0
囚吊夜風―暁を待って

#ダークセイヴァー #ノベル

沖浦・小夜子





 小夜子が一歩踏み出すごとに、足元で鎖がジャラジャラと揺れる。
「どこに行くつもり……?」
 首輪に繋がれたリードに喘ぎながら、小夜子は前方に立つメイドに問いかける。
「お外!」
 朗らかに答えたのはハレ。
「外?」
「そうだよ」
 小夜子の問いにアメは端的に答えるも、詳しく告げるつもりはないのだろう。
 ハレが前方、アメとユキが後方に控えており、拘束された小夜子に逃げ場はない。両足首を繋ぐ鎖のせいで歩みは小幅だったが、やがて一つのドアの前に行きついた。
「とうちゃ~く♪」
 ハレがドアを開ける――途端に、夜風の冷たさが顔に触れて、小夜子は思わず表を伏せる。
 目についたのは緑一色の芝生。芝生はすぐに屋敷の外壁に行きつき、この場所は中庭にあたる場所なのだと分かった。
 小夜子がメイドたちと戦った庭園と比べると殺風景な場所だった。芝生のほかに植物はなく、中庭の端にベンチが一台あるのみだ。
 そのベンチには、彼女らの主が腰かけていた。手には大ぶりなグラスがあり、グラスの中の丸い氷は外周のすべてを液体に沈めている。
「ソラはまもなく来る」
「はい。ここに」
 主の言葉の直後、小夜子の背後から声がした。
「通るわよ」
「うん」
 ソラの言葉にアメはうなずいて、小夜子の鎖を乱暴に引っ張る。
「ぅ……!」
 つんのめるようにドアの前から移動させられ、思わず声を上げる小夜子。
 そんな小夜子を意にも介さず、ソラは中庭の中央で『何か』の準備を始めた。
 まず出現したのは金属製の台座だ。台座の中央だけは色が違い、何かの仕組みがあるらしい。
 続いて台座の上に、枠のようなものが設置される。
 上部の梁に鎖を通された瞬間、小夜子はそれが処刑台であることを理解した。
「なッ、離して……!」
 処刑の一言が重く胸にのしかかり、暴れ出そうとする小夜子――そんな小夜子に、すかさず口枷が嵌められた。
「っぅぐ、ッ! ふーッ!! ううーッ!!」
「話は最後まで聞いた方が良いよ」
 玉猿轡の穴からくぐもった声を漏らす小夜子へ、アメは優しく言いながらその唇を撫でる。
「ふぅぐ……ッ!」
「処刑はしないわ。最終的にそうなるとしても、今は」
「……ゥ……」
 ソラがきっぱりと言うと、ようやく小夜子は声を発することをやめた。
「主様は強い獣をお望みなの」
 歌うように言いながら、ソラは小夜子に身を寄せる。
 手には鎖。小夜子の腿をぼろ布の上からそっと撫でると、ソラは両腿に鎖を掛けた。
「どのくらい生きていられるかしら。楽しみだわ」
 言いながら腿に拘束を加えて、ソラは処刑台の上に小夜子を連れて行く。
 首輪のリードはハレが掴んでいた。処刑台の台座、中央の色が違う部分に立った小夜子を眺め回しながら、ソラは小夜子に命じる。
「横たわって頂戴」
「ゥウ……」
 瞳に警戒の色を灯し、小夜子は唸る。
「早く早く~」
 ハレがぐいとリードを引っ張る。急かすように何度も引き、力は徐々に強くなっていく。このまま従わずにいれば、強引に転ばされるのだろう。
「大丈夫、処刑ではないよ」
「……ん」
 背後からアメとユキの声がして、アメの手が後頭部、ユキの手が腰に添えられる。
(――自分からやれば、転ばずに済むってわけね)
 メイドに従うことは不本意だが、こうしている間にもハレの力はどんどん強くなっていく。
 もう猶予はないと観念して、小夜子は背後の二人の手に体重をかけ、台座の上に横たわった。
 金属でできた台座が頬に触れると、それだけで体温が下がるようだ。小夜子を丁重に寝かせたアメとユキの手の温度が高く感じられるせいで、アメが首輪の内側に指を入れた時、小夜子は思わず体を跳ねさせた。
「ふっぅ……!」
「ふふ。首輪、外してほしいかい?」
 びくついた小夜子に目を細めて、アメは問いかける。
「……、ん……」 
 疑いながらもうなずく小夜子。
「いいよ、外してあげる」
 ゆっくりと、焦らすように、首輪の金具が外れていく。
 その間に、ハレとユキは小夜子の足首を繋ぐ鎖を取り払い、両足首を束ねていた。
 束ねられた足首の枷からは二本の鎖が伸びる。
 一本は小夜子の身の丈より短く、手首の金属輪と繋がった。
 もう一本は小夜子の背丈よりも長く、処刑台上部の梁へと通される。
