第二の嚢……。
枯れ果てた
死体を片付ける為には、わざわざ、掘り起こす他にない。おめかしの為の化粧品や装飾品については、そう、おそらくは別の人の為に用意されていた『もの』に違いない。ハートマークの歪さに、息絶えた花の褪めた具合に、本人だって気付けやしない。天蓋を照らす月の反射の所為にしてしまえ、これは英雄からの呪いに過ぎない。
檻の中の獣は、灯篭の中の正気は、嗚呼、反吐が出そうな思いで魔王を認識していた。永久に消失しない、永劫に魂を焚き続ける獄炎の内で彼等はいったい何を妄想するのだろうか。おそらくだが、その妄想は決して叶う事のない楽園で在ると同時に魔王にとっての最悪でしかない。そう、魔王は罪と罰の権化として真実とやらを知ったのだが、罰を罰として咀嚼出来なかったのだ。出来無いクセに、真実とやらの所為で僥倖の汁気を味わう事が出来てしまったのだ。それでも尚、解放される事のない、解放出来そうにない、呪詛の根源の群れは果たして焦がれる心身を喪失する術を得られるのか如何か。とある少年曰く――あの魔王は度し難い。度し難い故にこそ、救いではない救いに、盲目的に従ってしまったのだ。誰が望もうと誰が喚こうと、あの、西瓜めいて丸い微笑みが崩れる沙汰など最早ない。おお、魔王よ。オマエの執心は遂に昇華したのだ。美味しいものに接吻し、満足げな様相で『生身』を謳歌する。これは本当にお姫様が欲した、ぬくもりの始末なのだろうか。まあ、■■■■、こんなに美味しいもの、わたし、口にした事がないわ! でも、■■■■、どうして、わたしは幸せなのかしらね。本当なら、■■■■と一緒に、地獄に堕ちるつもりだったのに! 鮮度抜群な柘榴の味にも飽きてしまった、塵芥のように、如何か、もう一度の串刺しを。如何か、如何か、もう一度の蝋燭を……。
狂気とは何か。それを解答する為には、それを証明する為には『正気』が何かを理解せねばならない。嗤っているのは時計なのか、或いは、レコードなのか。ひどいノイズの蔓延に、ひどい小太鼓の
乱打に、幻覚めいた心地を脳内で覚える。いや、そもそも、俺のような『存在』に脳髄のような肉の塊は相応ではないのだが、これが、死からの復活の糧と見做せるのであれば、歓喜してぐちゃぐちゃと潰してくれよう。結局のところ狂気も正気も
脳味噌が原因なのだから、
脳味噌を砕いて潰して撹拌するのが導のひとつなのかもしれない。そう、俺は今まで串に刺してきた。キャンディを舐め、ネクタイで絞め、それでも、真面な材料にはならなかったのだから、他の部位とやらも試してみた方が良いのだろう。脳味噌の絵具とやらが完成したところで、たっぷりと筆に含ませ『陣』を描いてみると宜しい。如何やら、異界には素敵な素敵な肉の塊が蠢いていると謂う。何……? 俺が正気ではないと、そう疑うのか馬の骨よ。莫迦にするな。俺は果てなくも正気であり、この、聖餐めいた儀式とやらは神の所業に匹敵すると宣っても、過言ではないのだ。まったく魔王よ、オマエの目と鼻の先には描かれた『陣』以外には何もない。馬の骨は既に息絶えており、オマエが贄として使ったばかりではないか。ふん……馬の骨どもめ。俺の言葉を聞こうともしないとは、まさか、それこそ正気を失ったのではないだろうな……。ぺらりと捲った題のない書物。魔導書なのか白紙なのかも不明な、病的なまでの詠唱。
生物を冒涜するかのような、生命を嘲笑するかのような、天使の出来損ないが出現した。魔王の言葉に、魔王の願いに、応えたかの如くに『それ』は身体を震わせる。丸っこくて実に蛞蝓めいた挙動だが、これは成功なのだろうか失敗なのだろうか。なんだ? これは。俺は何もしていないと謂うのに、まったく、勝手に出てくるとは腹立たしい毛玉め……。そう、第一印象は毛玉だ。翼とも腕とも解せない部位をビチビチと遊ばせたならば、さて、何かしらを『形成』する。……お……オ……。頭部らしき箇所から新たな頭部が生えてきた。何……頭だと。頭ではなく目玉を作るべきだ、度し難い毛玉風情が。