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現幻

#UDCアース #感染型UDC #宿敵撃破

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#宿敵撃破


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●ゆめ
 おかあさま。
 この声は届いておりますでしょうか。なり損ねた『わたしたち』に成せることは、ございますでしょうか。
 夢も現も、所詮はこわれものにございます。目を閉じれば見えぬうつつと、目を開けば視えぬゆめの、どこに違いがございましょう。
 所詮、みな胡蝶に過ぎないのです。
 現を喰らえば生きられません。夢を喰らえば死ねません。だからでしょうか。よりどころと成した心はみな、壊れたのです。
 おかあさま。
 『わたしたち』は、このやわい心を憐れに思います。
 ですから。
 めぐりましょう。
 まわりましょう。
 かさねましょう。
 あまねくすべてに見せましょう。
 終焉の、甘き夢と希望を。

●まぼろし
 みよ。
 みよ、みよ。
「熱いよ」
 ――大丈夫だよ、りっちゃん。
 みよの手が私の手を包んだ。教室の薄いドア一枚を挟んだ廊下が燃えているのに、みよはいつものように笑って私を見詰めている。
 小さな覗き窓の向こうで、私の教科書を破り捨てて笑った声が泣き叫んでいる。私の方を見てにやにや笑う男子が、我先にとつるむ仲間を押しのけていく。
 本当は――。
 多分、何かを思うのだろう。ざまあみろ。罰だ。報いだ。いや幾らなんだって可哀想だ。助けてあげなきゃ。ここまで火が回ったらどうしよう。死にたくない。いや死にたい。生きたい。生きたくはない。
 どれでもない。
 私はただ、もう一度、みよと教室で過ごせるのが嬉しいだけだ。その向こうが燃える地獄でも。隣の席にみよが座っているのが、この上なく嬉しい。
「私、おかしくなっちゃったのかな」
 ――大丈夫。
 みよが笑っている。
 ――りっちゃんがおかしくなってたら、私、りっちゃんのこと怒ってるから。
「うん」
 かみさま。
 いるかもわからないし、多分いない、かみさま。
 もしこの部屋に怖いものが入ってきたら、私は良いです、みよを助けてください。
 みよは私を助けてくれたんです。今も助けてくれるんです。みよが代わりになりそうになったから、あんな風に無理矢理離れたけど、それも結局、みよを傷付けるだけだったんです。
 ――今日のりっちゃんは、みよ占いでは一位だよ。
 星座占いが最下位だなんて、どうでも良いことで落ち込めていた日を思い出す。みよはしょぼくれる私に、ラッキーカラーの赤い鉛筆を分けてくれて、笑ったのだ。
 ――かみさまよりも。
 今と同じように。
 ――私を信じてよ、りっちゃん。

●うつつ
「お母さん」
 呼ぶ声に足を止めた女性が、ゆっくりと己の娘を振り返る。茫洋と空を見詰める眸に、僅かな動揺の色を見て取って、母と呼ばれた彼女は首を傾いだ。
「美陽。どうしたの」
「りっちゃんが」
 美陽と呼ばれた少女が指を差す方に、二人の少女の後ろ姿が見えた。幼い頃こそ懇意にしたが、ここ最近は顔も見ていない。制服を着ていなければ見分けはつかなかった。
「梨華ちゃん? いたの?」
「うん、でも――」
 ――美陽の表情が怪訝に歪む。
「あの子、誰なんだろ」
「お友達じゃないの」
「知らない子だよ。学校でも見たことない」
 りっちゃんが知らない子と一緒にいられるわけないよ。
 誰より近くにいた娘の言うことは、尤もだった。脳裏に浮かぶ小さな面影は、大人しくて人見知りをする子供だったと記憶している。
 だから――あんなことにもなってしまったのだろうし。
「まあ――出て来られたなら、明日にでも訊いてみれば良いんじゃない?」
 追いかけるわけにもいくまい。言外に孕んだ意味を、美陽はしっかりと受け取ったらしい。彼女にしては珍しく少しだけ項垂れて、零れた声は少しだけ低く響いた。
「そうだね。そうする」

●うつし
 小柳津・梨華は見付かっていない。
「捜索願いまで出されちまって、近隣は大騒ぎだ。同級生はSNSで噂も拡散しちまってる。じきに全国的な報道になるだろうなァ」
 ――感染型UDCが跋扈しようとしていると、ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)の尾が揺れた。
「発端は小柳津・梨華の失踪だ。中学三年生で――いじめに遭って引き籠もっていたんだが、ふらっと家を出て戻らない、ということらしい。その失踪がUDC絡みということだな」
 件のUDCの第一発見者の御手洗・美陽は、梨華の友人だ。
 友人というより、幼馴染みと言った方が正確かもしれない。幼い頃から仲が良く、不登校になった梨華を気に掛け、最後まで接触を試みようとしていた少女である。詳しく語ろうとはしないが、何らかの理由で梨華から接触を拒まれており、失踪直前の彼女を目撃した際には声を掛けられなかったという。
 隣に知らない子がいた――。
 彼女はそう証言した。長く伸ばした黒髪と、住宅街には似つかわしくない浮世離れした服装の娘だったという。
「人の心を苗床にして顕現するものだ、と予知には出ている」
 今の苗床は梨華だ。生きてこそいるが、満たされた狂気が心を千々に引き裂くまでに時間は多くない。この場で対処しなければどうなるかは想像に難くないだろう。
「だが本命に辿り着く前に、美陽の周囲に湧いた化け物共を何とかしてやって欲しい」
 発生しているのは悲哀を嘆くものたちである。その中央で泣いているのが美陽だ。まずは彼女を助けるために、心の中に生み出されるどうしようもない負の感情を捻じ伏せねばならない。
 全てを殲滅したのなら、話を聞くのは簡単だろう。元よりはっきりした性格の彼女は、大切な友人のためならば何でも語ってくれるはずだ。
 それから――。
 ニルズヘッグは曖昧に笑った。
「今なら、梨華も助けられる」
 彼女が今以て持ちこたえているのは、その心に確かな支えがあるからだ。
 それを蹂躙したり破壊したりしない限り、梨華は生きて目を覚ますだろう。そのためにも、まずは猟兵らの心を保たねばならない。
「だが後遺症は残る。そのことは肝に銘じておいてくれ」
 或いは、それは死ぬよりも深い辛苦を強いることかもしれない。
 心を抉る夢と幻。そもそも精神の一部を引き裂いて寄生するものなのであれば、刻まれた傷が癒えることはないだろう。
 そこまでを深刻な声音で語ってから、男はひらりと軽やかな笑みを浮かべた。
「だが、幸いにして、彼女には両親も友人もいる。希望が失われるわけじゃあないさ。こういう言い方は些か無責任かも知れないが――後はエージェントと親しい者に任せるしかあるまい」
 頼むよ。
 苦みの混じる笑みを浮かべたまま、その掌でグリモアが光る。


しばざめ
 しばざめです。
 鮮明な悪夢を見ることがままあります。

 今回は三章とも心情重視の構成です。心情をメインにしたプレイングだと大変喜びます。
 今回のシナリオは、必ずしもハッピーエンドだと感じられる結末にはならない可能性があります。ご承知おきください。

 一章では、敵集団の嗚咽が呼び起こす「どうしようもない悲しみ」に抗って頂ければと存じます。
 付随した出来事を引き出される、原因のない悲しみと絶望に打ちひしがれる、どのようなプレイングでも大丈夫です。敵集団を打倒すれば、その心地もたちどころに消え失せます。

 二章以降の詳細は、随時追加する断章にてお知らせします。プレイングの受付についても同様です。
 それでは、お目に留まりましたら、どうぞよろしくお願い致します。
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第1章 集団戦 『嗚咽への『影』』

POW   :    嗚咽への『器』
戦闘力が増加する【巨大化】、飛翔力が増加する【渦巻化】、驚かせ力が増加する【膨張化】のいずれかに変身する。
SPD   :    嗚咽への『拳』
攻撃が命中した対象に【負の感情】を付与し、レベルm半径内に対象がいる間、【トラウマ】による追加攻撃を与え続ける。
WIZ   :    嗚咽への『負』
【負】の感情を与える事に成功した対象に、召喚した【涙】から、高命中力の【精神をこわす毒】を飛ばす。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●うつしよ
 啜り泣く声が満ちている。
 昼下がりの閑静な住宅街の一角である。およそ似つかわしくない黒ぐろとした影が跋扈していることを除けば、ありふれた光景だ。
 その最中で少女が泣いている。
 制服にくしゃくしゃの皺を寄せて、彼女は胸を裂かんばかりに握り締めていた。影が零すどろどろとした何かに紛れ、御手洗・美陽の涙が、アスファルトに染みた。
「ごめんなさい――」
 何かに謝り続ける彼女を救わねばならない。猟兵たちとて、それは分かっているはずだ。
 ――ただ。
 狂気の汚染は既に始まっている。その心に這い寄る悲しみと絶望が、前に進む膝を折ろうと染み出して来る。
 仲間を増やさんと頽れて泣くそれらも、所詮は影に過ぎない。振り払えば埋め尽くすような痛みごと消えていくだろう。
 どれほどの辛苦を背負っても。
 どれほどの絶望がその身を浸しても。
 今は――前へ進まねばならない。

※プレイングは【2/28(日)8:31~3/3(水)】の受付です。
※量によっては再送が発生する可能性があります。ご了承ください。
ベスティア・クローヴェル

オブリビオンを倒す為とはいえ、村をひとつを自らの手で滅ぼした出来事を思い出す
本来守るはずだった人々を手に掛けて、後悔して、謝り続けて、それでも消えない罪悪感
ただその場に立ち止まって、どうすればよかったのかと悲嘆に暮れた日々

そんな時を過ごしたからこそ、悲しみに埋もれて立ち止まっている暇なんてないのに
手に握る剣を落とし、膝をつきそうになる

彼等の死を背負い、より多くの人を救うと決めたのだから
悲しんでいる暇なんてないのだから、そんなものは燃やしてしまえ
己の持つ全てを燃やし、前へと進む糧としろ

喜びを、悲しみを、怒りを、心を、身体を

そして命さえも薪として

この身が灰となるその瞬間まで、私は歩き続ける




 ごめんなさい。
 謝る声が誰のものだったのか、嗚咽ばかりが満ちる道にあってはよく分からない。影か、囲まれて頽れた少女か、それともこの狂気に中てられた一般人か。
 或いはそれが、己の喉から零れたものなのかさえ――。
 喉に指先を遣る。無意識になぞった咽頭に、柔らかな圧迫感が齎される。自分の手がひどく冷えているということに、ベスティア・クローヴェル(太陽の残火・f05323)は初めて気付いた。
 仕方がなかった。
 ――仕方がなかった、なんて台詞で赦されるようなことではなかった。
 それ以上の犠牲を防ぐために、何かを切り捨てねばならないことは多くある。助からないものは助からない。既に骸の海に沈んだ過去の名残であるならば、尚のこと。
 あの日、ベスティアの手をすり抜ける血溜まりになったのは、ひとつの村だった。
 殺戮を必要としていた。そうしなければ終わらない惨劇だった。それでも――投影された全てが、その元凶ですら――願ったのはただ、彼女が守るべき人々と同じことだったのだ。
 生きたい。
 死にたくない――。
 お前のせいだ。
 お前のせいだ、お前のせいだ、お前のせいだ。
 脳裏に繰り返すのは誰なのだろう。数多の声が重なって、それぞれの音すら上手く聞き取れないのに、糾弾だけは耳朶によく響く。あの日の熱に重なって、心を焼き尽くす慙愧が身を埋める。
 嫌というほど味わってきた。幾度だって謝罪を繰り返した。自問に応えはないまま、今だって心のひとひらを置き去りにしている。終止符を打つ感触が今もまざまざと両手に蘇った。あの眼差しも、ひとときたりとて忘れたことはない。
 だから。
 だからこそ、立ち止まっている場合ではないと、知っているのに。
 忘れ得ぬ視線が身を貫いた。嗚咽する影の中に彼女らがいる気がする。こちらを見て、またあの眸で、ベスティアを射貫くのだ。
 耐え難く背筋を遡るよく知る感覚に、手の力が抜ける気がした。取り落とした気がして握り締めた柄の感触が、あの日にひらめかせた刃を余計に思い出させる。浅くなる呼吸に視界が滲んで、茫洋と白む現実感に呑まれそうになる。
 その最中――。
 燃える左腕の罅割れが目に入った。
「――そうだ」
 歩かなくてはいけない。
 己の齎した惨劇を背負い、死者のまなこに苛まれ――だからこそ、彼らの死の分まで誰かを救い続けると誓ったのだから。
 体が動かないのなら、燃料を増やせば良い。身を伝う黒炎を纏った剣が、くゆるように天へと昇る。
 誓いで足りぬなら喜びを。喜びで不足なら悲しみを。悲しみも食らい尽くしたなら怒りを。怒りが尽きたなら心を。心が灰となったなら体を。
 体が炭となったなら。
 ――この命を、焼べてでも。
 銀色の髪が翻る。太陽を覆うように振りかぶられた大剣が、影の群れを薙ぎ払う。
 後に遺るのは――アスファルトを焼き尽くして舞う、灰だけ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

六道・橘

哀しみは何時だって落下感を伴う
堕ちて逝く
私の生まれた世界では作れない凌雲閣の三倍の遙かな高みから

屋上に残る、私と…俺と同じ顔をしたあの人は――
羽ばたいて戻れと泣いてるんだろうか
どうしてと混乱しているんだろうか
…いい気味だ死ねと俺を嘲っているんだろうか
生まれてから18歳まで兄の考えは三つ目、そう信じて疑い憎んでいた
でも三つ目じゃなかったと知らされて、俺は何より自分の浅ましさを恥じた

これで赦されたら惨めじゃないか
嗚呼、本当は…俺が兄さんを護らないといけなかっ…
なにも果たせず朽ちた己が哀しい

九死殺戮刃使用
9回の内1回自分を傷つければ寿命は減らない、けれど
おかしいわね
私、何回自分を斬ってるのかしらね




 堕ちている。
 何もない空を踏んだときの感触に似ている。そのまま傾ぐ体が、風を切って墜落する感覚に似ている。凌雲閣を遥かに超える高みから、永劫続くとも知れない重力加速度に、途方もない時間を包まれている。
 このまま永遠に引き延ばされそうだ。
 六道・橘(■害者・f22796)にとっての悲哀は、いつでも落下の浮遊感を孕んだ。三十八階建てのビル。赫いねがい。依存。共生。虚ろ。兄。弟。遠ざかる屋上。見下ろす。否。
 ――見下ろされる。
 墜ちて逝く弟を見て、片割れの兄は何を思っていたのだろう。見上げた先にある顔は、橘の目には遠すぎてよく見えない。
 混乱しているようにも見えた。突如として目の前に突きつけられる現実を受け止められずに、呆然と落下する体を見送っているのか。
 悲しんでいるようにも見えた。ありもしない奇跡を願い、どうか羽ばたいてこの手に戻れと、腕を広げ手を伸ばして救おうとしているのか。
 或いは――嗤っているようにも。
 いい気味だと、どこか歪んだ声がした気がした。そのまま死んでしまえば良い。地面に叩き付けられて、無様に潰れてしまえば良い。最期の瞬間、橘の意識を一番に巡ったのは呪詛にも似た感覚で、だから。
 ずっと――そうなのだと思ってきた。
 生まれてから十八に至るまで、世界すらも違えた兄に向け続けたのは、どうしようもない憎悪だった。死を嘲る呪詛こそ彼が己に向けるものの本質で、そこにあったのは表面ばかりがつるつるとした歪な匣で、その裡に飼う刃をいつ振り下ろすかを考えているばかりの関係だったのだと信じてきた。
 けれど。
 ――十八になって、それが浅ましい間違いに過ぎないのだと知った。
 叩き付けられるように手の内へ転がり込んできた現実を前に、耳を塞いで泣きわめけるほど、橘は子供ではなかった。一度勘違いだと認めてしまったら、もう否定することは難しい。
 どうしようもない恥の次に、襲い来たのは虚脱に似た後悔だった。
 こうまで愚かしい己を赦されてしまったら、地面に叩き付けられて潰れるよりも惨めだ。ずっとずっと気付かなかった。それどころか兄を憎みすらした。見上げた先、遠ざかっていく顔がどんな色を描いていたとて、思うべきだったのはそんなことではなかったのだ。
 本当は。
 俺が、兄さんを護らないと、いけなかっ――。
 衝撃がある。体が跳ねる。生きている。握った刃が光る。光って――。
 振るった銀が凄まじい速度でひらめいた。風を切るように光を振るうたび、影の首が刎ね堕ちる。
 痛い。痛くて哀しい。なにひとつ果たせず朽ちた己が。
 この刃は、九つに一つ己を裂けば良い。そのはずなのに、いつの間にか体中が痛い。零れる赤の裡で、笑声が空疎に響く。
「おかしいわね」
 ――いったい幾度、この身を切り刻んだのだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リック・ランドルフ


ここで謝罪するんじゃなくて、謝るならしっかりと本人に直接、会って謝るべきだと思うぜ、俺は。


だから、邪魔するコイツら、俺が相手してやるよ。……だから、嬢ちゃん。……立ち止まらず、前に進め。



というわけでお前さん達、こっからは俺がお前達に付き合ってやるよ。


……どうした?ぶつけて来いよ、お前達の全てをよ

(構えずに突っ立て攻撃を受ける)

――成る程、こりゃ確かに……膝を付きたく、……立ち止まりたくなるな。……ああ、そうだ。人生ってのは思い通りにいかない。

些細なことでケンカして、謝れずに終わることも多々ある。何度も何十回も……






でもな、それでも生きて、ソレを抱えて生きて前に進まなきゃいけないんだ。抱えてな。




 ここで謝ったとて、誰にも届かぬ悲痛となって消えるだけだ。
 頽れる気持ちが分からないわけではない。ただ、リック・ランドルフ(刑事で猟兵・f00168)には積み重ねてきた年月と、その分の含蓄がある。だから、影の裡側で泣く少女に向けて、掛けるべき言葉も見付かった。
「謝るならしっかりと本人に直接、会って謝るべきだと思うぜ、俺は」
 ――それを邪魔するものがあるならば、リックが道を拓いてみせよう。
 それこそが示せる態度というものだ。すっかり小さく縮こまっている頭に手を伸ばし、しゃがみ込んで優しく撫でてやれば、零れる嗚咽が幾分止んだ。
 今ならば――。
 この言葉も、彼女の心を持ち上げる力になるだろう。
「嬢ちゃん」
 何があろうと。どれほどに辛かろうとも。伝えたい言葉が、その裡にあるのならば――。
「……立ち止まらず、前に進め」
 涙に濡れた眸が、ゆっくりと持ち上がった。静かに告げる声を咀嚼して、飲み込んで――美陽が確かに頷いたから。
 リックは立ち上がる。ならば後は、約束を果たすのみだ。
「というわけでお前さん達、こっからは俺がお前達に付き合ってやるよ」
 ゆっくりと広げた腕は無防備だった。ひとつとて防御の姿勢を取らぬまま、彼は許容するかの如くに立ち尽くす。
 ――響く嗚咽が僅かな困惑を湛えたような気がするのは、気のせいだっただろうか。
「……どうした? ぶつけて来いよ、お前達の全てをよ」
 その絶望も。その悲哀も。こうして腕を広げておきながら、受け容れられないような生き方をしてきたつもりはない。
 リックの姿に幽かにさざめいた影の群れは、しかしすぐにその身を獲物と定めたようだった。高まる泣き声と同時、縋るように伸びた腕が、その屈強な体に触れる。
 刹那――。
 心の奥底に迸る感触に、地面が揺れた。裡側より引きずり出される痛みを悲しみと呼ぶことを、それがときに膝を折る理由になることを知っている。
 それでも。
 リックは歯を食い縛った。たたらを踏んで、足に力を入れ直す。開いた蒼空の眸は、暴力的なまでの感情の嵐に揺れながら――それでも決して、下を向くことはしない。
 喧嘩をして、謝れずに――遠く消えていった縁だって、多くある。
 そのたびに後悔をした。きっと今だって燻っている。そういうことを繰り返して、傷を負って、積み重なる年月を数えるたびに痛みを懐くのだ。
「でもな、それでも生きて、ソレを抱えて生きて前に進まなきゃいけないんだ」
 紡がれては至らず消えていく、数多のひかり。けれどここに残るものも同じだけある。無駄だったことも、ただの痛みにしかなりえない傷も、きっとない。
 マメの潰れる痛みがあればこそ、硬くて厚くて、誰かを守れる手が出来上がるのだから。
 生きねばならないのだ。
「――抱えてな」

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英
悲しみは何時も傍に居る。
だからこそ与えられた毒は、薬にもなり得る。
私はそうやって、歩んできた。

何を背負うか、何に堕ちているのか
それは私にしか分からない。

私も、嗚咽の主の苦しみを知る事は、出来ない。
身に宿る感情の全ては、本人にしか分からない事だ。

一度突き刺さった毒は、中々抜けてはくれないだろうとも。
謝罪の言葉も涙の理由も、彼女にしか分からない。

けれども彼女が苦しみに喘ぎ、謝罪を口にしているのなら
そうだね、助けなければならない。
痛みも苦しみも悲しみも、負の感情は何時だって隣に在る。

何、心配ないさ。
毒ならば薬にもなると云っただろう。


私はひとだ。


この心なら、もう随分と昔に
壊れてしまっているよ。




 背負ったものの重みは、当人にしか降りかからない。
 支えになるということは、それを真に分かち合うことではない。慰めはいっとき重荷を肩代わりする手段ではないし、まして痛みを拭い去る手段でもない。
「悲しみは何時も傍に居る」
 うつくしく咲き誇った桜の根元にも、積もる雪がある。
 あかく綴られる情念の群れの向こうから、榎本・英(人である・f22898)は現れた。美陽の目に映る表情は、涙に濡れた視界にも異質に映った。
 悲哀を――。
 膝を折るほどの絶望を。
 英とて感じているはずだ。けれど歩調は緩まずに、美陽の方へと向かってくる。その足を支えているのが、堅固な意志でも、痛苦すら超える希望でもないことを、彼女は直感的に悟っていた。
 それを肯定するように――男の声は静かに紡ぐ。
「だからこそ与えられた毒は、薬にもなり得る」
 雪解けは、雪がなくては訪れない。
 桜が咲くのは冬の冷えを知るからだ。厳寒がないのなら、人々はあんなにも春を喜んだりしないだろう。移ろう季節の隅、さいわいの端、いつとて凝る影のような暗がりこそが、光を誘う蜜となる。
「私はそうやって、歩んできた」
 英の悲しみも、英の荷物も、英の絶望も。
 全ては彼のものだ。眼前で泣く少女のそれもまた、少女の他には誰にも知り得ない。この影たちが懐くそれでさえ。
 だからこそ――。
「一度突き刺さった毒は、中々抜けてはくれないだろうとも」
 英は、彼女のそれを分かち合おうとは思わない。
 助けねばならない。助けたいと思う。どうしようもない苦しみに面して、何かに謝りながら、苦しみに喘いでいる美陽を。
 それでも。
 分かち合い、軽くなったと錯覚させることだけが――救いだとは、思わない。
「何、心配ないさ。毒ならば薬にもなると云っただろう」
 かろやかに笑ってみせる声音も、涙の一つも零さぬ赤い眸も、ゆらぎの一つすら宿さぬ心も。
 或いは悟りというに近かったのかもしれない。緩やかな微笑みは確かに少女を安心させたが、同時にひどく凍り付くような心地すらも与えた。ようやっと持ち上げられた二つの眼差しは、どこか強ばりを孕んでいる。
「あなた、は」
 そこまでを言って、美陽は口を噤んだ。
 まるで、言ってはいけないことを口にするような音だった。引き結ばれた唇と、赤くなった目元を見遣りながら、英はわらう。
 識っている。
 彼女がその先に何を紡ごうとしたのか。この心の片鱗に、何を思ったのかすら。それでも揺らがぬのだ。懐くべき揺らぎなど、とうの昔に形を失ってしまったのだ。かくあるべしとも、かくあれとも思わぬうちに――。
 嗚呼、聞こえるとも。少女が胸裡で問う声が。
 だから応じよう。
 ――あなたは一体、何なのですか。
「私はひとだ」
 ――どれほどの悲哀に晒されたとて、惑いなく、穏やかに笑うほどに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

百鳥・円
あーあ、可哀想に
求めるなら救わなくては
わたしがアイさなくては

それがわたしの、欠片の役割だから

貴女の一部を宿す場所
心の臓が痛むよう

赤赤しい座敷牢の向こう
劈くような慟哭が聴こえる
かえしてと伸ばす手が視える
其所に居るのでしょう
貴女が視せるのでしょう
壊れた貴女の一部が痛い

真っ直ぐに見留めてみせましょう
これは、全てを奪われた貴女の心だ

慈愛も哀憐も喪って
憎悪だけが遺ったひと
必ず、一つに戻してみせます
貴女の一部も愛した想いも
取り零すことなく掬ってみせるから

だから、今だけは
さようなら、――

集めた心を喰らい
黒曜の刃で嗚咽を切り裂く

ついに現界をしたんですね
ひととして生まれてしまったのなら
誕生のお祝いを、しなくちゃ




「あーあ、可哀想に」
 懐く感想など、そんなものだ。
 悲劇を経由して絶望の終着に辿り着く者は少なくない。それをどうこうと思えるほどのものもない。だから、百鳥・円(華回帰・f10932)の心にあるのは、ただ強迫的な義務感に過ぎなかった。
 ――わたしがアイさなくては。
 求めるのなら救わなくては。それこそが彼女に与えられた役割だ。この体の、命の、生まれた意味だ。
 欠片――。
 一部を宿した場所が痛む気がした。胸に遣った手の奥、からだの一番底に在る、絶えず脈打つ命の証に耳を傾ける。
 拍動に合わせて、締め付けるように痛みを伝える。これは慟哭だ――はっきりと理解するのは、眼前に映し出されるものが、どこまでも彼女に訴えかけるからだった。
 泣いている。
 円ではない。
 ――あのひとが。
 赤かった。赤赤しいと言うのが相応しいほどに。鎖されて開かぬ座敷牢の向こう、檻の隙間から伸びる白魚の指。耳を劈く声はあまりにも悲痛で、ぎしぎしと音を立てる鉄格子の雑音と絡んで、痛いほど脳裏に反響する。
 かえして――。
 ただそれだけを叫ぶ女の声がした。泣き濡れた悲鳴に置き去りにされて、壊れた一部にその痛みだけを共有して、円は胸に当てた指先を強く握った。
 ――分かっている。
 そこにいる。そこにいながら、欠片に訴えている。ならば。
 ならば――その全てを見留めるのも、彼女の成すべきことの一つだ。
 嘗てあった全てを奪われてしまったひと。微笑む慈愛も嘆く哀憐も取り落とし、後に遺った憎悪だけを抱き締めて、今もそこで泣き叫び続けるひと。
 ――全てを奪われた貴女の心を、わたしが必ず一つに戻してみせます。
 壊れて崩れたのなら、集めれば良い。散らばったそれらを丁寧に拾って、継いで接いで、ふたたびひとつと束ねよう。散ってしまったあのひとの一部も、愛した想いでさえも、きっと取りこぼすことはしない。
 掬ってみせる。
 ――円が。
 誓いを立てる胸の奥がぎしぎしと痛む。いつまでも泣き続ける彼女を、そのゆびさきを、永劫に見詰めているような感覚に陥るけれど。
 今は、今だけは――そのときがいつか訪れるまでは。
「さようなら、――」
 口に放り込んだ宝石糖を噛み締める。甘いゆめの味が舌先を痺れさせ、迸る黒曜がいとも容易く影を引き裂いた。
 ひらけた道を照らす空に、茫洋と異色の眸が眇められる。心を苗床と成し、狂気を振り撒き、夢を喰らうもの――。
 未だ溢れ続ける嗚咽の影よりも、その向こうで涙を流す少女よりも、円の脳裏を占めてやまない、直感じみた確信が巡った。
「ついに現界をしたんですね」
 ――それをずっと望んでいたような気もするし。
 ――或いは永劫、このときが訪れなければ良いと思っていたような気もする。
 けれど円の想いを置いて、それはひとと成ってしまった。今ここに、その息を紡いでしまったというのなら。
「誕生のお祝いを、しなくちゃ」
 ハッピーバースデーには――程遠いけれど。

大成功 🔵​🔵​🔵​

渡利井・寧寿
よくある話だね。どの世界でも、本当によくある話だ

■■ちゃん。

あの子をいじめた奴らも
あの子がいなくても続いていく世界も
あの子のヒーローになれなかった僕も
最期まで笑って、一人で勝手に死んでいったあの子も

ずっと大嫌いだった

うるさい。泣くな。どいつもこいつも
悲しいなんて今に始まったことじゃない
僕はずっと悲しかったんだ
悲しいくらいで泣くな

あの黒い奴ら、みんな融けてしまえばいい
悲しいのは僕だけで十分だ
泣かれると共感されてるみたいで苛々する

ああ、でも君は

……君の友達がどうなろうと知ったことか
僕には君たちのヒーローになる筋合いなんかない

だけどまだ
君にはヒーローになる権利がある

だから泣くな




 ほつれ落ちる雲の鱗粉が、頬に触れた。
 月の向こうは見えない。太陽の光がありすぎても見えないくせに、それを覆っても目の前に現れやしないのだ。
「うるさい」
 しんしんと降り積もる白のあわいで、渡利井・寧寿(雪・f17097)が眼鏡の奥の眸を眇めた。
「悲しいくらいで泣くな」
 寧寿はずっと悲しかった。
 どこまでも有り触れた痛みは、どこまでも有り触れた絶望に変わる。閉塞する学級と、大人の手の及ばぬ無垢な悪意と、潰える心と体。人は幼い頃から、誰かを見下さねば生きていくことすら儘ならない。
 口にするにすら痛みを孕む名前を、呼んだつもりだった。降り積もる雪と響く嗚咽に掻き消されて聞こえやしなかった。
 煩い。
 どいつもこいつも煩い。あの子の机に落書きをした奴らも。遺影の前で友達の顔をした誰かも。そういう奴らと地続きに広がる、あの子を喪った世界も。あの子のヒーローになりたいと願うばかりで、それを成せなかった己も。
 ――最期まで。
 最期まで笑っていた。必ずサインを送るだなどと嘘だ。ひとつだって違わぬまま、あの子は笑顔で勝手に逝ったのだ。
 月へ。
 否――。
 全部融けてしまえば良い。寧寿の大嫌いだった全てごと、不愉快な嗚咽を零す影も消えてしまえば良い。悲哀の音は黒板を引っ掻くよりも煩わしい。涙はいつだって共感に見えて苛々する。
 悲しい程度で泣くくせに――。
 それを懐くのは寧寿だけで良い。他の誰だって、どうでも良い。ぐずぐずに融けて消えて、涙に混じって雪解けの水になってしまえば良い。
 けれど。
 ――けれど、その真ん中で胸を押さえているのは。
「……君の友達がどうなろうと知ったことか」
 吐き捨てるような声に、美陽が泣き腫らした目を上げた。眼鏡の向こう、彼女を見詰めるどこか卑屈な眼差しに、何を見たのだろう。
「僕には君たちのヒーローになる筋合いなんかない」
 ひどく冷たい男の言葉を、少女はじっと聞いている。真っ直ぐな眼差しが、今度は寧寿を射貫いている。
 ――たった一人のヒーローになりたかった。
 寧寿には成せなかった。未だ他の何にもなれていない。燻る火種が、あの日々を映して未練を訴えるだけだ。救った数だけ増える紙の山と、他の何かを救いたいわけではない線の集合体と共に、あの子のいない日々に息を繋いでいる。
「だけど」
 彼女は違う。
「まだ、君にはヒーローになる権利がある」
 喪われていない。手を伸ばしたいたった一人の誰かを日常に繋ぐことも、伸ばした手に応えてくれるだろうかと期待することも、まだ出来る。
「――だから泣くな」
 降り止まぬ雪の向こうに融けていく影を、美陽はじっと見ていた。それから寧寿に移した視線が、絶えず苛む胸の痛みを強く押さえながら、それでも僅かに己を取り戻したように見えた。
 涙は、もう止まっていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

天片・朱羅

赤子のときから『主様』が居た
主様にお仕えするため生まれ、十三年務めた

主様が居れば何もいらなかった
俺に向けてくれる微笑みが何よりの褒美
だけど護れなかった
生きなさいと主様が最期に望んだから死んでないだけ
本当はお側に

……っ
触るな!
触れたら殺す
この記憶は俺だけのもの
……私の、聖域

自分の弱さを赦せなかった
紛い物の男言葉を纏って僅かでも強くなりたかった
強がりでも強さになるなら
そう思ってあの頃の『私』を捨てたんだ

娘さんには悪いな
俺が慰めちゃいけねぇ気がして言葉が出ねぇ
できるのはコレを倒すことだけ
着物の袖から滑らせた鉄扇で影を斬ったら
両手で自分の濡れた頬叩き
待ってろ親玉、俺の心を喰った代償にぶっ殺す




 いっとう幸せな頃の記憶が、裡を巡るようだった。
 悲しみはいつでも幸福を連れて来る。結末の決まった幸いの最後に、永劫痛み続ける傷となって、この身を切り刻むのだ。
 ――主様。
 正しく世界の全てだった。天片・朱羅(誰かの忍者・f32486)の命は、最初からそのために生を受けた。御身に仕えるためにこそ力を得、御身を護るためにこそ身があった。
 主様のほかに、欲するものなど何もなかった。
 微笑んで朱羅を見る眼差しに心が躍る。御傍にお仕え出来ることが至上の喜び。共に過ごした時間の末に、懐いたものを何と呼ぶのかは知らない。けれど朱羅は、その御傍に在るだけで――それだけで良かった。
 他に何も望まなかった。
 護りたかった。
 ――護ることは出来なかった。
 この手に残る感触が、今もその事実を告げている。世を渡り歩いて豪放に笑い、どれほどに雇い主を変えたとしても、命の底に開いた空洞で笑う顔は、決して褪せも諦められもしない。
 ――生きなさい。
 最期の命はあまりにも残酷だった。されどそれが他ならぬ主様の望みであるのなら、違えることは罷り成らない。
 だから、生きている。その願いを果たすために。この命を繋ぎ止める理由など他にはない。本当は今すぐにでも消えてしまいたくてたまらないのだ。仮初めの主に雇われ、世を凌ぐための金を得て、喪失を埋めたふりをする日々にどれほどの価値があるのだろう。本当は。本当なら、御身の傍に。
 それでも。
 取り残される齢十三の少女の手に遺されたのは、息絶えた生涯の主の亡骸と、優しく零された願いだけだから――。
「……っ、触るな!」
 振り払うような叫びが、影の嗚咽を引き裂いて響いた。
「触れたら殺す」
 揺れる声は、それでも確かに怒りを孕む。紫紺の眸が滲むのを堪えられはしなかったけれど、同時にそれは朱羅の逆鱗でもある。
 ――少女は弱かった。
 同時に、己の弱さを赦せなかった。使ったこともない男言葉を纏えば、強くなれるような気がした。最初は紛い物だったとして、何れ真実の強さを得られるならば、それで構わなかった。
 だから――あの日に捨てたのだ。弱くて、ちっぽけで、大切なひとの骸を前に泣くことしか出来ない少女は。
 『彼女』の懐いた聖域を。
 弱い少女の幸福と、何れ来る悲しみを。
 ――誰にも、穢させはしない。
 無言のままに地を踏みしだいた朱羅の眸は、その中央で涙に暮れる美陽を、僅かに揺らいで一瞥した。
 慰めの言葉は幾らでも思いつく。けれどそのどれもが、口にした途端に重みを失う気がした。
 だから――。
 袖口から滑り手に握る鉄扇を、何かを零し続ける影へと横薙ぎに振り払う。消えていく影たちを見送って、彼女は深く息を吸った。
 頬を叩く。濡れた感触がするのは覚悟していたことだ。今はそれよりも、為すべきことがある。
「待ってろ親玉」
 ――俺の心を喰った代償に、ぶっ殺す。

大成功 🔵​🔵​🔵​

クロム・エルフェルト
○◇

必ずや討たねばならぬ
こんなにも敬愛しているのに

振り切ったつもりで居たのに、まだまだ揺れているのだろうか
また、あの大きな手で頭を撫でて欲しい
「善き哉」と誉めて欲しい
何故、何故、何故
兄弟子たちを斬り殺して
私に止刀を刺さず、置いていってしまわれたの?

答は返らない
当たり前だ、此処にお師様は居ない
もう縋れない
元々境を異にする者同士
あの穏やかな日々こそが歪な幸だったんだ

心を緩めてしまえば楽になれる
膝を折り蹲り、稚児のようにしゃくり上げられたら……なんて

『剣客斯く有るべし』
今は徒、彼の教え通りに情を殺し無に徹する
為すべき事を成す為に
哀しみの痛苦は置き去りのまま刀を振るおう
頬を伝う何かも、きっと気のせいだ




 最初から、相容れることなどなかった。
 歳を経、戦を重ねるにつれ、その思いは濃くなるばかりだ。拭われることのない邂逅の未来と、血煙のにおいに濡れた過去と、この手に在る力をまた反芻する。
 それでも――。
 敬愛は、決して揺らいではくれない。
 冴えた刃にかかり斃れ伏す兄弟子たちの最中で、クロム・エルフェルト(縮地灼閃の剣狐・f09031)は死ななかった。
 心の裡に強く爪を立てるような痛みは、いつでもあの日と、至るまでの幸福を携えて来る。忘れたこともない。呆然と見上げた先にある眼差しも。確かに目が合ったのに、クロムを残して踵を返した背も。
 殺せたはずだった。
 出逢ったときから理を違えていた師は、彼の理を以て正しく全てを血に返した。彼女もまたその凶刃にかかり死ぬ運命だったのだ。
 ――何故。
 覚悟した止刀の痛みはなかった。代わり、平時は穏やかに彼女を見た眸が、全く別の色で揺れるのを見た。
 ――何故、何故。
 そのまま背を向けた彼の背に、手を伸ばすことすら儘ならない。
 何故。
 お師様。
 ――じいじ。
 振り切ったつもりだった。温かい思い出も、穏やかな日々も、境界を違えるならば何れ壊れると定められたものだ。彼が骸の海より還った者だと知って、必ずやこの手で討たねばならないと定めたはずだ。それこそが、石子へ与えられた恩義と温もりに報いる術だから――。
 それでも。
 心の底から湧き上がる思いを捨てられない。稚児のように泣きじゃくるクロムの頭を、大きくて優しい手でいつかのように撫でて欲しい。厳しい鍛錬に耐えた彼女を見て、目元を緩めて「善き哉」と褒めて欲しい。
 もう、叶わない。
 彼はここにはいない。きっともう二度と、彼女の許には戻らない。心に嵌めた軛を緩めてしまえば楽だろう。けれど知っているのだ。
 どれほど叫んだところで、答えも彼も戻らない。
 泣いたって喚いたって膝をついたって、もうあの手は差し伸べられたりしない。
 ――『剣客斯く有るべし』。
 クロムがお師様と呼ぶときの彼は、巌のような声でそう語った。だから今は、その教えを胸に掲げよう。
 目を伏せて、十秒。明鏡止水の心地は全てを置き去りにする。痛苦も、悲哀も、疑問も、抱き締めることはいつでも出来る。
 今はただ、為すべきことを成すために。不惑の刃で以て、全てを断ち切るのみ。
 引き抜いた刃がひらめくよりも早く、嗚咽を零す影の胴は膾になっていた。一瞬の間を置いて、崩れ落ちるそれらの最中で、クロムはもう一度柄を握り直す。
 胸が痛むのは、嘘。今ばかりは情など殺して、切り離して、刃を振るうための腕のみでこの地を馳せる。だから。
 ――滲む視界も、頬を伝う熱を帯びた水も、きっと影が見せる幻。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

ブラミエ・トゥカーズ
表の世でこうも暴れられては余達、怪の立つ瀬がないという物であるな。

悲しみ
真の姿(中世風村娘)から読み取られる。
先天的免疫所持の村娘以外全て赤死病で死に絶えた大昔の記憶。
死にゆく村人。魔女として断罪する審問官。
似姿とはいえ気分は良くない。

【WIZ】
とはいえ、余とは関係のない話であるがな。
人の恐れもトラウマも余達の糧である。
異界のモノ共に恵んでやる道理もあるまい?

天敵共よ、偶には人を救ってやるが良い。
浄化属性の火炎にて涙を蒸発させる。
負の感情を無視して焼き付くのは彼等の特技。

同道しているUDCエージェントは知り合い。
凡そ10年ほど前に。

娘の事は頼むぞ。
初恋のお姉さんからのお願いというモノであるな。




 ――病というのは数多あれ、こうして物理的に影響を及ぼすものはそう多くあるまい。
「表の世でこうも暴れられては、余達――怪の立つ瀬がないという物であるな」
 ブラミエ・トゥカーズ(”妖怪”ヴァンパイア・f27968)の溜息が、日傘の裡に響いて消える。本日の日雇いは妖ではなく人間だ。出会ったときより随分と歳を食ったような印象に、そういえば人にとっての十年とは大きな年月なのだと思い出す。
 悲しみ――。
 写し取られたそれが目の前にあって、ブラミエの柳眉が眇められる。
 ――これは、真なる姿として借りる少女の記憶だ。
 赤死病と呼ばれた病があった。それそのものは、決して嘆くべきことではないだろう。人類史は病の歴史とは切り離せず、夥しい屍が積み上がった末に今がある。病なくして人の命は延びず、命を繋ぐすべはいつでも病と共にあった。
 だから。
 ――娘の不幸は、流行病を撥ね付ける体質を、生まれたときより持っていたことだ。
 親しい人間が苦しみ抜いて死んでいく。村中が病を患っていく。命の息吹が絶えたその村でただ一人、娘だけが呆然と息をしていた。
 魔女だ――。
 審問官の前に引っ立てられた彼女が拷問にかけられるさまは、己が蔑ろにされるようで気分が悪い。さりとてそれ以上のものを感じることもなく、ブラミエは息を吐いた。
 ――ああして死したのは己ではないのだから。
 元よりこの身は病の具現。他者に死を齎すものなれば、死のひとつに揺らぐものも持ち合わせてはいない。
 まして恐怖を喰らって生きるものともなったなら、むざむざ理を異とするものへ、貴重な糧を恵んでやる意味もなかろう。
「天敵共よ」
 晴天を裂いて――浄化の焔がやってくる。
「偶には人を救ってやるが良い」
 悪を断ち、病を穿ち、信仰で以て全てを蹂躙する騎士が咆えた。断罪せよ、断罪せよ、断罪せよ――叫びは強く、眸は魔を捉えるやぎらぎらと光った。
 最早その正義が何を成すのかも分かってはいるまい。愛しき無知なる人間へ、白い指先がひらりと指示を出した。
 恐れも怒りも悲しみも、かの光の前では無力だ。焼き付くような目の眩む希望など、ブラミエにとっては不得意中の不得意だが――人間にとっては、正義は時に救いにもなるのだろう。
 浄化を騎士らに任せ、彼女は悠々と後方を振り返った。日傘を差し出すエージェントと目を合わせるや、その唇が楽しげに持ち上がる。
「娘の事は頼むぞ」
 ――その声に些かの揶揄いがあったことを悟ったのだろう。少し、日傘が揺れるのがよく見てとれる。
「初恋のお姉さんからのお願いというモノであるな」
 持ち出された過去に気まずそうな顔をして、エージェントは苦笑した。

大成功 🔵​🔵​🔵​

楠木・万音


『かずねちゃん』

それは嘗て肉親に与えられた名前
あたしだったものを呼ぶのは誰?

冷たい硝子を宛てがわれた様な寒気
その刃が伝う様な痛みが駆け巡る
恐れている?……あたしが?

けらけら、くすくすと耳に障る声たち
負の感情が魔法を殺める毒となる
――失せなさい。
今更こうして現れて、あたしに何の用なの。
優しい魔法を嘲笑ったあんた達も
あの人を否定したアンタ等も
皆皆、大嫌いよ。

今のあたしはマノン。人を辞めた魔女よ。
此度だって唯の気紛れ
恐れだって時と共に退屈へと成り果てる

ティチュ。あの涙を薙ぎなさい。
魔女を侵し尽くす毒は、退屈だけで充分よ。

如何して今更、この世界へとやって来たの
問い掛けても無駄だというのに、自問する。




 誰かが呼んでいる。
「『かずねちゃん』」
 懐かしいとも思えなかった。嘗て肉親だった人がくれた音で、今はもう捨てたものについていた名だ。
 楠木・万音(万采ヘレティカル・f31573)は、とうにひとを捨てた。
 およそひとらしい想いからは遠ざかり、今はただ、硝子の花に透明を映すだけの魔女だ。ひとにつけられ、ひととして成った名も、その心にはただ遠い響きとしてあるだけのもの。
 そのはずなのに――。
 首筋に粟立つ肌を感じている。やわい皮膚に薄い硝子片を添わされて、その下にある拍動を狙われているような、背筋を遡る悪寒がある。
 ゆっくり沈み込む。
 静脈を裂いて、深く、深く――心の奥にまで入り込んで来る。氷を投げ付けられるようだ。芽吹きの春を目前とした空気が冷えているはずもないのに、肺腑の奥から込み上げる震えが身を支配しようとする。
 ――恐れ。
 脳裏を掠めていった言葉が、いやに確信じみて胸裡を埋め尽くした。愕然と立ち尽くす万音の耳朶を、不愉快な音が攫っていく。
 小さな笑声。そのどれもが侮蔑と同情を孕んでいる。向けられた視線までもをまざまざと思い出しそうになって、万音は強く指先を握り締めた。
「――失せなさい」
 負の感情こそが魔法を殺す。あの優しい夢のような奇跡を、貶めて踏み躙るのだ。
「今更こうして現れて、あたしに何の用なの」
 万音を笑う声。あの日に見た優しい魔法の全てを蹂躙する嘲笑。優しい魔女を否定する声。全部、全部――。
「大嫌いよ」
 今度こそ震えた体に漲らせたのは、確かに怒りだった。心のやわらかな場所を無遠慮に踏み荒らす声を睨めつけるようにして、琥珀の眸が影を見る。
 己の影よりゆらりと立ち上がるものがある。声なき使い魔は、それでも魔女の言いたいことを理解しているようだった。迷うことなく鎌の形を取った遣いへ、白い繊手が命ずるのだ。
「ティチュ。あの涙を薙ぎなさい。魔女を侵し尽くす毒は、退屈だけで充分よ」
 ――魔女は死なない。
 ひとを辞め、あてがわれた音を捨て、万音はマノンとなった。永劫に溢れ続ける未来は、何れ何もかもを退屈と塗り替えていく。ひとの心地すらとうに過去に置き去りにしていながら、此度ここに降り立ったのだって、ただ永遠の無聊を慰める気まぐれに過ぎない。
 影の刃が迸る。ほとんど抵抗もないままに崩れ落ちていく嗚咽から目を移し、万音はひとの形をした己の掌を見た。
 ――如何して。
 ――今更こうして現れて、何の用なの。
 同じ台詞を、己の裡へ問いかける。戻る声などない。応えられるわけがない。
 万音自身ですら――その答えに辿り着いていないのに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

サン・ミルククォーツ
【燦煉】
小さな時からお姉ちゃんの後を付いて回っていた。
だからお姉ちゃんと同じ所に行って、一緒に同じ物を見て育った。

でも私はお姉ちゃんと一緒じゃない。
生まれて来る前の記憶があるから。
何も分からないまま熱を求めて沢山人を燃やした事を覚えているから。

お姉ちゃんは本当のお父さんとお母さんの子供で
私は偽物なんじゃないかと思う事がある
寂しくて、悲しくて泣いてしまいそうになる

それを

それを、「違う」と言ってくれる両親が居て
「妹だ」と扱ってくれるお姉ちゃんが居る。

そんな、幸せを受け取る権利が私にあるのか分からないけど。

お姉ちゃんからもらった幸せはあなた達には消せない。
消させない

小窓の妖精で影を受け止め焼き払う!


レン・ミルククォーツ
【燦煉】

(啜り泣く声
「ごめんなさい」の言葉
近づくだけでもあたしを蝕んでくのを感じる
――きっと、隣にいるサンちゃん……大事な「双子の妹」も蝕んでしまうのだろうか)

(自分が悲しむ事より、サンちゃんが苦しむ事が一番悲しい
大事な大事な、生まれた時から一緒の あたしにとって一番かけがえのない肉親
サンちゃんが傷ついたら
誰かに痛いことをされたら
そう思うだけで自分の事以上に悲しいし、許せない

どうか泣かないで、悲しまないで
「例えどんなサンちゃんでも」
「サンちゃんが何を想っても」
「最後まであたしはサンちゃんの味方だから」)

……っ、影なんか消えちゃえ!!
(『焔』で炎を呼び影を灯りで消す。妹を悲しませる陰ごと。)




 静かに響き続ける嗚咽が、耳の中を掻き回すようだった。
 その間から聞こえる、美陽の謝る声がする。何の力もないはずのそれすらも、この場にあっては嗚咽と同じ、心を蝕む毒とも思えた。
 レン・ミルククォーツ(あの夏の日の・f29425)の日向めいた心の奥底にある、どうしようもない暗がりを暴き立てるように揺るがす声は、隣にいるサン・ミルククォーツ(燃える太陽の影・f29423)のことも、同じように浸食していく。
 ――双子というには、姉と妹がはっきりした関係だったと思う。
 生まれる前から一緒にいた。生まれてからも一緒だった。今だって、一緒だ。全く正反対のようにも見える容姿でも、その心に宿した思い出の隣には、いつだってお互いがいる。
 サンはずっと、姉の後ろをついて回っていた。
 だから眸には同じものを映してきたし、いつだってレンと同じ場所にいた。成長した今だって、こうして並んでいることの方が多いだろう。
 それでも。
 ――それでも、サンは知っている。
 己はレンとは違うこと。サン・ミルククォーツとして生まれる以前の、おそろしい記憶があること。ただ熱が欲しくて、何も分からなくて、善も悪もなくて――数多の人間を火に焼べて、その熱を浴びていたこと。
 おかしい――。
 そう思った。過去の己がしてしまったことも、それを覚えて生まれてきたことも。幸せな家族に囲まれている間にも、その記憶はずっと、サンの中に絡みついている。
 本当は。
 ――お姉ちゃんだけが、お父さんとお母さんの本当の子供で。
 サンは偽物なのじゃないかと思うことがある。生まれてくるはずのなかったもう一人、何かの手違いで一緒に生まれてきた影法師のようなもの。そうなのだとしたら全て辻褄が合うだなんて卑屈な考えも、この胸を裂くような悲しみが巡る間だけは、真実味を帯びて心を穿つ。
 寂しくて、悲しくて、辛い。今を笑い合う幸せな『四人』が、本当は『三人』だったなら――笑い合っている時間も、サンがいることで偽物になってしまうような気がする。
 俯いて胸元を握り締めた。目を瞑らなくては溢れた涙がそのまま零れてしまいそうで、ぎゅっと強く瞼を閉じる。
 ――レンにとって、妹のその顔を見上げていることが、何よりも悲しい。
 大事な家族。生まれたときからずっと一緒の、掛け替えのない妹。父も母も大事だけれど、誰よりいっとう大切な肉親は、己と強く結びつくサンなのだ。
 もしも誰かに傷付けられてしまったら、痛い思いをしてしまったら、苦しめられてしまったら――思うだけでも胸が震える。悲しみに惑う姿など見たくはない。傷付き頽れる姿は、尚更。
 だから、怖いことなど何もないように、レンが守らねばならない。幼い頃に後ろをついてきた背の高い妹は、今だって彼女の中では、あの頃の面影を孕んだままの大事で可愛い肉親だ。彼女が傷付くくらいならば、自分が傷付いた方がまだましだ。
 サンに降り注ぐ悲しみも、苦しみも――レンは絶対に許さない。
「……っ、影なんか消えちゃえ!!」
 振り払うように叫ぶと同時、放たれた炎があかあかと燃え上がる。目が覚めるような太陽のひかりがサンの目を打って、眩んだ視界の先に、彼女は確かに小さな姉を見た。
「お姉ちゃん――!」
「サンちゃん!」
 伸べられたちいさな手。くしゃくしゃになって心配する顔。問いかける声音すらもひどく覚束ないのは、何よりレンがサンを心配していた証だ。
 見慣れているはずの顔に浮かぶ、いつもとは全く違う表情に、息を呑む。
「大丈夫?」
 掛けられた声には迷いなく頷いた。
 ――もう、大丈夫だ。
 姉の声を聞いて、その顔を真っ直ぐに見て、サンはようやく安堵した。いつだって、家族はこうして、彼女の存在を認めてくれる。
 本当の娘だと笑ってくれる両親も。
 ――間違いなく妹だと手を差し伸べてくれる姉も。
 ここに在って、間違いなくこの手を握ってくれている。
「あなた達には消せない」
 こんなにも大きな幸いを、この手が受け取って良いのかも分からない。それでも惜しみなく与えられるこれを、誰かの手に渡したりは、決してしない。
「消させない」
 強く握り締めた拳で、サンは前を向いた。彼女を守るように一歩前に出ていたレンに並び立って、彼女が呼んだ炎が影を焼き払う。
 ふたりでひとつの熱が、悲しみを払って燃えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鏡島・嵐
訳も無く心を塗り潰す悲しみ。全身が打ちひしがれるほどの絶望。
生きていれば――あるいは生きているからこそ、そういうものに足を掬われることもある。

まだ19年しか生きてねえおれだけど、悲しみも苦しみもその長さに見合った分は味わっていて。
打ちのめされて、悔しくて。何度泣いたかなんて数え切れねえほど。

前を向いて、光ある方へ歩いて行く。
ただそれだけが、どれだけ辛くて苦しいか。

……おれは、強くなれるだろうか。
自分を苛む悲しみに負けず、足を掬おうとする絶望に躓くことなく。
誰かが躓いたなら、懸命に手を差し伸べて。

うん。今はまだ、独りじゃそれを為せねえ。
だからクゥ、おれに力を貸してくれ。
悲しみを振り切るために。




 心底を揺るがすような、恐ろしい心地に思える。
 悲しみも絶望も、味わい慣れたといえるほどの人生を送ってきたわけではない。それでも積み重ねて来た十九年の歳月に、心を挫くような泥濘に足を取られたことは幾度もあった。
 そこから前を向くのが、再び立ち上がるのが、どれほど難しいことか――。
 鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)も、重ねた日々のぶんくらいは、理解している。
 泥濘に手を取られ、体までもが泥に塗れる虚しさを知っている。どれほど立ち上がろうとしても上手くいかないもどかしさも。ようやく立ち上がった膝の傷に、泥水がひどく染みる痛みも――幾度も心に刻んでいる。
 光のある方へ。ただ前だけを見て――。
 言葉にしてしまえばこれほどに単純なことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。灯りと標がなければ歩けないのに、光のまばゆさに俯いてしまうのも、また人間なのだ。
 心を揺らす悲哀は、いつだって嵐に問いかけてくる。涙を振り切るように食い縛る歯も、負けてなるかと踏み込む泥まみれの足も、全てを嘲笑うかの如く。
「……おれは、強くなれるだろうか」
 手を見る。
 浅黒いそれは、旅を始めた頃からすれば随分と大きくなった。それなのにまだまだちっぽけで、時には目の前で泣く誰かにすら届かない。
 悔しくて、悲しくて、それが苦しくて――。
 幾度も涙を流した。人目に隠れて零れる雫を拭うとき、その心にはいつでも、どうしようもなくなるくらいの無力感があった。
 胸を掻き毟るような痛みを堪えて、恐怖を飲み込んで立つこの足は。
 悲しみに負けずにいられるのだろうか。絶望の泥濘が足に絡みつくとき、それを踏みしめてなお立ち上がれるのだろうか――。
「うん」
 知らず、零れた声は確信するようだった。
 きっと出来る。否、たとえ出来ないのだとしても、必ず成さねばならないことなのだと思う。けれど、今の嵐には、とても一人で立ち向かえる心地ではない。
 今だって悲しい。揺さぶられる心の裡から湧き上がる悲哀が、この足にしがみついて離れない。
 だから――。
「クゥ」
 足許で見上げるライオンの眸を、真っ直ぐに見詰める。
 独りで成せないのならば、独りでなくなれば良い。いつか一人で立てる日まで、誰かの力を借りてでも、歩いて行けばいい。
 道が続く限り――その先には、必ず光がある。
 けれど辿り着くためには、足を止めてはいけないのだ。無明の暗闇に誘われてしまっては、いけない――。
 だから。
「おれに力を貸してくれ」
 撫でた背中が、主を守るように大きくなる。その背に乗れと示す雄々しい横顔に、嵐は笑った。
 ――この背に乗って風を切ったのなら、きっと、悲しみだって振り切れる。

大成功 🔵​🔵​🔵​

岩元・雫
此の世へと、戻ってしまった理由はひとつ
――いじめ
憶えが有った
だから、今度こそ――

抗えない悲哀が、胸の裡を埋め尽くせば
――何で、どうして、逃げたいだけだったのに
――〝死にたくなかったのに〟
口から零れた『俺』の声に
思わず目を見開く

五月蠅い!!
全部全部過ぎた事だ
人生で唯一、俺が選べた此の道を
彼の時、其れを選んだ生前を
俺自身が否定する!?
其様な事、在って堪るものか!

勝手に眼孔抉じ開けて、ぼたぼた落つる此の涙も
影から滲む毒さえも
全て、今の『おれ』の怒りで塗り替える
其処を退いて!!
止め処無く溢る激昂の侭
差し向けるのは同胞共
毒喰らわば皿まで、因たる影ごと食い千切れ

命ずる聲を鋭く飛ばし
美陽の元まで疾く游がんと




 見慣れた景色だった。
 生まれ育った世界のそれだ。最期に置き去りにして、棄ててきた光景だ。その棘を忘れようはずもない。
 二度と見たくもないと思っていたはずの、灰色のビルとコンクリートの家に囲まれた道の間で鰭を翻す理由は、きっと最初から分かっていた。
「――いじめ」
 岩元・雫(望の月・f31282)の零した声が、影の嗚咽に呑まれて消える。
 よくと覚えのある言葉だ。嫌というほどに心に突き立つ。けれど耳を塞いで鰭を返すには、あまりにも深く穿たれすぎた。
 だから。
 だから――今度こそ。
 そう思ってここに来た。真っ直ぐに見据えた先で泣く娘に、その大切な友人だという誰かに、この異形のゆびで為せることを成すために。
 それなのに、心の奥を掻き毟るような声が煩くて、少女の顔すらよくは分からないのだ。
 ――逃げたいだけだったのに。
 あの日、海を目指したもうない足は、ただ少しのすくいを求めただけだった。水平線を照らす夕陽。水面に反射する橙色のひかりを見詰めれば、少しはこのどうしようもない閉塞感から逃れられるような気がした。
 それだけだった。
 それだけだったのに。
 夕陽はとうに隠れていた。水面は雫を呼んでいた。黒ぐろとたなびく波間に、己の顔すら映らなかった。
 もう良いか――と。
 確かに思うこともしたけれど。
 おれは。
 ――『俺』は。
「――〝死にたくなかったのに〟」
 目を見開く。今のは誰の声なのだ。一体何を言ったのだ。無意識に触れた喉に悲哀の残響が残っているのをまざまざと感じ取って、雫は鋭く息を吸った。
「五月蠅い!!」
 過ぎたことに文句をつけてどうする。今更の後悔に何の意味がある。
 あれしかなかった。
 雫が終生選ぶことが出来たのは、この道しかなかったのだ。それを間違いなく手にしたあの日の己を、とうとう『俺』すらも否定するというのか。
 そんなこと。
 ――『おれ』が、赦しはしない。
「其処を退いて!!」
 痛みも苦しみも悲しみも絶望も、奥底より出でる激憤で塗り替える。瞑れど開けど滲んだ視界に、ミズウオの群れが駆け抜ける。悪食の魚の牙が翻り、毒を影ごと喰らって無に帰す。
 零れ落ちる涙ごと喰らい尽くしてしまえば良い。全ては過去に置き去りにしたもの。今更、今更――何一つ――。
 乱暴に拭った視界が幾分かましになった。それでも込み上げる涙が、怒りに拠るのか悲しみに拠るのかさえ判然としない。
 構いやしない。
 見えている。その向こうにいるのだ。泣いて、頽れて、誤り続ける少女が。視界に捉えられるなら、後は。
「道を空けて!!」
 鋭く飛ばした命に応じて、深海の魚が牙を振るう。
 全力で宙を蹴った鰭の向こうに、雫は確かに、真っ直ぐに手を伸ばした。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

エルネスト・ナフツ
まばゆいのぅ。

のぅ。ちいさき子よ。
主はなぜ泣いておるのだ。

ちいさき子よ。
はかなきものたちよ。
そう泣くでない。

我も悲しい。

昔々を思い出すのぅ。

夜泣きの赤子。
悲しみにくれる娘。
あまたのものたちが我の元へ訪れてくれていた昔々のことじゃ。

夜闇が悲しいことを忘れさせてくれよう。

ねむれよい子よ。
我がそこなしの闇を授けよう。
夜闇はやさしく包み込む。

しかし永遠は無かった。
皆々きえてった。

我はひとりぼっちになってしもうた。
ちいさき子らの、はかなきことよ。

我は夜闇から抜け出せぬ。

きえたものたちの元へはゆけぬ。

ここでずぅっとひとりぼっちだ。

悲しいのぅ。




「まばゆいのぅ」
 ひかりは苦手だ。
 宵闇めいた黒を連れ、エルネスト・ナフツ(神の聖者・f27656)は視線を落とす。太陽の強い光の前には、身も凍るほどに億劫だ。
 けれど。
「のぅ。ちいさき子よ」
 泣いている。
 はかなくちいさな、エルネストにとってみれば稚児のようないとし子たちが。安らぎを求める掌に涙を受け止めるさまは誰もが同じだ。いつ見ても切実なその仕草に、心の底を照らす光が忍び寄る。
「主はなぜ泣いておるのだ」
 応えはない。最早何を以て悲しみとしていたのかすら定かでない影たちは、ただ仲間を増やすために泣いている。その中央で蹲り、何かに謝り続ける少女を除いて、全ては静かで曖昧な悲哀の概念に帰していく。
 静謐な悲しみが空を染めた。それでも宵闇の気配は遠い。突き刺すような昼の静けさは、エルネストの中にある夜のやわらかな記憶を引きずり出そうと蠢いた。
「そう泣くでない」
 ――我も悲しい。
 見上げた空に、月も隠れるような夜があった頃の話だ。
 ちいさき子はその頃だって泣いていた。エルネストの許に集い来た悲しみへ、ひとさじの夜闇を差して、包み込むすくいと成せていたことだけが今との違いだ。
 例えば、母の腕に抱えられた、夜泣きの止まぬ赤子。
 例えば、悲しみに暮れて安らかな眠りを得られぬ少女。
 数え切れないだけの悲哀を見て来た。数え切れないだけのそれらに、黒ぐろと全てを包み込む闇を与えて来た。
 目映い光で全てを眩ませることを、時に人は救いと呼ぶ。けれどエルネストの手が齎すそれは、もっとやわらかくて優しいものだった。夜の目隠し。そこなしの闇のゆりかご。宵のヴェールで包まれた身へ、深く静かなねむりを。誰にも邪魔のされない安らかな心地を。そうして、その指さきは信仰を紡いで来た。
 けれど――何事にも不変はない。
 変わらぬのは神の身の上ばかりだった。彼女を信ずる者は何れ老い、死に、新たな命を織りなす。そうして少しずつ変わっていく模様の中に、いつしか彼女は描かれなくなっていた。
 気付けば夜闇の底にひとり。ほんの僅か、掠れた信仰に生かされるまま。
 どこにも行けない。どこを彷徨ったとしても、あの日にエルネストへ縋った手たちにはもう会えない。来し方の優しかった闇のヴェールは、今はこの身をその裡側へ鎖すのみ。ずっとずっと、誰とも何も交わせぬ、ひとりぼっちの神がひとつ。
 それでも、何にも憎悪も怒りもない。ちいさくはかなきいとし子たちを愛し、世界の裏へ焦がれ、抱き締めるのはただ沈み込むような悲哀だけ――。
「――悲しいのぅ」
 泣き止まぬ嗚咽の影を、身を灼くような太陽のひかりから庇うように、夜の帳が隠した。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エコー・クラストフ
【BAD】
気味の悪い影だな。アレもオブリビオンか? なら、殺――す……
見える光景は、家族が皆沈んだあの日の光景
オブリビオンに殺され、成す術なく沈んでいく海賊団の姿
あぁ……いつもこれだ
お前たちオブリビオン共はいつもいつも無遠慮に、お前たちが踏み荒らした光景をボクに見せてくる

もうウンザリだ。その悲しみは、何度も睨め尽くしたよ
だが、悲しんで何になる? 悼んでどうする? 涙を流しても誰も助けちゃくれないだろ?
だからもう、ボクは悲しむのをやめたんだ。その悲しみを全部、復讐のために焚べたんだよ
今はもう、お前たちへの復讐心が滾るだけだ

さぁ、ハイドラ。助けに来たよ
大丈夫。ボクがいる限り、ハイドラはハイドラだ


ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
はァ~……お決まりだな
エコー、敵に集中しすぎンな
呑まれ――……ああ畜生

遅かった。なァあんた何回俺の前に出てくるんだよ、お母様
もう飽き飽きだぜこの展開!あんたと俺はもう違う
それでQEDだ、そうだろ?あ!?
――なんで
……なんでわらってるんだよ
あんたが笑うところなんて見たことない
俺の記憶にないツラすんな!
あんたに夢中になってる場合じゃないんだ
なんだよ――
……これも「計画のうち」か?
あんた、「俺」で何しようとしてる
――おまえの脳は誰のものだって?
何で器用に魔術を操れるか?
知るかよ、俺は
「あんた」にはならない
そういう運命だとしても
なりたくなんてない
盗らないでよ
俺の、人生なんだ

エコー
――たすけて




 人型をした黒い影が道に生えているのは、それだけでも中々の光景だ。
「気味の悪い影だな。アレもオブリビオンか?」
 ならば殺すのみ――燻る復讐の焔を深海色の目に宿し、剣を握るエコー・クラストフ(死海より・f27542)の前に、ハイドラ・モリアーティ(冥海より・f19307)の手が翳された。
 お決まりのパターンだ。ついでにどこかでよく聞いた話でもある。こういう場合の対処は、前のめりな殲滅よりも、寧ろ冷静な俯瞰の方だ。
 ――よく知ってるさ。
「エコー、敵に集中しすぎンな。呑まれ――」
 言いかけた台詞が宙吊りになって、そのまま消えた。
 目の前にいるのは、見飽きるくらい対峙して来た顔だった。何なら鏡を覗けばその中にもいる。
「……ああ畜生」
 零れた声が苛立ちを鎧った。同じ顔をした女。自分を生んだ――。
 否。
 ――創ったのか。
 何度も何度も対峙した。この心を写し取られるとき、そこにはいつだって母の姿がある。今だってそうだ。怒りも悲しみも嘆きも憎悪も絶望も、ハイドラの奥深くから湧き上がるものの裡には全て、彼女がいる。
「あんたと俺はもう違う」
 ずっと切り離せなかった彼女を、ようやく別のものだと思えるようになったのだ。
 ならば無視すれば良い。こんな風に話しかける必要などない。分かっている。頭の冷静な部分は、分かっているのに。
「それでQEDだ、そうだろ? あ!?」
 声を震わせて叫ぶのは。その顔が描くのが――。
「……なんでわらってるんだよ」
 そんな顔、見たことない。
 満たされたような笑顔でハイドラを見ている。罵ることも睨むこともない。ただ穏やかな、試験管の中で蠢くいのちがかたちになっていくのを、喜ぶような顔で――。
「……これも『計画のうち』か?」
 母とそっくり同じ、優秀な脳は理解してしまう。無言の彼女が言いたいことも、その笑顔の意味も。
 ――おまえの脳は誰のもの?
 ――何でそうも器用に、使ったこともない魔術を扱える?
「知るかよ、俺は」
 母ではない。
 生まれた自我は己のものだ。ここで足掻くのも。幻影に抗するのも。『同じ脳』が『成長』したらどうなるのか、その結論にすらうすうす気付いていながら、ハイドラはそれを子供の駄々のように否定する。
 なりたくない。
 これは。
 生まれる前から誰かのためにあって、一つだって自分のものにならなかった人生は。
「盗らないでよ」
 ――間違いなく、『俺』の人生なんだ。
 泣きそうな声を漏らすハイドラを背後に庇い、エコーの意識もまた、嗚咽の向こうに深海を見ていた。
 沈む海賊団こそが、エコーの懐く暗がりの全てだ。
 暖かく育った。満ち足りていた。波の音を子守歌に夜を知り、慌ただしい朝を迎え、そういう日々を重ねていくのだと、信じていることにすら気付かないほどに信じていた。
 全てが血煙に沈んで――。
 名と少女を遺して消えた海賊団の姿を見送って、エコーは強く手の中の剣を握り締める。
 いつだってそうだ。自分たちで奪っておきながら、褪せることのない最期を叩き付けるように浴びせて踏み躙る。過去の残滓のやり口に慣れきったこの心に、今は悲しみすら浮かばない。
 涙を流しても何も戻らない。悼みを懐いて足を止めても無意味だ。どれほど声高に叫んだって、誰一人として助けてはくれない。
 ――あの日、まだ少女だったエコーとその家族を、何も助けに来てはくれなかったように。
 だから、もうやめたのだ。尽きせぬ悲しみがあるのなら、その全てを薪にする。懐いた絶望が深いなら、その全てに火を焼べる。轟々と燃えさかる焔だけを手に、前に進むと決めたのだ。
 この身はもう、あの海には沈めない。
 あのまま海底に零れ落ちるはずだった体が、未だ動くのならば。この頭が、未だ何かを成せるなら。それだけを握って、この足を折ろうとする全てを火に焼べる。そうすればそうするだけ、この身は強く刃を振るえるのだから。
 あるのはただ、復讐の消えぬ焔と――。
「エコー」
 全てが沈んだ先にあった、大切なひかりの呼ぶ声だけ。
「――たすけて」
 斬撃が迸る。翻る刃がハイドラに取り付こうとした影を切り払い、その向こうで水面が笑う。
「さぁ、ハイドラ。助けに来たよ」
 ――大丈夫。
「ボクがいる限り、ハイドラはハイドラだ」
 太陽を背にして手を伸べる灰色が、深海から伸びる指先を、しかと握った。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

唄夜舞・なつめ
【蛇十雉】
よーするに、アイツを助けりゃいーんだな

そう告げた瞬間
どくんと心臓が脈打った
輪廻転生を繰り返すあの瞬間
自ら死を選び自殺する苦痛、恐怖
生き返ったときの、絶望
その感覚が一気に襲ってきた

ッ……やっべェかも。
久々過ぎて、結構…キツい

クソ…俺がしっかりしねーと
ダメなのに
俺がときじを支えねーと…
俺が、俺が……ッ!

