●
その子は突然現れて、首を傾いだ。
ふわふわの髪。きらきらの眸。可愛くて綺麗な女の子。私を追い詰める化け物たちの仲間かと疑って――けれど私を食べようとはしなかったから、少しだけ安心した。
「あなたはどうして出口を探してるの?」
隣を歩いて、名前も知らないその子が問う。
口を開けても声は出ない。ここに来たときからそうだった。声を出せる気でいたから驚いたけれど、それにも随分慣れてしまった気がする。
はくはくと口を動かしてみせて、身振り手振りで会話しようとする。
――そういえば、ここに来てから碌に口を利く機会なんてなかったっけ。
拙い仕草だったけれど、私の伝えたいことを、その子はすぐに理解してくれた。浅く頷いて、手にした白い本のページを繰る。
「わたしは、記憶がなくたって、毎日楽しいんだけどな」
大切な御本の中身も真っ白。
言いながら見せてくれたページは、本当にまっさらだった。覗き込んでくる目が瞬いて、私に告げる。
思い出さなくたって良いじゃない――。
――でも。
首を横に振って俯いた。無意識に喉に手が触れる。どうして私の声が出ないのか。どうしてこんなところに来てしまったのか。この世界では知らなくても生きていけるのかもしれないけれど、私は知りたい。
足を止めると、一歩だけ距離が出来た。振り向くスカートの裾が翻るのが目に入る。
一つだけ、さっきまでの声と比べると大人びた溜息を吐いて、彼女は私の手に触れた。
「いいわ、自分の扉なんか見つけなくたって、わたしが教えてあげる」
弾かれたように顔を上げた。何かひどく嫌な予感がする。振りほどこうとした華奢な腕が、どうしてか全く動かない。
「アリスにだって、少しは幸せな記憶が残ってる。わたしは、そう信じてるよ」
――そんなアリスに出会ったことは一度もないけれど。
目が合う。
そこで初めて、私は、最初から逃げなくちゃいけなかったことに気付いた。
「大丈夫」
暖かいのに、底冷えするような響きだった。潰れた喉がざらざらと嫌な音を立てて、思い出す。
――お母さんは、いつも笑っていたけど、疲れたような顔をしていた。
お母さんに恩返しがしたくて。
お母さんに喜んで欲しくて。
皆が褒めてくれたこれが、私にとって一番の道だと思って。
やらなきゃいけないことが沢山あって、辛いことも沢山あって。
それでも頑張れたのは、歌いたかったから。大好きな歌で、お母さんを楽にしたかったから。これがなくなったら、他にどうして良いか分からないくらいに。
声しかなかった。
私には、声しかなかったのに――。
悲鳴とも言えない醜悪な音と共に遠のく現実の中で、私の手を強く握ったその子が、穏やかに笑った。
「――だめだったときは、食べてあげるね」
●
「それで、この有様だ」
泡と血に塗れた地獄を映し出して、ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)は目を眇めた。
己の扉に行き着くことなく紐解かれた忌まわしい記憶――それが引き起こした混乱が、少女を不思議の国を泳ぐ魔女と成した。優雅に鰭を振るわせて、骸の観客ばかりが転がるステージで、晴れやかに歌ってみせている。
麗しい歌声に眉を顰め、ニルズヘッグが息を吐いた。切り替えるような瞬きの後、続ける声はあくまでも事務的である。
「やることは単純だ。まずはレディを止めて欲しい。そうすれば、裏にいる猟書家にも会えるだろうさ」
――幸か不幸か、彼女はまだ生きている。
「励ましたりだとか、共感したりだとか――心を通じさせることさえ出来れば、命あるまま救い出すことも可能であろう。何とかして引き戻してやってくれ」
少女は、名をオリビアと言う。
母子家庭に育った一人娘だ。己を育てるために苦労する母を間近で見ていた経験から、生来の美しい声と大好きな歌を活かして母を助けるべく、学生生活とアルバイトをこなしながら、声楽家を志して励んでいた。
その声が――病に冒され、嗄れるまでは。
「事故のようなものだったのが悪かった。事件か何かだったら、ここまで絶望もせんで済んだやも分からんが」
恨む相手もいなかった。
道を絶たれた娘を前にして、母は気丈に振る舞った。しかしその声が二度と戻らないと知れば、明るさを繕うのにも限界がある。オリビアの方は声を出せぬままどう振る舞えば良いのかも分からず、己の声を聞けばパニックを起こす状態で、次第に外に出ることがなくなった。笑うこともなくなった娘を養うためにと仕事を増やし、家に戻る時間が少なくなったのは――或いは母自身の逃避のためだったかもしれない。
一人閉じこもるオリビアに残ったのは、到底自分のものとは思えぬ声と、果てしない罪悪感だけだ。
「母親の役には立ちたかったんだろう。だが、どうしても自分の声が受け入れられなかったんだろうさ。これしかない、ってものを奪われるってのは、まァ――きついだろうからな」
記憶を取り戻した彼女は一時的な錯乱状態だ。それでもこのまま放置しておけば、じきに本物のオウガへと変じるだろう。救う手立てがあるのは、今しかない。
「奴らの目論見をそのまま通すのも業腹であろう。どうにかして、レディと国を救ってやってくれ」
笑う男の手の内で、禍々しい光が瞬いた。
しばざめ
しばざめです。カラオケに行きたいです。
第一章ではオウガとなったオリビアとの戦いです。ここで彼女を引き戻すことが出来れば、第二章で加勢してくれます。
声を出すことは出来ませんが、意思の疎通に困難はありません。指示を出せば、よほどの無茶でない限りは、素直に従って行動します。特に指示がなければ、邪魔をしないように後方から支援を行います。
このシナリオでは『アリス適合者と語る、あるいは共に戦う』などしていただくとプレイングボーナスを差し上げやすくなっております。
プレイングの受け付けに関しましては、MSページ・断章にてお知らせします。
お目に留まりましたら、よろしくお願いいたします。
第1章 ボス戦
『泡沫の天使』
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POW : 儚い命の残した歌
【美しい結晶】から【絶望的な断末魔】を放ち、自身からレベルm半径内の指定した全ての対象を攻撃する。
SPD : 全ては泡沫、幸福は来世に在り
【あらゆる空間を泳ぎ回る事】により、レベルの二乗mまでの視認している対象を、【泡で包み込み、死角からトライデント】で攻撃する。
WIZ : その美しい遺品を、私にください
【トライデント】から【『声』を結晶化させる魔力を纏った雷】を放ち、【相手の『声』を奪う事】により対象の動きを一時的に封じる。
👑11
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●
声楽は、体全てを楽器とするストイックな世界なのだと、本で読んだことがある。
歌を。歌を、歌を、歌を――。
集めた結晶が煌めいて、私を祝福している。この世界で最期の歌が、私の耳に心地良く響く。
観客はもう動かない。拍手もないけれど、それで良い。もう二度ともらえないと思っていたそれがここにあるだけで――もう充分に。
お母さんは喜んでくれるかな。綺麗な声は誰だって褒めてくれるだろう。この声を頑張って磨き上げたら、きっと歌の世界を勝ち抜ける。今の私には空を泳げる綺麗な鰭もあるのだから、大丈夫。
そうしたらお母さんは楽になるのかな。
それとも、もっと綺麗な声を集めないといけないだろうか。命が終わるとき、全霊で生まれる歌を、声を――私の糧とするべきだろうか。
足音がたくさん。それは、生きた楽器の奏でる綺麗な音色だ。
「こんにちは」
――それとも、こんばんは?
もう、どうでも良いか。
「あなたたちの声も、私にくださいますか?」
※プレイングの受付は『11/7(土)8:31~11/8(日)いっぱい』とさせて頂きます。
クロト・ラトキエ
説得。それも少女。
向いて無いですよねぇ…
ま、やりますけど。
早速ですが、御免なさいね?
声はあげません。
だってお話し出来なくなっちゃいますから。
木々にワイヤーを掛け空を、地を駆け、
対空とあらば鋼糸を張り。
武器持つ手を視、障害物も利用し視覚と泡を往なし、
死角より反撃。
空間自在はお互い様。
時に貴女、何がしたいんです?
歌いたい?
美しい声が欲しい?
親を、喜ばせたい?
うーん…何一つ叶いませんね、
“そのままじゃ”
だって貴女も母親も、生きてるのに。
失ったのは声で、
命も体も想いも未だあって、
帰れるのに。
互いに幸せとなる未来は絶たれてないのに。
何なんだろ…親子って。
愛おしい?
幸いを願う?
