大学から車で1時間ほど行った県境に近い林のあたりに、曰くつきの廃墟があるらしい。
そこでは十何年も前にひどい殺人事件があって、当時住んでいた一家が一夜にして皆殺しにされたのだとか。
一家心中を試みた父親に家族全員が皆殺しにされたのだとか。
土地に棲んでいたよくないものに皆殺しにされたのだとか。
そんな物騒な噂ばかりがまことしやかに囁かれ、地元の人々の間ではそこは『皆殺しの家』と呼ばれている。
「今からそこに行くんだよ」
最年長のK先輩は、その日サークル活動に顔を出すといきなりそう言い出した。
話によると、毎年この時期に新歓を兼ねた季節外れの肝試し会をするのが通例なのだという。そんな馬鹿な、と思ったが、K先輩をはじめ、サークルの先輩メンバーたちは当たり前のように出発の準備を始めていた。
「マジ?」
「え、これ冗談じゃないんですか?」
「いいからいいから。乗んなよ」
「みんなやったんだからさ」
困惑する僕やほかの新入生たち数名を押し込むように車に乗せて、あれよあれよと言う間に唐突な心霊スポットツアーは開始された。
――出発した車は3台。各車の運転席と助手席には先輩たちが乗り、後部座席には僕と同じく急にこんなことに巻き込まれた不運な新入生が2・3名ずつ。
10人を超える大所帯は、夕暮れの国道を曰く付きの廃墟へと向かって移動を開始する。
「それでな。これから行く廃墟なんだが」
「そりゃもうでっけえ屋敷なのよ。旅館だったんじゃないかってくらいでさ」
「中はもうボロボロだけど、だからこそっていうかさ。肝試しにもってこいっつうか」
「で、そこでは昔――」
移動中の車内では、先輩たちが嬉々としてその廃墟にあるという『いわく』を喋り続けている。
遺産争い説。一家心中説。殺人鬼説。陰謀説妖怪説魔女説怨霊説。よくもまあこんなに出てくるものだと思いつつ、僕はどうしたらこの場から逃れられるだろうかということばかりを考えていた。
「あの、先輩」
道中、僕の隣に座っていた女子――Sさんがおずおずと挙手して言う。
「コンビニかどこか、寄れませんか。私、トイレに行きたくて」
「あっ、コンビニなら僕もいきたいです」
僕もそれに便乗した。
「なんだ、しょうがねえな……」
運転するK先輩は渋々といった風情を隠すこともなく、舌打ちしながらも次に見えた道路沿いのコンビニへと車を入れてくれた。
「10分だけな」
「はい!」
僕と隣の女子は転げるように車を飛び出して、駆け足でコンビニに入っていく。
そうしてから――僕らは顔を見合わせた。
「ねぇ……なんかさ、今日の先輩たち、変じゃない?」
Sさんは言った。僕は頷く。
「僕も絶対に変だと思う……けど」
「なんとか逃げられないかな」
「無理だよ」
「でも、このままじゃ私たち変な廃墟連れてかれちゃうんだよ……? 絶対危ないし、なんか怖いよ……」
「うん……それはたしかにそうなんだけど――」
なんとか先輩たちを説得して肝試しを中止にできないか。僕とSさんはああだこうだと話し合う。
――そんなときだった。
「……なあに? 廃墟巡り?」
突然、僕たちに声をかける人がいた。
「うわっ」
「だっ、誰です!?」
「あ、ゴメンゴメン。職業柄ね、気になっちゃってさ」
よく灼けた色の肌をしたその女性は、建築士を名乗り一枚の名刺を差し出した。
「ええと、建築士の……
潘氏、
天さん……?」
「
潘氏天。仕事でね、色んな土地の廃墟を回ってるんだー。ほら、古くて危ない家なんかは解体とか必要でしょ? その調査っていうか……。で、君たちが廃墟で肝試し、なんて話してるから」
「はあ……」
