●
――どうすれば良いのか、ずっと悩んでいた。
選択肢が無数にあるというのも、こうなってしまえば不幸なものだと思う。選びうる道があまりに多すぎれば、何一つ存在しないことと何も変わらない。
取りうる手段はあまりに多く、けれど拒むべきものはそれ以上に多かった。全てを拒めば何も残らないほどに。限りなく少ない道の中から最適解を選んだつもりが、結果が否に終わってしまったことも、少年の心を蝕んだ。
――何がいけなかったのだろう。
――何が足りなかったのだろう。
考えても考えても分からなかった。渦巻く悔悟の中で耳を塞いで過ごした――もう二度と開かないはずの瞼が光を捉え、己を取り巻く期待の視線を感じ取るまで。
ただ己を呼ぶ人たちがいた。誰のことも傷付けるつもりはなかった。彼らの瞳が、希望を求めるそれだと分かっていたせいもある。
贄――と呼ばれるものが必要なものになってしまった自分は、きっと誰かを傷付けなくては存在しえないのだろう。ならばせめてその傷が穏やかであるようにと、理想郷を作り上げた。緩やかに、穏やかに、ただ幸福の中で――希望の中で朽ちていくように。
そのさまをぼやけた視界の奥に捉えながら、彼は己が顕現するときを待ち望んだ。
長い時間をかけて、その体の中に力と知識を溜め込む間――。
見せてほしい。
希望を。人が縋る『可能性』、その一端を――。
それを今度こそ断ち切る方法を、そこから弾き出してみせるから。
●
「大事なものはあるか」
開口一番そう発して、ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)は暫し沈黙した。己のそれにはあるともないとも言及せぬまま、彼の眼は手元の資料に移る。
「UDCアースで邪神復活の兆しだ。例によって厄介な話だが、討伐を頼みたい」
ここ数年で進められた再開発が成功したお陰で、一躍繁華街となった土地である。
その華やかさの裏に治安の悪さが付き纏うのは不可避ともいえる。夜ともなれば積極的にうろつきたい土地ではなく、一本でも路地に入れば何があるか分かったものではない。行方不明者の頻発も、その延長上にあるのかもしれないが――。
予知にかかったということは、少なくとも最終的な目的は人ではないということだ。
「邪神のための贄だな。とはいえ、今回は少し事情が特殊というか――」
言葉尻が濁る。
何しろ今回の相手には――。
「敵意がない」
何かと敵対しようという意志がない。世界を壊すオブリビオンの性質が、結果的に破滅の一端を招いているに過ぎない。本人はただ、何かを待ち望んで佇んでいるだけだ。
その贄の置かれている状況も特殊である。儀式が作り上げた空間は、再開発以前の街並みを湛えている。その中に、既に空ろな魂だけとなって『暮らしている』のだ。
空間自体が大規模な儀式だ。儀式そのものを止めるためには、その中に入り込まねばならない。――つまり、一時的に贄のふりをする必要がある。
幸いにして力のあるものではない。猟兵であれば囚われることはないだろうと、男は淡々と告げる。入るための鍵となるのは。
「貴様らの大切な物、と言えば良いのか」
或いは幼い頃の思い出の品。或いはとうに失くした何か。或いは今も手離せないそれ。或いは――大切な人を思わせる物。
夜の繁華街のどこかにあるそれを探し当てる。
形状が何であれ、それが己を呼んでいることはすぐに分かるだろう。だから、何も考えずに手に取れば良い。
とはいえそこに至るには、何かしらの方策が必要だ。大まかな場所が分からなければ拾うことも出来まい。例えば行方不明者の噂、例えば街頭の捜索情報――裏路地の人々から情報を巻き上げるのも、一つの手段だ。
入り込めば、再開発以前ののどかな光景が目に入るだろう。
――そこに浮かぶ、己の中にある大切な場所の光景と一緒に。
街を歩けば、それだけで情報は手に入るはずだと、男は資料から目を離さないままに言った。在りし日の幸福な思い出の中で朽ちる贄たちは、この光景をもたらした者の居場所をすぐにでも指し示す。
「振り払えとは言わない」
ただ、足を止めることは許されない。
猟兵は――過去を掃う者だ。
此度の事件を引き起こした邪神と最終的に対峙することが出来たなら、打倒することが出来たなら――そこに至るまでの感情は、何だって構わないから。
「たとえ何のためであっても、我々の敵だ。討ち取って、世界の愛と希望を示してくれよ」
そう言って、男はグリモアを翳した。
しばざめ
しばざめと申します。
心情系依頼というものに挑戦したいと思いました。
プレイングには心情をガンガンに盛り込んでいただければ幸いです。
記載のない限り単独での描写となります。複数名参加の際は、【呼び名とID】もしくは【グループ名】をお忘れなきよう、よろしくお願いいたします。
一章では「大切な物」について。
二章では「大切な場所」について。
三章での戦闘も心情重視となることと存じます。
一章プレイングは8/27(火)8:30からの受け付けとさせて頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
第1章 冒険
『夜の街の探索』
|
POW : 裏通りで情報通の人達へ聞きに 度胸または、威圧を行うことも必要になる
SPD : 店に紛れ込んで情報収集 素早く入り込み、素早く撤収が求められる
WIZ : ネットや聞き込みで情報探索 手掛かりを紐付ける観察力と推理力が頼り
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
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エドガー・ブライトマン
大切なものねえ
私にもあるだろうけど、いざ探すとなると難しい
しかし、確かにここにあるのは解る
とりあえずレディのことではないみたいだぜ?
…痛ッ棘立てないでゴメン(左手を押さえ)(独り言)
ひとり劇場をしている場合ではない
私の大切なもの、手放せぬもの
夜の街を歩みつつ、私自身に思いを馳せよう
虫食いの記憶を辿り、候補はみっつ
(レディ、また記憶を食ったかなあ)
王冠。違う、それは位の象徴にすぎない
レイピア。違う、武より尊ぶべきものがある
内から呼ぶ声を聴く
――この血だ
祖父から父、父から私へ脈々と受け継ぎ、
未来を拓き、民を導く王たり得る覚悟を秘めた、この血こそが
私の誇りであり、手放せる宿命のもの
右手を心臓に当てた
●
雑踏と喧騒、星明りを掻き消す人工のひかり。
日が沈んでも未だ活動を止めない人々の間を縫って、客引きを躱しながら、エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)は周囲を見渡した。
――大切な物。
そう問われたとき、彼にはすぐに思いつくものがなかった。常に傍らにある、左手に宿した狂気の薔薇が、記憶を虫食いにしてしまうのだ。いざ探そうと思っても、思い当たることは少ない。
難しいな――。
思案するように顎に手を当てて、大都会の喧騒を歩き出す。行方不明者が頻発するのが、今しがた辿り着いたこの周辺であることは、人々の噂から割り出していた。
確かにここに在るのは分かる――と、ちらと目を遣ったのは己の体であるけれども。
「とりあえずレディのことではないみたいだぜ?」
面白半分に左手に囁けば、レディと呼ばれたそれはすぐに叛逆を試みた。するすると伸びる茨が、意志を持って体の主へ牙を剥く。
「痛ッ棘立てないでゴメン」
――往来で左腕を押さえ、思わず頓狂な声を上げた金髪碧眼の王子様に、周囲の視線がちらりと向いた。ひらりと手を振って笑顔で誤魔化せば、都会の人々の目はすぐに前を見る。
しかし――この流れの中で人が消えるということもあるまい。ビルの狭間に身を滑り込ませて、エドガーは一気にひと気のなくなる路地に足を踏み入れる。ひとり劇場を続けている場合ではないのだ。
薄く差し込む大通りの光を金色の髪で跳ね返して、彼は己の心の中へ潜っていく。大切で、手離せない、確かにここに在るはずの何か――。
飲み屋の看板がちかちかと光を放っている。捨てられたビールの缶から零れる酒のにおいの中で、左手のレディに食われた記憶を辿っていく。
心の奥底に辿り着くまで、途中にある大穴に、幾度か落ちそうになった。もしかしたらまた記憶を食われたのかもしれない――そう思ってちらりと見た薔薇は、ただ黙するばかりだ。
そうして拾い上げた物は三つ。
――ひとつめは王冠。
すぐに打ち消す。それは確かに大切な物だが、ただ位を示すための形骸にすぎない。王冠があれば即ち王の資質があるわけでもなければ、それがエドガー・ブライトマンをかたどるわけでもない。
――ふたつめはレイピア。
それも違う。きっと、この心にあるものを成すのに武は必要だ。けれど武のみで成せるものではない。手段にすぎないそれを至上とするのなら、この世は混沌と暴力に満ちてしまう。それよりも尊ぶべきものがある。
――みっつめは。
ざわり、内側が波立つ感覚に、不意にエドガーは足を止めた。
さざめくものが形を持つ。これは声だ。呼び声だ。エドガーを呼んでいる――内側から。
祖父から父へ、そしてこの己へ、脈々と続く路。これまで途絶えることなく歩んできた祖たちの軌跡。ひとの遺しうる、今この瞬間にまで繋がる、途方もない歴史の奔流の証だ。
それがどんな茨道であったとしても、未来を拓き、民を導く王たり得る覚悟を秘めた、この身の内に受け継いできた父祖の誇り。そして今、ここに在る己の誇りであり、決して手離せぬ宿命の物。
『輝く者』の血――。
ゆっくりと心臓を右手に当てれば。
――その燦然たる血脈が、その血を継ぐ子を望む場所へ導く。
大成功
🔵🔵🔵
落浜・語
大切な物か。色々あるが…この状況だと、手拭いかな。主様の側に一緒にあって、『おれ』と違って棺に入れられたもの。
とりあえずは街中を歩いて【情報収集】を。【第六感】を頼りに【聞き耳】たてて、それらしい話題がないかを探る。
それらしい話題が聞こえたら【礼儀作法】と【コミュ力】つかってその話をしていた人に聞き込み。
必要に応じ、怪しまれないようにオカルト雑誌の記者とでも【演技】し【言いくるめ】る
その行方不明とかの情報を集めてるんだが、もし詳しいことを知ってたら教えてくれないか?
