【1:1】余花、青梅雨
境・花世 2020年5月21日
『宵にのみ開くという、手紙屋をご存知?』
夕立は瞬く間に世界を覆い尽くして、
ほおずき揺れる軒先へ滴を散らした。
雨に濡れて青々ときらめく若葉から、
生まれたばかりの淡い夏が馨り立つ。
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境・花世 2020年5月21日
(慌てて店の外に飛び出て戸を閉めにかかったお陰で、どうやら売り物は濡らさずに済んだらしい。代わりに店主と店番がずぶ濡れになったのは尊い犠牲というやつだ)
境・花世 2020年5月21日
、ふふ、水も滴るいい神さまだね、綾。
都槻・綾 2020年5月21日
(零れる雫で紙類を湿さぬよう、軒下でふるり、頭を振ってから店内へ、)
ありがとうございます、助かりました――…あなたも随分と濡れ模様。いけませんね。牡丹は雨の気配を察して咲くと言いますけれど、此処で花弁を散らせては勿体ない。
都槻・綾 2020年5月21日
――縫、
(勘定台に座る少女人形へ声を掛ける。手拭いと替えの着物を依頼しようとしたところで、すっと其れらを差し出された。流石機転の利く子だ、と黒髪を撫でる)
どうぞ、私のものですけれど、風邪をひくよりましでしょう。
境・花世 2020年5月21日
(おだやかに凪いだ声が深く少女人形の名を呼ぶ響きに聞き入る)
(撫でられる手も、ああ、いいな、)
境・花世 2020年5月21日
(はっ)――あ、わあ、ありがとう。そしたら遠慮なく、奥の間をすこし借りてもいいかな。綾も風邪ひかないようにちゃんと拭いてね。
(勝手知ったる様子で上がりこむ。けれども今日は妙に照れくさいような、すうすうと落ち着かない心地がした)
都槻・綾 2020年5月21日
(洗い張りしたばかりの藍染めの単衣が、雨滴に冷えた身をさっぱりと包んでくれるだろう。どうぞと几帳の方を示し、自身も縫から手拭いを受け取る。拭いたのか拭けたのか至極適当なまま、茶を淹れる為の湯を沸かしつ、)
…酒の方が温まるでしょうか、
(悪戯な問いを奥へと投げて、ふふり肩を揺らした)
境・花世 2020年5月21日
(借りた着物は涼やかな藍染めの本麻だ。帯を締めても少しぶかぶかとする大きさ、馥郁たる馨の気配。これはまちがいなく、正真正銘、)
(――しばしの後、なにやら頬を赤くして顔を覗かせた)
境・花世 2020年5月21日
お酒がいいな。あの……着替えありがとう、綾。
(もぞもぞ落ち着かないのをごまかすように少女人形に話しかける)
縫はいつもお手伝いしてて、いいこだねえ。綾ひとりだったらきっと、今日だってびしょ濡れのままだったに違いないもの。
都槻・綾 2020年5月21日
(何故か人形遊びを始めたひとへころころ笑い、戸棚の隠しから壷を取り出す)(昨年漬けた梅酒の残り、爽やかな酸味の蕩ける甘露)(切子の器にとぷりと注いで差し出し掛け、)
(身よりずっと大きい衣にちょこんと収まった様子に、目を瞬いた)
コロポックル……いえ、お寒くないですか、
(傍らにあった羽織を彼女の肩へ、)
境・花世 2020年5月22日
(いい匂いのするものにふっかりと包まれて、思わずにっこりした)
ふふ、綾があったかくしてくれたからもう寒くないよ。おいしいお酒がついてくるなら尚更! この梅酒も縫と一緒に漬けたの?
都槻・綾 2020年5月22日
(いつもよりちいさく見える姿はいとけなく、其れでいて開いた襟から覗く膚は白皙のうつくしさだったから、相反する身で境に居るひとなのだと、改めて思う)
そう、縫と一緒に。かよさんは酒が本当に好きなのですねぇ。お気に召しました?
