あれから――己の変調を感じ、夕月に微睡んでから。
従者がやって来て、案の定すぐに気づかれて。
半ば強制的に寝かせられて、それから。
いつの間にか、眠ってしまったようなのだけれど。
白矢羽・尭暁(金烏・f42890)は、ふと気が付く。
眼前にいる、ふたりの人物の姿に。
そのうちのひとりは、尭暁自身。
そして皇族である自分の隣には勿論、従者がいるのけれど。
ただ……その従者は、いつも自分の傍にいる、彼ではなくて。
(「晴周殿
……?」)
何故か、本来自分の従者であるはずの辰乃丞の師である、晴周であった。
いや、違うのは何も、従者だけではない。
「私の力になれ。これは命令だ」
冷めた視線に、有無を言わせぬように言い放つ声。
相手の顔も見ずに、ただ周囲の全てを己の駒としか思っていない、孤独な皇族。
そう――それは今の自分とは違う、『私』である尭暁であった。
けれど、ふと横柄で挑発的な態度であった『私』が、くるりと晴周を振り返って。
それはもう美しくにこやかに、にこりとわらってみせる。
「どうだ、晴周。父上のように、私は笑えているか?」
民が見れば、何とも綺麗な微笑みであろうかと、ありがたがるかもしれない。
それに、瞳と髪の色こそ違うけれど、父とは顔がそっくりだという話だから。
宵月様にとてもよく似ておられる……そうきっと、大抵の者が言うであろう。
だが、幼い頃から父の傍に仕えていた、
伝説といわれるほどの陰陽師である糸目の男は、ふるりと首を横に振る。
「貴方様は、我が月の君ではございません」
……月の君は、そのようになど笑いはいたしまぬ、と。
その言葉を聞けば、一瞬金の瞳を見開く『私』であるけれど。
ただ、より強い力を手にしたくて強引に己の従者にした、父の従者で在った男に、こう訊ねる。
「ならば、どういう風に父上は笑っていた? 教えろ、晴周」
亡き父である宵月は、とても立派な皇族で在ったと。
そう幼い頃から自分に話して聞かせていたのは、誰でもない晴周であった。
そしていつからか、自分も父のように立派な皇族で在らねばならぬと。
そのために、必死に学び、鍛え、より力を持つ者を従えて。
ひとりで戦い抜けるように、強く立派な存在であらなければと。
ずっと話して聞かされていた、父のようにと。
それからまた、優雅に凛と笑んでみせるけれど。
いくら考えてわらってみせても、父の従者であった彼は首を横に振るばかり。
いや……そもそも、『私』は、わらってなどいなかった。
綺麗に笑みながらも、はらりと零れ落ちるのは、涙。
けれどそのことに……自分が泣いていることさえも、『私』は気づいてはいなくて。
間違った微笑みを、正解もわかぬまま、ずっと宿し続ける。
この光景は、そう――充分にありえた、もしもの自分の姿。
目を背けたいほど愚かで、でも、痛いほど気持ちはわかって。
だから尭暁自身も、はらはらと金の瞳から涙を落としてしまっていたけれど。
「……様、尭暁様」
刹那、耳に聞こえたその声に、ハッとする。
それから、顔を上げればいつの間にか、『私』も、晴周も、姿が見えなくなっていて。
そっと遠慮がちに頬に触れたのは、差し伸べられたあたたかい手。
そしてそれが誰のものなのか、考えずとも自然と紡がれる。
「……れー、くん?」
薄っすらと瞳を開けば、心配気に自分を見つめている辰乃丞の顔。
先程までに見ていたのは、そう――夢であったのだ。
眠りから覚めた尭暁は、熱のせいか、夢のせいか。
まだ少し、意識がふわふわとしているけれど。
「起こしてしまい、申し訳ありません。随分とうなされていて、汗をかかれていたので」
頬に触れたその手は、本当の彼の手だったのだと、そう思う。
きっと自分の汗を起こさぬようにとそっと拭ってくれようとしたのだ。
だから、夢から覚めることができたのだし。
自分の従者はやはり辰乃丞であると、そう再認識すれば、内心ホッとして。
「……ずっと僕の看病をしてくれていたのかい? 家に帰れなくなって、すまない」
そう言葉を向ければ、いつも通りスンとした表情なのに。
「従者として、当然のことです。お身体の調子はいかがですか? 無理をなさらず、確りとお休みになられてください。何か口にしたいものなどありませんでしょうか」
その過保護さに、思わず笑ってしまって。
笑う自分にきょとりと首を傾ける従者に、尭暁は続ける。
「先程よりは随分と体調も楽になってきたかな。れーくんが看病してくれたから」
「快復に向かわれているのでしたら、何よりです。しかし油断は禁物です」
それから再び過保護発言をした後。
辰乃丞はこう告げるのだった。
「安心してお休みください、尭暁様――ずっと私が、側におりますので」
そんな己の従者の声を聞けば、ふっと力が抜けて。
熱のせいか、再びふわふわと微睡み始める感覚。
でも折角だから、眠りに落ちるその前に、尭暁は従者にこんなお願いを。
「れーくん、手を……額に当ててくれないかい?」
「はい。手を、ですね」
「……うん。手当っていうだろう? れーくんが手を当ててくれていたら、落ち着くような気がするから。僕が眠るまでで、構わない」
そして、わかりました、と。大きな手が額に当てられれば、あったかくて。
じわりと染みるような温もりに誘われるように、再び尭暁は眠りに落ちる。
けれど先程と違うのは、夢など見ない、深く穏やかな心地。
夜通し看病させてしまうのは、申し訳ないとは思うのだけれど。
でも帰っていいと言ったって、頑として自分の従者が帰らないこともわかっているし。
まだ熱があるのも、確かだから。
眠りに落ちながらも、尭暁は思うのだった。
今度月を観る時はひとりではなく、彼にも声をかけようと。
そうすれば、従者が自分の世話を焼くだろうから、風邪を引くこともないだろうし。
何より、ひとりよりも一緒の方が、月見酒だってもっと美味しいだろうから。
その時は褒美に甘い物を沢山食べさせてあげよう。
他にも褒美という名目で、彼が喜ぶことをいくつか考えておこう――。
そう穏やかな気持ちのまま、尭暁の意識はまた、微睡みの中へ。
自分の従者がずっと側にいてくれるのを、よく知っているから。
成功
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