●海辺の倖い
爽やかな漣の音が響く、グリードオーシャンの孤島にて。
椰子の木の影になった場所に置かれているのは二台分のビーチチェア。浜辺には夏らしい陽射しが降り注いでおり、風が吹き抜ける度に木陰に揺れる影が様々な形に変わる。
「キュー!」
「ガウガウ!」
其処に響き渡ったのは仔ドラゴン達の声。
ビーチチェアに腰を下ろしている主人、梓の周りを二匹ではしゃぎまわっている。こんなにも楽しげな理由は周囲に空飛ぶ熱帯魚がたくさん集まっているからだ。
「二匹とも楽しそうだね」
「連れてきた甲斐があるな」
その様子をビーチチェアの上から眺めている綾と梓は双眸を細める。
此処はアルダワ世界の遺跡が落ちてきており、島全体に不思議な領域が広がっている場所。この島の敷地内ならば水中の生き物もまるで水の中にいるように自由に泳げる。人や陸の生き物も呼吸が出来ないというわけではなく、望むならば空中を泳ぐこともできるという。
「それに何にもしないっていう贅沢もいいものだよ」
綾は両腕を頭の上で組み、頭上の木を見上げた。
ふわふわと泳いでいく熱帯魚は鮮やかで見ているだけでも楽しい。裏を返せばそれ以外にすることがないとも言えるのだが、綾は今の状況を好ましく思っていた。
「今更だが、行くなら納涼お化け島みたいなところも良かったんじゃ――」
「キュ……?」
「ガウ~……」
梓が別の涼み方を語ると、それに気付いた仔竜達が不安そうな目で見てきた。いつかの日のトラウマを刺激してしまいそうなのだと気付いた梓は軽く頭を振った。
怖がる二匹を見るのも悪くないものだが、これほど楽しんでいるところに水を差すつもりはない。
「焔に零、今日はそういうところに行かないから安心しろ」
――明日以降はどうなるかわからないが。
つまりいずれは行くかもしれない。言いそうになった言葉を飲み込めば、仔竜達はほっとしたように熱帯魚達との戯れに戻っていった。綾は梓がお化け島に行く予定を立てたのだと気付いており、静かに口許を緩める。
仔竜達には悪いが、夏には涼しくなる刺激も必要だ。
夏休みの間に巡る場所の候補に追加しながら梓は小さく笑った。そんな中、梓は脇に置いていた保冷ボックスからあるものを取り出してきた。
「ほら、綾」
「いいね、さっき言ってたデザートだね」
それは彼のお手製スイーツ。ミニグラスにフルーツをたっぷり盛り付け、星や貝殻を模したゼリーを飾った映える一品だ。爽やかな木陰で、浮遊する熱帯魚の中で楽しむスイーツは最高。しかも見た目も良いというのだから、綾の気持ちもあがってくる。
「ありがとう。いただきます――の前に」
「いつもの投稿か。写真もいいけど溶ける前に食べろよ」
「大丈夫、撮影の仕方も随分慣れたからね」
スマートフォンを取り出した綾は海を背景にしてミニパフェを撮影していく。彼が語った言葉通り、こういった映えを意識した撮影と投稿は手慣れたものになっている。
ちょうど赤と橙のパッションカラーの魚が寄ってきたところで撮影ボタンを押した綾は満足気に頷く。
「出来たか?」
「ばっちりだよ」
問いかけた梓は既に、はしゃぐ仔竜の姿をめいっぱいに撮影した後だ。後は夏の暑さで火照る身体をスイーツで冷まし、何でもない時間を楽しむ所存らしい。
綾もいつの間にかパフェを食べ終わっており、少しばかり期待した視線を向けてきた。
「梓、他にも色々作ってきてるよね?」
「勿論だ、それだけじゃ綾には足りないだろ。おーい、焔と零もそろそろおやつにするか?」
「キュー?」
「ガウ!」
綾からの期待に添うのが近頃の梓の役目のようなもの。仔竜達にも呼びかければ、梓のもとに嬉しそうな二匹が全力で駆けてきた。その様子もまた愛らしいと感じつつ、梓は再びカメラを取り出してシャッターを切った。
普段は此処で一波乱でもあるのだろうが――今日は違う。
自由な綾に振り回されたり、仔竜達が少し可哀そうな目に遭ったりもするのだが、本日は何もしない日。
戦いに旅行、世界を巡る日々の中にこういった日があってもいい。
綾は次のおやつを用意している梓の背を見遣り、普段から思っている言葉を口にする。
「――ありがとう、梓」
「ん? 何か言ったか?」
振り向いた梓はおやつを早く食べたい仔竜達に纏わりつかれており、上手く聞こえていなかったようだ。しかし、綾としてはこの言葉を紡げただけで充分。
「何でもないよ。ほら、焔と零がはやく欲しいって」
「そうか。よし、次のメニューはこれだ!」
「ガウガウ!」
「キュー」
そうして、梓は慣れた手付きで皆の分のおやつを配っていった。
綾は笑みを浮かべ、今という時間を噛み締める。嘗ては戦いが己の全てだった。しかし今は梓達との旅を通じて『普通』を知っている。夏休みとは言えど、特別なことばかりではないのが平穏。
こういった日常こそが、幸せそのものなのだから。
成功
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