目を開くと真っ白い天井が見えた。
ぼうっとした頭のまま、視線だけをゆっくりと動かす。平らで白い天井。大きなシャンデリア。壁は見えたり見えなかったり。
屋敷の広い部屋に仰向けに寝ている。身体に感じる柔らかさから、多分ベッドの上。
少しずつ現状を認識して、ふと、思う。
――レアメタルバトルフィールドは?
コツコツと頑張って希少金属化した領地。自身がいたはずの場所、それとはかけ離れた光景に思考が混乱して。
「おはよう。お嬢さん」
そこに艶やかな声がかけられた。首だけを動かして横を向く。ベッドがギシリと重みに軋み、声の主である少年が近寄ってくるのが見えた。
肩の辺りで切り揃えられた金髪は、絹糸のようにさらりと揺れ。妖狐の特徴である髪色と同じ狐耳も、綺麗に整えられている。幼さの残る中性的な顔立ちの中で、緑色の瞳が柔らかく歪み、口元にはうっすらと笑みを称え。その繊細さそのままに線の細い身体に、シンプルながらも質の良い白いシャツを着ていた。
そんな少年をぼんやりと見つめるうちに。
記憶が溢れて来る。
私は帝竜『プラチナ』。希少金属に覆われた大地を統べる『金属生命体の主』。
彼は猟兵で。レアメタルバトルフィールドで戦っていた相手で。命令電波で操る複製体で挑んだけれども、その電波を断ち切られて……
「私は……」
それからどうなったのかが分からず、疑問の欠片が零れた。
この場所は戦場ではない。争いの気配のない場所。恐らく、大きな屋敷の中の一室、といったところ。自分でここまで来た記憶はないから、気を失っている間に連れて来られたのだろう。誰に? それは目の前の少年でしかありえない。さっきまで戦っていた相手。ということは、私は負けて、囚われた。さようなら、短かった自由。折角再孵化したのにまた隷従を強いられるのですね。
哀しい思考を巡らせているうちに、少年はすぐ傍まで近づいていた。
こちらを覗き込むように整った顔を近づけてくる。
「……私をどうするんですか?」
強張った顔で問いかけると、少年は笑みを浮かべたまま首を傾げた。
「あれ、忘れちゃった? 言ったよね。2人で一緒に自由を満喫しよう、って。
それとも、複製体は本体の記憶を共有していないのかな」
不思議そうな少年の言葉は、半分くらいしか頭に入って来なかった。
自由。その単語に気を取られて。
ぽかん、とした顔をしてしまっていた私を見て、少年はくすりと笑い。
「いいよ、何度でも言ってあげる」
私の左手を取り、持ち上げると、自身の頬へと摺り寄せた。
「愛する自由を教えてあげる。ぼくがちゃんと愛してあげるよ。プラチナちゃん」
柔らかくて滑らかな感触が左手に伝わる。
そういえばさっきは、手と手が触れた瞬間に拒絶するような何かが伝わってきていた。相容れぬ世界の法則、とでも言うのだろうか。敵同士なのだから当然のことかもしれないけれど。一瞬思い描いた幸せな光景を完全否定するかのような感覚。
でも、今、それはなくなっていて。
どうしてだろうと思う間もなく、頬を滑らせるように左手を動かされて、その甲に少し湿った柔らかな感触。艶やかな唇のキス。そのまま妖艶な赤が口元から覗き、ゆっくり味わうように舐めながら指先に向かうと、優しく咥えられて……
「……っ!?」
咄嗟に手を振り払い、慌てて左手を引き寄せた。
急に高まった心音が煩い。顔が真っ赤になっているのが分かる。
今のは何? 私、食べられました? でも痛いとか怖いとかじゃなくて、何だかすごくこう……恥ずかしい? あれ、でも、何が?
自分でもよく分からない動揺に混乱する間に。
少年の整った顔が目前に迫っていて。緑瞳の中に、困惑する私と妖艶な色が見えた、と思ったら。
唇が重ねられていた。
柔らかくて温かくて甘くて優しくて、愛を与えるような穏やかなキス。
でもそれは次第に愛を求めるかのように深く深く入ってきて。押し返そうと抵抗する両手は絡め取られて押さえられ、どう息をしていいか分からない苦しさのせいもあり、だんだん頭がぼうっとしてくる。
力の入らなくなった腕は、解放されても何もできず。腕を押さえる必要のなくなった繊手は、私の身体を滑っていった。腕から肩へ、そして胸元へ。
今の私には帝竜の装甲はない。か弱い身体を覆うのは、薄布のワンピースだけ。頼りなさすぎる防具は、滑らかな動きであっさりと奪い去られる。そして、遮るもののなくなった私の上を、手が撫でていった。
今までされたことにない触り方に、そして感じる温もりと気持ちよさに、心が奪われ、流されていく。このまま何も考えたくないと頭の芯がぼんやりしていく中で、どんどん気持ちよくなっていくことへの恐怖が、一瞬、身体を震わせた。
「や……っ」
反射的に零れた否定の声は、すぐに快楽にかき消されて。どんどん身体が熱くなって。もう止められない。止めて、欲しくない。でも怖い。私はどうなってしまうの?