あぁ、俺、オカルト雑誌の記者やっててね。何となくそう言う気配を感じたから、あっちこっち聞いて回ってるんだ。
アドリブ連携歓迎
●
どこかで葬式でもあったのだろうか。
そもそもこの繁華街に葬儀場があるのかも分からない。けれど、落浜・語(ヤドリガミのアマチュア噺家・f03558)は、先からすれ違う黒服を視界の端に捉えていた。
黙々と、どこか重苦しい足取りで歩く人々も、この雑踏の中では希釈されてしまうようだ。すれ違う大学生と思しき青年たちは、彼らのことなど目に入っていないかのように通り過ぎていく。
「――この辺り、最近ヤバいとか言うじゃん」
不意に聞こえた声に足を止めた。
そちらを見る。先の二人だ。早く帰ろう――という旨の言葉が続くのを遮るようにして、語の手が伸びる。
「ちょっと良いか?」
驚いたように足を止めた彼らに笑いかけてやった。演技は得意なのだ。アマチュアとはいえ、かつてこの身を使った主を真似るようにして、高座に上っているのだから。
「ああ、驚かせたな。俺、オカルト雑誌の記者やっててね。その行方不明とかの情報を集めてるんだが、もし詳しいことを知ってたら教えてくれないか?」
尤もらしい言葉をつらつらと並べていく。どこか淡々とした語り口は、果たしてその肩書とは相性が良かったようだ。訥々と話し出した彼ら曰く。
――とある路地裏に入り込むと、そのまま帰って来られなくなる。
あそこっスよ、と言った彼らの示す先を見た。
脚色は成されているのだろう。けれどそれで充分だった。彼らに手短に礼を言って、語は歩き出す。足を向ける先は示された裏路地だ。
「お兄さん、やめといた方がいいスよ」
「そう言われても、性分だからな」
指を唇に当て、最後まで、そう演技をして角を曲がり――。
――そこにあったものに、息を吐く。
予想はついていた。忘れ物をそうするように、店の前の柵に引っ掛けられている手拭いに、語はゆっくりと近付く。
「――久しぶり」
ぽつりと漏らしたのは、彼もまた『モノ』であったからかもしれない。
彼が心を得、人のかたちを得るきっかけとなった人――ただの高座扇子が落浜・語となるまで愛してくれた人と、常に共に在ったもの。高座扇子だった頃の語とも、時を同じくしたもの。
物言わぬそれを前に、語るべき思い出は多く――けれど、その行きつく先は一つしかない。主と共に高座に上った時間のことだけだ。
何故なら、それは。
「棺に入れられたものな――『おれ』と違って」
目を細めた語の声は、ただ凪いで穏やかだった。とっくの昔に、主と共に灰となったそれに、今どういう感情を抱けば良いのだろう。
何かを思い浮かべるより先に、その手拭いにそっと触れる。
目を閉じる瞬間に、先程すれ違った黒い服を着た人々が脳裏によぎった。重苦しい足取り、苦い空気――いつか、この手拭いと、主と永遠に別れるときの記憶。
きっと今の自分も、大通りの雑踏に、それを溶け込ませて行くのだろう。
大成功
🔵🔵🔵
アネモネ・ネモローサ
※アドリブ大歓迎
私の、大事なもの。
それは、自分の名前だ。
UDCアースへ流れ着き、慣れぬ世界で力尽きかけていた私を拾ってくれたボスがくれた名前。
“アネモネ・ネモローサ”、ボスの故郷でよく見かける花の名らしい。
花言葉は『かすかな希望』で、ボスは「娘のように可愛いお前は、俺達の希望なんだ」「あと、真っ黒なお前には、白い花が似合いそうだとも思ってな」と、よく私に言っていた記憶がある。
私を家族のように育ててくれた、彼等のことが大好きだった。
【WIZ】
……いかんな、考え込みすぎてしまった。
情報収集に専念しよう。闇に紛れて聞き込み。聞いた後は[催眠術]で記憶を消すぞ。……一般人を巻き込みたくはないからな。
●
アネモネ・ネモローサ(人に憧れし黒き彩喰み・f21338)は、己にとって大事なものをもう理解している。
だからただ、後は場所を探せば良いだけだった。ブラックタールの黒い体は、眩い光によって作られた影に紛れ込むには丁度良い。
一般人を巻き込むのは本意ではない。闇に紛れて人々の声を聞き、都度催眠術を施していく。示す場所が少しずつ絞られるのに任せて、迷いない足取りで前へ進んだ。
――彼女にとって大切なものは、自分の名前だ。
このUDCアースという世界に流れ着いたとき、彼女に頼るものは何もなかった。慣れない世界にただ一人生きようとして、なすすべなく尽きようとしていた命を拾ったのは、この世界においては悪と目される組織だった。
そうして拾われてきた得体のしれない彼女を、それでも犯罪組織は迎え入れた。
彼らのボスがくれたのだ。彼の故郷に咲き誇る花の名を。
アネモネ・ネモローサ――花言葉は『かすかな希望』。
白く可憐なその名の意味を語る、既に喪われた面影が、彼女の脳裏に鮮やかに蘇る。
――娘のように可愛いお前は、俺達の希望なんだ。
春を起こす早春の花。犯罪行為によって日々を繋ぐ彼らにとって、拾い上げた罪のない娘は、きっと汚れた手に残された希望だった。
――あと、真っ黒なお前には、白い花が似合いそうだとも思ってな。
その笑声をどうして忘れられよう。初めて喰らったUDCの色を宿した瞳と髪は、まるで彼の言葉に応じるように白く美しい。
似合うだろうか。
似合っているだろうか、彼が似合いそうだと笑った白色は――。
そこまで考えて、アネモネは頭を振った。少し考えこみすぎてしまった。今は目的地へ足を進める方が先決だ。
数多の声に示された路地を曲がり、煌々と光るカラオケの看板の下に立つ。照らされた己は、この白い髪と瞳を除いて、まさしく影のようだったろう。
店内からかすかに漏れ聞こえる笑い声。店先に流れる曲名は、流行りのポップスだということしか思い出せない。
その賑やかな声から遠く、静謐に満ちた路地。ここが噂にある場所だ。その確信に満ちて、アネモネは空を見上げた。
光に満ちて星も見えない漆黒。その中に確かにある、頼りなくとも懸命な星明りに目を凝らす。
もうとっくにないはずの温もりを感じるように、自身の手を胸に当てた。この名前こそが大事なもの。迎えてくれた彼らがくれたもの。ここに残る――。
――大好きだった家族の残り香。
目を閉じる刹那に思い出す、喪われた家族のひかり。
自分は、彼らにとって、あの白花のように在れたろうか。
大成功
🔵🔵🔵
穂結・神楽耶
〇◇
おいで、【赤鉄蛺蝶】。
治安が悪い繁華街だからこそ、雑多な噂話には事欠かないでしょう。
それを拾い集めます。
話を辿っていけば鍵を見つけるのは難しくないかと。
情報収集が苦手な猟兵様がいらしたらお手伝いに派遣しますね。
しかし、大切な物が鍵になる…ですか。
正直、予想はついています。
わたくしの本体…は、大事とかそういう次元ではないので…
ああ、うん。やっぱりそうですか。
穂垂。
かつて我が片割れだった、今は神の宿らざる神楽鈴。
こうして見ていると顕現しそうですのに…
それこそ、夢物語ですね。
あの故郷も、穂垂も。何もかもが焼滅しているのに。
覚えてもいない姿が出てくる訳もないのに。
それでも呼んでしまう、この弱さ。
●
――花の袂へ、羽根を拡げて。おいで、赤鉄蛺蝶。
凛と赤い光を纏い、顕現した蝶は穂結・神楽耶(舞貴刃・f15297)の手から舞い立った。密やかに向かう先は繁華街の雑踏だ。五感を共有し、神楽耶に情報を伝えるそれは、きっと誰かの役にも立つだろう。
拾い集める情報が、耳を通して入ってくる。行方不明者が多いから、あの路地は避けて通ろうと――その声を聞くなり歩き出した。
行くべき先を示す声に従い、赤色は路地を軽やかに馳せる。治安が悪いという繁華街にあれば、真っ当でない人々の会話も耳に流れ込んで来ようもの。彼らが意図せずして少女を導いた、その先にあるものは予想がついていた。
ヤドリガミとして佩いた本体は、大事なものなどという次元を超越して、己の命そのものだ。これが当てはまらないのならば、残るのはただ一つ。
りぃん。
鈴の音が鳴って、少女はゆるりと焔色の目を上げた。
「ああ、うん、やっぱりそうですか」
小汚い路地には似つかわしくない、清澄な音を響かせる鈴の音。
汚れた地面に擦れないよう、道脇の柵に丹念に括り付けられた神楽鈴が呼んでいる。故郷と共に焼け朽ちる前、神楽耶を護って燃え尽きる、その瞬間までの姿を留めている。いつか同じ時を生きた背柱が、神宿りだった頃のかたちをそのままに留めて、風もないのに音を鳴らしている。
「穂垂」
その声が縋るような響きを帯びたのは何故だったろうか。もうここにいないと分かっていて、姿も声も思い出せぬ彼女の返答を求めてしまうのは。
――いつからだろう。彼女が教えてくれた歌が、自分の声でしか流れなくなったのは。
――いつからだろう。忘れようもないと思っていた姿が思い出せなくなったのは。
取りこぼした記憶の多さに、それでも神楽耶は忘れられない。跡形もなく焼き尽くされた『かみさま』としての名前の代わり、自分で選んだ苗字に宿る片割れが、確かにそこに在ったことを。
「こうして見ていると顕現しそうですのに……それこそ、夢物語ですね」
ほんの少しの自嘲が、可憐な唇を彩った。かくあれかしと願われた神は、けれど人々との約束を果たせずに、片割れの願いでここに立っている。
ゆっくりと近寄れば、応じるように鈴が鳴る。今もまだ、彼女と共に在る片割れの残り火が、共鳴するように音を立てた。
「穂垂――」
もう叶わないと知りながら、間近で見ればもう一度、弱々しい声で名が口を衝いて――。
壊れ物に触れるように、伸ばされた指先が、その表面を掠めた刹那。
りぃん――と、涼やかに鳴ったのは。
どちらの『穂垂』の導きだっただろうか。
大成功
🔵🔵🔵
鎧坂・灯理
【SPD】
思い出の品も、
手放せないものも、
失くしてしまったものも、無い。
だから、大切な人を思わせるものが見つかるだろう。
そして、それは「鉄柵」だ。他にない。
繁華街にあるはずもない、黒くて豪奢で、先端の鋭い鉄柵。
案外、門になってるかもしれないな。
UCで周囲の人間たちの脳へ侵入し、
片端から私という存在を認識できなくする
見えない、聞こえない、存在に気付けない
そのままだと歩きにくいから、道を空けるよう無意識に干渉
同時に、通りすがる人間の記憶を読み取る
複数同時処理は得意だ
再開発はここ数年だろうが、儀式はつい最近のはず
読むのはここ数週間程度でいいだろう
私にとって、人混みは図書館と同じだよ
本が動くってだけさ
●
鎧坂・灯理(不退転・f14037)にとって、人込みとは動く図書館と同義だ。
ましてそこにある情報は、本では得られないものであることも多い。例えば事実無根の都市伝説。例えば不確かな、出所不明の噂話。今回の行方不明者のことも、きっとその中に数えられるだろう。
灯理の持つ電脳侵入の力は、優秀な脳によるテレパシーという媒体を経て、人の脳に作用する。忍び込む指示は思考というにも曖昧に、けれど確かに、人々の認識から背の低い女を消し去った。その姿も、声も、気配も、ただびとには決して認知出来ない。
人々の隙間を縫うのも効率は悪かろう。そう決めれば、彼女の眼前に一本の細い道が出来る。『ただ何となく』避けたようにしか――きっと、彼らの中では捉えられない現象だ。
人波を割って、灯理は悠々と歩き出した。脳への干渉は未だ続いている。もう一つ、この中から読み取らねばならない情報がある。記憶だ。
複数同時処理は得意とするところだ。全ての干渉を保ったまま、灯理は頭の中に流れる記憶の数々から、必要な情報だけを拾い上げる。行方不明者が出てから日は浅いだろう。読み取る範囲を数週間というごく表層に限定し、総合して取捨選択すれば、それだけで明確な地図の完成だ。
示される通りに路地を曲がって――。
見えたものに目を眇める。
思い出の品などない。
手離せない物も、ない。
失くしてしまった物さえも、この手にはない。
最初から何も持っていなかったのだ。与えられてもいなかった。体の栄養を全て吸い取る、この異常発達した脳ですらも、彼女の生育環境においては、まだ劣っていたのだ。
だから、そこにあるならば。
「そうだろうと思ったよ」
思わず漏れた言葉と共に、黒い鉄柵を見上げた。その栄華を示すように豪奢で、侵入者を拒むかの如く先端の尖ったそれは、扉を持った門だった。
およそ繁華街には似つかわしくない、いっそ悍ましくもある光景だ。人工の光が細く差し込む路地に影を落として、灯理はそれに近寄る。
その扉へ――。
躊躇することなく触れる。
鉄柵を見るなり脳裏に浮かぶ面影はただ一つ。それは今を共に生きる伴侶ではなく、過去に置き去ってきた、あの時間。
美しいばかりではない。いっそ残酷ですらある。全てを捻じ曲げて心の奥底に封じることでしか、生きられなかったほどに。
けれど今は。
今の灯理は、意志を持ってここに立っている。故に、揺らぎはしないまま。
「――必ず」
その先の言葉は聞こえない。女の姿は誰にも捉えられることなく、招くように開く門の奥へ消えた。
大成功
🔵🔵🔵
鈴木・志乃
UC発動
【失せ物探し第六感見切り】で残留思念の欠片を追いながら
散策し、聞き込みも同時並行で行うよ
街を歩けばそれだけで情報は手に入る、か
……
こういう依頼の時、真っ先に思い浮かべるのは千羽鶴
自分の失った記憶を取り戻せるよう、依頼に臨む私に
知り合いがくれたものだった
いつも通りの飄々とした様子で、秘密兵器とか言いながら帽子から出して来るから思わず笑ってしまったんだったな
言の葉以上に想いが籠められた千代紙は、単なる紙細工に過ぎないけれど
私にとってはただのお守り以上に『文字通りの秘密兵器』だった
ま、それは依頼が進めば追々ね
毎日一生懸命、戦っている
そんな中でも私が笑顔を思い出せますようにって、ね
●
