赤、赤、兵どもを睥睨した。
蒼々と蓄えられたエネルギーは、まさしく、魔の王を運ぶに相応しい。
友はよく笑っていた。笑っていた筈なのに、嗤う事しか出来なくなった。
火と硫黄を扱っていたのは蛆虫の類だが、天使の喇叭を構えていたのは似非な死体だが、兎も角、愉悦と謂うものは時に棚からの牡丹餅よりも甘く甘くやってくる。瓢箪から転がり落ちた甘露を口にしてゆっくりと舐るサマは何処かネクタイへの冒涜とも解せるほどだ。されど、このサマこそが、普段の狂気に狂気を塗りたくったかのような魔王を只のひとつのオブリビオンに、悪霊に、当て嵌めてくれるのだろう。まるで甲冑を身に着けた騎士が如く。まるで槍を構えた衾が如く。嗚呼、先頭で指揮を執っているのか、或いは後方で戦略を練っているのか。何方にしても魔王よ、オマエの脳裏にしがみ付いているのは辛うじて嗤っている過去の軍勢だ。おお、確かにオマエこそがオブリビオンだ。忘却されても尚、この一連の物語を、ストーリーを反芻するかの如くに剥がしていく……。
罪には罰を与えなければならない。たとえ、餓死の危機に陥っていたとしても他者の『もの』を奪ってはならない。蟻の一匹でも踏み殺してしまったら終いはきっとロクなものにはならない。それが悪気ない、純粋無垢からやってくる泥なのだとしても、いや、寧ろ其方こそ真の罪なのではないか。彼は足蹴にした。何度も何度も『化け物』を痛めつけた。成程、化け物を狂わせるほどの『化け物』を意識喪失させたならば彼はまったく英雄だ。英雄? 英雄だと……? その言葉を俺の前で使うと謂うのか? 反吐の代わりに、ヘドロの代わりに酷使される獄炎。只、莫迦みたいに燃やすだけなら楽だった。魂を貪り尽くすだけの点火なら面白かった。だが、如何だ。獄炎は、チロチロと蛇みたいに舌を垂らして罪深い『もの』を突くのみ。炙って肴にでもするのだろうか。いや、なに、今の俺は俺が思っているよりも機嫌が麗しいのだ。不思議と、憤懣に塗れていても、犬のように叫ぶ気分にならない。そうだ、先日の楽しい愉しい戦場で俺は結構な満足を得たのだ。なあ、貴様、罪深い馬の骨よ。知っているか? 戦は愉快だ、愉快でいて収穫祭だ、故に気分が昂る……。皮は既に真っ黒い。中の肉は良い感じに焼けているか。骨は未だに己を健全だと主張している。そう、骨を断つ音だ。最初は『それ』を好いていたのだ。故に、槍斧を揮っていた。
振るう得物が指揮刀に変わっても態々、持ち替えていた所以は『音』も勿論だが、何よりも、俺はあの死線が好物だったのだ。埃っぽい書物の海に、真っ暗い骸の海に溺れるうち、久しく忘れていたのだが、刹那の内に認めてしまった。これはあの男の、俺の父上の譲りとも謂うべきかね……? ああ、貴様、馬の骨の柔らかさでは到底味わえない、この世のものとは思えないほどの刺激だ。闘牛士なんぞでは喰い尽くせない、文字通りの肉の林なのだ。懐かしき哉、赫々としている、イメージとやらの底ですら作り出せない凄まじき紅蓮の地獄。針の筵を共に駆けた黒い四足の蹄持ちは、先日も地獄より、骸の海より俺の元に舞い戻ってくれた、忠実なあれは――果て? 神意に訊ねたところで、閻魔に訊ねたところで、何と呼んでいたのだったか答えてくれぬ……。ああ、丁度だ。貴様のこの足の部分だ。途轍もなく黒く染まっているが、これよりも『黒い』のだ。美しいだろう……? だが、馬と謂う獣は無論、馬の骨よりも、蛆虫よりも余程に役に立つ。いや、撤回しよう。天と地ほどの差が存在すると断言しておく。ああ、だと謂うのに『あれ』も……あの日、英雄どもの誕生の日、俺の目の前で焼殺されてしまったのだったか。何の罪のない生き物を『魔王の遣い』として『魔女の下僕』として……忌々しい馬の骨どもめ……奴め……。嗚呼、貴様、俺はな、これでも勉強家なのだ。とある世界の文献に載っていた拷問や処刑法を組み合わせて『飽き』が来ないようにもしているのだ。如何だ? 牛ではなく馬のような、気高き鉄製に抱かれて音楽を奏でる最期は……。何? 嫌だと? 嫌だとしても、良しとしても、貴様の場合は『罪深さ』が度を超えている故、そう易々とは慈悲を与えられると思うなよ……。