…知らないんだ。
只の道具じゃ
●
少女の説得。
全く、不得意な分野の重なったことだ。客観的に見ても、己がここに立っているのは場違いと言うほかあるまい。
僅かな呆れを吐息に乗せて、クロト・ラトキエ(TTX・f00472)は尚笑う。細めた眼鏡の底の眸が、品定めをするように泳ぐ人魚に捉えられるよりも先に、指先は細糸を手繰り寄せた。
「早速ですが、御免なさいね?」
――そちらが空を自在に泳ぐなら、こちらはその利を奪うまで。
ファンシーな色合いの木々にかけた極細の鋼糸は、果たして少女の目に映ったろうか。或いは、翼もないまま空を飛ぶ手品のようにも見えるのかもしれない。
どちらであれ――クロトの成すべきは変わらないけれど。
「声はあげません。だってお話し出来なくなっちゃいますから」
「いじわるな方。ええ、でも、それでも構いません」
取っちゃいますから――年頃の少女らしい、悪戯めいた声は、しかし誘うような毒を持つ。ひときわ太い枝の上に着地した男を追う泡は抜き放つナイフが掻き消した。
その足を捉えられぬなら、下方より放たれた槍の軌道も見えている。身を捻り、再び視線が交わって、クロトの蒼が僅かに眇められた。
「時に貴女、何がしたいんです?」
――虚を突かれたように、人魚の指先が跳ねたのを視る。
「何、というと?」
「色々と。あるんでしょう」
叶えたかったことが。叶えたいことが。
その身を歪めるまでに至った絶望と――それを呼び起こした絶望が。
突き出される槍に懐のナイフを合わせて身を捩る。熟達の剣士のように往なすには足りずとも、この身が逃れるための隙間をこじ開けるには充分だ。
天使の声は、その一拍の間に答えを紡いだ。
「まずは、歌が歌いたいです。思う存分、綺麗な声で。それから――それが仕事になれば、もっと良いでしょうか」
希望に溢れて弾む声に紛れる真実が一つ、クロトの耳によく響く。
歌うことだけを目指した少女には、それしか見えていないだけで――。
「私が歌えば、お母さんが笑ってくれますから」
告げる声はあまりにも幸福そうだった。視線は外さぬままに、心の中にふと翳りが差すのは、きっと誰にも見て取れなかったろう。
続く声も、いつもの通りだったから。
「うーん……何一つ叶いませんね。“そのままじゃ”」
家族とは――そんなにも、愛おしいものなのだろうか。
幸福にしたいと、笑っていて欲しいと、その想いを今となって知らぬとは言わない。けれど、それが『家族』と呼ばれるものへの情となれば、クロトに知るすべはない。
この身は道具だ。コートの裡に秘めた無数の暗器たちと同じ、殺すためのモノに過ぎなず、それ以上でも以下でもない。よしんば家族と呼べる存在がいたとして――。
それはもう、とうに屠った。
だから、語るのはただ、ほんの少しまろぶ言葉ばかりだ。
「だって貴女も母親も、生きてるのに」
――失ったのは声だけで。
「命も体も想いも未だあって、帰れるのに」
互いに幸福となる道は、失われていないのに。
「そのままじゃ、笑わせるどころか、帰れなくなりますよ」
忠告めいた声が響くと同時、迷うように止まった少女の指先を、鋼の糸が絡め取った。
大成功
🔵🔵🔵
蘭・七結
ご機嫌よう、ステキなひと
わたしの声はあなたに届くかしら
ひとの心に寄り添うこと
簡単なようで、とてもむつかしいこと
あなたの嘆きも悲しみも
心の叫びはあなただけのもの
共感など、出来やしないのでしょう
嗚呼、けれど
その身に巣食うどす黒い苦しみを
僅かにでも攫うことが出来たのならば
放たれる雷は甘んじて受け止めましょう
一時的に声を失くそうとも構わない
今のわたしには、見うつすこの眸が
あなたと云うひとりを宿すものがあればいい
言葉に代わって眸で語らいましょう
ねえ。みて
眼前のわたしを、視て
あなたは、此処にいる
まだ、戻って来られるわ
纏わりつく負の情を斬りひらいて
あなたの手を引く標のあかを
あかく繋ぐいとを、結びつけましょう
●
ひらめく尾鰭はだれかに似た。響く歌聲のうつくしさに思い浮かぶひともいるけれど、だからこそ、籠った想いの差をまざまざと聞く心地がする。
「ご機嫌よう、ステキなひと」
――わたしの声はあなたに届くかしら。
あけぞらの目覚めるような赤を髪に纏って、蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)が小首を傾ぐ。零れる愛声が空を揺らせば、同年代と見えるオリビアが親しげに笑った。
「ごきげんよう、愛らしい方。あなたの声も、くださいますか?」
向けられた槍の切っ先と、揺れるとりどりの水晶を見る。周囲に広がる惨禍のすべてが、その中に詰まっているのだろう。
そうして今、七結もそこに加えようとしている。
避けようと思えば避けられるけれど――。
「どうぞ」
――それで、わたしの声が届くなら。
雷に穿たれ喉が灼ける。零した咳がひどく嗄れていて、七結は苦痛に歪んだ眸を伏せた。
嗚呼――これが、彼女の味わういたみ。
だとして止まる必要があろうか。七結は止まらぬために来た。こえは喉だけに、言葉だけに宿るものではないのだから。
三つ叉を避けて至近に駆け寄れば、少女の体が強ばったのが目に見えた。ぐいと引き寄せた頬に繊手を這わせて、見開かれたひとみとひとみが、真っ直ぐにかち合った。
ひとの心に寄り添う――と、言葉にすればそれだけのことが、どうしてこんなにむつかしいのだろう。眸の奥に潜めた痛みと孤独と絶望と、怒りと嘆きと悲しみとを、誰かがすべて理解出来たなら、他になにも必要などなかったのかもしれないのに。
そのひとの叫びは、そのひとのもの。
七結にも、オリビアにも、決して交わらぬ心の澱がある。
けれど、それを拭うものもあるだろう。オリビアにとってのそれが歌であったように――。
七結には、このまながあれば良い。いま、救うべきたったひとりを宿すものが。
――みて。
語らう声は嗄れて零れず。身のうらを灼き焦がす、息すら灰とする雷鳴が轟くけれど。それが、オリビアの裡を焦がし続けるどす黒い焔を、少しでも攫うと云うのなら――。
――わたしを。
「あ」
何よりも雄弁に語るあい色のまなに、少女の息が止まる。零れ落ちる槍の切っ先が乾いた音を立てて地面を抉る。
――あなたは、此処にいる。
――まだ、戻って来られるわ。
声がなくとも見ることは出来る。通ずる想いは、紡がれるだけの言葉よりもずっと、心に近しいいろをする。灯された戀と愛のはざまに生まれた『なゆ』が、いま、呪縛を砕く赫を成す。
鎖された扉を黒鍵が開く。差し伸べる赫がこころを繋ぐ。歩き方を忘れてしまったなら、もう一度覚えれば良い。愛してくれるひとと一緒に、笑っていられるように。
そのために、戻りたいと思ったなら。
――伸ばされた少女の手は、確かに、えにしのいとに繋がれた。
大成功
🔵🔵🔵
エドガー・ブライトマン
ごきげんよう、なんて挨拶はどうだろう
やあ、キミがオリビア君かなあ
私の名はエドガー。通りすがりの王子様だよ
トライデントの攻撃には剣で対抗しよう
包み込もうとする泡も《早業》で振り払い、割る
泳ぎ回るオリビア君へ声を掛ける
ねえ、オリビア君
私のこの声は、キミにあげられない
こればっかりは望まれてもダメなんだ
私は王子として、多くの民に希望に満ちた声を届ける義務がある
その綺麗な声だって、きっとキミのものじゃあないんだろう
オリビア君、キミには声しかないのかな
キミには目も手も、元々は足だってあったハズさ
大切なものを失うのは辛くて悲しい
でも、可能性を狭めてはいけないよ
キミの母君は、そちらの方が悲しいんじゃないかなあ
●
「ごきげんよう」
――なんて挨拶はどうだろう。
降り立つマントが揺れて、伸ばした背筋が少女を見る。瞬く人魚の鰭に少しだけ視線をやってから、エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)が穏やかに笑った。
「やあ、キミがオリビア君かなあ」
長閑な声は戦場には似つかわしくないほど。眼前に広がった、紅く歪む不思議の国を除いたならば、きっと茶会のようにも見えただろう。
ゆるゆると笑う少女が翼をはためかせた。手にした槍は、今この一瞬だけはエドガーを捉えないけれど――。
「ごきげんよう、素敵な紳士さん。ええ、オリビアですけれど――あなたは?」
「ああ、失礼。私の名はエドガー。通りすがりの王子様だよ」
「王子様!」
素敵です――と。
年頃の少女の夢をそのまま、破顔する表情が映る。刹那に迸る雷撃に、油断なく抜き放った剣を合わせて受け流す。じゃりり、揺れる誰かの最期を閉じ込めた結晶に目を遣って、王子は地を蹴った。
「ねえ、オリビア君」
朗々と語らう声がひとつ、剣戟の隙間に零れ落ちる。
「私のこの声は、キミにあげられない。こればっかりは望まれてもダメなんだ」
「どうして? あなたも歌が歌いたいんですか?」
受け止める槍と拮抗する力を逃がして着地したと同時、降り注ぐ泡を振り払う。纏わり付かれて重くなったマントは躊躇なく脱ぎ捨てる。
首を横に振りながら、彼は笑った。
「私は王子として、多くの民に希望に満ちた声を届ける義務がある」
「あは。本当に王子様なんですね」
「そうだよ」
エドガーは王子様で。
いつか、王になる者だ。
――一点の曇りもない晴天のまなこが、少女に語りかける。
「オリビア君、キミには声しかないのかな」
それは根源的な問いだった。
無垢な想いの先がひとつに繋がっていることを、エドガーは知っている。彼にとっては国を導く良き王となる資格を得ることで――。
けれど、それは彼女がいう『歌うこと』と同じものを示さない。
「キミには目も手も、元々は足だってあったハズさ」
翼はなくとも。
喉は震えなくとも。
――『母を喜ばせること』は、何だって出来るはずだ。
「大切なものを失うのは辛くて悲しい。でも、可能性を狭めてはいけないよ」
振り下ろす剣戟は先よりも速く。一気に詰められた距離よりもずっと、少女の眸はエドガーの裡にある蒼天を見ているようだった。
たとえば――。
笑顔を失った民がいるとして。泣き続ける臣民がいたとして。それを王はどう思うだろう。王となったエドガーは、どんな眼差しで見詰めることになるのだろう。
思えば、声は心底から零れ落ちた。
「――キミの母君は、そちらの方が悲しいんじゃないかなあ」
救うために振り下ろす刃が、真っ直ぐに少女を捉える。
細い悲鳴と共に散る赤の向こう、悲痛に歪む眸は――けれど、体の痛みだけを訴えてはいなかったのだ。
大成功
🔵🔵🔵
シキ・ジルモント
○◇
攻撃は牽制程度に留める
泡に捉われたら、聴覚やユーベルコードの効果で槍の攻撃を察知し回避する
直撃を避けて被害を抑えつつ泡を破壊させ、脱出したい
交戦しつつ、対話を試みる
現状に疑問を持たせる事で、彼女が自身を取り戻すきっかけになればと考えている
彼女の声や歌に相当するもの…俺の場合は戦う事か
存在意義も同然だと感じる程に失い難いものだ
しかしそれだけを求めるようになれば、恐らく多くのものを見失う
声を得ることだけが、お前の望みなのか?