建築士か。この状況で僕らの助けになるのだろうか。僕はSさんと顔を見合わせる。
「遅ぇぞっ!!」
――K先輩がコンビニに怒鳴り込んできたのはそのときだった。
「もう時間過ぎるぞお前ら! 早く行かなきゃ
…………だろうが!」
K先輩はものすごい剣幕で僕らに迫った。
「おーっと……ちょっと待ってくれない?」
だが、意外なことにここで潘さんが間に入ってきたのだ。
「なんだ、あんた……」
「通りすがりの建築士だよ。話、ちょっと聞いたんだけどさ。……廃墟ツアーなんかやめときなよ。老朽化してる家だとフツーに危ないからさ。そういうトコは私とか専門家が立ち入り調査しないと――」
潘さんは冷静に道理を説き、K先輩に肝試しの中止を進言する。
しかし。
「うるせえッ! 行くぞお前ら!」
「うわっ!」
「痛っ……」
K先輩は耳を貸すことなく、僕とSさんの腕を掴んでコンビニの外へと引っ張った。かなり強い力で引きずられるようにして、僕らは車中へと戻されていく。
「……ふうん」
閉じてゆくコンビニの扉越しに僕が見たのは、口の端を僅かに吊り上げて笑う潘さんの――面白がるような笑顔だった。
――――コンビニでの一件から、およそ30分後。
僕らサークル一同は、目的の廃墟へと到着していた。
その廃墟は林道を分け入った奥のあたりに鎮座していて、周りに他の住居や人が暮らしているような家は見当たらなかった。
なんだってわざわざこんな人里離れた場所に家なんか建てたのだろうか。すっかり朽ち果てた屋敷の亡骸に、僕は元住民たちの暮らしを想像しようとした。
「よぉし、肝試しはじめっぞ!」
しかし、思索も束の間。僕の思考を阻むようにK先輩ががなり立てる。
僕とSさんは結局逃れることができずに、最初の挑戦者として廃墟へと入っていかなくてはならなくなっていた。
「さあ、行くぞお前ら!」
「はい……」
K先輩の先導で、僕とSさんは崩れかけた門の隙間から件の廃墟の中へと入ってゆく。
もうすっかり日も暮れて夜の帳が降りた中、僕らはK先輩の用意したフラッシュライトの灯りを頼りに闇の中を進んだ。
「玄関に入るぞ。……靴はそのままでいいからな」
くひ、と妙に上ずった笑い声を漏らしながら、K先輩は開け放しの玄関から廃墟の中へと上がり込んだ。
僕とSさんは顔を見合わせてから、先輩に続いて恐る恐る廃墟の中へと上がってゆく。
ぎぃ、と音を立てて床板が軋んだ。
「……」
「……」
ぎしぃ、ぎしぃ。
ぎし、ぎし、ぎぃ。ぎっ。
腐りかけた床板が重苦しく音を鳴らし、靴底越しに不安な軋みを感じる。
僕とSさんは静かに押し黙ったまま、K先輩の後について暗い廃墟の廊下を進んでゆく。
「……でよぉ」
その道中、K先輩が不意に口を開いた。
「この家にはな、6人住んでたんだよ。6人」
ぎぃ。ぎぃ。床板が鳴る。
「父親と母親、二人の娘と、母方の祖父母」
ぎぃ。
「父親は、婿養子だったんだけどさあ。そうすると、家の中でも弱かったわけよ、立場」
「あの、先輩?」
「義両親からは怒鳴られ妻からは疎まれ娘たちからは嫌われて……それで参っちゃったらしいんだよなぁ」
「それでさあ。ある日ぷっつり切れて」
「みなごろしにしたんだよ」
「先輩」
「みなごろしだよ。みなごろし。カヘッ! 手始めに、義両親が寝てるところにさ。包丁持って押し入って、ざくざく刺して殺したのさ」
「先輩!」
ぎぃ。
床の軋みが、止まった。
「それがそこの部屋だよ」
先輩が、不意に立ち止まる。
K先輩が示したのは、崩れてなくなった襖の残骸の奥に見えるぼろぼろの部屋だった。
「だからさあ。ここの部屋には“出る”んだよ。殺されたこの家の祖父母の霊がさあ」
「先輩、やめてください!」