生前……あくまで生前、だ。俺はあの男の教えの通りに、父上の言の葉の通りに、戦場で何ひとつ卑怯の謗りを受けるような真似もしなければ、捕虜も人道的に扱って来たし、掠奪も拷問も私刑も許さなかった。そう、そのような屑どもは一匹残らず『罰』を与えたし、邪知暴虐を極めた輩は即刻首を落としてやった。で、あるのに。まったく、あの薄汚い馬の骨ども、肥溜めに巣食う蠅どもは全てが全て正反対の仕打ちを俺と彼女にしてくれた。……嗚呼、憎たらしい。嗚呼、忌まわしい。生け花を得意とするならば、先に、俺がやってしまえば良かったのだ。オブリビオンとして今目の前に現れてくれたなら喜んで同じ沙汰をくれてやるものを……。「誑かしの化身め、売女め、父親に買われた、飼われた獣め……!」真実が如何で在れ、コキュートス、ユダは英雄として崇められた。
二度とない、最早ない、と、大きな大きな鴉どもは、蒼白なカタツムリどもは宣うが、何事も遅すぎるなどと謂う事はない。ああ、わかるか? 生意気にも未だに肉と魂を持っている当世の馬の骨どもに俺は意趣返しをしてやるのだ。猟兵としての経験、ビハインドとしての情念、これを以て「してやれる」のだ。生きているのなら何だって、否、死んでいようが『魂』が在るのであれば何だって構わない。俺より弱かろうと強かろうと、善かろうと悪かろうと、悉くは俺と彼女を殺した世界の、全世界の一部で、俺と彼女に仇なす気触れどもだ。それに、それら『全』を貫き、焚べて、俺と彼女の糧にするまでは安寧とは解せないのだ。この卑怯者め! この臆病者め! 何処までも自分勝手な、自己中心的な、漿液までも骸の海な魔性の奴隷め……! 何故と問うか? 窮鼠は稀に猫を噛むのだ。
吐き気や眩暈を催す程度には『窮鼠』はおぞましい。いや、窮地に晒されていない鼠でも油断は大敵なのだ。傲岸不遜の成れの果てで息絶えた馬の骨など何匹存在した事か。そうだ、貴様だ、貴様のようなイカレタ小僧が時に脅威と、驚異と見做されるのだ……。なあ、まさか、耳を失くしたとは謂うまいな? 馬の骨よ、嗚呼、未だ意識はあるのだな。何よりだ。殺してくれ? さっきも誓ったが『俺は優しくない』のだ。話を聞くから? 奇妙な事を口にする。貴様はアレか? 馬の骨のクセに俺を異常者だと思っているのか? さて、貴様が喧嘩を売ったのは、蹴り飛ばそうとしたのはこうした「化け物」だよ。くだらぬ好奇心は満たされたか? 村の連中に報せる準備は出来たのか? 未だ々だ長い付き合いになるのだ、永い付き合いになるのだ、ありがたく、悦ばしく甘受し給えよ……。
さて、言の葉を吐き散らかしつつ、クソガキを炙ったり、突いたりと忙しない魔王よ。此処にきてオマエは奈落から楽園へと引っこ抜かれた亡者が如き閃きに衝突した。それにしても、彼女の身体をつくるのもどうや。これはもう一度考え直した方が良いのではないか。そう、貴様のような馬の骨までがより一層彼女に干渉出来てしまうのは……。ふむ。この示唆には礼を謂おう。貴様が存在しなければ、俺はおそらく、取り返しのつかない状況に陥っていたに違いない。おお、想像すればするほどに最悪だ。別の馬の骨に、再び、骸の海へと還される彼女の悲痛……! 礼として少し治療でもしてやろう。生憎と心得は無いが、貴様、お医者さんごっこは好きな筈だ。テキトウな人形から剥いだ皮やら肉やらを貼り付けて魔力を注いでやればひどく雑な再生。これで、貴様が完全に死ぬ事はなくなった。無論、これは『贈り物』なのだ、受け取るのが貴様の最大の償いと知れ。何? それでも死にたいだと? 死んだら貴様の家族に後を引き継いでもらうだけではあるが、やはり、それでは俺の気が治まらん……。
ブクブクと泡にまみれて、ひとつひとつ、消え失せる際の音を自分と定めた。グズグズと痛む頭を、脳を、如何にかして元に戻そうと、意識を取り戻そうと藻掻いているかのような幻想。女は横たわっていた。女は蒼白とした儘に転がされていた。元の木阿弥なんてのは誰だって厭なのだ。そう、女はきっと、この腐敗こそを、肉こそを愛おしく思っていたのかもしれない。――人間の歓喜とは即ち、それ、何者かとの堕落である。
阿鼻叫喚は地獄だが、嗚々、ファム・ファタールの振盪こそ恐ろしい。
成功
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