刹那、弾けたような音が響き
引き戻される
見開く目に見映したのは
俺を平手打ちして
手を震わすときじの姿
滅多に人に
手なんてあげねークセに
…慣れねーことしやがって。

けど

ーーーありがとな。
お前は、もう俺がずっと支えてなくてもしっかり立てるようになったんだったなァ

さァて、暴れるぜェ…?

『終焉らせてやる』


宵雛花・十雉
【蛇十雉】

彼女達を助けよう
後遺症っていうのが気にかかるけれど
その後のことは2人が決めることだから

誰かの泣く声が聞こえる
次の瞬間頭の中に駆け巡った記憶
大好きなお母さんと弟妹達が泣いている
皆のオレを見る目が突き刺さるようで
とても悲しくて耐えられなかった
…お父さんはオレが殺したようなものだから
仕方ないって
ずっとそう思って生きてきた

いつの間にか目の前に現れていた蝶の光に現実に引き戻される
お父さんの魂が宿っていた青い幽世蝶
そうだね、戦わなきゃ

なつめの頬を思い切り平手で打つ
しっかりして
悲しいけど、負けちゃ駄目だ
武器を取って進むんだ

薙刀に纏わせた炎で敵を払う
過去の悲しみごと消し去るように
皆、灰に還してあげる




 嗚咽も、悲鳴も、感じやすい心には毒だ。
 それでも拳を握って、橙灯の眼は前を見た。影に囲まれた先で泣いている少女を、確かに捉えている。何に謝っているのかまでは、分かりやしないけれど――。
 宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)は、二人を助けたいと願う。
 後遺症が残ると、転送者は言った。心の隅を逆撫でされるような嫌な棘が、少しだけその表面を攫う不吉な感触を覚える。けれど、その先のことは彼らの決めるべき領分にはない。
 ――二人が選ぶことだ。
 今は、選択肢を用意することに専念する方が良い。
「彼女達を助けよう」
「おゥ」
 見目より幼げな声に応じた唄夜舞・なつめ(夏の忘霊・f28619)もまた、眇めた蛇様の眸に美陽を見据えている。さて彼女の苦しみに同調することが罷り成るかは兎も角――。
「よーするに、アイツを助けりゃいーんだな」
 確認するように言った刹那に、どくりと不規則に心臓が音を立てた。
 ――今は『死んでいない』のに。
 視界が急速に狭くなる。頭が割れそうに痛む。全てを掠れ忘れさせるほどに繰り返した転生の感覚が、足許の地面を攫うような気がした。
 飛び降りるのは怖かった。足が空を踏む感触、臓腑が引き上げられるような不快な浮遊感、迫る地面をまざまざと見て、意識をようやく失う頃に叩き付けられて、赤が鮮明になる。
 薬は苦しかった。飲み込んだ毒が体を回る感覚、己の命が尽きるまでの時間を永劫に引き延ばされるような自意識――痺れる体で苦痛に悶えて、意識が遠ざかる。
 首を吊るのは苦しい。火を焼べるのは地獄だ。呼吸を緩やかに止める煙を焚いたときでさえ、どうあっても死とは苦悶と切り離せないと思い知るばかりだった。それでも死なねばならない。もう一度、もう一度。
 ――そうして得た死の終わりに、まるで全てが夢だったとばかりに意識が戻って、絶望するのだ。
 擦り切れるほどに空転する苦痛に、愛した誰かと交わした約束さえも遠のいた。最期に泣きながら笑った顔がぼやけていく。名前すらも思い出せない、ずっと一緒にいたのに、一度目の生も二度目の生も――会いに行くと、探し出すと約束したのに。
 それすらも、本当なのかすら――。
 手を震わせるなつめの隣で、十雉もまた、悲哀の泣き声に湧く冷や水を見ていた。
 ――貴方のせいじゃない。
 優しい言葉に項垂れる。そう言われるたびに、風穴の空いた体をまざまざと思い出してしまう。
 己なのだ。大切で大好きな家族を泣かせているのも、優しくて強くて、誰かに必要とされる父を喪う引鉄を引いたのも。許されることではない。幾度後悔しても、眠れぬほどに心を壊しかけても、どれほど謝罪を重ねても、それすらも烏滸がましいことだと思うほどに。
 ――お前のせいだ。
 その視線を十雉の心に突き立てていたのは、本当は誰だったのだろう。その目の奥から彼を責めていたのは、本当は、一体――。
 それでも今、心の奥底から湧き上がる記憶が突き刺す視線が、澱のように重なって痛みに変わる。
 大切なものを奪っておいて――その代わりにすらならない。
 沈みかけた心に俯く十雉の視界を、ふいに駆ける青が横切る。釣られるように持ち上げた顔の先で、幽世にて出逢った蝶が、あのときと同じように標を示してひらめいた。
 ――お父さん。
「そうだね」
 戦わなくてはいけない。今は、泣いていないで。
 息を吸って、吐く。強く握った拳を解いて、彼は勢いよくなつめを見た。
 ――弾けるような音が、強かに頬を打つ。
「しっかりして」
 零れる十雉の声が震えていた。真っ直ぐになつめを見詰める橙の眸を、目を見開いたままで呆然と見る。
「悲しいけど、負けちゃ駄目だ。武器を取って進むんだ」
 引き結ばれた唇。震える手。幼子がそうするように、必死に紡がれる言葉。泣きそうに歪んだ眸をする十雉に、肩の力が抜けた。
 ――手を上げることなど、不得意なくせに。
「――ありがとな」
 十雉を守らねばならない。誓いの通りに。ずっとそればかりを考えていた。
 けれど今、こうして己が守られている。ぐらつく足許に震えながらも、懸命に語りかける眸へ、なつめは安堵したように笑う。
「お前は、もう俺がずっと支えてなくてもしっかり立てるようになったんだったなァ」
 十雉もまた、すこしだけ穏やかに笑った。薙刀を握った手は震えない。青い燐光がそっと道を空けて、ふたりの前に立つ悲哀を討てと背を押した。
「皆、灰に還してあげる」
「あァ――終焉らせてやる」
 薙刀の刃より舞い散る炎を燻らせて、竜が咆えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ヴィリヤ・カヤラ
ここは何か嫌な感じがするね。

思い出したのは母様の事。
母様は人間だったし病気はしょうがないけど、
弱っていく母様を見るのは辛かったし、
亡くなった時は自分でも驚くくらい何日も泣いていたと思う。

気付いたら無事な左目から涙が溢れて。
でも、UDCで形だけ作った右目からは涙は出ないんだね。
認識した途端に悲しみが止まらなくなる。
母様とはもっと一緒にいたかったし、
私が猟兵になっても母様がいれば
父様は一人にはならなかったよね。

……思い出した。
母様の事で泣いてると父様が黙って抱きしめてくれて。
泣いていると父様の手を煩わせるから、
父様がいる間は泣かないって決心したんだった。
次に泣くのは父様を倒した後って決めてるしね。




 嫌な感じがする。
 血の半分を異と同じくするからだろうか。僅かに感じた直感めく感覚は、ただ心に干渉する過去の残滓――というには、もっと深いところを逆撫でされるような感触を伝える。
 金色の眸を瞬かせ、ヴィリヤ・カヤラ(甘味日和・f02681)が一歩を踏み込んだ。
 ――満ちる嗚咽が、嘗ての記憶を攫う。
 病気は仕方のないことだと、その頃から納得はしていた。
 吸血鬼の父とも、半魔の己とも違う。母は生粋の人間だから、体だってずっと弱い。まして暗がりの世界で為せる治療などそう多くはなくて、緩慢な死は確実に彼女へ迫っていた。
 分かっている。分かっていた。いつか消えてしまう灯火だということも納得ずくだった。
 それでも、朽ちていく母のいのちを一番近くで見詰めているのは、辛かった。
 少しずつ出来ることが減っていく。日に日に言葉を交わせる時間が短くなっていく。見ない振りをすることも出来ないほどに、眠る時間が増えていく。いずれ床についたまま、起き上がることも出来なくなった母の枕元は、切り裂かれるような痛みを伴って胸を穿つ場所になった。
 そうしてとうとう訪れたその日から、ずっと。
 ずっと、ヴィリヤは泣いていた。
 もう会えない。もういない。繰り返せば繰り返すほどに胸を引き裂く事実を、それでも受け入れなくてはいけない――。
 気付けば、頽れて泣いていたときと同じように、頬を涙が伝っていた。左の頬に感じる熱い感触が、しかし失い補った右目にはひとつも浮かんでいない。
 ――私、もう、片方でしか泣けないんだ。
 乾いた右頬に触れた刹那、波濤のような痛みが胸を叩いた。裡側を掻き毟られるような感触がする。
 もっともっと一緒にいたかった。大きくなる自分の横に、母の笑う姿があってほしかった。きっと父だってそう思っていた。
 彼だって、母が生きてさえいれば。
 ヴィリヤが世界に選ばれて送り出された日からずっと、あの大きな城で、独り家族もなく過ごさなくても済んだはずなのに。
 暖かな思い出が去来するたびに、ぼやける視界が酷くなる。拭っても拭っても零れる雫にしゃくり上げて、ヴィリヤはふいに思い出した。
 ――こうして泣いていたとき、父はずっと傍にいてくれたのだ。
 ヴィリヤが母を想って涙を流すと、多忙なはずの父がいつでも隣に来てくれた。そうして娘が落ち着くまで、そこにいてくれるのだ。
 ――父様の手を煩わせてはいけない。
 父を愛しているからこそ、父だって母を想っているからこそ、ヴィリヤはそう決意した。その日から、涙は捨てたのだ。
 だけど。
 だけど――父様。
 今を支える父様の温もりを討った後は、きっと同じくらい、泣くからね。
 涙を拭った袖の先、氷の刃が爆ぜて、影が掻き消えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
勝手に涙が溢れだしてくる
勝手に悲しみで満ちてくる

ごめんなさい
ごめんなさい

おとうさま
あなたの本当の娘になれなくてごめんなさい
あなたに愛される子じゃなくてごめんなさい
キャロットケーキを好きになれなくてごめんなさい
渡されたプレゼントを喜べなくてごめんなさい

あなたを**てしまってごめんなさい
ただわたしはあなたに名前を呼んで欲しかった
本当にそれだけだったのに

いつかわたしも
それもごめんなさい

流れ落ちる涙をそのままにして天を仰ぐ
蓋をしていた「わたし」の声が止まらない
泣いている君も、わたしなのね
なのに、ずうっとわたしは見て見ぬふりをして
ごめんね
一緒にいこう?

蒼の蝶がひらり隣を飛ぶ
もうひとりじゃないから
歩けるわ




 ――ごめんなさい。
 謝る声がする。自分の喉からも勝手に零れてやまないそれに、きっと今更、蓋なんか出来ない。
 ぼやける隻眼の視界に、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)はぎゅっと目を閉じた。そんなことをしても、頬を伝う液体の感覚からはどうしたって目を逸らせない。勝手にしゃくり上げる喉と、噛み締めた奥歯の隙間から、震える声がちいさく漏れた。
「ごめんなさい」
 ――おとうさま。
 ルーシーはほんとうのルーシーになれなかった。写真の中で見たきり、一度会ったこともあるというけれど記憶にないその子に、代わることが出来なかった。
 あの子が大好きだったキャロットケーキが、好きじゃなかった。もらったプレゼントが誰に宛てられたのか分かっていて、喜べなかった。
 おとうさまに――。
 ――愛される子になれなかった。
 ルーシーであれば良かった。それだけのことが途方もなく苦しくて、辛かった。自分じゃない誰かのいのちを生きるのは、ちいさな体には荷が重すぎた。
 重くて、辛くて、苦しくて――それでも。
 きらいじゃなかった。
 憎んでもいなかった。
 それなのに、この手は、おとうさまを――。
「ごめんなさい――」
 ただ、名前を呼んで欲しかった。ルーシーじゃない名前を。他でもないおとうさまに。ほんとうに、ただその一心だっただけなのに。
 もう彼は、ルーシーをルーシーとさえ呼んではくれない。
 そうしてこのいのちを抱えて生きた先で、きっとルーシーも『そう』なってしまう。それを知っている。いつか来る運命を、彼女は振り払えない。
 それも、謝らなくてはいけない。
 謝る相手も――もう、どこにもいないのに。
 零れ落ちる雫が頬を伝った。春先の暖かな風に攫われていくそれを、拭わないまま天を仰ぐ。
 これは――『わたし』の涙だ。
 ずっと蓋をしてきた。ルーシーはルーシーだから、そうじゃないものは心の底にしまって来た。きっと『彼女』も味わっていたはずだ。ルーシーの奥底で、喜びも、痛みも、幸福も。
 今――ここでこうして泣いているように。
「ごめんね」
 ずっと見ないふりをして。
 自分ではないような顔をして、押し込めてしまって。
 けれどそれも、今日で終わりにしよう。腑に落ちてしまったこの感情を、紛れもない『わたし』のありかを、もう沈めてしまったりなんかしない。
「一緒にいこう?」
 差し伸べたゆびさきに、蝶がふわりと触れた。ポピーのようなひかり。蒼いあおい、きれいな翅。生まれたての色を纏ったその子が、隣でわらってくれているような気がする。
 歩き出す足に逡巡がある。えいやと踏み出したそれは、彼女の危惧に反して震えてはいなかった。
 ――もう、ひとりじゃないから。
 舞い散る花弁の中、飛び立った蝶の翅と並んで、ルーシーはちいさくわらった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ティア・メル
【飴愛】

んにーなるほどなるほど
話を聞くには敵を倒さなくちゃいけないんだね
藍ちゃん、一緒に頑張ろっ

―――ふかく、しずむ
悲しみの海
涙があふれて頬を濡らしていく

この痛みをぼくは知ってる
どうして
泣き虫は嫌?負の感情は嫌い?
狂おしい程の恋だった
蕩けるような戀だった
それでも受け止めてはもらえなくて
ぼくの全てを否定された
胸を掻きむしりたくなるほど苦しくて
ぼくは

ううん、今は違う
ぼくと海へ沈んでくれると言ってくれたいとおしい人がいる
たとえ紛い物のぼくに対してでも

藍ちゃん、だいじょうぶ?
溺飴で全力サポートするよん
此方を認識させない間にあの子を
救うんじゃなくて掬おう
助けられなくても、せめて

ありがとう、藍ちゃん


歌獣・藍
【飴愛】
ええ、そのようね
てぃあ。
頼りにしているわ
頑張りましょう!

胸に痛みが走る
二度と感じたくないあの時の
ねぇさまを刺したあの日の感情

どうして許したの?
私は全て奪ってしまったのに
どうして貴女はこんなにも
『あい』を与えてくれるの?
わからないわ
ねぇさま
まい、ねぇ。

1人蹲ってしまいそうなとき
てぃあの声がきこえた
白花弁に夢幻の世界
暖かい

…そうね
焦る必要など無かった
ねぇさまは『許してくれた』。
もう、独りでもない
ならばあの時の答えは
出会った仲間とゆっくり探せばいい

ええ、てぃあ
救えなくても、掬うことは出来るわ

てぃあとこの場にいる悪に安らぎを
『あなたのようになりたかった』

てぃあ、ありがとう。

ーー私を救ってくれて




「んにー、なるほどなるほど」
 ――影が泣いている。
 その真ん中で泣き濡れる少女は、なるほど話を聞けるような状態ではなさそうだ。駆け寄って手を握ってみせたとて、きっと嗚咽でまともに喋ることも出来ないだろう。
「話を聞くには敵を倒さなくちゃいけないんだね」
「ええ、そのようね。てぃあ」
 状況を見遣り、納得の息を零したティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)に、歌獣・藍(歪んだ奇跡の白兎・f28958)が頷いてみせる。顔を見合わせてちいさく笑った猫パンチ仲間は、互いの眸をじっと見てから前を向いた。
「藍ちゃん、一緒に頑張ろっ」
「頼りにしているわ。頑張りましょう!」
 そう言って。
 ――踏み出した一歩が、ふかくしずむ。
 泥濘を踏み抜くような感触。その次に体を包んだのは、つめたい悲しみの温度。
 ティアは、その中を漂っている。
 藻掻いても水面は遠い。差し込む光に向かう泡にすら置き去りにされたような気がして。
 頬を濡らす涙のいろを、ティアは知っている。
 なくしたはずだったのに。愛されるのに邪魔なものには、すべて蓋をしてきたはずなのに。こじ開けられた隙間から零れる痛みが、あの日の記憶でこころを染めていく。
 ――好きだった。
 狂おしいほどに想った。何だって出来るような気がしていた。心の底を蕩かせて、融け出したものさえも甘美なひかりを放って見えるような、飴細工の戀だった。
 それなのに。
 あれほどに想ったのに、届きやしなかった。
 届かなかっただけならば、まだ良かったのかもしれない。こんなにも沈んでいくことはなかったのかもしれない。
 ティアの全てを否定した声が、今も鮮明に脳裏に蘇る。受け止めてもらえないまま宙吊りになった想いが、叩き付けられて壊されていく。
 ――泣き虫は嫌?
 ――負の感情は嫌い?
 胸をかきむしって、そのまま心を吐き出せてしまえたら、どれほど楽だっただろう。爪を立てても胸の痛みが疼くだけ。だから、だからティアは――。
 沈み行く海の中、ふいに耳に届く声がある。
 ――あなたと沈む海の底はどんな青よりもうつくしいでしょうね。
 そうだ。
 今のティアは違う。たとえ紛い物の自分だったとしても、セイレーンと水底を共にしてくれるいとおしい人がいる。
 ぐいと体を持ち上げる腕に、驚くほど力がこもった。水面から顔を出して、息をして、今ここで始めに呼ばなくてはいけないのは――。
「藍ちゃん、だいじょうぶ?」
 ――呼ばれた藍もまた、深く切り刻まれる痛みの中にいた。
 姉からはじめに奪ってしまった日。深く深く突き刺さったナイフが、誰より大切なひとに沈んでいく感覚。鮮明に手に蘇るそれに、いつだって問うのは同じこと。
 どうして――。
 ――どうして許したの。
 取り返しがつかなくなってしまったと知って、夢を奪われたと知って、どうして笑ったの。どうして藍の無事を喜んだの。貴女から全てを奪った妹に、どうしてひたむきな『あい』を与えるの。
 分からない。
 どうして自分が許されているのかも。どうして彼女が、藍が背負うべきだった業までもを背負ってしまったのかも。それなのに、最後まで笑って、藍を許したのかも――。
 ――ねぇさま。
「まい、ねぇ」
 声に出せば余計に悲しくなる。会えるかどうかも分からない。合わせる顔があるのかどうかすら。それでも姉が笑ってくれると知っているからこそ、痛いほどに心が揺れる。
 そのまま膝の力が抜けて、世界が回る感覚がある。抗う気力すらも生まれない。頽れてしまいそうな体を、ふいにふわりと包んだ温もりがある。
 白い花弁。夢幻の世界。そっと隣に並ぶ温度が、ようやく藍の世界に彩りを引き戻す。
 ――焦る必要などない。
 独り彷徨っていた頃とは違う。ここには支えてくれる仲間がいて、藍が思うよりもずっと煌めく世界があって、繋ぐ手がある。
 だから、思えるようになったのだ。
 ねぇさまは、『許してくれた』のだと――。
 答えはゆっくり探せば良い。一緒に探してくれるひとたちが、今はいるのだから。
 はっきりと意志の色を取り戻した眸に、ティアがわらった。
「掬おう」
 ――救うのではなくて。
「助けられなくても、せめて」
「ええ、てぃあ」
 彼女がそれを望むなら、藍は支えてくれるその手に報いよう。奏でる歌と散らす花弁で、全てに安らぎを与えよう。ひとときだけでも、全てを許してくれたあなたのように。
「救えなくても、掬うことは出来るわ」
 舞い散る藍苺の舞踏。その後を押す白花弁を振り返って、藍はちいさくわらった。
「てぃあ」
 名を呼ばれて、セイレーンがきょとりと目を瞬かせる。
「ありがとう」
 ――私を救ってくれて。
 告げられた言葉が、身を満たすから――。
 いたく穏やかに、砂糖細工の眸が笑みを描いた。
「ありがとう、藍ちゃん」

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

レイラ・エインズワース
【凪灯】
まだ、未来のある子たちらカラ
こんなところで、こんなかたちで終わっちゃうのはやだなって思うんダ
だから、助けに行こうカ
力を貸してネ

見据えた先には影
あれは絶対によくないモノ、悲しみを寄せるモノ
呼び出すのは冥府の槍
呪詛を込めた槍を呼び出して、影を貫いて撃破していくヨ
憐みも、悲しみも、きっと負の感情
でも
どんな罪悪感に駆られたってまだ私はここにイル
そんな毒で心を壊されたりはしないカラ
まだやるコトがあるんだからネ
またないカラ平気、なんていうんだったら、えいってやろうかと思ったケド

……私は好きダヨ、その答え
ま、早くあきらめたホウがいいとは言うけどネ!
さぁさ、もう少しの辛抱ダヨ
絶対助けるからネ


鳴宮・匡
【凪灯】


ああ、一緒に行くよ
レイラが望むならいつだって
俺の手はその為にあるんだから

知覚し得る範囲にある影の悉くがそのまま標的だ
捉えたなら、逃さない
全て撃ち抜くよ

数えることすら侭ならないほど、多くを切り捨てて生きてきた
これも、そうだ
もう“悲しみ”の形がわからない
それはただ、“痛み”として在るだけで
簡単に、噛み殺してしまえる

……ああ、大丈夫
今は、そんな自分がそれほど嫌いじゃないんだ

こういう俺だから、どんな時でも隣で支えられるって思うし
痛みに負けないのは“心がないから”じゃなくて
俺を頼ってくれたのが嬉しかったから
……かも、って思うし

俺の諦めが悪いのは知ってるだろ?
さ、まだまだ行こう
助けてやらなくちゃな




 ――まだ、未来のある子たちだカラ。こんなところで、こんなかたちで終わっちゃうのはやだなって思うんダ。
「だから、助けに行こうカ」
 ふわりと振り向いて笑う相貌は、いつだって花のようだと思う。
「力を貸してネ」
 真昼を照らす角灯を携えて、レイラ・エインズワース(幻燈リアニメイター・f00284)の赤い眸が鳴宮・匡(凪の海・f01612)を見た。
 宿る信を、その心に確かに刻む。握り締めた拳でそっと己の胸に触れ、匡は穏やかに笑った。
「ああ、一緒に行くよ。レイラが望むならいつだって」
 俺の手はその為にあるんだから――。
 続く言葉に、レイラがきょとんと瞬いた。少しだけ眦を釣り上げてみせるけれど、それだって彼には通用しないと知っているから、モウ――とひとつ苦言を呈するに留める。
 ――見据える先の影を、己が心に干渉すること以上に嫌なものだと思うのは、レイラが或いは、あちら側との境界に在るからだろうか。
 そこにあるだけで悲しみを引き寄せるモノ。自らも絶望に沈みながら、誰かに絶望を振り撒き続けるモノ。
 その跋扈を許すわけにはいかない。懐く必要のない悲しみを誰かに齎すのなら、道標の角灯が、沈み行く暗がりを照らして見せよう。
 掲げたランタンが紫のひかりを携えて煌めいた。盛る焔の裡に揺らめく呪いの渦を見上げ、赤い双眸が僅かに眇められる。
 それがどんな想いから生まれるのだとしても、悲しみも絶望も、負の感情には変わりがない。眼前にて渦巻くそれは、常に燻り続ける火種を強く煽って、天まで届かんばかりの慙愧と変えていく。
 それでも――。
「まだ私はここにイル」
 どれほどの罪悪がこの身を捕えても――。
 レイラにはまだ、為すべきことが残っている。それを置いて、こんな毒に侵されて、膝をついたりはしない。
 呪詛の槍が貫く影の隙間を縫って、彼方よりの光が咆える。
 ――悲しみ程度で揺らぐ指先は、一番最初に捨てた。
 だから今だって、それを正しく知覚出来ない。ひとが悲しみと呼ぶはずの感情は、匡の胸にはただの痛みにしかなり得ない。
 引鉄を引く指を妨げるものは、全て切り捨てて生きてきた。怒りを。嘆きを。悲哀を。絶望を。苦しみを。だからどれほど脳が揺らいでも、この痛みに胸の奥の不格好なものを叩き潰されても――指先も、銃口も、揺るがない。
 それこそが、己をひとでなしたらしめる理由なのだと思ってきた。
 ひとが懐くべき情動を、当然のように動いて然るべき指を、匡は全てなかったことに出来る。水面がどれほどの暴風に晒されようと、水底には波一つとて立たぬように――。
「……ああ、大丈夫」
 気付けば赤い双眸が彼を見ていた。僅かに揺れるように覗き込むその色に、腕の力を緩めて笑う。
 ずっと厭うて来たこの『こころ』を、今ここで再び突きつけられても、そうしていられる。
「今は、それほど嫌いじゃないんだ」
「またないカラ平気、なんていうんだったら、えいってやろうかと思ったケド」
 ――それはそれで役得かもしれない。
 なんて思ってしまうところが駄目なのだろうか。そう自戒してみれども、口許は指先と違って言うことを聞いてくれない。
「こういう俺だから、どんな時でも隣で支えられるって思うし」
 そうして痛みを殺してしまえる理由は、今は――きっと、嘗てとは質が違う。
 全てを荒寥の裡に返すための、身を削るような苦しみではない。むしろ真逆の、暖かくて優しいひかりが、確かにこころのかたちを照らしてくれるから――。
「俺を頼ってくれたのが嬉しかったから……かも、って思うし」
 ぽつりと零す声に向けて、レイラがふと笑うのを見た。
「……私は好きダヨ、その答え」
 穏やかで優しいその表情に、また鼓動が不規則に跳ねる。その理由を知っているから、余計に照れくさい気がして、匡は居心地が悪そうに口許を引き結んだ。
 その様子を見遣って――。
 レイラの方はといえば、いつもの調子で唇を尖らせるのだ。
「ま、早くあきらめたホウがいいとは言うけどネ!」
「俺の諦めが悪いのは知ってるだろ?」
 さらりと返すのも慣れたもの。気付けばすっかり遠のいた痛みに、敵わないな――と心中に零して、男の指先は再び引鉄に当てられる。
「さ、まだまだ行こう。助けてやらなくちゃな」
 大きく頷いたレイラもまた、先よりもすっきりとした笑顔で前を向いた。呪いの槍も、渦巻く負も、足許を揺るがしはしない。
「さぁさ、もう少しの辛抱ダヨ。絶対助けるからネ」
 励ましの声と共に掲げられた角灯が、道を拓いて揺れた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

マオ・ブロークン
……生きてる、世界が、つらくても。……、
支え、が、あるの、なら……生きたい、なら。
ぜったいに、奴ら……ひとを、死へ、導く、やつらに。
耳を貸しちゃ、だめ。
だって、死んだら……殺された、ら。こんなに、苦しい。よ。

あの、黒いの……が、あのこ、の、敵。
……なんでも、構わない。全部、鋸で、叩き切る。
泣かせる、なら……ぜったい、に、ゆるさない。

あたし、は……今の、死んじゃった、あたしは。
とっくに、壊れて……悲しみ、しか、残って、ないのに。
今更、お前らの、泣き声が。呪い、ごときが、なんだ。
あたしは。殺された、あの日から、ずっと……泣き止めない、のに!

……う、うう。
う、ひぐっ……うああ、ああああ……




 生きていることがつらくなることは、きっと人生には少なくないのだろう。
 けれどきっと、その心を照らす光が一条でもある限り、軽薄な死を言葉にする者の手を取ってはならない。
 甘美な救いを差し出すように笑って、深く沈んだ悲しみに同調するように頷いて、奴らはやさしい人間の顔をして来るのだ。
 ――マオ・ブロークン(涙の海に沈む・f24917)は、それをよく知っている。
 だから彼女たちをたすけたい。死ぬべきではない、けれど死をどうしようもなく望んでしまっているのだろうひとり。そのひとりを気にかけて、ずっとずっと心配している、ひとり。
 どちらだって、喪われてはいけない。
「だって、死んだら……殺された、ら」
 ――こんなに、苦しい。よ。
 二度と高鳴らない心臓のあった位置を、マオの青白い指先が掴んだ。引き結んだ唇を、止めどなく零れる涙が掠めていく。
 それすらも、いつものことだから――。
 ぎしぎし軋むつぎはぎだらけの足は止まらない。振りかざした鋸が回転して、彼女に縋る影たちを容赦なく斬り落とす。
 ――真ん中で泣いている、死んだ自分より少し歳下の女の子。
 今まさしく彼女を泣かせる敵だというなら、容赦をしてやる道理はない。止めどなく溢れる涙を、この心を引き裂く痛みを、与えているというのなら。
「ぜったい、に、ゆるさない」
 電動鋸の駆動音が、悲哀の嗚咽を掻き消した。けれどマオの涙は止まらない。当たり前だ。これは、ずっとマオと一緒にあるものだから。
 ――殺されてしまったあの日から。
 この身がこうして、屍のまま動き出すようになってから――。
「今更、お前らの、泣き声が。呪い、ごときが、なんだ」
 マオはずっと悲しい。
 それ以外の感情は、もうとっくに壊れてしまった。体が止まって、肌は青ざめて、脳まで鈍って、挙句この心は悲哀の深海から救われもしない。止まることのない涙を零す眸ですらも、後から嵌めた紛い物だ。
 ――敗れた恋も、騙された無垢も、その悲しみが何だっていうんだ。
 それを抱えてでも、それを抱きしめてでも、泣いても苦しんでも辛くても。
 こんなに。
 マオは、こんなに――生きたかったのに。
「あの日から、ずっと……泣き止めない、のに!」
 慟哭が天を衝く。幾度も繰り返した疑問に応えてくれる声はない。鈍った脳に残る記憶が、あたりまえの女の子のこころが、止まってしまった体さえも引き裂くようだった。
 骨の魚が宙を泳ぐ。屍の涙に呼応するように、影を屠って鰭を翻す。
 なにも。
 ――死んでしまったら、もうなにもない。
 涙しか遺っていない。明るく笑う写真の中には、『それなりに幸せ』な日々には、もう戻れない――。
「う、ひぐっ……うああ、ああああ……」
 ぼろぼろの制服で目許を押さえ、嘗ての少女は泣き続ける。
 ――零れ落ちる涙ですら、もう温度を孕まないまま。

大成功 🔵​🔵​🔵​

毒藥・牡丹
【理解しがたい】〇

なんっっでこの女と一緒なのよ!
別にあたしだけでも出来るわよ人一人助けるぐらい!
ついて来ないで!ふん!

ねぇ、ええと…大丈夫で──

────あれ?

ああして泣いて、謝って
ひたすら地にひれ伏して許しを乞うていたのは
誰だったっけ?

『牡丹』
名を呼ばれて、背筋が凍る
いつだって、その名を呼ぶ時は
ほら、決まって
痛みが伴うから

申し訳ございません
二度と致しません
すみませんでした
ごめんなさい、ごめんなさい
どうか、どうか
許してください、お母様
私、まだ出来ます。まだ──

いつだって比べられて
いつだって追いつけなくて
その度に叩かれて
毎日毎日毎日毎日

──だから
あんたが大っ嫌いなのよ
千桜エリシャ


千桜・エリシャ
【理解しがたい】〇

もう、牡丹ったらまたそんなことを言って
一緒にがんばりましょう?ね?

…?
牡丹?どうしたの?
嗚呼…その目は憶えがある
本妻の娘である私を妬み嫉むその視線
生家である千桜家の異母姉妹たち
良家に嫁いで世継ぎを成すのが女の務めだと躾けられて
皆一様に政略結婚の道具として育てられていた

礼儀作法もお琴も舞も茶道も
私はどれも出来が良かったから
きっとあなたは比べられたのでしょうね
その許しの乞い方
幼い頃の自分を見ているよう

私だって一番じゃなければ叱られて
反省するようにと座敷牢に閉じ込められて
いつもお母様の顔色を伺っていた
…私もあなたと同じ

もうこれ以上
あの家のことを思い出させないで
だから、蕩けて…消えて




「なんっっでこの女と一緒なのよ!」
 開口一番そう叫んで、毒藥・牡丹(不知芦・f31267)は隣を睨み付けた。
 何の因果か知らないが、こうして肩を並べざるを得ない機会が多いことは、彼女にとってはひどく業腹だ。今だってこうして怒る牡丹の横で、千桜・エリシャ(春宵・f02565)は嫋やかに、自分の頬へ手を当てている。
「別にあたしだけでも出来るわよ人一人助けるぐらい!」
「もう、牡丹ったらまたそんなことを言って」
 柳眉がきゅっと寄るのまで、非の打ち所なく美しい。困ったようなかんばせが芙蓉の如く薫り立つのが余計恨めしくてたまらない。
「一緒にがんばりましょう? ね?」
 ――なんて、姉ぶった言い方も気に食わないのだ。
「ついて来ないで! ふん!」
 肩をいからせて前を歩く少女を追って、エリシャは櫻のひとひらが如き唇にちいさな溜息を乗せた。大袈裟なほどに歩幅が違うから、追いつくまでには少し時間がかかりそうだ。
 彼女を振り切るようにすれば、少しは牡丹の気も晴れる。一足先に辿り着いた中央で、体を丸める少女の横へとしゃがみこむ仕草は、完璧に楚々とした令嬢めいた。
「ねぇ、ええと……大丈夫で──」
 ふと――。
 涙を流して謝り続ける美陽へ伸びた手が、動きを止めた。
 丸めた背中。地べたに擦り付けるように打ち付ける額。三つ指をついて首を垂れている姿に見覚えがあった。
 否。
 ――あれは私だ。
 喉が鋭く鳴る。頭痛が頭蓋の内側を叩き付ける。嫌だ。嫌だ。思い出したくない。思い出したくないのに――。
 ――牡丹。
 冷え切った声に名前を呼ばれて、牡丹は心底から屈服した。
 申し訳ございません。二度と致しません。すみませんでした。ごめんなさい、ごめんなさい。どうか、どうか許してください、お母様。私、まだ出来ます。まだ──。
 永劫抜けぬ杭が、体の裡側に軛を打ち込むような痛み。やわい音色で呼ばれたことなど一度もない。牡丹が一度だって、追いつけたことがないからだ。
 母はいつでも、牡丹がどれほど血反吐を吐いても追いつけぬ姿を見ていた。睨むようなその眸が己に向かないことを祈り、文字通り命を削るような努力を積んで、その度に鋭い視線が牡丹を貫く。
 追いつけぬ身を詰られた。身も心も深く抉る痛みを受け入れた。いつだって、暴力の跡は服の下にしか作られない。女は花だ、花は見えるところに疵などあってはならない。地獄のような嵐が過ぎ去るまで、牡丹はじっと、石のように丸くなって耐えることしか出来なかった。
 ――けれど嵐が止んだとて、明日にはまた同じことの繰り返しだ。
 毎日、毎日、毎日――どれほど努力をしたとて、どれほど愛されようとしたとて、役立たずの無能を罵られるだけ。
 だから。
「牡丹? どうしたの?」
 ――あんたが大っ嫌いなのよ、千桜・エリシャ。
 持ち上がった牡丹の眸が抱く色に、エリシャは少しだけ目を見開いた。それからふと眇めた眸に、全てを悟ったような光を孕む。
 ――いつだって、エリシャは一番だった。
 千桜の異母姉妹は皆、良家に嫁ぐための道具だった。
 女の抱く至上の価値は、良家に選ばれ世継ぎを成す胎。ならばうつくしく花の如くあれ、何もかもを成せる至上の女たれと育て上げられる彼女たちは、あの家にとっては人間ですらなかった。
 舞も作法もお琴も茶道も、本妻の娘は何でも出来た。常に最も優れる者だった。
 だからよく知っている。
 千桜の名を受けた本妻の娘を睨む、怨嗟と嫉妬の鋭い視線。いつでも美しくそつのない、かろやかで目を引く櫻いろを怨病む――黒く凝るようないろをした眸。
 けれど、彼女たちは知らない。比べられていたのは、競わされていたのは、『一番』もまた同じこと。
 いっとう優れた本妻の娘はいっとう優れている。
 ――それが当たり前だった。
 それが当然ならば、出来たことは誉められない。誰かに敗北すれば即ち恥だった。叱られ座敷牢に放り込まれて、泣き叫ぶことすら諦めるほどそこにいさせられて、次こそはと奮起する思いはいつでも震えるほどの恐怖を孕んでいた。
 そういうとき、エリシャもまた媚びた眸と震える声で、地に蹲るように赦しを乞うたのだ。
「……私も、あなたと同じ」
 千桜の家は女の地獄だ。
 腹を痛めて産んだ娘を使い、己の優秀さを競う母たちが作る――地獄だ。
 思い出したくもない光景を振り払うように、エリシャが一つ首を横に振る。
 瞬きを挟んで開いた桜の眸に呪いを宿し、影を蕩かすその仕草を、牡丹はじっと見上げていた。
 ああ。
 もう、全部厭だ。
 厭だから。
 ――何もかも、死んでしまえ。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

大町・詩乃
〇◇

【どうしようもない悲しみ】
世界のどこかで起きた大噴火による世界寒冷化に伴う飢饉。
食料を巡る争いが起き、自分の無力を、人の哀しさ醜さを、嫌というほど思い知り、涙した…。
それでも諦めなければ、人も世界も苦難を乗り越え前に進む。

気合で立ち上がり、巫女の1人として、誹謗と恨みを受けつつ説いて回った経験を以って、悲しみと絶望を乗り越える!

UCで敵を倒し、美陽さんを優しく抱き締めつつ語り掛ける。
「あなたは悪くない。いえ、優しくて良い人です♪
悪いのは梨華さんをいじめ、あなたも標的にしようとした人達。
そして梨華さんに纏わりつく悪霊。
梨華さんを助ける為にあなたの力を貸して下さい」と優しく見つめてお願いする。




 悲しみにも、さまざまな色がある。
 大町・詩乃(春風駘蕩・f17458)の懐くそれは、言うなれば神の悲哀だった。
 慈愛の花咲く女神は、それ故に世界の数多を俯瞰する。見詰める人々の営みを祝し、春には咲き誇り、夏には育ち、秋には恵みを齎すものだ。だからその悲しみもまた、ただ一人の個人の苦しみには帰結しない。
 ――大噴火があった。
 全ての熱を使い果たしてしまったのだろう。灰に包まれた世界は、急速に温度を失った。植物は枯れる。動物は死ぬ。あっという間に人々を覆った暗雲は、飢えの雨で打ちひしがれる民衆を打った。
 争いはやまない。いのちが掛かっているからこそ切実だ。痩せぎすの屍が、執着を剥き出しにして武器を振るう姿が、飛び散る血が、うつくしかった大地を汚していく。
 不毛の地に、詩乃は何も出来なかった。人の心根に宿る悪性を叩き付けられて、優しい花の女神はただ、泣き崩れることしか出来なかった。
 ――それでも。
 それでも、彼女は立ち上がったのだ。
 諦めさえしなければ、世界はまた芽吹く。厳寒の冬を越えるからこそ、春は美しい。あのとき、前を向いて歩き出した詩乃に、心ない言葉が浴びせられることもあった。恨みも罵声も、全てを受け入れて――彼女は、笑ったのだ。
 苦難は何れ晴れる。
 だから、今は耐えて、人のために――。
 再び開いた眸に、強く意志が宿る。あの日の苦難、あの日の悲しみ、あの日の痛み、その全てを超えたからこそ詩乃がいる。ならば与えられる呪いの、何を恐れることがあろう。
 葬送のしらべが空を揺らす。ゆっくりと、涙から解放された影が過去の海へと戻っていく最中を、女神の足取りがしかと進む。
 ――泣き暮れる美陽の背を包むようにして、その身を抱き締める。
「あなたは悪くない。いえ、優しくて良い人です♪」
 背中を撫でて、優しい声音を奏でた。それが少しでも、彼女の悲哀を拭う布になるように。
「悪いのは梨華さんをいじめ、あなたも標的にしようとした人達。そして梨華さんに纏わりつく悪霊」
「私、たちを――」
「ええ。そうですよ」
 だから、今は泣いているばかりではいけないのだと。
 それでは届かない手があるのだと。
 伝えるような温もりに力が抜けたのを感じ取る。するりと解いた腕を、そのまま彼女の指先に滑らせて、詩乃の手が美陽の手を握った。
「梨華さんを助ける為にあなたの力を貸して下さい」
 微笑みを浮かべたまま、けれど声音はいたく真摯だ。真っ直ぐに見詰める女神の眸をじっと見遣って、美陽はゆっくりと、しかし確かに頷いた。
「――はい」

大成功 🔵​🔵​🔵​

穂結・神楽耶
『原因のない悲しみ』を抱えたことがあります。
…否。ただ、原因を忘れていただけ。
あったはずの幸いが思い出せないことを嘆いただけ。
ただ幸せであったことだけを憶えていて、その中身が分からないことを悔やんだだけ。

それを燃やすことを選んだのも自分だったのに。
それしか持っていないから、焚べるしかないなんて。
――そんなあたたかなものを持っている自分が許せなかったくせに。
わたくしは、なんて――

器物の身は涙を流しません。
いかな悲しみとて、刃を揮う妨げになどなりはしない。
影さえ払えば悲しみも消えるとあらば尚更です。
炎を灯し、影を薙ぎ払う。
ひととき限りの欺瞞としても。
そうしなければ立てないこともあるのですから。




 心を締め付ける思いに、理由がないこともある。
 穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)――その顕現体を灼くのもまた、理由のないまま心に湧き上がる冷や水だった。
 否。
 神楽耶の場合は、それも違う。
 ただ――忘れていただけ。
 あったはずのさいわい。夕焼け色の小道。子供たちの笑い声。片割れの歌。社。刃。鈴。逸話と、祈りと、願いと――。
 鮮明だった輪郭が、焔に炙られて見えなくなる。ぼやけ掠れたそれに手を伸ばしても、崩れ落ちる幸福の灰の感触が手に残るだけだ。
 己で焼べたものの残骸を前に、神楽耶はずっと立ち尽くしていた。護るためにあった刃が何もかもを喪って、その先を祈られて残ってしまった。前を向いた眸に破滅の宿命を飼い、それを厭いながら、心底では頼ってもいた。
 ――ひとつ焼べるたびに、ひとらしさを取りこぼす。
 それは耐え難く心を軋ませる事実だ。諦めの布で幾重に覆い、それしかないならば全て焼べてしまえとばかりに己が身と心を削る。ひとのために、ひとを守るために、このちいさな手では届かぬものに、届けるために――。
 そんなことを言いながら。
 本当は、ただ赦せなかっただけだ。
 遺ってしまった己が、あたたかなさいわいを抱き締めていること。何にも脅かされずに笑っていること。何の呪いも背負うことなく、未来を生きていくことも。
 だから全部、燃やしてしまおうと思った。
 ただ、それだけだ。悔悟を重ねて積み上げて、その先から目を逸らして、贖罪のように己を磨り減らす。手放せば手放すだけ軽くなっていく肩と重くなっていく心を、今更のように強く感じた。
 ああ。
 わたくしは、なんて――。
 ――ひらめく刃の柄を握り締める。空を仰いだ視線を前に戻して、神楽耶は深く息を吐いた。
 どれほどの痛みに心が軋もうと、この身は所詮、分け身に過ぎない。器物は涙を流しはしない。曇る視界も、淀む足も、惑う腕もありはしない。
 この体は、ただ――刃なれば。
 影を払えば消える悲しみだというのなら、この剣戟がそれを成す。導きの焔へ全てを焼べてでも、己が差し伸べるべき手を届かせる。
 引き結んだ唇を、濡れ羽の髪が掠める。躍るように振るう刃の先に、両断される影の崩れていくのを見遣りながら、神楽耶は僅かに目を伏せた。
 知っている。
 これはただの欺瞞だ。繰り返して重ねて、擦り切れるほどに慣れてきたそれと同じ。そうと分かっていながら、尚もこの手は止まらない。
 たったひとときで良い。
 そうしなければ、崩れ落ちてしまいそうなときだってある。
 焔が燃える。名を亡くした神の、捧げる者のない舞が、静謐の葬送を彩った。
 ――鈴の音は、鳴らないまま。

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴木・蜜
頬を黒油が伝う
涙すら満足に流せないほどに
ヒトの形が崩れている

指先だった液面に
じわりと熱のようなものが広がって、嗚呼

触れたすべてが溶けていく
ただ、触れただけで
何もかも

可愛らしい鳥を愛でようとして
美しい花を摘もうとして
私の手でぐずぐずに崩れていく

何度経験しても慣れることの無い
目の前でいのちが解けていく感覚
私は……死毒だ
だから、殺してしまう
愛しいものに触れることができない

それがどうしようもなく苦しい
哀しくて寂しかった
きっと、これからも

最近は上手く目を逸らしていたのに
困りましたね
形を保てない

ですが
これだけ形が崩れていれば
滲む死毒が影を侵すでしょう

……、そう
私はただ、触れるだけで良いのですから




 頬を伝うのは、泥のような雫だった。
 止めどなく零れ落ちていくのは、最早涙とすら呼べない黒だった。思わず己の手を見た冴木・蜜(天賦の薬・f15222)の視界に、ひとの姿を失っていくそれが、いやにはっきりと映る。
 黒油のからだが崩れていく。もう涙さえもまともに保てない。巡る痛みに、苦しみに、思わず吐き出した中身が地に広がる。
 それでも――。
 指先には、確かに涙の熱を感じた。
 触れた指から熱が広がっていく。外気に攫われて徐々に冷えていくそれが――まるでいのちのようで、蜜のかたちは余計、はじまりのそれへと戻っていく。
 ――触れてはいけない。
 愛らしい小鳥の温度を確かめたかった。美しい花の香りを感じたかった。無垢な願いでひとのように手を伸ばし、当たり前のように触れて、それで。
 全て融けて、骨すら遺らなかった。
 鳴いていた小鳥が喘ぐように藻掻いていた。思わず離すことすら出来ないうちに、手の中のそれが形を失う。呆然とする蜜の手の中で、いのちだったものは跡形もなくなった。
 花が枯れていく。腐り落ちる細胞がどろどろと地に零れて、気付けば香りはどこにもない。
 殺してしまう。
 愛しいと思えば思うほど触れたくなる。けれどひとのように伸ばした手は、ただ死毒がかたどる外側に過ぎない。
 融かしてしまう。
 生命の熱に触れれば、この手はそれを奪ってしまう。愛おしいものと交わす温度という当たり前を、この体は最初から持ち合わせていない。
 寂しい。誰ひとりとも、何ひとつとも、熱を交わせないことが。ただ一つで良い、この指先に触れて、柔らかな熱を噛み締められたらそれで良いはずなのに――。
 けれど蜜は永劫に死毒だ。これまでそうだったように、これからも、繋ぐあてのない手と共に生きていく。
 それを知らしめられるのは――あまりにも苦しい。
 だから考えないようにしてきたのだ。諦めるのではなくて、直視をしないことにした。
 触れたい衝動から目を逸らす。愛おしいものを慈しみながら、この手を伸ばすことも触れられることもないようにした。ようやく慣れてきた『何でもないふり』が、蜜の裡側から溢れかえって、ひとのかたちさえも奪っていく。
 ぐずぐずに崩れた体は、しかし好都合でもあった。滲み寄るそれに触れた端から、影もまたかたちを失う。悲哀と絶望の嗚咽ごと、静かな死毒に苛まれて過去の海へと戻るのだ。
 いつだってそうだ。
 蜜は、ただ触れるだけで良い。
 それだけで、全て壊れる。全て融けて、何も遺らない。
「ああ――」
 ――融かすことは、どうしてこんなに簡単なんだろうか。

大成功 🔵​🔵​🔵​

波狼・拓哉
○◇

まー…うん
流石に嘲笑い難いですよね
というか、これ梨華ちゃん周り巻き込むの自覚してますね?
…まあ、先に美陽ちゃんです
その悲しみはきっと誰かを助けられるはずですよ

悲しみ…まあ、悲しいのは悲しいですがそれが止まる理由はならないのですよ
別に悲しみ、絶望があるからと言って死ぬ訳ではないのでね

…ただ、まあその悲しみは正しいものでしょうからね
一緒にはつれて行ってやりますよ
なんでお話聞かせて下さいな?

その感情を理解する事は出来ませんが…
解決策ぐらいは探しますよ、探偵としてね

じゃあまあ、そういうわけで
ただの影にはお帰り願いましょう
化け明かしな、ミミック




 思わず口を衝いた息は、どうにも溜息に似た。
「まー……うん。流石に嘲笑い難いですよね」
 僅か眉を顰めた波狼・拓哉(ミミクリーサモナー・f04253)が、生まれた影と、その中央で泣く少女を見比べた。
 ――まあ、よくある話だと言えば、そうだろう。
 けれども些かその心に引っかかるのは、梨華というらしい少女が、UDCへと無警戒について行ったという事実だ。正気が残っていたのだとしたら、それは周囲を巻き込むことを前提とした衝動的な逃亡劇にも思えるが――。
 ともあれ今考えるべきは、目の前にいる少女のことだろう。首を軽く横に振って、くるりと転じた表情は、いつもの笑みを浮かべていた。
「その悲しみはきっと誰かを助けられるはずですよ」
 そっと寄り添うように、拓哉の足が美陽へと歩み寄る。
 ――この悲しみの波濤の中で笑えることを、人は狂っているというのだろうか。
 生憎と正気などとうに失っている。家を放り出されて以来、随分と認識と常識を疑わされてきた。まして拓哉の相棒は、超常の不可思議極まりない存在だ。
 哀しい――とは、感じる。
 けれどもそれが足を止める理由にはならない。『たかだか悲しい』くらいで人の心臓は止まらない。絶望が誰かを殺すのなら、それはその心が死を選ぶように仕向けているからだ。悲哀や痛みが即ち死への希求と結びつかないのなら、彼はどれほどの無明に取り残されようと、いつもの調子で歩き出すだろう。
 とはいえ――。
 それを以て死にたいと、沈みたいとまでに思う気持ちは、正しいのだろうとも思っている。
 己が常人と一線を画すと知っているが故である。この価値観に分からぬことは、恐らく世の常識にごく近いものなのだろうとも。とうに失ってしまったそれへ思いを馳せるような感傷さえも、この心は持ち合わせてはいないのだが。
 まあ――その悲しみを連れていくくらいは、出来るだろう。
「なんでお話聞かせて下さいな?」
 差し伸べた手の先で笑う拓哉が首を傾ぐ。悲哀に沈み膝を折る、その感情そのものを理解することは出来ずとも――。
 何も、事件の解決に感情の理解が必須というわけでもないということを、彼はよく知っている。
「解決策ぐらいは探しますよ、探偵としてね」
「ありがとう――ございます」
 顔を上げて、ようやくと声を零す美陽に頷いた。同意が取れたのならば契約は成立だ。後は拓哉の『仕事』である。
「――じゃあまあ、そういうわけで。ただの影にはお帰り願いましょう」
 ひらりと振った腕に応じて、どこからともなく黒い箱が現れた。開いた口から裏返るように変化するそれを見送って、彼の手は狂気の光を遮るように、美陽を隠した。
「化け明かしな、ミミック」

大成功 🔵​🔵​🔵​

クロト・ラトキエ


独り
往く宛も帰る方も失くとも
俺の世界は常に俺の思う儘
傷付けても傷付かず
苦痛も懊悩も寂寥も無縁
成すべき事を成し
常に勝利者で有り続ければ、
好き勝手に面白可笑しく愉しく居られた
厭うのなど退屈くらい
悲しみなど知る筈も無い

…無かった、よ
未だ、唯一にだけだけれど

この悪性が苛んでいないか
奪ってはいないか
苦しめては、悲しませてはないか
…そして
いつかの終わりを語られる度に、
湧き出る
知らなかった感覚

――目には見えないもの
狐の様に
いつか麦畑にさえ懐かしさを思うか
それとも
理解したあの子の様に
薔薇に逢いたいと思うか

今は判らない
…ただ

僕を揺らせるのは、唯一人

俺の、僕の、大切な『悲しみ』
嗚咽で等しく引き出せる等と…
驕るな




 この世を生きるのに、何を苦しむことがあろう。
 元より無明。最初から独り。カンテラの一つも手にせぬまま、軽やかに地獄を渡る獣。その足取りを咎める者は全て地に伏し、手を汚す血が一つ増えるだけ。誰かの生を踏み躙ることに罪悪はなく、なればその背が負うべき十字架すらも空疎なものだ。
 そうして、クロト・ラトキエ(TTX・f00472)は生きて来た。
 行く先も戻る場所もない。あるのはただ、積み上げてきた屍が作る路と、いつか光に焼き切れる日と、己のみ。所詮は相対が常の世であらば、比べる相手のない心は何にも苦しむことがない。
 死を積み上げる苦悩など無縁。他者を害する懊悩もない。この隘路をただ独り往くことを、寂寥と呼ぶことすらない。
 この世は生きた者がつくるものならば、クロトはただ生きているだけで良い。成すべきを成し、何を踏みつけてでも生き残り、生ある限り敗北を知らぬ殺戮の獣。血に塗れた体に人の皮を被り、歪んだ嗜虐を隠す死毒。厭うべき無聊を退ければ、彼に叶わぬことは一つもない――。
「……無かった、よ」
 太陽に翳した手を力なく額へ当てて、零れ落ちた声はいたく幼げに響いた。
 たったひとり――クロトの心を揺らすひとがいる。
 指の隙間から零れる陽光のようなひと。獣の歩く無明を照らし、その手を握って笑う温もり。あまりにもこの生に遠く、知らない温度を伝える彼の傍にいると、己の心をかたどるこれが影であることを思い出してしまう。
 ――人のことにさえ傷付く優しいひとを、この悪性が蝕んでいないだろうか。
 奪うことしか知らなかったこの手は、無意識のうちに何かを奪っているような気がする。苦しめることに何も思えない心は、彼の苦しみを正しく認識しているのだろうか。他者の悲しみを喜悦とするこの思いは、彼の悲哀に気付けているのだろうか――。
 そして。
 いつかと、陽のいろはいつでも言う。
 どちらかがいなくなる。当たり前のように語られるたびに、抉られるように痛む胸。知らなかったものが湧き上がって、口にするつもりのなかった言葉ばかりが喉を揺らしてやまない。
 目には見えないものが、この世にはあるという。
 何の変哲もない麦畑にすら、思い出を投影した狐がいる。それを理解して、薔薇に手を伸ばした者がある。
 クロトも。
 ――いつかそうして、今は見えぬ何かを欲するのだろうか。
 握り締めた手は、今はただ、虚空を掴むようにしか見えない。先のことなど分からぬから――。
「俺の、僕の、大切な『悲しみ』」
 今はこの、凍るような怒りで以て、全てを穿とう。
「嗚咽で等しく引き出せる等と……驕るな」
 鋼糸が躍る。
 ――獣をひとたらしめるのは、ただひとりだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻

哀しみなどでは言い表せない

いずれ天へ還る、きみ
きみが居なくなる未来なんて忘れていたい
例えきみが息絶えても
桜の棺に君を横たえて
朽ちぬよう約し永遠に愛しむ
壊れないよう
壊さないよう

例え私が誰なのかわからなくなっても

ひとに堕ちれば
この痛みも悲しみも無くなるのかもしれない

でも
この哀しみは約されない
…私はいずれ其れを成すから

だからサヨが悲しんでいる事が一番哀しい
己の悲哀を押し殺し私の巫女へ手を差し伸べ笑いかける
泣かないで
笑って
いとしいひと

血を流す心も醜い慾も凡て隠して
愛し子を抱きとめ撫でる
大丈夫、櫻宵
きみの悲しみは厄されない
私以外がサヨを哀しませるなんて赦さない
全部斬ってあげる

私はきみの神なのだから


誘名・櫻宵
🌸神櫻

滲み侵食する哀しみが絶望と共に桜を散らす
悲しい、苦しい辛い痛い
愛呪が軋むような痛みと共に深くなる
哀しみなんてとうに超えた
私はひとになったの

ならば何故泣いてるの

…背負い切れない憎悪
抱えきれない哀しみ
心を抉る悔恨
償えぬ罪悪が
神すら穢し堕とす愛の呪から零れる

誰も私を赦さない
…そんな事ない
私は生きると決めた
愛することをしった
皆と一緒に生きるの
─本当の私を知ったら皆、背を向ける
過去になり忘れられるのに

だって私は護龍ではなく
本当は

カムイ…!神に縋る
私の神様、私が堕として殺した
愛する神様
優しい掌が哀しみをとかす
柔い言葉は祝詞のよう
あなただって痛い筈なのに

私の神様はほんにかぁいいわ
零れた一筋は愛しみの




 櫻が散っていく。
 春を迎えるあえかな温もりが、風に乗って悲しみを運ぶ。はらりと舞う愛しい薄紅が、朱赫七・カムイ(約倖ノ赫・f30062)の裡にある不安を、いたく鮮明にするような気がした。
 ――いつか天に還ってしまう。
 永劫を生きる神と、いのちに終わりの定められた者の宿命だ。どれほど今がさいわいでも、未来の喪失が約されている。千年のめぐりを経てようやく出逢えた誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)の身もまた、いずれ散りゆく櫻と同じ――。
 震えるほどに恐ろしい。身が引き裂かれた方がまだましだった。愛しい者を襲う死があるのなら、それをこそカムイは絶ち斬りたい。どれほどの罰を受けても良い。この温もりを喪うことが、哀しみすら生温いほどの絶望だ。
 けれど繋ぎ止めることは叶わない。それもまた、知っている。
 ならばせめて、愛らしい骸を桜の棺で彩ろう。眠るきみに永遠を約して、朽ちぬ櫻を愛しもう。
 決して壊れぬように――壊さぬように。
 たとえ、己さえ見失ってしまうのだとしても――。
 胸を千々に叩き潰されるような痛み。いつか見送った櫻のきみを、その喪失を、知っているからこそにまざまざと焼き付いてならない。
 ひとと堕ちれば、或いはこの苦悶からも解放されるのだろうか。短きいのちをかろやかに馳せる生命。祝福を紡ぎ、ひとときの春を爛漫と咲く櫻のような。カムイもそこへと辿り着くことが出来れば、手に入る幸福はこんなにも痛みを伴わないのだろうか。
 ひどく甘美な誘惑に思えた。けれど――カムイはそれを否定する。
 この悲しみは約されない。
 いつか彼は、それを成すのだ。
 だから、今は己の苦しみに喘いでいる場合ではないのだ。己の愛しむ者が泣いている。花を散らして背を丸めるその姿こそが、何よりも哀しいから――。
「泣かないで」
 差し伸べられた手に、櫻宵はようやく顔を上げた。
 刻まれた愛呪が深くなる。やわらかな心を暴かれて、悲哀と絶望が引きずり出される痛みが胸を裂く。
 ――哀しみなど、とうに超えたのに。
 櫻宵はひととなったのだ。屈することなどもうないはずなのに、零れ落ちるこころの欠片が、涙となって止まらない。
 ひとのこころから――負の想いは切り離し得ない。
 背負いきれぬ憎悪が溢れる。抱えるには大きすぎる哀しみが燻っている。重なる悔悟が心を穿ち、傷に満ちる罪悪が償えないことを知る。
 やさしき神すらも穢し、影朧と堕とした愛の呪いから――櫻宵から、溢れてしまう。
 噫。
 櫻宵は赦されない。きっと誰も、いつでも隣にいてくれる秘色すら赦してはくれない。
 ――違う。
 そんなことはないはずだ。例えそうでも生きると決めた。皆と共に、爛漫と咲き誇るこのいのちを歩いていく。哀を超え、愛を識り、櫻宵はIとなったのだ。
 いいや――。
 心の底から囁きかける声がある。嘲笑うようなそれが、どうしようもなく身を巡る。
 本当の櫻宵を知ったら――。
 皆、背を向けるに決まっている。
 置き去りにされる。顧みられることもない。過去となって、何れ忘却の海に融けて消えるだけだ。
 だって。
 だって櫻宵は――本当は、護龍などではなくて――。
 耐えきれぬ衝動のまま、繊手が伸びる。つよく握り返してくれる神の身へ、縋るようにして巫女の体が飛び込んだ。
「カムイ――!」
「大丈夫、櫻宵」
 こころから流れる血も、およそ神の抱くべきではない醜い慾も――全てを隠して、カムイはわらった。
 今はただ、泣き濡れるこの背が落ち着くように。宝物に触れるが如く、撫でる指先と共に、やわらかな声を零す。
「きみの悲しみは厄されない」
 ――私以外がサヨを哀しませるなんて赦さない。
 その独占慾を心の裡にしまい込んで、神は静かに巫女を宥めるのだ。
「全部斬ってあげる」
 噫――。
「私はきみの神なのだから」
 ――その音色の、なんと甘美なこと。
 櫻宵の神様。この身が堕とし一度は殺した、いとしい神様。
 幼子にそうするように、背を撫でる掌が優しい。哀しみの痛みも、深くなる愛呪も、すべてを解いて融かすよう。
 その心に宿した哀しみも痛みも――きっと、ひどく深いはずなのに。
 体をすり寄せるようにして、櫻宵はちいさくわらった。いとしいものと分かち合う温もりが、すこしでも強くあるように。
「私の神様は、ほんにかぁいいわ」
 ――ひとすじ伝う涙は、心底の愛しみを乗せて、あたたかな春に攫われていく。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

アルトリウス・セレスタイト
悲しいのだろうな
ただしく心を持つものであれば

攻撃には煌皇にて
纏う十一の原理を無限に廻し阻み逸らし捻じ伏せる
全行程必要魔力は『超克』で“世界の外”から常時供給

魔眼・統滅にて消去
オブリビオンと成った以上、元の通りのものではない
見える個体全て消せば問題なかろう
嘆くことはない。終わったものは正しく眠れ

悲しみ、など
漣を起こしもしないだろう
この身は「全」が人のそれを象ったに過ぎぬもの
最初から満ちている物を少々加えてみたとして、何が起きようはずもない

以前は自分にも、もう少し人らしい気配があった気もしなくはないが
まあ良かろう
俺は猟兵として機能していれば必要十分だ

※アドリブ歓迎




 それを悲哀と呼ぶのだろう。
 ただしく心というものを持ち合わせた人間であるのならば、膝を折るほどの絶望なのだろう。暗闇の中に叩き落とされるような心地がするのだろう。
 ――ただ、アルトリウス・セレスタイト(忘却者・f01410)の中に、ただしく心と呼べるようなものがないだけで。
 撃ち出された拳も、縋るような手も、その全てはアルトリウスに届かない。伸ばした指は彼に届く前に歪み、捻じ曲がり、逸らされていく。十一の原理が見えぬ鎧と渦巻いて、その身に触れることを決して赦さない。
 理の異なるものは――。
 それを知らねば、触れられぬ理由にすら辿り着かない。当惑するように、けれど確かにそこにある質量を求めて、蠢く影の慟哭が強くなる。耳朶を揺らすそれも、アルトリウスには何らの揺らぎも齎さない。
 波紋が落ちるのは、そこに水面があるからだ。
 元より『全』の満ちた身には、悲哀も絶望も元よりあるものにすぎない。既に満たされた器に些細な一滴が零されたところで、小揺るぎもしないだろう。
 それこそがアルトリウスという存在だ。全を内包し、全の具現であり、全のひとがたである。
 だが――。
 ふと見遣った己の掌に、目を眇めることもしない。ただ静かに見下ろしたそれは、嘗ての感覚すらも裡に包んでいる。
 だから、その違和の方こそが、僅かに心を揺らすのだ。
 以前ならば、もう少し人のようなことを思った気がする。人間と呼ばれる生命は彼とは切り離されていて、思ったことすらも一瞬で一枚の幕に覆われてしまってこそいたけれど。それでも、その刹那――一瞬にも満たぬような間、この心には何かがあったように思えるのだ。
 じっと虚ろに掌を見詰めて――息を吐く。
 持ち上げた視線が揺らぐこともない。詮無いことを考えたところで、この身が成すべきことが変わるわけでもない。
 アルトリウスは猟兵であれば良い。
 世界の理を守り、過去より染み出る異常を破壊し、秩序を齎す。その機能が壊れていなければ何でも構わない。
 他のことが要らないとは言わないが――。
 決して、必要と呼ばれるほどのものではないだろう。少なくともアルトリウスにとっては、恙なく仕事をこなす力が宿っていれば、それで充分だ。
 なればこそ、持ち上げることすらしない掌が紡ぐ術式は、一分の隙もなく完璧だった。
「嘆くことはない」
 ――オブリビオンであるというのならば、それが懐いたものもまた、既に捻じ曲がっている。
 何かを惹き込もうというのなら、それを咎めるがアルトリウスの仕事だ。そこにそれ以上の介入は必要ない。
「終わったものは正しく眠れ」
 彼の魔眼が捉える全ては――等しく、無に帰すだけなのだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
如何な結末が待っていようとも
止めねば成らん事に変わりは無い、か

――深すぎる闇に、悲しみだと認識すら出来ない
総てが此の手から零れ落ちたあの時
焔に沈み、灰燼と化した故国で己の幸いは潰えた
伴に在る筈だった過去も未来も、もう何処にも存在しない
祈り願われた生は、唯只管に絶望の淵へと至る為だけの――

知らず掴んだ胸元、手に触れるのは削り出された黒
……ああ、そうだ。そんな訳が在る筈ない
共に護ると誓った約定を、果たさんとしたが為の結末も
生きて欲しいと、最後の一息を使い果たしてまで伝えられた想いも
絶望ではなく未来という幸いを齎さんとしたが為
だからこそ此処に此の命が在り、帰らねばならぬ場所が在る
……邪魔をするな




 結末の如何に拘わらず、それが害為すものであるのなら、等しく屠るためにその身は在る。
 さりとて人らしい感情から遠い身ではない。呑み干しきるには幾分重い、凝るような思いを噛み潰し、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は目を伏せた。
 ――悲しみが描くのは、いつでも火の絶えた無明だ。
 幸福が灰と消える感触が、今も手に遺っている。当然と続くはずの路が絶たれた先、踏み出した足を奈落が招く。為す術なく墜ちる感覚に、抗する気力すらも焼け落ちたようだった。
 あの日――灰の裡に消えた故国と共に、嵯泉の倖いは燃え落ちた。
 伴に在ると誓い、この刃で護らんと願った過去も未来も、今やこの心の裡のみに描かれる幻影だ。この足が踏みしめることを叶うのは、嘗ての帰る場所ではない。灰と瓦礫に鎖され、墓標代わりの石積みばかりが並ぶ、灰残の都――。
 過去の幸福の総てを反芻するたびに、その終わりの空虚をも強く噛み締める。その笑みが、足取りが、隣にないことだけを思い知る。
 遺された声に報いるために、伽藍堂の身を生かして来た。総てを喪う己へ向けられる残酷な祈りを懐き、亡くしたものの欠片を集めて心の形を保ち、護刀にこそ在れと砕けた足を進めて来た。
 それでも――。
 ――君のいない世界に、幸いはない。
 祈り願われ繋いで来た息さえ、より深い絶望を招くのみ。そう遠くない未来、何れ訪れる最期まで、あの日に朽ちるべきだったこの身が懐くのは慙愧のみ――。
 罅割れるような痛みを懐いたまま、武骨な指先は知らぬうちに胸元を強く握り締めていた。ふと触れる硬い感触が、探るまでもなくその形を伝えて来る。
 ――否。
 今やこの命を願うのは、過去の冷たい終わりばかりではない。この手に触れるのは、幸福の幻影のみではないのだ。
 友が死するまで抗したのは、共に護ると立てた誓いを果たさんがためだった。例えその武勇が死後の蹂躙を招くと知っていても、あの男はその刃を振るっただろう。嵯泉とて、立場が逆ならばそうしたに違いないと――正しく確信を持って頷ける。
 生きてくださいと願った愛しい声は、その先に地獄を見ていたわけではなかった。幸いの未来がいつか訪れることを、置いて逝く者の最期の祈りとして、命の終わりを告げる息を使い果たして遺された。
 それに報いるために。
 ただ生きてきたからこそ――この手に触れる者が在る。
 帰らねばならない。置いては逝けない――逝きたくない。この無明に灯る光を握り締めて、開いた隻眼は確かな意志の色を宿した。
 例え何が在ろうとも、その先に何を見ようとも。
 この生を絶やさんとするものを、承知してはおけない――今は、もう。
「……邪魔をするな」
 揮う刃にひらめく陽光が、琥珀の髪を照らした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロニ・グィー
アドリブ・連携・絡み歓迎!

