の絵筆を!
「起きろ、一華くん! 示すんだ、ボクらの愛を!」
フレズローゼが描くのは、フルール・フルール――女王陛下は赤が好き。赤薔薇と白薔薇が昏い闇の世界を彩り、激しい爆発となって蛇首を穿った。
呪も憎悪も何のその。フレズローゼとロゼは未来を信じている。
笑って駆けて、なぎ払って爆破して。
歌って奏でて、哀を愛の歌に変えて。
「愛を曇らせる濁りを吹き飛ばして、ぶっ飛ばす!!!」
「ばーん! ってね?」
フレズローゼが侠気溢れる言葉を蛇首に向けると、ロゼがくすりと笑う。その微笑みはまるで、在りし日の少女時代が蘇ったような柔らかな表情だった。
ロゼの歌と声を然と胸に刻むフレズローゼ。その眼差しに不安や恐れはない。
愛が満ちて生命が廻る、この世界で。
再び、私達は巡り会う。
「身体は離れていても、心はずっと繋がっています」
「――そうでしょう、ママ!」
「その通りです、フレズローゼちゃん!」
描いて、歌い続けていく少女達の瞳には明るい未来だけが映っている。憎み、苦しみ、過去を闇で染めるのはもうおしまい。
そして、其処にひときわ大きな爆発音が響き渡った。
●夜明けを導く子
「聴こえる……。歌が、花が咲く音が、それから――」
爆発音が。
フレズらしいな、と笑った一華は愛呪から抜け出そうとしていた。力を紡ぎながら思い描くのは歪んでしまっても大好きな家族。
守る。救う。立ち止まらない。
闇の中に花を咲かせるかの如く。孤独な水底に沈んだ心をすくいあげるように。
一華の姿は真の姿に変じている。
白曜の角は曙色の光を宿し、その腕には鬼人としての鋭い爪が現れていた。
譬えるならば、暁の鬼。
深い夜を切り裂き、夜明けを齎す者。その手には破魔護りの矢を番えた霊光の弓が携えられている。母であるサクヤが矢の射ち方を教えてくれているかのようだ。蛇首の体内から、天に向けて弦を引き絞った少年は一気に力を込めた。
鈴音が、りんと鳴る。
あとは――ただ、全力で招霊木矢を射るだけ。
「俺はかあさまの子だからな。かっこ悪い所なんて見せられない……!!」
其処から解き放たれた光矢。
光で構成された弓は其処で消えてしまったが、一華は成功を確信している。そうして、矢が大蛇の霊体を打ち破りながら迸った瞬間。
外でこれまで以上の爆発が巻き起こり、壱之首が大きく揺らいだ。
「一華くん!」
「フレズローゼ!」
愛呪から解放された一華が蛇首の身から、水面の地表に向けて落下していく。その姿を捉えたフレズローゼが腕を伸ばしていた。
名を呼びあった少女と少年の眼差しが空中で重なる。
このままでは一華の身が落ちていくだけだが、何の心配もなかった。まだ周囲は闇に包まれているが、暁色に輝く一華の角が目印になっている。
「サクヤさん、息子さんはボクが頂くからね! これはその覚悟の印!」
「おい……フレズ――!?」
少女の声が凛と響き渡ったと思った刹那。宙を駆けたフレズローゼが一華の身体を気合いで引き寄せ、お姫様抱っこの形で受け止める。
「――どりゃああああ!!」
次の瞬間には、一華を抱いたフレズローゼが神域の水面に派手に着地していた。激しく散った水飛沫が収まった後で、一華はそっと彼女の腕から下りる。
「フレズ、今のは流石にちょっと……いや、大丈夫だったか?」
「平気だよ! 乙女の気合いと全力の鬨だったからね」
二人の様子をはらはらと見守っていたロゼ。いつの間にか身体を取り戻し、その隣に立っていたサクヤは子供達を見つめる。
「フレちゃんったら……。ごめんなさいね、サクヤさん」
「いいえ。力強い奥方になってくださりそうで、頼もしい限りです」
母親達は静かに微笑み、ひとまずの安堵を抱いた。
夜明を齎す暁の光を宿す鬼の少年。
明るい未来を描く自称兎竜の少女。
笑みを重ね、視線を交わしあった二人の瞳には新たな未来の彩が映っていた。
されど、戦いは未だ続いている。
一華とフレズローゼ。サクヤとロゼはしかと身構え、残る蛇首達を見据えた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
●壱之首の解放
崩れ落ちていく壱之首。
動かなくなった蛇首を見つめた一華は肩を落とした。
「どうしよう……。元の、壱の贄の魂はあの中に残っているみたいだ」
「それって誘七の家の人?」
贄の魂を連れて来れなかったと悔やむ一華に、フレズローゼが寄り添う。ああ、と答えた一華は震えるほどに拳を強く握っていた。
しかし、ロゼとサクヤが心配はないと語っていく。
「大丈夫ですよ、一華くん。フレちゃんもまだ気を落としては駄目よ」
「ええ、それにもし彼の魂を連れて来れても私達では導けませぬ」
「かあさま?」
「ママ達、何か知ってるの?」
一華とフレズローゼは不思議そうな表情をして母親達を見上げる。それと同時に二人の意識は母達ではなく、天に向けられた。
昏くて遠い空の彼方で何かが羽ばたいた様子に見えたからだ。
「あれって……鳥?」
「カムイ様といつも一緒にいるホムラ? でも、何だか大きいぜ!」
炎を纏った鳳凰のような影が空を横切り、炎の尾を揺らめかせて旋回している。その様子はまるで、来たるべき時を待っているかのようだった。
驚いている子供達の傍でロゼとサクヤは密かに頷き合う。愛呪から皆を救うため、誰もが最善を尽くすために動いているのだろう。
同じ母であるからこそ、二人は愛呪の真意を理解していた。
「華蛇さん……」
「どのように変じようとも、あの御方も母親です」
サクヤは祈りと願いを込め、誘七家に伝わる神楽の一部を舞い始める。
其処に合わせ、ロゼが響かせたのは時謳いの詩。
愛しき地に恵みあれ、愛しきものに光あれ。
明けき黎明、打ち砕くは滅びの未来。
かけがえなきこの世界に聖なる奇蹟、愛する隣人に祝福を。
唯嗣・たから
繰り返される死の瞬間、相手の顔は見えなかったけど、なんで?て思ったことを思い出した。
絶望の中、思い出す。
両親が骨でも愛してくれて、幸せだったこと。だから悲しかったこと。向こう側にいけない。二度とお母さんたちに会えない。でも2人が願ってくれたから生きなきゃ。
たからはね、貴女がなそうとしていることを受けた側。永遠に近い命、独りぼっちで悲しかった。寂しかったよ。与えられた永遠ではきっと幸せにはなれない。
子が生きてるならまだ間に合うから声を聞いてあげて。こうして歪む前、ただ子どもが愛おしかったときをどうか思い出して。貴女の深く尊い愛を正しく伝えてあげて。
それじゃたからはいく。一緒に居れなくてごめんね。
●君は宝
神域の空は昏く、深い闇に閉ざされている。
地上の水面と天の間に浮かぶ桜獄大蛇、愛呪の身。その中の亦ひとつ。
――『弐之首』の贄。
巨大な大蛇の一部、弐番目の首。
その最中にはたからが囚えられている。心優しい者だと判断されたがゆえに、呪による永遠の眠りの伴として選ばれたからだ。
たからは今、愛呪に同化させられそうになっている。
彼女の目の前には絶望的な苦痛を与える幻が広がっていた。それはたからに、今という時間から逃れたい、と思わせるための苦しみの光景だ。
(痛い――とても、痛かった)
視せられているのは繰り返される死の瞬間。
たからはまだごく普通の少女だった頃、殺された。そのときの光景が延々と繰り返され、今のたから自身に痛みを与えている。
(誰? ねぇ、誰?)
過去のあの日、自分を死に至らしめた相手の顔は見えなかった。記憶にはないからか、今の自分を殺し続けている幻の顔も暗い影に覆われたまま。
死の直前。その記憶は空白だというのに、痛みだけが襲いかかってくる。
まだ生身だったたからの亡骸は川岸に打ち捨てられていたという。それゆえに、痛くて苦しくて、冷たい水に落とされる――という感覚を何度も何度も与えられていた。
(――なんで?)
もう幾度目かも分からない程の死が与えられていく中。たからはふと、当時もこのように感じていたことを思い出す。
どうしてこんなことをされるのか。
たからが一体、何をしたのか。これは何かの罰なのだろうか。
痛い、痛い。苦しい。助けて。
誰か。嫌だ。誰か――。
(……誰も、助けてくれない。助けてくれなかったから、たからは……)
幾度となく感じる痛みと死。
死しても尚、生き続ける定めを背負った骨。
これは絶望だ。
こんな世界に居続ける必要はない。この愛と呪を認めて眠ってしまえば死は繰り返されず、言葉通りに眠るように死ねるのかもしれない。
たからの意識は次第に闇に堕ちていくかのように暗く沈み始めた。
だが――絶望の中、たからは思い出す。
(おとうさん、おかあさん)
両親の姿が胸裏に浮かんだ。
彼らはたからを深く愛してくれていた。骨だけになっても、たからをたからだと認めていてくれる。あの手の温もりを先ほど感じたばかりだ。
愛してくれたことは、幸せだった。
だから悲しかった。けれども哀しい気持ちを抱いたのは、その幸福を知っていたから。
向こう側には、いけない。
(二度とお母さんたちに会えない、けど……でも、二人が願ってくれたから)
――生きなきゃ。
死んでいるから何だ。今、たからは生きている。
骨になっても願われた生を繋いでいる。心が死ぬことが、今のたからにとっての本当の死なのだとしたら、絶望に負けるわけにはいかない。
もし、今もたからに瞼があったとしたら瞳をしっかりと開いていただろう。
精神世界の中で強い思いを抱いた少女は、現実世界でも顔を上げた。繰り返される死の光景はいつしか消えている。
そして、たからは最善の選択を取っていた。
もしたからに僅かでもユーベルコードを使おうという気持ちがあった場合、愛呪の外にいる者達を苦しめていただろう。されど、そうはならなかった。
誰も傷つけまいとした、たからの気持ち。
そのことが此の呪いを完全に解くための、何より大切な切欠になっていた。
俯いてフードに隠れていたたからの顔が顕になった瞬間、その両側に透き通ったふたつの霊体が現れる。先程に枯れた花と共に消えてしまったはずの、たからの両親だ。
――たから。
――私達の、宝物。
二人の意思が響いた瞬間、たからの身体が弐之首の大蛇から抜け落ちた。
どうやら蛇首が外部から攻撃されたことが脱出の助けとなったらしい。仲間が上手くやってくれたのだと感じ、たからは素早く身を翻した。
宙で回転を入れ、勢いをつけて着地した水面。
地面に立つと同時に身構えたたからは、完全に愛呪の支配から抜け出している。
その傍には両親の姿があった。
彼らは当初と同じように何も言葉を発しなかったが、たからにとっては寄り添っていてくれるだけで充分だ。七つの蛇首を統べる中央の愛呪に向き直った少女は、真っ直ぐな言の葉を向けていく。
「たからはね、貴女がなそうとしていることを受けた側」
永遠に近い命。
独りぼっちでいることを運命付けられた子。
「愛がたからを生かしてくれている。でもね、悲しかった。とても寂しかったよ。与えられた永遠ではきっと幸せにはなれない」
反魂の儀を行った事で、両親の魂も未だ子の存在に囚われているのかもしれない。
愛呪に纏わる親子の状況と、たから達の状況は似ている。されど、それぞれが違うものであることも確かだ。
それゆえに――まだ、間に合う。
「子が生きてるなら、声を聞いてあげて。たからも、子どもだったから」
両親にたくさん伝えたいことがある。話せなかったこと話したいと思うのはどんな子どもでも同じで、尊くて大切なことのはず。
こうして歪む前、ただ子どもが愛おしかったときを。
どうか思い出して。
貴女の深く尊い愛を正しく伝えてあげて。
「認めてくれたのに、一緒に居られなくてごめんね」
親という存在が抱く大きな愛を認め返しながら、たからはそっと告げた。
――たからは、全部を抱いて未来に行く。
この戦いが終わるまで。あと少しだけ、両親も傍にいてくれるから。
瞳は無くとも、桜獄大蛇を見上げた少女の眼差しは何処までも真っ直ぐだった。
大成功
🔵🔵🔵
縹・朔朗
望之助、あなたは俺が護ります
雪枝も傍に居てあげなさい
大丈夫、あなたの舞が活力になるから
それでもと云うのなら…
この霊符を持っていて下さい
敵を怯ませるくらいは出来る筈
さあ、参りましょう
愛呪さん…いえ、華蛇さんでしたか
貴女には少し親近感を覚えてしまいます
愛する者を失うかもしれない――或いは失った絶望
それが生む極端な行動
善かれ悪しかれ、紛れも無い、愛ゆえ
愛の力は途轍もない
善い方へも悪い方へも人を動かす
現に貴女のした事は、簡単に赦されるとは言い難い
然し
闇の中に居ようと手を差し伸べてくれるのも愛
貴女と御子息の間にある愛が誠なら
屹度、呪から解放されます
…望之助
有難う
五毒三尸
命が尽きても愛は消えないものです
●過去と今の君
荒れ狂う狂愛の桜焔が神域を包み込んでいる。
今や、宙に舞うのは花ではなく全てを消滅させんと迸る炎だけ。昏く沈んだ水底に落とされたような感覚を抱きながら、朔朗は前に踏み出した。
襲い来る焔を氷輪の退魔刀で受け止め、弾き飛ばすことで命中を防いだ朔朗。
その背には望之助が控え、鳥居よりも更に巨大な蛇首達を見上げていた。
「晴九郎……!」
咄嗟に朔朗が庇ってくれたからか、彼は元の名を呼んだ。はたとした望之助は首を横に振り、朔朗、と呼び直す。
大丈夫だと答えた朔朗は氷輪の刃を大蛇に差し向けた。
「望之助、あなたは俺が護ります」
彼の意思を感じ取ったらしい幽世蝶が望之助の近くに羽ばたいていく。
「雪枝も傍に居てあげなさい」
「でも、それじゃあ朔朗が――」
望之助は朔朗だけが前に出る状況に懸念を抱いているようだ。彼が此方を信頼していないのではなく、敵があまりにも強大かつ強力だと察しているゆえ。
対する朔朗は穏やかに双眸を細め、静かに頷く。
「大丈夫、あなたの舞が活力になるから」
「……朔朗」
朔朗からの言葉を聞き、望之助は拳を握り締めた。その間にも桜焔は周囲に舞い、望之助もろとも朔朗を討ち滅さんと迫ってきている。朔朗は素早く駆け、炎を刃で切り裂くと同時に衝撃波で余波を散らした。
そして、すぐに身を翻した朔朗はもう一閃を振るう。雪枝を襲おうとしている焔を蹴散らした朔朗はその前に立った。
「それでもと云うのなら……この霊符を持っていて下さい」
「わかった」
望之助は朔朗から受け取った符を大切そうに握り締め、覚悟を抱く。
その瞳の奥に宿る強さは以前のまま。そう感じた朔朗は身構え直した。懐かしさに心が震える。同時に切なさも巡っていたが、今は目の前の敵に立ち向かうべきとき。
「さあ、参りましょう」
此処で押し負ければ愛贄となった者達だけではなく、自分達の命も危うい。あの焔によって魂ごと消滅させられる可能性も有り得る。
交わした約束が果たせなくなる。
それだけは嫌だと感じた朔朗は凛とした眼差しを桜獄大蛇に差し向けた。
「愛呪さん……いえ、華蛇さんでしたか」
贄の身体を蛇首に据え、何よりも愛おしい息子の身体を乗っ取って眠らせようとしている華蛇。その行動は愛ゆえに行われているものなのだろう。
朔朗は迫る焔を弾き、散らしながら蛇首の中央に浮かぶ者に語りかけていく。
「貴女には少し親近感を覚えてしまいます」
その気持ちは理解できる。
朔朗もまた、大切なものをなくしたことがあるからだ。
愛する者を失うかもしれない。
或いは失ってしまった絶望。
その心が生む極端な行動。何かを愛しいと感じたことがある者ならば、誰しもが辿る可能性のある道だ。
「どのように動くか。善かれ悪しかれ、それは――紛れも無い、愛ゆえ」
此処は善悪を問う場面ではない。
何を成し、何の結果を生むかが此の戦いだ。
朔朗は氷輪を振るい続け、自分達を消滅させようとする焔を斬った。その背を護るようにして望之助が舞を踊り、朔朗を支え続けている。雪枝も舞に合わせて翅を羽ばたかせており、大蛇に思いを向けているようだ。
在り得なかったはずの共闘。
止めるべきものに、共に立ち向かう時。
奇跡のような時間は尊い。同時に心強く感じながら、朔朗は戦い続けていく。
「愛の力は途轍もないものです」
それは善い方へも悪い方へも人を動かす原動力となる。
そうして、此度は誰も望まぬ方向に愛が向いてしまった。ただ愛する者を死から遠ざけたいと思う心は、暴走と呼べるほどに膨れ上がっている。
「現に貴女のした事は、簡単に赦されるとは言い難い。然し、それでも」
朔朗は地を蹴り、ある一点に狙いを定めた。
それは弐之首。
あの内部で、骨の少女が果敢に抗っている姿が見えたからだ。
朔朗が跳躍した水面の地表から波紋が広がる。弐之首に向けて刃を振り上げた朔朗。その姿を見つめる望之助は霊符を巡らせながら舞い続けた。
たとえ闇の中に居ようと、手を差し伸べてくれるのもまた、愛。
「貴女と御子息の間にある愛が誠なら、屹度――」
呪から解放されます、と告げた朔朗はひといきに首へと刃を振るった。
――五毒三尸。
朔朗は己の身体に宿る呪詛を籠め、退魔刀による一撃を放つ。欲心を削り、生命力のみを斬る一閃は見事に弐之首を穿った。
その瞬間、内部に囚われていた愛贄の少女が脱出を果たす。彼女が無事だと察した朔朗だったが、横合いから飛んできた愛呪の桜焔がその身を深く貫いた。
「……!」
声無き声をあげた朔朗が地面に叩き付けられる――と、思った瞬間。駆けた望之助が彼の身体をしかと受け止めた。
落下の衝撃によって大きな水飛沫が散ったが、朔朗は無事だ。
「……望之助、有難う」
「ああ、朔朗」
――晴九郎。
そっと、ふたつの名を呼んだ望之助の眼差し。それは過去と現在、どちらの自分も認めてくれているかの如く優しかった。
体勢を立て直し、自分の力で立った朔朗は氷輪の柄を強く握り締める。弐之首の愛贄は解放できたが、まだ戦いは続いていた。
「命が尽きても愛は消えないものです。望之助、雪枝、行きましょう」
大切な者達に呼び掛けた朔朗は強い意志を抱く。
自分は独りではない。
そして必ず、あの約束を果たす。
己の心に誓った朔朗は、此の戦いの終わりを見届けることを決めた。
大成功
🔵🔵🔵
●弐之首の意志
贄とされ、苦痛と絶望を視せられ続けたたから。
その懸命な想いと最良の選択。子が親を思い、認める心。それは弐之首から脱するための力となって巡った。
そして、朔朗が外部から欲を断つ斬撃を放ったことで、たからは解放された。
「助けてくれて、ありがと」
「いいえ。あなたが抗って戦っていたからこそです」
弐之首に関わったたからと朔朗はそっと頷き合う。その後ろにはたからの両親と、望之助と雪枝が控えている。
まだ他の首は蠢きながら此方に攻撃を仕掛けてきている。
たからと朔朗は攻撃を躱し、時には弾きながら応戦していった。その際、たからはふと思い出す。蛇首の内部にいる時、別の誰かが力添えをしてくれた気がしていた。
弐之首は殆ど破壊され、力を失っているが――。
「まだ、あの中に誰かいるよ」
「誰かというと?」
「多分だけど、あの蛇の首の元になった生贄のひと」
たからに朔朗が問いかけると、彼女は内部で感じていた感覚を語る。
まだ、間に合う。此処から出られるならば行きなさい、と知らない誰かが思いを伝えてくれていたのだ。
それはおそらく蛇首を作るために捧げられた贄の声。愛呪が多くの首を持つあの形になったのは、過去にも七人の贄がいたからだ。
過去の生贄の意志を感じていたたからは、心のままに言葉を紡ぐ。
「たから、あのひと達も助けたい」
「そうですね、助けられるのでしたら……。ですが、どうしたら――」
朔朗も蛇首達を見据え、考えを巡らせた。すると彼らの背後に控えていた望之助がそっと語りかけてくる。
「大丈夫だよ、朔朗。救う方法はある。けれど未だその時じゃないみたいだね」
望之助は何かを感じ取っているようだった。
何も語らぬたからの両親もそっと頷き、たからに眼差しを向けている。
「だったら、たから達は……」
「このまま戦い続けるのみ、ということですね」
たからと朔朗は時を待つことにした。
桜獄大蛇という存在を呪から解き放つために。その覚悟は何よりも強く、激しい戦いが続く神域に深く巡っていった。
真宮・響
【真宮家】で参加
愛を贄とする怪物、か。取り込まれている人達もいるみたいだね。アタシ達家族は取り込まれている人達の強さを信じて、早く解放を目指すか。
確かに愛を狂わせる攻撃は強い。でも今は母上の歌が寄り添ってくれる。アタシが親しみ、大好きだった母上の歌は何よりも支えになる。
足を踏み締め、【ダッシュ】で敵の懐に肉薄、【気合い】を入れて炎の拳を入れて【怪力】【グラップル】で【頭突き】を入れる。
横を見れば夫の律が両手剣を構えているし、後ろにいるのは、瞬の生みの母親、麗奈って言うんだね。アンタの魔術の腕は聞いているし、百人力だ。どんなに凶暴な相手でも、負けることはないさ。
真宮・奏
【真宮家】で参加
愛はたとえそれが狂った愛でも、多大な力を生み出します。でもそれが他人を取り込むものであったら、排除しなければ。取り込まれた人達を早く助けないと。
いつもと違うのは横に両手剣を構えたお父さんがいること。お父さんと肩を並べて戦える時が来るなんて。【オーラ防御】【盾受け】【武器受け】【受け流し】【ジャストガード】で防御を固めてからお父さんの攻撃に続いて信念の一撃で攻撃します。
敵の攻撃は【狂気耐性】【激痛耐性】で耐えますが、お父さんと戦っているおかげで痛みも平気です。
この歌声・・・お婆さんの声ですか?綺麗だなあ。後ろの援護が凄いと思ったら兄さんのお母さん・・・負ける気がしませんね!!