自身の声を届け、喜ばせたい誰かが居たのではなかったか
ここに留まり続ければ、その誰かの元には帰れなくなる
どれだけ『声』を集めても、たとえ声が戻っても、それでは意味がないだろう
キトリ・フローエ
○◇
大切な宝物を奪われてしまった記憶を
思い出すのは辛かったでしょう
でも、オリビア
どれほどあたし達の声を奪ったとしても
それは決してあなたの声にはならないわ
それでもあなたがそうしたいと望むのなら
あたしの声だって持っていけばいい
声を奪われたって戦うことは出来るもの
手にした杖をぎゅっと握りしめれば
精霊が、ベルが応えてくれる
オリビアへ真っ直ぐに杖を向け
破魔と浄化の力をこめた黎明の花彩を放ちましょう
たとえ二度と歌えなくたって
それでも、あなたは生きている
あなたにはちゃんと帰る場所があって
あなたを愛してくれるひともいる
答えはすぐに見つからないと思うけれど
声しかない、なんて
今すぐに決めつけてしまうものではないわ
兎乃・零時
○◇
…いいや、声はやれねぇ
だがその声は聞いてやる
UCを使用
攻撃は避けたり耐えたり
光の魔力「オーラ防御」を身に纏い
気合い
恩返しがしたい
喜んでほしい
…そのやり方で良いと思ってんのか?
誰かを傷つけるのを喜ぶと…思ってるのか!?
自分の声が受け入れられなかった?
それはきついだろう
だがな、お前の母がお前の声が嗄れたからって一度でも嫌いといったのか!?
…きついんなら!辛いんなら!
思いっきり吐き出しちまえ!
お前も声も全部!全部聞いてやる!受け入れてやる!
落ち着くまで俺様諦めんからな!
彼女に近づき
断末魔聞こうが無理やり近づき
此奴の顔の目の前で叫ぶのだ
俺様は味方だと【捨て身の一撃×鼓舞×手をつなぐ】
攻撃はしない
●
「大切な宝物を奪われてしまった記憶を思い出すのは辛かったでしょう」
でも、オリビア――。
雷鳴の轟く最中を飛び回りながら、キトリ・フローエ(星導・f02354)の声が語りかける。
このちいさな体は、三つ叉の先へぶつかれば容易に粉々になってしまうだろう。そうと知りながら、けれど声を投げることだけは止めない。
――止めるわけにはいかないのだ。
――彼女を、救い出すためには。
無数に生み出される泡がキトリを狙う。その身を捕らえ、槍の餌食にするより先、薄い皮膜を割るのは無機質な銃声だ。
シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)の向ける銃口は揺らがない。オリビアを傷付けぬように、けれど決してちいさな妖精が捕らわれぬように。泡と落雷の狭間を駆けて、戦場に蠢く全ての障害を排していく。
だからこそ、キトリの声もまた、何にも遮られることなく届くのだ。
「どれほどあたし達の声を奪ったとしても、それは決してあなたの声にはならないわ」
だとしても――。
彼女が望むものとどれほど遠くとも。この言葉が、心に響くというのなら。
「それでもあなたがそうしたいと望むのなら、あたしの声だって持っていけばいい」
避け得ぬ雷鳴が轟いた。援護の銃弾を飲んで、キトリを今にも呑まんとするそれが爆ぜる直前――。
「……いいや」
横合いから伸びた手の一本が、その体を引き寄せる。
「声はやれねぇ」
幽かに手の甲を走る焼けた感覚は、けれど兎乃・零時(其は断崖を駆けあがるもの・f00283)の声を奪うには至らない。碧玉の眸が見据える先、再び集まる轟雷の気配に、光の魔力を俄かに身に宿す。
「だが、その声は聞いてやる」
指先をそっと広げた先、キトリが礼を告げてちいさく笑う。それに笑みを返して、零時が体勢を整えるより早く。
「声を得ることだけが、お前の望みなのか?」
銃弾と共に、シキの静かな問いが響く。
「自身の声を届け、喜ばせたい誰かが居たのではなかったか」
――彼女にとっての声にも似たものを知っている。
この銃の引鉄を引くこと。何もかもを喪って、ぼろぼろのまま立ち尽くす己の手に残ったのは、これだけだった。
これを失えば、今度こそシキは己を見失う。言葉にしてしまえばただそれだけの、確信めいた予感が心の奥にあった。だから――それを取り戻さんと道を踏み外した想いを、感ぜられぬわけではなかった。
――シキは、それが悲劇を呼ぶことを、半ば直感のように悟っていて。
――オリビアには、その確信がなかった。
「ここに留まり続ければ、その誰かの元には帰れなくなる」
だから、告げるのは率直な核心だ。彼女が信じてやまぬ幸福な現在(いま)へと、疑念の石を投じる。
「どれだけ『声』を集めても、たとえ声が戻っても、それでは意味がないだろう」
「でも、そうしなきゃお母さんは――」
「……そのやり方で良いと思ってんのか?」
ぐいと、不意に引き寄せられた槍に、オリビアの眸が見開かれる。
零時の真っ直ぐな眸へ、彼女の目が映り込む。鏡が如くに互いを映すまなこから逃れようとする前に、彼は喉を震わせるのだ。
「誰かを傷つけるのを喜ぶと……思ってるのか!?」
――自分の声が受け入れられなかったという。
降り注いだ悲劇の重さは計り知れない。その痛みを受け止める苦痛を知ることも出来ない。けれど、だとしても――その道を、踏み外そうというのなら。
この声が嗄れようと、零時は叫ぶ。
「だがな、お前の母がお前の声が嗄れたからって一度でも嫌いといったのか!?」
「それ――は」
それ以上は言わないで、と。
抵抗するように響く断末魔に、心の芯から震え上がるような悍ましさが込み上げた。それでも歯を食い縛れば、逃げ出しかねない足を意地で縫い止めることは出来る。
持ち上げた眉間に皺を寄せる少年の表情は、だからこそ切実に、少女の心が耳を塞ぐのを食い止めた。
「……きついんなら! 辛いんなら! 思いっきり吐き出しちまえ!」
――それは、この仕事を請け負ったときから、ずっと心に燻っていた火種が燃え上がる瞬間だ。
誰か一人でも、今を諦めない限り――零時の声は届く。まして彼の他にも、彼女の命を決して諦めぬ者がいるのだから。
「お前も声も全部! 全部聞いてやる! 受け入れてやる! 落ち着くまで俺様諦めんからな!」
血を吐くように絶叫を掻き消すその声は、確かに少女の涙を呼んだ。
「私――私、歌いたい。歌いたい、けど」
涙を湛えた声が嗄れる。喉に絡んだものを咳で押し出して、少女の声は悲痛を紡ぐ。
「お母さんが――私の喉のために、どれくらい、お金を出してくれたか。私がこんな風になってから、どれだけ頑張ってたか、知ってます」
不甲斐なかった。それらの全てを無碍にしてしまった今の自分に、生きていくすべが見つからなかった。疲れた顔で職場から戻る母のことも、ぼろぼろのノートに書き付けた家計簿を見て眉根を寄せる表情も、オリビアは知っている。
「こんなことになるなら、お母さんがこんなに頑張ってくれたのに歌えないなら、私なんか、最初っからいない方が良かったんだって――私――」
「違う」
銃口を下げたシキの絞り出すような台詞が、それでも切実な述懐を遮った。
脳裏を過る顔と、今も心の底から蘇る声がある。床に伏して何も出来ない少女が、彼をどれほどに鼓舞したか。ただそこで笑って、生きてくれているだけで良かったから――。
「――そうじゃないんだ」
零れて転がる声を、ちいさな指先が掬う。キトリの握り締めた道行きの伴が、祝福と浄化の光で影を照らす。
輝く花嵐が――どうか、道導となりますように。
「たとえ二度と歌えなくたって、それでも、あなたは生きている」
笑える。泣ける。抱きしめることだって出来るし、抱きしめてくれる腕に応えることも出来る。
「あなたにはちゃんと帰る場所があって、あなたを愛してくれるひともいる」
答えはすぐには出ないだろう。自分を変えるのには永い時間が要る。それでも、変わろうと思わなければ、永劫に変わらぬままだ。
きっと辛いだろう。苦しくて泣きたいときもあるだろうけれど――。
泣いて縋っても良いと――縋られても良いと思っている誰かが、彼女にはいるはずなのだから。
「――声しかない、なんて、今すぐに決めつけてしまうものではないわ」
輝く花弁が全てを包むようにして。
祈りのゆびさきは、星を紡いだ。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
ロク・ザイオン
◎匡と
おれの声も欲しいかい。
キミの声はおれくらい、みにくかったのかな。
……このみにくい声が
ひとの心を震わすことがないだなんて
そんなことないって、おれは知ってる。
匡、一緒に歌…
いやか。
じゃあ、任せた。
…おれはおれのしたいことをする。
(掲げるおんぼろギターの"弦の声"
誰かの断末魔を、かき消すくらいに
…ああ
今はもう、それはちゃんと悲痛な叫びに聞こえる)
聞け!!!
声が病んで歪んでも
歌に捧げたキミの息が、肺が、からだが
生み出すものが!
うつくしくないはずがない!!
