ありもしない強さのかわりに
無茶をするな、というのは同居人たちにも散々言われていることだ。
けれども栗花落・澪(泡沫の花・f03165)にとっての無茶と、周りが認識する無茶には少し齟齬がある気がしている。
だって、朝目が覚めて心臓が痛くて体が少し重い、なんてことは『よくあること』の範疇だからだ。
「い、た……っ、ちょっと無理しすぎたかな……」
体を起こすなり胸部が痛んで、つい声が出た。反射的に胸元を握ったお気に入りの寝間着が酷く皺になる。
昨日はいつも通り猟兵として依頼をこなし、オブリビオンとの戦いでいつもより少しだけ無茶をした自覚がある。けれど澪はもともと体が、心臓が弱い。特に激しい戦いのあとこうなるのはよくあることだった。
――これくらいなら大体は少し休めばよくなる。
刹那の強い痛みが治まれば、あとは徐々に楽になっていく。それを待ちながら、澪は時計を見やった。時刻はまだぎりぎり午前と呼べる頃だが、部屋のなかは静かだ。そういえば同居人たちは皆今日は用事があると言っていた。大した用事はないが、みんながいないのなら澪も出かけようかと考えていたのだった。
ようやく動けそうな気がして、澪はベッドから這い出し、着替えを済ませる。体は重いままで、思考も少し鈍いが、大丈夫だ。予定を変えるほどではない。
これくらいはいつものこと。自分に言い聞かせるようにして、澪は静かな家から逃げるように外へ出る。
頭のどこかで、大した用事でもないなら出かけるべきではないとわかっていた。けれど、いつもは誰かがいる家でひとり、静けさに沈むように弱った体で横たわっているのが酷く嫌だった。
もしも同居人たちがいたならば即止められただろうが、その日に限って澪は外出を果たせてしまったのだ。
結果として、澪はひとり街中で『いつもと違う』ことに気づくことになった。
じんわりと重かった体が、だんだんと言うことをきかなくなる。たまらず人波を外れて路地の隙間に重い背中を預けた途端、目の前が霞んで、思考がぼやけた。
――あ、思ったよりヤバかったのかも。
そう遅すぎる自覚をしたときには、視界が暗転して。
「――おいあんた。聞こえてるか?」
次に澪が目を開けたときには、見覚えのある気がする青っぽい男が目の前にいた。
「ぁ……えと、」
声が頼りなく掠れて揺れる。確か、このひとは。
「エスパルダ。何度か依頼手伝って貰ったの、覚えてる?」
あんたは確か澪だよな、と首を傾げるのはエスパルダ・メア(零氷・f16282)だった。澪としては言われた通り依頼で顔を合わせた程度で、さほどの接点もない。ただ、同じ猟兵としての信用はある。エスパルダは端的に名乗って、座り込んだ澪と目線を合わせてしゃがみ込む。
「喋んのキツいか。顔色最悪の奴がいると思ったら知ってる顔だったからさ。大丈夫か?」
「だ……大丈夫、ちょっと疲れが出ただけで、大したことないから……」
そう言いながらもすぐには立ち上がれないありさまだ。胸を押さえて俯いた澪に、エスパルダもわかりやすく眉をひそめた。
「大したことねえやつは、こんなとこでそんな状態なんねえよ。どっか怪我してんのか?」
どうやらはいそうですかと引き下がる気もないらしかった。澪はかろうじて首を横に振る。体質の説明をする余裕もないが、エスパルダはすぐ質問を変えた。
「熱は?」
「熱……知らない……測ってない……」
――けれど、おそらくはある。
なんともなしに、目覚めたときからそれはわかっていた。もともと平均的な体温が高いほうではないぶん、少しでも上がると体のほうが不具合を起こすのだ。
この体は強くない。そのことは誰よりも澪が一番理解していた。だからこそ、その証左になる数字を見たくなかった。
「じゃあ、とりあえず病院に、」
「病院はイヤ……です」
エスパルダの言葉を遮るように、澪は主張した。ここはUDCアースだ、探せばいくらでも病院はあるのはわかっている。この状態で病院を拒否することが迷惑になることだって理解している。それでも。
「ごめんなさい……病院だけは、イヤです」
体が弱っているからこそ、病院に行くのが嫌だった。自分の弱さを突きつけられるようで、自分が情けなく感じてしまうから。――弱い自分には価値がないと、そう思ってしまう自分がまだいるから。
声も掠れて、泣きそうに情けない。体は重いまま、息だって苦しい。誰かにたすけてと言ってしまいたい。
けれど、顔見知り程度の相手に言うような我儘でもないだろう。そう思うから、澪はどうにか顔を上げる。
「大丈夫……歩けるようにさえなったら、ひとりで帰れるから……。その……流石に、これ以上は迷惑……だと思うし」
「あのなあ、迷惑お断りだったらハナから声かけてねえの」
心底呆れたようにエスパルダがため息をついた。でも、と澪は謝罪を繰り返す。
「ごめんなさい……ほんとは関係ないのに、迷惑かけちゃって……」
「だから……。あー、じゃあアレだ。一個いいこと教えてやるよ、澪。オレの趣味」
え、と瞬いた澪に、エスパルダは悪餓鬼のような笑みを向ける。
「趣味……?」
「そう。弱ってる子猫拾って世話すること」
「子猫、って」
「ま、ヒマなときだけ限定だけどな。猫でも犬でも天使でも変わんねえよ。……それにあんた、家帰れたとして誰かいんのか」
思わず答えに詰まった。
いま、家には誰にもいない。だからまだ帰りたくはない。
――本当はひとりきりの家にいるのが寂しかっただけなんて、口が裂けても絶対に言えないけれど、心が弱っているいま、甘えてしまいたい自分もいる。
澪が返した沈黙に、エスパルダはなにも言わなかった。その代わり、黙って手を差し出す。
「立てるか。無理なら問答無用で担ぐけど」
「……ごめんなさい」
また謝罪を口にしながら、澪はどうにかエスパルダの手につかまった。本当は動ける気がしていなかったけれど、重ねて迷惑をかけたくはなくて。
澪の手を引っ張って支えるようにして、エスパルダは勝手知ったる様子で路地を歩き出す。ぼやけた頭でどこへ行くのかと思っていると、
「ちょうどこの先にオレの預かってる店があるんだよ。誰でも来るし、誰も来ねえような古物商。でかいソファもゴロゴロあるから、適当に寝てけば」
「……本当にごめんなさい、巻き込んじゃって」
「バカタレ、オレの暇潰しにつき合わされてんだよ、あんた」
しれっと言いながら、エスパルダは目的地についたのか、物がごった返している店に入っていく。そうして澪を手近なところにあった大きなアンティーク調のソファに転がした。どこからか持って来た毛布を問答無用で被せて、枕代わりだと店に並べてあった丸いぬいぐるみを寄越す。
「ん。あとは好きにすりゃいい。知らねえとこだし不安ならその辺いるし、いないほうが休めるなら引っ込むけど」
どうやら彼は本当に『拾いもの』の世話に慣れているようだった。ぼんやりと理解して、それでもしばらく迷ってから、澪は口を開く。
「……あの、じゃあ……今だけ、手繋いでもらっても、いいですか」
「どーぞ」
躊躇いを含んだ澪の言葉に軽々と頷いて、エスパルダは澪の手を握る。ひやりとした感触が、発熱した体には丁度よかった。
「……話し相手、なってくれますか」
「なんの話がいい?」
「えと……エスパルダさんの手、なんでこんな冷たいのか、とか?」
「いいぜ、あんたが寝るまでな」
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