アポカリプス・ランページ⑩〜スカー・オブ・エデン
●傷だらけの楽園
何千回、何万回と呼び掛けただろう。擦り切れた喉に鉄錆の味が広がるのを唾を飲み込む。
本当は「弟」には聞こえていない事なんてとっくに分かっていた。
今もそうだ。手元の携帯端末を憑り付かれた様に覗き込み、昔よりも細くなった指で研究データを送り続けている。丸めた背中、擦り切れた白衣と合わさり、地上をさまよう亡霊となった様な…それでも、誰よりも愛しい弟。
「はい、はい、全てはポーシュポス様の望むように…」
その白々とした頬も、か細い声も。みんな、みんな心配なのに…それでも言葉は届かない。歌に、搔き消されてしまう。
それは恐怖を掻き立てる旋律だ。あらゆる生き物の寝静まる、深い夜の底で鳴く怪鳥の様な…けれど歪な音色。それでいて、子をあやす父母の様な、優しく、包み込む様な慈愛の響きを持つのだ。
直情的でシンプルな思考回路を持つと自負する自分ですら、その支配からは逃れられない。そして悲嘆に暮れた賢い弟の心は一溜まりもなかった。
得体の知れない声を受け入れ、縋り付いて、塗り潰され…そうして外なる神の忠実なる僕と成り果てたのだ。
(だけど、だけど…!)
手に掛ける事は出来ない。たった一人の家族を見捨てる事なんて出来ない。
だから、何度だって絞り出す。邪神の呼び声を退けて。この声よどうか届いてくれと、その祈りだけが拠り所。
「アベル、しっかり、しろ、よア…ベル…!!」
俺達はまだ、果たさなければならない事があるじゃないか。
●墓標の在処
「覚えていたい事、忘れてしまいたい事。人にはどちらも幾つもあるだろう。あるいはその入り混じった、傷とも呼ぶべきものがね」
切り出したグリモア猟兵…ヴォルフガングの声音は、場に立ち込める甘い匂いとそぐわない苦み走ったものだ。
本日のお茶請けは季節のフルーツショートとジンジャーレモンティー。
グリモアベースであろうと足を止めた猟兵を茶会に招く事を止めない男は、甲斐甲斐しいまでの給仕を終えた後にぱきりと指を鳴らす。
気分が悪くなるから、口直しはあった方が良いと顔を顰めながら。
男の使役するナノマシン群によって宙で像を結ぶのは、荒廃した大地に佇む、どこか植物園にも似たシルエットの施設だ。樹木のようなシルエットは天を目指し、廃墟の中で異彩を放つ。
「場所はアポカリプスヘル、旧アメリカ航空宇宙局…NASAの研究施設跡地になるね。最も、今は全く別の建物になっているが」
説明がてら、男が指を横に振れば映像が建物の中に切り替わる。そこには全く同じ顔をした、片方は白衣と研究端末を持ち歩く線の細い少年と、入力補助を行う体に沿ったシルエットの戦闘スーツに電磁剣を差した精悍な少年の2人。
「今回の標的は彼らだ。この施設では生命に纏わる研究を行い、邪神…識別名「ポーシュポス」の元に送り届けているようなんだ。邪神の狂気から彼等を救出して欲しい」
「具体的にはどうすれば良い?」
「白衣の彼が持ち歩く端末、どうもアレが邪神の力の放出元であるようだ。ある種の儀式魔術を駆使した携帯用祭壇…ってところかな。破壊すれば影響力は低下していくだろう」
そこまで説明したヴォルフガングは手前のカップを傾ける。嚥下するまでの僅かな時間、静寂にも似たそれはむしろ躊躇の類いに見えた。
「しかしそれだけじゃあ完全ではない。支配の核になっているのは彼ら2人が抱える恐怖。それを取り除いて欲しいんだ」
「…彼らの恐怖、とは」
「…愛しき者の死だ」
男の言葉と共に映像は更に切り替わる。
研究室と思われる場所には無数の培養槽。羊水を漂う胎児の様に手足を丸めるのは…無数の、先程の研究員達の面影を宿す少年達。
ひゅっと誰かが息を呑む音が響いた。
そして理解する、この光景こそが研究室2人の心に刻まれた痛みであるのだと。
「この世界ではよくある話だ。激減した人口問題の解決の為、俺達の頼もしい同胞でもあるフラスコチャイルドを産み出す…」
けれど、とグリモア猟兵は眼差しを伏せる。命は何の保護もなく生まれるものではないのだ、そう独り言の様に呟いた。
「上手くいかなかったのは、その邪神とやらのせいなのか…?」
「いいや、違う。2人の技術不足に過ぎない」
故に、救いは容易くあるものではなかった。
「…既にこの施設は破棄されていたのだろうね。研究員の2人が生まれたのは偶然の産物に過ぎず、彼等を育てたのは自動再生の育成プログラムだ」
だから、彼らは求めた。
ライブラリの中にあった家族を。友を。仲間を。決して実を結ばないと知りながら、2人の血を引くものを。
「彼等を止める手立ては2つ。1つは彼等を倒し、研究施設ごと葬り去ること。戦闘力は君達に及ぶべくもない、多少苦労はするだろうが」
天高く伸びる塔は、皮肉にも墓標に似て。眠る死を増やすのもまた救いであろうか。
「もう1つは彼等を正気に戻し、共に弔いの儀式を行うこと」
端末さえ壊してしまえば、彼等は猟兵の言葉に耳を傾けるだろう。実用的な技術しか…弔いを知らぬ彼等に、その意味を伝えていく方法もあるだろう。
「どちらを選ぶかは君達に任せるよ」
「…ちなみに彼等の名前は」
「…カインとアベルだ」
傷だらけの楽園。
過酷で、けれど醜い感情とは無縁でいられた二人きりの世界。
絡み合った指は固く、強く。だからこそ、寂しい。
冬伽くーた
いつも通りの趣味全開、冬伽くーたです。
今回はアポカリプスヘルの戦争シナリオとなります。閉ざされた楽園を無遠慮に踏み躙った邪神の支配から、研究員達の救済をお願い致します。OPにもあります通り、それが彼等の終焉を以て為されるか、弔いを共に行うのかは参加者の皆様にお任せさせて頂きます(方法が割れた場合は相応の判定を行ってお返しします為、すり合わせは不要となります。
