0
一滴、一筆、一色、旅路キャンバスにのせて

#クロムキャバリア #ノベル

メルメッテ・アインクラング



キリジ・グッドウィン





 街を造る鋼材、コンクリートを僅かに響かせて振動が伝わってくる。
 キリジ・グッドウィン(f31149)はクロムキャバリアの街並み――パースが重なり過ぎて雑多にも見える――に目を向けながら、聴覚を澄ませていた。届くのは街の至る所で拾える駆動音や人々の雑踏。
 同じようでいてひと時も同じでない色彩が街に流れ、過ぎ去っていく。
 そんな折、
「キリジ様」
 通り過ぎずにキリジの前に留まるような声。
 一瞬はっとしたような声の主は少し急ぐように駆け寄ってくる。
「もしかしてお待たせしてしまいましたか?」
「いんや、今来たとこ」
 急がなくていいことを告げるように、キリジは敢えて間延びさせながら姿勢をメルメッテ・アインクラング(f29929)の方へと向けた。
 どこかほっとしたような雰囲気を纏い、メルメッテはぺこりとお辞儀をした。
「それではキリジ様、本日はよろしくお願いいたします」
「あぁ、よろしく――っと。そうだ」
 今日は休日で互いに出掛けることになったはいいが、ふと目的地も無く待ち合わせていることに気付いたのは昨夜だ。
 このままぶらついても良いとは思うが――この辺りは割と何でもある。目当ての物があれば調達へと動いてもいいだろう。
「メルメっち、どこか行きたい場所とかねぇの? あるいは見つけたい物とか」
 キリジの問いにメルメッテが作ったのは一瞬の間。では……、と言葉切り出す彼女の淡く透き通るような乳青色の目は真っ直ぐにキリジへ向けられた。
「差し支えなければ、キリジ様が普段寄られるお店へ、私も行ってみたく存じます」
「……普段?」
「はい、普段、です」
 念押すようにこくりと頷き言われ、キリジの脳内は『普段』行く店をピックアップしていく。指折り数えるほど多くはない。
「俺の買い物なんざつまんねぇと思うけどな」
「それでも行ってみたいです。メルはつまらなくありません」
 言葉を切り出した勢いそのままのメルメッテはそう答えるが、次にはっとした雰囲気を伴い、やや前傾していた姿勢を引き戻した。
「……ですが、その、キリジ様にとってつまらなければ、そのように過ごす休日が休日とは呼べないものになるのでしたら他の――」
「ああ、いや、そんなことはねぇけど。来たければ着いてくるか?」
 いいのですか? とか、そういうふんわりとした間は置かずに、メルメッテは「はい」と頷いた。ほんの少し、弾みがついている。
「キリジ様、了承を頂きありがとう存じます」
 頭を下げて礼を述べるメルメッテに「いいって」とキリジは左の義手を軽く振る。

 メルメッテの願いを他愛なく受け入れてくれるキリジに、「行くか」と言って雑踏の中へ踏み出し進路をいざなう彼の背中に、先程自然と綻んだメルメッテの表情はさらなる『嬉しさ』に彩られた。
「メルメっち」
「は、はい」
 くる、と振り返ったキリジへ如何なさいました? という思いを込めてメルメッテは返事した。
「市場には良くも悪くも人が集まる……互いに猟兵だから大丈夫とは思うが」
 キリジは今日も、メルメッテに分かりやすいように工程や行程の説明をしてくれる。言葉ひとつひとつが、すっと沁み込んでくるようだ。
「いざって時は目印にしな」
 そう言って己の頭髪を指すキリジ。そこには喧騒に埋もれない鮮やかなマゼンタ。
「はい」
 メルメッテは素直に頷きを返した。


