ナイトプール・ナイトフラワー
──おっきなフロートに乗りたい!
そう言い出したのは太宰・寿(パステルペインター・f18704)だ。瞳にきらきらとした光を灯して、ほとんど乗ったことがないフロートに思いを馳せる。
そんな彼女の可愛らしい我儘を叶えない花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)ではない。いつもは無愛想な英もまた、僅かに眦を綻ばせていた。
そうして赴いたナイトプール。
夜を溶かしたような水面にちかちかとライトが泳ぐ。
それはあたかも銀鱗を翻す魚にも似て、その合間を寿と英は渡っていく。水と空のあわい。目の前の幻想的な風景に、寿はわくわくする気持ちを抑えられない。
「大丈夫そう?」
英は寿が乗る、白鳥のフロートに手を添える。英は泳ぎにあまり自信がないのだが、今はプールの底に足がつくため安堵していた。去年ようやく、もしかしたら泳げるかもと思い始めたところだ。不安要素は少ないほうがいい。片方の手で着ていたラッシュガードの襟を顔に引き寄せる。
一方の寿も呼気を震わせながら、どうにか胸を撫で下ろしている。ミモザ柄の水着の裾が、揺れていた。
「うん。良かった……ちゃんと浮いてる」
でも余裕とは決して言えないから、フロートから落下しまいと身を硬くしていた。意識してゆっくりと唾を飲む。
その姿を眺めていた英は、ひっくり返らないようにフロートに手を添えて押し留める。
「バランス取るの難しい?」
「難しいよ。うう……早く慣れるといいな」
しばし悪戦苦闘していたが、寿の口元からだんだん頑なさが取れていく。それが微笑みを模るまで、そう時間はかからなかった。
そうしてようやくはたと気付く。寿は「英は乗らなくてよかったの?」と尋ねた。実際大きくゆったりとしたサイズのフロートに乗っているから、詰めれば二人乗りは出来なくないけれど。
英は首を横に振った。
「俺はいいよ、足着いてる方が安心するし。引いててあげる」
去年一応泳げたとはいえ、油断は禁物である。誰よりも近い存在でありながらも、それでもやはり英は寿にみっともないところを見せたくなかった。
一方、英の言葉に欺瞞や遠慮の色を感じないため、寿もそれ以上は言及しない。返事の代わりに、大きく身体を反らせて天を仰いだ。バランスを崩しそうで崩さない塩梅。故に不安定さはないが、英は咄嗟にフロートの底に手を当てる。
英は跳ねた鼓動を宥める。それから言葉もなく、寿の視線の先を追いかけた。
満天のとまではいかないが、都会でも見えるきらめく星たち。
寿は思わず小さく笑みを零した。
「慣れてきたら、乗り心地いいかも」
白鳥は星の湖に佇むよう。鼻歌でも歌いだしそうな寿に、英は苦笑する。
「くつろぎすぎじゃない?」
「そうかも。なにもせずにゆらゆらしてたら寝ちゃいそう」
「相変わらずマイペースだな……ホントに寝ないよな?」
辟易に似た心配が過る。だがそれも軽口の範疇だ。
それを寿も知っていて、くすくすと笑みを転がす。
「ふふ、うん。だって寝るのはもったいないよね。英と一緒に来てるんだもん」
声音に大好きという感情が満ちている。
ありのままの素直な気持ちだった。押しつけがましさはなく、労わるような面持ちでもある。その様子を眺め、英は紫苑の双眸を細める。
「楽しい?」
「もちろん!」
爛漫に咲く花みたいに告げる。
英はそれを眩しそうに見つめて、身を乗り出す。寿にそっと手を伸ばした。最初に触れたのは指先。それからそっと手を繋ごうとする。
自分が不器用だという自覚はある。美辞麗句を呈することは出来ないから、せめて行動で示したい。当然、言葉でも表せたならそのほうがいい。
「寿が楽しいなら、俺も嬉しい」
朴訥とした口吻ながらも、そこには確かに優しい温度がある。
ただそれだけの事実によって、寿の胸裏はあたたかさでいっぱいになる。くちびるがもたついて、くすぐったくて、はにかみが喜色を帯びていく。
寿も身を倒して手を伸べて、英と手と手を触れ合わせた。
ふと、その時。先に気付いたのは英のほうだった。
「……あれ、もしかして」
周囲の客もある方向を見遣っている。英が視線だけで促すと、寿も目線を持ち上げた。
誰かが息を呑んだ瞬間に、空に光が上った。
「わぁ……!」
光の饗宴。幾つも重ねられる大輪。尾のように花弁のように光が降る。その頃に、遅れて重い音が鳴る。
水に身を浸しながら見る花火は、ふたりのまなうらに鮮烈に形を残そうとした。
内緒話の風情で「目が覚めちゃった」なんて寿が言うから、「俺も」と英が言う。
そう、まだ目を開けていよう。
夜は終わらない。ふたりでしあわせを紡いで織りなして、今宵という夏の想い出を描き続けよう。
成功
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