玄武の極意は守勢にあり
時は今より約10年前、2013年11月――例年より、かなり肌寒い日のことだった。
「来るぞ!」
人狼騎士の少年が叫ぶ。直後、山のような巨体の猿めいた妖獣が怒号を上げて飛びかかった。少年を含め三名の人狼騎士が迎え撃とうと詠唱兵器を構える。
「危ないっ!」
咄嗟の声、そして稲妻のような速度でアビリティが放たれる。一拍遅れて凍てつく牙のような斬撃と射撃が、猿型の妖獣を仕留め……そこで三名の人狼騎士は、自分達が命を救われたことにようやく気付いた。
「ご無事ですか?」
若かりし頃の山吹・慧である。彼の足元には、狡猾な小鬼を思わせるやせ細ったゴーストが倒れ伏し、その場で詠唱銀に変じて消滅した。
「あの妖獣の影に隠れていたのか」
最初に妖獣の存在に気付いた少年騎士が呻いた。もしも慧が気付いていなければ、奇襲を受けて負傷……いや、小鬼が襲いかかったタイミングを思えば、そもそも魔猿の迎撃に失敗して総崩れになっていたか。
騎士の一人が感謝を述べようとした。その声を、他方からの苦悶の叫び声が遮る。
「くそっ、あっちも……!」
人狼騎士団の砦は完全に包囲され、執拗な波状攻撃を受けていた。声に気が急かされ駆けつけてみれば、予想通り狼型の妖獣に深手を負わされた少女の騎士が蹲っている。
「まずい……もうみんな消耗が激しいわ」
別の女騎士が呟いた。然るべき休息時間があれば、能力者は
ある程度なら体力を回復できる。だが敵は――原初の吸血鬼は、その間隔を読んだうえで配下を放っている。結果としてジワジワと体力を削られ、いつ戦闘不能者が出てもおかしくない状況だった。
「……僕が時間を稼ぎます」
口を開いたのは、慧だった。
「その間に、皆さんでアビリティによる回復と、出来れば休んで治療を……あと少し耐えきれば、援軍が来るはずです」
「待ってくれ。まさか、一人で凌ぐつもりか?」
少年騎士の言葉に、慧は無言で微笑んだ。それが肯定を示す。
「僕が倒されても、回復さえ出来ていれば援軍まで持ちこたえられるはずです」
「でも!」
「ひとつだけ大事なことをお願いしてもいいですか」
制止の声を遮るように、慧は続けた。
「実は、近くのレンタルショップでDVDを借りてまして……本当はここに来る前に返してから向かうつもりだったのですが、状況が状況だったものですから持ってきたままなんです」
こんな時に、何を言っているのか? 人狼騎士達は困惑した。
「期限が今日までなんですよね、『ザ・スペースアリゲーター』。延滞料金は払いたくないので、僕がダメだったら代わりに返しておいてください」
「待――」
「行ってきます」
慧はもはや構わず駆け出した。人狼騎士達は、止める言葉をかける暇さえなかった。彼らは顔を見合わせ、苦渋の表情で砦の内部へと撤退し、迅速な処置を開始した。
●
それからの慧の戦いぶりは、まさしく死物狂い。
「はぁ――ッ!」
大地を揺らす震脚で全身の経絡を巡らせた気を、拳から、詠唱兵器から放つ。遅れてドウ! と空気が振動し、壁のように聳えるリビングデッドを滅殺した。
「これで、10体目……!」
慧は汗を拭う。数が多い。ほとんど無傷で始まった戦いも、今や気力で奮い立つのが精一杯といったところだ。
周囲には数えるのも億劫になる量のゴースト。だがそれらが襲いかかることはなかった。
その理由を、慧はぞくりと肌を突き刺すような悪寒で知る。
「……やれやれ、どんな大軍が守っているのかと思えば、たかがガキ一人か」
包囲網が割れて、声とともに現れたのは精悍な偉丈夫である。年頃は3、40がらみで、煮え立つような闘気がゴツゴツとした上腕から肩にかけてを歪ませている。
(「敵の指揮官か」)
端的に言って、次元が違う。一山いくらのゴーストでは比較にならぬ武と、狂気の気配。吸血鬼が信を置く理由が拳を重ねるまでもなく察される。
「その技、似ているな。拳士か」
男の口元に笑みが浮かんだ。修羅の貌である。
「名乗れ、ガキ。雑魚どもの相手は飽いただろう? 死合ってやる」
「……山吹・慧」
「俺は
豪炎だ。短い生だろうが覚えておけ――!」
男が身を沈めた。直後、その姿が掻き消える。慧は殆ど第六感で無意識にクロスガード……重い一撃が叩き込まれる!
