チョコレート・パニック!?
まだまだ冬真っ只中の二月。外ではぴゅうぴゅうと冷たい風が吹く。
そうした寒さとはかけ離れた、暖かい室内。北欧風の木目家具で飾られた、オシャレなマンションの一室。一見普通の部屋のようだが、アコースティックギターやそれなりに大きな滑車といった変わったものも置かれている。
ここは人とモーラットが、花嫁花婿として暮らす部屋。
ソファーにぽすんと座り、高崎・カントはテレビを見ていた。
『ハッピーバレンタイン! 様々なチョコレートが店頭に並ぶこの季節! 早速、チョコのラインナップを見ていきましょう!』
「もっきゅ~……!」
今日のワイドショーの特集はデパ地下のスイーツコーナー。次々と画面に映るのは、有名店がこぞって仕上げたチョコの数々。
まるで宝石。惚れ惚れと、カントは画面を眺める。
待ちに待ったバレンタインデーは、食いしん坊なカントにとって楽しみにしているイベントの一つ。ただしその理由は、おいしそうなチョコがたくさんお店に並ぶからではない。
「きゅいきゅい、きゅっぴ!」
——ゆーいっちゃんのチョコ、今年も楽しみなのです!
この日はカントの愛する人、ゆーいっちゃんが毎年チョコをくれる日でもあった。
最愛の人からもらった甘~いチョコレートを、二人で仲良く分け合って食べる。お腹も心も満たされる、とても幸せな時間がカントを待っている。
バレンタインにぴったりな茶色いチェック柄のマントを纏い、今日を楽しむ用意は万全。淡い赤の飾り紐も相まって、カント自身がラッピングされたボンボンショコラになったよう。
どんなチョコをくれるのだろう。コロコロとソファーの上を転がりながら、形や味を思い浮かべる。こうしてチョコのことで頭をいっぱいにするのも毎年恒例の過ごし方。
しかし、今年のカントはひと味違う。
キリッとキメ顔をして、どことなく自慢気なポーズでソファーに立つ。
「もっきゅ……もきゅもっきゅい!」
——今年のカントは猟兵……チョコだって買えちゃうのです!
ゆーいっちゃんの知らぬ間に、カントは猟兵として冒険を始めた。仕事をこなせばお金だって入ってくるわけで。
そんなこんなで、今年はカントからもゆーいっちゃんにチョコを贈れる。もちろんゆーいっちゃんには内緒。いわばサプライズプレゼントだ。
プレゼントするチョコはもうすぐ家に届く。甘いものマイスターを自称するほど甘いもの好きなカントが厳選した、見た目も味も最高の一品。どれもおいしそうで迷いに迷ったが、最後はほぼ直感に任せて「えいや!」と決めた。
「もきゅもきゅ……!」
まだかなまだかな。そわそわ身体を揺らし、耳と尻尾をぴょこぴょこさせる。
ちらりとテレビの時刻表示を見た。たった数分しか経っていない。早く起きてほしい出来事があるときほど、時間の進みは遅くなる。
気もそぞろになってワイドショーも頭に入ってこない。掃除でもして気を紛らわせようとしたが、見渡せば部屋はぴっかぴか。「ゆっくりする前に」と今日の掃除は終わらせてしまっていた。
「きゅぴぴ……きゅっきゅい!」
——チョコ、早く届いてほしいのです!
半ば助けを求めるように、カントはぎゅっと目を瞑る。
偶然にも、その願いはすぐに叶った。
——ピンポーン!
「お届けものでーす」
「もきゅ!」
鳴ったチャイムでソファーから飛び出し、ぴゅーっとカントは玄関まで駆けていく。配達員さんから小さな段ボール箱を受け取って、丁寧に包装を取った。
リボンを外し、綺麗な箱の蓋を開ける。
いよいよ、注文したチョコレートとご対面。
「……きゅ~~~い!!」
つやつやと輝くチョコの粒。仕切りの中で上品に、堂々と存在感を発揮する。
円に四角にハートの形。模様が描かれていたりナッツが載っていたりする中で、飾りっ気のないシンプルなチョコも特別に見えてくる。
期待通り……いや、期待以上!