朝焼けは未だ遠くとも、その輝きは鈴木・志乃(ブラック・f12101)を導く。
失せ物探しは得意だった。ましてそこに残る思念の欠片があれば、望む場所を見つけることは簡単だ。思念の欠片が伝える想いは、彼女自身には見えないけれど、その光は暁光だ。この不夜の街にも負けない輝きが、志乃の足取りを確かなものとする導きになる。
「すみません、少し良いですか?」
時に噂話を求めて声を掛ける志乃を、道行く人々は警戒しない。女性に絞ればなおのことだ。酒が入っていれば口も軽くなるし、気分も開放的になる。相手を選べば情報はすぐに手に入った。
曰く路地。駅とは逆の方面、時間帯は丁度今ごろ。そうと分かればやることは一つだ。
見える残留思念と不確かな噂話を組み合わせ、駅へ向かう人波に逆らうように歩き行く。少しずつ濃くなっていく思念たちの欠片が、その場所を指し示しているかのようだったから――。
路地の奥。ぼんやりと光るどこかの飲み屋の看板に、似つかわしくないものがあるのを捉えた。
それが思った通りの物だったから――。
思わず表情が変わってしまったのも、致し方のないことだったろう。
看板の上に置かれた千羽鶴。それを渡して来たときの、あの人の顔を思い出す。あれはいつのことだったか――。
過去の記憶を失くし、それを取り戻すためにグリモアベースに通う彼女に対して、知り合いが贈ってくれた代物だ。秘密兵器だと言うから何かと思えば、まさか帽子の中から千羽鶴が出て来るとは思いもしなかった。今も鮮明に思い出せる記憶に、知らず今の志乃も、あのときと同じように笑ってしまう。
いつものように飄々とした顔で渡されたそれは、まさしく秘密兵器。志乃にとっては、この先に進むために、お守り以上の役目を果たすもの。
願ってくれた人がいればこそ、この秘密兵器はここにある。それが嬉しくて、細い光を浴びながら、彼女は口許に手を当てた。
込められた願いを思い出し、ゆっくりと千羽鶴へ近寄っていく。込められた願いに応じるように手を伸ばした。
これはきっと、ただの鍵に過ぎないけれど。そこに込められた気持ちは嘘などでないと、志乃が一番よく知っているから。
「毎日一生懸命、戦っている。そんな中でも私が笑顔を思い出せますようにって、ね」
――そうでしょう。
思い出される顔に応じるように笑みを描いて、祈りを込める千羽の鶴に触れれば――。
確信と共に転移は始まる。きっと、今度も笑って帰れると、そう誓って。
大成功
🔵🔵🔵
冴木・蜜
○
大切な物、ですか
多すぎて…いえ
失くしてしまった物なら心当たりが
ぼろぼろの薬学書
何の変哲もない学術書ですが
人外と忌避された私に
様々なことを教えてくれた彼
願いを後押ししてくれた彼
そんな彼がくれた本でして
私は投獄されてしまいましたし
彼はもう――、
だから手元には無いのですが
叶うならばもう一度
…なんて虫が良すぎますか
兎に角
行方不明者の噂を当たりましょう
最後の目撃情報があった地点を地図上にマーク
共通点が無いか分析
分析を踏まえ
該当地域の路地裏で聞き込み
素直に話して頂けなければ
心苦しいですが
催眠術で素直になって頂きます
なに、私はお話がしたいだけ
大丈夫、無害ですし直ぐ醒めます
ほんの少し私の薬に酔って下さいな
●
心当たりがないというのも難題なのかもしれないが、ありすぎるというのもそれはそれで困りものだ。
冴木・蜜(天賦の薬・f15222)にとって、大切なものとはまさにその類の代物である。言われて思い浮かべるものは多く、そのうちの一つと言われても、どれに当たるのか分からない。
広げた地図に打たれた幾ばくかの印は、調べ上げた行方不明者リストのうち数名の目撃情報を辿るものだ。点を線として繋ぎ合わせれば、行きつく先はおおよそ共通の地点に収束する。人の視線は苦手だし、擬態の不得手な身では会話中にタールを吐き出してしまう可能性すらあるが、背に腹は代えられない。
だんだんと人通りが少なくなる光の中、藤色をした蜜の瞳が瞬く。――ここから先は、暗がりの中。
例えばあそこで煙草を吸っている青年に、逆光となった彼の姿はよく捉えられまい。それはほんの少しの安心材料だった。
「すみません、少しお伺いしても良いですか?」
声を掛ければ無言の睥睨が返って来る。ゆらりと立ち上がって煙草を捨てた彼は、すぐに殴りかかってこないあたり、恐らくこの路地では温厚な方なのだろう。
心苦しいが――やはり、背に腹は代えられないのだ。
零れ落ちるのは毒であり薬であるもの。彼の作るものはいつだって、毒にも薬にも変わるのだ。だから。
「なに、私はお話がしたいだけ。大丈夫、無害ですし直ぐ醒めます」
「な――」
「ほんの少し私の薬に酔って下さいな」
穏やかに言えば、虚ろになった相手の表情は、催眠術にでもかかったかのごとくに情報を語り出した。
その言葉が示す先に向かって歩き出す。自分にとって大切なもの――とは、何になるのだろう。
答えはすぐに示されて、蜜は歩みを止めた。
――ああ、そうだ。
失くした物があったのだ。
無造作に置かれたぼろぼろの薬学書。どこにでもあるそれは、しかし彼にとってはたった一つの、どうしようもない思いを蘇らせるもの。
構成物は致死の毒――人に害あるものだと、人外だと忌避され続けた蜜の前に現れたのは、一人のひかりだった。彼に数多を教える声、学術書の一部を示す指、その表情が、脳裏を目まぐるしく回る。
いっそ荒唐無稽にも思える夢を、希望を、願いを後押しした彼の手はもうない。代わりに与えられたのは冷たい牢獄の床。あれだけ言葉を交わした彼は――。
もう手元にはないはずのそれは、それでも鮮明にこびりついた記憶を呼び起こす。知らぬうちに僅かに溶けた指先で、そっと触れた。
――叶うならば、もう一度。
「……なんて虫が良すぎますか」
ふと唇に浮かべた、笑みというにも曖昧な表情と共に揺らぐ景色の中で、蜜はゆっくりと目を閉じた。
大成功
🔵🔵🔵
才華・満
大切なもの、ですか
――探すことなく向こうから導いてくれるって楽チンでいいですね
幸運なことには肖りたいですよ。不運なことはごめんですが
さて――どのようなお導きをくださることやら。ああ、どうかお救い下さいってね。
ハ、馬鹿馬鹿し。……導かれた先にあったのは
おしゃれな花のブローチですって!!あはは、ウケる
今更
……今更こんなの返してもらってもね。
っかしいなぁ、捨てた筈なんですけど。
「誰か」に貰った大切の証なんですよ
それが「誰か」も
なんの花だったかもう覚えちゃ居ませんが
嗚呼、殺(愛)したくてたまらなくなる。
これ持っとかなきゃいけないんですっけ?ああ、やだなー。
まあいいや、さて――任務続行といきましょうか
●
才華・満(CLOVER・f17417)にとってみれば、繁華街の裏路地などさしたる恐怖を抱く場所でもない。そんな場所に集まる連中は、彼女の力からすれば有象無象に過ぎないのだ。
――故に、彼女はただ裏路地を行く。時折目の前を赤い蝶々がよぎっていくが、これはきっと他の猟兵のものだろう。
「――探すことなく向こうから導いてくれるって楽チンでいいですね」
ぼそりと呟いた言葉は本心だ。どうせもたらされるものなら、幸運には積極的にあやかっていきたい。不運は御免だ、こちらから捻り潰してやりたいくらいに。
ふと導くように舞う蝶――これもまた、他の猟兵からもたらされた、あやかるべき幸運――に従って、さしたる明かりもない路地を行く。視線は感じるが、そんなものはどうでも良い。絡んでくれば端から軽くあしらえる。
さて、己にもたらされる大切なものの導きとは、いったい何になるのだろうか。歩き行きながら手を組んで、祈るように固く握る。心の中で大仰に唱えてみせるのだ――ああ、どうかお救い下さい。
「ハ、馬鹿馬鹿し」
いとも容易く解ける手で救いを唱えるなど、余りに不誠実だ。それでは神も救う気などすまい――人間など。
そうして、信じてもいない導きのあとを辿っていけば。
「あはは、ウケる」
唇に刷いた表情は、笑みというには余りにも皮肉めいていた。目の前にあるのは花のブローチだ。洒落っけのあるあしらいは見慣れたもので――。
ずかずかと近寄って手を伸ばす。無造作に拾い上げようとした指先が、表情と共に凍り付いた。
――今更。
「……今更こんなの返してもらってもね」
そこに浮かぶ面影はある。とっくの昔に壊し尽くして捨てたはずのものと共に、誰かが確かに蘇っている。
それが誰かも――。
これが何の花なのかも――。
満は覚えてなどいない。誰かの『大切』の証だけが、目の前で艶めいた光を反射している。それがどうしようもなく。
愛しくて。
愛しくて愛しくて愛しくて。
――殺(あい)したくてたまらなくなる。
これをこの手に持っていなくてはならないのかと思うと気が重い。もういっそこの場で殺してやっても良いくらいなのに。
「まあいいや」
低く、呟いた声は誰に聞こえることもないだろう。彼女の中にある破壊の坩堝が、何らかの鎌首をもたげたような気もするが。
そんなものは――。
「さて――任務続行といきましょうか」
今度こそ無造作に拾い上げて、大切にしていたこともあったものを握りしめる。その掌の中で。
いつか心の底にまで触れた誰かの導きが、満の姿を誘った。
大成功
🔵🔵🔵
第2章 冒険
『街のおもかげ』
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POW : 生の情報が一番。人々に聞き込みしよう。
SPD : 図書館や役所などで資料を当たろう。
WIZ : 実際に街並みを歩けば感じるものがあるかも。
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
|
●
――目を開いた猟兵たちの前に、のどかな光景が広がっている。
賑わう夜の繁華街はどこにもない。呑気な昼光に照らされた、古びた建物が並ぶだけの道に、人々が行き交っている。
そこにあるものが、全てただの名残に過ぎないことを、猟兵たちは知っている。今そこで笑う、生きているかのように見える人々ですら、ただ幸福な魂に過ぎないことさえも。
進まずとも見えるだろう――彼らをここに縛り付け、何よりも幸福な贄として朽ち行くだけのものへ仕立て上げた元凶が。
各々の心の裡、表層の意識にあっても、なくても――いつかあったはずの、そして今あるはずの。この一度も訪れたことのない街にはあるはずのない、大切な光景が。
誘うように在るそれを、通り過ぎてでも。
それでも前に進むのだ。
手の中にある大切なものを、決して失くさぬように。
鎧坂・灯理
黒い鉄柵で囲まれた、広大なラベンダー畑が見える。
ああ、懐かしい光景だ。私の生家にあった光景。
小さい私にとっては、あの家が世界の全てだった。
私と兄と、世話に必要な人員。他の生き物は虫一匹居ない世界。
学び舎も遊び場も敷地内。偶に完成度を確認しに来る「家族」。
広大で清潔で閉じきった世界だ。
……このラベンダー畑は兄が気に入っていたな。
私を連想すると。
あまり、良い花言葉の花ではないんだがな。
まあ私にはぴったりだろうさ。
……兄様。居るのだろう、この先に。
周りの奴らに聞かずともわかる。
私とあなたは「一人」になるはずだった。
この胸のざわつきが、共鳴というものなのかもな。
銀の指輪を握り込む。
今、行くよ。
●
黒い鉄柵越しの、一面のラベンダー畑が見える。
鎧坂・灯理(不退転・f14037)はそれをよく知っている。忘れようはずもない、己を――否、己が受け入れることの出来なかった、生家の光景だ。
懐かしい。心底からそう思う。
それは歪な無菌室。育て上げられる『代物』に、ひとつの間違いもないように作られた広大な箱庭だ。いつかの幼い灯理にとっては、そこに広がる風景こそが世界の全てでもあった。
彼女が鎧坂となるより以前――思念で出来た堅固な鎧を身に着ける前、ただのやわらかな少女であった頃の話だ。今はもういない片割れと共に過ごした、必要最小限の呼気だけがある、広すぎる箱庭の記憶である。
学び舎も遊び場も、全ては『家』の中のものだった。兄と、灯理と、彼らの面倒を見るために必要な最小限の人員。その他には何もない。あんなにも自然な外の光景に満ちて、花も木もあったはずなのに、虫の一匹すらも飛び交うことのない静寂の中に、灯理は育った。
時折訪れる『家族』が確認していたのは、灯理というよりも兄だった。出来上がる完成品の進捗を見に来るのみ。だから灯理は、それを家族と呼ぶことすらもよく知らない。
――ただ、兄との思い出だけは、鮮烈にそこに残っていたから。
広がるラベンダー畑の向こう側に、優しく笑う姿を幻視したのだ。
兄はこの花を気に入っていた。灯理と兄の瞳の色と同じ、紫の花だ。まるで灯理のようだから――と言われたその花が、良い意味を持たないことを知ったのはいつだっただろうか。
それでも、己にはぴったりの花なのだと――そう思う。
鉄柵はただそこにある。彼女の大切なものと大切な光景は、いつでも同じ影に杭打たれてそこに在る。
ただ胸がざわつくのに任せて前に進む。周囲の残滓の声など聞くまでもない。魂を別った片割れだ。きっと『一つ』に戻らねばならないと呼んでいる。
――居るのだろう、この先に。
あの頃と変わらぬ姿で。あの頃と変わらぬ声で。あの頃と変わらぬ眼差しで――。
ならば灯理は。
手の中にある銀の指輪を握りしめる。成し遂げるべきことがあるのだ。成さなくてはならぬことが、この先に待っている。
「今、行くよ」
だから――私に答えて。
――ただ凛と、意志を背に立つ女の姿は、疑惑と不信の花畑の中を歩き出した。
大成功
🔵🔵🔵
エドガー・ブライトマン
私の大切な場所。勿論決まっている
父の統べる国、我が故郷さ
私の15の誕生日のこと
すばらしい日だった!