いい加減にしてください。
耐えかねたSさんが、とうとう先輩を怒鳴りつけた。
「カヘッ」
しかし、K先輩はまるで意に介さず笑う。
「なあ、お前らも感じてるだろ?」
「なにを……」
フラッシュライトで照らされた先輩の笑顔がひどく不気味に見えて、僕はあとずさった。
「“いる”ってさ」
「やめてくださいよ、そういう冗談……ッ!」
そのとき。
靴底がぱしゃと音をたて、水溜りを踏んだような感覚がした。
「……!」
ぞっとして電灯の光を足元へと向けると、僕の靴底は赤い血溜まりを踏んでいた。
「なん、っ……なに、なんですかこれ!?」
「カヘッ」
思わず飛び退く。ぎゅいと強く軋む床板。僕は先輩へとライトを向ける。
「さあ、進むぞぉ……。まだお目通りにかなってないんだからなア」
じゃりっ。
「先輩、それ、……それ、何ですか!?」
先輩の首には、鎖が巻きついていた。
その鎖は、廃屋の通路の暗がりから伸びていて、ずうっと長く、長く――底知れぬ闇の先へと続いている。
「カヘッ」
先輩が笑った。
「さあ、いくぞォ」
ぎしぃ、ぎしぃ。
腐りかけた床板を踏みしめながら、異様な笑みを浮かべたままの先輩が僕とSさんに迫る。
暗がりの中から伸びた腕が、僕の首元に触れた。
「やめ――――」
しかし。
「はい。そこまでだよ」
そのときであった。
しゃりん、と。涼やかな金属音が響く。同時に風が廃墟の通路の中を吹き抜けた。
「ぎゃびッ!!」
かぁん! 激しい激突の音。僕たちの眼の前で、先輩が悲鳴をあげて板張りの上へと倒れ込む。
「……なに、これ。……昔のお金?」
呆気にとられた僕の横で、Sさんは床に落ちた一枚の小さな金属――中央に穴の開いた、一枚の古銭を拾い上げた。
「浄銭だよ。悪霊払いにはこれが一番効くんだ」
そこに、声をかける気配がある。
「あなたは……」
「や。無事だったみたいだね」
僕たちがライトを向けた先、そこには、先のコンビニで出会った自称建築士の女性――潘さんが立っていた。
「えっ、さっきのお姉さん!? なんで!?」
「言ったでしょ。私、こういう仕事だって」
戸惑う僕らの前で、潘さんはにこにこ笑った。
それから、潘さんは視線を巡らせて周囲の様子を伺う。
「でも、急いで追っかけてきて正解だったよ。ここまでの規模になってるとはねぇ……」
「あの……な、なんなんですかここ!? どうなってるんです!?」
「ゴーストタウンだよ。ゴーストの支配領域。この感じは……そうだね、たぶん強めの地縛霊かな」
「は……ええっ!?」
ここで潘さん――
潘氏天ことティエン・ファン(f36098)は、二人へと説明した。
幽霊。怪談。怪物。超常現象。そうしたあらゆる事象は真実であり、この廃墟のような
怪物の支配領域――ゴーストタウンはあらゆる場所に存在しているということ。
近年の
この世界は、世界結界の再生やオブリビオンの流入により
全盛期と同等か、それ以上にこうした不安定な場所が発生しやすい状況となっていること。
そして――自分は、そうしたゴーストの脅威から人々を守る
組織の所属であることなどを、である。
「ってことで、怪談話はここでおしまい。ここから先はお化け退治の時間だよ」
ティエンは昏倒した『先輩』の周りに簡易的な結界を結ぶと、大学生二人についてくるよう促してから
廃墟の奥へと向けて進み出した。
「ほ、ほんとに大丈夫なんですかぁ……?」
「大丈夫大丈夫。ヨンロク号とか宙見村とかいちご貴族とか……ここよりダンゼンヤバいトコいっぱい見てきたし」
「はあ……」
不安がる二人とは対照的に、ティエンは余裕ある態度で廃屋の中を進んでゆく。
――その途上。