歌ってよ、オリビア
いつかキミの声で
…きっとおれよりうまくできるよ。
鳴宮・匡
◆ロク(f01377)と
たとえ変わってしまっても、その形なりに出来ることがあって
届く場所もあるかも知れない
でもそれは、焦がれたものとは別のもので
それが耐え難いのなら――それは誰にも理解してやれない痛みだ
でも、たぶん
お前の嘆きの源泉は、そこじゃないんだろうな
結晶が叫び出す前にその力を殺せばいい
都合二発ずつの影の弾丸は【虚の黒星】
予兆を耳で聴いて“音を出そうとしている順”に壊すよ
――母親に喜んでほしかったんだろ
でも、“声(それ)”以外のやりかたがわからなかった
でもさ、多分簡単なことで
「そばにいて笑ってくれるだけでいい」なんてありきたりな言葉だけど
たぶん、同じものを相手も願ってるんだと、思うよ
●
「おれの声も欲しいかい」
零れるざりざりの鑢声が穏やかだったから、鳴宮・匡(凪の海・f01612)は前だけを見ていた。
森番の声はみにくい。聞き取るに難く、およそひとが心地良く感じるそれとは程遠く、けれどロク・ザイオン(変遷の灯・f01377)は確かに声を成す。
きっと同じようなものだろう。ロクの声を聞くだれかと、きみの声を聞くきみは、口を揃えて同じことを言うのかもしれない。
――けれど。
ゆっくりと取り出したおんぼろギターに指を掛ける。弦が声を上げられるようにするのは簡単で、森番にとっては慣れた仕草だ。
そのまま、同行者である群れの長の方を見て、ロクはざりざりと問う。
「匡、一緒に歌……」
ゆっくりと首が横に振られたので、少しだけ森番の耳はへたれた。
「いやか」
銃を構えた匡を一瞥する。匡にとって、歌うことはしたいことではないのだろうと、ロクはそれで悟った。
だから――今からは一緒だ。
「じゃあ、任せた。……おれはおれのしたいことをする」
――このみにくい声が、ひとの心を震わすことがないだなんて。
そんなことはないと言って良いのは、ロクだけだから。
「そうしてくれ」
浅く頷いた匡が前に出る。向けた銃口は寸分違わず、飾り付けられた宝石を視た。殺気も殺意もないまま、腕が揺らぐことすらなく、けれど眸が緩やかに翳る。
――変わってしまったからといって、出来ることがなくなったわけじゃないなんて。
一般論で納得出来るようなものではなかったのだろうと思う。それほどまでに焦がれたものを失う痛みを、分かるだとか、それでも――だとか、言えるほどのものを持ってはいない。だから、匡にはそれ以上が分からない。
――そう言えてしまえば良かったのだろうか。
「お前の嘆きの源泉は、そこじゃないんだろうな」
揺れる武器飾りの藤色が、視界を過る。引鉄を引く銃の重みが手にかかる。
彼女が嘆いたのは――ただ。
「――母親に喜んでほしかったんだろ」
擦れる音。微かに罅の入る音。僅かな隙間に生まれる小さな予兆を追って指を動かす。断末魔の絶叫が聞こえる前に、この声が聞こえるように、吊り下げられた宝石たちを砕き割る。
だからだろうか。
少女の手が震えているのが、よく見えてしまうのだ。
「でも、“声(それ)”以外のやりかたがわからなかった」
「そう」
――戦うことでしか守れない。
殺すことしか知らないから。壊すことしか知らないから。こうして引鉄を引くことでしか、大切なものを守れない『ひとでなし』には――大切な誰かのために、たったひとつを握ることが、分かってしまうのだ。
「そうです、私は――」
笑って欲しかった。
願いを叶えるのに必要なものは多くて、けれど少女には乗り越える力がなかった。ただの学生の身分に何が出来よう。精々学校の後に働いて、家に少しでも金を差し出して、母を労る――その程度だ。
「でもさ、多分簡単なことで」
語りかける表情が、戦場に似つかわしくないほど穏やかだったことを、匡は知らないだろうけれど。
――『そばにいて笑ってくれるだけでいい』なんてありきたりな言葉が、けれど多くの意味を孕んでいるということを、知ってしまったから。
「たぶん、同じものを相手も願ってるんだと、思うよ。だから――」
どうか――今から届く、この音を。
「聞け!!!」
銃弾の数には限りがある。だから響く絶叫の全てを掻き消すことは出来ない。
ならば森番は叫ぼう。いつか甘い蜜のように思えたその音を、今は悲痛に心を穿つ絶叫を、この鑢掛けの声で打ち消すのだ。
ロクは、いまは。
もう――人間だから。
「声が病んで歪んでも! 歌に捧げたキミの息が、肺が、からだが生み出すものが!」
全霊を捧いだその魂は、きっと誰かを助けるだろう。このみにくい声が生み出す音が、誰かに必要とされたように。
ひずんで絶望に至るほどに追い求めた、いつか誰かの心を震わせるはずのそれ。今ここで鳴らす弦の声が伝う熱狂に、きっと追いつくはずのもの。ひとの心に届く――その音が。
「――うつくしくないはずがない!!」
最後の宝石が砕けたのは、銃声と同時だった。
へたりこんで俯く人魚に歩み寄る森番の後ろで、片手に銃を握ったままの匡もまた、歩みを進めた。
「歌ってよ、オリビア。いつかキミの声で」
さりさりと揺らぐ鑢の声に、顔を上げた少女が瞬く。
その頬を伝う涙は、このみにくい声が、確かに心を穿った証。出来ぬことなどないのだと、彼女の心に届いた証拠だから。
「……きっとおれよりうまくできるよ」
笑う森番のはっきりとした声に、匡もまた、肩の力を抜いたのだ。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
ジャガーノート・ジャック
(――鉄に鑢を掛け続けるかのような声とは
凡そ耳馴染みは良くないものだろう。だが自分にとっては聴き慣れて久しく、戦場で多く共に歩んできたものだ。)
(――ザザ)
潰れてしまった喉を厭うか。
然もありなん。
元々手にしていたものが溢れ落ちてしまった時の喪失感、焦燥、悲哀は本機にも覚えがある。
――だが君が得たかった声は果たしてそれか?
本機を刺し穿たんとするこの行いが君が望んでいたものか?
――そうではないだろう。
("MOVIE SCENE"。
今この時、僕は戦いの一手を選ばない。そして戦わない限り 君は僕を傷つけられない。)
君が望んだ一景は槍を手にしてのモノか。それは本当に望んだ君か。良く思い出せ。
(ザザッ)
●
ざりざりで、ぎざぎざの。
それはおよそ、常人には聞き難い声なのだろう。焼き払われた後の森めいたそれを、けれどジャガーノート・ジャック(JOKER・f02381)はよく知っている。
或いは共に戦場を馳せ、或いは共に騒ぎに巻き込まれ、鑢掛けの声をみにくいと言いながら、それでも己の言葉を以て語る。今も戦場に響くそれは、耳によく馴染んだ。
「潰れてしまった喉を厭うか」
――然もありなん。
ノイズ混じりの冷えた声が言う。元より在ったものが醜く変じてしまったというのなら、それを受け入れられようはずもない。失ったという事実だけが、余計にこびりつくからだ。
「元々手にしていたものが溢れ落ちてしまった時の喪失感、焦燥、悲哀は本機にも覚えがある」
覚えていたはずのことがある。
失くしてしまったということを覚えている。滑り落ちたそれのかたちを知れど、質量を持つ実感は未だこの手に戻らない。握れば握るほど空を掻く手を、けれど今は強く握り締めた。
はたはたと瞬いた少女が笑う。
「変わったお声の方。でも、それも素敵だと思います。今は、機械の声で歌うのだって、素敵な音楽になりますもの」
「嗚呼。君には本機の『これ』も好く聞こえるか」
バイザーの奥、一瞬だけ眸を伏せる。射手とは常に『視て』あれ――と、そう知っているから、すぐに持ち上げる。
「――だが」
そのまま視線を合わせて、紡ぐのは銃弾ではないけれど。
「君が得たかった声は果たしてそれか?」
重々しい問いかけは、切り取られた映画めく。鳴り響く音の全てが止まり、互いの間に沈黙が流れた。
大仰に広げた機械の腕の内側で、少年は真っ直ぐに少女を見詰めていた。バイザー越し、目と目が合うはずもないのに、オリビアが動くことはない。
「本機を刺し穿たんとするこの行いが君が望んでいたものか?」
そうだというのなら動けば良い。
格好の獲物が眼前にいる。手の中の槍を持ち上げて、穂先を向ければそれで彼女の願いは叶う。目的のためにどこまでも非情になれるというのなら――。
けれど。
震える指先がここからでも見て取れた。唾を飲む音が聞こえるようだった。だから、ジャックが代弁する。
「――そうではないだろう」
体が強ばるのが見えた。
歌で人を傷付けたくなどなかったのだろう。歌うために、誰かを手に掛けるつもりなどなかっただろう。
「君が望んだ一景は槍を手にしてのモノか。それは本当に望んだ君か」
ざわりと木立が音を立てた。風が吹き抜けて、力を失う腕のシーンが切り取られるのだろう。
下を向いた穂先に深く息を吐いて――。
低く小さな声は、兵士が零したのか、少年が零したのか、きっと彼自身にも分からなかっただろう。
「――良く思い出せ」
唇を噛み締めたオリビアが、そっと喉に触れる。伏せた目の奥に何を描いているのか、ジャックには見えぬままだったけれど。
「私――私、は」
それきり――俯いた少女は沈黙した。
大成功
🔵🔵🔵
ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
声ねえ
俺の声なんて欲しい?