どちらの方法にせよ戦闘は発生しますが、彼等2人の戦闘能力は猟兵の皆様には及びません為、余程の事がなければ負ける事はありません。参考までに、アベルは施設の機体を用いた物理法則、精神へのハッキング、カインは電磁剣を用いた近接戦闘を仕掛けてきます。
彼等と共に弔いを行う場合、花や水、墓標などの必要なものは全て揃っている為、特に必要であれば彼等に声を掛けて頂ければ幸いです。
果てのない楽園はなく、無窮もない。それでも生きる理由とは。そんな風味のシナリオとなります。どうぞ宜しくお願い致します
第1章 日常
『暁に弔う』
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POW : 墓穴を掘り墓標を立てる
SPD : 周辺の手入れをする
WIZ : 祈りをささげる
👑5
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木常野・都月
◎
……。
今の俺は知ってる。知ってしまった。
大事な人が、いるという事を。
大事な人が居なくなる恐怖を。
じいさん。猟兵の仲間。実の家族。大切な人。
これ以上、じいさんみたいに居なくなるなんて、俺が俺じゃなくなりそうで。
失う事がこんなに怖いなんて。
だから、迷う。
一層の事、全て壊したらと、そう思う。
でも、それでも、人は、命は、生きていくんだ。
それは俺が野生の中で知った命の本能。
敵の物理攻撃は、手加減しつつ[属性攻撃]で凌ごう。
地の精霊様、武器、攻撃してくる施設か機材を狙って欲しい。
壊すか手放せれば上々だ。
精神攻撃はチィに防いで貰おう。
人の精神を預かる、月の精霊様のチィなら、何とかなるはずだ。
武器を無力化するまで、頼む。
生きていれば、いつか同じ場所に向かうから。
骸の海で会えるから。
今は自分の持つ、命の声を大事にして欲しい。
いつかくるその時のため、人は去る人を弔うんだよな。
去る人を見送るための儀式。
今の俺ならわかる気がする。
これが凄く大切だって。
俺は…俺はいつかその時が来たら、大事な人を弔えるかなぁ。
御園・桜花
「悼みを、ただ抱え続けるのはお辛いでしょうから」
UCで鎮魂歌と子守唄をメドレー
「貴方達の悼みが、少しでも痛みなく癒されるよう…話し合いに参りました」
「命は必ず死に至る。でも、命が絶えたからと言って、其の命との記憶や想いが絶える訳ではありません。其の命を知る方が居る限り、其の命への想いは続くのです。悼みを、只の痛みで終わらせない為に。其の命の死と向き合い、一生其の想いと寄り添って生きる為に。弔いを、行いませんか」
「死者を大地に還し、墓標を。刻むのは、貴方達の彼等に対する想いで構いません。そして花を。自分達が何時かどのように地に還りたいか考え、其のように場を設え、彼等への想いを語り掛けるのです」
栗花落・澪
※連携、アドリブお任せ
本当は全員救ってあげたかったけど
貴方達二人だけでも、生きていてくれてよかった
ごめんね
翼の【空中戦】を主体に苦手な接近戦対策として
★杖を防御盾代わりにも使用し【オーラ防御】で身を護りつつ
【聞き耳】であらゆる音を聞き分ける
目視するよりはやい回避行動
彼らを蝕む歌に上書きするように
【催眠術】を乗せた【歌唱】で心を乱し
【指定UC】の追尾で機械の破壊狙い
もしも僕らを受け入れてくれるなら
自分の怪我など厭わない
彼らの為に涙を流しながら
そっと抱きしめてあげたい
【祈り】も鎮魂曲も一緒に捧げてあげるから
どうか、彼らを眠らせてあげて
捧げるための花以外にも、足場に送るための★花園を広げ
共に弔いを
ケヴィン・ウッズ
戦うのは好きだけれど、無駄に戦うのは好きじゃない。
…面倒くさいから。
端末を破壊すれば終わるなら、それでいいだろ。
刀よりかチープウェポン使った方がいい気がするからそっちで攻撃。
他の味方と連携するならサポートに回る。
端末破壊できて相手が落ち着いてきたら、墓をつくろう。
墓参りとかあんましたことないし、墓をつくったことはないけど。
穴を掘ることくらいはできる。
満足するまで掘ってやるよ。
桜雨・カイ
【払暁】
どちらかを選ぶ…クロウさん、私は生きて欲しいです
簡単ではなくとも…死んだら何もできなくなってしまうから
戦闘:UC発動。
【天狗靴】で上下左右素早くかわしながら連携して攻撃
怪我させずに、武器や端末の破壊を優先
ハッキングも互いにフォロー
邪神の狂気の本の時もクロウさんに渇入れてもらいましたね
あの時から何度も共に戦ってきたから、怖くはないです
戦闘後:二人も誘って弔いの方法を教える
手を合せて静かに眠って欲しいと
…弔いは、自分の心を救う為でもあると思うんです
一人では辛い事も支え合えば前へ進めると思うから、きっと(自分も支えられたから、そう信じられる)
隣にいる人を、大切にして下さいね
杜鬼・クロウ
【払暁】◎
俺も、生きていて欲しいと願う(境遇知るも
コレは俺のエゴだ
だが譲れねェ
俺は゛総てすくいたい゛ンだ(傲慢にも似た
お前らの攻撃は
まるで子供の癇癪のようだわ
(行き場のねェ憤り、恐怖
俺がその立場なら…それでも)
UCで足止め
彼等の端末を玄夜叉で破壊
自我を取り戻す
あァ、そんな時もあったな
カイは本当に強くなった(目配せ
戦闘後はカイ達と白の花で弔う
手合せて黙祷
…きっと人生に正解なんざねェンだろうな
生きるコトは死ぬより辛くて苦しい時もある
今がまさにそうだろうよ
直ぐには無理だと思うが
前を向くしかねェ
自分達にこれから何が出来るか
ゆっくりでイイから考えてみ
その命、全うしてくれ
カイン、アベル
…未来はお前ら次第だ
五百崎・零
倒してしまえば簡単なんだろうけど、死にたくないのが普通だよね?少なくとも自分は死にたくないって思うし……。
自分は2人を正気に戻す方を選ぶよ。
※戦闘中はハイテンション
ひひ、ヒャハハ…というわけだから、オレと楽しく遊ぼうぜ!