何事かを口にしようと試みた毛玉を魔王は蹴り飛ばす。ころころと、愛らしい食物めいて『それ』は転がされた。だと謂うのに、実に、楽しそうではないか。何度も何度も、幾度となく蹴られても、尚、キャッキャと騒がしいサマは何処か、お姫様のようにも思えた。……■■■■、なんだかわたし、ムカムカしてきたわ。何も見えないし、聞こえているくらいなんだけど、そうね。まるで■■■■が新しい玩具に夢中になっているオコサマみたいに想えて、たまらないのよ。勿論、お姫様はネクタイを結ばれた所為で訴えられない。いや、たとえネクタイが有ったとしても訴えようとはしないだろう。でも、わたしは知っているわ。■■■■が正気になっても、すぐにわたしの方を見てくれるって! 獣の汚らしさは、獣のいやらしさは味わっての通り。本物の獣よりも
獣の方が、まったく、扱い易いと這いずってやれ――ヒトが大好きな化け物については最早、今更の冠を載せてしまうと吉か。
可愛いを『する』のに必要な道具、その蒐集に躊躇の類は見られなかった。転がされた先で『認めた』光景、圧巻とした串刺しの沙汰に対しては、せいぜい、腹を空かせる程度だったクセに、この肉の柔らかさを確かめてしまっては真似る他ない。魔王が何処かへと、ブラブラとしている合間にゆっくりと、うごうごと『にんげん』の身体を生やしていく。たとえばアラクネ、蜘蛛めいた怪しげな毛玉の有り様に初対面、魔王は娘の面影を覚えたのか。おや……存外、可愛いと謂えぬこともない形をしている。発狂しているのだから愛を違えてしまっても仕方のないこと。煮込まれていた脳味噌がやれやれと嘆息したところで『言の葉』が返ってくる。かワいイ? かワいい! ぼクはかわいい! 毛玉の上部分が雀躍として魔王に抱き着いた。数時間前、蹴り飛ばしていた魔王は何か、絆された様子で……。ふむ、確かに可愛いな。可愛くて、可愛くて、俺はどうにかなってしまいそうだ。待っていろ、近いうちに似合う服でも仕立てさせよう……。悪辣は時に反転し、別の面構えとやらをオコサマに魅せつける。魅せつけた結果、如何なるのかは想像に難くないが、今はこのぬくもりを甘受していると宜しい、悦ばしい。みテー! かわイい! ほら! カわいい! とっても良い事を毛玉は学んだ。かわいいをすれば『可愛がられる』のだ。拵えてくれた衣装は、ああ、誰に『似合う』ように作られたのか。見えてはいないのだから、そう、緑色の目で睨まれる心配もない。可愛いね、おお、可愛いね、膨れた頬の代わりの風船、容赦のないハートマークに誰かさんは目を回した。
ワンピースに添えるべきは綺麗な綺麗なお花だろうか。お花畑で摘まれた『綺麗』は無慈悲なほどに散りばめられた。こレもかわいイー? かわイいねー! かわいいほシい! もッとちょうだい!!! 成る程、こうした玩具や、こうした菓子類が好きか。もっと……? 仕方ないな。毎日毎日、餌をやるような感覚だ。欲しい欲しいと謂われた通りに『謂われた』ものを用意する。用意して渡し、用意して与え、用意して用意して用意して以下省略。まるで略式の処刑めいた反芻だ。反芻して反芻して、ふと、魔王は思い出す。そうだ、久方振りに串刺しとやらに励むとしよう。まあ、■■■■、わたしをこんなに放っておいて今度はおでかけかしら! 本当、素敵な素敵な獣だこと! お姫様が痺れを切らしたのか、魔王の腹辺りを突っついた。嗚呼……これが気になるのかい? これは鸚鵡だよ。ほら、触れてごらん。羽根がある……。この正気ではない魔王め。何処まで行っても正気ではない、愛しい愛しい魔王サマめ。おームだよ! おオむだよ! お姫様は一切を顔に出さない。顔に出さず、只、鸚鵡の羽根とやらを撫でてやった。まあ、いいわ。わたしは最後に選ばれているつもりだから、たとえ鸚鵡が、わたしの真似をしたって、構わないんだから! そうして可愛いは作られる。上部分の腕がクマのぬいぐるみを模し始めたのだ。はて、これは、俺は愛玩とやらをしていたのだろうか……。疑問を抱えながらの串刺しだ。少年も少女も何もかも、骸の海めいた何かを埋める、臓腑の入った袋の類にすぎない。
