獣人戦線で初めの戦火が灯ってから実に百年以上が経過していた。
異世界から出現した六つの超大国が広げた戦火は世界中を蝕み、今もなお続く拡大は留まるところを知らない。
中国大陸とて例外には漏れず、日も夜も重砲の音が鳴り止まない。
だが猟兵達によって開放されたこの繁華街に立つ高級ホテルは、俗世から離れた夜の静穏に満ちていた。
中華文化を取り込んだ室内の作りはまさに豪華絢爛。開かれた窓枠から見える中庭のプールも然り。
そのプールサイドのサマーベッドでレヴィア・イエローローズ(亡国の黄薔薇姫・f39891)が半身を起こして横たわる。伸ばした両足は少女らしくしなやかで、太ももの肉感を際立たせるニーソックスが艶めかしい黒の光沢を放つ。微かに透ける白地のワイシャツを胸元の豊かな双丘が押し上げる。抑えた照明が水着さえも纏わぬ肢体の輪郭を淫靡に浮かび上がらせていた。
見る者の倒錯を焚き付けてしまいかねない格好だが、他者の目をはばかる必要はない。スイートルームにはレヴィア以外誰もいないのだから。
傍らのテーブルに伸びた手が、板状端末の盤面を指先で弄ぶかのようになぞる。画面の中では細かな文字列が何行にも連なっていた。
一般獣人の『六番目の猟兵』に対する認識。
結論から言えば、猟兵が受ける認識は兼ね好意的と判断出来ます。
かつてオブリビオンの侵略に立ち向かったとされる勇敢な獣人達の再来として猟兵は認知されており、各戦線において超大国に反発する一般獣人や対抗組織に多大な戦意向上の心理的作用を与えています。また、猟兵個人の戦闘能力、より高度な科学或いは魔法技術を用いた異世界の兵器が、同じく異世界の技術を有する超大国に対抗する手段として重要な戦力の一端となっています。これは一般獣人の視点から見ても明白です。
ゾルダートグラードのオブリビオン勢力について。
ゾルダートグラードでは依然としてクロムキャバリアから流出したものと思われるオブリビオンマシンが目下の脅威となっています。流出経路、或いは調達経路は現在も不明です。クロムキャバリアで最新鋭とされるキャバリアも短期間の内に出現している事から、グリモアの力に類似した能力を有するオブリビオン勢力が転送を行っている可能性も考えられますが、現状では憶測の域を出ません。引き続き調査の必要性を認めます。
人民租界のオブリビオン勢力について。
同地域では現在もコンキスタドールが強い影響力を有しています。加えてオウガ・フォーミュラ『鉤爪の男』が消滅する以前に輸出したと思われる、宝貝による強化措置を受けたオブリビオンマシンの出現も確認されています。更にはダークセイヴァーの支配者『五卿六眼』の一人である『始祖人狼』が出現。ワルシャワ条約機構と合流しました。いずれもシャングリラ・シュミセンに対する干渉を強めています。
「……こんなところかしら?」
踊る細指の動きを止めてレヴィアが呟く。
双眸を閉じて唇から甘い呼吸を吐くと、サマーベッドの上に放り出していた足を地に付けた。磨き込まれた大理石の固く冷たい質感が、ニーソックス越しに足裏へと伝わる。
縦に巻かれたハニーゴールドの後ろ髪を揺らしながら緩慢な足取りでプールの縁へと向かう。足を止めて揺蕩う水面を見下ろせば、レヴィアの眠たげな面持ちがぼんやりとした青に照らされた。
つま先を水面に付け、両足から腰までをプールに浸す。
「んぅ……」
悩ましげな声が漏れる。心地よい水冷に体が震えた。レヴィアは肩まで身を沈めると水面に背を預けた。
浮かんだ身体が水面と共に揺れる。髪が放射状に広がった。水を含んだニーソックスとワイシャツは半透明に変じ、薄いヴェールとして肌に張り付く。双丘の頂の薄い桜色が布越しに透過した。シャツテールが魚の尾鰭のように水の中で緩やかに波打つ。
見上げる中国の夜空は深い藍色だった。ダイヤモンドの欠片を散らせたかのような星雲が、優しく穏やかに移り変わる光彩の濃淡を作り出している。微かに聞こえる水音が意識を微睡みの暗い底へと誘う。
力を抜ききった身体が水に溶けてしまいそう――どこからがわたくしの身体なの?
両肩をそっと抱きしめる。自分の存在を確かめるようにして。
細い指が鎖骨をなぞり、胸の膨らみに沿って下へと降り、腰のくびれを滑る。
指と肌が擦れる度に、肌下の神経が泡立つようにしてざわめく。
吐くつもりのない蕩けた吐息が滲み、溢れる。
背筋を這い上がる甘い痺れが頭を身体を戦慄かせた。
身体の熱がプールの水と一つになって混じり合う。冷たい水が身体に染み込み、満たしてゆく。
真夜中に、大凪の海原に一人で浮かび揺蕩っているかのような錯覚。
途方もない孤独感が心に虚無の冷風を吹き込む。
緩やかに水と同化する肉体。
肌が溶けて、身体が全て水となり、器を失った魂までもが水に溶け込み広がってゆく。
どこまでも。
視界が闇に窄まり、意識が海の底へと吸い込まれる。
微睡みに全てを差し出してしまおうとした矢先、電話の呼び出し音が遠くで鳴った。
もう少しだったのに――深淵から引き戻されたレヴィアは双眸を開く。
溶けかけていた身体に自身の意識を巡らせ、プールの底に足を付けた。
縁からプールサイドに上がる。ワイシャツとニーソックスを脱ぎ去った。衆人が一人も居ない空間で裸体を惜しげもなく披露しながら部屋へと向かう最中、ポールに掛けてあったバスタオルを手にとって身に巻いた。
「如何がなさいまして?」
喧しく鳴り響く電話の受話器を取ってまず一声。憔悴しきった相手の話しを黙って聞き届けた後に「よろしい。では直ちに」の二つ返事で受話器を置く。
「短い夏休みでしたわね」
眉宇には嘆息を、口許には微笑を伺わせる。バスタオルを落としたレヴィアはベッドの上に散っていたブラジャーとショーツを手早く着用し、その上から丈の短いスカートを履いて白い将校服の袖に腕を通す。
「さあ、仕事の時間ですわよ」
縦鏡が映し出す黄薔薇姫をしかと見詰めて声音を正した。
斯くして亡国の鹿王女は戦地へ向かう。
成すべきを果たす為に。
成功
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