ふた月夜のハーヴェスト・ムーン
「秋って好きよ、真っ赤な甘い匂いがするの」
鮮血に彩られた窓の外を眺めて、うっとりとした表情を浮かべているのは、私とそっくりの顔をした親友であり恋人のアリス。その横顔に微笑みながら、私もまた並んで窓の外を眺める。
針のような枝の先が鮮血に染まる頃。それこそダークセイヴァーの紅葉であり、肥え太った豊穣の訪れだ。
響いた鈴の音にアリスと一緒に振り返れば、視線が交差するものだから。くすくす笑うアリスに私は淡く唇を重ねる。それだけで私の心は浮かび上がるようだった。指を絡めて立ち上がり部屋を出れば、私達とそっくりのシスターズがかしずきダイニングへと誘ってくれる。
「もう、ねぇさま達ったら!セレナはもう、お腹がペコペコよ!」
大きな扉の先で迎えるのは、やはり私達とそっくりの可愛い妹セレナ。お行儀良く着席しているその頬は、ぷっくりと膨らんでいた。
「うふふ、お待たせ。頂きましょう?」
アリスとセレナの間に座って、私はグラスを手に取る。真っ赤に染まったグラスの中身は、この世界の紅葉の色。
もちろん、豊穣を広げた本日の晩餐だって、今日も深紅に染まっている。金のカトラリーで口元に運べば、それはそれは麗しい幸福の味が口いっぱいに広がった。色鮮やかな食事に舌鼓を打って、和やかな晩餐の最後はいよいよデザート。テーブルには肥え太った葡萄が運ばれてくる。
「ほら、アリス」
真っ赤に熟れた葡萄の皮を爪で剥いて、私はアリスの口元へと差し出した。柔らかな果肉は唇で食むだけで赤い雫を滴らせるものだから、唇を開いたアリスはそのまま小さな舌で受け止めて私の指をくすぐった。そうして次の葡萄に手を伸ばそうとすれば、今度はセレナが甘えた眼差しを向ける。
「ねぇさま、私の分は?」
「はいはい、可愛い甘えん坊さんね」
葡萄をもうひとつ摘まんで今度はセレナの口元へ持っていけば、セレナはにんまりと笑みを浮かべる。悪戯を思いついた子供みたいと思った次の瞬間には、それを摘まむ指ごとパクリと勢いよくセレナの口に食まれてしまう。
「きゃっ!」
悲鳴をあげて引き抜けば、真っ赤な雫が指先から糸を引いてこぼれ落ちる。私が頬を膨らませてセレナを睨んでも、セレナは満足そうに葡萄を咀嚼して、アリスは妹の悪戯にくすくす笑っているばかり。後ろのシスターズだってアリスに合わせて楽しそうに笑っているものだから、私の機嫌はつんとそっぽを向いてしまう。
「いじけないで?ほら、今度はあなたにひと粒」
アリスがそうなだめると共に葡萄を差し出して、頬を膨らませたまま横目でちらりと伺えば、アリスの瞳は優しい慈愛で染まっていて。うっかり絆されて「今日だけよ」なんて…これまで何回使った言葉なのかしら!
頬をくすぐる髪をかき上げながらアリスの差し出す葡萄を食めば、芳醇な香りが口いっぱいに広がっていく。果汁を零さぬように唇を抑えながら上目遣いでアリスを見れば、甘い眼差しはすぐ目の前。
嗚呼、なんて、鮮血のように甘い日々。
アリスとセレナとシスターズ。寄り添って解け合って、享楽に浸る闇の日々は永遠に続く。──そう、思っていた。
その日、その夜。私は前触れもなく目覚めた。夜が始まれば、いずれ夜が明けてしまうように。そうして目覚めて歩き出すのが、とても当たり前の事のように。
誰が狂わせたのかも分からない空模様。土砂降りの雨が屋根強くを叩く音がする。大きなベッドの隣半分は空っぽで、眠る前までは確かにあった筈のぬくもりは、何処か遠くに消え去っていた。
頼りのない冷たさに早鐘を打つ心臓を抱えて、気だるい体で起き上がる。いつの間に眠っていたのかも分からない。それに、どれほど眠っていたのかも。
ベッドサイドに膝を揃えるだけでも秒針の早い心臓は血液を送り過ぎていて、狂った時計の所在を探すことも難しい。ふらつく足で私はなんとか立ち上がり、重い身体を壁に寄せると歩き出す。
視界は靄がかかったよう。あの子はどこ?
