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春花の魔女のささやかなる苦悩

#カクリヨファンタズム #ノベル

ハノア・シュルストロップ




「……これはちょっと、違うかしら……」
 天頂を過ぎた陽射しが光の階梯となり、古びた木の床を照らす午後のことである。草花の図案を彫り込んだ木製の姿見の前に立ち、ハノア・シュルストロップは呟いた。僅かに寄せた眉の下、碧緑色のフローライトの瞳には訝るように眉をひそめたエルフの少女が映り込んでいる。
 パフスリーブの可愛らしいエプロンドレスの襟を正しながら、何を悩んでいるのかといえば他でもない。今を遡ること二週間ほど前、アックス&ウィザーズの森の中で一人暮らす彼女の元に、一羽の鴉が手紙を運んできたのである。


『親愛なるハノア・シュルストロップ様
 
 突然、お手紙を差し上げるご無礼をお許し下さい。
 私は幽世の魔女。
 この度、私の住む世界で、魔女の皆様をお招きして夜会を開くことと相なりました。
 つきましてはハノア様にもぜひご出席を頂きたく――』


 丁寧に封蝋を捺した手紙には、そんな内容が記されていた。古今東西の魔女が集う、魔女集会への招待状だ。人との関わりを極力避けて森に隠れ住む彼女にとって、それは正に青天の霹靂とでも呼ぶべき事態であった。
 それにしても、とハノアは想う。
(「私が魔女で、しかもここに住んでいるって……どうして分かったのかしら」)
 その問いに対する答えは恐らく、招待主もまた魔女であるからなのだろう。と言うよりも、他に説明のしようがなかった。差出人のこともろくに分からない手紙をあっさりと信用するほど愚かなハノアではないが、それはそれとして、自分と同じ『魔女』達が集う場に興味がないといえば嘘になる。もしそれが本当に魔女達が情報を持ち寄り、親睦を深め合う場なのだとしたら、或いは。魔女の『友達』ができるかもしれない。
 そう考えては無下に断る気にもなれず、とりあえず参加するとだけ返事をした。なに、彼女は猟兵だ――怪しいと思ったら、最低限切り上げる力も術も備えている。そういったわけで、少女はかれこれ一週間は前から夜会の洋服選びに頭を悩ませているのである。
(「普段着ってわけにはいかないし……」)
 ドレスコードは特に指定されていないが、あまりみすぼらしい格好で赴くのは流石に気が引ける。本当はこの水色のドレスを着て、庭に咲いた青い花を髪に飾って行こうかと考えていたのだが――。
「……ないものは、しょうがないわよね」
 庭の花壇で育てていた青く可憐な花は、万病に効く薬草でもあった。今年は一際美しく咲いたのだが、生憎と昨日、森に迷い込んできた子どもに――病気の家族のために、必要だなどというものだから――すべて持たせてしまった。となると、花に合わせて選んだドレスの色味も考え直さねばなるまい。
「……大丈夫よ。これくらい、どうってことないんだから」
 誰に何を言われたわけでもないのに口をついて出る言葉は、自分自身を鼓舞するためのものだ。すいと右手の人差指を一振りすると、部屋の片隅の衣裳箪笥がひとりでに開き、何着かのドレスがふよふよと浮いてハノアの元へやってくる。しかし彼女が箪笥の中に持っているものといえば動きやすさ重視のドロワーズとエプロンドレスばかりだ。それはそれで可愛らしいのだけれども、あまり子どもっぽい格好をして行って下に見られでもしたら面白くない。とはいえ、そもそも大人びたドレスなどはまず持ってもいないわけで。
 手持ちの衣裳を一通り手に取り見比べて、少女ははあと溜息をついた。
「……こうなったら」
 奥の手ね、と呟いて、ハノアは短い呪文を紡ぐ。すい、と再び指を振れば舞い上がった煌めきの粒子に触れて、いかにも村娘風の素朴なドレスが一転、イリュージョンレースが大人びた印象を与える袖なしのイブニングドレスに変化する。
 星屑に似た金銀の宝石を鏤めたスカートは、上品な光沢を放つ群青のサテン。シンプルなストラップのパンプスと、手首から先を覆う手袋を同じ色で揃えていけば、宵色の装いに包まれて輝く白いかんばせはまるで月のようだ。
(「後は仕上げね」)
 首の後ろに差し入れた両手で長い髪を背に払えば、緩く波打つ白銀はくるくると勝手に巻いて、後頭部に緩やかなシニヨンを形づくる。これまたひとりでに動く口紅で唇を飾り、光の蝶をまとめ髪に停まらせたら、これで完璧――のはずだ。
「……これでよし」
 常に魔法を掛け続けていなければならないのは少々面倒だが、背に腹は代えられない。大したことないわ、と自分に言い聞かせるように呟いて、ハノアは小さな鞄を一つ手に歩き出す。しかし、ギシギシと鳴る床を踏んで玄関扉に手を掛けた所で、少女ははたと足を止めた。
(「……私以外の『魔女』って――」)

 どんな人がいるのかしら。

 どんな人に、出逢えるのかしら?

 半分の不安と半分の期待を胸に秘め、少女は住み慣れた小屋を後にする。向かう先はカクリヨファンタズム――そこではどんな出来事が、彼女を待ち受けているのだろうか。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​



最終結果:成功

完成日:2023年01月08日


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挿絵イラスト