●
――櫻一片、ひらひらと。真っ赤な水溜りにひたりと落ちる。
背の熱がどんどん失われていくのを否応にも感じながら、男は走っていた。
「Aide-moi! Aidez-moi, s'il vous plait!」
男は必死に叫ぶ。幾度も幾度も叫んで走る。けれど喉が切れる程に叫んでいるのに、声は誰にも届かない。
背負う小さな命が、どんどん失われていってしまう。そんなことはさせるものかと、男は泣きながらひた走る。
突如、頬に触れるぬるりとした感触。
背から伸ばされた小さな手が、か弱く男の涙を拭った。
――ああ、神よ。何故この子を連れて行くのですか。この子が助かるのならば、この命など幾らでもくれてやるというのに、何故!!
男は堪えきれずに慟哭をあげた。
白き地に頽れて、男は愛してやまぬ小さな体を抱き締める。
もう手遅れだった。手遅れになってしまった。もう男には、小さな命の灯が消えゆくのを止められない。
涙が溢れて止まらなかった。
その腕の中で、
「パパ……」
幼子は、命、尽きる。
●
「……サクラミラージュだよ。影朧を匿っているらしい人が居るんだ」
言葉を紡ぐのに、ほんの少しの間があった。
けれどもその表情には些かの変りもないまま、ディフ・クライン(灰色の雪・f05200)はとん、と背景のスクリーンを叩く。
映し出されたのは、サクラミラージュの小さな町と、ある桜の精らしき男の顔。ダークブロンドの髪と彫りの深い顔立ちが、異邦人であることを示している。
「彼はジョエル。仏蘭西から帝都にやってきた人でね。結婚して店を開いていたんだけど……ある事件で奥さんと子どもを亡くして、心を閉ざしてしまった」
店も閉じ、家は傍目から見ても判る程に荒れていたという。殆ど人前に姿を現さず、やっと姿を見せたと思えばほんの少しの食料を買い求め、また姿をくらました。
だがそれだけならばまだ、悲劇であれど猟兵の出番ではなかっただろう。
「彼は最近店を再開したんだ。誰もが多少なりとも心の整理がついたのだろうと思った。けれど、彼が何処から店に来て、何処に帰るのか。その足取りが全く掴めない。恐らく隠れているのだと思うけれど、そこにきっと、影朧も居るんだろう」
こん、とディフがスクリーンを叩けば、ジョエルの姿と店、そしてある催しの詳細情報へと画面が変わる。
「都合が良い事に、ちょうどその街の商店街では蚤の市が開かれている。解りやすく言えば、古物市だよ。各店の前に露店を出してね。所謂ヴィンテージやアンティーク、他にもハンドメイドの品を売っているんだ」
時計店ならばアンティーク時計や古い懐中時計。宝石店ならばアンティークアクセサリーやジュエリーボックス。家具店ならばアンティーク家具や照明。他にもヴィンテージ物の服や食器。小物。硝子工芸。
様々なアンティーク品やヴィンテージ品、一点もののハンドメイド品と出会えることだろう。
ジョエルもそこで露店を出すことがわかっている。彼の店は、故郷仏蘭西の品々。今回は時期柄かクリスマス商品が半分を占めている。ハンドメイドでペイントされた、硝子ボールのオーナメントや、木製のオーナメント。天使やサンタの置物が並べられている。
露店を冷かしたり買い物をしたりしながら、まずはジョエルの情報を集めるといいだろう。
スクリーンの映像を消したディフは、ゆっくりと息を吐いた。
「ジョエルの元に居るのは、多分子どもの影朧だと思う。本当の子どもではないだろうけれど……似てるんだろうね」
影朧の存在は、ジョエルとて知っている。その上でその存在を秘匿してしまう程に、愛しい我が子と似ているのだろう。
「知っての通り、サクラミラージュの影朧は皆の対処の仕方次第で転生することが出来る。どうするかは、現地に向かう皆の判断に任せるよ」
ディフの手の上で、灰の雪華を模したグリモアがくるくる回る。やがて万年櫻の世界へのゲートが開かれて、準備は整った。
「気を付けて、いってらっしゃい。皆無事に帰ってくるんだよ」
真っすぐに猟兵たちを見つめた人形は、転送を開始した。
花雪海
閲覧頂きありがとうございます。花雪 海で御座います。
十二作目はサクラミラージュより、桜雪舞い散る冬の街へとご案内致します。
●ジョエル:
仏蘭西から帝都に来た男性。祖国の特産品などの輸入販売店を営んでいます。
帝都に来て間もない頃、ある事件の際に言葉の壁を越えられずに妻と娘を亡くしており、その頃から心と口を閉ざしたまま今に至ります。
●第一章:
蚤の市(古物市)でアンティークやヴィンテージ、ハンドメイドの品を楽しみながら、ジョエルに関する情報を集めて頂きます。
詳しくは、断章を追加致します。
●第二章:
影朧を匿う場所を、様々な声を聞きながら駆け抜けます。
詳細は開始時の断章にて。
●第三章:影朧戦
戦闘力を持たない影朧です。
第二章までの参加者様の行動によって、ジョエルの行動が変化します。場合によっては後味の悪い結果になることも御座いますので、ご了承下さい。
●プレイングに関しまして
各章とも、プレイングの受付日時を設定しております。ご参加の際はお手数ですが、『マスターページ・各章の断章・お知らせ用ツイッター』などにて、一度ご確認下さりますようお願い申し上げます。
期間外に届いたプレイングは、内容に問題がなくとも採用致しませんのでご注意下さい。
それでは、皆様のご参加を心よりお待ちしております。
第1章 日常
『あなたのことを教えて』
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POW : 積極的に話しかける。
SPD : 関心を持たれそうな話題を提供する。
WIZ : 場を和ませるように、笑顔で接する。
👑11
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●
冬の、良く晴れた日の午後だった。
厳しかった朝の冷え込みも昼の陽気で温められて、今は心地よく冴えた空気が肺を満たしてくれる。
「雪はまだ降らないみたい」
通りすがりの誰かが言った。
今は櫻が舞い散るばかり。
古物市はそれなりに盛況だった。
小さな町の古物市は、状態の良いアンティーク品やヴィンテージ品が安く出回るということで、密かな人気を集めている。
アンティーク時計や懐中時計。繊細な細工に年月が味わいを乗せたジュエリーボックスやアクセサリー。古さがしっとりとした落ち着きを灯す家具や雑貨。食器や硝子工芸は上品且つ優雅に並び、ハンドメイドの雑貨や小物が温かみを付加していた。
ミルクホールの前にはテラス席が作られて、ミルクや珈琲、甘いカスティラやトーストなど、温かな軽食を提供している。
その一角に、異邦人の男――ジョエルの店は在った。
彼の露店には華やかな異国文化が咲いていた。仏蘭西人形、手芸品や食器などが店の半分を。もう半分を、仏蘭西から買い付けたのだろうクリスマス用の商品が占めていた。
硝子ボールや木製のオーナメントは、サンタや聖人、プレゼントにツリーなどが揃っている。天使やサンタの置物は陶器で、艶やかに存在を示し。そんな華やかな店先に立つ男は、それに不似合いの暗い様子で硝子ボールにペイントをしていた。
時折観光客が店を覗いても、ジョエルは終始無言で対応した。観光客が委縮して去っていくのを、他の店主や街の者たちは奇妙な距離感で眺めている。
気まずそうな、声をかけたいような、けれど出来ないような。
そんな雰囲気が漂っていた。
匿われた影朧をどうするのであれ、まずはジョエルについて知らねばならない。彼のこと、「子ども」だと推察された影朧のこと、そしてジョエルが姿を消す場所のこと。
猟兵の身分を明かせば、街の者は知る限りを快く教えてくれるだろう。ただし、ジョエル本人に話を聞くならばそうはいかないと、出発前にグリモア猟兵が言っていたことを思い出す。
そう。「ジョエルは言葉の壁を乗り越えられなかったから、妻と子どもを亡くしたのだ」と。
彼から直接話を聞きたいのならば、工夫せねばならない。
例えば高いコミュニケーション能力や、寄り添うような言葉。根気強く話を聞こうとする姿勢などがあれば、或いは――。
何を聞き、何を見、何を選択するのか。
まずはこの古物市を楽しみながら、選択の一歩を踏み出そう。
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●お知らせ
基本的には古物市を楽しんで頂ければ、自ずと街の人から情報が聞けます。ので、此方はどうぞ気楽に。
アンティーク品は色々なものが御座いますので、お好みのものを探してみて下さい。
買い物とは別に、ジョエル本人に接触しようとする場合は、技能や話を聞く姿勢などを工夫して頂くと、プレイングボーナスとなります。技能が無くともマイナスにはなりません。
また、現在のジョエルは【日常会話が出来るくらいには日本語を習得しております】。
ですので、フランス語で話せとかそんな必要は一切ありませんので、話しかける際は日本語で大丈夫です!
POW/SPD/WIZも一例ですので、自由にプレイングを書いて下さればと思います。
それでは、皆様のご参加を心よりお待ちしております。
●受付期間
【12/3 8:31より12/5 23:59まで】を予定しております。
受付期間外に頂いたプレイングは、内容に問題がなくとも流してしまいます。ご注意下さい。
灰神楽・綾
ハンドメイドのアクセサリをメインに見て回る
普段はUDCアースのショップで
シルバーアクセを買っているんだけど
たまにはこういうのも良いね
既製品には無いような細かい趣向が
凝らされていたりするし
世界に一つだけというのも心惹かれる
この蝶々が掘られたリング良いな…
こっちの羽根のペンダントも好きだな、悩む
店の人に「俺にはどういうのが似合いそう?」なんて
聞いて雑談してみようかな
ジョエルの店にも寄ってみる
接触は自信が無いから純粋に買い物目的
一通り眺めてクリスマスデザインの
洒落たマグカップを購入
それを眺めながら
…今回の件がどんな結末になったとしても
彼が本当の意味で立ち直って
店を続ける事が出来れば良いんだけど、ね
●
灰神楽・綾(廃戦場の揚羽・f02235)もまた、濡羽色の髪を風に流しながら市を散策していた。
蚤の市とはいうものの、古物以外にもハンドメイドの品が並ぶのがこの市の好いところ。普段はUDCアースのショップでシルバーアクセを買い求める綾にとって、サクラミラージュにて手作りされた品々は新鮮であった。既製品には無いような細かい趣向が凝らされていて、どれも世界に一つだけという事実が綾の心を惹き寄せる。
「たまにはこういうのも良いね」
宝飾店の露店を覗けば、新人の職人が作ったのだというアクセサリーが並んでいた。ベテランのそれに比べれば確かに技術は拙いが、それでも若者らしいデザインの目新しさがある。
「この蝶々が掘られたリング良いな……こっちの羽根のペンダントも好きだな、悩む」
それとあれと、見比べてはどちらがいいだろうかと一思案。
「ねえ。俺にはどういうのが似合いそう?」
人懐こい様子で店員に声を掛ければ、それを作ったのだという若い店員が嬉しそうに応対してくれる。あれはどうだこれはどうだと話すうち、やがて蝶の掘られた指輪を勧められた。掘られた部分には深緑から青へとグラデーションするシェルが使用されているものだ。似合いそうだと、店員は笑った。
「ありがとね。ところで、他にお勧めのお店はあるかい?」
会話の続き、次を求めてみれば、店員は暫し思案し――やがてひとつの店を指差す。
それは、ジョエルの露店だった。
「彼のお店はどうでしょう。外国製の珍しい雑貨がたくさんあります。……ちょっと、店員さんが、無口かもしれませんけれど……」
それでも是非、と言う店員の表情を、綾はひそりと観察した。
どこか申し訳なさそうな、罪悪感に似た様子があった。けれどそれが向けられているのは綾にではなく、視線の先のジョエルに対してに思える。
「……へえ、それはいいね。行ってみるよ」
その思惑には深入りせずに、綾は宝飾店を出た。
「どうも」
ここだけ外国に来たような、異国文化が咲く華やかな露店であった。
声をかければ、会釈を返したのはやつれた男であった。髪と同じダークブロンドの無精髭。目には生気が薄い。大病でも患ったかのようなやれつ方だった。
そんな男にかけるべき上手い言葉が見つからず、綾はただ純粋に買い物を目的とした。煌びやかな商品を一通り眺め、やがてクリスマスデザインの洒落たマグカップを購入する。ジョエルは終始無言ながら、それを丁寧に梱包して差し出した。
店を離れ、購入したマグカップを眺めて綾は一息つく。
ジョエルのやつれ方は尋常ではない。過去の事件とやらがジョエルにもたらした痛みは、きっと想像を絶するのだろうが、影朧の影響も少なくはなさそうだ。
街の者の、近づきはしないけれど気に掛ける様子を見ても、彼らも何か思うところはあるのだろう。
「……今回の件がどんな結末になったとしても。彼が本当の意味で立ち直って、店を続ける事が出来ればいいんだけどね」
手にしたマグカップに、櫻の花弁がひらりと落ちた。
大成功
🔵🔵🔵
水標・悠里
誰かを救おうとすること、そのために奔走し行動すること
その気持ちは私には分からない。けれどどこかで知りたいとも思っている
例え言葉の壁は無くとも通じ合えるとは限りませんから
ジョエルさんとお話を
蚤の市を適当に歩いた後彼の元を尋ねます
言葉は簡潔に
これは何、あれは何と指を指して尋ねます
私は異国という存在は知っていても、どれも用途が分かりません
初めて言葉を教わった時を思い出しながら、身につけると思しきものを体に当てたり、飾る場所を指差したりして質問します
「ねえ、姉さん」
だから少し浮かれて思い出しすぎたのかも知れない
それ以上は何も語りません
ごめんなさい、また後で
お代を置いて、少しでも早くこの場を立ち去ります
●
誰かを救おうとすること。
そのために奔走し、行動すること。
(「その気持ちは私にはわからない」)
賑わいの市を、水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)は歩む。視線は市の品物の上を滑っていく。
救いたかったものは既に遠い。だがそんな遠い気持ちも、どこかで知りたいとも思っている。それは自らの知識欲故か。欠けたなにかを埋め合わせようとする無意識か。
「……例え言葉の壁はなくとも、通じ合えるとは限りませんから」
呟いて、街を見渡す。世界はまるで他人事のように、歩みを止めないでいた。
蚤の市を適当に散策した後、悠里はジョエルの店へと足を向けた。
「こんにちは」
「……」
声をかけても、返ってくるのはやつれたジョエルの視線と会釈ばかり。他の店のような元気のよい応対はなかった。それは知っていたから、悠里も気にすることはない。
並ぶ品は、どれも悠里にとっては物珍しい。悠里にとっては、異国というものの存在は知っていても縁遠いもの。陳列された品はどれも用途がわからない。
だから、言葉は簡潔に。初めて言葉を覚えた時を思い出しながら、指差しで問うた。
「これは何?」
身に着けると思しきものを手にとり、体に当ててみてはジョエルを見る。何かの塔の飾りのものはブローチのようだ。「ここにつけるの?」と胸を指差し問えば、ジョエルも小さく頷いた。
あれは何と身振りと共に問えば、ジョエルは緩慢にでも反応を返してくれた。次は青の美しい卵のような、不思議なジュエリーを手にとってみる。繊細な装飾は美しいペンダントだが、それを見守っていたジョエルが不意に手を伸ばした。悠里がそっとジュエリーを掲げると、ジョエルの手がカチリと小さなボタンを押す。ぱかっと、ジュエリーの蓋が開いた。
ロケットペンダント。
存在だけなら聞いたことのあるそれ。実物を見るのは初めてで、装飾が美しくて、珍しくて。だから、少し浮かれてしまったのかもしれない。言の葉を手繰る為に、幼い時分を思い出しすぎたのかもしれない。
「ねえ、姉さん」
自然と口をついて出てしまった言葉は、それを発した悠里自身を凍り付かせるには十分だった。
やんわりと楽しそうな雰囲気で商品を見ていたはずの少年が、身体を強張らせる。
「……ごめんなさい、また後で」
そう告げるのが精一杯で。
震える指でお代を置いて、足早に背を向けて立ち去った。
様子が変わった少年の立ち去り際の顔を、ジョエルはぼんやりと見た。年若い少年にしては複雑すぎた慚愧の表情だった。
大成功
🔵🔵🔵
逢坂・理彦
賑やか市だね。蚤の市だと聞いたけどやっぱり世界が変われば売り物も変わるものだねぇ。
瀬戸物なんかもあるけれど目新しいものもたくさんだ。
【コミュ力】【優しさ】【第六感】
さて、ジョエルさんのお店はあそこかな。
こんにちは、貴方は外国の方だよね?
じゃあ、並んでる品は外国のものかな?
実は恋人に贈り物をしたいんだけど外国では恋人にはどんな物を贈るんだろう?よかったら教えてくれないかい。
(身振り手振りも交えながら恋人への贈りのおすすめの品を聞いて購入*品物お任せ)
ふふ、素敵な品をありがとう。
アドリブ歓迎。
●
「賑やかな市だね」
豊かな尻尾を揺らして、逢坂・理彦(守護者たる狐・f01492)はのんびり市を歩いていた。蚤の市、という言葉は理彦にも耳馴染みがある。けれど。
「やっぱり世界が変われば売り物も変わるものだねぇ。瀬戸物なんかもあるけれど、目新しいものもたくさんだ」
異国文化と日本古来の文化が独特に混じり合ったサクラミラージュの品は、和であり洋であり、新しくもあり懐かしくもある。これがこの世界の文化なのだろう。
「さて、ジョエルさんのお店はあそこかな」
一通り店を見て回った理彦は、ある露店に目星をつけた。華やかであるにも関わらず、立ち昇る陰気は理彦の勘が感じ取れるもの。
「こんにちは、貴方は外国の方だよね? じゃあ、並んでる品は外国のものかな?」
人懐こく、何処か見守るような懐深い目でジョエルと相対する。やつれきった顔は、確かにここ暫くまともに食事をしていないようにも見えた。
理彦の言葉にジョエルは小さく頷いた。街の者には反応すら返してくれないと瀬戸物屋の主人は言っていたが、街と関係ない者にはこうして反応は返してくれるらしい。理彦の優し気な雰囲気や、穏やかな口調も相まって多少なり彼の凍り切った心を溶かすのだろう。
「実は恋人に贈り物をしたいんだけど、外国では恋人にはどんな物を贈るんだろう? よかったら教えてくれないかい」
身振り手振りを交えて、何とか話を聞き出そうとする。けれどジョエルの口は開かぬまま。困った顔で理彦が並ぶ品々に目を落としていると、幾度かの咳払いの声。そして――、
「……私の、国、では。恋人には、花を、贈ります。花は、最も喜ばれます」
まるでずっと使っていなかった機械を、暫くぶりに動かすように。掠れた小さな声は、確かにジョエルの口から放たれた。ぽかんとする理彦の前で、ジョエルの目は商品を行ったり来たりしている。
「プレゼント、は、特別な時に、贈ります。けれど、愛を伝えあう、気持ちがあれば、なんでもいいのです」
ジョエルは賢明に言葉を紡ぐ。その言葉は、心から愛するということを知っている口ぶりだった。
そうして選んだのは、硝子のペアグラス。波のような柄は、翡翠と赤。
例えば普段から互いに使うそれを見て、繋がっている、と感じられれば良いと。そうして気持ちを言葉にして伝えあうのが、最も良いのだと。
掠れて聞き取りにくい声で、ジョエルはそう伝える。久方ぶりに喋ったからか、少し息を切らしていた。
「……そっか。じゃあ、それを貰うよ」
理彦が穏やかに告げれば、ジョエルは頭を下げて丁寧にそれを包んだ。
「ふふ、素敵な品をありがとう」
満足げに店を出れば、ふと、瀬戸物屋の主人が手招きをしているのが見える。首を傾げて理彦が近寄れば、何処か興奮気味に話しかけられた。
「貴方、今彼と話していましたか!?」
「うん? ああ、話したよ」
「ああ、なんと……! 私達ではだめだったけれど、お客様であれば彼は少しずつ心を開いてくれるだろうか!」
ありがとう、ありがとうと感謝されて、理彦は目を丸くした。理彦にとってみれば買い物をしただけなのだけれど、町の者にとって彼が口を開いたことは大事件だったようだ。
(「街の人たちは気まずそうだと思ってたけど、でも、気にかけられてるんだねえ」)
再びジョエルの店へと視線を向ければ、彼はまた露店の奥へと引っ込んでいた。
大成功
🔵🔵🔵
コトノネ・コルニクス
言葉は通じるらしいが、挨拶は仏蘭西語でしておくかの
故郷の言葉なんじゃろ?ちょっとはお喋りする気になるかもしれん
顔つきが仏蘭西の知人に似とったとか言っとこ
唸れ我のコミュ力〜。Bonjour!
なんじゃ店主、随分とどんよりしとるのー
そんな暗い顔では客も寄り付かんぞ
せっかくキラキラした商品並べとるのに、売る相手が来なくてはどうしようもないじゃろ
あれか、この寒さで風邪でも引いとるのか
違う?じゃあ年末大忙しで疲労困憊?
…お、コレ良いな
店主、この硝子の赤いのと青いのを包んでおくれ
土産にするでな
ははは、会話したくなさそうじゃなー
じゃがやめんぞ我。とにかく聞いちゃうぞ我
いやぁ我ってば空気読めんからの!すまんな!
●
たったか軽い足取りで、コトノネ・コルニクス(冠鴉のバズヴ・f22112)は鳥のように市を歩く。
赤の瞳に好奇心を湛え、羽耳を冬の風に揺らして辿り着くのは此度、口も心も閉ざしたらしい人の子の店。
今は言葉は通じる、と出発前にグリモア猟兵は告げていた。だが、挨拶くらいは仏蘭西語でしておこうとコトノネはくるりと思考を回す。
帝都で暮らす身だとしても、仏蘭西語は故郷の言葉。少しは心を許し、お喋りする気になるやもしれぬ。
会話の切っ掛けは……。
「ま、顔つきが仏蘭西の知人に似とったとか言っとこ。唸れ我のコミュ力~」
というわけで。
物は試し、そしてあとは勢い!
それではいざ尋常に。
「Bonjour!」
不意に聞こえた故郷の言葉に、ジョエルははっとしたように顔を上げた。その挨拶の言葉を聞くのはいつ以来だろう。
「Bonjour,madame」
にかっと笑うコトノネと目が合って、ジョエルは掠れた声で挨拶を返した。とはいえやつれきった顔はまるで大病を患った者のよう。また座って視線を手元の硝子ボールへと視線を移す様は、暗い。
「なんじゃ店主、ずいぶんとどんよりしとるのー。そんな暗い顔では客も寄り付かんぞ」
両手を腰に当てて、コトノネは息を吐いた。露店に並ぶ品はどれも異国情緒に溢れ、また置かれたクリスマス商品は皆美しい。
「せっかくキラキラした商品並べとるのに、売る相手が来なくてはどうしようもないじゃろ。あれか、この寒さで風邪でも引いとるのか」
晴れた日とはいえ、冬の午後の風は冷たい。ジョエルの服装は厚着ではあるようだがみすぼらしくもあり、あまり温かそうではない。
ゆるゆると首を横に振ったジョエルを見て、コトノネはこてりと首を傾げ。
「違う? じゃあ年末大忙しで疲労困憊?」
それも違うと首を振られる――かと思いきや、ジョエルは少し考えている様子だった。 店が繁盛している様子はないが、何か。そう、「何か」で忙しくはある。「そんな感じ」だと、コトノネの勘が告げている。すっと目を細めた。
その様もう少し観察してやろうと、次の話題を探して商品を眺めれば、ふとあるガラス細工が目に留まった。
「……お、コレ良いな。店主、この硝子の赤いのと青いのを包んでおくれ。土産にするでな」
硝子細工をジョエルが包んでいる間、コトノネはさりげなくジョエルが作業している机を見た。
硝子ボールと、そのペイントに必要な画材。筆。商品の在庫。一見変わったものはないが、その奥にもう一つ。作りかけの木彫り人形と、木箱が置いてあった。木箱に掘られた装飾は繊細な桜と仏蘭西の象徴であろう塔だ。
(「ははーん? これを作っとるのかな。でもなんか材料が足りなさそうじゃのう」)
動物の勘は意外と当たるもの。
それに関して切り出そうかと口を開きかけた時、ジョエルがコトノネの目線に気づいた。すぐさまさっと布をかけて、木箱と作りかけのものを隠してしまう。その行動が逆に、コトノネの勘が正しかったと告げていた。
ジョエルの表情は頑なだ。口は真一文字に引き結ばれ、梱包し終えた商品を無言のうちに手渡そうとする。
それがなんだかおかしくて、コトノネはかんらかんらと笑う。
「ははは、会話したくなさそうじゃなー」
わかっているならやめてくれ、と言いかねないジョエルの目線にも、コトノネは動じない。
だって会話を止める気がない。とにかく聞いちゃうぞ我。
いやぁ我ってば空気読めんからの! すまんな!
そんな感じで商品を受け取った後も、コトノネは会話をしようと試みる。
――或いは、街の者たちに必要だったのは、こんな根気強さだったかもしれない。
コトノネの様子を見ていた時計屋の店主は思った。
あの時も、そして今も、あんな風に根気強く彼と接してやればよかったのではないか。
遅すぎた事実に気づいた時計屋は、今はただ彼に声をかけてくれる者たちを見守った。
大成功
🔵🔵🔵
芥生・秋日子
普通に古物市を楽しみます。
アンティーク調のかわいい小物には惹かれるし、ミルクホールで甘味や飲み物もいただけるなんて最高だわ!
るんるん気分で古物市を物色。
件のジョエルさんの店にも行ってみたいと思います。
情報収集のためではあるけれど、純粋に並べられている品物に普通に興味があるわ。
えーっと―
仏蘭西ってことは「ぼんじゅーる」と言えばいいのかしら
いえ「ぼんそわーる」だったかしら
悩みに悩んで……
「こ、こんにちはー」
でてきた言葉は普通に日本語
職人が作業しているところを観察するのは好きです
故に、店主が硝子ボールにペイントする様をただただじっと見守る
「ああ、私のことでしたらお気になさらず。普通の通行人ですから」
●
芥子色の袴が足取りに合わせて揺れる。それは楽し気なステップで蚤の市を散策して歩く。
芥生・秋日子(普通の人・f22915)帝都桜學府の學徒兵である。普通に勉学と鍛錬に励み、その傍らで作家としても活動している普通の女の子。
故に、普通の女の子であらば、可愛いもの、キラキラしたものが並ぶ市には興味があるというもの。
「アンティーク調のかわいい小物には惹かれるし、ミルクホールで甘味や飲み物もいただけるなんて最高だわ!」
秋日子はるんるん気分で市を見回り、愛らしい雑貨を楽しんで。
ミルクホールでカスティラに舌鼓を打っている最中、ふと店員たちの会話が聞こえた。
「あの人、さっきお客さんとおお話をしたって」
「やっぱり街の人じゃなければ、少しは心を開いてくれるのかしら。でも、あの時はしょうがないじゃない……」
「何言ってるか全然わかんなかったもんね。血相変えてるのはわかったけど、怖かったもん。あたし逃げちゃったよ……」
(「まぁ普通はそうよね。知らない外国人さんに知らない言葉で必死に何かをまくしたてられたら、普通は誰か任せにしちゃうよね」)
温かなミルクを飲みながら、秋日子は声には出さずに同意した。知らない言語というものは、想像以上に圧力を生むものだ。そして結果として、ジョエルは妻と子どもを失った。それが現実だった。
そうして辿り着く、件のジョエルの店。
情報収集の為ではあるとは言え、作りやデザインから違う外国製の雑貨や、華やかなクリスマス用の品々は秋日子の興味を惹く。
いざ店先の前に立ってみたが、秋日子はまずなんと言葉をかけるべきか迷った。今は日本語は理解できるとは聞いていたものの。
「えーっと……」
仏蘭西ってことは、「ぼんじゅーる」といえばいいのかしら。
いえ「ぼんそわーる」だったかしら。
悩みに悩んで――、
「こ、こんにちはー」
最終的に出てきた言葉は日本語であった。
ジョエルは軽く会釈を返すと、また手元の作業に戻った。今は新たな硝子ボールに、赤と緑でペイントをしているようだった。
並べられている商品を一通り眺め終わった秋日子は、ジョエルの作業風景を見つめる。職人が作業しているところを観察するのは好きだ。手慣れた動作で素晴らしいものを作り出していく工程は、まるで魔法を見ているような気分になる。
ジョエルの作業風景をじっと見守っていると、視線に気づいたジョエルが顔をあげた。目が合う。
「ああ、私のことでしたらお気になさらず。普通の通行人ですから」
そういって笑えば、ジョエルは頷いてまた作業に戻る。秋日子はそれを、ただただじっと見守った。
大成功
🔵🔵🔵
ヒャーリス・ノイベルト
ジョエルさんの気持ちを考えると
胸が張り裂けそうです
学習力/世界知識でフランス語会話をマスターし
いつもの服で市へ
ジョエルの店で
クリスマス用品を目にしてフランス語で
ミシェル…私の小さな弟…
弟を思い出したように溢れる涙はジョエルを思ってのもの
優しさ/慰め
独り言のように
ミシェルはこの飾りが好きだったわね
一緒に飾ったあの日が最期になるなんて
店主に通じてるとは思わず
亡くした幼い弟を思う姉として
拙い日本語で
これ、ください
弟が好きだった飾りを買い求め
フランス語で独り言の様に事情を
両親が不在の時
弟が発作を起こし
医者を呼びに行ったが
言葉が通じず時間がかかって
それから私は笑えなくなったと
少しでも心を吐露して貰えれば
辰神・明
WIZ
家族と離れ離れは、大人の人も……寂しいです、よね
蚤の市で、色々見て回ります、ね
繊細な細工、ハンドメイド……!
あの、えっと……クリスマスって感じるもの、他にもあるです、か?
お兄様と、友達の、プレゼントにしたい、です
ジョエルさんがいる場所を、聞けたらなって……
ジョエルさんに会ったら、一礼して……あんしゃんて、です!
はじめまして、だけ……覚え、ました【世界知識、学習力】
サンタさん……!この木は、何です、か?(ツリーを示し
……ペイントするの、近くで見てもいいです、か?
