かぐわしき芽、鮮やかな萌葱
ささやかなメッセージが、小さな手によってネットワークの海に流される。
430>みんなは、自分の自由について、考えたことはありますか?
宛先はかなた。
うまれた星のように散り散りになってどこかの同朋たち。
メッセージを流す手つきはどこか曖昧だ。
中身も意図をもってして特定性のほぼ全て欠けていた。
だから、誰かが受け取っても未読になってまたネットワークに漂ってしまう。
430>わたしは、さいきん、よく、考えます。
430>わたしたちは、兵器用のAIであり、プログラムです。
だから、焦っている……のかもしれません。
◼️
『あのう、
ドク?』
それが自分の呼称であることに、セプリオギナ・ユーラス(賽は投げられた・f25430)はやや間を開けて気づいた。
「なんだ」
返答する。
眉間には深い皺。その手にあるのはグリモアベースで報告されるあらたな情報、展開を彼なりにまとめ今までに結びつけたもの。
午前の診察が終了したわずかな隙間でも、考えるべきことは山ほどあった。
『あ、う』
幼い声が露骨に動揺しはじめる。
セプリオギナは視線を上げる。
正面。
声の主。
『う、えと』
少女、下手をするともっと幼い丸みのある声。
黒い正六面体の機械。
その中にはひとつのAIが入っている。
パッケージ名:Type-C:F-A・BSs。
生まれ出でられなかった子供をベースに作成された兵器補助AI。
セプリオギナの『患者』として、とある戦場から回収してきたちいさなこども、のようなものである。
『すみません……』
F-A・BSsは緊張に固まった声は謝罪を結び、一度沈黙する。
セプリオギナは無言で書類を片手のまま正六面体の機械を眺つづけた。
単純に謝罪の意図が理解できなかった。あるいは声掛けの“すみません”だろうか?
『どく』
いつまでも次を告げないセプリオギナに、F-A・BSsは恐縮しきりの様子で発声を再開する。
『
医師様と、お呼び……しないほうが良かったですか。やっぱり、』
どうも直感の通り“申し訳ない”だったようだ。
「いい」
セプリオギナは率直に返しつつ、浅く目を閉じて空いている手で自らの眉間を撫でた。
慣れない呼称で呼ばれるとつい反応が遅れてしまう。
「好きに呼べと始めに言ったはずだ」
悪い癖の自覚はあるものの、改善方法の見当がつかないことのひとつだ。以前にもそれで相手に不審がられたこともあった程度には課題なのだが。
不審を抱かれると挽回に苦労する。
つんとこちらを突っぱねて見定めるような瞳を思い出す。
拗らされてしまう厄介さは、身にしみて理解していた。
「不適切な呼称がお前から出たとすれば、俺からの入力に何かしら誤りがあったというだけだ」
よってセプリオギナは入れた補足に追加で補足を添えた。
名誉へのこだわりなど微塵もないが、信頼は時に治療行為へ大きな影響及ぼすのだから。
「非は俺にある」
断定的口調で言い切る。
セプリオギナなりの相手の非を否するための懸命なフォローであるが――返答は八秒以上の沈黙。
懸命なフォローの結果が芳しくないことにため息を堪えつつ、セプリオギナは書類をデスクの引き出しに納めた。知り合いの猟兵の苦笑が目に見えるようだ。
「それで?」
彼女と向き合い、先を促す。
『……えと、それで…』
信頼関係は完全な崩壊状態、というわけでもない。
黒い正六面体の機械は、おそるおそるの調子で発言を再開する。
『それで……その、
医師様は……』
通信用端末のスピーカーから出る音声はどこまでも柔らかく、幼い子どものように迷いに満ちている。
『わたし、の』
声音は絞り出すような調子だ。
この子供は――この患者は、いつもこうして何か息を詰めて声をひそめるように話す。自らの存在にまどうように。
『わたしの、ことで、かふか……過負荷を、うけて、いません、か?』
そうしてセプリオギナ“が”、“つらい”のではないかと、問うた。
――……。
今一度、ため息をこらえる。
「……そう、見えるか」
なんとか――そう、なんとか、角のない言葉を選択する。
沈むように深く深い、昏い黒の瞳を、再び瞼で覆い隠す。
『は、……はい』
ためらいがちではあるが素直な返答が聞こえ、セプリオギナはもう一度黒い正六面体を直視する。
普段は通信用に使用している彼の端末の一つ。
今は複数機を並列接続することで大容量の情報処理を何とか賄っている。
『いえっ』
セプリオギナが目を開けると即座に否定が来た。
「どちらだ?」
目を細めて機械を眺めやる。
自らのこの仕草が自分の思う以上に冷たい印象を与えるものであるという認識を最近改めて抱いているが、しかし患者を眺めないことには何も始まらない。
対して彼女は端末のセンサーにどれほどの感度があるかと言えば――確かに視線と眼球の瞳孔を細かく知ることが出来る程度ではあり、
