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花見世を歩けば

#サクラミラージュ #ノベル

ハノア・シュルストロップ




 きりりと冷えた正月の空気には、心身の引き締まるような清々しさがある。
 サクラミラージュ・浅草。春となく秋となく咲き誇る淡い桜が枝を差し掛ける仲見世通りに、ハノア・シュルストロップは立っていた。ぱちりと瞬く緑の瞳には、晴れ着に身を包んだ人々が行き交っている。
「随分な人手ね……」
 ここを訪れた背景に明確な理由があったわけではない。行きつけの魔導具工房を――その所在は、企業秘密であるとして――訪ねた帰り道、人の流れに沿って街を往く内に、なんとはなしに足が向いたのだ。それは新年の訪れを祝う人々の朗らかな活気に知らず心を惹かれたからなのかもしれない。
(「ここなら、知り合いがいるわけでもないし」)
 彼女の姿を見るなり『嫉妬の魔女』だなどと囁く者も、ありはしない。
 ぱちんと一つ指を鳴らせば、桃色のエプロンドレスは鶯花の艶やかな振袖に変わり、波打つ長いオーロラの髪はくるくると巻いてシニヨンをつくる。一瞬の魔法に魅せられて振り返る通行人を一人、二人背に残し、魔女は粛々と歩き出す。すると。
「可愛らしいお嬢さん。よかったら覗いていきませんか」
 声を掛けてきたのは、一人の老婆だった。品のよい身形をした彼女はすぐ傍らの雑貨屋の主人であると見え、店先に並んだ簪を視線で示して続ける。
 魔法で団子にした髪には、確かに何も飾ってはいない。これなんかどうかしらと、にこやかに差し出されたのは――。
「……緑は……」
「あら、好きじゃない? 眼と同じで・・・・・綺麗な色なのに」
 石英で模った桜の小花と緑の蜻蛉玉が可愛らしい、銀の二軸の飾り簪。そろそろとそれを受け取って、娘はほのかに目元を染める。
(「……綺麗?」)
 鏡に映る自分の目を、綺麗だなどと思ったことはかつてなかった。けれど――雨に濡れた森のような青みがかったこの緑を、名も知らぬ老婆は美しいという。
「じゃあね、こっちはどうかしら? 後はこの玉簪なんかも、若い子に人気で……」
「あの」
 別の棚を漁り始めた店主の腰の曲がった後姿を呼び止めて、ハノアは言った。
「……これにするわ」
 ぼそりと告げれば、老いた店主はあらと両手を合わせて嬉しそうに微笑んだ。
 支払いを済ませ、緩く巻いた髪束に耀く緑を挿し込んで、魔女は再び雑踏の中へ踏み出した。見知らぬ街の見知らぬ人々に抱かれ、無銘の簪を飾って歩くこの間は、魔女と謳われた娘もまた、うら若き一人の乙女に過ぎないのだ。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2024年01月17日


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挿絵イラスト