家族も家臣も国民も、全てが私の誕生を祝ってくれた
特に印象深いのは緑と花の丘でのことだよ
城から少し離れたそこで、末妹のメアリと散歩をしたんだ
玉のような可愛らしい桃色の花が咲く時期でね
妹はその花が大好きだった
据え付けられたブランコに座らされると、
妹は恥ずかしがりながら私にプレゼントをくれたんだ
あれは嬉しかった!私は王子である前に、兄であるのさ
それで、――
不意な左腕の刺すような痛みで気が付いた
これは過去、まやかしなのだと
まさか、レディに諭されるとはね
私はまだ振り返ってはならない
この茨道の果てに至るまでは
●
広がるのは、片時たりとも忘れたことのない場所だった。
エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)が生まれ育った故郷、父が治める国の景色だ。左腕のレディにも喰らわれない鮮明な思い出が、目の前にありありと蘇っている。
まだ三年にもならない過去のこと。エドガーの十五の誕生日だ。
王族である家族は勿論、家臣も国民も、総出で彼の誕生日を祝ってくれた。いつかこの国を受け継ぐべき王子のためのパーティーは、浮かれた祭りのような盛大さで、あの一国を賑わせていたのだ。
――けれど彼の心にいっそう深く根付いているのは、華やかなパレードのただなかでも、パーティの中で贈られた華々しい賛辞でも、プレゼントの中にある麗しい装飾品でもない。
城の喧騒から離れて、末妹と二人で丘を歩いたときのことだ。
緑と花の丘――と、エドガーは呼んでいる。その名の通り花々と木々の香りに満ちていて、彼は浮かれた熱気を冷ますように、ちいさな手を握ってゆっくりと歩を進めていたのだった。
玉のような桃色の彩が愛らしい季節だった。末妹――メアリは、その花をいたく気に入っていて、至極上機嫌に草と土を踏んでいた。
ちいさな手の先導に任せて、緩やかな歩調で行くエドガーの顔にも、知らず笑顔が浮かんでいたのだろう。自分の頬が緩むのを、歩くうちに感じていたはずだ。
そうして導かれた先にあったブランコに座らされて、もじもじとする少女の言葉を待った。伸ばされては引っ込み、おずおずとした手つきが兄に握らせたのは――。
今も手の中にある、あの丘を思わせる、緑のペンダント。
それが何よりも、兄として嬉しくて――ただ妹を愛する少年として、喜ばしくて、それで――。
――左腕に鋭い痛みが走る。
不意のことに跳ね上げたそれに、巻き付く茨が訴えかけていることは、すぐに理解出来た。この麗しい思い出の全ては過去で、今目の前にあるこれはまやかしだ。
「――まさか、レディに諭されるとはね」
漏れ出た吐息に何の感情が混じっていたのか、エドガーにすら分からない。ただ左腕に残る痛みの残滓だけが、あの麗しい日の光と末妹の笑顔の遠さを思い知らせる。
そうだ。エドガーには、まだ行くべき道がある。
想いは片時も離れぬまま傍に。思い出は絶えず心の奥底に。けれど振り返ることは出来ない。まだ進まねばならないのだ。
穏やかな光景に踵を返し、周囲の幸福な思念の声を聞き、エドガーはまっすぐに前を見る。そうして歩いていかねばならない。
この――茨道の果てに、至るまで。
大成功
🔵🔵🔵
冴木・蜜
○
大切なものがこれであったのならば
次の場所も大体予想がつく
記憶に焼き付いて離れない光景
旧いサナトリウム
彼の病室、でしょう
歩けば情報が入るのでしょう
ならば私は足を踏み入れましょう
あの一室に
病床に彼の姿は居ないでしょうが
私はあの人の姿をはっきりと覚えている
白いシーツの上で半身を起こし
薬学書を開いて
ページの上に指を滑らせては
私に多くのことを教えてくれました
会う度に蒼褪めていったその顔を
忘れられるわけがない
ええ、ええ
理解っています
私は立ち止まるわけにはいきません
行かなくては
だから――あの時のように教えて下さい
私の行くべき道筋を
*
……、本当は
私は貴方のことも救いたかった
生きていて欲しかったのです
●
大切なものが、古ぼけ擦り切れた薬学書であったから――。
そこから繋がる光景も、冴木・蜜(天賦の薬・f15222)にとっては予想の範疇だった。
旧いサナトリウム。窓から差し込む清澄な日差しが、無人の病室を照らしている。記憶に鮮明に焼き付いて、剥がれることない嘗ての風景――手にある学術書の持ち主が生きた場所だ。
その寝台の上は空のまま。患者を記した名札も無記名のままだ。けれど蜜の目にはありありと蘇っている。今もそこに在るかのように、そこに腰かけている、忘れようもない彼の姿が――。
歩けば情報が手に出来るというのならと、蜜の足はゆっくりと病室へと踏み込む。
まるで今も患者がいるかの如く清潔に掃除されている。そこを歩く人外は、埃の一つも舞い上げることはない。それが余計に――寝台に近づくたびに鮮明になっていく輪郭を確固たるものにするようで――。
崩れた致死毒の指先でようやく端に触れるころには、蜜の前には彼の姿があった。
綺麗に整えられた白いシーツの上。半身を起こして本を開く掌。まだ綺麗だった薬学書の上を滑る指先。蜜に語り掛ける穏やかな声。
この寝台の横に座って、多くのことを教わった。蜜の知識の基礎は間違いなくここにあって、蜜の今はここから始まっている。会うたびに青褪めていく顔と薬学書を見比べた日々が蘇る。
彼は――今目の前に『いる』彼は――いつ見た顔をしていただろう。
声を押し殺し、飲み込んだ。理解っている。立ち止まるわけには行かない。あの日の心を裂くほど優しい思い出に囚われて、ここで朽ちるわけには行かないのだ。
もう――行かなくては。
だから。
「あの時のように教えて下さい。私の行くべき道筋を」
呟いて目を閉じる。学術書の感触を手に強く感じれば、もうそこには、彼の気配はなかった。
ゆっくりと、寝台の横を通り過ぎる。髪を掴む後悔と郷愁を、どうしようもない悲哀を飲み干した。
本当は。
彼のことも救いたかった。荒唐無稽な救済の夢の奥底に、彼の顔をも並べていた。
――私は。
貴方に――。
「生きていて欲しかったのです」
届くはずのない声が、清潔な床に転がった。
大成功
🔵🔵🔵
穂結・神楽耶
〇◇
稲穂の揺れる音。
子供たちのはしゃぐ声。
空が夕焼けに染まったら、「また明日」のために「さようなら」を。
焼滅した記憶の底。
かすかに残った断片が、きっと。
今はもう存在しえぬ、かつて神楽耶と呼ばれた都市の光景。
それが本当に「そう」なのか。
覚えていないのだから、揺れる心なんてない。
──まぁ、ウソですけどね。
帰り路を往きましょう。
炎にくべられたあの社にではなく。
この傷を、痛みを抱えて進む果ての世界にこそ。
……きっと、愛と希望が溢れているから。
さようなら。
かつてわたくしの世界だった、神楽耶の街。
懐かしかったのかもしれない、故郷の景色。
もうおぼえていない、はじまりの場所。
……いい夢を、見せてもらいました。
●
さわさわと田を渡る風のにおい。稲穂の擦れる長閑な音。
駆けていく童のちいさな足音。夕景の中、振られる掌はあたりまえに訪れる朝日を疑わず、交わされるのは「また明日」のための「さようなら」。
目の前に広がる光景を、穂結・神楽耶(舞貴刃・f15297)はいやに他人事めいた心地で眺めていた。
それは世界の片隅にて揺らいでいた、いつかあったはずの光景だ。神楽耶の名と同じ――否、神楽耶がその名を借りた、彼女がいのちを見守り続けた都市の風景。それを前にしてただ立ち尽くすのは、どうしようもないことだった。
どうして目の前に在るのだろう。覚えてもいないはずの幸福が。あの日と共に、燃え落ちた記憶の底にあったのだろうか。背柱と、名前と、笑顔と、幸福と、守りたかったものと一緒に、今は神楽耶を名乗る『かみさま』は、焼滅したはずなのに。
動じる心などないと確かめるように胸を強く握る。どこからか聞こえる童歌が、自分が救いの祈りを灯して歌うそれと同じ節を刻んでも。どうしようもなく、この光景が心の奥底の憧憬を焼いたとしても。
覚えていないのだ。覚えていないものに揺らぐ心があろうか。これはただ、本当かも分からないまやかしに過ぎない。己の心が都合よく作り出した幻想だ。だから、神楽耶の手は振るえてなどいない。
「――まぁ、ウソですけどね」
友人の口癖を真似れば、白くなるほど握り込んだ掌から力が抜けた。頭の中に響いていた拍動が小さくなる。縛されていた足がゆっくりと動き出す。
ひと気がなくなった夕景の中、ちいさな体が辿るのは帰り路。暮れていく日が橙色を連れて、いずれ藍色を呼ぶ。薄紫に変わりゆく、その狭間を見上げて、神楽耶は唇に曖昧な表情を描いた。
帰るのは、かつての居場所ではなく、いまここにある居場所。
炎にくべられ朽ちたあの社にではなく、このどうしようもない傷と、掠れ切ってなお鮮明な痛みを抱えて至る世界の果てにこそ。
――愛と希望は、溢れるから。
「さようなら」
かつて世界だった場所。かつて愛した神楽耶の街。
懐かしかったのかもしれない故郷。もう思い出すことすら叶わない、それでも確かにあったはずの、結の字を冠した太刀のはじまりの地。
――その「さようなら」に、「また明日」はないけれど。
りんと鈴が鳴って、日は閉じる。帰り道に灯る歌は、少女の唇が紡ぐ一つだけ。
大成功
🔵🔵🔵
アネモネ・ネモローサ
◯
【WIZ】
ここが贄用の空間か……。各々が幸せそうに暮らしているな、なるほど聞いていた通りだ。
ということは、贄としてここに入った私もいずれ出会うのだろう。
……かつてのファミリーと。
彼等は所謂マフィアであったが、力のない民を影ながら支えることもしていて。
私含め、救われた側からしたら彼等はヒーローのようだった。
そんな彼等の最期が、正体不明の怪物に襲われる、だなんて、そんなことあっていいはずがない。
本来なら拾われた身分の私が身を呈して彼等を守るべきだったのだ。
彼等が、彼等を守れずのうのうと生きている私を見たらなんと言うのだろうか。
役立たず、と詰られるか。
それとも、
もう一度、愛情をくれるのだろうか。
●
ぐるりと見渡すのは長閑な風景。とてもあの繁華街と同一の場所とは思えない穏やかさに、アネモネ・ネモローサ(人に憧れし黒き彩喰み・f21338)はゆるりと瞬いた。
行き交うのは、人というにはぼんやりとした何かだ。どれもこれもが幸福そうな歩調で道を行く。ぶれてぼやけて見えない表情も、きっと苦痛の一つも湛えてはいないのだろう。
――なるほど、聞いていた通りだ。
ここにあるという大切な光景を間接的に証明された気がして、ならばとアネモネの足は覚悟を決める。この大通りを、ただ行けば。
出会うのだろうと――思っていた通り。