神城・瞬
【真宮家】で参加
愛を贄に、ですか。他人を巻き込み、苦痛を与える愛などあってはなりません。早く取り込まれた人達を助けないと。
いつもと違うのは横に魔術の先生である生みのお母さんがいる事。物凄くたのもしいと同時にいいところを見せないと。すぐ詠唱を始めるお母さんとタイミングを併せて【高速詠唱】で【鎧無視攻撃】【マヒ攻撃】【目潰し】「を仕込んだ【結界術】を展開、【連続魔法】で裂帛の束縛を使用。
後は【全力魔法】【魔力溜め】で【電撃】を落とします。
お母さんが側にいる限り、自我は崩壊しないと思いますし、どんな痛みだって大丈夫です。
真宮のお父さんの強さとお婆さまの歌が加われば、負ける気がしませんね。
●大切な家族と絆の一撃
時は僅かに遡る。
大蛇の壱之首と弐之首から、愛贄が解放される少し前。
美しく舞っていたはずの桜は何処かに消え去り、水面に咲いていた花の幾つかは枯れていってしまった。そして、辺りが暗闇に包まれる。
其処に現れた巨大な桜獄大蛇の存在を知り、咄嗟に身構えた真宮家の面々は現在の状況を確かめていた。辺りを飛んでいた幽世蝶も今は構えているように思える。
「愛を贄とする怪物、か」
「……愛を贄に、ですか」
響と瞬は蠢く蛇首を振り仰ぎ、警戒を強める。
奏も静かに身構え、深い水底の闇に包まれているかのような周囲を見渡した。今まではとても美しかった神域は穢されている。
その中でただひとつ、朱砂の大鳥居だけが変わらずに佇んでいた。
「愛はたとえそれが狂った愛でも、多大な力を生み出します。きっと、これが……この大蛇こそがその象徴なのでしょうね」
奏は目の前に現れた愛の大きさを知り、きゅっと拳を握り締める。
これほどまでとはね、と呟いた響は蛇首達を見据えた。周囲には不思議な桜色の焔が現れはじめている。おそらくあの桜獄大蛇は神域にいる者達を薙ぎ払い、排除しようとして動き出すのだろう。
「見てごらん、あの首に取り込まれている人達もいるみたいだね。どうやらアタシ達の力が必要なときみたいだ」
響は奏と瞬に、行こう、と呼びかける。
自分たち家族は取り込まれている人達の強さを信じて戦うのみ。そして、彼や彼女らの解放を目指すことが役目だ。
「確かにあの女性……母親の愛は強いみたいだ。でも――!」
「他人を巻き込み、苦痛を与える愛などあってはなりません」
「それが他人を取り込むものであったら、あの悪意を排除しなければいけません!」
響が語ると、瞬と奏も強く答える。
そして、自分達も娘であり息子である奏と瞬は母を思いながら、思いを声にした。
「取り込まれた人達を早く助けないと!」
「早く取り込まれた人達を助けないと」
「瞬兄さん……」
「奏も同じことを思っていましたか」
似た気持ちを抱いていることを知った二人は視線を重ねる。
しかし、次の瞬間。
「来るよ!」
逸早く攻撃を察知した響が皆に呼び掛けた。動き始めた桜獄大蛇は狂愛の桜焔を放っている。三人は一斉に散開することで直撃を避け、炎を散らせた。
されど、此度の戦いはいつもとは違う。
響の傍には母がいる。
奏の祖母にも当たる彼女は桜焔に対抗しうる歌を紡ぎ、響かせていた。
「私が焔を防ぐから、今のうちに……!」
「この歌声……お婆さんの声ですか? 綺麗だなあ。お婆さん、援護はお願いします。私達はお父さんと一緒に前に出ます!」
自分の祖母の歌を聞きながら、奏は傍で両手剣を構えている父、律に視線を向ける。響と共に駆けていった律の背を追い、奏は地を蹴った。
「響、奏、無茶はするなよ」
「分かっているよ、大丈夫さ!」
「はい、お父さん!」
水面の地表に波紋が広がると同時に、両親と娘の三人が蛇首に立ち向かっていく。大蛇はかなり大きいが、他の猟兵が標的まで駆け上がるための足場を作ってくれていた。その効果を利用した三人は、参之首に狙いを定めた。
「まさかお父さんと肩を並べて戦える時が来るなんて……」
「皆、あの首を狙うよ!」
父と母の背中を見て感動している奏に向け、響が呼びかける。他の蛇首には別の仲間が向かっているようなので真宮家は参之首と戦うことになった。
「皆さん、焔の直撃に気を付けてください」
駆けていく家族に注意を呼びかけた瞬は、参之首に向けてアイヴィーの蔓とヤドリギの枝、藤の蔓を解き放っていった。
初撃で全てが当たるとは思ってはいないゆえ、何度でも魔力を紡ぐ心算だ。
それに加えて今回は瞬だけが魔法を放つのではない。今回だけはすぐ横に魔術の先生である生みの母、麗奈がいる。
「瞬、狙いを定めて」
「お母さんがいる事が、物凄く頼もしいです」
瞬と一緒に魔力を放つ麗奈は凛とした眼差しを向けてくれていた。母の存在を心強く感じると同時に、母にいいところを見せないと、という思いも湧いてくる。
すぐに次の詠唱を始める麗奈とタイミングを併せ、瞬は高速詠唱を紡いだ。鎧無視と麻痺攻撃を入れ込み、敵の目を潰すが如く放った魔撃を放つ。
そして、奏達に向けて結界術を展開していく。連続魔法で以て瞬と麗奈は前衛の援護に回っていった。
「私も母として力を尽くすよ」
二人の傍に歩み寄った響の母が歌を響かせ続ける。
そんな三人の援護を受けた響と奏、律は参之首に連撃を叩き込んだ。響は炎の拳を打ち込み、奏はシルフィード・セイバーの一閃を、そして律は二人が作った傷に両手剣を振り下ろしていく。
「律、腕は鈍っていないようだね」
「響はあれから更に腕を上げたみたいだな」
夫婦同士で視線を重ねた二人は更なる追撃を打ち込む。その姿をしっかりと目に焼き付けている奏は頼もしさを抱いていた。
参之首の内部に囚われている人もきっと、抗っている。
そう信じて攻撃を重ねていく奏や瞬は懸命に力を振るっていった。されど蛇首が放つ桜焔や憎悪と激痛を齎す愛の呪が此方を穿たんと迫ってくる。
その一撃を受け止め、痛みに耐えた響は唇を噛み締めた。其処に彼女の母が歌う曲が響き渡っていく。
「確かにこの愛を狂わせる攻撃は強いね。でも、今は母上の歌が寄り添ってくれる。アタシが親しみ、大好きだった母上の歌が!」
母の声は何よりの支えになる。
それだけではなく隣には夫がいてくれる。響は足を踏み締め、一気に足場を駆けていった。敵の懐にあたる部位に肉薄した響は気合いを込め、全力の炎の拳を入れる。持ち前の怪力のままに一撃を突き入れ、勢いのままに頭突きをした。
それによって、参之首が大きく揺らぐ。
響の攻撃が契機になったと感じた奏と瞬は、目配せを交わした。
「お婆さんもいますし、お父さんもいる……! それに後ろの援護が凄いと思ったら兄さんのお母さん……負ける気がしませんね!!」
「ええ、奏。今の僕達には負ける理由がありません」
瞬も自分達の味方についてくれている三人を思い、強い心を抱く。
そして、響も後方に呼び掛けた。
「麗奈! アンタの魔術の腕は聞いているし、百人力だ。どんなに凶暴な相手でも、負けることはないさ!」
「ええ、ありがとう。貴方達の存在も心強いわ」
今は麗奈も真宮家の一員だ。その心を受け取った麗奈はしっかりと頷いた。律も刃を構え、奏と共に蛇首を切り裂き穿ってゆく。
「奏、行くぞ!」
「はい! この攻撃……届け――!!」
奏はオーラ防御を巡らせて桜の焔を受け流す。防御を固めた彼女は父が繰り出した攻撃に、全力全開の信念を重ねた。
瞬も愛呪の侵蝕に耐え、裂帛の束縛を解き放つ。
母が側にいる限り、決して自我は崩壊しない。どのような痛みだって大丈夫だと感じた瞬は母と共に全力の魔法を紡ぎ、激しい電撃を落とした。
「お母さんと真宮のお父さんの強さと、お婆さまの歌が加われば……!」
絶対に、救う意志を貫き通せる。
響が放つ赤熱する拳。
奏による信念の一撃。
瞬の蔓が齎す束縛。
其処に歌声と両手剣による斬撃と、紡がれる魔力が繋がる。
そして、全員の力がすべて合わさった時。その力はまるでハーモニーやシンフォニーの如く響き渡っていった。
それによって参之首が崩れ始め、救出の一手が巡りゆく。
更に彼女達は親子の愛と絆を示した。そのことが愛呪に影響を与えたと分かるのは、暫し後になるが――。
まだ戦いは続く。されど、この場の誰も諦めてなどいない。
親子達はこれから巡る戦いを思い、意志を重ね合った。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
ヲルガ・ヨハ
◎(変身なし)
しずみゆく
其は
幾度抗い、踠き、跑けど繰返す
定められた敗北の戦
押し寄せる獣の軍勢が
なにもかもを引き裂く
こんな、もので……われを……
幾度も幾度も
死に、再生し、消え果て
生は戦そのもの
抗う限り終わらない
それでも踠き
人形の頭を潰される絶望を注がれ
絶叫する
追憶が、心が
千々にほほろぐ
次第になにも、わからなくなる
ぷかり
こぷり
これはーーなんだ?
無名指にひかるもの
彼方には蒼白い星
己の名さえ忘れかけた今
それだけが、残っていた
綺羅星の如き光
忘れられぬ想い
求め、焦がれ、欲し
彼方へ手を伸ばす
嗚呼ーー
どこにいる?
口唇が名を紡ぐ
二度は置いていくまい
今度こそ
潰える時さへ、ともに
同胞(はらから)よ
そなたはこうして狂ったのか
愛を違えてなどいない
ただ、忘れているだけだ
ならば無粋な呪なぞ
われが喰らい尽くしてやる
"ーーここへ"
まさかさまに墜ちる先
抱き止めるのは
土塊の"おまえ"と信じ
われを害す物は"おまえ"が排除し
"おまえ"に触れし物総て尾でなぎ払い
ならば、われらが気を惹こう
呪を喰らい
身を以て、宿縁主らが求む機とならん
●銀の龍尾と蒼白の星
――しずむ、しずむ、しずみゆく。
贄として囚えられたヲルガが視せられているのは、絶望を引き起こす光景。
其れは過去の記憶か。
或いは此れから亦辿るかもしれない未来の先触れか。
幾度も抗い、踠き苦しむ。
闇を跑けども何度も繰り返す光景がヲルガを苛み続けている。其れは現世に生きるよりも、此処で諦めて眠れと云われているかのような誘いだ。
定められた敗北の戦。
押し寄せる獣の軍勢がヲルガに迫る。
己だけではなく、周囲のなにもかもが引き裂かれて散っていく。一度だけではなく、永遠に繰り返す悲鳴と苦痛、怨嗟と絶望。
(こんな、もので……われを……このような、ことで……)
未だヲルガの心は折れていない。
されど、まるで風前の灯火。火を灯した蝋燭が短くなっていき、己ごと溶けて消えていくかのような感覚を味合わされている。
幾度も、幾度も。
死に絶え、再生して、消え果てて。
痛みは生の証でありながら、死への路でもある。
ヲルガの胸には或る思いが浮かんでは消え、漂流するかのように揺蕩う。
生は戦そのもの。
抗う限り終わらない地獄めいたものでもある。諦めてしまえば楽になれる。眠ってしまえばなにもかも見なくて済む。
それは確かにひとつの答えなのだろう。
何も望まず、何も視ないまま沈んでゆけるのならば――という思いが過る。
しかし、ヲルガは抵抗を止めていない。
それでも踠き、現世への路を閉ざされまいと己を保ち続けていた。その意志は強く、魂が溶け落ちそうになっても揺らがないままだ。
『――どうして。どうしてそんなに、頑張れるの』
不意に誰かの声が聞こえた。
声の主からは悪意は感じられず、純粋な疑問を投げかけているようだった。ヲルガは応えようとしたが、呪からさらなる絶望が注がれる。
次に視えたのは、獣の軍勢ではなく――人形の頭を潰される光景。
(――――――!!!)
絶叫が響く。
其れが己の心が放ったものだと気付いたヲルガは、裡に宿る激情を知った。
生き延びる為に。
自らの思い出を、紡いできた記憶を、なにもかもを喰らいつくした。そうまでして繋ぎたかったものがあるゆえ。
それなのに。
追憶が、心が、千々にほほろいでいく。
次第になにもわからなくなって、ヲルガの口許から泡沫の粒が零れ落ちた。
ぷかり、こぷり。
水底よりも深い奥に引き摺りこまれていく。そのような感覚に支配されたヲルガの腕から力が抜けた。
しかし、揺らいだ面紗の奥。ヲルガの眸が或るものを捉えた。
(これは――なんだ?)
無名指にひかるものがある。
紅差し指、或いは環指とも呼ばれる薬指から僅かな光が放たれているようだ。
彼方にあるのは蒼白い星。
夜半のヲルガ。天に塒を巻く、猛き軍神だという、己の存在すら忘却しかけた今。
ただ、星の彩だけが残っていた。
たったそれだけ。されどヲルガにとっては、其れのみで佳かった。
綺羅星の如き光。
其処には忘れられぬ想いが宿っている。沈む身体とは反対に、無名指を天に向けて伸ばす。あとは星の光が導いてくれる。
己という存在を。揺るぎないと信じた心を。
求め、焦がれ、欲せば自ずと進める。此の先へ。自身が選んだ、此の路の果てに進むためのみちゆきが視える。
そして、ヲルガは彼方へ手を伸ばした。
「嗚呼――」
零れ落ちた声は、はっきりと紡がれている。いつしかヲルガの周囲に現れていた絶望のまぼろしは消えていた。
今ならば、先程の少女めいた声の問いかけに答えられる。
しかし、ヲルガの指先はそれよりも先に彼を求めた。置いてきてしまったもの。そして、其処で今も待ち続けている存在。
「どこにいる?」
微かに動いたヲルガの口唇が、名を紡ぐ。
おまえ。
嗚呼、アァ、おまえ。
土塊が転がり、己を庇うからくり人形が穿たれて崩れ落ちる――そんな未来はもう既に視た。そうならぬ為に、そうさせぬ為にいきてゆくと決めた。
そのことを思い出したヲルガは游ぐ。
此のような深い水底ではなく“おまえ”と共に往ける先へ。
「二度は置いていくまい」
今度こそ――潰える時さへ、ともに。
ヲルガが両腕を伸ばしたとき、遠くから大きな音が聞こえた。外からの攻撃が蛇首の精神世界にまで影響しているのだと察したヲルガは其方に進む。
その間にも絶望の残滓が纏わりついてきた。
大切なものを失い、奪われ、独りで闇に沈む光景が脳裏に過ぎる。
(――同胞よ、そなたはこうして狂ったのか)
呼び掛けても答えはないと知っていたゆえ、ヲルガは敢えて声に出さなかった。桜獄大蛇の呪を作り出した者も、きっと恐れたのだろう。
唯一の存在が喪われることを。
それを認めたくはない。他者の手によって大切な者の命を奪われたくはない。
最初は純粋な思いだったはずだ。
「愛を違えてなどいない。ただ、忘れているだけだ」
ヲルガは愛呪に込められた意志を理解していた。己と同じとは言えないが、確かに似通った思いがある。
「ならば無粋な呪なぞ、われが喰らい尽くしてやる」
蛇首から脱する為に游ぎ続けるヲルガは、光に近付いていた。
あの光に向かえば外に出られる。そのように確信したヲルガは心を決め、光に向かって飛ぶように游いだ。
刹那、参之首を狙っていた猟兵達の猛攻撃が放たれる。
無名指に宿る星と共に外へ抜け出したヲルガは、まさかさまに落ちていく。だが、其処に何も不安はない。
――ここへ。
腕を伸ばした先、ヲルガを抱きとめたのは、土塊の“おまえ”。
からくり人形の腕の中に収まったヲルガは、その身に力を与えた。戦化粧を施し、寵愛を与えた人形は静かに身構える。
「われを害す物はおまえが――」
総て排除していき、おまえに触れし物は、総て己が尾でなぎ払う。
からくり人形はヲルガの言葉を受け取ったように思えた。そして、ヲルガは崩れていく参之首に向けて、先程の返答を告げる。
「頑張る、とは違う。ただ、われには想いがあるだけだ」
われらが気を惹こう、と告げたヲルガは戦い続けることを心に決めた。呪を解くのは皆の力が無くては叶わない。
されど、求むる機を掴めるのは――縁を紡いだ者達だけだと信じて。
大成功
🔵🔵🔵
●参之首の空白
蛇首のひとつ、参之首。
それはどの首よりも早く地に伏し、力を失った。
囚われていた愛贄の脱出を確かめ、参之首と戦っていた者達が笑みを浮かべる。
「――やったね! あの首を倒したよ!」
「やりましたね、母さん」
「お母さん達もありがとうございます」
響と奏、瞬は視線を交わし合う。その近くには響の母と、彼女の夫であり奏の父である律、瞬の産みの親の麗奈が控えていた。
壱之首と弐之首からも贄が脱出しており、それらの首が沈むのも時間の問題だろう。
からくり人形に抱かれたヲルガはふと違和を覚えた。
「……なにも、いない」
愛贄になったヲルガだからこそ分かったことがある。壱と弐、肆から七の蛇首からは愛贄以外の魂が宿っているようにみえた。
それは過去に大蛇の主が愛呪を作りあげる為に捧げた生贄の魂なのだろう。
だが、参之首にはそれがない。
されどヲルガは確かに蛇首の中で少女めいた声を聞いた。あの声は何だったのだろうかと考えたとき。ヲルガの脳裏にあのときと同じ声が響く。
『……美珠。私は――美珠と名付けられるはずだった、もの』
「そうか、お前は……この世に産まれ落ちることができなかった魂か」
ヲルガは参之首の贄になったものが他の蛇首とは違う存在であり、異なった場所に宿っているのだと察した。ヲルガは、自らのなにもかもを喰らいつくした自分が参之首に呼ばれた理由を知る。
きっと、ヲルガと美珠は何処かしら似通った部分があった。ちいさなこの縁は、此度の戦いに大きな転機を与えるものとなっている。
そのことが知れるのは、もう少し先のことだが――。
美珠と名乗った魂はいつしか何処かへ飛んでいった。そのことを感じたヲルガは唇を緩く噛み締める。
「お前達、どうしてあの首を落とそうと思った?」
ヲルガは外部から攻撃をしてくれた響や奏、瞬達に礼を告げた後、参之首を狙った理由を問いかけた。すると響は単なる直感だと答える。
「どうしてって……女の勘だね」
「私もあの首を最初に倒すべきだって感じました」
「僕もどうしてか、そのように思いましたね」
真宮家の面々は感覚的に参之首から攻略するべきだと感じ取っていたらしい。その直感は実に正しいものだった。
彼女達の傍に控えている想い人達は静かに頷き、其々に思いを口にする。
「きっと、もうすぐだね」
「ああ、ここに呼ばれた意味が分かった」
「瞬に逢えたことも嬉しいけれど……私達の力が役に立つことも嬉しい」
真宮家と神城家に連なる死者達。
彼らは何かを悟っていた。おそらく彼らを始めとした死者達がこの神域に留まり続けている理由は、もうひとつあるのだろう。
まったく動かなくなった蛇首を前にした猟兵達は続く戦いの様子を見据えた。
参之首が既に空白である理由、それは――。
唄夜舞・なつめ
【再邂】
おーおー、こりゃまたデカい敵が出てきたなァ。
ちらりと2人を見て
まい。こいつの名前本当は
舞冬ってンだ。
女みてーな名前が
恥ずかしくて偽名使っててなァ
お前も惚れた女にぐらい
本名教えてやれ。
『急やな!?まぁ言うてしもたし
後に引けんくなってな。』
まい、これからそう呼んで
愛してやってくれ。
『よろしくな。苺。』
舞冬、まいを頼んだぞ。
お前が側で護って支えてやれ。
まいにはお前が必要だ。
『当たり前や、
兄貴にも渡さへんよ。』
ばァか、そんなじゃじゃ馬
要らねーよ
それに俺ァもう見つけた
愛する人。
『え、ホンマ?!どんな人なん?』
クク、生まれ変わってきたら
教えてやる
『あっ、ずるい!』
ソイツと過ごすこれからや
お前たち、囚われてるアイツらの
未来のために俺は闘う
例えこの身がボロボロになっても
──勝つ。
俺はお前たちの正しい『愛』を
羨ましくなる程に見てきた
だからわかる
こんなに歪んだ愛は違うと
だから──『終焉らせてやる』。
完全竜体になって
雷で敵を攻撃、目眩しをする
必要ならば他の猟兵の足場にも
──見せてやれ、お前らの『愛』を
歌獣・苺
【再邂】
この子たち…
普通の大蛇じゃないよね
仲良くなれる気配が、ない
…?どうしたのなつに──え?
まーくんの名前…?
まふゆ。そう…!
本当はまふゆくんって言うんだ!
素敵な名前!まーくんに
ピッタリの名前だと思うよ!
よろしくね、まふゆくん!
そうだよ、
私にはまーくんが必要なの。
どんな時も側で支えてくれて
悪いことしたら
ちゃんと怒ってくれた
大好きなまーくん!
……え!?なつにぃいつの間に!?
私も!私もこの依頼終わったら教えて!?
龍になって飛んで行ったなつにぃを見送れば、太刀を握りしめた
私も…戦わなきゃ。
目の前の白い大蛇
それをこの太刀で攻撃する
それは、貴方を
切り落とした日を思い出すようで
また、貴方を殺してしまうようで
手が震えた。
『苺、大丈夫や。』
まー、くん。
『あれは俺の事殺したんやない。
動ける範囲も限られてて
大して何も出来ん身体で
苦しんでた俺を
──救ってくれたんや。
だからアイツらも、
呑まれた人らも救ったろ。
俺と一緒に。』
!…うん!