難しい事は言えません、でも
キレーだから、近くで見たい、ですよ
ジョエルさん、寂しいの……とんでけー、出来たら、いいな【祈り、優しさ】
●
淡い紫の髪を靡かせて、辰神・明(双星・f00192)は蚤の市を珍し気に歩む。
こういう市というものははじめてで、目にするものは新しくて古くて、素敵なものばかり。繊細な細工。ハンドメイドの品々。それらは明の心を浮足立たせてくれる。けれども、今はジョエルの店を見つけねばならない気持ちが勝った。7歳の娘は勇気を出して、露店の店員へと声をかける。
「あの、えっと……クリスマスって感じるもの、他にもあるです、か?」
「おや、お嬢ちゃん。探しもんかい?」
「はい。お兄様と、友達の、プレゼントにしたい、です」
小さな娘の懇願に、ハンドメイドの品を売っていた店員は暫し考え、やがて奥にあるひとつの露店を指差した。
「あそこが一番、クリスマスらしいもんがあると思うよ。クリスマスってのは外国の行事だろ? あそこのは本場もんだよ」
何処か罪悪感を湛えた目が、ジョエルの店を見ていた。
――大人であれ、子どもであれ、家族を失った悲しみはきっと深いだろう。愛しければ愛しい程に、心に負った傷は深く深く痛みを刻み込むだろう。
「家族と離れ離れは、大人の人も……寂しいです、よね」
明がぽつりと呟く。同じ痛みではあろうはずもないけれど、全く知らない痛みではない。だから明はきゅっと、胸のあたりの服を握った。
同じ時、ジョエルの店へと辿り着いたヒャーリス・ノイベルト(囚われの月花・f12117)もまた、ジョエルの気持ちを想像していた。胸が張り裂けそうで、息が詰まりそうで。想像するだけで、苦しかった。
何か出来ることはないか。
ヒャーリスも明も、思うことは同じ。故に二人は一緒に声をかけた。
「Bonjour.」
「あんしゃんて、です!」
ヒャーリスは学習した仏蘭西語で、明はひとつだけ覚えた言葉で。一礼して顔を上げれば、驚いたジョエルが二人を見ていた。
ジョエルにとって、祖国の言葉は懐かしさを呼び起こすもの。それと同時に、流暢に話す言葉に、つたないながらも一生懸命話す言葉に、あの日祖国で出会った若い頃の妻と、幼かった我が子の幻影が重なった。
思わず潤みかけた目を隠すように、ジョエルは一礼して手元の作業に戻る。明とヒャーリスは顔を一度見合わせると、頷き合った。
「サンタさん……! この木は、何です、か?」
明がツリーを指差してジョエルに尋ねる。飾りではなく本物のもみの木には、木彫りの人形やオーナメントが飾られている。いつもなら無言で通してきたジョエルも、幼子の素直な問いに、硬くなった唇をぎこちなく解いた。
「それ、は、クリスマスツリー、知恵の木だ、よ。この木、飾るもの、全部に、意味が、あるんだ」
例えばと、自らが描いたばかりの硝子ボールのオーナメントを飾る。赤色で装飾されたそれは、知恵の木の実を象徴したものだと言う。丁寧に教えるジョエルの顔を、明が見上げてみれば、やつれた様子の中にも慈しみがあるような気がした。きっと優しい親だったのだと、明は子ども心に感じ取った。
ジョエルが明にツリーについて教えている間、ヒャーリスはジョエルの店のクリスマス用品を眺めていた。小さな木人形。星飾り。硝子ボールのオーナメント。順に映していた淡紫の瞳に、不意に涙が浮かんだ。
『ミシェル……私の小さな弟……』
流暢に流れ出る仏語は、哀愁を湛えていた。弟を思い出したように溢れる涙は、されど今はジョエルを思い流れたもの。ヒャーリスの胸は、ジョエルの痛みを思い今も苦しい。
『ミシェルはこの飾りが好きだったわね。一緒に飾ったあの日が最期になるなんて』
独り言のようにぽつり、ぽつり、飾りを指でなぞりながら言の葉を零す。店主に通じているとは思わず静かに涙溢るるまま、亡くした幼い弟を思う姉は悲しみに心を浸す。その言葉が店主に通じているとも思わずに。
やがてヒャーリスは弟が好きだった飾りをひとつ手に、
「これ、ください」
拙い日本語で、ジョエルに告げた。
「……貴方は、弟を……いや、やはり、いい」
受け取った飾りを丁寧に包みながら、迷うようにジョエルが小さく問う。やつれた顔で、どこか痛そうに。だが聞いてはいけなかったかと一度は否定し、目線を手元に戻した。
少しの間の沈黙。
それを先に破ったのは、ヒャーリスの独り言に似た言葉。
両親が不在の時に弟が発作を起こし、医者を呼びに行ったが、言葉が通じずに時間がかかって――。
「それから私は、笑えなくなりました……」
「そう、だったのかい……聞いて、すみません」
ズキン。
――ズキン、と。
ジョエルの胸が痛む。痛む。重ねずにはいられない。あの冬の日を――。
「……ペイントするの、近くで見てもいいです、か?」
顔を上げられぬままヒャーリスに商品を手渡し、作業机に俯いたままのジョエルに、明がそっと声をかけた。
難しいことは明には言えない。ただ、彼の作るものが綺麗だから、近くで見てみたくて。否とは言わなかったジョエルの傍で、緩慢に再開した硝子ボールのペイント作業を明とヒャーリスは見守る。
その手は迷いなく、繊細な模様を描きだしていく。赤と緑で描かれるそれは、正しくクリスマスを彩る実。
「……私にもね、子どもが、居たんだよ。丁度、お嬢さんと同じくらいの、ちいさな女の子が」
目線を上げぬまま、ジョエルが暗い目で呟いた。明という幼子の存在に、ヒャーリスの告げた過去に、ジョエルの心が少しだけ隙間を見せている。彼の目線は硝子ボールを向いたまま、誰と交わることもない。ただ硝子の中に、ジョエルは呼び起こされた遠い日の幻影を見ている。
「一年前の、冬。事故があって、ね。その時に、その子も、妻も、亡くしてしまった。妻は即死だったが、せめて、あの子だけは、助けたかった。……けれど、言葉の壁は、どうしようもなく、高くて……私は、助けられなかった」
ぽたり。
雫が硝子ボールに落ちた。
深く俯いたジョエルの顔は、明とヒャーリスには見えない。見えないけれど、きっとひどく苦し気な顔をしているんだろうことは、否応にもわかった。
一年前、と言った。
一年経って尚、深く刻まれたその傷は癒えてなどいない。
(「ジョエルさん、寂しいの……とんでけー、出来たら、いいな」)
ジョエルの震える肩を悲し気に見つめ、明は祈るように願った。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
黒羽・唯
【SPD】
(気まぐれにあちこちの露店を見て回った後ジョエルの店へ)
「綺麗ね」
オーナメントを見ながら声をかけるね
相手が寡黙だからとか関係ない
だって、ターゲットを知るために必要な事だから
「これ、クリスマスに使う物なんでしょう?絵本で見たことあるから知ってるよ」
神様が生まれた日を祝福するための物
私の神様とは違うから、お祝いしたことはないんだけど
「サンタクロースっていうおじいさんがいて、子供達にプレゼントをあげるんだよね?」
「貴方もお祝いしたことあるの?」
教えてほしいって【祈り】を込めて、適度に相槌を打ちながら
聞かせてほしいな、貴方の幸せな思い出
(終始ふわふわと、つかみどころがない無邪気な笑顔で)
●
「綺麗ね」
いつのまにか店先に、少女が居た。オーナメントを見つめるその目は、青藍と赤紅。少女――(純粋なる殺意のカレイドスコープ・f02353)は、ふわふわと笑う。
ジョエルが寡黙であることは関係がなかった。唯にとってこれは、ターゲットを知る為に必要なことだから。
ジョエルの返事を待たず、唯は並ぶ商品に眺めていく。
「これ、クリスマスに使う物なんでしょう? 絵本で見たことあるから知ってるよ」
神様が生まれた日を祝福するための物。唯の神様とは違うから、クリスマスを祝ったことはないけれど。
ジョエルが見守る中で、唯は雲の上を歩くようにふわりと歩き、サンタクロースの人形の前で足を止めて。
「サンタクロースっていうおじいさんがいて、子供達にプレゼントをあげるんだよね?」
「ああ、そうだね……」
無邪気で幼ささえ感じられる様子の唯に、ジョエルは思わず言葉を返す。つかみどころのない、不思議な少女。
「貴方もお祝いしたことあるの?」
――聞かせてほしいな、貴方の幸せな思い出。
そんな少女は、教えてほしいと祈りを込めて、柔らかに笑う。
その祈りは、驚く程素直にジョエルの心に響いた。
唯の祈りが示すまま、記憶が過去を手繰り始める。幸福だったあの日を。手を繋いでいたあの日を。
「祝ったこと、ありますよ。私の故郷で、妻と出会った年。付き合った年。結婚して、娘を、授かった年。……ああ、娘が生まれた年は、今までで一番大騒ぎしました」
ジョエルはぽつりと語りだす。
大きなモミの木を買って、天辺に星が届かないと二人背伸びしたあの日。
妻の故郷の料理と、私の故郷の料理、たくさんたくさん作って、家族で分け合ったあの日。
懐妊の報告が、天からのプレゼントのように感じたあの日。
恐る恐る触れた指を、そっと握り返してくれた小さな掌の感触。
妻の故郷で暮らし、私の故郷のことも妻の故郷の人々に知ってもらおうと、一大決心をしたあの日。
いくつも。
いくつも幸せな日があった。
そうして、希望だけを胸に、家族三人で海を渡り、妻の故郷であるこの街に根を下ろした。
そうして幸福の記憶は手繰られ、あの日へと辿り着く。
大成功
🔵🔵🔵
カイム・クローバー
言葉の壁か。失ったモンは帰らない。んな事、分かっちゃ居るが、そう簡単に割り切れねぇよな。
ジョエルに会って話をしてぇな。その辺をぶらつく風を装って店の前で足を止めるぜ。色々と賞品があるんだろ?クリスマス用の商品を幾つか手に取ってUCを交えて話を聞いてみるぜ。…早いもんだ。仕事をしてると歳月が早く感じる事って無いか?なんて話の切り口を出しながら。大事な相方が居てね。プレゼントなんてマトモに買ってねぇモンだから、ミニツリーだけでも買いたい。白とピンクのそれを買わせてくれ。…まずは軽く自分の事から話して。他愛ない話の合間に過去や事件について聞けるように誘導。【第六感】に引っかかる情報があるかもしれねぇ
●
「言葉の壁か」
カイム・クローバー(UDCの便利屋・f08018)は息を吐く。その壁はカイムにとっては未知の壁で、想像するしかないけれど。
「失ったモンは帰らない。んな事、分かっちゃ居るが、そう簡単に割り切れねぇよな」
それが人間だ。
頭で分かっていても、心がすぐに納得するとは限らない。刻まれた傷が深ければ深い程、与えられた痛みを割り切ってしまうことは難しいから。
だから、ジョエルと直接会って話がしたかった。カイムは市をぶらつく風を装い、やがてジョエルの店の前で足を止める。
店には様々な商品があった。仏蘭西の雑貨や、仏蘭西のクリスマス商品。どれも周囲の店のものとはデザインや作りから違い、目線と興味を惹かれる。木彫りの人形。陶器の天使。硝子ボールのオーナメント。星の細工。カイムはいくつか手に取っては、まじまじとそれを眺めた。
「……早いもんだ。仕事をしてると歳月が早く感じる事って無いか?」
独白のように告げられた言葉に、ジョエルは顔を上げた。大病を患ったかのようにやつれた顔。泣き腫らしたように腫れぼったい青の目。ジョエルは見るからに憔悴していた。
カイムの問いに、ジョエルは迷うように視線を彷徨わせる。それはどう答えたものか、迷っているようでもあった。故に、カイムはジョエルのその様子にすっと目を細める。対話の余地がある、と確信した。今まで声をかけた猟兵たちが、少しずつ、固く閉ざされたジョエルの心の扉を動かしてくれていた。
あと少し。
そう確信し、まずは他愛ない話から対話の糸口を探る。
「大事な相方が居てね。プレゼントなんてマトモに買ってねぇモンだから、ミニツリーだけでも買いたい。白とピンクのそれを買わせてくれ」
まっすぐに見つめるカイムに、ジョエルは緩慢に頷く。ミニツリーを梱包しようとして――、ふと、先ほど塗り終えて乾いたばかりの硝子ボールオーナメントが目に入った。赤と緑の雪の結晶模様。天の星と地の羊。それを描いたミニオーナメントを二つ、一緒に包んだ。
「お、いいのかい?」
「……貴方と、大切な人に、祝福があるように、と。……私のように、手を、離してしまわないように」
そう告げつつも俯いたジョエルの目に映るオーナメントには、何が映っていただろう。ただそれを、包装紙に包まれる間じっと見ていた。
「……離しちまったのかい。手を」
『糸口』はそれと告げたカイムの勘。
だが糸口を引き寄せるカイムの唇は、自分でも思った以上に沈痛な声でそれを問うた。無意識に、カイムは愛する者と繋ぐ自らの手を握りしめる。
「……ええ」
ジョエルの瞳が暗く淀む。
そうして幸福の記憶は手繰られ、最後にあの日へと辿り着く。
坂道を転がり出した石が止まらないように、記憶があの日へと収束していくのをジョエル自身ではもう止められない。
カイムは、そして猟兵たちは遂に、あの日の「事件」へと辿り着いた――。
大成功
🔵🔵🔵
●
「この国に来て、初めの年。妻に日本語を教えてもらいながら、ようやく店を開店出来た冬――」
夜の月と雪と桜。
それがあんまりにも綺麗で、あの日私は家族と夜の散歩に出た。山の上の神社から見る景色が綺麗だからと、妻が誘い、私と娘は二つ返事で了承した。
だが慣れない長い階段を登ることは、幼い娘には少々大変なことだった。いつもならば私が娘を背負うのだが、その日は妻が娘を背負うと言った。
恐らく深い理由はなかった。二人くっつけば温かいとか、娘と触れ合いたかったとか、そんな理由だったはずだ。
――そして、積雪とその下に隠れていた桜の花弁に滑り、二人は長い階段から滑落した。
妻と娘はあっという間に転がり落ちていった。
私は半狂乱で階段を駆け下りた。
だが、辿り着いた時には、妻は既に亡くなっていた。
その手に守られていた娘だけが辛うじて息をしていて、私は頭が真っ白になった。
叫んだ。
声が嗄れる程叫んだ。
誰か来てくれ。誰か。妻が。娘が。誰か助けてくれ。
だが山の周囲に民家はない。夜の道路に人通りはない。幾ら叫んだとて誰にも届かなかった。
妻の身体をこんなところに置いていきたくはなかったが、早くしなければ娘も死んでしまう。
私は泣きながら妻に何度も何度も謝り、娘を背負って駆けた。
駆けながら私は叫んだ。
助けてくれ。娘が死んでしまう。私たち夫婦の最愛の娘が死んでしまう!!
だが勉強をはじめて数か月程度の日本語は、緊急時で混乱した頭に浮かぶものではなかった。
どうしても、「助けてください」という言葉がわからなかった。
私は祖国の言葉で助けを求めるしかなく、だがそんな私の様子を見て、街の人達はまるで恐ろしいものを見たような顔で離れていった。
苛立ち、語気が荒くなっているのをわかりながら、私は何度も助けてくれと懇願したけれど、話を聞いてくれる人は遂に現れなかった。
皆私に慄き、離れ、背の娘に気づいてくれる人はいなかった。
「あの時、例えば私がたった一言、『助けてくれ』と言えたのなら……せめて娘だけは、助けられただろうに……!」
膝に顔を埋めるジョエルの目から、止めどなく涙が溢れて止まらなかった。
誰よりも愛しい妻と我が子。
幸福を思い出す度、後悔が海のようにジョエルを押し潰す。
そしてそれは一年経った今も、同じようにジョエルを押し潰していた。
向坂・要
クリスマスマーケット回るならこいつがなくちゃね
なんて嘯きつつVin chaud片手にマーケットに並ぶ店を巡り
コミュ力生かして情報収集しつつジョエルさんのお店も覗かせて貰いますぜ
(マーケット散策の時点で聞かれるなど必要であれば身分を明かすがそうでなければ特に明かさず。基本は観光客の1人として)
まぁUCでこっそり情報収集はさせてもらいますがね
こりゃ大したもんだ
本格的なクリスマス用品の数々に
小さい子向けの贈り物にオススメのものなんてありませんかね
いや、家族宛に普通は買うんでしょうけどいない相手にゃ贈れないんでね
と苦笑して
などと無理なく会話し吐き出してぇなら受け止め
様子をそっと観察させてもらいますぜ
●
「――泣き崩れるジョエルさんを見つけたのは、娘さんが息絶えて随分冷たくなってからさ。お嫁さんは雪に半分埋もれていた。お恥ずかしい話、私らはそれまで彼の剣幕と知らない言葉に怯えて隠れてしまったんだ。本当に申し訳ないことをしたと思ってるよ」
「なるほどねぇ……」
質屋の店主は、そう言って苦し気に息を吐いた。悔やみきれぬような、心からの後悔の表情を浮かべる店主に、向坂・要(黄昏通り雨・f08973)は視線をジョエルの店へと向けた。
思わぬことから事件についての経緯を、街の者の視点から聞く事が出来た。クリスマス用品を探しながら歩いていると、やたらとジョエルの店を勧める店主に出会い、結果こうして話を聞くことが出来たのだ。
「帝都が世界を統一して暫く経つ。だが、この街に外国人が来るのは彼が初めてだった。日本語でもない、英語でもない。全く聞き覚えのない言葉に、私達は戦慄した。今でも皆後悔しているよ。だからせめて彼が立ち直る手助けをしたいんだが……」
「奴さんにまだ、立ち上がれないってとこですかい」
店主は神妙に頷く。
要は礼を言ってその場を離れ、市を歩く。途中買ったのは、クリスマスマーケットでは定番のVan Chaud. 例えばこの温かな飲み物のように、ジョエルの心を温めてくれるものが、今彼にはないのだろう。音もなく影に戻る鴉達から得た情報を頭の中で纏めながら、要はそんなことを考えた。
「こりゃ大したもんだ」
ジョエルの店についた要は、開口一番に目を丸くした。明るい電飾の元、華やかで本格的なクリスマス用品の数々。異国で今も使われているのであろう生活雑貨。蚤の市という場で十分に目を惹く光たち。
その中に在って、不似合いな程に暗くやつれた顔の男――ジョエルが会釈をした。
「小さい子向けの贈り物にオススメのものなんてありませんかね」
その顔に向けて、要は人好きのする笑みで問いかける。商品をひとつ、指でなぞり。
「いや、家族宛てに普通買うんでしょうけど、居ない相手にゃ贈れないんでね」
「それは……」
苦笑いを浮かべる要の顔を、ジョエルが見上げる。要の言わんとしていることは、何となく汲めた。胸を抑えて、俯く。傷を握りしめるように強く胸を抱いて、やがて顔を上げた。店の商品からひとつ、小さなスノードームを摘まみ上げた。
「これ、は……私の娘が、好きだったもの、です。スノードームと言って、揺らすと、雪が、降ります」
クリスマスツリーと根本のプレゼントの山。喜ぶ子ども。雪だるまとサンタクロース。
胸の苦しさを吐き出すように、ジョエルは言葉を紡いで。
「祖国で祝った、最期のクリスマスのプレゼントに、娘に贈りました。幼い娘は、それを何度も揺らし、雪を降らせては、眺めていました。なんども、なんども」
――その時、娘は言った。
『パパとママは、どうしてここにいないの?』
――妻は答えた。
『ちゃんと居るわ。でもきっと今は、貴女をおうちで待っているシーンなのよ』
――娘は首を傾げて考えて。
『……じゃあ次のプレゼントは、パパもママも一緒がいいな』
そう言って笑った。
そのプレゼントは終ぞ贈れなかったと、ジョエルは顔をそむけた。その左手が、布で隠した何かに置かれていた。
大成功
🔵🔵🔵
青和・イチ
凄い桜…綺麗な所だなぁ
大事な人を亡くして、全てを閉ざす気持ちは…分かるよ
出てくるには…光が見えないといけない
まず、ジョエルさんの露天へ
情報収集、というより…様子を見に
…灯り、ありますか?
暗闇に…やさしく光るような
聞いて、洋灯を探してみます
あればそれを購入
(無ければくろ丸が気に入った物を(お任せ
綺麗ですね…何だか、心が温かくなる
…貴方は?
今、心に灯る光…ありますか?
反応は待たず立ち去ります
少しだけ、彼が自問してくれれば
その後は市を見つつ街で聞き込み
人となりや見掛ける場所、歩いて行く方向
買っていく品物等
疲れたらミルクホールへ
ケーキと…温かい紅茶ってあるかな(珈琲苦手
ん、くろ丸にも、ぬるめのミルクね
●
「凄い桜……綺麗な所だなぁ」
幻朧桜が、冬の風に舞っていた。時期的には雪が降ってもおかしくない年の瀬。けれど今、青和・イチ(藍色夜灯・f05526)の前には雪の代わりに桜の花弁。足元では、絶え間なく舞い散る桜の花弁に、相棒のくろ丸がはしゃぎじゃれついている。その背をぽん、と撫でながら、イチはジョエルの露店を見つめた。
「大事な人を亡くして、全てを閉ざす気持ちは……分かるよ」
わかるからこそイチは知っている。閉ざした心の奥から出てくる為には、光が見えないといけないことを。
イチの足は自然と、ジョエルの店に向かった。情報収集というよりは、彼の様子を見たくて。そうして声をかければ、やつれ、泣き腫らした目の男が出迎えた。過去を吐き出したばかりの男は、声を出す余裕もなく頭を下げる。深く悲しみに沈んだままのジョエルに、彼は声をかける――。
「……灯り、ありますか? 暗闇に……やさしく光るような」
そっと問うた。
洋灯を探しているのだという。遍くすべてを照らすような強い光ではなく、暗闇にあってただひとつ、優しく光って心を癒すような。そんなものを。
ジョエルはゆるり、顔を上げた。そうして自らの露店に並ぶ品々を見渡し――、やがてひとつのそれを手に取った。
「これは……いかが、ですか」
ジョエルが差し出したそれは、真鍮のスタンドランプだった。雫のような台座は、植物の蔓と葉を象り。雫の頂点から吊り下げられた、チューリップに似た乳白色のガラスシェード。品が良く、落ち着いたアールヌーボー風のランプ。店のランプにつないだコンセントから繋ぎ変えてスイッチを入れれば、黄色の光が仄かに優しく灯った。
「綺麗ですね……何だか、心が温かくなる」
柔く目を細め、イチはそれの購入を決めた。梱包して貰って、両手で大事に受け取りながら、イチはジョエルの泣き腫らした青の目を見つめて。
「……貴方は?」
「え……?」
「今、心に灯る光……ありますか?」
ジョエルの視線が彷徨う。突然の問いに困惑しながら、光を探すように。答えを探すジョエルに、その答えを聞かず、一礼してイチとくろ丸は店を出た。元々答えは聞かずともよかった。ただジョエルが、少しだけ自問してくれればいい。それだけを願っていた。
再び蚤の市を散策しながら、イチは情報を集める。他の猟兵とも協力出来、いくつかの情報はすぐに集まった。
ミルクホールで温かな紅茶とケーキを食べながら、イチは情報を整理する。
日本に来たばかりの頃、妻と娘が居た時のジョエルは精力的で家族思いな人に見えた。言葉が通じないから直接話すことはなかったが、ほがらに笑う人だった。
ただ、今は何処に住んでいるのかわからない。店は夕方前に閉めてしまうし、家を訪ねても戻っている気配はない。朝、店に来る道も帰っていく方向もバラバラ。後を追った者が何人も居たが、いつも途中でふっと彼の姿が消えてしまう。店を閉めた後、一人分の食糧と、数個の砂糖菓子。そして時折、何かの資材を買い求める。
「行く道も来る道もバラバラで、ふっといなくなる……まるで逢魔が時の神隠しだ」
後を追ってみるしかないか。
くろ丸にぬるめのミルクを差し出しながら、イチは思案した。
――ひかり。心に灯る、ひかり。
……ありますよ。縋ってはいけない小さな光と、今私を生かす、最期の――。
大成功
🔵🔵🔵
ナターシャ・フォーサイス
哀れな魂を匿われる方ですか。
事情が事情ですし、使徒として彼に寄り添い癒しましょう。
生けるものには、道を示さねばなりませんから。
古物市を見て回りながらお話を伺いましょう。
まずは街の方々から大まかな情報を。
…それからディフさんに、良さげな懐中時計を。
大まかな情報が集まったら、ジョエルさんへ。
いきなり確信に触れることはせず、癒すことを第一に。
私は使徒、皆様の求める救いを与えることが責。
ですので…貴方の求めるものを、お教えいただけないでしょうか?
時期的に、サンタクロースではないのですけれどね。
…そう言えば。
我々は天使と共に皆様を楽園への道行きへ誘うのです。
ひとつ、天使の置物をいただけないでしょうか?
●
ジョエル。邂逅した影朧を匿う男。最愛の妻を亡くし、自らの背で愛しい子が冷たくなっていくのを感じた彼の絶望は、底知れぬ程に深いのだろう。
その事情を聞けば、ジョエルの影朧を匿う所業を罪と断ずることは、ナターシャ・フォーサイス(楽園への導き手・f03983)には出来なかった。ナターシャは楽園への道行きを導く者。哀れな魂には楽園への道筋を、迷える生者には道を示すのが彼女の使命。
「ならば使徒として、彼に寄り添い癒しましょう」
冬の風が、ナターシャの豊かな銀髪を揺らした。
まずナターシャは、古物市を巡りながら話を聞いて廻った。
ジョエルは家にも事件があった神社にも、それ以降彼は現れていないこと。店はいつも黄昏時前には閉めて何処かへ行ってしまうこと。
「黄昏時……ちなみにこの市は何時で終了ですか?」
「15時さ。そこからは店の片付けで、17時までには露店を全部撤収させて終わりだよ」
「そうですか、ありがとうございます。ところで……」
時計屋の店主から話を聞いていたナターシャは、ふと視線を陳列する品々に落とした。彼女の視線の先には懐中時計が一つ。
「これ、下さいませ」
「喜んで!」
店主が傷つかぬよう丁寧に包み、それをナターシャに手渡す。礼を言って店を去る間際、店主がナターシャを呼び止めた。
「夕方帰るんなら気をつけなよ。最近変な噂もあるからさ」
「変な噂とは?」
「何処かに在って何処にも無い建物の話さ。噂じゃ、最近この辺で見たっていう奴が何人か居るんだ。その建物はバカみたいにでっかくて、入り込んだら最後、出られないって話だ。でも、この街にゃあそんなでかい建物なんかないんだがね」
「……なるほど。気を付けます」
笑みを返して、ナターシャは思考を巡らせる。このタイミングで、こんな建物の噂。偶然であるわけがないと、彼女の勘は囁いている。
ジョエルの露店を訪ねれば、その顔には明らかに生気が薄かった。縋るものが無ければすぐにでも命を捨ててしまいかねない。そんな顔に、ナターシャは眉を下げた。
「もし。大丈夫ですか。随分顔色が良くありませんが……」
いきなり核心には触れられない。まずは彼を癒すことを第一に、会話として触れやすいところから触れていく。ジョエルは暗い目をナターシャに向けると、弱く首を横に振った。
「お気に、なさらずに……大丈夫ですから」
「とは申しましても……。私は使徒、皆様の求める救いを与えることが責」
「使徒……?」
「ええ。ですので……貴方の求めるものを、お教えいただけないでしょうか?」
時期的に、サンタクロースではないのですけれどね。
自らを使徒と名乗る彼女が、そんな風に言って静かに笑う。嘘のなさそうな聖女のような笑みと、猟兵の皆たちによって開かれたジョエルの心が、その言葉を素直に受け止めさせてくれる。
「私の、求めるもの……私は……」
微かな声で、ジョエルは絞り出すように告げた。
「……そう言えば。我々は天使と共に皆様を楽園への道行きへ誘うのです。ひとつ、天使の置物を頂けないでしょうか?」
そう言って、愛らしい天使の置物を包んで貰っている中、ナターシャはその意味を考える。
――私は、ただひとつの約束を……それさえ果たせたならば、私は……――
大成功
🔵🔵🔵
照宮・篝
【神竜】まる(f09171)と
あんてぃーく、というと、年代物だな
大事にしていれば、いつか魂も宿るかな…ふふっ、まるで家族を探しに来た気分だ
まる、まる、仲良くできそうなものを探してみよう!
まるに着て貰えそうな、洒落た帽子とかマントとか、あるだろうか
あとは、おーぶん、とか…おーぶんの蓋、だけでも
ああ、あと、椅子とか、くっしょん…?もあるといいな
絨毯やカーテンもあると、砦…家が華やかになりそうだ!