お姫様の眩暈は、お姫様に降り掛かっていた感情は、此処にきてようやく予想していた情念にブチ当たる。冒涜的な所業と筆舌に尽くし難い研究に追われ、さて、魔王は久方振りに正気か狂気を取り戻した。おトうさん! おとうさン! オとうさん! これは『何』だ。これは『何処から』迷い込んできた。これは『俺』の知らない、馬の骨ですらない糞のような何かだ。おお、哀れな憐れな出来損ないに佛は蜘蛛の糸を垂らさないのか。垂らす筈が無い。魔王も毛玉もお姫様も、誰も彼もが地獄の住民よりも地獄をしているのだ。オとうさん! あそボ! おとうサん! 騒がしい出来損ないめ、蛞蝓よりも蛞蝓らしい、狂ったカタツムリの酩酊め……む……ああ、そうだな。このような気狂いの産物など、地下牢にでも入れてしまった方が良い。可愛いは暴落した。大暴落だ。地下へと続く階段、ごろごろと、ころころと、いつかの如くに蹴り飛ばされる。おとうサん……お……トう……さん……。べしょりと停滞した身体。いいや、停滞したのは、沈黙したのは何もかもだ。這い上がろうと試みても、また、蹴り落とされる。獅子の子へと対処か、もしくは、痛めつけか。
悪意を以て罪を犯した者は如何様な嚢に閉じ込められる。汚濁を極めた海の底にて、さて、出来損ないは如何物の味を知る破目となった。こレ、おイしくナい。オいしクない。ルシぇラ、これ、もウ、たベたクない。漬物にされたオマエは石の重さを理解した。重くて重くて、最早、誰にも持ち上げられない裏切り者への贈り物だ。蛇に噛まれて燃え上がり、その度に、己の肉と骨を拾わされる。これが罰なのだと謂うのなら、神こそが唯一にして無二の盲目だ。化け物はあまり罪深くない。そう、可愛い可愛い犬を如何して蹴飛ばす事が出来ようか! おとうさん。おとうさん。どうして、ぼくをけってくれないの……? やっとの事で奇跡は起きた。起きたと謂うのに、魔王は永久に目覚めない……!
奇跡とは即ち『完成』である。キャンディとネクタイと、その他材料の『完全』である。これを使用すればお姫様は『肉の嚢』で遊ぶ事が可能だろう――その成功も、そのハッピー・エンドも、忘却の化身のオマエにとっては塵箱の中に放置された紙幣の束でしかない。
……おかしい。魔王は頭を抱えていた。最近、何故か廃天文台に知らぬ『埃』が存在しているのだ。地下牢は確か、そう、魔王が把握している限りでは『がらんどう』だった筈だ。それはともかく、研究がまったく進まない。何かしら、材料が必要なのはわかっているのだが、その、肝心の材料が如何にも『手に入らない』のだ。俺とした事が、まさか、何かしらを忘れているのか。莫迦な。俺のしている『こと』に間違いなど……? また地下牢の方が騒がしい。ひどく五月蠅くて、お姫様も如何やら辟易としている感じだ。……面倒な埃だ。掃除をするにも箒がない。いっそ燃やしてしまおうか。地下牢への戸口を開けたところで、目と鼻の先、埃が『牙』を見せつけてきた。あそぼう! おとうさん! あそぼう! 奇跡と共に大口を開けた『それ』に串の味を齎してやる。貴様! 痴れ者が! 貴様のような蛞蝓に、埃のような何かに、俺を喰らう権利などない。そもそも何故、貴様のような埃に父などと呼ばれねばならぬのだ。それに、貴様……俺を喰らった後、誰に『目を付けて』いた。度し難い! 殺す。殺すと決めた。貴様のような盲目には墓など不必要か! おお、世界が崩壊していく。正確には、地下牢が崩壊していく。巨大な巨大な神々の鎖によって封じられた囚人の末路が如く。おとうさん……おとうさ……おとうさん……たすけて……。何もかもは鳴き声だ。人の言葉を模して、鸚鵡みたいに、啼いているだけだ。
ほら、わたしの思った通り、あなたはこうなる運命だったのよ!
――天文台の地下には天使の死体が埋もれている。
成功
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