ふたりで太刀を握り歌を紡ぐ
大きく振れば花吹雪。
『これは、あなたに幸せを贈る歌』
●三つの心
天を仰ぐ程に巨大な蛇首達。
桜獄大蛇を振り仰いだなつめ達は、ただならぬ気配を感じ取っていた。
それまで舞っていた美しい桜の花弁は消えている。美しい天を映していた水面も闇に染まり、朱塗りの太鼓橋にも大きな影が射していた。
その影の主である桜獄大蛇を見つめた苺の声が僅かに揺れている。
「この子たち……やっぱり普通の大蛇じゃないよね」
「おーおー、こりゃまたデカい敵が出てきたなァ」
「仲良くなれる気配が、ない」
蛇達はこの世のものならざる存在だ。そのことを改めて知った苺は首を横に振る。その隣にはなつめの弟が立っており、神妙な眼差しを大蛇に向けていた。
なつめはちらりと二人を見て、まだ話していないことを語ってゆく。
「まい」
「……?」
なつめの方に目を向けた苺は、彼が弟を指差していることに気付いた。苺が不思議そうな視線を向けるとなつめはゆっくりと口をひらく。
「こいつの名前本当は舞冬ってンだ」
「どうしたのなつに――え? まーくんの名前……?」
唐突に真実が告げられたことで、苺は戸惑いを見せた。そんな彼女に笑みを向けたなつめは弟の背をばんばんと叩く。
「女みてーな名前が恥ずかしくて偽名使っててなァ」
「急やな!?」
驚いた舞冬は兄を二度見した。
同じく驚きを隠せない苺は瞼を幾度も瞬き、初めて知った名前を言葉にしていく。
「まふゆ……」
「本名呼ばれるんのはなんやくすぐったいんやけど……」
舞冬は照れくさそうに頬を掻いている。苺の口許には次第に笑みが咲き始め、ふわりとした嬉しげな表情になった。
「そう……! 本当はまふゆくんって言うんだ!」
「お前も惚れた女にぐらい本名教えてやれ」
「まぁ言うてしもたし、後に引けんくなってな」
感動している様子の苺に向け、兄弟が視線を向けた。二人の眼差しを受けた苺は瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべる。大好きな人の本当の名前を知れたことは、これまでで一番嬉しいことかも知れない。
「素敵な名前! まーくんにピッタリの名前だと思うよ!」
「まい、これからそう呼んで愛してやってくれ」
なつめが弟の背を押し、苺の前に行かせてやる。真っ直ぐに彼を見上げた苺の瞳にはあの日のままの舞冬の姿が映っていた。
「うん! よろしくね、まふゆくん!」
「よろしくな、苺」
苺と舞冬が見つめあう中、なつめは満足そうに頷いていた。周囲で戦いが巡り始めている中、三人はしっかりと視線を重ね合う。
桜焔を思い切り振るった尾で弾いたなつめは、痛みを堪えながら大蛇を見上げた。その視線には真剣な想いが宿っている。
「舞冬、まいを頼んだぞ」
「当たり前や」
振り返ることなく告げた兄に対し、弟がしっかりと答えた。彼の声からもまた、兄と同じくらいの真剣さが感じられる。
「お前が側で護って支えてやれ。まいにはお前が必要だ」
「そうだよ、私にはまーくんが必要なの」
「改めてそう言われるんも照れるな」
なつめが語った言葉に対し、舞冬と苺がそれぞれの反応を返した。
どんな時も側で支えてくれたひと。
苺が悪いことをしたときはちゃんと怒ってくれた、大好きなひと。苺が思いを募らせていると、舞冬は胸を張って答える。
「兄貴にも渡さへんよ」
「ばァか、そんなじゃじゃ馬なんて要らねーよ」
「じゃじゃ馬!?」
「間違いないだろ。それに俺ァもう見つけた、愛する人を」
さらりと話したなつめはさり気なく重大発表をしている。驚いた舞冬は瞼をぱちぱちと瞬かせ、兄の後ろ姿を見つめた。
「え、ホンマ!? どんな人なん?」
「……え!? なつにぃいつの間に!? 私も! 私にも教えて!」
苺も自分が知らないうちになつめがどのような道を辿ってきたのか興味津々だ。しかし、なつめ達は今という時にそれを説明する時間がないことも分かっている。
「クク、生まれ変わってきたら教えてやる」
「あっ、ずるい!」
「えっ、ずるい!」
苺と舞冬の声が重なった、次の瞬間。
なつめが真の姿に変じて飛び立っていった。彼が愛する人の正体がわかるのはこの戦いが終わってからになるだろう。
完全竜体になったなつめは飛び交う桜焔を避け、時には受け止めながら飛翔する。
狙うは肆之首。
他の仲間は既に別の首に向かっているようだ。雷撃で焔を迎え撃ったなつめは目眩しを狙っていく。
その際に周囲を見遣ったなつめは、他の猟兵のための足場を作ろうと考えた。
自分の軌跡が他の首を攻撃する仲間の助けになればいい。そのようにして巡らせた力を察した仲間がいる。
上手く使ってくれているらしいと感じたなつめは、更なる攻勢に出ていく。
「アイツと過ごすこれからやお前たち、囚われてるアイツらの未来のために俺は闘う」
たとえ、この身がボロボロになっても。
――勝つ。
なつめは強い決意を抱き、更に高く飛んだ。巨大な蛇首と渡り合うが如く空中を旋回していったなつめは自分が抱く愛について、言葉を紡ぐ。
「俺はお前たちの正しい『愛』を羨ましくなる程に見てきた」
それゆえに、わかると口にしたなつめは自分なりの結論を出す。なつめの瞳に映った蛇首の中には囚われた猟兵がいる。それゆえに先ずは助け出すことからだ。
「こんなに歪んだ愛は違う」
愛が歪んでいると感じるのは、歪む前の愛があったからこそ。
本人すら望んでいないことを成す愛など、きっと認めてはいけない。なつめはそのように考えていた。
夏雨と共に激しい雷と稲光を放ったなつめは蛇首を見据える。瞬く間に攻撃を仕掛けていった完全竜体のなつめ。
その姿を見送っていた苺は太刀を握りしめた。
「私も……戦わなきゃ」
目の前の白い大蛇をこの太刀で斬る。そうしなければ誰かを助けることは出来ない。しかし、相手が蛇であることで苺の気持ちは大きく揺らいでいた。
(何だか思い出しちゃうな。まるで、貴方を――)
切り落とした日。
あの日を思い出してしまい、苺は俯く。
また、貴方を殺してしまうかのようで苺の手が震えはじめた。すると舞冬が苺の傍に歩み寄り、ぽんぽんと肩を叩く。
「苺、大丈夫や」
「……まー、くん」
苺があのときのことを思い出しているのだと察した舞冬は首を横に振る。
違う。絶対に違う。
「あれは俺の事を殺したんやない。動ける範囲も限られてて、大して何も出来ん身体で苦しんでた俺を――」
「…………」
「――救ってくれたんや」
舞冬は、これだけは間違いないという意志を込めた眼差しを苺に向けた。真っ直ぐなまま逸らされない視線を受け止め、苺は掌を強く握りしめる。
その間もなつめが自分達に襲い来る桜焔や衝撃の余波を防いでくれていた。早く決断しなければならない現状だが、舞冬は決して苺を急かそうとしない。
その心を感じ取った苺は、震えそうになる声を抑えながら問いかける。
「そうなの? ……そう思って、いいの?」
「勿論や」
「……!」
「だからアイツらも、呑まれた人らも救ったろ。俺と一緒に」
「……うん!」
一緒に。
その言葉を聞いた苺は大きく頷き、明るい笑みを浮かべた。其処で苺の決心は固まり、戦う気持ちが整ったようだ。
桜焔を受けながらも果敢に湛えているなつめの身体は傷付いていた。
無理もない。向かってくる三人分の攻撃をたった一竜で受け止め続けているのだから、無傷とはいかない。
感情の全てを憎悪に変える焔はなつめの心を穿っているが、まだ押し負ける心算はない。なつめ達が狙っている肆の首はまだ力を保っており、此処からが勝負だ。
なつめは腕や足が爆破されていき、血が滴る感覚を抱きながらも地上を見遣る。
この身が崩れようとも護ると決めた。
大切な、弟達を。
「――見せてやれ、お前らの『愛』を」
なつめが更なる雷と稲光を解き放ったとき、苺と舞冬が地上で身構えた。苺達はふたりで太刀を握り、歌を紡ぎはじめる。
愛し白蛇の太刀。
柄を握れば刃に花が咲いていく。そして、ふたりで大きく触れば――。
「いくで、まい!」
「うん、まふゆくん。なつにぃも、一緒に……!!」
華吹雪が冬の嵐の如く舞い、夏の雨めいた響きを宿して歌が巡る。
翔ける竜神。
共に刃を握り、振り翳すふたり。
そして、三人の声が戦場となった神域に凛と響き渡った。
「俺らでやったろうや!」
「ああ――『終焉らせてやる』!」
「……『これは、あなたに幸せを贈る歌』!」
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
君影・菫
暗い空、向き合う時間やな
楽しい時間は続かへん
それでも僅かな時間の景色巡りは楽しかったよ
な、藤ねえ
うちらはふたりで『藤菫』だったって思ってもいい?
ふふ、今更なんて相変わらず
ずるいおひとやわ
ふたりで色んな愛を与えてきたよね
それは甘いのだけじゃなくて、桜のように儚いものも数多
せやから解る
あの愛は成就させたらあかん
ううん、うちが厭なんやて
あの中には大切なひとたちがおる
それに頑張るキミの力にもなりたいんよ、カムイ
奏でて、藤ねえ
キミの音色ならうちのゆびさきも確かな想いを乗せられる
懐かしい音色を耳で拾ってこころに馴染ませたなら
ひとの欠片を手に入れる
ずっといっしょに愛を謳った簪
たくさんの“すみれ”を増やし浮かせて
うちらは愛の路を作ろ
イロドリ、彩り
みんなの想いが届くように
――ね、うちらの愛を咲かそ
愛は呪い
響き通りな側面かて知っとるけど
その永遠は苦しいよ
櫻宵…花魁の在り方を知っているひと
キミは負けへんよね?
終わりは藤ねえとの別れやと解ってる
でもキミの凡てはうちが、持っていくからと
ね、とこしえの約束だけさせて
●絆ぐ彩音
闇に染まった暗い空は淀んでいる。
澄んだ色も光も見えない沈んだ領域となった空を仰ぎ、菫は双眸を鋭く細めた。隣には自分と同じような表情をした藤がいる。
「向き合う時間やな」
「せやね、うちらも力にならなあかん」
「楽しい時間は続かへんのやね。それでも……」
僅かな時であっても、花咲く景色巡りは楽しかった。
在り得なかったひとときが実現された、あのときを忘れない。菫は藤に視線を向け、静かに微笑んでみせた。そうすると藤も菫を見つめる。
現れた桜獄大蛇に向ける思いも、これまでの時間に抱く気持ちも同じようだ。
「な、藤ねえ」
「どうしたん、すみれ」
「うちらはふたりで『藤菫』だったって思ってもいい?」
菫からの言葉を受け、藤は静かに笑む。はたとした菫に対して藤は口許に指先を添え、聞くまでもないことだと語ってみせた。
「あら、そんなん今更やろ?」
「ふふ、藤ねえは相変わらず。ずるいおひとやわ」
藤からのあたたかな思いを受け、菫は心からの微笑みを浮かべる。
その間にも、大蛇の首が大きく蠢いた。憎悪と激痛を齎す愛の呪が桜色掛かった靄となって菫達に襲いかかってくる。
心が穿たれ、気持ちが剥がれ落ちていくような鋭い感覚が巡った。
「藤ねえ……!」
「大丈夫や、すみれ」
しっかり前を向いて、と告げた藤の周囲に幽世蝶が集まっていた。羽撃きは防護となり、藤と菫をしかと守ってくれているようだ。
菫は幽世蝶達ばかりに無理はさせられないと感じながら、簪に触れた。
優雅で鋭利な菫色の簪が瞬く間に複製されていき、憎悪の靄を散らしていく。菫は藤を背に護りながら、そっと視線を向ける。
「今までふたりで色んな愛を与えてきたよね」
「……せやね」
それは甘いものばかりではない。甘やかであるのに切ないものもあった。
たとえば、亡くなった妻が忘れられないひと。または、生き別れた母の面影を重ねていたひと。愛があっても悲しみの根幹は拭い去れなかった。
一期一会。桜のように儚いものも、藤のように揺らぐものも、菫のように風に揺れて手を振るようなものも。数多の愛と哀があった。そんな中でも自分達は皆に一筋の光を与えられたように思う。たとそれが、たったひとときであっても――。
「せやから解る」
「うちも、すみれと同じ気持ちや」
菫と藤は肆之首を見上げる。あの内部に透けて見えるのはよく知った相手だ。彼女が取り込まれて完全に眠らされてしまう前に、外部から蛇首を穿たなければならない。
それに愛呪を作った者の愛は変異してしまっているように思えた。本当は純粋な愛だったはずだ。それが、このように絡まってしまった。
「あの愛は成就させたらあかん。……ううん、うちが厭なんやて」
「せや、あの中には大切なひとたちがおるんよね、すみれ」
首を横に振った菫の隣に、藤が歩み寄ってくる。並び立った藤に頷いた菫は周囲を見渡した。他の首と戦う者や、同じく肆之首に立ち向かう者が果敢に力を揮っている。
「内部だけやなくて、外にも」
菫が最後に見遣った場所には、愛呪の中心となっているものに立ち向かう神の姿があった。彼の場所だけ桜焔の濃度が濃い。
おそらく、愛呪――華蛇の意志が彼を滅ぼさんとして、強く巡っているのだろう。
「それに頑張るキミの力にもなりたいんよ、カムイ」
その名を呼んだ菫は、敢えて彼の元には行かなかった。幾重もの桜焔が舞う場所に自分が向かうよりも、藤と共に肆之首を狙い撃つ方が彼のためになると判断したからだ。
「――奏でて、藤ねえ」
決意を宿した菫は傍らの藤に願う。
キミの音色なら、自分のゆびさきも確かな想いを乗せられるから、どうか共に。
奏でられる音。それはとても懐かしい音色。
旋律を耳で拾い、こころに馴染ませたならば――ひとの欠片を手に入れる。
藤の娘と、ずっといっしょに愛を謳った簪。
菫は手を天に翳し、先程よりたくさんの“すみれ”を増やして浮かせていった。
「うちらは愛の路を作ろ」
――イロドリ、彩り。
みんなの想いが届くように。みんなのこころが色付くように。
「ね、うちらの愛を」
「咲かそ」
菫と藤は互いを見つめあい、同じ微笑みを宿した。美しい簪は憎悪の靄と桜焔を貫きながら散らし、肆之首の身に突き刺さっていく。
愛は呪い。
のろいであり、まじない。
「響き通りな側面かて知っとるけど、その永遠は苦しいよ」
ねえ、と菫は愛呪の中心を見つめた。
其処には白く染まり、桜を枯らした櫻宵の姿がある。今はきっと誰もが諦めずに戦おうとしている。だから、諦めるなとは絶対に言わない。
「櫻宵……花魁の在り方を知っているひと。キミは負けへんよね?」
ただ、信じている。
信じるだけで心は通じると感じた菫は、藤の奏でる音色に乗せて簪を舞わせた。確かに隣に立つ藤も、このひとときが終われば別れとなる。
それでも一瞬ずつを大切にしたい。
此処で猟兵が押し負けてしまえば、藤をはじめとした魂が消滅させられてしまう可能性もあった。魂を闇に沈ませるよりも、黄泉に帰る路を繋ぎたい。
菫が藤へ抱く想いもまたひとつの愛。
桜焔に対抗する最中。音を奏で続ける藤がふと、菫に語りかけた。
「何にでも終わりは来るんよ。でも、だからこそ美しいんやと思わへん?」
「藤ねえ……。そう、そうやね」
死という終わりを迎えた藤だが、決して穢れてなどいない。美しいままだと感じた菫は彼女の分まで自分が生きているのだと実感した。
「ね、藤ねえ」
「なあに、すみれ」
「……あとで、伝えたいことがあってな」
「ええよ、絶対に聞かせて貰うから」
この戦いが終わったら。
藤菫の名を宿すふたりは手を握りあった。此処に確かな繋がりがあると示すように、強く固く、別れの時まで離さないと誓って。
そして――ヴィオラの戯が、肆之首の喉元を深く貫いた。
大成功
🔵🔵🔵
橙樹・千織
◎
片翼奪われ、貫かれたあの日
…痛い
彼女を置いて逝った罪悪感
…ごめん、ごめんね
信頼していた人が去りゆく後ろ姿
…待って
悪しき縁が引き起こすかもしれない惨状
…なん、で。お前が
延々と繰り返す過去といつか見た最悪の未来
いつまで?何度視れば終わる?
痛い
いたい
もうやめて
違う、ちがう…違うっ
未来がこうならぬよう刃を手にしたの
もう
何も護れず散るなんて嫌
遠い過去とは違う
今は己の手で刃を振るい
悪しきを絶つことができるのだから
愛しい友の力になりたい
二人を支え共に游ぐ
白珠の人魚を想う
必死に愛しい人を護り、共に生きる
一途な赫き神を想う
愛を識り、また一歩踏み出そうとしている
心優しき櫻龍を想う
彼らが望む路を護るためにも
此処で散りはしない
何より
桜花爛漫の下
幸せそうに咲う彼らが見たいから
私は
いきる
貴女はいつまで目を逸らしているの?
確かに彼が今生きているのは貴女のおかげ
ならば尚更
しかと今の彼を見て
彼を、彼の愛を識って受入れるのもまた愛でしょう
想いを言の葉で紡ぎあい
あたたかで大切な記憶に刻みましょう
また
満開の桜を咲かせるために
●巫女としての繋がり
肆之首の内部。
身体を蛇首に、魂を精神世界に囚われた千織。
愛贄として気を失わされている彼女が見ているのは、苦痛と後悔が巡る光景。
それは片翼を奪われ、貫かれたあの日のこと。
(……痛い)
物理的な痛みだと錯覚してしまうほどの苦しみが千織を襲っている。
同時に心が痛むのは、彼女を置いて逝った罪悪感があるゆえ。絶望を齎すあの日の光景が何度も、繰り返し千織の前で巡っている。
(……ごめん、ごめんね)
謝っても届かないと分かっているのだが、千織は幾度も謝罪の言葉を念じた。
信頼していた人が去りゆく後ろ姿が見える。
腕を伸ばして引き止めたい。しかし、身体は少しも動いてくれない。伸ばしたとしても手が届かないことを思い知らされているかのようだ。
(……待って)
必死に呼んでも声が出ないので誰も振り返ってくれない。心が張り裂けそうになり、千織の精神が蝕まれていく。
悪しき縁が引き起こすかもしれない惨状。
(……なん、で。お前が――)
忌々しげに呟く心の声すら掠れて虚空に消えていく。何も出来ない状態で、延々と繰り返す過去と、いつか見た最悪の未来が目の前に映し出される。
幻が一度終わりを迎えても、終わらない輪廻のように苦痛が齎され続けた。
――いつまで?
思考にすらならない、痛いという感覚の中で千織は叫ぶ。いつになったら終わるのかという疑問に答えてくれる者など此処にはいない。
――何度、この惨状を視れば終わる?
このように問いかけたことすら何度目かもわからない。
外の世界ではたった数十秒しか時間は経っていないというのに、千織には何十年もの時が過ぎ去ったかのように思えている。ただ、同じことばかりを繰り返されて考えることも許されていないまま。
眠ってしまえば楽になる。
すべてを諦めて、瞼を閉じて闇に身を委ねれば終わる。
早くそうしろ、と言われているかのような感覚が千織に与えられていた。
(痛い、いたい……痛、い……)
もうやめて。
みせないで。
ごめんなさい。
そうじゃない。
違う、ちがう。
(こんなの……こんな、ものが――)
千織は抗い続けていたが、心が千切れそうになっている。
未来がこうならぬよう刃を手にしたのに。
また繰り返してしまうだけの自分が嫌になった。もしかすれば己の魂は、こうして幾度も失敗して後悔することを運命付けられたものなのかもしれない。
眠りたい。
何もかも関係ないところで、ずっと。
(……違うっ!)
ふと浮かんだ思考を振り払うように、千織は心の中で叫んだ。
もう何も護れずに散るなど嫌だ。どれほど自分が嫌いになったとしても、誰かの想いや心が失われる方がもっと嫌だ。
そのことを意識したとき、千切れかけていた千織の心が集い始めた。
違う、遠い過去と現在はもう別のもの。
あの頃と同じまま生きてきたのではない。今は己の手で刃を振るい、悪しきを絶つことができるのだから――。
愛しい友の力になりたい。
必死に愛しい人を護り、共に生きる一途な赫き神。愛を識り、また一歩踏み出そうとしている心優しき櫻龍。彼らと共に游ぐ白珠の人魚。
思い浮かんだのは友の記憶。
彼らが望む路を護るためにも、此処で散りはしないと決めていた。千織が何より望むのは、桜花爛漫の下で幸せそうに咲う彼らの姿をこの目で見ること。
「……私は、いきる」
気付けば千織は、はっきりとした言葉を紡いでいた。
そのとき、誰かの声が耳に届く。
『私の娘が産まれていたら、貴女のような立派な子なっていたのでしょうね……』
「――誰?」
一瞬だけ、千織は自分の母が現れたのかと思ったが声に聞き覚えはない。精神世界を見渡してみても誰の姿もない。ただ、誰かの意思があるということだけは分かった。
『行きなさい、舞唄と剣舞の巫女の娘』
光はあちらに、と示した謎の声が薄れていく。いつしか千織の傍には消えていたはずの母の姿が現れていた。
千織の身体は母に抱き締められ、苦痛の幻から解き放たれる。
「母様?」
「行きましょう、千織。あの方が私達の縁を繋ぎ直してくれたみたい」
「あの方って、今の声の方?」
「水龍の巫女様よ。それ以外は分からないけれど、助けてくださったことは確かね」
ほら、と千織の母が先を示すと其処には大きな光があった。
次の瞬間。
肆之首の外部で華吹雪と夏雨雷が轟き、幾つもの菫の簪が蛇首を貫いた。その衝撃が千織が解放される契機となっていく。
蛇首から抜け出した千織は鳶の翼を広げて滑空していき、水面の地表に着地する。
助けてくれた仲間達に礼を告げた千織は藍雷鳥と藍焔華を同時に構えた。そして彼女は、空中に浮かぶ愛呪の主である華蛇に問いかけていく。
「貴女はいつまで目を逸らしているの?」
「いいえ……違うわ、千織。あの蛇の方は愛を見つめすぎたの」
傍に付いていた千織の母は首を横に振った。
自分も母親であるからこそ解ると語った母は、華蛇は純粋過ぎるまでの愛を抱いていたと感じていたらしい。
華蛇が息子を深く愛したからこそ、彼の命は繋がれた。
「確かに彼が今、ああして生きているのは貴女のおかげ。でも、ならば尚更――しかと今の彼を見て! 彼を、彼の愛を識って受け入れるのもまた愛でしょう!」
千織は己の思いをぶつけていく。
されど声は届かず、愛呪の暴走めいた桜焔は力を増すのみ。壱から肆之首は伏しかけているが、未だ他の首が健在だからだろう。
それでも、千織は決して諦めないと心に決めた。
「想いを言の葉で紡ぎあい、あたたかで大切な記憶に刻みましょう」
千織はまだ僅かに動いている肆之首に向けて柘榴霹を放つ。剣舞を容赦なく振るうのは目の前の敵を滅ぼしたいからではない。
唯一つの願いを叶えたい。
そのように祈りながら、千織は呪に包まれた蛇首を鋭く穿っていった。
決して一歩も退かない。
――また、満開の桜を咲かせるために。
大成功
🔵🔵🔵
●肆之首の救済
愛呪を構成する蛇首のひとつ、肆之首が崩れ落ちていった。
参之首が最初に力を失い、続けて壱と弐が動かなくなり、更に肆之首が菫と千織、なつめと苺の攻撃によって戦う力を削がれている。
彼女達の傍には、寄り添う想い人達もしっかりと立っていた。
「まーくん、なつにぃ、やったね!」
「兄貴、ひとまず降りて来ぃや!」
地に伏した肆之首を見つめながら、苺と舞冬がなつめを呼ぶ。竜の姿のままで二人の元に戻ったなつめはかなり傷ついてボロボロだが、意識もしかと保っていた。
「首のひとつを倒したわけだが……何か変だな」
「うん、なつにぃの言う通り。あの首の中にまだ、何かいるよね?」
なつめと苺は首を傾げている。
首を倒したというのにまだ魂が其処にある気がしたからだ。無論、愛贄だった千織は助けられているので問題はないはずなのだが――。
「すみれ、うちも同じように思うんよ」
「藤ねえも?」
菫達も同様に肆之首の違和を覚えている。肆だけではなく、壱と弐之首からも不思議な気配を感じていた。
すると、千織が仲間の元に歩み寄ってくる。
「肆之首には巫女様がいたみたい。おそらくだけど……あの首を形成するために捧げられた、過去の贄の方……」
「その御方が私達に脱出の路を示してくれたの」
千織の母は未だ蛇首の中に囚われた魂がいると語った。苺が普通の蛇ではないと最初に感じた理由もそうした経緯があったからだろう。
「どうする? だったら、そいつらも助けたいよなァ」
「私もそう思う!」
「せやね、それを知ったらうちらとしても放っておけん」
「でも、どうすれば……?」
なつめと苺が首を捻り、菫と千織も方法を考えていく。そんな中で彼女達が呼んだ想い人達、即ち黄泉の死者達は頷きと視線を交わし合っていた。
「兄貴、まい。大丈夫や!」
「すみれ、心配せんでもええよ」
「千織も顔をあげて。貴女の大切な友も、あの魂も……在るべき場所に戻れる」
死者達は理解している。
自分が此処にいる理由と、大切な役目を与えられているということを――。
バルタン・ノーヴェ
POW
アドリブ連携歓迎
伍之首、零時殿の救援に。
真の姿、軍装を纏いて参上。
グリモアを通して零時殿の危急を知り、馳せ参じたであります。
愛呪殿……母の愛、でありますか。
(産まれる前に父は死に、産まれて間もなく母とも死別した、親の愛を知らぬ身の上。それを憶測することはできても、実感は得られない)。
子を思う親の気持ち。我輩にはその想いの重みはわかりません。
しかし、だからといって。代わりに我輩の友を連れ去ろうというのは見過ごせないのであります。
貴殿の正義、我輩の我欲にて阻ませていただく。
……零時殿を救うために。
どうか、力を貸してくださいませ。
夢想の書の魔人、微睡む淡紅殿……!