ふわふわ
やわやわ

んもー
どうして心ってのはこう弱く作っちゃったかなー
出会って嬉しいよりも別れて悲しいの方が大きくなるなんてそんな仕組み
そんなのいつまで経っても釣り合いが取れやしないじゃないか
それなのに永遠に延々と積み重なって重なってキミたちはみんないってしまう

――――でも
やっぱり出会いには心躍る!またいっしょに歌おう!またいっしょに踊ろう!
そしてまたボクにその笑顔を見せておくれよ
だからねボクはこう言うんだ
十年じゃ忙しすぎる
千年じゃ待ち飽きちゃう

だからさ…
百年たったら帰っておいで!
ボクはいつでもここにいる
いつまでもここにいる




 ふわふわで、やわやわの、綿飴のようなものだ。
「んもー」
 こうも心が沈んでしまうと、晴天すらも憎らしく思えてしまうのもまた、儘ならないものだ。隻眼で空を仰いだロニ・グィー(神のバーバリアン・f19016)の、頬を膨らませるような仕草さえ、今は少しばかりの覇気を失って見えた。
「どうして心ってのはこう弱く作っちゃったかなー」
 ――喜びよりも悲しみを強く感じるのが、心というものなのだという。
 だから出会いよりも別れの方が痛切に残る。いつまで経っても採算の取れない、生きているだけで赤字続きの矛盾だ。重ねれば重ねるほどに痛みだけが募っていく。喜びはいつだって悲しみに続いているだなんて、拗ねた言葉にもそれなりの意味が宿ってしまう。
 いつだって楽しくありたい。生きているからには黒字でありたいのだ。マイナスばかりの場所で生きていくだなんて、そんなのは面白くない。
 それでも、この心がこころのかたちをしている限りは、彼もまたそのありようから逃れられない。
 分かっている。
 分かっていることと、呑み干すことは別だけれど。
 ロニは神だ。永劫の生はいつも置いて逝かれる側として手に残る。俯いた顔を伝う雨は、晴天の美しさを覆い隠して見えなくしてしまう。
 どれほどに愛しても――。
 どれほどに楽しくても――。
 いつか来る暗雲が、その先に待っている。そうして積み重ねた思い出を曇らせて、ロニに瞼を伏せさせるのだ。
 だとしても。
 開いた金色の隻眼は、陽の光の如く煌めいていた。
 雨はいつか上がるのだ。いつか雲がかかるからといって、晴れやかな空に意味がなくなることなどない。晴れる日を待ち望むことも、また。
 いつかまた逢おう。いってしまったきみたちがいつか巡り来るのなら、そのときにはまた出会おう。それまでロニは、沢山の儚い者たちと、同じように踊り歌い続けよう。
 十年では忙しなさすぎる。彼にだって準備はあるし、彼らにだって休む時間は必要だろう。
 けれど休みすぎても良くはない。千年では待ち飽きてしまう。ここに戻って来るまで、彼は無聊を慰めるすべを沢山編み出さなくてはいけなくなってしまう。
 だから――。
「百年たったら帰っておいで!」
 広げた手と共に笑って、神は全てを受け入れんと跳ねた。そのくらいが丁度良い。八十年とすこしの命を共に過ごして、百年経ったらまたここで逢おう。
 その日まで、ロニはずっとここにいる。
 征き、そして戻る彼らが迷わないように。自分の居場所が分からなくなったりしないように。
 いつまでだって――。
 笑って、怒って、楽しんで。
 歌い踊るその日を待ち望んで――ここにいるから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
○◇
すくえたものと、とりこぼしたもの。
それらを数えはしないけれど、どちらが多いかなんて、わかっているのよ。

うしなわれたいのちが、届かない手が。
悲しくない訳ではない。
苦しくない訳でもない。
あたし自身も、いつかは崩れて零れ落ちるのでしょう。
……それでも、それまでは。
全部を背負って、引き摺ってでも、進むと決めたのはあたしなの。
悲哀も絶望も、何もかも、置いて行きはしないのよ。
あたしは、あたしとの約束を、違えない。

……だから、おまえたちは邪魔よ。
散りなさい。

美陽ちゃんのかなしみだって、あたしにはわからないけれど。
ここで涙に溺れてしまうのは、きっと本意ではないでしょう。
ひとりきりで泣いては、だめなのよ。




 力があればこそ、すくえたものがある。
 けれど力があるからこそ、とりこぼしたものの重みを知る。何も知らねばこぼれたことにすら気付かぬもの。見てしまったから、こぼしてしまったことを懐くもの――。
 いちいち、それ数えて過ごしたりはしないけれど。
 歩いて来た路にどちらの方が多かったかのかなんて、そんなことをしなくても分かっている。
 花剣・耀子(Tempest・f12822)の手は、斬ることですべてを成してきた。
 この手と刃が守ってきたものは、きっとそれなりにあるのだろう。けれど守れなかったものも、うしなわれたいのちも、この双眼にじっと刻んできた。
 何も思わぬわけがない。
 悲しみを懐かなかったことなどなかった。苦しみに悶える日を幾度も超えた。届かなかった手のみじかさを悔いて、無意味なもしもを繰り返す。なにもかもを拾えることなどないと、嫌というほど知っていて、それでも諦めて呑み干すにも足りないこころを抱えている。
 そうして刃を揮えば揮うほどに、実感するのだ。
 いつか耀子も消えていく。崩れて落ちて、耀子がまもれなかったものと同じように零れていくのだろう。
 ――それでも。
 それでも――いつか来る最期を、そのおしまいを、ここに刻んでしまうまでは。
 ひとりでは到底抱えきれないそれを、零さないで生きていく。十字架がどれほど重くても、膝をついたりはせずに。例えこの荷物に耐えきれず、地を引き摺る跡を残しても――その跡すらも、決して忘れぬように。
 わすれない。
 今まですくえなかったものも、これからすくえないものも。今まで背負ってきたものも、背負いきれないものも。ひとつだって、耀子はなくしたりしない。
 それを決めたのは――紛れもなく、彼女自身だ。
 だから、悲哀も絶望も抱えていくのだ。かれらを、かのじょらを、忘れないのと同じように――この想いもまた、決して。
 違えない。己と交わした祈るような誓いを。引き裂かれたこころを縫い止めるような約束を。
「……だから、おまえたちは邪魔よ」
 ひらめく白刃を抜く腕に、何の躊躇もなかった。揮った花嵐が影を引き裂く。
「散りなさい」
 ――その向こう、泣いている少女に歩み寄る。そっとその隣へしゃがんで、耀子は目を伏せた。
 その悲しみを、知るわけではない。
 耀子の悲しみを誰も本質では知らないように。だから、容易に慰めを零すことは出来なかった。
 けれど、うすうすというには強く確信してもいる。
 彼女はきっと――このまま、涙の海に沈みたいわけではないだろう。
 だから。それなら。
「ひとりきりで泣いては、だめなのよ」
 ――きっと顔を上げられるよう。
 零れたやさしい声音を見上げるようにして、美陽の泣き腫らした目が耀子を見た。

大成功 🔵​🔵​🔵​

丸越・梓
アドリブ、マスタリング歓迎

_

「──大丈夫」
それは泣いている少女に対してでもあったし
或いは──自分に言い聞かせるようでもあったかもしれない

這い寄る悲しみや絶望に呼応して鮮明に蘇るのは、過去に喪った大切な者たち。
俺が無力だったゆえに護れなかった、小さな可愛い弟妹たち。助けられなかった被害者たち。

……俺は、
生まれ落ちた事が罪だった
死ぬべきは俺なのに、それでも俺じゃない者が死んでいく。
護りたいのに護れない。
どうして俺が生き残っているんだ。

けれど
躊躇うことなく踏み出す
この心に影が色濃く差して来ようとも
立ち止まりはしない

生き残ったが故の責務を果たさねばならないから
悲嘆も絶望も全て抱えて
明日へ、進む。




「――大丈夫」
 零れた声はひどく苦しげで、どうあっても孕む思いとは裏腹だった。
 泣いている少女を安心させてやりたかった。その涙を少しでも払ってやりたかったのも事実だ。けれど丸越・梓(月焔・f31127)の喉を震わせるのは、己へ言い聞かせるような色を懐く音だった。
 ――どうして。
 どうして、梓が生き残ってしまうのだろう。
 いつでもそうだ。幼く無力なこの手では守れなかった弟妹たち。ちいさな体が求める助けになってやれなかった痛みが心を引き裂いて、しかし彼らの味わった苦しみに比べればちっぽけでならないそれを思い知るたび、進む足が重くなる。
 助けられなかった被害者たち。血煙に沈む涙も叫びも知っているから、今度こそは誰かを救いたかったのに。どれほどの手腕で事件を解決しようとも、それが事件である限り誰かが零れ落ちていく。
 今だって鮮明に脳裏に谺する。縋るように手を伸ばし、涙を流しながら助けを請う姿。喉が枯れんばかりの絶叫。少しずつ小さくなっていく呻き声。冷たい体、虚ろな眸、零れ落ちる――。
 鉄錆のにおいが足許まで迫っている心地がする。骸の前に――或いはそのただなかに立ち尽くして、梓の肺だけが息をしている。
 ――どうして。
 生まれてくるべきではなかった。この世にて犯した最大の罪を償えと命ぜられるなら、それはこの命が母の胎に宿ったことだろう。のうのうと生まれ、泣いて、ならばせめて何よりも先に死ぬべきだったのに。
 梓の前から消えていくのは、いつだって彼が護りたいと願ったものなのだ。
 代わりになれるならどれほどに幸福だったろう。最初から死ぬべきだったのなら、或いは生まれてくることすらも赦されてはいなかったのなら――その価値のないものが、価値ある何かの盾になれるなら、この命など惜しくもない。
 護りたかった。
 護りたい。
 ――いつも何も護れない。
 無力感が虚ろとなって足を呑む。底なしの泥濘が、梓を絡め取ろうと忍び寄ってくる。その感覚をまざまざと覚えて、彼は唇を噛んだ。
 ここで――囚われるわけにはいかない。
 踏み出した足にはしかと力が籠った。躊躇ない足取りが、泥の海を置き去りにして前に進む。
 たとえどれほどの影が、この心を覆い隠さんとしたとして、梓は決してこの足を止めたりはしない。
 生き残った者には責務がある。それは過去を嘆くことでもなければ、痛みを噛み締めて己を殺すことでもない。悼むあまりに蹲り、そこで頭を抱えていることでもない。
 ――次こそは。
 ――今度こそ。
 喪ったものの重みの分だけ、何かを救う。もう二度と喪わないために。救えなかった者に――報いるために。
 だから。
 彼は諦めはしない。悲嘆も絶望も抱えたままで――。
 明日の黎明を目指して、進むのみ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朧・ユェー
女の子のすすり泣く声
大丈夫ですか?
そっと彼女に手を伸ばす

一瞬に広がる赤い景色
赤、朱、赫、紅、緋…真っ赤な世界
嗚呼、僕はまた助ける事が出来なかったのか
大切な人達、大切な…
俺はまた…

いいえ、まだ大丈夫
まだ大切な人達はあの子達は生きている
まだ手を伸ばして助ける事が傍で見護る事が出来る

道化
死神の一振りが影へと

僕はまだ前に進まないといけない
過去にどんな事があったしてもどんな事をしたとしても
僕の罪は永遠に消える事は無い

誰も許さなくてもいい
どんな傷でも受ける
あの子達のあの場所に居られるなら




 すすり泣く声は、確かに生きている者の温度を孕んでいた。
 歩み寄る先は一つと決まっている。数を減らした影たちのただなかで、未だ泣き濡れている少女。ゆっくりと歩みを進めて、朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)は俯く顔へ手を伸べた。
「大丈夫ですか?」
 ――問うた声が宙吊りになる。
 目の前が赤い。思わず見下ろした手の先、広がっているアスファルトに朱が散っている。瞬きの間にも足許へ流れ来る赫を追って、目を上げた先にあるのは、紅い、緋い――。
 ――嗚呼。
 力が抜けるようだった。足許の感覚すらも覚束ない。突きつけられる事実に目の前が眩むのすら、どこからか鉄錆のにおいを運んでくるような錯覚がする。
 ユェーの手は、また届かなかったのだ。
 助けられなかった。もう二度とと誓ったのに。またぞろ同じことを繰り返してしまったと思えば、己への怒りが頭の底を煮えたぎらせるようだった。
 大切なひと。
 大切なひとたち。
 守りたいと願った。守ると誓った。この手が届くようにと、その心も体も傷付けられぬようにとして来たのに。またしてもユェーは――。
 ――『俺』は。
 崩れ落ちそうになる足で踏みとどまる。首を横に振って、ひどく汗ばんだ掌を握り込んだ。
 まだ――。
 こんな未来は遠い。たとえこの先に何が待っていようとも、今のユェーは何も喪ってはいないのだ。大切なものは、大切なひとは、まだ生きている。
 守れる。
 守れるように、手を伸べられるように、傍にいることが出来る。
 だから――今は。
「道化」
 命じれば、現れた死神の鎌が影を絶ち斬った。首を狩られて崩れ落ちていくそれらの真ん中で、泣いている少女を見下ろすまま、ユェーはゆっくりと己の手を見た。
 ――まだ、前に進まなくてはいけない。
 例えどれほどの罪を背負っていたとしても。己の犯した取り返しのつかない過去を、その結果を抱えてでも。それはもう、書き換えようのない事実としてしか、ここには残っていないから。
 罪は消えない。
 その十字架は永遠にユェーへのしかかるだろう。今もまた、こうして揺らぐように。例え彼が過去を捨てようとしたところで、その事実までは――もう起こってしまったことまでは、なかったことにはならないのだから。
 誰も赦さなくても良い。罰だというのなら幾らでも受け入れよう。傷を欲するのなら、この身に幾らでも受けてやる。
 それが永劫、背負うべき十字架として闇を齎すのだとしても。明けぬ宵闇の中、秘されて重みを増し続けるのだとしても。或いはいつか――残酷な光の許で、暴かれる日が来るのだとしても。
 ただ、あの大切な居場所で、笑っていられるのなら――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


急に、なぜ…?
じわりと何かに侵食されてゆく感覚
はらはらと零れた涙は地を濡らしてゆく
引き摺り出されるのは二つ

ごめん、ごめんね…
大切なあの子をひとり残してしまったこと
最期を見せてしまったこと
約束を…護れなかったこと
どう足掻いてもやり直すことも、あの子に直接謝ることも出来ない
この命果てるまで永遠についてまわる後悔

ひとりに、しないで
離れていかないで…
遠い過去を認めはすれど
他者がそれを受入れてくれるとは限らない
背を向け、離れていく人影に
今の友人達が重なってしまうかもしれないという恐怖

進めるか…否か…
幻を振り払うよう硬く瞼を閉じ
握り締めた手

…進むの
少なくとも
彼は大丈夫だった
記憶を持つ私を認めてくれたから




 その浸食は、ずっと早くに染み込んでくる。
 突然と頬を伝う熱い感触に、繊手でそっと触れた。透明な雫が指先を濡らし、視界を歪ませて零れ落ちていく。
 泣いている――。
 思うと同時に、橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)の脳裏が真白く弾けた。
 開けられた箱から零れ落ちる悲しみが、体中に散らばっていくようだ。力を奪うそれに唇を震わせて、巫女は届かぬ懺悔を繰り返す。
「ごめん、ごめんね……」
 ――互いに『もういい』というまで、傍にいること。
 桜の下の誓いを、守れなかった。大切なひとを置いて逝ってしまった。ただひとり、両親も親友も喪って、ひとり遺される未来を作ってしまった。残酷な最期を、彼女の目の前へと突きつけてしまった。
 零れ落ちる後悔は、『今』の千織のものではなかった。なればこそ、もう取り返しのつかないことだとまざまざ思い知る。全ては既に遥か遠く。巡り巡ったいのちこそが千織であるのなら、もう謝ることさえも出来はしないのだ。
 己の無力も、その後悔も。きっと千織が千織を辞めるまで、永劫に引き摺らねばならないのだろう。今世に咲いた記憶が齎すそれに、膝を折ることも赦されないまま。
 だから。
 ――だから、『今』の彼女は。
「ひとりに、しないで」
 弱々しく零れる声が涙に濡れる。いつの間にか俯いていた視界には、アスファルトすらも霞んでよく見えない。
 それなのに。
 その向こうに――彼女を置いて行く背を見ている。
「離れていかないで……」
 ――前世の記憶があるだなんて。
 それを事実として受け入れられているのは、当事者ばかりだ。話せば話すほどに不気味がられる。或いは彼女そのものの正常を疑われる。そんなことは分かっていて、だからそっと、この心の中に秘めてきた。
 けれど――もし、それが明るみに出てしまったら。
 今の幸福が壊れてしまう。隣で笑ってくれる友人たちが、その優しい掌が、遠ざかって見えなくなる背に重なった。冷たい目なんて見たくない。疑う言葉なんて聞きたくない。諦めたように向けられる背に――置いて行かれたくなんて、ない。
 頭が重い。持ち上げられない。嗚咽する影に立ち向かわなくてはいけないのに。そう出来る自信がないことが、余計に背にのしかかる。
 それでも――。
 拳を握り締めて、千織は勢いよく顔を上げた。引き結んだ唇を伝う雫に硬く目を閉じて、息を吸って――目を開く。
 進むのだ。
 この心の中でわらう友人たちを、信じて。
 尽きせぬ悔悟を引き摺る彼女を受け入れてくれたひとがいる。誰しもが白い目を向けるわけではないと知ったのだから。
 吹きすさぶ山吹と八重桜が、影を攫って春の風に乗った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ
虚ろが僕を呑みこんでいく
そっちはどうだい
こんな現実よりはマシなのかい

ひとの心が読み解けないんだ
僕は「作家」という神様で
作品という世界の彼らは
僕の思う儘に踊る人形

彼らはときに
勝手に恋をして勝手に笑う
そうかと思えば勝手に泣く
狂って腕を切って身を投げる

ひともどきの僕
桜の樹の下には「シャト」の死体
僕は亡霊、誰でもない徒桜

きみが、きみたちが
何を想って生きているのか
何を根拠に自我を保つのか
僕は最初から知らないんだ

ね、
インクなんて要らないんだ
万年筆は尖っていればいい
刺して切れれば、それで
きみと僕、同じだけ傷つける

僕の虚ろを解ってよ
覗いて暴いて否定してみせてよ

きみたちの嗚咽には花弁の毒
僕の傷は、生きる痛みだ




 あるのは虚ろだ。
 その泥濘に呑まれ、伸ばす手の向こうに光が遠のく。揺らぐ面影に目を眇めて、シャト・フランチェスカ(侘桜のハイパーグラフィア・f24181)は問いかけた。
 ――そっちはどうだい。
 ――こんな現実よりはマシなのかい。
 応えはない。それはそうだろう。絡まってぐずぐずになったそれらから、返答があろうはずもない。
 どれほどの名文を読んだとて、どれほどの名詞を生んだとて、ひとの心が読み解けない。
 作家は神だ。頭の中に渦巻く世界を拾い上げ、言葉と織り成し躍らせる。ひとの形をした登場人物は、その実、原稿用紙から零れ落ちることない人形でしかない。文字は文字であり、生まれる第三者の想像こそが彼らを生かすよすがだ。
 物語は物語だ。プロットがある。起承転結を丁寧に綴る。そこに想定外は起こりえず、故に彼らは何ひとつ、シャトの頭の中から外れたりはしない。
 けれど、ひとは違う。
 シャトが描かぬことをする。頭の中にありもしないことを言う。勝手に恋をする。勝手に笑う。かと思えば勝手に泣いて、狂って腕を切る――或いは、身を投げる。
 登場人物の苦痛は彼女の知るものでしかありえないのに、ひとのそれは彼女の全く知らぬ何かなのだ。物語にしては脈絡がなさすぎる。起承転結などありはしないし、伏線もプロットもありはしない。
 ひともどき――。
 咲き誇れない徒桜。埋ずめられた『シャト』の血を吸い、尚あかあかとした花は実らぬまま。
 なれば彼女は亡霊だ。誰にもなれず、誰でもない。だから知らない。
 その心にどんな想いを懐いて生きるのかも。何を以て自我なるものを保つよすがと成しているのかも、何も。
 何も――知らないのだ。
「ね」
 綴るためにインクは要らない。万年筆はただ鋭く尖ってあれば良い。刺して、切って、アイを刻めれば、それで。
 影をひとつ切り裂けば、その分だけシャトにも軌跡が描かれる。舞い散る鮮烈な赫を綴り、花弁咲かせて偽りの満開を招く。
「僕の虚ろを解ってよ」
 このこころ。朧なる亡霊に。尚も宿って疼き燻るものを、その全てを食む虚ろを。
 無遠慮に覗けば良い。無神経に暴けば良い。軽やかに否定すれば良い。本を開けば生まれる物語をそうするように、シャトの裡をもそうしてみせてくれ。
 ――のぞむのは、きみのかいしゃく。
 影の嗚咽に咲かせる花弁は、きっと毒と成すだろう。崩れ落ちていくそれらの奥の奥、融かす蜜毒の赫を刻む。
 同じだけ、この身に咲くアイは――。
 ――『シャト』の生きる、確かな痛み。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花房・英
○△

悲しいって、苦手だ
考えたくない事が次々と浮かんでくるから
普段、悲しいって感じることない
悲しいって感情知ったのも猟兵として仕事に行った時だった

自分がまた揺れる
信じたいと思ったものが、揺らいでいく
凪いでるみたいに穏やかだったのに
木漏れ日に当たるみたいに、暖かかったのに
自分で自分がコントロールできなくなるような
何もかもどうでもよくなりそうな
どうしようもなくなる感覚が、怖い
なにより嫌なのは、他者の手でこの感情が引き出されることだ
ホントの俺の気持ちじゃない

…ホント、ヤダ
涙は流れるなら流れるままで構わない
ただ、どうしようもない、逃げ出したくなる気持ちだけどうにか抑えて
元凶に蝶を放つ




 悲しいのは、苦手だ。
 多分、好きだという人間の方が少ないのだろう。それでもいっとう離れたいと思う。今だって、そうだ。
 嗚咽を聞き始めた瞬間から、花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)の中には、考えるつもりもなかった感情ばかりが巡っている。
 悲しい――というものに縁遠い日々を送っている。それは知らず知らず守られているからなのかもしれないし、もしかしたら未だこの心が機微に疎いせいなのかもしれない。何しろ、悲しみというものを知ったのも、猟兵として仕事をしていた最中のことなのだ。
 芽生えたものは未だに曖昧だ。若木にすら届かない、やわらかな新芽のようなもの。
 であれば、尚のこと――。
 英の心は揺らぎやすく、そして――こころを強く感じやすい。
 揺れる。否、揺らされている。信じてきたものも、信じているものも、信じたいと思って抱えてきたものも。帰れば当たり前にある温もりすらも霞んで朧になるようだ。足許が覚束なくて敵わない。
 全部、全部、なくなってしまうような気がするのだ。英が英として懐いてきた、きっと暖かいのだろうものが。この体の冷たさに吸い込まれて、二度ともどらないような気がする。
 凪いだ水面を突風が攫うようだ。穏やかな凪に波紋が落ちて、木漏れ日の温もりが雨に掻き消えていくよう。残った冷たい体を抱き留めてくれる腕もなく、英は一人で取り残される――そんな感覚が、心の底から溢れて止まない。
 コントロールが利かない。己が己の手を離れてしまう。それすらもまた、何か大きな穴をこじ開けるようだ。
 その大穴に落ちてしまうとしても――。
 どうでも良いような気さえしてしまうのだ。
 飲み込まれるなら飲み込まれてしまえば良い。いっそ消えてしまえば良いのだ。ここから今すぐ走り去ってしまいたい。せめぎ合う己の裡側で、そう囁く声がいっとう甘美に聞こえてならない。そんな自分が嫌で、自分が嫌だと思うことまで嫌で、英は揺れそうな足に力を入れた。
 ――これは自分の思いじゃないのに。
 ――誰かが無理矢理こじ開けて、引きずり出して暴き出したものなのに。
「……ホント、ヤダ」
 いつの間にか伝っていた涙を拭うこともしなかった。そうすることで袖が濡れたら、それを引鉄に走り出してしまいそうだったからだ。
 それは出来ない。したくない。誰かに与えられた、嫌な感情に呑まれてしまうことこそ、嫌だと思う。
 飛び散る蝶の群れが影へと向かう。嗚咽が早く掻き消えてくれれば良い。そうすればきっと、いつもの穏やかな凪に戻れるはずだ。そう、信じている。
 ――食い縛った歯が、ぎりりと音を立てた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ゼロ・クローフィ
啜り泣く声
女?
誰だろうが別にどうでもいい
興味が無い
悲しみ?絶望?
興味が無い
それが何だ
自分の死すら興味が無い
『無』の俺にとって何もかもがどうでもいい
何も感じる事無く進む
俺が誰なのか、存在すら無いかもしれない架空のオレ
それでもいい、ただそれだけが知りたいだけだ

ふと、足を止めて
うちポッケに入った煙草を出し
火をつけ、咥えると一つ煙をあげる

ただ、一つだけ
『興味を持ったモノ』
うるさく喋り、俺の事などお構えなしに振り回す
天真爛漫な奴

煙草の灰を地へと堕とす
灰骨僕
地獄の僕が影へと貫く

今でも殆どが興味が無い
興味を持った一欠片

まぁ、振り回されるのも悪く無い
くくっと喉を鳴らして
また歩き出す




 ああ、面倒だ。
 啜り泣く声にも嗚咽にも興味はない。何一つ感ぜられぬ心にさえ、退屈の倦怠感が纏わり付くだけだ。深く吐き出した息を見上げ、ゼロ・クローフィ(黒狼ノ影・f03934)はいたく気怠げに影を見た。
 ――絶望。
 ――悲哀。
 それが何だというのだ。人が懐くというそれに、彼は何らの価値も見いだせない。忍び寄る冷や水も、それと感ぜられなければ無意味なことだ。満ちる思いも、そもそも器が割れているのならば水滴一つ残せない。
 己の死にさえ顔色一つ変えない男に、たかだかそれだけが何を齎すというのだ。
 ゼロは、文字通りの零だ。
 何一つ持っていない。崩れ、壊れ、混ざったものは、既に人らしさすら欠落した。けれどそれさえ悲しくはない。
 何もかもがどうでも良い。
 ただ一つ――己の在処を除いては。
 ゼロが追い求め執着するのは、存在すらも定かではない『彼』自身だ。巡る記憶のどれが『そう』なのか、或いはどれが『そうでない』のかも分からない。最初から、そんなものは存在しなかったのかもしれなくとも。
 ただ、その真実が知りたい。
 あるともないとも分からないまま、真贋すら定められずに息をしている。無聊を慰める術すら持たず、吸い続ける煙草が手元にあるのみだ。
 ないならばないで構わない。それを知ることこそが、彼の最大の目的なのだから。
 けれど――。
 影の合間を進む足が、ふと止まる。内ポケットを探ればすぐに手に当たった感触を引き出して、慣れた調子で火をつけた。
 紫煙が立ち上る。それを見遣った先、照りつける陽光があった。
 ――一つだけ、それ以外に興味を持ったものがある。
 喋る声はいつでも溌剌としている。跳ね回ってはゼロの手を引き摺って、その度にペースを乱される彼の表情などお構いなしに引っ張り回す。眉を顰めてみせようとも、その感覚を悪くは思っていないことには、もう気が付いている。
 天真爛漫で、人のことなど構いやせずに、勝手に笑ったかと思えば勝手に先に行く――その表情を思い出して、ゼロは吸い込んだ紫煙を吐き出した。
 口から離した煙草を叩く。灰が地に触れるや、現れた獄徒が地獄の槍を振りかざす。何の抵抗もしない影など、貫かれて灰と消えていくだけだろう。
 心を穿たれ、思いを燃やされ、消えていく影たちを見送ることもしない。隻眼を僅かに眇めた男が、また無機質な一歩を踏み出した。
 ――未だ、この世に興味はない。
 それでも懐いた関心の一欠片が零すものを、彼は悪くはないと思う。付き合ってやろう。彼女がそうするのであれば、その間くらいは。
 それもまあ、悪くはない――。
 小さく喉を鳴らして、黒が征く。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロキ・バロックヒート


息が詰まって溺れるみたい
今まで忘れてきた哀しみの深さのよう

ああ―そういえば
きょうだいたちが居た頃はよく泣いていたっけ
神としてめざめても随分心はひとに近かったから
ひとの哀しみに心を痛めて
『私』が狂ってどうしたら良いかわからなくて
きょうだいが消えていって怖くなって
そう嘆き悲しむことができたのも
傍にかれがまだ居たからこそ
抱き締めて背を撫でて
うたをうたって眠らせてくれたから

かれも消えてしまって
哀しくて悲しくて何年も何年も泣き続けてから
ようやく哀しんでも無意味だと識ったんだ
ほら今も
あの手が握ってくれることもない
だからもう、いいでしょ

無造作に振り払っても少しの間だけ
軋むような哀しみの棄て方を思い出せない




 忘れてきたものが、揺り戻されているようだ。
 深く続く哀しみの海に揺蕩って、ロキ・バロックヒート(深淵を覗く・f25190)はぼんやりと空を見上げていた。このまま沈んでいくのだろうか。底の見えない水底へ。
 波濤のように押し寄せる感覚など、ずっと忘れていた。それなのに今、まるで感じたことのあるもののように思うのは何故だろう。陽光に伸ばした浅黒い肌に、ふと思い出すことがあった。
 そういえば――。
 きょうだいたちがまだ『いた』頃、ロキはよく泣いていたのだった。
 神としてのめざめは急激にひとを奪っていくものではなかった。未だ定命の感触を覚えていた心は、受け取るようになった哀しみの声のひとつひとつをよく聞いて、その度に痛んでいた。
 ――『私』。
 狂ってしまったそれをどうすれば良いのかも、それが狂ってしまった後にどうすれば良いのかも、ロキは知らないままだった。けれど狂気を懐いていることだけは知っていて、ただ何も出来ぬままに右往左往するばかりで――。
 そのうちに、きょうだいたちは刻々と消えていった。
 少しずつ減っていく。昨日まで、今さっきまでそこにあったのに。何も遺さず、何も遺らず、いなくなってしまう。
 それが怖くて――泣いたのだ。
 けれど嘆きも悲しみも、懐けるだけ恵まれていたのだと知ったのは、それから幾分経ってからだった。
 かれがいてくれたから。
 優しい赤い眸が見ていてくれたから。丸くなる背を抱き締め撫でてくれたから。慰めるようにうたをうたって、恐怖に震えるロキを眠らせてくれたから――。
 けれど、そのかれもいなくなってしまった。
 最期に遺った遅すぎる言葉も、つめたい氷のような手の感触も、消えて跡形もなくなってしまった。
 それからずっと泣いていた。悲しくて、どうしようもなく哀しくて、何年も何年も思い返しては涙を流した。そうすればいつか、あの温もりが抱き締めてくれるような気がして――けれどそんなことはないまま、ある日ふと、悟ってしまった。
 泣いたって無駄だ。
 哀しくても戻らない。泣いても戻れない。あたたかい腕はロキを慰めてくれないし、寡黙な相槌は帰らないし、うたってくれた声が傍にいてくれることもない。
 今だって――。
 これほどまでに視界が歪んで、勝手に涙が溢れてきても、あの手はロキの指を握ってはくれないのだ。
 ――だからもう、いいでしょ。
 諦めだった。それこそが、或いは最も深い絶望だった。悲しみを振り払うには足りすぎて、いっそ無造作なほどの言葉で全てを斬り棄てる。
 それなのに。
 ――それなのに、何故だろうか。
 今このひとたびばかり、悲しみの棄て方を、思い出せないのは――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

水標・悠里
最初に思い出したのは姉さんが死んだ時
死体に死体を重ねるような地獄の中で
なぜ、どうしてと泣き叫んでいた

もう一つは深夜の水族館で
おいていく子猫の事を話して
どうせなら恨んで欲しいといった時
「恨むことが、一番のこしたいものかい?」と聞かれた
今は違うと言える
ぬいぐるみを駆ったのもそう
僕があの子を愛していたという証を残したい
けれどそのときは、そんな事しか言えない自分が腹立たしかった

狂うのは楽でいい
何も考えず楽に楽しくやればいいだけ

絶望が地獄の底なんじゃ無い
微かに見える光に手を伸ばし続けるのが本当に地獄なんだ

親しい人影が見える

ごめんなさい、僕はまだ
僕が存在することを許せないよ
縋り付いたら立てなくなるから




 ――まず最初に、地獄を思い出す。
 水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)が殉ずるべきだった全てが朽ちて、物言わぬ死体になった狭間に立ち尽くしている。骸に骸を重ねるような酸鼻な光景の中で、一人満ち足りた顔で冷たくなっていく躯に向けて、叫んだのだ。
 ――なぜ、どうして。
 ――姉さん。
 何もかもを奪われた悠里独りを置いて、姉もまた逝く。成すべきだった全てを壊し、為すべきだった何もかもを奪って、彼女は全てと共に朽ちたのだ。
 呆然と思い出す悲しみは、ゆっくりと記憶の糸を今へ近づけていく。数多の苦痛があった。数多の悲哀があった。丁寧に紐解かれていくそれらの中に――深夜の水族館がありありと蘇る。
 ――悠里を恨むことが、悠里が一番みよに残したいものかい?
 静かに問うたその声に対して、己は何と返したのだっけ。
 早晩遺して逝かねばならない仔猫の話だ。拾って懐に入れてしまったのは良いが、猫の平均寿命ほどまでも、悠里は生きられはしない。
 だから。
 だからせめて――寂しくて死んでしまうならば、いっそ恨んで欲しいのだと零してしまった。
 今ならば、違うのだと言える。恨んで欲しいのならば、恨むように仕向ければ良いだけなのだ。冷たい仕打ちを受ければ猫とてそうしてくれるだろう。それなのに、悠里の手はいつだって、仔猫への土産を探してしまう。
 あのときだって――そうだった。
 大きなぬいぐるみを、猫へと買って帰ったのだ。愛していたのだと知って欲しい。愛されていたのだと思って欲しい。それが寂しさに繋がるのだとしても、懐いて前を向けるような思い出でありたい――。
 あのときも、きっと心の奥底ではそれを望んでいたのだ。けれどその頃の彼には未だ分からずに、偽悪的な言葉で誤魔化すことしか出来なかった。問われた言葉に、答えることすら出来ないまま。
 そういう自分が――腹立たしくて仕方がなかった。
 ただ狂うだけならばどれほど楽だっただろう。狂気に駆られて思うままに振る舞い、全てを棄てて生きて死んだなら、そこにはそれこそ、何も遺らないはずなのだ。
 それなのに、悠里はその路を選べない。海の底に差し込む一筋の陽光に、手が届くような気がしてしまう。
 それこそが本当の地獄なのだと知りながら。無明の闇よりも残酷で、心を千々に引き裂く痛みなのだと知っていて。
 ああ。
 ――あれは、誰の影なのだろう。
 その形を知っている。嫌というほどに見てきた。帰れば傍にあるはずの人々の、やさしい影たち――。
「ごめんなさい」
 零れた懺悔が地を打った。
 悠里は未だ、己の存在を赦せない。一度その優しさに縋り付いてしまったら、もう一人で立っていられなくなってしまう。
 そんなことは――出来ない。
 身を灼く業火が影を払う。それはまるで、あの日の光景のように――。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 冒険 『命を救え』

POW   :    障害物を破壊する

SPD   :    人々を救助する

WIZ   :    災害を鎮圧する

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●御手洗・美陽
 ええと、ありがとうございました。何であんなに悲しかったのか、今はよく分からないんですけど――皆さんが助けてくださったんですよね。私で役に立てるなら、何でも話します。
 梨華さん――えっと、りっちゃんって呼んでるので、りっちゃんで良いですか?
 ありがとうございます。
 りっちゃんとは、ずっと――物心つく前から一緒なんです。隣の家に住んでて、いつも一緒に遊んでて。だから、大人になっても一緒にいようね、って言ってたんですけど。
 ええと。
 ――あの、りっちゃん、いつからだったかな。いじめられてて。最初は大したことなかったんですけど、そのうち結構――色んなこと、されるようになっちゃって。
 中学一年までは、私、クラスが一緒だったんです。でも二年に上がるときに分かれちゃって。りっちゃんがA組。私がC組で。三年になるときは持ち上がりなんで、二年も分かれちゃうの、寂しいなって思ってました。
 最初のうちは、A組まで遊びに行ってたんです。
 影では色々言われてたみたいですけど、私は――そういうの、どうでも良くて。りっちゃんといる方が楽しかったですし。他の友達には、美陽までいじめられるからやめなよ、とか言われたんですけど。
 でも、私にとっては、りっちゃんの方が大事だったんで。
 だから、りっちゃんが学校に来なくなって、それで初めて、もしかして私のせいだったかなって思って。
 仲間がいるって思われるのが――もしかしたら駄目だったかなって。
 私がいるときって、そういう子たち、来ないんですよ。来たら言ってやろうって思ってたのに。りっちゃんは、誰が――とか、言わない子だったから、喧嘩売るなら現行犯しかないかなって思ってたんです。
 そのうち、りっちゃん、学校行かなくなっちゃって。会うのも出来なくなっちゃいました。おばさん――りっちゃんのお母さんに、すごく謝られたんですけど、本当に謝らなきゃならないのは、多分私の方なんです。
 でもメッセージにも既読つかないし、会いたくないって言われたら、もう謝れなくて――こんなことになっちゃうなんて、思わなくて。
 ――あ。すみません。誰にも言えなかったから、つい。私の話じゃなくて、あの日の話ですよね。
 久々にりっちゃん見かけたんです。外に出て来るってことは、少しは大丈夫になったかなって思って安心しました。でも、隣に知らない子がいたから、気になってて。
 どっちに向かったか?
 ええと、あっちの。家も街灯も少なくなってくから、あんまり誰も通らない道で――あ。だから私、気になったのかな。あっちは――。
 小学生のときに噂になったんですけど、お化け屋敷があるんです。
 私たちが小学生になるくらいだったかな。それまで四人家族が暮らしてて、急にいなくなっちゃったっていう家で。それくらいしかないから、もしかしたら、あそこに行ったのかも――。
 えっと。
 警察の関係者さんたちなんですよね。一個だけ、訊いても良いですか。
 ――りっちゃん、帰って来るんですよね?

●いのり
 燃えている。
 猟兵たちがそれに気付いたのは、お化け屋敷と呼ばれた家への道を辿っているときだった。灯りのない街道が、焼けた廊下に変わっている。悲鳴と怒号が耳を劈く。焼け朽ちる木材のにおいが鼻を衝く。じりじりと肌を焼く熱気すらも、現実と寸分違わぬ感覚で以て、頬を撫でる。
 見渡せど、共に来たはずの誰かは見当たらない。声は弾ける炎と叫びに掻き消され、そう遠くまで届きそうにはなかった。
 不意に開いた扉の向こうから、転がるように生徒たちが飛び出してきた。或いは炎に包まれた制服の裾をはたきながら、或いは泣き叫びながら、或いは前を走る者を押しのけるように――逃げ出していく彼らが猟兵の体に触れれば、思い切りぶつかる痛みが身に残る。
 廊下の先には同じような混沌が広がっている。火の手がどこから上がっているのかすら分からない。階段の上からも下からも、炎が噴き出し迫るのが見えた。
 煙の異臭が肺を満たす。焼けるような熱が喉を通る。それでも呼吸が出来なくなることはなかったし、歩みが阻害されることもなかった。同時に気付くだろう――それは、今ここに現実から迷い込んだ、猟兵たちだけが持つ特権だ。
 苦しむように蹲る女子生徒がいる。あえぐような呼吸を繰り返す男子生徒がいる。助けを求めて叫ぶ声が、聞くに堪えない灼けた音に聞こえる。
 唯一の逃げ道は、すぐに分かるだろう。
 生徒たちには見えていないのか。『3-C』の表札が掲げられた教室の扉だけが、綺麗に焼け残っている。その向こうには閑静な教室と、中に座る二人の少女が見えるだろう。
 あの扉の向こうに行けば、この幻影は解けるはずだ。現実の生徒たちはこのような苦しみの最中にいない――言い聞かせれば、このいやに現実感を伴った夢の切実な悲鳴も、無視することは出来よう。
 だが――。
 足を止める者もあるかもしれない。
 ――今、聞き覚えのある声がしなかっただろうか。


※二章では特殊ルールを採用いたします。
 ここは高橋・梨華の狂気を媒介とした幻影の中です。ただし感覚は現実のそれと変わりなく、生み出された人間たちにも質量はあります。
 当該UDCの精神汚染は猟兵たちにも及んでいます。燃える廊下では、「皆様にとって大切な人」が、生徒たちに紛れて火の手に苦しめられています(大切な人の過去・現在は問いません)。
 「大切な人」に心当たりのない方には、生徒が数名、助けを求めて来ます。
 大切な人は、「もしもその人がここにいたら」と言われて想像することと、ほとんど同様の行動を取っています。表情などの細部に至るまで完全に模倣されており、触れた体温まで同様です。
 皆様は、そこにいる彼らの行動に拘わらず、「このままでは助からない」「火に呑まれるのは時間の問題だ」と感じます。
 所詮は幻影に過ぎないものです。現実世界の学校や大切な人は、この場での選択に拘わらず無事に過ごしているか、或いは過去になってしまっています。置いていく方が、任務遂行においては得策でしょう。ですが振り払うには現実味を帯びすぎたそれに、助けたいと手を差し伸べることも出来ます。
 狂気の出口である『3-C』に幻影を連れて行けば、救助することが可能です。助けた場合でも、幻影たちは部屋に入る瞬間に消えてしまいます。
 また狂気の投影に干渉することは、精神を確実に蝕みます。救助した人数に応じて、三章におけるUDCからの影響が強くなることが予想されます(判定には影響しません)。

※大切な人が不参加の他PCさんである場合、描写はごくふんわりします。
 また火に呑まれるところまでは明確に描写出来ません。
※一緒に参加している方とは、この章のみ一時的にはぐれます。三章からは合流します。プレイングの目印はあってもなくても。こちらで調整させて頂きます。


※プレイングの受付は『3/7(日)8:31~3/10(水)22:00』までとさせて頂きます。
岩元・雫
――帰らせる
帰りを待つきみが居る限り、必ず
告ぐ口の持ち合わせは無いけれど


灼ける炎、聲とも呼べぬ煩い音
振り向く先に見えたのは
生前知り得た筈の無い、知人達の影
噫、――
掠れ音が零る

俺が差し出す手は何時だって、争いの火種でしか無かった
俺の望んだ普く全ては、俺を担いだ有象無象が掻き消した
其様な手で、何を扶くと?

過ぎった思考を一笑に伏す
『俺』が居なけりゃ欲も満たせぬニンゲン共とは違う
強き彼等が出来ぬ事を、『おれ』が出来る筈も無い
おれすら出来る事ならば、彼等に出来ない訳が無い
なればこそ、真贋如何も関係無く
出来る事は唯此れだけ
火粉払った其の後は、さあ勝手にたすかって


――本当に
『此の世』に未練は無いんだね、おれ




 ――帰らせる。
 帰りを待つ人がいるというのならば、必ずそのいのちを引き戻す。握り締めた拳に込める決意を、告げる口など持ち合わせがなかったけれど。
 泣き叫ぶ声などひとつも鼓膜を揺らさなかった。弾ける焔の音と、叫喚の渦の中にあって、岩元・雫(望の月・f31282)の黄梔子の両眸は、前だけを見ていた。
 助ける相手などここにはいない。現世への執着など疾うの昔、あの海辺に置いて来た。
 それなのに――。
 声がする。海とは程遠い灼熱を游ぐ鰭が、躊躇うように動きを止めた。眸が僅かに後方を向いてしまえば、後は振り返るだけ――。
「噫――」
 掠れた音が零れる。
 あの影たちを知っている。炎に巻かれて煙を吸って、肺腑を灼かれても助けを求めない。手を繋いで、或いは一人、立ち向かうように叫ぶ聲。
 ――生き続けていたら、まみえることすらなかった、『今』の総てがそこにある。
 掻き消されてしまうそれらのどれひとつ、雫に縋ろうとはしなかった。駆け行くその背が呑まれるまでに時間は掛からないだろう。普段ならば思いつく悪態のどれもが霧散して、ただそう思ってしまう。
 ――差し出す手が何を招くのか、雫はよく知っている。
 ニンゲンなぞ遍く身勝手だ。ただ伸ばした指さきに勝手な幻想を懐いて、勝手に狂っていく。伸べた手に握った一介の少年の善意を片端から火種に代えて、その先にいる誰かを押しのけて縋ろうとする。
 諂う聲が全てを壊したのだ。良い子に安心して、何も知らぬまま背を向けた者たちも、きっと同罪なのだろう。
 ただ――普通に生きたかっただけなのに。
 どうやらこの身は、有象無象にとってはひどく魅力的らしい。
 伸ばしかけた手を下ろして嗤った。何が扶けられるというのだ。この手を掴んだ者が助かるなどと、保証されたわけでもあるまいに。
 彼らは違う。『俺』がいなくては欲の一つすら満たせぬニンゲンではない。強く、勁く、一人の力で手を伸ばしている。
 彼らに出来ないことが、『おれ』に出来るはずがない。裏を返せば、扶ける手すら持たぬ『おれ』如きに出来ることならば、彼らが易々成してくれる。
 だから。
「勝手にたすかって」
 吹き荒れるしゃぼんの泡が、降りかかる火の粉を払っていく。倒れ伏す一人へ駆けていく足を見遣り、雫はゆらりと踵を返した。
 出来ることは全て成した。
 それが本当の彼らであったとしても、きっと同じことをしただろう。それ以外に加える手心もない。後のことは何とかしてくれるだろうと、それは信頼なのか――或いは、逃避なのか。
「――本当に」
 綺麗な扉にかけた指先を見下ろして、雫はそっと目を伏せた。
「『此の世』に未練は無いんだね、おれ」

大成功 🔵​🔵​🔵​

ベスティア・クローヴェル
燃え上がる校舎
逃げ惑い助けを求める人々

この光景はまるであの村のよう
あの時は見捨てるしかなかったけど、今回は違う
手を差し伸べ、助けることが出来る
なら迷う必要なんてない
例えそれが幻であろうとも

親しい友人も、見知らぬ生徒も
私にとっては等しく大切な人だから、優先順位なんてつけられない
だから私は目に映る全てを救って見せる
もう二度と私の目の前で悲劇は起こさせない

大丈夫。私が安全な場所まで案内するから安心して

その結果、この身にどういう結末が訪れようとも構わない
どうせ残り僅かな命だ。それを差し出して救えるなら安いもの
そう啖呵を切るが、友人達との思い出が浮かんで胸が僅かに痛む
だけどこの痛みはきっと気のせいだ




 燃える家屋と、逃げ惑う人々と、助けを求める声。
 全てがあの、ベスティア・クローヴェル(太陽の残火・f05323)が終焉を齎した村と似ていた。違いがあるとしたら、あのときはただ討ち滅ぼすことが目的だったけれど、今回は救えるということ――。
 強く握った手に惑いはない。赤い眸に意志を宿して、彼女の足は迷いなく駆け出した。
 ――たとえ幻だったとしても、見捨てることなんてしない。もう二度と。
 火の手の中で救助を試みるのは友人たちだ。泣き惑う生徒たちに声を掛けながら、流れる汗を拭って、瓦礫や炎を押しとどめようとしている。
 彼女たちも、彼女たちが救おうとしている人々も――。
 ベスティアにとっては、全てが等しく大事なものだった。だから、優先順位は決めない。
 彼女と同じく埒外である友人たちは、未だその足を動かせるようだった。だからベスティアがいの一番に駆け寄るのは、自力で動くことも儘ならないような負傷を抱えた人々だ。瓦礫の下に下半身を埋められて、それでも意識を保っている女子生徒の手を握り、安心させるように一度、目を合わせる。
「大丈夫。私が安全な場所まで案内するから安心して」
 そう笑いかけて、瓦礫の下敷きになった体を引きずり出して。自力で歩ける人に手を貸してもらいながら、ベスティアは目についた全員へ手を差し伸べる。
 ――それが、代償のない行為だとは思わない。
 これもまた邪神の術中だというのなら、こうして手を貸すことそのものを狙っているのかもしれない。幻を助けたとて現実の人々が変わらぬのは知っている。見返りのない行為は、この先でベスティアの身を滅ぼすのだろうと予感もしている。
 ――それでも、構わない。
 伸べられなかった手を伸べられる。削る命の火種は、どうあれ近く尽きると知っている。早晩燃え尽きるというのなら、それを惜しむ必要がどこにあるというのだろう。
 助けられるなら、何だって構わない。
 この身にあるものなんて、何も要らない――。
 ――そう、確かに思っているのに。
 前を行く友人たちが、必死に生徒たちへ声を掛けている。その横顔を見るたびに、現実にいる彼らが重なってならない。
 何だかよく分からないうちに、お泊まり会なんていうものを開くことになった日のこと。福引きで当てて初めて行った温泉旅行のこと。廃墟で過ごした何てことのない日々。その全てが重なって、炎が齎すそれとは違う痛みが、ベスティアの裡を灼いた。
 ――首を横に振る。
 気のせいだ。軋むような胸だって――惜しいと、思ってしまうことだって。
 振り切るように開いた扉の向こう、全員の背が消えるのを見送ってから、彼女の足もまた、その中へと踏み入る――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

百鳥・円
助けを乞うのなら、救わなきゃ

とっておき
七つの宝石糖を喰らって
道を切り拓こう

走れ!逃げろ!
振り返らずに駆けろ!

肺が焼けるかのよう
ああ、馬鹿馬鹿しい
幻であって現じゃないのに

救わなきゃ
アイさなきゃ
わたしだけは

付き合ってやるよ
お前の幻に

駆けてゆく人間たちを見送り
後ろを追ーー今の、は

実物など見たことない
正確なものをしらない
けものの書に暴かれたあの時
ほんの一度だけ、見映した姿

待って!

病的に白い手を掴めば
霞んだ顔が歪んでゆく
『どうして』『はなして』って
ノイズがかった声がする

ああ、そうだ
貴女は炎を使役するもの
放たれた此処は、楽園ですか

それが、救いなら

掴んだ手を離す
胡蝶がすり抜けてゆく
黒真珠の色が、炎へととけた




 救わなくては。
 助けを求める声に反応する性は、それだけを思った。躊躇なく懐の瓶を開いた百鳥・円(華回帰・f10932)の指先が、誰かの夢をつまみ上げる。
 口に放り込み、噛み砕くのは七つ。とっておきのうつくしい夢々が、砕けてほどけて消えていく。
「走れ!」
 叫ぶ声は魔性だ。この火の手にも瓦礫にも遮られない、一本の路を繋ぎ止める――この黒爪で。
「逃げろ! 振り返らずに駆けろ!」
 より遠く、声を届けるために息を吸い込むたび、肺が焼けるような熱を孕む。馬鹿らしい。馬鹿らしい、馬鹿らしい、馬鹿らしい。
 こんなの幻覚だ。現ではない。灼ける感触など錯覚だ。夢に感じる痛みと同じ。意味などない。叫ぶことにも、救うことにも。
 それでも、円は。
 円だけは――。
「付き合ってやるよ」
 救わなくては。
 アイさなくては。
「お前の幻に」
 哀憐の招く、この幻(ゆめ)も。
 一斉に駆けだしていく人間たちの幻に、指先で指示を出した。まるで人形のよう。喰らってきた夢のよう。
 その後を追って、ようやく円も歩き出す。静かになった廊下に人影はない。後は彼女自身も、あの扉を潜るだけで――。
 不意に。
 視界の端に過ったそれに、目を見開いた。
 靡く黒い髪。ほんの一瞬すれ違ったあまい香りを追って、円は焦げ臭い空気を吸い込み振り返った。
「待って!」
 己の喉から絞り出された声はひどく必死で、伸ばした掌は強く手を掴んだ。病的に白い指先はそれだけでも折れそうで、けれど力を抜こうとすればするほど、不自然に腕が強張る。
 ――実物なんて、見たことはない。
 けものの書が映した先で、たった一度だけ見たひと。このひとかけ、混ざりの夢魔の半分をつくるひと。ようやく真っ直ぐ見据えた顔が、霞んでぼやけて歪んでいる。
『どうして』
 雑音混じりの声は、炎に遮られたせいではないとすぐに分かった。何もかもが分からないのに、早鐘を打つ欠片だけが、円が誰の手を握っているのかを伝えてくる。
『はなして』
 ああ。
 ――そうか。
 必死に抵抗する腕の細さを遠くに感じながら、円はふと気が付いた。血潮を炎と変える貴女は、きっと炎の中にこそ、楽園を見出したのだろう。
 だからあの、一番に火の手が上がる教室を目指していたのだ。『3-A』。悪夢の始まり。
 宙吊りになった感情が、躊躇うような掌の脈に変わる。貴女の欠片が痛い。か細い声で幾度も拒絶を繰り返す貴女の先に、地獄のような楽園が見えている。
 しなくてはならないことは――決まっている。
 あれほど抜けなかった力が簡単に解けた。すぐに振りほどいて走り去る背に、声は届かないと知っている。
 それでも――。
「――それが、救いなら」
 夢見の胡蝶がすり抜けていく。円の耳いろと揃いの黒真珠が、始まりへと走り去るのをじっと見送って、踵を返した。
 ――悪夢の終わり、『3-C』の教室へ向けて。

大成功 🔵​🔵​🔵​

榎本・英


嗚呼。居るはずのない声が聞こえる。
祖父、父、母、友人たちにいっとうの色を宿す君。
私が生まれてから今に至るまでの、全ての者たちの声が聞こえる。

地獄絵図とはこの事だろう。
妙な焦燥感に駆られながらも脳は冴えている。

幻であろうとも、見捨てる事は出来ない。
助けを呼ぶ声に手を差し伸べ、私は彼らを助ける。
この身が朽ちようとも助ける。

けれども君は先へ行く。
誰よりも先に炎の中を駆け、道を切り開く。
幻であるからこそ、目の前の君は助けを求めない。

私たちは行くよ。

幻影の君は助けを求めない。
ならば

君も一緒に逝くかい?

君に筆の先端を向けた。
幻に焼かれるのなら、あかを抱いて此処から連れ出すだけだ。




 居るはずがないと、分かっていた。
 この手が終わらせたいのちが逃げ惑っている。祖父と母、そして母に喰われた父。いまも帰れば笑ってくれる友人たち。それから――。
 春いろを宿した君。
 榎本・英(人である・f22898)がこの世に生を受けてから、ここに歩いて来るまでの道程にある、全ての顔が見える。炎から逃れようとする彼らの表情は必死で、流れ落ちる汗までもが鮮明だ。振り払おうとする腕は煤に塗れ、或いは火に触れてひどい火傷を負っている者もいる。
 地獄絵図――。
 示すならば、その言葉が適当だろうか。ただの幻影に懐くには切迫した心地が、英の心臓に早鐘を打たせる。駆ける足は時折縺れ、ずれた眼鏡が煩わしい。視野が狭まって、足許の瓦礫すらもよく目に入らない。それなのに、頭はいやに冴えている。
 ――幻であろうとも、見捨てる事は出来ない。
 助けを求めるのならば誰をも見捨てない。伸ばされる手の全てに応じる。纏わりつく炎から身を挺して守り、ハンケチを口にあてさせて、手を引くように前に進む。
 背負った炎の熱が痛い。煤けていく感触が命を蝕んでいると、強く感じている。それでも、英の身が朽ちようとも――彼に助けを請うかれらを、決して離せはしないのだ。
 嗚呼。
 だというのに、君は。
 黎明の春を迎えた君が、かろやかに髪を靡かせて前を行く。誰しもの――英すらも含めた――その前途を切り拓くために、一人で炎の中を馳せていく。
 その背を追うようにして、英は走った。追いつきたかったのだろうか。その手を掴みたかったのだろうか。分からない。解らないが。
 ――幻影の君は、助けを求めるために振り返ったりはしないのだと云うことだけは、解っている。
 辿り着いた教室は、そこだけが凪いでいる。覗き窓の向こうに二人の女生徒だけがいる。必死に英を追っていた彼らのために、扉を開けねばならない。
 けれど――。
「私たちは行くよ」
 静かな教室の扉に手をかけて、零した声は、その歩みを止めたいとでも言うかのような響きを帯びていた。
 かろやかに炎の裡を駆けて、春を振り撒きながら、英に背を向けて走って行く。その眸がふと振り返って、彼を見た。じっと見据える見慣れた双眸は、豊かな髪は、決して彼に助けを求めたりしない。その向こうにある炎の地獄に、きっとすぐにでも踵を返していくのだろう。
 嗚呼――。
 ――君は、いってしまうのだね。
 ならば。
「君も一緒に逝くかい?」
 徐に持ち上げた筆の先が、君にあかを描く。九度の刃が迸り、あかあかと染まる春を抱き寄せて、英は目を伏せる。
 幻に焼かれてしまうのならば、此処から連れ出すだけだ。
 ――このあかを、抱いて。

大成功 🔵​🔵​🔵​

リック・ランドルフ

こりゃまたキツい幻影だな、おい。…本当に幻影なのかこれ?

…とにかくだ、幻影だろうと見捨てる訳にはいかねえ。

聞こえるか警察だ。今安全な場所に連れてってやる!だから居るなら声を出してくれ!


(手に縄を巻き付け、瓦礫の下に身体が埋まってる・瓦礫に塞がれて逃げられない生徒達を優先的に助けていく)

聞こえたぜ、ここだな。待ってろ今退かすからな…!



よし、これで全員か?俺もそろそろ出口に

(出口の方に行こうとすると背後から助けを呼ぶ声が聴こえて)

――と、まだ居たのか…!

…いやまて、この声…――何でお前がここに!?

(そこに姪がいて、男は我を忘れて姪を救出しようとする)

今助けるからな!必ず、必ずだ!…よし、出るぞ!




「……本当に幻影なのか、これ?」
 酸鼻な光景に眉を顰めて、リック・ランドルフ(刑事で猟兵・f00168)の声が低く零れる。
 あまりにも現実感が強すぎる。ただの幻と振り払って捨てるには、肌を撫でる熱までもが生々しく襲ってくる。
 深く息を吐いて、吸い込む。灼けるような煙が肺を灼く感覚に強く眉間の皺を深め、しかし開いた紺碧の眸に強く意志を宿す。
 ――幻影だったとして、今ここにいる苦しむ者たちを、見捨てることなど出来るものか。
「聞こえるか! 警察だ!」
 炎の弾ける音に劣らぬように、吐き出した声は強く響く。駆け抜ける生徒たちの狂乱を裂いて、リックの眼差しは周囲を探った。
 自分で走れる者には逃げ道を示す。肩を支える友がある者も。炎に攫われそうな体を引き戻しながら、彼は己の手を必要とする者を探す。
「今安全な場所に連れてってやる! だから居るなら声を出してくれ!」
「た、助けてっ――助けてください――」
 ――か細い声が聞こえた気がして、走り出す。
 大人しそうな男子生徒が、走り寄ってリックの袖を引いた。熱気に上気する頬に滝のような汗を流しながら、彼は必死に崩落した瓦礫を指さす。
「友達が、中に――!」
「分かった。危ないから下がってろ」
 斯様な状況など慣れたものだ。所持する縄を手へと巻き付け、瓦礫の下に差し込む。丁寧な作業などしている暇はない。そのまま持ち上げ、横へと投げて、見えた顔が目を開けるのを確かに見た。
「待ってろ。今退かすからな……!」
 励ましの声と共に引きずり出した体はぐったりとしていた。呼吸がはっきりしていることを確かめれば、駆け寄ってきた先の男子生徒が、幾度も礼を言いながら肩を貸す。
 去っていく彼らの背を見送り、瓦礫を退けながら、おおよその路が切り拓かれた頃にようやく息を吐く。
「よし、これで全員か? 俺もそろそろ出口に――と」
 ――たすけて。
「まだ居たのか……!」
 振り返って――凍り付く。
 耳に響く声も、視界に映る姿も、見まごうはずもない。そこで泣いているのは、彼が愛して止まない――。
「――何でお前がここに!?」
 顔を上げた姪が、必死に手を伸ばすのが見えた。その向こうで崩落する天井、泣き叫び己を呼ぶその姿に、リックは考えることもなく走り出す。
「今助けるからな! 必ず、必ずだ!」
 ――その体を、引き寄せ抱えた刹那に、彼女の後方で崩落が起きた。
 僅かにでも遅れていれば間に合わなかっただろう。腕の中にある温度が生きていることにひどく安堵して、彼はいつもそうしているように、その身と共に走り出した。
「……よし、出るぞ!」
 開け放った扉の向こうで、二人の少女が振り向くのが見えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
走り出すのに躊躇いなど無い

赤々とした火が踊る
空気までが熱せられて歪んで揺らいで
その向こう側に
お父さまが

分かってる
居るはずが無い
この手が、この口が
最期の温みをようく覚えている

火から逃れようとしながら
必死に誰かを探している
「ルーシー」の形に動く、その唇が
わたしの事を指していない事も
ようく、ようく解っている

けれどルーが
蒼の幽世蝶が見ているのに
あの人が炎に巻かれるのを黙っていろと?