銃で威嚇しつつ相手の動きを制限
その隙に近寄って端末の破壊を試みる
本当はずっと戦ってたいから正気に戻すのも惜しいんだけど、そういうわけにもいかねぇんだよなー。
アッハ、残念だよ……本当に。
※戦闘終わればテンションも元に
弔いの手伝い、するよ。
花をそえて手をあわせて……。
唐桃・リコ
◎菊(f 29554)と一緒
普段だったら全部壊した方が早えーなって思うけど
なあ、菊
大切なヤツと一緒にいられるなら
一緒にいられる方が良いよな
「弔い」は分かんねえけど、
2人で生きていけるならその方がいいんじゃね
菊の前に立って【Howling】!
まずは動きを止めて、気持ち悪い端末をぶち壊す!
おい!てめえの大事なやつはどこに居る!
そいつは触れんのか!抱きしめられんのか!
良く見ろ!聞け!目の前にいるてめえらを感じろ!
オレの隣にいる「1番」大切なヤツの死を思い浮かべる
……凄く冷たくて、痛い
…菊
菊の弔いは、オレがするからな
……なあ、すげえ寒い
菊・菊
◎
リコ(f29570)と一緒
殺してやろうって思ってた
勝手に造ったくせに
腐らせてんなら、殺しちまった方がマシだ
羊水の濁った音が懐かしくて
胸糞悪ぃ
でも、リコが
勝手に惨めになる俺の手を引く
逃げんなって
おれだって、生きたいよ
お前と
あー、勝手に先行くし
…ひひ、眩しいだろ
このクソ鈍感純粋馬鹿正直野郎
やっと聞こえたかよ
『最悪』
咲いた菊が、ぽうと燃えて
花びらが触れたなら、生まれなかった命を灰へ
これでみんな一緒だって、祈りな
いさよふ雲へ
それが弔いだ
肩に感じる熱を撫でてやった
リコが寒いなら、俺が、あっためてやんの
…ひひ、盛大にしろよ
なあ
俺、寂しがりなの
リコ
すぐ、追いかけてこいよ
あっためてやるから、な
●楽園救済
ろおおん、ろおおん。
度重なる略奪と年月の侵食を受けた廃墟の街を、亡者の呻き声の様な風が通り抜け、乾いた大地から砂煙が沸き立つ。その煙にすら隠される事のない塔は、滅び逝く世界に建つ墓標そのものであると知る者は今やほんの僅かだ。
その些少に足を踏み入れた猟兵達は各々の思いを秘め、次々と塔の門を潜る。掛ける言の葉はそれぞれの色と形であっても、願いは、求める結末はきっと一つだから。
(今の俺は知ってる。知ってしまった)
都月はきゅうと鳴る心臓にそっと握り拳を当てる。とくとくと鳴る心音はいつも少し早いリズムを刻む。
塔を駆け上がって来た事だけが理由ではないと、青年はもう知っている。
(大事な人が、いるという事を。大事な人が、居なくなる恐怖を)
とても、とても幸福でありながら、喪う事を想えば真冬の森よりも尚青年の躰をしんしんと凍て付かせていく。
色を喪う頬、笑み彩られる口、遠い記憶の優しい手――そして、いとおしさに潤む青。
全てが脳裏を駆け抜けていく。刻まれた死が呼吸まで早めていくかの様だ。
これ以上喪えば、自分が自分ではなくなりそうで。
(だから迷う)
一層の事、全てを壊してしまえたらと思う。
そっと息を吸う。青年の優れた嗅覚は僅かに流れてくる花の香りに隠れた、饐えた死臭もまた感じ取ってしまい、余計に天秤が傾くのを感じる。
渦巻く影、それは狐として育った青年が、与えられた水では人として咲いたが故に抱える事となった仄暗さであろうか。
(でも、それでも)
「人は、命は生きていくんだ」
その事を、今から証明しよう。
進んだ先、花畑の中でこちらを睥睨する2人に。
そこは、おおよそ人が予想する荒廃世界とは異なる風景であった。
季節を無視し、無数の花が咲き乱れる丸々温室の様になった頂上階。第六勘で導かれた、ふたりだけの楽園。
天井は技術の粋を凝らした硝子張りだ。遮るもののない光に照らされているのは件の双子だろう。椅子を蹴倒し、油断なく立ち上がったその顔は侵入者への殺意が滾る。
2人で並び立ちながらも、互いの目線は交わらない。掌もまた擦り合わない。1人、1人として都月の前に佇むのだ。
「侵入者は排除する」
「全てはポーシュポス様の御為に」
誰何すらもなく、壊れかけのラジオの様にひび割れた声と共に、双子は花を蹴散らし動き出す。
舞う花の中でも禍々しく輝く赤の電磁剣を携え、先に踏み込むのはカインだ。身を隠す様に腰を落としながら接近、掬い上げるかのように下から一閃。斬撃は逆巻く風刃を纏い、都月に牙を剥く。
「地の精霊様!」
対する都月は術士としての力を惜しみなく振るう。愛し子の呼び掛けに応えた精霊、彼の者の作り出した土壁に阻まれた。
刃にて両断された土壁は相応の重量を以てカインに降り注ぎ、堪らず後退する。
「…全ては、ポーシュポス様の為に!」
その間隙を埋めるのは異音。聞く者の恐怖を煽る不協和音の群れ…即ちアベルの精神操作。
壁に手を突き、恐らく施設の電子設備とリンクしたのだろう。首から伸びる有機ケーブルを伝い、悍ましい音色が響き渡る。
「チィ!」
精霊に代わり、主の肩から跳躍するのは月の精霊・チィ。その小さな体を震わせ、主を守らんと鋭く鳴いて応えた。
くるりと巻いた月尾から漏れる優しい光は、柔らかく辺りを照らす。
「ありがとう、チィ。楽になった」
主の足を文字通り足場として、とととんと駆けあがって来たチィに都月は目を細める。
事実、先程までの脳を直接揺さぶられるような苦痛は随分と和らいでいた。
――反撃には十分だ。
大地に根差すもの、それ即ち地の精霊の領域に他ならない。
散りて空を舞った花に手を翳す。
さらさらと流れ集う、いのちのいろ。
彼等が耳を塞いでしまった、いのちのこえ。
今、此処に還そう。
「…精霊様、精霊様」
どうか、もう一度彼等に祝福を。想いを込めて空へと花弁を放てば、ぱきり、ぱきりとその根を伸ばし双子を絡め取る…!