模倣様式―――銘は未だ無し。
夢と希望と、心と絆。目に見えなくとも、確かにある繋がり。
淡紅殿の力を刃に乗せて、桜焔を受け流して突き進み。
零時殿を囚われるその泡沫を、断ち切るであります!
零時殿。
我輩と貴殿の間にある絆は、親子の縁でも男女の情でもないであります。
しかし、友愛が決して劣る訳ではありません。
共に、それを披露するであります!
兎乃・零時
◎
視えるのは一番大事な友人が襲われて
護れず、勝てず、夢叶わず終わる未来
それが何度も何度も繰り返される
其れでも抗う
どんな壁も絶望も
神だろうが俺の心は縛れない
諦めれば楽になる?
うるせぇ、諦めるのは俺じゃねぇ!
進み続けてきたからこその今だ
最強に憧れ目指した夢は
猟兵をやり
皆を護れる強さを
より強く高い望みを夢見た
最強最高の魔術師を
諦めるなんざ論外だ
其れに心結と一緒に歩くなら
こんな所で足踏みしてられねぇ!
不可能なんてこの世にない!
眠りの停滞もぶっ壊す!
此れが想いの空間ならばこそ、お前が呼べるだろ!
術式起動!来い夢想!
出るぜ此処から
脱出だ!
リベンジマッチ
…元が良い奴な事はなんとなくわかる
櫻宵の為に贄寝かしたんだろ
殺すならもっと強いの出来るし
あの半分の愛呪吸った時みたいに
…だからこそ、俺様は此処で負けれない!
誰も失わずに、勝つッ!
あの頃の俺様と思うなよ!
夢想を出しつつ全力のUC!
禍津神の権能で二柱の神
桜女神と竜神の力を調和した術式
桜魔が漆岐
此れがてめぇの呪を喰らい、想いに昇華する夢想の櫻龍!
喰螺夢ッ!!
●参上、軍装戦騎メイド
鋭く疾走る漆黒が闇を貫く。
神域を穿つように蠢く桜獄大蛇。其の首のひとつ、伍之首。大蛇を狙って振るわれた一閃は煌めきを映し、鱗の一部を瞬く間に斬り落とす。
「……僅かに外しましたか」
一瞬で巡った攻撃と、紡がれた声の主。それはバルタン・ノーヴェ(雇われバトルサイボーグメイド・f30809)だ。
大蛇の巨体を足場にしていき、軍装を翻しながら跳んだバルタン。彼女の口調は普段よりも落ち着いた様子であり、声からは真剣さが滲んでいる。
空中で回転を入れることで素早く着地したバルタンは刃を大蛇に向け直した。
その視線の先には精神を桜獄大蛇に囚われた零時の姿がある。内部が透けて見えるのは、愛呪の主が苦しむ贄達の姿をこちらに見せつけるためだろう。
零時の目元は帽子で隠れているが、時折口許が苦しげに歪んでいるので、何らかの精神攻撃を受けていることが分かる。
「――零時殿!」
バルタンは友の名を呼び、刀の柄を強く握り締めた。
友の危急を知り、この場に馳せ参じた彼女の眼差しは鋭い。返事がないことは分かっていたが、バルタンは彼に呼び掛け続けた。
僅かであっても、零時に自分が訪れたことが報せられればいい。
対して、近付くなと語るかのような桜焔が愛呪から放たれた。水面の地表を蹴り上げたバルタンは焔の軌道を読む。先程まで彼女が立っていた水面に大きな波紋と激しい飛沫が散った、刹那。
高く跳躍したバルタンは伍之首を駆け上っていた。後ろから桜焔が追ってくるが、バルタンは微塵も気にかけていない。
接近に気付いた伍之首がバルタンを振り落とそうと身体を傾けた。だが、その勢いを利用したバルタンが横薙ぎに刀を振るう。
追ってきていた桜焔を真っ二つに斬り裂いたバルタンは更に跳んだ。
焔を斬った瞬間、荒れ狂う愛の力が神経回路に伝わってきた。心身を蝕むほどの狂気の欠片がバルタンの身に走ったが、まだ片鱗だけだったので耐えられる。
その代わりに感じたのは愛呪――華蛇という名の女性が抱いていた愛の強さ。
「……母の愛、でありますか」
バルタンは頭を振る。
次の瞬間、バルタンは伍之首の牙が自分に向けられたことを察した。彼女は一度、敵から距離を取る選択をする。
「零時殿、暫しお待ちください」
必ず、抜け出すための一閃を叩き込む。
心に決めたバルタンは焔を回避する為に戦場を駆け回りながら、家族に抱く愛について考えを巡らせた。
産まれる前に父は死んだ。
産まれて間もなく、母とも死別した。
親の愛を知らぬ身の上であるバルタンは、それを憶測することはできても実感を得ることは出来ない。血が繋がっているということはそれほどに重要なのか。きっと目の前の愛呪の主である、彼女にとってはそうなのだろう。
「子を思う親の気持ち。我輩にはその想いの重みはわかりません」
バルタンは彼女の心には寄り添えない。
だが、気持ちを理解することばかりが歩み寄りではない。バルタンは更に刀を振り上げ、迫り来る焔を弾き飛ばした。
「確かに愛は深いのでしょう。しかし、だからといって――代わりに我輩の友を連れ去ろうというのは見過ごせないのであります」
凛とした言葉を向けたバルタンは、伍之首だけを狙い続けた。
焔が迫ってこようとも、硬い鱗に一撃を阻まれようとも、鋭い剣閃を叩き込む。
「貴殿の正義、我輩の我欲にて阻ませていただく」
戦いとは本来そのようなものだ。
正義と正義。欲と欲。
どちらも正しく、どちらも間違っている。それゆえに力を示して勝ち取る。それこそが己の選ぶ未来だとして、バルタンは剣刃の一閃を揮ってゆく。
そして――。
「零時殿!」
友を呼ぶ凛とした声が、戦場に響き渡った。
●夢視る力と少年の志
同じ頃。
愛贄として囚われている零時は、精神世界で夢を視せられていた。
それは零時の力が何の役にも立たない場所だった。
目の前で惨殺が行われている。魔力を紡ごうとしても何も巡らない。視えるのは、一番大事な友人が襲われて無残に死していくだけの光景。
(動け、動け……ッ!!)
どうして動けないのか。念じても何も呼べない。
今の自分には魔力がないのか。あったとしても掻き消されているのか。どちらとも取れず、ただ友人が殺される光景だけが何度も繰り返し投影されている。
(俺様の腕……! 手でも足でもいい! 動けよッ!!)
零時は必死に目の前の惨劇を止めようとするが、叫び声すらあげられない。自分のものではない絶叫めいた悲鳴が耳に届き、血に塗れた亡骸が汚れた地面に崩れ落ち、温かい液体が染み出していく。
一度ではない。何度も、幾度も。
零時が屈するまで、それは永遠に繰り返されるのだろう。
護れず、勝てず、夢も叶わずに終わる未来。
それは零時が心で抵抗する度に酷い結末に変わり続け、苦痛を与え続けた。零時自身の体が砕けるよりも、友人や想い人が壊される方がより強い絶望となると判断されたのだろう。零時には体感で数百年分もの死の瞬間が視せられていた。
早く諦めて眠ればいい。
強い魔力を内包する者が愛呪の中で眠れば、呪の主は永く生きていける。無論、呪の主も眠りにつかせられた状態なのだが――。
幾千回もの死と終末、絶望を視せられた零時は嘆くことしか許されていない。
(もう、嫌だ……。こんなもん視たくねぇ……!)
抵抗をやめれば幻は消えると分かっていた。されどそれは自分が諦めて愛呪の一部として同化させられることを意味している。
敵として滅ぼされかけるよりも、贄として眠らされる方が幾千倍も酷い苦痛だった。
其れでも、零時は抗い続ける。
「――時…………」
(誰だ?)
遠くから声が聞こえていたからだ。それは視せられている苦痛の幻のものではない。直感的にそう判断した零時は苦しみの中で耳を澄ませていた。
「……零時――……殿――!」
その声ははっきりと自分を呼んでいる。
呼び掛けだ。誰かが外で零時の名を言葉にしている。零時の意識は囚われてから初めて、精神世界の外に向いた。
違う。これは本物の世界ではない。こんな絶望は有り得ない。
(俺様の……俺の、『本当』は――!!)
次の瞬間、閉じていた零時の瞼が見開かれた。
伍之首の身体が大きく震えた。封じたはずの零時の覚醒に驚いているようだ。だが、まだ零時は瞳を開いただけ。身体の自由は奪われたままだ。
「……バルタン!!」
決死の思いで口だけを動かした零時は、先程から名前を呼んでくれている友の名を言葉にした。その声は強く戦場に轟く。
すると、不意に零時の傍でふわりと何かが揺れた。
『貴方はとても真っ直ぐな心をお持ちなのですね。応援したくなりました』
(お前は……?)
一瞬、自分の隣に顔を布で隠した巫女が現れたように思ったが、すぐに幻覚のように消えてしまった。
はたとした零時は自分の身体の自由が戻りかけていることに気付く。
謎の声の正体を探るよりも今は己の贄化を止めて脱出しなければいけない。零時は震える腕を前に伸ばし、声を紡いでいく。
「どんな壁も絶望も、神だろうが……俺の心は縛れない!」
声を出した途端に身体が上手く動き始めた。
絶望の幻の残滓はまだ頭の中に巡っているが、それがどうしたというのだ。すぐ近くには友がいる。大切に想う人も、この蛇首の外に出なければ逢えない。
「諦めれば楽になる? うるせぇ、諦めるのは俺じゃねぇ!」
進み続けてきたからこその今がある。
零時は有り得ない絶望よりも、自分で引き寄せる希望を思い描いた。
最強に憧れて目指した夢。
猟兵として皆を護れる強さを得ること。幼い頃よりもよりいっそう強く、高い望みを夢見た。最強で最高の魔術師を目指す。
それこそが兎乃・零時という唯一の存在だ。
「諦めるなんざ論外だ! 其れに……あいつらと一緒に歩くなら、こんな所で足踏みしてられねぇ! だから――不可能なんてこの世にない!!」
零時は大切な者を想い、首の外部で戦い続けてくれるバルタン達に思いを馳せた。
眠りの停滞も壊す。
完全に身体の自由を取り戻した零時は力を紡ぎ上げていく。
「此れが想いの空間ならばこそ、お前が呼べるだろ! 術式起動! 来い!」
――微睡む淡紅・夢想!
●繋がる友の縁
「――夢想の書の魔人、微睡む淡紅殿……!」
零時が意識を取り戻し、夢想の魔人を呼んだのとほぼ同時。伍之首の外部ではバルタンが夢想の名を言葉にしていた。
零時を救うために。
彼と強い縁を結んでいる存在を呼ぶことで、救出を確固たるものにするためだ。
「どうか、力を貸してくださいませ」
バルタンはそのときが近付いていると感じながら、伍之首の前に回り込んだ。内部の零時と彼の傍にいるであろう夢想のことは案じていない。
ひとつ懸念があるとすれば、それは己自身。
――模倣様式。
未だ銘の無い一閃で、あの伍之首を貫けるかどうかが鍵だ。されど怯むことなどなく、バルタンは真っ直ぐに蛇首を狙った。
夢と希望。心と絆。
この手には、目に見えなくとも確かな繋がりが結ばれている。
「戻ってくるであります、零時殿!」
バルタンは無骨な刀に夢の力を乗せ、桜焔を受け流しながら只管に突き進む。狙うべきは一点。焔が狂気を齎そうとも、この身を消滅させんと迸っても止まらない。
ただ、全力を込めて。
「贄を囚えるその泡沫を、断ち切るであります!」
バルタンが強い言葉を紡いだ刹那、鋭い一閃が伍之首を斬り裂いた。
その瞬間、零時の身体が呪から解放される。刃で刻まれた傷口が光ったかと思うと、其処から零時が現れたのだ。
「ただいま! 助かったぜ、バルタン!」
「零時殿! 無事でありますか!」
飛び出してきた零時に静かな笑みを向け、バルタンが蛇首を蹴り付けるる。その衝撃で首が僅かに押された隙を突き、二人は地面に着地した。
波紋が揺れる浅い水面の上で視線を交わしあった零時とバルタン。
その間には夢想の魔人がふわふわと浮いている。
「ふわぁ……何だか眠気も覚めたよ。レイジと……えっと、バルタンだったっけ。ありがと、起こしてくれて」
夢想は欠伸をしながら目を擦り、二人を交互に見遣った。
無事に愛呪から脱出できたなら後はあの伍之首を止めるだけ。零時は身構え、バルタンも次なる一閃を放つために刃を構えた。
「大丈夫でありましたか」
「平気だ。……けど中に入ってたとき、色々と愛呪……いや、華蛇のことを知ったぜ。元が良い奴なことはなんとなくわかる。櫻宵の為に贄を寝かしたかったこととか、俺様を殺さないでいたこととか――」
バルタンの問いかけに対し、零時は頷いた。
愛呪を作った華蛇という女性の全てを知ったとは言えないが、どうしてこのようなことをしているのかも理解できた。
でも、と首を横に振った零時は伍之首を見据える。
「それと、あの中には囚われた巫女の魂がいた。俺様を応援したいって言われた。あれが誰だかわかんねぇけど、まだ捕まってるんだ。俺はアイツも助けたい!」
「成程、貴殿らしい答えであります」
零時の言葉を聞いたバルタンは深く頷いた。いつもの調子の彼であると分かった以上、バルタンも安心して普段のまま向かえる。
「だからこそ、俺様は此処で負けられない! 誰も失わずに、勝つッ!」
「その意気です、零時殿」
「うんうん、それでこそレイジだよねぇ」
熱く宣言した零時の隣でバルタンと夢想が頷きを重ねた。零時は藍玉の杖を高く掲げながら伍之首を振り仰ぐ。
「あの頃の俺様と思うなよ!」
零時は夢想の力を借りながら、ユーベルコードを発動させていった。内部に残された魂まで滅するわけではない。あの首を動けなくすることが先決だ。
零時が力を紡いでいく中、バルタンは刃で焔を切り裂き続けた。術式を組む零時が狂気の焔に呑まれてしまわぬように立ち回るのが今のバルタンの役目だ。
「零時殿」
「何だ、バルタン」
首を倒す為の魔力が編みあげられていく中、二人は言葉を交わす。
「我輩と貴殿の間にある絆は、親子の縁でも男女の情でもないであります。しかし、友愛が決して劣る訳ではありません」
「その通りだ!」
バルタンからの思いを受け止めた零時は明るく笑み、自分達も愛を持っているのだと示す。親愛。友愛。愛情の形はそれぞれだが、どの心も尊い。
そして、両手を広げた夢想から幾重もの魔力が放たれていき――。
「二人とも、今だよ。いっけぇー!」
「共に、力を披露するであります!」
「此れがてめぇの呪を喰らい、想いに昇華する夢想の櫻龍!」
無銘が一閃、夢想剣戟。
龍櫻呪晩餐・喰想黎明華。
「――喰螺夢ッ!!」
バルタンの剣閃と同時に零時が放つ夢想櫻の龍が迸り、伍之首を貫いた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
●伍之首の浄化
刃と龍の力によって崩れ落ちていく蛇首。
力を失った伍之首は静かに横たわり、ぴくりとも動かない。息を切らせた零時は自分達が伍之首の呪に勝ったことを確かめた。
「かなり生命力的なものを削られた気がしたが……俺様達の勝ちだ!」
「友情の勝利でありますね」
これでひとまずのリベンジマッチは果たせただろう。
だが、零時もバルタンも未だ戦いが完全に終わったわけではないと分かっている。他の首は仲間がどうにかしてくれるだろうと信じているが、問題は首の中に囚われた魂だ。
誰も失わずに勝ちたい。
その意志も決意も嘘だったわけではない。だが、魂を愛呪から救い出す術が実際にあるのかと聞かれれば考えるしかない。
すると其処にのんびりとした声が響いた。
「大丈夫だよ、レイジ」
「夢想?」
「何か方法が存在するでありますか?」
零時とバルタンが夢想の魔人の方を向くと、彼女はこくこくと頷いてみせた。一度は姿を消されたが、零時と共に蛇首の中に取り込まれた夢想はある程度の状況を把握してきてくれたようだ。
「イザナっておうちの巫女だった双子の片割れが、伍之首の贄だったみたい。すごく心の優しい子みたいで、名前は……新ちゃん。何だかお友達になれそうだったなぁ……じゃなくて、助ける方法だったね」
素直な乾燥を零した夢想は首を振り、重要なことを二人に伝えていく。
曰く、蛇首を構成するために使われた魂――すなわち過去の贄は既に愛呪と同化してしまっていること。
愛呪の主をどうにしかしなければ解放されないこと。
何も手を打たずに愛呪を滅してしまえば、贄の魂も一緒に殺してしまうこと。
「だからね、今回は私達が頑張るんだよ」
「夢想殿達というと……?」
「わかった、この神域に呼ばれた死者達だな!」
夢想の言葉を聞いた零時はバルタンに自分が予想した話を告げていく。想い人として呼ばれた死者には幽世蝶の加護が宿っているようだ。
元より蝶達は不思議な霊力を持っている。もしその力をこの神域内で束ねられたら、何か特別なことが行えるのではないか。
「レイジの言う通り。私は死者とはちょっと違うけど、呼ばれた時に少し幽世蝶に触れたからね。使えるのは今回限りだけど、浄化の力を貸して貰えたみたい」
そのように話した夢想はバルタン達に目配せを送った。
夢想の視線は語っている。
間もなく、皆が力を発揮すべき『そのとき』が来る、と――。
荻原・志桜
◎
なんかへんな感じがする
昊くん、これって……あっ
見遣れば幾人の囚われた姿
顔見知りも見受けられて今一度気を引き締め
先生もう少し力貸してほしいな
手助けをしたいひとたちがいるんだ
それに、わたしが昊くんの隣に立っていたい
視界に入るブレスレット
交わした約束は力となり前を見据える勇気となる
見えなくて、触れられなくて
声が聞けなくても
過ごした日々と、託された想いは薄らいだりしない
わたしは諦めたりしない
先生お墨付きの諦めの悪さなんだから!
光よ集え
其の剣は未来を切り開くため
明日を見据える人たちの助けとなるように
みんなだってそう
苦しいことも辛いことも当たり前!
ひとつもない人なんているわけない
でもみんな藻掻いて、受け止めて
苦しさから目を晒さず、自分の力に変えられるの
相手を想って選んで決めること
わたしは間違ってると否定はしない
慈しむ心が導き出した答えだから
それも愛の形だと思う
だけど守りたいひとの声を聴いてあげて
そのひとが望む願いをその目で、耳で、心で知ってほしい
まだ届くよ
もう遅いなんてこと、絶対にないんだから…!