あり得ない

駆けよって彼の手を掴んで教室へ走る
早く!こっちへ!!
助かりたい人も此方に!

君は誰?
娘を知らないか
何か言っているけれど知った事か

教室に入った瞬間
初めて繋いだ手の感触が消えて
躓き転げ落ちる

ア、
堕ちる


…知った事か!!!!




 そこにいる。
 分かっていたから、軽い体で弾かれたように走り出した。熱い。汗が滲む。これは幻覚だ、こんなところにあのひとはいない、自分だっていない。
 何だって良い。
「ルーシー!」
 燃え踊る炎の向こう、蜃気楼のように揺らいだ景色の最中に、男が一人立っている。必死に叫ぶ声が呼ぶのは己ではないと分かっていて、けれどルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)の足が躊躇うことなどなかった。
 最期のぬくもりを、この手と口がよくよく覚えている。お父様はもういない。ましてあの世界にはこんな学校なんてなかったのに、いるはずがない。
 それでも。
 蒼い幽世の蝶が、惑うようにルーシーの眼前を彷徨っている。あの笑顔みたいなポピーの光が薄れて、翅が不規則にひらめく。まるでどちらを心配すれば良いのか迷っているようだ。
「ルー」
 息が灼ける。肺が痛いのは、全速力で駆けているからだろうか。それとも、灼熱に炙られているからだろうか。
 でも――でも、だいじょうぶ。
「だいじょうぶよ」
 彼女が見ている前で、今も炎から逃れながら娘を探すあのひとが、呑まれていくのを見ていることなど出来ようはずもない。たとえ、この身が朽ちたって。
 辿り着いたときには息が切れていた。吸い込んだ空気の煙臭さに一度だけむせて、けれど蒼い隻眼は真っ直ぐに、忘れもしないそのひとを見詰める。
 ――目が合う。
「早く! こっちへ!!」
 強くつよく握ったおおきな手の感触が、こんなときなのにすこしだけ嬉しい。初めて触れたそれを強く引いて、ルーシーは声の限り叫んだ。
 虚を突かれたような顔をして、お父様の体が簡単に揺らぐ。そのまま前のめりに体勢を整えた彼は、彼女の金の髪を追って走り出す。
「助かりたい人も此方に!」
 自力で歩けそうにないひとを救うすべを、ルーシーは持っていない。このちいさい肩は、自分よりも年上のおおきな体を支える力を持っていない。だから出来ることは――。
 このひとの手を離さずに。
 まだ走れるだれかを、この喉で導くことだけ。
「君は? 娘を知らないか」
 炎に邪魔されてよく聞こえない声が、何かを言っている。蒼い蝶がひらりと舞っている。ポピーのひかりが少しだけ強くなるのを、隻眼の視界の端に捉えている。
 知った事か。
 ――知った事か、知った事か、知った事か。
 一生懸命探している娘が『ルーシー』じゃないことも。隣にいる蝶がルーだって気付かないことも。これが夢でも幻でも狂気でもルーシーがこれから何を受け取るのだとしても。
「ア」
 ――扉を開いた刹那に、全ての感覚が遠ざかる。
 繋いだ手が消える。叫喚が消える。勢い飛び込んだ体が落ちる。墜ちる。堕ちて――。
 そんなの。
「……知った事か!!!!」
 喉を裂かんばかりの絶叫が、静謐な闇を割った。 

大成功 🔵​🔵​🔵​

クロム・エルフェルト


もし幻覚じゃなかったら
生々しい感覚に悪寒が走る

――ッ
駆け出してしまえば止まれない
妖術の得意な、癖っ毛の黒髪に黒い尻尾
弟のような、大事なキミ
幻覚でもいい
質量のあるキミが、灰にならなくて良かった
――手伝って、いつもみたいに。水の精霊様の力で。

火の手激しい廊下の先、助けを求める声
水の加護で熱から身を守りつつ駆け抜け
その子の頭上に燃え落ちる天井を寸での処で斬り飛ばす
藤色の髪の小さな女の子
二重人格の内、優しくて怖がりな方の妹
約束通り、助けに来たよ。

喪うのが怖い程大事な二人
手を引いて『3-C』の教室へ逃げ込む
消え行く幻を見つつ思わず安堵の笑み
本物は無事という事だし
何より、幻覚でもほっとした表情が愛しくて




 ――もしも、これが幻覚でなかったら。
 背筋を逆撫でされるような悪寒が、そんなはずがないと否定する理性を凌駕する。肺腑を灼く熱気が、流れ出る汗が、クロム・エルフェルト(縮地灼閃の剣狐・f09031)から現実を遠ざける。
 代わり、目の前に在る光景こそが、まるで現実であるかのような質量を以て迫り来る。己の中に湧き上がる仮定を必死に振り払いながら、彼女の足は急くように目的地を目指した。
 幻だ。幻なのだ。助けを求める声も、灼けるにおいも――。
 それなのに。
 ――よく知る声がした気がして、足を止めてしまう。
 振り返った先に黒い癖毛が見えた刹那、息を呑んだクロムの足は弾かれたように走り出していた。
 クロムと反対で、妖術の得意なキミ。弟のように大事なキミ。その腕で守るように白い狐を抱えて、ぎゅっと目を瞑るキミ。
 幻覚でも構わない。強く抱き締めた体に温もりがあって、質量があって、そこにいる彼が――灰になるところなんて、絶対に見たくない。
「――手伝って」
 火の手が激しくて、とても一人では行けない廊下の先からも、絶対に救いたい声がするから。
「いつもみたいに。水の精霊様の力で」
 頷いた彼から受けた水の加護が、炎の熱気を遠ざけた。これなら走れる。
 ここにいるよう言い置いて、その足はすぐに駆け出した。見えている。藤色の髪を焔から遠ざけて、自分の裡側にいる姉ごと抱えるようにする少女が一人、取り残されている。
 崩落する灼けた瓦礫が、その体を押し潰す刹那――。
 割り込んだ剣戟が、一閃斬り払う。息を詰めたクロムが着地と同時に振り返り、揺れる藍色に、顔を上げた彼女の眸を見た。
 ――間に合った。
「約束通り、助けに来たよ」
 差し伸べた手に、惑いなくあたたかな指先が重なった。その温もりを引いて、駆け寄ってきた義弟ともう一方の手を繋ぐ。しかと繋がれた温度が、柔らかさが、心底からの安堵を手繰り寄せた。
 喪うのが怖いと――そう思うほどに、大切でならないふたり。
 幻影だと分かりながら、けれど助けずにはいられないほどに愛しい、ふたつの温度。
 『3-C』の教室の扉を開いて、先に二人を入らせた。続いて一歩を踏み入れたクロムの目の前で、その質量が揺らいで消えていく。
 ――それで良かった。
 本当の二人は、最初からここにはいないのだ。火の手に巻かれることも、苦しむこともない。だから、何の心配も要らない。
 何より――。
 ほっとしたように笑って、振り向いた顔がクロムを見ている。薄れかけた声で、確かに礼を述べたその表情が、彼女の肩の力を抜いていく。
 大丈夫。
 ――その表情だけで、きっと、どれほどの苦難も報われてしまうのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花房・英


今すべきなのは、対象の保護
ずっとを約束してた御手洗って子がいるなら
心配してくれる人いるなら、きっとどうにかなる
ひとりじゃない
だから手遅れになる前に救出しないと

──それなのに
目の前で小さな女の子が泣いてる
知らない子だけど
同じ色の髪と瞳をした女を、俺は知ってる
テディベアを抱いて、小さな声はただ親を呼んでいた
動こうとしない、助けてとも言わない

ただ親を呼ぶその声が耳にこびりついて離れない
早くここからでなければ
でも足が動かなくて

まやかしだと分かっているのに
抱え上げた身体は子どもなりの重さがあって

放置しても何も起こらない
それでも置いて行けなくて
大丈夫だと言い聞かせながら、
出口へと急いで駆ける




 泣いている。
 優先すべきは対象の保護だ。まだ助けられるというのなら、間に合ううちに助けたい。続く道を約束した人がいるのなら、ひとりでないのなら、その先に何があっても乗り越えられるはずだ。だから、今はただ彼女を助け出すことを考えるべきだ――。
 それなのに。
 頭では分かっているのに、花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)の足は動かない。
 目の前で泣いている少女は、熱に耐えるようにテディベアを抱き締めていた。しゃくり上げる濡れた声が、両親を求めている。見渡す限り誰も迎えは来ていないのに、彼女は決して叫ばない。動くこともしないまま蹲って、目の前にいる英にも――呼び続ける両親にも、助けを求める声を発したりしない。
 見覚えはなかった。けれどその豊かな茶髪も、涙を零す薄い色の眸も、英は知っている。
 いつか見た光景が重なるようだった。鍵を開ける手。俯いたまま、電気を自分でつける指先。誰も待っていないことが明白な、彼女の靴しかない玄関の扉を閉める――。
 ――これは幻覚だ。
 まして、この少女が彼女だと決まったわけでもないのに。
 彼女はこんなところにはいない。置いていったところで何も起こりはしないのだ。帰れば彼女はそこにいて、またふわふわといつものように笑うに決まっている。
 優先するべきはこの少女ではない。早くこの幻影から抜け出さねばならない。
 なのに。
 なのに――か細い声が、耳にこびりついて離れない。
 きっと来ないのだと、彼女自身も分かっているのだろう。だから助けを求めはしないのだ。叫ばない理由も、そこにあるのだと直感している。それなのに、その声はずっと、両親を呼び続けている。
 胸を締め付けるような痛みがする。このまま踵を返すだけのことが、どうしても出来ない。
 強く目を瞑った。息を止めて、吐く。灼けるような空気を吸い込んで、次に開いた眸は、もう覚悟を決めていた。
 伸ばした手でしかと抱き上げた体は、ぞっとするほど現実感のある質量を持っている。まやかしだと振って払うにはあまりにも暖かくて柔らかい。
 だからだろうか――。
 耳元で泣き続ける声に、英は小さく声を零してしまうのだ。
「大丈夫だ」
 助ける。
 ――助けなくても良いと分かっていても、この心は見捨てられない。
 抱きかかえた体を落ち着けるように、そのちいさな背を撫でた。そのまま全力で走り出す。瓦礫の山を越えて、崩落しかけた天井に気を配り、しがみつく少女の手の感覚を胸に覚えて――。
 英の手は、少女を抱えたままで、躊躇なく『3-C』の扉を開いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

渡利井・寧寿

君が此処にいたら……そう、こうして手を取って、一緒に行こうって言ってくれるんだろうね
「やすとしくんは頼りないから、あたしがついててあげる」って
苦しいのは君の方なのに

この手を振り払えば君は炎に呑まれて死ぬだろう
けど、一緒に逃げたとしても、僕のいない所で勝手に死ぬ

僕は君がどうやって死んだのか知らないんだ
大人たちは何も教えてくれなかったから
……いや、僕が忘れたかっただけかもしれないな

焼かれて死ぬのと融けて死ぬのと
どちらが先かは分からないけど

君を嫌う奴らのせいじゃなく
僕の知らない所でじゃなく
君を好きな僕のせいで
僕の目の前で

だから、もう忘れない

綺麗?
それはよかった
あのへん、あまり雪が降らなかったからね




 不意に手を握る感触があって、視線を落とした。
「一緒に行こう」
 真っ直ぐに見詰める眸と目が合った。顔は煤だらけだ。熱に灼かれて服がぼろぼろになっている。きっと肺も灼けているのだろう。滝のように流れる汗を空いた片手で拭いながら、『彼女』が笑いかける。
「やすとしくんは頼りないから、あたしがついててあげる」
 ――ああ、そうだ。
 ここにいたら、きっとそうするのだろう。渡利井・寧寿(雪・f17097)に向けるその眸の奥に、苦しみを隠して笑うのだ。あのときと同じ。最期まで――同じ。
 柔らかな感触が手を握っている。これを振り払えば――きっと、彼女は火に呑まれてたやすく命を落とす。
 けれど。
 ――手を引いて扉を開けたところで、寧寿の知らないところで勝手に死ぬ。
 結局、どうやって死んだのか、知らずじまいだ。大人たちは決まって彼女のことには口を噤んだ。知らなくて良い――だの、大丈夫――だの、ずれた答えを返すばかりだった。
 否。
 知っていたのだろうか。本当は何かの弾みで教えてもらったのかもしれない。ただ、事実を受け止めきれなかっただけ。寧寿が忘れたいと思って、本当に忘れてしまっただけ。言われてしまえば、そんな気もして来る。
 それは、嫌だ。
 不意にちらつき出した雪が、二人の上に降り注ぐ。逃げ惑う熱狂も、肌を焼く熱の痛みも、今は何も感じない。
 万物を融かす雪に融けていくのが早いだろうか。それとも、今にも迫る炎が彼女だけを焼き尽くすのが早いだろうか。
 どちらでも良い。
 君を嫌う奴らのせいではない。寧寿の知らない場所でもない。
 ――君が好きな僕のせいで、僕の目の前で。
 もう二度と忘れない。繋いだままの手の温度と一緒に、小さな逃避行の最果てに待つ終焉を焼き付けているだろう。
 月に逝った彼女は、今だけはどこにもいない。
 はしゃぐようにして、少女が顔を輝かせるのを目に焼き付ける。一杯に伸びる背が、融解の毒を孕む雪を捉えるように手を伸ばす。
「わ、綺麗」
「それはよかった」
 その雪は冷たく感ぜられるだろうか。纏う夏服では寒いのだろうか。
 どちらでも――。
 君は、笑うのだろうけれど。
「あのへん、あまり雪が降らなかったからね」
「うん」
 灼ける世界の中心で、降り注ぐ雪を見上げていた眼差しが、ふと寧寿を見た。吐く息は白い。その白さも全て全て、心に縫い付けていく。
 君のヒーローになりたくて、なれなかったから――。
「見られて、よかった」
 ――伸ばされた手が融け出して、思い出の向こうで笑う君が消える。

大成功 🔵​🔵​🔵​

レン・ミルククォーツ

(火の海は見覚えがある
「天之尾羽張」の刃に刻まれた記憶が蘇る
燃える村、焼焦げ死に逝く人々
贄として嗷嗷焼かれ続けたママ
それを助けた侏儒のパパ

――巨大な水子の様な
羽化し損ねた蝉の様な"神様"
ママを苦しめていたそれが再臨し
火を放っていた)

『お前がもう一度同じ事をしたら
お前が世界を超えた何処にいようと必ず呪殺する』

(パパの言葉だ。覚えてる
ママも止めない。全部知ってる

だから

あたしは躊躇いなく
パパとママの喉笛を裂く)

……大丈夫だよ

例えどんなでも
例え何を想っても
あたしがどうなっても
最期まであたしは味方だよ

(成り損ないの蝉みたいな
"サンちゃん"の手を引く

父母を手にかけた刀の重さを
確かに感じながら)


サン・ミルククォーツ
この炎、焼かれのたうち回る生徒達
あまりに、あまりにも出来過ぎていると、かえって冷静になってしまう

これは、懐かしい匂い……でも違う。幻だ。
人間を薪にした時はもっと強い臭いがする。

……乳白色の髪の少女が火に食い付かれているのが見える
これも、懐かしい。でも幻だ。

幻の偽物……こんなものに構っている暇はない。
小窓の妖精で熱を受け流す。
お姉ちゃんは、先に教室に居るのかな?

本物のお姉ちゃんは、炎に巻かれたりはしない
でも、そっか……本物の私は
たとえ幻でもお姉ちゃんを助けたいと思う私は偽物じゃない
燃えるお姉ちゃんを抱き上げて教室へ連れて行きます

「偽物もどき」同士、仲良くやりましょう。
短い付き合いですけれどね




 ――見覚えがある。
 灼ける声も火の手も、それから逃げ惑う人々も置いて、レン・ミルククォーツ(あの夏の日の・f29425)が思い出したのは、いつかの日だった。
 いつか――。
 そう言ったとて、『彼女』の生の範疇ではない。
 手にした刃には記憶が刻まれている。『彼女』のものではない――或いは、彼女のものでもあるそれを、脳裏に呼び起こすのだ。
 それは学校ではなくて、村だった。今と同じように焼け焦げるにおいがして、泣き叫ぶ声がして、為す術なく炭となる人々がいた。逃げ惑う姿は、きっと人間が人間である限り、同じなのかもしれない――と思う。
 ――贄がいたのだ。
 嗷嗷焼かれ続けたのは、レンの母だ。苦しみ続ける彼女を救ったひどく小さな人影が、父だった。
 そうして。
 そうして――そこに、ひとではない影がある。
 なりそこなったものと言うのが、一番正しいのだろうか。蠢く姿は、まるで胎児のようにも見える。或いは羽化をし損ねた蝉か。
 おぞましいほどに巨大なそれは、“神様”だった。
 母を贄としたもの。ぐずぐずにとろけて、ひととも他の何かともつかない形をしたそれが再臨して、村に火を放って蠕動している。まるで泣いているように。何かを求めるように――。
「お前がもう一度同じ事をしたら、お前が世界を超えた何処にいようと必ず呪殺する」
 父の声だ。『レン』が聞いたことのない、恐ろしいほどの呪いが籠った声音。それなのに、彼女はそれをよく知っている。それを聞いた母は、少しだけ俯いて――けれど、父を決して止めようとはしないのも。
 覚えている。
 知っている。
 ――だから。
 振り抜いた天之尾羽張の刃は、躊躇なく『ふたり』の喉笛を裂いた。声もなく倒れ伏す両親の表情は驚愕に満ちていて、けれどそれもすぐに、他の骸と一緒に燃えて朽ちていく。
 それを見送って――。
「……大丈夫だよ」
 レンは、そこにいる“神様”に笑いかけた。
 抱き締めるように、その体に触れる。レンのちいさな手では抱えきれないそれは、それでもゆっくりと、手と思しき場所を伸ばすのだ。
 その仕草が愛おしい。躊躇なく握った手を引いて、レンは真っ直ぐに“妹”を見上げた。
 例え、どんなものであっても。
 例え、何を想っても。
 ――レンがどうなったとしても。
「最期まであたしは味方だよ」
 歩き出した手にある刃が、ひどく重い。父母の血を吸った白銀を確かに握り込む。
 そうしたとしても。
 そうだったとしても。
 レンは――レンの一番大切なものは、彼女なのだから――。


 出来すぎている。
 酸鼻な光景も、あまりにも鮮明だとかえって心は平静に近付くのだと、サン・ミルククォーツ(燃える太陽の影・f29423)は知った。
 のたうち回る生徒たちの悲鳴が響いている。駆け抜けていく彼らも長くは持たないだろう。火が回るのは人間たちが想定するよりずっと早い。そのうちに炭と灰へ変わって、物言わぬ骸として消えていくのだろう。
 その最中に立って、サンの心を揺らしていたのは、何よりも強い郷愁と懐古だった。
 懐かしい――。
 木材の焼け朽ちていく匂い。いつか温度を求めて村を灼いたときと同じ。轟々と盛る火の熱気も、煌めく赤い光も、全てがあのときとよく似ている。
 けれど知っているからこそ、彼女はこれが幻影であることを強く認識する。
 人間は燃えるとき、もっと強くてひどい匂いがする。それに比べて、炭化していく力尽きた生徒たちからは、炎と煙以外の何も立ち上らない。
 だから、サンが気を取られることはなかった。
 ――たとえ、見覚えのある乳白色の髪をした少女が、今まさに炎に呑まれているのだとしても。
 幻だ。偽物だ。姉と離れてしまった以上、構っている暇などない。言い聞かせるまでもなく、それを知っている。氷よりも冷たくなった体で盛る熱を受け流し、彼女自身にも絡みついてくる火の手を遠ざけながら、サンはそっと踵を返そうとした。
 姉は――。
 先に教室に辿り着いているだろうか。
 だとしたら尚更急がねばなるまい。ここで探し続けるよりは、そちらで合流した方が得策だろう。
 だけれど――どうしてか、サンの足はそれを拒むように動きを止める。理由にすぐに思い当たらなくて、彼女は僅かに首を傾いだ。
 そうして少しだけ、燃える姉を前に立ち尽くして――。
 ふと、心の裡にある抵抗の理由に思い当たる。掬い上げたそれの重みを確かめて、彼女は目を伏せた。
 ――本物の姉が、火に巻かれて燃えているはずがない。
 けれど、今ここにいる『本物のサン』は、たとえ幻だったとしても、彼女を救いたいと思っているのだ。
 伸ばした手で、火に侵される姉を抱き締める。父に似てずっと小さなその体は、妹の腕に抵抗することもなく、簡単に持ち上がった。
 そうしてようやく、サンの足は自由に動くようになる。腕に感じる重みの分だけ、軽くなった体に、少しだけ――『本物の姉』には見せられないような顔で、嗤う。
「『偽物もどき』同士、仲良くやりましょう」
 短い付き合いですけれどね――。
 ゆっくりと、しかし確かに廊下を進んだ足が、迷いなく扉に手をかけて――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

栗花落・くだち
○大切な人に心当たりはありません
綺麗だ
炎 炎 炎
燃えちゃえ 燃えちゃえ
炎は綺麗 炎はとっても綺麗
ずっとここにいたいな 綺麗だな

はじめまして。
わたしは栗花落くだち
助けて?どうして?
はじめましてだよ?
死んじゃいそうだ
わたしは炎を眺めていたいな
大丈夫だよ
知らない人だけど大丈夫だよ
綺麗な炎だから大丈夫だよ
怖くない 大丈夫だよ

そろそろお腹が空いてきたなぁ
炎も飽きた
ごはんを食べに行こう
知らない人は立てるのかい?
立てるならごはんを食べに行こう
一緒に来てくれないなら知らない
おなか空いた おなか空いた
ごはんを食べよう
おまえはおいしい?




 燃えている。
 その光を眸に目一杯映す。これ以上ないほどあかあかと、眸の奥すら燃えるように。
 綺麗だ――。
 栗花落・くだち(maybe・f32550)の足が、火の手の中で軽やかにステップを踏んでいる。煌めく灰の眸に映る光景はどこまでも美しい。
 悲鳴も、逃げ惑ってくだちを払いのけていく人々すらも眼中にない。ただ、赤が綺麗なだけ。ずっとずっとここにいたいと思うくらい、その光に魅せられているだけ。
「燃えちゃえ、燃えちゃえ」
 幼気な声が火勢を強請って笑う。応じるように強くなる炎のいろに更に笑う。肌を撫でる焦げた匂いまでもが楽しくて、くだちの足は踊るように前へ往く。
 ふと――。
 声がした気がして、歌うに似た声は止んだ。
 振り返った先に、必死の形相で手を伸ばす少女たちがいる。咳き込んでいる彼女たちは、どうやらこの炎が好きではないらしい。
 だから、くだちはちゃんと挨拶をすることにした。
「はじめまして。わたしは栗花落くだち」
「そ、そんなの良いから、助けて!」
 ――心底不思議だと言うように、少女の首がこてんと傾ぐ。
「どうして? はじめましてだよ?」
 だから挨拶をした。そうしたらはじめましての挨拶が返ってこなくては。いつまで経っても、くだちの中の彼女たちは、知らない人のままだ。
「死んじゃいそうなの」
 確かに服はぼろぼろだ。体もそうだ。見える肌が焼けているから、きっと死んでしまいそうだろう。そう見える。
 けれど。
「わたしは炎を眺めていたいな」
「は――」
 絶句したような顔をする生徒に向けて、やはりくだちは笑うのだ。
「大丈夫だよ」
 落ち着けるのではなく。
「知らない人だけど大丈夫だよ」
 ただ無垢な笑顔で。
「綺麗な炎だから大丈夫だよ」
 呆然と立ち尽くす彼女たちを置いて。
「怖くない。大丈夫だよ」
 ――歌うように繰り返すのだ。
 そうしてくるくるとステップを踏んでいると、急に足から力が抜けるような気がした。お腹の奥がくうくうと痛んでいる。
 ああ。
 お腹が空いてしまった。
 世界は急に精彩を欠いた。思えばもう炎にも飽きてしまったし、そろそろご飯を食べに行きたい気分だ。
「知らない人は立てるのかい? 立てるならごはんを食べに行こう」
 差し伸べた手の先で、女生徒たちはもう動かない。燃える焔を背負って炭化していくけれど、もうくだちにとっては知らないことだ。
 一緒に来てくれないのだし。
 それよりもお腹が空いたのだ。早く美味しいものが食べたい。くるりと笑みを刷いて、躊躇いなく開く扉の先に向けて、くだちは笑った。
「――おまえはおいしい?」

大成功 🔵​🔵​🔵​

エコー・クラストフ
【BAD】
おーい、ハイドラ……ハイドラ?
おかしいな、どこに……って!? 何してるんだハイドラ!?

……ハイドラは別に、焼かれたとしても死ぬわけじゃない
だけど、火が消えない限り……死んで生き返ろうと、焼かれ苦しみ続けることになる
そんなことはさせない。もうちょっとだけ待っていて

【底知れぬ処の穴】。血の雨を降らせ
……ろくでもない水で悪いけど、これで消火させてもらうよ
まぁ、なんていうか……助けざるを得なかったんだよ。ハイドラがあんなふうに苦しんでるのを見たら、助けなきゃって思ってね
たとえ君が幻影だとしても
幻影を助けると悪影響が出る。だから君は見捨てて行けって言うだろうけど
見捨てはしない。気分が悪いからね


ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
――エコー?
はぐれた筈なのに――でも、エコーだ
いつもより血色のいい肌
普段のあいつの表情じゃない
――まだ、「生きてる」?

これは幻覚だってわかってるけど、俺は
もしお前が生きていたらって考えちまう
俺なんかと関わらなくて済んだだろうか
俺なんかに依存しなくて、海で悠々と穏やかに過ごせたんじゃないか
だからここで「助からない」なら
それが一番「あるべき幸せ」なのに
――その手を掴んでしまう

あ゛ァくそッッ!!知るか
生きていようが死んでいようが今だか昔だか仕事だか――
どうでもいい!あァどうでもいいね!!
俺の世界(じんせい)に、こいつが必要不可欠なんだよ!!
祟るなら祟ってみやがれ、祟り返してやるッッ!!




「おーい、ハイドラ」
 呼びかける声が火に呑まれて消えていく。なァにエコー――なんて、いつもならすぐに返る声も聞こえない。絶対に離すつもりはなかったし、絶対に見失うこともないと思っていた姿を探して、エコー・クラストフ(死海より・f27542)の眸が周囲を見遣った。
 元より彼女以外の人間にさしたる興味はない。肌を撫でる熱も死者の体には大したものとは感ぜられない。ただ、今さっきまで隣にいた彼女の行方を捜すだけだ。
「おかしいな、どこに……」
 熱気に巻き上げられる髪を払いながら、迷いなく足は前に行く。目的地は分かっているが、まずは彼女を探さねば――。
 ――ふと上げた眸の向こうで、探していた人影が火に呑まれるのを見る。
「何してるんだハイドラ!?」
 駆け寄ったちいさな体が燃えている。
 軋む動かぬ心臓は、その命が失われることに痛んでいるわけではない。彼女の不死性を知っている――このまま燃えたところで、彼女はまた生き返る。
 けれど。
 それは火が消えねば、永劫、燃える苦痛を味わい続けるということでもある。
 焼死は最も苦痛の大きな死に方なのだという。そんなものを味わわせ続ける気も、その命を無駄に落とさせる気もないから――。
「もうちょっとだけ待っていて」
 エコーのやるべきことは、最初から決まっていた。
 燃える天井から血の雨が降る。元よりこの場は地獄のようなものだ。書き換わるよりも先に炎が浸食して、ただ重く質量を保った雨だけが、二人の体を濡らす。
「……ろくでもない水で悪いけど、これで消火させてもらうよ」
 すっかり止んだ火の向こうに――。
 二色の虹彩を見た。瞬くそれはエコーを真っ直ぐに見据え、けれど動揺するように揺れている。
「どうして助けたんだよ。俺は死なないって分かってるはずだろ?」
 その質問も尤もだ。彼女ならばきっとそう言うのだろう。無限にある自分の命が助かったことよりも、いつだってエコーの方を心配するのだ。
 けれど――だからこそ、彼女はその手を離すことが出来ない。
「まぁ、なんていうか……助けざるを得なかったんだよ。ハイドラがあんなふうに苦しんでるのを見たら、助けなきゃって思ってね」
 ――続く台詞も分かっているから、先手を打つ。
「たとえ君が幻影だとしても」
 ばつが悪そうにするのを視界の端に捉えて、エコーは立ち上がる。その手をしっかりと掴んだままだから、彼女の幻影は慌てて声を紡ぐのだ。
 ――都合が悪いことを、動揺していることを、饒舌に隠す癖と同じように。
「見捨ててけよ、俺なんか。しかも幻覚だぜ。俺の毒とおんなじ。なあ、エコー――お前に悪いことがあるんだよ」
「そんなことしないよ」
 どれほど言葉を重ねられたところで、この手は離さない。声がするほどに強く握って、エコーは『3-C』の扉を睨んだ。
「――気分が悪いからね」


「――エコー?」
 はぐれたはずだ。
 ハイドラ・モリアーティ(冥海より・f19307)もまた、彼女を探していた。さて扉の向こうで合流するのとどちらが良いか――それを決めあぐね、悲鳴の合唱を聞き流しながら歩いていた最中である。
 探していた相手がそこにいて――。
 ――けれど、違和感を覚えて立ち止まる。
 死人である彼女は、いつだって青ざめた白い肌をしている。けれど目の前の彼女は、まるで生きている人間のように熱気に炙られていた。
 頬が赤く上気している。汗が滝のように流れるのを拭っている。喘ぐような呼吸で空気を求め、その表情すらもハイドラの知るそれとは違う。
 生きている――。
 それがまだ、ただの少女だった頃の彼女だと認識した刹那、助けようとした腕が軋む。足が動きを止めて、早鐘を打つ心臓と九つの脳が訴える。
 幻覚だ。
 でも。
 ――もしも、お前が生きてたら。
 ハイドラと関わり合いになることなどなかったのだろうか。邪神の性に毒されることも、依存することもなく、海上の船に揺られて悠々と過ごしていたのだろうか。
 だから。
 だから――もしもここで死ぬのなら。
 あの海に沈み損ねて、独り戻ってくることのない、ここで命を落とすなら――それがあるべき幸いで――。
「あ゛ァくそッッ!! 知るか!」
 思考の何もかもをかなぐり捨てて、足は先に動いていた。強く掴んだ腕が温かい。血の巡る感触がする。持ち上がった顔が、深海の色をした眸が、突如現れたハイドラに問いかけている。
 だれ――。
 どうでも良い。
 今も昔も仕事もあるべき幸せも成らなかった不幸も全部全部何もかも。
 たとえ彼女にとって、二度目の生が本当は不幸なのだとしても。二度目の生などない方が幸福だったのだとしても――。
「俺の世界(じんせい)に、こいつが必要不可欠なんだよ!!」
 神毒が咆える。蝙蝠の翼がはためく。手を強く握ったままはためくのだ。真っ直ぐに、『すくい』を目指して。
 それは本当に救いか。ただのエゴとの違いは何だ。押しつけるな。お前はお前で、あいつはあいつで、だからあいつは。
 ――うるせえよ。
「祟るなら祟ってみやがれ、祟り返してやるッッ!!」
 咆哮と共に宿った炎が、異彩の虹彩の裡で確かに揺らめいた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ティア・メル
全てが燃えてる
炎が、こんなに
あつい

―――ティア

聞こえるはずのない声
君は
ぼくを否定した
ぼくの

好きだった人

初めて恋をした
初めてほしいと思った

君が此処に居る訳がないのに
伸ばされた大きな手を拒めない
あの時ぼくを振り払った手なのに
いつも泣いて馬鹿じゃねえのってさ、
酷いことたくさん言われたのに
それでも熱いと喘ぐ君を見たら

今もなお好きな訳じゃあない
恋心はもうとうに失せてるけれど
これはヒトとして?猟兵として?
わかんないよ

肌が焼ける
痛い
肺腑まで鈍く痺れるかのよう

刹くん!
幻の君を引っ張り上げる
咳き込みながら歌って駆け抜けよう
花嵐で少しでも炎から身を守って
今だけは鈍臭い自分を封じる
足、動いて
嗚呼、鎖だらけの体が痛い


歌獣・藍
火は昔から好きじゃない
本当の親に捨てられた場所も
ねぇさまと囚われたあの時も
こんな火の海の中だった

そんなことを思いながら
教室へと歩みを進める

こえがきこえる
なつかしいこえ
わたしをよぶこえ
やさしいねぇさまのこえ

けれど
たすけをよぶこえは、しない。

……ねぇさま。
こんな時でも貴女は
私に助けを求めないのね
いいわ、だったらーー

そう言って火の中に入れば
火の海に捨てられていた私を
助けてくれたときのように
無理やり貴方の手を引いて
炎の檻から連れ出した

途中、強くなったんだね
と聞こえた気がして
口元を緩ませる

教室に入り
そうよ、私
少しだけ強くなったの。
ねぇ、褒めてくれる?
ねぇさま。

そう笑って
振り返った時にはーーー




 あつくてあつくて、体が溶けてしまいそうだ。
 急げば急ぐほど縺れる足を動かす。足許の瓦礫に躓かないよう、けれど炎に突っ込んでしまわないよう――周囲を見渡す梅湖の眸を揺らめかせながら、ティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)は熱く烟る息を吐き出した。
 悲鳴が耳に響いて頭が痛い。煙のにおいが肺を灼くようだ。流れる汗が止まらない。こんなところに来た覚えなんてないのに――それを思い出すことすら、火の弾ける音に隠れてしまいそうだ。
 けれど目指すべき場所は分かっている。汗を拭って、足に力を入れるように太股を叩く。扉に向けて歩き出そうとした耳に、幽かな声が届いて――。
「――ティア」
 ――うそだ。
 いるはずがない。早鐘を打つ心臓と同じリズムで、頭が痛みを刻む。体の芯が冷えるのは何故だろう。振り返ってしまうのは、どうして。
 足を止めてしまった。
 ――見てしまった。
 初めての恋を捧げたひと。初めてこの手にほしいと思ったひと。ただ蕩けるような、あまい飴細工のこころを描いて、分かち合いたくて――。
 それを全て、粉々に砕いていったひと。
 こんなところにいるわけがない。まして彼はあの日のままだ。ティアの心に傷を残したときのまま。あれから時間が経って、彼女が変わったのと同じくらい変わっているはずの姿さえ、記憶の中にあるままが映されている。
 伸びてくる手を、どうして拒めないのだろう。必死に焔から逃れる顔から、どうして目を背けられないのだろう。
 ――いつも泣いて、馬鹿じゃねえの。
 大きな手が、そうやってあの日ティアを振り払ったのに。やわらかな心を否定して、ぐちゃぐちゃに掻き壊したのに。沢山ぶつけられた刃のような言葉を、今だって覚えているのに――。
「ティア、熱い――熱いんだ」
 助けを求める彼の後ろで、瓦礫が崩落するのが見えた。きっとこのまま呑まれるのだろう。あの瓦礫の下敷きになってしまうのだろう。
 ――恋慕なんて、とうに失せた。
 辛い記憶は好意を薄れさせてしまうから、もう屈託なく好きだとすら言えない。それなのに。
「刹くん!」
 必死に声を上げて、崩落していく瓦礫の奥から、君の手を引いてしまう。
 人としての善意がそうしたのだろうか。猟兵としての使命感だったのだろうか。それとももっと、別の理由だったのだろうか。
 分からない。
 分からない――けれど。
 肺腑が軋む。肌が焼ける。体じゅうの水が蒸発して、息が荒くなる。吸い込むたびに喉が痛んで、咳が勝手に込み上げてくる。
 それでも、ティアは歌った。不安定な歌声が呼び起こす、朧な花嵐が二人を包んで、焔から守ってくれる。
 全速力で駆けた。もう転ばない。もうつっかえない。今だけは、愛される鈍くさい己を捨てて、ただ、あの教室へ向けて走る。
 ――足、動いて。
 鎖だらけの体が軋むように痛み続ける。呼吸すらもままならないまま、辿り着いた教室のドアを、ティアの腕が引き摺るように開いた。


 ――火はきらいだ。
 記憶に残る幸福な日々の前、本当の両親が背を向け去って行った場所もそうだった。あゐしてやまない姉と一緒に、逃げられないほどに疲れて追い詰められた場所もそうだった。
 歌獣・藍(歪んだ奇跡の白兎・f28958)の苦しみの記憶は、この火の海から始まっている。
 逃げ惑う声が耳を打つ。見回したそこで泣き叫ぶ人々までもが、あの日の再演のように現実味を帯びている。
 けれど――。
 いまは、しなくてはいけないことがあるから。
 教室へと向かう足取りに迷いはない。叫喚の中を進まんと踏み出した足許で、床が軋んだ音を立てた。
 ――あゐちゃん。
 不意に声がした気がして、その歩みが止まる。
 どれほどの悲鳴にも掻き消されない、懐かしい声。藍を呼び止めるそれは、記憶の底に鮮やかに残るものと同じ、優しくて柔らかな音。笑うようなそれは、いつでも明るい、藍の大好きな苺色の――。
「ねぇさま」
 わらっている。
 会えるかどうかも分からない、会って良いのかどうかも分からない、あゐする姉が。
 ひとつだって必死さは感じない。背後に迫る火なんてものともせずに、彼女は藍を見詰めている。最後にそうして手を振ったように、藍を見送ろうとしている。
 噫――。
「……ねぇさま」
 ――こんな時でも、貴女は私に助けを求めないのね。
「いいわ」
 浮かんだ表情は如何なるものだっただろう。自分でも分からない。ただ、この動きを止めた足は、先とは違う方向に向かって勝手に歩いていく。
 縋らない。泣かない。わらっている。自分の希望が妹の手で絶たれたときと同じ。自分が独り、ばけものと罵られたときと同じ。
「だったら――」
 火の海に身を投じることに、何の恐怖もなかった。
 その細い掌を強く掴む。あたたかな熱が脈打つ感覚を、もしかしたら姉も味わったのだろうか。
 あの日――火の中に捨てられていた藍の手を引いて、笑ったときに。
 無理矢理に引いた手を離すことはしなかった。火の檻の中を前に進んで、軋む肺腑に息を入れる間、後方の声が小さく笑った気がする。
 ――強くなったんだね。
 燃えるような熱さとは違う、心の奥を暖めるような熱の感触が込み上げる。唇が知らず緩んで、零す声がすこし弾んだ。
「そうよ、私、少しだけ強くなったの」
 あなたに会わない間――沢山のことを知った。
 だからもう――あなたに助けられるばかりの弱い妹ではない。
 教室に入れば、熱気はすぐに遠ざかる。それと同時に揺らいだ気配に、藍は気付かない。
「ねぇ、褒めてくれる?」
 手の感触が希薄だ。もう、自分の温もりなのかどうかも分からない。
「――ねぇさま」
 穏やかな顔で振り返ったときには、もう――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ブラミエ・トゥカーズ
○◇
余から生まれた幻とはいえ、部外者に殺される様は
不快であるな。故に燃える前に消してやろう。

大切な人:
過去において吸血鬼ブラミエを退治した東西問わない幾多の人々。
1章のUDC職員の少年時代も含まれる。
彼等は人を護るために吸血鬼を退治した。
自身の命を顧みず。

いやはや、懐かしいな。
余を退治するために建物を焼いたのは誰であったかな

追いかけて来るが良い。
吸血鬼がにげるぞ。
愛しき怨敵共。

【POW】
3-Cに幻を挑発して向かう。
瓦礫等を力ずくで破壊してゆく。
縋りついた人は3-Cに向けて投げ入れる。

恐れも幻。
これでは腹が膨れぬし、不愉快極まりないな。
それに、幻如きに退治されてやる義理もないわけであるしな。




 己が裡より染み出でた幻影に過ぎぬと知りながら、他者の手で葬られるのは業腹だ。
 眉根を顰めたブラミエ・トゥカーズ(”妖怪”ヴァンパイア・f27968)は、頬を撫でる熱気に息を吐いた。『吸血鬼』なる身に光は大敵だが、幻惑の焔如きで易々灼ける体はしていない。
 ならば為すべきは一つ。
 ――炎に攫われるより前に、全て消してやるだけのこと。
 日傘を持つ者も知らぬうちに消えている。燃える窓から陽光が差し込まぬのを良いことに、そのまま歩き出した彼女の眼前に、立ち塞がる者たちがあった。
 白い肌が目立つのは、その逸話が西洋に多く残るからだろうか。黄色や褐色をした肌がその中に混ざっている。彼らはどれも随分と現代に近い服装で――白肌の者たちは、それよりずっと旧い格好をしている。
 その全てが、ブラミエに殺気を向けていた。肌を撫でる熱も、身を灼く炎もものともせずに、各々あらゆる時代の武器を握って睨んでいる。その中には、先程まで道中を共にしていたエージェントの、まだ小さかった頃の姿も混ざっている。
 恐るべき吸血鬼――。
 その概念が結ぶ像がブラミエなればこそ、彼女はそのさまにゆるやかに目を細めた。
「いやはや、懐かしいな。余を退治するために建物を焼いたのは誰であったかな」
 その顔のどれもに見覚えがある。吸血鬼を、人類の敵を滅ぼすために、正義を背負って命を省みずに彼女を討たんとした者共。
 全てが愛おしい。愛おしい――故に。
「追いかけて来るが良い」
 炎を背にして、ブラミエは両腕を広げた。うつくしい唇を吊り上げ、その狭間から覗く牙に光を反射して、伝承の化け物は嗤う。
 ――まるで、己が邪悪さを際立たせるかの如く。
「吸血鬼がにげるぞ、愛しき怨敵共」
 鬨の声が上がる。一斉に走り出す嘗ての正義に背を向けて、彼女の足は灼けた廊下を蹴った。
 崩落した天井が行く手を阻めば、全て拳で打ち砕く。人々の伝う恐ろしき吸血鬼の力は些か品がないが、今ばかりは役にも立とう。
 炎に恐れを為して、ブラミエに助けを乞う腕があれば、全て抱え上げて放り投げた。『3-C』の扉の付近に転がれば、後は彼女が辿り着いてそれを開いてやれば良いだけだ。
 格好の餌場であるはずのこの場が、どうにも苛立たしくて仕方がない。編み出される恐れすら、幻惑の描く影が結ぶものであれば、舌を楽しませるどころか腹も膨れぬ無味乾燥なものにしかなり得ない。
「――不愉快極まりないな」
 迷いなく扉を開く。一斉に転がり込んで消えていく生徒たちの間を、ブラミエの体がするりと縫う。
 背を追いかけてきた幻の刃もまた――彼女を捉うより先に、掻き消える。
「幻如きに退治されてやる義理もないわけであるしな」
 歌うように紡いで、その足は迷いなく、よく磨かれた教室の床を踏んだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シャト・フランチェスカ
きみの招いた炎じゃないかと錯覚した

艶めく紅玉の髪は『ひと』の頃のまま
ミュリエル、きみは夢を叶えて
先生になっていたんだね

「貴女も早く逃げなさい!」
叫ぶ烈火の瞳が僕を見た
突っ立っていたら、手を掴まれる
どうして僕を逃がそうとするのさ
ミュリエル、先に逃げてよ
きみは、みんなの先生なんだから

「どうして、私の名前を?」
答えを持たない僕は
先にいってごめんね、と目を伏せる
また逢おうね、先生

いつかの『シャト』が言えなかったこと
先に逝ってごめん
なのにまた『あたし』は
あなたを置いて先に往くのね

詩情/私情を押し付けた非業の乙女は
もどかしげな顔をする
僕が何者なのかわからないのが
罪であるみたいに

ほんとは一緒に
灰になりたいよ




 紅玉の髪がそこに靡いていることに、いやに納得した。
 ――まるで、きみが招いたみたいな炎だな。
 轟々とどろく悲鳴の最中で、シャト・フランチェスカ(侘桜のハイパーグラフィア・f24181)は立ち尽くしている。薄紅を孕んだ紫紺の眸に、焔よりも赤々と翻る髪を見据えている。
 ――ミュリエル。
 『ひと』だった頃に目指した夢を叶えて、彼女は教師になっていたのだ。忘れもしない、その気の強い眼差しに、情熱を灯したままで。
「貴女も早く逃げなさい!」
 烈火の橙がシャトを捉えて、鋭い声が飛んでくる。それでもぼうっと立ち止まっていれば、余裕のない仕草が強く手を掴んだ。
 暖かい――。
 『ひと』の温度がする。
 揺らいだ眸に浮かべた憂いを隠すようにして、シャトの長い睫毛が震えた。曖昧な笑みを描いた口許を見られぬように、けれどこの顔を隠してしまいきることも出来なくて、中途半端に俯いたまま。
「ミュリエル、先に逃げてよ」
 ――どうして、僕を逃がそうとするのさ。
「きみは、みんなの先生なんだから」
 虚を突かれたように、橙色の双眸が見開かれた。見たこともない女に突然名を呼ばれた『ひと』を見映せば、シャトの背にのしかかる何かが重くなった気がする。
「どうして、私の名前を?」
 答えられない。
 答えを持たないと言う方が、正しい。
 だから。
「――先にいってごめんね」
 今度こそ完全に伏せた眼差しには、燃える焔に照らされる廊下だけが映る。
 ああ。
 ――さよならにさえ言い訳を欲するのだな。
「また逢おうね、先生」
 『シャト』の言えなかった言葉を、その贋作が口にする。懺悔と慙愧の狭間に取り残されて、先に逝ってごめん――と、その台詞だけが宙に浮く。
 それのみに飽き足らず――。
 ――また、『あたし』はあなたを置いて先に往くのね。
 するりと解けた腕の向こう、詩情と私情を押し付けた非業の乙女の描く『もしも』が顔を歪める。迫り来る焔の裡で、その腕がシャトと彼女の間に宙吊りになって、ゆらゆらと覚束なげに漂った。
 ひどくもどかしげな顔をして――けれど、留め置く言葉も見付からないのだろうか。身を灼き肺腑を軋ませる烈火の如く、意志を宿すのが彼女の橙色なのに、それすら僅かに揺らぐのだ。
 眉を顰めて、眉尻を下げて、唇を引き結んで。
 言葉を探すような間にも踵を返す、目の前の『彼女』が誰なのか――。
 答えが見付けられないことを、罪過と為すかのような顔で。
 だから、シャトは踵を返す。その腕がこの身を捉う前に。その唇が誰かの名前を紡ぐ前に。
 ――ほんとは。
 ――一緒に灰になりたいよ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

六道・橘

燃え焦げる描写等お任せ

「良かった、■は無事で…」
兄は穏やかに笑い自分の命を諦める
生きる渇望が、淡い

己に欲がないから相手のそれを無制限に流し込み叶える
そして好かれる
兄の唯一の欲求は
弟の俺を幸せにするという妄執の愛
集めた信奉、他人は手段
―何より欲に塗れた矛盾の存在

本能的に畏怖を抱き兄から離れようとした
…虚ろな己に怯えていた兄を救えなかった

燃えさかる兄を抱きしめる
大丈夫と子供をあやすように背を叩く
あなたはわたしを焼きたくないから離れようとするでしょう
でも離さない
今なら言える
あなたはひどく歪な人ね
でも己を愛せぬ劣等感の塊な俺を愛してくれた
ありがとう

現在は何処にもいないあなたへ
もう手遅れな親愛と救済を




 崩落した瓦礫から庇われて、己の身に起きたことを知る。
 振り返った先で、兄が燃えていた。背を掠めた瓦礫からもらった焔が、その身を灼いている。
 ――崩れ落ちる穏やかな表情を、六道・橘(■害者・f22796)はよく知っていた。
「良かった、■は無事で…」
 そうやって、いつでも簡単に己の命ですら諦めてしまう。笑う顔は、生きながらにして灼かれる地獄のような苦しみの最中にあっても、決して歪んだりはしない。
 生きる渇望が――。
 否。
 渇望と呼ぶべき全てが、ひどく淡い。
 およそ世俗的な人間の懐く、欲と呼ばれるものを知らないのだ。己の分がないから、他人のそれを幾らだって肯定出来る。
 欲を――。
 無制限に叶え続けられた人間は、緩やかに破滅していく。全てを肯定してくれる兄に依存し、全てを叶えてくれる兄を好いて、全てを兄に預ける。
 叶えれば叶えるだけ、その手には数多の信奉者が救いを求めた。まるで聖人君子のように崇め奉られた彼が懐いた渇望を、けれど橘だけがよくと知っている。
 ――弟を幸福にすること。
 いっそ妄執とでも呼ぶべき愛情だった。それを叶えるためならば、彼は何でもしたのだろう。少なくとも、その愛を受け取る『弟』は、その重みを無意識に強く感じていた。
 兄にとって、集う全てはただの手段に過ぎなかったのだ。
 ただ、橘を――『弟』の幸いを導くという、飽くなき欲を叶えるための。
 それが怖かった。
 橘に出来ることは、ただ彼から離れることだけだった。本能的な畏怖。絶対の味方であるはずの彼が恐ろしくてならない。その笑みの奥にある、何かひどく畏れるべき感覚だけを刻まれて、その手を離そうとした。
 ――気付かなかった。
 虚ろな己に怯え続けた兄に。その震える小さな背に。救うことはおろか、ただ抱き締めてやることすら叶わなかった。
 だから――。
「大丈夫」
 そっと抱き締めた灼ける体に、零した声は穏やかだった。弱々しく、けれど必死に抵抗するのは、きっとこの火を橘に分かちたくないからだろう。
 けれど――決して離したりはしない。
 そっと、落ち着けるように優しく背を叩いた。まるで幼子にするかのようなその仕草をも、もう表情すら焔に覆われてしまった兄は、体を震わせて振り払おうとする。
「あなたはひどく歪な人ね」
 それに気付かなかった。守れなかった。守るべきだということさえ、知らなかった。けれどもう、知ったから。
「でも、己を愛せぬ劣等感の塊な俺を愛してくれた」
 今なら言える。
 きっと――何にも纏わぬ声で。
「――ありがとう」
 もう、あなたはどこにもいないけれど。
 肌を焼く熱を感じながら、親愛と救済の掌を強く重ねて、橘は笑った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

大町・詩乃
生徒、神職の大町家の人々、その祖先の巫女にしてアシカビヒメとして祀られていた自分を人の世に連れ出してくれた大切な友だちにして名付け親の幻影。
大町家の人々は焼かれつつも生徒を助けようとし、友だちは解決の為に『3-C』を指差して『行け』と指示。

激おこです、プンプン丸です。
これを放っておける訳ないじゃないですか!

UDCからの影響?そんなのどうでもいい。
人の世には色々あって、神が介入し過ぎるのは良くないと自制してます。
でも猟兵仕事やヒーローとして動く時は、自分の欲望(想い)の儘に動く!

軽めの衝撃波で炎だけ吹き飛ばし、念動力と自分の身体を使って、可能な限り多くの人の幻影を捕捉して『3-C』に連れて行く。




 叫喚の渦の中に、沢山の人たちが見える。
 アシカビヒメと呼ばれる大町・詩乃(春風駘蕩・f17458)が知る全てが――そして、知らないはずの全てがそこにある。
 火に巻かれて逃げ惑う生徒たち。彼らを助けようと果敢に炎へ飛び込んでいく、己を祀る神職――大町家の人々。そして。
 ――詩乃に、この名前をくれたひと。
 もうとうにいなくなってしまったけれど、この身を今も世話し祀る人々たちの祖先にあたる巫女だった。大切な友人。巫女服を煤と灰で汚しながらも、滝のような汗を拭って、指示を出すように叫んでいる。
 幻影だと分かっていても、そこにある質量は本物の彼らのようだった。鋭い声、伸ばされる火傷だらけの手、それに思わず走り出そうとする詩乃を咎める、大事な友達の眼差し――。
 ――行けというのだろう。
 人を助けることは出来ても、彼らは解決することが出来ないから。その力を持つ彼女はここで救助をしている場合ではないと言うのだろう。状況を打開するために、背を向けて走れと――。
「――激おこです、プンプン丸です」
 それでも、詩乃は眉間に皺を寄せて、叫ぶのだ。
「これを放っておける訳ないじゃないですか!」
 たとえ彼らがどれほどそれを望んだって。たとえこの後、どれほどの苦痛がこの身を襲うことになったって。
 今、こうして苦しむ人々を――それを救わんと手を差し伸べる人々を、放って走ることなど出来ない。
 人の世には様々な事態があるということを、詩乃は知っている。彼らからすれば万能で、ずっと力のある神が、それに不必要に介入してはならないことも。不平等ではならないから、ひとりを救えば全員を救わねばならなくなる。そうして救われた人間たちが溢れてしまったら、今度は神なくして生きられない世界が出来てしまう。
 それは詩乃の望むところではない。
 決して、崇め奉られたいわけではない。人に交わる神として、穏やかな暮らしを生きていたいだけだ。
 けれど――。
 『救う』ためにあるときの彼女は、そんな自制をかなぐり捨てる。猟兵として、ヒーローとして、目の前の苦しみから目を逸らすことは出来ない。
 きっと最後まで残りたがるだろう友人の手を引いて、放った衝撃波が迫る火勢を吹き飛ばす。飛んでくる小さな瓦礫から人々を守り、驚いたような顔の巫女と目を合わせて、いつかそうしたように笑うのだ。
「皆さん! こっちです!」
 動けぬ者は浮かび上がらせる。走れる者には加護を。目に映る全ての人々の体を支えながら、確かに友の手を取って、詩乃は教室の扉を開いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

宵雛花・十雉
【蛇十雉】

なつめがいない
大丈夫かな…
ううん、なつめならきっと大丈夫
信じるんだ
オレだって1人でも…

代わりに炎の中に見つけたのは
お母さんと6人の弟妹達
変わらない
10年近く会ってないのに
全部あの頃のまま

心臓が大きく跳ねた
皆一ヶ所に固まって蹲って
母親が励ましてる
オレが声をかけたら嫌な思いをさせてしまうだろうか
それにあれはきっと幻だ

それでも
もしそうだとしても置いてなんて行けない
オレがお父さんの代わりに家族を守らないといけないんだから

皆ついて来て…!
はぐれないように
こっちだよ
幼い3歳の弟と5歳の妹はオレが抱えて
皆を出口へ誘導する

やっと教室に辿り着いた時
そこにいる2人は
独りになったオレをどんな顔で見るのかな


唄夜舞・なつめ
【蛇十雉】
…ときじ…?はぐれたのか?

一瞬不安になるも首を振り
きっとアイツなら大丈夫
そう信じてる。と、前を向く

向かう先は目の前の教室
ただ、それだけ。
見える物全ては偽物だ
苺目の黒兎も両親も
だから、そこへ向かうだけ。

それだけだったのに

兄貴?

――今、聞き覚えのある声がした。

記憶をなくしてから忘れていた
弟の声が聞こえた
この声だけは無視できなかった
俺が助けられなかった弟の、声

兄貴助けて
嫌や、死にたくない
俺はまだ彼女を幸せに出来てへん…!
そう繰り返す声が
助けを求める声が
あの日と重なる

救えずずっと後悔していた事
俺に弟がいた記憶がーー蘇る。

気付けば無意識に手を差し伸べていた
あの日救えなかった事を償うかのように




 気付けば独りになっている。
 火の手は己を灼かない。迫り来る熱気と、揺らぐ蜃気楼ばかりがいやに現実味を帯びていて、叫び声が耳を劈く。
 けれど、宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)の心に浮かぶのは、不安や恐怖より先に心配だった。
「大丈夫かな……」
 ひどい顔をしていた蛇目を思い返す。心を揺らされて、独りになって――それがどれほどに心細いことか、十雉はよくと知っている。
 ――振り払うように、首を横に振った。今は心配をしている場合ではない。彼もまたここを越えると信じて、先に進まなくては。
 それに――。
 彼が相棒だと呼んでくれた己だって、ここは独りで行かねばなるまい。
 強く拳を握って、十雉の足は軋む廊下を踏む。まずはあの、一つだけ無事らしい教室に向かわねばならないだろう。つい巡りそうになる視線を律し、奮い立たせる心で進む彼の耳に、不意に届く泣き声がある。
 ――小さな子供のそれを、よく知っている。
 泣きじゃくる小さな子供たちを抱きかかえて、火の手から守るように背中を晒す女性がいる。細腕で六人分の体を抱えきれるはずもないのに、逃れる先のない熱気から彼らを庇う――。
「お母さん――」
 零れた声が震えていて、心臓がひどく不規則に跳ねていることに気付く。強く優しい声が弟妹たちを励ましている。それすら、ひとつだってあの頃と変わらない。もう十年近く、顔を合わせることすらも出来ていないのに。
 走り出しそうになった足が軋む。僅かな躊躇が手を震わせる。
 あれはきっと幻だ。けれど幻だったとして、ここに父がいれば、皆を守ってくれただろう。先導して、すぐに逃げられたのに違いないのに、その父を奪った十雉が声を掛けて良いのだろうか。幾ら状況が切迫していても――嫌な思いをさせてしまうのではないだろうか。
 ――それでも。
 父の代わりに家族を守るのも、十雉なのだから。
 伏せた橙灯の眸に、強く意志を宿して開く。今度こそ躊躇なく駆け出して、その背に向けて叫んだ。
「皆、ついて来て……!」
 驚いたような顔で、家族がこちらを見た。どうしてここに――と言いたげな眼差したちに、確かな安堵が見て取れれば、肩に入った力が抜けた。
 五歳の妹は片手で抱え上げられる。三歳の弟の体はそれより軽い。立って走れる五人の前に立って、火勢に負けぬように声を上げる。
「こっちだよ。はぐれないように気を付けて」
 振り返りながら、腕の中の温もりに声を掛けながら。誰一人喪われぬことを願って駆け抜けた先の扉を見る。
 妹を下ろして、勢いよく開いた扉の先。
 二人の少女の静かな視線が、たった独り、立ち尽くす十雉を見る――。


「……ときじ……?」
 零した名前が炎に呑まれる。轟々と燃えさかるそれらの向こうに、探す白い髪は見付かりそうにない。
 先まで隣にいたはずの身が見えないことに、唄夜舞・なつめ(夏の忘霊・f28619)の眉が強く顰められる。はぐれたか――と思えば、些か幼く柔らかなこころの懐く苦痛に、僅か蛇目が揺らいだ。
 ――否。
 もう大丈夫だと、今さっきにも味わったばかりだろう。
 首を軽く横に振って、嫌な想像を追い払う。なつめが必死に探さずとも大丈夫だ。彼はもう、なつめが思うよりもずっと、強くなっている。
 そう信じている。
 だから、歩き出した足に惑いはない。揺らぐ蜃気楼の中に何が見えようとも。両親が火の手に巻かれているのも、苺色の目をした黒兎が誰かに手を差し伸べているのも、全て――全て、払っていける。
 ただの幻だ。こんなものを見せられたところで、なつめが為すべきことは変わらない。あのただひとつ無事な教室の扉を開いて、この焦げ臭いにおいから脱するだけ。
「――兄貴?」
 それだけだったのに。
 足が軋む。喉が震える。息がうまく吐けない。聞こえた幽かな声が命を失いかけていることを、よく知っているから。
 擦り切れた記憶の奥から、あの日が強く強く湧き上がる。脳髄を揺さぶるような痛みで天地が揺れた。
 幻だ。
 知っている。
 知っているのに。
 足が動かない。振り返ってしまう。その先にある表情も、姿も、見たくなどないと分かっているのに。
「兄貴、助けて」
 火勢を強める炎を背負って――そこに、弟がいる。
 助けたかった。助けられなかった。命の灯火が喪われていく光景を知っている。見たことがある。力を失っていく声も、譫言のように繰り返す言葉も、その表情を染め上げる深い悔悟も。
 あの日と同じだと、思い出してしまう。
「嫌や、死にたくない」
 ――なつめは動けない。
 背を向けるべきだと警鐘を鳴らす心に、抗いがたく根ざした感情が足を縫い付ける。凍り付いて冷えていく体とは裏腹に、心臓だけがひどく暴れている。
「俺はまだ――彼女を幸せに出来てへん……!」
 ――その、泣きそうに震える声に。
 気付けば手が伸びていた。温もりをしかと掴んでしまったら、もう離せない。力いっぱい引き寄せたその体を支えながら、なつめは火の手を切り拓く。救えなかった日を償うように、あの日のやり直しを乞うように、その足が二人分の体重を支えて前を行く。
 吐く息が熱い。灼ける喉が痛い。それでも、『生きた』弟の体を、離して進むことが出来ない。
 それなのに。
 なつめは幾度も『やり直させられて』いるのに――。
 現実は、都合の良いやり直しだけは、させてくれない。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

クロト・ラトキエ


記憶のはじまりも
幾多の戦場も
変わらない
視界も熱も、其処に遣られたひとの有り様も
…只
焼ける臭いの種類が、少し足りない気もする

生徒を避け合間を縫い
教室への歩みは止まらない
慣れた光景
時に、己で作り出して来た其れなのだから
呻きや怨嗟を聞き流し
助けを乞う手を払う
そういうのは真っ当な相手へ、と
行先は判っている
何と迷うべくも無い歩みか

…視得た、君が
どんな苦痛の中でも
自身より他者を優先する君が
あまりに君である程
本物なのではと思える程
…俺は『君の願いを優先する』し
択んだからには――

幻が真に迫る程
燃える周囲より、裡の凍れる焔に薪を焚べる

…驕るなと、もう言った

扉を開け告げるは
『りっちゃん』
みよが、あんたを待ってる




 この身のはじまりもまた、火の海の中にあった。
 幾多駆け抜けてきた戦場の香りと同じだ。硝煙の鉄臭さはここにはないが、炎の踊るさまは見慣れたそれと変わりない。
 烟る視界が蜃気楼に揺らぐ。肌を撫でる熱に汗が浮かぶのは生理現象だ。泣き叫ぶ声も、倒れた人々の末路も、よくと知っている。些かにおいが足りないとすら思うほどに。
 クロト・ラトキエ(TTX・f00472)の足は前に行く。走る生徒らの間をすり抜けるなど容易なこと。瓦礫を越えるのも、それでも目的地の方向から視線を逸らさぬのも。幾多の戦場を渡り歩き――或いはその火種を焼べてきた男にとって、この程度の光景は日常茶飯事だ。
 死にかけた生徒の横を悠々と歩き行く。友人を助けてくれと縋る手に捕まることもない。焼け爛れた半身に泣きながら蹲る娘など、これが幻影でなくとも助かりはしないだろう。恨み節など聞き慣れたものならば、受け流すに労など要らない。
 行く先が分かっているのなら――。
 ただ、クロトは歩いていくだけで良い。いつもそうしているのと同じように。
 たとえ――視得た陽のいろが、二藍の眸が、見知らぬ誰かを庇って火に巻かれようとしていても。
 いっそ深く納得する。どれほどの苦痛の中でも、彼はそうするだろうと知っているからだ。あまりにも簡単に自分の命を差し出す。見も知らぬ、彼に感謝を捧げるかも分からぬ誰かのために、その身を笑って滅ぼそうとする。
 それが。
 ――あまりにも、本物のようだから。
 走って行く背から目を逸らす。僅かに揺れた視線を己が手に遣ったのは、何も躊躇したからではない。この心の獣らしさを、再び識るからだ。
 叶えるならば、彼の願いを。
 だから、止めはしない。生きてくれとも、共に征こうとも――言わない。ここで照らし続けて燃え尽きても構わないと、他ならぬ『彼』が決めたのならば。
 これが幻でなかったのだとしても、クロトはきっと、同じ選択をする。
 そうして、択んだのならば――。
 握り締めた拳に目を上げる。周囲の熱気が高まるほどに、『彼』を呑まんとする火勢が盛るほどに、心の裡に飼う凍てる焔が薪を得る。
 ――驕るなと、もう言った。
 迷いのない足取りは、今度こそ教室の扉に手をかけた。何らの抵抗もなく、易々と開いた扉の向こう、仮初めの安寧を得た二人の少女が同時にこちらを見る。
「『りっちゃん』」
 呼んだ声は――人の面を被るときのそれより、ずっと低く。
「みよが、あんたを待ってる」
 強張った体でクロトを見詰めていた少女の一人が、息を呑んだ気配だけがした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴木・蜜
私の名を呼ぶ声がした

艶やかな蛸足が
灼熱の紅の中を揺らめいて
焔に包まれていく
私をじっと見ている

……、
これはゆめまぼろしで
目の前の彼も、そう
私の見ている幻覚に過ぎない

頭では分かっているのに
振り切るべきなのに
身体が動かない

貴方は絶対に喪いたくない
喪いたくない!

そんな私の前で
彼は平然と立っていて
間違いなく熱が体を苛んでいるのに
助けを求める言葉は無い

私の伸ばした手を見て
彼が視線を切る
ただ、往けと言うように

ああ
貴方はそういう人だった
いつだって
迷う私の背中を押してくれて

改めて踵を返す
私は、そう 人々を救いたい
現実の彼に怒られてしまいますから
幻を置いて教室へ

でも、どうか
現実では私に助けさせてほしい




 名を呼ばれて、振り向いた。
 気付けばひどく熱い。身を撫でる灼熱に、ようやく保った人のかたちがまた揺らぎそうだ。
 かろうじて引き留めた均衡の中に、この声を投じられてしまえば――。
 冴木・蜜(天賦の薬・f15222)の指先が、また少しだけ融け始めてしまう。
 立っているのは、声に紐つけられた容姿と寸分たがわぬままの『彼』だった。ひとのかたちをした怪物。艶やかな蛸足が、ぬたりと身の一部となって揺らめいている。
 焔が。
 迫る赤が、彼を呑もうと忍び寄っているというのに、その身は決して動かぬままだ。
 分かっている。これは幻影であって、現実ではないのだ。どれほどに質量を持っていても、どれほどに鮮明でも――その表情が、見慣れた彼のものと少しもたがわずとも。だから蜜が為すべきは、ここでこうして見詰め合っていることではない。
 理解している。
 ――理解は、しているのに。
 足が軋んで動かない。冷静な部分が先を急かすのに、何かひどく燃え滾るような心地が、頭の中を掻き乱していく。
 振り切るべきだ。
 ――それだけのことが、出来ない。
「貴方を――」
 零した声と同時に、唇を黒が伝った。泣きそうに歪む紫の眸に、蜃気楼のように揺らめく空気が見える。
 このままではいけない。彼がいなくなってしまう。駆け巡る最悪が現実となろうとしていることに、心が耐えられない。
 絶対に、喪いたくない――。
 呼吸の乱れる蜜を見遣りながら、『彼』はひとつも揺らがない。熱がその身を奪おうとしているのに。命までもを侵そうとしているのに。
 ――助けの一つも、求めようとはしないのだ。
 それが余計に、蜜の胸に迫った。震える手が無意識に伸びる。視界に映っているはずの己の手に、現実感すら遠い。
 強く強く――。
 伸ばされた手を一瞥して、『彼』は一瞬だけ、蜜の眸を見据えた。
 分かりやすく外された視線の意味が分かってしまう。分かってしまうから、届きそうだった手が止まる。
 ――往け。
 肩の力が抜けた。ようやく冷静になった頭が回転を始める。今為すべきことが何なのかを思い出した足が、心の束縛を逃れて軽くなる。
 そうだ。
 そういう人だったとも、思い出した。手を差し伸べるのが怖くて、けれど切り捨てることも出来ないまま、惑い続ける蜜の背をそっと押すひと。
 だから。
 ――ここで彼を助けたら、きっと現実の彼に怒られる。
 今度こそ惑うことなく踵を返した。進む足は軋まない。蜜が救いたいのは、人々だから。
 それでも。
 教室の扉にかけた手が僅かに止まる。吐いた息と共に前を向いて、この心に刺さる僅かな棘に語りかける。
 ――現実では、どうか。
 この手を届かせることを、許して欲しい。

大成功 🔵​🔵​🔵​

マオ・ブロークン


……炎の、中に。知ってる、忘れた、ことない、顔が。あった。
死ぬまで、毎日、想ってた……死んでから、ずうっと、恨んで、る。
あたし、の……大切、だった、ひと、が。

……すぐに、でも。ころし、たい、くらい
恨んで、いた。はず、なのに。炎、見て、竦んだ。
だって、たすけて、あげ、ないと……死んじゃう!