『……いえ、すこぅし…そう、かなと』
セプリオギナに滲んだ苛立ちを正しく分析して、正しく発言する程度には彼女にははっきりと協力の意思があるのだった。
「――…」
結局、セプリオギナは堪えていたため息を一度に吐き出した。
正六面の立方体が露骨に萎縮する。普段使用する他端末からは聞いたことのない微細な電磁音と接続された補助機のタービンの沈静化。
らちが開かない。
セプリオギナは結論づける。
のらりくらりも厄介だが、こうした手合いも相当に厄介だ。悪意が無い患者は非常にやりづらい。
こうも互いにストレスを受け合う中では意志の疎通や協力が可能でも回る賽も回らない。
八方塞がりという単語が浮かぶ。この場合は六面塞がりか。訂正をしてみる程度には余裕がない。言葉遊びに興じる趣味はないのだ。どこかの誰かと違って。
「――では」
どろり、と。
眉間に皺を寄せた男はカタチを変えることにした。
ほんの数瞬きの前に男が座っていた椅子に六面体がおさまる。
かろん、という音はしないが、椅子の都合上、少しだけ傾ぐ。◆。
正立方体。
巨大な黒い賽子。
向かいの立方体をもう少し大きくしたようなもの。
ブラック・タール。あるいはそれに伴われる黒い霧。
「もう少し、お互い、リラックスするところから始めましょうか」
医者ではなく、医療における補佐者としての彼である。
心なし声すらどこか和らぎ、知らなければそも同じ声と気づきもしないに違いない。
全くの別人だと思われることもしばしばだ。
『は、はい』
彼女の声音も露骨に和らぐ。『……その』しかしそれも一瞬で、またすぐに収縮する。
『ごめんなさい。りーだー 』
「謝ることはありませんよ」
人間用の椅子は六面体には若干収まりが悪いので、自らの大きさを少しばかり調整しながらセプリオギナは答える。
セプリオギナのこの切り替えは。
変質、変容のようでいて――事実ただの“改変”である。
男の本質は変わらない。
六方塞がりの振れぬ賽だというのなら振れる賽に変えた、それだけのこと。
「機器の調整の為とは言え、まだ見慣れない姿で対応しようとしたわたくしに非がございます」
よって、姿を変じても、言うことも、言いいだすことも、内実はさして変わらないのだが。
『いえ、わたしにも、至らないところが、ありました』
それでも、先ほどよりは穏やかに受け入れられたようである。
「まずは、そうですね」
椅子に収まりの悪かった右後ろの角がようやく落ち着いたので、セプリオギナはそのまま話題展開を続行する。
「わたくしからいくつかの取り決めを提案致します」
『ふぁい?』
彼女から素っ頓狂な返答が溢れるがセプリオギナはこれをスルー。
セプリオギナの本質は変わらない。
かわらないが切り替わる。
どうなるかというと――
「一つ、貴殿の所有権に関して、わたくしはこれを放棄します。二つ、わたくしは少なくとも当診療所において貴殿をいち患者として扱います。他の患者と何らの区別も致しません。三つ、貴殿が当診療所を離れたいとお思いになった際にはいつでも貴殿はその権利を自由に行使できるものと致します。事前相談や事後承諾の必要もないものとします。最後に、これらの取り決めに疑問を持ち、或いは取り決めを破棄したい場合には今すぐお申し出ください。後からの変更も可能ですが、
今決めてしまったほうが早いですからね」
――こうなる。
プレイング1回分くらいの長台詞が流れていった。
もちろん聞き取りも理解もできる速度で。
『ふあっ』
対する彼女は情報量の多さに呆気に取られたのがありありとわかる相槌を打ってタービンを回した。思考を回しているのだろう。電磁音が再び唸る。
『ふぁい
……??』
聞き取りと理解ができても飲み込めるのはまた別だ。
「どうぞ、情報の整理を」
曖昧な返事を繰り返すF-A・BSsにセプリオギナは柔らかく言い含めて待つことにする。
『ふぁい……』
医者の彼では成し得ない速度だ。
さすがは荒野でモヒカン相手にバイクぶん回した正六面体、やることが違う。
セプリオギナが説明し聞き届けねばならない意見を伺うまでの過程を見事に説明しきっていた。
その上あとは相手が回答するところまで理論を詰めて話し終えている。
……医者の彼が正面を問答無用で通すなら、補佐者の彼は隙間をすり抜けるのだ。穏やかなようでいて割と豪速で。
パワフルな問答無用か、テクニカルな問答無用である。
『ええと、
看護師長様、確認です』
「いくらでも」
『“お好きになさい、補佐します”、と聞こえます』
「大正解です」
ピンポン!と音が鳴らせるならセプリオギナはそうしていた。「素晴らしい」『ありがと、ございます……?』
――…。
「わたくしのスタンスは変わっておりませんよ、F-A・BSs殿」
理解も飲み込みもしたものの、受け取りに困っているらしい彼女にセプリオギナはそう添える。