あげてもいいけど酒に焼けてるしちょいとハスキー
カラオケで選ぶ曲はいっつも男性ボーカル
あんたの顔にゃ似合わないんじゃないの
はい、エコー。どうどう
わかったわかった、こいつに俺の声はあげないって
お前限定、だよな
なあ――つらいよな。わかるよ
歌ってのは芸で、才能だ
それを失ったのは、確かにショックだと思うけどさ
でも、親だったら――俺が親だったら
「俺が代わりになってやりたい」って
「なんでこの子に」って
「俺の声を代わりに奪ってくれ」って思う
親ってさ、そーいうのじゃないかな
これしかないとか思わなくても
どんなお前でも、親は好きだと思うけどね
……俺がそうされたかっただけだけど。
エコー・クラストフ
【BAD】
オブリビオンになったんなら、お前も殺す
……と言いたいところだけど……別に、まだ何もしてないし、個人的に恨みがあるわけでもない
戻れるっていうなら戻る手助けくらいはしてやる
ハイドラの声はやらないし、下手な抵抗をしたらお前も殺してやるがな
その攻撃。「泡」なんだったよな
だとしたらその材料は水だ。そして水なら、それは何であれ地獄の入り口に変わる
【一切の希望を捨てよ】。泳ぎまわるのはナシだ。その体を有刺鉄線と杭で貫いて拘束する
多少手荒だが文句は言うな、そして口も挟むな。ハイドラの話を聞くんだ
……親が……代わりになってあげたい、か
ボクの親もそうだった……なんて考えるのは都合が良すぎかな……
●
執着したことがないものの価値を正確に測れていると思い上がるほど、人間腐っちゃいない。
己の喉に触れてから、眼前の鰭を見る。ヘテロクロミアの金銀に映す顔に、ハイドラ・モリアーティ(Hydra・f19307)は、そもそも――と切り出した。
「俺の声なんて欲しい?」
およそ世で言う美声ではない。灼熱のアルコールで焼けた喉に毒の灰を流し込めば声帯は掠れるし、爆音鳴り響く個室で入力するのはいつも男の歌声が奏でる原キーだ。
――世の中の汚い部分ばっか掻き集めて金にしてきた奴は、小綺麗なショーケース見詰めて服選んでるタイプとは、何から何まで相容れないわけ。
「あんたの顔にゃ似合わないんじゃないの」
「素敵な声だと思いますけれど――」
「褒めんの上手だね」
それも才能じゃないの――とかね。
無神経な話か。
伸ばされた指先が頬を掠めようとする。気付けば向けられた穂先がこちらを捉えている。死んでも死なないし、奪われた端から元通りだし、好きなだけどうぞ――と、昔ならば言っていたところかもしれないが。
「ハイドラの声はやらない」
がらん、鐘の音がするような心地。
強い力で捻り上げられる腕はハイドラに届かない。底冷えする深海の眼差しが、湖面の色をした髪の合間から覗く。真っ直ぐに娘を射貫いた眸に宿る憎悪に、オリビアの喉が引きつった声を上げた。
水底より浮かぶが如き冷えた体温で、骨まで砕かんと力を込めるエコー・クラストフ(死海より・f27542)に、しかし今すぐ彼女を殺す気はない。
本当は――オブリビオンならば全て殺すと言ってやりたいところだが。
オリビアは仇敵ではない。まして今は未だ何を成したわけでもない。声を掛ければ戻って来るというのなら、剣を振るって有無を言わさず骸の海に帰すのは得策ではないと理解している。
――だから、今ハイドラの声に手を伸ばそうとしたことは許せないが、腕を切り飛ばすのはやめた。
「戻れるっていうなら戻る手助けくらいはしてやる。だが、下手な抵抗をしたらお前も殺してやるからな」
「はい、エコー。どうどう」
暴力的に突きつけられる最後通牒に、少女の自我を孕んだオウガがすっかり縮こまっている。その辺りで良いだろうと、ハイドラがリードを引くが如くに声を差し向けた。
「ハイドラ……」
「わかったわかった、こいつに俺の声はあげないって」
――お前限定、だよな。
恨めしげな眸に囁くように告げれば、落ち着きを取り戻した水面のまなこが僅かに緩む。ぞんざいに離した腕を少女が押さえているうちに、エコーが睨む泡が弾けた。
戻る手伝いはすると言った。けれど何をされるか分かったものではないのなら、拘束を緩めてやる義理はない。
――一切の希望を捨てよ。
突き出した有刺鉄線が体を絡め取る。腕に、手首に、食い込むそれから赤く体液が流れ出して、オリビアの声が今度こそ悲鳴を紡ぐ。
「痛――!」
「文句は言うな、そして口も挟むな。ハイドラの話を聞くんだ」
冷厳と零される声に抗うすべのない少女の震えがパニックに変わる前に、少しの間を置いたハイドラが口を開く。
「なあ――つらいよな」
シリアスな声で、穏やかに紡ぐ。マシンガントークが本領だが、今はそうじゃあない。
「わかるよ。歌ってのは芸で、才能だ」
少女は義理堅く黙り込んだままだ。殺されるのが怖いのか、それとも言われたことを守っちゃうタイプの人間なのか、それだけでは判別が付かない。
俯いた視線の先を追うことはしないまま、けれど視線を外すこともしないまま、ハイドラの声は続く。
「でも、親だったら――」
違うな。
「俺が親だったら」
――俺が代わりになってやりたい。
――なんでこの子に。
――俺の声を代わりに奪ってくれ。
そうやって、いないカミサマにでも縋っちゃうと思うね。親ってそういうものだから。
「これしかないとか思わなくても、どんなお前でも、好きだと思うけどね」
知らんけど。
――だって俺には、俺がそうして欲しかったってくらいしか、ないし。
抵抗の意志を失った少女の体を暫し見て、その槍が手から離れたところで有刺鉄線が剥がれる。良い子の頭を撫でてやろうと振り返ったハイドラの後ろで、けれどエコーの顔色は少しだけ、オリビアと似たような翳りを孕んでいた。
「エコー?」
声に身じろぎで反応する。
自分がこの体になったとき、彼らは何を思っていたのだろう。たった独り動き出したこの骸は、もう父にも母にも会えないけれど。
「ボクの親もそうだった……なんて考えるのは都合が良すぎかな……」
――そんなことないよ。とかね。
暖かい家族なんて知らない身に何が言えるわけもない。
だから、ただ肩に優しく手を回して。繋いだ手を引いて、言葉に代えるだけだった。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
リゼ・フランメ
貴女の祈りの形は、歌声、だったのね
魂より奏でられる、夢と理想の形
幸せへと続く光の道筋で、空を越えて星の間だって泳げると
子供のままに綺麗に夢見て、乙女のように甘く無双した
だからこそ、私が信じるのは聞こえない歌声ではない
その喉に宿った、想いそのもの
「それを否定なんてしない。そして、消えていないのだと」
振るう剣で周囲に触れて音を成らし
ステップ刻む靴音で、音を奏でましょう
オリビア、貴女は歌以外でも、ちゃんと音楽を紡げ出せるのだと
音色とは、ひとつに限らぬのだと締めて
「音の花が咲く裡で、舞いましょう」
美しき結晶
されど響く断末魔
塗り替えるが如く、破魔たる真白の焔宿す剣、早業にて導くよう
ダンスで作る旋律と共に
●
紡がれる祈りの容が数多に世界を照らす。無数の願いが遍く灯る夜空の如きこの世に光るその一つが、少女の持つそれだというのなら。
「貴女の祈りの形は、歌声、だったのね」
リゼ・フランメ(断罪の焔蝶・f27058)に、どうして否定が出来ようか。
魂より出でて奏でる夢と理想。その最中に在って、少女の心は無限の自由を得ただろう。それは信じて疑わぬ光に照らされた、幸福へと繋がる道筋だ。空の彼方、星間を泳ぐ人魚となることも叶うのだろう。
その声が、響いている間は。
「歌って凄いんですよ。歌うだけで、皆が喜んでくれる。褒めてくれる。笑ってくれる。私にも出来る、音楽の力なんです」
なればこそ、少女が無垢に告げる言葉は重い。二度と届かぬ星に手を伸ばすが如く、その声が弾めば弾むほど、虚しささえ揺らぐのだろう。
けれど、夢を追うのはリゼとて同じ。灯した祈りのいろに翅すら焦がす彼女には、それをただの感傷だと斬って棄てることが出来るはずもない。
「ええ」
無邪気な子供のままに見た夢の先――恋に身を焦がす乙女にも似た甘い夢想の成れの果てを前にして。
焔蝶はただ、信ずるだけだ。
今ここで聞こえぬ歌ではなく――震えぬ喉へと灯された、全てを賭した想いそのものを。
「それを否定なんてしない。そして、消えていないのだと」
ここにて証明しよう。
焔を纏う剣を片手に地を蹴った。かろやかな足が地面に沈むたび、その剣が木々を掠めるたびに、生まれて消える音を追って、オリビアの鰭もまた泳ぐ。
打ち合わせる剣と槍の音。揺れる結晶が擦れる音。重ね合わせて舞う灼けた翅の蝶は、武器越しに交錯する視線へ声を投げた。
「オリビア」
心を罅割れさせるような絶叫を、上げたかったのは誰だったのだろうか。
リズミカルに地を叩く靴先が踊る。鰭が空を切って、衣服が擦れて、木々が揺れる。満ちた音の中に響く断末魔を塗り替えるが如く、真白の焔は揺らぐ。
「声でなくても、歌でなくても。貴女の紡ぐそれは、音楽でしょう」
――彼女の信じるそれが、音楽の力だというのなら。
それを作れるものは、一つではない。歌えずとも出来ることはある。まして目指す先にあるのが誰かの笑顔だというのなら、音楽だけを唯一の方法と定めるには尚早だ。
「誰かを笑わせるために必要なのは――必ずしも、声と限ったことではないわ」
この舞も、きっとそう。
共に紡ぐ音を、オリビア自身の笑みと成すことで証明しよう。苛烈を宿す眸の奥に、揺らぐ少女の目を真っ直ぐに宿して、リゼは絶えず音楽を奏でた。
誰かの声を捨てて。
誰かの絶叫を止めて。
今ここで踊っているのは、二人だけだから。
「音の花が咲く裡で、舞いましょう」
――罪を断つ白焔が、赤き光と共にひらめいた。
大成功
🔵🔵🔵
ハイン・ジャバウォック
○
ローズウェル(f09072)と
へぇ、歌声の為に泳ぐ力も飛ぶ力も得たってか
確かにその身なりはご立派だ
でも…声だけは気に食わねぇな
どうだローズ、長年生きた俺には醜く感じるんだが
お前にとって歌声とは大事なものらしい
それを失う悲しみは同情するぜ
ただ、お前の大事なものってのは、
所詮『他人のものでも補える』程度のものだったって事だろ?
残念、お前が求めてたのは『自分の声』だと思ってたぜ
何年生きたか知らないが、お前視界が狭すぎるよ
もっと自分の他の力を信じて、試してみるのも有りじゃねーかなぁ
人間やめるには早いぜ
俺の声ならくれてやるよ。醜い竜の声だぜ?
そのままローズの炎と一緒に接近して、俺の爪で結晶を砕いてやる
ローズウェル・フィリンシア
○
ハインさん(f28296)と
醜く感じる…その表現も間違いとは言いません
あえて私はこう言います。『悲しい声』だと
真実とは時に受け入れ難いもの。それは痛いほど分かります
ですが、ここは夢の世界ではないのです
例えそうであったとしても、他人を傷付けて良い訳がないのです
その結晶は…本当に尊いものですか?
心の底では貴方も分かっているはずだと…私は信じたいです
私、元々は『杖』でした
人間の姿を得てから私は感動したのです。人間って何でもできるんだ!って
…ね、オリビアさん
貴方が秘めているものは声だけじゃない。絶望するにはまだ早いですよ
庇ったハインさんには謝罪の言葉を一つ
相手には一つの巨大な炎を放ち心を浄化します!