燭台もあるかな、探してみたい
皆、この市に集まったものなら、様々な場所を渡り歩いてきたのだろうから
いつか人の形を得た時に、どのような話を聞けるか楽しみだ
店の者からも、それぞれの品の曰くについて聞いてみたいな
マレーク・グランシャール
【神竜】篝(f20484)と
篝と古物市でヤドリガミになりそうな品を物色
俺の無二の友はヤドリガミだ
長年愛用された品に命が芽生えるという神秘に、物は大切にしなければという気持ちが強まった
さらに女神である篝の力で命を与えることも可能なのだ
何と素晴らしい事だろう
まずは料理人に長年愛用され使い込まれた錫の鍋とお玉
次に動かなくなった薔薇の紋章のアンティーク腕時計
この大皿は絵付けが綺麗だが、よく見ると薄く罅が入っているな
それから土人形……土偶というやつだな
後は乳母車とゆりかご……きっと子の居る家へと受け継がれたものだろうが……
子を亡くした親の気持ちを思わずにはいられない
影朧を匿う男をどうして責められよう
●
温かな陽射しと冷たい風の、冬の午後。活気溢れる蚤の市を、豪奢な金色と凛々しい黒が二人、並んで歩く。
「あんてぃーく、というと、年代物だな。大事にしていれば、いつか魂も宿るかな」
上機嫌に金色――照宮・篝(水鏡写しの泉照・f20484)が真紅の瞳をきらめかせれば、隣でマレーク・グランシャール(黒曜飢竜・f09171)はしっかりと頷いた。普段鋭いマレークの目は、穏やかな慈しみをもって篝を見つめ返す。
マレークと篝は、古物市でヤドリガミになりそうな品を探しに来ていた。ヴィンテージから、製造されてから100年以上経つ品――所謂アンティークも、この市にはあるという。いずれも大切にされてきたからこそ、今この場で再び役立つ時を待つものばかり。
マレークの無二の友はヤドリガミだ。長年愛用された品に命が芽生えるという神秘に、物は大切にしなければという気持ちがマレークの中で強まった。さらには女神である篝の力を使えば、物に命を与えることも出来る。そのなんと素晴らしいことか。
百年大切に扱われた器物に魂が宿り、人の肉体を得た者たちがヤドリガミだ。ならばここには、将来魂と肉体を得る器物たちもまた眠っているかもしれない。
「ふふっ、まるで家族を探しに来た気分だ。まる、まる、仲良くできそうなものを探してみよう!」
「ああ。いこう、篝」
手を繋いで、新たな友を探しに行こう。
「まるに着て貰えそうな、洒落た帽子とかマントとか、あるだろうか」
「お連れさんにかい? じゃあこれとかどうだい?」
洋装屋の露店に行けば、並べられた服と篝が真剣に睨めっこをしたり。
「ふむ……中々使い込まれているが、よく手入れされている」
「道具の手入れは欠かさなかった料理人のもんでね。まだまだ使えるよ」
金物屋の露店に行けば、マレークが料理人に長く愛用された錫の鍋とお玉を購入し。
「あとは、おーぶん、とか……おーぶんの蓋、だけでも」
「オーブンはあるけど、え、蓋だけ?」
ガス屋の前で篝が交渉した際、店員に首を傾げられたり。
「これは土人形……土偶というやつだな」
「若いのがこういうのに興味があるのは珍しい」
と、質屋の店主に驚かれたり。ついでとばかりにその歴史を語られてしまったり。
「ああ、あと、椅子とか、くっしょん……?もあるといいな。絨毯やカーテンもあると、砦……家が華やかになりそうだ!」
「お、いいねぇ。いっぱい見て、いっぱい買ってってよ」
家具屋や手芸屋の露店の前で、二人で使うであろうものを色々と探してみたり。掘り出し物の絨毯を見つけては、お目が高いねと褒められて。
他にも、マレークは今は動かなくなった薔薇の紋章のアンティーク腕時計と、薄く罅は入っているが、絵付けの美しい大皿を。そして篝は銀の燭台をそれぞれ購入した。
ある時計技師の最後の作品だという腕時計。長年料亭で愛用されてきた大皿。かつて大使館にあったという銀の三腕燭台は、年月を感じさせながらも荘厳さを損なわぬ一級品。賓客を招く重要な食卓の中央で、長年背筋を伸ばし人と料理を照らし続けた燭台だと、店主は熱弁した。
「皆、この市に集まったものなら、様々な場所を渡り歩いてきたのだろうから。いつか人の形を得た時に、どのような話を聞けるか楽しみだ」
それを聞くことは、きっととても素敵なことだと思うから。それぞれを大切に手に取りながら、篝は過去と未来に想いを馳せて笑みを浮かべた。
ふと足を止めた時、乳母車と揺り籠がマレークの目に留まった。幼子を乗せ、そしてまた子の居る家へと受け継がれてきたものだろう。
彼の――ジョエルの家にも、あっただろうか。
マレークも今は娘がいる身。子を亡くした親の気持ちを思わずにはいられない。ましてや、言葉が通じていれば助けられたかもしれない子を、その腕の中で失った痛みは如何ほどのものというのか。
なればこそ、愛し子に似た影朧を匿う男をどうして責められよう。
今はまだ胸の内で、マレークはかの男の痛みを想った。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
華折・黒羽
【荒屋】
「くりすます」
知識は本で得たもののみ
実際に経験をした事が無いが
夜も光に彩られる華やかなものだという文面が記憶に残っていた
くりすますは赤い靴下が要るそうです
フェレスさん
本に書いてありました
それは大きすぎる気が…
あと欠かせないのは色々な“定番料理”
食べるのは好きだ
ジャハルさんが話しかける内容を聞きながら
そわり気になる様子隠せず
ふと見れば彼も同じように期待に満ち満ちた目をしていて
類さん、類さん
手招きしたのは球体に絵を描くジョエルのもと
手元の高さに視線を合わせる様にしゃがみこんではじっと眺め続け
…魔法の、手
ぽつり呟く言葉
ただの球に色が足される度
彼の表情と正反対の明るさが手元で広がっていった
フェレス・エルラーブンダ
【荒屋】
私はずっとひとりだった
『かなしい』がわからなかった
でも
こいつらがもし、いのちの燈りをうしなってしまったら
ずきりと傷んだ胸押さえ、足早に彼らを追った
ジョエルの出店を覗き込み、開口一番
『くりすます』ってなんだ
あかいくつした
……じゃあ、ぜんいんぶんいる
くろばが入れるくらい、おおきいのがいい
るい、ごちそうもいるって
とりを狩ってくればいいのか
ジャハル、おおしごとだぞ
す、すみは、とりを焼くのにつかう
ぴかぴかの硝子玉に雪の結晶をまじと見つめ
きれいなものをヒトにさしだせるおまえは、いいやつだ
告げて、買った靴下を一足店主に差し出した
おまえにも『さんた』がくるといい
くりすますは、まほうを招ぶよるなんだろう
ジャハル・アルムリフ
【荒屋】
…幾ら燈を灯しても
独りの冬は凍えような
「くりすます」に
悪童には炭の山が届けられるらしいと聞くが
うむ、フェレスなら大丈夫だ
夜を温める小さな燭台探し
吊せるものと置けるもの
丸いものに平たいもの
それから、その下に並ぶべき料理
ジョエルの勧めを尋ねながら
記憶すべくその名を反復
気付けば同じく好奇心に揺れる黒い尾が二本
うむ、皆の腹を満たせる大きな鶏を狩らねばな
瓜江の力も貸してくれるか、冴島
きっと良い夜になるだろう
良き品々、良き話
"収穫"抱え囲んで覗く、描き手の手元
温かな光景
愛しげな場面に
つい手を伸ばしたくなる
魔法と聞こえれば頷いて
…とても、暖かい色をしているのだな
貴方の知っている「くりすます」は
冴島・類
【荒屋】
子に似た影に手を伸ばしたのを
責めれる者など…いないさ
ぶらり眺め歩き
ジョエルさんの店に
仲間用の食器を見たり
おーなめんと?を見繕いたい
開口1番、声かけるフェレスちゃんを追い捕捉し
僕らくりすますには詳しくなくて…
この飾りのお爺さんは何方でしょう?
彼女だけでなく続く2人を見て
折角だ、ちゃんとお祭りを教えてあげたいんです
良ければ
祖国やこちらでどう過ごしていたのかを尋ねてみよう
うん?ご馳走かあ!
勿論狩りには瓜江とお付き合いしますとも
ジャハルさん、鶏の丸焼き作りは任せて下さいな
呼ばれ
黒羽君の視線がきらきら注がれる先を見る
本当に…魔法だねえ
貴方の夜にも良きものが来るように
そちらを、ひとついただいても?
●
過去を吐き出して。痛みを抱いたまま、縋ってはいけないと知りつつ、男は腕の中に匿った。
それが、今得られたジョエルという男の情報。
「……幾ら燈を灯しても、独りの冬は凍えような」
明るい電飾と華やかなクリスマスカラー。ジョエルの露店には、よそと比べても燈が多く灯っているように見える。ジャハル・アルムリフ(凶星・f00995)はそれを眺め、静かに呟いた。
「子に似た影に手を伸ばしたのを、責められる者など……いないさ」
零した独白を、冴島・類(公孫樹・f13398)が拾い継いだ。未だ影朧の存在を手繰ることは出来ねど、ジョエルは悪意あって影朧を匿っているようには見えない。あれは、心からの寂しさと悲しみ故なのだろう。
「……」
二人の大人の言葉に、フェレス・エルラーブンダ(夜目・f00338)もまたジョエルの露店眺め、少しだけ眩しそうに目を細めた。
フェレスはずっとひとりだった。『かなしい』がわからなかった。
(「でも、こいつらがもし、いのちの燈りをうしなってしまったら」)
ふと過った考えに、フェレスの胸がずきりと痛む。
はじめからずっとひとりならば、誰もみな、それが悲しいことと知らずに生きてきただろう。けれど、人とは繋がり生きる生き物だ。何かに、誰かに、必ず繋がっている。フェレスも今は、同じように。
胸を押さえ、フェレスは足早に皆を追った。
「くりすます」
確かめるように、華折・黒羽(掬折・f10471)がその単語を口にする。それに関する知識は本で読んだものだけ。実際に経験したことはない。けれど、『夜も光に彩られる華やかなもの』だという文面が、その記憶に残っていた。
その言葉を素早く耳にしたフェレスが、ジョエルの露店を覗き込み、開口一番――。
「『くりすます』ってなんだ」
顔を合わせるなり、そう問うた。ぱちくりと目を瞬かせるジョエルと、大層真顔のフェレスが見つめ合う。それを捕捉するなり類は二人の間に滑り込んで。
「僕らくりすますには詳しくなくて……この飾りのお爺さんは何方でしょう?」
眉を下げて笑う類に、ジョエルは「ああ」と納得の声を零した。暗い顔だが、何かを納得したらしい。赤い服の人形をフェレスの前に置いた。
「彼は、サンタクロース。私の国では、ペール・ノエル、と、言います。彼は、クリスマスの前日の夜、子ども達に、プレゼントを持ってきてくれます」
「くりすますは、赤い靴下が要るそうです、フェレスさん。本に書いてありました」
フェレスと類に追いついた黒羽が、露店の軒先に吊り下げてある靴下を指差す。靴下にサンタクロースがプレゼントを入れておいてくれるのだと聞けば、フェレスの瞳がらんらんと輝いて。
「あかいくつした。……じゃあ、ぜんいんぶんいる。くろばが入れるくらい、おおきいのがいい」
「それは大きすぎる気が……」
真剣で真っすぐなフェレスに、黒羽は自分が入れるくらいの靴下を想像した。
「フェレス、『くりすます』に、悪童には炭の山が届けられるらしいと聞くが」
「すみの、山……」
ジャハルに告げられ、フェレスの耳がぴんと立つ。そんな三人の様子を見ながら、類はくすりと笑った。
「折角だ、ちゃんとお祭りを教えてあげたいんです。良ければ」
横でジャハルも頷く。そんな四人のやりとりとやつれた顔が見渡し――、ゆるりと首肯した。
靴下にプレゼント。クリスマスツリー。ジョエルがひとつひとつ、教えてくれる。
「燭台はあるか。吊るせるものと置けるもの」
ジャハルが問えば、小さいものならば真鍮と金色、丸いものと平たいものが店にあるという。それから、その下に並ぶべき料理について尋ねる。そう、祝いの食卓に欠かせないのは色々な“定番料理”。勧めを訪ねれば、ジョエルは少し考える。
「そうですね。祖国では、フォアグラ、スモークサーモン、ブッシュドノエルというケーキ。それから、七面鳥を丸ごと焼いたものを、食べます。此方では、鶏の方が、手に入りやすいでしょうか」
鶏の。
丸焼き。
その名を記憶すべく口の中で料理名を反復していたジャハルが隣を見ると、フェレスと黒羽の尻尾が好奇心に揺れていた。黒羽は気になる様子を隠せずそわそわとし、フェレスは類の袖を何度も引っ張る。
「るい、ごちそうもいるって」
「うん? ご馳走かあ!」
「とりを狩ってくればいいのか。ジャハル、おおしごとだぞ」
「うむ、皆の腹を満たせる大きな鶏を駆らねばな。瓜江の力も貸してくれるか、冴島」
頷きつつ、ジャハルは類の影に寄り添う半身の絡繰の名を紡いで助力を乞う。浅黒の肌の青年はほがらに笑い頷いて。
「勿論狩りには瓜江とお付き合いしますとも。ジャハルさん、鶏の丸焼き作りは任せて下さいな」
二人の大人の間で交わされる素敵で美味しそうな会話。黒羽とフェレスが互いを見れば、互いに同じような期待に満ち満ちた目をしている。二人は神妙に頷き合った。食べるのは好きだ。
ふと、先程『悪童には炭の山が届く』なんて言われたことを思い出し、何か手伝いをしようと考えていたフェレスは――、
「す、すみは、とりを焼くのにつかう」
少々苦い顔で呟くのだった。そんなフェレスの背にぽんと手を当てたジャハルは、静かに期待めいた確信を。
「きっと良い夜になるだろう」
仲間用の食器やオーナメントも見繕っていた類が、ジョエルへと声をかける。
「貴方は? 良ければ、祖国やこちらでどう過ごしていたのでしょうか」
ぴくり、と。
ジョエルの手が止まった。地を迷うように下に落ちた視線が這う。その視線を上げられぬまま、しかしジョエルはもう無言では通しはしなかった。彼にも、誰にも、今日己に声をかけてくれた者たちに悪意や他意がないと、もう気づいていたから。
「祖国では、盛大に祝いました。私たちの国にとって、クリスマスは、家族が集まる大切な日です。私の両親と、妻と、赤ん坊だった娘と、家族で過ごしました」
それは、ほんの数年前の記憶なのに、ジョエルには何故だかとてもとても遠く思えた。少なくともそれは幸福な記憶なのに、それはすぐに悲しい記憶も連れてくる。
「こちらでは、クリスマスを祝ったことは、まだ、ありません。去年の春、この国に来て、クリスマスを迎える前に……」
ジョエルはそれ以上は紡げなかった。この場で紡ぐことでもないだろうと思ったから。紡いでしまえば、今日何度目かの涙が溢れてしまうだろうから。今は紡がず、彼らの購入した品を丁寧に包んだ。
「類さん、類さん」
ジョエルが落ち着いて、手元の作業に戻った頃。品を選んでいた類を呼ぶ声。黒羽だった。手招きされるままに近づけば店の裏。硝子ボールにペイントをしていたジョエルの元だ。誘われるままに類が覗き込めば、黒羽は手元の高さに視線を合わせるようにしゃがみこみ、じっと眺め続ける。
ジョエルはその様子を不思議そうにしつつも、筆を止めることなく。透明の硝子ボールに筆で塗料を塗り、模様を描く。
まるで絵本の挿絵のように、愛らしい絵だった。白と銀を重ねた雪の結晶。青い硝子に金で描く星や夜の森。サンタクロースの笑顔と雪の教会。つがいの鳥とクリスマスツリー。ジョエルの手は止まることなく、硝子のボールに描き続ける。
「……魔法の、手」
ぽつり、黒羽の唇から零れたのは感嘆の言葉。
「本当に、魔法だねぇ……」
類がほぅと息を吐けば、フェレスもその隣に並んで手元を見守る。ぴかぴかの硝子玉に雪の結晶描く様をまじと見つめ。それはまるで、雪の結晶が実際に育つ様を見るようで。 良き品々。良き話。此度の"収穫"抱え囲んで覗く、描き手の手元。ジャハルにはそれが温かな光景で、愛しげな場面に見えて。つい、手を伸ばしたくなった。魔法を聞こえれば頷いた。
硝子玉に色が足される度、ジョエルの沈んだ表情とは正反対の明るさが、彼の手元で広がっていく。
「……とても、暖かい色をしているのだな。貴方の知っている『くりすます』は」
ジャハルの言葉に、ジョエルがゆっくりと彼を見上げた。ジャハルに表情は薄く、だが真っすぐに自らを見つめる瞳が、彼の言葉が嘘や世辞ではないと告げる。ジョエルはゆるり、首を横に振った。
「そうですね。これは、思い出です。ですが、祈りです。そして、約束です」
美しき思い出。共に過ごしたかった者への祈り。そして、最後の――。
描きあがった硝子ボールを吊るす。これが乾けば完成だ。いくつも並んだ硝子ボールが、光に揺れる。
「貴方の夜にも良きものが来るように。そちらを、ひとついただいても?」
「……喜んで。貴方たちにも、良き夜が、来るように」
類が指さしたそれを、壊れぬよう大切に包む。代金と共にそれを差し出せば、フェレスがジョエルの視線の前に立ち。
「きれいなものをヒトにさしだせるおまえは、いいやつだ」
確信と共にそう告げたフェレスは、買った荷の中から靴下を一足ジョエルに差し出した。
「おまえにも『さんた』がくるといい。くりすますは、まほうを招ぶよるなんだろう」
あまりにも真剣に、真摯に靴下を差し出す。ジョエルが戸惑い、視線が靴下とフェレスを行き来する。少しだけ困ったように他の三人を見れば、彼らはただ黙って頷くから。
「……私は、こんな大人ですが、サンタは……魔法は、来てくれるでしょうか……」
「来ますよ」
ジョエルの捨てられた祈りのような願いを、黒羽は即座に拾い答えた。
大丈夫だと、告げるように。
大成功
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第2章 冒険
『朧遊郭』
|
POW : 街々を巡って忍耐強く現れるのを待つ
SPD : 噂を集めて出現する場所を探る
WIZ : 過去の事件・伝説・伝承から遊郭の正体を探る
👑11
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●痛み
猟兵たちは一度集い、得た情報を整理する。
ジョエルは去年の春に妻と子を連れて、妻の故郷であるこの街に来た。店を開店させる準備をしながら子の面倒を見、言葉を学んだ。けれどある日、家族で景色を眺めに行った山の上での神社への長い階段で、妻と子が足を滑らせ滑落してしまう。妻は即死。その手に守られた子だけが僅かに命を繋いでいた。
子を背負い、ジョエルは助けを求めたが、焦り混乱している状態では学び始めの日本語が口をついて出ることはなく、結局言葉が通じぬまま、ジョエルの手の中で子は短い生を終えた。
ジョエルは言葉の壁を越えられなかったことを悔やみ続け、街の者も拒んでしまったことを悔やみ、そして、今に至る。
その間に、ジョエルは見つけてしまったのだ。子に似た、影朧を。
「貴方方は……イエーガー、ですね。ここのところ噂になっている」
蚤の市も終わり、店の片づけを終えたジョエルを再び訪ねた猟兵たちに、ジョエルは静かに口を開いた。初めの頃の頑なさはない。ただ、諦めに似た色が、その表情に増えたように見えた。
「見ず知らずの私を気にかけ、声をかける、とは、そういうことなのでしょう。……あの子のこと、ですね」
わかってはいた。はじめからわかってはいた。
いつか『あの子』を帰さねばならないことは。
ジョエルは緩慢に立ち上がった。荷物をまとめた鞄を手に、振り返る。
「……ご案内します。ただ、ご注意を。あの子のいる場所は、少し……苦しいかもしれません」
そう言って、歩き出した。
少々の買い物を済ませ、ジョエルは彷徨うように歩く。当てなどないように見え、時間だけが刻々と経過していく。猟兵たちを煙に巻こうとしているのではないか。もしくは罠にかけようとしているのではないか。そういった疑いが、鎌首をもたげ始めた時。
「ああ……来た」
それは突如、猟兵たちの視界に飛び込んできた。
曲がり角を曲がった先には、天まで届くかのように巨大な摩天楼があった。建物の形式からして、それは廓であろうと想像できる。
だが、『この道は先程』も通ったと誰かが言った。その時にはこんなものはなかった。そもそもこんなに巨大であれば、どこであろうと見逃すはずがないのに、それはさも当然のように、今、『そこ』にそびえていたのだ。
「朧遊郭。それが、ここの名だそうです。いつもどこかにあって、どこにもない。人を飲み込み吐き出さぬという、建物です」
ジョエルは当然のようにその前に立ち、そして、躊躇いなく足を踏み入れた。飲み込まれるように消えゆくジョエルの背を追って猟兵たちがそこに駆けこめば、むせかえるような香の匂いと、一瞬の目眩のような感覚が猟兵たちを襲う。それが収まり、振り返れば、そこにはもう入ってきたばかりの入り口はなかった。
壁が冷たく立ちはだかり、前には先が見えぬ程遠い廊下が続いている。それどころか、一塊に突入したはずの仲間達は、独り、ないし数人ずつに分断されていた。
『申し訳ない……ですが、もう少し、時間が欲しいのです。せめて、日が変わる迄……』
何処からかジョエルの悲痛な声が響く。
廊下の奥で誰かの声がする。それは妙に聞き覚えのある、あの時の――『痛み』を負った日の声がする。廊下の両隣で、開かぬ障子戸に映る影があの日の記憶を再生する。
例えばそれは、大きな体の傷。
例えばそれは、深い深い心の傷。
例えばそれは、積み重なった小さな苦しみの痛み。
痛み。痛み。痛い。痛い。
心が。体が。耐え切れぬ程に悲鳴を上げた、最も深い『痛み』の記憶の気配を、障子戸に映る影が延々と再生している。
『此処は、痛みの遊郭。私と、あの子が変質させてしまった、おぞましき建物。すまない、すまない……ああ、有紗……ミカ……ああ、ああ……』
ジョエルの声が廊下の奥に遠のいていく。声を、彼を追うならば、この廊下を駆け抜けねばならない。
此処はジョエルの深い悲しみが影朧の力を借りて、朧であった建物の在り方そのものを変質させてしまった『痛みの遊郭』。
『痛み』の記憶に触れる覚悟はあるか。
『痛み』の記憶を振り払う覚悟はあるか。
体が。心が。再び悲鳴を上げたとしても。、立ち上がる勇気があるのなら。
駆け抜けろ、猟兵――。
* * *
●お知らせ
第二章は、『痛み』の記憶を再生する朧遊郭の中を駆け抜けて頂きます。
駆ける廊下は一本道。ただし、『痛み』の記憶から立ち上がれないのなら、いつまでも終わらぬ無限回廊です。
廊下の両隣は障子戸で仕切られた部屋ですが、部屋には入れません。
ただ、体、ないし心に受けた最も大きな「痛み」の記憶が、その時と同じ痛み、障子戸越しに見える影と音声でのその時の情景の再生が、延々と続きます。(映画のフィルムのようなものとご想像頂ければ)
【何らかの方法でその痛みの記憶を振り払ったり、乗り越えたり。或いは、痛みを無視し続けて駆け抜け続けたりする】と、回廊と記憶の再生は終わりを見せ、ジョエルのいる階へと至る長い長い階段が姿を現すでしょう。
尚、POW/SPD/WIZの行動は無視して構いません。
※お連れ様がいらっしゃる場合、一~二名様の記憶が再生されます。
●受付期間
プレイングの受付期間は、【12/10 8:31~12/12 23:00】となっております。
それでは、皆様のご参加を心よりお待ちしております。
逢坂・理彦
確かに俺達にとっては依頼だけどね。
ジョエルさんに寄り添いたいと思ったのは本当だから…それを伝えるためにもこの先に進まないとね。
『痛み』の記憶…俺の場合はやっぱりこれか…。
首が焼けるように痛くて体があちこち痛くて何よりも心が痛かった。
故郷を滅ぼした宿敵とも呼べる男はすでに倒したけれど。
俺にとっては忘れられない『痛み』
里の護れなかった弱い俺への後悔。
それでも進まないと。
今の俺にはまた大事なものが出来たんだ。
過去の痛みに負けてる場合じゃない。
アドリブ歓迎。
●
朧の遊郭が変質した摩天楼。
此処に案内した男の姿は既になく、痛みに耐えきれぬ悲痛な声だけが響き、去っていった。
「確かに俺達にとっては依頼だけどね」
その廊下の一つで、逢坂・理彦(守護者たる狐・f01492)が声が消えた廊下の果てを見つめている。
「ジョエルさんに寄り添いたいと思ったのは本当だから……それを伝える為にもこの先に進まないとね」
廊下がまるで映画のフィルムのように、『痛み』の記憶を再生しだしたとしても。此処で足を止めるわけにはいかないのだ。
理彦は廊下を歩む。
歩くたび、首が焼けるように痛んで、理彦は思わず首に手を当てた。襟巻の下に隠された古い傷跡が、再び開いたような錯覚。ぬるりとした感触に触れた気がして慌てて手を離したが、その手には何も付着してはいない。
「『痛み』の記憶……俺の場合はやっぱりこれか……」
言葉と共に吐き出した息は、短く鋭かった。踏み出す自らの足はこんなにも重かったろうか。首の痛みはやがて全身に広がり、身体のあちこちがズキズキと痛む。けれど何よりも、心が痛かった。
障子戸が古いフィルム映画のように、あの時の映像の影を映し出す。まるでそれは障子戸一枚隔てた先で、あの日の出来事が本当に起こっているかのよう。
誰かの血が、障子に飛び散った。思わず視線を遣れば、刀を振るあの男の影があった。刀が振られる度、首が飛ぶ。悲鳴が、断末魔が、男の首を求める声が廊下に木霊して、否応にもあの日が理彦の脳裏に再現される。
故郷を亡ぼされた、あの日の光景が延々と続いていた。
故郷を滅ぼした、理彦にとっては宿敵と呼べる男は既に打ち倒している。だが、殊心につけられた傷は、その痛みを簡単に忘れはしない。
理彦にとって忘れられない『痛み』。里を護れなかった弱い己への後悔。
「それでも、進まないと」
痛みは消えない。忘れても思い出す。
敵を倒しても後悔は残ったまま。心も体も軋むように痛むけれど。
「今の俺にはまた大事なものが出来たんだ」
一歩、重い足を踏み出す。
その瞳の色を思い出す。
その声を思い出す。
その笑った顔を思い出す。
それが、一歩を歩く力になる。
「過去の痛みに負けてる場合じゃない」
だから。
強く、足を踏み出した。
理彦の足が地に着くと同時に、障子戸の影が焔に消え去っていく。果てなどないと思った廊下の向こうに、長い長い登り階段が見えた。
俺は進むよ。歩き出さなければ、何処にも行けやしないんだ。
大成功
🔵🔵🔵
ヒャーリス・ノイベルト
物心ついた時には
吸血鬼の元で処刑人になるための訓練を受けていた
時折夢に見るのは
優しい歌声と
力強い腕に抱き上げられる自分
それが何なのかわからない
新しく来た子が親を恋しがって泣くのを見ているうちに
自分の親の記憶かもしれないと淡い期待を抱いた
夢の中でされたように
泣く子の頭を撫でてみた
初めての任務は12の時
領主への対抗組織の幹部吸血鬼と人間の妻の抹殺
金の髪の男と紫の瞳の女は不思議と抵抗せず
ただ
最期に私の名を呼んで笑んだ
何故?
初仕事の成功報酬に
それが両親だと教えられ
墓を作ろうとして叩かれた
心の方が痛い
両親の記憶などほぼないのに
痛い
芽生えた罪悪感
ごめんなさい
今の私は悲しい顔もできない
涙を零しながら道を行く
●
遊郭を模した長い長い廊下。赤い格子の障子戸。行燈の灯りが決して開かぬ部屋の中で、『あの日』起こった情景を影で描く。歩くたび、映画のフィルムのように、両隣の延々続く部屋の障子戸に、ゆっくりと再生されていく。音が、声が、耳鳴りのように響く。
ヒャーリス・ノイベルト(囚われの月花・f12117)は、その廊下を歩けば歩く程に、過去の記憶を鮮明に記憶に浮かび上がらせていく。
ヒャーリスは物心ついた時には、吸血鬼の元で処刑人になるための訓練を受けていた。吸血鬼にとって都合の良いもの、悪いものを処刑するための、都合のいい子どもたち。その中に、ヒャーリスは居た。
そんな生活の中で時折夢に見るのは、優しい歌声と、力強い腕に抱き上げられる自分。けれど、それが何なのか、誰なのか、幼いヒャーリスにはわからなかった。
ある日、新しく来た子が親を恋しがって泣いていた。それを見ているうちに、あの夢は自分の親の記憶かもしれないと淡い期待を抱くようになった。だから夢の中でされたように、泣く子の頭を撫でてみたのだ。
内心、少しだけ安心していた。自分にだって親は居るのだと。私の両親はきっとあの夢のように、優しい声で歌を歌い、力強く抱きしめてくれる人たちなのだと。
初めての『任務』は12歳の時だった。
内容は、領主への対抗組織の幹部吸血鬼と、人間の妻の抹殺。
初任務は驚く程すんなりと済んだ。金髪の男と紫の瞳の女は、不思議と抵抗しなかったからだ。ただ最期にヒャーリスの名を呼んで、笑って――、息絶えた。
何故?
何故なの。どうして。貴方達は誰なの。どうして。嗚呼、なんで。
疑問が不自然に心を締め付ける中、初仕事の成功報酬に「それがお前の両親だ」と教えられた。
心が、体が、凍り付いた。
淡い期待は粉々に砕けて散って、ヒャーリスは弾かれたように駆けだした。両親に触れる。最後の笑顔が、名前を呼んだ声が、ヒャーリスの中でぐるぐる廻る。
優しい歌声を紡いでくれたかもしれない人の唇は、赤に濡れて。
力強く抱き上げてくれたかもしれない人の腕は、もう二度と動かない。
墓を作ろうとしたら叩かれた。両親の遺体は、そこに置いていくしかなかった。
叩かれた体よりも、心の方が引き裂かれたかのように痛かった。
両親の記憶などほとんどない。ただ両親かどうかも定かではないあの夢だけが、か細い繋がりだったように思う。
けれど、痛い。こんなにも痛い。芽生えた罪悪感は、ヒャーリスから全ての表情を奪い去った。
「ごめんなさい。今の私は悲しい顔も出来ない……」
これは過去の出来事の再演だとわかっている。心の痛みは今も胸にある。それでも、此処まで歩いてきた。
変わらぬ表情の中、涙が静かに頬を伝っていった。
大成功
🔵🔵🔵
辰神・明
WIZ
こえが、きこえる
メイと同じ様に、檻の中で、こえが
お薬、注射、鎖――ひどい、実験
痛い痛いと叫ぶこえが、猛獣に取り憑かれたような咆哮が
連れ出してくれた、お兄様
見なくていいよって言ってくれた友達
でも、メイは今……一人、で……
たくさんのこえの中で、おねえちゃんのこえも、聞こえない
手術痕を中心に、頭が割れそうなくらい痛くて
周りのこえが響いて、もっと苦しい
耳を塞いで、しゃがみこんでしまいそうになる
……なかない、もん
メイが、がんばるって、決めた
離れてるけれど、いなくなっちゃった訳じゃない、から
ただいまって、言いたい人がいるから
【覚悟】を決めて、精一杯走り抜けます、です!
メイは、お仕事、頑張るの……!