●紫苑桜の懐い
不意に奇妙な感覚が巡る。
それと同時に周囲に闇が広がった。神域を包んでいた優しい空気は消え去り、ぞっとするような冷たさが巡る。
咄嗟に身構えた志桜と昊は、この場に影を落としたものを見上げた。
「昊くん、これって……あっ」
「どうした?」
言葉の途中で驚いた声をあげた志桜が蛇首を見つめる。囚われた者達の中には見知った人々がいた。志桜に問いかけた昊は、その表情から状況を理解する。
「知り合いがいるのか。だったら助けてやらないとな」
「うん……! びっくりしたけど大丈夫」
今一度、気を引き締めた志桜は魔術杖を構えた。昊も魔力で作り上げた斧槍を構え、蠢く桜獄大蛇の首を見据える。
「先生、もう少し力を――」
「来るぞ!」
貸してほしい、と志桜が語る前に蛇首から狂愛の桜焔が放たれた。はっとした志桜が身構えた瞬間、焔はその身を穿つ。
咄嗟に防御に魔力を巡らせたことで狂気の侵蝕は防げたが、焔の勢いによって志桜の身体が大きく吹き飛ばされそうになった。
「……っ!」
「この、阿呆弟子! 余所見するんじゃねぇ!」
即座に背後側に回った昊が志桜の身体をしかと抱き留めた。ぶつかった衝撃はあったが、どちらも傷を負ってはいない。
「昊くん……ごめ――」
「だが、自分でもすぐに防御したのは……まぁ、褒めてやらないこともない」
「う、うんっ」
謝るなと言うように言葉を遮った、師匠の遠回しな物言い。その意味に気付いた志桜は、すぐに体勢を立て直した。
次の桜焔が向けられる前に動こうと決めた志桜は改めて昊に願う。
「手助けをしたいひとたちがいるんだ」
「だから手伝えって? 言われなくとも、当たり前だろ」
「ありがとう……。それにね、わたしが昊くんの隣に立っていたいから」
「だったら、本気を出せ」
志桜が強く願うことを口にすると、昊は顎で此方を示した。今のお前なら出来るだろ、と言いたげな視線を受けた志桜は大きく頷く。
――真なる力を此処に。
志桜の詠唱が紡がれた瞬間、ふわりと髪が広がった。桜色の糸髪はしなやかな黒に変わり、昊と同じ色を宿す髪の彩は内側だけに残る。纏う装いは黒衣となり、魔力の流れも普段以上に強く巡っていく。それらは志桜が真の姿に変じたことを表している。
「その髪の色、懐かしいな」
「だよね、わたしが昊くんの工房にいたときの――」
「無駄口を叩いてないでいくぞ」
昊は自分が言いたいことだけを告げ、斧槍の切っ先を蛇首に向けた。
地を蹴り、魔力を用いて高く跳んだ昊。彼が迫りくる桜焔を斬ってくれるのだと感じた志桜は、その後に続いていった。
「で、どれを狙うんだ?」
「えっと……あの六番目の首!」
焔を叩き切って散らした昊の問いかけに対し、志桜は或るひとつの首を示す。全部、と言いたかったが無理はできない。肆や七之首も気になったがそちらには他の猟兵や、向かうべき者が行ってくれていたようだ。
それならば自分達は残る陸之首へ。
分かった、と答えた昊が斧槍による斬撃を放つ中、志桜は杖を高く掲げる。
その際に視界に入ったのは自分の手首に飾られたブレスレット。其処に宿る約束は力となって、前を見据える勇気になっていく。
「あのね、昊くん。見えなくて、触れられなくて、声が聞けなくても……」
「何だ、こんなときに」
昊は他の猟兵に累が及ばないように立ち回り、果敢に焔を散らし続けている。どうやら同じく陸之首の相手をしている少女を密かに焔から守っているようだ。そんな彼の弟子になれたことを嬉しく思いながら、志桜は思いの丈を伝えた。
「過ごした日々と、託された想いは薄らいだりしない。わたしは諦めたりしない。だって、先生お墨付きの諦めの悪さなんだから!」
――光よ集え。
――其は驟雨となりて降り注がん。
宣言した志桜の詠唱に続き、昊が紡ぐ魔法が重ねられていく。
蒼星を思わせる剣と、紫苑色の桜を宿した魔剣。師弟が解き放った其の剣は、未来を切り開くための一閃となって巡った。
どうか、明日を見据える人たちの助けとなるように。
陸之首をはじめとした蛇首に囚われている友の無事を願った志桜。少女はただ真っ直ぐに桜獄大蛇に視線を向ける。
「愛って、幸福なだけじゃない」
深い愛を抱くほどに狂おしく、心が軋むように痛むこともある。
でも、きっと――。
「みんなだってそう。苦しいことも辛いことも当たり前! ひとつもない人なんているわけないんだよ」
愛する人を苦痛から遠ざけられたらどれほどいいだろう。
自分に守れる強さと救える方法があれば師は死んでいなかった。しかし、志桜は悔やむよりも先を見たいと強く思っている。
「みんな藻掻いて、受け止めて、苦しさから目を晒さず、自分の力に変えられるの」
「志桜……」
剣星を解き放ちながら語る弟子の横顔を昊が見つめている。
「相手を想って選んで決めること、わたしは間違ってると否定はしない」
それは慈しむ心が導き出した答えだから。
そして、それもまた愛の形。
「だけど守りたいひとの声を聴いてあげて」
そのひとが望む願いを、その目で、耳で、心で知ってほしい。
志桜の懸命な思いは魔力に籠められ、迸る呪焔を凍り付かせていった。もし華蛇の心が呪で凍らされているとしても、きっと融ける時が来る。
そう信じた志桜が放ち続ける剣星には紫苑の魔剣が寄り添うように重ねられていた。
「言うようになったじゃねぇか」
「昊くん、泣いてる?」
「……。なんで俺が泣かなきゃならないんだ」
弟子が成長したことを認めた師匠。その目元が一瞬だけ光って見えた。身を翻して隣に戻ってきた昊は、志桜の頭を軽く叩く。
やっぱり昊くんは変わらない。
そう感じた志桜は斧槍型に変じさせた杖に魔力を巡らせた。
同じくして、己の斧槍を構えた昊は志桜に目配せを送る。魔剣が桜焔を弾いている今、陸之首を穿つ好機が訪れていた。
「まだ届くよ。ううん、届かせてみせよう!」
頷いた志桜は、昊に並び立つようにして陸之首の喉元に目掛けて翔けた。
隣には大切な人がいる。
だから――。
「もう遅いなんてこと、絶対にないんだから……!」
大成功
🔵🔵🔵
ルーシー・ブルーベル
◎
あなたも、おかあさん
他を生贄にしても我が子を助けたい親の愛
ようく識っているわ
ルーシーは生贄
選ばれなかった方の子どもだから
ええ、ようく識っている
その路を選んだ親の必死さも
なりふり構わなさも、確かに愛ゆえなのだと
ルー、オーラ纏う鱗粉でお母さまをお守りしてて
?まあ。私の事も?
そうね、ふたりで守りましょう
レイラお母さまが下さった眼帯
ミオソティスの花紋
どうしてブルーベルじゃないのか不思議だった
偽物だからだとも思っていた
やっと今解った
お母さまは最初から私をわたしとしか見てない
その上で、生かそうとギリギリの事をしてくれたのだって
…あ、いして、くれていたのだって
生きる為に閉じ込めるのじゃなく
誰かと歩む為に世界に送り出してくれた
咲いてゆるしの花
憎悪を拒むのでなく
受け入れ溶かす雪解けの花
生きていたいよ
わたしは愛する人と生きていたい
傍に居て欲しいと言ってくれた人と
哀しいも嬉しいも一緒に悩んで歩みたいの
それがわたしの永遠だよ
あなたは?
本当は、どうしたかった?
2度目のお別れ
今度はわたしからお母さまを抱きしめよう
●赦しの花片
愛呪。
其の名の通り、愛でありながら呪いでもある力。その存在は愛と憎悪が表裏一体であることをあらわしているのかもしれない。
闇に包まれた神域に佇むルーシーは、愛贄を囚えた蛇首を見渡した。
「……あなたも、おかあさんなのね」
そして、その中心に存在する女性の魂を見つめたルーシーは僅かに俯いた。その傍には蒼蝶のルーと、ルーシーに寄り添うように立つレイラの姿もある。
「…………」
レイラは何も語らない。言い換えるならば語れないと表した方が正しい。
他を生贄にしてでも我が子を助けたい。
やはりそれは親の愛だ。方法や手段が他になかった場合、その選択を取るなと誰が言えるだろうか。ルーシー自身も間違ってしまうかもしれない。
誰よりも愛する人が死に瀕している際に、他の誰かを犠牲にすれば助かる方法があると知ったら――きっと、選ばざるをえない。
「ようく識っているわ」
だって、ルーシーは生贄の方だったから。
蠢く蛇首を見上げたルーシーは、大蛇の中に閉じ込められた者達を思う。助けなきゃ、と感じると同時に贄にされた側の気持ちがよく分かった。
何故なら、ルーシーは選ばれなかった方の子どもだからだ。ルーシーにはまだ親の気持ちはわからないが、子の気持ちならわかる。
「ええ、ようく識っている」
もう一度、同じ言葉を繰り返したルーシーは一歩を踏み出した。
その路を選んだ親の必死さも、なりふりすらも構わないほどの姿も確かに愛だ。強い愛ゆえに成されたことだと解っている。
だから恨みはしない。
誰かが悪いと責め立てたり、断罪することもない。
「ルーシー……ルー……」
少女の隣に立つレイラは掌をきつく握り締めていた。彼女もまた同じ。母であるからこそ、愛呪が紡がれて作られた理由が解っているようだ。
彼女の方法が贄を集めるというものだっただけ。
手段は違えど、成り代わりの方法を取った自分達と同じだ、と。ルーシーの横顔を見遣ったレイラは僅かに不安げな顔を見せる。
しかし、そのときには凛と顔を上げていたルーシーの瞳に迷いはない。
「ルー、お母さまをお守りしてて」
自分が前に出ると暗に告げたルーシーは両手を重ねる。これから愛と呪へと祈りを巡らせるためだ。対する蒼蝶は願われた通りに鱗粉を広げてゆく。
「……? まあ。私のことも?」
オーラとなった鱗粉がレイラを包み込む中、その力はルーシーにも及んだ。
レイラが愛おしそうにルーとルーシーを見つめる。
「そうね、ふたりで守りましょう」
言葉を交わしたルーシー達はこの戦いへの思いを抱いた。深すぎる母の愛も、誰かを恋しいと願う気持ちも、過去に思いを馳せる心も、どれも間違ってはいない。
されど、この世界は全てが同時に存在できるほど甘くはない。
己の路を進み続けたいのならば、ずっと勝ち抜かなければならない。
みんな、叶う夢ならいいのに。
ルーシーは瑠璃唐草の祈りを紡ぎながら、世界の理を思う。
狙うのは陸之首。幸いにも迫りくる桜焔は同じ首に立ち向かう少女と、その傍に寄り添う青年が打ち払ってくれている。
ルーシーの役目はきっと、その間に力を強く巡らせること。
ゆるしの祈りを籠めた、瑠璃唐草の花吹雪が戦場に舞う。
その最中、ルーシーは眼帯に触れた。
レイラがくれた眼帯にはミオソティスの花紋が刻まれている。ずっと、どうしてブルーベルの紋ではないのかが不思議だった。
自分は偽物だから。
ブルーベルの紋を背負うべきではないからかもしれない、とも思っていた。
けれど、違った。
「お母さま」
「ルーシー?」
「やっと今、解ったの」
レイラを呼んだルーシーは振り返り、静かに微笑む。眼帯を贈ってくれたことはきっとメッセージだったはず。いつか大きくなったルーシーが自分の思いに気付いてくれると信じて、レイラは贈り物をしたのだろう。
「お母さまは最初から私をわたしとしか見てなかったのね。その上で、生かそうとギリギリの事をしてて――」
「……ええ」
ルーシーとしての名を与えられた少女を『ルーシー』ではなく新たな娘だと受け入れてくれていた。それを表に出すことは出来なかったが、レイラは確かにそう思っていたはずだ。レイラ本人は多くは語らないが、頷きがすべてを語っていた。
ルーシーが放ったのはゆるしの花。
この力が自然と巡ったのも、すべてを赦せる心がルーシーの中にあるからだ。
「……あ、いして、くれていたのだって、しっている、から」
途切れそうになる声を何とか繋ぎ合わせながら、ルーシーは今できる精一杯の笑顔を浮かべてみせる。その瞳からは大粒の涙が溢れていた。
それは悲しみの涙ではない。
ララとして。ルーシーとして。自分は此処にいる。見えない絆と心に包まれていたのだと実感した少女は更なる花吹雪を舞わせた。
瑠璃唐草が神域を青く彩る。
相手が放つ桜焔を散らしながら、ルーシーは懸命に愛贄の救出を狙っていった。
レイラもその後ろにしかと立ちつつ、ルーと共に幽世蝶の防護を巡らせている。すぐ傍に二人が居てくれることを頼もしく感じつつ、ルーシーは戦い続けた。
「わたしを、生きる為に閉じ込めるのじゃなく――誰かと歩む為に世界に送り出してくれた。ありがとう、お母さま」
咲いて、ゆるしの花。
憎悪を拒むのでなく、受け入れて溶かす雪解けの花として。
今の愛呪は絡まってしまった糸の塊のようなもの。生と意思を繋ぐための糸と大きな愛。願いと意図が絡まって解けなくなっている。
ならば、ルーシー達の役目は糸をやさしく解くこと。
「生きていたいよ」
「生きさせて、あげたかった」
ルーシーは思いを言葉に変えていく。レイラはその後ろ姿をしかと見つめ、自分の思いを言の葉にしていた。その声が心に染み渡っていくかのように感じながら、ルーシーは想いを紡いでいく。
「わたしは愛する人と生きていたい」
「どうか、あなたが認めた人と一緒に」
ルーシーとレイラの思いが重なり、其処にルーが羽ばたく軌跡が描かれた。
祈りの花は巡りゆく。
「傍に居て欲しいと言ってくれた人と、哀しいも嬉しいも一緒に悩んで歩みたいの、それが――わたしの、永遠だよ」
舞う花は焔にも負けず、強い思いと共に翔けていく。
愛呪としての華蛇から答えが返ってくるとは思っていなかったが、それでもルーシーは敢えて問いかけてみる。
「あなたは? 本当は、どうしたかった?」
成したい思い。
その本質を知りたいと願い、ルーシーはレイラとルーと共に立ち向かう。
本当に遂げたかった、愛のために。
大成功
🔵🔵🔵
リル・ルリ
◎
向けられる憎悪をしってる
僕はグランギニョールの魔物
皆を街を泡沫に沈めたのは僕
責められるのは当然で
苦しむ資格も僕にはない
けど全部受け止めて
生きて
いつか贖うと決めてる
僕はカナン・ルー
とうさん達の子だ
挫けない…大丈夫
ヨル!
僕は絶望しに来たんじゃない
僕は櫻のかあさまに逢いに来た
愛する人のかあさんだ
好きがわからなくなるのは苦しいよ
本当の愛を櫻に伝えてほしいんだ
この首の元の贄の君だって
救いたい
櫻の事が大事だって感じる
一緒にいこう
櫻もカムイも戦ってるのに負けられない
櫻のかあさん
櫻宵を産んでくれてありがとう
お陰で僕はこんなに愛せる彼に出逢えた
愛を呪に曇らせないで
櫻はかあさんのこと大好きなんだ
成長をみて
君が守った彼の咲く姿を
懸命に生きる姿を
彼の笑顔を思い出して!
君に魂に届けるよう歌う
水想の歌
花と咲く想い達と一緒に
呪と絶望を解すように
カムイ!
一緒に愛を咲かせよう
絡まった絲を斬り解き
憎しみほどき呪を祝に
心一杯の愛を歌う
愛する人と咲いあい生きるんだ
とうさん達にただいまして
また見送り
櫻をおかえりって抱きしめるよ
●葬を想いへ
沈んだ先は、空の光がない世界。
精神世界に魂を囚われたリルは誰かの視線が自分に突き刺さっていると感じた。
向けられるのは憎悪。
恨みと悲しみと苦痛が入り混じった怒号や罵声がリルに向けられている。
(……しってる。僕はグランギニョールの魔物)
黒耀の都には似つかわしくない白。
美しい声で歌う死を呼ぶ人魚。月の光すら喰らう魔女。
お前のせいで黒耀の輝きは水葬された。
誰かの――おそらく、黒薔薇の聖女の言葉がリルを責めている。やがてその声は増え始め、黒耀の都に住んでいた人々のものとなっていく。
あの人魚さえいなければ。
お前が、あの歌を口にしなければ。
死にたくなかった。生きていたかった。
様々な声を身に受けたリルは瞼をきつく閉じた。言葉だけだというのに鱗や身体を針で貫かれているような痛みが巡っている。
(そうだよ、皆や街を泡沫に沈めたのは僕だから)
責められるのは当然。苦しむ資格も自分にはないとわかっている。
だからこそ強く生きようと思った。
されど、苦痛はそれすら赦さぬかのように襲いかかってくる。
(痛い……こんなに痛いんだ……。けど全部、受け止めて、生きて……)
何もかもから目を背けて眠れ、と語られているかのように絶望の苦痛はリルを包み込んでいた。しかし、リルは諦めて眠ることをよしとしない。
確かに、静かな場所で穏やかに眠り続けられたならばある意味では幸福だ。
愛しい人を苦しみから遠ざけられるなら、リルも出来る手を尽くしただろう。だが、それと自分の過去はまた別のもの。
(生き続けて、いつか贖うと決めてるんだ)
裏切り者。
産まれるべきではなかった子。
更なる絶望を呼ぶ言葉が向けられたが、リルは首を横に振る。
そんなこと誰も言わない。たとえ、もし他の誰かに望まれていなかったとしても、自分は両親を繋ぐ鎹のような存在。
この身に宿った名前がそのことを示している。
愛しき子、リル・ルリ。
そして――カナン・ルー。
「僕、は……とうさん達の、子だ」
挫けない。大丈夫、絶対に。
囚われて身体の自由を奪われているはずのリルの花唇がひらかれる。その声が紡がれたとき、近くに別の何かの気配が現れた。
(……誰?)
ヨルではないと気付いたリルの意識が、先程までの絶望から引き離される。
『貴方、とても綺麗ね。うちの姉も、貴方や私みたいに美しかったらよかったのに』
「きゅ!」
少女の声が聞こえたかと思うと、ヨルの声が響いた。どうやら巫女のような姿をした少女にヨルが抱かれているようだ。
「――りる、沙羅がここからだしてくれるって」
(沙羅って?)
心に響いたのがヨルの声だと察したリルは、少女の名が沙羅だと知った。そうしているとリルの身体が天に向かって浮かんでいった。
『綺麗な子だから特別に助けてあげる。感謝しなさいよ?』
沙羅という巫女はどうやら、この首を形作る為に捧げられた過去の贄のようだ。それきり少女の声は聞こえなくなり、ヨルがリルに向かって素早く泳いできた。
「きゅ!」
「ヨル!」
このまま上昇すれば、精神支配から抜け出せると察したリルはヨルを抱いて游ぐ。母から渡された花束はヨルの腕の中にあった。
「僕は絶望しに来たんじゃない」
――そうね、リル。
――その通りだ、我が息子よ。
「……かあさん? とうさん?」
遠くから両親の声が聞こえた気がした。リルは心強さを抱きながら腕を伸ばす。声が響いてきた方には光が見えた。
「僕は櫻のかあさまに逢いに来たんだ」
彼女は愛する人のかあさん。
息子を思う母の思いは狂おしいほどに強い。そのせいで、好きだという純粋な気持ちがわからなくなっているのだろう。
「最初の心を忘れちゃうのは、苦しいよ」
本当の愛を彼に伝えてほしい。
リルは外に向かって游ぎ続ける。この闇から抜け出せばきっと、皆が居るあの神域に戻れるはず。迷いは最初からない。揺らぐ理由なんてひとつもない。
しかし、リルは少しだけ振り返った。
先程に助けてくれた子――つまり、魂の支配を緩めてくれた巫女が気になっている。一緒に付いてこないのは、それが出来ないからなのだろう。
「沙羅……この首の、元の贄の君」
君だって救いたい。
そのためには自分が此処を抜け出して、櫻宵の元に行かなければいけない。
「きゅきゅ!」
「うん、大丈夫。何よりも櫻の事が大事だから……一緒にいこう、ヨル」
きっと今も櫻宵は心を強く持っている。
カムイも果敢に、全力を賭して戦っているから、自分も負けられない。そして、リルは光へと游ぎ翔けた。
その先には瑠璃唐草の花片と、紫苑と蒼の魔剣が舞う景色が見える。きっとそれは陸之首の中にいる自分を助けるために放たれた仲間の一閃だ。
「僕はかえるよ、三人で――みんなで生きる今に!」
指先を伸ばして尾鰭を強く揺らがせたリル。その身体が神域の最中に現れた。ヨルがリルを導くように水面の地表に向けて飛び出す。
ふわりと舞った花束が散らばって、リルが游ぐ路を彩っていった。
素早く泳いで陸之首から距離を取ったリルは身を翻す。仲間達の攻撃によって陸之首は随分と疲弊しているようだ。
――揺蕩う水葬、忘却の都。月抱き彷徨う黒燿を。
詩を紡ぎ、陸之首をはじめとした他の首、桜獄大蛇そのものを見据えたリルは愛呪の元凶たる者に呼び掛けていく。
「櫻のかあさん、櫻宵を産んでくれてありがとう」
伝えるのは憎しみではなく感謝。
もし華蛇が手を尽くしていなければ、自分達はかれと逢えなかった。
「お陰で僕はこんなに愛せる彼に出逢えた。だから、どうか……」
愛を呪に曇らせないで。
リルが母を慕っているように、櫻宵も母親のことを好きだと言っていた。苦しんで迷いながらも櫻宵は答えを見つけ出した。
その姿を、ずっと見つめてきたから分かる。
「櫻も君が大好きなんだ。成長をみて、君が守った彼の咲く姿を、懸命に生きる姿を――彼の笑顔を思い出して!」
リルは華蛇に魂に届けるように歌を紡ぎ続ける。
水に全てを葬る歌ではなく、水面の底に沈んでもなお紡がれる想いの歌を。
リルが歌うと、神域に舞い咲く数多の花がそれに答えるように揺れた。そして、リルの傍に二羽の蝶が舞い降りてくる。
蝶達はエスメラルダとノアの姿に変わり、リルの左右にそっと寄り添った。
「……リル」
「指揮は私が取ろう。――歌え! 私の歌姫達よ!」
「かあさん……とうさんも……。うん、歌おう。僕達の愛の歌を!」
二人の優しい声を聞き、リルは双眸を細めた。
想いの花が咲いている。
心に咲く花が、未来という種を宿して咲き誇っている。
花と咲く想い達と一緒に、呪と絶望を解すように――美しき二重唱が広がった。
大成功
🔵🔵🔵
●陸之首の歪曲
守りの水泡が神域に現れ、破魔の力を宿す桜吹雪が舞う。
其処に重なった剣星と瑠璃の花が陸之首をやさしく穿った。体勢を崩し、倒れていく陸之首は戦う力を完全に失ったようだ。
「やった、のかな……?」
「きゅ!」
「リルくん、それにヨルくんも!」
歌をそっと止めたリル達の元に志桜が駆けてきた。その後ろからはルーシーがぱたぱたと走ってきている。
「よかった、無事だったのね」
「うん、僕もヨルも大丈夫だったよ」
ルーシー達から向けられた安堵の視線を受け止め、リルは大きく頷く。身体も何ともないと示してみせたリル。彼らは見事に陸之首を打ち倒した。
ほぼ同時に壱から伍之首も倒されており、残るは七之首だけになっている。
呼吸を整えた志桜は神域の中心に据える桜獄大蛇そのものを見つめた。六つの首は沈黙しており、大蛇の力も弱まっているように見える。
しかし、ふと違和感が巡った。
「あれってオロチなんだよね? 八岐大蛇みたいだけど……首は、七つ?」
「よく気付いたな、志桜」
其処に志桜の師匠である昊が口を挟んだ。
もし桜獄大蛇が八岐という名を持つものに連なるものなのだとしたら――。
「そうなの? ヤマタノオロチさんだとしたら……」
首がひとつ、足りない。
「ええ、最後の首は敢えてまだ顕現されていないようです」
ルーシーが不思議そうに首を傾げるとレイラが疑問に答えた。どうやら神域に呼ばれた死者達は何かを知り、感じ取っているようだ。
七之首の前は色濃い桜焔に包まれており、容易には近付けない。
「あそこにカムイがいるのに……!」
首の謎も気になったが、リルは同志が戦い続けている領域を強く見据えた。するとリルの腕の中にいるヨルが口をひらく。
「しんぱいしないでいいよ、りる」
「ヨル!?」
「ええっ、ヨルくんが喋った!?」
「すごいわ、おしゃべりができるのね」
思わず驚くリルと志桜、ルーシー。両羽をぱたぱたと揺らしたヨルは「たまにおしゃべりできるようになったんだ」と告げてから、自分が知っていることを話していった。
曰く、愛呪に捧げられた魂は八つ。
七首は呪を完成させる為の贄であり、残るひとつは術者本人。
「……って、沙羅がいってたよ。のろいなんてくそくらえってすごく怒ってた」
ヨルはどうやら蛇首の内部で、沙羅という名の贄の魂と話してきたらしい。そして、きゅ、と鳴いたヨルはいつもの鳴き声に戻った。
その話を聞いていた昊とレイラは妙に納得した表情をしている。
「故に、私達がまだここに留まっていられるのですね」
「そういうことだろうな。まったく、大層な役目を申し付けられちまったもんだ」
「お母さま?」
「昊くん、何か知ってるの?」
ルーシーと志桜が問いかけると二人は静かに頷いた。其処へリルの両親であるエスメラルダとノアが訪れ、言葉を続ける。
「あの呪に囚われた魂を救うには、私達の力も必要だということだ」
ノアに合わせ、エスメラルダが静かな歌声を響かせた。
囚われし魂を導く歌として想いを紡いだらしい彼女は、陸之首の前に集った者達をやさしい瞳で見つめる。
――だいじょうぶ。いずれ、そのときが訪れるから。
母の歌声を聴きながら、リルは神域の空を覆う桜獄大蛇を振り仰いだ。
「助けるよ、皆を」
「うん、わたし達の力で!」
「お母さま、ルー……最後まで一緒にいてね」
リルと志桜、ルーシー。三人は其々の気持ちを言葉にしながら、今も傍に寄り添ってくれる愛しいひとを想った。
決着の後に訪れるのは再度の別れ。
それでも、此の別れを悲しくて苦しいだけのものにしないために――。
戦いは此処から、終幕に向けて動き出す。
誘名・櫻宵
🌸神櫻
◎
軋む孤独と絶望と嘆き
これはきっと母上の
味方はおらず
子を贄にしろと迫られ
身体が弱い私は何時も死にかけて
母上はどれだけ苦しんだの
私を抱え独り戦い続けて
母上が抗わなかったら私は死んでいた
このまま睡れない
この愛を呪でなんて終らせない
伝えなきゃ
母上
愛する人ができたの
生きる事は楽しくて幸せだと識った
彼岸此岸を越えて結ばれる愛を見つけた
守りたい約束を
母上
産んで育てて守ってくれてありがとう
…ごめんなさい
私はいくよ
紲華
この呪神が母上が与えてくれた愛ならば
遺さず喰らい受け継ぎ
巡らせ昇華する
呪を喰らい祝を咲かすわ
カムイ!私ごと斬って!