……近づいた、炎の、中。かれの、向こう。
倒れてる、人が、見えた。幾人も。いくつも。
……それで、分かった。本当の、大切なひと、たち。
かれに、……だれかに。殺された。恨みを、抱えた、死者たち。

そう。あたしは、恨みを……果たす。
ごめん、ね。

(※文中触れた人々は決まった人物像を想定していません、ご自由に描写下さい)




 その顔を忘れたことなんて、ひとときもない。
 炎を背負って、彼の姿がある。生前であれば高鳴る鼓動と紅潮する肌を懐いただろうマオ・ブロークン(涙の海に沈む・f24917)は、今は昏い怨嗟の焔を死んだ体に宿すばかりだった。
 ――そのはずだった。
 大切だった人。あの日に全てを裏切られて、こんなことになってしまうまで、ずっと焦がれて来た人。全ての想いを殺して継ぎ接ぎにして、永劫止まらないマオの悲哀を生んだ人――。
 恋が叶わなくて泣く未来を奪って、永遠にした人。
 出会うときが来たのなら、すぐにでも命を奪ってやりたいとすら思っていた。マオの味わった苦しみの片鱗でも、その身に刻んでやりたい。それくらい、ずっとずっと、恨んでいた。
 放っておけば良い。そうすれば燃え尽きるのは時間の問題だ。灼けて死ぬのはとても苦しいと聞く。ならばそのまま、地獄の業火に焼かれて――。
 ――灼かれてしまったら。
 見開いた眸から、止めどなく涙が零れる。勝手に引きつる喉に、全身が粟立つような感覚が背筋を遡った。
 ――助けなくては、死んでしまう。
 無我夢中で駆けた。足が縺れて上手く動かない。もどかしさにまた涙が溢れて、炎に触れた端から蒸発していく。
 そうして。
 そうしてようやく――火の中で喘ぐような呼吸を繰り返す彼に、触れそうになったとき。
 その向こうに築かれた山を、ぼやけて揺れる視界に入れた。
「あ」
 ――それは。
 マオと同じくらいの年頃の少女だった。もっと幼い少年だった。妙齢の女性だった。老爺だった。その全てが薪と燃えて、彼を呑まんとする火勢を強めていた。
 あれは恨みの火だ。
 彼に――『だれか』に殺された人たちが抱えて、死して尚も魂に燃え続ける、怨嗟の熱だ。
 足が止まる。伸ばした腕がゆるゆると力を失って、蒼い偽物の眸が、じっと燃えていく同胞たちを見詰めた。
 ――苦しかった、よね。
 マオも苦しかった。辛かった。今も苦しくて辛い。ずっと哀しい。殺されて、全てを奪われるというのは、こんなにも痛い。ニュースの向こうの人たちが味わってきたものが、止まった心臓を軋ませる。涙が止まらなくて、怒っても悲しんでも笑っても、死の瞬間に縫い付けられた透明な雫が止まらない。
 だから――。
 彼女が叶えるのは、『本当に大切なひとたち』の――マオと同じ、願いだ。
 踵を返す。燃えさかる恨みの炎が大きくなる。このまま呑まれて燃えて死んでしまうのだろう彼の、断末魔は聞かない。最期を見届けることもしなかった。
 ただ。
「ごめん、ね」
 零した声に乗った涙が、死者の炎に触れて、蒸発していくだけ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鏡島・嵐
っ、祖母ちゃんッ……!

――いる筈がないとわかっていても、やっぱり焦っちまう。
親父とおふくろがいなくなった後もおれを見守り、慈しんでくれた祖母ちゃんが苦しんでいるとなれば、何を置いてでも助けねえと――。

……だけど、祖母ちゃんはこういう時、気丈に振る舞うってこともよく知っている。
自分は大丈夫。だから、おまえはおまえのやるべきことをやりなさいと。

(ぐっと拳の中の針を握り)
そうだ。悪ィ夢に呑まれてる場合じゃねえ。
前に進む。狂気に沈みかけている人を救う。怖ぇのを我慢して、戦う。
それが今、おれに出来ること。やらないといけねえこと。

それでも、これだけは言っておきてえ。
……ごめんよ、祖母ちゃん。




 炎の向こうに揺らめく姿に見覚えがあって、足が止まる。
 心臓が不規則に鼓動する。体中に不自然な力が入って、強張った喉が掠れた音を鳴らす。無意識に手が伸びて、己の叫ぶ声が、どこか遠くから聞こえてくるような気がする。
「っ、祖母ちゃんッ……!」
 鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)の褐色の腕は、瓦礫のさなかに立つ女性の背へと伸びた。
 こんなところにいるはずはない。
 分かっている。祖母が学校を訪れる用事などないのだから、たとえ現実だったとしても有り得ない。ただの幻影に過ぎないと分かっていても、生々しい質量で火に巻かれるそのひとに、背を向けることが出来るはずもなかった。
 両親がいなくなって――。
 嵐の親代わりは、ずっと彼女だった。生きていくための術も、歩む心に刻むべき言葉も――時に厳しく、けれどいつでも慈しんでくれていたことを、彼はよくと知っている。
 その祖母が、火の手に苦しめられている。滝のように流れる汗も、肺を灼くような痛みも、喉の軋みも、炎が皮膚を撫でる熱さも――今嵐が味わう全てを、彼女も味わっているのだ。ならば助けなくては。何を置いても、ここにいる彼女を。
 ――大丈夫。
 不意に脳裏に蘇る声が、やけに鮮明に響く。走り出しかけた足が縺れて止まった。
 そうだ。
 祖母はこういうとき、必ず気丈に振る舞うのだ。どれほどに己が苦しくとも、どれほどに痛みを抱えていようとも、しゃんと伸びた背は嵐を振り返らないまま、静かな声で諭すのだ。
 ――おまえはおまえのやるべきことをやりなさい。
 息を呑む。
 強く握り込んだ手の中の針が、己に刺さる感触があった。けれど傷は一つもついていない。赤が零れ落ちることもない。
 貫いたのは――悪夢に呑まれかけた、嵐の心だ。
 為すべきは、この心が描いた精巧な幻影を助けることではない。
 前に進むこと。己の裡から湧き上がる狂気と戦い、けれど沈みかけている手を引き上げること。
 この騒動の元凶と――どれほど恐ろしくとも、震える足を律して戦うことだ。
 だから、今度こそ踵を返した。炎の熱が身を灼こうとも、これが幻惑だと分かっているのならば前に進める。この先に待ち受けるものへの恐怖も、いつものように抱えていけるのだ。
 けれど。
 ただ一つ、呑み込めない棘が心を刺すのだとしたら、それは――。
 もう一度だけ振り返る。炎の向こうに、もう背はよく見えない。それがひどく苦しくてならなかった。
 たとえ幻影であったとしても、この一時だけだったとしても。現実であれば、きっと必ず助けると心に誓うのだとしても――。
「……ごめんよ、祖母ちゃん」
 与えられた恩に、今だけは報いることが出来ないから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

波狼・拓哉
○◇

うん、確かにこれは心に来そうですね
さーってどうしましょ

別に助けてもいいんですけど、幻影とかそういうのですよねこれ
今実際に起きたわけでも、そういう悲劇が繰り返されてるわけでもない
…止まる理由は特に無いわけで
まず戦場になるとこに連れてくってのもなぁ…

うん、最低限だけして真っ直ぐ進みましょう
モデルガンに衝撃波を込め、地形破壊
天井とか崩して鎮火するように地形の利用、第六感、戦闘知識で見切り、時間稼ぎしますか
後は声掛けてと

…どこまで意味があるかわかりませんけどね
んじゃ、行きますか

声の中に聞き覚えがあっても自分の行動に変わりなし
…というか、知り合いの猟兵なら皆強いですから手を貸すまでもないでしょう?




 まあ――確かに、心には来そうな代物だ。
「さーってどうしましょ」
 さりとて、波狼・拓哉(ミミクリーサモナー・f04253)の正気を失った心が、何かひどく焦ったような思いを浮かべることもないのだが。
 どれほどに現実感を伴っていようとも、幻影は幻影である。それを違えなければ構う必要もない。或いはそれに心を動かされ、どうしても助けたいのだと手を伸ばしてしまうことこそが『正気の人間らしさ』というのであれば――それもまあ、そうなのだろう。
 ともあれ拓哉に止まる理由はなかった。実際に起きている事件やら、永劫にその事件をループし続ける被害者たちの苦しみならばいざ知らず、架空の幻想に絡め取られる足はないのだ。
 まして現実だったとしても、これから行くのは戦場である。そこに民間人を連れていくというのは、唯一の脱出口だったとしても如何なものか――とも、思ってしまうのである。
 ならば。
 手にしたモデルガンを構えて、狙うのは天井だ。
 崩落する瓦礫が、生徒たちを襲おうとしていた炎を喰らう。質量に潰されて勢いを失ったそれが、今にも呑まれそうになっていた少女の前で燃え尽きた。
 ――拓哉が為すのは最低限の支援である。
 行く手を阻む瓦礫に弾丸を。弾け飛んだそれらが新たな火種を生まないように、周辺の火を消していく。
 負傷した生徒たちに手を貸すことはしないが、彼らを探して声を上げる生徒たちには位置を示してやる。もう既に助からない者はともかく、それ以外の誰かが助かるように、道を拓いて指を差した。
「あっちに逃げ場がありますから、走ってください」
「あ、ありがとうございます――!」
 迷わず走る背中に、果たしてどれほどの意味があるのかは分からない。
 けれど――少なくとも、時間稼ぎくらいにはなるはずだ。それが、拓哉の足が止まらない程度のものであったとしても。
「んじゃ、行きますか」
 ――耳を掠める声の中には、どこか聞き覚えのあるものもあるような気がしたが。
 拓哉の足を止める理由にもならなければ、振り向く理由にもならない。猟兵というのは実に超常的な存在なのだ。
 彼が猟兵となってから知り合った顔は、誰も皆、強い。
 ならば彼が手を貸すまでもないのだろう。彼らのやりたいことを、彼らの力だけで成せるのであれば、そこに新しく手が加わる必要性もない。
 だから――。
 この場にあって唯一、現実の存在である拓哉は、為すべきを成すための歩みをこそ最優先とするまでだ。
 辿り着いた扉を躊躇なく開く。その向こうにいる二人の少女が、こちらを見たのを、彼の眸ははっきりと捉えた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

穂結・神楽耶
――助け、なきゃ。
助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ……!

誰も燃やさせる訳にはいけない。
彼女達を傷つけたのだろう生徒達も。
それぞれの理由で来ている彼も、彼女も、あなたも、
わたくし以外の誰も彼も。
こんなところで火に呑ませるわけにはいかない――!

襟首や胸元に複製太刀を引っかけてつり上げます。
そのまま教室の入口へ運んで救助を。
目に見える全員を助けるまで先には行きません。

……分かっている。
これが幻で、現実に何の影響も及ぼさないと。
それどころか本来の目的を考えたら害悪である可能性だって。

でも。
だって。
わたしは、ほんとは、こうしなきゃいけなかったから。
本当でないとしたって。
お願い、“みんな”を救わせて。




 破滅がそこに迫っている。
「――助け、なきゃ」
 唇が紡いだ声が己のものだと気付いて初めて、自分がまだ呼吸をしていることを知った。
 本体を炙る熱で肌が灼けるように痛む。呼吸が不規則に荒ぐのは、まるで人間がそうするような仕草だ。走り出した穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)の足が縺れて、ちいさな手が地についた。零れ落ちる黒い髪が、視界の端で揺れる。
 誰も。
 ――神楽耶以外の誰も、燃やさせるわけにはいかないのに。
 この手はこんなにも小さくて、一度は全てを取り落として、焔の裡に遺されたのだ。
 誰をどう救えば良いのかも分からない。だって一度、神楽耶は失敗した。それでも頭の裡でひどい痛みがする。紛い物の心臓が、真似事の体が、奥底から叫ぶように訴える。
 ――助けなきゃ。
 複製の本体が、周囲を覆った。鋭利なそれは今ばかり、何かを切り裂くためにあるのではない。
 泣きながら制服の裾を払う少女。誰かを押しのけて助かろうとする少年。踏み潰されるように転んだ彼も、足を取られて動けない彼女も、誰も彼も。
 こんなところで。
 こんなところで――火に呑ませるわけにはいかない。
 ようやく立ち上がった焔色の眸に、映る全てを真っ直ぐに見る。蜃気楼の如く霞む光景に、それでも目を凝らした。
 全員を助ける。この目に映る全てを、今度こそ、破滅に灼かせたりしない。
 制服の襟首を峰が引く。浮かび上がる複製太刀の群れが、目指すべき教室の方へと全てを連れていく。這いずるあなたも、炎から逃げるあなたも、彼女たちを傷付けたのだろうあなたも、その横で『次』に怯えていたのだろうあなたも――。
 視界に入る全ての動く影がなくなるまで、動くことはしなかった。何をしたわけでもないのに息が乱れている。頬を撫でる熱に背筋が凍る。心の底だけがひどく冷えて、そのくせ表面はぐずぐずに溶けていく。
 分かっている。
 これは現実ではないことも。こんなことをしたって、何かを救えたことにはならないことも。この後に待ち受ける何かの掌の上で、踊ってしまっていることも。
 だとしても。
 そうなのだとしても。
「わたしは、ほんとは、こうしなきゃいけなかったから」
 出来なかったことを出来るのなら。
 それがたとえ、過去の悔悟を抉り繰り返すだけの代償行為に過ぎないのだとしても、神楽耶は背を向けられない。
 誰も死ななかったのだろうか。死ななかったなら、良かったのに。とうに現実にならない、置き去りにしてしまった過去に乞うように、剥き出しの少女の声が震えた。
「お願い――」
 握り締めた鈴は、何も返してはくれない。

大成功 🔵​🔵​🔵​

鷲生・嵯泉
……過去が、其処に

記憶には無い筈の、間に合わなかった光景
焔に巻かれ逃げ惑う叫喚の中に――
如何な喧騒の渦中に在ろうとも聞き間違える筈は無く
どんな人混みに在っても見間違う事は無い
――居る訳がない。其の亡骸は此の手で埋葬したのだ
解っている。其れでも

こんな地獄の中にあってさえ、誰かを助けようとする
全く、君らしい事だが……すまない。もう猶予は無い
例え拒まれ様とも、私は――君を助ける途を選ぶ
構わず抱き上げ出口の扉へと向かう
好きに罵ればいい、如何な謗りでも受け入れよう

此れが嘗ての傷を再び抉るだけである事なぞ百も承知だ
だとしても、あの時取る事の叶わなかった手を掴めるのなら
向かう先が煉獄で在ろうとも、今は、必ず




 地獄というならば、正しくそうだろう。
 記憶にはない。この手も足も間に合わず、帰った頃には総てが灰と尽きた後だった。
 だから――あの日尽きた命が、その刹那にどうしていたのか、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は知らない。
 それでも、その足は止まっていた。戦場の熱とは遠く、魂の芯を凍らせるような焔の最中で、柘榴の隻眼にただ一人を捉える。
 ――その声も、その姿も。
 片時とて忘れたことはない。どれほどの叫喚が遮ろうとも、どれほどの混沌に放られようとも、嵯泉はその手を迷いなく掴める。
 ――居る訳がない。
 総ては灰へと還った。不毛の灰燼だけが積もる地に、この手で埋めたのだ。最期の感触も、告げられた願いの温度も、総てを覚えている。
 解っている。
 解っていても――。
 足早に駆け寄る音を捉えてか、焔の向こうで惑う生徒へ、必死に手を伸ばしていた顔がこちらを見る。美しい相貌を煤に汚し、身に纏う衣装すらもところどころが焼け焦げて、尚もその細腕は誰かを救おうとする。
 嵯泉を捉えた眸が、安堵に揺れるのを見た。駆け寄る姿に締め付けられるような痛みが走る。
 間に合ったなら――。
 ――君は、そんな顔をしたのだろうか。
 ゆっくりと、その頬に貼り付いた髪を払う。ひどく柔らかな仕草と表情に、彼女は少しだけ心配げな表情をした。
 だから――。
 零した声もまた、似つかわしくない穏やかさを孕むのだ。
「すまない」
 頬に触れた手を滑らせて、長躯にとっては小さな体を引き寄せる。そのまま抱え上げた軽い温もりに、一度だけ目を伏せた。
「――もう猶予は無い」
 彼女が手を伸ばした誰かに背を向けて、男は走り出す。抵抗するように暴れる体など、怪力を以てせずとも簡単に抱え込める。
 どうして――。
 そう言いたげに揺れる視線に、一度首を横に振った。
 彼女は出来うる限りの全てを救おうとするだろう。それでもこの手が護れるものは少ない。嵯泉が掴むべき命を、彼女に選別させる気は一つもなかった。
 だから、択ぶならば彼女とそれ以外の二つだけで――。
 ――彼は、誰より愛しい者を救う道を択ぶ。
 過去の傷を抉るだけの行為であると知っている。現実であったとて、彼女はきっと、この選択にひどく傷付くのだろう。
 それでも。
 間に合わなかった足が間に合うのならば。届かなかった手が届くのならば。たとえ幻影に過ぎぬのだとしても、今ばかりは、必ず――。
 ――それで煉獄に墜ちるのだというのなら、安いものだ。
 精一杯の責めるような言葉を、甘んじて受け止める。如何なる誹りも受け容れる。そうしてでも、この手の中の命を、嵯泉は守りたかった。
 扉にかけた己の手を、どこか茫洋とした思いで見詰めながら――。
 男は、狂気の出口へと踏み入った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ヴィリヤ・カヤラ

城にいた教師に勉強を教わってたから学校って新鮮って感じ。
ただ残念なのは燃えてる事かな。

名前を呼ばれた気がする。
……この場には絶対いないはずの母様の姿が。
元気で城にいた頃のシンプルなドレス姿。
こんな場所にいるはずがないし、
本人じゃないのは分かっているけど
母様の声と姿なら連れ出さないと。
優しい母様にはこんな炎に巻かれた場所は相応しくないし。

炎が抑えられるかは分からないけど、
【四精儀】の氷の風で道だけでも作れれば。
『属性魔法』で制御して母様が寒くないようにしないと。

エスコートしてる時は何があっても急ぐのはダメだから、
私が子供の時とは逆に、母様の手をひいて
『3-C』まで急ぎたい気持ちは抑えて行くよ。




 学校というものを、思えばよく知るわけではない。
 ヴィリヤ・カヤラ(甘味日和・f02681)の知識を育んだのは、父の住まう城に勤める教師だった。猟兵となるまで城の外など知らずに育った彼女にとってみれば、板張りの広々とした廊下も、整然と並んだ教室も、好奇の対象だ。
 こんな状況でなければゆっくりと見て回ることも出来ただろうが、火の手に遮られ崩落していてはそうも言っていられない。故に歩き出す足に迷いはなく、叫喚の中を進む視線は周囲を見渡す。
 その――。
 喧噪の中で、不意に懐かしい声に呼ばれた気がした。
 瞬いて振り返った先に、母がいる。病に倒れる前、よく着ていたシンプルなドレスが焔に翻った。いつかそうしたように、その手がヴィリヤを招き寄せている。
 ――本人ではない。
 とうの昔に亡くしてしまった。ずっと恋しくて、涙に暮れて過ごした日々も、その横に父がいてくれたことも、忘れることなど有り得ない。ましてあの常闇の世界では見たことのない学校などに、その姿があるはずがない。
 そうと分かっていても――。
 笑って歩み寄ることに躊躇はなかった。ヴィリヤの名を呼ぶ声も、そこに立つ輪郭も鮮明な母を、たとえ偽物でも置いてなど行けるものか。
 優しくて。
 穏やかで。
 ずっとずっと慈しんでくれた母に――こんな地獄は、似つかわしくない。
「母様」
 ヴィリヤが差し出した手は、最期に触れたときよりずっと大きくなっている。繋いだ温もりはいつかの通りで、けれどもう、同じくらいの温度で握り返せるようになった。
 そのまま――。
 灼けた瓦礫の上で、今度はヴィリヤが慎重に手を引くのだ。
「こっちだよ」
 吹きすさぶ氷の風が、行く手を阻む焔を攫う。開いた道が凍り付けば、そこに赤が浸食することはない。蒼く敷かれたカーペットの上を歩く間、揺らめくちいさな炎を従えるのも忘れなかった。
 ――母様は人間だから。
 ヴィリヤよりずっと弱いのだ。火に巻かれても燃え尽きてしまうが、寒すぎるのもいけない。その温もりを保てるだけの温度は、確保しておかなくては。
 教わったことを思い出す。エスコートをするのなら、相手の速度に合わせて歩かねばならない。急いだり、走ったりするなんてもってのほかだ。
 こんな火の海の中に、母を長く留めておきたくはない。だから早く辿り着くならばその方が良いけれど――。
 ――今は。
 振り返った先で母が笑う。安心させるようなその笑顔を見遣って、ヴィリヤもまた、ゆるゆると笑みを描いた。
 いつかヴィリヤが転ばないよう、歩幅を合わせてくれた母に、幾ばくばかりの恩返しを――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

レイラ・エインズワース
【凪灯】
燃え盛る炎、咄嗟に顔を庇えば気づけばそこは様変わりしていて

燃え盛る廊下
そんな場所に居もしない影が見える
生徒を助けようとする初老の紳士
焔の中の妻を助け出そうとしているのは製作者たる魔術師
火の前でおろおろとする幼子に
一時期家庭教師として置いてもらった屋敷の住人達、ここの娘とメイドだけは今も親交はあるけれど
どの所有者たちも思い出深いものたちで
幻だと分かっていても――

もっかい死んで、なんて言えないヨネ
だってそういうものだから
そんなコトをするために歩いてきたのではないのだから
たとえこれで後に不利が残ったとしても
やらない選択肢は自分の中にはないカラ

一人残らず助けて行こう
例えそれが幻だとしてモ


鳴宮・匡
【凪灯】


燃え盛る炎の向こうに消えた、はずの紫焔が
炎の中に揺れている
自身を顧みず、皆を助けようとして

そうだよな
それがレイラの願いで、決意で、贖罪なんだろう

俺の顔を見て、大丈夫だから先に行って、って
……それも含めて
これはただの幻で
惑わされず振り切るべきものだ

わかってる、けど

過るのは、始まりの景色
俺に手を差し伸べたから
あの人は命を落とした

大切な人を死なせて
今も潰えることなく命を奪い続ける
この炎は、俺自身だ

奪うだけの自分でいたくないなら
それに背は向けられない
自分を大切にするのなら
“助けたい”って自分の想いを
俺が殺すわけにはいかない

でも、レイラ、多分怒るよな
……いや、こっちの話

行こうぜ
全員助けるんだろ?




 突然に顔を撫でる熱に、咄嗟に腕を翳した。
 焼け焦げるにおいに息が詰まる。ゆっくりと開いた目の先、レイラ・エインズワース(幻燈リアニメイター・f00284)の眼前は先までの景色を失っていた。
 燃える廊下の炎の奥、逃げる生徒たちに紛れて、見えるはずのない影が見える。学校などとは縁遠く――レイラと縁深い、彼らだ。
 瓦礫を乗り越える生徒を励まして、その手を取って引き上げようとする初老の紳士がいる。その向こう、焔に囲まれて震える女性に手を伸ばすのは、彼女の親ともいえる製作者――魔術師だ。どうすれば良いのか分からないのだろう、火勢に追われて逃げ道を探し、泣きそうな顔をした幼子が惑う。この身を得てから家庭教師として勤めた、今は炎に沈んだ屋敷の住人たちも、あの日を映すような火の海を馳せている。あかあかとした髪の娘と、付き従うようにする金髪のメイドだけは――今のレイラとも、親交があるけれど。
 映った全ては、かつてのレイラの所有者たちだった。
 誰もに思い入れがあった。誰もと思い出があった。それらが決して良い結末を迎えたものでないとしても。
 否――。
 ――だからこそか。
「もっかい死んで、なんて言えないヨネ」
 そんな風に背を向けるために、ここまでを歩いてきたわけではないから。
 レイラは、そういうモノだ。この身が今もまだここにあるのは、いつかの記憶を再び苦痛の火に焼べるためなどではない。
 たとえそれが、幻影の中の再演に過ぎないのだとしても。ここで差し伸べた手が、彼女自身を侵す毒となるのだとしても――。
 その程度のことが、この手を差し伸べない理由にはならないのだから。
 足取りは迷いなく前に進む。その向こうに見据えるのは、救いの出口などでは決してない。
 角灯に灯る藤のひかりが強くなる。人を模した肺腑が軋んで、肌に汗が滲む。炎を飼い込むことこそがレイラのありようでも、この身を灼く熱気が苦痛を齎す。
 それでも。
 ――レイラが苦しいのならば、彼らはもっと苦しいはずだから。
 その手は差し伸べられる。
 今にも炎に呑まれそうな――もういない、或いはまだ共にある人たちへ。
「今、助けるヨ」
 この目に映る彼らを、いつかこの身を手にした人々を、全員連れていこう。それがたとえ、幻だったとしても構わない。
 しかと握った温もりが、もう二度と喪われぬように。苦しみの炎の裡に消えてしまうなんてことのないように――。
 迷いなく開いた扉の向こうへ、角灯を頼りに歩いた人々の影が消える。


 目は切らない。
 だから、隣の藤色は炎の向こうに烟って、消えていったように見えた。それを見逃すほど、鳴宮・匡(凪の海・f01612)の目は曇ってはいない。
 ――けれど。
 その紫焔が眼前に見えるのも事実だ。
 決して見失うことのないひかりが、焔の海を歩いている。目に映る誰しもに手を差し伸べて、いつもの笑みで体を引き上げ、或いは方向を示してみせる。自身の手に持つ本体が炙られようと、人のかたちをした身が灼かれようと、ひとつだって気にする仕草は見せない。
 そう――なのだろうな。
 最初に過ったのは納得だった。そうするのだろう。たとえ本物の彼女がここにいたとしても、きっとその指先は同じことをする。
 それだけの決意があるのだ。ただそれだけを願っている。贖罪を零す声はいつだって、己の身をそのためにあると語るから。
「大丈夫ダヨ」
 ――こちらを見詰めて、笑って。
「匡サンは、行って」
 そうやって優しい声を零すのだって、寸分たがいないのだろう。
 分かっている。これは幻だ。きっと誰しもを捉える映し鏡だ。なればこそ惑わされてはならないのだろう。振り切ることで、敵の術中から抜け出すことも出来るのだろう
 分かって――いるけれど。
「レイラ」
 名を呼んで、首を横に振る。
 繰り返す悔悟の始まりが、鮮明に脳裏を揺らす。差し伸べられた手の暖かさ。訳も分からず握り返した己の業。いずれ訪れた結末すらも、一片たりとて、零したことはない。
 あの日――。
 手を伸ばさなければ、あのひとは死ななくて済んだ。少なくとも、あの瞬間を永らえることは出来たのだ。
 奪ってしまったのは匡だ。この燻る焔のように、大切な誰かの命を焼べて燃えるのが、この命であるのなら。
 ――奪うだけでは、いたくない。
 ならばどうして、一番大切なものに背を向けられるだろう。擦り切れた『己』を大切にするというのなら、他の何を殺したとしても、この想いだけは殺せない。
 助けたい――。
 花のようにわらう笑みを、亡くすわけにはいかない。
 並び立って、笑ってみせる。影から零れる小さな人型が、焔の中へと果敢に飛び込んでいく。
 お前らもそうしたいんだ――と思ってから、苦笑した。
 当たり前か。
 ――俺だもんな。
 影を追うように一歩を踏み出して、ふと頭に過ったのは、『本当』の彼女のことだった。今は隣にいない眦がつり上がるのを思い描いて、無意識に声が零れる。
「――多分怒るよな」
 はたり、隣の幻影が瞬くものだから――。
「どうしたノ?」
「……いや、こっちの話」
 首を横に振って、匡は再び前に進む。文句は後で幾らでも聞こう。
「行こうぜ」
 ――今はただ、この心の思うままに。
「全員助けるんだろ?」
 彼女が望むならいつだって――この手は、そのためにある。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織


ーーーー?
何故
何故、貴女が此処に

過去の
唯一無二の親友
紅と藍を持つ
大切な銀狼のあの子

違うと
偽物だと
知っているのに

火を背景に
煤だらけで苦笑する彼女が
あまりにも
“あの時”と同じで

何、してるの
早く
逃げなきゃ!

首を振る貴女に叫ぶ

ーーーーを置いていくなんて出来るわけ無いでしょ!?
馬鹿なこと言わないで!!

きゅ、と私を責めるように寄せられた眉

ええ
そうね
私は一度貴女を置いて逝った
だから信じられないって言うんでしょ?

けどね
だからこそ
今度こそ
傍にいるの
ーーーーのあんな顔
二度と見たくないから

絶対に
ーーーーと一緒に逃げるの
拒否は受付けない!

強引に手を取って駆ける


けど


ーーー、ー?
どこ?

消える直前
貴女はどんな顔をしてた?




「――――?」
 思わず呼んだ名が、焔の裡に紛れていく。
 橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)の前に翻る、一筋の赤を抱いた銀がある。耳元に揺らぐ蒼のイヤカフも、藍い眸も――振り返る面影も、忘れたことはない。この心に懐く十字架の行き着く先。千織が『千織』となるより前。同じ名をして生きた別の生を、共に生きた狼――。
 唯一無二の親友。この身が置いて逝ってしまった彼女が、そこに立っている。
 違う。
 こんなところにいるはずがない。これは浸食だと分かっている。記憶を元に精巧に模され、引きずり出された幻影でしかない。
 知っているのに――。
 千織に苦笑する肌があかあかと照らされている。焔を背負う頬が煤だらけだ。服もところどころが破け、或いは焦げてしまっている。
 それが。
 そのさまが――あまりにも、あのときと重なってならなくて。
「何、してるの」
 思わず震える声が零れた。伸ばす手まで滲んでいる。心臓が煩くて、全ての光景がはじけ飛ぶように見えなくなる中に、たった一人だけが鮮明に浮かぶ。
「早く逃げなきゃ!」
 ゆっくりと――。
 目の前の彼女が首を横に振った。伸ばされる手を拒絶するような眼差しが、何を訴えているのかはすぐに分かる。
 ずっと、一緒だったのだから――。
「――――を置いていくなんて出来るわけ無いでしょ!? 馬鹿なこと言わないで!!」
 喉も裂けんばかりに叫ぶ千織を見据えていた藍が、僅かに眇められる。
 まるで責めるようだ。一歩を引く彼女の意図など――誰より一番、千織がよく知っている。
「ええ、そうね」
 約束は、果たされなかったのだ。
「私は一度貴女を置いて逝った。だから信じられないって言うんでしょ?」
 拳を強く握る。言い訳など出来るはずもない。大切なものを喪って、交わしたよりどころを反故にして、千織はひとり逝った――たとえどんな理由であれど、事実は事実だ。
 だが。
 ――だからこそ。
「今度こそ、傍にいるの」
 霞んでいく視界と冷えていく体に、彼女が見せた表情を焼き付けたから。最期の拍動がひどく軋んでいたのを、知っているから。
「――――のあんな顔、二度と見たくないから」
 ――絶対に、彼女と逃げ切ってやる。
「拒否は受付けない!」
 拒絶する手を無理矢理に握る。構わず走り出して、必死に目指した扉を迷いなく開く。転がり込んで、弾かれるように上げた顔に安堵の表情を刷いて――。
 けれど。
「―――、―?」
 零れる声も、思わず一歩を踏み出した足音も、ひとつしかない。
 顔を上げた刹那に見えた、掻き消える瞬間の表情すらも判然としない。どこにもなくなった温もりを探して、よろよろと指先が泳ぐ。
「どこ?」
 無防備な迷子の声が、静謐な教室を揺らした。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ


凡て燃やし否定するような炎だ
悲鳴をあげて
引き裂かれた心から血を流し
悶え苦しんでいる

助けて!燃えてしまう
私は炎が嫌いなの
愛しい私の巫女が縋り付く

可愛い
愛おしい

どんなに姿を似せても無駄だ
サヨ(きみ)からは愛しい桜の香りがしない
厄を感じる
きっときみを救うことは良くない事なのだろう

でも
きみが幻でも見捨てない
こんなにも熱く苦しい煉獄にきみひとり取り残していくなんてしない

大丈夫
サヨ
私は何時だってきみの味方で
いつだってきみを救う
ひとりにはしない
其れが例え幻であろうとも

共に灰になろうか
安心して
此処で一緒に燃え尽きてあげる
…怖くない

何故、突き飛ばすの?
私だけが救われても意味がないのに
もう
きみを離したくないのに


誘名・櫻宵


カムイ!何処なの?!

燃ゆる焔が視界を覆う
炎は嫌い
凡て燃やしてしまうから

大切な神様が炎に奪われてしまうかと思うと…嫌で嫌で堪らない
不安な心があなたを求める

助けて、サヨ

カムイ、良かった…!
大丈夫
もう怖くない
一緒に脱出しましょ
あなたの手を握り
炎をなぎ払い教室へ走る

おかしい
カムイが私に助けを求めるなんてない
私は何時だって助けを求めてほしいのに
助けてなんて言わない

私がカムイを見捨てるなんて有り得ない
渡さない
私に助けを請うてくれた幻のあなた
消えてしまうの?

…惜しい

炎に渡すくらいなら
私が喰らってもよいでしょう?
さくら、さくら──
あえかに咲いて
私のものになって

咲う

あなたを私に閉じ込めて
さぁ
一緒に行きましょう




 この炎が抱くのは、熱ではない。
 本質は否定だ。熱さというよりむしろ氷の凍てつく温度に近い。懐いて眠る者の心を引き裂く刃。絶えず流れる血と痛みに悲鳴を上げて、悶え苦しむ者がある――。
 朱赫七・カムイ(約倖ノ赫・f30062)は、そう直感している。或いは神ゆえの感覚というべきか――厄に親しみ、その細糸を探ることに長けた、カムイたればこそか。
「助けて!」
 絹を裂くような悲鳴がする。よくと聞き慣れた声だ。先まで隣にあって、いつの間にかはぐれてしまった愛しい櫻が、炎を背負って泣いている。
「燃えてしまう! 私は炎が嫌いなの!」
 縋り付く細い指先が愛おしい。その櫻色の眸を揺らす涙ですら。助けを求める姿はいたく可愛らしくて――。
 ――だが、知っている。
 これは、桜と約の香を纏う彼ではない。燃え盛る炎が抱くのと同じ、ひどく強い厄を感じる。
 ここで手を握れば、厄に触れ、縁を結ぶことになるだろう。結ばれた糸はそう簡単には断ち切れない。遠からず、それが良くない事態を招くだろうことも、心の底を撫でるような警鐘が告げている。
 噫――。
 けれどそれが何だというのだ。
 たとえ紛い物だとしても、愛しい巫女が泣いている。ひどく厭うものの中に取り残されて、カムイに助けを求めている。
 その姿に背を向けることなど、決してしない。
「サヨ」
 優しく手繰り寄せた体に宿る温もりまでも、先に抱き寄せたものと寸分変わらない。優しく背を撫でて、散ることのない幻の枝垂れ桜を見遣る。
「大丈夫」
 ――いつだって、彼の味方でいる。
 たとえどんな煉獄からでも救い出して見せよう。その手を取って、導いて――そうすることこそ、神のつとめ。カムイのしたいこと。
 孤独を厭う巫女を、決してひとりにしたりはしない。それがこの身を惑わして、地獄に引きずり込むために用意された幻であっても――。
 だから。
「共に灰になろうか」
 その身を灼く炎を共に背負う。この幻の炎に身を焼き尽くされて、蝕まれ墜ちるのだとしても――その未来を、否定することが出来ない。
「安心して。此処で一緒に燃え尽きてあげる」
 だから、怖がらなくて良い。
 まるで子守歌を紡ぐような声音に、腕の中の巫女は身じろぎをした。開いた櫻色の眸の先で、彼の涙に潤む眼差しが眇められる。
 刹那――。
「――駄目よ、カムイ」
 突き飛ばされた体を置いて、櫻は赤の最中へ消える。
 取り残されたカムイは、いつの間にか教室の中にあった。喧噪は遠い。幻は消えて見えない。
 ――どうして。
 一人救われることに、もう意味などないのに。ここに立っている足と共に歩む者がないのなら、呼吸をしている意味など消えてしまうのに。
 もう――。
 ――きみを、離したくないのに。


 いつの間にか見えなくなってしまった姿を探して、薄紅が馳せる。
「カムイ! 何処なの?!」
 火に邪魔されて前すらよく見えない。蜃気楼の如く歪んだ視界が煩わしい。背の枝垂れ桜に絡みつかんとする焔を払いながら、誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)は先まで隣にいた神の名を呼んだ。
 ――炎は嫌いだ。
 凡てを焼き尽くしてしまう。この身も、大切なものも、そうでないものも――凡て。そのただなかに、あのうつくしい赤が呑まれてしまうと思うと、背筋を駆け上るような悪寒がする。
 思わず、両腕が己の体を抱き締めた。そんなこと、あって良いはずがない。早く探さなくては。早く、早く、あの可愛くて愛しい神と、この手を繋がなくては――。
 そうして、ずっと求めていたから――。
「――サヨ」
 囁くような声ですら、櫻宵の耳ははっきりと拾った。
「カムイ!?」
「助けて、サヨ」
 振り向いた先で、眉尻を下げた彼が手を伸ばしている。心の底から込み上げる安堵と共にその体を寄せて、今度は櫻宵の方が、彼を落ち着けるように手を握る。
「大丈夫。もう怖くない。一緒に脱出しましょ」
 頷くその手を強く取ったまま――。
 龍の刃が炎を払う。後ろをついてくる温もりを確かに感じるままで、けれど櫻宵は知っている。
 ――これは、きっと嘘だ。
 彼が櫻宵に助けを求めることなど有り得ない。いつだって彼は神たらんとして、櫻宵を助けようとすることはあっても、彼の痛みを吐露して頽れることはないのだ。
 本当は――。
 櫻宵はいつだって、彼に助けを求めて、縋って欲しいのに。
 それが幻影と分かっていても、彼のかたちをしているのならば、櫻宵が見捨てることなどない。いとしい神。櫻宵の、櫻宵たちの、神――。
 ――渡しはしない。
「サヨ?」
 不意に足を止めた櫻龍に、後方の幻が首を傾ぐ気配がある。振り返った先で目を見開く彼は、ひどく弱く、脆く見えた。
 折角――。
 折角、助けを乞うてくれた彼がそこにいるのに。
 遠からず消えてしまうのだろう。助けても、助けずとも。それは、それはひどく。
 ――惜しくてならない。
 そっとその身に近付いた。頬を撫でる指先はひどくやわく、艶やかに。
「カムイ」
 さくら、さくら――あえかに咲いて。
「――私のものになって」
 炎になど渡さない。どこにも遣ったりしない。たとえ幻であろうとも。
 花唇の奥底に、その身のすべてを閉じ込めよう。この身にすべてを閉じ込めよう。何もかもが失せて、この慾が満たされたのなら、さぁ――。
「一緒に行きましょう」
 いとしい欠片が下る喉元を撫でて、赤に染まる龍が咲う。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ロキ・バロックヒート


白い長身を炎の中に見付けた
兄のようなひと
見付けられて良かった
かれが助けを求めたことなどないから
私にこえすらも掛けなかったと思う

幻影だと知りながら助けるのか
また諦めて見捨てるのか
ついこの間さよならをしたのに
それがひとのような自己満足や綺麗ごとだと
思い知らされるかのよう

火も気にせず近付けば
曖昧な困ったような笑い方
助けるでもなく置いて行くでもなく
ひどく冷たい長身を抱き締める
炎に焼かれたってやっぱり死ねないんだろうけど
もう置いて行かれるのは厭だから
いっそこのまま――

でも
「くろ、駄目だろう」って
そんな考えを見透かすみたいに不意に離され
生き続ける道へ
狂気の出口へ突き飛ばされる

ああ、やっぱり
一緒に還れない




 その色を、見まごうはずがなかった。
 兄のように慕ったひと。とうとう兄とは呼べなかったひと。無口で、あたたかくて、優しいひと。その白くて長い指先が、炎の裡によく見える。
 ロキ・バロックヒート(深淵を覗く・f25190)が、最初に抱いたのは安堵だった。
 見付けられた。きっと見えないままだったら、かれはそのまま炎に融けていたのだろう。いつだって助けを求めたことがないから。ロキを視界に入れたとて、ほとんど声を紡がない唇は、この身を呼び止めたりはしなかっただろう。
 どう――。
 すれば良いのか分からなくて、少しだけ迷った。
 ついこの間に、さよならを言ってきた。初めて兄と呼んだこえを、手向けとしてきたつもりだった。それなのにここで惑っている。幻影だと知りながらも手を伸ばすのか、それともまた、諦めて炎へ融かすのか――。
 所詮、ひとめいた感傷に過ぎなかったのだろうか。別れを告げた指も、こえも、自分の嘆きを棺に入れて埋めるのと同じことだったのだと突きつけられるようだ。
 だから――。
 行くも戻るも出来なくなってしまったこの足が、その身に近付いてしまう。
 見上げる顔が揺らめいた。蜃気楼のように熱を孕んだ大気の向こう側、彼はじっとロキの顔を見た。
 その眸が――。
 曖昧に緩む。笑うというにも足りず、けれど困惑しているというには穏やかな、懐かしい顔。
 長躯に触れる。最期と同じ、凍てつくような冷たさだった。そのまま強く、つよく抱き締める。
 どうせ――炎に灼かれたって、死にはしないと知っているのだけれど。
 耳元に煩いこえだって止みやしないのだ。結局どうあれ、この道は続いていく。喪われたものは戻ってこないし、狂ったものが元に戻る見込みだってないし、かれはいなくて、ロキは生きていく。
 けれど。
 ただ、置いて行かれるのは、ずっと哀しくて。
 哀しいのは、厭だから。
 いつかの声を思い出した。いつだって手遅れになってから、かれがぽつりと零す言葉。あのときも間に合いやしなくて、けれどそれが今果たせるのなら、それも悪くないような気がする。
 いっそこのまま――一緒に消えようか。
「くろ」
 優しいこえが名前を呼ぶ。
 顔を上げた先で、かれは今度こそ笑った。
「駄目だろう」
 諭すような声音と同時、衝撃が走って、かれよりずっと小さな体が宙に浮く。
 ロキの考えることを見透かすような眸が、炎の向こうに烟っていく。齎された力に抗うすべもなく、体はたった一つの出口めがけて飛んでいく。
 ――ああ、やっぱり。
 無意識に伸ばした手の先に、諦観がひとつ浮かんでは消える。眇めた金色の眸に、もう慕ったひとの姿は映らなかった。
 ロキは、一緒に還れない――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

毒藥・牡丹
【理解しがたい】〇

もう、全部どうでもいい
あの女がどこに行ったか、とか
そもそもなんでここにいるのか、とか
ただ、そう ただ──

楽になりたい。

いたっ──!?
ぶつかって、尻餅をついて
ようやく、焦点が合った けれど
嗚呼、嗚呼、
駄目だ、それは、駄目だ
見たくない。
その"思い出"は、厭だ

やめて。

助けてと縋る少女がいた
"殺さないでと縋る女がいた"
嘔吐くように泣く少年がいた
"血反吐を吐いて喉を掻きむしる男がいた"
これは
違う
"この毒は"
あたしの──

『牡丹』
また、冷たい声
こんなに、熱で満ちているのに
ごめんなさい。ごめんなさい。
そんなつもりじゃ
だから、お母様
お母様だけでも、どうか

この"わたし"から、逃げてください。


千桜・エリシャ
【理解しがたい】〇

牡丹?どこへ行ったの?
…一人で大丈夫かしら

彼女を探していれば
炎の中に揺らめく涅色の人影
放つ光は紛れもなく聖者のもので

…あ、あなたも来ていましたの?
そう…すべてを救うと豪語する聖者様ですものね
ここにいる方も救うつもりなのでしょう?
なんて聴くまでもありませんわね
…だったら私も手伝いますわ
救いの手は多いほうがいいでしょう
べ、別にあなたが心配だからとかいうわけでは…
も、もう!いいから行きますわよ!

目に入る生徒達の手をとれば出口へ
あなたも早く…きゃぁ!
崩落で分かたれた炎の向こう
響くはいつもの下品な笑い声
いいから先に行けって…ああ、もう!

…大丈夫
あの人は殺しても死にませんから
行きましょう


ジン・エラー
しょォ〜もねェなァ……なンだァ?こりゃァよ
こンなモン、何度だって見てンだ
今更なンだってンだよ
ただ……まァ、そうだな
無視すンのは、そいつァ聖者じゃねェか
"全て"を救う
いつも通りだ

特別なことはしなくていい
ただ歩いて、輝ける道筋を残しながら
全部救ってやるよ

──お前
なァ〜〜ンでいやがる
ウッヒャハハ!オレと一緒に救うだァ?首を狩るしか能のねェ脳筋女がか?そりゃァ〜〜是非見てみたいねェ〜〜〜!!

じゃァこっからはオレ一人で十分だ
さっさと行けよ
お前は何処に行くのかオレァ〜知らねェが
そう不思議そうな顔すンなよ
たとえお前が消えても、その先に光を見せてやる
"全てを救う"知ってるだろ?
"お前"でも

じゃあな




 何だか、もう、全部がどうでも良くなってしまった。
 熱が肌を撫でるのも。肺腑が灼けて軋むのも。呼吸のたびに焦げる喉も、滴って止まらない汗も。さっきまで近くにいたはずの憎き異母姉が見当たらないのも、そもそもどうしてここを訪れたのだったかも。
 もう――全部、どうでも良い。
 足が重い。ふらふらする。頭が痛い。胸が苦しい。茫洋とした仕草で彷徨う毒藥・牡丹(不知芦・f31267)の眸は、どこにも向いていない。
 もう、全部投げ出して。
 あの日の記憶も、辛かったことも、そうじゃなかったことも、全部、全部、全部消して。
 ――楽になりたい。
 今はただ、それだけしか思えなかった。心を抱いているというだけのことが、ここで呼吸をしているというだけのことが、ひどく億劫でならない。
 覚束ない足取りの彼女へ、不意に質量がぶつかった。バランスを取るなどということを考えつく余裕すらなく、牡丹の細い体が傾ぐ。
「いたっ──」
 尻を強かにぶつけて――少しだけ、我に返ったような心地がしてしまって。
 反射的に持ち上げた眸が、焦点を結んでしまう。
「あ」
 駄目だ。
 見てはいけない。見たくない。駄目だ。駄目だ。目を逸らして。早く。もう良い。何も見なくて良い。理解してしまう前に。この目を閉じて。耳を塞いで。走って。逃げて。
 ――どこに?
 凍り付くように見開いた網膜へ、余すことなく映ってしまう。思い出が。心の底から蘇る、その光景が――。
「やめて」
 震える懇願が掻き消える。指の一本すらもまともに動かないまま、牡丹はそれを見た。
 縋る少女の手が、牡丹に届く前に落ちる。
 殺さないで――悲鳴を上げる女の虚ろな眸がこちらを見ている。
 蹲って何かを吐き出すように泣いている少年がいる。
 あの男が吐いている赤黒い液体は、命の源に違いない。
 これは――違う。炎のせいではない。命を奪おうと盛る炎よりなお強く、彼らを脅かしている毒は。
 牡丹が。
 牡丹の。
「牡丹」
 周囲の熱を全て吸い取ってしまうような、冷えた声が鼓膜を打った。ああ。どうしてここにいらっしゃるの。どうしてこんなところにいらしてしまったの。
「ご――めん、なさい」
 慣れすぎた謝罪が、また口を衝く。名を呼ばれたら膝を折らなくては。頭を擦り付けて、痛みに耐える時間がやってくる。
 それなのに、体はひとつだって、動いてはくれない。
 けれど――それが、今は幸いだったのかもしれなかった。
「ごめんなさい――そんな、つもりじゃ――」
 早く。
 この体が動かないうちに。これ以上の惨禍を呼ばないうちに。
 あなたが。
「お母様だけでも、どうか」
 ――あなたが、侵されてしまわぬうちに。
「逃げて、ください」
 この“わたし”から――。


「牡丹?」
 呼んだ名に応答がない。
 異母妹の姿が、炎に掻き消されて消えてしまったようだ。さっきまでそこにあった背が、知らないうちに見えなくなっている。
「どこへ行ったの?」
 ――一人で大丈夫かしら。
 その眼差しに揺らぐ悲痛を思い出せば、千桜・エリシャ(春宵・f02565)の柳眉が困惑と心配を描いた。桜の色をした眸が見渡す視界が蜃気楼の如く揺らめけど、その先に探した姿はなく――。
 代わりに、見知った後ろ姿がある。
 涅色を見まごうはずもない。熱気に揺らめく長い髪に、纏い道を成す光は正しく、生きとし生ける全てを救う聖者のそれだ。
 ――見かけはしなかった、ような気がしたのだが。
 質量を持って立つ姿は、如何にも似つかわしいと言わざるを得まい。この状況下にあって、その姿があることを疑いはしなかった。
 だから、エリシャの足は迷いなく光の道筋を追って、振り向く異彩の虹彩を見据えるのだ。
「……あ、あなたも来ていましたの?」
「コレを無視すンなら、聖者じゃねェだろォ~よ」
「そう……すべてを救うと豪語する聖者様ですものね」
 いつもの調子で紡がれた声に、こちらもまたいつもと変わらぬ言葉を零す。零れた息は何のためだったのか、エリシャにもよくは分からない。
 けれど――。
 彼がここに立ち、こうしているということは、即ちその目に映る全てを救うつもりなのだろう。
 訊くまでもない。そう在ると言う彼が為すことはよく知っている。そのくらいの付き合いだ。
 だから、エリシャのやることも決まっている。
 並び立つように前に出た。彼女よりも背の低い褐色の肌を、覗き込むように見遣って、気強な桜がさも仕方ないとばかりに伏せられた。
「……だったら私も手伝いますわ。救いの手は多いほうがいいでしょう」
「なァ~~~んだ脳筋の癖にィ~~~? 心配でもしてんのかァ~~~?」
「べ、別に! そういうわけでは……も、もう! いいから行きますわよ!」
 減らず口を叩いて――などと思いながら、本当に減らず口なのはどちらなのだろう――とも一瞬だけ過る。けれど今はそれどころの話ではないだろうし、何だか癪にも障るから、そのまま近くにいる生徒の手を引いた。
 なるべく多くを救えるように。とはいえこの手は二つしかないから、後は各々でついてきてもらうしかない。両手を埋めたエリシャが振り返って、炎に負けぬようにその姿を呼ぶ。
「あなたも早く……」
 ――刹那。
「きゃぁ!」
 崩落した瓦礫が目の前を掠めて、思わずバランスを崩しかけた。辛うじて踏みとどまった足許と、強く瞑った眸の向こう、後方にいる生徒たちの悲鳴を聞いて少しばかり安堵する。どうやら巻き込まれてはいないらしい。
 けれど――。
 見上げた先の瓦礫によって、涅色はもう見えなくなっていた。思わず名を呼ぼうとしたエリシャの唇を留めるように、その向こうから響いてくるのは、よく聞き慣れた品のない笑声だ。
「良いから先に行けよ。心配じゃねェんだろォ?」
「……ああ、もう!」
 ――腹が立つやら何やらで。
 いからせた肩にぶつける先のない憤懣を抱いたまま、エリシャはついと踵を返した。振り返ることもせず前に進む彼女に、遠慮がちに生徒が口を開く。
「あ、あの人は」
「……大丈夫」
 ここが現実であれ、そうでなかったのであれ。彼が本物であれ、或いは何か幻覚の類いであれ。
 寄せるそれを――果たして信頼と呼んで良いものかどうか。
「あの人は殺しても死にませんから」
 行きましょうと手を繋ぎ直して、エリシャの足は、扉の向こうへ踏み込んだ。


「しょォ~もねェなァ……」
 開口一番に大きな溜息を吐き出して、ジン・エラー(我済和泥・f08098)が片眉を持ち上げる。笑うようなマスクの下で、きっと唇はつまらなさそうに歪んでいただろう。
 何しろ見渡す限りの火の海だ。地獄らしい地獄である。そこかしこで燃える人間だったものと、未だ生きている人間の悲鳴と怒号が飛び交っている。肌を撫でる熱気すらも現実そのものだが――だからこそ、ジンにとっては見慣れた光景でもある。
 ――今更なンだってンだよ。
 深く息を吐き出した。それでもこの足が歩き出すのは、揺れるだとか、心が焦がされるだとか――そういうことではない。
 無視をして進むのは、聖者のすることではあるまい。
 いつもと同じだ。『全て』を救う。この目に映るものも、映らぬものも、炭となりかけて苦しんでいるそれも、まだ肉塊になっていないあれも。
 ――誰に呼ばれずとも、聖者が救いにやって来る。
 とはいえジンが何かをすることはない。救うことは呼吸と同じだ。だからただ、歩くだけで良い。その道筋に残る光の煌めきが何もかもを導き救いと至らしめるだろう。縋るようにする生徒たちを引き連れて、小さな涅色はただ歩く。
 その――。
 視界に。
「──お前」
 翻る髪と桜色の眸が飛び込んで、ジンを見詰めている。
 いつの間にか現れた、見慣れた姿が、いつもの調子で見下ろしてくる。その手に握った刀でもって、ジンに並ぶように立った彼女が、何かを為そうとしていることは分かった。
 だから、片眉を持ち上げてみせる。
「なァ~~ンでいやがる」
「手伝いに来ましたの。救うなら、手は多い方が良いでしょう?」
「――ウッヒャハハ!」
 思わずといった風に笑った。
 あまりにも似つかわしくないだろう。どれほどの手弱女のように見えたとて、彼女が裡に秘める性質が、戦場に咲き誇る花だと知っている。
 下手をすればこのまま転げていきそうな勢いだったが、ともあれそれは堪えた。見上げた眼差しがぱっと見開かれて、頬が紅を携える。けれどそれが照れやら何やらといったものではないことは、いつものように吊り上がった眦を見ずとも分かることだ。
「首を狩るしか能のねェ脳筋女がか? そりゃァ~~是非見てみたいねェ~~~!!」
「あ、あなたねえ! 折角、人が助太刀に来たといいますのに!」
「助太刀ねェ」
 ――鼻を鳴らして、一度目を伏せた。
「じゃァ、こっからはオレ一人で十分だ」
 上げた視線は前だけを見る。ゆっくりと、その足が地獄へと踏み出した。描く軌跡で全てを救うために。
「さっさと行けよ。お前は何処に行くのかオレァ~知らねェが」
 一瞥した桜色が見開かれているのを見た。
 先のそれとは違う。まるで心底不思議がるような色だ。この煉獄ともいえるような場には些か似つかわしくない、無防備とも取れるようなその光に、ジンは笑った。
「たとえお前が消えても、その先に光を見せてやる」
 全てを救うと、彼は言う。
 ――その『全て』には、彼女もまた含まれているということだ。
「じゃあな」
 言い残して歩き行く足が光を残す。この地獄が何であれど、一条の光を灯して聖者が往く。
 これが何であろうとも、やることが変わるわけではないのだ。
 ――現実とて、地獄なのだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

雲失・空
あっつ………もう、なにこの色……何にも見えやしない………
ああ君、大丈夫?
熱かっただろう、もう大丈夫だ
こっちに──

いや
いやいやいや待て待て待て待て──!!!
駄目だろう、それは──!!!
そんな火の中にいたら 乾いてしまう
彼女の生命線である雨が、枯れてしまう
あの青い色が侵されていくのが、この目に視える──!!
……くそっ!!
早く!こっちに!!
いいから!私は大丈夫!
触っても平気なの知ってるでしょ?

大丈夫?怪我はない?
………うん、良かった
え?なんで謝るの
いいよいいよ、ちょっと熱かっただけだし
熱いのも慣れっこだからさ
さあ早く、雨を降らせられそうなところに行こう

──これで、いい。
苦しむ君は、視たくないから。




 身を炙る炎が、明確に見えているわけではない。
 サングラスを貫いて目を灼く光は、それでも強く視界を眩ませた。白やら赤やら黒やら、混ざり合って不明瞭になった色が、雲失・空(灯尭シ・f31116)の快晴色をした目を曇らせる。
 眉根を寄せて炎を払う。唇から零れる息は灼けるように喉を軋ませるのに、何故だかこれが純然たる『炎』の色だとは思えない。何かを邪魔するような、目隠しを被せるようなそれの中に――けれど、『誰か』の色は見て取れた。
「ああ君、大丈夫?」
 燻る色の向こうに見える、その色へと近寄っていく。炎と瓦礫が足許の邪魔をするものだから、少しだけバランスを崩しかける。
 安心させるようにからりと笑って、手を伸べようとして。
「熱かっただろう、もう大丈夫だ。こっちに──」
 ――不意に開けた視界に、その『色』を見る。
 燃える心臓が一瞬だけ鼓動をやめた。直後に戻ってきた拍動が不規則に跳ねる。喉の奥が痛い。細い吐息が灼けた心拍に合わせて上がっていくのに、心の芯と腕は凍り付いたように動きを止めた。
 ――待て。
 待て、待て、待て。
 間違いない。見紛うはずもない。そこにいる。彼女が。雨と傘を携えて生きる、少し臆病で、無口で、時折花のような色でわらう、彼女が――。
 ああ。
 駄目だ。
 乾いてしまう。降らせる水が失せてしまう。そうしたら彼女がどうなるか、空は知っている。刻一刻とまだらに侵されていく青が――視えている。
「……くそっ!!」
 悪態と共に、体は地獄の推進力を得た。ごうと燃え盛る炎は彼女以外を包まない。火の向こう、その手を掴むように差し伸べて、空の喉が割れんばかりに叫ぶ。
「早く! こっちに!!」
 ――躊躇する色も、見えている。
 そうだ。彼女はいつだって誰かを気遣っている。この雨に触れた者がどうなるのかを知っているのだろうことも、知っている。
 けれど――。
「いいから! 私は大丈夫! 触っても平気なの知ってるでしょ?」
 一度触れて、なんともなかったから。
 引き上げた体に安堵したけれど、状況はまだ解決していない。焦るように、ぼやける顔へと問いかける。
「大丈夫? 怪我はない?」
 頷いたから、少しだけ肩の力が抜けた。けれど続く謝罪が、ひどく申し訳なさそうに揺れるものだから――。
「何で謝るの。いいよいいよ、ちょっと熱かっただけだし。熱いのも慣れっこだからさ」
 ――空はいつものように笑うのだ。
「さあ早く、雨を降らせられそうなところに行こう」
 地獄の炎は解けている。そのまま引いた手の感触を強く握り締めて、空は彼女から目を背ける。
 ――これで良い。
 急いで教室に向かって、その身が安らげる環境を作らねばならない。彼女の苦しむ姿など、決して視たくはないのだから。
 たとえ、この手を握るものの本来が、何であろうとも。

大成功 🔵​🔵​🔵​

楠木・万音


まるで燃え盛る海だわ。

ティチュ。気遣いは嬉しいけれど無理は無く
あんたが燃えてしまうのは困るわ。

遮熱に働く朋を纏って先へと進みましょう。
これは……幻の類ね
妙に現実味があって気色が悪いくらい。
よく出来たものね
侵食は始まっているのかしら。

あたしの優先順位は決まっている。
一に朋を、二にあたしを、三にその他を
あたしは彼女のような心優しい魔女じゃない
いらないものは迷い無く見捨てるわ。

唯、そうね。救いを求めるのなら
一つや二つならば叶えてみせましょう。

其れを持ってお行きなさい
あんたたちの行くべき道を示すでしょう。
あたしはその後を追って行くわ
ティチュが燃えてしまうのは避けたいもの。

この先に何が待つのかしらね。




 燃える海が広がっている。
 人の命を薪として、火の手が盛っている。肌を撫でる熱が煩わしい――と、楠木・万音(万采ヘレティカル・f31573)が思うよりも先に、影から立ち上がった朋が身を覆う。
 それを――。
 止めることはしないまでも。
「ティチュ。気遣いは嬉しいけれど、無理はしないで」
 そう声を添えることは忘れなかった。彼女にとってのこの朋が、なくてはならない存在であることに間違いはない。
「あんたが燃えてしまうのは困るわ」
 返事をするようにさざめく影が鎧になる。閉じ込められてしまえば、炎の熱も幾分遠ざかって感ぜられた。歩きやすくなった足で前に進み出れば、ぎしりと床が足許で鳴る。
 幻惑の類いだろう――と、分かってはいた。けれど、ここまで精巧に作られた偽物は、どこか背筋を逆撫でするような違和感で以て、万音の柳眉に皺を刻む。
 こうまで鮮明な幻を見せられている。それほどまでに干渉されているというのなら、侵食の足音は既に背へと迫っているのだろう。
 けれど――。
 硝子の魔女に、揺らぐ心はない。
 優先順位など端から決まっていた。まずはこの、己を守る朋を一に。その次に、今こうして歩みを進める己の身を。その他の全ては、その後ろ。いつか奇跡を描いて見せてくれた、優しい魔女とは違う。
 不要だと断じたのならば、顧みる意味もないと――。
 万音は、そういう魔女なのだ。
 それでも、命の境に立つ生徒たちは、悠々と歩く彼女へ駆け寄った。目の前にある顔が煤けている。息を乱す人間たちの眸が、涙を湛えて万音へ叫ぶのだ。
「助けて、助けてください――!」
「――そうね」
 自ら手を差し伸べる理由も、能動的に救いを差し伸べる気もない。
 救いを求めるというのならば――それを断るような理由も、ないのだから。
 指先が紡いだのは一輪の花。硝子で出来たそれを手渡してみせれば、きょとんと目を見開いた生徒たちの顔が見えた。
「其れを持ってお行きなさい」
 ――魔女の紡ぐ魔法は、誰かを呪い殺すものではないから。
「あんたたちの行くべき道を示すでしょう」
 追憶の花弁が灯す色は識らない。けれど目を見開いて、頭を下げて踵を返した彼女たちは、盛る火勢を気にも留めずに走り出した。
 その背を見送ってから、万音の足もゆっくりと歩みを始める。既に開かれた道に火はないから、身を覆う朋が熱に巻かれて、燃え尽きてしまうようなこともないだろう。
 辿り着いた教室の先、二人の女生徒が話しているのが見えている。大人しそうな少女と、快活そうな少女。その片方は、先に見た娘だったから。
「――この先に何が待つのかしらね」
 空を揺らす声が、扉を開く音に呑まれて、消える。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロニ・グィー
アドリブ・連携・絡み歓迎

ごうごう
ぼうぼう

やぁ『―――・―』!
『――・―・―』も!
『―・―――』は元気にしてる?
悪いけど今日はお仕事中だからね全員とはお話できないよ
違うよ違う違う
ちゃんとみんな覚えてるって

うん、またなんだ
ごめんね
ボクにはどうしようもないんだ
約束だからね
本当になんであんな約束をしてしまったのかな
どうせあのときみたいに後悔するのに決まってるのにね
何を考えていたのやら

だからーダメなんだって
そう決まっちゃったんだから
そんな顔してもダメ!

大体さ―――あのときキミたちを焼いたのはボクじゃないか
悪かったよ、本当
次はきっと助けるからさ
絶対に焼かせたりしない
だからもう行くね?きっと…また会おうね!




 ごうごう、風の音がして。
 ぼうぼう、燃える音がする。
「やぁ『―――・―』!」
 その真ん中で、神様が一人、ちいさな手をおおきく広げた。目の前にいる人影の群れに向けて、焔の中に立つ彼らに向けて、ロニ・グィー(神のバーバリアン・f19016)の満開の笑顔が咲いている。
「『――・―・―』も! 『―・―――』は元気にしてる?」
 何て久し振りに見る顔だろう。いつまでだって変わらない面影だ。本当ならここで、久々の再会に乾杯――なんて行きたいところだけれど。
 今日はタイミングが悪くて、そんな時間も取れそうにない。
「悪いけど、今日はお仕事中だからね」
 全員とはお話しできないよ――嘯くように紡ぐ唇に弧を描くから、誰か一人が声を零した。
 それをしっかり聞き届けて、ロニはぶんぶん首を横に振る。
「違うよ、違う違う。ちゃんとみんな覚えてるって」
 確かに忘れっぽいけれど、そこまで落ちぶれちゃあいないつもりだ。不服そうな表情が少しだけ揺らいだら、次は困ったような色を刷く。
「うん、またなんだ」
 ――炎の弾ける音がする。
「ごめんね。ボクにはどうしようもないんだ。約束だからね」
 本当に。
 どうしてあんな約束をしてしまったのだろう。自分の考えていたことの方はすっかり忘れてしまった。後悔先に立たずなんていうけれど、これは別だ。
 どうせ後悔することなんて、交わす前から分かりきっていたことなのに。
 ――あのときみたいに。
 それでも、納得してくれるものではないらしい。また何か一つ言葉が零れて、ロニは首を横に振るのだ。
「だからーダメなんだって」
 もう決まってしまった。
 決まったことは覆せないのだ。自由気ままな嵐の如き神様だって、自分で交わした約束と決まり事は、反故にすることが出来ない。
「そんな顔してもダメ!」
 断るこっちだって心は痛い。びしりと指を差してから、彼の声はいつかの真実を紡ぐ。
「大体さ――あのときキミたちを焼いたのはボクじゃないか」
 助けを求める相手を間違えている、なんて。
 ――ここに救いの手を伸ばせる者は、ロニしかいないけれど。
「悪かったよ、本当。次はきっと助けるからさ」
 焼かせたりしないよ――。
 次があるのなら。また地獄を繰り返す日が来るのなら。宛のない約束をまた一つ交わして、神の足が一歩を下がる。
 今は、仕事中だから。もう歓談している時間は、残されていないから。
「だから――もう行くね?」
 ひらりと手を振って踵を返す。向こうに見える出口を目指して走り出しながら、もう一度だけ振り返った金色の隻眼がひらりと笑う。
「きっと……また会おうね!」
 じゃあ、また百年後。

大成功 🔵​🔵​🔵​

朧・ユェー
火がまわる、熱い?
熱さなどどうでも良い
自分が火の中で燃えるのなら
いや、どうせなら燃えてくれる方が

声が聞こえる
見知った声が、一人?いや、複数
あの館の子達だ
手を差し伸べて助けを求めている
あの子達がこんな所に居るわけがない
こんな火に負ける子達では無い

それはわかっているはずなのに
あの時の言葉が重なる

一何で助けてくれなかったの?

