砂漠の爪こと砂月楼閣シャルムーンの北西には、『創世巨獣の骨』が埋まっている。巨大という言葉では生易しいほどの極めて巨大な骨格の中に、その都市国家はあった。
「うわあ……」
頭上遥かに連なる肋を見上げて、白い毛並みのシーベアルグが一匹――ウルザ・ルーナマリアは感嘆の声を上げた。未知の世界への興奮からか、魚のような長い尾は知らずぱたぱたと揺れている。
「ここが骸殻荒野ガルヒェンかあ!」
「ガルシェン、だ」
ぴしゃりと言い直した声の主は、深緑に輝く尾を背に引きながら悠々と少年の横を抜けていく。後ろも振り返らず歩いていくその姿を追って、ウルザはぽてぽてと走り出した。広がるガルシェンの街並は何もかもが規格外に大きく、まるで自分が縮んでしまったかのような錯覚を憶えるほどだ。
「待ってよあんちゃん!」
それほど愛想のよい方ではないこのリザードマンと知り合ったのは、今から数週間ほど前、『みどりあな』こと天崖峡谷グランケイヴでのことである。故郷の海を出て各地を巡る旅の途中で立ち寄ったみどりあなの桜祭りは盛大で、ウルザもまたこれを大いに満喫したのだが、調子に乗って路銀を使い果たしてしまった。金がなければ身体で払うしかない、というのは古今東西の常識で、ウルザは金貨を支払う代わりに働いて返すことを申し出た。そして、キャンディショップの店主を務めるチッタニアンの指示に従い、こうしてガルシェンへの荷運びに同道したというわけである。
「なあ、グントゥルあんちゃん」
「なんだ」
「あんちゃんは、みどりあなの用心棒なんだよな」
「そうだが」
話す間も歩みを止めることはない蜥蜴が――グントゥル・ダーシャが背に負った大きな布袋の中には、人間の頭一つ分はありそうな巨大な『キャンディの実』がごろごろと入っている。
「どっちかっていうと、なんでも屋じゃないのか?」
「…………火急の用件がなければ、できる仕事を手伝うだけだ」
まるで竜の眼のように大きなキャンディは、ガルシェンに暮らす巨人達のための特別製だ。世界の瞳がつながって都市間の移動は格段に楽になったが、どんな都市でも最後はこうして手ずから荷を運ばねばならない。ごろごろと袋の中で動き回るキャンディの玉を持ちにくそうに背負って、グントゥルは言った。
「それより、いいのか」
「何が?」
「ニンゲンが怖いと言っていなかったか」
「ああ、うーん……そんなこと言ったっけ。……怖い、とは、ちょっと違うかもしれないけど」
しばし考えるように海色の眼差しを巡らせて、年若いシーベアルグは結局、『そうだね』と頷いた。
「俺の生まれたところは、バルバしかいなかったからさ。怖いっていうか……慣れないっていう方が正しいかな。じろじろ見られるのも、好きじゃないし。でも、巨人は平気」
「どういう理屈だ……」
後をついて歩く白熊を一瞥して、蜥蜴は小さく息を吐く。また少し、歩く速度を上げては追いつかれ――を繰り返して街の中ほどまで到った頃、グントゥルはふと足を止め、言った。
「……結局、理屈ではないのかもしれんな」
普通に考えれば、だ。ガルシェンの巨人達は基本的には人間と似たような形をしているうえにその名の通り巨大で、人間が怖いというのならば巨人などもっと怖いに決まっている。それでも人間をのみ遠巻きに眺めてしまうのは、バルバ達の集団の中では感じなかったもの、即ち彼等から向けられる好奇の――あるいは敵意のある視線が、少年にとって居心地が悪いものだったからなのだろう。それは丁度グントゥル自身が、人間の一部分を忌み嫌っているのと似たようなものなのかもしれない。
「あんちゃんは人間、だめなんだっけ」
「駄目とは言わん。まともな者がいれば愚かな連中もいる。ニンゲンも、俺達も同じことだ」
幼き日、親と慕った同胞を目の前で殺した人間がいた。彼等は酷く怯えきっていて、こちらの話しを聞こうとはせず、もう動かない仲間の骸を何度も繰り返し切り刻んだ。多分、彼等はバルバという生き物が憎かったのではなく、怖かったのだろう――それだけの恐怖を彼らに与えたバルバが、どこかにいた。それもまた、覆しようのない事実なのだ。
「頭で分かっていても、どうにもならないことはあるがな」
「……そっか。でも俺は、いつか頑張って人間の街にも行ってみたいなあ」
「物好きな奴だ」
小さく嘆息して、蜥蜴は再び歩き出す。目的地の市場はもうすぐそこだ。そうだ、と青い瞳を輝かせてウルザは言った。
「なああんちゃん、みどりあなのみんなにお土産買ってかない?」
「無茶を言うな。持って帰る前に潰れるぞ」
「持って帰れそうなものを探せばいいじゃん!」
外れがないのはやっぱり食べ物かな、と一人ごち、白熊は笑った。相互理解は融和の第一歩――人や巨人の街を知らないバルバ達、特にみどりあなで生まれ育った子ども達にとっては、この旅の土産が世界を知るきっかけとなるに違いない。
成功
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