●
――声が、聞こえる。
あの時の辰神・明(双星・f00192)と同じように、冷たい檻の中で、こえが。
見知らぬ建物の見知らぬ廊下は、男の悲しみと痛みによって歪められて、人の痛みの記憶を再生する。それは相手が誰であれ――幼い少女であれ――同じこと。
障子戸の奥で、灯りに照らされていたのはあの日の檻と同じ鉄格子。そこに縋る子どもが居た。泣き叫ぶ子どもが居た。絶望した子どもが居た。大人が居た。そして、実験体だったあの日のメイが居た。
薬。注射。鎖。全部冷たい。全部痛い。
――ひどい実験だった。
じゃらりという鎖の音がして、明の背筋が冷える。誰かが痛い痛いと叫んでいる。猛獣に取り憑かれたような、人と思えぬ咆哮が泣いている。廊下中に反響して遠くに響き、それらが全て明の耳に飛び込んでくる。
思わず俯いた。
冷たい実験施設から、明を連れ出してくれたお兄様。
見なくていいよって言ってくれた友達。
「でも、メイは今……一人、で……」
声に出してみたら途端に心細くなった。反響する悲鳴と泣き声にかき消されて、姉たる人格「アキラ」の声も聞こえない。
誰も傍に居ない気がして、こんな冷たい廊下に今、ひとりきり。
ズキン。
ズキン。ズキン。ズキン。
「……いっ、いたい……」
手術痕を中心に、頭が割れそうなくらいに痛んだ。
周りの声が響いて、映画のフィルムのように流れる影絵のような光景が否応にも流れ込んできて、苦しい。ずっとずっと、苦しい。
それは幼い少女が抱えるには重すぎる痛み。
耳を塞いでも、しゃがみこんでも、誰がそれを咎められよう。痛いと泣いて、助けてと叫んで、誰がそれを否と言おう。
けれど。
「……なかない、もん」
メイは歯を食いしばる。零れそうな涙を押し留める。
「メイが、がんばるって、決めた」
助けてと叫びたいのを我慢した。幼子の強がりと言えばそうなのかもしれない。けれどの強がりだっていい。明は自分で考え、自分で決めたのだ。
「離れてるけれど、いなくなっちゃった訳じゃない、から」
ちゃんと判っている。忘れてしまいそうになっただけ。
兄は家で待っていてくれている。
友は気を付けてと背を押した。
姉は今も、共に居る。
「ただいまって、言いたい人がいるから」
俯いた顔を上げた。薄桃の瞳に覚悟という芯を入れ、幼い体の背筋をしゃんと伸ばし。
「メイは、お仕事、頑張るの……!」
力強く駆けだした。今はただ、あの悲し気なジョエルに寄り添う為に。
覚悟を決めた少女の耳に、あの日のこえは、もう聞こえない。
大成功
🔵🔵🔵
マレーク・グランシャール
【神竜】篝(f20484)と
これまで何度か影朧と対峙したが、凡そすんなり隠れ家へ辿り着けたことがない
例えば過去を悲しみを見せる廻廊、愛する者の死を見せる部屋
ここもそんなものの類いだとは思いはしたが
これは篝の痛みなのか
どうしてそんなに淋しそうな顔をするのだ
俺は今お前の側にいて、片時も離さぬと言うのに
お前はいつも俺を照らし、暖めようとするけれど
お前の心が痛むのならば、今度は俺がお前を暖めてやる番だ
後ろから篝を腕の中へと閉じ込めよう
体温も鼓動も息づかいも全て伝えよう
俺はお前のように行く道を照らすことは出来ないけれど、闇の寒さに震えないよう包んでやることは出来る
だから俺の女神よ
俺の行く手を照らしてくれ
照宮・篝
【神竜】まる(f09171)と
まるに降りかかる痛みなら、何でも私が照らしてやるぞ
私はまるの女神なのだから――
つきん、と、胸が痛む
音はない。障子越しで、短髪の男が長髪の女を見つめているだけ
あれは、まると私だ
まるは、過去を覚えていないのに、あの時は
忘れ去られた、愛したはずの名を呼ぼうとして、できなかった
まるがどれほど苦しくとも、私はその名を…呼んで、ほしく、ない
私は、分け隔てなく受容するもの、だというのに
あのまるだけは、受け容れがたくて
そう感じる己が、許せなかった――!
まる、まる、私は悪い女神だ
まるの全てが欲しいと、思ってしまう
きっと、まるの全てを受け容れるから
まるの女神でいさせてほしい
●
建物全体が歪んだような感覚と目眩。それが治まった時には、マレーク・グランシャール(黒曜飢竜・f09171)と照宮・篝(水鏡写しの泉照・f20484)もまた他の猟兵と分断され、見知らぬ廊下に立たされていた。
両隣の赤い格子の障子戸の中で、灯りが揺れている。見通せぬ程遠い果てで、暗闇が口を開けていた。
やれやれと言わんばかりに、マレークが深く息を吐いた。
「これまでも何度か影朧と対峙したが、凡そすんなり隠れ家へ辿り着けた試しがない」
例えば、過去を悲しみを見せる廻廊。愛する者の死を見せる部屋。ここもそんな類のものだろうと思った。そしてその予想は間違いではない。
此処はジョエルの痛みと悲しみで変質した朧遊郭。痛みを読み取り再生して苛む、影朧の領域。
「まるに降りかかる痛みなら、何でも私が照らしてやるぞ。私はまるの女神なのだから」
篝が微笑む。
だが、延々と続く障子戸に映し出される痛みの影は、マレークにとって馴染みがあるものであっても痛みとして覚えがあるものではなかった。つまり、この痛みは――。
つきん、と、胸が痛んだ。
この痛みに音はない。障子に映る影は二人だけ。短髪の男が、豊かな長髪の女を見つめているだけ。
あれは、マレークと篝だ。そしてこの痛みは――篝のもの。
マレークは過去を覚えていない。猟兵になる前と、猟兵になってからの記憶が不自然に抜け落ちている。
だというのにあの日。
互いの目の前には互いしかいないというのに。マレークは失くした過去の底に沈んだ、愛したはずの誰かの名を呼ぼうとして、できなかった。できなくて苦しそうだった。そしてそれを目の当たりにして篝が思ったのは。
(「私はその名を……呼んで、ほしく、ない」)
女神ではなく、ただの少女のような我儘。
マレークがどれ程苦しくても。篝が分け隔てなく受容するものだとしても。
篝に誰かを重ねて名を呼ぼうとしたマレークだけは、受け容れがたくて。そう感じる己が、許せなかった――!
「これは篝の痛みなのか」
マレークは驚いていた。同時に困惑もしていた。篝がこんなことを考えていたなど知らなかった。
まる、まる、と、篝は何度もマレークを呼ぶ。座り込んで淋しそうに、泣きそうに、何度も呼ぶ。
「篝。どうしてそんなに淋しそうな顔をするのだ。俺は今お前の側にいて、片時も離さぬというのに」
困惑しつつも、マレークはそっと膝をついて篝と目線の高さを合わせる。安心してくれるだろうかと篝の背に腕を回せば、その中で篝はふるふると首を振った。
「まる、私は悪い女神だ。まるの全てが欲しいと、思ってしまう」
つきん。つきん。
篝の心が痛む。何処までも無音のその痛みは、こんな場所が現れなければ彼に知られることもなかったかもしれない。全てを遍く受け入れる女神は、ただ一人を愛して欲を知ってしまった。ただ一人に愛されることを望んでしまった。
天照ではなく。小さな、小さな。魂ひとつに寄り添うだけの、泉照。
「きっと、まるの全てを受け容れるから。だから……っ」
マレークの両腕を、縋るように掴む。紅の目は離さず、ただ一人の男だけを映し出して。
「まるの女神でいさせてほしい」
それは懇願だったのか。決意だったのか。
篝の言葉と思いがマレークの胸を締め付けて――、気づけば篝の顔を、そっと己の胸に埋めようと抱き寄せていた。
「……お前はいつも俺を照らし、暖めようとするけれど」
一言一言、ゆっくりと。
篝に己の言葉を沁み入らせるように、マレークは想いを紡ぐ。
「お前の心が痛むのならば、今度は俺がお前を暖めてやる番だ」
抱き寄せた篝を一度離し、今度は背から包み込む。力強く、それでいて大切に。体温も鼓動も、耳に触れる程に近い息遣いも、全て篝に伝えようとした。
この熱は、この吐息は、篝が居るから熱いのだ。篝がいつも暖めてくれたから、竜の身は熱を得た。
その熱を今こそ返そう。篝がマレークにしてくれたように。
「俺はお前のように行く道を照らすことは出来ないけれど、闇の寒さに震えないよう包んでやることは出来る」
伝わるか。
この鼓動。この熱。この心。この想い。
嗚呼、触れた箇所から全部伝わってしまえばいいのだ。そうしたら篝は安心してくれるだろうか。
「だから俺の女神よ」
だが触れるだけでは伝わらぬ不便な心。だから、言葉という音に乗せて伝える。
他の誰でもない、マレークの女神に伝わるように。
「俺の行く手を照らしてくれ」
その瞬間風が駆け抜けて、全ての障子に映る「痛み」が消え失せた。
果てなどなかった廊下には果てがあり、長い長い登り階段が姿を現す。
風の余韻が二人の髪を揺らす。
そして、ただひとりの愛する男の腕の中で、女神は朝露に濡れた花のように美しく笑った。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
向坂・要
痛み、ですかぃ
あー…なるほど
まぁ、それも痛み、ってやつに違いねぇや
鉱物の身ながら自我を得てはじめての持ち主(主人)との別れでもある戦火に消えた幸せな家庭
ヒトになり名前を貰った人との別れ、仲間たちとの死別(別れ)
それらを含む様々な別れ、そしてヒトの姿を持たず水底に沈んだ記憶、ヒトの姿を得てからの大小の傷
どれが1番と惑う様に映し出されるそれらに逆に興味深げになるほどと独りごちて
逆に懐かしさすら感じてしまう自分に苦笑して
お前さんは本当に嫁さんも娘さんも大切なんですね
でもどうせ再生するなら悲しい場面より笑顔の1つや2つ思い出してやった方が喜ぶと思いますぜ
多分ね
と内心呟きつつ通り抜け
アドリブ
絡み歓迎
●
変質させてしまった建物、と、ジョエルは言った。
男の悲しみと痛みが影朧の力と影響しあって出来た、痛みの遊郭だと言った。
「痛み、ですかぃ」
向坂・要(黄昏通り雨・f08973)は、眼前に延々と続く映画フィルムのような障子に目を細めた。障子には、影で映し出されたいくつもの場面があった。
要は鉱物を削り作られた像を本体とするヤドリガミである。鉱物の身ながら自我を得て、はじめて持ち主というものを自覚した。幸福な家庭であったその主人とその家族は、戦火に燃え別れた。
百年の歳月を経てヒトの姿を得て、名を貰った。名付け親たるその人とも死に別れた。幾人も仲間たちとも、出会い、そして死に別れてきた。
それら様々な別れの情景が、障子に影と映されている。
ヒトの姿を持たずに、水底に沈んだこともあった。水がこんなにも冷たく、重いものだと知らなかった。ヒトの姿を得てからも、大小様々な傷を負い、此処まで歩いてきた。
「あー……なるほど。まぁ、それも痛み、ってやつに違いねぇや」
確かにこれは痛みだ。体のあちこちが痛む。胸の奥で、つんと冷たい匂いがする。どれが一番と惑うように、障子戸には次々と違う情景が映し出される。それはまるで共感を知らぬ己への揶揄のようであり、また己自身の心のようでもある。
痛む身体を無視して進む要は、映る影絵を逆に興味深そうに眺めて歩いた。そのどれもに逆に懐かしさなど感じてしまう自分に、苦笑すらした。自分の痛みの再生であるはずなのに、どこか他人事のように感じてしまう。
「痛み」というものを自覚出来ぬ、共感が出来ない自分。或いは要が自覚したのは、その事実に対する痛みだったのかもしれない。
だが、どうしようもないのだ。知らぬものを知りたいと思えども、それは今すぐに、願えば獲得できるようなものではないのだから。
やがて痛みの廊下は諦めたように再生を止め、あたりはしんと静まりかえる。そうして要の目の前には、先が見えぬ程に高い登り怪談が姿を現していた。
階段を登りながら、要はジョエルについて思いを馳せる。長い長い階段は、彼が妻子を亡くした神社の階段のようだ。遠く、男の嗚咽と呻きが聞こえてくる。
不安定とは言え影朧の領域すら変質させるほどの、深い悲しみと痛み。つまりそれは、裏を返せば。
「お前さんは本当に、嫁さんも娘さんも大切なんですね」
そう気づいた。
けれど、同時に思う。
「どうせ再生するなら、悲しい場面よりも笑顔の一つや二つ、思い出してやった方が喜ぶと思いますぜ。多分ね」
届いているかどうかは知らない。
けれど一年経った今も悲しみに沈んだままの男は、そろそろ救われたっていいと思うから。
要は、階段を登り続けた。
大成功
🔵🔵🔵
黒羽・唯
痛みの記憶:とある新月の晩に両親をこの手で殺した事
(ただし実行したのは別人格のため、唯は影を見ても自分の記憶だと気づきません)
痛み
…痛み?
「痛みって、なあに?」
そんなもの知らない
そんなものわからない
体の痛み?
ターゲットを殺すために負う傷なんて、気に留めることすらしなかった
心の痛み?
天国に連れていくお手伝いをしているだけなのに、どうして心を痛めなければならないの?
「まるでかくれんぼね」
それとも鬼ごっこかな
どちらでも構わないよ。私のやるべきことは一つだけだから
(ふわふわとした笑みはそのままに。廊下を駆けながら、ふとジョエルの事を思い出し)
…あの人は、天国に行きたいって思っているのかな
●
それは「痛みの遊郭」と声は言った。人の痛みを再生するのだと、直感的に判った。
廊下は果てを失くし、延々と続く両隣の障子は、部屋の中を影だけで照らしていつかの情景を放映する。
いつかの声。誰かの声。反響する悲鳴。呻き。誰かの戦い。誰かの死。
そんな情景の中を、黒羽・唯(純粋なる殺意のカレイドスコープ・f02353)はふぅわり首を傾げていた。
痛み。痛み。
……痛み?
「痛みって、なあに?」
そんなもの知らない。そんなものわからない。
これはだあれ?
これはなあに?
こんなもの、知らない。
新月の晩。暗い夜に星は控えめにささめいていた。誰かが誰かを殺していた。影だけでは、唯にはそれが誰なのか判別がつかない。
痛みとはなんだろう。唯は考える。これが痛みの記憶の再生なのだろうか。けれどわからないものに、痛みなど感じない。
それとも痛みとは、別のことだろうか。
「体の痛み?」
――否。
ターゲットを殺すために負う傷なんて、唯は気に留めることすらしなかった。
「心の痛み?」
――否。
天国に連れていくお手伝いをしているだけなのに、どうして心を痛めなければならない?
心の奥で、『神様』がざわついている気がした。けれど、それだけ。
『唯』は何も知らない。
障子に再生される影の情景は、唯にとっては映画と同じ。見知らぬ誰かの見知らぬ物語だ。だから気にも留めない。この情景で「痛み」を感じるのは、唯ではないのだから。
「まるでかくれんぼね」
それとも鬼ごっこかな。隠れるのはあなた。追いかけるのは私。
唯は目を細めた。ふうわりとした微笑みはそのままに、軽やかに廊下を駆ける。かくれんぼでも鬼ごっこでも、実質どちらでも構わないのだ。唯のやるべきことは一つだけなのだから。
廊下は諦めたように情景を映し出すのを止め、廊下に果てを作る。唯の目の前には、高く高く上る為の階段。或いはそれは、天国へと向かうそれのように、高い高い場所へと誘う。
暗闇に消える階段の先を眺めて駆けだしながら、唯はふとジョエルのことを思い出した。
痛そうな人。悲しそうな人。――生きているのが、つらそうな人。
「……あの人は、天国に行きたいって思っているのかな」
もし、そうなら。
私のやるべきことは、一つだけ。
大成功
🔵🔵🔵
冴島・類
【荒屋-弍】
一本道なのは良いんだが
分断は困ったな…
深呼吸する背をぽんと叩く
迷惑?かけられたことないが
行こうか、と踏み出し
広がる、音
ごうと燃える業火
笑う女、全身蝕む激痛
助けてどうしてと泣く
数え切れぬ悲鳴と、呪咀
予測はしたが一気に汗が流れる
胸を襲う痛み
何故あの時
己に血の出る身が無かったのか
腕を握られる感触
苦しそうなのに
捕まえようとしてくれている黒羽君見て
この身が痛いから
何だと言うんだ
障子戸に全力で頭突き気つけ
彼の掌、食い込む指を解く
脚があるのに止まって
また
届かない方が
どんなにか恐ろしい
黒羽君
大丈夫
ここは何時かじゃない
抜けるまで繋いで行こうか?と笑い
ああ
2人や、ジョエルさんも心配だ
ん?目覚まし程度さ
華折・黒羽
【荒屋-弍】
気付けば共に在った姿は減り二人に
…分断されてしまったみたいですね
一度深く深呼吸
見せられる記憶は分かっている
すみません類さん
また、迷惑かけるかも
以前共に赴いた依頼でも記憶に囚われ
彼が助けてくれた
次は負けぬ様
障子戸に影が浮かぶ
見つめる彼の視線は何処か遠い
類さん
呼び掛け手伸ばし掴む腕
朧に攫われぬ様にと
己の痛みも、又
炎に飲み込まれる村
逃げ惑う人々
そして彼女の、
『逃げて!くろ!』
冷たい汗が頬伝う
息が上がり拳を強く握れば喰い込む爪
痛みは消えず
大きな音に驚きびくり
上げた視線の先に彼が居る
─ああ、大丈夫だと
強張っていた身体が解れ
引かれた手に戸惑いながら
行きましょうか、二人の所へ
…額、大丈夫ですか?
●
「……分断されてしまったみたいですね」
「一本道なのは良いんだが、分断は困ったな……」
遊郭の名残の赤い格子に仕切られた、見覚えのない廊下。廊下の先に果てはない。遠くに見える闇の先にもまた、同じように廊下が続いていた。
共に在った姿は減り、今は華折・黒羽(掬折・f10471)と冴島・類(公孫樹・f13398)の二人だけ。
痛みの遊郭、と、ジョエルは言っていた。痛みの廊下と言っていた。人の痛みを再生する場所だと。黒羽は一度、深呼吸をした。痛みというのならば、見せられる記憶は分かっている。
「すみません類さん。また、迷惑かけるかも」
そう言って黒羽は律儀に頭を下げた。黒羽は、以前赴いた依頼でも記憶に囚われたことがある。その時は類が助けてくれた。だから次は、負けぬよう。情けない顔はもう、見せないよう。そのような黒羽の気負いの深呼吸を見て、
「迷惑? かけられたことないが。行こうか」
類は黒羽の背を優しく叩いた。踏み出す足は互いに覚悟を以て。ジョエルの痛みに触れる為、今二人も、痛みへと踏み出す。
突如、音が広がった。
ごうと燃える。業火が盛る。
女の影が笑っていた。それと同時、類は全身を蝕む激痛を自覚した。そう、あの日と同じ。
助けてと泣く。どうしてと喘ぐ。数え切れぬ悲鳴と呪詛。紡がれる怨嗟。
――類とて予測はしていた。
この身を最も蝕んだ痛みというのなら、この日の出来事以上のものはない。判ってはいたが、それでも類の身体を一気に冷たい汗が流れた。胸を襲う痛み。
何故あの時、己に血の出る身が無かったのか。
後悔か。悲嘆か。ずきり。ずきりと類の身体が痛んだ。
障子戸に浮かぶ影の再演。痛みを映し出すそれを見つめる類の視線は、何処か遠い。
「類さん」
此度は己がと手を伸ばす。黒羽は類の名を呼び、腕を掴む。朧に攫われぬようにと。あの日類がしてくれたように、しっかりと掴む。
黒羽にとて、焔の熱さを感じていた。
揺れる劫火に飲み込まれる村。悲鳴と共に、逃げ惑う人々の影。そして彼女の、
『逃げて! くろ!』
冷たい汗が黒羽の頬を伝った。
幾度再演されても慣れることなどない。深くこの身と心を抉る痛みは今も褪せぬままに黒羽を責め立てる。息が上がり拳を強く握れば爪が喰い込んだ。けれどそんなもので誤魔化せぬ程に、熱が、声が、痛みが黒羽を――。
己の腕を掴む感触で、類は意識を引き戻された。見れば黒羽が俯きつつも、ぎゅっと類の腕を掴んでいる。黒羽自身も苦しそうなのに、類が連れていかれないように掴まえようとして離さない。
それを見た瞬間、類の内に沸き上がったのは怒りに似た衝動だった。この身が痛いからなんだと言うのだ――!
ガンッ!!
類は振り被った頭を、全力で障子戸にぶつけた。大きな音に驚いたか、びくりと黒羽が震える。思わず上げた視線の先で、類は厳しい顔をして障子戸の先を見ていた。
類は、繰り返すわけにはいかない。類は人の姿を得たのだ。脚があるのに止まって、また届かない方が、どんなにか恐ろしいか。類はもう、知っているから。
障子戸から額を話した類は、いつもの笑顔で黒羽を見た。黒羽の掌を取り、爪が食い込む指をひとつひとつ、解いていく。
「黒羽君。大丈夫。ここは何時かじゃない。抜けるまで繋いで行こうか?」
その声を聞いて、笑みを見て、手を繋いでもらって。
――ああ、大丈夫だ、と。
黒羽は安堵の息を吐いた。強張っていた身体が徐々に解れていく。引かれる手に戸惑いながらも、繋いだ手を離すことはしなかった。
「行きましょうか、二人の所へ」
「ああ。二人や、ジョエルさんも心配だ」
痛みを乗り越えた故か、障子戸には何も映らなくなっていた。ただ部屋の中で朧と揺れる焔が、障子越しに二人の道を照らし出す。やがて果てなどないと思われていた廊下の突き当りに、天に昇るかのような長い長い登り階段が見えた時。
ふと、黒羽が類を見上げた。
「……額、大丈夫ですか?」
「ん? 目覚まし程度さ」
軽く笑って、二人は階段を前にする。遠く、ジョエルの嗚咽が聞こえていた。
「行こう」
頷き合い、二人は階段を登り始めた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
フェレス・エルラーブンダ
【荒屋-壱】
取り残されたのは竜と自分だけ
悪寒に毛が逆立つ
ふたりを探そうと言い掛け、止まる
『こんな痩せた獣一匹じゃ腹の足しにもならねえな』
『付近にゃ草一本残っちゃいねえ』
『肉が手に入っただけ、マシってもんだ――』
さんにんのにんげん
頭陀袋から滴る、あか、あか、あかいろ
ありったけのちからで、血が滲んでも障子戸を掻く
取られた手を一度は拒み
癇癪を起こした子どものように泣き喚き
かえして、いやだ、かえせ
獣の耳が拾った『なまえ』
刹那、意識が現世に引き戻された
ジャハル、
声は頼りなくも震えたけれど
宥める音を、声を
きちんと『ことば』として理解できるように、なったから
……すす、む
なんとか頷き、強くてのひらを握り返した
ジャハル・アルムリフ
【荒屋-壱】
ひどく冷えきった廊下
二人は何処だろうなと頭巡らせ
障子に縋った猫の子は何を見る
引き剥がそうとすれば
あかいろ滲む爪痕ごしに人の影
沢山、八つ、五つと減って最後は双つ
片方は徐々に薄らぎ
かすかに動いた横顔の唇は
ひきょうもの、と囁いて霧と消える
凍った手で心臓を掴まれた様な
息を呑む代わり、苦鳴の代わり
――フェレス、
かえせと暴れる手を取って
【うつろわぬ焔】は障子に爆ぜる炎の目隠し
…だいじょうぶだ
耳を伏せて、目を閉じて進め
震える小さな手が逸れぬよう、強く
野良猫と聞いた子
俺も、少しだけお前と同じだが
ひとりで、いたいままでも歩き続けて
そうして今まで生きてきたのだろう
…今はふたりだ
大丈夫、ちゃんと進める
●
ぐにゃりと視界が歪む目眩。思わず閉じた瞳を開けば、そこは見覚えのない冷え切った廊下。そして共に居たのは竜と野良猫だけ。四人は、二人だった。
フェレス・エルラーブンダ(夜目・f00338)は悪寒がして、毛が逆立った。冬の寒さというだけではない。野良猫の勘を刺激する、痛みの気配があった。
ふたりを探そう。
ジャハル・アルムリフ(凶星・f00995)にそう言いかけたフェレスの唇が、
『こんな痩せた獣一匹じゃ腹の足しにもならねえな』
この場の二人のどちらでもない声に、凍り付いたように止まった。
一本道の廊下の両隣には、壁の代わりに延々と続く障子戸があった。決して開かぬそれの中に、灯りが燈る。影があの日の記憶を再演する。
『付近にゃ草一本残っちゃいねえ』
『肉が手に入っただけ、マシってもんだ――』
影が映し出していたのは三人の人間だった。そして頭陀袋と思しきものから滴る、赤、あか、あかいろ――。
「……っ!!」
弾かれたように飛び出したフェレスは、ありったけの力で障子戸を引っ掻いた。その見た目に反し、障子戸は破れも壊れもしない。だからまた引っ掻いた。何度も、何度も、何度も。
「かえして、いやだ、かえせ」
血が滲もうと構うことなく、フェレスは障子戸に映る影を引っ掻き続ける。もう届くことのない過去へ幾度もかえせと叫ぶ。痛むのは爪か、心か。
二人は何処だろうと頭を巡らせたジャハルは、フェレスの飛び出した音でそちらを振り返る。障子戸に延々と映る人影。見知らぬ声。そして、障子戸のひとつに縋るように、引っ掻き続ける猫の子。
強固に傷つかぬ障子に、泣き叫ぶフェレスの指の赤が散る。止めようと一度はフェレスの手を掴んだ。だがジャハルの手は拒むように振り払われてしまう。フェレスは癇癪を起した子どものように泣き喚き、かえせ、かえせと縋り続ける。
もう一度その手を取らねばならぬと踏み出し、ジャハルはフェレスが縋る障子戸の向こうを見た。
ジャハルが見たそれは先程まで見えていた、フェレスのものとは明らかに違っていた。人の影がある。それは沢山、八つ、五つと減って、最後は双つになった。ジャハルの目の前で片方は徐々に薄らいでいく。やがて消えゆくその間際、かすかに動いた横顔の唇は、
『ひきょうもの』
そう囁いて霧散した。
冷気がジャハルの熱を一瞬で奪った。まるで凍った手で心臓を掴まれたかのように、冷たくて、冷たすぎて、心臓が痛む。
だがそれを表に出す程、ジャハルという男は幼くはない。息を呑む代わり、苦鳴の代わりに。
「――フェレス」
猫の子の名を呼んで、暴れるその手をもう一度取った。吐息のように吐き出される黄金の焔は、ゆっくりと爆ぜて障子戸の向こう側の景色を覆い隠していく。
名を呼ぶ声は染み入るようにフェレスの耳に触れ、それが己の名だと自覚した刹那、フェレスの意識は現世へと引き戻された。もう一度振りほどこうとしていた手が抵抗を失くす。これは恐ろしい手ではない。しっかりとフェレスの手を掴めど、決して押さえつけはしない。優しい、友の手だと知る。
「ジャハル、」
手を取った男を振り仰いで紡いだフェレスの声は、頼りなく震えていた。
「だいじょうぶだ」
その震えを包むように、ジャハルは静かに言葉を紡ぐ。
「耳を伏せて、目を閉じて進め」
もう一度大丈夫だと告げて、ジャハルはフェレスを宥める。親のように、兄のように。
以前フェレスは野良猫だった。怒りだけを抱いて生きてきた。けれど今は、宥める音を、声を、きちんと『ことば』として理解できるようになったから。低く落ち着いたジャハルの声は、フェレスをゆっくりと落ち着かせてくれた。
掴んでいたフェレスの手を一度離し、ジャハルは今度は手を繋いだ。
「俺も、少しだけお前と同じだが。――ひとりで、いたいままでも歩き続けて、そうして今まで生きてきたのだろう」
震える小さな手が逸れてしまわぬよう、強く手を握る。
「……今はふたりだ。大丈夫、ちゃんと進める」
大丈夫、と、大きな手でフェレスの手を包み込む。独りでは痛くて歩き出せなくても。独りでは冷たくて心が震えても。手を繋ぐ友が在るなら、共に歩きだせばいい。
「……すす、む」
なんとか頷いて、フェレスはジャハルのてのひらを強く握り返した。
黄金に踊る焔が二人を照らし、その先でやがて天へと至るような長い登り階段が深淵を覗かせていた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
灰神楽・綾
これからやろうとしている事は
結果的にジョエルと子をもう一度別れさせるという事
彼の痛みに踏み込むのなら
自分達も相応の痛みを受ける覚悟が必要なのかもね
痛みなんて日常茶飯事の俺に再生されるのは
少し前、別の世界での大きな戦い
敵の能力とはいえ「死にたい」という
抗えない想いで自分の身体を斬りつけた
俺にとって痛みはむしろ生を感じさせるもの
それが独りでただ生を終らせる為に
斬り続けるのは虚しくて寂しくて痛かったな
でもそんな俺を引きずり戻してくれた友達が居てね
組み敷いて怒鳴って
そして自身の手首を斬って
俺に血を分けてくれた
そんな彼を前に死にたいなんてどうして思えようか
自分の手を斬り血を啜り
あの時の記憶に思いを馳せる
●
赤の格子に区切られた障子戸と、果てのない廊下。「痛み」の廊下というのだという。朧だった遊郭が、ジョエルの深い悲しみと痛みによって変質したもの。ヒトが思う以上に、感情というものがもたらす影響は大きいのだろう。こんなものを変質させてしまう程に。
――つまるところ、灰神楽・綾(廃戦場の揚羽・f02235)たちがこれからやろうとしていることは、結果的にジョエルと子をもう一度別れさせるという事。それをジョエルも判っている。判っていて、此処に連れてきた。
「彼の痛みに踏み込むのなら、自分達も相応の痛みを受ける覚悟が必要なのかもね」
小さく息を吐く。それを「痛み」と知って、ジョエルも猟兵たちも踏み出した。だから、綾も踏み出さねばならねばならないのだろう。
廊下を駆けだした綾に、痛みが走る。
痛みなんて、綾には日常茶飯事だ。戦いに身を投げ込むのだから、当然のこと。
歩み出した先、障子戸に灯りが燈る。決して開かぬ扉の内で、つい先日の出来事が影として再生をはじめる。
ほんの少し前のことだ。サクラミラージュとは違う世界で、大きな戦争があった。事態の収拾に、多くの猟兵が動いていた。綾もその一人。
いくつもの戦いの中、敵の能力による抗いがたい「死」への衝動で、自身の身体を斬りつけた。
あの時の背を貫いた、今は癒えたはずの傷がずくんと痛む。
痛みとは、綾にとってはむしろ生を感じさせるもの。だというのにその時ときたら、精神的な攻撃による錯乱があったとはいえ、独りで、ただ己の生を終わらせる為に斬り続けた。
虚しかった。寂しかった。
生への実感など感じられるわけもなく、ただ独り、自分の生を終わらせる為だけの傷は孤独に似ている。その傷は、今までにない痛みを綾に刻んだ。
影はその場面ばかりを再生する。何度も、何度も、自分で自分を傷つける様を。
だが、それで終わった物語ではないのだ。
物語には続きがある。だから今綾は此処に居る。
「そんな俺を引き摺り戻してくれた友達が居てね」
デッドエンドだけを繰り返していた影が止まる。誰かが来る。自分を傷つけていた影の胸倉をつかみ、組み敷いて怒鳴って。そして自身の手首を斬って、綾に血を分けてくれた友が居た。
そんな彼を前に死にたいなんて、どうして思えようか。
身体は幻の痛みを痛みと認識して、あの時の傷を再演する。だが同時に、友の顔を、声を思い出すのだ。全ては繋がっているのだから。
幻の痛みに抗うように、綾は自らの手を斬り血を啜った。これがあの時の友の痛みか。
あの時の記憶に思いを馳せながら、綾は駆けだした。
長い廊下を駆け抜けた先。気づけば障子は記憶の再演を止め、果てない廊下の先にジョエルの嗚咽が微かに響く長い登り階段を出現させていた。
大成功
🔵🔵🔵
カイム・クローバー
痛みが今になって思い起こされる。片時も忘れた事ねぇあの日の痛み。忘れるモンかよ…。
俺は肉体の痛み、そして心の痛み。俺の左胸にある傷痕は昔、『あいつ』に下手くそなダガーで付けられた傷跡だ。心臓を抉り取るつもりで付けた傷跡は俺の命を奪うまでには至らなかった。代わりに俺のダガーがそいつの心臓を突き刺した。殺すつもりは無かった――なんて、言い訳にしかならないだろうが。一生残る俺の傷跡はその時の、忘れられない過去だ。
けど、俺は過去を振り返るつもりはねぇよ。あの日はどうしようもない理由があった。殺し合いを強要させる悪趣味な野郎が居た。それだけだ。いずれアイツに借りを返す。それまで、痛みで足は止められねぇよ
●
気づけば周りには誰も居なかった。
一本道の廊下には今、カイム・クローバー(UDCの便利屋・f08018)ただ一人。分断されたと知るも、ジョエルに悪気があったわけではないことは何となく判った。でなければ、事前に警告などしなかっただろう。
「痛みの遊郭」と、彼は言った。人の痛みを感じ取って、再生する廊下。カイムの両隣に延々と並ぶ障子戸は、それを証明するように次々と灯りを燈していく。手を掛けてもその扉は開かない。ただ、その記憶の影を再生する装置。
カイムにとっての痛みの記憶。体がそれを思い出しはじめる。ずきり。ずきりと疼き始める。
「ああ、片時も忘れた事ねぇあの日の痛み。忘れるモンかよ……」
強く拳を握りしめた。ギリと歯を噛み、カイムは一歩、一歩、廊下を歩き始める。
肉体が、心が、痛みを思い出していく。左胸の古傷がじくじくと疼いた。
(「これは昔、『あいつ』の下手くそなダガーでつけられた傷跡だ」)
障子戸が映し出すのは、二人の影。
心臓を抉り取るつもりでつけた傷跡は、あの日のカイムの命を奪うには至らなかった。その代わりに、カイムのダガーが『あいつ』の心臓を突き刺す。血が零れる。そうして『あいつ』は――。
殺すつもりは無かった、なんて。そんなことは今更言い訳にしかならないことは、カイムは分かっている。頭ではそう考えられる。だが、心がそう簡単に割り切ってしまえるわけもない。あのつけられた傷は一生カイムに遺るだろう。左胸の傷は、心の傷は、今もカイムを苛み、きっとこれからも苛むのだろう。カイムがその過去を忘れない限り。カイムの心が冷徹に過去を割り切ってしまわない限り。
「けど、オレは過去を振り返るつもりはねぇよ」
その痛みを抱えながら、カイムは前を向いた。俯かず。振り向かず。
障子戸に映る幻影を一瞥して、前を。
「あの日はどうしようもない理由があった。殺し合いを強要させる悪趣味な野郎が居た。それだけだ」
行く先を見据え、忘れられない過去を携えて、カイムは進む。やがて障子戸は諦めたように『あの日』の再生を止めた。果てのない廊下に果てが現れる。天へと上るような長い登り階段の先に、悲痛な嗚咽が微かに響く。
深呼吸をして、カイムは階段へと踏み出した。
「いずれアイツに借りを返す。それまで、痛みで足は止められねぇよ」
――足を止めれば、何処にも辿り着けないと知っているから。
大成功
🔵🔵🔵
芥生・秋日子
とにもかくにもジョエル氏の後を追わねばですね
ごくごく普通に生きてきた身なので、耐えられないほどの痛みは感じません。
痛みの記憶があるとしても「転んで痛かった」とか。「認めてもらえなくてつらい」とかそれくらいのものです。
まったく平気!ってほどじゃないし、そりゃあ痛いですけど……
けれど、でも
「このくらいの痛み『生きていれば普通』です!!」
自分に言い聞かせながら前に進みます。
何があっても立ち止まらなければ、普通に前に進めるはずです。ええ!