●
歌うために全霊を賭していたというのは事実だったのだろう。
空を駆ける翼と、深海をも目指す鰭とを得た。敵を屠り願いを叶える三つ叉の槍を手に、存分に歌う娘の美声を前に、しかしハイン・ジャバウォック(虚空の竜・f28296)は眉を顰める。
「どうだローズ」
――誰かのそれを奪い、悲しみと引き換えに奏でられる歌は。
「長年生きた俺には醜く感じるんだが」
切り捨てるような言葉だった。
隣に立つローズウェル・フィリンシア(太陽と月の神子・f09072)は、けれどそれに表情を歪めることはない。
彼女にも、その歌を肯定することは出来ない。からっぽの器に借り物の水を注いで、それを己のものだと抱きしめる姿は、ひどく歪んで壊れているから――。
「その表現も間違いとは言いません」
けれど、ローズウェルが心に抱くのは、ハインのそれと比べれば幾分か翳った思いだ。
「あえて私はこう言います。『悲しい声』だと」
声を聞き届けて、竜神の眸は僅かに眇められる。その色も一瞬で、瞬きの後には吐息が残るだけだ。
ゆらりと向きを変えた三つ叉の槍の向こう、娘が笑う。
「お二方はお友達ですか? ならどうでしょう、デュエットとか!」
――それは、心底の善意だ。
故に、生まれる泡の全てをハインが振り払った。一気に距離を詰めた腕に纏う竜爪が、今にも雷撃を放とうとした槍の矛先を捻じ曲げる。
交錯する眸の向こうに――。
「俺の声ならくれてやるよ。醜い竜の声だぜ?」
ひとごろしき竜の声が響くのだ。
「大事なものを失う悲しみは同情するぜ」
強引に振り戻された槍を弾き、その間合いから逃れた。再び向けられる無垢なる敵意が攻撃へと変わる前に、彼は一つ、言葉の槍を投げる。
――誰かのそれを奪うというのなら。
「お前の大事なものってのは、所詮『他人のものでも補える』程度のものだったって事だろ?」
「な――」
ぎくりと動きを止めたオリビアの眸から、ふと視線を外す。
「残念、お前が求めてたのは『自分の声』だと思ってたぜ」
――とうに戻らなくなったそれを、他人の何かを簒奪することで手に入れるのではなく。
己のそれとして取り戻したいと、願いを紡いでいたのではないのかと。
厳しい言葉は、しかしだからこそオリビアの心に深く突き立った。知らず自身の喉に触れた、冷える指先を包み込むように、今度は柔らかくローズウェルが語る。
「その結晶は……本当に尊いものですか?」
真実を受け入れられないことを、どうして責められよう。
それに蓋をするまでにも、背負ってきた痛みがある。受け入れがたいものからは目を逸らすのも痛い。知らぬわけではなく、そして理解出来ぬわけでもない。
けれど――それを赦すわけにはいかないのだ。
「ですが、ここは夢の世界ではないのです」
例えどれほど夢のように見える場所だったとしても――ここには生きているだれかがいる。よしんば真実夢だったとして、力を振るって誰かの涙を生む行為が、許されようはずがない。
「心の底では貴方も分かっているはずだと……私は信じたいです」
「私――でも――」
握り締めた槍の柄が震えている。生まれた七色の焔が幻想的に揺らめく光景には目もくれず、オリビアがゆるゆると首を横に振るから――。
ハインはただ、息と共に声を吐き出すのだ。
「何年生きたか知らないが、お前視界が狭すぎるよ。もっと自分の他の力を信じて、試してみるのも有りじゃねーかなぁ」
――人間なんだから。
その体に生まれついた時点で、ただ一つしか持っていない、なんてことはないのだ。活かし方を知らないだけ。今まで、目に映してこなかっただけ――。
それを、ローズウェルも知っている。
「私、元々は『杖』でした。人間の姿を得てから私は感動したのです。人間って何でもできるんだ! って」
自分の力で地を蹴る解放感と、何かを口に入れる充足感。自らの意志で物を手に出来るということは、手にしたものを自由に扱えるということでもある。料理も、写真も、本も――音楽も。
ひとであるということは、何かを生み出す力があるということだ。
「……ね、オリビアさん。貴方が秘めているものは声だけじゃない。絶望するにはまだ早いですよ」
「ああ。人間やめるには早いぜ」
語りかけられる声と、己の中に根ざす願いを映して――。
振り上げた爪と、その向こうに燃える浄火の焔は。
きっと、丸くなった少女の眸には、希望の灯火と揺らめいた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
ヴィクティム・ウィンターミュート
〇◇
声を失う絶望を、俺は知らない
だから、分かってやることは出来ない
まぁ…そうだな、言ってしまえば
誰も悪くは無かったのさ
意地の悪い運命に巻き込まれちまった
アンタと母親は、優しいから苦悩してる
俺はそう思うよ
俺の声が欲しいなら、くれてやるよ
だが忘れるな──俺は、奪われたなら奪い返す主義だ
『Robbery』は絶対に逃がさない
お前が俺から声を奪った刹那、それを奪い返す
ハイスピードカウンターって奴だよ
そのトライデントも没収だ…これで、何もできやしない
『奪い続ける道』を選んでしまえば、もうお前は戻れない
純粋な、万人にとっての悪になる
お前の本質は、そうじゃあないはずだ
だってお前は、今でも母を想う優しい子だろ?
スキアファール・イリャルギ
〇◇
声しかない……か
私も歌しかないんです
歌に縋って、縋り続けて、なんとか此処にいるくらいに
……奪われたらどんなに辛いかも知ってます
(実験と絶叫で潰れてゆく喉
怪奇の口からは醜い声しか出てこない
歌えなくて、自分の声が醜くて、聞くに堪えがたくて
……"人間"を、"人間"の口が"どれ"なのかを、忘れていって
次第に歌が好きなことを忘れていったあの日々を、憶えてる)
(『アリス』だった頃も――最初は、まともに歌えてなかったんだろうな)
あなたも声を取り戻せる、とは言えない
境遇が違うし、私は治す術を持っていないから
でも――
(私の、大切な人からの受け売りだけど)
あなたは、誰からも奪わなくていい
あなたの儘で、生きて
●
声しかない、と言う。
嫌な奇遇だな――などと心中で独り言ちながら、けれどスキアファール・イリャルギ(抹月批風・f23882)はその感傷を振り払えない。
『人間』としての唇に触れる。伝い落ちて喉をなぞった指先は、深く沈むように喉仏を離れた。
「私も歌しかないんです」
――歌しかなかったのに。
想像を絶する苦痛が身に降りかかったとき、人はただ叫ぶことしか出来ないのだと知ったのは、いつだっただろうか。
繰り返される実験の果てで、少しずつ溶けていく体は喉を磨り減らした。無数に飼った怪奇の口は悍ましく醜い声しか上げられず、聞き難いその声を己のものだと信じたくなかった。
日を重ねるごとに『人間』が分からなくなる。だから声を発して思い出すしかなかったのに、怪奇のそれが紡ぐ音を歌だとは認められない。擦り切れていく心は己の中の『人間』を遠ざけて、歌への喜びすらも暗渠の中に融かして消した。
だから――。
きっと、この世界に辿り着いたときにも、上手く歌えてはいなかったのだろう。
「歌に縋って、縋り続けて、なんとか此処にいるくらいに。……奪われたらどんなに辛いかも知ってます」
「ああ――」
声を聞いたオリビアが、困ったような顔をした。手にした槍を引き寄せて、スキアファールの眸を覗き込む。
「あなたの声は、もらえないかもしれません」
「なら、俺の声をやろうか」
不意に横合いから掛けられた声に、二人分の視線が向いた。
ひらりと手を振って挨拶に代えたヴィクティム・ウィンターミュート(Winter is Reborn・f01172)の眸が、バイザー越しに空間を捉える。戦場というには穏やかで、けれど捻じ曲がった赤い国の最中で、彼はただ無防備に両腕を広げた。
「欲しいなら、くれてやるよ」
――何の憂いもない。
スキアファールへ告げるような目配せに、人の形をした怪奇は目を伏せて返答とした。策があるというのなら、それを妨げては誰も救われないだろう。だから庇うことはしない。動くことも。
「本当にくださるのですか? 優しい方」
「そう見えるか?」
苦笑と共に肩を竦める動きがあまりにも自然だから――きっと、オリビアも気付かなかった。
雷撃がまともに着弾した刹那、生まれかけた宝石が砕け散る。既に起動したプログラムは雷そのものすら凝縮し、その宿主たる三つ叉の槍さえも、今はヴィクティムの手の内にある。
「──俺は、奪われたなら奪い返す主義だ」
一瞬にして戦うすべをなくした少女が、おろおろと己の手と彼を見比べた。だからヴィクティムは笑ってやる。
「誰も悪くは無かったのさ」
これで――ゆっくり話が出来る。
「意地の悪い運命に巻き込まれちまった。アンタと母親は、優しいから苦悩してる――俺はそう思うよ」
声を失う絶望を知らない。