そこにあったのは、建物でも風景でもない。朽ち行くしかない魂の残滓のただなか、まるでそこで生きているかのように鮮明な姿は極めて異質だ。けれどそれは必然だった。アネモネにとってはいつだって、彼らがいる場所こそが大切な場所で、彼らのいる風景こそが大切な光景だったのだ。何の変哲もない、どんなに殺風景な場所であっても、彼らがそこにいるということが大切だった。
ああ――忘れようもない。あれは紛れもなく、彼女を迎え入れた家族たちだ。
マフィアだった。だから家族という言い方は比喩でも間違いでもなくて、彼らはファミリーであったのだ。時に暴威を振るいながら、闇の中に紛れて何かを奪う存在だ。けれど。
――いつだって、人の間には虐げられる者があり、力の差異がある。彼らは真の影となって、力なき無辜の民に手を貸すこともした。間接的なものも含めば、彼らの手に救われたものは、ひょっとすれば奪ってきたものよりもずっと多かったのかもしれない。
ヒーローだった――それは、その命を救われたアネモネにとっても例外でなく。そのはずだったのに。
彼らを襲い殺した怪物をUDCと呼ぶことを知ったのは、帰る場所を喪った後のことだった。そんな最期を認めていいはずがない。認めないと立ち向かえたのは、あの場でただ一人だけだったはずなのに。
近づいていく、懐かしい面影。拾われた身分でありながら、身を挺して彼らの前に立つことも出来ず、あろうことか一人生きている彼女を見て、彼らは何と言うだろう。
役立たず――と、向けられたことのない声で詰られるだろうか。
それとも、あの頃と変わらずに笑って、似合うと言われた色をした髪と目を褒めてくれるだろうか。
ほんの少しだけ足が止まる。けれどこの先に、行かねばならない場所がある。
――踏み出した一歩に気付いた、鮮明な瞳が女を見た。彼らの顔に浮かんだ感情を、アネモネはきっと――忘れない。
大成功
🔵🔵🔵
落浜・語
寄席の楽屋、か
定席の、噺家を本職としてない今は入れない場所
『おれ』と、この手拭は主様が使うから、ここに入れた
主様には定位置があって、いつもそこに座ってた。
『おれ』は大体、そのそばで聞こえてくる他の人の話を聞いたり、主様に菓子をもらったり
楽しかったし、幸せだった。この場所が好きだった。
…そう、過去形なんだ。もうこの場所に立ち入ることはない。
そもそも、ここでの幸せな記憶は『おれ(高座扇子)』の物であって、俺(ヤドリガミ)が縋る物じゃない。
だから、進む。ここにいて、今は得る物はないだろうから。
主様の所へいった時には、またこの場で手拭と共に主様の手元にいられるかもしれないけれど。
まだ、その時じゃない。
●
大切な風景。
落浜・語(ヤドリガミのアマチュア噺家・f03558)の行く先には、ひとつの和室がある。掃除が行き届いているのだろう、整然とした部屋の中には、机と座布団――それから荷物を置くためのスペースが用意してある。
控室だ――と、思うまでもなかった。
寄席のために幾度も訪れた。主に連れられ、共に在った手拭いと共に、高座扇子の『おれ』として――。
けれど。
今の語はもう訪れることのない場所だ。定席の、落語家を本職としていない彼にとっては、この光景は過去にしかないものである。
い草の柔らかなにおいに釣られて、胸の奥から湧き出るどうしようもない記憶の群れがある。まるでそこにかつての光景が投影されているかのように、脳裏に浮かび上がるそれらが視覚を通して訴えかける。
――主様には定位置があった。いつもあの場所に座って、『おれ』とあいつも一緒にいた。
目を遣れば、そこには笑う主の姿が朧気にもあるように見えた。
――ああしている主様と他の誰かの横で、『おれ』はいつも話を聞いていた。時々、主様がこっそり菓子をくれたっけ。
きっと、あの味を忘れることはないだろう。人と比べるには長すぎる生を宿していれば、幸福と共にあるものは、いずれ郷愁と悲哀を孕むものに変わっていくけれど――哀しみは、決して忘れられやしないのだ。
楽しかった。幸福だった。ざわめくような声、味覚に染みつく甘い食感――本番前の緊張と高揚に混ざって、それらが明瞭と蘇る。
ひどく懐かしい思いに駆られる胸中を、軋んだ痛みが杭打った。唇を噛み締めるさまは、諦めにも似た決意を孕む。
そうだ。全ては過去形なのだ。この幸福な記憶は全て、高座扇子の『おれ』のものだ。
――これは、俺(ヤドリガミ)が縋るものじゃない。
過去は過去なのだ。あの日の衒いない幸福は、主と共に棺に入れられてしまった。灰となって燃え尽きたそれを抱えたまま、語は現在のものになってしまったのだ。
だから――踵を返す。
今はここにいても何も得られない。やるべきことは、ここにはない。
いつか主の元にいったときには、彼らと共に再び在れるのかもしれないけれど――それは、今ではない。
深く息を吸う。さながら観衆を前に語るときのように。あの一瞬を思い出すように。
足を踏み出せば――。
もう、笑い声は聞こえなかった。
大成功
🔵🔵🔵
第3章 ボス戦
『無垢なる灯』
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POW : 「大人だったら守ってやれた?」
自身の身長の2倍の【理想の大人になった自分】を召喚する。それは自身の動きをトレースし、自身の装備武器の巨大版で戦う。
SPD : 「ずっと隣に居たかったよ」
全身を【燃やす。延焼し広がる炎は一帯を焦熱地獄】に変える。あらゆる攻撃に対しほぼ無敵になるが、自身は全く動けない。
WIZ : 「苦しみを終わらせてやりたかった、のに」
【触れれば必ず首を切り落とすギロチン】【触れれば必ず心臓を貫くクサビ】【触れれば即座に意識を落とす血液】を対象に放ち、命中した対象の攻撃力を減らす。全て命中するとユーベルコードを封じる。
👑11
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●
――夢の最奥には、何もなかった。
どこからか差し込む仄明かりの中に立ち尽くして、少年は紫の瞳で猟兵たちを見回した。ほんの少し悲しげに寄せる眉根に敵意はない。
「ぼくを殺しに来たんだろう?」
零れた声は痛切な孤独の色に満ちている。腹から滲んだ血が白い服に染みて、足許の小さな血だまりの中に黒い鉄柵を描く。
見えない傷跡を晒すように、少年はゆっくりと両手を広げた。
「たくさんの人の想いを見て来た。たくさんの人の願ったものを見て来たつもりだけど、それでもまだ、ぼくには――分からないことがあるんだ」
少年にはどうしても叶えたい願いがあった。終ぞ叶わなかったそれを、再びここにもたらすために。
「教えてくれないかな」
そう、首を傾げる。
「きみたちだって見たはずだよ。きみたちの願ったものを。きみたちが大事にしてきたものを。それを乗り越えて、踏み越えて――そうまでして、ぼくを殺して世界を助けようとする――」
答えることは出来るだろう。けれど、そうする義務はない。その声が切実な色を帯びていても。その瞳がどうしようもない悲哀に揺らいでも。
「――きみたちの希望は、なに?」
目の前にいるのは、オブリビオンだ。
エドガー・ブライトマン
やあ、やっと逢えたね
私の名はエドガー。通りすがりの王子様さ
さっきは懐かしいものを見せてくれたね
レディに食われていない、貴重な私の記憶だ
ああ、教えてあげよう少年
私の希望とは――“国”だ
気高き血を受け継ぎ、王となる資格を得るために私は歩み続ける
国が、国民が未来を向いて生きてゆけるよう
私はそれを先導する者となる
過去にとどまってはならない
祖国に相応しい存在になり、いつか帰るその時まで
キミを越えさせてもらう
私の未来はこの場所にはない
左手の手袋を外し、少年へ手を向ける
――“Eの献身”
記憶を失うことを恐れてはいない
忘れたくない記憶は勿論あるけれど、手記に残してるし
きっとレディがすべて覚えていてくれるだろう?
●
「やあ、やっと逢えたね」
両手を広げて問う少年へ向けて、エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)は穏やかに微笑んだ。相対する敵に向けるには暖かすぎるそれに、少年が何かを問う前に、折り目正しい王子の一礼が声を紡ぐ。
「私の名はエドガー。通りすがりの王子様さ」
「王子様。そうか、きみはおとぎ話のようだものね」
「はは、そう言われると照れるな」
交わす言葉と表情は和やかに。開戦の兆しなどひとつも見せずに、けれどここは戦場で、互いは敵だ。
だからせめて、敵意のない彼にこの一撃が届くまでに――。
「さっきは懐かしいものを見せてくれたね。レディに食われていない、貴重な私の記憶だ」
ひどく静かに目を細めたエドガーが、左の手を覆う手袋にゆっくりと手をかける。その間に届ける声音には、ひとつの敵意もなく。
その返礼に、というわけではない。たとえあの光景を見ていなかったとして――きっと、エドガーは少年の問いに応じただろう。それが彼の望みであるならば。ただそこに在ることが悪である彼に、誰かを害なす意志がないのなら。
――人助けの理由は一つ。
――通りすがっただけ。
「ああ、教えてあげよう少年。私の希望とは――“国”だ」
この心臓に受け継いだ父祖の血が、今も己を動かしている。いつか王子から王たる者になる日まで、この拍動も、この血も、この足も――止めるわけには行かない。
何より愛し、また同じだけ愛されてきた。彼が立つ地を支える全て――彼が治めるべき国と国民が、前を向くための道しるべとならねばならない。未来を目指す彼らの最前で、しるべの旗を高らかに掲げる王となる。そのための資格を、エドガーは必要としている。
そして――それは。
「過去にとどまっていては、見つからないんだ」
永く築かれてきた国に。永く続く血脈に。恥じることなく胸を張り、堂々とその冠を戴く日まで――祖国の地に帰りつくまで。
エドガーは歩まねばならない。果てなく見える茨の道を。
少年の口から溜息が漏れるのを聞いた。けれど王子は揺るがない。ゆっくりと、剥き出しにした左手を、相対する敵へ向ける。
「キミを越えさせてもらう」
――私の未来は、ここにはない。
紅茶の一杯は今より裂く体にもらおう。記憶の欠片はスコーン代わりに。
お手をどうぞ――マイ・フェア・レディ。
茨がしなる。薔薇が舞う。逆巻く刃の渦が迫るのを、少年の紫の双眸がただ悲しげに見た。
彼が祈るように手を組めば、そこに現れた男は。
「帰る場所。国。そうか――」
ふたりぶんの声でそう囁いて、少年を庇うように手を広げた――けれど。
切り裂かれる体。その痛みに顔をしかめて、しかし真っすぐに、彼は目の前の王子に問うた。
「そのために、きみは、何を犠牲にしているの?」
「記憶を少し」
「――怖くはないの?」
「恐れなどないさ」
忘れたくないものはもちろんある。けれど本当に大切な記憶は手記に残してあるから、食われ失くしたとてきっと、この心に留めておける。
それに。
「きっとレディがすべて覚えていてくれる」
――そうだろう?
