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ある少年の回顧録

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水鳥川・大地




「お前、なに見てんだよ」
「……あ?」
 反射的に返した声にあからさまな不機嫌が覗いたのは、不可抗力であったと思う。四人か、五人か。いや、六人いる。日焼けした建物の壁にもたれて座る少年――水鳥川・大地は、気付けば不躾極まりない視線の中心にいた。登校していれば今頃は四時限目の終わりを迎えようかという正午前、怪しげな看板が連なるうらぶれた飲食店街は閑散として、白昼堂々街を練り歩く不良少年達を咎める者もいないと見える。もっとも――傍から見れば大地自身もまた、そんな不良少年達と大差ないのだろうけれど。
(「三年? ……いや、高校生か」)
 センスの欠片もなく改造されてはいるが、目の前の一団の服装には薄ら見覚えがあった。多分、この辺りで幅を利かせているナントカという高校の生徒だろう。授業をさぼってふらついているのはお互い様とはいえ、明らかに年下の中学生を相手に絡んでくるなど、よほどの暇人なのだろうと思う。
「おい、聞いてんのか?」
 ずいと顔を覗き込まれて、大地は不快感を隠す気もなく眉間に皺を寄せた。返事は敢えてしないまま、のろりと立ち上がればその目線はそこに居合わせた誰よりも高く、年上の少年達が一瞬、気圧されたように沈黙する。しかしすぐに気を取り直して、彼等は口々に言った。
「聞こえてんのかって訊いてんだよ」
「耳ついてんのか?」
「っせえな。てめぇらの方こそ、目ぇついてんのか? 中坊相手に寄ってたかって、ダッセ」
 気後れすることなく言い放てば、ぴしりと空気がひずむのを感じた。まあ、彼等にすれば面白くはないだろう――何しろ大地とてこの外見だ。金髪、ピアスに、鷹のような鋭い目つき。彼等としては調子に乗った中学生こどもをいびって、怖がらせて持て余した暇を潰すつもりだったのに、相手の上背が思いのほか高く、しかも怯む気配もなく言い返してきたのだから、出鼻を挫かれたに違いない。こうなると、彼等が次に何を言ってくるかは相場が決まっている。
「生意気言ってんじゃねえぞ、ガキが!」
「ガン飛ばしてきたのはそっちだろうが!」
「この目つきは生まれつきだっつの」
 そらきた、と思いながら、大地はじとりと双眸を細め、制服の胸を掴んだ手を振り払う。手と手のぶつかる乾いた音は、真昼の歓楽街の底で妙に大きく反響した。
「見られて困る顔なら隠しとけよ」
 言い捨てた声に、侮蔑が混じったことを否定はしない。肩越しにかち合った視線の先で、相手の瞳に燃えるような――けれど陳腐な、怒りが宿る。
 来る、と知覚すると同時、身体は勝手に動いていた。
「!」
 その俊敏な身のこなしに驚いたのは、勿論、相手の方だった。目と鼻の先にまで迫った拳を片手で受け止め、もう一方の手で腕を掴んで勢いのままに投げ飛ばす。軽々と宙を舞った不良の身体は放物線を描いて路地裏のゴミ置き場へ突っ込み、ぐあっとくぐもった悲鳴が上がった。
(「ああ――今日はツイてねえな」)
 まったく、なんだって世の中というものは彼を放っておいてくれないのだろう。
 そもそもここへ来たのだって、鬱陶しい事柄から距離を置くためだったのに、結局こんな面倒事に巻き込まれるなんて。
「てめえ!」
「ふざけやがって!」
 ゴミ溜めでのびてしまった仲間の姿を一瞥して、不良達が声を上擦らせ飛び掛かってくる。しかしそんな風に焦って仕掛けてこられても、悪いが怖くもなんともない。二人同時に相手取るのは面倒ではあるが、経験がないわけでもなかった。繰り出されるパンチの下をひょいと潜って相手の懐へ潜り込み、固めた拳を顎の下から突き上げる。ゴッ、と鈍い音と共に仰け反った身体を路傍へ突き飛ばし、大地はすかさず反転した。
(「これで二人――」)
 そして次が、三人目。考えもなく飛び掛かってこようとするのを回し蹴りの要領で文字通り一蹴すれば、あっという間に半分だ。こきりと小さく肩を慣らして、少年は言った。
「どうした。こんなもんかよ?」
「くそっ、テメェ!」
 ぎりと奥歯を噛み締めて、不良の一人がぼってりとしたズボンのポケットに手を入れた。おい、よせよと口々に言う他の二人には構う素振りもなく、柄も育ちも悪そうな少年が取り出したのは――。
(「マジかよ?」)
 パチンと軽い音を立ててその手に収まったのは、折り畳み式のナイフが一振り。子どもの喧嘩に使うような代物ではないが、軽い気持ちでちょっかいを掛けただけの相手にそんなものまで持ち出すことになるなんて、多分、相手も考えてはいなかっただろう。とはいえ――それはさしもの大地にも、些か想定外であって。
「ちっ」
 目を守ろうと背けた顔の、右頬が鋭い熱を帯びる。ぽたり、滴り落ちた赤に驚いたのはしかし相手の方で、うわっと情けない声と共にその脚はたちまち地面に縫い付けられる。
 苦々しげに眉をひそめ、大地は唸るように言い放った。
「ビビリのくせに刃物なんか持ち出してんじゃねーよ」
 動揺して隙だらけの相手を畳み込むのに苦労はしなかった。ナイフを持つ少年の手を革靴の先で力いっぱい蹴り上げて、不細工な横顔に痛烈なストレートを食らわせる。勢いのまま壁に激突した少年はその場にずるりと崩れ落ち、完全に気を失ってしまったようだ。
 ぐいと無造作に頬の傷を拭って、大地は残った二人を見た。
「まだやるか?」
「! いや……」
「いいよ、俺達はもう」
 遠慮する、と諸手を挙げて、二人は倒れた仲間達には目もくれずに逃げていった。本当に、どいつもこいつも碌なものではない。
 はあ、と重たげに嘆息して、大地はビルの縁に切り取られた天を仰いだ。
「また無駄な体力使っちまった……クッソ」
 まったくもって、下らない。
 もう一度深々と溜息をついて、少年は携帯電話を取り出した。ロック画面では、日向ぼっこの野良猫達が思い思いにのたくっている。
「……今から学校……でもないよな」
 どうせこの傷を見られたら、またあることないこと言われるに決まっている。携帯を制服のポケットへ戻して、大地は言った。
「猫でも見に行くか」
 こういう時は、野良猫ウォッチングに限る。のびきった不良達を路地裏に残したまま、大地はふらふらと歩き出した。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2023年05月21日


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