振り払わんとする手よりも伸びる草花の勢いは強く、堪らず2人は地に足を突く。アベルの手から零れた端末が地に落ち、液晶に罅が入る。
「…計測不能、ライブラリに存在しない不可知エネルギーに伴う攻撃」
「う、く…!」
2人の傷を厭わず足掻く姿に、都月は痛みを覚えて目を伏せる。
森で良く見たクモの巣に囚われた蝶、いのちを削ってでも生きようとする姿に何処か似ている様で。
ならば、呪縛から解き放とう。そう新たな呪を口に載せる僅か一瞬前、鋭くカインは叫ぶ。
「や、れ、アベル…!」
「…緊急措置シーケンス、「バベル」」
遣り取りの答えは直ぐに訪れた。
兄弟の座す一帯がその名の通り、崩壊を始める。眼を見開き、咄嗟に駆け寄った狐月の前で彼等は暗闇の底へと飲み込まれていく。
「…!」
(俺はまだ、2人に伝えたい事も伝えていないのに)
唇を噛み締め、青年はそのまま飛び込んでいく。
ぽっかりと空いた深く、暗い空洞の先を目指して。
●「生命維持槽室」
「都月君は大丈夫かな…」
「お知り合いなのですか?」
「うん、大事な友達なんだ」
硬質な床と反響する自分達の足音が耳に突く。それもざわつく自分の心のせいか、と嘆息する栗花落・澪(泡沫の花・f03165)に、御園・桜花(桜の精のパーラーメイド・f23155)が桜色の髪を揺らし、問い掛ける。
そう、決して少なくない年月を共有してきた友。だからこそ、彼の横顔に過ぎっていた陰が気になってしまうのだ。
塔は広大であった。通常の設備であれば備え付けられたであろう案内板は研究施設であるこの場所には当然存在しない。
グリモア猟兵の予知内容…窓の景色等から、高層階の何処かであろうと予測はついた。しかし邪神案件ともなれば、時間を掛けるのは得策ではないと判断した猟兵達は、ある程度固まった上での小集団での探索を余儀なくされていた。目標は「2つ」に全員が定めていたお陰で、混乱は少なかったのが幸いであった。
(思い詰めたりしてなければ良いんだけど…)
友の事は気になる、けれどここは既に戦場。一瞬の油断が死を招くことなど、都月と並ぶ歴戦の猟兵である澪には痛い程に分かっていた。ぱん、と自分の頬を両手で張り、気分を切り替える。
「もう大分探し尽くしたと思うけれど…」
「2人はいませんでしたね、別の階に移動したのか。あるいは」
「まだ探し切れていないかだな」
接ぎ穂を引き取ったのは、ケヴィン・ウッズ(人間の剣豪・f34923)だ。うんざりした様子で青髪を払うその後ろから、五百崎・零(死にたくない死人・f28909)も顔を覗かせる。
「お帰り、そっちはどうだった?」
「ようやく当たりだ、死体が後生大事にカードキーを持っていた」
「蜘蛛の巣だらけだったよね…一緒に発見した他の4人が探し始めているよ。先に「子ども達」に行き当たりそうだね」
自身もまた袖口の糸を払う零の言葉に、澪と桜花の顔が引き締まる。
悲劇の始まり、産まれる事の叶わなかった子ども達。その重みはカインとアベル、双子達にしか分からないのかも知れない。けれど。
「悼みを、ただ抱え続けるのはお辛いでしょうから」
そう祈るように呟く桜花に、澪もまた頷く。全てを分かり合えなくても、重荷の幾らかを分け合うことはきっと、出来るはずだから。
ならば、と歩き始めた4人の耳に劈く様な崩落音が響いた。僅か遅れてフロアに伝わる振動に思わずたたら踏む。
「!…ここから近い!」
「例の区画からみたいだね…」
「カインさんとアベルさんでしょうか…」
「さあな、だがどっちにしろ一緒だろ」
頷き、誰からともなく駆け出す。邂逅は間もなくであろうと、誰もが感じながら。
●
…時は暫く逆戻る。
根気と勘により、閉鎖区画に侵入するカードキーを探し当てた一行は、別区画を探していた澪と桜花に声を掛けにいくケヴィン、零と分かれ、重々しい扉を開け放つ。
立ち並ぶのは生命培養槽。本来は疑似的な子宮を形成し、命を育むであろうその場、しかし似つかわしくない程の死臭が立ち込めていた。
少しずつ年代の異なる、カインとアベルの生き写し達。彼等の躰は培養液に生かされながらも…決して外に出る事は出来ない。
それを緩んだ口元、虚ろな目が雄弁に証明していた。口元から泡と零れる吐息は、彼等が自発的に行うものではないのだと。