それを失ったからと世界を投げ捨ててしまえるほど絶望出来るとも思わない。彼の武器は声ではなくて、地に足をつけて一歩を踏み出すために必要なものも、歌にはないからだ。
だとしても――告げねばならないことがある。
「『奪い続ける道』を選んでしまえば、もうお前は戻れない。純粋な、万人にとっての悪になる」
――強奪とは、そういう力だ。
その一端を振るうからこそ、告げる言葉はひどく重い。のしかかるような覚悟と、潰れそうな十字架を背負って、それでも拳を握らねばならないものだ。
それは――ただ歌を愛した少女が背負うには、あまりにも残酷だろう。
「だってお前は、今でも母を想う優しい子だろ?」
引き結ばれた唇を涙が伝って、眸が俄かに潤むのが見えた。俯いて手の甲を走らせるオリビアをじっと見詰めて、スキアファールがふと息を吐く。
「あなたも声を取り戻せる、とは言えない。境遇が違うし、私は治す術を持っていないから」
生半可な希望を示すことはしなかった。
灯るかどうかも分からぬ光を示すのは無責任だ。火を求める誰かに濡れたマッチを差し出して何となろう。
同じ痛苦を味わったことがあればこそ――そんなことは出来ない。
けれど。
「あなたは、誰からも奪わなくていい」
ぐずぐずになって、身も心も壊れ果てて、『人間』を忘れ果てた己にも。
――そう言ってくれたひとがいたから。
「あなたの儘で、生きて」
告げられた言葉たちに頷くことは出来ずとも、少女の眸はただ、静かに涙を零した。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
天音・亮
私が歌を大好きになったきっかけはお兄ちゃんだった
小さい頃にピアノを弾きながら歌ってくれた優しい声
一緒に歌っている時間が楽しくて心地好くて
そんな時間がずっと続くと思っていた
でも
ねえオリビア
私のお兄ちゃんもね
声を失くしちゃったの
私はお兄ちゃんの歌が大好き
でもそれはどんなに綺麗な声だとしても別の人の声じゃ意味が無いの
だってそこにお兄ちゃんの心はない
オリビア
あなたの歌も心が寄り添う声があったからこそ
好きだと言ってくれた人が居たんじゃないのかな
オリビア
私はあなたの心が聴きたい
どうか悲しみで覆ってしまわないで
一緒に歌おう、オリビア
きみに手を伸ばす
奪われたりなんかしない
きみの本当の声を見つけてみせるから
●
歌を志したのは、きっと必然だったのだ。
今は白い部屋に響くだけの音源になってしまったピアノが、誰かの手の下で奏でられていた頃を思い出す。弾む指先を追うように紡がれるメロディは優しくて、自然と唇が音を重ねた。
妹の幼気な歌声と、穏やかな兄の音色。ピアノの鍵盤を滑る指先は、どこまでも広がる世界を教えてくれて――けれど、ともすれば呑まれてしまいそうなちっぽけな幼子を、守ってくれるようでもあった。
いつまでだって紡げると思った。いつまでも鳴り響いていると思った。否応なしに少しずつ褪せていく、アルバムの一ページに思いを馳せて、天音・亮(手をのばそう・f26138)の声がゆるゆると開く。
「ねえオリビア。私のお兄ちゃんもね、声を失くしちゃったの」
『当たり前』に置いて行かれてしまった。
三つ叉の穂先を避けて、鳴り響く雷鳴を掻き消して。空を跳ねて、飛んで――亮の足がかろやかにリズムを刻めば、追う鰭もまた踊るように翻る。
「辛かったでしょうね。あなたも、もう一回歌って欲しいと思うんじゃないですか?」
「うん――私はお兄ちゃんの歌が大好きだから」
歌って欲しい。
一緒に歌いたい。
――あの頃を取り戻したいと、取り戻せる方法があるのならと思う心は、きっと嘘じゃないけれど。
「でも、それは別の人の声じゃ意味が無いの」
綺麗な歌声が聞きたいだけなら、検索バーを使えば良いのだ。インターネットに転がる動画を再生すれば良い。兄が自分自身で作った曲でないのなら、同じ歌を歌う人間だって沢山いるはずだ。
けれど、それでは意味がないことを――オリビアだって、知っているはずだろう。
「だってそこにお兄ちゃんの心はない」
取り戻したいと願うのは――自分の声。
替えの利かないたったひとつが生まれるのは、そこに持ち主の魂が籠るからだ。
「オリビア。あなたの歌も、心が寄り添う声があったからこそ。好きだと言ってくれた人が居たんじゃないのかな」
そのひとたちは、誰かの声が聞きたいのじゃない。
美しい声の誰かが歌う曲を愛しているわけでは、ない。
亮の伸ばした手の先で、オリビアの眸が揺れるのを見た。鳴り響く雷にも、鋭い穂先にも、揺れる無数の泡にも――何も奪わせたりはしない。
奪わせてしまったら、きっと今度こそ、彼女は戻れなくなってしまう。
「私はあなたの心が聴きたい」
どんなに醜いと言われたとしても。
どんなに醜いと思っているのだとしても――その声にしか奏でられないこころが、必ずあるから。
「どうか悲しみで覆ってしまわないで。一緒に歌おう、オリビア」
――きみの本当の声を見つけてみせる。
そうして、心の底から奏でられる音に合わせて歌うなら、きっと――今よりずっと、世界は輝いているはずだ。
大成功
🔵🔵🔵
ルーシー・ブルーベル
ごきげんよう、オリビアさん
楽器である体をこわしてしまったのね
その辛さは
「これしかない」なんて持ってないルーシーには
分かるとは言えない
でも、ね
お聞きしたい事があるの
もしもよ
あなたの声をルーシーがもらったら、あなたの様に歌える?
きっと出来ない
だって体全てを楽器としても
心が無いと奏でられないもの
心の無い声をあつめて、あなたが奏でた所で
ママが喜んでも
誰の心もふるわせられないわ
けれどあなたは
あなたのママに、何かしたいのよね?
なら何をすればいいか
分かっている事があるわ
笑ってあげるのよ
あなたのママに
だから、ね
かえろう?
青花であなたを包む
狙うはその槍
動けず声を失ってもルーシーはルーシー
それを見せてあげるわ
●
「ごきげんよう、オリビアさん」
楚々と下げた頭に、紡いだ声はどこまでも無垢だった。
「楽器である体をこわしてしまったのね」
それがどれほど辛いことだったのか、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)は知らない。
生涯をかけても、理解することは出来ないだろうと分かっている。それだけに縋って握り締めて、なくなってしまえば世界の全てを捨ててしまえるものは、彼女にはない。或いはそれは使命感に似ているのかもしれないけれど、全く別のものだ。
無邪気な願いを込めて、弾ける雷は刃の切っ先に似る。向けられた三つ叉の穂先から体を逸らして、ルーシーは煌めく碧玉の隻眼をふと伏せた。
「お聞きしたい事があるの」
「何でしょう?」
「もしもよ」
――もしも何かの事故か、奇跡か、或いは間違いが起きてしまって。
「あなたの声をルーシーがもらったら、あなたの様に歌える?」
その喉が奏でる音は本物か。
ルーシーは『ほんもの』の代わりだから、分かる。それをどれだけ真似たって、どれだけなぞったって、決して『ほんもの』にはなれないこと。『ほんものの代わり』は、そういう義務と役割を持った別のものにしかならないこと。
「ルーシーには、きっと出来ない」
それが必要なことだというのなら、ルーシーは涯まで歩くだろう。今こうして、約束されたおしまいに向けてでも、歩み続けるように。
けれど――彼女の言う歌というものは、もっと違うものなのだから。もっとずっと、夢に満ちたものなのだろうから。
「だって、心が無いと奏でられないもの」
――楽器だけがあったって、音楽にはならない。
音を楽しむものだというのなら、紡がれる声がどれほど綺麗だって、祈りも願いも喜びもないものに、何の価値があるだろう。声を取り戻した彼女を母が喜んだとして、彼女の声が持っていた力は失われてしまう。
誰かの心を震わせることが出来るのは――。
それが間違いなく、心の底から生まれる自分の声だからだ。
「けれどあなたは、あなたのママに、何かしたいのよね?」
「――ええ」
「なら何をすればいいか、分かっている事があるわ」
集まる雷が僅かに揺れるのを映し出す。そのゆらぎに深く踏み込むように、ルーシーの唇がちいさな笑みを描いた。
「笑ってあげるのよ。あなたのママに」
母がほんとうに嘆いていたのが何なのかを、教えてあげなくてはいけない。
「だから、ね」
――かえろう?
告げる声が声になる前に、差し伸べた手の先で雷撃が爆ぜた。同時に喉に走る灼熱の痛みに眉を顰めても、決して怯むことはしない。声がなくたって、ルーシーは『ルーシー』だから。
舞う蒼花の向こう――。
涙を流すように俯く彼女を引き戻し、彼女が本当に求めているものを、その目に移せるようになるまでは。
大成功
🔵🔵🔵
朱赫七・カムイ
穹泳ぎ歌う人魚の歌声
歌声は綺麗だけれど空っぽに感じる
何処か苦しそうにも聴こえる
それは本当に歌いたかった歌なのかな
本当にそなたの母が喜ぶと思う?
