露草色に瑠璃色、本紫に撫子色――色とりどりの花を籐で編まれた籠に詰め、太宰・寿が街を歩く。
「今日のお花もみんな素敵よ、張り切って売らなくちゃね!」
下駄の音を響かせて、花は如何と楽し気に声を上げれば通りかかった人々が籠の中を覗き込む。
「一つ貰うわ」
「ありがとう!」
彼女が育てた花は他の花よりも美しくて長持ちすると評判が良く、寿は帝都でも指折りの花売り娘であった。
ただ売り歩くだけではつまらないからと、彼女は散策がてら街を歩く。毎日売っている場所が変わるので、いつしか寿から花を買えたらその日は運がいい、なんて言われる程。それも後押しして、日が暮れるまでに籠いっぱいの花は売り切れるのが常だった。
「良かった、今日もほとんど売れてくれた」
残ったのは菫色をした花で、茎が少し傷んでしまったもの。それを胸に飾り、今日の夕飯は何にしようかと足取りも軽く大通りを歩いていると、家までもう少しという所で可愛らしい鳴声が聞こえて寿が足を止めた。
「どこから……あ、あなたね?」
あなた、と声を掛けられたのは優美な白猫で、寿を見上げて『にゃあ』と返事をするように鳴くと誘うように尻尾を揺らして歩き出す。
「え、何かあるの?」
白猫に案内されるままについていくと、人通りの少ない路地裏に差し掛かる。子猫でもいるのかな? なんて思いながら寿が足を踏み入れると、白猫が少し進んで立ち止まった。
「ここ?」
ひょい、と覗き込めば黒い塊のようなものが見えて、思わず寿が小さな悲鳴を漏らす。
「ひ……っ、あ、あれ?」
お化け、と思ったのも束の間で、よくよく見ればそれは生きている人が蹲っているだけで寿が胸をなでおろす。
「ええと、大丈夫……? 体調が悪いの?」
そう声を掛けると、蹲っていた人が小さく呻く。その声は低く、男性のものと知れた。
「う……」
呻きながらも顔を上げた彼の瞳は菫色、寿が胸に刺した花のような色をしていて思わず目を奪われてしまったけれど、額から流れる血に気付いて寿が目を瞠る。
「大変、怪我してるのね」
「……」
意識が朦朧としているのだろう、少しばかり焦点の合わない瞳で寿を見上げている。
「大丈夫、大丈夫よ」
私が助けてあげるから! そう言って寿は彼の傷をハンカチで拭い、肩を貸すと我が家へと急いだのであった。
――それから数日、寿が助けた男は記憶の欠落が見られ、彼女の家に居候という形で世話になっていた。記憶が朧げな男を見捨てるような真似を寿ができるはずもなく、怪我が治って記憶が戻るまでここにいなさい! と世話をすることに決めたのだ。
最初は遠慮していた男……名を英と名乗った彼も行く当てがないのも確かであったので、記憶が戻るまで寿の手伝いをすると頷き、寿に花の世話の仕方を教わったり力仕事をしたりと彼女の迷惑にならぬようにと過ごしていた。
「寿、手伝うことはないか?」
「それなら……この肥料を運んでくれる? ちょっと重いけど……」
「どこに置けばいい?」
「……って軽々だね、英は力持ちさんね」
頼もしい、と笑ってこっちだと案内をする寿の後ろを英が歩く。花壇の前まで来ると、寿が英に肥料のやり方を教えたり花の手入れの仕方を教えたりと世話を焼く。それは酷く穏やかで、このままずっと続けばいいのにと思うほど。
「なんだか、私より英の方が花の世話が上手ね……」
「そうか? 教えて貰った通りにしてるだけだ」
「もしかしたら、英も花の世話をしてたのかも!」
「どうだろうな」
確かに花の世話は楽しいと思えたけれど――記憶を失うような怪我をする男が花の世話を生業としていたとは思えない。それに、朧気ながらも少しずつ記憶も戻っている。その記憶の中の自分は剣を握っていて――。
「英? どうしたの?」
「……いや、何でもない」
