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きみの先行き

#サクラミラージュ #ノベル

ルーシー・ブルーベル



朧・ユェー





 大きな戦が無事に終結したサクラミラージュは、平穏を謳歌していた。
 幻朧帝の封印という使命から解き放たれ、賑わいを取り戻した街並みは人々の笑みで溢れている。
「ふんふんふーん、ふふ!」
 そんな活気溢れる街を、朧・ユェーとルーシー・ブルーベルは手を繋いで漫ろ歩く。ご機嫌な鼻歌と笑い声は、大好きな父とのお出かけを目一杯楽しむルーシーのものだ。けれど傍らのユェーだって、穏やかな笑みが絶えない。
 モダンな着物や洋装が並ぶ呉服屋。レトロな――この世界ではきっと最先端の――品々が並ぶ雑貨店。和菓子と洋菓子が揃って並ぶ甘味堂に、立派な写真館。
 興味を惹く店は尽きなくて、散歩がてらの足取りは好奇心のままに曲線を描く。
「色々なお店も見れたわね。ぬいぐるみのお友だち用のお洋服も買えたし!」
「ええ、楽しかったですね。ところでルーシーちゃん、そろそろ喉が渇いたでしょう? 何処かで休憩しますか」
 可愛らしい判が押された紙袋を大事に提げて歩くルーシーに笑みかけながら、ユェーはひとつ提案を投げかける。
 楽しさのままにたくさん歩いたから、そろそろ足も疲れてくるし喉も乾く頃だろう。絶妙なタイミングでの父からの提案に、ルーシーは嬉しそうに頷いた。丁度少し、休憩したいタイミングだったのだ。
「でもどこがいいかしら?」
 周囲をきょろきょろと見渡してみる。事前に情報を仕入れて出掛けたとはいえ、ユェーもルーシーもこの街に来るのは初めてだ。いくつもの店が軒先を連ねるこの商店街には、ざっと見渡しただけでも、フルーツパーラーやミルクホール。茶屋や喫茶室が何軒か並んでいる。正直ルーシーにはどれもこれも気になるから、なかなか選べやしない。
 フルーツパーラーでは新鮮な果物を使ったデザートも気になるし、ミルクホールではホットミルクなんかで心も身体も温まるのではないだろうか。茶屋にかかる『栗大福アリ〼』ののぼりだって気になるし――!
 選びきれずに悩んでいると、ユェーが「ルーシーちゃん」と呼びかけた。
「あの喫茶室はどうですか?」
 父の長い指先が示した先を見る。真っ白な漆喰の壁に、赤と白のストライプの軒が鮮やかだ。木の入り口と窓辺は、お洒落で可愛らしい洋風建築の様相。入り口の前に置かれた木製ボードには、カラフルなタイルと花で飾られながら今日のおすすめや簡単なメニューなどが書かれている。
 見るからにモダンで明るい雰囲気の店は、ルーシーの心を躍らせるのには充分だった。
「ステキなお店ね、賛成!」
「ふふ、決まりですね」
 娘の『行きたい』は何よりもの是。小さな手を確りと握り直すと、ユェーは彼女の足取りに合わせて石畳に革靴の音を遊ばせた。
 