「噴ッ!」
「ぐ……ッ!?」
ガードが割られた。弾かれた両腕がミシリと軋み、尺骨へのダメージを感じさせる。だがそれ以上に、腹部にめり込んだ前蹴りの苦痛たるや!
「か、は」
苦悶の絶叫は漏れなかった。続けざまの拳が顔面を打ちのめし、きりもみ回転で地面に叩きつけられたからだ。慧は頭部粉砕の未来を直感し、地面を転がる。一瞬遅れて、ズン! と山をも揺らすストンプが頭のあった場所を踏み砕いた。
「どうした、ガキ! そこまでか!?」
慧は流れるように立ち上がり、アビリティを――否、豪炎がやはり速い。正中線を撫でるように衝撃が四度身を貫いた。なんという速度の連撃!
(「強い
……!」)
「ぬうんッ!」
抉るような剛拳が再び鳩尾を突き刺す。慧は目を見開き、どす黒い動脈血を拳大ほど吐き出した。内臓への重篤なダメージの証。
数メートル背後の大木に叩きつけられ、慧は一度気絶し、激痛で覚醒。受け止めた大木はメリメリとへし折れる。
「肩慣らしにもならんなあ」
豪炎は悠然と歩み寄る。朱雀の極意は一撃必殺。次がそれを体現すると肌で感じた。予想通り、全身を霞ませる踏み込みから心臓狙いの正拳が放たれ――!
……ドウッ! と、大気が銅鑼のように鳴り響いた。
「ぬう!?」
豪炎は呻いた。致死的打撃は、慧は鏡合わせのように繰り出した掌打で包むように受け止められていたのである。炎が掌を焦がそうとし、柔なる闘気に散らされる。それはまるで水と油のようだった。
「……掴みましたよ」
朱雀の極意は、一撃必殺。これまでの打撃はすべてその牽制に過ぎないことを、慧は察していた。ゆえに待っていたのだ、この一瞬を。
「貴様――!」
豪炎は苦し紛れに頭部破砕の拳を放った。それこそが間隙。慧の逆の手が、螺旋を描いた。
「……ぐぅおっ!!」
豪炎は先の慧のように逆側に吹っ飛び、地面を転がる。立ち上がろうとした拍子に、やはり拳大の血を吐いた。煙を上げる腹部には、掌打をねじ込んだ証がくっきりと刻まれる。
「これで、五分ですね」
「ガキが……!」
豪炎は血を吐き捨て立ち上がり……しかし、弾かれたように砦の方角を見やる。
「……チッ、弄び過ぎたか」
遅れて慧も複数の足音を感じた。人狼騎士団の援軍が間に合ったか。
「此処は預ける。貴様の名前、確かに覚えたぞ」
「こちらも、まだしばらくは覚えていることになりそうですね」
うっすらと笑う慧に舌打ちし、豪炎は配下とともに闇に姿を消す。一拍のズレを置いて、「大丈夫か!?」と鋭い誰何の声。慧はその姿を確認することも忘れ、膝を突いた。
「おい、死んでないよな!?」
駆け寄ったのは少年騎士だ。慧は辛うじて頷き、呟いた。
「あの映画……プロップの造形が甘すぎて、興醒めでしたよ……借りるのは、おすすめしま、せん」
「おい、おいっ!」
騎士達に体を受け止められ、慧の意識はそのまま闇へと堕ちていった。
成功
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