必ずジョエル氏に追いついてみせますとも。
●
遊郭を模したが故の、紅い格子窓の障子。延々と続く一本道の廊下。その先は真っ暗闇で、歩けども歩けども見知らぬ同じ景色ばかり。違うものは見えない。
「とにもかくにもジョエル氏の後を追わねばですね」
意を決して、芥生・秋日子(普通の人・f22915)は廊下を歩き始める。景色は変わらねど一本道。進む以外になかった。
ジョエルはこれを「痛み」の遊郭であり「痛み」の廊下と言った。成る程と思う。身を苛む些細な痛みが、それなのだろう。両隣の決して開かぬ障子戸に映る影は、痛みの記憶の再演だ。見たことのあるいつかの景色を、影はいくつも映し出す。その度、影に連動した場所が痛んだ。
秋日子はごくごく普通に生きてきた身。幸い、耐え切れない程の痛みはない。再演される記憶は「転んで痛かった」とか、「認めてもらえなくてつらい」とか、それくらいのもの。
だが「まったく平気!」と言えるかと言えば、そういうわけでもなかった。些細な痛みも、積み重なれば「痛いなぁ」と思う。認めてもらえないつらさも、重く心に圧し掛かる。我慢をしようと思えば出来るけれど、無視できるかと言えばそうでもない。痛みとはそういうものだ。
けれど、でも。
「このくらいの痛み、『生きていれば普通』です!!」
自らに言い聞かせるように、秋日子はわざと声に出した。
秋日子は普通に生きてきた女の子。だから、痛いものは普通に痛いけれど。それでも秋日子は足を止めることはなかった。
果てが見えなくたって、痛みを再生し続けられたって。
「何があっても立ち止まらなければ、普通に前に進めるはずです。ええ!!」
悲しみや痛みを比べる気はないけれど、それでも、一年間痛み続けた心を抱え、悲しみ続けた男が居る。影朧と知りつつ我が子に似た姿のオブリビオンを匿い、そうして訪れた猟兵たちを遠ざけるでもなく、此処に連れてきた。
こんな場所だ、罠かとも思ったけれど。不思議と悪意を感じないのは、此処に来る前にジョエルは何度も警告したからだ。
『あの子がいる場所は、少し……苦しいかもしれません』
『人を飲み込み吐き出さぬという、建物です』
『申し訳ない……ですが、もう少し、時間が欲しいのです。せめて、日が変わる迄……』
猟兵に影朧を渡したくないのなら、こんな風に言うだろうか。あんな風に、何度も謝るだろうか。
彼に敵意はない。ただ、時間だけを欲している。そう感じたから。
「必ずジョエル氏に追いついてみせますとも」
前を見て歩き続けた秋日子に根負けしたように、廊下の果てに長い登り階段が見えた。
大成功
🔵🔵🔵
ナターシャ・フォーサイス
痛みの記憶、ですか…
とは言っても私は使徒、痛みの記憶などもあまり…
…なんでしょう、変に頭痛が…。
髪の長いこの方は孤児でしょうか。
襤褸切れを纏い、空腹を訴え嘆く彼女は何者なのでしょう。
変に既視感と言いますか、そのようなものは感じますが。
可哀想に、これが過去のことでなければすぐにも救うのに。
生けるものは己が足で楽園を目指すもの。
飢えるなら恵み、凍えるなら衣服を与え救うのに。
いえ、それ以前に。
これは誰の記憶でしょう。
まさかとは思いますが…私の、ではないでしょう。
私は使徒として選ばれた身。
それより前の記憶など、捨てて久しいのですから。
仮に私のものとしても、それは枷となるもの。
切り捨て彼を探しましょう。
●
赤の格子の障子戸と、延々続く一本道の廊下。他の猟兵の姿はなく、分断されたのだと知る。だが敵に襲われるでもなく、ナターシャ・フォーサイス(楽園への導き手・f03983)はただ廊下を歩む。
「痛みの記憶、ですか……とは言っても私は使徒、痛みの記憶などあまり……」
「痛み」の廊下と言った。痛みの記憶を再演するのだと言った。それを証明するかのように、障子戸の内に灯りが灯る。影が揺れる。痛みが、再生される――。
ズキン。
「……なんでしょう、変に頭痛が……」
不意の頭痛がナターシャを襲った。殴られたのかと思う程に頭が痛む。脈動に合わせるようにズキン、ズキンと、頭の奥の何処かが痛む。思わず頭を押さえ、よろめいて障子戸に手を着いた。その向こうで、影が形を為していた。
髪の長い幼子が居た。孤児のようだった。
襤褸切れを纏い、空腹を訴えて嘆く、彼女は何者なのだろう。
影だけでもわかる程に彼女はボロボロで、何も持っていなかった。
(「可哀想に、これが過去のことでなければすぐにも救うのに」)
使徒として、ナターシャはそう思った。生けるものは皆、己が足で楽園を目指すもの。
飢えるなら恵み、凍えるなら衣服を与え救うのに。
それがナターシャの使命であり、優しさであり、慈悲だ。
「いえ、けれど、それ以前に」
だと言うのに、目の前で繰り広げられる影絵に、違和感とも既視感ともとれる、言いようのない感覚がナターシャに広がっていた。知らないのに知っている。知っているのに知らない。そんなもどかしさに似た既視感。
「これは誰の記憶でしょう」
呟いた言葉にすら、違和感を感じた。
だってこれは痛みの記憶の再演だと言う。そして今、此処にはナターシャしかいない。他の誰の記憶を再生するというのだ。今もまだ頭痛が消えないというのに。
「まさかとは思いますが……私の、」
言いかけて口を噤んだ。
そんなはずはない。そんなわけはない。
ナターシャは使徒として選ばれた身。それより前の記憶など、捨ててしまって久しい。仮にこれがナターシャの記憶だとしても、それは楽園の使徒にとって枷になるものでしかない。
ならば要らない。
そう、断じた。
使命の枷となるならば切り捨てましょう。これは不要なものなのだから。
頭痛は未だ消えずとも、今はそれを気にしない。ジョエルを探すことが先だ。
そう決めて進むナターシャの前に、果てなどなかった廊下に果てが出現していた。それは楽園へと至る天への登り階段のようで。
けれど天には何が待つのか、今は見えない。
大成功
🔵🔵🔵
コトノネ・コルニクス
傷も無ければ血も流れん…痛覚のみか
はっはっは、いったいのー
しかし残念じゃな、此の程度では我の翼は止まらんぞ
さぁ、ひとっ飛びに向かってやろ
心の臓を潰された。ただそれだけの事
不死たる我に致死は無く、それとてただの傷でしかない
必殺の技も、決死の一撃も、我が身には無意味じゃ
それでも、そうと分かっていても尚
我を屠ろうとする者がいた
殺意を湛えた目を覚えている
血を吐き吠えたその声も、満足に動かぬ腕で武器を振るい続けるその姿も
嗚呼、懐かしい
戦士の矜持に殉じようとする意志の、不死さえ殺さんと猛る魂の、なんと美しかった事か
愛しい痛み、愛しい記憶
遠い昔の、美しく尊い心覚え
煩わしいなど、思うものかよ
●
痛みの廊下。通る者の痛みの記憶を再生し、その身体に、心に、痛みをフィードバックさせるもの。もともと全く違う存在であったものを、ジョエルの悲しみと痛みが影響を及ぼし、傍に居る影朧の力で変質してしまったもの。
「傷も無ければ血も流れん……痛覚のみか」
神であるコトノネ・コルニクス(冠鴉のバズヴ・f22112)は、この遊郭をそう分析した。痛覚がその時の再演をする。胸の奥が焼けるように熱い。
「はっはっは、いったいのー。しかし残念じゃな、此の程度では我の翼は止まらんぞ」
だがそれを、一笑に付す。此処に在るのは超常たる存在、濡烏の翼広げたる古きもの。痛みの記憶。痛みの再演。脅威に非ず。
「さぁ、ひとっ飛びに向かってやろ」
コトノネは不敵に笑って飛んだ。
一本道の廊下は、その両隣が赤い格子の障子戸だ。延々続くそれに映し出されるのは、いつかの遠い日の記憶。
忘れ得ぬあの日を、影が再演する。
――心の臓を潰された。ただそれだけの事。
痛みはあったが死は訪れなかった。不死たる彼女に致死は無く、それとてただの傷でしかない。
必殺の技も、決死の一撃も、神たるコトノネには無意味であった。致命と見えてもそれだけで、痛くはあってもそれだけで。彼女は決して死にはしない。
「それでも、そうと分かっていても尚、我を屠ろうとする者がいた」
あの時の痛みがもう一度、心臓を握り潰した。幻痛と分かっていて、コトノネは胸に手を当てた。
殺意を湛えた目を覚えている。
血を吐き吠えたその声も、満足に動かぬ腕で武器を振るい続けるその姿も。
「嗚呼、懐かしい」
戦士の矜持に殉じようとする意思の、不死さえ殺さんと猛る魂の、なんと美しかったことか。
執念のような殺意は愛と似ている。届かぬと知って尚手を伸ばし、最期まで諦めなかったその手は遂に心臓へと届いたのだ。
愛しい痛み、愛しい記憶。
遠い昔の、美しく尊い心覚え。
胸に手を当て、コトノネは飛び続ける。
この痛みはかの存在の証。痛みは辛く苦しいばかりではない。痛みすら愛しいと思う時があるのだと、影朧は知らぬやもしれないが。
「煩わしいなど、思うものかよ」
痛みも記憶も携えたままに駆け抜けたコトノネに、障子戸はいつしか影の再演を止めていた。胸を潰す痛みは消えて、今は疼きに似た残滓を残すのみ。
やがて見えた長い長い登り階段を、コトノネは羽搏きを以て登り行く。
神が天へと至るが如く。
大成功
🔵🔵🔵
水標・悠里
見たくない、聞きたくない、思い出したくない
この痛みを生み出す心をくれたのはあなただというのに、どうして
一面の赤と握り締めた短刀と
息も絶え絶えに僕のこれからを心配する優しい声
あの日
今まで生きてきた温かな世界を自分の手で殺してまで
姉さんが僕を助けようとしてくれていたのは何故
僕は姉さんの為なら命なんて惜しく無かったのに
人のために死ねよと言われ諦めていたはずなのに
自分を失い心を砕かれて幽鬼の如く虚ろの目を見た瞬間に、あなたが身代わりになったと理解した
「この日死ぬために生きた僕から生きる理由を奪ったのですか」
耳を塞ぎ詰る自分の声から
只管走って逃げる
違う、ただあなたを助ける為だったと分かって欲しかっただけ
●
痛みを感じるのは心か。体か。それとも、両方か。
嫌な予感がした。
痛みの廊下。痛みの記憶を再演する場所。ずらりと両隣に障子戸が並んだ一本道。赤い格子は遊郭の名残か。決して開かぬ戸の向こうで、和燈が揺れて、影が踊る。
焔が揺れる。飛沫が散る。
水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)はガタガタと震えだす身体を何とか押さえつけようとして、だが、出来なくて。
やめて。嗚呼、やめてください。
見たくない。聞きたくない。思い出したくない。
この痛みを産み出す心をくれたのはあなただというのに、どうして――。
一歩も歩みだせぬままに立ち尽くしたとて、廊下は痛みの記憶の再演を止めない。障子戸ひとつひとつに、同じ情景が影と踊る。それに引き摺られるように、悠里の記憶が鈍い音を立ててあの日を瞼に描き出す。
一面の赤と、握り締めた短刀。
『あなた』は息も絶え絶えに、悠里のこれからを優しい声で心配している。
悠里から血の気が引いて、赤の世界に在るのに酷く寒かった。
あの日。
今まで生きてきた温かな世界を自分の手で殺してまで、『姉さん』は悠里を助けようとしてくれていた。
けれど悠里にはその行動が理解出来なかった。
「何故ですか。僕は姉さんの為なら命なんて惜しく無かったのに」
心からの本心だった。
人のために死ねよと言われ続けて、己の生など諦めていたはずなのに。この命を使うのならば、最愛の姉の為がいいと思い続けてきたのに。
なのに『姉さん』は、悠里のことばかりを案じる。
自分を失い心を砕かれて、幽鬼の如く虚ろの目を見た瞬間に、『姉さん』が身代わりになったと理解した。
「この日死ぬために生きた僕から、生きる理由を奪ったのですか」
この日自分が死んで、姉が生き残るならそれでいいと思った。心の底から思っていたのに。
あの日の自分の声から耳を塞ぎ、只管に走って逃げた。
もう声が聞こえないように、わざと大きな声を出して走った。
痛い。痛い。もう何処が痛いのかわからない。全部が痛い。あの日死ねなかったこの身体が、心が、痛くて痛くて砕けてしまいそうで。
違う、違うんです。そんなことを言いたかったんじゃない。
ただあなたを助ける為だったと、分かって欲しかっただけ。
あの日砕けた心は、未だ砕けたまま。欠けたものを埋められるものはなく、胸に開いた穴から溢れ出したのは狂気と空虚だけ。
逃げるように駆け続けた。
互いは互いを守りたかっただけ。
ただそれだけだったのに、いつしか互いに反対の手を伸ばしていた。
共に生に手を伸ばさず、死に手を伸ばしてしまった。
それを受け容れられるのは、何時――。
いつしか廊下に響くのは悠里の乱れた呼吸と足音だけになった。和燈はひとつ、またひとつと消えて、影は遠い闇へと還る。
逃げ抜いたその先で、長い長い登り階段へと辿り着いた。見上げれば先の見えぬ天で、闇が口を開けていた。
大成功
🔵🔵🔵
青和・イチ
成る程、まさに神隠しだ…
くろ丸…無事?
不思議な事には慣れてる、けど…
ここはまた格別
嫌な予感しかしない…(小さく溜息
勿論、彼を追うけど
痛みの記憶は沢山
壊れた玩具、枯れてしまった花
去って行く友の背…戦い斃れた仲間
でも
…ああ、やっぱり
一際濃く映るのは、目の前に立ち塞がる祖父
振り返り、頭を撫で
「元気でな」と笑って
紅く染まった視界――
痛いよ
痛いけど
僕はその痛みと生きて来た
忘れちゃいけない痛み
この痛みは傷であり…光だ
傍に在ってくれるふわふわも
仲間と呼んでくれる人達も
春の花のように笑う人も
僕の生きる理由で光
傷は塞がらなくても、痛みは消えなくても
いつかきっと…ジョエルさん、貴方にも
一瞬、目を袖口で拭って
駆ける
●
気づけば周りに誰も居なかった。分断されたのだと気づく。ただ、足元に擦り寄る感触に、相棒だけは離れなかったと安堵した。
「成る程、まさに神隠しだ……。くろ丸……無事?」
青和・イチ(藍色夜灯・f05526)は小さく息を吐いて屈んだ。相棒と顔の距離が近くなる。一声鳴いて頬を舐めるくろ丸の背を、優しく撫でてやる。
遊郭に足を踏み入れたと思ったら、何時の間にか分断されて見知らぬ廊下に居た。分岐はない。ただの一本道だが、何処までも果てがなかった。両隣は壁でなく赤い格子の障子戸が延々と続く。手を掛けてみたが、どうやっても開かないし壊れなかった。奥に部屋はあるようだが、どの部屋も和燈がゆらゆらと揺れているだけ。
猟兵という仕事をしていると、不思議なことにも慣れてくる。けれど、ここはまた格別。イチの背筋に居心地の悪い感覚がある。
「嫌な予感しかしない……勿論、彼を追うけど」
小さく溜息をついた。けれど、ジョエルを追うならば進むしかない。イチは意を決して歩き始めた。
障子戸にいつの間にか影が映る。影はイチの痛みの記憶を読み取って、再生しはじめる。それをイチの身体にフィードバックしながら、「痛み」を思い出させていく――。
痛みの記憶は沢山あった。
壊れた玩具。枯れてしまった花。去って行く友の背。……戦い斃れた仲間。
痛みの記憶は別れと繋がっている。いくつもの別れがあった。いつも見送る側であるように思う。見送られることもあったかもしれないけれど。
いくつもの痛みの記憶が再演されては、ちくちくとイチの心を痛ませて去っていく。
でも。……ああ、やっぱり。
そして記憶は巡り、その日へと辿り着いた。
影は一際濃くその日を映し出す。
目の前に立ち塞がる姿があった。間違うものか、あれは祖父だ。
祖父が振り返った。影だけであるはずなのに、その表情まで全部思い出せる。
頭を撫でた。その感触を今も覚えている。くしゃりと髪を撫でたその手を、ありありと思い出せる。
「元気でな」
笑って言った。短い言葉だった。その声が聞こえたことが少しだけ嬉しくて、それでもやっぱり寂しくて。
そうして視界は、障子戸は紅に染まった――。
「痛いよ」
ぽつり、呟いた。
大好きだった。今も大好きだ。
思い出すたび張り裂けそうで、掴んだ胸の下で服がくしゃりとした。
「……痛いけど」
くろ丸が心配そうに足元をくるくると廻って、イチを見上げている。
強く眉を顰めた苦し気な顔で、それでも、顔を上げた。
「僕はその痛みと生きてきた。忘れちゃいけない痛みだ。この痛みは傷であり……光だ」
その痛みをずっと抱えてきたからこそ言えること。
傍に在ってくれるふわふわも、仲間と呼んでくれる人達も、春の花のように笑う人も。
イチの生きる理由で光。
傷がふさがらなくても、痛みは消えなくても、その光があるから、イチは痛みを抱えて生きていける。
だからイチはジョエルに問うたのだ。「心に灯る光はあるか」と。
「いつかきっと……ジョエルさん、貴方にも」
光を見つけられるように。
そう祈って。
一瞬、目を袖口で拭って、イチは駆けだした。
痛みを抱え、痛みと共に、光を連れて。
障子戸の影は痛みの記憶の再生を止めて、いつしか闇に還っていった。駆け続けた先で現れた長い登り階段は、ジョエルが妻子を亡くした登り階段のよう。遠い先で、ジョエルの嗚咽が聞こえる。今も、泣いている。
イチとくろ丸が目を合わせ、頷き合って階段を駆け上る。
光無き男と、幼き影朧の元へ。
大成功
🔵🔵🔵
第3章 ボス戦
『討つべき怪異・ヤオフー』
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POW : もういいかい、もういいよ
戦場全体に、【周囲の環境に合わせ、木々や路地などの幻影】で出来た迷路を作り出す。迷路はかなりの硬度を持ち、出口はひとつしかない。
SPD : つかまえてごらん!
肉体の一部もしくは全部を【狐】に変異させ、狐の持つ特性と、狭い隙間に入り込む能力を得る。
WIZ : あのね、秘密よ
自身と自身の装備、【手を繋いでいる】対象1体が透明になる。ただし解除するまで毎秒疲労する。物音や体温は消せない。
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴
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●
『痛みの廊下』を抜け、長い階段を駆け上がる。やがて階段は天へと至り、朧遊郭の天井を抜けて夜空が見えた。その先へと、猟兵たちは駆けこむ――。
視界が途端に開けた。外界へ出たのだ。しかしそこは、ただの楼閣の屋上ではなく――、桜の花弁舞う、神社だった。
夜の帳が下りた世界で、山の上にあるらしいその神社は幽玄に佇んでいた。参道の両脇に老齢の桜が並び、決して止まぬ花弁を降らせている。
振り返れば、今登ってきた階段の入り口は消えていた。ただ、遠かった嗚咽と子どもの声が、現実感を伴って猟兵たちの耳に届く。
櫻の木の影で、女の子が此方を見ていた。猟兵たちに気づくとぱっと走っていく。後を追っていくと、一際大きな櫻の木にもたれて座り込むジョエルの姿があった。女の子はジョエルに何事かを話すと、その背に隠れてしまう。
「嗚呼……来たのですね」
その代わりに、やつれきった顔のジョエルが緩慢に此方を向いた。
「皆さんには……申し訳ないことを……。ですが、此処に来る為には、どうしても、あそこを通らねば、ならなかったので……」
夕刻よりも明らかに顔色が悪くなっている。立ち上がる気力さえ今はないような様子で、ジョエルはそれでも深く頭を下げた。
そうして、背に隠れた女の子の背を、優しく押した。
「……この子です。ミカ……いえ、ヤオフーと言います」
見知らぬ者たちに囲まれて、不安そうに見上げる姿はまさしく愛らしい子どものそれ。だが、猟兵たちには対峙するだけで感じてしまうのだ。
その子が「影朧」であるのだと。
ジョエルはぽつり、ぽつりと話し始めた。
一か月前、死に場所を求め街を彷徨い歩いていた時に、あの遊郭の前で遊ぶ子ども――ヤオフーを見た。あまりに娘にそっくりなその姿に、気づけば思わず後を追っていたという。
「一か月、この子と共に居ました。この子に敵意や、害意はありません。ヒトの子どもと同じように、遊んで欲しいだけの子どもです」
初めは警戒していたヤオフーも、徐々にジョエルに懐くようになった。父と呼ぶようになり、共に遊ぼうと誘い、絵本を読んでくれとせがむ。まるで娘が帰ってきたような気になって、ジョエルもまた、ヤオフーの存在を心の拠り所としていった。
それだけならよかった。
だが、ヤオフーは影朧だ。彼女自身に敵意はなくても、存在するだけで傍に在る者の生気を奪っていってしまう。そうしてジョエルは、一か月の間に衰弱していった。
「それを責める気は、ないのです。私は、此処に囚われていたわけではない。自ら此処に足を運び、娘のようなこの子の側にいた。娘によく似たこの子の傍を、離れたくなかったのです。……私にはそれが、耐えられなかった」
そう言って、ジョエルはヤオフーの髪を優しく撫でる。嬉しそうに目を細めるヤオフーとジョエルは、正しく親子のように見えた。
「貴方達のすべきことは、私もわかっているつもりです。それを止はしません。ですが、どうか……傷つけるのではなく、この子と遊んでやってくれないでしょうか。私はもう、この子と遊んでやれないのです」
我儘だと知りながら、ジョエルは猟兵たちに懇願した。
立ち上がることも出来ぬのでは、子どもが満足するまで遊んでやることは難しい。だが、この子はずっと、「一緒に遊んで欲しい」と、そればかりを願う。満足するまで遊んでくれたなら、彼女はきっとそのまま浄化されていくだろう。
「出来るならば、日が変わるまで……そうしたら、この子との『約束』を果たして……見送ります」
『見送る』。
その言葉を音にするまでに、幾ばくかの間があった。それがジョエルの心だった。
「……さあ、おいで、ヤオフー。この方たちが、遊んでくれるかもしれない。ご挨拶が、出来るかい?」
愛情のこもった優しい父の声で、ヤオフーに問うた。おずおずと顔を出したヤオフーは、猟兵たちを不思議そうに見渡し、何かを納得したような表情を浮かべたかと思うと、ぱっと笑った。
「できるよ! こんばんは。わたし、ヤオフー!ね、遊んでくれる? ならクリスマスごっこしよう? サンタはわたし!」
軽やかに立ち上がると、ヤオフーは無邪気に笑う。その顔に邪気、偽りの類は感じられない。
サンタごっこ?