境・花世 2020年5月22日
ん――とろけてしまいそうなくらい、甘い芳醇な馨がして、おいしい。
(美酒に濡れたくちびるから恍惚と吐息がこぼれる。そのままころんと首を傾いだ)(酔っぱらいのくせに、あどけない子どもみたいに)
境・花世 2020年5月22日
そっかあ、綾と縫は、いつも一緒で、いいな。なまえも……、(くぴ)
都槻・綾 2020年5月22日
(満たされた甘い吐息に此方も綻ぶ。彼女の器に、己の器に、注ぎ足しては舌を、喉を、潤した。転がり落ちて来た馥郁の実が切子の底でころり、濃厚な香気を放っている)
(幼子のような語り口は既に眠気を催しているからなのか、或いは酔いの底を歩いて居るからなのか、其れもまた可愛らしい)
都槻・綾 2020年5月22日
ははぁ、居てくれないと困りますけれども、やれ片付けろ片付けろと、なかなか口煩いですよ。――…名前、ですか?
(はて、)
境・花世 2020年5月22日
(青年と童女、宿り神と人形の式。双方人ならぬふしぎな取合わせだ。けれど並べばしっくりと馴染んで、隣にいるのが当たり前に見える)
(白く滑らかな陶器の膚も、絹糸めいた射干玉の髪も、揃いのような)
境・花世 2020年5月22日
綾は誰のことも丁寧に呼ぶけど、縫だけはちがう、から。とくべつな証みたいだなって……おもって……。
(言葉の切れ端が切子の杯に落ちて、澄んだ琥珀の波紋が揺らめく)
都槻・綾 2020年5月22日
(零れた呟きがほとり、仕舞まで聞き取れぬうちに梅の香に紛れてしまうように思えて。彼女の手から酒を攫い、くい、と飲み干す。「ごめんなさいね」笑って返却、)(改めて一献と、壷を掲げ持ち、)
都槻・綾 2020年5月22日
…特別な証。余り意識したことがありませんでしたけれど、身近と言えば身近だからでしょうか。己の半身のような。
あなたも欲しいの?
(視線は酒精を注ぐ杯に向け乍ら、戯れに問う)
境・花世 2020年5月22日
(手のひらにはうつくしい神さまが口付けた杯。再び甘露に満たされたそれを食い入るように見つめる)(心なしか手がふるふると震え――)
境・花世 2020年5月22日
うん、あのね、……欲しい。
(ほろりと本音がこぼれたのは酩酊のせいか、気を取られたせいか)
(駆け引きもなんにもなしに、花の色した眸がふわふわと咲いた)
都槻・綾 2020年5月22日
(余りに直截ないらえに数度の瞬き、)(次いで弾けるよう笑い声をあげ、ぱたりと背中から畳に倒れ込んだ。ふくふく湧いてくる楽しさは軽く酔っている所為なのかもしれない。天井を仰いでいた眼差しを流して、うつくしく綻んだ華のひとを見る)
都槻・綾 2020年5月22日
其れが韜略なら随分魅力的な陥落の計。酒だけではなくあなたごと攫われたらどうするのです。ふふ、そうですねぇ。かよさんは私にひとつ、約束をくださっているから、
(己より先には逝かないということ、実際に叶うかどうかは分からないけれど、口約束でも良い。可能な限り、彼女のいのちを咲かせてくれるのならば、)
都槻・綾 2020年5月22日
(ふわりと此方も笑みを浮かべる。幼き子に御伽噺を聞かせるみたいに、身を横にして肘枕。空いた片手を差し伸べた)(ね、『特別』の、縫にも聞かせぬ内緒話、でしょう?)