これが幻影だったとしても
僕は…
そっと差し伸べる
一人ずつ確実に手握り
安全なあの場所へと移動させる

消えていく幻影達に安堵する自分がいる
この子達を助けてもきっと許させないだろう
でもやはり僕はこの子達を見捨てる事は出来ない

この子達を最後まで見護る事が僕の生きる意味だから




 どうせ燃えるならば、己であれば良かったものを。
 頬を撫でる風が、耐え難い熱気を孕んでいる。知らぬ間に逆巻く炎の裡に立っている己の手を、朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)はじっと見詰めていた。
 汗は零れるが、それはどうでも良かった。いっそこの服に火種が移って、そのまま灼けて灰になるのなら、それも悪くはないとさえ思う。
 けれど――。
 ――この身を呼び止めるように、後ろ髪を引く声が聞こえてくる。
 よくと聞き慣れた声だ。どれほど炎が煩くとも間違えることなどない。幾重にも重なった音の全てを聞き分けて、ユェーは弾かれたように顔を上げる。
 そこにいる。
 眞白の色彩を抱いていた館。今はとりどりの色を孕む、万華鏡の庭にわらう、大事でならない――。
 助けて、と声が唱和する。誰かを探すように駆ける足だって、もうぼろぼろだ。肌に煤を纏って、火を避けるように惑うその姿を、金色の眸が茫然と見遣る。
 ――いるはずがない。
 そんなことは分かっている。炎などに惑うような弱さは持っていないことも。きっと自分の成したいことを抱いて、走っていけるのが――本来の彼らだということも。
 だからユェーのすべきことは、惑わしに眩むことではないはずだ。本当の彼らと再び笑い合うために、踵を返して、あの教室へ向かうことだ。
 それなのに。
 頭の奥から引きずり出される。熱が、炎が、眩むような赤が、責め苛む眼差しで真っ直ぐに射貫くのだ。
 ――何で助けてくれなかったの?
 目眩がした。踏みとどまった足が動かない。
 そう――。
 たとえこれが幻であっても、この手が掴んだそれが何を招くのだとしても、ユェーは。
「みんな、こっちへ」
 差し伸べた手でまず一つ、白くて細い、けれど筋張った手を握る。白い髪が揺れるから、安心させるように笑った。
 それから周囲を見渡す。炎に呑まれてしまった姿がないことを確認して、火勢から逃すように手招きをする。
「慌てないで、全員連れて行くから」
 蒼い隻眼。赤い牡丹の一輪と、薔薇の一差し。苺色の眼差し。日だまり色の豊かな髪。桃色の歌姫と、秘色の歌姫。春の絵描きも、白兎も、幽世の文具屋も。一人ずつ手を取って、教室へと連れて行く。
 ユェーが踏み入るのは、最後だ。
 全員の背が揺らいで消えるのを見送りながら、心の底から安堵する己を、確かに感じている。たとえ幻に過ぎずとも、確かに救えたのだと思うと、肩から力が抜けるようだった。
 彼らを助けたとて――。
 背負う罪は許されたりしないだろう。現実の彼らが、それをどう思うのかも、別のことだ。
 けれど。
 ――けれど、見捨てることだけは。
 最後まで守り抜く。その歩みを見守ることが、ユェーが歩み続ける理由なのだから――。

大成功 🔵​🔵​🔵​

丸越・梓
アレンジ、マスタリング歓迎

_

…燃えている。
あり得ない。この子たちがここにいるなんて。
けれど泣いている。
目の前で、この子たちが。

──かつて喪ってしまった、孤児院の弟妹たちが。

「……っ、」
反射だった。
これは幻影だ。理性では判っている。
けれど迷わず手を伸ばした。
幻影だろうが何だろうが構わない。
もうこの子たちを苦しめたくない。その涙を何度だって拭ってやりたい。護りたい。

名前を呼ぶ。炎を払う。この腕の中に抱きしめる。
やがて辿り着いた3-Cにてこの子たちが消えゆく間際に聴こえた声に
胸が、──掻き毟られる。


『おにいちゃん──…』




 肌を撫でる熱よりも、喉を灼く炎よりも、心の底を埋める氷の零度が勝る。
 理解している。有り得ない。丸越・梓(月焔・f31127)は既に大人となった。幼さ故に全てを奪われた無力な子供はとうにいなくなって、だから――その手が護れなかったものなど、ここにあるはずがない。
 それなのに。
 泣き声が耳を劈く。まだ黄色い声は、この学校の生徒たちのそれとは全く違う。小さな足。小さな手。煤に塗れた肌に火傷を作り、火から逃れて涙を流し、熱で真っ赤になった柔らかな頬に跡を残す子供たち。
 梓の。
 ――梓が守り切れなかった、目の前で血溜まりに沈んだ、弟妹たち。
「……っ、」
 伸ばした手は反射的なものだった。けれど勢いをつけてしまった体はもう止まらない。割れるような頭痛が警鐘を鳴らしているのに気付いたのは、この手が触れた後だった。
 温度が――。
 暖かい脈がある。梓の次に年長だった、けれどごく細くて柔らかな腕に、生きる証が巡っている。
 理性の声が遠のいた。幻影だ。幻だ。術中に嵌まっているだけだ。
 ――それが何だ。
 これ以上苦しめたくない。もう二度とあんな目に遭わせたりしない。零れる涙を拭って、抱き締めて、優しく頭を撫でてやりたい。あの日に出来なかったことを――してやりたい。
 ひとひらとも忘れない名を、一つ一つ確かめるように呼んだ。炎に負けぬよう、けれど彼らが怯えないように。
 今の梓は、あの頃のままの彼らから見れば、『知らないお兄ちゃん』でしかないかもしれないから。
「こっちだ!」
 屈めた長躯で手を広げる。真っ直ぐに合わせた視線が、焦燥に鋭く光りそうなのを堪えた。出来る限り優しく、出来る限り穏やかに、怯えて躊躇している間に炎に呑まれたりせぬように――。
 梓の目を見た少年の一人が、はっとしたように動きを止めた。全員の名前を呼んで、梓を指さして、迷わずにその胸へと飛び込んでくる。
 小さくて軽い衝撃が、胸元に埋まるのを感じた。次々とこの腕に感じる、弟妹たちの懐かしい感覚を、強く抱き締めて噛み締める。
「もう、大丈夫だ」
 掠れた声で囁きかけて――。
 炎を払って立ち上がる。行かなくては。この熱だけでも、彼らを苦しめるに違いないのだから。
 夢中で走り抜ける廊下の向こう、見えた綺麗な扉を迷いなく開いた。その先の静謐目がけて飛び込むように地を蹴れば、熱は幻の如く消え失せる。
 腕の中の、彼らも。
 軽い重みがゆっくりと消えていく。見遣ったときにはもう遅い。表情の一つすらも見えないままに、ふわりと掻き消える刹那――。
「おにいちゃん──……」
 誰かの声が。
 胸の奥を掻き毟るような痛みを残して、梓を独り、置き去りにする。

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子

師匠、

……いいえ。
現実ではないと、気付くのは早い。
だって師匠は火に焼かれて死んだのではない。
あたしを庇って喰い千切られたその半身を、
諸共呑み込まれて溶かされ掛けた熱さを、
忘れたことなんて一度もない。
わかっているのよ。

おれのことは置いて行きなさい、と。
そう笑うあなただって、あたしの記憶の再演に過ぎないのでしょう。
わかっているわ。

逃げなさい。足手纏いだ。傷になる。振り返らずに、はやく行け。

わかっているわ。
あなたがひとりで何とか出来ると。
あたしはただの、足手纏いだと。
わかっているの。

――だけれど、あたしはもう、6つやそこらの子どもではないの。
これが只の影だって、聞き分けてなんてあげないんだから。




「師匠、」
 まろび出た声は、すぐに吐息に変わる。
 思わずと呼んでしまったけれど、これはあなたじゃない。齎された光景は幻惑だと、花剣・耀子(Tempest・f12822)が気付くのは早かった。
 だって――。
 男物の着物を纏う大きな手。欠けた角と、刀傷。忘れたことのないあなたは、炎に巻かれていなくなったのではない。
 覚えている。
 耀子を庇った体が、食い千切られる瞬間を。飛び散った赤色と引き摺られる臓腑が、巨大な口の中へと消えていくのも。そのまま一緒に呑み込まれ、身を灼かれて融けかけた、この炎など生温いくらいの熱も――。
 いっそ、忘れることを許してしまった方が楽だったかもしれないくらいに、よく覚えている。
 だから分かっている。続くはずの言葉も、振り返った顔が浮かべた表情の一つまで。
「おれのことは置いて行きなさい」
 これは、耀子の記憶の焼き直しだ。
 炎に踊る髪と静かな温度。一時たりとも忘れたことのない、あなたの懐かしい聲。立ち尽くす弟子を、後継者を見て、その唇が何を紡ぐのかも分かっている。
「逃げなさい」
 ――ええ。
「足手纏いだ」
 ――そうね。
「傷になる」
 ――わかっている。
「振り返らずに、はやく行け」
「わかっているわ」
 一人で何とでもしてしまうのだろう。そういうひとだったから。あれから随分と強くなったつもりで、けれど未だ何かを取りこぼしてしまうこの手では、その足許に及びもせぬのだろう。
 ここに耀子が残ることは――その言葉通りで。
 あの頃と同じ、足手纏いとしかならないのだろうことも。
 たとえこの身が役に立てたとしても、ここにいるあのひとは、所詮は作り出された影でしかない。師の言葉にならうことが正解だということは、誰の目にも明らかだ。このまま踵を返して、振り返らずに、火の手から逃れるように、走る。
 やるべきことは、そう――。
 ――そうなのだけれど。
「あたしはもう、6つやそこらの子どもではないの」
 剣を強く握り締める。持ち上げた眼差しに、剣呑ないろは宿らない。こんな場所なのに、こんなにも理解しているのに、どうしてか込み上げるのは、ちいさな笑みの方なのだ。
 自分の足であなたに並ぶ。踏みしめた軋む廊下の感触が、やけに鮮明に残る。
 まだ――あなたは、見上げるほどに大きい。
 あのときは、出来なかったこと。今は、きっと出来ること。忘れないと刻んだからとて、割り切って背を向けたわけではない。
 抱えている。
 抱えているからこそ――。
「聞き分けてなんてあげないんだから」
 ≪花剣≫の確かな声が、炎の裡に融けて、わらう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ゼロ・クローフィ
燃える廊下
悲鳴と助けを求める声
幻影か…

懐の煙草に火をつける
口に咥えたまま歩き出す
幻影を助けてどうなる?
興味が無い
もしこれが真実だったもしても
俺は手を差し伸べるだろうか
誰が死のうが、俺が死のうが興味無い俺が…

足が止まる
見知った声、チラリと目線をおくる
嗚呼、お前さんか
こんな所まで出てくるとは本当に迷惑だな
助けを求める声
いや、アイツはこんな時でも助けは求めはしないだろう
自分で何とかする

足を進めようする…が
はぁと大きく溜息をつく
手を掴みそのままポイっと『3-C』へ

あのまま無視すれば
酷いですよと煩く言うだろう
いや、偽物なのに助けちゃたんですかと言うかもしれない

まぁどちらでもいいか
くくっと笑って歩き出す




 ――興味がない。
 悲鳴、熱、灼ける音。幻影であることは一目瞭然だ。何しろ、ゼロ・クローフィ(黒狼ノ影・f03934)はこんな場所を訪れたことすらない。
 否。
 あったのかもしれないが――。
 記憶にない。記憶の底を浚えばあるのかも分からないが、それすら己のものであるかどうか確証もない。
 懐から取り出した煙草の火種には困らない。拝借した煙を呑み干して、咥えたそれから両手を離して歩き出す。
 走り抜ける生徒たちに、手を差し伸べることはしなかった。こんなものを助けてどうなるという。現実世界の生徒らに何らの影響もないだろうことは知れている。ならば燃やすに任せたところで構うまい。
 だが――。
 もしも眼前で、本当に誰かが燃えていたとして。
 ゼロは手を差し伸べるだろうか。この世界そのものに退屈していて、何らに興味も懐けず、己の過去を探り生きながら――己の命すら、執着の外に置いている彼が。
 思案に沈みかけたゼロを引き留めるように、きゃらきゃらとした声が鳴る。
 彼の足を止め得る唯一の声。ちらりと一瞥した先に、思った通りの姿がある。異彩の虹彩、髪と色の違う獣の耳。糖蜜のような姿は、ごく見覚えのあるものだ。
「嗚呼、お前さんか」
 ――白い指先を見遣りながら、思わず小さく息を吐いた。
「こんな所まで出てくるとは本当に迷惑だな」
 また振り回すつもりかと、覚えた頭痛に瞬きをする。けれどゼロの予想に反して、その唇が紡いだのは助けを求める声だ。
 あいつはそんなものを求めやしないだろう――。
 何だかんだと彼を引っ張り回す割に、手を借りたいわけではないらしい。非常事態は勝手に自分の力で解決するのが、あの騒がしい夢魔の性質だ。
 構わずに歩き去ろうとして――溜息が口を衝いた。
 無言のまま無造作に掴んだ腕を引っ張って、開いた静謐な扉の向こうへ投げ込んだ。見開かれた眸がゆらりと掻き消えるのを見据えてから、ゼロは深く紫煙を吸い込む。
 無視したら煩いのは目に見えていた。いつもの調子で唇を尖らせ、きゃんきゃんと声を上げるさまが明瞭と脳裏に映る。
 ――酷いですよ。
 どうせそう言いながらついてくるに違いない。ならば静かになるように、その要望は叶えておいた方が良いだろう。
 否――。
 ――偽物なのに助けちゃたんですか。
 或いはそんな風に笑うのか。それはそれで想像に難くはない。唇に咥えたままの煙草をゆっくりと離して、唇を僅かに持ち上げる。
 喉の奥が鳴った。どちらにせよ構いはすまい。どうあれ――まあ、それほどに退屈な反応ではないように思えるからだ。
 紫煙を吐き出して、男の足が踏み込んだ。くゆる煙が、扉の向こうに消えていく。

大成功 🔵​🔵​🔵​

水標・悠里
火の手が…!
何もせず放置だなんて、それは
…あの時遺体を焼いたのを彷彿とさせるけれど
言っている場合では

――この声は
見知った顔が人と炎の中に紛れている
どうしてここに? 居ないはずでは
嫌だ、そんな
このままじゃ、皆が死んでしまう!
皆が死ぬところなんて見たくない、なら助けなきゃ…
僕がどうなったって良い
震えが止まらない、けれどやらなきゃ

怖い、今にも叫びだしそう
投げ出したい、見たくない
飲まれそうになる度に、踏み出せない時は短刀で傷をつけて
痛みでなんとか振り払う
どうせ、どこに行ったって地獄しかないのだから
自分なんて潰れても、どうなっても良いから
だからお願い
皆だけは…他はどうでも良いなんて僕のエゴだとしても




 少年の息が走り抜ける。
 火の手が回る。呑み込む端から、生唾さえ乾いていくような熱気だ。乱れる呼吸をどうにか整えるために胸に手を当てて、水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)の視線が周囲を巡る。
 ――強い火勢は、いつかを思い出してしまう。
 骸を灼いたときは、確かもっと強いにおいがした。けれど状況は似通っていて、全てが終わった後よりずっと切迫しているということも分かっている。
 止まっている場合ではない。けれどどうすれば良いのかも分からない。逃げ惑う生徒たちと同じ、惑うように縺れる足が、不意に止まった。
 ――声がする。
 思わずと見上げた炎の向こうに、いるはずのない顔がある。揺らめく黒い髪。金色の混じる獣耳。長く艶めく漆黒も、見間違うはずがないけれど。
 どうしてここに――。
 混乱が重なって目眩がする。何も分からない。分からないけれど、不快感が胃の奥からせり上がってくるようだ。
 嫌だ。
 このままでは。
 このままでは――皆、火に巻かれて死んでしまう。
 不意に体を炙る炎の熱が戻ってくる。嘲笑うように悠里の視界を遮る赤が、その身さえ呑み込まんとして暴れている。
 足が震えた。歯の根が上手く噛み合わない。この身がどうなったって、彼らが死ぬよりはましだと思っている。頭では、確かにそう考えているのに、込み上げる恐怖は正直だ。
 恐ろしくて堪らない。このまま何もかも投げ出して、見なかったことにして、目を瞑って走り出したい。
 ――衝動を殺すように、汗ばむ手が短刀を握る。
 掌に描いた線から赤が飛び散る。目が覚めるような痛みに意識が逸れて、動かない足が前に出た。上手く吸い込めない息がひどい頭痛を引き起こして、ただでさえ滲んだ視野が狭くなる。
 けれど――走ることは出来た。
 幾重に傷付ける掌の痛みが、恐怖の海から悠里を引き戻す。歯を食い縛りながら走る先、伸ばした自分の手すらも遠く思えてならない。届くのかどうかも分からないけれど――。
 届かせなければいけない。
 どうせ、どこに行っても地獄だ。生まれたときからだったのか。それとも殉じるべきだった楽園を喪ってからだったか。この身が心を抱えてしまったと知ったからか。
 ――どれでも良い。
 地獄の中で生きていくのも、死んでから地獄に落ちるのも、きっと悠里にとっては同じことだ。ならばいっそ、この身など潰えても構わない。ここで炎に呑まれて灰になるのなら、それもきっと、恐ろしくて理不尽な命運の思し召し――というものなのだろう。
 けれど。
 けれど――彼らだけは――。
 悠里の命を投げ捨てでも。他の誰を犠牲にしても、どうか。
 ――それが己のエゴだと知りながら、伸ばされた手は強く『今』を掴んだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​

アルトリウス・セレスタイト
UDCは精神に干渉するものが多めな気がするな
ともあれ抜けるか

仮に煌皇を抜けて幻を見せるなら、その点に関してはフォーミュラ級の可能性があるだろう
自身の精神は決してまともでないとは言え、或いは後に残る影響を受けるかもしれん
手を打っておくべきか

魔眼・停滞で対処
自身の知覚範囲全てを同時に初期化
UDCの影響下を脱する

炎の幻影に苛まれる者たちも夢幻の軛から逃れよう
万が一、抜け出したいが叶わずいる猟兵があってもこれで抜けられるはず

本番はこの後
油断なく進む

※アドリブ歓迎




 ――さて、精神干渉が多いような気もするが。
 元より邪神というのは狂気に寄生する。それがこの世界の理であるのならば、あの手この手で他者を狂わせんとするのにも理解は及ぶ。
 さりとて――それが正常に作用するかどうかは別の話だ。
 アルトリウス・セレスタイト(忘却者・f01410)の足取りは止まらない。そもそも、彼には幻影すらも碌に見えてはいないのだから当然だ。纏う絶対拒絶の理は、この世の外に存在するものである。『この世界』のものがそれを貫いてくるのだとしたら、相当の力を持っていることになるだろう。
 例えば、そう。
 この世界において『完全に復活した首謀者』のようなものだとしたら――まあ、可能性としては考え得る話である。
 狂気の注ぎ込みに特化しているというのであれば、その可能性も否定は出来まい。そのまま向かっていくことも出来るとはいえ、今とて陽炎のように歪む光景は、干渉の強さを訴えているともいえる。
「――手を打っておくべきか」
 アルトリウスには、およそ人らしい精神というものはない。
 そういうものだ――と言うほかにあるまい。ともあれ彼に干渉しうるものともなれば、後に及ぶ影響がないとも言い切れない。
 石橋を叩いて渡るとも言うが、転ばぬ先の杖とも言う。
 ――原理の魔眼が、ひらめくように全てを歪めた。
 効果範囲はアルトリウスが知覚出来る全てだ。邪神の力に左右された全ての光景が、完全に消え失せる。
 初期化された光景は、ただの閑静な住宅街と変わりない。未だ夕陽にも至らぬ陽光が光っているのを一瞥し、アルトリウスは歩き出す。
 どうやら――。
 他の猟兵たちは、一足先に幻影の中を駆け抜けたらしかった。足を止めたり、蹲っている者は見当たらない。
 これならば心配をすることもあるまい。
 万一にも囚われたままの者がいたならば、アルトリウスの初期化の力によって、全て解放されたはずだ。それも気にする必要がなくなったとなったなら、彼が為すべきはただ、此度の元凶に辿り着くことだけだ。
 迷いなく歩いて行く道の先――突き当たりに、一軒の家がある。
 そこだけ生活の気配がしない。どこか寂れたような外装を一瞥する。成程『当たり』はここかと、その中を窺うまでもなく知れた。
 その扉に手をかけて、迷いもなく開く。暗い家の中、埃の溜まった廊下の上を靴のままで歩き、彼はじっと二階に続く廊下を見上げる。
 ――この先か。
 どうやら、本番は近いと見える。
 油断ない足取りが階段を踏む。登った先、突き当たりにある扉を、その手がゆっくりと開いた――。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第3章 ボス戦 『愛すべき『わたしたち』』

POW   :    『心』
【『わたしたち』】が現れ、協力してくれる。それは、自身からレベルの二乗m半径の範囲を移動できる。
SPD   :    『夢』
【『おかあさま』の力】を籠めた【夢魔たる能力】による一撃で、肉体を傷つけずに対象の【夢を喰い、心に満ちた希望】のみを攻撃する。
WIZ   :    『狂気』
【関心】を向けた対象に、【"狂気"を齎す幻覚を、脳内へ直接送ること】でダメージを与える。命中率が高い。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主は百鳥・円です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


●ねがい
 皆、壊れちゃえば良いって思ってた。
 教科書のラクガキとか、机に彫られた文字とか、にやにやしながらこっちを見る目とか、全部全部嫌いだった。
 ――たまに、みよまで憎らしくなることがあった。
 みよは私と違って、明るくて、前向きで、運動も出来て――勉強はあんまり出来なかったけど、そういうのも全部引っくるめて、みよの魅力って思わせる力があった。そういうのが、多分、妬ましかった。
 全部――俯いてばっかりで、誰にも話しかけられない私の方が悪いんだって、分かってたけど。
 でもみよは私を見捨てなかった。私がいじめられても、落ち込んでみよに気を遣わせても、傍にいてくれた。
 ――だから、私の教科書を破った子たちが、みよの名前を出したときに、今度は私がみよを守らなきゃって思った。
 勇気がなくて、あがり症で、喋ろうと思うとどもってばっかりの私に出来ることなんて、きっとほとんどない。だけど、みよにあんな目に遭ってほしくなかった。みよは強くて、優しくて、私じゃ落ち込むようなことがあっても平気で笑い飛ばせるけど――あんなことされたら、絶対に傷付くから。
 母さんに相談して、ちょっとだけ学校を休むことにした。それでも毎日来てくれて、それだって近所の子は知ってたはずだから、会いたくないってことにして、みよからのメッセージも全部見ないことにした。
 ――見たら会いたくなるから。
 一週間くらい前に、学校が燃える夢を見た。
 それからのことはよく覚えてないけど、燃える学校の中に女の子がいたのは覚えてる。哀しそうなその子の後を追いかけてたら、いつの間にかみよの教室にいた。
 それからずっと、私はこの、夢のみよと一緒にいる。
 どうすれば良いんだろう。どうすれば良かったんだろう。今更戻れるのかな。戻ってどうすれば良いんだろう。みよに合わせる顔なんてないのに。
 ここに来てから、後悔ばっかりしてる。壊れちゃえば良いって思ったのは私なのに。このまま燃えて死んじゃうんだとしても、それが正解なんだとしても、こんなところに来るんじゃなかった。みよと一緒にいれば良かった。何を言われても無視してれば。みよを信じれば。みよが傷付いたら、手を繋げば。そしたら、こんなことにはならなかったのに。
 ここじゃ、みよに。
 ――みよに、さよならも言えない。

●廻環
 夢から醒めるように、光景が掻き消える。
 気付けば、子供部屋と思しき場所に立っている。けれどその広さは異空間じみているだろう。全員が立ってなお余裕がある。
 窓の外には、闇と星空だけが広がっていた。日が落ちるほどの時間すらも経っていなかったはずだが、その領域は夜の帳に包まれている。
 ベッドの上に、少女が一人眠っていた。目を開けないその娘こそが梨華だ――と直感する者もあったろう。規則的に上下する胸が命を伝えて、安堵した者もあるだろうか。
 ――しかしすぐに、視線はもう一人の少女へ向かう。
「超えてしまったのね」
 梨華の頬を愛おしむように撫でながら、ひとではない少女が睫毛を震わせる。
「――可哀想に」
 罅割れた首、焼け焦げた翅、完全な円を描かぬ頭上の輪――零れ落ちるような欠陥を晒したまま、邪神の眸が真っ直ぐに猟兵たちを見た。
「どうして壊れてしまうのかしら。どうして壊れてしまうのに、縋ってしまうのかしら」
 ――底知れぬ夜空の眸に囚われて、心底より湧き上がるものがある。
 呪いではない。絶望でもない。それは元より心の裡にあったもの。否定し、律し、或いはないと思っていた――しかし確かに、己の裡側に飼い込んだもの。
 示すならば、それは――狂気。
「やわいものはいとおしい。憐れで哀れで――願いが叶っても、叶わなくても、壊れてしまうのね」
 腕を広げた夢魔は、憂えるように目を伏せる。夢を喰らい、狂気に伝播し、その心の柔らかな地に根を張り――甘き終焉に導く者。その指先が成したのはただ、誰かを覆う正気の蓋を、少しだけずらすこと。
 ならば、彼女を打ち倒すために、為すべきは一つ。
「『わたしたち』が、壊(アイ)してあげましょう」
 自らが心の裡に飼った自らへの呪いに、抗うことだ。


※三章では特殊ルールを適用します。
 二章にて狂気に触れた、或いは振り払ったことで、邪神の関心は完全に猟兵へ向きました。今後、御手洗・梨華に対し能動的に攻撃を仕掛けることがなければ、彼女は戦闘終了後に無事に目を覚まします。
 ただし、彼女の請け負っていた干渉が猟兵たちを襲います。今回は特に「秘めていたい願望」もしくは「耐え難い衝動・感情」となり、心の裡を埋め尽くすでしょう。
 他者のそれへ直接干渉・影響を抑えることは不可能ですが、影響の少ない方が影響の大きい方へ、呼びかけなどの形で支援を行うことは可能です。
 必ずしも狂気に抗いきる必要はありません。「御手洗・梨華の無事を確保し、邪神を討伐する」という目的を達成出来れば、猟兵であれば後遺症を残すことなく狂気から脱出可能です。
 以下、ルールが少々複雑ですが、お目通し頂ければ幸いです。
 記号に関する齟齬などがありました場合、プレイングと救助人数に関するルールを優先して執筆いたします。また、二章にて明確に人数の描写がない・二章不参加の方の場合は、ご自由に選択ください。

・狂気への対抗
 ◎:狂気に抗いきり、自我を保ったままで邪神と対峙します。
 ▲:完全な抵抗は出来ず、自我の浸食を受けながら邪神と対峙します。
 ★:狂気のうちから逃れることが出来ず、自我を浸食された状態で邪神と対峙します。判定は苦戦となります。この場合でも、梨華および周囲の猟兵を攻撃することはありません。

・助けた人数
 0名:深度は浅く、抗いきることが可能です。◎、▲のどちらかをお選びください。
 1~5名:深度は中等度で、精神を強く律すれば抗いきることも出来ます。◎、▲、★のうちからお好きなものをお選びください。
 6名以上:深度は深く、抗いきることはほぼ不可能です。▲、★のどちらかをお選びください。


※プレイングの受付は【3/14(日)8:31~3/17(水)22:00】とさせて頂きます。
ベスティア・クローヴェル

戦いたくない

死にたくない

人並みの命が欲しい

友達ともっと一緒に遊びたい
同年代の子と同じ様にお洒落を楽しんだり、美味しい物を食べたり、もっと普通に暮らしたかった
太陽のように人々を明るく照らす事が出来たらと願ったけど、命を代価にするなんて聞いてない
ただでさえ短い命を削るくらいなら

私は戦う事を――

自身の頬を力一杯殴り飛ばす

目を覚ませ

友人が戦いに巻き込まれた時
未来ある若者が殺されそうになった時
ただ指を咥えて見てるつもり?

彼等が安心して過ごせるよう、残りの命を使って守ると決めたのは私自身だ
ならばもう一度、私の全てを投げ打って炉に火を灯せ

友人達を大切に思うなら、私には存在しない未来を明るく照らしてみせろ




 ここから逃げられたら、どのくらい楽になるだろう。
 どれほどの覚悟を以てしても、本能に抗うのは難しい。命を繋ぐために生まれてきたのが生命であるなら、死に物狂いで生を望むのはその使命ともいえる。
 ――それが、さまざまな世界を知ってしまったのなら、尚のこと。
 星空の眸を見たベスティア・クローヴェル(太陽の残火・f05323)の頭の中を、刹那に無数の想いが駆け巡った。己の命に繋がる全て。取りこぼしたものと、戦禍と、痛みと苦しみと。
 本当は、そんな場所に――いきたくなんてなかった。
 死にたくない。この病に冒された身が長く生きないなんて、信じたくない。やりたいことが沢山ある。知ってしまったことをなかったことにも出来ないし、けれどこの身の運命が変わらないから、それが余計に煌めいて見えもする。
 友達がいる。
 沢山遊びに行きたい。一緒に買い物がしたい。美味しいものを食べて、着飾って、化粧をして――街を歩いている人たちと同じように、安穏と。
 けれどベスティアの手は短くて、いつだって届かないのだ。身を蝕む病が示す残り時間はただでさえ、誰かが笑顔で語る『普通』を享受するには短すぎる。ならば太陽のようにあれと願って、がむしゃらに進む道の先でも――運命は彼女を嗤うのだ。
 この身が宿す光では、太陽には及ばない。なお輝きたいと願うなら対価を差し出せと招く手は、ベスティアから時間を刻々と奪っていく。まともに生きられない時間を更に削って、吐き戻すような悔悟と悲哀を引き摺って、そうまでして。
 ――そうまでしても。
 本当に望むものは、この手には一つだって届かない。
 不意に込み上げる感情が訴える。こんなに辛くて苦しいばかりで、業も十字架も、背負う呪いも増えるばかりで――ならばもう、手放してしまえば良いのじゃないか。
 ただでさえ少ない残り時間を焼べて、痛みを得る必要なんかないはずだ。ならばこの手を開いて、ここで頽れてしまっても――。
 強く拳を握った。持ち上げたそれで思い切り己の頬を打つ。衝撃に揺れる視界に、何か暖かくて透明な雫が散った気がした。
「――目を覚ませ」
 震える声には聞こえないふりをする。剣を放してしまったらどうなるのか、ベスティアはよく知っている。
 当たり前を共にしたい友人たちが、戦いに巻き込まれたとき。命の短い彼女より、ずっと未来のある者たちがそれを絶たれそうになったとき。
 ――ここにいなくては、救えない。
 安寧を得るべきは彼女ではない。僅かの灯火を擲ってでも、守ると決めたものがある。ならば。
 ならば――どれほど苦しくとも。
 盛る炎が、終焉を纏って剣となる。全てを焼き払う地獄の業火が、未練ごと絶ち斬るように振るわれた。
 友達を大切に思うなら――。
 ――この命にはない、光溢れる未来を照らす、太陽になる。
 心を叩き潰すような痛みも、零れる雫も、この命も――全てを灼いて。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

リック・ランドルフ
◯▲

クオリティの高いホラー、そして脱出ゲームだったぜ。主催者さん。

いや、本当にびっくり、恐怖の


――最高の気分だったよ。


…で、もう満足しただろ?だから、そこのお嬢ちゃん。お姫様、返してくれないか?お姫様を待ってる友人、家族がいるんだ



……ああ、返す気ない?…知ってた。そりゃ、そうだよな。



じゃあ、無理矢理返して貰うぜ。


――お姫様の側にいるべきなのはお前じゃない。




狂気への対策は……頑張って耐えるしかねえな。(覚悟、狂気耐性)


――こりゃ、キツいな。胸の奥から涌き出るナニカが抑えきれ




ないが、抑えるしかねえな(拳銃で自分の腹部を撃ち抜いて意識を目の前へと)(激痛耐性、零距離射撃)


――終わりだ




(熱線銃で攻撃)




「クオリティの高いホラー、そして脱出ゲームだったぜ。主催者さん」
 吐き捨てるような声で唸りながら、リック・ランドルフ(刑事で猟兵・f00168)は眼前の邪神を見た。
 全く以て胸糞の悪いものを見せてくれたものだ。ここまで来るといっそ清々しいくらいの心地さえする。踏み込むと同時に消えた幻影には、温もりすらも再現されていたというのだから驚きだ。
 B級ホラーもびっくりの超リアル。脱出ゲームとしての出来栄えも最低だ。噛み潰すような怒りを湛えた紺碧の眼が、憐憫に満ちて目を伏せる少女を睨みつける。
「――最高の気分だったよ」
 その身が心を喰らうというのなら、もう充分すぎるほどに喰らっただろう。その腹も満たされ切っているのなら、もう眠る少女を捕まえておく必要もあるまい。
「……で、もう満足しただろ? だから、そこのお嬢ちゃん。お姫様、返してくれないか?」
 腕を広げて、友好的な皮肉で以て、リックは一歩を踏み出した。
 手にした銃を向けはしない。男の足を一瞥して、けれど邪神は、ゆっくりと首を横に振った。
「『わたしたち』は壊(アイ)すだけ。甘きゆめを、見せるだけよ」
 ――あまねくすべてをアイするが、この身の役目。
 なれば果たすまで。この哀憐に従って。現界すら儘ならぬ身を誰かの心に巣食わせて、この世に甘き終焉を。
「あなたたちも、この子も、同じように」
「そりゃ、そうだよな」
 言ってみただけだ――とばかり、リックは肩を竦めた。
 元より話が通じぬことは明白だった。邪神というのはどうにもこういう手合いが多い。
 ならば――。
 無理矢理にでも奪還するのみ。
「――お姫様の側にいるべきなのはお前じゃない」
 さりとて蝕む狂気がリックを侵す。心の底から湧き出す、黒いマグマにも似た感情が、その身を支配しようと手を伸ばしている。
 ――確かに、堪え切ることは難しいかもしれない。
 彼ですらそう思うほどに、その侵食は重い。だが抑え切るしかないのならば、為すべきは一つ。
 手にした銃口を躊躇なく己の腹へ当てた。引金を引くと同時に視界が眩む。銃創はまず恐ろしいほどの熱を伝えて、次いで気が遠くなるほどの痛みが脳髄を痺れさせた。
 迸る鮮血を押さえつける。痛みに軋みそうになる足を捻じ伏せてなお、彼はじっと前を見る。
 銃口は震えない。狂気の淵より意識を引きずり戻すほどの痛みすら、彼を止めることは叶わない。
「――終わりだ」
睨むように血を吐きながら、リックの指先は熱線銃の引金を引いた。

成功 🔵​🔵​🔴​

榎本・英
★○

夢などないよ
いつかは醒めるだろう

希望もないよ
抱いた所で冷めるだろう

壊、徊、悔、解

自己満足の壊は楽しいかい?
その子はどうなるのかな?

思った所で口には出ない
嗚呼。そろそろ私が私ではなくなる
殺人鬼である私の核
私たち殺人鬼は、常に殺人衝動と戦っているのだ

こころはとうのむかしにこわれた


ころしたい


あとは衝動のままに、自由に創れば良いのだ
夢と現実、矛盾した二つは、一種の絶対的現実
意識というフィルターを外し、無意識に自由に
そんな思想を掲げた者たちがいたね

君が何でも壊すると云うのなら、私は許すだけだよ
赦す、許す、認す!
無意識は、自由なのだから!


好きなように壊しなさい
私も君と云う作品を創ってあげるよ




 夢などない。
 いずれ醒めると分かっているものに、どうして浸れるだろう。その先に突きつけられる現実が、余計に重くなるだけなのに。
 希望もない。
 いずれ冷めると分かっているものを、どうして抱いていられるだろう。希望を抱くから、人は皆、絶望するのだというのに。
 壊が徘徊り、悔悟は解ける。自己満足に齎される壊は果たして何を生むのだろう。その哀れむような視線を、喜ばせるものたり得るのだろうか。そうして生まれた『苗床』は、果たしてどこに行って、どう成るのか。
 思考ばかりが明瞭に回って、けれどどれ一つ、榎本・英(人である・f22898)の喉を振るわせはしなかった。
 迫って来る。いつだって影に飼い、背を浸すあの薄ら寒い感触が。狂気の焔よりもずっと心を呑み、壊し、狂わせる――。
 否。
 ――こころなど、とうにこわれてしまった。
 己が己でなくなっていく。英の見開かれた眸の奥に宿った光が、喰われて呑まれて消えていく。じきに思考すらも霞むのだろう。何も見えなくなるのだ。ただ、あの、筆を浸すうつくしい赤の他に。
 殺人鬼は、ずっと――それに抗い、理性の薄氷の下に閉じ込めて、『まとも』の顔をしている。
 ころしたい。
 赤い双眸に光が宿る。手にした筆がインクを求めている。描けば良い。描くのだ。この降りしきる衝動のままに、この世界に物語を刻むのだ。
 夢と現実が相反するというのは現代の哲学だ。矛盾した二つの存在こそが、ある種の絶対的な現実であるとした者たちもある。意識のフィルターが全てを恣意に捻じ曲げるのならば、それを外したとき、人は真に自由になる。
 無意識はいつだって自由に在る。人間は誰もがそれを求めながら、己の意識の繭に閉じ込められている。
 ならばそこを脱すれば良い。そこに生まれた解放こそを、人が求めるべき自由と呼んで、英は。
 否。
 ――英の中の『それ』は嗤う。
「君が何でも壊すると云うのなら、私は許すだけだよ」
 赦そうとも。
 許すとも、認すとも。
 今ここで広げた手に飛び込む総て、すり抜ける凡てを、受け容れるとも。
「無意識は、自由なのだから!」
 嗚呼。
 だから、哀しげにこちらを見遣る君をも赦そう。まるで今にも衰弱死する犬でも見るかのような、哀憐に満ちた眸をも。
「好きなように壊しなさい」
 この心も喰らうが良い。この尽きせぬ執着を食い荒らすが良い。虫食いの穴を埋め、疵すら取り込み、この筆は永劫に綴り続けよう。
「私も君と云う作品を創ってあげるよ」
 そこにこそ現実が有るのじゃあないか。
 ――刻む赤とアイの、どちらがうつくしいのか。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

エコー・クラストフ

【BAD】
ハイドラ? どうしたのその姿。かっこよくていいとおもうけど
……ハイドラがそう言うこと言うって珍しいね。いつもはそう思っても隠してるのに

体を大事に……って、ボクは死ん――
……ホントに珍しいね。邪神の影響かな

……ボクはね、ハイドラ。目に見えるもの、手にするものがたくさんある世界の中で君を選んだんだよ
そして他にも考えるものがある中で、君を一番に考えている
たくさんある選択肢の中から君を選んだんだ。その選択肢を一つにするようなことは、君の価値を下げることだ
だからそれは許さないよ

やらないならそれでいいや。……さて。ボクの欲求はハイドラと一緒にいること、そしてオブリビオンを殺すこと
仕事の時間だ


ハイドラ・モリアーティ
【BAD】▲
いやあ、お前に愛されるのは困るわ
なあエコー?俺にはお前だけで十分なんだよ
この一件も正直どうだっていい
娘っ子一人死のうが
世界の裏側じゃ十人は死んでるだろ

それよりさァ
あーあ、服も煤まみれ
お前の体は大事にしてくれないと困る
――死んでるからはやめろ。イライラする
俺はさ、エコー
お前の世界に俺しかなくていいんだ
俺が生きてるっていやァお前は生きてるし
死んだって言えば死んでる
ワガママだろ。はっはは
魔王様だからな
脳髄まで寄生して侵して
俺のことしか考えられないくらいにしてやってもいいくらいに
お前のことがだぁいすきだよ

ま、やらないんだけど
俺は大人だからなァ
おしゃべりな夢の子
俺の世界に、お前はいらないよ




「いやあ、お前に愛されるのは困るわ」
 嗤う声は、元より狂気に満ちるもののそれだ。
 黒く染まった眸が裡に飼う狂毒を携え、小柄だった体はひどく背が伸びた。『成長』したハイドラ・モリアーティ(冥海より・f19307)の焼けた声が、せせら笑うように前に出る。
 いつもは自分よりも小さく、成人女性には似つかわしくない姿が、今は正しく大人の女性のそれとなっている。はたりと瞬いたエコー・クラストフ(死海より・f27542)は、いつもの調子で小首を傾いだ。
「どうしたのその姿。かっこよくていいとおもうけど」
「ありがと」
 『可愛らしい』恋人にゆるゆると笑う。底冷えするような感情を渦巻かせる異彩の虹彩が、獲物を狙う蛇が如くに煌めいた。
「なあエコー? 俺にはお前だけで十分なんだよ」
 ――この手に掴むものも。
 ――この手で救うものも。
 ――この手が求めるものも。
「この一件も正直どうだっていい」
 たかが娘の一人だ。この平和ボケした国だから大問題にもなるし、話を聞けば同情の余地も多分にあるのだろうが、そんなことはどうでも良い。
 この世界の裏側では、もっと同情すべき理由で、同じ年頃の娘が日に何百人と死んでいる。
 例えば――目の前の彼女だとか。
「……ハイドラがそう言うこと言うって珍しいね。いつもはそう思っても隠してるのに」
 果たして、エコーの深海の眸はそれを知っている。
 彼女のこととあればよく見ている。エコー自身は情動をあからさまに表に出すことを捨てて久しいが、その感情の機微を読み取る力は、寧ろ強いと言って良い。それが愛する者であれば尚のことだ。
 きょとんとする顔を愛しげに引き寄せて、ハイドラが蕩けるように笑った。
「それよりさァ。お前の体は大事にしてくれないと困る」
「体を大事に……って、ボクは死ん――」
「死んでるからはやめろ」
 ――至近の顔に、ひどく凍るような声が落ちる。
 煤まみれの服を拭うように、その大きな手が動いた。けれど真っ直ぐにエコーを凝視する異彩の眸は、獲物を喰らいでもするかのように冷徹に、ゆっくりと細められた。
「イライラする」
「……ホントに珍しいね。邪神の影響かな」
 ――その程度のことで動揺するようなエコーではないのだが。
 まるで子供にそうしてやるように、ハイドラの手が服を整える。呼吸すらも共有するような距離に、けれどあるのは甘さではない。常人ならば背筋を凍らせるような――執着だ。
「俺はさ、エコー。お前の世界に俺しかなくていいんだ」
 さながら神のように。
 この声が紡いだ言葉が全てであれば良い。己が定義したのなら、彼女は生きている。己が死んでいると言うときは、死んでいることで構わないが。
「ワガママだろ。はっはは」
 ――だが、魔王の愛を得たというのは、そういうことだから。
「お前のことがだぁいすきだよ」
 甘い声が囁く。脳の随まで侵して、ただ一人、この身以外がその目に映らないようにしてやりたいくらいに、愛している。
 その本質は――寄生生物だ。
「……ボクはね、ハイドラ」
 告げられる言葉を、咀嚼するように聞いていた。その手がそっと伸ばされて、頬に触れる。
 じっと見据えた眼に臆する色はない。ただいつものように、穏やかに語りかけるだけだ。
「たくさんある選択肢の中から君を選んだんだ」
 ――沢山を知っている。
 一度は死んだ眸に、数多を映してきた。届けようと思えば、エコーの手は何にでも届くだろう。海賊とは、望んだものを手中に収めて生きる者だ。
 考えるべきことも世界の広さだけ増えていく。それでもエコーの頭を一番に埋めるのは、紛れもなく目の前にいる彼女のことだ。
 だからこそ――エコーは、どんなハイドラにでも笑ってみせる。
「その選択肢を一つにするようなことは、君の価値を下げることだ」
 額を合わせるように距離を詰めた。随分と背の高くなったハイドラに届けるには一苦労だが、彼女が身を屈めているから、少し背伸びをするだけで良い。
「だからそれは許さないよ」
 ――零した声は暖かく。
 けれど台詞は、硝子片のような鋭さを隠している。
 その声を聞き届け、先までの色が冗談のように、ハイドラの手がエコーを離す。へらりと笑う顔に、エコーもまた笑った。
「ま、やらないんだけど」
「やらないならそれでいいや」
 さあ――後は、仕事をするだけだ。
「おしゃべりな夢の子。俺の世界に、お前はいらないよ」
 溢れる毒素は、狂気を掻き消さんばかりの薬となる。ただ一人――愛しい死体にとってだけ。
 だが、エコーにとっては狂気などさしたる代物でもない。何しろ普段から、彼女の抱く衝動も感情も変わらない。
 即ち――オブリビオンへの復讐心と、ハイドラと共にいる時間のことだけだから。
「仕事の時間だ」
 振り下ろされる刃は、迷いなく夢を切り裂いた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ブラミエ・トゥカーズ
★懐かしい顔ぶれと邪神により、昔のテンションに戻っている。
即ち優雅に血と虐を好む吸血鬼に。

【POW】
神の血とはどのような味であるかな。
好きに動くが良い、余から逃げられるのならばな。
狩りをするように霧化して敵を襲う。

戦場を覆い『わたしたち』を感染させ、共食いをさせる。
嘗て人々にそうしたように。

真の姿にはならないが、ブラミエが狂気に陥った事により、赤死病が表層に。

コイツの『今』を壊したら出てくるのはコレだわな。
人が願い信じて紡いだ愉快な枷(御伽噺)を壊したんだ。
ここにいるのはこの星の人間が信じ紡いた恐怖の一角だ。
退治が紡がれる前の吸血鬼だ。
神様どうするんだ?

腹減ってそれどころじゃねえか?




 ああ――なんと懐かしい邂逅だったか。
 正気の蓋をずらされて、ブラミエ・トゥカーズ(”妖怪”ヴァンパイア・f27968)の裡より湧き上がるのは、限りなく深い歓待だった。忘れたこともない。『吸血鬼』を討った英雄たちの闘志と殺意が、震えるような悪寒で以て心を埋め尽くす。
 浮かべた笑みは獰猛に、血と虐を求めて神を見る。煌々と揺らめく眸の奥、焔めく期待が優雅に揺らいだ。
「神の血とはどのような味であるかな」
 ゆらり――その体が霧散する。
 赤き霧は血の如く。それを見遣る邪神の前で、さざめく声だけが嗤う。全ての皮を剥いだのはあちらだ――その責は払ってもらわねば。
「好きに動くが良い、余から逃げられるのならばな」
 戦場全てを覆うそれに囚われて、蝕まれる己たちの体を、星屑の眸が見遣る。あえかな吐息が空を揺らす。
 諦めとも哀憐とも聞こえるそれが、最後の正気で目を伏せた。
「『わたしたち』に、狂気で抗おうというのね」
「いいや」
 ブラミエは。
 ――心を喰らっているのでも、操っているのでも、幻影を見せているのでもない。
 それは本質である。その皮を奪ったが故に生まれた、原初の恐怖。
「これは感染だ」
 ――嘗て人々は、吸血鬼を恐れた。
 今のブラミエは『ブラミエ』ですらない。その裡側にあるもの――赤死病そのものだ。剥がれた皮の向こうで嗤うのも、最早『彼女』ではないのだろう。
「コイツの『今』を壊したら出てくるのはコレだわな」
 人間たちはいつか、吸血鬼を恐れた。その真実が伝染病だとして、それは人々の安寧を生むようなことではないのだ。
 故に――彼らは、英雄を担いだ。
 恐るべき吸血鬼を滅ぼす人間のお伽話。それを枷と成し、ブラミエの表皮はつくられた。即ち、人間の思う吸血鬼の弱点を有し、一見すれば理不尽なそれに滅ぼされる、『ただの吸血鬼』だ。
 ならば――それが消えたらどうなる。
 人間が原初恐れた『迷信』は、蓋を開ければただのウイルスだった。ニンニクは意味を成さぬ。銀の銃弾では撃ち抜けぬ。十字架に縋ったとて意味はない。赤い液体がなかったところで死ぬこともなければ、日光に融かされ灰になることすらない。
 それは、恐怖の一角だ。
 嘗て人が恐れ、神に縋るほどに信じて紡いだ、恐るべき化け物――。
「神様、どうするんだ?」
 人間に拠って生み出されたモノは、人間に依ってしか壊されない。
 ならば彼女がブラミエを討てる道理がどこにある。銀も、十字架も、陽光も持たぬ彼女に。
「――腹減ってそれどころじゃねえか?」
 零れ落ちる己の同体、そこから溢れた夜空の雫を啜る神に、声は届いているのかどうか――。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

シャト・フランチェスカ


誰も彼も煩い黙ってろ
ねえ、きみ
ちゃんと最期までアイしてくれるわけ?
中途半端に干渉/鑑賞されるの
一番嫌いなんだよね

あまねくすべてを?
有り得ない解らない共感できない赦せない
唯一にしてくれないのは厭
そんなの要らない、不可解、不愉快
『私』ひとりだけを視てくれるんじゃなきゃ意味がない

お前のそれ、
愛じゃなくて哀憐でしょ
可哀想にって嗤ってんでしょ
あはは
胸糞悪い

僕はそういう物語が大好き
巣食い救われないバッドエンド
物語であるうちは、愛してる
こっちに出てきてんじゃねえよ

ああもう気持ち悪い
汚い僕の中身までちゃんと暴いてよ
襤褸布みたいにずたずたにして
二度と愛を求めないように処分してよ

刃は、自分の胸に。
殺すのは心だけ




 ああもう誰も彼も煩い。
 ――黙ってろ。
「ねえ、きみ。ちゃんと最期までアイしてくれるわけ?」
 シャト・フランチェスカ(侘桜のハイパーグラフィア・f24181)の眸が揺らぐ。狂気。怒り。絶望。嫌悪。
 どれでもあって――どれでもない。
「中途半端に干渉/鑑賞されるの、一番嫌いなんだよね」
 ――あまねくすべてと、それは言う。
 そんな全性の愛を注がれて、納得しろと言うのか。それをアイと呼ばうのか。誰もが誰も、その目に平等に映るのに。
 それじゃあ――。
 シャトまでも、『誰も』の内の一人に過ぎないじゃあないか。
 有り得ない。解らない。共感出来ない――。
 ――赦せない。
 一番に見てくれないのなら意味がない。唯一であらねば無為にすぎない。誰しもに注がれるアイに価値などない。
 『シャト』だけを視て。『シャト』だけをアイして。『シャト』だけを願って。『シャト』だけを祈って。
 その心の中に在るのは『シャト』だけで良い。
 そうでないなら――そんな不可解で不愉快なものは、要らない。
「お前のそれ、愛じゃなくて哀憐でしょ」
 シャトの指先が嗤う。星屑を閉じ込めた眸を見据えて、その向こうにあるひどく自己満足じみた憐憫を見て取るのだ。
「可哀想にって嗤ってんでしょ」
 虚ろに響く笑声が、吐き捨てるような色で空を掻く。
 ああ――胸糞が悪い。
 けれどシャトは、そういうものを嫌っているのではない。それが紙面の上で踊るうちは、彼女だってそれを愛している。誰かの心に巣食い救われないバッドエンド。ああ読みたいとも。
 ――それが物語であるうちは。
「こっちに出てきてんじゃねえよ」
 現実のぬめりなど要らない。そんなものは物語の中にあるから美しいのだ。他人事だから愛おしいのだ。自分事になったそれを誰が愛そう。心のささくれを誰が求めよう。
 それでもそこに在るのならば――。
「汚い僕の中身までちゃんと暴いてよ」
 咲かぬ蕾の奥を目指し、花弁を毟る無邪気な子供のように。
「襤褸布みたいにずたずたにして」
 地に落ちた花弁には興味も示さず、踏みしだく花見客のように。
「二度と愛を求めないように処分してよ」
 桜の下に埋まった骸を――綺麗事と語る誰かのように。
「――嗤ってなどいないわ」
 星空が静かに揺らぐ。じっと見詰める視線の先で、シャトの指先はカッターナイフを握った。錆びて毀れた刃が躊躇なくその心臓に突き立つのを、見送るように目を伏せる。
「哀れに思うだけ」
 報われなかった意志は、この自棄(やけ)た感情は。
「そうして心を壊す、あなたたちを」
 ――すべて、殺してしまおう。

成功 🔵​🔵​🔴​

栗花落・くだち
◎○

おまえはおいしくなさそう
かってにアイされちゃってこまっちゃうな
もてもてだ
わたしはもてもてだ
もてもてだから食べるね

まって
今すぐに つなぐからまって
動くとたべれないもん!

いっこでおなかいっぱい
いっこでも 残したくなっちゃうや
全部同じ味 飽きてきちゃった
だってだって 食べきれないんだもん
……まずいよ

おまえの言っていること ぜんぜんわからない
難しい ぽいっ
おいしいか まずいか
それだけじゃだめなの?

ぽいっ
ぽいっ
飽きた 面白くないや
お腹も空いてきたな
もうお前いらない
いみがわからないんだもん
ぽいっ

かんたんに説明してよ
ぽいっ ぽいっ




 見詰める眸から、きらめく色が失せた。
「おまえはおいしくなさそう」
 折角お腹が空いたのに、おいしいものを食べに来たのに。
 栗花落・くだち(maybe・f32550)が見に来てみればこの通り。食べられそうなそれはあんまり食べたいと思わないし、まして何やら言っているし。
「かってにアイされちゃってこまっちゃうな」
 こういうのは何だっけ。そう――もてもてだ。くだちはどうやらもてもてになってしまったらしい。だったら。
「食べるね」
 氷がしゃらりと音を立てる。ああまって、動かないで。今にくだちが放つ冷えた絆が、その裡を穿つまで。それを伝って、くだちがその身をつなぐまで。
 活きがいいのはおいしい証だ。いいことだけれど、あんまり暴れないで。揺らめかないで、うろつかないで。
 だって。
「動くとたべれないもん!」
 爆発の後に手繰られる氷の絆が、数多の邪神を凍らせていく。動かないその体に歯を立てて、むしゃり。いっこを食べ終わるより先に、くだちの眉間に皺が寄る。
 お腹が満ちてしまった。それもあまり、愉快な満ち方ではない。頭から爪先まで、夜空の色が孕む味は全部同じだ。ひとつ食べるだけでも精一杯で、むしろ残りの膝から下は、全部残しても良いくらい。
 それでもゆっくり食べ進めてみる。途中でちいさな喉を何かが逆流してきそうになるから、そこでおしまいにした。
「飽きてきちゃった」
 食べきれないし。
 おいしくないし。
 全部同じだから、きっと残りも全部同じだし。
「……まずいよ」
 だから、残りはもう食べない。
「おまえの言っていること、ぜんぜんわからない」
 アイも壊も難しい。ちぎった一部を壁に向けて投げつけて、くだちはひどくつまらなさそうに足をばたつかせる。
「おいしいか、まずいか。それだけじゃだめなの?」
 足をぽい。手をぽい。もぎとって全部、ぽい。
 投げても投げてもちぎっても、次から次へと沢山出て来る。それもどれも全部、同じことを囁いて、同じ味がして、同じかたちをしているから。
 ――飽きた。
「もうお前いらない」
 面白くないのだもの。ぽい。つまらないのだもの。ぽい。何だかお腹も空いてきてしまった。ぽい。でも目の前のこれがおいしくなかったことは覚えているから、もう口にする気も起きない。ぽい。
「いみがわからないんだもん」
 何を言われたって分からないから、聞く気にもならない。ぽい。
 他の誰かは聞くのかもしれないけれど、くだちにはよく分からない。ぽい。そんなことよりお腹が空いたし、ここにはおいしいご飯はないし、これと一緒に食べに行く気にもならないし。ぽい。
「かんたんに説明してよ」
 出来ないなら、もう知らない。
 ぽい。

大成功 🔵​🔵​🔵​

波狼・拓哉
○◇◎

…まー自分が可笑しいだけで、普通は助けちゃうよね
改めて自分が外れてるのを見てしまうとこうなんか…うん
…いやまあ、もうどうしようもないのですけどね

ミミック!化け明かしな!
例えその夢(狂気)だとしても、現状(狂気)は別です
少しのきっかけさえあれば…猟兵なら乗り越えるでしょう
自分はその時間を稼ぐだけですよ

自分は衝撃波込めた弾で対処していきますか

そちらからしたら壊れてるのに動いてるってなるんでしょうね
だとしてもだ、他人の夢に口を出すことほどの野暮を見逃すほどではないのです
…他人の夢を否定するのは狂気、正気関係なく…生き物としての間違いでしょうからね




「……まー、普通は助けちゃうよね」
 狂乱の理由には大方見当がついている。苦しむ猟兵たちの顔を見渡せば、波狼・拓哉(ミミクリーサモナー・f04253)のように至極平然としている者の方が少ないのは明白である。
 全く以て――。
 この身は狂気に慣れすぎた。幻影を幻影として処理出来る程度には。理性と感情がせめぎ合うことすらなく、平静のままで乗り越えられるくらいには。
 己が『普通』でないことは自覚している。その点をどうこうと言うつもりもなかった。けれどこうして改めて見てみると、拓哉には抱くべきものが欠落しているというのが、明瞭に突きつけられる気分だ。
 どんな狂気の幻惑よりも、どんな苦しみの裡よりも――。
 こういう形で見せられる現実の方が、随分とこの心をもやつかせてくれる。
「……いやまあ、もうどうしようもないのですけどね」
 心は不可逆の代物だ。壊れたものが戻らないのは割れ物と同じ。独りごちてみたところで、拓哉が今更『まとも』な感性を得られるわけでもなければ、一般人に戻れるわけではない。
 ならば。
「ミミック! 化け明かしな!」
 指示を受けた箱が、全てを灼く狂気の光へ変わる。熱が灼くのはその心だけ。闇の帳をかける夢の奥、囚われた心があるのなら――。
 拓哉は、それを抜け出すまでの時間稼ぎを担うだけのことだ。
 ずらされた正気の蓋が閉まるまでの間を、彼が作り出せば良い。猟兵とは元より埒外の者であり、また相応に強い者が多い。乗り越え現実に戻ってくるための切欠は、ほんの少しで良いはずだ。
 銃弾をふわりと躱す細い体に、拓哉はひとつ、独りごちるような問いかけを零す。
「そちらからしたら、壊れてるのに動いてるってなるんでしょうね」
「そうね」
 憂いと憐憫を湛えた眸が伏せられる。まるで包むように広げられる腕もまた、狂気を齎すためのものに過ぎないのだろうが――。
 ああ。
 見方によっては、それが『救済』に見えることも、あるのだろうか。
「――可哀想に」
 だとしても。
 それを許すわけにはいかない理由が、拓哉にもある。
「他人の夢に口を出すことほどの野暮を見逃すほどではないのです」
 夢は夢。現実は現実だ。
 夢を見るのは個人の特権である。そこに誰かが介在して、捻じ曲げることなど許され入るまい。
 まして――。
 それが最悪の形で成される否定であるのなら、尚のこと。
 それは、正気であろうとそうでなかろうと同じことだ。生物としての誤りを犯すつもりは、拓哉にはない。
 吐き出された銃弾が、数多の神のひとつを穿った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

六道・橘

アドリブ歓迎

気がついてしまった
六道橘という女の魂自体がはじまり損ねてるって
私は『俺』の生きたい未練を叶えた姿

既に発狂は完成しきっている
そう自覚しているこの自我は、何だ?

私はだぁれ?
私の名前は■天
■は橘
私は六道橘

邪神へ
パズルのピースをくれてありがとう
もっと頂戴とねだりかけ止る

梨華さんの嘆きは『俺』と同じ

みよを信じれば
兄を信じれば

「さようならを言えない苦しさを私は知っている」
『俺』は壊れ
未だに新たの魂の『私』を侵食し続ける
未練が魂を壊した

梨華さんをみよさんの元に返すわ
その代わり梨華さん
私が兄さんに逢えるようにってどうか祈ってくださる?
探してるの
二人が生きられる世界を
邪神に向け身を捨て斬りかかる




 ようやく気付いた。
 気が付いてしまった――と、その夜空の眸を見て、悟った。
 六道・橘(■害者・f22796)は、最初から『彼女』として生まれ損ねていたこと。
 ずっと、死ぬ前を引き摺っている。魂そのものがはじまり損ねているのなら、この身に抱くこの悔悟も、痛苦も、絶望も、また当然のものだったのだ。
 ――私は、『俺』の生きたい未練を叶えた姿。
 あの日、地面に体を叩き付けて死んだ弟が、今際に抱いたそれの集合体だ。橘としての命は生まれる前に死んでいる。ならばこの体にあるものは。今ここで思考する魂は。
 既に発狂は完成しきっているのだと――。
 ――自覚しながら嗤うこの自我は、一体何なのだ。
 裡より問う声がする。嘲笑うように、涙を流すように、怒るように、苦しむように、或いは救われたように。幾通りにも聞こえるその声に、手を伸ばすように答えを差し出すのだ。
 ――私はだぁれ?
 ――私の名前は■天。
 ――■は橘。
 私は――六道橘。
 歪なパズルのピースがひとつ、埋まった気がした。ああ、けれどまだ見えない。その柄が。完成が。幾つあるのかも分からないそれを、正解かも分からぬ場所にはめ込んで、橘は夜空の眸を見据える。
 最初に過ったのは感謝で――。
 次に欲したのは、その先だった。
 彼女『たち』なら与えてくれる気がするのだ。もう一つ、もう二つ――否、完成図だけでも良い。胎動を始めるより先に壊れたこの身に、嵌まるそれを頂戴と、声を上げかけて口を噤む。
 寝台に眠る少女が――。
 何を嘆いたのか、橘は垣間見た。
 その声が己と重なる。信じれば良かった。信じて手を繋げば良かった。それは。
 彼女が、みよを信じればと泣くのなら――。
 ――橘は、兄を信じればと泣くのだろう。
「さようならを言えない苦しさを私は知っている」
 そうして叩き付けられた三十八階下の地面で、『俺』は壊れた。
 未だその瓦解は止まらない。新たに生まれるはずだった魂すらもその悔悟に染め上げて、その生を歪に奪って侵し続ける。
 全ては未練。
 未練が、橘を壊した。
 だからこそ。
「梨華さんをみよさんの元に返すわ」
 未練のないように。壊れてしまわないように。巡った果ての世界ですら、その苦しみと慙愧を引き摺り、狂気の涯へと沈まぬように。
「その代わり梨華さん。私が兄さんに逢えるようにって、どうか祈ってくださる?」
 秘め事を囁くような声音に返事はない。深い眠りに就いている彼女に、届くかどうかも分からないけれど――。
 何故だか、彼女はそれを、あの静かな教室で聞いている気がした。
「探してるの。二人が生きられる世界を――」
 だから。
 九度の刃が迸る。一度目に己を。残りは全て、かの星空を切り裂いて。
 ――壊れた魂の叫びは、今はどこにも届かない。

成功 🔵​🔵​🔴​

冴木・蜜

私は、わたしは
くすりになりたかった

すくわなくては
すくわなきゃいけない

たとえこの身を供してでも

御手洗さんの安全を最優先
他の猟兵のサポートを
皆さまの盾となり
治療薬として戦線を支えます

狂気の淵にある猟兵のカバーをしつつ
身体を液状化
目立たなさを活かして物陰に潜伏

猟兵へ向けられた攻撃を
液状化した身体を捻じ込んで庇います
対象が複数ならば
身体を広げて対応
より多くの攻撃を引き受けます

痛い、いたい けれど
物理攻撃であれば
私は液体だから、だいじょうぶ

攻撃を受けたら
飛び散った血肉を利用し『供犠』
なるべく多くを治療した上で強化
身体が動く限り這いずり回り
皆さまを支えてみせる

貴女にはなにも壊させない
私が治す
……、絶対に




 手が届かない夢ばかりを、遠い星に願っている。
 冴木・蜜(天賦の薬・f15222)は、くすりになりたかった。
 誰かを救うものでありたかった。命を愛で、その繁栄を愛し、病を愁う。どこまでも生命の味方でありたい心に反して、その身は永劫に死毒を孕み続ける。
 ――だからね、キミには誰も救えないんだ。
 穿たれた杭から血が滲む。裡から湧き上がる声が頭痛に変わる。体が保てない。心の底を浚われるような寒気が身を震わせる。
 違う。
 蜜は救う。
 ――すくわなくては。
 すくわなきゃいけない――。
 蜜の身がどうなったとしても構わない。襲い来る衝動も願望も、己の心を震わせるものなのだから。
 最初に気を配るべきは、眠る少女だ。誰も、何も、手出しが叶わぬように。次に為すべきは、今そこで苦しむ他の猟兵たちを救うこと。
 その心まで、この手は届かない。そんなことは分かっている。だからせめて、盾となり薬となって、更なる暴威から庇うのみ。
 蹲る猟兵に向かう拳に、己の体をねじ込んで。現れた邪神の分体を囲うように身を広げ。殴られるたび、触れられるたび、痺れるような痛みが走って、黒塊が地をバウンドする。
 それでも――。
 この液体の身は、固体の身が打たれるよりも、ずっと負傷を少なく抑えられるはずだから。
 ――息が詰まるような衝撃も痛みも、受け流して前を向ける。
 飛び散り黒く零れる血を集め、毒蜜と成す。けれどこれは誰かを殺すものでも、命を蝕むものでもない。誰かを救うためにある――それがどれほどの苦痛を伴うのだとしても。
 治療薬を撒くたびに身が軋む。タール状になった体の、頭となる部分が痛んで眩んで敵わない。このまま物陰に潜み続けていられたなら、その方がずっとましだろう。まともに動くことすらままならないような倦怠感を引き摺るまま、それでも蜜は身を跳ねさせる。
 この体が動く限り、全てを救ってみせる。いつか夢見た星にも、誰かの心にも届かぬ短い手が、それでもせめて――届く場所にあるのなら。
「貴女にはなにも壊させない」
 それは。
 蜜の、血を吐き戻すような祈りであり、決意だ。
「私が治す。……、絶対に」
 呪いの如く渦巻く言葉の中で、湧き上がる衝動の狭間で、それでも噛み潰すような声が紡ぐ。その祈りをじっと見詰めて、夜空の色をした眸はそっと伏せられた。
 そこに浮かぶのは明確な哀憐だ。愁いを帯びる狂気の声が、耳朶に零すようにして、肉薄したタールの心に問いかける。
「あなた自身は、治りはしないのに?」
 ――夢見た星は、遙か遠くに、それでも尚煌めいている。

成功 🔵​🔵​🔴​

穂結・神楽耶

―そう。
そうだ。
こんな刀は、壊れてしまった方がいい。
焔が溢れてしまうから、ずっとずっとできなかったけど。
もう平気だって識っている。
刀ごと海に飛び込んで、沈んで、錆び付くままにしてしまえば。
これはもう、世界を脅かす災禍にならない。

だから。
愛されるに至らぬ身を。
壊せるものなら愛してよ。
救われるべきだった世界だけ遺して、
辿るべきだった結末みたいに焼き滅ぼしてあげるから。

わたくしは刀。
わたしは焔。
いつかの誰かに願われたかみさま。

――ねぇ、そうあるべきでしょう。

なのに、そうじゃなくていいなんて。
幸せになっていいなんて。
言われたって分からない。
誰かの祈りさえ叶えられないわたしは、だから破滅のままでいい。




 やり方は、もう知っている。
 海に飛び込めば良い。いつだって携える己自身を抱えて、永劫浮かび上がることのない水底で、ゆっくりと錆び付いていけば良い。
 そうすれば。
 そうすれば――穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)の中に在る破滅もまた、弾けることすら出来ずに鎮むのだろう。
 そうせねばならないと分かっていた。そうした方が良いと知っていた。いつか破滅に灼かれて、そこに在る幸いを再び灼き滅ぼすことだけを課せられたあのときから――ずっと、結ノ太刀は壊れるべき災厄でしかなかった。
 いつか守るべきを守れずに、守らなくてはならないものに庇われ遺された。ずっと心の裡を掠め続ける悔悟に任せ、その身を焼いて生きてきた。幸福の何もかもを破滅に焼べて、その力で己だけが灼け朽ちることを願って、喪われるために歩いてきた。
 ――今更。
 誰が、こんなモノを愛するというのだ。
「壊せるものなら愛してよ」
 そうすれば、神楽耶は。
 救われるべきだった、愛すべき世界だけを遺して。
 いつかあの日に辿るべきだった結末を模して、その身ごと灼き滅ぼす。
 救済は遥か過去に遠のいた。ここに残る少女の残滓は、神のなり損ないは、もうどこにも行けない。
 ――いけなくていい。
「――ねぇ、そうあるべきでしょう」
 刀で、焔で、それ以上でも以下でもない。
 世界を救い笑うかみさまには、成れなかった。ひとを模した体は無機物のつくりあげた仮初めだ。あんなに好きだった『食べる』ことすらも取り落として、睡眠も食事も必要のない体は、ますます守りたい者たちから遠のいていく。
 これからもきっとそうだろう。
 楽しかったことを焼べて、友達との思い出を灼いて、ひととしての心も、機能も焼き潰して。この手に残るのはただ、そこにあった幸福の色をした灰だけだ。
 神楽耶の辿るべきだったものを――。
 ――それなのに、否定する手があるのだ。
 身を滅ぼすことを咎める声がある。傷付く仮初めの身に痛む心がある。破滅に抗いたいと願えば貸される手があって、燃えていく全てを繋ぎ止めようとする顔がある。
 そんなの。
 ――そんなの、わかんないよ。
 破滅のままで良い。誰かの祈りすら叶えられないのに。叶えたかったものに手を届けることすら出来ないのに。繰り返し磨り潰す体を、どうして繋ぎ止めようとするの。
 幸せなんて知らない。幸せのなり方だって分からない。ひとのためにあって、ひとのために願われて、誰かが心に抱いたかみさまの、そのなり損ないで――。
 身を呑む朱殷の向こう、無意識に伸ばした手の先で。
 ――破滅の焔を担う黒蝶が、目の前を舞った。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

花房・英
○▲

保護対象が無事な事に安堵する
仕事に私情を挟むなんて、有り得ないはずだった
小さな罪悪感を強烈な喪失感が上書いていく

目の前で少女が消えた
泣いてた少女が消えた
泣いてたあいつがいなくなった
いや違う、あの子はあいつじゃない
あいつはここには来てない
本当に?
さっきの縋ってきた手は本当にウソなのか?