誰かが聞けば、ヤオフーは元気よく頷いた。
「そう! わたしはサンタだから、みんなに素敵なプレゼントを配るの。でもサンタは大忙し。あっちこっちを飛び回ってるサンタをつかまえられないと、プレゼントもらえないんだよ」
プレゼントはこれ、と、桜の木の後ろから、真っ白な袋を引き摺ってきた。中にはジョエルから貰ったたくさんのプレゼントが入っているのだという。
「かくれんぼや鬼ごっこするから、わたしをつかまえてね! そしたらとってもとっても素敵なプレゼント、あげるからねっ」
駆けだしては「つかまえてごらん!」と笑うヤオフーを見送って、ジョエルが再び猟兵たちに頭を下げる。
一般人の身で、影朧の身体能力についていくことは容易ではない。彼女も今まで全力では遊べなかったから、と。ヤオフーのことばかり気に掛けて、ジョエルもまた小さな袋を握った。それが『約束』なのだと言って大切に抱え込んだ。
神社の境内で、ヤオフーが猟兵たちを呼ぶ。
「ねーえ。あなたたちのかなえたいお願いって、なあに?」
「あなたたちにかけられたお願いって、なあに?」
「ヤオフーはね、どっちもあるんだよ」
冬の月を背にして笑う、子どもの影朧。日が変わるまであと一時間。
猟兵たちは、どうすべきかを考えた。
櫻の花が、散っている――。
**************************************
●お知らせ
この章は、参加者様の行動によって結末が変化致します。
ジョエルやヤオフーとどのように接し、彼らの願いに対してどう行動するかは、参加される皆様にお任せいたします。
●ヤオフー
戦闘力と敵意を持たない子どもの影朧です。
傍に居るだけで生命力を吸い取りますが、それも急激なものではありません。
「あなたの願いはなあに?」
「あなたにかけられた願いはなあに?」
ヤオフーはこの二つの質問を、必ず猟兵たちに投げかけます。答えるかどうかは皆様の自由です。
●ヤオフーと遊ぶ
思考は子どものそれですが、身体能力だけは影朧のもの。
遊びにも無意識にUCを使用します。遊んで下さる場合は、猟兵の皆様も技能やUCを駆使して遊んだり、お話して頂ければと思います。
ヤオフーは皆様と遊ぶと満足して浄化されていくでしょう。
ヤオフーからプレゼントが贈られたりしますが、アイテムとして発行されるわけではありませんのでご了承下さい。
贈られたプレゼントの扱いについては、好きにして頂いて構いません。
●プレイング受付日時
【12/19 8:31~12/21 23:00まで】の予定です。
黒羽・唯
(ジョエルを見る)
「貴方は天国に行きたいの?」
ちょっと聞いてみただけ
だって貴方はオブリビオンじゃないよね
オブリビオン以外殺しちゃ駄目って、神様と約束してるから
(ヤオフーを見る)
あの子はオブリビオンだから、天国に送らなくちゃ
【闇に紛れる】で姿をくらましながら近づいて、隙を見てダガーで――
(ぴたり、と唯の動きが止まる)
(以下、喜怒哀楽の『楽』穏やかな女性の人格で)
「ごめんね、かわいいサンタさん」
この子は、ただ敵を殺すことしか知らないから
きっと怖がらせてしまっただろうから、謝罪しつつダガーから手を放すよ
……お願い、か
『私達』の願いはただひとつ
唯。この子が、この先の未来を人間らしく生きられるように
●
櫻舞うかそけき夜に、冬の匂いがした。
櫻の木の一本に凭れて座るジョエルの前に、小さな影が差す。見上げれば、銀色の少女が月を背に立っていた。
「貴方は天国に行きたいの?」
天使のような柔らかさと、隠し持った鋭利なナイフのような鋭さが覗く少女――黒羽・唯(純粋なる殺意のカレイドスコープ・f02353)だった。
ジョエルは考え込むように顎に手を当て、やがて首を横に振った。
「あの子に会うまでは、そのつもりでした。けれど、今はわからない。自分がどうするべきか……決めあぐねているのです」
苦笑いに似た音が零れたけれど、ジョエルは俯きはしなかった。答えを聞いた唯は、ただ静かに笑う。ふわふわと、掴みどころのない笑みで。
「そう。……ちょっと聞いてみただけ。だって貴方はオブリビオンじゃないよね。オブリビオン以外殺しちゃ駄目って、神様と約束してるから」
目を見開いたジョエルにくるりと背を向けて、唯の視線は楽し気にサンタ帽子をかぶるヤオフーへと向けられた。
あれは紛れもなく影朧。ならばすべきことは決まっている。
「あの子はオブリビオンだから、天国に送らなくちゃ」
「まっ……ヤオフー!!」
伸ばした手は空虚を切った。月影の一瞬の闇に紛れて、既にそこに唯の姿はない。投げ出された身体を持ち上げ、ジョエルは賢明にヤオフーの元へと這いずる。幼き影朧の背の闇で、月光に鋭利な光が冴えた――。
「……」
だがその光は振り上げられることもないまま、唯はぴたりと動きを止めた。少しの間そうしていたが、名を呼ぶジョエルの声に気づいたヤオフーが振り返る。少女の手に握られていたダガーをじっと見た。ジョエルは今も懸命に地を這い、ヤオフーを呼ぶ。
「ごめんね、かわいいサンタさん」
動きを止めていた唯が、穏やかな口調と微笑みで語り掛けた。それは今までの掴みどころない雰囲気ではなく、明確に感情の『形』を持っていた。
「この子は、ただ敵を殺すことしか知らないから」
きっと怖がらせただろう。唯――正確には、唯の中に宿る『神様』の一人――は、ゆっくりとダガーから手を離し、ヤオフーとジョエルに目を向け謝罪した。
「おねえさん、すごいねえ! だるまさんがころんだ、とっても上手! ヤオフー気づかなかったよ」
遊びを勘違いしたのだろう。ヤオフーは唯の行動を気にした様子もなく、感動の目を向けた。サンタ帽を被りなおし、ヤオフーは父に手を振ってから唯の前に袋を持って立つ。
「サンタをつかまえたおねえさんに、サンタから贈り物があります。でもその前に、聞かせてね。あなたのお願いは、なあに? あなたにかけられたお願いは、なあに?」
首を傾げて問う。
それはヤオフーにとっては、サンタの儀式のようなものなのだろう。願いを聞いて叶えるのが、彼女にとってのサンタだ。
「……お願い、か」
唯は穏やかに笑う。決まっているとでもいうように。
「『私達』の願いはただひとつ。唯。この子が、この先の未来を人間らしく生きられるように」
自らの身体を抱き締めた唯には、慈しむような微笑みが浮かんでいた。唯が『神様』だと認識している彼女の別人格たちは、皆それだけを望んでいる。
ヤオフーは、そんな唯をじっと見ていた。赤の瞳は本質を見つめるように、ただ真っすぐに。やがて袋をごそごそと漁り、金の星飾りをひとつ取り出した。
「じゃあね、おねえさんにはお星様をプレゼント! ツリーのてっぺんに飾るのよ。きぼうの星なの!」
だからね。
「きっと、あなたたちのお願いがかないますようにって、 ヤオフーがこのお星様にお願いしたから! いつかきっと、かなうよっ」
応援のようで、祈りのよう。
あなたたちのお願いが叶いますように。
ヤオフーは願いをかけて、その星を手渡した。
成功
🔵🔵🔴
マレーク・グランシャール
【神竜】篝(f20484)と
満足して消えてくれるならそれに越したことはない
ジョエルも我が子に似た影朧が討たれることを望むまい
子を持つ親の気持ちなぞ同じ
子どもと遊ぶのは任せろ
コツは適度に負け、適度に勝つこと
最初は【泉照焔】の失せ物探しで出口を探すふり
【雷槍鉄槌】で破壊しながら正面突破する小芝居も入れる
篝の偵察を案内にするがこれまた演技
焦って影朧を探しているふうを装おう
追いかけっこに飽きる前に篝の【慈愛灯明】で迷路を解除
迷彩と残像、フェイントで影朧の目を欺き一気にダッシュし捕まえる
プレゼントはありがたく頂戴
俺にかけられた願いは「生きて」という呪い
俺の願いか……それは潰えたからもうないのだ
照宮・篝
【神竜】まる(f09171)と
消えゆく子供と、最後の遊びか……
せめて、独りで往くその旅路を迷わぬように
【黒虎轟】に乗って、迷路となった路地の上空へ浮かぶ
この子は撫でるとにゃあと鳴くぞ
上空からにゃあにゃあと偵察しつつ、相手に動きが筒抜けになるように
でも、相手の動きはちゃんとまるに伝える
まるが攻めに転じるようなら、私は【慈愛灯明】を
私は、君を受け入れたい。隠れないで、出ておいで――
まるが捕まえる時は、ヤオフーが逃げる方向を黒虎で通せんぼだ
せっかくのプレゼントだ、私も有り難く貰っておきたい
私に掛けられた願いは、遍く全てを受容する希望である事
私の願いは…まるにどこまでも寄り添って、照らし続ける事、だな
●
櫻、桜、冬の夜に舞う――。
「消えゆく子供と、最後の遊びか……」
「満足して消えてくれるならそれに越したことはない。ジョエルも我が子に似た影朧が討たれることを望むまい。子を持つ親の気持ちなぞ同じ」
照宮・篝(水鏡写しの泉照・f20484)とマレーク・グランシャール(黒曜飢竜・f09171)は、くるくる遊ぶ少女を、櫻の木にもたれかかるジョエルを順に見つめた。互いに娘と呼ぶ子達が、彼らの家たる砦で待っている。故に、ジョエルの想いは想像出来ないわけではない。マレークの言う通り、愛しく思う子がいる親ならば、その気持ちなぞ同じなのだろう。
「せめて、独りで往くその旅路を迷わぬように」
送り出そう。最期は『父』が見送るのだとしても。篝は泉照。黄泉路を彷徨う魂に寄り添い導く、導の焔なのだから。
「子どもと遊ぶのは任せろ」
ジョエルにそう短く告げると、マレークはヤオフーを見る。察したようにぱっと笑顔になったヤオフーは、両手を掲げて。
「じゃあ、かくれんぼ! わたしを見つけてね!」
その掲げた手が、無意識に幻影のヴェールを重ねた迷路を創り出す。ヤオフーにその気がなくとも発動させてしまう力は、やはり過去の残滓。けれど海へと還してしまう前に、花を散らしてしまう前に――。
黒虎轟に乗った篝は、迷路となった路地の上空へと浮かんだ。白魚の指が頭を撫ぜれば、黒虎轟は「にゃあ」と鳴いた。にゃあにゃあと偵察をしながら上空を浮かび、ヤオフーを探し迷う。その姿は、手水鉢の陰に隠れていたヤオフーには筒抜けだ。
「にしし」と笑って反対を見れば、地ではマレークが見えぬ迷路の出口を探し歩いている。手には焔が入った綺麗な水晶を持っていて、時折止まってはその中を確認している。時折空を見ては篝と視線を交わし合い、また出口を探して彷徨いはじめる。
(「これならすぐには見つかんないよ」)
そんな風に思ったら、今度は大きな音がした。マレークが槍を思い切り投擲して、壁を打ち破り正面突破しようと試みたのだ。
(「あわわわ! 逃げろ逃げろ!」)
見つからぬうちにと、慌ててヤオフーは移動を開始する。篝は上空を過ぎ去ったところ。マレークは焦ってヤオフーを探しているが、此方を見てはいない。まだ見つかっていないはず――なんて。
勿論そんなこと、大人には通用しているわけもなく。
「子どもと遊ぶコツは、適度に負け、適度に勝つこと」
時は少し遡り、ヤオフーが隠れたところ。マレークは篝へそうアドバイスしていた。子ども心はそう単純ではない。勝たせ続ければ飽きるし、負け続ければ投げ出す。楽しませるというなら、勝ちも負けもどちらも適度に味合わせるのが一番だと。
故に、上空から全く違うところを偵察しているような篝も、実のところヤオフーの動きはしっかりと把握してマレークに伝えている。マレークはそれを受け取り、案内にて違うところを探索する風でいて、正しき案内を得ながら着実に距離を詰める。
そんな追いかけっこがしばらく続いた後。篝がマレークに合図をした。ヤオフーの顔が困ったように沈み始めたのだ。
「……頃合いか」
勝ちも負けもしないままは、遊ぶにも飽きを呼ぶものだ。一度決着をつけてやらねばならない。合図を受けた篝が、魂籠を揺らす。他者の全てを受け容れる慈愛と受容の心の光が、あまねく神社の境内を照らし、そこに敷かれていたヤオフーの迷路を解除した。
「えっ、えっ?」
「いくぞ、ヤオフー」
「わぁっ!!」
一瞬マレークの姿がブレたかと思うと、次の瞬間には消えていた。きょろきょろと見回してみれば、いつのまにか黒の身体がすぐそこまで駆けている――!
「きゃーはやいー!!」
上がった悲鳴は楽しさ故のもの。あと一歩手を伸ばせば捕まるところまで迫られて、ヤオフーは楽し気に逃げる。獣の足と影朧としての身体能力を存分に使って逃げ、笑いながら次の隠れ場所を探していた、その時。
『おいで。私は、君を受け入れたい。隠れないで、出ておいで――』
優しい声。まるで、包み込むような。
ヤオフーは弾かれたように向きを変え、声が聞こえた方向へ走った。並木を抜け、参道に出る手前に、黒き虎が滑り込む。
「ぶつかっちゃうーー!!」
「大丈夫だ、捕まえた」
黒虎と共に通せんぼしていた篝に突っ込みかけたヤオフーを、すんでのところでマレークが引っ掴んだ。
篝の眼前でぶら下がったヤオフーは、
「きゃーつかまった、つかまった! お兄さんとっても早いね! ヤオフーかけっこは得意なんだけどなー」
満面の笑みを浮かべていた。息を全く切らせていないのは、影朧故か。かくれんぼと追いかけっこに大層満足したヤオフーは、素直に負けを認めて礼を言った。
「それでは、サンタからプレゼントをあげる前に、しつもんをします! あなたのお願いはなあに? あなたにかけられたお願いはなあに?」
首を傾げて問う。まず口を開いたのは篝だ。金糸を揺らし、慈愛の微笑みを浮かべる篝は、正しく女神らしく、そしてどこか、母の様な。
「私に掛けられた願いは、遍く全てを受容する希望であること」
「きぼう?」
「そう。そして私の願いは……まるにどこまでも寄り添って、照らし続ける事、だな」
紅の瞳が愛おし気に傍らのただひとりを見上げた。その目線を受けるマレークもまた、柔らかに細められた黒で見つめ返す。
「そっか。そっか。じゃあ、足のとっても早いおにいさん。あなたは?」
「俺にかけられた願いは『生きて』という呪い」
「のろい?」
「ああ。俺の願いか……それは潰えたからもうないのだ」
困ったように眉を下げた。
それを不思議そうに見上げ、ヤオフーはこてり、こてりと首を傾げる。
「お願い、ないの? いっこも?」
不思議そうに、まんまるの瞳がマレークを見上げる。
「ヤオフーはいっぱいあるよ。こんぺーとうが食べたい。お散歩したい。おかあさんを探したい。パパとあそびたい。いっぱいいっぱいあるよ!」
ひとつひとつ指折り数える。希望の数を数えるように、大切そうに。それがどこか眩しく見えた。
「じゃあね、じゃあね、サンタからプレゼント、あげる!」
引っ張ってきた白い袋をごそごそと探し、まずは篝へと。
「おねえさんにはね、これ! どうぞ!」
差し出されたのは、イースターエッグ型の小物入れであった。深い青のエッグに櫻の花が咲いている。
「全部受け入れるおねえさんのね、大切なものをいれてね。おねえさんの大切なもの、うけいれてくれるよ!」
これはちっちゃなものしか入れられないけどね、なんて、にししと笑って。そうして次は、マレークへと。
「おにいさんにはね、これ! どうぞ!」
差し出したのは、ターコイズブルーのハードカバーノートだった。滑らかな手触りの糸で編まれた素地に、金の糸で万華鏡の模様が刺繍されている。
「お願いは一個じゃなくていいんだって、パパが言ってたよ。だからね、なくなっちゃってもまた思いつくかもしれないから、そのときは忘れないように、これに書いておいてね。おにいさんの忘れたくないもの、書くといいよ」
贈り物を差し出して、影朧は満足げに笑う。その影の先がゆらりと、朧と揺らめいた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
逢坂・理彦
ヤオフーの遊び相手もしてあげなきゃとは思うんだけど…俺はジョエルさんも気になるんだよね。
これからどうするのかとか…。
影朧が居なくなってはい終わりなんて行かないだろう?
市の人も気にかけていたし。
この国に馴染むのは今からでも遅くないんじゃないかな?
俺もいろいろ失くしたけど妻や子供は居なかったからね真に気持ちは分からないかもしれないから。
遊ぼうかヤオフー。おじさんの尻尾、ふさふさだろ?もふもふしてみない?ヤオフーの尻尾もふさふさだ。
俺は…少しでも長生きしたいなぁ…俺の大事な人の命は俺よりも長いから。
いろんなお土産も俺との思い出を残したいから…それが将来彼を苦しめるとしても…俺は性質の悪い男みたいだ
●
さくら、さくら。開いて、散って――。
「ヤオフーの遊び相手もしてあげなきゃとは思うんだけど……」
逢坂・理彦(守護者たる狐・f01492)の視線は、木にもたれかかるジョエルに注がれている。猟兵たちと全力で遊ぶヤオフーを、ジョエルは眩しそうに眺めていた。楽しそうでよかったと、その優しく細められた目がありありと語っている。
その傍に寄って、理彦は共に腰を下ろした。年の頃で言えば、理彦とジョエルは十も違うわけではない。例え満足に影朧を見送っても、生きている人間の時間は続いていくことを、理彦は現実の中で理解している。そして、同じではないにせよ、喪った者同士。思いを知らぬふりは出来なかった。
「……これからどうするんだい」
理彦もまた無邪気に遊ぶヤオフーを見つめながら、零すように語り掛けた。ジョエルはちらと理彦を見遣り、やがてまた視線をヤオフーに戻す。
「影朧が居なくなってはい終わりなんて行かないだろう?」
「……」
理彦の問いには、深く息を吐く音が返ってきた。ちらと見れば、考え込むようにジョエルの視線は手元を彷徨っていた。その様が、普通の生活に戻ることを考えてはいなかったことを物語っている。
「市の人も気にかけていたし。この国に馴染むのは、今からでも遅くないんじゃないかな?」
だからこそ、理彦は言葉を重ねる。この男が、簡単に自らの命を絶ってしまわないように。
理彦も色々失くした。けれど、妻や子供は居なかった。だからジョエルの気持ちを真には判らないかもしれないから。同じではないから言葉を重ねるのだ。伝えることが出来なかった男は、今、言葉を伝えあうことが出来るのだから。
「……街の人が恨んでいる?」
言葉を探し続けるジョエルに、理彦は静かに核心を語り掛ける。誰もがそうと想像しながら、誰も聞けなかった言葉。ジョエルは、否定も肯定もしなかった。
「……一時は激しく恨みもしました。簡単には割り切れません」
自嘲に目を伏せた。彼とて人、胸に渦巻く感情は複雑で。
「ですが、私も大人です。彼らが悪いわけではないことは分かっています。私にも責任はある」
けれど人とは、年齢と共にそれを理性でコントロールする術を覚えていくものだ。諦めのような拙さで、或いは冷徹に、過去を過去のものにしていく。或いはそれは、理彦も。
「これからのことは、正直判らなくなりました。私も命を絶とうかと思った。けれど、街の人たち、貴方たちと話し、そして何よりヤオフーと出会って……わからなく、なりました」
ただ、積極的に死を望まなくはなったと言う。未だ答えは闇の中。彼女を見送ってから考えるというジョエルを、理彦は否定しなかった。心の傷が癒えるには、切欠や時間が必要だから。
「遊ぼうか、ヤオフー」
ジョエルの様子を見に来たヤオフーに、理彦はのんびり声をかけた。ヤオフーの目がぱっと輝く。まだまだ遊び足りないのだろう。立ち上がった理彦に、何して遊ぶ?と首を傾げる。
「おじさんの尻尾、ふさふさだろ? もふもふしてみない?」
「……! いいの?!」
にっと笑って背を見せれば、理彦のふかふかもふもふの尻尾が揺れた。誘うように揺らせば、ヤオフーは遠慮なく飛びついた。たっぷりとした尾に顔を埋めて存分にふかふかする。
「ふかふかだー! おじさんの尻尾きもちーね! あのね、ヤオフーにも尻尾があるんだよ!」
「そうだろうそうだろう。ヤオフーの尻尾もふさふさだ」
「そうだよそうだよ、パパが尻尾と髪、梳かしてくれるんだ!」
でも時々櫛を引っ掛けちゃうんだよ、なんて頬を膨らませれば、理彦と顔を見合わせてにししと笑った。笑った拍子に帽子が揺れて、サンタ帽子がズレた。そうしてやっと、屋オフーは自分がサンタだったことを思い出す。
「はっ! わたしサンタだったのに、しっぽにつかまっちゃってた! じゃあ、わたしをつかまえたふかふか尻尾のおじさん。あなたのお願いはなあに? あなたに掛けられたおねがいは、なあに?」
顎を一撫でして、理彦は考える。願い。願い。
「俺は……少しでも長生きしたいなぁ……。俺の大事な人の命は俺よりも長いから」
「そうなの? とってもとっても長いの?」
「そうだよ」
優しく笑った。指に嵌めた翡翠の指輪に視線を落とせば、自然と表情が柔らかくなる。大切な人の瞳の色は、今もこの指で煌いている。
「いろんなお土産も俺との思い出を残したいから……それが将来彼を苦しめるとしても……」
仕事帰りの土産話も、色んなお土産も、彼が喜んでくれるから。それと同時に、同じ思い出を共有して、大切な人に自分の痕跡を残したいとも思う。例えこの身が先に朽ちてしまっても、傍に在った男のことを思い出してくれるように。もしかしたらそれが、愛する人の苦しみに変わってしまうかもしれないと知っても。
「俺は性質の悪い男みたいだ」
「……あのね、おじさん。なんにもない方が、くるしいよ」
理彦を見上げて、ヤオフーはそっと告げた。少しだけ悲し気に。
「思い出せるものがなんにもないのは、くるしいよ。ヤオフーは……」
俯く。プレゼントの袋を握りしめて。
「ヤオフーはそろそろ帰らなくちゃいけないんだけど、帰ったらちゃんとパパのこと覚えていられるかはわかんないから。だからね、思い出せるものがあるとうれしい。いっぱいいっぱい、思い出せるもん」
眉下げて笑う影朧に、理彦は目を見開いた。この子は、知っている――。
「だからね、おじさんにはこれをあげます! はいどうぞ!」
理彦が何か言う前に、ヤオフーが袋から厚い本を差し出した。絹織りの生地のハードカバーには、牡丹と流水の柄。
「これはね、日記帳です! その日にあったことを書くんだよ。で、あとから読み返すの。そうしたらね、色んなこと思い出すの!」
贈り物を理彦の手に置いて、ヤオフーは笑う。笑うのだ。
風に揺れた髪の先が、ほんのり風に溶けていっていても。
成功
🔵🔵🔴
カイム・クローバー
遊ぶことで浄化されるってんなら。良いぜ、トコトン付き合うぜ!
ハハッ、良いのかい?捕まえちまって。俺は悪い猟兵だからな。捕まえて頭からバリバリ喰っちまうぜ?…なんて戯言を言いながら。【残像】が残る速度で駆ける。身体能力では負けてねぇつもりだが、翻弄されそうだ。
UCを使用して分身、挟み撃ちにして、捕まえれるように。単純な動きじゃなく【フェイント】混ぜ。大人げない?全力で遊ぶから楽しい。逃げ切って見な(笑いつつ)
俺の願い?…そうだな。お前に分かるように言うなら、俺の友人や相棒、色んな奴が笑ってられる世界、だな。
掛けられた願いは…さぁな。立ち止まらない事。じゃねぇかな…(ヤオフーの頭をわしわし撫でる)
●
月下に揺れる影が、散る。
「遊ぶことで浄化されるってんなら。良いぜ、トコトン付き合うぜ!」
戦いばかりが浄化の手段ではないというのなら、それに越したこともない。カイム・クローバー(UDCの便利屋・f08018)は陽気に笑って、ヤオフーと向き合った。
「いいの? じゃああそぼ、あそぼ! じゃあ追いかけっこだよ、サンタのわたしをつかまえてー!」
「ハハッ、良いのかい? 捕まえちまって。俺は悪い猟兵だからな。捕まえて頭からバリバリ喰っちまうぜ?」
「やだー! ヤオフー食べてもおいしくないよー!!」
なんて戯言。二人の顔に浮かぶのは笑顔だけだ。まるでヒトの子どもと遊ぶのと同じように、カイムはヤオフーに接してやる。ヤオフーはただ走るだけでも普通の人間とは違ってスタミナもなかなか切れない。思い切り遊ばせてやるなら、カイムもまた猟兵としての力を存分に使ってやらねばならないことを、たった数分で理解せざるを得なかった。
残像が残る程に全力で駆けても、ヤオフーもまた影朧。そして子どもの元気さと突拍子のなさで、翻弄されてしまいそうだ。
「そんじゃま、ちっと手数を「増やしますか」」
影がするりと立ち上がる。否、影から現れたのは、もう一人のカイム。分身だ。二人は目配せをすると、全力で駆けだした。フェイントを混ぜながら、挟み撃ちを狙う。
「えー二人なんてずーるーいー!! 大人げないぞー!」
「何言ってんだ、全力で遊ぶから楽しいんだろ。逃げ切って見な」
相手が二人なら考えることも二倍。今よりも一生懸命駆けながらもぶーたれたヤオフーに、カイムは笑って挑発する。
全力で、めいっぱい。
それを感じたヤオフーは、ぺろりと舌なめずりをした。身体をふるりと震わせると、夜に紛れる漆黒の毛並みの狐へと変化する。三本の尾を揺らして、
「負けないからねー! つかまえてごらん!」
櫻の並木を駆け抜け、上から飛んできたカイムをすり抜ける。追い付かれそうになったところを、賽銭箱と階段の狭い隙間を潜り抜けて逃げる。追い付きそうになってはすり抜けて、その繰り返し。二人とも全力だ。二人とも頬が上気し、軽く息が切れてくる。
ヤオフーの目はきらきらと輝いていた。楽しくて、楽しくて仕方がない。全力での追いかけっこはこんなにも楽しいものなのか。
「たのしいね、おにいちゃん!」
「おう!」
声を掛ければ返ってくる。そのなんと嬉しいことか。まるでヤオフーにも友達が出来たみたいだ。
やがてヤオフーの往く手にカイムが滑り込んだ。後ろにも全速力で駆けてくるカイム。横には櫻。避けられない。
「よっしゃ捕まえた!!」
カイムの身体に、黒い子狐が突っ込んだ。
受け止めて、そのままの勢いでごろんと後ろに一回転して、そのまますたっと態勢を整える。カイムの腕の中で、ヒトの姿に戻ったヤオフーはきゃっきゃと笑い声をあげていた。
「つかまっちゃった! じゃあヤオフーサンタから、プレゼントをあげます。おにいちゃん、あなたのお願いはなあに? あなたにかけられたお願いは、なあに?」
愉し気に顔を綻ばせて、ヤオフーが隣に座るカイムに問う。分身を影へと返したカイムは、夜空を見上げて思案した。
「俺の願い? ……そうだな。お前に分かるように言うなら、俺の友人や相棒、色んな奴が笑っていられる世界だな」
「みんなが、笑っていられる世界?」
「んでもって掛けられた願いは……さぁな。立ち止まらない事。じゃねぇかな……」
この命。この人生。この足。それらが立ち止まらないように、歩き続けよと。歩き続けた先で、願いが叶えばいい。そう思う。
カイムはヤオフーの頭をわしわしと撫でた。艶やかな黒髪がわしゃわしゃとなって、けれどとても嬉しそうにヤオフーは笑う。すっかり懐いたようだった。
「そっか。じゃあ、おにいちゃんにはね、サンタさんからこれをあげます!」
白い袋をがさごそと漁っていたヤオフーは、やがて目的のものを見つけて引っ張り出した。差し出された両手の上に載っていたのは、ブリキのバレル缶だった。サンタクロースやクリスマスツリーが描かれたクリスマス用の缶なのだろう。開けてみたら、チヨコレヰトや飴玉がたくさんたくさん入っていた。
「ずっと走って、止まらないとつかれちゃうから。これで時々きゅーけーしてね。とってもおいしいよ、ヤオフーのお気に入りだけど、おにいちゃんに特別にあげる!」
にししと笑う娘。
そう、こんな風に。皆が笑っていられたらいい。大切な人も、優しい人も、みんな、みんな。
そんな世界を、カイムは望む。
大成功
🔵🔵🔵
ヒャーリス・ノイベルト
優しさ/慰め/歌唱
ジョエルさんとヤオフーの様子を
正しい親子のそれであると認識
自分には縁のなかったそれは
知識はある
他の親子を見た事もある
でも
自分にはもう
手の届かないもので
UCの百合でジョエルさんの回復を
彼女との約束を叶えるためには
もう少し元気な方が良いでしょうから
自身にかけられた願いは
処刑人として
命じられるがままに命を奪え
私の願い?
…皆が幸せであれば、それで…
ヤオフーさんは…幸せ、ですか?