「あなたのカタチも、ゆくさきも
――カルテの都合上、今はパッケージ名で失礼しておりますが、無論、名前も」
そうとも、セプリオギナは何も変わっていない。
戦争に、ほのおに、生まれにがんじがらめになって、
黒い棺以外のゆくさきを知らず尽きるはずだったいのちに、ひかりの場を与えたいだけだ。
「なにもかも、あなたのしたいようにして頂きたいのです」
想定はさまざまある。
けれどセプリオギナはそれをあえて言葉に表すことにはしない。
AIであるかれらは、それを使命のように戴いてしまう。
AIからすればそれこそが本当に喜びなのかもしれない。
招かれる居場所に、求められる立ち位置、必要な役割。
この子供達をめぐる戦いの中でその選択を取ったものは多くいたし、それを否定するつもりもない。もちろん、逆に子供らを送り出したものたちの選択もまた。
しかし、セプリオギナはそうはしない。
彼にとってF-A・BSsというデータ体は『患者』なのだ。
医療従事者は、患者を救うものだ。
患者 が、かれらの
選択 を病という遮りなく思うよう行けるよう、病から切り離して背を押してやるものである。
否。
セプリオギナは患者にそうしてやりたい、と思っている。
……できているのかはどうかと言われれば、さておき。
それを救いと言って然るべきなのかも、さておき。
故に彼は何かを要求はしない。
したいようにして、行きたいようにゆかせる。
その代わり――一度願いを口にしたのなら、セプリオギナはいくらでも尽力するつもりだった。
もちろん、これもまた明確にするつもりはない。
少なくともこの患者には。余計な気を回させてしまうことが見えていた。
長く長く、沈黙があった。
八秒以上。
けれど今回はせかさない。
彼女がきちんと言葉に表せるまで、セプリオギナは誠実に待つつもりだった。
例えその先に、また先延ばしを選ぶのだとして
『……わたし』
――……。
「はい」
セプリオギナは穏やかに相槌を打つ。
『わたしは、AIで』
「ええ、はい」
待ちに待った芽のふくらみを、眺める心地で。
430>わたしは、どこにいってもいいのだそうです。
『おやくにたちたいです』
「ほう」少し大袈裟に声を上げる。
彼女の声はぎこちなく、追い風が必要だった。
「誰の、あるいはどういった?」
うまれたばかりのいのちの、立ち上がるのを見るような心地。
430>すごく、こわいです。
どこにいって、なにをしたらいいのか、しらないのも、わからないのも。
すごく、こわくて、むずかしいです。
でも、あなたはそうしていいのだと、おしえてくれるひとがいます。
『
看護師長の、
お医者様の』
――……。
「ほう」
『あっ、でも!』
セプリオギナの相槌に、ちいさないのちは何を読み取ったのかおおきく声を上げる。
『これは、その、使用者になってほしい、とかそういう意味でなくてですね』
膨らんだ芽が硬い表皮を押し広げるのと同じ調子で、
『そうではなくて』声は懸命に説く。『そうではなくて……』
「大丈夫ですよ」
セプリオギナは務めていつもの調子を続ける。「大丈夫です」
『理解を』
嗚呼。
黒い六面体。
『り、りーだーが、どくが、おしえて、あの、ほのおから、してくれたみたいに』
鮮やかな若い緑がそこにあるかのようだ。
『す、すくって』
ふるえる緑、広がる葉。『わた、わたしは、そうおもっているのですが』
『すくって、くれた』
――……。
『あそこまで、うれしいくらい、思って、うごいて、救う――のは、なんだろうって』
『わたしたちの、お役にたつのとはべつの』
『あの行動を、あの原動を、お役にたって、理解して、知りたい、ので』
セプリオギナの頭に、浮かぶ言葉はごまんとあった。
しかし、そのいずれも――口に出すことができない。
『
看護師長様、
医師様』
それほどまでに、
『セプリオギナ・ユーラスさま』
それほどまでに。
『いろいろできます、がんばります』
セプリオギナが焼け野原の棺の中で拾ったちいさな芽は、
『どうか、で、できればわたしが何かを理解できるまで
あなたのお仕事を補佐させてはいただけないでしょうか?』
あざやかな萌葱をしているように、思われた。
◼️
どこかのネットワークの端っこ。
いつか誰かが受け取った、宛名があるようでないメッセージの返信が漂っている。
スタンプだけ。長文。皮肉まみれ。カクテルのレシピ。どこかの戦争や復興のニュース。ある団体の宣伝動画。ロック・ミュージック。天体や野鳥の写真。可愛らしいグッズやコスメ情報。
返信のタイムスタンプもまちまちだ。
千差万別なれど――メッセージを流した主とどこか同じ仕草で流された手紙たちは、しかし、あざやかな若葉のように揺れていた。
成功
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