愛するあなたにだから頼みたい
呪禍を一緒に超えて咲いてみせる
共に正しましょう
リルの歌が包んでくれる
負けない
神斬…イザナ!
私は今度こそ家族を救ってみせる
母上も私の中で苦しませ続けていた皆も
例え赦されなくても…大好き
桜と共に解き送る
どうか見守って
母上は桜が嫌いと言っていたけど
咲いた所を見て欲しい
美しい愛彩に咲かせる
他でもない私の花を
あなたがくれた生命を生きる
愛する存在と一緒に
●愛の呪
いとし こいしや さくらのひとや
いとし かなしや たまゆらのしとね
さびし かなし にくし はふり
ねむれ ねむれや さくらのはてに
遠くから歌が聞こえた。
懐かしくて何処か物悲しい、母の声で紡がれる音色だ。
優しい腕に包まれ、柔らかな胸に抱かれた時の朧気な記憶が櫻宵の裡に流れ込む。
『――清浄明潔』
華蛇の声が或る言の葉を紡いだ。
きっとそれこそが、息子に願った唯一つのことなのだろう。
『美しい桜の宵に、この世界へ生まれてきてくれた愛しい子。祝福と愛をこめて、貴方に《櫻宵》と名付けましょう』
貴方を守る為ならば、私はどんな事でも。
(……母上?)
幸せになりなさい、と語った華蛇の表情はとても優しかった。だが、その光景が見えたのもたった一瞬のこと。
『――この子は神にかえさなければならない子だ』
今代の当主、即ち華蛇の夫から告げられたことが、彼女の孤独の始まりだった。
誘七家には或る風習があった。
繁栄と加護を齎す神代桜。遥か過去から花を咲かせてきた樹を枯らさぬように、木龍として生まれた血筋の子を神贄として捧げるというものだ。
何とも、忌まわしくて愚かしい。斯様な木に振り回されるなんて。
そのように華蛇の意思が語っていた。
七つまでは神のうち。
それゆえに櫻宵が七つになるまでに神贄として、殺す。
私の可愛い息子を。
何故。どうして。
何の道理があるというのだろうか。贄を捧げなければ繁栄しない家など、何れは醜く廃れるだけではないのか。
『得体の知らぬ神などにくれてやるものか……!!』
母として息子を渡したくないという思いが、叫びとなって木霊する。
奪わせない。
死なせない。
神が我が子を奪うのならば。神が死なぬのならば、死ぬまで殺してやればいい。
生き続けることすら後悔するほどに苦しませて――。
穢して、おとしてやる。
軋む痛みは、孤独と絶望と嘆きから成るもの。
(母上……!)
精神世界に囚われ――否、護られている櫻宵は母に呼び掛け続けた。これはきっと母が今までに歩んできた記憶の光景だ。
誘七の家の者達は夫を含め、誰も華蛇の味方をしてくれなかった。
子を贄にしろと迫られ、自分が家から排除されてしまわぬよう密かに反抗しながら、身体が弱い櫻宵が病や穢れに負けぬよう見守り続ける。
それはどれほど辛い日々だっただろう。
そして、このままでは駄目だと決心した華蛇は禁術に手を染めることにした。
『大丈夫ですよ、櫻宵』
心配はいりません、と記憶の中の母は微笑んでいた。
その表情は氷のように冷たいものだった。
『母の言うことをよく聞いて。お前はいい子ですから、出来ますよね』
あのとき、自分はなんと答えたのだったか。櫻宵は過去の言葉を手繰りながら、否応なしに沈んでいく意識をなんとか引き上げ続けていた。
(母上はどれだけ苦しんできたの)
幼い自分を抱え、独りで戦い続けてきたのだろう。誘七家の仕来りに倣っていたならば、櫻宵は七つまでに死んでいた。
母が抗わなければ。そして、この身に愛と呪が宿っていなければ、櫻宵の命はとうに失われていたはず。
今の華蛇はずっと櫻宵に、おねむりなさい、と声を掛け続けているようだ。
この優しい声と腕に包まれて静かに眠れたら。
一瞬だけ、そのような思いが浮かんだ。しかし櫻宵はふと気付く。
(このまま睡れない)
自分だけが眠ってしまったとしたら母はどうなるのだろう。彼女だけが苦しみを背負い続け、真の目的である神殺しを成す為に動き出すに違いない。
母の愛は強い。
ずっと愛してくれていた。
言葉通りに己を殺してまで、息子を生き存えさせようとしている。
だからこそ、この愛を呪のまま終わらせられない。
(……伝えなきゃ)
櫻宵は深く思いを巡らせていった。母上、と呼び掛けて伝わるだろうか。七之首に自分を捕らえさせ、この身体を操る華蛇に思いを届けたい。
誰よりも愛する人ができた。
生きることは楽しくて、幸せだと識った。
彼岸と此岸を越えて結ばれる愛を見つけた。
そして――守りたい約束を。
「母上……産んで、育てて守ってくれてありがとう」
ごめんなさい。
私はいくよ、と櫻宵が言葉にしたとき、遠くから歌声が聞こえてきた。リルの歌だと気付いた櫻宵の意識は其処で、外の世界に向けられる。
今まで閉ざされていた視界が明瞭になった。おそらくリルやカムイ、仲間達が七之首から櫻宵を救い出そうとしている影響だろう。それまで目隠しをされているように遮断されていた神域の様子がわかるようになった。
(……カムイ――!)
櫻宵の瞳に映っていたのは、数多の桜焔に穿たれながらもなお喰桜を強く握り、立ち続けているカムイの姿だった。
きっと、華蛇が執拗に彼を狙ったのだろう。
狂気と消滅を齎す狂愛の桜焔は何度も、幾度もカムイを貫いていた。全てを弾くことは出来ないが、カムイは必死に狂気に抗っている。
櫻宵がカムイとリルを愛していることは華蛇も知っている。リルは贄として囚えていたゆえ、先ずは一番の障害になるカムイを滅ぼそうとしているのだ。
櫻宵の意識は明瞭になっているが、肝心の身体が動かない。華蛇は櫻宵の身体と声を使ってカムイに何かを言い放っている。
『――愛しき櫻宵に喰われて殺されるならば本望でしょう、禍津の神よ』
(違う、駄目よ母上……!)
櫻宵の声は届かない。カムイが何かを語りかけているが、その声は遮断されている。サヨ、と呼んでいるのが口の動きで分かったが、たったそれだけだ。
どうすれば、この呪縛を解けるのか。
今の状態で紲華を放てば、カムイをはじめとした猟兵にこの力が及んでしまう。何か手は、と考えたとき。不意に少年の声が櫻宵の耳に届いた。
●誘七の櫻
「――櫻宵様!」
次の瞬間、櫻宵の身を縛る力が僅かに緩まった。
「この声……スズリ?」
「間に合ってよかったです! 櫻宵様、助けにきました!」
声の主はスズリ。
彼は神贄だった頃の櫻宵の側仕えであり、あの頃のままの姿をしている。その理由は彼もまた、蛇首を形成する贄として櫻宵が喰らった者であるからだ。
「どうして貴方が……」
「幽世に現れる橋で、俺を――俺達を、呼んでくれたでしょう?」
スズリは語る。
以前、櫻宵は自分が喰らった贄達をまぼろし橋で呼んだ。それによって贄達は蛇首の中で僅かに意識を残せるようになったという。
「櫻宵様の力で俺達は動き出せるようになりました」
「そうだったの……」
罪滅ぼしめいた思いもあった。だが、あの全てが無駄だったわけではない。
櫻宵が深い感慨を抱いていると、スズリは明るく笑った。
「きっと今頃、他の首の人達も囚われたお仲間さんの助けになっているはずです。それから――ええと、櫻宵様。俺達、昔に脱走計画を練ってましたよね」
スズリは過去のことを話し始める。
「ええ、そうだったわね。スズリが山に続く抜け道を教えてくれるって」
「あのときの計画は、華蛇様にみつかって実現できなくて悔しかったけど……。俺、ここで見つけた抜け道を教えたんです」
「抜け道って、誰に……?」
「美珠様に」
「――え?」
スズリから予想していなかった名前が出たことで櫻宵は目を見開いた。産まれてくることが出来なかった、櫻宵の妹。以前、もしもの夢を視たとき――妹が生きていればこうだっただろうと姿を想像した子だ。
「ただの側仕えだった俺には出来ないことが、美珠様には出来るんです」
何故なら、水龍の巫女の血を引いているから。
「……兄様」
スズリがそっと身を引くと、櫻宵の前には夢の中で想像したままの姿の妹が立っていた。曰く、美珠は元より美鈴の霊力に護られていた。そして、スズリに教えられた『抜け道』を使って魂だけは脇差に宿ることができた。
そうして、櫻宵が幻橋で霊を呼んだことで魂が動き出せたように、美珠の魂もあの夢が切欠で人の姿を持つことが出来たらしい。
「みたまね、ずっと兄様をよんでいたよ。きこえていた?」
「……! ええ、ええ、聞こえていたわ」
はっとした櫻宵は思い出す。禍殃の狭間で苦しい記憶を視せられたとき、贄達が自分の名を呼んでいた。その中にひとつ、だめ、と語った声があった。闇に堕ちそうな自分を止めてくれていたのだと知り、櫻宵は頷く。
そうしているとスズリが真正面を示した。其処には外の世界が見えている。
「美珠様はもう、三之首の贄として縛られていません」
「ということは……愛呪には既に綻びが出来ているのね」
「はい! 俺は外部に干渉できませんが、櫻宵様を……いえ、櫻宵を助けたい!」
「スズリ……ありがとう……」
友として、櫻宵の名を呼んだスズリは櫻宵の意識を呼び覚ます手伝いをしてくれるようだ。美珠もこくりと頷き、大蛇としての力を巡らせる。
「兄様、大丈夫。みたまたちがいるから。イザナイカグラ様と硃赫神斬様も準備をしてくださっている。だから……いっしょに、終わらせよう」
「……噫」
櫻宵は二人の思いを受け、確りと瞳を開いた。
まだカムイは戦い続けている。リルの歌声も響き渡っている。たくさんの思いが神域に巡り、愛が満ちてゆく。
この呪神が――母上が与えてくれた愛ならば、遺さず喰らって受け継げる。
必ず巡らせて昇華する。
呪を喰らって、祝を咲かせる。
強く巡る意志を抱いた櫻宵。それまで華蛇に支配権を渡していた身体の自由が戻ってきた。櫻宵は眼を然と開き、ありったけの声を響かせた。
「――カムイ! 私ごと斬って!」
大成功
🔵🔵🔵
●七之首と八の首
櫻宵の声が響き渡った、刹那。
それまで白く染まっていた櫻宵の髪が桜鼠に一瞬だけ戻った。だが、其処に華蛇の支配が再び巡ったらしく、その身体が強張った。
「……!」
それによって櫻宵が携えていた屠桜の刀が手から離れ、落下していく。
鞘から抜けた刀は宙を舞い、水面の地表に突き刺さった。
愛呪こと華蛇はそのことを察して屠桜の周囲に桜焔を解き放つ。憎き神から伝わりし刃など燃え尽きてしまえばいい。おそらくそのように考えたのだろう。
宙に浮かぶ櫻宵の真下。
其処に落ちた屠桜は焔に纏わりつかれており、誰も容易には近付けない。
そのうえ七之首は今も動いている。意識だけは取り戻せているが、彼が捕らわれている七之首への攻撃が届かなければ櫻宵の身体の自由は効かないまま。
そして――愛呪には、八つ目の首がある。
大蛇を喚びし呪術者であり、大蛇の一族の姫巫女。水獄大蛇の化身であり、自らの肉体を呪に捧げた櫻宵の母、華蛇そのひとこそが八の首だ。
七と八。
未だ神域に健在する最後の二首は牙を剥き、櫻宵の身体に宿りながら微笑む。
ぞっとするほどの冷たい眼差しを、葬るべき神に向けながら。
されど希望は潰えていない。
何故なら――櫻宵の桜枝角には一輪、ちいさな桜の蕾が芽吹いている。
●響く子守唄
――ななつくび ひとつのみたま
ついぞかさねて かみのおり
いとし こいしや あいごくひとや
かなしや いとし ゆめのおり
あまつかぜ いざなう さだめのひ
ねむれ ねむれや よくのはて
ついぞ かなわぬ たまのをちぎり
ねんねや ころり
やつくび おとし
やくはふる
はては かなわぬ むくろうみ――
朱赫七・カムイ
⛩神櫻
◎
真の姿
祝焔纏う禍津神
この呪はそなたの愛し子への祝
愛を否定も憐れみもしない
母君は精一杯に抗い闘った
愛を哀で終わらせない
母君の愛をサヨの厄にさせない
絡まる禍を斬り祓いサヨも皆も救ってみせる
私は禍津神
試練という厄を与え
正し
祓うもの
私自身の試練を超えて
愛する君を迎えに行くよ
持てる限りの力を尽くす
蛇首をいなし心を伝え続ける
サヨに笑って幸せに生きて欲しいのでは無いのか
その為に全てを捧げ守ったのではないのか
サヨの心を聴いて!
送桜ノ厄神
サヨ!
共に
サヨの力と繋げ廻らせ
きみ達に絡む厄呪だけを削り斬る
サヨも母君も禍から救う
愛が咲けるよう哀しみと苦しみを解き
繎を断ち
途切れた愛を結んで絆ぐ
在るべき姿を取り戻すよう
囚われた魂を解き放つ為に厄と結ばれたいとを斬る
リルの信を感じる
イザナ、神斬…ホムラ!
私は成す!
負けも諦めもしない
私の櫻は散れども咲いて
決して朽ちぬ再誕の祝花
誇る様を見届けてくれ
母君のおかげで私は櫻宵に逢えた
命は繋がり巡り咲いた
有難う
母君が安心して託せる神だと示す
今度は私が守ると
櫻宵を愛しているから
●愛と祝福
大罪。八の贄、人柱。
主となるものが、《愛》の感情を抱いたもの。もしくは主となるものを愛するもの。
孤独と絶望、憎しみが糧となり、其れは育つ。
――《神からお前を守るための、祝を授けましょう》
●神と大蛇
いつか目にした巻物に記されていたことを思い出す。
愛呪の成り立ちの一部を読んだカムイは、呪の元が何だったのかを識っている。
守るための祝福は呪縛に変じさせるしかなかった。この世により強く刻まれるのは、負の感情と呼ばれるものだ。
正しき清らかな感情が弱いわけではない。
されど、負の感情はそれを上回る強さを宿している。
厄災の禍津神の系譜であるカムイだからこそ分かった。災害、禍、不幸、不運、呪詛を結び、破滅と衰退を招いて世界に溢れるあらゆる穢れを司る神。
厄災は人々に齎される試練という側面もあり、災いに立ち向かう者達の魂はうつくしく磨かれ、強くなっていく。
華蛇が息子の櫻宵に施したのも、負の感情を利用したものだ。
「……カジャ、そなたの心を理解したい」
カムイは朱砂の太刀に手を掛けたまま、静かに語りかけた。
その心が解るとは言えない。カムイは片鱗を知っただけであり、母親の愛の全てを感じ取ったわけではないからだ。それゆえに識りたいと願った。
だが、櫻宵の身に乗り移った華蛇――今は愛呪と呼ぶべきか。愛呪は冷たい視線を返してくるだけだった。
片手を掲げた愛呪が腕を振り下ろすと、何十もの桜焔が現れる。
『苦しみ悶えながら滅びるがいい、禍津神』
櫻宵の声で紡がれた言葉は冷たい。宣告の直後、数多の焔がカムイに襲い掛かった。狂気を孕んだ桜焔はただ、カムイに消滅を齎すためだけに迸ってくる。
「私を滅ぼせるものならやってみるといい!」
対抗するカムイは喰桜を横薙ぎに振るった。強く宣言したのは、此処で葬られる気など微塵もないゆえ。
一瞬後、カムイの身体が焔に包み込まれた。
だが――。
『……耐えたのですか』
「私もそなたと同じように、愛を識っているからね」
揺らめいて散った桜焔の中から姿を現したのは、祝焔を纏う禍津神。真の姿へと変じたカムイの髪は燃える炎を思わせる焔色に染まっていた。
彼の身を桜焔が焼き尽くそうとしたとて、堪え忍べる力が巡っている。
「この呪はそなたの愛し子への祝」
ゆえに愛を否定もしなければ、憐れみもしない。華蛇がそうしているようにカムイもただ真っ直ぐに愛を示すだけだ。
約を重ねて厄を断つ。
愛しいひとを縛る哀を愛へ戻すために、カムイは此処に居る。
愛呪は冷ややかな視線を向けたまま、再び桜焔を紡ぎあげた。他の首が放つ十倍以上の焔でカムイを押し潰そうとしているようだ。
太刀を構え直したカムイは再び迎撃体勢に入った。
まずはこの焔を凌がなければ、櫻宵の身を囚えている七の首にすら届かない。刃を振り上げ、鋭く薙ぎ、カムイは身を翻した。
焔は容赦なく身を穿つ。
痛みが走って狂気が巡る。それでもカムイは刃を振るうことを止めなかった。
もし、違う者同士がたったひとつのものを求めあったなら。
何を犠牲にしてでも手放せない。愛しくて堪らない。そのような欲しいものがあったとする。ふたつには分けられないそれを、何方が手にするか。
両者は手を伸ばして愛しきものを掴み、奪い合うことになるだろう。
何方にもひけない理由がある。
「……手を離せば、愛しい子は奪われる。……離さなければ、愛しい子が双方に引っ張られる苦しむ。幾度も、そのことを考えたよ」
如何するべきか。
その答えが求められるのが、今という瞬間だ。
既に答えは決まっていた。双眸だけではなく、第三の眸にも櫻宵の姿を映し続けるカムイは焔を受け止めながらも前進していく。
愛しき者を本当に想うならば、離すべきか。そんなことは出来やしない。きっと華蛇も同じ結論に辿り着いたゆえに呪を完成させたのだろう。
だからこそ、此れは真っ向勝負だ。
優しき睡りを願い、子を奪う神を殺すと決めた母。
苦難と共に在れど、共に生きていきたいと願う神。
『私はこの子を離しはしない!』
「私は櫻宵を離しはしない!」
華蛇とカムイ。
ふたつの想いと心、言の葉が重なった。それでも彼女が宿す神への恨みと憎悪は深く巡り、更に大きな桜焔が作り上げられていく。
カムイを完全に屠るべく、激しい焔が七之首の前に集った。
「カジャ! 母君は精一杯に抗い、闘ったではないか。その証にサヨは生きている!」
彼が此処まで生を繋げたのは華蛇が手を尽くしたゆえ。
愛を哀で終わらせない。
幾度も心の中で誓った思いを抱き、カムイは桜焔を斬撃で吹き飛ばした。
「母君の愛をサヨの厄にさせない」
絡まって解けなくなった禍を斬り祓い、櫻宵も皆も救ってみせると決めた。カムイに襲いかかる焔は留まる処を知らぬが如く、次々と降り掛かってくる。
『おのれ、禍津の神。お前如き、神代桜と未だ残る硃赫の神を殺す前座に過ぎぬというのに。この子を贄にしなければ枯れる桜など、朽ちてしまえばいい……!』
紡がれた言葉を聞き、カムイは確信した。
華蛇の最終目的は神代桜を滅ぼすこと。
此度、贄を取り込んだのは事を成し遂げる力を蓄えるため。櫻宵まで巻き込んだのは、彼を自由にしておけば神代桜を護るために行動すると予測したからだ。
そのように考えれば合点がいく。
「そう、私は禍津神」
カムイは愛呪を見据えたまま、その通りだと答えた。
己は試練という厄を与えて正し祓うもの。そして今、試練は己に訪れた。
「私自身の試練を超えて、愛する君を迎えに行くよ。……サヨ」
愛呪の奥に捕らわれた伴侶を呼んだカムイは、一気に地を蹴る。桜焔の包囲から抜け出した彼は持てる限りの力を尽くす心算で駆けた。
桜焔が追ってきたが、それらをいなしながら心を伝え続ける。
カムイは知っている。
華蛇が敢えて櫻宵に辛く当たっていたことを。優しさだけでは息子を守れないと分かっていたゆえの選択だ。
辛い目に遭わせてでも、心を苦してでも、優しさを押し殺してでも。
負の感情で育つ強い力を育てたかった。
「本当はそなたも、美鈴のようにサヨを抱き締めたかったのだろう?」
カムイは以前に見つけた手記から、華蛇が嘗て抱いた思いを読み取っていた。
優しく撫でて褒めてやりたかった。
自慢の息子だといって微笑みかけたかった。
しかし、其れでは大蛇が育たない。それではあの子は救えない。それどころか、己が命すら保てずに連れて行かれてしまう。
それゆえに、櫻宵にすら本当の愛を悟らせなかった。
『…………』
愛呪――華蛇は何も答えない。
愛する気持ちは純粋であるのに、もう引き返せない処まで来てしまった。
「そなたはサヨに笑って幸せに生きて欲しいのでは無いのか」
『黙りなさい』
愛呪はカムイを阻み、七之首を穿たれまいと立ち回った。屠桜を抜いた愛呪は桜焔を解き放ちながらカムイに斬り掛かる。
「……!」
咄嗟に喰桜の刃で屠桜を受け止めたカムイは衝撃に耐えた。
夫婦刀である刀同士で鍔迫り合うことになった現状、何方も決して引かない。髪が白に染まった愛呪の櫻宵と、祝櫻を纏うカムイ。
二人の顔が間近まで近付く。
だが、其処でカムイは刃を弾かれてしまった。その理由はまだ櫻宵の魂と心が七之首の中に捕らわれたままだからだ。
「そなたは、サヨの為に全てを捧げ守ったのではないのか!」
このまま愛呪を斬ってしまえば、櫻宵の命に関わる。たとえ華蛇の意志だけを切り離せたとしても、櫻宵が本当の呪神に堕ちてしまう可能性もあった。無策に勝負に出るカムイではないゆえ、愛呪を斬れないでいた。
――今は、まだ。
次の瞬間、カムイの僅かな動揺を感じた愛呪が屠桜の刃を振り上げた。その周囲には桜が舞っている。
愛呪は櫻宵が持つ、命を喰らう力を使う心算だ。
『愛しき櫻宵に喰われて殺されるならば本望でしょう、禍津の神よ』
「カジャ! サヨの心を聴いて!」
『黙れと言っている』
鋭く振り下ろされた屠桜がカムイの身を貫く。生命を喰らわれ、巻き起こった衝撃波によってカムイが吹き飛ばされ、水面に叩き付けられた。
其処に桜焔の大群が押し寄せる。
既に壱から陸の首は倒されているが、誰も彼に近付くことすら出来なかった。
しかし、其処に向けて灼熱を纏う影が翔ける。美しい囀りと共に、焔の真っ只中に飛び込むように舞い降りたものがいた。
それは一羽の火の鳥。
カムイの真化に応じて、凛とした姿を変えたホムラだ。
「――ホムラ! 私に力を!」
渦巻く桜焔の中からカムイの声が響き渡り、周囲の焔が瞬く間に散った。
キュイイ、と美しい鳴き声が響く。
桜の焔が引いた場所。其処には、鳳凰めいた姿をしたホムラを肩に乗せたカムイがしかと立っていた。