なら
私もきっと幸せです
最期は子守唄を紡ぎ
木蓮で彼女を眠らせましょう
幸せを抱いて
微睡んで
でも
最期は笑顔での方が良いでしょうか
ならば余計なことはせず
見送りましょう
表情を作るのはまだ難しい
ほんの微かにしか笑えぬけれど
●
猟兵たちと遊んでいる間も、ヤオフーは時々ジョエルを確認するように視線を送る。ジョエルもまたヤオフーを目で追いかけ、目が合えば二人嬉しそうにしている。気遣い合う二人は、正しい親子のそれであると思った。
物心ついた頃には親と引き離されていたヒャーリス・ノイベルト(囚われの月花・f12117)には、縁がなかったそれ。親子というものの知識はある。他の親子を見たこともある。けれど、いくら手を伸ばしたとて、ヒャーリスにはもう手の届かないもの。
だからこそ、ヒャーリスは少しだけ目を細めた。その感情の色を隠すように。
櫻の花弁の世界に、百合の香りが混じる。ジョエルの前に立ったヒャーリスの両手の上に、一輪の白百合。その雫を一粒零せば、ジョエルの身体を癒しの力が覆った。
「彼女との約束を叶えるためには、もう少し元気な方が良いでしょうから」
「……ありがとうございます。助かります」
癒しの力によって少しずつ体力と生気を取り戻したジョエルが、丁寧に頭を下げた。ヤオフーが駆けてくる。ゆっくりと立ち上がったジョエルが出迎えれば、ヤオフーがぱっと元気になった。
「パパ、パパ、元気になった?」
「ああ、元気になったよ。このお姉さんのお陰だ」
「そっか、おねえさんパパを元気にしてくれてありがとう! それじゃあお礼にね、サンタさんからプレゼントがあるよ。ね、ね。おねえさんのお願いはなあに? おねえさんにかけられたお願いは、なあに?」
「私の願い?」
『父』が立ち上がることが出来るようになったのが、余程嬉しいのだろう。きらきらとした笑みでヒャーリスを見上げて、その答えを待つ。
「……私が教えたんです。人には自分の願いと、自分に掛けられた願いがあると。サンタさんは、どっちも知っていて、だからぴったりのプレゼントをくれるんだよ、と」
そう言って、ジョエルはヤオフーの髪をくしゃりと撫でた。ヤオフーは子どもだ、願いを聞いたとて、プレゼントを選ぶことは拙いだろう。それでも、ヤオフーは今そんなサンタになろうとしている。
どうか付き合ってやってほしいと言われれば、ヒャーリスも静かに頷いて考えた。考えて、考えて、やがてヒャーリスが出た結論は、ひとつだけ。
「……皆が幸せであれば、それで……」
自分の幸せを願うのは得意ではなかった。自分の為、というものが得意ではなかった。だからどうしても、そんな答えになってしまう。不思議そうにするヤオフーが口を開く前に、ヒャーリスは重ねるように言葉を紡ぐ。
「ヤオフーさんは……幸せ、ですか?」
「わたし? うん、パパと会えて、今日はたくさん遊んでもらって、とってもしあわせだよ!」
「なら、私もきっと幸せです」
他人のことばかりを気遣う娘。幸せと答えるヤオフーとジョエルの笑みが、ヒャーリスの心の慰めにもなる。だからこれはきっと、自分の幸せなのだろう。
ヤオフーをジョエルの隣に座らせて、ヒャーリスは唄を紡ぐ。その手にはヤオフーから渡された、百花の刺繍と香りのハンケチを乗せて。
優しい優しい子守唄で包むように唄う。それを祝福するように木蓮が咲く。花は咲いて唄が誘う幸せの微睡み。
幸せを抱いて眠ってくれたらいい。恐ろしくない終わりを齎せたらいい。うとうととするヤオフーを見て、そう思った、けれど。
「……はっ! 寝ちゃってた! おねえさんのお歌が優しくて、うっかり!」
ヤオフーが急にぱっちりと目を覚ました。慌ててきょろきょろと目をやり、何かを確認して安堵している。
「おねえさんのお歌、とってもすてきね。でもごめんね、ヤオフー、もうちょっと起きてたいんだ。ほんとは夜更かしはだめなんだけど、もうちょっとで帰っちゃうから、もうちょっとだけ」
両手を合わせて謝るヤオフーに、ヒャーリスは思わずジョエルの顔を見た。ジョエルはただ無言で頷くばかり。ヤオフーもまた、笑みを浮かべている。
もう、決めているのだろう。
そう気づいた。
ならば余計なことはせずに見送ろう。
表情を作るのは、ヒャーリスにとってはまだ難しいけれど、最期は出来たら笑顔の方が良いだろうから。
時と未来を定めた二人に、ヒャーリスはほんの微かに微笑んだ。その笑みを見て、ヤオフーは心から嬉しそうに笑っていた。
成功
🔵🔵🔴
向坂・要
ふむ…かくれんぼに鬼ごっこ、と
手加減しませんぜ?
「念動力」「第六感」「空中戦」応用しノリ良く付き合い
相手の姿が消えたらUCで泡の様に周囲をドーム状に包む膜とその中に降る雪を生み出し
足跡までは消せねぇでしょ
なんて、嘯きつつ
可能なら優しい幻影を織り交ぜ
さながらジョエルに勧められたスノードームの様に
かけられた願いなんさありすぎて
と苦笑
願いについてはそっと耳打ち
(ジョエルさんが家族の笑顔を思い出せる様)
ってお節介ですかね
と内心苦笑
遊んだ後はジョエルに
いやはや子供ってな元気なもんですねぇ
言いながら贈るは購入品に手を加え彼らに似せた笑顔の家族が宿るスノードーム
どうせなら笑顔がいいじゃねぇですか
良き巡りを
●
此処に辿り着いてから、そろそろ半刻程になろうかとしている。櫻舞う冬の夜に、冴えた風が滑りこむ――。
「ふむ……かくれんぼに鬼ごっこ、と」
「そーなの! サンタのわたしをつかまえてね!」
「手加減しませんぜ?」
「のぞむところー!」
向坂・要(黄昏通り雨・f08973)が膝をつき、ヤオフーと目線を合わせて話し込んでいた。
何をしたいのか。何を望むのか。それを問うのはヤオフーばかりではない。彼女の望みを、ジョエルの望みを叶える為、要は思考を巡らせる。
「じゃあ、10数えたらきてね! はじめー!」
サンタ帽を深くかぶってヤオフーが駆ける。10を数え終わった要が、遅れて駆けゆく。影朧の健脚とスピードは、要が全力で走って追い付けるかどうか、といったところ。
正攻法で勝てぬのならば、それ相応に策を講じる必要があると悟った要は瞬時に第六感を働かせた。幼さの残る気配を辿り、時に念動力で木の上へと舞い上がれば、
「追いつきましたよっと」
「わー!!」
往く手を阻むように目の前にすとんと下りた要に、ヤオフーは慌てて駆ける方向を変える。その顔に浮かぶのは満面の笑み。要との鬼ごっこを存分に楽しんでいた。
しばしそうして走っていたら、肌で感じる気配がすんと消えた。姿を消したのだと知る。その気配を探ろうとするが、全く琴線に触れてこない。恐らく影朧としての技を使ったのだろう。
「ははーん、なるほど。でもま、そっちがその気ならねえ」
遊び場と定めた場所を、まるで半月のシャボン玉のような泡が包み込んだ。やがてしんしんと、その中に雪が降り始める。
「足跡までは消せないでしょ」
見えぬのならば、見えるようにしてしまえばいいのだ。彼女の足跡。彼女の体温。彼女の肩に降り積もる雪。それらを可視化する。そして――。
「つかまえた」
「わー、見つかっちゃった!」
雪の積もった見えぬヤオフーの肩に手を置く。ふわと姿を現したヤオフーは、にししと笑った。その向こうで、ジョエルの目に遠い『ふたり』が手を繋いで歩く、まぼろしを見ていた。それは瞬けば消えてしまう程に儚く、けれどスノードームのように優しく降り積もる幻だった。
「ふかふかしっぽのおにいさん、私をつかまえてくれたから、サンタからプレゼントをあげます! では、おにいさんのお願いってなあに? おにいさんに掛けられたお願いは、なあに?」
静かにそれを見ていた要の袖を引いて、ヤオフーが問う。それがサンタの仕事だと、大層真面目に。
「かけられた願いなんざありすぎて」
「そんなにたくさん?」
苦笑いを零す要に、ヤオフーは首を傾げる。けれどふわとして、「よかったねえ」と微笑む。
「それから、俺の願いは……」
屈んでヤオフーの耳にそっと唇を寄せる。内緒話だと気づいたヤオフーも耳を寄せれば、
「ジョエルさんが家族の笑顔を思い出せる様」
穏やかに言えた。お節介だろうかと内心苦笑するも、今、要の胸にある願いは確かにそれひとつ。
数度瞬いたヤオフーは、その言葉を噛みしめ――少しだけ淋しそうに俯いて。
けれど心から嬉しそうに、大きく頷いた。
「お願いがいっぱいかけられた貴方はお星様みたいだからって、これ、貰っちまいましたよ」
手に煌く星飾りを持った要は、ジョエルの隣に立った。ヤオフーサンタからのプレゼントだと言えば、ジョエルはそれを眩しそうに見つめた。
「貰ってやって下さい。あの子が喜びますから」
頭を下げるジョエルに必要ないと手を振る。楽し気な声が聞こえて、二人は視線をそちらに向けた。確かめる間でもなく、ヤオフーは次の猟兵と楽しそうに遊んでいる。全力で遊んでもらえることが嬉しくて、今の彼女には飽きることも、疲れた様子もない。
「いやはや、子供ってな元気なもんですねぇ」
言いつつ、要がジョエルの手に何かを乗せた。ジョエルの視線が手に向いたのを見届けてから、要はそっと手を離す。ジョエルの手に乗っていたのは、スノードームだった。
「これは、先程私が……いや、これは」
先程の蚤の市で、ジョエルが要に売った品。だが、手が加えられている。小さなスノードームの中で、笑顔の家族が寄り添っていた。3人の親子だった。
「どうせなら笑顔がいいじゃねぇですか」
優しく眉を下げた要と、掌のスノードームを交互に見る。耳に、ヤオフーの笑い声が響いている。先程見えた幻が、それに重なって――。
「……ありがとう、ございます」
溢れ出るものをこらえるように、ジョエルは大きな手で自らの両目を覆った。大切に、大切に、スノードームを胸に当てながら。
要は願う。もうひとつ、願うのだ。
どうかこの終わりに、良き巡りを。
成功
🔵🔵🔴
ナターシャ・フォーサイス
WIZ
…私も皆様を導いてきましたが。
引き離すのをこんなにも辛いと感じるのもそうないでしょう。
ですが、使徒として…お二人の望む終りを用意いたしましょう。
私にかけられた願い…
啓示を受けた時から、皆を楽園へ誘うことでしょうか。
私もまた、皆様が至れるよう祈るのです。
ですから…貴女もまた、共に参りましょう。
力を封じるのは無粋でしょう。
天使達を呼び、物音を頼りに探します。
共に遊び、見つけたら…優しく抱きしめましょう。
転んで怪我をしたら、癒しましょう。
…ジョエルさん。
これは人としてお聞きしますが…これで、よかったのでしょうか。
責めることは致しません。
前を向けとも言いません。
どうか貴方へも、加護あらんことを。
辰神・明
WIZ
『大切なともだち』を使用
メイは、かけっこ……苦手、だから
くまさん、りすさん、お願いします、なのです
【早業】で、おともだちの、はさみうちを狙います、ね
メイは、ジョエルさんのそばに
少しでも……寂しいの、とんでけーってしたい、から
それに、メイがいれば……
何かあっても【かばう】が出来ます、です
願い……おねがい、ごと?
メイは、メイは……夢ならある、けれど
お兄様やお姉ちゃん、大事な友達とあって、出来た夢だから
メイは、願います
ジョエルさんも含めて……メイに、関わってくれた人達
みんなの、これからに
少しでもしあわせが、ぽかぽかが、ありますようにって、おもうの
……生まれ変わったら、ヤオフーさんも、ですよ?
灰神楽・綾
ジョエルの中には
娘そっくりの影朧に寄り添い続けて
最期は本当の娘の元に逝く
という考えもあったんじゃないかな
それでも「見送る」という決断をした
彼の思いを無碍にはしたくない
隠れんぼか、ちょっとズルいけど
【指定UC】で何処に居るのか探しちゃおう
蝶達がヤオフーに近付いた時の
音や風の動き等を頼りに見つけ出す
時には苦戦してるフリもして
遊んでる事を忘れず
かけられた願いは…残念ながら分からないけど
俺の願いは強いて言うなら
「普通」が「普通」のままで有り続けてほしい、かな
大切な人と不幸な別れがあっても
多くの人は悲しみながらもいつかそれを乗り越える
そしてまた「普通」の生活に戻っていく
ジョエルにもそうあってほしいと思う
水標・悠里
見送る、と
でも本当に、ただそれだけなのでしょうか
本当に?
人がいるのを認めたら【礼儀作法】【演技】で体面を取り繕います
遊びたい、と言われましても
申し訳ありません
外で駆け回る遊びは存じ上げませんので、教えて頂けますか
遊び方を教わったら鬼ごっこをいたしましょう
僕の願いは、僕の罪は雪がせぬ事
掛けられた願いは『生きて幸せになって欲しい』
でもそんな、相反することは叶うのでしょうか
願いを叶えたい、でもそれを僕は望んではいけない
ただ見送ったところでジョエルさんはどうするのでしょう
僕のように生きて欲しく無い
ですが掛ける言葉がありません
あの日彼女がそうしてくれたように
頭を撫でて同じ願いを掛けましょう
生きて、と
●
此処に辿り着いてから、そろそろ半刻程になろうかとしている。櫻舞う冬の夜に、冴えた風が滑りこむ――。
「ふむ……かくれんぼに鬼ごっこ、と」
「そーなの! サンタのわたしをつかまえてね!」
「手加減しませんぜ?」
「のぞむところー!」
向坂・要(黄昏通り雨・f08973)が膝をつき、ヤオフーと目線を合わせて話し込んでいた。
何をしたいのか。何を望むのか。それを問うのはヤオフーばかりではない。彼女の望みを、ジョエルの望みを叶える為、要は思考を巡らせる。
「じゃあ、10数えたらきてね! はじめー!」
サンタ帽を深くかぶってヤオフーが駆ける。10を数え終わった要が、遅れて駆けゆく。影朧の健脚とスピードは、要が全力で走って追い付けるかどうか、といったところ。
正攻法で勝てぬのならば、それ相応に策を講じる必要があると悟った要は瞬時に第六感を働かせた。幼さの残る気配を辿り、時に念動力で木の上へと舞い上がれば、
「追いつきましたよっと」
「わー!!」
往く手を阻むように目の前にすとんと下りた要に、ヤオフーは慌てて駆ける方向を変える。その顔に浮かぶのは満面の笑み。要との鬼ごっこを存分に楽しんでいた。
しばしそうして走っていたら、肌で感じる気配がすんと消えた。姿を消したのだと知る。その気配を探ろうとするが、全く琴線に触れてこない。恐らく影朧としての技を使ったのだろう。
「ははーん、なるほど。でもま、そっちがその気ならねえ」
遊び場と定めた場所を、まるで半月のシャボン玉のような泡が包み込んだ。やがてしんしんと、その中に雪が降り始める。
「足跡までは消せないでしょ」
見えぬのならば、見えるようにしてしまえばいいのだ。彼女の足跡。彼女の体温。彼女の肩に降り積もる雪。それらを可視化する。そして――。
「つかまえた」
「わー、見つかっちゃった!」
雪の積もった見えぬヤオフーの肩に手を置く。ふわと姿を現したヤオフーは、にししと笑った。その向こうで、ジョエルの目に遠い『ふたり』が手を繋いで歩く、まぼろしを見ていた。それは瞬けば消えてしまう程に儚く、けれどスノードームのように優しく降り積もる幻だった。ジョエルは目頭を掌で覆った。
「ふかふかしっぽのおにいさん、私をつかまえてくれたから、サンタからプレゼントをあげます! では、おにいさんのお願いってなあに? おにいさんに掛けられたお願いは、なあに?」
静かにそれを見ていた要の袖を引いて、ヤオフーが問う。それがサンタの仕事だと、大層真面目に。
「かけられた願いなんざありすぎて」
「そんなにたくさん?」
苦笑いを零す要に、ヤオフーは首を傾げる。けれどふわとして、「よかったねえ」と微笑む。
「それから、俺の願いは……」
屈んでヤオフーの耳にそっと唇を寄せる。内緒話だと気づいたヤオフーも耳を寄せれば、
「ジョエルさんが家族の笑顔を思い出せる様」
穏やかに言えた。お節介だろうかと内心苦笑するも、今、要の胸にある願いは確かにそれひとつ。
数度瞬いたヤオフーは、その言葉を噛みしめ――少しだけ淋しそうに俯いて。
けれど心から嬉しそうに、大きく頷いた。
「お願いがいっぱいかけられた貴方はお星様みたいだからって、これ、貰っちまいましたよ」
手に煌く星飾りを持った要は、ジョエルの隣に立った。ヤオフーサンタからのプレゼントだと言えば、ジョエルはそれを眩しそうに見つめた。
「貰ってやって下さい。あの子が喜びますから」
頭を下げるジョエルに必要ないと手を振る。楽し気な声が聞こえて、二人は視線をそちらに向けた。確かめる間でもなく、ヤオフーは次の猟兵と楽しそうに遊んでいる。全力で遊んでもらえることが嬉しくて、今の彼女には飽きることも、疲れた様子もない。
「いやはや、子供ってな元気なもんですねぇ」
言いつつ、要がジョエルの手に何かを乗せた。ジョエルの視線が手に向いたのを見届けてから、要はそっと手を離す。ジョエルの手に乗っていたのは、スノードームだった。
「これは、先程私が……いや、これは」
先程の蚤の市で、ジョエルが要に売った品。だが、手が加えられている。小さなスノードームの中で、笑顔の家族が寄り添っていた。3人の親子だった。
「どうせなら笑顔がいいじゃねぇですか」
優しく眉を下げた要と、掌のスノードームを交互に見る。耳に、ヤオフーの笑い声が響いている。それが、重なって――。
「……ありがとう、ございます」
溢れ出るものをこらえるように、ジョエルは大きな手で自らの両目を覆った。大切に、大切に、スノードームを胸に当てながら。
要は願う。もうひとつ、願うのだ。
どうかこの終わりに、良き巡りを。
●
少女の怪異は無邪気に遊んでいた。全力で走って遊ぶ少女はいつになく楽しそうで、男も嬉しくなる。今日何度目か、腕時計を確認した。刻一刻と、定めた刻限は近づいている。
時は止まらない。
そんなことは誰だって分かっている。いつだって時計の針は前にしか進まず、そして止まることは無いのだ。
だから、胸に去来する悲しみの感情を全て押し込めて、男は少女の姿を目に焼き付けることにした。愛しい娘と重なる、あの少女。
――パパ。
あの日の声が、重なる。
何かの入った箱を、絶対に落とさぬとばかりにしっかり握りながら、ジョエルはその目にヤオフーを収め続ける。その様子を、少し離れたところから水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)と灰神楽・綾(廃戦場の揚羽・f02235)は静かに眺めていた。
「見送る、と。でも、本当に、ただそれだけなのでしょうか。……本当に?」
悠里が懐疑的に思うのも無理からぬことだった。ジョエルは彼女が影朧だと気づいていた。自らの体力や生気の消耗も、無関係だとは思っていなかったはずだ。それでも一か月、ジョエルは傍に居続けた。それは本当に、娘に似た子の傍に居たいというだけだったのだろうか。
「言いたいことはわかるよ。俺もそう思ってたから」
綾は思う。ジョエルの中には、娘そっくりの影朧に寄り添い続けて、最期は本当の娘の元に逝く。そういう考えもあったのではないかと。そしてそれを問うたところで、きっと否定はしないだろうと。
「それでも『見送る』という決断をした、彼の思いを無碍にはしたくない」
それはきっと、簡単に下せる決断ではなかったろうから。愛する妻子の喪失に傷ついたままの心で下した決断は、更なる痛みも伴っただろうから。
「……私も、皆様を導いて来ましたが。引き離すのをこんなにも辛いと感じるのもそうないでしょう」
ナターシャ・フォーサイス(楽園への導き手・f03983)もまた、胸を痛めていた。楽園へ導くことは、彼女の最たる使命。そこには喜びこそあれ悲しいなどと感じることはなかったのに。此度だけは違った。憂いばかりが胸を占める。けれども、決断したのがほかならぬジョエルならば。
「使徒として……お二人の望む終わりを用意致しましょう」
始まりがあるものには必ず終わりがある。
ならばせめて、望むもので。
――櫻、舞い散る。
「おにいさんやおねえさんたちも、遊んでくれる? じゃあねじゃあね、かくれんぼしよう!」
猟兵たちの思いを知ってかしらずか、ヤオフーは無邪気に遊びをねだる。
「隠れんぼか」
「いい、ですよ。メイは、かけっこ……苦手、だから。くまさん、りすさん、お願いしますなのです」
辰神・明(双星・f00192)――今は主人格たるメイだ――もふんわりと同意して、大きなくまさんとりすさんのぬいぐるみを召喚する。自ら動く大きなぬいぐるみに、ヤオフーは太陽のように笑みを輝かせた。
「おっきいくまさんとりすさんだー!! しかもうごくー!!」
「はいなのです」
思わず飛びついたヤオフーに、明もニコニコだ。
その横で、『痛み』の傷から回復できぬまま、表面上の体裁だけを取り繕った悠里は、困ったように眉を下げた。
「申し訳ありません。外で駆け回る遊びは存じ上げませんので、教えて頂けますか」
「隠れんぼしらないの? じゃあ教えてあげるよ! 隠れんぼってねー」
明とヤオフーが、二人で悠里に遊び方を教える。その間、ナターシャはジョエルの傍に寄り添った。勿論遊びにも参加するのだが、使徒として、ナターシャは今の状態のジョエルを放ってはおけなかったというのもある。代わりに召喚したのは2体の天使。
「わぁ、天使様だー!! かわいいねぇ!」
自分の周りを飛ぶ天使たちと、ヤオフーはくるくる遊ぶ。今日は色んな人が遊んでくれる。おにいさん。おねえさん。くまさんとりすさん。それに天使様。「ぜいたくだー」なんて言ってはにししと笑う。
「それじゃあヤオフー、行こうか」
「うん、いってきまーす!」
ヤオフーと悠里の背を押し、大きなぬいぐるみと天使を引き連れて、綾がかくれんぼの舞台へと連れていく。橙の色硝子の奥の瞳が、ナターシャや明と目配せをし合った。
「じゃあ、ヤオフーが隠れるから、みつけてねー! みつけてわたしを捕まえるんだよー!」
「それは隠れんぼと鬼ごっこが一緒になってませんか……?」
「いいのー!」
思いついた新しいルールを追加するのは、子どもの遊びにはよくあること。悠里に突っ込まれたってどこ吹く風だ。ヤオフーが隠れるまでの間、後ろを向いていた綾と悠里は、それぞれにユーベルコードを発動させる。
神社の桜林に、紅い蝶と黒い鴉が舞った。
ヤオフーは影朧だ。遊ぶといっても普通に遊ぶので成り立たない。だからこそ、ジョエルは猟兵に助力を乞うたのだろう。
「もーいーよ!」
ヤオフーの声を合図に、二人は天使とぬいぐるみ、そして蝶と鴉を連れ立って探し始めた。
悠里と綾がヤオフーと遊んでいる間、ナターシャと明はジョエルの側に寄り添う。明は少しでもジョエルの寂しさが紛れるように。ナターシャは、彼の身を案じて。
「……ジョエルさん。これは人としてお聞きしますが……これで、よかったのでしょうか」
ジョエルの選択に後悔はないか。もっと違う選択肢も……。そう言外に問う。
責めているわけではない。無理に前を向けと言っているわけでもない。ただ、よかったのか、と。
静かに、そう問う。
返ってきたのは沈黙だった。それでもナターシャは諦めずに答えを待つ。明もまたジョエルの顔を心配そうに伺った。やがて「きゃーなんで見つかったのー!」というヤオフーの声をに、ジョエルは顔を上げた。
綾が蝶から伝えられる音や風の動きを頼りに、苦戦しているフリも織り交ぜながら、それでも大人のズルさで見つけ出したのだ。遊びであることも忘れてはいないから、すぐに捕まえることはしない。悠里と協力して、今度は追いかけっこのはじまりだ。
楽し気な笑い声が聞こえてくる。そうして――。
「あの子は」
ジョエルが、重い口を開いた。
「あの子は、影朧です。今は無害でも、いつか、ヒトに災いを振りまくものに、なってしまうかもしれない。そうしたら……あの子は戦い、倒されることでしょう」
今も影朧としての力を使って遊び、無意識のうちに周囲の人間から緩やかに生気を奪っている。いつかそれを制御しきって、悪しき方向に使うようになったら、猟兵はヤオフーを『敵』として排除することになる。
「だから、今、遊びに満足して還ることが出来るうちに。あの子を、還さねばならないと思ったのです。あの子が傷つく姿は、見たくありません。だから、私の感傷で、あの子を此処に留めておくわけにはいかないのです」
「ジョエルさん……」
それは覚悟だった。
痛い程に確固たる覚悟だった。
そして、何処までも『子』を案じる『親』であった。
ヤオフーは風のように駆ける。狐の足を使って、ぐんぐん走る。後ろには綾が、斜め向かいからは悠里と天使たちが迫ってくる。ならば方向転換だ。くるりと半回転して進路を変えようとした、その時。
「わああくまさんがいるー!!」
音もなくその目の前に飛び出したのは、大きなくまのぬいぐるみだった。慌てて更に方向を変えると、今度はりすのぬいぐるみが両手をあげて待ち構えている。更に両隣からは悠里と綾がもう目の前。とにかく走らなければと駆けだしたが、ふとした拍子に足がもつれた。勢いがつきすぎている。転んでしまうと、ヤオフーは目をぎゅっと閉じた。
「……危なかったですね」
けれど衝撃は、訪れなかった。代わりにふわりと抱き締められて、なんだかとっても温かくなった。見上げれば、ナターシャが穏やかに微笑んでいる。転んだヤオフーを抱き留めてくれたのだろう。その周囲に次々と、心配そうな顔をした綾や悠里、明やジョエルが集まってくる。ナターシャに抱かれたヤオフーは、照れ臭そうに「だいじょうぶ」と言って笑った。
「ありがとうね、おねえさん。みんな足が速いねー! ヤオフーも結構早いんだけどなー」
転んだ拍子に落としたサンタ帽を拾い、ヤオフーがにししと笑った。掴まっても満足そうで、その証拠に。
「あっ……ヤオフーさん……」
その足先がほんのりと透けていた。
「うん、もうちょっとみたい。あとちょっと遊んだら……わたし、行かなきゃ」
眉を下げて笑った。
どこか淋しそうに、けれど「わかっている」と。
「だからね、その前にヤオフーはサンタのお仕事しなきゃ! ね、みんなのお願いはなあに? みんなにかけられたお願いはなあに?」
白い袋を抱えて、ヤオフーは笑う。些かの曇りもなく、迷いもなく。
「願い……おねがい、ごと?」
「うん、そう! メイおねーちゃんのお願いごとは、なあに?」
「メイは、メイは……」
メイは考える。おねがいと言われて、真っ先に思いついたのは「夢」だった。けれどそれは、兄や『姉』、大事な友達と出会って出来た夢だ。自らにかけられた願い事はわからないけれど。
「メイは、願います。ジョエルさんも含めて……メイに、関わってくれた人達。みんなの、これからに。少しでもしあわせが、ぽかぽかが、ありますようにって」
そう思う。
冷たい檻から出してくれた人。胸に温かなものをくれる人。色んなひとたちにこれからに、温かさがありますように。そして。
「……生まれ変わったら、ヤオフーさんも、ですよ?」
不意に挙げられた自分の名前に、ヤオフーは照れ臭そうにはにかんだ。
「俺にかけられた願いは……残念ながら分からないけど」
メイに続いたのは綾だ。
ヤオフーと目線を合わせるように屈む。
「俺の願いは強いて言うなら、『普通』が『普通』のままで有り続けてほしい、かな」
大切な人と不幸な別れがあって、多くの人は悲しみながらもいつかそれを乗り越える。そしてまた、『普通』の生活に戻っていく。
そうあってほしい。そう有り続けて欲しい。
願わくは、ジョエルにもそうあってほしいと綾は思う。
わかるかな、とヤオフーを見れば、彼女もまた真摯な顔で何度も頷いていた。二人、共にジョエルを見る。ジョエルは静かに佇んでいる。まるでその時を待っているかのように。
二人の願いを聞いたヤオフーは、メイにはリボンをしたきつねのぬいぐるみを新しいともだちにしてほしいと。願いを共にした綾には、櫻飾りの黒い万年筆を差し出した。
「おねえさんは?」
「私にかけられた願い……」
次にナターシャへと向き直ったヤオフーは、同じように首を傾げて問う。
「啓示を受けた時から、皆を楽園へ誘うことでしょうか」
「らくえん?」
「私もまた、皆様が至れるよう祈るのです。ですから……貴女もまた、共に参りましょう」
「うん、でも、もうちょっと待ってね。まだ……まだね、時間じゃないの」
「ええ、わかっています」
彼女もジョエルも、その時を待っている。それまだはまだ、現世で遊びたいのだろう。ナターシャもそれに気づいている。ただ、ヤオフーにも、そしてジョエルにも、加護があらんことを祈る。
「おにい、おねえ……おにいさん? あなたは?」
「僕は、僕の願いは、僕の罪は雪がせぬ事」
ヤオフーに問われ、悠里は目線を落として目を合わせるの避けながら答える。あまり目を合わせたくなかった。子どもの純真な瞳は、見えてほしくないところまで見透かされそうで。
「掛けられた願いは『生きて幸せになって欲しい』。……でもそんな、相反することは叶うのでしょうか」
苦し気に息を吐いた悠里を、ヤオフーはじっと見つめ。そして、悠里の手を取ってた。
「……おにいちゃん、パパのところ、いこ」
返事を聞く前に、ヤオフーは歩き出した。引っ張られるままに、体勢を崩しながら悠里はそれについていくしかない。そもそも今、どうしていいかわからない。
ジョエルの所に連れてこられても、何となく所在がなくて。ヤオフーはまた遊びに行ってしまい、今ジョエルの傍には悠里だけとなった。
暫しの沈黙。互いに座ったまま、時だけが流れる。その沈黙を破ったのは、悠里。
「ジョエルさん。ただ見送ったところで、ジョエルさんはどうするのでしょう」
血を吐くような声だった。
苦しそうに胸をつかむのは、再来する痛みを押さえつけようとしているようで。
自分のように生きて欲しくない。だけれど、掛ける言葉がない。
ただ、あの日『彼女』がそうしてくれたように、ジョエルの頭を撫でて、同じ願いを掛けるしかなくて。そうただ――、
「生きて」
それひとつだけを。
「願いと呪いは紙一重だ。特に、『生きて』という願いは」
静かに、ジョエルが口を開く。悠里の好きなようにさせながら、それを拒むことはない。だから同じように、ジョエルも手を伸ばした。大きな掌が、悠里の頭に置かれる。
「……私は、君のことは何も知らない。けれどね」
ぽん、ぽん、と。優しく、頭に手を置いて。
「君は、せめて生きなさい。君が何をしたかは知らないけれど、罪は他人が許したって自分が許さなければ、いつまでも雪がれることはない。傷は傷のまま。私のようにね」
手を離し、笑顔を忘れた男はそれでも、『大人』の顔で真摯に言葉を紡ぐ。
「死は許しだ。君の罪は雪がれる。生は罰だ。自分が許さない限り、痛みも傷も消えはしない。そのかわり……君に掛けられた願いも、消えはしない」
風が吹き抜けた。
冬の風が櫻の花弁を、二人の髪を攫って行く。遠くで皆の声が聞こえている。
「君の生がいつまで続くかはわからないけれど。『生きて』という願いを叶えたいとも思うのなら、罪と痛みを抱えたまま、せめて納得できる終わりの日まで生きてみるんだ。答えはきっと最期に分かる。……私は、そう思うよ」
相反していてもいい。そもそも人間とはそんなに単純ではないのだから。
戯言と聞き流してもいいと付け加えて、ジョエルは悠里の背にもう一度手を当てた。大きな掌だった。
時計の針は止まらない。
彼らの刻限まで、あと少し。冴えた夜気が、冬の匂いを連れてくる――。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
コトノネ・コルニクス
鬼事は任されよう
ぬしはその約束と見送りに注力するが良いぞ〜
素早い子の相手は骨が折れるが、【愛し子】もおれば問題無いじゃろ
適度に進路を妨害すればそれで良い、我が捕らえるでな
姿が見えんなら空から探しておくれ
我の役目は戦を呼び、戦士を導く事じゃが
願うのは、戦乱の末に開かれる未来
困難を払い、強く美しく歩み続ける人の世界よ
親が可愛い子の成長を願うようなものよな。ははは
願われたのは只管に勝利だけじゃったがなー
見送りを終えたら、ジョエルを街に連れ戻して街人の中に放り込むぞ
みな心配しとったからの、存分に看病してもらうが良かろ
親が子を思うなら、子も親を思うもの
そんな不健康では、娘たちも気が休まらんじゃろうしな
冴島・類
【荒屋】
目一杯遊ぼうか
さんたごっこ鬼ごっこを一緒に
彼女はジョエルさんとも遊びたいだろう
黒帝に乗せ、共にと補助する黒羽君に
少し、待ってね
破魔の力で祈りを込め
糖花と力を分け
影朧からの影響や衰弱を多少なりとも軽く
子の願いを叶えて笑わせる
己でしたくないわけがない
悲しみに暮れたあなたにも
笑顔をと願う
支えます
共に手を伸ばしてみましょう?