 生体活動を維持するために必要なのは栄養補給。
 メルメッテのお願いの通り、キリジが選んだのは自身がよく訪れる店。そこは食糧を扱う店だった。
「キリジ様はここで物資の調達を……? 私も適宜、買い出しを行っております。物の大きさや量によってはトラックを運転して行く場合もございますね。ご用命あらば存分に腕を振るいたく存じます」
「ま、今日は個人での購入のみだな。メルメっちも買って行くかい?」
 店内で扱えるかごを持ったキリジに倣うメルメッテ。
 キリジの動線には迷いがなく、手にする商品は「いつもの」物なのだろう。かごに入れたのはバー状の携帯食料……メルメッテも手に取って、真剣な眼差しでそれを確認する。
 彼の後を追って缶詰、レトルト食品と入れていけば、かごも重くなっていく。
 そのまま食べられるお手頃品のものばかり。商品は濃すぎない味付けのものを選んでいることに、メルメッテは気付いた。
 キリジについて知りたかったことの一つが巡ってきてこれは良い好機だ。
(「”味覚が鈍い”とは、キリジ様ご自身からお聞きして以来、心に留めておりますが――日常的に召し上がっている食べ物であれば食べやすさのヒントが詰まっているはず……」)
 味覚が鈍ければ味には頓着しないようにも思えるが、見ている限りキリジはそうではない。避けている品もある。……好みがあるのだ。もしくは判断。
「キリジ様。こちらの携帯食料らは、どのような観点で選ばれているのですか?」
「買い物の基準か……、味覚が鈍いからって腹壊さない訳じゃねぇから日持ちする物だな。だが、濃すぎる味付けは舌が痺れるので無し」
 『濃い味付けは無し』確りと心のメモに刻むメルメッテ。
「それと顎が劣化しないように噛み応えは重視する。並行して噛み砕き易さも大事だな」
「なるほど噛み応えも……。今後、キリジ様へ飲食物を作る際の参考にいたします」
 ざくざくが良いでしょうか、と知るレシピをリストアップしているらしきメルメッテを見て、キリジは彼女の名を呼ぶ。
「以前、メルメっちのサンドイッチは食ったじゃねぇか。アレは多分上手く作ってたと思うけどな」
「覚えていて下さったのですか?」
 予期せぬ言葉に目を瞬かせるメルメッテ。
 キリジの好みだという耳付きのサンドイッチを作った時のことを思い出す。
「ああ、『耳付きのサンドイッチ、カレー風味のチキン、野菜、セロリ入りの卵』、以前メルメっちが自分に作って持ってきたろ。そういうので十分だ」
 彼はサンドイッチの具まで覚えていた。すらすらとした喋りは記憶の再現までなされているあかし。
「ありがとう、ございます」
 メルメッテの跳ねた心臓はそう簡単に鎮まりそうもない。
 つい緩んでしまう頬に手を当てて、彼の今の言葉を、そして思い出を反芻する。