「どちらかを選ぶ…」
その重みは、目前の惨事を前に桜雨・カイ(人形を操る人形・f05712)の肩に重く伸し掛かっていた。
グリモア猟兵は怒りを露わにしながらも、冷酷な2つの道を提示した。生の業苦と死の安寧、いずれかを非業の双子に与える道を。
置いていかれる悲しみも、見送らねばならない悲しみも。どちらもカイは知っているけれど。
相棒はどうだろうか。視線を送れば、凛々しい目元を和らげた杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)がそこにはいた。その力強くも、穏やかな眼差し。それに促されるように、カイは願う。
「クロウさん、私は生きて欲しいです。簡単ではなくとも…死んだら何もできなくなってしまうから」
「ああ、そうだな。俺も、生きていて欲しいと願う」
夜明けは見えなくても、涙で見えなくなったとしても。
生きていれば、いつか傷は癒えるから。それが例えエゴであっても貫き通すと決めたのだ。
「俺は゛総てすくいたい゛ンだ」
傲慢と謗られようとも、それだけはクロウの譲れない願いだった。…それはきっと、カイにとっても。
(殺してやろうって思ってた)
死に淀む水槽を目の当たりにした菊・菊(Code:pot mum・f29554)の口から舌打ちが漏れる。実に「最悪」な気分だった。
(勝手に造ったくせに。腐らせてんなら、殺しちまった方がマシだ)
それこそまるでマウスか何かの様に。慈しまれる事なく生まれ落ち、目的が果たされた後に捨てられた…過去が少年の腕を掴む。忘れるな、そう言うかのように。
目を逸らそうにも、辺り一面にゆらゆらと漂う人。人。人…無数の亡骸が菊を捉えて離さない。
それは有り得たかも知れない過去。有り得たかもしれない現在(いま)。
漂う人工羊水が懐かしくて、そう思う事すら胸が悪くて、固く拳を握り締める。
じわり、じわりと血の気の引くそれに…けれど温かな温もりが重なる。
はっと隣を見れば、同じく培養槽をじっと見つめる唐桃・リコ(Code:Apricot・f29570)の姿がそこにはあった。
「普段だったら全部壊した方が早えーなって思うけど」
言葉と共に、重ねた掌がほんの少しだけ強まる。
けれど、それだけだ。取り乱す事なく言葉を切ったリコは菊を振り返らずに。
「大切なヤツと一緒にいられるなら、一緒にいられる方が良いよな」
弔いはリコ自身にも分からないけれど、2人一緒が良い。
そう言って、菊の腕を引いて進んでみせるのだ。
その言葉はカインとアベル、今は近くて遠い兄弟だけでなく――
(こうやってリコが、勝手に惨めになる俺の手を引く)
菊の背も押すのだ。逃げるなと、独りでいなくなるなと孤独にさせてくれない。
それがどれだけ心強いか。どれだけこの温もりに救われたか。きっとこの狼は分かってなんかいやしないのだ。
だから。
「…ひひ、そんなの当たり前だろ」
(おれだって、いきたいよ。お前と)
だから、肩を並べていよう。隣の男に浮かぶ顔を、今だけは知らんぷりしてやって。
だって自分はもう、なにも選べない子どもではないのだから。
彼等の決意を試すかの様に、ぴしりと天井に亀裂が走る。
咄嗟に飛び退いた猟兵達の元に双子は落ちていく。
その背を追う者、新たに辿り着いた者。
そうして役者は揃い、舞台は幕を開ける。奈落に落ちる者、その手を取る為に。
●
落ちて来たカインとアベルは何とか受け身を取ろうと試みるも、あまりの高さに叶わず鞠の様にその躰は跳ね、床を転がる。
鈍い音は何処かの骨が折れた音に違いない。
それでもしっかりと端末を抱え、守り切ったアベルは執念の為せる業か。そのまま近くの培養槽の液を抜き、急速に2人の躰を癒す様に零はすうと目を細める。
(倒してしまえば簡単なんだろうけど、死にたくないのが普通だよね?少なくとも自分は死にたくないって思うし……)
けれど、邪神に操られているとはいえ、彼等の行動は何処か狂気じみた捨て鉢さだ。
まるで死に急ぐかの様な行いは相いれないが…思ったより「楽しめそう」ではないか!
「ひひ、ヒャハハ…というわけだから、オレと楽しく遊ぼうぜ!」
先程までの大人しさを戦の高揚で塗り替えた青年は、構えた銃型の悪魔召喚器から銃弾を幾つも放つ。
どぅん、どぅん!!