愛しげに問えば、応じるように薔薇が舞う。一本の剣を胸にして、輝く者の血を持つ王子は、誇り高き茨道を歩み行く――。
大成功
🔵🔵🔵
冴木・蜜
○
人々は過去を乗り越えて
己の足で立つのでしょう
幸福の中
停滞するのは健全な姿とは言えない
確かに懐かしく幸福でした
彼の姿をもう一度垣間見たのは
それでも
彼との約束もありますから
私は止まれない
抱き続けた想いに殉じたい
私はただ、救いたい
だから――還さなくては
他の猟兵への攻撃を
間に割り入り庇います
襲い来る凶器は身体を液状化し受け
血液は飛ばした黒血で相殺
どんなに人を模しても
私はヒトではない
…私には効きませんね
攻撃をやり過ごしたら
すかさず注射器で『耽溺』
麻酔を打ち込んで差し上げましょう
微睡むようなゆめまぼろしに
身を委ねると宜しい
…幕引きは任せましょう
私の手は何もかも融かしてしまう
望んだ終わりがある筈ですから
●
――確かに、懐かしくて幸福な時間だったと思う。
もう二度と見ることの叶わない顔を、ほんのわずかにでも見ることが出来たのだ。
そこに伴う胸の軋みはあった。強く蝕むそれを振り払って、前に歩むことの難しさとて、冴木・蜜(天賦の薬・f15222)は知っている。
そうだとしても、人々は――この世の今を生きる全ては、過去を乗り越えて消費して、己の足で立つのだろう。幸福の中で朽ちていくことがいかに楽な路であったとしても、それを良しとして停滞するのが健全な姿であるとは言い難い。
だからこそ、蜜もまた、ここに生きる者として往かねばならない。
忘れ得ぬ彼と交わした約束がある。それを引き摺り歩いて、ヒトならざる命を紡いできた。誰に何を言われても、いかなる冷や水を浴びたとしても、消えることのない想いが、胸の内の焔を燃やすうちは。
「――私はただ、救いたい」
「それが、きみの希望?」
「ええ。だから――キミを還さなくては」
ただその声は決意に満ちて、ならばと少年も身を翻す。浮かび上がる楔とギロチンの刃に呼応して、零れ落ちる赤い色が増していく。
「せめて、苦しまないでほしい」
悲哀の表情をありありと映す血溜まりは。
蜜の目には――まるで、人型を保てず零れ落ちる己の蜜毒のようにも見えた。
向かい来るそれらを躱すことはしない。それどころか、青年の体は他の猟兵の前に立ち塞がった。
首を落とされたから何なのだ。心臓を貫かれたとてどうなろう。ヒトを模すだけの人外の体に、ヒトを穿つための術は通じない。液状化した首と思しき部分が千切れても、心臓だった場所に楔が打ち込まれても、致命の毒で構成されたからだは端から再生していく。
同時に放たれる血液には己が黒き血を。混ざり合って融ければ、どちらもただの液体に変わる。
「……私には効きませんね」
零れた声の孕んだ色が、誰かに届くことはなくとも。
眼鏡の奥のアメジストは、同じ色彩を持って佇む少年と似たような悲壮を宿して、相対する彼へ注射器を振りかざす。
「微睡むようなゆめまぼろしに、身を委ねると宜しい」
「っ、あ」
それは意識を刈り取る耽溺の麻酔。或いは蝕み滲むゆめうつつの麻薬――モルフィウム。
小さく声を零した少年の瞳が朦朧と霞む。それを見届けて、蜜は目を閉じた。
幕引きは任せよう。ただ救いたいと、未だ足掻き続けるこの身は、それでも全てを融かしてしまうから。
――きっと、望む終わりをもたらしてはやれない。
宿る一片の悲哀を覆い隠して、黒くほどける天賦の薬は踵を返す。いつかこの手を、在りし日の約束に届けるために。
大成功
🔵🔵🔵
アネモネ・ネモローサ
〇
希望か。
そんな物、私だって知りたい。
先ほど見た彼等は、私を見て微笑んだ。
私との再会を喜ぶように。笑ったのだ。
──でも、所詮は幻。君が見せてくれた、私の願望。
あれに依存し、足を止めることこそ、死んでいった本物の彼等への侮辱だろう。
だから私は進むのだ。
彼等を救えなかった私は赦されるべきではない。
ならば、私が彼等に代わって多くの人間達を守るのだ。
憧れの姿からかけ離れていくとしても。
取り込んだUDCの狂気に苛まれても。
彼等の代わりができるのなら。
分かっている。
私のこれは希望なんかではない。
穴の空いた、脆弱な自分を立たせるためのただのエゴだ。
だから、教えてくれないか。
──きみの希望は何だった?
●
――希望。
ただ空疎に響くその言葉に、アネモネ・ネモローサ(人に憧れし黒き彩喰み・f21338)は答えるすべがない。
「そんな物、私だって知りたい」
少年の見せた幻影の中で、彼女の愛した家族は微笑んでいた。アネモネの姿を見るなり、再会を喜ぶように笑ったのだ。片時も忘れない暖かなそぶりで迎え入れようとしてくれた――いつかこの世界のどこかにあった、変わらぬ姿で。
けれどそれすらも、少年の見せた幻に過ぎない。
彼らはもうどこにもいない。ぎしりと胸が軋んでも、足を止めて無邪気な娘になりたいと思っても、本当の彼らはどこにもいないのだ。
都合の良いまやかしに囚われて足を止めてしまったのなら、それこそ彼らへの――本物の家族への侮辱になろう。
なればこそ、アネモネは前へ進むのだ。
「彼等を救えなかった私は赦されるべきではない。ならば、私が彼等に代わって多くの人間達を守るのだ」
いつか彼女を救った、法に許されざるヒーローたちのように。数多の力なき人々の味方であり続け、静かな謝意を受け取っては笑った、彼らのように。
そのためならば――己の何を犠牲にすることになっても構わない。
憧れた姿が霞む。いま、この胸の内から溢れる全てに苛まれて、目指してやまない姿から遠ざかり行く己を自覚している。取り込んだUDCから溢れる狂気が脳髄を走り、正気を喰らって心に青く穴を開ける――。
――否。
それはきっと、元から空いていた大穴で――。
アネモネには分かっている。これは希望などという美しいものではない。脆弱で、どうしようもなく折れそうな自分を、必死に埋めるための方便で、エゴだ。
それでも。
それでも――前に行かねばならないから。
胸の内に空いた青から、瘴気が這い出て周囲を満たす。どれだけ取り込んだところで、どれだけ彩を得たところで、決して塞がることのないそれを。
少年は、ただ悲しげに見据えていた。
「――それでも、前に進んでしまえるんだね。きみは終わりを選ばない」
「ああ。私は、それを選んではならない」
それでは、彼らに顔向けが出来ない。
瘴気の渦を理想の己で防ぐことは出来ない。病毒と瘴気に蝕まれているはずの紫の瞳は、それでも確かにアネモネを見据えているから。
今度は彼女の方が問いかけるのだ。
「教えてくれないか──きみの希望は何だった?」
ほんの少しの間があって、彼はただ、ひどく悲しげな声を上げた。
「そんなものがないって、示すことだった――」
大成功
🔵🔵🔵
落浜・語
さて……
『白雪姫の贈り物』を使用。
「見てこいと言われたから。『おれ』の忘れている約束。俺が今生きる約束。色んなものを見聞きしてこいと。その約束を護る延長線上にあっただけだ」
問いかけに答えてやるが、それに反応を返せばそれで良い。
焼けた靴で踊ってくれ。
答えるのと同時に、左目を常磐色にしつつ奏剣へ【力溜め】。ちょっと協力してくれよ。俺じゃまだうまくできないんだから。
隙を見て、奏剣での一撃を。
相手の攻撃はできる限りの【見切り】かわす。
まぁ、肉体は仮初のものだからな。本体が傷つかなきゃなんとでも。
アドリブ、連携歓迎
●
落浜・語(ヤドリガミのアマチュア噺家・f03558)は、既にユーベルコードを纏ってそこに在る。ただ一人、立ち尽くす少年の眼を見据えて――。
目を眇めれば、脳裏に揺らぐのは先の光景。手拭いだったもうひとつと、主と、彼らにまつわる幸福の詰まった和室だ。
彼を生かしている祈り――それを希望と呼ぶのならば、そんなものは決まっている。
「見てこいと言われたから」
その声に反応して、何かをひどく考え込んでいた少年は顔を上げた。瞬く紫の瞳に向けて、語はただいつもの調子で声を紡ぐ。
「色んなものを見聞きしてこいと」
――それは、高座扇子だった『おれ』が忘れてしまった約束。同時に、ヤドリガミとしての『俺』を今に繋ぎ止めている約束だ。
希望とは。己が今、ここに生きる意味とは。
「その約束を護る延長線上にあっただけだ」
「じゃあ、きみは」
開きかけた口が言葉を紡ぐことはない。足許に感じる熱に、少年の甲高い声が悲鳴に変わった。
白雪姫の贈り物――童話の悪母を焼いた靴が、少年を苛んでいる。その痛苦に耐えかねたか、少年の反撃は無意識下に行われたようだった。
その全身が炎に包まれるより先に、語はゆるりと片目に触れている。紫水晶の色をした瞳に常磐色の面影を宿し、手にした短剣――奏剣を強く握りしめた。
――ちょっと協力してくれよ。
――俺じゃまだうまくできないんだから。
そう語り掛ければ、漲る力が腕に強く響いた。燃え盛る地獄に変わった大地を踏みしめ、跳躍する刹那。
何より大事な『おれ』を、傍らのカラスに託した。
ヤドリガミの肉体はかりそめの器に過ぎない。ならばそれが傷ついたとて、本体が無事ならば良いだけのこと。周囲を燃える焔の地獄に踏み入れたとて、その熱風が己のかりそめを灼くだけにすぎない――。
葬送の焔を思い出す。主を焼いたそれは、こんなにも恐ろしい温度だっただろうか。あの日の手拭いを焼いたそれは、もっと柔らかな別れのそれだっただろうか。
詮無い思考ごと炎の海に溶かして、ただ――語は駆ける。今を生きる理由たる、約束を果たすために。
そうして踏み込んだ先の絶叫に。
燃える体を切り裂いて、奏での力をも持った剣が閃いた。
大成功
🔵🔵🔵
穂結・神楽耶
○◇
見えていたなら分かるでしょう。
わたくしの大事なものは、全て燃え尽きていきました。
それでも歩いた、最初の理由は…「そう願われたから」でしたけれど。
答えましょう、オブリビオン。
希望の名前は、「未来」です。
この道を歩き続けてきたから得られたものがありました。
それは居場所であり、約束であり、…友達であり。
その全てが在る、この世界です。
だから過去に大きい顔をしてもらっていては困るんです。
いつかこの身が灰になる、その前に。
世界にひとつでも多くの希望が残るように。
この、故郷だったかもしれない夢の記憶と引き換えに。
――貴様を殺すよ。
いつか我も逝く海に、疾く還るがいい。
●
舞い落ちた薔薇の花弁の中で、少女のかたちをした刀はただ、目の前の少年を見た。
穂結・神楽耶(舞貴刃・f15297)の手にあるのは己自身だ。本体である太刀の柄を握りしめて、厳かに眇める焔色の瞳は、鋭利な刃を示すように――。
「見えていたなら分かるでしょう。わたくしの大事なものは、全て燃え尽きていきました」
少年がゆっくりと頷いた。ならばなぜ。続く問いかけは自明にすぎると、彼自身が思ったのか、ほんの少しの間が挟まれる。続く声は疑問の色を強く孕む。
「きみは――どうして、ここまで歩いてきたの?」
「最初の理由は……『そう願われたから』、でしたけれど」
少女の声というには凪の色を孕みすぎていた。数えるのも遠いほどの時を、くすぶる悔悟と共に歩んできた。穂結・神楽耶となる以前、いのちと言うには澄みすぎた、願いの集合体だった頃から。