境・花世 2020年5月23日
(誘う神さまの傍らへ、攫われるよりも先に自分から飛び込んでいく。
勢いがよ過ぎて甘い梅の馨が跳ねてこぼれてしまうのも構わずに)
(薄紅に染まる眦を、頬を、耳朶を、きみの口許にそうっと寄せて)
(――どうかわたしだけに聞かせてと、わがままにねだるのだ)
都槻・綾 2020年5月23日
(いいこいいこ。わさわさにしてしまった葡萄色の毛並みを整える。かんばせに掛かる横髪に、頬に、柔く指を伸ばした)
(薄紅に染まる眦も、直ぐ近くで聞く大輪も、やはり芳しい。ふ、と微かな吐息、)
……誠、あなたは春の化身ですねぇ。
(子守唄を紡ぐが如く、のんびり語らう)(一目散に駆けて来る姿がまるで仔犬のようだったから、さり気なくお預け)
境・花世 2020年5月23日
(ちいさないきものを慈しむような、懸命に咲く花に水を遣るような、神さまのやさしさに過ぎないのだと理解っている。けれどふれられればうれしくて、何もかもどうでもよくなってしまうから)
(しなやかな指先にされるがまま、幸せそうに目を細め――…)
境・花世 2020年5月23日
(ぱちり)(何かに気付いたような顔で麗しい青磁の眸をみつめる)
あや、つづきは……?
都槻・綾 2020年5月23日
……つづきって?
境・花世 2020年5月23日
(優美に微笑む白皙の頬がちょっぴり、だいぶ、にくらしい)
(ぷくぷくとむくれる顔を隠すようにきみの胸元に額を押しつける)
都槻・綾 2020年5月23日
(胸を擽る爛漫の花弁に、さやさやと莞爾。ぽん、ぽん。まろい背を宥める手は、子をあやすかのよう)
(淡く笑みを浮かべたまま、双眸を閉じる。ひとの膚も、温度も、心地良い。雨で冷えた身体はいつの間にか優しくぬくまっている。――そう言えば、軒を打っていた雨音がもう聞こえなかった。白雨は疾うに去ったのだ)
都槻・綾 2020年5月23日
(ならば今、額を埋める彼女の耳には、鼓動が届いているのだろうか)
(真似だらけの偽りの拍動でも、あなたに安らぎを齎すだろうか、)
都槻・綾 2020年5月23日
――ねぇ、花世。かよ。顔を見せてくださいな。
(耳朶に唇を寄せて、あなたにだけ、届くように)
境・花世 2020年5月23日
(鼓膜を伝って、その言葉と柔らかな熱が心臓にことんと落ちてくる。
顔を上げれば穏やかなきみの微笑みがそこにはあるはずで、)
(けれど、ああ、どうしてだか滲んでしまってよく見えない)
境・花世 2020年5月23日
うん、綾、花世だよ。――たくさん、そう呼んで。
境・花世 2020年5月24日
(ほたほたと涙の落ちる頬は、寄り添う躰は、今は人間と人間のもの)
(ふれあった場所からさざ波のように拡がって、この身を震わすものはきっと――名付けるのなら、幸福と、呼ぶのだろう)
都槻・綾 2020年5月24日
(零れる滴に瞬いて、何故泣いているのか分らぬまでも、仄か明るい口調を向けた)
――おや、止んだ筈が今度は花世に、俄雨。
(濡れて萎れてしまわぬよう、ふにふにと手のひらで頬を包む)
都槻・綾 2020年5月24日
(勘定台の方から少女人形の冷たい視線が突き刺さってくるようで、なかなかに痛い)
(「きっと私、後で縫に叱られます」「正座させられて一晩中お説教ですよ」、悪戯が見つかった子供みたいに耳打ち告げれば、やがてあなたにふんわりと、花の笑顔がひらくだろうか)
都槻・綾 2020年5月24日
(其れまではこうして、雨の名残にそっと咲く慎ましやかな余花のように、)
(密やかで穏やかなひと時を、あなたと)