重く響く発砲音。正確に双子を捉えた鉛の雨は、けれど弟を守らんとカインが前に出て、弾丸を瞬く間に切り伏せる。
猟兵達にも引けを取らない、達人さながらの技巧はしかして代償を孕む。腕が上がる度に筋断裂が起きているのか、戦闘スーツの腕が朱色に染まるのが見て取れた。
その事がまた、零の興奮を誘う。思わず舌なめずり。
「本当はずっと戦ってたいから正気に戻すのも惜しいんだけど、そういうわけにもいかねぇんだよなー」
「…抜かせ!」
心底残念がる青年にカッとなったカインは自分の躰で銃弾を受け止め、彼の肉を断たんと突きを放つが、その軌跡を横から喰いついたケヴィンのチープウェポンが逸らす。
ガギンと鈍い音を立てて一瞬受け止めた刃は重く、ケヴィンの手に痺れが走る程だ。
「やっぱりこっちを選んで正解だったな」
凹凸に富んだ武器であればこそ上手く流すことが出来たが、受け止めるのに不向きな構造の刀であればもっと苦労していたに違いない。
「ヒャハハ、獲物の横取りはマナー違反じゃねぇか!」
「気持ちは分からないでもないが、今は違う目的があるだろ。…ところでアンタ、随分性格変わってないか?」
零とケヴィンは舌戦を繰り広げつつも、油断なく武器を構える。アベルに肉薄しようにも、カインもまた2人を容易に通すつもりはなさそうだ。
兄が猟兵2人と死闘を繰り広げる中、アベルも手をこまねいていたわけではない。一時的に力を増した事で精神面のハッキングと現実世界への侵食、その両面並行処理を開始。うぞりと、触手の様な闇色の腕が無数に生える。
そして少年はその体を闇へと翻す。自分の持つ端末が狙われている事を利用し、猟兵達を撹乱するつもりか。
(させない)
その動きを封じんと、カイは己の異能…【アルカナ・グロウ】を解き放ちつつ地を蹴る。
爆発的な加速力を背景に、その名の通り、背中に羽があるかのような振る舞いを可能とする天狗靴の力を合わせ、四方八方、自身の本体も操りアベルの行き先に現れては端末の破壊を試みる。
絡めとる糸を闇の腕で受け止め、少しでも距離を稼ごうとするアベルの顔には一切の余力はない。たまらず精神支配を試みるが…
「お前らの攻撃は、まるで子供の癇癪のようだわ」
「…!測定、不認知エネルギーによる、重力測定…!」
ピアスを指で弾いたクロウの【魔除けの菫】によって集中を阻まれる。歪愛の加護を受けた耳飾りから放たれる重力波は、少年を地へと縫い止める。苦悶の息が漏れた。
「邪神の狂気の本の時もクロウさんに渇入れてもらいましたね」
「あァ、そんな時もあったな。カイは本当に強くなった」
助かりました、と微笑むカイに気にするなと言わんばかりにクロウは目配せを送る。
阿吽の呼吸で追い詰めた少年をカイの操り糸が拘束し、今度はクロウが地を蹴る番だ。
その手には黒の大魔剣。狙いに気づいたアベルが咄嗟に端末を庇おうにも、四肢は動かずただ目を見開くのみ。
「だ、め…!それ、は、ポーシュポス様の…!」
「…取った!」
哀願にもクロウの剣閃は鈍らず、過たず端末を両断する…かと思えた。しかし、刃を受け止めた端末には甚大な大きな罅こそ入ったが、両断には至らない。
「予想以上に硬ってぇな!」
「祭壇としての力ですか…」
端整な青年達から発された言葉は警戒心に満ちる。今の手応えで確信した、あの端末はやはり邪神の一端。断ち切るには相応の力がいる。
ならばもう一度。肩に担いだ魔剣をクロウが振り被ったその時。
「だめ、だめ…!うばわナイで、コレ以上!!」
ぶつり。少年の背中から生えた1対の触手がカイの糸を振り払う。そのまま少年は転げるようにして闇へと駆け出していく。
幼子が恐ろしいものから逃げるような、どこか幼気で哀れみを誘う仕草は2人の心を締め付けるが。
「眷属化が進んでいます、早く彼を解放しないと!」
「やらせるかよ!」
カイとクロウは頷き合い、走り出す。戦いは混迷を極めんとしていた。
●
「ううん、やり辛いね…!」
闇から現れ、猟兵達を狙わんとする異形の腕を聖盾で弾きながら、澪が思わず漏らした感想はこの場に集う多くの猟兵達も共通していただろう。
目標となる端末の異常なまでの耐久性こそ厄介であるが、双子達の実力は猟兵の足元にも及ばない。
しかし、戦況の足枷となる点は幾つか存在する。
一つは、ここが彼等のホームグラウンドである事。地の利は戦況を左右する重要なファクターだ。猟兵達は見知らぬ場所への警戒に意識を割かざるを得ない以上、どうしても後手に回ってしまいがちだ。
加えて。
「子ども達を傷つけるわけには参りませんしね…」
本業らしく、器用に破魔の銀盆を扱い腕を牽制する桜花の溜め息が理由の2つ目。
死に物狂いで暴れる事に躊躇いがないカインとアベルとは異なり、猟兵達は出来るだけ双子や子ども達を傷つけないように立ち回っていた。
実力差が故に、猟兵達は幾らか攻撃の手を緩めねばならず、それが追い込み辛さへと拍車を掛ける。それでも彼等は実力と、その秀でた連携力で双子を追い詰めていたが。
ぶつり。
皮膚が裂ける生々しい音と共に、アベルの背に生えた触手に2人の顔は険しくなる。最早猶予はない事が、痛い程に分かった。
「…澪さん。私はこれから2人の為に幕を開けようと思います。ご一緒頂いても構いませんか?」
「セッションだね、もちろんだよ!」
共に妙なる歌い手、その力を異能の域にまで高めた2人に楽器は要らない。
すう、と息を継いで。華奢な娘は【魂の歌劇】を紡ぐ。
(貴方達の悼みが、少しでも痛みなく癒されるよう…)
そして痛みを、只の痛みで終わらせない為に。桜花は紡ぎ続ける、聞くことも叶わぬ子ども達にも届いてと一心に願いながら。
奏でる歌は澪の知らない旋律、けれど歌に託された願いは一緒だと分かった。だから、桜花の旋律を支えるように、時に隣り合うように。
澪もまた紡ぎ出す、彼らに送るーー優しい鎮魂歌を。
(貴方達二人だけでも、生きていてくれてよかった…ごめんね)
本当は、みんな、みんな。助けてあげたかった。図らずしももう一人の友と同じ願いを秘めながら、少女に見紛わんばかりの少年もまた謡う。
寄り合い、高め合い、更なる極地に上り詰める協奏歌は、弔い知らぬカインとアベルにすらも届いた。
震える指をカインは自分の顔に押し当てる。いつの間にか頬が濡れていた。気がつけば震えはもう隠せない
先ほどの培養液だと、自分を誤魔化せたら良かったのに。寄り添い合うような優しい音が、自分を離してくれない。
見知らぬ自分に、安らぎよ永久と囁く音色が、自分を独りにしてくれない。
(ああ、ああ)
ほんとうは、だれかにかなしんでほしかった。
自分とおとうとの、だいじな、だいじなこどもたちを。
ただーー分かち合って欲しかったのだ。
かしゃん、とカインが剣を取り落とす音が辺りに響き渡った。
●
優しく、魂を慰撫する歌は確かにアベルにも届いた。背中の触手が苦しみから逃れる様にのたうち回り、その質量には少年の痩身はぐらりと揺れる。
体は確かに苦しい、意識の醒めつつある今では、自分ならざるものに支配される感覚はおぞましく、内臓を引き絞られる様。
、、、、、、、、、、、、、、、、
だがそんな事はどうでも良いのだ。
目を逸らしたかった事に比べれば、些末でしかないのだから。
(ぼくは)
鉛の様に重い足を引きずる。
(ぼくは)
「…しょせん、人の、真似事しか出来ないんだ」
「そうやって逃げんのか?」
は、とアベルは顔を上げる。
自然と目指していた出入り口の先には、リコが佇んでいた。
「あー、勝手に先行くし」
その僅か後に菊も続き、相棒の肩に腕を乗せて笑う。そうするのが自然であるかのような振る舞いであったし、まるで元から1枚の符丁であったかの様に違和感を与えない光景であった。
皮膚の1枚ですら、本来は噛み合わない他人同士の筈なのに。
「うるさい。うるさいうるさい!!何も、何も知らないくせに!」
2人は自分が欲しかったものを既に持っているのだ。妬ましさで視界が赤く染まるかの様だ。アベルは苛立ちのままに、今度は合金の床を踵で鳴らす。
作り出された尖槍は蛇のようにしなり、過たず菊の心臓を狙うが、狙われた菊自身より先にリコが踏み込む…!