その姿を見遣った愛呪は忌々しげに口元を歪める。屠桜は役に立たないと感じたのか、刃を鞘に仕舞い込んだ愛呪は唇を噛み締めた。
『しぶとい……。やはり、神は幾度殺しても死なない。ならば……』
死ぬまで殺してやればいい。
狂気が宿った眼差しを向けた愛呪は笑っていた。
だが、そのとき。
それまで捕らわれていた櫻宵の意識が呼び覚まされた。瞳に光が宿り、白の髪が桜鼠の彩に戻りかけている。
好機を感じ取ったカムイは刃を構え直した。
ホムラの力を受けたからか、その髪先が燃えるように揺らめいている。
喰桜に籠めるのは禍津神の慰めと厄された御魂を掬う祈り。厄を喰らい、倖を約する朱砂の太刀が愛呪に向けられる。
そして、瞳を然と開いた櫻宵がありったけの声を響かせた。
「――カムイ! 私ごと斬って!」
「――サヨ!」
二人の思いと声が重なる。
愛するあなたにだから頼みたい。呪禍を一緒に超えて、咲いてみせるから。
共に正しましょう、と願う櫻宵の思いを受け、カムイが頷く。
櫻宵の力と己の神力を繋げて廻らせ、絡む厄呪だけを削り斬る。櫻宵も華蛇も禍から救うと決めたカムイは愛呪の元へ駆け――なかった。
「……!」
刹那、華蛇の支配が再び巡ったからだ。
櫻宵が携えていた屠桜の刀が手から離れ、落下していく。地面に突き刺さった刃を覆うようにして桜焔が紡がれていった。
一度は支配を解かれたが、櫻宵の身体を操り返した華蛇が薄く笑む。
『……どうしたのですか。畏れ多くて立ち尽くすしか出来なくなりましたか』
ふ、と華蛇が勝ち誇ったように嗤う。
「違うよ、母君」
しかし、カムイも静かに笑っていた。ホムラも焦ることなく彼の傍に控えている。
その理由は――。
●赫の紲
「斬らずともよい」
『な、に……身体が、引き剥がされる……?』
凛とした声が響き渡ったと同時に、櫻宵の身体から華蛇の霊体が抜けた。
浮遊させられている櫻宵の身体から力が抜ける。その左右にはカムイがまぼろしの橋で呼び出したイザナイカグラと、櫻宵が呼んだ硃赫神斬の姿があった。
そして――霊体として引き摺り出された華蛇の身には、赫の紐縄が絡まっていた。
赫紐はイザナと神斬の腕にも巻き付いており、華蛇と繋がっている。見る間に伸びた紐は八つの結び目を作りながら彼らの周囲に広がった。
『この縄は……!?』
自分の意思とは無関係に櫻宵の身体から弾き出され、紐で繋がれたことに華蛇は困惑していた。イザナと神斬に拘束されたも同然の華蛇は自由に動けないようだ。
「騙してごめんなさい、母上」
『櫻宵……!』
顔を上げた櫻宵は華蛇にそっと告げる。自分ごと斬れと言った裏には、或る考えと作戦が巡っていた。
「私がサヨを斬ろうとすれば、カジャは此方だけに集中するだろうからね」
カムイが言葉を継ぐと、神斬が静かに頷いた。
「その間に、ずっと機会を窺っていた私達が魂の糸を紡いで形にしたんだ」
「そういうことだ。さぁ――カムイ、櫻宵! 皆でこの結び目を断ち切れ!」
神斬に続き、イザナが呼びかける。
赫紐には八つの結び目が見える。其処を裁ち切れば愛呪に囚えられた魂をすべて解放できる。つまり呪と魂が分離され、救うことが叶う。
そう、自らを呪にした華蛇さえも。
『やめろ……やめなさい! 櫻宵、ああ、櫻宵!』
これでは神代桜を滅せない。
そのうえ、桜の元となった竜神にいいようにされているのだと気付いた華蛇は暴れようとする。一瞬、僅かに拘束が揺らぎそうになったが――。
「逃しはしません」
「お母さま……!」
前に出て祈るように両手を重ねたレイラが霊力を抑えた。ルーシーがぱちりと瞳を瞬くと、レイラは穏やかに微笑む。其処で動き出したのは此処で使命を与えられたと感じ取っていた死者、想い人達だ。
「そうや、これ以上の暴走は許さん!」
「まーくん?」
続けて舞冬が両腕を掲げ、不可視の力で愛呪の動きを阻んだ。苺となつめは彼が相手の抑え役になっているのだと知り、はっとする。
「兄貴、まい! 今のうちにあの七之首を穿ってくれ!」
「あァ、分かった!」
弟の思惑を感じ取ったなつめは竜体のまま素早く翔けた。苺もこくりと頷き、なつめに続いて七之首を倒しに向かう。
「今がチャンスだね。アタシ達も行くよ!」
「わかりました、母さん」
「お母さん達は……あの紐を維持する役目を担っているのですか?」
響と奏も現状を理解して未だ動いている七之首を穿ちにゆく。その際、瞬は響の母と律、麗奈に問いかけた。
「そう……私達は黄泉から呼ばれた魂だからね」
「黄泉に行けずに彷徨っている、別の魂を上手く引き寄せられるようだな」
「瞬、全力であの首を討ちなさい。そうすれば囚われた魂が集うわ」
三人は念じていき、真宮家の者達を守りながら赫紐を維持する力を放っていく。
「朔朗、攻撃をお願いできるかな」
「あの首を倒すのが今の私達の役目なら――」
望之助も力を巡らせているらしく、朔朗に呼び掛けた。雪枝を連れ、七之首に駆けた朔朗は氷輪を構え、首を沈黙させるために立ち向かっていく。
「零時殿、後は任せました!」
バルタンも仲間に続いて七之首に向けて駆けた。その後ろ姿を見送った昊は得物を高く掲げ、藤も他の死者と同様に黄泉への絲を紡ぐ。
「志桜、やっちまえ!」
「うん! わたしの全力でいくよ!」
昊が魔力を解き放つことで道を描いた。志桜は斧槍を振り上げ、倒すべきものに一閃を振るっていく。
「すみれ、あのひとらを助けてあげよか」
「藤ねえ……心配せんでもええって、このことやったんやね」
七之首に立ち向かいながら、菫は藤達が語っていたことの真意を理解した。
今、愛呪たる華蛇を縛っているのは二柱の神だけではない。まぼろしの橋を通して呼ばれた死者達の力がすべて重ねられたことで、この好機が訪れている。
もし誰も想い人を呼ばなかったとしたら、呪と魂を引き剥がすまでには至らなかっただろう。未だ顕現していなかった八之首が現れ、取り返しのつかないことになっていた可能性もあった。
だが、そうはならなかった。
今という時が訪れたのは愛の想いを抱く者が集ったゆえ。神域に訪れたこの状況はきっと、奇跡にも近い。
其々に魔術を紡ぎ、刃を振るい、花を舞わせ、力を振るう。
猟兵達が解き放った力は瞬く間に七之首を打ち倒し、最後の楔を散らせた。
そして――それと同じくして、愛贄となっていた者達が動き出す。
●魂の昇華
――壱之首の魂、惑六の焔。
華蛇が引き摺り出された瞬間、一華は駆け出していた。
焔に包まれるのも構わず、櫻宵の手から落ちた刀を拾い上げるために。桜焔は弱まっているが、触れるだけで熱が巡る。
されど、一華は屠桜こそ必要なものだと感じていたので止まらない。
「俺は、かあさまの息子であると同時に……とうさまの、子だ……!!」
痛みを堪え、地表に突き刺さった刀を抜いた一華は身構えた。今まで刀で戦ったことはない。重さと身の丈に合わない刃の長さのせいで、ぐらりと身体が揺らいだ。
しかし、そのとき。
「ボクも一緒にやるよ、一華くん!」
「フレズ!」
焔を突っ切ってきたのは一華だけではなかった。フレズローゼは彼の隣から腕を伸ばし、屠桜の柄を握る。
「二人ならきっと、ううん……絶対に無敵だから!」
「そうだな。ありがとな、フレズ」
「お礼を言うのはまだ早いよ。ボクらの力で全部を助けてからにしよう!」
「ああ!」
少年と少女は屠桜を二人で構え、一気に地を蹴った。狙うのは壱の首の魂を囚える楔のひとつ。焔に巻かれてボロボロだったが二人の瞳は美しいまま。
そして、屠桜の刃が赫紐に向けて振り下ろされた。
――弐之首の魂、雷獄大蛇の爺。
「そっか。あのあかい紐を切れば、みんなが助かるんだね」
たからは頭上を振り仰ぎ、神域に広がる赫紐を見遣った。自分を蛇首から逃してくれた声の主は、厳しくも優しいおじいちゃんのようだった。
彼の魂が縛られているのならば助けたい。たからはずっと傍に控えている両親達を見上げた後、二つ目の結び目に狙いを定めた。
「ありがとう」
たからは、新しい気持ちを識れたから。
両親の後押しを受け、からくり人形のクロを呼んだたからは魂を縛る紐を狙い撃つ。
刹那、赤い軌跡が散った。
――参之首の魂、美珠。
ヲルガはからくり人形に抱かれながら、経緯を見守っていた。
「御魂、御霊……そして美珠か」
美珠と名乗った魂の欠片を思い出したヲルガは人形からそっと離れる。どうやら空中に広がる赫い紐の結び目を斬らなければならないらしい。
「おまえ、頼めるか?」
人形に問いかけたヲルガだが、元より声としての答えがないことは分かっている。身構えたからくり人形が三つ目の結び目を捉えていることを悟り、ヲルガは頷いた。
その一瞬後。
疾く駆けて跳んだ人形の一閃により、赫紐が断ち切られた。
――肆之首の魂、水龍巫女の美鈴。
「これが役目なら……私は成し遂げるわ。見ていて、母様」
千織は傍についていてくれる母に向け、決意の言葉を紡いだ。今はもしもの悪いことは考えない。きっと、そのときになれば自ずと答えを出せるはずだ。
同じ巫女として自分を助けてくれた美鈴という女性を思い、千織は駆ける。
狙うのは一点。赫紐にある四つ目の結び目だ。
「千織……立派になったわねぇ」
母の声を背に受けながら、千織は藍雷鳥と藍焔華を振り上げる。彼女の気迫に応じて朱櫻ノ紋が広がった、刹那。
魂を囚えていた力が刃によって切り離された。
――伍之首の魂、双子巫女の新。
バルタンの声を受けた零時は更なる力を紡ぎあげていた。
禍津神の権能で二柱の神。桜女神と竜神の力を調和した術式。それこそ零時が読み解き、手にした力――桜魔が漆岐。
「此れがてめぇの呪を喰らい、想いに昇華する夢想の櫻龍!」
「やっちゃうよー」
零時は囚われし魂達を思いながら、傍に控える夢想と魔力を重ねる。桜魔の書を託された自分に出来る精一杯をぶつけようと決めていた。
集いし想いは混じりて光り、我らを照らす夜明けとなる。
「……さぁ! 己が華を! 想いを咲かせる時が来た! 我が想いと共に飛翔し、顕現せよッ! 特大で、全力の――喰螺夢ッ!!」
再び召喚され、解き放たれた櫻の龍が飛翔する。夢の想いで創られた龍は術師の心を受け、昇華の力となって巡っていった。
――陸之首の魂、双子巫女の沙羅。
「カムイ! 一緒に愛を咲かせよう! これが僕達の心なんだって……!」
絡まった絲を斬り解き、憎しみほどき呪を祝に戻すために。
愛しき同志に呼び掛けたリル。その傍には指揮をとるノアと、彼に合わせて歌うエスメラルダの姿もある。
そして、其処にロゼとサクヤが訪れた。
「フレちゃん達の後押しになりたいんです。私も歌わせてください」
「貴方達の歌声に私の思いも託します。一華を大切に想ってくれる、貴方になら……」
「――♪」
ロゼとサクヤ、エスメラルダ。
子を想う母達は柔い視線を交わす。ロゼは両手を重ねて薔薇十字を握り締め、ヨルを抱いたサクヤは霊力を密かに一華に送り、エスメラルダは両腕を広げてめいっぱいの歌声を響かせていった。
「すごく頼もしいや。かあさんって、強いんだね」
「ああ、美しい舞台だ」
リルは母親達を見つめて微笑み、ノアも歌姫と鬼姫の協演に目を細めた。そして、リルも父の指揮に合わせて歌う。
心一杯の愛を。愛する人と咲いあい、生きてゆくために。
水想の歌は桜吹雪となって舞う。
皆の心に咲いた花も広がっている。
愛と戀、想いの強さが響き合うことで、呪縛を全て解く舞台が神域に巡った。
――七之首の魂、スズリ。
――八つ目の魂、華蛇。
「リルの信を感じる……」
「ええ、リル達の歌が私達を包んでくれる」
七つ目の結び目を櫻宵が見据え、カムイは華蛇に絡まる赫紐を見つめる。櫻宵の呪縛は完全に解けていた。落ちた屠桜の代わりに白の脇差を握った櫻宵は、負けない、と思いを言葉に変えた。
兄様、と幽かな声が聞こえたことで櫻宵は心強さを覚える。
「神斬、イザナ……美珠!」
「イザナ、神斬……ホムラ!」
呼び掛けに応じて美珠の力とホムラの炎が櫻宵とカムイに宿った。桜獄の力と再誕の焔を纏った二人に向け、イザナと神斬が呼びかける。
「櫻宵!」
「カムイ!」
『人と神の分際で、私を縛り……封じるなど――』
華蛇は身動きが取れぬまま、愛呪に組み込んだ魂が解放されていく様を睨みつけることしか出来ない。その表情は憎悪に塗れ、禍々しい気配が満ちていく。
だが、華蛇もまた呪いに侵された者。
神殺しの怨嗟も、愛が歪んでしまったのも、華蛇の心が闇に侵蝕されたからだ。
「私は今度こそ家族を救ってみせる。母上も、私の中で苦しませ続けていた皆も、例え赦されなくても……大好きだから」
桜と共に解き送る。
だから、どうか見守って。
櫻宵の角に宿った蕾が綻んでいく。それと同時に背の翼に花が咲き始め、満開の様相となって世界に彩を広げた。その姿を神斬とイザナが静かに見守っている。
「母上は桜が嫌いと言っていたけれど、これが私。……お願い、咲いた所を見て」
他でもない、私の花を。
美しい愛彩に咲かせれば、きっと母の心に届く。
櫻宵が脇差を構えて翔けた瞬間、カムイが喰桜の切っ先を華蛇に向けた。
愛が正しく咲けるよう、哀しみと苦しみを解いて繎を断つ。途切れた愛を結んで絆ぐのがカムイなりの試練の越え方だ。
「華蛇……そなたが、在るべき姿を取り戻せるように――私は成す!」
負けも諦めもしない。
己が愛する櫻は散れども咲き、決して朽ちぬ再誕の祝花。苦痛と絶望を越え、より強く先誇る様を見届けるのは、きっと母の役目。
「母君のおかげで私は櫻宵に逢えた。命は繋がり巡り咲いた、故に……有難う」
カムイは憎しみや敵意ではなく感謝を抱き続ける。櫻宵も母への愛を深く抱き、柔らかに咲ってみせた。
「あなたがくれた生命を生きる。愛する存在と一緒に」
「今度は私が守る。櫻宵を――」
母が安心して子を託せる神だと示すために、カムイは宣言していく。
きみのために生まれた。
きみのためにだけ、生きる。
母の愛とは違っていても、己が抱く心もまた愛だと識った。
「――愛しているから」
そして、祝焔を迸らせたカムイが朱砂の太刀で赫紐ごと華蛇を薙ぐ。同時に櫻宵が解放の桜焔を纏う白の刃を振り下ろした。
囚われた魂を解き放つ為に厄と結ばれたいとを斬る、神の送桜。
解れた魂のいとを結び直して想いを伝心する、櫻龍の紲華。
――咲いて、さかせて、あなたと共に。ほどいて結んで、魂結び。
――傳うこころを、華と咲かせて。
――君、死にたまふことなかれ。そなたの禍は赦された。
総ての力が収束した、刹那。
赫き縁の紲と共に、魂を縛り付ける呪いが裁ち切られた。
『これが――あなたたちの、愛……』
自らを縛っていた呪縛から解放された華蛇の表情が和らぐ。深く濁った呪詛から本来の魂が引き離されていき、呪いの力は其処で崩壊した。
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
●告解と心絆
囚われし魂が解き放たれ、伏していた蛇首が消えた。
数多の幽世蝶が舞い、桜の花が揺らめく神域から闇の色が引いていく。
それと同時に力が抜けたのか、浮遊していた櫻宵の身体が水面に向けて落下した。
「サヨ!」
「カムイ……!」
咄嗟に腕を伸ばし、櫻宵を受け止めたカムイはその身を強く抱き寄せる。櫻宵の角の桜は満開だ。良かった、と声にしたカムイは櫻宵を姫抱きした。
その近くには水面の地表に力なく座り込む華蛇の霊体がいる。彼女の傍に膝をついて屈んでいるのはイザナと神斬だ。
「すまなかった……」
イザナは華蛇に向けて深く頭を下げている。そうした理由は華蛇が愛呪を作り出す切欠ともなった神代桜のことだ。
曰く、木龍の特徴を持って産まれる誘七の子は身体の弱い者が多かった。
誘七の一族の者は過去、幼くしてこの世を去った子が寂しくないように神代桜の近くに亡骸を葬ったそうだ。
神代桜は家に繁栄を与えるために咲き誇った。
桜は魂へ言祝ぎを贈るように咲いていたのだが――或る代、不作が続く年があった。その近年は幼くして死した子はおらず、桜に葬られる者を出していなかった。
それが誘七の家を狂わせる原因となった。或る者が桜に魂を捧げていないゆえに繁栄が訪れなくなったのだと言った。
不安は伝播していき、一族の中から健康だったはずの木龍が贄として選ばれた。いつしか生贄を捧げれば家が栄えると信じられてしまったのだ。
そうして、誘七家は――。
「木龍の子が産まれたら、贄とするという因習を作り出した」
イザナは見ていることしか出来なかった。
当時は魂が桜の中にあり、意志を持てていなかった。神斬もただ見守ることしか出来なかった。厄災を齎す己が誘七に直接関われば、繁栄が失われるからだ。
『全ては、過去の間違いから……』
華蛇はじっと話を聞いていた。呪と切り離された彼女は随分と落ち着いている。おそらくこれが華蛇の本来の性質なのだろう。
イザナは華蛇を見つめ、真剣な思いを告げていく。
「だが、もう贄は捧げさせない」
『どうしてそのようなことが言い切れるのですか』
華蛇はイザナに対して冷静な言葉を返した。それは彼を非難しているのではなく、どのような手があるのかと聞いているようだった。
すると、神斬が前方を示した。
「そなたには見えないのかい? ほら、新しい風が吹いているではないか」
神斬が見つめているのは、櫻宵が助かって安堵している一華とフレズローゼだ。少年は次の誘七の当主とされている。
心優しき真っ直ぐな少年と、型破りの少女ならば誘七に変革を齎してくれる。
「何れ因習は葬られるよ。ひとの力と意志で、ね」
「……華蛇。巡り巡って、お前のやったことも間違いではなかったのだ」
神斬とイザナの言葉を受け、華蛇も一華達を見つめる。その瞳にちいさな涙の粒が浮かび、頬に伝っていった。
『イザナイカグラ様……硃赫神斬様……』
華蛇の中には愛が残っている。
呪から解放された彼女の涙は美しく清らかなものとなっていた。
カムイの腕から降りた櫻宵は、母の元に歩み寄る。力なく座り込んでいた華蛇に手を差し伸べた櫻宵は花が咲くような微笑みを向けた。
「母上、私を産んでくれてありがとう」
「……櫻宵」
「あいしてくれて、ありがとう。母上の心はちゃんと受け取ったよ」
「ああ……その言葉が聞けただけで、私は幸せです」
どうか、抱かせて。貴方を撫でさせて。
母として出来なかったことを最期に存分にして逝きたい、と願った華蛇は櫻宵を抱き締めた。指先が頬を撫で、髪に触れる。
爛漫に咲いた角の桜を瞳に映した華蛇は――そのときはじめて、心から微笑んだ。
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
深い夜の闇が薄れていく。
明けも暮れもしなかったはずの神域の空は今、夜明けを迎えようとしていた。
空が白み、暁の色が満ちていく。
そして――それはまぼろしの橋を渡って訪れた者達との、別れの合図でもあった。
●誘七の未来を背負う者
「一華、おいでなさい。よく頑張りましたね」
「フレちゃん……! フレちゃん、とっても勇敢だったわ!」
「かあさま!」
「ママ! ママ!」
サクヤとロゼに呼ばれ、一華とフレズローゼは駆け出していった。フレズローゼは母の腕の中に飛び込み、一華はそっとサクヤに身を寄せる。
誰もが別離の時間が近いと知っていたが、敢えて言葉にはしない。
「大好きよ、フレちゃん」
「ボクもママが大好き。歌ってくれてありがとう。絶対に絶対、忘れないよ!」
フレズローゼを強く抱き締めたロゼは娘の成長を心から喜んでいた。
傍にいられなくてごめんね、という思いは言わずに押し込め、ロゼは愛娘を抱き締め続ける。きっとフレズローゼは下手っぴながらも、自分の歌を口ずさんでくれるだろう。そう感じたロゼは娘に頬擦りをした。
サクヤは一華の破れた服を整えてやりながら、頭をやさしく撫でる。
「立派でしたよ、一華」
「俺、すごく夢中で……でもかあさまが力を貸してくれたこと、わかってた!」
「ふふ、いつも見守っていますからね」
貴方のやりそうなことは解るのです、と語ったサクヤは双眸を緩める。鞘に収められた屠桜は後で櫻宵に返されるだろう。
あの刀を使えたということは一華もまた立派な誘七の一族だということ。
「未来は貴方が創っていくのです」
「……俺、かあさまの分まで頑張る」
「フレちゃん、未来の旦那様に我儘を言い過ぎないようにね」
「うん、大丈夫だよママ!」
サクヤが優しく笑み、ロゼもふわりと咲う。次の瞬間には二人の姿が暁の光に混じっていくかのように消えていた。
胸がぎゅっと痛むような感覚が巡った、そのとき。きゃんきゃんと鳴き声が聞こえたかと思うと、二人の元に二匹の狛犬が駆けてきた。
「あれ? 狛犬くんだ!」
「コマ、マコ! 今までどこにいってたんだよ!」
「きっとずっと隠れて……じゃなくて、見守っててくれたんだね!」
飛び込んでくる狛犬を受け止め、一華とフレズローゼは明るい笑みを交わした。
●少女が選ぶ生
明けゆく天の下、たからと両親は向かい合って立っている。
橋の真ん中に佇んでいるたから達は視線を交わした。この橋の向こうは彼岸。たからが立っている側は此岸。
一度は死を迎えた者であっても、たからが今を生きるのは此岸の方。
別れは避けられず、ずっと一緒に居られる未来はない。そのことはたからだけではなく、此処にいる皆が知っている。水面に咲いていた花は枯れ、色を失っていく。