鬼ごとは瓜江を手繰り追い
フェイントや残像交え
彼女のふいつく
フェレスちゃんそっち行ったよ!
素早く追い詰めるのに声かけ
迎えるジャハルさんの掛け声に目配せ道塞ぎ
今、と機を伝え
かなえたいのは
泣く子が1人でも多く減るよう
願われたのは
助けてと言う沢山の声
君は?
2人の縁も環の先で繋がれと
華折・黒羽
【荒屋】
ジョエルさんも共にと黒帝の背に乗せ
己も支える為後ろへ
破魔施す類さんの横で黒獅子の首元を撫ぜる
あまり荒くは駆けないでくれ
大丈夫、ヤオフーは皆が連れてきてくれる
始まれば全体を視認できる位置取りを
交差する四つ影眺め
俺も、家族を失ったんです
未だ悲しみは残り消える事はきっと無い
でも
眸に映る3人には似たあたたかさがあった
必死に追うフェレスさんの姿に綻ぶ口元
残った痛みは胸に抱えたまま
包む新しい灯りを見つける事はきっと出来ると思います
ジャハルさんが連れてきてくれたヤオフーは
ジョエルさんを見て笑ってくれるだろうか
あなたが、掴まえて下さい
救われた此命願うは守る強さ
願われたのは
─新しい幸福を受け入れ生きる事
ジャハル・アルムリフ
【荒屋】
「仲間」たちに目配せ確かめ
そんな記憶にない光景が、どこか懐かしい
よし、覚悟は良いかヤオフー
駆けて追い込む先は
小回りの効くフェレスの方
揺れる尾先ふたつにも誘われてくれまいか
冴島、今度は其方だ
たまの激突も愛嬌…であろう
流石の素早さ、しかし
此処まで隠しておいた翼で空中から
跳躍中のヤオフーを狙いもして
捕獲時【星追】用い黒羽の元へ
獅子駆る少年の手と、ジョエルの目に
ヤオフーの、「さんた」の笑顔が届くよう
少しでも痛みが癒えるよう
失くしたものも出逢ったものも
いつか、また
落ちては咲く桜の下に巡ればいい
*
問いには
…そうだな…願いは、或る人の幸福を
俺への願いは――まだ、解らぬのだ
迷いは隠し、出来るだけ柔く
フェレス・エルラーブンダ
【荒屋】
泣き腫らした目を乱暴に擦る
でも、迷わない
ジョエルの『いたみ』
ヤオフーの『ねがい』
ふたりの『ゆめ』をぜんぶ掬う
そうして、纏う
全身が軋むようないたみをもらっても
それは、胸に残るいたみには敵わないから
こい、さんた
私ははやいぞ
ジャハルとるいの声に応えて互いの尾っぽを追い回す
跳び、駆け、残像交え惑わし乍ら
くろばと目線が合ったなら
ヤオフーをジョエルのもと連れて行くように駆け
なあ、ジョエル
さくらのせかいは『いのちのわっか』で出来ているんだろう
わっかのさきで、またあえる
……それが、おまえの『さんた』じゃないのか
わたしはなにをねがったらいいかわからない
でも、……いまはみんなが、『いきる』をおしえてくれる
青和・イチ
遊ぶ…
子どもと遊ぶとか、あまり無くて…どうしよう
あっ、くろ丸?
(犬が走り出し、影朧を追ったりけしかけたり
ん、そういうのは、くろ丸のが得意だね
僕も頑張る
『ダッシュ』で追ったり『目立たない』よう忍び寄ったり
捕まらなければ奥の手
くろ丸がヤオフーの近くに迫ったら【辿星】でそこにテレポート
ん、挟み撃ち
願い:
んー何だろ…
大事な人達が、幸せだといいな…とは思う
かけられた願い:
(ふとジョエルさんを見
…誰かの幸せと…
元気でいる事、かな
贈り物を貰えたら、お礼を
ヤオフーが去ったらジョエルさんの元へ
ジョエルさんの光…温かくて、眩しいね
きっと、ずっとあなたを照らしてくれる
貰った贈り物は、ジョエルさんへ
…素敵なお父さんに
●
全力で走って。息をきらせて。かくれんぼでドキドキして。
つかまってもくやしくなかった。ただただ、楽しいがいっぱいいっぱい広がって――。
気づけば、わたしの足は透明になってた。
どんどん朧になる。どんどん薄くなる。でも大丈夫だよ。ちゃんと、約束、守るから。
だからね、パパ――。
「遊ぶ……」
青和・イチ(藍色夜灯・f05526)は少々困っていた。なにせ子どもと遊ぶという機会と経験がほとんどなかった。どうしようと頭を抱えるイチを見上げ、ヤオフーとイチを見比べ、何かを納得したのか真っ黒なイチの相棒がてってっと走り出した。イチの大切な友、愛犬のくろ丸だ。
「あっ、くろ丸?」
てってっ、走ってヤオフーの足元をくるくる回る。
「わっわっ、わんこだー! あそぶ? 遊んでくれる?」
「わふっ!」
犬をはじめて見るヤオフーは、足元をじゃれつき、時にけしかけたり追いかけたりするくろ丸に瞳をぱっと輝かせた。
「ん、そういうのは、くろ丸のが得意だね」
ほっと息を吐く。改めてくろ丸の存在に感謝する。それと同時に、足りない部分を補い合える相棒を、頼もしくも思う。
「鬼事は任されよう。ぬしはその約束と見送りに注力するが良いぞ~」
コトノネ・コルニクス(冠鴉のバズヴ・f22112)はジョエルにひらひらと手を振って、ふわり羽搏く。
「遊んでくれるの? じゃあ、追いかけっこだよ!」
そう言うなり、ヤオフーは黒狐へと姿を変えて月下の境内を全速力で駆けはじめた。その素早さたるや、すぐにコトノネの視界から消えてしまう程。
「やれ、素早い子の相手は骨が折れるが、愛し子もおれば問題ないじゃろ」
自らの眷属である頭巾烏の群れを召喚し、周囲に散らせる。まずは探し出すこと。そして適度の進路を妨害することだ。
「手伝います。僕も頑張る」
コトノネの烏たちと共に、地を黒い犬が駆け抜けていった。くろ丸だ。くろ丸の友たるイチもコトノネに声をかけてから、強く地を蹴った。
強く羽搏いて上空へと躍り出たコトノネが、眼下を睥睨する。烏達は未だバラバラ。イチは桜の木に身を隠しつつ進み、くろ丸は自慢の鼻を活かして足取りを探る。コトノネはただ、機を待つ。
くろ丸が一目散に駆けだした。目標を見つけた走りで、全速力で駆ける。烏達も徐々に一点に集まり騒ぎ出した。駆けるくろ丸の先に、ちいさな黒い狐。
「うむ、見つけたぞ~」
のんびりとした口調でにぃと笑ったコトノネは、くるりと反転した。強い羽搏きで一気に地を目指す。
狐の姿となったヤオフーは、イチの想像以上に早かった。もともと獣と人では明らかに脚力や速力に差がある。いくら猟兵とてそれを埋め切るには『技』が必要だ。つまるところ、イチも奥の手の出し時。
「わ、わ、わー!! 烏がいっぱいなんだよー!?」
コトノネの愛し子たちが、ヤオフーの進路を邪魔するように飛び込む。慌てて飛び退いたり進路を変えている間に、くろ丸がヤオフーに迫った。イチは星を辿るように、くろ丸への道をなぞりテレポートする。
「ん、挟み撃ち」
「えー!!!」
前後をイチとくろ丸に、左右を烏達に挟まれる形となったヤオフーに逃げ場はない。そこへ、天から神が墜ちる。
「ほれ、つかまえた。我らの勝ちじゃな~」
地に滑りこむように着地したコトノネが、にししと笑ってヤオフーをキャッチした。
「わんこもからすもすごかったー! こんなに近くで見たのはじめてだよ、みんないいこだね! おにいさんもおねえさんもすごいね!」
右にくろ丸、左に烏たちに囲まれて、ヤオフーは興奮気味に話す。嬉しいのか誇らしいのか、くろ丸は誇らしげに背を伸ばして座り、烏たちはヤオフーの肩や頭にどんどん乗っかる。それすら楽しくて、嬉しくて。
だから少しずつ影朧たるその身体が時折朧になるのは、満足した証なのだ。
「わ、わ、いそがなくちゃ! サンタさんのおしごと! ね、おにいさんとおねえさんのお願いはなあに? 二人にかけられたお願いは、なあに?」
慌てて白い袋を引っ張ってきたヤオフーは、二人に問う。それがサンタの仕事だというように。
「我の役目は戦を呼び、戦士を導く事じゃが。願うのは、戦乱の末に開かれる未来。困難を払い、強く美しく歩み続ける人の世界よ。親が可愛い子の成長を願うようなものよな。ははは」
「わ、わ、すごいね。おねーさん、神様みたいだ!」
「神様じゃよ~。願われたのは只管に勝利だけじゃったがなー」
「あー、勝利のかみさまかー。じゃあヤオフーが勝てないの、しかたないなー」
納得したように頷くも、コトノネと顔を見合わせればぱぁと笑顔が輝く。
「じゃあね、わんこのおにいさんは?」
「わんこのおにいさん……。んー何だろ……。大事な人達が、幸せだといいな……とは思う」
「わふっ」
「ヤオフーも思うー! 大事、だいじ!」
くろ丸と共にヤオフーが両手をあげて同意する。一緒に頷いている様が、なんだか可愛らしい。
かけられた願いのことを考えて、イチはふと、ジョエルを見た。彼はただ静かにそこで待っている。時折何かを弄りながら、それでもヤオフーたちを目に焼き付けようとしている。
「……誰かの幸せと……元気でいる事、かな」
ジョエルを見ていたら、自然と言葉が流れ出ていた。大切な祖父の最期の言葉を、褪せないあの言葉はきっと、祖父の願いだったろうから。そしてイチが誰かの幸せを守る力を得たのは、きっと意味があることだろうから。だから、自らに掛けられた願いを自らの力と変えて歩き続けるのだろう。
イチの心の機微を見て取った古き神は、静かに目を細めて笑った。
「じゃあねー、ふたりにプレゼントだよ! お願いを掛けられて走る二人にね、これ!」
ヤオフーが差し出したのは、二つの星のお守りだった。細やかな装飾が施された、流れ星のオーナメント。黄金に輝くほうき星と、天に輝く導の青き星。青き星のオーナメントをコトノネに、ほうき星をイチに渡して、ヤオフーは笑う。
「あとちょっと、かなぁ……もう一回、遊べるかなぁ」
足は随分透けるようになった。尾も少しずつ朧になり、ちょっとだけ、疲れてきたように思う。ヤオフーは自分が疲れるんだということを、今初めて知った。
刻限は迫っている。でも、まだあと少し足りない。境内にある時計を眺め、ヤオフーは眉を下げた。
「目一杯遊ぼうか。さんたごっこ鬼ごっこを、一緒に」
ヤオフーの肩をぽんと叩く手。見上げれば、冴島・類(公孫樹・f13398)だった。華折・黒羽(掬折・f10471)、ジャハル・アルムリフ(凶星・f00995)、そして泣き腫らした目を乱暴に擦ったフェレス・エルラーブンダ(夜目・f00338)も共に居る。
嗚呼、最期の遊び相手が見つかってよかった、と。嬉しそうに、ヤオフーは笑った。
フェレスには、ヤオフーが笑いながら泣いているように見えた。
けれど、ふたりは決めた。だからフェレスは迷わない。
ジョエルの『いたみ』。
ヤオフーの『ねがい』。
ふたりの『夢』を全部、その小さな手に掬って、纏う。痛みも願いも希望も全部全身に駆け巡って、フェレスの駆ける力となる。代償に全身が軋むようないたみをもらっても、それは、胸に残るいたみには敵わないから。
黒羽と類は、まず先にジョエルの元へと向かった。黒羽の傍らには漆黒の獅子。未だ消耗したままのジョエルをその黒帝と呼ばれた獅子の背に乗せる。
「彼女はジョエルさんとも遊びたいだろう。少し、待ってね」
類はそう、語り掛ける。あんなにちらちらと様子を気にしていたヤオフーだ。影朧とて、彼女にも情はあった。それは或いは、サクラミラージュの影朧という不安定な存在だからという奇跡だったかもしれない。
類は破魔の力で祈りを込めて、糖花と力をジョエルに分け当たる。影朧からの影響や衰弱を多少なりとも軽減させて。起き上がる力を類から貰ったジョエルは、二人を不思議そうに見た。何故と問う声に、類は穏やかに笑みを深めた。
「子の願いを叶えて笑わせる。己でしたくないわけがない。そうでしょう」
悲しみに暮れたジョエルにも、どうか笑顔をと願う。どうかその終わりを、満足のいくようにと。
「支えます。共に手を伸ばしてみましょう?」
黒羽も共に黒帝に乗り、ジョエルを背から支える。その優しさに、ジョエルは何か言いたげに唇を動かし、けれど声にならぬまま、切なげに眉を寄せ。
「……ありがとう」
その全てを飲み込んで、心からの感謝の言葉を紡ぎ出した。
『仲間』たちに目配せ確かめる。そんな記憶にない光景を、ジャハルはどこか懐かしく思う。類と黒羽、フェレスの準備は、整った。
「よし、覚悟は良いかヤオフー」
「こい、さんた。私ははやいぞ」
本気で遊びに来てくれている。本気で向かい合ってくれている。影朧の自分に。
そう感じ取ったヤオフーは、微かになった足に力を込めて。
「うん、うん。私もはやいよ。負けないよ!」
最後の鬼事が、幕を開ける。
フェレスとジャハル、そして類の手繰る瓜江。三人を相手にしながら、ヤオフーは全力で駆ける。木々の間をすり抜け、急ターンをして方向を変え、時に草むらに飛び込み、ヤオフーは縦横無尽に駆ける。
そんなヤオフーを、三人は巧に連携しながら追いかける。ジャハルと瓜江が連携して追い込むのは、小回りの利くフェレスの方。小さな体を活かして駆け回るヤオフーを追い回すには、体の大きなジャハルと瓜江では少々分が悪い為だ。
とはいえジャハルとフェレス、揺れる二つの尾が気になってちらちらと此方を見る様子のヤオフーを見てとれば、二人は今度は自らの尾を囮に追いかける。たまにうっかり激突したりもするが……まあそれは愛嬌のうちだろう。
「冴島、今度は其方だ」
「了解!」
類が素早く糸を手繰って瓜江が追う。洗練された動きは止まることなく、絡繰りを人たらしめるが如く操る術は、駆けながらもヤオフーの目を奪った。
「おにーさん、すごいねえ!」
瓜江の残像を躱し、フェイントを慌てて躱しながらも感嘆の声。不意打ちでヤオフーの進路を、それと悟られぬように誘導する。
「うわわわわ! おにーさんがいるー!」
「流石の素早さ、しかし」
類のサポートで上手くジャハルの前に誘導されたヤオフーが、ジャハルの姿を見つけて慌てて大きく空に飛んだ。すんでのところで掴まえ損ねたが、しかし。空に対して分があるのは、ジャハル。
此処まで隠しておいた翼を背に広げて空中へと舞い上がる。
「ええええずるーい!! 飛べるなんて聞いてないよー!」
「言ってないからな」
跳躍中のヤオフーを狙いながら、ジャハルが更に追い込む。慌ててヤオフーが飛び込んだのは、黒猫の庭。
「あまり荒くは駆けないでくれ」
優しく頼んで、黒羽は黒獅子の首元を撫ぜる。少し先では、3人がヤオフーと鬼ごっこの最中だ。それは只人の身たるジョエルには手出しできぬ程に激しい遊びで、ジョエルは今はそれを見守ることしか出来ない。
「大丈夫、ヤオフーは皆が連れてきてくれる」
ジョエルの不安を感じ取った黒羽は、全体を視認できる位置へと歩を進める。視界の中では交差する四つ影。そして聞こえてくるのは、ヤオフーの楽し気な声。
「俺も、家族を失ったんです」
ジョエルの背から、黒羽がそっと告げた。ゆっくりと振り向いたジョエルに、黒羽は眉を下げ笑う。
「未だ悲しみは残り、消える事はきっと無い。でも」
眸に映る3人には、家族に似たあたたかさがあった。必死にヤオフーを追うフェレスの姿にも、黒羽の口元は綻ぶ。それは、3人が今の黒羽にとってのひかりであるから。
「残った痛みは胸に抱えたまま、包む新しい灯りを見つける事はきっと出来ると思います」
「……私に、それを望む権利は、あるだろうか」
ジョエルの胸には未だ消えぬ罪悪感がある。新たなひかりを望むことを、簡単にその心は許しはしない。
それでも。
猟兵たちの優しさが、傷口に優しく染み渡っていく。ジョエルは答える代わりに、自らの胸に手を当てた。
鐘が鳴った。
ただの一度だけ。それが、終わりを告げた。
「フェレスちゃんそっち行ったよ!」
「わかった」
類の声に呼応するように飛び、駆け、残像交えて惑わしながら、フェレスは着実にヤオフーを追い込む。ふと、視線の先で黒羽と目が合った。頷いている。4人は互いに目配せを躱し合い、頷き合う。
フェレスが駆ける。道を逸れそうになれば先回りし、方向を変えようとすれば瓜江が塞ぎ、先で待つ、ジャハルの元へ――。
「今」
「此処に」
静かに紡がれるのは短き詠唱。音なき影色の旋風。
ヤオフーを捕まえて、ジャハルが『飛ぶ』。空間を跳躍し、黒羽のところへ。そしてそこに居る、ジョエルに。
「パパだ!」
空中に突如出現したジャハルとヤオフーは、そこで待ち受けていた黒羽とジョエルを見つけた。
ジョエルを見つけて、ヤオフーが嬉しそうに笑った。
獅子駆る少年の手と、ジョエルの目にヤオフーの、「さんた」の笑顔が届くよう。少しでも痛みが癒えるよう。
それはジャハルたちからの、贈り物であった。
「あなたが、掴まえて下さい」
「……っ、ああ……!」
飛び込んできたヤオフーを、ジョエルはしっかりと受け止め抱き締めた。
ヤオフーは肩で息をしていた。けれどその笑みは晴れ晴れとしている。
「たのしかった、たのしかった! おにいさんたち、すごかったよー!」
ジョエルの腕の中で、ヤオフーが両手を挙げて喜ぶ。もうその身体は半分程が透けていた。その手に気づいたヤオフーは、ゆっくりとジョエルを振り仰いだ。
「……じかん?」
「……ああ。鐘が、鳴ったろう?」
「ああ……そっかあ」
日が変わったことを告げる鐘の音を、皆は確かに聞いた。それが刻限だとジョエルは言っていた。
「ヤオフーね、とってもとっても、楽しかったよ。ねえ、おにいさんたち。おにいさんたちのお願いって、なあに? おにいさんたちに掛けられたお願いって、なあに? 聞けるうちに聞いて、プレゼント、渡さないと、ね」
ジョエルの腕の中で、ヤオフーはそっと笑う。朧と消えかける尾を揺らして。
「わたしはなにをねがったらいいかわからない。でも、……いまはみんなが、『いきる』をおしえてくれる」
身体の痛みを抱え、類に支えてもらいながら傍に来たフェレスが、まずはそう答えた。
「俺は、救われた此の命。願うのは守る強さ。願われたのは――新しい幸福を受け入れ生きる事」
黒羽が紡ぐ。ヤオフーは、うんうんと頷きながら聞いている。
「……そうだな……願いは、或る人の幸福を。俺への願いは――まだ、解らぬのだ」
迷いは胸と喉の奥に隠して、出来るだけ柔らかくジャハルは教えてくれる。
「僕がかなえたいのは、泣く子が1人でも多く減るよう。願われたのは、助けてという沢山の声」
類が、想いを言葉に乗せるように紡いだ。想いは言の葉にすると力が宿るのだという。出来るだけ叶えたいと戦う、類の優しさが伝わる。
「そっかあ。じゃあ、サンタからプレゼント、だよ。みんなに、あげる」
白い袋から大切に取り出したのは、硝子の星だった。一つ一つがオーナメントになっていて、けれどひとつに繋ぐことも出来る。その星を一つずつ渡していく。
みんなの願いが叶いますように。星が、叶えてくれますように。そして、いつでもつながる事が出来ますように。
そう祈り、ヤオフーは微笑む。
これで、サンタの仕事はおしまい。遊ぶ時間も、おしまいだ。
●Ending.
「みなさん。ヤオフーとたくさん遊んでくれて、ありがとうございました。この子は、この通り……満足しました」
「うん、とってもとっても楽しかったよー! 遊んでくれてありがとう!」
深く頭を下げるジョエルに倣い、ヤオフーも頭を下げる。その身体は、向こうが透けてみえていた。
見送りの時だ。そしてジョエルが最後の『約束』を果たす時。
立ち上がるヤオフーに目線を合わせるように、ジョエルは膝をついて向かい合う。
「ヤオフー、約束を果たそう。今だけ娘と、ミカと呼ぶことを許しておくれ」
「うん、いいよ」
猟兵たちが見守る中、ジョエルは傍らの袋から大切そうに、木箱を取り出した。そっと開く。
優しい音が、ぽろん、ぽろん、と零れ出した。
「一年前……渡せなかったものだよ。ずっと作っていた。材料が足りなかったのだけど……ここにいる方々が、店のものを買ってくれてね。お陰で、材料を揃えて、完成させることが出来たんだ」
澄んだ音が響く。優しい歌。優しい音。
木箱の中心で、三人の人形がくるくる回って笑っている。父と母、そして子が、笑っている。
「……お誕生日おめでとう、ミカ。受け取って、くれるかな」
「……いいの?」
おずおずと、『娘』は不安そうにそれを受け取った。だがそれは本来、ヤオフーに送られるものではない。受け取ってすぐに返そうとした。けれど、ジョエルは受け取ってくれない。
「でも、わたし、ミカじゃないから」
「いいんだ、貰っておくれ。これは私のただの我儘だ。あの時祝えなかった誕生日を、渡せなかったプレゼントを贈ることで、私の中でけじめをつけたかったんだ。だから、貰ってくれ、ヤオフー」
こんなことに意味はない。けれど、ジョエルにとっては大切なことで。
何も変わっていない。傷は傷のまま、けれど痛みを抱えて立ち上がる覚悟が出来た。
「君と会って、私は嬉しかった。私は、あの時助けられなかった娘が帰ってきたようで、嬉しかったんだ」
影朧だと気づいたのは、身体の衰弱を悟った時だった。だが、それがなんだというのだ。いっそこの娘に寄り添ったまま、ここで死んでもいいとすら思った。それが幸福であり、贖罪であると信じていた。
生きるには意味と理由が必要だ。けれどジョエルはそれを失った。だからこそ、幸福な死を選ぼうとしたのに。
誰よりも、ヤオフーがそれを許さなかった。
影朧としてこの世に出現し、遊び相手を求めて彷徨った。文字通り虚ろで朧気な存在だった。けれど影朧のその身に、ジョエルは意味を与えてくれた。代わりでもいい。必要としてくれて、親の愛で包んでくれる人。ヤオフーは自分の存在に意味を持った。
だから意味をくれた父が、自らのせいで死んでしまう前に。
二人は『約束』をした。
お誕生日の日に、私は海に還っていきたい、と。
薄れるその姿に、ジョエルは涙を流すことしか出来なくて。ヤオフーはそんな『父』の頭をそっと撫でて。
「なあ、ジョエル」
思わず声をかけたのは、フェレスだった。声をかけずにいられなかった。
「さくらのせかいは、『いのちのわっか』で出来ているんだろう。わっかのさきで、またあえる。……それが、おまえの『さんた』じゃないのか」
このまま消えてしまっていいのかと。
このまま別れてしまっていいのかと。
そこに、後悔はないのかと。
問わずには居られなくて。
「失くしたものも出逢ったものも、いつか、また。落ちては咲く桜の下に巡ればいい」
それでいいのだと。
少ない言葉を懸命に手繰るフェレスの肩に手を置いて、ジャハルも頷いた。
此処はサクラミラージュ。朧な影朧は、輪廻の環に戻ることが出来るから。
「……君は?」
その言葉を継いだのは、類。
サンタだと、ヤオフーは言った。サンタにだって、願いはあるだろう。その願いを、消えゆく今、伝えたっていいだろう。
「……ねえ、パパ」
頷いて、『父』に手を伸ばす。
「わらって」
「……!!」
――あの雪の日。
助けられないと雪の上に崩れ落ちた手の中で。
娘は最期の力で父の頬に手を当て、願ったのだ。
ミカが、ヤオフーが、ジョエルの頬に触れる。そして、
「『パパ、わらって』」
同じ声で、同じ笑顔で、ミカが、ヤオフーが、やさしく、おさなく。
「パパと会ってから、一度もパパの笑顔、見たことないの。パパ、わらって。わたし、それが一番うれしい」
涙が流れて止まらなかった。
そうだ。ジョエルはあの日から、泣いてばかりだった。ヤオフーと出会ってから泣く回数は減ったけれど、笑うことはなかった。笑顔を忘れてしまっていたから。
けれど、『子』が願うのだ。最期の願いだ。あの時も叶えてやれなかった願いだ。
『親』ならば、叶えてやらずに、どうする――!
「……これで、いいかい。ミカ。ヤオフー」
涙でぐしゃぐしゃに濡れて、ぎこちなく、それでも、ジョエルは笑った。
不格好だと思う。ちゃんと笑えているかわからない。でも精一杯、ヤオフーへの感謝を込めて。愛し子たちへの愛を込めて。
ジョエルは、笑った。
「うん! ありがとう、パパ!」
人生で一番嬉しそうに笑み綻んで。
はらはらと、ヤオフーの身体が櫻に変わる。
生まれて咲いて、開いてすぐに散る。その花のなんと儚いことか。
思わず消えゆくその身体を抱き締めた。しっかりとつかめているか、もうわからない。
彼女は消える。
それを引き留めるのはエゴか。それでも嗚呼、伝えねばならない。
「ヤオフー。今度生まれてくる時は、幸せになりなさい。生きることは大変だ。いくつもの困難があるかもしれない。けれどどうか、それに負けずに、幸せになりなさい」
ボロボロと涙が零れるのも構わずに、幸せを願った。
只管に幸せを願った。自分たちが叶えられなかった分まで幸せになってほしいと、ジョエルは何度も願った。
「パパ、また、会おうね」
「ああ、ああ……! 必ずだ、私は待っているよ…!」
幸せに微笑んで、ヤオフーは花と散った。
その花弁が風に攫われて、遠くへ運ばれていく。
ことりと、オルゴールが地に落ちた。
ジョエルは花弁を抱き締めたまま、大きな声で泣いていた。
祈りは願いになる。願いは巡ってやがて天へと昇り、花となって咲く。幾度も、幾度も。
それがこの世界ならば、この終わりにはきっと愛がある。
その命の巡りを愛そう。
悲しみと痛みを抱えて歩き出す、そのはじまりを愛そう。
この終わりに愛があるならば、いつかの未来にも、きっと――。
●Epilogue.
天から遂に雪が零れ落ちてきた。
はらはらと舞って、世界を白く覆っていく。
蹲って泣くジョエルの背に、そっと手が置かれた。
共にずっと見守っていた、イチだった。
「ジョエルさんの光……温かくて、眩しいね。きっと、ずっとあなたを照らしてくれる」
その終わりを、イチは光だと言った。何度も、何度も頷く。
悲しみは悲しいまま。傷は痛いまま。けれど、希望を遺していった。その希望は、ジョエルの心を少しずつ癒していくだろう。
それが彼女たちの願いなのだろうから。
イチは、先程ヤオフーに貰った黄金の流れ星をそっとジョエルに手渡した。見上げれば、常に表情の薄いイチに、微かに笑みが浮かんでいる。
「……素敵なお父さんに」
その言葉に、またジョエルに涙が流れる。幼い子どものように、肩を震わせて泣く。今は、それでいいとイチも思う。
「二人の縁も、環の先で繋がるといいね」
類の言葉に、黒羽も、フェレスも、ジャハルも頷いて、天を見上げた。
雪華が櫻と共に舞う。
見送りを終えたジョエルを、コトノネは街へと送っていった。
街では、忽然と姿を消したジョエルの捜索隊が組まれようとしていたところだった。事件に巻き込まれたと思ったのだろう。
「みな心配しとったからの、存分に看病してもらうが良かろ」
衰弱し、泣きぬれたジョエルの背を、駆けつけた街の者たちの下へ往けと押す。不思議そうに振り返るジョエルに、コトノネは穏やかに微笑んだ。
「親が子を思うなら、子も親を想うもの。そんな不健康では、娘たちも気が休まらんじゃろうしな」
ジョエルは人の親だろうが、コトノネは神たる存在。人の子はみな子のようなものだ。親が子を案じ、子が親を案じる。その美しさを、コトノネは幾度も見てきたから。
「なにから、なにまで……ありがとうございます」
深く頭を下げ、直後に街の者たちに囲まれてもみくちゃにされたジョエルは、もう自分で立ち上がれるだろう。心配はいらない。そう感じて、コトノネは雪と櫻舞う空へと返っていった。
雪華と櫻華が舞う今宵は、祝祭の日。
奇跡は、其処に。
大成功
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