「ぐゥ……ッ」
 ジャリジャリと金属がこすれ合う不快な音が響く中、小夜子の脚は少しずつ持ち上がる。
 膝が、腰が、胸が台座から離れ、やがて頭までもが宙に浮いた。
 重力に従って長髪が垂れ、毛先は台座に届く。腿と胸に巻かれた鎖のおかげで肌は晒さずに済んだが、逆さ吊りの状況はこの上ない屈辱だった。
「ふ……っぅう……ッ!」
 逆転した視界の目の前には主がいる。グラスを傾けながらも主の視線は小夜子から外れず、ベンチのそばに立つメイドたちもじっと小夜子を眺めていた。
「……うーっ……!」
 仕事の成果小夜子を眺める彼らの顔はどこか満足そう。
 逆さに吊られて、徐々に頭に血が集まる。目や頭の違和感が徐々に増すと小夜子は不快さに顔を歪め、その様子に主は笑みを浮かべた。
「良い景色だ」
「ッ!」
 煽る声に顔が熱くなれば、血管に負荷がかかってますます違和感が強くなる。
「ねぇ、宙吊りってどのくらい耐えられるの~?」
「血流の問題になるからね。普通なら一晩も生きてはいられないはずだよ」
 ハレとアメの言葉通り、小夜子の頭はミキミキと耐え難い痛みを発していた。
「でも、人狼はどうかしらね」
 くすくす笑うソラは、赤らんだ小夜子の顔を覗き込む。
 しばらくそうして眺めていた五名だが、主が盃を空けたのを合図に立ち去ることにした。
「……」
 去り際、ユキが台座に上って小夜子に手を伸ばす。
「ふ……っ!?」
 何気なく伸ばされた手は小夜子の胸へ。
 やわらかな膨らみに手が沈む――触感を楽しむことなく、ユキは小夜子の胴を軽く突き飛ばした。
「ぅ――」
 吊られた体が、前後に揺れだす。
 鎖の手入れは万全なのか、軋みの音はごく小さい。小夜子の意思とは無関係に振れるたび、冷えた夜風が体を包んだ。
「……」
 揺れが収まるより早く、彼らは中庭から立ち去った。
 ブランコのような前後運動が止まってからも、しばらく髪の毛だけは揺れていた――ようやく一人になって、小夜子は血が集まった頭を回し始める。
(このまま一晩でも、私は平気)
 持久力や忍耐力には自信がある。並の人間なら命を失うとしても、小夜子であれば命を繋ぐことはできるだろう。
 とはいえ、このまま一晩過ごした場合の消耗は懸念材料だ。体力を温存するためにも、逆さ吊りの状況から脱したい……手始めに手首の金属輪を引っ張ってみるが、外れる様子はない。
 足首を束ねる枷も、小夜子を吊るす鎖も同様。
(そういうことなら)
 思って、小夜子は視界を足元――空へ向ける。
 鎖を吊るす梁はある程度の太さがある。あそこへ移動すれば、今よりは楽になれるだろう。
 幸いにも膝は曲がった。何度か曲げ伸ばしすると体は揺れだして、揺れを大きくすべく小夜子は全身をひねり出す。
「っふ、っふ、っふ――」
 轡に空いた穴から呼気が漏れる。腹筋に力を籠めて共振を誘い、人狼としての身体能力をフル活用して体を動かすうちに、体の揺れは大きく変わっていった。
「ぅ――――」
 揺れが大きくなるほど視界はめまぐるしく変わり、全身の不快感は強くなる。それでも止まるわけにはいかず、小夜子は体を揺らし続ける。
「く、ぅ――!」
 強い浮遊感の中、自由にならない体を悶えさせる。
 とうとう小夜子の体は梁を超え、落下の瞬間に梁へと顎を突き出した。
「っ~~!!」
 ゴン、と強い衝撃が顎から頭に伝わる。
 酩酊感にも等しい衝撃に全身の力が抜けかけるが、小夜子は努めて意識を保つ。逆さになっていた体は正位置に戻り、血流の正常化によって不快感は急速に引いていく。
(あとは……梁の上に……!)
「んぅ、ふっ……ふう……!」
 手足は封じられて、身をくねらせて梁をよじ登る小夜子。
 無様な登頂には時間がかかった。梁の上は狭くとも、小夜子が横になれば何とかなるだろう。
「っ……」
 全身に触れる金属の感触は冷たく、小夜子は身震いする。
 ボロを纏っただけの体はただでさえ露出が激しい。安らげる状況には程遠いながらも体は楽になって、小夜子は再び逃げ出す算段を立て始める。
 中庭に面した屋敷の壁には窓はない。屋根まで移動できれば逃げられるが、鎖をどうするにせよ現実的ではないだろう。
(他にも……何か……)
 考えようとする小夜子の顔面に夜風が吹き付ける。
 ぎゅっと目を閉じて身を縮めると、いつしか小夜子の意識は眠りに落ちていった。