――この身はひとのためにあり、ひとの願う女神の姿を模してきた。
抱く願いは変わらない。ひとが幸福でありますように。ただそれだけを祈り、願い、そのために手を伸べて来た。その先に何も残らないことをも、きっと知っていて――。
けれど、その先に見据える理由は、神楽耶の裡に宿る灯となって燃えている。
「答えましょう、オブリビオン。希望の名前は、『未来』です」
心など消えてしまえば良いと思った。あの日の焔に、何故この心がくべられなかったのかと思いながら、夜ごと星を見上げて生きて来た。引き摺って歩いたどうしようもない痛苦が、この先も永久に続くと思うまま、それでもひとのための手を諦められなかった。
それでも。
その果てに、残るものがあったから。
「それは居場所であり、約束であり、…友達であり。その全てが在る、この世界です。だから過去に大きい顔をしてもらっていては困るんです」
「未来――そうか。きみたちは、続く限り――」
目を伏せる少年の前で、神楽耶もまた目を閉じる。
燃え盛るのは内側よりの焔。その身を蝕み、いつか灰に変える破滅の色。いつかかみさまだった太刀の命を結ぶ火だ。刀を握る右半身から噴き出すあかがねが、ひとのいのちの色が錆びるが如くに黒く変わる。
りぃん、とひときわ高く鈴の音。真白の衣装に身を包む、かつての『カミ』の威容がそこに在る。
――朱華残焼。ひとときの夢も、あの日の幸福も、この身ごと燃やし尽くす覚悟で未来(きぼう)を見る。
もしもこの手が届くなら。是を薪に燃やしてでも――掴み取ると決めたから。
いつかこの身が灰になる、その前に。
世界にひとつでも多くの希望が残るように。
振りかざす刃はカミの威厳。禍を絶ち、ひとの見る幸福を守るための、どうしようもない祈りの果てにある――結ノ太刀。
「――貴様を殺すよ」
この手はもう届かなくとも、転がる声は届いただろうか。そこに在った、いつかの『ひと』に。
「いつか我も逝く海に、疾く還るがいい」
絶ち切る刃の奥で、紫水晶はただ、焔を宿したカミをまっすぐに見た。
大成功
🔵🔵🔵
鳴宮・匡
初撃は右腿を狙う
次いで、肩関節に腕、逆の脚
腹の傷も狙い目か
……いつか願ったものも
かつて大切にしてきた場所も
別に、乗り越えられちゃいない
それが幸福であるほど
懐かしく思えば思うほど
俺は、自分を許せなくなる
喪ったのは、すべて自分のせいだから
それでも、「生きてほしい」と望まれて
手を差し伸べる誰かがいて
隣を歩くやつがいて
守りたいものがあるから
俺はまだ、生きてなくちゃいけない
前を向いて、歩かなくちゃならないんだ
……それを「希望」と呼ぶのかはわからないけどな
穿つ弾丸が削ぎ落すのは命じゃなく、その「力」そのものだ
――【抑止の楔】
身を焦がす地獄はすっかり掃ってやるよ
……お前の目には、
その先に何が見えるんだろうな
●
初撃は右の腿。
次いで肩関節を狙う。着弾を観測するより先に腕へ狙いを定める。銃声が響けば次は左足。
鳴宮・匡(凪の海・f01612)の手元に躊躇はない。精確な射撃が肉を抉り取り、少年の悲鳴が耳を打つ。
視線は決して逸らさないまま、慣れた手つきでマガジンを交換する。この後の攻撃を行うために、装填してある弾数は多い方が良い。
そこまでをただ淡々とこなしてから、凪の海はふとその水面に波紋を作った。
「……いつか願ったものも、かつて大切にしてきた場所も。別に、乗り越えられちゃいない」
零したのは本心だ。夜の街を駆け、街の中に面影を見て――辿り着いたこの場所に立って尚、彼はそれを乗り越えられたわけではない。
ただ、見ないふりをしてきただけだ。邪魔なものは全て深海の色に沈めて、混ぜて、分からないようにした。人のかたちをしながらひとになれない匡の心には、ただ凪いだ水面しかないはずだったのだ。
――喪ったのは全て自分のせいだったから。
幸福であればあるだけ、思い出した心が郷愁めいて痛むだけ、自分を許せなくなる。もうそこにないものを、匡のせいで奪われてきたものを、その張本人が悼み慈しむことなど許されはしないと――思ってきた。
それでも――。
『生きてほしい』と望まれた匡が、今、息をしているここには。
手を差し伸べる誰かがいる。隣を歩く温もりがある。守りたくてならないものが――確かに在る。
分からないと言って目を伏せるのも、知らないと言って耳を塞ぐのも簡単だ。匡はずっとそうしてきた。この手には何も残らないと、与えられたものの幾ばくすらもありはしないと、思って生きて来た。
それが、出来なくなったのは。
「目を逸らしてられなくなったから」
銃を構える。その先にある少年に向けて。ただ悲しげにこちらを見る『こども』に向けて。
銃口は揺らぐだろうか。殺すのが下手になったと言われた理由は、今ここにおいても僅かな逡巡を生むのだろうか。
例えそうだとしても。
――目は切らない。今はまだ、己の心からも、敵からも。
「俺はまだ、生きてなくちゃいけない。前を向いて、歩かなくちゃならないんだ」
それを希望と呼ぶのかは――まだ、分からなくとも。
少年は目を伏せる。敵意のない彼に向けて引鉄を引く。燃え盛る地獄の焔を縫って、焼け焦げる体を銃弾が穿つけれど。
――狙うのは命ではなく、その『力』そのものだ。
消沈する炎の向こう。紫の瞳が確かに覗いのを、匡は『視た』。
「……お前の目には、その先に何が見えるんだろうな」
この地獄の果て、心に抱く悔悟の果てに。
匡にはまだ見えない、何かがあるのなら――。
大成功
🔵🔵🔵
水衛・巽
○◇
希望……希望ね……
私は貴方のことを何も存じ上げませんし
返すべき答えも持たない
ですが約束をしましたので
ここで貴方を討ちます
厄介な能力ばかりなので
霊符をばらまいて目を惹き、陽動・囮として動く
引導はしかるべき方にお願いします
致命傷のみ戦闘知識・第六感で予測し回避
多少は覚悟に自信がありますので
ある意味呪いの塊のような相手ですから
鎧砕き・鎧無視で貫通力を上げたうえで
破魔を上乗せした騰駝の炎を浴びてもらいましょう
成りが大きくなっても中身は子供
空虚なハリボテの理想など焼け落ちてしまえばいい
有効打とはならなくても注意を惹ければそれで上々
あとはよろしく 社長
●
希望。
「希望ね……」
水衛・巽(鬼祓・f01428)の表情は僅かに歪む。何――と問われて馬鹿正直に返すような答えはない。そもそも目の前の少年の何を知っているわけでもないのだ。
なれば何故、あの街を抜けてここまで来たのかと言えば。
「約束をしましたので、ここで貴方を討ちます」
「――約束?」
「ええ。貴方のよく知る方と」
にこりと笑う表情は人当たり良く。けれど青い瞳には冷静な色を忘れない。これは陰陽師としての仕事であり、またプライベートの約束であるのだ。
話はここまでとばかり、その手に携えた霊符を翳した。唇に描いた弧が僅かに質を変える。
此度の巽の仕事はひとつ。場を整えること。たとえ呪詛の塊のような相手であり、それを斬るのが本来の巽の在り方だったとしても、引導を渡すべき者は他に在る。
「では、参りましょう。私と貴方は敵同士ですから、遠慮なくどうぞ」
――などと挑発するように言うのも、巽に視線を引き寄せるため。その間には他の猟兵が動きやすくなる。幾ら敵意がないとはいえ、攻撃の手段自体がないわけではないのだ。
そうして走り出したのは巽が先だ。二種の霊符のうちより一つを放ち、まずはその元よりあるらしい傷に一撃を叩き込む。『斬る』意を携えたそれが冴えた白刃の如くに少年を切り裂いて、既に血の滲む衣装に更なる赤を加えた。
次いで放つ二枚目は体を縛る。不可視の念に抗う少年は、その対抗策にと己が理想を生み出した。その衝撃で縛が破られるより早く。
――闇を食い破るが如く、凶将が一、騰蛇がその身をうねらせる。
巨大な有翼の黒蛇は、十二天将がうちで最も強い力を持つもの。驚恐を司るそれがひとたび吼えれば、漆黒の炎が辺りを包んだ。
戦うための将、その最も強い力に晒されて、得ることのない夢想の未来が立っていられようはずもない。ただ過去の己を庇うかのごとくに消えたそれの先、見知った顔に似た面影を孕んで立ち竦む少年の姿を、巽はただじっと見た。
この決着に――どんな意味があるのかまでは、知らない。ただ、よく知った瞳と、相対する敵が同じ色をしていたから。
この日の終わりは、在るべくして在るのだと思った。
「あとはよろしく、社長」
そうとだけ零した声が聞こえているかどうかは、分からずとも。
大成功
🔵🔵🔵
鷲生・嵯泉
……抜けて来た夜の街の大切なものも
留まる事等出来ない大切な場所も、元より遠いもの
止まらぬ事を課して此処まで辿り着いた
ならば此の先へと進む事も決まっていよう
――世界を助ける等と御大層な事が出来る等と思ってはいない
唯……嘗てと同じ災禍に見舞われるものを見過ごせない、其れだけの事だ
此の手の届く範囲等知れたものだとしても、な
私に在るのは叶えるべき現実
しかし其れを希望と云うのやもしれんな……
攻撃は第六感と戦闘知識からの予測で見切り躱す
使うのは刀では無く、黒符に因る七星七縛符での拘束
少し静かにしているが良い
お前が何を望んでいるのかは知らん
だが、お前の望み――結末を定める者が居る様だ
後は其方に任せよう
●
立ち止まることは出来ない。この身は為すべきを為すために在る。
鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は、そうして前に進んできた。その身に課した約定のままに足を進めてきたのならば、あの宵に見た大切なものを手にしたのも、大切な光景を通り抜けるのも同じこと。元より遠く、過去に在ったものならば、乗り越え、踏み越えてでも――先に往く。
ならば、眼前の少年とて打倒せねばなるまい。たとえ彼に何の意図もなくとも、そこに在るだけで災禍を生むのならば。
嵯泉はそれを防ぐために在る。
凛と揺らぐ琥珀の髪を見据えて、紫の瞳が瞬く。ひどく物憂げな表情に向け、ひらりと翳すのは剣ではない。
相対する少年の面影が、見知った誰かとよく似ている。
黒々と塗り潰された符を手にしたことのみならず、その問いに応じたことにも、きっと一片の思慮があった。なればここに来たことにも、何か意味があったろう。
嵯泉は――。
世界を救えるなどと、御大層なことは考えていない。この手も刀も、世界なるものに伸ばすには短すぎる。一度は守るべき総てさえも護れずに、けれどただ、伽藍堂となったその胸に遺された約束と預かった祈りの楔を打ち込んで歩いたこともある。
――それでも。護るものが、今あるというのなら。
「唯……嘗てと同じ災禍に見舞われるものを見過ごせない、其れだけの事だ」
在るのは未来にかける願いでも祈りでもない。叶えるべき現実と灯した誓い、それを手にする覚悟だけ。
柘榴の隻眼にふと穏やかな色を乗せて、嵯泉は独りごちるように声を漏らした。
「しかし其れを希望と云うのやもしれんな……」
「現実を? いま、あるだけのものを?」
応じる代わりに一度目を伏せる。問答は終わりだ。