「もきゅきゅぴぴ!」
目をキラキラさせて喜ぶカント。あまりの喜びに、身体が勝手に踊り出す。
「きゅいきゅっぴ♪ きゅきゅもっきゅ♪」
ぴょんぴょん跳ねて、その場でくるくる。纏ったマントもひらひらと舞う。
耳をぱたぱた、手もぱたぱた。鼻歌に合わせて尻尾だって揺れる。
「きゅぴぴ、もっきゅん!」
——これで今年はゆーいっちゃんにチョコを贈れるのです!
ただもらうだけのカントは終わり。今年からはお返しができる!
ゆーいっちゃんの驚く顔を想像して、嬉しくなってまた小躍り。
だが、カントは知らなかった。
恐るべき試練が襲いかかることを。
踊るカントの鼻先を、甘い香りがくすぐった。
「きゅ……?」
匂いに釣られて顔を向ける。
そこにあるのは、蓋が開けっ放しになったチョコレートの小箱。
甘いもの好きなカントが厳選した、見た目も味も最高の一品。
それが目の前に、手を伸ばせば届く距離にある。
とっても おいしそうな チョコレート!!
「きゅぴぴぴぃ……きゅーい……!」
——おいしそうなのです……食べたいのです……!
じゅるり。カントの口からよだれが垂れた。
そろそろ箱に近づき、ひょいと手を伸ばす。チョコを口に運ぼうとして——。
「もきゅ!?」
ハッと我に返り、持っていたチョコを手放した。
「きゅっきゅい……!」
恐るべしチョコの魔力。もう少しでつまみ食いをするところだった。
それでもなお、チョコレートはカントを逃がさない。
カントの鼻先を、甘い香りが再び掠める。
「きゅい……もっきゅ!?」
抗えない。またしても手はチョコへと伸び、粒を一つ持ち上げる。
輝く瞳でチョコに見とれては、バッと目を逸らして視界から外す。
ぶんぶんぶんぶん。身体を揺すって誘惑を振り払おうとするが、チョコは目と鼻の先から動いてくれない。
「もきゅい! きゅいきゅきゅもっきゅー!」
——ダメなのです! これはゆーいっちゃんにあげるのですー!
愛と食欲——その激突。
世紀の大バトルが勃発し、理性と本能の間でカントは葛藤する。どれだけ我慢しようと自分に言い聞かせても、掴んでしまった手は二度とチョコを放そうとしない。
「もももっきゅう
……!?」
窮地に立たされたカント。
自分がチョコを食べれば、ゆーいっちゃんにチョコを贈れない。
だが、チョコを食べなければこの食欲は解消されない。
思い悩み、下した判断は——。
「もきゅん!」
ぱくっ。
勢いよくチョコにかぶりつく。
食べないと満たされないなら、あえて食べてしまえばいい。その一口で満足すれば、犠牲になるチョコは一個で済む。
「もきゅもきゅーん……」
我ながら名案だと頷きつつ、ガリッとチョコに歯を立てた。
「もっきゅ~~~い!!」
口の中に広がる仄かな甘さ。優しく染み込むように、とろりと上質に溶けていく。裏側に隠れた微かな苦みがいっそう甘みを引き立て、滑らかに舌を撫でる。
落ちそうになるほっぺたを両手で押さえ、カントはチョコを堪能する。
「きゅぴきゅっぴ~~!」
——やっぱりおいしいのですー!
見立て通り、味は格別。これならプレゼントにも申し分ない。
時間をかけてゆっくりと、最後までチョコを味わい尽くす。チョコが溶けきって口の中からなくなっても、甘い風味は残っているように感じる。
……なんだか口が寂しくなってきた。
「きゅい……もきゅっぴ~~!」
こっそり、もう一つチョコをつまむ。あの味が蘇り、カントの心を掴む。
これが最後! 宣言するように強く念じても、時間が経てばチョコは口から消えてしまう。
「もぐもぐむきゅきゅい!」
ぱくぱくぱくぱく。
食べるペースも上がっていって、チョコはどんどんなくなっていく……。
「……きゅい?」
カントの手が箱の中にある仕切りに当たった。
改めて覗き込むと、入っていたはずのチョコはどこにもない。
「きゅ……!」
ぺろり。口の周りに付いたチョコの食べかすを舐め取ってから、起きたことに気付く。
チョコレートを全部食べてしまった!
愛するゆーいっちゃんに贈るためのチョコは、今ではすっかりお腹の中。
これではお返しができない。
背中を丸め、カントは空箱を見つめる。
ショックを受けて立ち直れなくなった——わけではない。
「もきゅーん……!」
きらり、カントの瞳が輝く!