どうしていつも俺から奪うんだ
俺にはずっとなにもなかった
やっと、見つけたのに
全然平気じゃない
もうひとりは嫌だ
なにも感じないのは、嫌だ
嬉しいのも楽しいのも悲しいのも、全部俺のだ
空っぽには戻りたくない

早く消さないと
目の前の敵を消せば、なくならない
全部元に戻るよな?

消すのは、俺を乱したあんただけ
早くいなくなってよ




 まず最初に、ベッドに横たわる少女の呼吸があることに、胸をなで下ろした。
 次いで花房・英(サイボーグのグールドライバー・f18794)の心を刺す罪悪感の棘がある。仕事に私情を挟んでしまった。あるはずのない心の揺らぎに、この手を、足を、支配されてしまった――。
 僅かに寄せた眉根は、けれど少女ではなく、空になった己の手を見た。
 いなくなってしまった。目の前で。泣きじゃくり両親を求めたちいさな手が、英に縋った体が。この手にかかっていた軽い重みが。
 もう、どこにもない――。
 否。
 あの子供は彼女ではない。そもそも彼女はここには来ていない。時折子供のように見えることはあるけれど、あんな風に抱えられる子供でもない。だからあれは幻影で、英が悲しむことではなくて――。
 ――本当に?
 胸元を握る温もりが、まだこの手に残っている。あれまで全てが嘘だったとでもいうのか。けれど、事実もうここには何もない。あの少女の涙のひとひらさえも。
 握り締めた掌に、喪失感だけを強く掴む。それが余計、心の罅割れにナイフを差し込むような痛みを齎すから、英は強く奥歯を噛み締めた。
 ――どうして。
 どうしていつも、世界は英から奪っていくばかりなのだ。
 何もなかったのだ。何一つ、この手にないままで歩いてきた。普通の憧れも、普通の生活も――当たり前と呼ばれるものを、手にしたいと思うことさえ出来なかった。
 無明に慣れた目で、ようやく。
 やっと、光を見付けられたのに――それすらも、この手から簡単に奪い去っていく。
 なかったから、ないままで歩いてこられた。知ることを恐れて、遠ざけて、それでも歩いて行けたのに。
 知ってしまった。
 もう――知ってしまったから。
 ひとりは嫌だ。何も感じないまま歩いていくのも、嫌だ。隣の温もりに揺らぐ心も、日向のような嬉しさも、風のような楽しさも、波濤のような悲しみも、全部、全部――。
 ――英が抱いた、英のものだ。
 今更奪われたりなんかしたくない。あの空っぽの時間が、どれほど無味乾燥だったかを知ってしまったから。もう、あの日のようには歩けない。
 だから。
 目の前の敵を。英の世界と平穏を蝕むかの邪神を――早く、早く消さなくては。
 そうすればきっと、全て元に戻るのだ。英の望む通りの『いつも』が、優しい日々が、また戻ってくるはずだ。
 消すのは、目の前でひどく哀しそうな顔をして、憐憫に満ちた眸で英を見詰める、この邪神だけで良い。
「早く、いなくなってよ」
 ――もう何も。
 ――何一つだって、英から奪わないうちに。

成功 🔵​🔵​🔴​

宵雛花・十雉
【蛇十雉】★

黝簾石の瞳…!
探して欲しいと頼まれていたその特徴を認識した瞬間
オレは正気を失った

秘めていたい願望が脳を胸を焼く
本当のオレを見てほしい
違うんだ
オレは男らしく強くならなきゃいけなくて
皆を守らないといけなくて
けど本当は
皆に本当のオレを見てほしいし
愛してほしいよ
弱いままのオレじゃ駄目なの?

大きな身体に抱きしめられれば
救いを求めるように縋り付く

優しく微笑みながら撫でて貰えば
少しだけ狂気が薄れるようで
ああ、きっとこれも強さの形なんだ
力強く立つことだけが強さじゃないんだ

指切りをした小指が温かい
前を向いた相棒の傷付いた背を見送りながら
力を振り絞って言霊を贈る
なつめ、ありがとう
…どうか死なないで


唄夜舞・なつめ
【蛇十雉】◎

隣から崩れ落ちる音と
震える声が聞こえた

放ったまま
さっさとケリつけりゃ
終い
わかってるけど

ーーときじ。
ぎゅうと敵に背を向け
その身を抱きしめた

偉い、偉い。
ここまでよく頑張ったなァ。

背中や頭を撫でてやる
どれだけ背後から攻撃を受けようとも落ち着かせるための動作も
微笑む顔もやめない

大丈夫
俺はどんなお前も…愛してる
信じて待ってろ
すぐに戻る
約束だ

指を絡め約束して
少し落ち着いたのを確認すれば
立ち上がって前を向く

家族を助けられず
酷く、酷く後悔した思いが取り巻く
けど
次に『しあわせ』をみつけたら
もう失わないと決めた思いも強い

こいつを
俺の大事な『しあわせ』を
奪わせない
俺はこいつを置いて

ーーー『終焉れねェ』




 見詰めた眸の色を、宵雛花・十雉(奇々傀々・f23050)は知っていた。
 いつか異彩の虹彩に頼まれた『探し物』。紛うはずもない、小瓶の中に閉じ込められた、深い黝簾石の色をした眸――。
 驚愕と確信に目を見開いたのは一瞬だった。次の瞬間には、脳の裡より生まれる濁流に全てが呑み込まれる。
 ――秘めていたかったことが、隠していられない。
 震える足に今度こそ抗えなかった。崩れ落ちたまま、無意識に、白い手が己の首を絞めるように絡みつく。辛うじて意識を繋ぎ止める息苦しさに咳を吐き出しながら、宙吊りになって瓦解していく十雉の『仮面』が、言い訳を探して視線を彷徨わせる。
 ――本当のオレを。
 違う。
 強くならなくてはいけない。皆を守れる、強くて頼れる男にならなくてはいけない。そうあった父親を喪ったのは自分のせいで、ならばその代わりにならなくてはいけない。
 根無し草を気取った。どんなときでもよく笑った。怖いものなど一つもないような顔をした。気儘に遊ぶ振りをして、人懐こい振りをして、苦い珈琲を無理に頼んで、けれどそのどれも――『十雉』ではなかった。
 好かれても本当ではない。ここにいる十雉は彼の理想で、当然誰からも好かれる『男らしい』男で――。
 だから――心の奥底が満たされない。
「皆に本当のオレを見てほしいし、愛してほしいよ」
 背ばかりが大きくなって。
 根暗で、臆病で、脆い。感情のままに笑って泣いて、俯いて震える幼い子供から、本当の十雉は抜け出せないまま。
「弱いままのオレじゃ駄目なの?」
 手を見詰めて問えど、応えてくれる声はない。だからただ、また噛み砕いて、呑み干して、何でもない顔で笑うしか――。
「――ときじ」
「なつ、め」
 ――震える体を抱き締めて、唄夜舞・なつめ(夏の忘霊・f28619)が笑う。
 子供にそうするように背をゆっくりと叩いて、彼は穏やかに声を紡ぐ。浮かべた微笑は心底から愛おしげに十雉を見る。
 本当は――。
 崩れ落ちる体も、震えた声も、無視して馳せれば済んだ話だった。これはただ敵の影響を受けて零れだしたものにすぎなくて、ならば邪神を討てば、彼もいつもの通りに戻るのだろうと知っていた。
 けれど、だとしても。
 零れたそれが『本当』であることを、なつめはよく知っているから。
 その背に受ける拳も狂気も、怯える彼には見えないように。今はただ、その身に宿した孤独を慰められるように。
「偉い、偉い。ここまでよく頑張ったなァ」
 声の調子は変わらない。縋るようになつめの胸を握り締める手を安堵させるため、その指先が白い髪をかき混ぜる。
「大丈夫。俺はどんなお前も……愛してる」
 ――だから、相棒と呼ぶのだ。
 誓いを交わしたのは、彼の剥き出しの弱さに触れた後だった。強くなくて良い。弱くても構わない。そういう十雉を――なつめは友と、相棒と定めたのだから。
「信じて待ってろ。すぐに戻る」
 言いながら少しだけ離した体に、十雉の濡れた橙灯が見える。もう一度頭を撫でてやれば、底に揺らぐ焔が僅かになりを潜めた気がした。
 優しい指先を目で追って――。
 十雉は知る。ただ真っ直ぐに立つだけが強さではないこと。弱さを赦し、包み込んでくれるこの腕も、強さの一つであること。
 だから――。
「約束だ」
「――うん」
 差し出された小指に己のそれを絡めて、ようやく少しだけ笑えた。
 残る温もりを確かめて、指切りに結んだ約束を噛み締める。背を向けられても、置いていかれてしまうとは思わなかった。
 自分の胸元を握り締める。未だ声は震えるし、喉に息が詰まっている。けれど――教えてもらった強さを、十雉も示したくて。
「なつめ、ありがとう」
 揺れる剥き出しの心を奮い立たせる。込める言祝ぎが、自分を守ってくれる彼の、力になると信じて。
「……どうか、死なないで」
 弱々しい声が、確かに背を押してくれる。頷いて浮かべた笑みは暖かく、けれどなつめの眸には獰猛な色が宿る。
 その心を渦巻くのは、押し潰すような十字架だ。眼前で死んでいった守りたかったもの。弟の最期の声は今も耳奥に貼り付いて、耳朶から脳髄を冒そうとする。
 けれど――。
 その思い出がなつめに植え付けたのは、決して己の幸福を諦めることではなかった。もしも次に『それ』を手に出来たのならば、それを隣に置くことが出来たのなら――今度こそ、絶対に守り抜く。決して喪ったりはしない。
 だから。
 十雉を――なつめの見付けた、隣にある『しあわせ』を。
 奪わせない。悲しませない。その涙を拭い、笑って、手を引いて――共に走って行く。
 置いて逝かない。
 逝けやしない。
「――『終焉れねェ』」
 いつか腕に描かれた揃いの呪いが、温もりとなって身を覆う。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

渡利井・寧寿
〇▲

当たり前になりすぎて忘れていたよ
僕はずっと死にたかったんだってこと

絵でなら大抵のものは描けるんだ
だからそれを武器にすることにした
例えばほら、こんな勇者みたいな剣も
このスケッチブックには何でもある
物語の中では嫌いな奴らを皆殺しにできる

だけど本当に護りたかったのは現実のあの子で
一番殺したいのは僕自身だった

嗚呼、ありがとう。あの子に会わせてくれたのは君だね
憐れまれると殺してやりたくなるな

現実では死ぬのは怖いし殺し方も知らない
やたらめったら剣を振り回すくらいしかできないから
楽に死ねるかは分からないけど
僕が僕を殺す予行演習だと思って許してくれ

一時の幻なんかじゃなく
もっと一緒に居て、話して
謝りたいから




 思えば、心の奥底で燻る願いの形が変わったことなど、一度もなかった。
 衝動が常に意識の隅をくすぐり続けていたから、刺激に慣れてしまっただけだ。そういうものだと思って日々を暮らしていたから、改めて突きつけられてみると、妙な納得感と共に腑の底へ落ちていく。
 渡利井・寧寿(雪・f17097)は、ずっと死にたかった。
 手にしたスケッチブックに描けば、彼の夢は何でも叶った。小説家の才はなく、だがそれなりの絵を描くことは出来たから、それを武器にすることにした。
 どうでも良かったのだ。
 文章だろうが漫画だろうが音楽だろうが映画だろうが。寧寿にとって表現媒体は問題にならない。ただこの心の奥底に燻る衝動のぶつけ先として、一番『まし』なものを選んだだけだ。
 彼にとって、それは絵だった。
 描き出した豪奢な剣は、正しく勇者の手にあるに相応しい。相応の重みで以て手に収まるそれを、眼鏡の奥の眸はじっと見詰めていた。
 ――絵にしたら、何でも叶う。
 ――ただしそれは、紙面の上での話だ。
 嫌いな奴らを悪として、それを滅多打ちにする正義のヒーローを描いたところで、現実の何かが変わるわけではない。誰かに見せる白昼夢は、所詮は心を慰めるだけだ。形になるものがあるとするならば、精々顔も名前も知らない誰かが綴った文字が感謝を述べるくらいのものに過ぎない。
 寧寿が欲しかったのは――。
 そんなものではなかった。
 現実は戻らない。願いを叶える魔法の紙切れもない。月にも行けない。一番護りたかったあの子は、知らないところで知らないうちに知らない方法で死んだ。
 それで。
 一番殺したかった寧寿は、ここで息をしている。
「嗚呼、ありがとう。あの子に会わせてくれたのは君だね」
 夜空の眸に目を遣って、気怠げな声が感謝を紡ぐ。これでもう二度と忘れない。焼き付いた笑う顔が消えていく瞬間も。
「憐れまれると殺してやりたくなるな」
 乾いた小さな笑声を見詰め、邪神はやはりひどく哀しげな顔をした。純粋な憐憫と噛み合った視線が、元より噛み合うことのない心を示すようで、寧寿の唇が深く溜息を吐く。
 ――死にたいくせに。
 死ぬのは怖い。死に方は知っているのに、実行出来ない。痛いのは嫌だし、苦しいのも嫌だ。生命の本能に根ざした恐怖が、この足を惨めに押し留めている。
 殺し方だって知らない。鋭く強い凶器を思い描くことは出来ても、それを勇者のように格好良く振るうことも出来やしない。
 だから。
「楽に死ねるかは分からないけど、許してくれ」
 振り回して打ちつける剣は、いつか寧寿が寧寿を殺す予行練習だ。
 死にたい。死んでしまいたい。無力を嘆くのでも、世界に絶望したからでもない。
 ――生きている限り、本物の彼女には、会えないから。
 一時の幻に浸って殺すのではなくて。
 今度こそ隣に座って、他愛もない話をして――。
 ――あの子を追いやる全てから救われた世界で笑うあの子に、きっとこの声で謝るために。

成功 🔵​🔵​🔴​

楠木・万音


『かずね』の絶望、『マノン』の狂気
棄てたもの、残したもの
その何方もが渦巻いてゆくようだわ。

憎くて大嫌いで壊して仕舞いたい
あたしの世界を蔑ろにした者たちを否定する。

捕えて閉して独り占めして仕舞いたい
硝子ではなく本物の魔法を咲かせる指を
優しく紡ぎ上げるその声を、何もかも。

そうすれば、嗚呼
あなたを亡くさずに済んだ筈なのに。

もうお終い?不完全な夢の邪神よ
悠久を過ごす心に狂気が宿らない筈が無いじゃない。

あたしの狂気はあたしのものよ
拭い切れぬ退屈と共に貼り付いたまま離れない。
この夢も、もう飽き飽きして来たわ。

梨華、聴こえるかしら。
いいえ聴きなさい。美陽が現で待っているわ
幻の夢など払い除けて目覚めなさい。




 とうに棄てたものの絶望が渦巻いて、残した身を狂気が蝕む。
 どこか遠くで泣き叫ぶ『かずね』の声と、今ここで込み上げる『マノン』の衝動と、そのどれもが一緒くたになって、楠木・万音(万采ヘレティカル・f31573)の心をひどくぐらつかせた。
 憎い。
 大嫌いだった。確かにあの日に見た魔法を嘲笑う声も。それを嘘にしようとする知ったような言葉も。優しい指先が紡いだ本物を、全て否定していくこの世界も。
 かずねの世界の片隅に、確かに魔法が咲いていた。小さくて、けれど美しくて優しい芽吹きを、皆が揃って蹂躙する。踏みしだき、無遠慮に摘み取って、自分たちがぐしゃぐしゃにしたそれを指差して笑うのだ。
 ――ほら、魔法なんかなかったじゃないか。
 愚かなのはお前たちの方だ。込み上げて来る怒りが全てを否定して、そしてかずねは己を棄てた。
 代わりに紡がれるのはマノンの狂気。甘美な地獄を夢見るそれが、心底から悔悟の指先を伸ばす。
 ――もう、どこにも行かないで。
 捕らえ閉ざした鳥籠に、丁寧に鍵をかけてしまいたい。決して開かない檻の向こうにあるものを、見詰めているのはマノンだけで良い。
 硝子細工の魔法ではなく。
 本物の魔法を咲かせる指と、優しく紡ぐその声と――あの日に彼女を喜ばせ魅了したような、美しい奇跡を分け与える心を。
 そうしていれば。
 あの森が主人を喪うことなどなかったのに。マノンがただ帰りを待ち続けることもなかったのに。
 あなたを。
 ――紡ぐ魔法の美しさを教えてくれたあなたを、亡くさずに済んだ筈なのに。
 深く息を吐いて、魔女は目を開く。狂気の幻想は未だ心を苛みながら、けれど最早、何らの揺れすら齎さない。
「もうお終い?」
 ひどくつまらなさそうな声で、万音が問う。
 不完全な夢の邪神が、揺蕩うように立っている。その憐憫に満ちた眸を気怠げに見据え、彼女の唇が続きを紡いだ。
「悠久を過ごす心に狂気が宿らない筈が無いじゃない」
 ――この心は毒に浸っている。
 人の心を持ったまま、永劫を生きることは出来ない。頂きに至る代償は、人が想像するよりも重い。棄ててきたものは数知れず、その隙間を埋めるようにして、永遠を知るが故の無聊が染み込んでいる。
「あたしの狂気はあたしのものよ」
 退屈と共にここにある。感傷的な諦念もまた、万音が置き去りにしてきたものの中にあるのだから――。
 ずっと与えられ続けるこの夢にも、丁度飽きて来たところだ。
「梨華、聴こえるかしら」
 吹き荒れる硝子の花弁は、眠る少女だけを捉えない。影から立ち上がった朋が、鋭い花弁と共に邪神を穿つ間、彼女の意識に注がれるのは治癒の魔法だ。
「いいえ聴きなさい。美陽が現で待っているわ」
 ――これも気まぐれ。
 ただ、無聊を慰めるための。
 だとしても――。
「幻の夢など払い除けて、目覚めなさい」
 ただ捕われているだけの娘を滅ぼす理由も、万音の中にはありやしないのだ。

成功 🔵​🔵​🔴​

レイラ・エインズワース

【凪灯】
終わってしまうのは悲しいカラ
助けないと、いけないヨネ
いけないノニ

おかしいナ、自分を苛む怨嗟の声がほとんど聞こえナイ
代わりにこみあげてくるのは
人間への不信と怒り

救った幻たちは、思い入れの深いヒトたちだった
でもこの灯を手に取った人間はそういうヒトたちばかりじゃナイ
未完成のまま放りだし、勝手に願い勝手に失望した人間たち
出来損ないだと
こんなはずではなかったと
期待を裏切られたと
これのせいだと
呪詛を何度かけられたかもう覚えてない
これは救った代償
分かってるケド、込み上げる衝動のままに
槍を放つのを止められナイ

諦めればいいノニ
さっさと見切りをつければいいノニ
そんな想いは敵のせい
前を見て、敵を射抜くヨ


鳴宮・匡
【凪灯】▲


もういいだろう、って
頭の中で声がする

どうせ何にもなれやしない
だったらもう、終わってしまえばいい
これ以上、歩く必要なんてないって

それでも、諦めたくないんだ
生きることも
空っぽだと思ってた心の中に、初めて見つけたねがいも
だから――

まるで怒っているような、そういう顔をしてる
その胸の裡に在るものを
俺は、きっとわかってやれない
だけど、それは手を伸ばさない理由にはならないんだ

落ち着いて、レイラ
俺が狙うべき先を示すから

……俺は知ってるし、信じてるよ
レイラは、それに負けるひとじゃないって

俺のこと、信じられなくてもいい
それでも俺はここにいるから
支えるから
前だけ、見て

大丈夫だよ
俺の手は、そのためにあるんだ




 ――終わってしまうのは、辛くて悲しい。
 幾度もそれを目にしてきたから、幾度だってそう言える。だからこそ、この手を伸ばさなくてはいけないとも。終焉の暗渠の裡から、助け出さなくてはいけないとも。
 それなのに。
 レイラ・エインズワース(幻燈リアニメイター・f00284)の耳朶から、いつも聞こえる呪う声が遠ざかる。代わりのように胸中を埋め尽くす感情に、思わずと白い両手に視線を落とした。
 ――人間など、信じられない。
 先に燃え落ちる校舎から救った人々は、レイラを正しく『愛して』くれたヒトたちだった。この手を以て、心底から助けたいと願える影たちだった。なればこそ、義務感と罪悪感の果てで、願いとしてこの手を差し出したのだ。
 けれど。
 彼女を手に取ったのは――彼女を愛する者ばかりではなかった。
 未完成のうちにその角灯を放り出た者がある。器物に願うのは人間の勝手だ。期待するのだって、祈るのだって。それも分からず、叶わないとなれば身勝手に失望し、行き場のない憤懣をそれに投げ付ける。
 ――出来損ないだ。
 ――こんなはずではなかった。
 ――期待を裏切られた。
 ――全部、これのせいだ。
 勝手な呪いを呑み込んだそれが、『レイラ』という自我を得ることも、得たことも、彼らにとっては関係がないのだろう。いつだってそうだ。挙げ句こんなものを背負わされて、レイラはただここに立っている。
 覚えのない罪の何を償えば良いという。身勝手な呪いに何を報いれば良いという。どうせ何をしたところで、納得などしやしない。己で勝手に抱いた期待に、己で勝手に呪われて、それを全てレイラのせいにしているだけのこれに――。
 分かっている。
 これは全て、あの幻に手を差し伸べた代償だ。だから冷静にならなくてはいけないと、分かっているのに。
 込み上げる衝動のまま、手当たり次第に放たれる鬼火の槍を止められない。このまま全て――。
「落ち着いて、レイラ」
 ――少女を制するように、隣に立つ温度がある。
 鳴宮・匡(凪の海・f01612)の頭の中を、今だって声が反響している。もう良いだろう――その温度は諦めにも、拗ねた子供のそれにも似ていた。
 ひとになり損なった。今も届きやしなくて、息をするたびに近づけないことを思い知る。星に願いをかけたところで叶いやしない。
 だったらもう――終わりにしてしまえば良い。
 辛くて苦しいだけの道を、歩み続ける必要がどこにある。もう目を閉じてしまえ。これ以上傷付かぬうちに。これ以上――思い知る前に。
 確かにそうなのだろうと、匡の冷静な部分は納得を零している。けれどそれ以上に、心の裡で足掻く熱量が、凪いだ水面に波紋を落とすのだ。
「俺が狙うべき先を示すから」
 諦めたくない。
 この先を生きていくこと。繋いだ約束を守ること。笑って生きる世界を、自分が爪弾きにならない場所を、守っていくこと。
 空っぽになった胸の中にある、歪で小さな『こころ』の中に――。
 初めて映した、気が遠くなるほど細やかな願いのことも。
「……俺は知ってるし、信じてるよ。レイラは、それに負けるひとじゃないって」
 だから。
 だから――レイラのことも、諦めたりはしない。
 見たことのない顔をしていた。怒るような、けれどもっと昏くて深いような、そういう色だ。その心の裡を埋め尽くすものを、匡は知らない。この歪んだこころに、いつかそれを映せるのかすら分からない。
 それでも――。
「俺のこと、信じられなくてもいい」
 ――この手を伸ばさない理由にするには、そんなものはあまりにちっぽけな感傷だ。
「それでも俺はここにいるから」
 必ず支える。絶対に離れたりしない。
 彼女の辛さが分からなくても。藤色に映る感情が理解出来なくても。今ここで、きっと苦しんでいるのだろうこころを掬う、温もりであれるのならば。
「前だけ、見て」
 ――ここに匡がいる意味は、きっとそれだけで良い。
 彼女の隣で安心させるように笑うこの感情は、きっとそれだけで、報われているのだ。
「大丈夫だよ」
 穏やかな声が鼓膜を揺らしている。それでもレイラの中に込み上げるのは、ただひどく捻くれたような、泣くような感情だった。
 幾度言っても聞き分けがない。いつかの彼らがそうして呪ったように、諦めて、さっさと見切りをつけて――この手を離せば良いのに。
 そう想ってしまうのだって、この汚染のせいだから。
 言われた通りに前を見る。食い縛る奥歯に衝動を噛み潰す。隣で聞こえる声に合わせて、振るった腕が呼び出した槍が、深く邪神の胸を抉った。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

鏡島・嵐
○◇◎
大町(f17458)と

邪神の撒き散らす狂気に中てられてるせいか、いつもより少し……いや、だいぶ恐怖が強ぇ気ィする。
足が竦む。心が凍る。瘧のように体が震え、逃げてえって気持ちで胸ン中がいっぱいになる。

それでも、あの幻の中で聞いた祖母ちゃんの言葉がある。
皆を苦しめる幻影を終わらせるために。おれを友と信じてくれる奴のために。
今はまだ、逃げ出すわけにはいかねえ。

凱歌に乗せるのは、偽り無えおれの心。
怖くて不安で堪らなくて……それでも。
おれが救うと決めたモノのために。ちっぽけでも一等星のように強く輝く勇気を掲げて。悪夢に囚われている皆に手を差し伸べよう。

届け、届け、届け! おれの声、おれの魂――!


大町・詩乃
○◇▲
嵐さん(f03812)と

『(かつての友達の様に)遠慮なく付き合える友達を』という願望と寂しさに苛まれる所に知り合いの嵐さんと出会う。
恐怖に耐えつつも前に進む嵐さんの姿とUCで勇気づけられ、願望の儘に「私とお友達になってくれませんか。」と嵐さんにお願いを。

UC発動し、結界術・狂気耐性で皆さんを包む狂気鎮静結界を展開。
攻撃はオーラ防御を纏った天耀鏡の盾受けで防ぎ、煌月に光の属性攻撃・破魔・神罰を籠めてなぎ払い・貫通攻撃で相手を斬ります!

事後に「人の世に辛い事は多いですが、お互いに、そしてご両親とも力を合わせて乗り切って下さい。貴女達の幸せを祈っています。」と美陽さんと梨華さんを抱き締めます。




 友達が欲しかった。
 大町・詩乃(春風駘蕩・f17458)は神である。ひとに混じり暮らすことをこそ愛せども、その性質は変わらない。世界のために涙を流し、生きとし生ける幸福を祈り、そのために邁進する。
 だからこそ――ひとと対等な関係を結ぶことは難しいと知っている。
 祀る者と祀られるものは、友人と言っても僅かな遠慮と齟齬を抱えている。詩乃とてそれは弁えているから、ひとを困らせる我儘のような願いを、口にしたりはしない。
 ――それでも、思ってしまうのだ。
 いつか自分を連れ出し、名をくれて、ひとの短い命を共に駆けた友人を。彼女と過ごした時間に、神とひとの隔たりを感じたことは一度だってなかった。あの時間を、神として過ごす永劫の時間に比べればほんの少しの幸福を、それでもこの手にもう一度掴みたいと願ってしまう。
 生涯の親友を看取ってから――詩乃の心の奥底にある席は、ずっと空白のままだ。
 込み上げる寂寥感を殺すことも出来ない。胸を押さえてみても、そこにある痛みが消えることも、ましになることもない。
 このままなのだろうか。誰とも出会えないまま、詩乃の奥底は空席のままなのだろうか。嫌だ。そんなのは。
「――大町?」
 沈み込む意識に、不意に声が滑り込む。
 顔を上げた詩乃の視線の先で、鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)の金色が瞬く。その眼差しが揺れているのは、気のせいなどではない。
 邪神が散らす狂気は、確実に嵐の心を蝕んでいる。普段から強大な敵に対峙すれば足は震え、未だ慣れない戦いの熱気に身は竦む。けれどいつも感じるそれよりも、此度の恐怖はずっと乗り越えがたい。
 足が前に出ない。奮い立たせる勇気すらも抱いた端から奪われていくようだ。歯の根が噛み合わない。体の震えが隠せない。今すぐにでも、戦場に背を向けたくてたまらなくなる。
 それが叶わないなら、部屋の隅で蹲っていたい。安全な場所で、何も聞こえないように、何も見えないようにしていれば、きっとこの恐ろしい暴虐は去ってくれるだろう。
 それでも――。
 ――おまえはおまえのやるべきことをやりなさい。
 幻の中ですら凜然と背を向けて、嵐を送り出した声がある。ならば、立ち止まっている時間はない。
 すっかりと気力を失っている詩乃の前に立ち、嵐は邪神を睨み付けた。震える足は律せない。荒くなる呼吸も、凍り付くような心拍も、入りすぎた力が齎す頭痛も――克服できたわけではないけれど。
 その姿をじっと見て――。
「嵐さん」
 ほとんど無意識に、詩乃は声を漏らしていた。
 強いひとだ。恐怖に立ち向かう姿が、それでも尚自分の前に立つ姿が、彼女の心を強く振るわせた。狂気よりも深く、溢れる願望のまま、唇は言葉を紡ぐ。
「――私と、お友達になってくれませんか」
 振り返った嵐が、はたりと一度瞬いた。それからゆるゆると笑って、彼はその一瞬、確かにいつもの声を上げたのだ。
「おう!」
 金色の眸に宿る力は、後方から広がる暖かな結界に強くなる。戦巫女の放つ神力が狂気を遠ざけ柔らげてくれる。
 だから――。
 嵐の呼んだ楽隊の演奏は、全てを癒やす力となるのだ。
 皆を苦しめる幻影を終わらせなくてはいけない。後方には友と信じてくれる人がいる。ならばここから逃げ出すわけにはいかない。そんな無様さを、嵐は己に赦せない――。
 走り出す詩乃の背を、凱歌が押してくれる。歌声に乗るのは、怖さも、不安も、恐怖も、否定しない嵐の心だ。
 その足が止まりそうになるのは、嵐だって同じ。だからこそ、彼は『それでも』を求めて手を伸ばす。
 救うと決めたものがある。このちっぽけな、自分の恐怖すら容易には越えられない勇気は、だからこそ美しい。泥の中で輝く一等星を、決して美しい物語のようにはいかない勇気を、強く掲げてみせよう。捕えられた悪夢から皆が抜け出す切欠となることを祈って、この凱歌を紡ぎ続けよう。
 ――嵐の心は、声は、魂は。
 前を行く詩乃の心を確かに震わせた。足が軽い。いつもよりも、ずっと。
 纏う光は破魔の神罰。迷いなく振り切るそれの向こうで、彼女は少しだけ、穏やかな笑みを浮かべる。
 ――そうだ。
 きっと目覚めるだろう梨華を連れて帰ったら、頑張った美陽ごと抱き締めよう。人の世には辛いことが多すぎる。けれど二人は乗り越えられると確信があった。
 だって、互いがいて。
 両親がいて、縁が紡がれて――。
 ――その幸福を、神が祈らないはずがないのだから。
 ひらめく一閃の向こう、切り裂いた夜空に、春が咲く――。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ルーシー・ブルーベル
○▲

ああぁあしらない
しったことじゃない
わたしのこと

ほんとのママが
なぜ手放したのかも
おとうさまが
心底関心がないのも
ブルーベルのひとが
青花の揺りかごとしか見てないのも
いつか青花に
瞳の花に食べられて終わるのも

もうぅどうでもいいでーす
アハハすべてまっくらだ!!

ああ寒い
雪の中みたい
そういえば
こんな寒さの中で何か誓ったっけ

ゆるしたいと

約束したっけ
傍に居ると

示して、もらった
こころのままにと

本当は、わたし
わたしがいきたい所は
…分かんない

ルーが翔ぶ
そうね
なら探してみよう、か

咲いて瑠璃唐草
ゆるしの色

ね、りっちゃん
本当の手を繋ぎにいこう
あなたが
大切な人に言うのはさよならじゃない
ただいまだよ

わたしだって
きっと、そうだ




 もう知らない。
 何にも知らない。どうでも良い。知ったことじゃない。
 ――わたしのことなんか。
 何だかひどく解放的な気分だ。全ての重荷から解き放たれて、奈落の底に真っ逆さま。風を切って墜落していく心まで、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)にとってはもう知らないことだ。
 ――ほんとのママがどうしてこの手を離したのかも。
 ――おとうさまが『ルーシー』ばかり見て、ルーシーのことになんか一つも関心を示さないのも。
 ――ブルーベルの人たちが、このちいさな体の揺り籠で眠る、青花しか見ていないのも。
 どうせどうせ、この体は食べられてしまう。眸に宿した青花がルーシーを食い破って生まれたら、もうそこでお役御免だ。死ぬまでルーシーは『ルーシー』。他のお役目なんてどこにもないし、認められる人格だってない。
 一生懸命頑張って来たけれど、どうせ報われやしないのだ。死んだって孵化させたっておしまいだ。怖いとか苦しいとか辛いとか悲しいとかそういうのもいっぱいあったけど楽しいのも嬉しいのも愛してほしいのも本当だったけどそんなの。
「もうぅどうでもいいでーす」
 口にすれば笑いが込み上げて来た。ああもう本当にどうでも良いな。
「すべてまっくらだ!!」
 軽くなった体で舞いたいのに、どうしてかルーシーの体は凍ってしまった。腕を広げて自由落下の感触を味わっているのに、なんだかひどく風が冷たい。
 ――寒いなあ。
 まるで雪の中に埋まっているみたいだ。このまま全部冷たくなっていくのだろうか。
 そう思って、ふと記憶の底を掠めたのは、いつかの誓いだった。
 暖かい手を繋いで、何かを言ったような気がする。何だっけ。ああそうだ――。
 ――ゆるしたい。
 どうすれば出来るのか分からないけれど、あのとき確かにそう思った。
 約束だって紡いだのだ――傍にいると。
 示してもらった『こころのままに』はまだ難しい。それでも、その言葉は、ルーシーの中で息づいている。
「本当は、わたし」
 いきたい場所がある気がする。雪の冷たさに埋もれたままでは見えないけれど。それすら溶かしてくれる、春の雪解けがある。
「――そうね」
 ひらりと目の前を横切る煌めきは、決してルーシーを笑わなかった。手を繋ぐように伸ばせば、そっと指先に止まってくれる。
「なら、探してみよう、か」
 ――いっしょに。
「ね、りっちゃん。本当の手を繋ぎにいこう」
 咲き誇る瑠璃唐草の真ん中で、ルーシーはわらった。
「あなたが大切な人に言うのは、さよならじゃない」
 そんな悲しい言葉じゃない。もっと幸せで、優しい、春の温度を繋がなくちゃいけないのだ。
「ただいまだよ」
 ――それは、きっと。
 ルーシーだって、同じ。

成功 🔵​🔵​🔴​

クロム・エルフェルト

UCの分け身が動かない

ねえ
復讐は何時するの?
大人は手足斬って火に焚べて
女子供は試斬の巻藁代り
妖狐の郷を鮮血で満たして

本当は羨ましかったんでしょ?/だろ?
認めちまえよ
――”俺様”と同類だ、ってさああ!

吊り上った口角に赤眼
喉がひり付く
私の貌でアイツが嗤う

邪神に割く余裕が潰える
一合
二合
刀が
合わさる度
明鏡止水が
黒く濁る
オブリビオンを師と仰ぐ私は
何、ダッケ

膝を折り討たレレば
分け身なら、アイツも消えル……よ、ね

叱る様な鐵を鍛つ音

此処にはザリザリの声も
二里を越える轟雷もないけど

曲りナリニもお前を討った内の独りがイる
早業柒閃にカウンターの壱閃加え
仙狐式抜刀術――八天車懸、ッテネ
邪神背負ッテ受けきレルカヨ!



 豊かな耳を不意に揺らす声があって、足が軋んだ。
 生み出した分け身が、クロム・エルフェルト(縮地灼閃の剣狐・f09031)を見詰めて立っている。影と煙に生まれるその身に、灯した魂さえ仮初のはずなのに、『彼女』はクロムと同じ声であえかに笑った。
 ――ねえ。
「復讐は何時するの?」
 差し込まれた冷や水が、不規則な心拍を突き刺した。巡らせたくもない光景が、鼻の奥を衝く血と肉のにおいが、彼女の脳裏を鮮明に駆け抜けた。
 火に焼べられていく大人たちからは、抵抗のすべを丹念に奪う。手足を斬り落として、蠢く胴に炎を放って、ひどいにおいと血さえも蒸発する地獄の中で死んでいく。
 女子供は生捕りにして、縛して刃の前に晒す。泣き喚こうが命を乞おうが通ずるはずもない。そのまま生ける巻藁として、試し斬りと称して斬り落とす。
 泣き叫ぶ妖狐の群れを、その郷を狩り尽くし――。
 その鮮血の中で嗤うのは。
「本当は羨ましかったんでしょ?/だろ?」
 眼前の己が表情を塗り替える。ざりざりと混ざるノイズが、女の声を覆って嘲笑う。
「認めちまえよ」
 知っている。刀狩の悪鬼の声だ。戯れに人を斬り、刃を奪うためにあの里を襲った、過去の化け物の声――。
「――”俺様”と同類だ、ってさああ!」
 吊り上がる口角が裂けんばかりに哄笑する。赤く煌々と光る眼差しに光はない。
 クロムの顔をして嗤う悪鬼に――。
 反射的に振り下ろした刃が噛み合った。白む視界の向こうで己が嗤う。
 否。
 ――これは己などではない。
 振り切るように打ち付ける刀の先、『己』が鏡写しの刃を振るう。金属の擦れる悲鳴が響くたび、クロムの中から何かが失われていく。
 濁ってしまう。駄目だ。考えるな。剣客斯く有るべしと、師は――。
 師は。
 ――過去の残滓だったじゃあないか。
 膝を折って討たれたならば、分け身たるこれも消えるだろうか。ならばそれも悪くはないと、力を失いかけた指先を、咎めるような音がする。
 鐵を鍛つ音がクロムを引き止める。ぐらつく視界を瞬いて、深く吸い込んだ息に奥歯を食い縛った。
 ああ――そうだ。
 鑢声を携えた燃えるような赤い光も、二里を越えて轟く雷も、ここにはいない。
 けれど、クロムがいる。
 曲がりなりにも悪鬼を討ったこの身が、再び成せないはずがない。そうだろう。そのはずだ。
 踏み込み柒閃、刃を交わす。凌ぎ切った写身の顔に驚愕が浮かぶのを、怜悧な眼差しがぎろりと刺した。
 崩れた体勢、振り下ろされる悪足掻きの一撃が致命。弾き飛ばすが如く振るう壱閃こそが、クロムの本命。
 仙狐式抜刀術――八天車懸。
 後方の邪神ごと射抜き、崩れ去る己が裡の悪鬼を見据えるクロムの眸の奥――。
 ――宿した昏い光は、果たして何を見詰めたろうか。

苦戦 🔵​🔴​🔴​

雲失・空


ほら、やっぱり
君は幻覚で
私が助けたのは本当の君じゃなかった
つまりは、そう
お前さんの仕業ってことだろう?

気持ち悪い色だ
人肌のような暖かさもなければ、氷のような冷たさも感じられない
例えば、そう
キャンパスにやたらめったら絵の具を出してぐちゃぐちゃにしたような
黒とも呼べない、粘ついた色

はは
怖いさ、そりゃあ怖いとも
ちゃんと姿が見えない 音でしか物体を視れない
何より
愛する友の表情(かお)が見えないのは

でも、
だからといって
現実(いま)を投げ出す理由にはなりはしない

燃やせ、心臓を
燃やせ、心を
燃やせ、魂を
生きる為のこの痛みは、本物だ
眼を、醒ませ

わしら人間を、舐めるなよ




 ――ほら、やっぱりだ。
 雨が降った跡すら残さず、温もり一つも消え失せて、君はここにいない。
 分かっていた。必死に手を引いて来た綺麗な青色はどこにもない。そもそも彼女がここにいるはずがないのだ。
 この手で掴んだのは幻影だ。本当の彼女を助けたわけではない――。
「つまりは、そう。お前さんの仕業ってことだろう?」
 雲失・空(灯尭シ・f31116)のサングラス越しの眸に、邪神と思しき色もまた、はっきりと視えている。
 悍ましい色だ。見たこともないほどに濁っていて、ひどく生物感が薄い。これなら無機物の方がまだましだ。
 ひとのような暖かさがないことは当然としても、温度がないということすらも伝わっては来ない。さりとて氷のように冷たいわけでもなさそうだ。白いカンバスの上に滅茶苦茶に絵の具を塗って、絵とすら言えない何かにしたときに生まれる、黒と形容することすら憚られるような、粘ついた色だ。
 言うなれば――無か。
 見詰めているだけでも、空の心の底を埋め尽くす何かを感ぜられる。思わず乾いた笑いが零れて、蒼天の眸が下を向いた。
「怖いさ」
 怖くないはずがないだろう。
 誰の姿も、この目にはまともに映らない。ぼやけた視界を補う音が代わりに視せてくれる世界は、色となって空の中に浮かび上がる。
 ――そんな世界を生きて。
 誰もに見えるものが見えないのに、誰にも視得ないものを視ていることが。
 何よりも――。
 幻影であっても助けたくて、その温もりが喪われることが耐え難い、愛する友の表情(かお)すらも、この目は映してくれないことが。
 だが。
 目を伏せる。小さく笑う。開いた眸に邪神の色を『映し』て、空の地獄は燃え盛る。
 ――そんなことを理由に歩みを止めてたまるか。
 現実(いま)を放り投げる理由がどこにある。怖いから何だ。見えないから何だ。そんなことに膝を折って、本当に大切なものを泣かせる理由など、どこにもない。
 燃やすならば心臓を。この心を。魂を。痛みも恐怖も悲しみも請け負ったまま、安寧の破滅に身を費やすことをよしとせず、軋む現実を生きる理由などただ一つ。
 ――生きる為のこの痛みは、本物だ。
 眼を醒ませ。狂気の淵の悪夢なぞに浸って、見誤るな。大人ぶった諦観も、格好つけた悲劇も、現実のどこにもない。
 ただ生きて――。
 苦しみを背負って、息をして尚、前に進む。そのためにこそ、誰しもが心に宿した焔が在るのだから。
「わしら人間を、舐めるなよ」
 ――狂気さえも灼き滅ぼす地獄の底で、蒼天を目指した蚕が笑った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

マオ・ブロークン
◎○

……あたし、は。どうして、安らか、に、眠れないで。
起きちゃったん、だろうって……ずっと、思ってた。の。
過去に、囚われた、まま……オブリビオン、たちと。同じ……

きっと、繰り返させない、ため。
過去になった、痛みを……沈んだ、皆の、痛みを
あたしたち、なりの、やりかた、で。
今の、あたし。なくした、欠けてる、もの、ばかり、だけれど……
それが、ちょうどいい、なんて、こと。あるんだ、ね……

……希望なんて、ない。夢は、もう、閉じた、あと。
きっと、正気でも、ない。
だからこそ。まだ、生きてる、未来のある。あの子、には
背負わせちゃ、いけない、もの。ぜんぶ、受け止めて……
恨み、の、一念で。塗り潰して、やる……!




 どうして。
 ずっとそれだけを問いかけてきた。誰も答えてくれはしなかったし、自分の頭の中にも答えはなかったけれど。
 安らかに眠りたかった。こんな風に目を覚ました挙げ句、悲しみと痛みと恨みに縫い付けられたまま、生きているとも言えない体で生きていたくなんてなかった。
 マオ・ブロークン(涙の海に沈む・f24917)はもう、自分がオブリビオンとどう違うのかすらも分からない。
 たまたま生きる者たちの味方だっただけ。過去に囚われたまま、それを恨み続けて悲しみ続けて泣き続けて、それを繰り返すだけ。それが余計に悲しくて、辛くて、涙がまた止めどなく溢れてくる。
 ――けれど。
 きっと、目を醒ました意味はあったのだと、あの焼けた校舎で知った。
 過去になった痛み。もう誰にも分かってもらえない苦しみ。ニュースの一角を賑わせて、それきり情報の渦に沈んで人知れず消えていく、誰かの辛さ――。
 それを繰り返させないために、マオのもう亡い命は繋がれたのだ。
 きっと生者から見たら、訳の分からないやり方なのかもしれないと思う。けれど仕方がないのだ。もうマオも、マオの仲間たちも、生きてなどいないのだから。生きるままのやり方は出来ないし、心根だって違ってしまっている。
 けれど――だからこそ。
 自分たちなりのやり方でこそ、出来ることがそこにあるはずだ。
 沢山のものをなくしてしまった。血の巡る綺麗な肌も、輝いていた両目も、当たり前に動く心臓も。いつか続くはずだった未来も、泣いて笑って生きる日々も。まともに動く体だって、快活な喋り口だって、『そこそこ』だった脳だって――。
 それでも。
「ちょうどいい、なんて、こと。あるんだ、ね……」
 何だか、少し笑えてきた。喉が引き攣れるような笑声と一緒に、また一粒涙が零れる。
 ――希望には置き去りにされてしまった。
 ――夢なんて、もう終わってしまった。
 死んで、死んでいるのに生きて、鈍く錆びても尚ここにある心は、きっともう正気すら失っている。
 それが辛くないとも、苦しくないとも言わない。
 言いやしないけれど――。
 そこで眠り続けている彼女に。未来のあるひとに。帰れば誰かが待っていてくれて、暖かく受け容れてくれる場所がある子に。
「背負わせちゃ、いけない、もの」
 だから、マオが全部、代わりに受け止める。
 呪いのような狂気に向けて、込めるのは転ずる恨み。遥か強いそれが、死者の苦しみを背負った一撃が、夜空の色を握り潰すように穿つ。
「塗り潰して、やる……!」
 ――咆える死者の怨嗟の先にこそ、無辜なる生者の未来は拓かれる。

大成功 🔵​🔵​🔵​

アルトリウス・セレスタイト

たとえば
当たり前の人のような日常が。街を歩き友人と語らい笑い合って過ごすようなものが
あったら良いと思わなかった訳でもない
己には遠いものと理解し終わった話

黄金の髪と赤い瞳はちらつくけれど

戦況は『天光』で逐一把握
攻撃には『煌皇』にて
纏う十一の原理を無限に廻し阻み逸らし捻じ伏せる
全行程必要魔力は『超克』で“世界の外”から常時供給

破界で掃討
対象は戦域のオブリビオン及びその全行動
それ以外は「障害」故に無視され影響皆無

高速詠唱を『刻真』『再帰』で無限に加速、重複
瞬刻で天を覆う数の魔弾を生成、目標へ向け斉射
更に『再帰』にて一連の工程を間断なく無限に循環
回避も防御も余地のない飽和攻撃で圧殺する




 ――例えば、それは街角にある。
 街頭に流れるニュースを一瞥して歩く日々。隣に立って歩幅を合わせる友人たちの笑声に耳を傾け、同じように共に笑うだけの日常。人外の理も知らず、世界の理に従い生まれ、そして緩やかな平穏の裡に身を埋めて、いずれ静かに朽ちていく。
 当たり前の――。
 日々と心が、アルトリウス・セレスタイト(忘却者・f01410)の憧れだった。
 人間の絆を知っている。目にするそれは美しくて、強くて、しなやかだ。だからこそ彼はそれを眩く思った。
 己には持ち得ぬその揺らぎを。
 当然を持ったアルトリウス自身が存在していたのなら、それをきっと、彼は喜ぶだろうと――。
 思ったことが、ないわけではなかった。
 けれど。
 それももう、遠い話だ。
 遍く照らす理は、戦況の全てをアルトリウスに伝えてくる。万象見通すその眸が、この場にある猟兵と邪神の行動を、彼に教えてくれる。
 束ねた十一の原理が光輝と変わり、邪神の拳を捻じ曲げ逸らす。ぶつかったという結末が書き換われば、この身には如何なる攻撃も届かない。それほどの力を行使するために使っているのは、『世界の外』にある無限の力だ。この身にて汲み上げる、永久に尽きることのないエネルギーを用いて、アルトリウスは完全なる防御を実現する。
 けれど――邪神は、それに何らの反応を見せることもなかった。
「不思議ね」
 代わりに傾いだ首は、アルトリウスの眸の奥を見据えるように目を瞬かせた。続く哀憐に満ちる台詞は、果たして何のために紡がれたのだろうか。
「あなたにも、心はあるのでしょうに――」
 ――全てを言い切るより先。
 万物の全てを消し去る光線が、邪神を襲う。
 煌めくその光が、夜の帳に覆われたそれにどこまで通用しているのかは不明だ。だが少なくとも、呼び出されたその体を貫くには充分だった。
 詠唱は瞬時に、幾重にも重なって行われる。天を覆う魔弾が放たれて、邪神たちの分体を穿って消し去っていく。回避も防御も、決して許しはしない。
 いつもの通り――。
 その後には、アルトリウスが定めた者の他に、何も残らないのだろう。
 けれど。
 見遣った己の掌に、何を感じたのだかも遠ざかっていく。憧れが遠く届かぬものだと理解し、手を伸ばすことを止めたことは――真実であるはずだ。
 それなのに。
 ちらつく黄金の長い髪が、快活な赤い眸が、脳裏をちらつく。それを自覚して、アルトリウスは無意識に手を握った。
 ――煌めく遠い星の瞬きは、果たして己にとって、何を齎しているのだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ヴィリヤ・カヤラ
▲ ○◇

猟兵になってから吸血は頻繁に出来ないから常に渇いてはいるけど、
この部屋に来てから吸血衝動がどんどん強くなってる気がする。
抑えられるうちにヒトのいない所に行きたいけど、
その前に仕事はきっちり終わらせないとね。
ここで負けてたら父様にガッカリされちゃうと思うし。

でも、この吸血衝動は遠慮したいけど。
敵の見せてくれた幻影には感謝かな、
母様に会わせてくれて少しだけ幸せだったよ。

人はやわい部分が多いけど強いところもあるよ、
今まで会ってきた人達はそうだったし。
だから今は寝てる彼女もきっと帰っても大丈夫、
それを埋める何かを見つけられるよ。
だから、彼女は返してもらうね。




 人間の血液というのは、こと手に入れにくい。
 常夜の世界において、ヴィリヤ・カヤラ(甘味日和・f02681)は捕食者だった。その性は世界に選定されても変わらない。半魔の身は人の血を欲するから、そのために必要な薄暗い仕事をこなしたこともある。
 ――それでも、足りているわけではない。
 吸血衝動は常に心の裏にある。猟兵となって外に出てからは、人間を無闇に襲うわけにもいかないから、尚更だ。常に薄氷の如き水面を渡り、堪えきれなくなる前に『追加』する。輸血パックでは満足出来ないこの体に燻るそれが――ここに来て、急に強まっている。
 血が欲しい。
 心のままに飲みたい。喰らいたい。立ち向かう猟兵も、抗う猟兵も、そこで眠っている少女すらも――たっぷりと命の味を飼い込んだ獲物にしか見えなくなっていく。
 それでも、今はまだヴィリヤの理性が勝っている。抗い続けていられるうちに、本当に誰かを襲わないうちに、早くひと気のない場所へ急がなくては。
 灼けるような焦燥感が心を焦がす。急かす心の天秤が、少しずつ給血に傾いていく。本来ならば、今すぐにでも走って逃げ出したいくらいだけれど――。
 ――こんなところで負けたら、ヴィリヤを待つ父の失望を買ってしまう。
 仕事は果たさなくてはなるまい。父を討ち果たすと決めたのならば、それまでに立ちはだかるどんな障害をも、越えていかなくてはならない。
 だからこそ、ヴィリヤは真っ直ぐに邪神を見る。吸血への希求に抗いながら、けれど彼女は少しだけ笑った。
 ――衝動の増幅には参ってしまうけれど。
「母様に会わせてくれて、少しだけ幸せだったよ」
 たとえ幻想の中でも、そこには確かに温もりがあった。ヴィリヤの覚えている母の面影が、寸分違わずそこにあった。
 もう一度会えた。
 記憶の中にある彼女ではないと、ほんの少しだけ信じてしまいそうになるような、母に。
「人はやわい部分が多いけど強いところもあるよ」
 つくづく不思議だと思う。
 心というのは、弱くて脆い。すぐに落ち込んでしまうし、すぐに傷付く。それなのに、時にそれをバネにしてまでも、どこまでも伸びやかに飛んでいけるのだ。
 きっと――それは、遍く人間に備わった、特別な力。
「だから、きっと帰っても大丈夫」
 今も眠り続ける彼女も、抗っている。それが何よりの証左だ。
 悔悟も、怒りも、衝動も――欠けてしまった疵を埋める何かを、きっと手に出来る。期待でも祈りでもなく、ヴィリヤは。
 ――そう確信している。
 だから。
「その子は返してもらうね」
 迸る氷刃が、甘き夢の遣いを囲んで、爆ぜた。

成功 🔵​🔵​🔴​

鷲生・嵯泉

邪神に……過去の残滓なぞに憐れまれる筋合いは無い

鎌首を擡げる衝動には嫌に為る程覚えが在る
復讐を望む憤怒と――死を求める絶望

――既に死すとも赦す事なぞ出来ようものか。存在の痕跡とて遺しはせん
此の手から総てを奪ったものを完膚無き迄に叩き潰してくれよう
――譬え堕ち行く先で逢う事は叶わずとも、唯生きるよりかはマシだ
二度と戻らぬものを追い、潰えてしまえればいい

戦いの内に果てよと狂気の沙汰へと身を投、じ…て……
……違う、見誤るな
何時の間にか染み付いた、紫煙の薫りに引き戻される
確かに其の狂気は己が裡に巣食うもの
だが狂乱の爪牙は正しく向けるべき先を
帰る為に護る場所を得た筈

なればこそ――絶つ
邪神も、己が狂気も




 ずっと、飼い続けていた。
 己が総てが灰と帰した日から、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)の歩む路に光は亡い。暖かな陽を食い潰し、代わりに裡で嘲笑う衝動は、いつとて心の隅に燻り続けている。
 ――続くはずだった幸福を奪った者に、復讐を。
 死する程度で赦しはしない。そこに在った痕跡すら、灰のひとかけさえ遺してなるものか。あの日に蹂躙され尽くした総てが味わった苦しみを、その身に叩き込んで尚足りぬ。無間地獄の底まで墜ちて、永劫の苦痛に悔いたとしても、嵯泉だけはその蛮行を決して赦さない。
 地獄の底までも追ってやる。幾度その命を絶っても満足することはないだろう。身を覆う憤怒の焔が、尽きることなど在りはしない。
 その果てに己が身が朽ちたとて――本望だ。
 復讐を成し鬼と堕した己が、どこへ墜ちるのかも知っている。それでも、喪った大切な者と巡り逢うことすら叶わぬのだとしても、ただこの身を生かしておくよりずっとましだ。
 この心が幾度死を望んだとて、最早それが赦されることすらない。ならばこの命、総て怨嗟の種火としてくれよう。二度とこの手に戻らぬ伽藍堂の灰を抱えたままで、仇を討ち潰えて消えるというのなら、繋いだ価値も幾分はあろうというものだ。
 戦いの内に果ててしまえば良い。
 この熱が在るべき場所はとうに亡くした。ならばもう、繋ぎ止めるべきものすらも、ここには何も――。
 ――否。
 衝動のままに刃にかけた指先が、知らず僅かに跳ねた。気付けば染みついた紫煙の香りが、袖を引くように嵯泉を包む。
 このままこの身を磨り潰せば、分け合う火種の薫は行く宛をなくすのだろう。独り取り残される、袖を引くのが精一杯の、置いて逝かれることも、否定も拒絶も嫌う小さな子供は――。
 泣くのだろうな。
 ――それは勘弁願いたい。
 一つ首を横に振って、柘榴の隻眼を固く閉じる。再び開いた嵯泉の眸と声に、もう惑う色はない。
「過去の残滓なぞに憐れまれる筋合いは無い」
 踏み込む足に躊躇はない。蝕む狂気は常にそこに在り続けると知っている。永劫こびりついて離れることのないそれを――しかし、嵯泉は呑み干した。
 御さねばならない理由がある。
 総てを亡くしたこの手を掴む温もりを。喪った果てに得たものを。狂乱の爪牙を軛に嵌めてでも、生きると定めたその理由を――。
 ――帰るために、護る場所を。
 二度と得まいと誓ったそれを性懲りもなく掴む手を、どうしようもなく肯定した。ならば、この目が死を見据えることなど赦しはしない。
 いつか果てる日が在るのだとしても――。
 その運命すらも、この意志で塗り替えてみせる。
 故に。
「――絶つ」
 振り抜いた神速の刃で穿つのだ。
 邪神と共に――己が狂気をも。

大成功 🔵​🔵​🔵​

毒藥・牡丹
【理解しがたい】★

誰にも認められず
誰にも愛されない
出来損ないで 愚図で 存在価値のない
そのくせ、毒をばら撒く有害な生き物

こんな人間──もう人間とも呼べない自分は
死んだ方がいいに決まってる
もうこれ以上、誰にも迷惑をかけないように
無駄な酸素を吸わないように
日に当たることが出来るのは、立派に咲いた花だけだ

そっか、やっぱり
お母様は、あたしをアイしてくれてたんだ
応えられなかった、あたしが悪いんだ
これで赦されるとは思わない
けれど、死ぬ前にもう一度だけ
アイの形を、確かめたい

なんで
なんであんたはいつも、いつも
あたしの前に立ち塞がるのよ
もう、もう、
やめてよ───!!!

うるさい
うるさいうるさいうるさい────!!


千桜・エリシャ
【理解しがたい】〇▲

ふ、ふふふふ!おかしなことをなさるのね!
もとよりこの身は狂気の渦中
抗うなんて選択肢は最初から私の中にはない
だから己の慾のままに
あなたの御首を――

…牡丹?
何をしているの
馬鹿な真似はよして
自暴自棄になるなんて邪神の思う壺よ
いいえ、やめません
あなたの帰りを待つ人達の存在を
私は知っているから
まだ理性が残っているなら
その人達の顔を思い浮かべて
そこで見ていなさい
あなたが私を殺す?
そんな戯言
二度と言えないようにしてあげる

妹が見ているのですもの
格好悪いところは見せられませんわ
心地よい狂気をありがとう
この慾は私のものだけれども
衝動を駆り立てたのはあなた
だからお望み通り
御首をいただきますわね




 思わず唇が震えた。
「ふ、ふふふふ! おかしなことをなさるのね!」
 この身に齎されたこれを、狂気だと言う。
 ならば千桜・エリシャ(春宵・f02565)の心は、いつでも狂気の渦中にある。心を昂ぶらせるのは戦の熱狂。その御首を刈り取って、甘美な熱に身を埋めたい慾動が身を埋めるのも、いつもの戦場と何ら変わりない。
 ならば抗う必要すらもないだろう。エリシャが求めるのは、この身を昂ぶらせ慾を埋める御首のみ。
 ――桜は血を吸って、美しく咲くのだという。
 迷いなく抜き放った白刃が、眸に宿る色を写し取る。冴え冴えと輝くそれを手に、強く身を沈み込めたときだった。
「……牡丹?」
 ――隣の異母妹が、俯いている。
 毒藥・牡丹(不知芦・f31267)の裡には、ただ虚脱感だけが犇めいていた。
 言われなくても分かっていた。誰にも認められない。誰にも愛されない。欲求ばかりが肥大するくせに、愛されるような素質も、認められるような才覚もない。
 出来損ないの愚図。咲きもしなければ存在価値もない蕾。開く前に腐した中身から、毒を振り撒き誰彼殺す――厄。
 突きつけられた現実が、牡丹の足許を浚っていく。打ち寄せる波が冷たくて、けれどお似合いだと思う。
 もう、人間とさえ呼べない毒は――死んでしまった方が良い。
 そうすれば誰にも迷惑をかけなくて済む。愚鈍な己はいつだって失敗して、醜態を晒して、顰蹙を買うのだから。世界の方だって、そんなものに酸素を費やしたくはないだろう。
 ――日向で咲く権利があるのは、いっとう美しく咲いた大輪だけ。
 蕾の奥で腐ったただの毒草に、居場所などあるものか。
 ならば。
 牡丹の眼前に光が差した。持ち上げた眼の裏に、確かに揺らめく姿がある。
 冷たい声。顰められた眉根。打ち据えるその手すら、今は暖かく思える。思わずと伸ばした手がぼやけて、けれど彼女は穏やかに笑った。
 ――そうだ。
 ――お母様は、やっぱり私をアイしてくださっていた。
 牡丹が応えられなかっただけ。愚図で鈍間な牡丹が悪かっただけ。だからお母様はあんなにもお叱りになったのだ。アイをアイと受け取らず、受け取る資格を得ることすら出来ない出来損ないが、いつも謝るばっかりだったから――。
 その罪を、こんな命とすらいえない歪で精算出来るとは思わなかった。けれど最期に、ひとつだけ――我儘を叶えて欲しいと願ってもいる。
 アイのかたちを、確かめたい。
「何をしているの」
 ――ぴしゃりと割り込んだ声が、毒に呑まれかけた手を握る。
 気付けば強く首を絞めていた。無理矢理に引き剥がされた息苦しさが、牡丹に強い喪失を与える。
 代わりのように明瞭になるのは――。
 ――桜色の眸。
「馬鹿な真似はよして」
「なんで」
「自暴自棄になるなんて、邪神の思う壺だからよ」
 エリシャの声は硬い。眦を吊り上げた眼差しにあるのは、怒りだ。認識すれば反射的に震える心の、その揺れさえも不愉快で、牡丹は込み上げるままに喉を震わせる。
「もう」
 ――どうして。
「もう、やめてよ――!!!」
 ――いつも、私の願いは。
 ――あんたに邪魔されて叶わないのよ、千桜エリシャ。
「いいえ、やめません」
 異母妹の手を握る力は緩めない。そのままその存在が沈むことを、誰が望んでもエリシャは赦さない。
 宿で身元を引き受けている彼女は、最初に会ったときより、楽しそうに過ごすことが増えた。
 金色の狐に寄せるそれは信頼だろう。真逆の性質が噛み合ったのか、熱帯魚の彼女と話すときの牡丹は、まるで年頃の友人そのものだ。よく言い合っている半血鬼のことだって、決して嫌っているわけではないと見受けている。
 彼女には、帰りを待っている人たちがいる。
 エリシャは――それを、よく知っている。
「まだ理性が残っているなら、あなたの帰りを待つ人達の顔を思い浮かべて」
「……うるさい」
「――そこで見ていなさい」
「うるさいうるさいうるさい────!!」
 振り払う腕は、駄々を捏ねる子供のそれだった。けれど非力な牡丹に、戦に生きるエリシャの力は解けない。
「私が、あんたを殺してやるッ!!」
 ――睨む眸に。
 エリシャは笑った。
 馬鹿にしたわけではない。宣戦布告を受け止めて艶やかに咲く、戦場の花の顔で。
「そんな戯言、二度と言えないようにしてあげる」
 手を離せば牡丹がふらついた。その姿に背を向けて、今度こそ足は地に沈み込む。
 ――妹の前で、格好悪いところは見せられない。
「心地よい狂気をありがとう」
 慾動がいつにも増して強く脈打つ。高揚感も比べものにならない。満たす御首を獲りたくて、疼く桜が迸る。
 ああ――けれど。
 これを煽ったのは、あなた。
 だから。
「御首をいただきますわね」
 一閃――。
 迷いなく振り抜かれた刃から奔る紅花が、椿の如く落ちる。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

ジン・エラー


ア゛ア゛~~~~~~~~
入ってくンなよ、気色悪ィ
次から次へとムカつくことしやがって

黙れよゴミクソカス
どうせやることは変わらねェンだよ
救ってやる
救ってやるよ
そこで寝てるヤツも、ここにいるヤツらも
ゴミクソカスのテメェも
全部救ってやる

この世はあまりにも不平等で溢れていて
神と呼ばれるモノすら公平ではなくて
けれど、地獄は等しく救われない
ならば だったら
オレの救いは、公平に平等に
遍く全てを、救ってやる

オレをキレさせたテメェへの手向けだ
しっかりその眼に 身体に 脳髄に 魂に
焼き付けて
消し飛びやがれ




 何かが、己の中に潜り込んでくる。
 その感触にひどく眉を顰め、ジン・エラー(我済和泥・f08098)は深く唸った。ぬめるような感覚が喉元を逆撫でする。深々と吐いた息すらも、苛立ちを高めるだけのそれとしか感ぜられない。
 ――次から次へとムカつくことしやがって。
 悪趣味な幻影の次はこれか。挙げ句それを『アイ』などと呼ばわって、まるで遙か高みから見下ろすような眸と声で、憐憫を語るときた。
「あなたの心は、不思議ね。けれど、『わたしたち』はアイし――」
「黙れよゴミクソカス」
 吐き捨てるジンの声音が、粟立つような殺気を帯びる。
 この心がどうあろうが、沸き立つ衝動と感情が何だろうが関係はない。彼はいつもの通りにするだけだ。どれほどの侵食を受けようが、どうせやることが変わるわけではない。
「救ってやる」
 ――その言葉をそっくり返して、あまねくすべてを。
「救ってやるよ」
 ベッドで眠りに就きながら、悪夢の渦中にある娘のことも。
 ここで邪神の侵食に抗いながら、それを打ち倒そうと奮起する猟兵たちも。
 ――ゴミクソカスの、テメェですら。
「全部、オレが救ってやる」
 この世に平等などない。
 ジンはそれをよく知っている。神が公平だったことなど、聖なる書が描かれた時代から、一度もない。信仰の有無、心の清廉――その真偽を問うことは、決して平等なる判断などではないのだ。
 ――どれほど深く信じていようとも、どれほど清らかに生きようとも。
 ――それが『信仰』でも『清廉』でもないと言われたのなら、反する手立てはない。
 この世に平等があるとするのなら、それは痛みと絶望だ。生きとし生ける全てに降りかかり、一切の情状酌量すらなく、苦境だけが立ちはだかる。
 天に行くには認められねばならない。地獄に堕ちれば等しく皆が救われない。
 ならば。
 ジンの救いは遍く救う。救われたい者も救われたくない者も、救える者も救えない者も、人種も信条も信仰も心根も関係ない。
 その――生死さえ。
 纏う光で全てを照らしてくれよう。燦然と輝くこの身が、遍く蔓延る闇の全てを灼き滅ぼす。そうして救うのだ。全てを。この世界の今に存在して、未来に存在するはずで、嘗てに存在した、何もかもを――。
「オレをキレさせたテメェへの手向けだ」
 獰猛に唸る声が、夜空の眸を見る。瞬く星眸に、紛いの体に、一つで無数の脳髄に。
 ――あるかも知らぬその魂に、とくと焼き付けて。
「消し飛びやがれ」
 陽よりも強く煌めく絶対の光が、全てを白ませる。

大成功 🔵​🔵​🔵​

レン・ミルククォーツ
【煉燦】


幻だった。
まだこの手には、二人分の喉笛を裂いた感覚も、一人を残し全て見捨てた事も
記憶として全て残っているけれど
現では誰も傷つけていない、それなら良かった

――本当に?