これまで、幾度となく訪れたこの別邸。昨夜は…いや、眠る前までは親しみを感じていた屋敷の中は、今はまるで別人のように素っ気ないし、屋敷に充満する嗅ぎなれた甘い匂いはどうしてか無性に落ち着かない。
私の中にあるのは、何かに──追い立てられるような強い焦燥。
「アリス!」
バルコニーの向こう側に、見慣れた後ろ姿をようやく見つけて私は声を上げる。アリスが振り返り、薄い唇が私の名を呼ぶ。それなのに私の心臓は狂ったように早くて、頭の中がまとまらない。
「目は醒めた?」
促す様なアリスの言葉でようやく気付く。私は今、恋人で親友である目の前の存在に、強く恐怖しているのだと。
次の瞬間アリスは私の頭を鷲掴むとそのままフェンスに叩き付ける。悲鳴をあげる間もないままフェンスはひしゃげて私と共に地に落ちた。
「何、で」
冷たいフェンスが隣でがらりと音を立てる。強かに打った身体はどこも折れていなかったが、耐えようのない痛みが私を覆っていた。何故、どうして?途切れた疑問の答えは、私が既に持っている。
アリスの手が私に迫る。寸前で逃げ出して、無様に転がる私を今度はアリスの足が追随する。立ち上がる寸前を狙った爪先は容易く鳩尾に入り込み、私はえずいて膝を付いた。
アリスの冷たい指先が、私の首を掴む。軽々と持ち上げて、アリスは私の首を締め上げる。白く染まりゆく様に朦朧とした意識の中で、目前へ迫るのは確かな死の予兆。
「嫌!」
私は腕を無我夢中で突き出した。それが何を意味し、何を成すのかわからぬままに。
冷たい雨が降りしきる中、あたたかな感触がどろりと広がる。雨の中で不自然に芳せるそれは、噎せ返るような甘い匂い。アリスの手から解放されて膝を付けば、アリスの体が私の上に降ってくる。両手に広がる生温いものは、降り続ける雨にも流され切れぬ深紅の色。
「あ…ああ、嫌…!違う、違うの!」
溢れる赤を踏み止まらせようとする私の手は、既に真っ赤に染まっていた。幾ら否定しようとも、アリスの深紅はただ流れ続ける。
「なんにも…まちがって、ない、わ…」
アリスの指が私の頬を優しく撫でる。涙を拭っているのだと気付けば、視界は益々滲んでいく。広がる赤もこの涙も止められない。
「うれしい…あなたと、ひとつ…ね…」
──ずっと、一緒よ。
その言葉を最後に、私の頬を撫でる指先が力を失い滑り落ちる。
「──!」
土砂降りの雨の中、耳を劈くような音がする。それが私の慟哭なのだと、気付いたのはずっと後の事だった。
雨は過ぎ去り、月が昇る。私は空っぽの空を見上げて、冷えきった体を抱きしめた。あの子は今、私のそばにいる。
「『あの子』が寂しくないように、たくさんたくさん
“おともだち”を私の
精神に招きましょう」
私は──アリス・セカンドカラーは、いつまでも鮮血の結晶を見つめていた。
──夜を重ねた漆黒の中、少女の哄笑が響く。
「2人のねぇさまが
ひとつになったなんて!」
歓喜に震える声は酷く甘い。荒い呼吸の中、少女は両手で顔を覆い体をくゆらせ続ける。
「ああ……それだけでも素敵なのに、そこにセレナが加われば……」
それはそれは甘美なことだろう。少女は悲鳴をあげた。想像するだけでも体は恍惚に火照ってゆく。
「私もあんな風に、ねぇさまとひとつに…」
──そうして少女は闇に融けていった。
成功
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