「てめえの大事なやつはどこに居る!」
人でいられる時間を代償に放つ裂帛の咆哮…その気迫に、遂に少年の動きは止まった。その手から端末…邪神の祭壇が滑り落ちる。
ああ、とアベルから啜り泣くような声が漏れた。これが覚悟の差なのだ。奪われない力を、襤褸の様になっても、ただ一心に求めた者と、立ち止まり怯えることしか出来なかった者との。
杏色の瞳は、決して逸らされない。
「そいつは触れんのか!抱きしめられんのか!」
少年は頭を振る。
違う、違う。自分が触れたいと思うのは。
抱き締めたいと、願うのは。
「良く見ろ!聞け!目の前にいるてめえらを感じろ!」
その言葉に、必死で片割れを探す。
あちらこちらと彷徨う、涙で歪んだ視界に…やがて映る、必死の形相で何事か叫びながら駆け寄ろうとする片割れ。
「アベ、ル…!」「カイン!」
何を勝手なと言われる事が怖かった。
哀しみに眩み、邪神を受け入れた自分が望む事なんて出来やしないと思っていた。
もう…隣にいる資格はないのではと、考える程に怯えて。
でも、本当は誰よりも兄の傍にいたかった。
痛みを分かち合いたかったのだ。
涙を星の様に、ぽろり、ぽろりと零しながら。
漸く、幾つもの年月とすれ違いを経て…カインとアベルの指は、再び絡み合う。
「…やっと聞こえたかよ。ひひ、眩しいだろ、このクソ鈍感純粋馬鹿正直野郎」
特徴的な菊の笑い声は、今は悪罵の色を含まない。
むしろ誇らしげに笑った菊は懲りずに双子を操ろうとする端末を、弧を描く蹴撃で空へと蹴り飛ばす。
「――やれ!このクソったれに分からせてやれ!」
この瞬間を狙っていた猟兵へと獰猛な笑みで告げるのだ。
「うん、分かっている」
――双子と共にフロアに落下した都月は、彼等とは対照的に傷一つ見当たらない。
大地の精霊の力を借り受け、その身に掛かる重力を緩和。緩やかに降り立った青年は精霊術を練り上げながら、静かに機会を窺っていたのだ。
双子を傷付けず、端末を打ち砕く絶好の機会を。
翳された手の前で樹木がうねり、一つの矢を形成していく。
それは楽園に遺された樹木。
この世で最も純粋にして、且つて不死なる神にすら死を与えたもの…即ちヤドリギの矢。
「生きていれば、いつか同じ場所に向かうから。骸の海で会えるから」
先程は届けられなかった言葉を、祈りに載せて。
愛し子の願いを受けた幻想の矢は――過たず邪神の祭壇を打ち砕いたのだった。
●
「本当に良いんだな?」
「…ああ、頼む」
ここはあまりに寒いから。そう泣き腫らした目でカインは微笑う。
邪神の支配が解けた2人は猟兵達の言葉を噛み締め、自分達の心で選んだ。
即ち、教えを乞いながら子ども達を弔う道を。
遺体の運び出しはその数と状態から困難である事が窺えた。
故に、それぞれの培養槽を柩と見立てての火葬をカインは望んで。
そうして、元来その覚悟と異能を携えた菊が弔い人を引き受ける事となったのだ。
青年の掌に咲いた菊が、ぽうと燃えて。
花びらが触れたなら、生まれなかった命を灰へと帰す。
震える声でカインが呟くのは、それぞれの子ども達の名前か。
「これでみんな一緒だって、祈りな」
いさよふ雲へ、それが弔いだ。そう呟いて。
菊自身もまた、穴から覗く歪な空を眺めれば、肩にとんと何かがぶつかる。
視線を遣れば、そこには先程まで隣で菊の弔いを眺めていたリコの頭が見えた。
菊の異能は美しく――けれど、炎の花はリコの目に空恐ろしくも見えた。
人狼である自分と、菊。遺された時間。そして、その先。その暗喩にすら想えて。
隣にいる「1番」大切なヤツの死を思い浮かべる。それは……凄く冷たくて、痛い。
指先がきんと冷える。温もりを求める様に、知らず指を菊のそれに絡めて、存在を確かめる様に名前を呼ぶ。
「…菊。菊の弔いは、オレがするからな」
……なあ、すげえ寒い。
そう身を震わせるリコの頭を、肩に感じる熱を空いた手で撫でてやる。
(リコが寒いなら、俺が、あっためてやんの)
それは、自分だけに許された特権なのだから。
「…ひひ、盛大にしろよ」
なあ。俺、寂しがりなのリコ。
「すぐ、追いかけてこいよ。あっためてやるから、な」
弔いは豪華な方が良い。
有り余る位の方が良い。
そうしたら――2人並んで眠っても、きっと困らないから。
弔いは、盛大な位が丁度良い。
●
「こんなもんで良いのか」
「…うん、十分じゃないかな」
その辺りに転がっていた園芸用のスコップを器用に扱い、庭土を掘るケヴィンに零は太鼓判を押す。
生まれも育ちもそれぞれが異なる猟兵達。ともすれば弔いの儀式も、見送る先も異なったが、ならばと双子が自ら提案したのだ。
塔の最上階、空と地を感じられる場所に子ども達を葬りたいと。
それにしても、とぽっかりと空いた大穴に、戦の高揚が抜けた事で落ち着いた零は感嘆を洩らす。