幻と知らず、躊躇いなく
見知らぬ人どころか肉親すらも切り捨てられると判ってしまったのに?
今になって手が震える
喉から血を噴く二人の顔が脳裏を――

……うん。
そうだね
あたしたち双子だもんね

もう大丈夫
サンちゃんが隣にいるなら
お姉ちゃんはいくらでも頑張れる――!!

『庵智』!!力を貸して!!
【降霊】の力でお婆ちゃんの――
代々"天之尾羽張"を継いできた、神裂きの巫女の血筋を此処に!

何が狂気、何が邪神よ
そんなのに負けてなんてやらないから!!


サン・ミルククォーツ
【煉燦】


私が偽物を連れて来たように
お姉ちゃんも私を助けた
だから私もここに居る

その為にお姉ちゃんが払った代償は震えを視て解る

手を繋ごう、私たちは双子
私は、もう泣いてなんかいない

今度は私がお姉ちゃんを助ける番
もう震えないで。

神直日、私の身体を補った二百余りの魂へと問いかける
「お婆ちゃん。村のみんな、一緒にお姉ちゃんを励まして狂気に抗う勇気をください!」

死霊術とか、神の力の欠片とか
そんな物を使うまでもない
勇気があれば、お姉ちゃんは負けない。
私たちは勝つ!




 ――繋いでいた温もりが消え失せて、最初に安堵した。
 幻だった。この手で裂いた二人分の喉笛の感触も、たった『ひとり』の手を繋いで駆け抜けて、他の全てを見捨てたことも。
 レン・ミルククォーツ(あの夏の日の・f29425)の手と記憶には、その感覚がまだ生々しく焼き付いているけれど。
 あれらが全て幻だったのならば、その手は何も傷付けていないということになる。現に生きる人々には、何らの危害も加わってはいないのだろう。
 それならば良かった。
 ――本当に?
 心臓が不意に軋む。動きを止めたレンの裡を、とめどなく疑問が巡り続ける。幻だったからそれで良いだなどと、安直に片付けられるようなことだったか。
 この手は――。
 たった一人のために、何でも躊躇なく切り捨てられるということを、知ってしまった。
 幻だと、あの火の手の中を駆けている間、レンは気付いていなかった。だからあれが『本当』の両親だったとしても、惑いなく刀を抜いていたのだ。その喉笛を掻き切り、ぐずぐずの妹を抱き締めて、その手を引いて全てを見捨てる。
 あれが。
 ――現実だったとしても。
 思わず見遣った両手が、ひどく震えていた。認識した途端に、レンの体までもに震えが伝播する。
 殺してしまった。殺してしまう。もしも妹と誰かが敵対したのなら、妹の身に危機が迫るなら、彼女はいとも容易く相手を斬ってしまう。
 喉から血を吹いて、驚愕の表情でレンを見る眸が、脳裏に焼き付いた。光を失う虹彩。断末魔すら上げられずに倒れた、もう動かない、大事な両親の顔が――。
 ――不意に。
 優しく重ねられた手に、レンは顔を上げる。
「手を繋ごう、お姉ちゃん」
 サン・ミルククォーツ(燃える太陽の影・f29423)は、姉とは裏腹に、あれが幻影だと知っていた。
 だからこそ見捨てようとしたけれど、だけれども助けた。サンがレンの偽物を助けたように、きっとレンもそうしたのだろうと――そのことは、こうして二人立っていることからも分かっている。
 ――彼女が払った代償も、震える体が如実に示しているから。
 今度はサンが助けよう。あの悲しみの海の中で、レンがそうしてくれたように。
「私は、もう泣いてなんかいないよ」
 だから――もう、震えないで。
 ゆるゆると笑って見せたサンの笑顔に、レンは大きく頷いた。
「……うん」
 繋いだ手を握れば、もう片方も握り返す。そうやって生きてきた。ずっと、生まれる前から隣にいる、大切な姉妹――。
「あたしたち双子だもんね」
 いつもの明るさで笑うレンに、サンも安堵したように頷く。
 そうだ。
 姉はいつだって日向のように笑ってくれる。影法師のように長く伸びたサンの背丈をも包み込んで、ちいさな体でいっぱいに照らしてくれる。そういう姉だから、妹もまた、その後ろで笑えるのだ。
 ――だから、ほら、もういつもと一緒。
 手を解いても隣にいる。ずっとそうしてきたように、レンとサンは一緒にいる。だから。
 ――お姉ちゃんは、いくらでも頑張れる。
「『庵智』!! 力を貸して!!」
 兎面からぴょんと飛び出す白兎。その力を借りて、レンはいっときの神依を成す。
 天之尾羽張を継ぐ、神裂きの巫女の血筋――それを今、ここに宿して。
 飛び出したちいさな体の後ろ、長躯が懸けるのは決意の願いだ。祈りに応じるのは二百を超える魂の群れ――。
「お婆ちゃん。村のみんな、一緒にお姉ちゃんを励まして狂気に抗う勇気をください!」
 救済の願いに応じて、心の底を燻る狂気が揺らいで薄まる。祖母の指先が攫っていった分、それから――この意志が、捻じ伏せた分も。
「何が狂気よ」
 レンの唇が笑みを描くために――。
 サンの死霊術も必要ない。宿した焔神のひとかけとて、使う必要もない。そんなものが、ふたりの心を結ぶのではないから。そんなもので、この心が紡がれているわけではないから。
「何が邪神よ」
 代わり、信じている。サンがレンを。レンがサンを。互いに繋いだ温もりを。この手に残るどんな残酷な真実も過去も、全てを拭い去る祈りを。
 ――勇気があれば、お姉ちゃんは負けない。
 姉が負けないのなら。
 サンが負けてやる理由だって、ない。
「そんなのに負けてなんてやらないから!!」
「私たちは、勝つ!!」
 神絶の逸話を背負う刃が、またひとつ、新たな神を斬る。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

朱赫七・カムイ
⛩神櫻
〇▲

サヨ!櫻宵!
衝動と共に抱き竦める
桜の香と熱
サヨがいる

もう離さない
絶対嫌だ
いやだ
きみが居なくなるのが怖い

狂うなら狂え
きみさえいればいい
きみを愛せるなら本望
躊躇わず愛せる事はこんなにも幸いだ

でも他の神が干渉するのが気に食わない
触れるな
私のものだ
私だけの傷み
私だけの─戀

重なる吐息
龍に血を注ぐ
好きなだけ求めておいで
美味しい?
黄泉竈食のように離れられなくなればいい
共に生きよう

罸の様にふり注ぎ罪あがるアイ
誓の詞代わりに心臓をあげる
いいよ
永遠に
きみを滅茶苦茶に愛してあげる

今だけでは終わらせない
之が罸戀

感謝する
狂気に踏み出しひとつしれた
私は自ら選ぶ

礼代わり
そなたが幸いに夢から目覚められるよう
厄を斬る


誘名・櫻宵
🌸神櫻
〇▲

カムイ!
愛しい熱に抱き締められ
梔子の香りがあなたを示す
大丈夫
私は此処よ
狂(あや)すように撫で
何処にもいかない

蕩けるように美味しいあなた
私の腹のなかにだって居てくれる
震える神の唇に口付けて
噛み溢れる血を啜る
もっと
カムイを頂戴

私を壊(アイ)していいのはあなた
私の神をアイ(壊)していいのも私

あなたの神生を滅茶苦茶に愛させて
私の神様
あなたに戀してもいいかしら?
抉りとった心臓にキスをして
殺(愛)しても死なないでと

狂気を愛でて愛して抱き締める
共に堕ちるなら戀がいい

愛の果てに壊れられるなら本望
でもまだ足らない

ありがと夢魔さん
狂気とは愛のこと
私は私の意思でそれを掴む

お礼に全部桜にして
咲かせてあげる




「サヨ!」
 その香と櫻色を見付けて、朱赫七・カムイ(約倖ノ赫・f30062)の喉から裂けんばかりの声が迸った。
 駆け寄った先で、誘名・櫻宵(爛漫咲櫻・f02768)もまた、彼の神に向けて一歩を踏み出す。無意識にと広げた腕が、どちらともなく絡んで、互いを強く引き寄せた。
「櫻宵!」
「カムイ!」
 ――巫女に届く梔子の香りが。
 ――神を擽る桜の熱が。
 互いがそこにあることを伝えてくる。常の穏やかな抱擁とは違う、ひどく強く抱き竦める腕が、震えんばかりの衝動に包まれていた。
 喪いたくない。
 幻影だと分かっている彼にすら、突き飛ばされて独り遺されることにひどい痛みを覚えた。亡くしたくない。離さない。絶対に、もう嫌だ。
「きみが居なくなるのが、怖い」
「大丈夫」
 返す櫻宵の声は、まるで普段、カムイがそうするような温度を孕む。狂(あや)すように撫でる指先もまた、いつかそうしてもらったものを返すようだ。
「私は此処よ。何処にもいかない」
 ――縋る神の、何と愛おしいこと。
 櫻宵の満たされる内心が、浮かべた恍惚の笑みが、カムイに見えたわけではない。けれど迸る彼の衝動が、緩められた軛を振り千切って零れ落ちる。
「サヨ、私は――」
 ――狂わば、狂え。
 心の底から彼が愛おしい。その想いだけを抱えて生きて行きたい。この手の裡に彼を閉じ込め、抱き竦めていられば良い。
 そうしていられるのなら――何が降りかかろうと本望だ。
「きみさえいればいい」
「ふふ」
 ああ――。
 ――私の神様は、衝動までも美しい。
 震えるカムイから体を少しだけ離した櫻宵が、そのまま彼の唇を食む。小さく弾ける血潮が、腹の中のあなたと混ざり合って、蕩けるような甘さで身を満たす。
 吐息が重なって――満ちる。互いの櫻色をした眸が交わって、唇を舐め取る櫻宵の仕草にさえ、カムイのひりつく唇は笑みを描くのだ。
「もっと――カムイを頂戴」
「ああ。好きなだけ求めておいで」
 愛しい身が満つるまで、どれほどでも喰らえば良い。黄泉竈食が如く、もう離れられなくなれば良い。
「共に生きよう」
 その一言に、櫻宵はひどく蠱惑的に笑った。
 ――ええ。
 ――それが、『望み通り』。
「あなたの神生を滅茶苦茶に愛させて、私の神様」
 爛漫の春を齎すこの感情は、血潮の赤さで咲いている。臓腑を抉り、命の核を太陽に掲げ口づけて、櫻龍は恍惚と笑うのだろう。
 殺(愛)しても、死なないで――。
「――あなたに戀してもいいかしら?」
「いいよ」
 愛しい巫女の囁きの、何と心を満たすことだろう。抱き竦めた体に懐くのは、今度こそ亡くす恐怖でもいつかへの怯えでもない。
 今ならばカムイにも分かる。罸の如くふり注ぐ、罪あがるアイ。そのかたちを愛おしげに確かめて、神はあえかに囁く。
 ――誓の詞代わりに、心臓をあげる。
「永遠に――きみを滅茶苦茶に愛してあげる」
「ええ」
 櫻宵の唇が、ひどく満足げに弧を描いた。
 ――私を壊(アイ)していいのはあなた。
 ――私の神をアイ(壊)していいのも私。
 ここに実を結んだ狂気ごと、狂喜を懐いて抱き締める。愛しく愛する櫻宵の神。共に堕ちるなら戀が良い。
 満ちる想いはカムイも同じだ。今だけでは終わらせない。終わらせたくない。
 噫――。
 之が、罸戀。
 なれば。
「触れるな」
 ひどく冷たい声で、神は邪神を睨みやる。己の巫女に――巫女への想いに触れる己以外の神を、この慾動は赦さない。
 これはカムイのものだ。身を引き裂かれるほどの痛みも。満ちる心も。そう――。
 ――これは、カムイだけの戀。
 けれどそこにあるのは、ただ断罪の神罰のみではない。狂気の淵に踏み出して、初めてこの感情の色を識った。それを、自ら選ぶことの意味も。
「感謝しているよ」
「ええ。ありがと夢魔さん」
 抱き竦められた櫻宵もまた、ゆるゆると眸を細める。狂気と呼ばう愛の涯、共に壊れて行くのならばそれも悪くはないと――そう想うほどに、これは甘美な夢だった。
 けれど。
 まだ足りない。共に行く路の先、たったひとときの狂騒と成すには惜しすぎる。なればこそ、この狂気の涯で――それを齎す哀憐の眼を、穿つのだ。
 これは、せめてもの礼であり。
 その――手向け。
「――咲かせてあげる」
 厄斬る神の一閃に、愛呪宿す櫻が、あかあかと咲き誇る。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

クロト・ラトキエ
○◎
ケリは、つけたい者へ

闇、星空…
お前とはとことん気が合わんな
可哀想だの
アイしてやるだの
…何様?

重要なのは己のみ
凡ゆるは己が為
使いも壊れも壊しもした
謀り奪い、此処に在る
思う儘、慾する儘に、生きて悪いと誰が決めた?

狂気?
ご冗談
至って正気ですとも
…機嫌は悪いがね

誰もが願望を秘め、衝動や感情に耐え、
己を律し生きている
――なんて幻想
何とお可愛い夢見てらした事で

驕るなと言った
俺の裡、お前などに解せるかよ

“誰かの為”なんて取り繕った“己の為”に

UC開展
尽く――斬り絶つ


教室で確かに反応した
…梨華
聞こえてるか

『りっちゃん』
そう呼んでた
帰って来るかと気に掛けながら
だから
とっとと『みよ』に、ただいまって言ってやれ




 ――とどめを刺すのは、己の役目ではなかろう。
 そう判じて尚、クロト・ラトキエ(TTX・f00472)の心に滾る、氷の如き苛立ちは止まない。
「お前とはとことん気が合わんな」
 吐き捨てる声に、被る人の皮の温度はない。睨めつけるように眉根を寄せるのは、殺戮の獣の一匹だ。
 星空のみが輝く無明の闇に浮かんで、少女のかたちをした邪神は、悲しげに眉尻を下げている。それもまた、気に食わない。
 ――可哀想だの。
 ――アイしてやるだの。
 随分な上から目線だ。元より高次の存在であれど、それを『下位』が素直に受け取るかどうかは別である。
 慈悲も憐憫も――上位者の手慰みに過ぎないというのに。
 ことりと、邪神が首を傾ぐ。瞬く夜空の眸は、獣の威圧を意に介すこともない。そのさまはおよそ人と隔絶している。
 クロトにとっては関係がないが。
「あなたの狂気は、何だか不思議ね。変わらないように見えるわ」
「ご冗談」
 だから僅か、声音は鼻で笑うような色を帯びた。
「至って正気ですとも」
 ――機嫌は悪いが。
 これが狂気だというのなら、クロトは常にその中にある。徹底した利己の混沌――己を最高にして絶対の指標として、そのために何もかもを踏み台にするエゴイズムだ。
 あらゆるものを使った。あらゆるものが壊れた。阻むのならば奪いもした。純真も真心も善意も懇意も、およそ善と為される感情の全てを利用して、謀り奪ってここに在る。
 思う儘、慾する儘に――生きることを、悪いと言うのは人間だけだ。
「何とお可愛い夢見てらした事で」
 誰しもが正気で狂気に抗っているなどと。願望を律し、感情を秘め、衝動を殺して笑っているなどと。何と楽観的で善的な幻想だろう。そんなものを懐いているから、衝動の赴くまま、血泥の底を軽やかに跳ねるクロトに、奪われるのだ。
 ――驕るなと、最初に言った。
「俺の裡、お前などに解せるかよ」
 誰かの為――なんて、可愛らしくて健気な取り繕った、己の為には。
 刃の蛇がうねる。鎌首を擡げたそれが生きていたのなら、きっと格好の獲物を前に舌なめずりをしていただろう。
 開展、壱式。
 尽く――斬り絶つ。
「……梨華。聞こえてるか」
 あの幻想の教室で名を呼んだとき、確かに少女は顔を上げた。
「『りっちゃん』」
 ――その呼吸が乱れることもないから、クロトには分からない。この声が夢の底まで届いているのか。或いは、既に聞こえてすらいないのか。
 それでも、もうかの邪神に対して為すべきは終わった。
 後は――。
 帰ってくるかどうかを気に掛けて、不安げに問うた娘の声を、彼女に届けるのみ。
「とっとと『みよ』に、ただいまって言ってやれ」
 待つ者が――そこに在るのなら。
 願望を映し灼く狂気に、溺れている暇はないだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロキ・バロックヒート


かれの幻は記憶よりもとおく儚くて
眼の前には己とどこか似た存在

うたが聞こえる
『私』がうたうそれ
滅びを求める狂気の狭間に
たまに聞こえる

うたっているのは
はじめは己なのだとわからなくて
やっとこちらに貴方が来たのだと
一緒に成れたのだと
だから

ねぇ愛(壊)してあげるんでしょう
そんな可愛らしく弄んじゃかわいそう
うたうように囀るように笑う
壊すなら徹底的に
身体も心も魂も
なんにもなくなるまで愛してあげないと

ああ
でも駄目だよ
ひとが望まないことをしたら
邪神だなんて云われるんだから
また貴方がそう呼ばれぬよう
ひとが滅びを望み願うことを待っている
ずっとずっと
とっくに死を望んでいても
ずっと―

もうぜんぶ
壊してしまえればいいのに




 消えてしまったつめたさを、一度やわやわと握った手に確かめた。
 ロキ・バロックヒート(深淵を覗く・f25190)の中にある記憶よりもずっと、幻の方が遠くて儚い。突き飛ばされた胸の痛みも、凍てつくような掌の温度も、生々しくここに在るのに。
 記憶の漣から立ち返り、持ち上げた目の先には夜空の眸。まるでロキの懐くそれとよく似た色で、彼女はじっと、浅黒い神を見詰めていた。
 ――ああ。
 どこかから、うたが聞こえる。
 うたっているのが誰なのか、今のロキは知っている。滅びを求め、いつだって渦巻く狂気の狭間で、時折聞こえることがある。
 そのときだけは、『私』の声も穏やかで優しい。何を思い出しているのか、ロキは知らないけれど。
 ――けれど、最初のうちは分からなかった。
 うたっているのが誰なのか。己のこえがそれを紡いでいるのだと知らなくて、ひどく喜んでしまったのを覚えている。
 やっと。
 やっと――貴方がこちらに来てくれた。
 一緒に成れた。ひとつになれた。だから聞こえるのだと思って、ひどく満たされて、だから――。
「ねぇ、愛(壊)してあげるんでしょう。なら、そんな可愛らしく弄んじゃかわいそう」
 まるで心の隅を突くような、ちいさな戯れのような。破滅というにはあまりにも小さくて愛らしい、子供のような。
 そんな破滅では――愛したとは言えまい。
 うたうように、囀るように、神の唇がわらって紡ぐ。
 ――壊すなら。
 ――アイすなら、徹底的にしてあげなくては。
 身も、心も、魂さえも。その体を作り上げる全て、概念を、存在を支える全て、壊して愛してその先に。
「なんにもなくなるまで愛してあげないと」
「ああ――あなたには、すこうしだけ、似たようなものを感じるわ。親近感――と、いうのだったかしら」
 ことりと首を傾いだ邪神は、いたく幼いようにも見える。ロキの金色の眸がゆるゆると細められて、零れた声はいたく冷たかった。
「でも駄目だよ」
 ――いつか、望まぬことをせんとした神は。
「ひとが望まないことをしたら、邪神だなんて云われるんだから」
 『貴方』が再びそう呼ばれぬように、ロキはずっと、ずっと待っている。この悲鳴の渦の中。絶望の渦の中でも、ずっと。
 ひとが滅びを望むように。ひとが絶望するように。
 ――『貴方』を、願うように。
 とっくにこの身は死を願っている。あの冷たい雪中のように、命を奪う足音が響いてくることを心待ちにしている。
 早く早く、早くと――全てが壊れてしまうことを願っているのは――。
 思わずとちいさく嗤った。
 ああ。
 もういっそ、全部、壊してしまえればいいのに。

大成功 🔵​🔵​🔵​

丸越・梓

アドリブ、マスタリング歓迎
矛盾点お任せ
_
誘発された耐えがたい衝動
強く禁じていた涙や嗚咽さえ押し寄せ
「──…」
けれど
それさえ抱きしめる様、覆う様に律する
胸に秘めていたのは「死んでしまいたい」という衝動
望まれざる者として生を受け
大切な人たちを喪いながらも生き延びてしまっている自身を赦せず
もう『生』から解放して欲しくて、赦して欲しくて

だがこの衝動もまた、己の一部
認め、背負い、共に明日へ連れて行かねばならぬもの。
──俺は死ねない。
護れなかった人たちに報いる為、誰かを救う為
生きられなかった弟妹たちの願いや夢を捨てたくないから

夢魔に抗いながらも刃は向けず
彼女の存在さえ受け入れる様
手を差し出す




 心の底から湧き上がるのは、脳髄を揺らすような絶望だった。
 ずらされた正気の蓋の裡より、殺したはずのものが押し寄せる。瞬く眸がぼやけて、頬を伝う熱い感触に触れて初めて、丸越・梓(月焔・f31127)は自分が泣いているのだと知った。
 そう悟れば、零れる嗚咽を噛み潰すのも難しい。震える喉にかたく目を瞑り、彼は無間の海の波濤に耐えんとした。
 ――禁じていたはずだ。
 蹲ることも、泣くことも。そうすることで足を止めてしまうことも。
 それなのに――込み上げるそれが、どうしようもなく、心を呑もうとする。
「──……」
 梓は。
 それを、否定したりはしなかった。
 抱え続けたこれは本物だ。裡に秘め、決して表に出ぬようにと蓋をしてきたけれど、彼はずっと――死んでしまいたかった。
 望まれずに生を受けた。ほんのひとかけの希望を握り締めて、生まれた心のひとひらだけを光として、汚泥の中を這いずるように生きた。
 その果てに得た温もりを、梓は護れなかった。
 本当ならば、護れなかった己が死ぬべきだったのに。大切な者たちの屍の上に、未だこの生は続いている。
 それが――何より、赦せなくて。
 もう、赦して欲しかった。世界にも、己にも、命にも。ここから解放されたい。生きる限り引きずり続けるこの十字架を下ろして、静かに眠りたい。
 ――死にたいと。
 訴える己の裡を抱き締めるように、梓は涙をゆっくりと拭いた。嗚咽を呑み干す。正気の蓋で殺すのではなく、そっと覆うように、埋める。
 これもまた――己の一部なのだから。
 殺してはならない。慈しまねばならない。認めて、背負って、明日からも続いていくこの呼吸と共に生かしてゆくべきものだ。
 どれほど苦しくとも、この命は捨てられない。どれだけの十字架と悔悟がのしかかっても、歩く足を止めたりはしない。
 ――梓は、死ねない。
 護れなかった者にどれほど謝っても、この命を代償にしても、きっと報いることは出来ないだろう。彼らが望んだのは道連れではない。その命が続くこと、この幸いが続くこと――ただ、それだけだった。
 だから、梓がそれを背負って、誰かを救う。
 大切な者は、生きられなかった。けれどその願いも夢も、彼の中に息づいている。この拍動が続く限り、彼らは真に捨てられていないはずだ。
 梓が――生きている限り。
 そっと笑みを浮かべて、梓は邪神に手を差し伸べた。刃の代わり、そこに込めるのは願いだけ。
 受け容れる。その哀しげな眸も、憐憫も。そうすれば――。
 目を丸くした彼女も――すこしは、救われただろうか。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ロニ・グィー

アドリブ・連携・絡み歓迎!

くるくる
くるくる

ああ
ほんものだけが残ればいい
まがいものはいらない
それがボクの過ちだったね
そのころのボクはまだボクのなかにいるのかな?
……ひさしぶり
怒ってる?いや怒ってもいないか
キミはただねたむだけだものね
怒るのも愛するのもただそのなかにある
ボクは今、欠けたままで楽しくやってるよ
奇蹟のようなほんものだけが全てじゃないと知っているから
じゃあまたね!

―――可哀想に
でもこれはキミのゆめでもあるんだよ?
ゆめでないうつつなんてない
うつつでないゆめなんてない

そこまで分かっているなら憐れむよりもいっしょに楽しみなよ
案外と、こわしてしまうよりも気分のいいものだよ?

そっと時計の針を戻す




 くるくる。
 回る。廻る。時間も世界も視界も心も、かたいっぽうしか見えないまま、ロニ・グィー(神のバーバリアン・f19016)はその渦の最中にある。
 己の愚が込み上げてくる。それが取り返しのつかない愚だと知り、過ちを悟ったのはいつだったろう。つい最近だったか、或いは全てが終わってしまったときか、それとも――。
 ――ほんものだけが残れば良いと思った。
 まがいものは要らない。だってどこまでいっても、どれほどほんものに似せても、まがいはまがい以外の何にもならない。
 それなら、要らないじゃないか。
 まがいものを全て灼いた後の灰に、ほんものが残れば、それだけで。
 それが――ロニの犯した過ちだった。
 あの頃の己は、まだ己の中にいるのだろうか。揺蕩わせる独り言のような問いに、奥底から湧き上がるものが声なく、けれど強く応える。思わず唇に笑みを浮かべて、ロニは囁くように問う。
「……ひさしぶり。怒ってる?」
 ――否。
 これは多分、怒りですらないのだろう。だっていつだって、『彼』の懐く情動は一つに収束した。それ以外の感情なんていうものはあってないようなもので、けれど中核になるそれこそが、全てを齎してもいた。
 妬んでいた。
 全てを。何もかもを。怒りも愛もただその中にある。ロニはそれを知っていて、心はいたく凪いでいた。裡に凝る『彼』の衝動が、感情が、掻き立てられて揺れているだけ。
 だから――指先は、穏やかに宙を走って、意味のない模様を描くのだ。
「ボクは今、欠けたままで楽しくやってるよ」
 いつか『彼』が求めたほんものばかりが、美しいのではないと知っているから。
 ほんものが在るのは、きっと積み重なった奇蹟の先。だから、ほんものだけが世界の全てを作っているわけではないと――。
「じゃあまたね!」
 からりと笑って、正気の蓋が戻る。ロニの隻眼は、哀れむ眸をしげしげと見詰めた。
 可哀想に――と彼女は言う。
「でも、これはキミのゆめでもあるんだよ?」
 ――ゆめでないうつつなんてない。
 ――うつつでないゆめなんてない。
「そこまで分かっているなら、憐れむよりもいっしょに楽しみなよ」
 邪神のうつつもまたゆめ。ゆめもまた、うつつ。
 ならば全て楽しんでしまえば良いと、ロニは両腕を広げた。刹那の快楽に身を埋め、悦を善しとし不快を悪と為す。ゆめとうつつが同じであるのなら、それを誰が責められようか。
 皆、胡蝶だというのなら――。
 気儘に揺蕩えば良いのだ。
「案外と、こわしてしまうよりも気分のいいものだよ?」
 全てを受け入れるように、無邪気に笑う子供のような神様は。
 ――そっと、時計の針を戻す。

大成功 🔵​🔵​🔵​

橙樹・千織
○▲

家族愛は感じている
十分すぎるほどに

でも

その他の愛が欲しい
友愛
親愛
情愛

記憶のことを知った上で
偽ることなく
…愛して欲しい

欲張り?
そうね
私は欲張りで自分勝手
踏み込まれるのも踏み込むのも恐れているのに
それを求めてる

お前が私を?
でも
お前のアイはいらない

私が愛して欲しいのはお前じゃない

だから…

狩りを始めましょう
浮かべた表情はいつかの赤い悪夢と同じ
獲物を見つけた獣の笑み
麻痺を伴う呪詛の衝撃波でなぎ払う

刃を振るえば鈴が鳴き
浄化と破魔の音色が響く
蝕む狂気と相対する音に目眩がする

…私は守護巫女で
ヒトを護るために此処にいる
飲まれている場合ではない
わかっているけれど


ねえ

わたしを
あいしてくれるひとは
いるのかしら




 ――愛されていないわけではないと、知っている。
 家族は受け容れてくれた。愛されている。その温もりを、今だって心の底に懐いているから、橙樹・千織(藍櫻を舞唄う面影草・f02428)は真っ直ぐに前を向けた。慾を押さえつけることも、理性を持って一歩を引くことも、出来たのだ。
 けれど――。
 剥がれていく心の表面を、食い破ろうと蠢く願いがある。ずっと懐いて、隠して、嗤っていたそれが。
 ――愛されたい。
 家族に――ではない。その愛を受け止めて、心から感謝した上で、他の愛情が欲しい。
 例えば、手の温もりを繋ぐような友愛。
 例えば、日向に当たるような親愛。
 例えば――心を焦がすような、情愛。
 千織の抱える遥か過去、千織ではない『千織』のことを打ち明けて。それでも尚、この身に寄り添い、抱き締めてくれるような誰か。過去ごと受け容れて、頭を撫でてくれるような、温度。
 それが――欲しい。
 欲張りだと言うのなら、そうだろう。身勝手な欲望だ。踏み込まれることが怖くて、踏み込むことも出来なくて、誰とも少しだけ線を引いて、勝手に下がって。
 それなのに。
 何の隔たりもなく笑い合えるようなものを、暖かな温もりを、一番に求めているなんて――。
「そうなのね」
 邪神の声が耳朶を揺らす。ひどく憐憫に満ちた眸が、じっと千織の橙灯を見詰めている。
「『わたしたち』がアイするわ」
「――お前が私を?」
 ちいさく嗤う。
 欲しいのは、それではない。そんな風に哀れまれたいわけじゃあない。施しのようなアイが――ほしいのじゃあない。
「お前のアイはいらない」
 だから。
 千織は――艶やかに嗤う。
「狩りを始めましょう」
 いつかの赤い悪夢と同じだ。獲物を見付け、狩りに赴く獣の高揚。舌なめずりをする肉食獣に似た、その色は――。
 刃が迸る。ぐらつく心の天秤ゆえか、迷いのないそれが呪いの色を帯びた。逃れんとした邪神の身が、齎された痺れに均衡を欠く。
 そのたびに――。
 力強く響くのは鈴の音。浄化が狂気を遠ざけ、破魔が呪いを追いやっていく。心の底から湧き上がる狂気の渦と、それらから千織を護らんとする鈴の狭間で、視界が白んで前すらよく見えない。
 分かっている。
 この身は、時を巡る以前より守護の巫女。ヒトを護らんがためにここに立ち、武器を握る。
 だから、呑まれている場合ではない。
 前に進まなくては。あれを打ち倒さなくては。そうして護らなくてはいけないものがあるのに。
 それなのに、ああ――。
「ねえ」
 零れた声は何をも纏わぬ子供のように。探るように伸びる手に触れるのは、冴え冴えとした刃の他にない。遥か過去、もうひとりの記憶が、心の底で今も燻り続けている。
 こんな。
 こんな――千織を。
「わたしをあいしてくれるひとは、いるのかしら――」
 問いかけに返る声は、どこにもないまま。

成功 🔵​🔵​🔴​

朧・ユェー


ここは?
彼女を護らないと…

視線が赤く染まる
あかい…アカイセカイ
赤、緋、紅、朱、赫…

あの日あの時の赤
やっぱり護れないのか
やっぱり僕は大切な者達を
ダメだだめだ駄目だ
そう思うも目の前の赤が消えない
赤……美味しそう
クウ、食わなければ、喰いたい

舌を唇に這わす
あぁーーー腹減った
腹が空いたら喰えばいい
真っ赤に染った美味しそうな
緋喰
お前を赤く染めて俺様が喰い尽くせばいい
敵に牙をむく

嗚呼、アカが足りない

喉が渇く、飢える
足りない足りない足りない足りない
満足する赤じゃない
あぁ…このアカはあの子達じゃない
大切なあの子達じゃない

じゃまだ……大丈夫




 ――彼女を護らなくては。
 判然とせぬ頭の中にそれだけを思い描いて、朧・ユェー(零月ノ鬼・f06712)は巡らせていた視線を一箇所に縫い止めた。
 ベッドの上に眠る少女こそ、彼らが救出すべき者なのだろう。ならば早く助け出してやらなくては――。
 伸ばした指先が、ふいに軋む。
 眼前が赤く染まる。緋く、紅く、朱が支配する。全てが赫に沈んで、世界が全て塗り潰されていく。
 あの日。
 ユェーが何も護れなかった、あの時の赤と、全てが同じだ。
 心の底から湧き上がる諦念が、残った正気を穿っていく。やっぱりだ。また繰り返してしまう。結局この手は届かないまま、赤だけが満ちて、そうして。
 そうして、ユェーは――。
 駄目だ。駄目だ、それだけは駄目だ。幾度言い聞かせても眼前の赤は晴れない。刻々と濃くなっていくそれが、罪悪感よりも深い衝動として根付いていく。心の蓋を開けるように、忌まわしき情動がその身を穿った。
 ――美味しそう。
 ぐらりと大きく揺れた天秤が、強く傾くのを止められない。食欲をそそる鉄の香りが、眼前の緋色が、ユェーを蝕んで慾動に変わる。
 食わなければ。
 ――喰いたい。
「あぁ――腹減った」
 零れた声の色に心が震える。解放感だけを纏って、白き魔の眸がぎらついた。舌を這わせた唇に、待ちかねるような血色を宿して、ユェーの双眸が緩やかに細められる。
 ――腹が減ったのならば、喰らえば良い。
 この心の赴くままに。真っ赤に染まる眼前にあるそれを、喰らって、腹に収めて、この乾きを潤せば良い――。
 夜空を染め上げる赤が迸る。開いた唇に覗く牙が、飢えた獣の如くに獲物を待ちわびる。
 染めてしまえば良い。
 赤く染めて、全て全て、この腹の中へ。
 ――俺様が喰い尽くせばいい。
 やわい肌の造形を食い破る。アカを喰らい胃の腑へ流し込んでも、渇望は止まない。喉の渇きは強くなるばかり――これは、ユェーの求めるアカではない。そう思えば、残った正気のどこかが僅かに安堵を湛えた。
 ああ――。
 このアカは。
 今ユェーが喰らい貪る赤色は、ユェーが何より大切にしているものではない。大事で成らない、護りたくてならない者を、今ここで喰らっているわけではないのだ。
 蝕む渇きも飢えも、尽きせぬ眼前のこのアカも呑み干して、彼は嗤う。護りたいものは、まだ無事でいる。その歩みを見守る役を、彼はまだ果たしていられるだろう。
 ならば。
 ならば『まだ』――大丈夫だから。
 邪神に立てる牙は、強く深く、巣くう慾のままにアカを喰らう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

ゼロ・クローフィ


子供部屋?
女が一人寝ている

正直言って興味が無い
寝てる奴がどうなろうが
この敵の目的も
何をしようが興味が無い

たが、
チラリと頭を過ぎる
偽とてアイツを火の中へと閉じ込めた
あの時のアイツの顔
チッと舌打ちをする

それにこのまま放置して
帰ってアイツにごちゃごちゃ言われるのも面倒だ
懐に手が伸びタバコに手を掛ける
ここは子供部屋ですよー!
ぷりぷりする声が何処からか聴こえる
はぁーと溜息をつきて

手を離し、代わりに手袋を外す
手の甲の文様が浮かぶ
コイツらの力を借りるのは癪だが仕方ない
最凶悪
最強の悪に勝てるか

帰ったらアイツに甘いもんでも作ってやるか




 どうやら子供部屋とみえる。
 少女が一人、ベッドに眠っている。あれが此度の救出対象ということだろうか――冷めた一瞥をくれながら、ゼロ・クローフィ(黒狼ノ影・f03934)は思考した。
 さりとて彼の興味を惹くような代物でもない。正直な話をすれば、ここに立っていることさえごく気まぐれめいたものだ。恐らくは先の悪夢を見ながら眠っている彼女がどうなろうが、眼前で哀憐の手を差し伸べる邪神の狙いが何であろうが、そんなことはゼロには関係がないのだ。
 だから――興味はない。
 このまま踵を返そうとも構うものか。元より空(ゼロ)のこの心に、浮かぶ狂気も願望もない。『己』を知りたいと願うこの感情を狂気と呼ぶのなら、彼はずっとその中にいるだろう。
 一つ息を吐いて、一歩を下がろうとして――。
 不意に、頭を過る面影がある。
 焔の中でゼロに縋った、およそ有り得ぬ幻影の娘。だがたとえ偽のそれであったとて、彼女が火に巻かれ、見たこともない顔をしていた――というのは、事実だ。
 思わずと舌打ちが零れる。邪神そのものに興味はない。興味はないが――素知らぬ顔をするには、些か業腹だ。
 それに――。
 このまま放置して帰れば、何故だか耳聡い彼女はすぐにそれを知るに違いない。帰ってからごちゃごちゃと文句を言われるのに付き合うのも面倒だ。そういうときに限って、いつも風のように軽やかに去って行く彼女は、ゼロの近くから離れずきゃんきゃんと騒ぐ。
 ならばと懐に伸ばした手が、煙草の一本に触れるより先に、鮮明に耳朶に蘇る声があった。
 ――ここは子供部屋ですよー!
 全く、ゼロの頭の中の彼女は幻影よりも鮮明だ。無視をして振り切ろうが何の関係もない話ではあるが――。
 ――深く溜息を吐いて、指先は煙草を離した。
 代わり、つけた黒い手袋をなぞる。無造作に引っ張る人差し指からするりと脱げて、浅黒い肌に刻まれた文様が、出番を悟ったかのように仄かに光った。
 正直な話をするならば。
 あまり頼りたい相手ではない。単純に、心証の問題だ。面倒ごとを増やすのは嫌いだ。だがまあ、一度離した煙草を手に取る気もしなかったというだけのことだ。
「最強の悪に勝てるか」
 呼び起こすは――。
 黒く堕ちたる明けの明星。神に仇為す最悪の魔。十二枚の翼を広げるそれが、己に敵対する全てを焼き払う間、ゼロは小さく息を吐いた。
 何だか妙に、彼女の顔を脳裏に呼び起こされてしまった。異彩の虹彩がいつものようにくるくると表情を変えるのが、どうにもまなうらに染みついてならない。
 ――帰ったら、アイツに甘いもんでも作ってやるか。
 それもまあ――退屈はしないだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

水標・悠里

血を流す傷口が痛い
赤い肉や流れる血、炎の色
何もかもあの春の日を彷彿とさせる

壊(愛)してあげようなんて、あの人と似たような事を言うんですね
辿る結末なんて結局破滅しかない
丁度良いじゃないですか
壊れたい私と壊したいあなた

でもいつも出来ないんです
『生き続ける』ようにとかけられた桜の呪いが
苦痛の中、正気のまま焼かれる地獄に連れ戻す
生きるとは、痛みの連続
ねえ、私はおかしいのでしょうか?

花よ咲け、痛みに身を裂いて狂い咲け

ねえ、ここはどんな地獄なの
希望に焦がれるような
脆く柔い部分を刺すような
どんな『痛み』で壊してくれる?

あははっ
何より愚かで愛おしいのは
そんな中で生きようと藻掻くところ

ねえあなた
地獄はお好き?




 絶えず、掌から血が流れている。
 助けた全てが露と消え、ただの幻想だったことを突きつけられても、水標・悠里(魂喰らいの鬼・f18274)が己につけた傷は消えない。拍動に合わせて押し寄せる痛みの波と、少しずつ零れていく赤色の液体が、子供部屋だった場所の床に零れて跳ねる。
 ――全て。
 全てがあの、長閑だったはずの春の日を灼いた炎によく似ていた。
「あの人と似たような事を言うんですね」
 顔を上げた悠里が、ゆるゆると邪神を見遣る。星屑の眸が瞬くのを、濁った青が見詰めた。
 ――壊(アイ)してあげようだなんて。
 姉の最期の表情が脳裏を巡る。満ち足りて死んだ彼女は、最期の息でよく似たことを告げた。その結果がどうなったのか、悠里はよく知っている。
 どうせ。
 どうせ――破滅の路を転がり落ちていくだけだ。
 ああ、けれど、今に限ってはそれが心地良くさえ感じられる。喉を鳴らして腕を広げれば、視界が開けるような気分だ。
「丁度良いじゃないですか」
 悠里は壊れたくて。
 邪神はアイしたいというのなら。
「でも、いつも出来ないんです」
 ――赦してはくれない。
 かけられた呪いは『生き続ける』こと。どれほどの苦痛を伴う無間地獄の中ででも、この命と心が潰えることのないようにと羽衣で首を絞める、呪いだ。
 だから悠里はまた引き戻される。狂いきることも、壊れきることも出来ず、命を捨てることも出来ない現実に――。
「――ねえ、私はおかしいのでしょうか?」
「いいえ」
 痛みを携える青を見据え、邪神はゆっくりと首を横に振る。伏せた眸は、正しく憐憫というに相応しい色で、悠里から外された。
「願いを叶えても、叶えなくても。みな、そうして苦しむもの」
「そうですか」
 ああ。
 ならば――。
「花よ咲け」
 痛みに身を裂いて。非業を叫び、狂い咲け。
 見えるそれはどんなかたちをしているのだろう。行くも帰るも生きるも死ぬも地獄なら、ここは果たしてどんな地獄であるというのだろうか。
 希望に焦がれるような。
 或いは――心の柔らかな部分を突き刺し抉るような。
 どんな痛みが齎されるのかに、どこかで期待している己すらもいる。それなのに、ひどく不愉快な気持ちが、焦がすように心の底を炙るのだ。
「あははっ」
 零れた笑声は『だれ』のものだっただろう。ああ。それこそが愛おしい。愚かで、見苦しくて、だからこそ――。
「ねえ、あなた」
 どれほどの地獄の中ですら、生きようと足掻くしかないその心を。
「――地獄はお好き?」
 アイしているのだと――言うが良い。

成功 🔵​🔵​🔴​

花剣・耀子
○▲
あれはあたしが決めたこと。
最後まで意地を張らないと、笑われて仕舞うんだから。

……そう思っても、湧いてくる感情がある。

こわい。
悲しさや苦しみの裏に、奥底に、ずうっとひそんでいた。
目を合わせてはいけない。閉じ込めなくてはいけない。
傷つくのがこわい。失うのがこわい。死ぬのがこわい
いつか終わってしまうこの日々が、怖くて、恐くて、

――意地を、張らないと。
なんでもない顔をして、自分の恐怖だって斬り捨ててみせる。
あたしとそう約束したのは、あたしだわ。
いつか壊れたとしても。
それは、こころを傾けない理由には、ならないのよ。

おまえのような輩がいっとう嫌いだわ。
ヒトのこころを好き勝手に弄った報い、受けなさい。




 むりやりに引き摺ってきた温もりが途切れて、ひとりで立っている。
 強く握った拳を開く。眼鏡の奥の眸で前を向いて、唇をつよく引き結んだ。
 ――あれは、あたしが決めたこと。
 師の手を引いて駆け抜けてきた廊下の熱狂は、もうどこにもない。けれど花剣・耀子(Tempest・f12822)の中からは、己のしたことが齎す渦が、ごうごうと感情を呑んでせり上がってくる。
 負けたりしない。
 意地を張るなら最後まで貫き通さなくては、ほんものにも笑われて仕舞う。
 そう思っているのに。強く強く柄を握り締めているのに、その手を緩めようと忍び寄る泥濘があるのだ。
 ――こわい。
 悲しみと苦しみは、いつだって耀子のそれを覆い隠す蓋の役割も示していた。奥にあるものに気付かないように、別のものをおおきくして、隠す。ずっと潜み続けていたそれが、その分だけ大きくなってこころを食い破ろうとする。
 ――目を合わせてはいけない。
 ――閉じ込めなくてはいけない。
 どれほど戦いの中に身を置いたとしても、耀子は未だ少女に過ぎない。『普通』であれば付くはずのない傷に身をさらして、時に命の天秤をはかり、それに手を加えさえする。そういう生き方に諦めをつけるのは、ずっとずっと難しいことだった。
 大事なものがいなくなってしまうのは、こわい。目の前でそうなってしまうのなら、なおのこと。けれど自分の命を懸けるのだって同じくらいにこわかった。
 死にたくない。傷付きたくない。喪うのも、いやだ。
 いつか――。
 この命が続く限り、いつか終わってしまう、この平穏で愛しい日々が――こわい。
 けれど。
 耀子は泣いたりしなかった。眉を顰めることもなかった。すぐそこまで込み上げていた嗚咽も、ひりつく喉で全部呑み干した。
 ――意地を、張らないと。
 約束したのだ。だれよりも先に、自分と。心の奥底に何があっても、何でもない顔をして斬り捨てる。それが自分の恐怖だったとしても。
 いつか壊れてしまうのだと知っている。その『いつか』は、すぐそこまで迫っているのかもしれないけれど。
 ――壊れてしまうから、心を傾けないなんてことは、ない。
「おまえのような輩がいっとう嫌いだわ」
 握った刃と共に、≪花剣≫は行く。前だけ見て、後ろに十字架を背負って、その重みも全部、何でもないようなかろやかさで。
 無理矢理に引き出された恐怖も――狂気も、衝動も、全部全部、斬り果たして。
「ヒトのこころを好き勝手に弄った報い、受けなさい」
 放つ白刃が、邪神を穿って煌めいた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

岩元・雫
▲○
死んで初めて、死に怯えるなんて
馬鹿みたいだよね
死して尚、今際の記憶を夢に見る

目醒める度、態々脳が消していた其れを
おまえが、俺が、衒らかすんだ

――「死にたくなかった」んじゃない
――『死ななくても良かった』なら?

全部、知っていた
知っていて、目を背けた

何時か向き合わねばならない
鎖した蓋は開けねばならない
けれども、其れは今じゃない
連れ帰るって、約束したから
彼女と、おれに

さあ、此の聲を聴いて
おまえと掬ぶは黒き縁

遍く全ての欲求に
遍く全ての願望に
心全てに、蓋をしろ
おれと、同じように

独り沈んでなるものか
呪縛の憂を呉れてやる
抗う苦痛を分けてやる
ひとを蝕む狂気が武器なら
そっくり其の侭与えてあげる

其の子を、返せ




 生きているときに、それを恐れたことなどなかった。
 喪われた時分は、まだ死の気配よりも生の躍動がずっと強い頃だ。忍び寄ったそれを不慮の死と呼ぶのだろうし――。
 事実、岩元・雫(望の月・f31282)もきっと、そう呼ぶ。
 命が消えて初めて、その重みを知った。喪われることがどれほど恐ろしいのか、ひとがそれにしがみ付く理由が、今になって分かってしまう。
 ――馬鹿のような話だ。
 死んでも尚、今際の波に呑まれた苦しみを夢に見る。
 あんまり鮮烈なものだから、脳はそれを覚えておくことすら拒んだ。目が醒めるまでの間、あんなにも鮮明だった夢は、起きた途端に融けて消えていた。
 それなのに。
 心の底で揺らぐのは、『俺』の声。嫌というほど聞き慣れた雫の、聞きたくないほど震えた声が、問いかけるのだ。
 ――『死にたくなかった』んじゃない。
 ――『死ななくても良かった』なら?
 ああ。
 知っていたとも。何もかも分かっていたのだ。それなのに全部に目を伏せて、息を止めて駆け抜けた。全てに背を向けるように。厭うように、或いは――逃げるように。
 いつか、その鎖は開くのだろう。今だってがたつくそれに、雫はしかし、もう一度丁寧に蓋をする。丁寧に巻いて、すこしのことでは解けぬように。心の海辺に寄せては返す漣の音が、すこしでも遠のくように。
 今は――。
 まだ、そのときじゃあない。
 約束をした。口には出さなかったけれど。不安げに問うた少女に、雫の胸裡は確かに誓った。
 ――彼女の大切な親友を、連れて帰る。
 だから。
「さあ、此の聲を聴いて」
 伸べた手に乗せるのはサイレンの旋律だった。星空の眸、その奥に映るものを誘うように――満ち欠ける月が如く、雫の声が艶やかに響く。
 全てを惑わせた手に導かれて。全てを狂わせる声に乗って。その意識も全て、星屑の海へと還るが良い。
 遍く全ての欲求も。
 遍く全ての願望も。
 全てを鎖してみせろ。深海に沈むように。浮沈する波の奥に、己の全てを置き去りにするが良い。
 ――おれと、同じように。
 最早どこへとも逝けぬ沈んだ身。なれば独り墜ちてなるものか。この身を苛む呪縛の憂をくれてやる。この心が抗う狂気を分けてやる。
 ――狂気にて。
 ひとを蝕み喰らうが、その可憐な相貌に隠された牙であるというのなら。
 雫がまるごとくれてやる。同じ痛みを。同じ苦痛を。同じ――狂気を。
 見開かれた眸の奥に宿したものは、果たして何だったというのか。誘う深海の徒の知るところではない。
 それよりも為すべきは、ただ――約束を果たし、その手を引いて帰ること。
 だから――何より、早く。
「其の子を、返せ」

大成功 🔵​🔵​🔵​

ティア・メル


いやだ、いやだ
暴かないで、ぼくを

愛されたい
泣き虫なぼくでも
喜怒哀楽が激しくても
泣いて怒ってもいいって
だれか
だれか、あいして

苦しい
胸を掻きむしる
ありのままのぼくじゃあ愛されない
そんな事、痛い程知ってる
だからぼくは自分に枷をかけて
こうして“ぼく”を作ったんだもの

がんじがらめの枷が重い
愛されてる振りばっかり上手くなる
偽物のぼくが誰かに必要とされる訳がないのに
愛して、誰か、ありのままのぼくを愛してよ

悲鳴が迸る
鉄の味が口いっぱいに広がって
頭がぐらつく

視界がぼやける
危ない、危ない
持っていかれる所だったんだよ

精神攻撃はぼくも得意なんだよね
ね、勝負しよっか
次はぼくの番なんだよ
君たちを、奪わせてね




 ――いやだ。
 暴かれたくない。見たくない。せっかく蓋をしたものが、零れてしまう。
 必死に閉じようとする繊手も虚しく、ティア・メル(きゃんでぃぞるぶ・f26360)のうちがわが溢れかえった。そのまま込み上げた雫が、とろとろと飴色の眸を融かし、頬を伝って落ちていく。
 愛されたいと――ずっと、願っていた。
 ずっとわらっていなくても。鈍くさくて甘えん坊で、何にも考えずに笑っているふりをして、ティアはずっと、ずっと――満たされなかった。
 泣き虫で、一度怒ると止まらない。けれど笑うときは誰よりも晴れやかで楽しげな、ほんとう。喜怒哀楽が分かりやすくて激しくて、全部を否定されてしまった――『ぼく』を。
「だれか、あいして」
 強く胸元を握った手では、一つも足りない。胸の奥底を締め付ける、割れるような痛みから逃れたくて、指先が強く胸を掻き毟る。
 呼吸がうまく出来ないくらい、よく知っている。
 ありのままのティアが愛されないこと。愛されなかったから、全部を拒まれてしまったから、彼女は作り上げたのだ。
 その力で――自分までもを、欺して。
 ふわふわと駆け巡る、子供のようなぼく。無邪気で明るくて、いつでも笑っているぼく。鈍くさくて甘ったれで、ひとに愛されるやり方を、無意識によく知っている――ぼく。
 それなのに今、自分を縛り上げた枷がひどく重い。ぐちゃぐちゃに絡まったそれに締め付けられて息も出来ない。全部全部、ごっこ遊びだ。愛されているふり。可愛がられているふり。所詮は偽物だと分かっていて、そんな上っ面だけのものが必要だと抱き締めてもらえるはずがないのに――それをずっと、求めている。
 愛して。
 誰か――『ぼく』を。
「ありのままのぼくを愛してよ!」
 喉を裂いて溢れた悲鳴が空を揺らした。空しく響くそれに応じるように、込み上げた鉄錆の味が口内を不愉快に満たしていく。思わず咳き込んで吐き出したそれに、頭がぐらぐらして余計に涙が零れた。
 ああ。
 けれど――お陰で、少しだけ、正気に戻った。
「持っていかれる所だったんだよ」
 ゆるゆると首を横に振る。袖で涙を拭って、一つちいさく息を吐いて。
 ――持ち上げた口角は、いつもの通りの笑みを、描けてしまう。
「ね、勝負しよっか」
 精神攻撃はティアの十八番だ。持ち上げた飴色の眸に、もう涙は浮かばない。いつもの通りにふやりと笑った、蕩けるように甘い足取りが、ゆっくりと邪神の心へと迫っていく。
 最初は君たちにあげたから――。
 ――次は、ぼくの番。
「君たちを、奪わせてね」
 死毒の雨が降りしきる先、幻の海が、星屑を捕えんと手を伸ばす。

成功 🔵​🔵​🔴​

歌獣・藍


縋りたくなるのは
信じてるからよ

壊(アイ)してあげる…
随分面白いことを言うのね
そんなモノが
アイであって…たまるか

壊(アイ)しか知らないのなら
教えてあげましょう
私が知るアイを

言葉選びが下手だけど
いつだって
相手の為を思う優しいアイ

甘く優しい夢で
私を救い上げてくれた
飴愛(あめ)のアイ

無邪気な笑顔で迎え入れ
私に宝石のような
輝く希望をくれたアイ

兄弟アイなんてのもあったわね

そして何もかもを受け入れ許してくれた

ーーアイ

私はアイを知らずに生きてきた
知るために生きてきた
これからだってそう
素敵なアイを集めるの

そうすればねぇさまを
本当の意味でアイせるもの

だけど
そんなアイ
いらない

皆も私もあの子も負けないわ

信じてるもの




 何かに縋りたくなってしまうのは、どうしようもなくそれを信じているからだ。
 味方であってくれること。そこにあってくれること。苦しい思い出に縋ってしまうのだって、変容ばかりを強いてくる世界の中で、それが変わらぬものであるから。
 それを、歌獣・藍(歪んだ奇跡の白兎・f28958)はよく知っている。
「随分面白いことを言うのね」
 壊(アイ)などと、よりにもよって藍の前で、そんなことを言う。数多のあゐ集め、それによって立つ、彼女に。
 そんなもの。
 アイと呼ばうことなど、認めてなるものか。
 だが――それを以てしかアイと成せないというのなら、哀れまれるべきは邪神たちの方だろう。最早声の届かぬ相手であろうとも、藍は己が胸に手を当てる。
「教えてあげましょう。私が知る、アイを」
 ――言葉選びが下手で。
 つっけんどんで、どこか睨むような冷たさを纏う。けれどいつでも相手を思って差し伸べられる、留紺のアイ。
 ――水面を照らすように優しくて。
 甘くあまい幻想で、沈みかけた悲しみの海から藍を救ってくれた。いつでもひたむきな、飴愛(あめ)のアイ。
 ――無邪気で明るくて。
 行き場のない藍を、くるくると纏う笑顔で迎え入れてくれた。持ち歩く宝石糖と似た、輝く希望をくれたアイ。
 兄弟アイと呼ばれるものだって、彼女は知っていて。
 そして何よりも――。
 藍の犯した罪も、苦しみも、全てを受け容れた。笑って、撫でて、どれほどの苦境にも弱音ひとつだって零さずに、藍を抱き締めた――アイ。
 知らなかった。知るすべすら、与えられなかった。そうして辿ってきた路の先に、沢山のアイを見て。
 それを知るために、生きてきた。
 藍の目的が変わることはないのだ。これから続く道でも、そうして教わった暖かさを抱え、新しい暖かさを見付けていく。
「私は、素敵なアイを集めるの」
 その胸に触れた指先が、以前よりもずっと暖かい。きっと織りなせるはずだ。藍の指が紡ぐ、大きくて暖かな、アイの布を。
 それを心に懐いていれば――。
 きっと。
 いつか出逢えるはずの姉を、本当の意味で、心からアイして――今度こそ屈託なく、笑い合える日が来るはずだから。
 だけれど。
 或いは――だからこそか。
「そんなアイ、いらない」
 藍が求めるのは、うつくしくて暖かなアイだけ。
 冷たくて、痛くて、苦しいだけのそれは――全て、あの日の罪で穿ち抜いてくれよう。
「皆も、私も、あの子も。負けないわ」
 待っていてくれるひとがいる。誰かが自分をアイしてくれる。分け与えられた温もりと、分かち合ったちいさな時間が、きっとずらされた正気の蓋を、正しい位置に嵌めてくれる。
 そう――藍は、笑う。
「――信じてるもの」
 そして、剣戟の先に、路は開かれる。

大成功 🔵​🔵​🔵​

百鳥・円


みーつけた

なぜ実体を得たの
なぜUDCになった
ずっと夢の中にいたなら、なんて
そんな可能性は棄てましょう

降り立った現があるなら
祝福を、しなくては
誕生おめでとう
愛すべきわたしたち
わたしの妹

かさね
お姉ちゃんからの贈物です
呪いをくれてやる

人を憐れんで
奥底では愛されたかったんでしょ
ーーしってますよ

わたしがアイしてあげる
哀しているよ

欠片の使命も
背負う罪も
欠けた心も
潰えぬ夢も
溢れる狂気も抱きしめて
遺さず喰ってしまおうか


お前のすべてはわたしのもの


堕ちましょう
他の誰にだってあげない
消えない傷として
わたしたちの世界で永遠に

目覚めを乞う声がする
わたしが書き換わる
まだ、消えやしませんよ
“また”の約束、破りたくないから




「――みーつけた」
 あえかに響く声に、邪神が顔を上げた。
 異彩の虹彩に映すその顔は、よくよく見知ったそれのようにも見えるし――或いは、今初めて出会ったような気もする。
 ――なぜ。
 百鳥・円(華回帰・f10932)の心の裡が繰り返す。なぜ実体を得たのだ。なぜ邪神などになったのだ。ずっとそのまま夢の中にいたのなら。彼女だけに囁きかける、幻のようなものであったなら――。
 ああ。
 その全て、もう無意味な繰り言にしかならない。
 現実として、円の前にそれは成ってしまった。だから、この唇が紡ぐべきは、夢よりも温い幻想ではない。
「誕生おめでとう」
 愛すべき『わたしたち』。ひとかけらの欠陥。九十九の為る、現幻。
「――わたしの妹」
 ゆっくりと歩み出た円に向けて、邪神は蕩けるように笑った。幾度も囁きかけたその声が、今は鮮明に聞こえる。
「約束通り、みつけに来てくれたのね、百鳥(おねえ)さま」
「ええ」
 そうすることが、円の成すべきことだったから。一度伏せた長い睫毛が震えて、異彩がかろやかな一歩を進む。
 まわり。
 めぐり。
「かさね」
 生まれ損ね、生き損ねた幻のゆらぎ。欠片足らずの――哀憐。
「お姉ちゃんからの贈物です」
 ――呪いを。
 声が紡いで蝶が飛ぶ。いつか回帰するさきより、飛び立った鳥の標の如く。
「人を憐れんで、奥底では愛されたかったんでしょ」
 おかあさま。
 求めたものは在るようで、けれど手が届かない。だから『姉』を呼んだのだろう。愛を欲して。愛を――願って。
「――しってますよ」
 だから。
「わたしがアイしてあげる」
 欠片が成すべき、この使命。背負った十字。喪い欠けた虫食いの心も、潰えぬままここに為る現の夢も――。
 ――溢れ還る、この狂気も。
「哀しているよ」
 蝶の降る光景は、まるで葬送の如く。その身を哀しげに抱き締めて、円は笑った。
「お前のすべてはわたしのもの」
 他の誰にも――奪われぬうちに。
「堕ちましょう」
 消えぬ傷をつけて。このうつくしき夢現の幻の中で、永劫に廻り、環るのだ。
 最後の欠片は集った。邪神の笑い声は初めて満ち足りた。哀憐は集い、アイと為り、愛憐の涯と成る。
 百の戻鳥は――円と環る。
 埋まった身が、ひどく満ち足りた。目を伏せても開けても、まるで夢の中に在るようだ。その中に。
 ――乞う声が聞こえる。
 目覚めを乞うて手を伸ばす。そうするたびに円が揺らいで、新たなそれへと書き換えられていく。それすらも、どこか愛おしく、うつくしく、この心を擽って――。
「んふふ」
 けれど――円は笑う。
「――まだ、消えやしませんよ」
 破りたくない、『また』の約束があるから。
 その手が強くつよく、現を掴んで――。
 幻は、消える。



 波の音がする。
 少女は一人、じっと窓越しに波打ち際を眺めていた。手にしたスケッチブックに手持ち無沙汰に線を引き、時折そわそわと時計を見遣る。
 耳をそば立てる彼女が、はっと顔を上げてドアを見た。駆け寄ってくる騒々しい足音に浮かびそうになる笑みを堪え、彼女は先んじてスケッチブックに文字を走らせる。
「――りっちゃん!」
『みよ、しずかに』
 ごめんごめん――手を合わせるようなジェスチャーで、美陽がベッドに駆け寄った。窓の外の海を一瞥して、彼女が梨華に笑いかける。
「今日はね、りっちゃんに見せたいものがあって」
 言いながら探る鞄の内から、丁寧に畳まれた制服が現れる。思わず目を見開いた梨華に、美陽の方はいたく自慢げな顔をした。
『合格おめでとう』
 ――りっちゃんは海が好きだから、海の近くの施設にしてくれませんか。
 そう頼み込まれて、エージェントたちは困惑した。海のない街からは遠く離れねばならない。友人や家族とも顔を合わせにくくなることは間違いがなかったからだ。
 けれど、美陽は首を横に振った。
 ――むしろ、知り合いがいない方が良いと思います。
 そうして――受験校を急転換した彼女は、無事に梨華のいる施設に近い高校の制服を手にしたのである。
 本来、この施設における入居者と一般人の接触は制限されている。だが失声症を患い、不定期に重度の錯乱と自傷症状を見せる梨華が、美陽との接触で安定すると知れて以来、彼女たちだけは特例と成される運びになった。
 穏やかな波の音を聞きながら、梨華はふとペンを走らせかける。止まったそれを一瞥して、先に声を上げたのは美陽の方だった。
「ねえ、りっちゃん。――今、幸せ?」
 少しだけ。
 間が空いて、ゆっくりとペンが動く。
『ときどき 死んじゃった方がよかったって思う』
「――そっか」
『でも』
 ぱたりと伏せたスケッチブックに、慌てたような文字が増えていく。それを見るともなしに、美陽は曖昧な笑みで、静かに待った。
 暫しの間があって――。
 ――上げられた白紙に書かれた文字へ、彼女はいたく穏やかに笑った。
『みよとまたいっしょにいられて うれしい』
「うん。私も」
 ゆっくりと、波の音が沈黙を攫っていく。
『夏には 海 行きたいね』
「そうだね」
 快晴を願うてるてる坊主でも吊そうか。その日を描いて、ふたりの少女は、晴れやかに笑う。
「水着、買わないとなあ」

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2021年03月20日
宿敵 『愛すべき『わたしたち』』 を撃破!


挿絵イラスト