「わぁ!」
 入店してすぐに、ルーシーが華やいだ声を上げた。
 店内は和の雰囲気を残しながらも洋風を多く取り入れた大正時代ならではの造りだ。通りに面した大きな窓から差し込む柔らかな光の他に、店内はいくつもの美しいステンドグラスとシャンデリアに照らされている。
 アンティーク調の落ち着いた雰囲気の店内に、蓄音機の少しばかりくぐもったレトロなジャズがやわらかに響いていた。
「やあ、良い雰囲気のお店ですね」
「ええ。それにすぐに座れそうね、パパ」
 ルーシーの告げる通り、昼時を過ぎた喫茶室の客はそう多くない。事実、来店に気づいた女給が二人の元へとやってきて、席へと案内をする。
「今ならステンドグラスのお席が空いておりますよ」
「ではそちらで。行きましょう、ルーシーちゃん」
「うん!」
 仲が宜しいんですねと微笑む女給に頷きつつ、二人が案内されたのは桜と青空を描いたステンドグラスの席。サクラミラージュらしいそれに見守られながら、ユェーは早速手渡されたメニュー表を開く。
 ライスカレー。オムレツ。サンドウィッチにビフテキ。あん蜜にチョコレヰト。あいすくりんに、コーヒーや紅茶。そしてミルクセーキにクリームソーダやプリン。
 青の瞳が端から端までメニューを読んで、また目線が最初に戻る。そうして、むずかしそうに眉がひそまった。
「ルーシーちゃんは何にしますか?」
「うーん……悩んでしまって」
 柔く問われたけれど、ルーシーは未だこれと決められなくて困ってしまった。
 どれもこれも美味しそうだし、気になるものというならたくさん気になるものがあって選びきれない。
 助けを求めるようにユェーを伺い見ると、思わずといった体でユェーが小さく吹きだしてしまった。けれどもそんな娘のかわいらしい懇願を掬い上げてあげたくて、手袋に包まれた長い指先がひとつを差す。
「喫茶店の定番はクリームソーダですね。ジュースにアイスなんて、二度も楽しめる」
 どうですか、なんて笑ってみせたなら。
 悩み沈んでいた表情がぱっと浮かび上がって華やいだ。
「喫茶店はクリームソーダなの? ならルーシーはそれにする!」
「はい、ではそうしましょう」
「パパはどうする?」
「じゃ、僕はブラックコーヒーで」
「コーヒー!」
 軽食は何にしようかとページを手繰るユェーは、ルーシーの意外な反応に手を止めた。コーヒーがどうかしたろうか。
「……あのね、コーヒーも少し良いなって思っていて」
 不思議そうに首を傾げるユェーに、ちょっとばかり照れ臭そうに唇の前に合わせた手を当てながら小さく告げる。
 ちょっと背伸びしすぎだろうか。でも、でも。ユェーはいつも美味しそうにそれを飲んでいて、喫茶店でコーヒーなんてまるで大人の象徴のような感じがして。ちょっぴり背伸びしてみたいお年頃のルーシーにとっては、とにかく気になるものなのだ。
「喫茶店はコーヒーに力を入れてる方が多いので、味も店によって違うのですよ?」
「そう言われたら気になってしまうわ。後でひと口いただける? ブラックでもいいから」
「ふむ……」
 コーヒーとは中々に奥深いものである。豆の産地、焙煎の仕方、豆の挽き方、淹れ方。どれか一つ違うだけでも味わいが変わるものだ。店によって、恐らくは店主の好みによって変わる『その店の味』を楽しむ為に、様々な店のコーヒーを飲み比べるのも通の楽しみではあろうが。
 逆に言えば、コーヒーとは店によって味がだいぶ違う。ブラックでもいいからと娘はいうけれど、娘がはじめて飲んでみるコーヒーが彼女の口に合うかどうかは賭け……なのだが。
 ああ、けれども。娘がクリームソーダを頼むのならばいい案がある。
「じゃ最後のひと口を。クリームソーダのアイスをひと匙入れたらきっと美味しく飲めますよ」
「まあ! 名案だわパパ!」
 優しい提案に、ルーシーはぱちりと華やかに手を鳴らした。
 ブラックでもいい、とは言ったけれど。本当は、本当はちょっぴりだけお砂糖をいれたらだめかしら、なんて思っていたなんて言えなかったけれど。流石は自慢のパパというべきか。ルーシーのそんな背伸びを見越して、そっと優しさを添えてくれたのだろう。
 すっかり笑顔になったルーシーは、そのまま軽食の欄に目を通す。先程確か、サンドウィッチがあったはずで。その種類はというと……。
「それとね、フルーツサンドイッチを注文するわ!」
「ふふっ、ルーシーちゃんはフルーツサンドがお好きですねぇ」
「だいすきよ! 出会ったばかりの頃、パパが振舞って下さったメニューだもの。あ、でも苺があったらパパにあげるね」
「苺を? ありがとうねぇ」
 ルーシーの心遣いに、ユェーは嬉し気に微笑んだ。出会ったばかりの頃にユェーが振舞ってくれたから好きだなんて。そんなの、嬉しいに決まってる。
 けれどもあまりに目尻を下げてしまっては格好がつかないから、こほんと咳ばらいをして自身もメニューに視線を落とす。
「僕は……玉子サンドにしましょう。玉子サンドもお店によって、厚焼きだったりスクランブルにしてたりと色々あって面白いですよ」
「そうなの? 玉子サンドって、細かく切ってマヨネーズで和えるのだけだと思ってた。色々あるのね!」
「ええ、そういうお店ごとの違いを知るのも楽しいですよ。一緒に食べ合いっこしましょう」
「うん! 食べ合いっこする!」
 嬉しい提案には一も二もなく頷いて。こうして親子でお出かけをすると、ユェーはルーシーに色んなことを教えてくれる。その時間が有意義で、何より楽しい。