纏まらない思考に困惑しながら、与えられる愛に呑まれて。自分でも触ったことのない場所に、繊細な指が、触れて。
「愛してるよ、プラチナちゃん」
囁かれた言葉が私を貫いた。
求められている嬉しさと。求めに応じてくれる嬉しさ。
次々と押し寄せて来る快楽の波に抵抗する意思すらかき消されていく。
これが、愛?
これが、自由……
言葉にならない声が聞こえて。それが私の声だと遅れて気付いた。
何て満ち足りた叫び。私の中にこんな音があったなんて。
驚き、そしてそれがさらに歓喜を呼んで。
満たされていく。
でも。
「ねえ、気持ちいい?」
耳元で甘く囁かれた問いかけに頷きかけて、ハッとする。
だってこの人と私は敵。戦わなければならない猟兵で、実際に戦っていた倒すべき相手なのに。それなのに。
必死に首を左右に振って、否定を示した。そうすることで、嬉しいと思ってしまった私を打ち消そうとした。けれども。
「そっか。まだぼくの愛が足りないのかな」
その人は楽しそうに、そしてぞくっとするくらい艶やかに微笑んで。
再びその身体が動き出す。私に愛を与えるために。
駄目。いけない。
拒絶しなければと思うけれど、そう思い続けるのが精一杯で。押し返そうとする腕の力は抜け。否定の声は弱くそして熱くなって、言葉にならなくなっていく。
敵なのに。相容れない相手なのに。
触れ合う肌を遮るものは何もない。世界の法則も、薄布の1枚さえも。
交わってはいけない存在だと証明するものは全て消え去ってしまっていたから。
「何度でも言ってあげる。何度でも愛してあげる」
甘い声が私の耳を震わせる度に。
柔らかな唇が私の白い肌に薄紅の花弁を散らす度に。
優しい手が私の身体を知り尽くしたかのように触れる度に。
熱い思いが注ぎ込まれていく度に。
少しずつ。でも確実に。
しがみついていた拒絶が溶かされていった。
「プラチナちゃん、愛してるよ」
「……セシル、さま……ぁっ」
そして、受け入れてしまえばもう後は流されるだけ。
心も身体も奪われて――いえ、自ら差し出し、捧げ、そして求めて、しまう。
気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。
快楽に溺れ、真っ白になった私に、愛が沁み込んでいく。それを望んでいく。
望むままに愛し、愛される。それを誰にも咎められない。
自由。
ああ、私は本当に自由になったんだ……
「おはよう、ぼくのプラチナちゃん」
目を開くと真っ白い見慣れた天井が見えた。
いつの間にか私は眠ってしまっていたらしい。
ぼうっとした頭のまま、優しく愛しい声へと視線を動かせば、嬉しそうなセシルさまの緑瞳が私を映している。
それをじっと見つめてから。私も、セシルさまに笑い返した。
そのままベッドの上に身体を起こすセシルさまに続いて、私も起き上がる。酷く重怠い身体に、何となく頬が赤くなった。
そして、セシルさまに寄り添うように、より近づこうとして。
ベッドの側に幾つもの人影があるのに私はようやく気付いた。
「紹介するね。ぼくの伴侶たちだよ」
……え? 伴侶?
ええええええ!? どういうことですか!?
セシルさまが1人1人紹介してくれる声は、聞こえているけれど聞こえない。
だってセシルさまは、私と結婚を前提にしたお付き合いをしてくれるはずで、だから私がセシルさまの妻であり伴侶であるはずで、セシルさまに愛されているのは私で……
混乱する思考の向こうで、セシルさまがその人たちに触れていく。私に触れてくれたのと同じように、優しく、甘く、艶やかに。
やだ。いやです。駄目っ!
嫉妬という言葉すら分からないままに、反射的にセシルさまを取り返そうと、動こうとするけれども。その前にその人たちは、セシルさまと一緒に私に近付いてきた。
咄嗟に身構え、身体を硬くした私に、幾つもの手が優しく、甘く、艶やかに伸びて。幾つもの快楽が同時に降ってくる。
セシルさまに教えてもらった喜びが、一度落ち着いていた火照りが、どんどん私の中から引き出されて。何が起こっているのか理解できないままに、嫉妬心すら溶かされて、また溺れていく。溺れさせられていく。
「みんなで愛し合おう。自由に、ね」
囁かれた言葉に、ぞくりと背中を走ったのは、喜び。この状況をセシルさまが喜んでいると分かったから。私も嬉しいと思って、しまう。
いや、でもやっぱり、セシルさまが他の人を愛するのは嫌だし、他の誰にもセシルさまに触れて欲しくない。私だけを愛して欲しいし、私だけを感じて欲しい。
なのに。それなのに。
そんなに嬉しそうな顔を見せられたら。そんなに気持ち良さそうな声を聞かされたら。
幾つもの快楽を絶え間なく与えられ続けたら……
「愛してるよ、みんなに愛されているプラチナちゃん」
数多の温もりの中で、私は、セシルさまの玲瓏の声に幸せな笑みを浮かべていた。
成功
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