「こちらは……?」
 次に向かった先、その建物をメルメッテは不思議そうに見上げ呟いた。
 メインストリートから少し外れた路にある小さな建物だ。店の名前を表すプレートは珍しく手彫りのものだった。
「画材屋だな。この世界……この情勢だ、画材屋なんぞは儲からないんだが」
 地元民か常連ではないと訪れないであろう、分かり難い場所。それはキリジが複数回と訪れている証でもある。
「と、いうことは、キリジ様が絵を描かれる際の道具を購入されるお店、ですか?」
「ん、そう」
 扉を開き、慣れた様子で入っていくキリジを追いかけるメルメッテ。カランと音が鳴るドアベルは来客を知らせるものだ。
 扉を抜ければ、見慣れたクロムキャバリアの街並みから、見慣れない光景――メルメッテは目を見開いた。
 立てかけられた鉄製木製のもの、棚のペン立てには大小さまざまな筆、インクの備わってないペン、可愛らしい小さな瓶は色とりどりのものが揃っている。
 手帳のようなケースの中に並んだ錠剤のような固形物もひとつとして同じ色はない。
「すごいです……」
 小さく感嘆の声を上げてメルメッテは店内を見回す。初めてみる道具も多く、好奇心を掻き立てられる。
 この道具はどうやって使うのだろう、この刃物はどう扱うものなのだろう。
 そわそわ、きょろきょろと周囲を観察して思考して。
 「まだあったんだな」と店主に軽口を叩くキリジの声がどこか遠くに感じた。
 メルメッテはキリジと出会ってから色んなことを知った。『ここ』もその一つだ。この時間。様々な色彩がある世界。知ることができた『喜び』。
(「私は……キリジ様にお会いしてお話するまで、色付きの鉛筆が存在するとも、絵の具同士を混ぜれば異なる色を作れるとも知りませんでした」)
 ふと視認したのは見覚えのある色のペン――メルメッテは誘われるように、青色の鉛筆から色付きのペンが並ぶコーナーへ。
 ペンたちの前には色見本があり、そのどれもが綺麗で。
 その時、
「あ……」
 メルメッテは目に留まった色付きのペンへ思わず指先を伸ばした。
(「これは商品名でしょうか?」)
 色味にちなんだ名前が付いていた。声にしてみれば聞き慣れぬ音が自身から零れ出た。
 ……ああ、綺麗だなあと。目を細めて見つめる――けれど、冷たい水がいつまでも胸部に留まっているようなそんな感覚――指先が少し震えた。
 手にとってみたペンは一本だけ。けれども慣れない細さ、重さ、鉄のように硬質な素材ではないのに柔らかくもない。
「メルメっち」
 呼ばれて、はっとして。今日はこんな反応が多くなってしまっていることに気付きつつ。
「……あ。キリジ様。お買い物はお済みでしたか?」
 少し諦念を滲ませた表情でペンをそっと棚に戻した。
「ペン、買わねぇの?」
「……いえ……」
 キリジ様、メルは字も絵もかけないのです。そう話せたら。
(「キリジ様、メルは、主様から『それよりも優先的に覚えて磨かなければならない技能が多々ある』との教導を受けて今日に至っております。字は、筆記具を手のひらでぎゅっと握って腕を動かしようやくカタカナの名前を書ける程度。絵など尚更。買うだけ買って使わずに眠らせてしまうのも何かが違う気がして……」)
 そこまで瞬間的に思考するも口には出せなかった。いえ、とメルメッテの声がもう一度紡ぐ。
「メルが持っていても上手くかけませんから」
 圧縮した思考を解くことないまま、そう告げた。なるべく端的に。
 けれどもキリジは手を伸ばしてきて、メルメッテが持っていたペンを手にした。いとも簡単に。自然と彼女の瞳がそれを追う。やや羨望の色を潜ませて。
「描けるだとか書けないだとか気にする必要ないだろ。――ああ、これ、良い色だな」
 メルメッテが綺麗だな、と、感情的に思った色を、キリジは良い色だなと言った。
 何てことない響きなのに。それだけで、メルメッテの気持ちは違う場所へ飛んだように。
「キリジ様?」
「実際見てるだけで楽しいとかで買ってるのも見るし……まあ”主様”に無駄遣いすんなとか言われてるなら話は別だけどな」
 キリジが「ほら」とペンを手渡してくる。戻ってきた感触に、メルメッテの目は瞬いた。
「オレも最初は壁にぐりぐり適当に描いたりペンキぶちまけたりしただけだったぜ」
 ペンの隣のコーナーへ目を向けたキリジは絵の具を手にとった。先程の買い物と同じくかごへ入れる。
「練習するにしてもしないにしても、自分で買ったペンを試してみてもいいんじゃねぇ? オレもそうするし」
 適当にペン先を触れさせるだけでもいいし、色を混ぜてみるだけでもいい。そんなキリジの言葉後半は恐らく彼自身に向けたものでもある。
 キリジの目当ては絵の具とペンキだ。
「青と白……んー、あの壁に合わせるとしたら……」
 キリジの前には様々な色味の青と白があった。
「壁……ですか?」
「ああ、いい壁を見付けたからそれに合わせて――お、これいいな――次は滝を描こうと思ってる。全然水場じゃない所だけど、そこに滝があると面白れぇかもなって想ったんだ」
 言葉を紡ぐキリジの横顔を見上げれば、そこには夢があるような気がした。
 『ここ』より先に向かっていく夢だ。
「水のない所に、滝を……」
 メルメッテは想像する――脳裏に浮かんだのは、否、脳裏に描かれてゆくのは、音まで聴こえてきそうな、大きな滝の絵。
 それはとても、
「素敵」
 メルメッテは思わずといったように、ほわほわと。
「キリジ様、完成したらぜひ見せて頂きたく思います」
「お、じゃあ連絡する」
「はい。心待ちにしております」
(「キリジ様の素敵を見られる日が待ち遠しいです」)
 その間に、メルメッテもメルメッテなりの『素敵』を紡ぐことはできるだろうか?
 ずっと持っているからだろうか。ほんの少し、手の中にある一本に馴染んだ気がしてくる。
 キリジと出会い、メルメッテは今、『ここ』にいる。
「メル、やはりこちらのペンを買います。
 キリジ様のお話をお聞きしていたら、新しい方へ飛び込んでみたくなりました」
 良い色だな、と言って共感してくれた彼は、メルメッテが探しあてた『素敵』にも共感してくれるだろうか。
 不確実な未来だが、それはとても綺麗なものに思えた。

 画材屋を出ると時間はちょうどお昼時。
「もうこんな時間か。長い事付き合わせちまったな?」
 そう言って振り向いたキリジの目に映るは、何だか満足そうなメルメッテ。
 キリジにしてみれば自身の買い物しかしてない状態に近いが、メルメッテも同じ物、そして気になった物を買っているので結果としては良しだろう。
「昼はメルメっちの好きなモン食おうぜ」
「よろしいのですか?」
「よろしいよろしい。やっぱラーメン?」
「はい! 周辺に美味しいラーメン屋さんがございますので、そちらで!」
 抜かりなきチェックが入っている。声が溌溂としている。
「さすがメルメっちだな」
「ありがとう存じます。では、キリジ様、ご案内いたしますね」

 クロムキャバリアでの日常。
 いつもとは違った休日。
 今日はキリジを知る旅だった。そしてその旅のなかでメルメッテが購入したペンは、彼女の旅を綴っていくことだろう。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年09月09日


タグの編集

 現在は作者のみ編集可能です。
 🔒公式タグは編集できません。

🔒
#クロムキャバリア
🔒
#ノベル


30




挿絵イラスト