『くるしいいいいいいいいいいい』
『いたいよぉ いたいよぉ いたいよぉ』
『おとうさああああああああん おとうさああああああああん』
「うわ……」
「ひいいい!」
障子戸の向こう側で、ゆらゆらと影が踊る。――父に殺されたという、娘たちの亡霊か。そのおぞましい怨嗟の声に、大学生二人が悲鳴をあげた。
「お、ちょっとよくないね」
一方ティエンは眉根ひとつ動かすことなく、その手の中で浄銭を鳴らした。しゃら、と涼やかな金属音。浄銭貫にティエンの霊力が通り、銭貫は剣の形状を成す。ティエンは浄銭剣を鳴らして、その霊力を周囲の空間へと放った。
『あ』
『あああああ』
『ああ――――』
――たちまち霧散する霊魂。空気が祓われ、大学生二人が落ち着きを取り戻す。
「大丈夫?」
「あ、はい……」
「なんとか……」
「おっけ。じゃ、行くよ。多分この奥がここの中心だからね」
「はい……」
そこから、ややあって。
『しいいねええええ』
『死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ』
『うらめしいいいいいいいい』
「ふぁ、潘さあん!?」
「うーん、わかりやすい地縛霊だね」
ゴーストタウン――廃屋の最奥部。
噂によれば一家を惨殺し、最後に家長であった父親が自ら命を絶ったという奥座敷にて、三人はゴーストタウンの中枢たる悪霊に対面した。
渦巻く憎悪の想念。『父親』の悪霊は三人を睨みながら怨嗟を叫ぶ。
「でも実はおかしいんだよ、これ」
しかして、ティエンは冷静であった。
「ここに来るまでに調べてきたんだけど――」
ティエンは、その手に銭剣を握りながら悪霊に対峙する。
「――この家で、そんな事件が起きた記録はないんだよ」
そして、剣を薙いだ。
『ぎいいいい!』
剣筋から迸った霊力が悪霊の霊体を裂き、傷を穿つ。
「えっ」
「で、でも! 実際噂通りの幽霊が……!」
「んー……多分だけどさ?」
おおおおお。叫ぶ悪霊が陰の氣を纏いながらティエンにその手を伸ばす。
「“乗っかってきた”だけの雑霊だよ、これ」
ティエン曰く。
ここに巣食ったゴーストたちは、この家に因縁をもつ怨霊などではなく――ただ、この家についた“いわく”を拠り所にして存在を得たそこらの雑霊なのだ、という。
「だから、それっぽいフリをしてるだけだし……ほら、“本物”と違ってこんなに脆い」
『ぎいいいいい!』
浄、ッ!
振り抜く銭剣の一撃が『父親』の姿をした悪霊を吹き飛ばす。――霧散する陰の氣。たちまち
廃墟からはゴーストの気配が失せてゆく。
「はい、とりあえずこれでおしまい」
そうして、ティエンは銭貫へと戻した剣をしまいながら大学生たちへと笑いかけた。
「皆、大丈夫?」
ティエンは廃墟の門の前で、集めた大学生たちへと呼びかける。
昏倒していた『先輩』もここに回収されていた。
「うっす」
「な、なんとか……」
除霊建築学に基づいた対処により屋敷内の陰氣が浄められたことで、大学生たちは皆正気に戻っていた。ここに後輩たちを連れ込んだ『先輩』たちは、いずれもこの屋敷の地縛霊に憑かれ操られていたのだ。それもまたティエンの手で祓われたのである。
「今後はこういう場所は気を付けてね。見つけたら専門家に連絡すること」
「はーい……」
そうして、此度の『怪談話』はティエンの講義と後始末によって幕を閉じる。
かくして帰ってゆく大学生たちを見送り一件落着と笑ったティエンは、次なる
廃墟を祓うべくして去ってゆくのであった。
成功
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