徐に放つ黒符が揺らぐ。攻撃の意を持たない少年に命中するのが、彼が反撃の一手を打つよりも先。
「少し静かにしているが良い」
言うなりその身を縛る術式が起動する。嵯泉の身に残る命のを代償に、全ての攻撃手段を失って、無防備となった彼に告げるのは。
「お前が何を望んでいるのかは知らん。だが、お前の望み――結末を定める者が居る様だ」
決着は其方に任せよう――と。
見据えた先の少年は、何かを予期して目を伏せた。
大成功
🔵🔵🔵
才華・満
ウザイなァ。
上から目線のガキってだけでマイナス六億スコアって感じです
心的外傷いじくりまわしてこっちのことなんてお構いなし
虐めたいわけでもなくて、天然だっていうし
はーあ、天然悪意チャンにはうんざり
希望なんてありません
このブローチだってただのブローチ
私の想い出の場所なんて今じゃただの焼け野原です
子供にゃわからないかもしれませんが
普通に生きてれば未来(あす)が来る
そんなことをね、「希望」だなんて綺麗にしたがるのはおバカさんだけ
なーんでも知っているようで、知らないような馬鹿は死ね
それだけですよ。頭でっかちのおませなお子様
――ただ、貴方を殺すのは多分、別の人ですから
【咎力封じ】で縛っておきましょうかね
●
「ウザいなァ」
開口一番、唸り声を上げた才華・満(CLOVER・f17417)の赤い瞳は、明確な不快を湛えている。突如として割り込んだ敵意に満ちた声に、憂いに満ちた少年の目が僅かな怪訝の色を孕んだ。
満の親指が、己が首を掻き切るように動く。そこにいつもの愛想の良い笑みはない。利己的な皮肉屋の本性を剥き出しに、世界に殉ずるために造られた狼が捲し立てる。
「上から目線のガキってだけでマイナス六億スコアって感じです。心的外傷いじくりまわしてこっちのことなんてお構いなし。虐めたいわけでもなくて、天然だっていうし。はーあ、天然悪意チャンにはうんざり」
「どういう――ことかな?」
わざとらしい溜息に、圧倒されていた少年が我に返ったように瞬いた。その表情は、傷付いたというよりは、困惑の――。
――これは本当に天然か。
ますます募る苛立ちに任せて、満の手は握っていたブローチを投げ捨てる。渇いた音で暗がりに転がったそれを不満げに睨んだ瞳を、そのまま少年の方へ動かして、獣は冷たく声を上げた。
「希望なんてありません」
握ったブローチとてただの無機物。大切な光景などとうに焼け野原。破壊と衝動に混濁した記憶の片隅で、誰かに愛し愛された『大切』など、願いでも祈りでも希望でも幸福でもない。
「子供にゃわからないかもしれませんが、普通に生きてれば未来(あす)が来る」
眠っても眠らずとも朝日は昇る。望もうが望まざろうが世界は続く。あたりまえの明日は再び世界を照らし、或いは闇の中に消えたいものにさえも降り注ぐ。夢を見ようが、見ていなかろうが。幾多の感情を孕んだまま。
――そこに、希望があろうが、なかろうが。
「そんなことをね、『希望』だなんて綺麗にしたがるのはおバカさんだけ」
「じゃあ――どうして生きていくんだ、きみは」
「本当のバカですか? 言ったでしょ。普通に生きてれば明日が来るんですよ」
生きているのじゃない。死のうとしていないだけ。世界のために死ぬべきときが来ていないだけ。ここで呼吸をしていれば、そこに何の意味がなくとも、明日は訪れる。
「なーんでも知っているようで、知らないような馬鹿は死ね。それだけですよ。頭でっかちのおませなお子様」
そう言って――けれど。
この戦いの終着点は己にはないと、満は理解している。
だからこそ、放つのは咎を封ずるための力。力の根源を撃ち抜かれ、護符に縛られ、碌に動かない体へ向けて。最後に残ったただひとつの力をも、放たれた拘束具が縛り上げる。
満がすべきはここまでだ。溜飲は下がらないが、それも存分に語らって死んでもらえば少しは晴れよう。
「――貴方を殺すのは多分、別の人ですから」
あっけらかんとした声音を靴音が遮って、決着は訪れる。
大成功
🔵🔵🔵
鎧坂・灯理
やあ――お久しぶりですね、灯真兄様
思えば遠くまで来たものです
私の半神……いいや
私が一、あなたが九でしたね
この脳は、本来あなたのものだった
でもあなたは死んだ
私の目の前で
私を誘うように背中から飛び降りて
首と腹を鉄柵で貫かれ引き裂かれた
「一緒に行こう」と笑いながら
それがどれだけ私の心を切り裂いたか知らないだろう!!
会いたかったよ兄様!ずっと会いたかった!
ぜったいに一発ぶん殴ってやるって決めてたんだ私は!!
UC発動、念動力は全て身体強化へ!
あなたの「理想」を私の「現実」で砕いてやる!
兄妹喧嘩をしよう、兄様
考えるのが大嫌いな私と、考え続けてしまうあなたで
あの頃出来なかった、派手で馬鹿げた大喧嘩をしよう!
●
ただ、見詰め合う。
きっとここに在って、こうして出会うことを、ふたりは知っていた。引き合う魂が訴えている。ここで、果たさねばならないと。
先に口を開いたのは鎧坂・灯理(不退転・f14037)だった。
「やあ――お久しぶりですね、灯真兄様」
少年――灯真は、笑みともつかぬ曖昧な表情で、浅く頷いた。
「久しぶりだね、灯理」
鼓膜を打つその声。広げた腕のちいささも、紫の眼差しのやさしさも、灯理が知る彼のまま。ここに至るまでの道は長かった。遠かった。
いつかひとつになるために生み出されたもの。常軌を逸する頭脳を猟兵としての武器の全てとする灯理を遥かに凌ぐ、天才的な頭脳を持って生まれた片割れ――完成品たる兄。その力の一部を片割れに宿すことで、ようやく管理下に収まっていた。
半神とすら言えない。灯理が一なら――兄は九だった。
「思えば遠くまで来たものです」
振り返るような声音に、灯真が頷いた。
「ラベンダー畑も門も、ぼくにとっても懐かしかった。おまえがあれを見てくれたのは、嬉しかったよ」
「ええ――私も、懐かしかった。灯真兄様」
乗り越えて、踏み越えてきた全て。ふたりの世界だったそれらを、けれど、壊したのは。
「――でも、あなたは死んだ」
灯理の眼前で死んだ。自ら命を絶ったのだ。いつか灯真の手で彼の脳へ還る妹を憂いて、このあまりに希望のない世界に絶望して――そうして誘うように飛び降りたのだ。そう、灯理は思っている。
鉄柵に。あの黒い鉄柵に。彼の足許に出来た血溜まりに、今も黒く影を落とすそれに。首と腹を貫かれ、引き裂かれ、断末魔の悲鳴と共に――呆気なく、片割れは動かなくなった。
「あのときの言葉を覚えていますか」
「もちろんだよ。忘れたりしない」
今だって同じだと、灯真は今度こそ笑った。
「一緒に行こう」
銃弾に、護符に、拘束具に――ここに集う誰かたちが整えた舞台。封じられたはずのユーベルコード。その縛を破って、歪なひとりが顕現する。
それは灯真が理想とした己の姿。妹を守りかったと、ただそれだけの悔悟でもって、彼は目の前の姿に笑いかける。
それを。
冷徹に――どこか茫然と――見て。
灯理は震える唇で息を吸った。
「それがどれだけ私の心を切り裂いたか知らないだろう!!」
自分が死ぬはずだった。目の前でただひとりの片割れを喪って、捻じ曲げた記憶にその事実を封じた。たとえ感覚器としてでも、己の一部としてでも、灯理が大切に扱われた記憶だけは変わらない。
そうだ。だからこそ見てしまったのだ。大切なものと言われて、兄の印象にこびりついてならないあの鉄柵を。大切な光景と言われて、彼が愛したあのラベンダー畑を。伴侶から貰った銀の指輪を握りしめて、力をもらって初めて動いた足で、ここまで来た。
「会いたかったよ兄様! ずっと会いたかった!」
天をも裂かんばかりの叫びが、互いを手にかけるための再会を悲痛に彩る。あの日の温もりも何もかも、今はもう、灯理にとっては過去でしかない。ならばここで終わりにしよう。最悪の別れを引き摺った日も、何もかも。
十八歳になったその日に果たされるはずだった、『ふたりでひとつ』になる運命を、六年越しに果たすのだ。
「ぜったいに一発ぶん殴ってやるって決めてたんだ私は!!」
映し出すのは可能性の器。発育のための栄養を全て異常発達した脳に奪われてきた彼女が、『その身に相応な』力を経ていたときにここにあったはずの『現実』だ。
二十四歳の姿で、同じ年ごろの兄に相対する。どこかの世界にあったはずの邂逅に、灯理は長く伸びた髪を揺らして吼える。
全ての念動力は身体強化へ。他には何も要らない。必要なのは、この拳の一つだけ。
「――兄妹喧嘩をしよう、兄様」
踏み込む足が、嫌になるほど軽い。喉も裂けんばかりの声が口を衝いた。
「考えるのが大嫌いな私と、考え続けてしまうあなたで。あの頃出来なかった、派手で馬鹿げた大喧嘩をしよう!」
灯理には意志がある。鎧坂となって初めて立てたちいさなこどもは、その拳に意志を持って、半神に抗う。
ただ向かい来る、あの日に終わらなかった妹の姿に、灯真の瞳もまた揺らいだ。ラベンダーの色をした瞳にどうしようもない悲哀を宿して、少年もまた張り裂けんばかりに咆哮する。
「――どうして!」
女の拳を男の手が止める。力の籠ったそれに身体強化で無理やり抗った妹に、今度は兄の腕が振り下ろされる。
「ぼくは、ただ――おまえが、灯理が。こんな、希望のない世界で生きていくなんて――許せなかった!」
「そんなの、灯真兄様の勝手だ!」
――勝手だ。身勝手だ。心を引き裂かれて希望を失って、地べたを這いずって泥水を啜ってでも生きて、とうとう鎧坂にまでなってしまった妹に向ける感情が。
――この期に及んで、愛だけで出来ていたと言うのか。
灯理の声に泣き叫ぶような色が乗った。男の拳を見切って、紫の瞳は愛した兄を睨む。
返す灯真の声もまた――似たように揺らいだ。
「希望なんてものに、かたちはない。おまえがどれだけ信じたって、それが続くかも分からないのに!」
「だからだ!」
いつの間にかそこに在ったもの。手にした幸福と誓いは左手の薬指にある。ただ衒いなく願う未来を。
「だから私が守る。だから私が――終わらせない!」
そのために。今ここで。
――振り上げた拳で、片割れの命を穿つ。
少年の体が跳ねるのをじっと見た。幾度の呪縛に抗って、喰らった傷に限界を迎えて、今や消えようとする彼の、灯理と同じ色の瞳が、光を失う刹那に。
――あいしてる。
「ああ――」
声にならぬ五文字を紡いだ骸が灰に変わるのを、灯理はじっと見た。オブリビオンとしての死を迎え、因果を絶ち切られていずれ消え去る魂を――不可視のそれを抱きしめるように、その手が空を掻いた。
「私も。私もあいしてるよ、灯真兄様」
これは、いつか片方がいなくなる『かたわれ』の終わりで。
――ふたりでひとつの、『きょうだい』のはじまりだと。
知らしめるように、暗がりに光が差す。揺らぐ空間が現実の輪郭を取り戻す。
――次に瞬けば黎明の街。きっと朝焼けが全てを照らす。希望も、絶望も、おわりも、はじまりも。
この先に続くすべてを祝福して――。
大成功
🔵🔵🔵
最終結果:成功
完成日:2019年09月17日
宿敵
『無垢なる灯』
を撃破!
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