 ユェーの合図で注文を取りに来た女給を、ルーシーは失礼にならない程度にじいっと見つめた。
 矢羽根の小袖に袴姿。その上に大きなフリルのついたエプロンをつけた姿は、レトロな懐かしさとモダンな要素を組み合わせたサクラミラージュらしいもの。
 とても可愛らしくて素敵だし、柔らかな口調で注文を繰り返し、てきぱきと働く様子も格好いい。
 厨房へと注文を伝えに行く女給の背を見送ってから、ルーシーはユェーに向き直る。
「パパも飲み物を出すお店で働いているのよね?」
「僕?」
 突然仕事のことを問われて、ユェーが月の瞳を丸くした。緩く首を傾げつつも、問いに首肯する。
「確かに僕の兄の店、昼は喫茶店、夜はバーで働いてますね」
「いいな、ルーシーもいつかそういうお仕事してみたい」
「ルーシーちゃんもしたいのですか?」
 そこでようやく、ユェーは先程のルーシーの目線と質問の意味を知る。女給の姿を追っていたのも、喫茶店で働く女性というものに興味を持ったのだろう。
 なるほど、娘が将来や働くことについて考えるのは大変良い事だ。喫茶店のウェイトレスに興味があるのならば、可愛らしい衣装だって着ることになるだろう。
「いいですね。それはきっと可愛……」
 はたと。
 そしてぴたりと。
 ユェーの言葉と動きが止まる。

 ――待て、待ってくれ。ウェイトレスの制服を着た可愛らしいルーシーちゃんだって……?

 そんな可愛らしい姿の娘を他の輩に見せるのか?
 これから彼女はどんどん成長して、可愛くも美しく育っていくだろう。そんな彼女がそんな可愛らしい恰好をしていたら……?
 いや、ダメだ……そんな事をすればきっと「この店に天使が居る!」と変な客が来てしまうかもしれない。
 そうしたら勝手に写真を撮られたり握手を求められたり、果ては拐されて何をされるかわかったものじゃない!!