——ピンポーン!
「お届けものでーす」
「もきゅ!」
待ってましたと言わんばかりにカントは駆け出す。受け取った段ボール箱を開封。
中に入っていたのは——二つ目のチョコレート。
「もきゅきゅう……!」
そう、最初からチョコは二つあった!
おいしそうなチョコが目の前にあったら、我慢なんてできるはずがない。自分の食欲のことはカント自身が一番よくわかっている。手元に置いてゆーいっちゃんを待とうものなら、すぐに食べ尽くすのがいつもの流れ。
ならば、二つのチョコを時間差で届くように注文すればいい。
手元になければ自分がチョコを食べる心配はない。そして一つ目のチョコでお腹を多少満たしていれば、届いたばかりのチョコにも手をつけずに済む。
賢いカントの考えた完璧な作戦が、今ここに完遂されたのである。
「もきゅきゅきゅっぴ!」
——これでチョコは守れたのです!
チョコレートの箱を高らかに掲げ、格好つけてくるっと一回転。できれば一つ目も死守したかったが仕方ない。
ドヤドヤッと誇らしげな表情でチョコを見上げていると、テレビの時刻表示が目に入った。
「……きゅ!」
いつの間にか、もうすぐゆーいっちゃんも帰ってくる時間だ。
「もーきゅもきゅ……きゅい!」
いそいそと段ボール箱を畳み、チョコレートはマントの内側へ。最後の準備を整えているうちに、空になったチョコの小箱の存在を思い出す。
「ももももっ……きゅっぴ!」
——ゆーいっちゃんには絶対バレちゃダメなのです!
真っ赤になったカントは大急ぎで空の小箱とリボンを回収。ソファーに置かれたクッションの下に隠し、自分もぽんっとその上に座った。
証拠隠滅。ドキドキしながら、カントはそのときを待つ。
玄関戸の開く音がして、それから陽気な声が響いた。
「カント君、ただいまー!」
「もっきゅー!」
カントの大好きなゆーいっちゃん——高崎・優一が部屋に入ってくる。
カントもソファーを飛び降り、駆け寄って優一を出迎えた。
コートや鞄を片付けてから、優一はいたずらっぽい笑みを浮かべる。洋菓子店のロゴが描かれた紙袋を鞄から取り出し、カントの前に屈み込む。
「ハッピーバレンタイン! カント君!」
「もきゅっぴ……きゅいきゅい」
「え? その前に?」
差し出された優一のチョコをじーっと見ながらも、カントはごそごそとマントの内側を探る。チョコレートを手に取り、今度はカントから優一へと差し出した。
「きゅっぴ!」
「カント君から俺に……?」
プレゼントされたチョコに、優一は目を丸くする。そこからぎゅっと、少し子どもっぽい笑顔でカントに微笑んだ。
「ありがとう、カント君!」
「もきゅいきゅっぴ、きゅぴぴぴぃ♪」
——ゆーいっちゃんに喜んでもらえて、カントも嬉しいのです!
サプライズ大成功!
ぴょんぴょん飛び跳ね、嬉しさからカントはまた踊り出す。
その様子を優一も微笑ましく眺める。ふと、ソファーにちょっとした違和感を覚えた。
クッションの下からはみ出す、チョコの空箱とリボン。
たったそれだけの情報で優一は事の顛末を察した。ずっと一緒にいるから、カントのやりそうなことはよくわかっている。
しかし、伝えるかは別の話。頷いてから、優一は立ち上がった。
「それじゃあ一緒にチョコ……食べちゃおっか!」
「もきゅっぴ!」
和気藹々とした空気の中に真実を隠す。
楽しいバレンタインはこれから始まるのだから。
「カント君……はい、あ~ん♪」
「もきゅーん!」
甘いチョコレートとともに、甘い時間は溶けていく。
「きゅっぴ、きゅ~い♪」
「はむっ……うん、とってもおいしいね!」
「もきゅっ!」
優一からカントへ、カントから優一へ。
無我夢中で食べるチョコより、好きな人と食べるチョコの方がおいしい。おいしいものを分け合えば、幸せだって分け合える。
大好きなチョコ、大好きな人、大好きな時間。
こうしてカントは、大好きがいっぱいのバレンタインデーを過ごしましたとさ。
ちなみに用意したチョコは、優一がくれた分も含めてほとんどカントのお腹に収まったそうな。
成功
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