「!?」
 意識を取り戻した瞬間、小夜子は慌てて周囲を見渡す。
 まだ夜のうちか、空気は冷たい。芝を見下ろすとそこには誰もおらず、小夜子は静かに胸をなでおろす。
 ソラは『どのくらい生きていられるか』と言っていた。梁に上って一晩過ごしたのだと知れれば、どんな目に遭わされるか分かったものではないだろう。
 名残惜しく思いながらも、ゆっくりと梁から降りる小夜子。
 元の宙吊りになってからも手足の戒めをどうにか出来ないか試みるが、やはり拘束は堅牢だった。


 夜の気配が過ぎ去って、メイドたちは姿を見せた。
「生きてる~!!」
 おおはしゃぎで笑顔を浮かべるハレに、微笑してうなずくアメ。
「やっぱり人狼ね。さすがだわ」
 思い通りの結果にソラは満面の笑み。
「体力も精神力も申し分ないわね」
 足首の鎖を外されて、小夜子の体は台座の上に降りる。
「頑張ったね~」
 小夜子の背中を抱きとめたハレは上機嫌。小さい子供にするように頭を撫でるハレの上で、アメとユキ、ソラは梁の解体に取り掛かっていた。
「……うん?」
 梁を外して持ち上げたアメは、呟いて首を傾げる。
 手にした梁はほのかに温かい。
 昨夜は特に冷え込んでいたはずなのに、この温度は――、
(まるで、誰かが体温で温めていたかのようだね)
「アメ、どうしたの?」
 動きを止めたアメにソラは尋ねる。
「……いいや、何でもないよ」
 返事をして、アメは取り外した梁をソラに差し出す。
「人狼は凄いと思っただけさ」
 受け取ったソラもまた、梁の温度に気付いた。
 梁からアメへ視線を移すと、アメは口許に笑みを浮かべてうなずく。ソラもうなずいて、アメの言葉に返事をした。
「ええ。人狼ってとっても賢い子のね」
 密かな笑みを交わすアメとソラの傍ら、ユキは小夜子の拘束を元に戻す。
 束ねられていた足首は分けられ、両足首は再び鎖で繋がれる。腿の戒めを解かれた直後、ハレは体を隠す布の中に手を潜り込ませた。
「ここ、縛られて痛かった? 大変だったでしょ~」
「っふ、……うー……!」
 締め付けられて微かに赤みを残す場所をさすられて、ピリピリとした痛みを覚える小夜子。
 夜の間は体を休められたが、メイドたちを待つ間は再び吊られていた。頭痛や体の疲労もそれなりな状況では、体の感覚は鋭敏だった。
「また牢に戻ったら、ちゃ~んと縛り直してあげるからね」
 囁きかけて、ハレは小夜子の腿に爪を立てる。
「ッ……!」
 ビクリと身を震わせる小夜子は、思わず歯を食いしばる。

 逆さ吊りの苦難から逃れたからといって、小夜子はこの屋敷から逃げられたわけではない。
「『次』も、ちゃ~んと耐えてみせてね?」
 悪戯っぽいハレの声は、囚われの日々がまだ終わらないと告げていた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2023年06月08日


タグの編集

 現在は作者のみ編集可能です。
 🔒公式タグは編集できません。

🔒
#ダークセイヴァー
🔒
#ノベル


30




挿絵イラスト