その最中、たからは大切な両親を見つめ続けた。
「たからの声を聞いてくれて、ありがとう」
少女は父と母に改めて礼を伝えた。
苦しいことがあるという素直な心のうちを黙って聞き続けてくれた。たからが囚われた魂を救いたいと願ったときも、言葉以上の心と力を注いでくれていた。
ただ見守り続けること。
きっとそれこそが、たからの両親としての愛だ。
「たからは、いくね」
だから二人も、と告げたたからは口を軽く開けて笑ってみせる。その一瞬、ほんの僅かだけ、生前のたからの顔が水面に映った。
その表情は心の底から笑っているかのような笑顔だ。
たからの姿を見届けた両親は微笑みながら消えていく。朝陽にとけるように還っていった二人を見送り、たからはそっと手を振った。
●約された言の葉
「……終わったね」
「私達の力が役に立ったのですね。何だか感無量な気分です」
明けていく空を眺めながら、望之助と朔朗は穏やかな神域の空気を吸い込む。橋の上で語り合い、共に戦った時間。それらは過ぎてみれば一瞬の夢のようだった。
しかし、朔朗も望之助もこれが夢ではないことを知っている。
「朔朗と一緒に戦えて、楽しかった……というと少しおかしいかな」
「いいえ、私も同じ気持ちです」
望之助と朔朗は空から視線を下ろし、互いを見つめる。共に同じ相手に刃を向けて立ち向かうなど、在り得なかったことだ。
「次に会う時は……ううん、先のことは考えないでおこう」
「そう、ですね」
望之助は静かに笑み、朔朗も頷いて同意する。約束が果たされる時はいつかきっと訪れるだろう。それはそうなった時分に考えればいいことだ。
「もう、いかなきゃ。……またね、晴九郎」
「……はい」
朔朗は手を振った望之助の姿を雪枝と共にしかと見つめ、一度だけ瞬きをする。次に目を開いたときには彼の姿は何処にもなかった。
瞼の裏に残ったのは――彼が最後に浮かべていた、穏やかな笑顔だった。
●真宮家のお別れ
「呪いも解けて、皆も無事に戻ってこれたみたいだね」
「朝焼けの色に染まったこの場所も、とても綺麗ですね!」
響と奏は此度のことが一件落着で終わったことを確かめ、神域の様子を見つめた。夜から朝へと明けていくかのような空を見上げた瞬も静かな思いを抱く。
「お母さん達に会えたのも、この橋のおかげなのですね」
瞬は橋の向こう側に立っている三人に視線を移した。共に語り合い、一緒に戦い、力を重ねられたことが嬉しい。
されど、別れの時は迫っている。
響と奏と瞬はそれぞれが呼び出した者の前に立ち、最後の時を過ごしていく。
「……響」
「何だい、母上」
自分の名前を呼んだ母を見つめ返した響は次の言葉を待つ。愛おしげに此方を見つめた母は手を伸ばし、響を撫でた。
「これからも、あなたはあなただけの道を歩いていって」
「わかったよ。母上、逢いに来てくれてありがとう」
響は、家を出ていった自分を認めてくれているのだと感じて微笑んだ。その隣では律が奏を優しく見つめている。
「お父さん……」
「娘の成長を傍で見守れないというのは、辛いことだな」
「でも、お父さんが助けてくれなかったら今の私はいなかったから――」
「ああ……。奏、これからも響と一緒にいてやってくれ」
「はい、お父さん!」
「響も無理はするなよ。響の強さは信じているが、戦いは何が起こるかわからない」
「もちろんさ!」
母と子。父と子。妻と夫。
それぞれに大切な愛を抱く者達は笑顔と信頼の言葉を交わしあった。血の繋がった親子達の様子を見ていたのは瞬と麗奈だ。
「本当に、まさか瞬ともう一度会えるなんてね」
「昔も今も、お母さんとの時間は大切な経験になりました」
麗奈と瞬は見つめ合いながら、互いの姿をしっかりと心に刻んだ。死者と生者は本来、よほどのことがなければ触れ合えないもの。それでもこうして訪れた機会を嬉しく思い、二人は別れの時を惜しんでいった。
「さよなら、母上」
「これからも見守っていてください、お父さん」
「お母さん……ありがとう」
そして、響と奏と瞬は朝陽と共に消えていく家族を見送る。その心にあたたかな感情を宿した三人の口許は、とても穏やかに緩められていた。
●歌で送る想い
「まふゆくん……まーくん、まーくん……」
「ん? どうしたんや、まい」
戦いが終わった後、苺は舞冬にぎゅっと抱き着いていた。
また逢えて嬉しかったこと。一緒に戦った中で感じた頼もしさ。暴走する魂を抑えている舞冬がとても格好良かったこと。
たくさんの思いを言葉にすることが出来ず、彼の名前を呼び続ける苺の心は彼でいっぱいだ。それに咥えて今一度の別れが近付いていることも、苺の胸裏に様々な思いが巡る理由になっていた。
「なンだ、いちゃついてんのか?」
人間体に戻ったなつめが茶々を入れる。それは彼なりの悲しみの解し方なのだろう。兄らしく弟と苺の頭をくしゃくしゃと撫でたなつめは、頑張ったな、と褒めてやる。
「ちょ、兄貴。ほんま昔からデリカシーってもんが……」
「ふふっ、大丈夫だよ、まーくん」
苺を庇って腕に抱いた舞冬は兄の手を振り払った。しかし、それも兄弟のじゃれあいのひとつだ。苺は二人の様子が昔のままだと感じながらにっこりと笑う。
くく、と笑ったなつめは三人でいられる時間を愛おしく感じた。こうして皆が愛を示したことで今回の件は無事に終わったのだろう。
安堵を抱きつつ、なつめはふと或ることを思い出す。
「そうだ、俺のつがいだけどな」
「番?」
「つがい!?」
「オイ、お前らそんなに驚かなくても……まァいい、また今度な」
愛しい人のことを少し話そうとしていたなつめだったが、気が変わったらしい。期待させておいた方がきっといつかの楽しみになる。
そうして、別れの時はやってきた。
「じゃあな、兄貴。まいも……」
舞冬はなつめを見つめ、苺から腕を離した。彼の姿はゆっくりと消えていっているが、永遠の別離ではない。
そう示すようになつめが明るく笑い、舞冬に手を振った。
「――またな!」
「あぁ、また!」
その言葉は再会に向けての第一歩。
苺は消えゆく舞冬を見送り、そっと唇を開いた。紡がれる歌が神域に響く。
――これは、貴方を待ち続けるための歌。
●藤彩の思い出
戦いの終わり。それは別れを意味することだと分かっていた。
神が約を結び、厄を退けたことを確かめた菫は静かな感慨を抱いている。
橋の欄干に腰掛けている菫の隣には藤が座っていた。二人とも水面の方に足を向け、気儘に爪先を揺らしている。
「ひとつの愛に幕が下りたんやね」
「立派やったよ、すみれ」
「藤ねえも勇敢やったわ。ずっと一緒にふたりでいたい、くらい……」
「うちも、そう思う。けどうちはもう還らなあかんみたい」
「……わかってる」
「ふふ。我儘を言ってみたかったんやね。可愛い妹やなぁ」
よしよし、と菫を撫でた藤は穏やかに微笑んでいた。神域に朝焼けの色が滲んでいく度に藤の身体が薄れていく。
「キミの凡てはうちが、持っていくから」
「ん、お願いするね」
「――ね、とこしえの約束だけさせて」
黄泉に還っていく藤の周囲に美しい幽世蝶が飛んでいる。約束の返事の代わりに、とびっきりの笑みを浮かべた藤。
その笑顔を憶えて、いきていこうと決めた菫も微笑む。
ゆら、ゆらり。水面に映る爪先はひとりぶん。それでも――心は満たされている。
●心迷は未来のために
神域のところどころに現れたまぼろし橋。
そのひとつの上に立つ千織は、母との別れを惜しんでいた。
「母様……」
「えぇ、えぇ。よく頑張りましたね、千織」
母は千織の勇姿をしかと見守っていたと告げ、優しい声を掛けてくれている。神域に宿る色は美しい朝の色に変わっていっている最中。
きっと完全な朝が訪れたら母の姿も消えてしまう。皆、黄泉に帰るのだろう。
「私は……彼らみたいに越えられるかしら」
「あなた次第ね」
「……そうね。母様と同じようにしては、いけない」
「大丈夫よ、また桜は咲くから」
千織が密かな決意を抱いていると、母は静かに微笑んでみせた。それは千織が友に向けて抱いていた思いと同じだ。
誰かと同じ部分があってもいい。
違う部分も大切にしたい。母はそのように告げてくれているようだ。そして、深く頷いた千織は母に花笑みを返す。
「さようなら、千織。――どうか元気で」
淡い光と共に消えていく彼女の眼差しは、清らかで美しいものだった。
●夢の力は何処までも
まぼろしの橋から少し離れた場所。
神域に立つ鳥居の近くに立っているのはバルタンと零時だ。二人は想い人を見送る猟兵達を遠目から見守るつもりで此処にいるようだ。
「一件落着デース!」
いつもの明るい口調に戻ったバルタンは零時の無事を大いに喜んでいた。元々心配などはなかったが、やはり零時は強いと実感したらしい。
「いっけんらくちゃく、で-す」
その横にはバルタンの真似をしている夢想の魔人がいた。
全然似てねぇ、と笑った零時は明るい表情を浮かべている。自分が昇華した技を使ったことで魂は救われた。そのことが零時に更なる自信を与えている。
「そういや、夢想は黄泉に還らなくていいんだよな?」
「そうだねぇ、私は元々レイジの持ってる書にいるから別にお別れじゃないよ」
「では一緒に皆さんのお見送りデスネー!」
「ですですねー!」
「そっか! それなら良かった!」
夢想は枕を抱き、ふわふわと零時の横に浮いている。バルタンの真似っ子が気に入ったらしい彼女は実にマイペースだ。
バルタンは眠たげに目を擦っている夢想を暫し見守った後、零時に向き直る。
「零時殿、アレをしましょう」
「アレっていうと……ああ、そういうことか!」
笑みを宿したバルタンが片手を掲げたことで零時も理解した。そうして、向かい合った二人はぐっと掌を握り、拳同士を突き合わせる。
「ワタシ達の友情の勝利デース!」
「おう、俺達の意志が勝った祝いだ!!」
零時とバルタンが重ねた思いもまた強いものだ。愛に優劣も貴賤もないのだと身を以て示した二人は、快い気持ちを交わす。
彼らの様子をのんびりと見つめる夢想は、楽しげにふわふわと笑っていた。
●形在るもの
「昊くん、またお別れだね」
「まぁ、な。そもそもこうやって逢えることが奇跡みたいなもんだ」
師匠と弟子は今、橋の欄干に肘をついて空を見上げていた。別れを悟っていても二人の間に悲壮感や寂しさのような感情はない。
明けていく天涯の色は紫苑の花のような色彩に染まっていた。
昊と一緒に空を眺められること。この時間にささやかな幸せを感じた志桜は、先程までのことを思い返してみる。
「わたし、まだまだだったなぁ。昊くんに助けてもらってばかり」
「阿呆か。オマエに力量で追いつかれてたら、師匠の面目丸潰れだろうが」
「あはは、そっか。まだわたしは弟子……って、いたたたっ!」
昊は志桜の頬を摘み力を込めた。本当に痛い。しかし、この痛みこそ自分達が一緒にいるという証でもある。志桜と昊はそれから暫し言葉を交わした。
「じゃ、そろそろ行く」
「……うん」
「そうだ。前に話してた奴に伝えておけ。志桜を不幸にしたら、師匠の俺がぶっ飛ばしに行くってな」
「え? 昊くん、それって……!」
振り向いた昊は不敵に笑って見せ、志桜に手を振る。
次の瞬間、彼の姿が静かに消え去り――朝陽を受けたブレスレットが淡く輝いた。
●愛の温もり
訪れたのは二度目のお別れ。
ずっと、こわかった。これまで信じられないでいた。
本当の娘ではなく代わりとして連れて来られた子だから。ブルーベルの家の人達は自分を無理矢理に愛しているふりをしているのだと考えていた。
けれども、今は違う。そんなことは考えなくてもいいのだと思えている。
「ルー、ルーシー」
それから、ララ。
レイラは慈しみを籠めてルーシー達を呼んでくれている。抱きしめてくれた。支えてくれた。抱く心が何処までも優しいことを、ルーシーは知っている。
少女は新たな愛を識った。血が繋がっていてもいなくても、心は通じる。
「お母さま」
ルーシーは多くを語らず、両腕を伸ばした。
(――今度はわたしからお母さまを抱きしめたいから)
そっとレイラの背に腕を回せば、彼女は受け入れてくれた。ちいさな少女のぬくもりを確かめるようにレイラは目を瞑る。
「二人とも、大好きよ」
ルーシーも倣って瞼を閉じ、レイラの腕の中に収まる。
そして、次に目を開いたとき。其処にはレイラの姿はなかった。代わりにひらりと舞う蒼蝶が少女に寄り添い、翅を羽ばたかせる。
蝶を迎えたルーシーの表情に憂いはなく、安らいだままだった。
●歌の舞台に桜咲く
「とうさん!」
「良い舞台だったな。これが新たな死で彩られなかった終幕か……」
呪が収まった後、リルは両親の元に游いでいった。ノアは己の目で見届けた愛と呪の舞台に深く感じ入っているらしく何度も頷いている。
エスメラルダはノアの指揮で他の歌姫と謡えたことが嬉しいらしく、黒の尾鰭をぴるぴると揺らしていた。ヨルも合わせて羽をぱたぱたと動かして喜びを示している。
「かあさんも……」
ただいま、と改めて両親に伝えたリルは別れの気配を悟っていた。生と死が繋がる場所は多いようでいて少ない。また見送りをするのだと思うと寂しかったが、会えなくても二人は自分を見守ってくれていることは分かっていた。
ノアとエスメラルダはリルに触れ、指先でそっと頬を撫でる。リルが誰を好いているかは二人とも分かっていた。それでも先ず自分達との別れを告げに来てくれたことが嬉しいというように、エスメラルダは微笑んでいる。
「愛しい者の元に游いでいくといい」
――いってらっしゃい、リル。
ノア達はリルに神域の中央にいる神達のを示し、いきなさい、と伝えてくれた。消えるところを見届けさせるのは寂しいと考えのことだろう。
「うん……。いってくるね、とうさん、かあさん!」
リルは最後に二人をぎゅっと抱きしめてから、尾鰭を翻した。向かうのは誰よりも大好きで愛しいひとのところ。
游いでいくリルの背をノアとエスメラルダが見送る。その眼差しはとても優しく、二人は笑みを重ねた後、消えていった。
●葬送と見送り
数多の幽世蝶が舞う神域の天。
水面の地表に咲いている花は次第にひとつずつ枯れていっていた。しかし、その光景はとても美しいものだと感じる。
「おまえ……視ているか、この奇跡を」
ヲルガはからくり人形の腕に収まり、魂が黄泉に還っていく様を見ていた。
己に見送る魂はなくとも、呼ばれた者達を見送ることは出来る。ひらり、ひらりと羽ばたく幽世蝶は魂を運ぶもの。
まぼろしの橋の向こう側は黄泉への道。忘却の中にいても、生を繋いだ自分達が行けるところではない。
少なくとも、今はまだ。
ヲルガはからくり人形の頬に手を添え、口許を静かに緩めた。
きっと、此処で起きたことのひとつずつが奇跡を起こす切欠になったのだろう。光の軌跡を残しながら飛ぶ幽世蝶を見送ったヲルガは想いを巡らせる。
もし、此処にまぼろしの橋が現れなければ。
これほどまでの想い人が集まらなければ、囚われた魂を引き剥がせなかった。
愛贄となった者が七つの首に宿らなければ、全ての魂を救えなかった。きっと、想いが集った結果が今という時だ。
そのように感じたヲルガは、からくり人形と共に明けていく空を振り仰いだ。
「呪は喰らわれ、花と成る。あぁ――美しき結末だ」
皆、愛を識っている。
想いの花は枯れていったが、それは終わりを示すものではない。花が枯れた後は種子が芽吹く。そうして其処から、新たな命が繋がれていくのだから――。
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●導きのさくら
「……師匠、本当にいくの?」
「もう決めていたということなのか、イザナ」
まぼろしの橋の上、櫻宵とカムイは硃赫神斬とイザナイカグラを見つめていた。その周囲には七羽の幽世蝶が舞っている。
蝶達は櫻宵の周りを回った後、橋の向こう側に立っている華蛇の元に飛んでいった。
イザナと神斬は今、彼女達と共に黄泉に行こうとしている。呪のせいで弱りきった華蛇達の魂を導く役目が必要だと判断したからだ。
「大丈夫。いつか戻ってくるよ、この神域に」
「師匠……」
神斬は静かに微笑み、永遠の別れではないのだと語った。役目を終えられるのがいつかは分からないが、完全に去る心算はないらしい。
その最中、一羽の蝶――美珠の霊が宿ったものがひらりと戻ってきた。
「そうだ、美珠はどうしたい?」
『みたまは……兄様といっしょにいる』
神斬が問いかけると、美珠は櫻宵が持つ脇差の柄に止まった。ふわりと羽が揺らいだ瞬間、美珠は白蛇の姿を取る。
産まれて生きてもいなかった魂の欠片である美珠は、どうやら無理に黄泉にいかなくてもいいらしい。彼女が望む限り、兄の傍で静かに存在し続けることだろう。
するとカムイが心配そうな表情で二人に問いかけた。
「けれど、イザナ達が二人で旅をするという約束が果たせなく――」
「魂のみでも旅は出来る」
心配するな、とイザナが答える。カムイは自分達のためにイザナ達が犠牲になったのではないかと考えたが、そうではないようだ。寧ろ二人が魂として同じ立場でいることで、これからも触れ合えるらしい。
「これが私達が下した決断だよ。何、暫く新婚旅行にでもいっていると思ってくれ」
「神斬!?」
新婚、という予想外の言葉が聞こえたことでイザナが赤面する。その様子を見ていた華蛇がくすくすと笑い、櫻宵に歩んできた。
『まぁ、憎むべきだと思っていた者はこんなにも可愛らしい神だったのですね』
華蛇はすっかり憑き物が落ちたかのようだ。神への恨みの根本が消え去ったわけではないだろうが、この二柱のことは認めているらしい。
「母上、皆をよろしくね」
焔兄様にじぃや、美鈴様。新と沙羅、スズリ。
もう皆と言葉を交わすことは出来ないが、彼らの魂はすくわれた。
『私の責任でもありますが、此度は神達に大いに甘えておきます。それと……母として、最後に我儘を願わせて』
「……ええ」
華蛇は櫻宵を抱き、その背を撫でた。
着物の下には刻まれた八岐大蛇の印が消えずに残っている。しかし、それはもう呪ではない。華蛇が宿していた陰の力が残っているだけだ。
『櫻宵……いずれ、神仙へと至りなさい』
この術式は負の感情を糧として育ち、宿主に生命力を与える。これからは世界に蔓延る憎悪の化身や蘇る絶望を喰らい、櫻宵の力としていってほしい。
「つまり命を食らった分だけ、私の寿命が伸びる……?」
『そうです。この術はそういったものとして作りました。ただ、あなたに生きて欲しかったからですが……愛する者と、永く添い遂げる力にもなります』
「でも――」
『共にいきたい者がいるのでしょう?』
どうするかは櫻宵次第だと告げた後、華蛇はカムイを睨み付けた。視線に気付いたカムイは背筋を伸ばし、彼女に誠意を込めた眼差しを返す。
「噫、母君。改めて櫻宵を私に――」
『禍津の神、あなたは櫻宵を護りなさい。もし息子を不幸にすることがあれば、私は地獄の底からでも蘇ってきますよ』
カムイが言葉を言い切る前に華蛇は厳しい言葉を向けた。されどそれこそがカムイを認めた証だと感じた櫻宵は嬉しさを抱く。
はい、と素直に答えたカムイの姿もまた可愛らしかった。日常が戻ってくるのだと感じた櫻宵が微笑む。
己の伴侶を見つめたカムイもまた、心の底からの笑みを咲かせた。
そして、イザナイカグラと硃赫神斬は幻橋の向こうに進んでいく。
幽世蝶達を連れ、神が黄泉に渡る。
「またね、サヨ」
「行ってくる。留守は頼んだぞ、カムイ」
「いってらっしゃい!」
「噫、任されたよ。この神域に桜を咲かせて待ち続けるよ」
二柱を見送った櫻宵とカムイは明けゆく神域の天を振り仰いだ。夜となった空には嵐が訪れたが、こうして暁の夜明けを迎えて巡っていく。
水面は美しい天を映し込み、静かで穏やかな波紋を創っていた。
そして、其処に白の人魚が游いでくる。
「櫻、カムイ! おかえり!」
想い人達との別れを経て、リルが二人のもとに戻ってきた。リルは櫻宵とカムイを後ろから抱き締め、愛しさを伝える。
そっと笑ってリルを迎えた櫻宵はその腕に触れた。カムイも同志に目を向け、これまでと変わらぬ愛が此処にあることを確かめる。
ひらり、はらりと神域の天涯にうつくしい桜の花片が舞っていく。
「終わったのね」
「いいや、始まったんだ。私達が歩んで、共にいきてゆく新しい路が」
「皆で紡いだ、花咲く桜と音楽……咲樂の路だね!」
噫、今日も――愛しき桜が咲いている。
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
●言祝ぎの名
愛によって紡がれた呪。
それはこうして未来を紡ぐものに変じた。その存在はもはや、愛呪ではない。
子を想う母が遺したもの。愛を識った神の力を受け、昇華された絆。
其処へ、新たに宿された名は。
――『愛祝』
❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤❀✤
大成功
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最終結果:成功
完成日:2022年02月27日
宿敵
『桜獄大蛇・愛呪』
を撃破!
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