それを言えずにいるのは、記憶が戻らなければ彼女と一緒に居られるのではないかと思ってしまうからだ。
短い間ではあるけれど、英は寿に惹かれていたし寿もまた不思議と英に惹かれている。だからこそ、記憶が戻りつつあることに気が付いていても、寿は言葉にして聞くことはできなかった。
「さ、お夕飯にしましょっか! 今日はね、少し寒くなってきたからお鍋にしたの」
寄せ鍋、と笑う彼女に頷いて、けれど記憶がすっかり戻ってしまったら自分はここを去らなくてはいけないのだろうと英は漠然と感じ取っていた。
季節が冬へと進むよりも少し前、英が世話をしていた花が蕾を付けた日の朝。机の上に置かれた書置きを手にし、寿は小さく溜息をついた。
書置きは英からのもので、記憶が戻った事、世話になった事への礼、直接言えなかった事への詫び……そんな言葉が簡潔に綴られていて、寿はその文字を指先で追う。
記憶が戻ったのは喜ぶべきことなのに、また一人になってしまったのだと思うと素直には喜べない。
「でも、喜ぶべきだよね!」
無理にでも笑って、書置きをそっと仕舞い込むと今日を生きる為に顔を上げた。
それから数日、咲いた花を籠に詰めてはいつものように売り歩き、帰り道にあの猫を探しては見付からない事に落胆しつつ家の扉を開ける、そんな日々を過ごしていたある日の事。
「綺麗に咲いたね」
英が育てていた花、売りに出すのは少し惜しいけれど、どんな人が買うのか楽しみだと言っていた彼の言葉を思い出し丁寧に切り取って籠へと移す。他の花もそうして摘むと、街へと出た。
順調に売り歩き、そろそろ帰ろうかとしたところで声を掛けられ、顔を上げる。
「はい、お花でしょうか?」
「綺麗な花じゃねぇか、ついでに姉ちゃんもどうだい、一杯酒に付き合えよ!」
あぁ、酔っ払いだと寿は瞬時に察して足を一歩後ろに下げる。
「ごめんなさい、もう帰らないといけないので」
「あ? いいから来いよ、売れ残った花も全部買ってやるからよぉ!」
乱暴に籠を掴まれ、まだ中に残っていた花が地面へと落ちる。気丈な態度で男を見上げ、寿が声を上げようとしたその時だった。
「彼女に乱暴するのはやめてもらおうか」
帝国軍人と思しき男が寿に掴み掛ろうとした酔っ払いの腕を掴み、間に入ったのだ。
「これ以上しつこくするなら……」
無言の圧で酔っ払いを睨めば、掴まれた腕を払い一目散に逃げていく。
「大丈夫か?」
「英?」
呆気に取られていたけれど、英の声を聞き間違うはずもない。帝国軍人の制服を着ているのには少し吃驚してしまったけれど――。
「英だ……!」
「うん、俺だよ。書置きだけでいなくなってすまなかった」
そう言いながら、英が地面に落ちた花を拾い上げていく。そうして、その中で一番見目の良い自分が育てていた花を手に取って寿へと向き合った。
「俺は花房・英というんだ。軍人をしている……何も言えずに去ったのは、理由があるんだが」
それは後でゆっくりと話したいと手にした花を寿の髪に差し込み、それよりも伝えたいことがあるのだと言って言葉を切った。そして、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめて再び口を開く。
「寿、これからもお前と一緒に居たい。許してくれるか?」
「……許さない」
「……っ」
「ずっと、ずーっと一緒にいてくれなきゃ、許さないからね!」
満面の笑みを浮かべた寿が英の胸の中に飛び込むと、英が穏やかに眦を緩ませて約束すると囁いた。
そうして、帝都で一番の花売り娘は軍のトップに立つ軍人さんと末永く幸せに暮らしたのでありました。
成功
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