「随分丁寧に掘ってくれたんだね」
「…狭っ苦しいと窮屈だろ」
灰になったとしても、人は人であるのだから。
そうケヴィンはそっぽを向く。
「…そういうものかもね」
抱えた花に視線を落とし、零も頷いた。
自分が死を迎えた事にも、蘇った事にも感慨はないけれど…この時間は、そう悪くはない。
クロウとカイ、双子達は簡素な墓標の前で合掌する。
双子達も彼等に教わりながら、同じ様に手を合わせる。死者を想い、隣り合う世での幸福を願うのだとカイに教わったから。
(どこで)
どこで、自分達は間違ってしまったのか。そう思えば止まった筈の涙も流れる。
「…きっと人生に正解なんざねェンだろうな」
「え…」
頭上から降る声に、思わず双子が目を開ければそこには黙祷を続けるクロウ。
「生きるコトは死ぬより辛くて苦しい時もある、今がまさにそうだろうよ」
一番大切なものだけは互いの手に残ったけれど、双子は多くを失った。
それはクロウにも覚えのある感覚だ。逝くものにも、置いていかれるものにもそれぞれの苦しみがあると…青年は痛い程に知っているから。
それでも。
「直ぐには無理だと思うが前を向くしかねェ。自分達にこれから何が出来るか、ゆっくりでイイから考えてみ」
その生を全うして欲しいと、願う。…未来は彼ら次第なのだから。
「…弔いは、自分の心を救う為でもあると思うんです」
黙祷を終えたカイが、静かに体を傾ける。
自らの内に確かに存在する、愛おしさの残滓を確かめる行い。
一人では辛い事も、支え合えば前へ進めると思うから。
それをクロウや、友人達が教えてくれた。自分も支えられたから、そう信じられる。
「隣にいる人を、大切にして下さいね」
何より2人は、決して独りではないのだから。
何時かの夢浮橋でされた様に、クロウは2人の頭をくしゃくしゃと撫で。
何時かの展覧会の様に、カイは2人の名前を大切に、真綿でくるむように呼ぶ。
巡り、廻って、人は人を支えられるようになるのだと。何よりも雄弁に、証明してみせるのだ。
●
「お疲れ様でした、お疲れではありませんか」
「桜花さん…ありがとう、大丈夫です。桜花さんは?」
「私も皆さんと手を合わせるつもりだったのですが」
綺麗なお花を探していたら時間が、と抱えた腕を揺らして娘は微苦笑を浮かべる。
それなら、と感謝と共に案内すべく歩き出したアベルは、前を見つめたまま桜花さん、と小さく声を掛ける。
「お聞きしても良いでしょうか。…墓標には何を刻むべきでしょう」
いまだ根づく未練が、執着が、そこに刻まれてしまう気がして。
肩を震わせる少年の問いに、娘はあくまで自分の考えですが。と断り、話し出す。
「命は必ず死に至る。でも、命が絶えたからと言って、其の命との記憶や想いが絶える訳ではありません」
胸のどこか、柔らかな場所で想う限り。光はきっと…途絶えない。
「刻むのは、貴方達の彼等に対する想いで構いません」
ありのままで良い、そうあって構わないのだ。なぜなら。
「自分達が何時かどのように地に還りたいか考え、其のように場を設え、彼等への想いを語り掛ける…それが墓標なのですから」
何時か、自分達も隣り合う為の場所であるのだから。
「いつか、一緒にいられるでしょうか」
「ええ、貴方達がそう望むなら…いつか」
幻朧桜の前身たる娘は、柔らかな笑みで背を押すのだ。
●
「都月君!」
「澪先輩…」
やっと会えた!と駆け寄る澪を、都月もまた薄ら微笑んで歓迎する。
しかし、その笑みにこそ澪は眉を潜めた。まるで痛みを我慢するような、心細さを感じたのだ。
「大丈夫、ケガしちゃった…?」
「あ…傷は、全然。ただ…」
黒曜石の瞳に、手を繋ぎぐしゃぐしゃの顔でこちらに来る双子の姿が映る。他の仲間達が声を掛けたのだろう、その瞳に悲しみは色濃くも…それでも、光が灯る。
「俺は…またなくしても、俺でいられるのかなって」
「都月君…」
沈む瞳に、澪の表情もまた曇る。感受性に富んだ少年は、都月の苦しみを思い、その胸を痛める。
それは生きている以上、誰かを想う以上は避けられない必然。やがてくる痛み。
その時、自分が側にいる保証もない。けれど、だから。
「その時は、こうしてあげて欲しいんだ」
涙で声を震わせながら、精一杯に腕を伸ばして三人を抱き締める。目を見開く三対の瞳に、微笑みながら。
その手は情愛を含まない。
慈しみ、けれど彼らを信じる友の腕。
振り払われる事を恐れない、強い腕が温もりを与える。
逝く人に、涙する人の凍える気持ちを抱き締めてあげて欲しいと告げるのだ。
傷付く者、見守る者。それぞれを優しく揺らすように、柔らかな風が吹き抜ける。
例えそれが、飢え渇く荒野であろうとも。風は、どこまでも吹き抜ける。
大成功
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