「……う? パパ?」
 何やら突然難しい顔をして、何事かをぶつぶつと呟く父の姿にルーシーが慌てた。
 その姿は迫真そのもので、ルーシーが呼んだことにも気づいていないようだ。なんなら今すぐにでも作戦を立案し即実行してしまいそうな真剣みまで漂い始めている。
 ええと、つまり。これって、そのぅ……。
「あの、もしかしてダメかしら……?」
 しゅん、と。目線も肩も声のトーンまでも下がってしまったルーシーが、おずおずと問うた。
 声に出して反対されたわけではないけれど、少なくとも父の様子からはあまり『是』の様子は見られなくて。いけないことを言ってしまったのかも。そう思って、恐る恐るユェーの顔を窺い見ると……。
「そうですね。もし、大きくなってそういう仕事がしたかったら兄の店を紹介します。ただ兄の店のみで。後、僕が居る時だけにしてください」
 ね、と念を押しながら、いつも通りのユェーの笑顔がそこにあった。――いつもより、若干、ちょっと……相当、笑みが深い。判る人が見たならば、『有無を言わせぬ、っていうか選択の余地を残さない笑みだった』と証言してくれることだろう。
 だが幸いと言っていいのか、ルーシーにはそこまで伝わることはなく、ただ父がいつも通りの様子に戻って笑ってくれていたことに安堵した。しかも、ちょっぴり諦めかけていた肯定の意まで示してくれて!
「いいの? 良かった!」
 嬉し気に華やいだ笑顔は、桜のステンドグラスに照らされてほんのりと薄紅に色付いている。
 ただどうしてユェーの兄のお店のみなのか。しかも大人になってもユェーが居る時だけなのか……、という理由はどうしても分からなかったが、とにかく許可が出た!
「理由はよくわからないけれど、分かったわ。それならお兄様とパパと一緒にお仕事出来るものね!」
「おや? とても楽しみですね」
 大喜びではしゃぐルーシーの目の前で、ユェーはうんうんと笑顔のままに頷く。
 良かった。これならば可愛い娘は目の届くところにいるし、兄も見守ってくれるだろう。おかしな噂はそんな噂が立つ前に消して(?)しまえばいいし、不届きな客は娘に近づく前に蹴りだしてしまえる。完璧だ。
 真っ白な父の笑顔の裏に鬼気迫る父の矜持があることには気づかないまま、女給が運んできたクリームソーダとサンドイッチに目を輝かせるルーシー。知らぬが仏とは恐らくこのことである。


「ほら、ルーシーちゃん。これにアイスクリームを一匙入れて飲んでごらん?」
「うん!」
 約束通り、ブラックのコーヒーの最後のひと口を差し出して。甘いあいすくりんを溶かしたなら、柔らかな甘味と苦味が広がるだろう。
 ゆで卵を刻んでマヨネーズと和え、隠し味の蜂蜜をちょっぴりだけ加えた甘い玉子サンドと、旬の果物がたっぷりのフルーツサンドも食べ合いっこしたならば、買い物の疲れも吹き飛んでしまった。
「仲が宜しいんですね」
 会計時に微笑む女給にユェーは頷き、ルーシーは「ごちそうさまでした!」とお行儀よく頭を下げては手を振って。
 美味しい休憩時間を経て、二人は仲睦まじく帰宅した。

 ――その数時間後のこと。
 
 兄に今日の娘とのお出かけややり取りのことを話すと。
「小さなメイドさんも可愛いですよね」
「…………?!?!?!!!」
 多分、ただの誉め言葉だったのだ。兄はルーシーの可愛らしさを知っているから、きっとそれも本当にただ「かわいい」と思っただけだったのだろう。
 だがしかし。しかしだ――!!
「無理、ダメです……」
 ウェイトレス姿(想像)だってめちゃくちゃ可愛いのに、メイド姿……?
 そんなの可愛いに決まっている。クラシカルなロングのメイド服は清楚できっと彼女によく似合うだろう。生真面目な性格の娘はきっとよく気の届くメイドになれるはずで、いやしかしそんなことになったら噂や誘拐どころか求婚が絶えないのでは……!?!?
 
 たった一言からはじまった想像はあっという間に飛躍して、ユェーは頭を抱えて震えた。
 そしてそれから暫く。
 ユェーはルーシーを見ては何事かを考え込む姿を、たびたび見かけることとなるのだった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年10月24日


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