ひとを殺めて、奪った歌(こえ)で勝ち取ったものを誇れるのだろうか
私には親はいないけれど大切な大切な友はいる
本当に大切な人にはね
何時だって笑っていて欲しいと思うよ
笑っていて欲しかったんだ
そなたも母に笑っていて欲しいのではないの
歌えなくても
例え鎖されていても、終わりではないのだから
生きているのだから
見切り躱し
結界で攻撃を防ぎながら
厄を斬るように言葉を重ねる
今あるそなたがすべてだよ
私は
そなたの聲で歌った歌が聴きたいな
かえろう
そなたの居るべき場所は此処じゃないよ
●
歌声はどこまでも自由なはずなのに、酷く空しく響く。
或いはそれは、永くを生き人に添うた朱赫七・カムイ(約彩ノ赫・f30062)であればこそ感ずる悲鳴だったのかもしれない。苦痛に歪んだ生を塗り替えるような、海の底で藻掻くような歌だ。
刃を躱し、一合。差し向けたそれを翻せば、戦いに慣れぬ少女の振るう軌道がずれる。受け流すと同時に下を向いた切っ先を一瞥して、神はそっと、誘うように唇を開く。
「本当にそなたの母が喜ぶと思う?」
――誰かを殺め、奪い、己の現実を覆い隠すためだけに奏でられる歌(こえ)を。
そうして生まれた音楽を慈しんでくれる人がいるだろうか。勝ち取ったものを、正しく己のものだと誇ることが出来ようか。
そうではないだろう――。
穏やかな眼差しに見竦められて、オリビアの歌が止まる。カムイの櫻色がそっと伏せられて、小さく言葉が零れた。
「私には親はいないけれど、大切な大切な友はいる」
――親友であり、愛すべき弟子。
身も心も蝕まれ続けた彼と出会った日のことを忘れない。友として肩を並べた日々が昨日のように蘇る。旅に出る前日に花火を見せたのだって、巡り巡って斬り結ぶことになったのだって、全てはたったひとつの想いが心に宿っていたからだ。
「本当に大切な人にはね、何時だって笑っていて欲しいと思うよ」
呪を引き受けたのも。
堕ちてまで、桜を斬り果たしたかったのも。
「――笑っていて欲しかったんだ」
ただそれだけの想いのすれ違いでしかなかった。
きっと、目の前の少女だって同じだ。笑って欲しかった彼女と、笑って欲しかった母と――その方法を踏み外しただけ。
それは嘗ての己の姿に似て、だからこそ、きっとこの声は届くのだ。
「そなたも母に笑っていて欲しいのではないの」
「ええ、だから――」
歌を――と。
続ける少女に、カムイが首を横に振る。
歌えなくとも良いのだ。鎖されていたとて開く手立てが失われたわけではないのだから。堅牢な扉を前に、鎖に手をかけることすらしないまま、頭を抱えて終わりだけを見据えるべきではない。
生きているのだから。
生きてさえいれば――きっと、その先に光が差すのだから。
――引き受けた呪いと共に己が滅びることを、二人の友が望まなかったように。
「今あるそなたがすべてだよ。私は、そなたの聲で歌った歌が聴きたいな」
災厄は転じ、倖と成る。手にするのは刃ではなく、飾り気のない純粋な言葉だけだ。斬り払うべき櫻はもうない。今はただ、厄と成りかけた娘が纏ういたみを、祓うために。
「かえろう。そなたの居るべき場所は此処じゃないよ」
差し伸べた手は、いつか差し伸べられた手で。
震える手を伸ばす少女の眸の先で、果てない孤独を振り払うような穏やかな声が響いた。
大成功
🔵🔵🔵
歌獣・苺
〇
…そう。
貴女も歌が好きなんだ
でもね、ごめん。
この声はあげられない
この声は
崩壊した村の一族が
私の姿が
変わってしまう前のみんなが
今の、居場所が
愛してくれた声だから
私『だけ』の音だから
とっても辛かったね
怖かったよね
わかるよ
私もそうだった
身も心もぼろぼろになって
大切なものが失われていって
見放されちゃって
これから
どうなっちゃうのって思った
けど、それでも、
こんな私を好きって
大切だって
言ってくれる人たちがいた
だから私は
どんな姿でもうたうの
きっと貴女も…歌えるよ。
ねぇ、一緒に歌おうよ
大丈夫。貴女の口に合わせて
私が音を『声』を送るよ
歌うことを、諦めないで。
あぁ、貴女だけの素敵な音が
ーーー聞こえた気がした。
●
自由に歌える舞台を手放せないのだと、人魚は鰭と変わった足を揺らすから。
「……そう。貴女も歌が好きなんだ」
歌獣・苺(苺一会・f16654)の声はひどく静かだった。
歌うことが好きだ。奏でる旋律を武器として扱えるほどに。けれど、そうでなくても、ただ声を音にすることが好きだ。その気持ちが、痛いほど分かる。
「でもね、ごめん。この声はあげられない」
それは――苺の大切なものだから。
全てが変わってしまう前、村の人々が褒めてくれた。怯える妹の分までも引き受けた投薬実験が身を蝕み、キマイラと成り果てるより前には、仲間たちが共に歌ってくれた。
そして、今。
共に生きてくれる人々が――愛してくれる、苺『だけ』の声だから。
「とっても辛かったね。怖かったよね。わかるよ」
大切なものがこの手から零れ落ちてしまうことの絶望を、彼女はよく知っている。
「私もそうだった」
焼け付くような痛みを覚えている。壊れそうになる心を繋ぎ止める感覚を忘れない。故郷は滅び、己の身は時計ウサギとしてのかたちをなくし、ようやく会えた僅かな仲間たちの悍ましいものでも見るような眸に晒されて、打ちひしがれて。
妹に最後に笑って見せたのだって――精一杯の強がりみたいなものでしかなくて。
「――これから、どうなっちゃうのって思った」
ぼろぼろの体で、ぐずぐずの心を引きずって歩いた。
どうしようもなく前を向けなくて、それでも前に進めてきた足の中で、幾重の出会いがあって、幸福のための別れがあって。
そっと胸に当てた手が暖かいということを思い出せたのは――。
「こんな私を好きって、大切だって言ってくれる人たちがいた。だから私は、どんな姿でもうたうの」
差し伸べる指先でやさしく誘う。絶望も、痛みも、苦しみも――無駄ではないのだと伝えるように。
――ねぇ、一緒に歌おうよ。
「きっと貴女も……歌えるよ」
「こんな声じゃ、嫌です」
「大丈夫」
自分の声を使いたくないというのなら、そうしなくたって構わない。歌うことの喜びを取り戻すために、苺には出来ることがある。
「貴女の口に合わせて、私が音を――『声』を送るよ」
だから、どうか。
「歌うことを、諦めないで」
――それはきっと、縁を繋ぎ、心を結ぶ旋律だ。
晴れやかな歌声が喉を震わせる。どこまでも自由に羽ばたくような苺の旋律に、怖じ気づいていた少女がちいさく口を開く。
ゆっくりと、動く唇の動きが大きくなる。零れ落ちる涙を拭うこともせずに、オリビアは喉に触れるまま、掠れる声を絞り出すように俯いた。
その顔が、確かに笑っているのを見たからこそ。
苺の耳には、たったひとりしか奏でられない歌が――己の声に重なる綺麗な旋律が、聞こえたような気がしたのだ。
大成功
🔵🔵🔵
リル・ルリ
嗚呼
この光景は懐かしさすらも感じるね
僕は歌うためのさかな
グランギニョールの歌姫
歌うために生まれ、その為に育った
この身はいのちも繋げない
ただ歌うためにある
僕にはこの聲しかない
この聲で生きてきた
だから、それを喪ったらと思うとね
君の恐怖と絶望がよく分かる
けれど今の君のうた
酷くって聴いてられない
重ねて打ち消してあげる
鰭翻して穹を舞い
聲を張り上げ歌う「薇の歌」
それは偽物だろ
いのちを奪うそんな歌、喜ぶと本当に思うの?
お母さんが好きだったのは
君自身の聲で紡ぐ歌ではないの
一緒に歌おう
歌うのが好きなんだろ?
歌は声じゃない
こころだよ
どんな声でも活かし方がある
歌うのがすき?目を覚まして取り戻して
一緒に歌おう
ほら
綺麗
●
揺れる鰭と、翻る歌声が響く。
赤く染まった舞台は喝采を終え、命の全てを捨て去るように歪んだ。いつか演じた舞台の終わりによく似た、懐かしい景色だ。
グランギニョールの歌姫人魚――リル・ルリ(『櫻沫の匣舟』・f10762)は、嘗ての己のように歌う娘を見た。
人に焦がれ歌を捨てた人魚は泡になった。ならば、歌声に焦がれ足を捨てた娘は、何になるだろう。
「僕にはこの聲しかない。この聲で生きてきた」
――歌うために生まれた。
――歌うために育った。
瓶詰めの世界で父から教わったのは、舞台に花咲かす歌だった。その聲で以て全てを繋ぎ、今こうして戦う力すらも、歌の中にあるばかりだ。
この身一つでは命さえも繋げない。
ただ一つ、全霊を賭けてあるのは――この喉に宿った歌だけだ。
「だから、それを喪ったらと思うとね、君の恐怖と絶望がよく分かる」
きっと死ぬよりも恐ろしい。
ならばいっそ奪ってしまえと、想いが傾くことを否定はしない。けれど揺れる心に乗せられて、武器を振りかざすのは別だ。
「けれど今の君のうた、酷くって聴いてられない」
――だから、僕の歌で塗り替える。
翻る鰭を狙う雷撃は、しかし奏でる声の前に溶けるように消える。遮る者なき地獄に零す静謐な歌声は、時の砂を返すが如く、放たれたひかりを打ち消した。
或いは、それが本当にオリビアの歌声だったのなら――。
リルの声と絡み合い、拮抗することもあったのやもしれないけれど。
「それは偽物だろ」
だから、本物には届かない。全霊を賭けて磨き上げ、この命と共に燃やす歌には。
「いのちを奪うそんな歌、喜ぶと本当に思うの? お母さんが好きだったのは、君自身の聲で紡ぐ歌ではないの」
リルは――。
父が愛してくれた、母からもらった歌声にこそ、魂を込められる。それが他人の聲にすげ変わったのだとしたら、きっとそこに彼の――彼らの魂は宿らない。
だから。
「一緒に歌おう。歌うのが好きなんだろ?」
「でも、私の声じゃ、あなたの歌を邪魔します」
「歌は声じゃない」
どんな声だって活かし方がある。そこにただひとつ、欠けてはならないものがあるのなら。
「こころだよ」
――オリビアは、ずっとそれを握り締めていたはずだから。
誘うようにリルの鰭が揺れる。囁くような歌声がすぐに色を変えて、花咲く春を呼ぶ高らかな舞台を奏で出す。
此度の演目は即興劇。歌うために全てを捧げた瓶詰め人魚と、歌うことを愛して足をも捨てた少女の、一度限りの輪舞曲。
「歌うのがすき?」
なら、この舞台に上がっておいで。
伸べられた手に少女のゆびさきが重なって、思い出した楽しさが涙となって伝う。ざりざりと嗄れた聲が、リルの伸びやかな歌声に重なれば、それはまごうことなき音楽だ。
「――ほら、綺麗」
笑う歌姫の言葉に――。
少女は確かに、頷いて見せた。
大成功
🔵🔵🔵
鏡島・嵐
生き方を変えるってのは、楽なことじゃねえ。大好きなモノを投げ捨てないといけねえっていうなら、猶更のことだ。
今のアンタの気持ちはおれには想像することしか出来ねえけど……おれだって、もしある日突然旅を続けられなくなったら、すげえ絶望すると思う。身体が壊れるにせよ、心が砕けるにせよ、な。
だけど。
それをするのはそいつの自由だし――何より、そいつにしか出来ないことなんだ。
おれのユーベルコードを使えば、もしかしたらかつての声を取り戻せるかもしれねえ。或いは単に声が出るようになるだけで、その声は嗄れたままかもしれねえ。
もしもに縋るのもいい、ただの可能性に賭けるのを避けるんもいい。
後悔しねえ方を、選んでくれ。
●
例えば、恐ろしい災厄が襲ってきたときに。
己の命惜しさに逃げられるようになったのなら、きっと恐怖と戦う必要はなくなるのだ。
「生き方を変えるってのは、楽なことじゃねえよな」
そうと知っても武器を取り、向けられたそれに抗い続けるのは、方向を問わず変わることの難しさを示している。鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)がそうであるように――彼女もまた、全霊を賭けた希望を変えられなかったのだろう。
心が砕けるとしても、体が砕けるとしても――この足が止まる日を思うのは、恐ろしいから。
「おれだって、もしある日突然旅を続けられなくなったら、すげえ絶望すると思う」
「あなたは旅人さんでしたか!」
共感の声に返るのは、どこまでも無垢な喜びだった。同時に吐き出される誰かの断末魔が耳を打って、それが心底から少年を震え上がらせた。
――どんな痛みを味わえば、あんな声を上げながら死ぬのだろうか。
刻々と忍び寄る死への震えを、けれど律して前を向く。今はただ成すべきために。目の前で今にも取り返しの付かない場所まで堕ちようとする少女を、救うために。
「素敵な歌を教えてください。あなたの知ってるたくさんの歌――ああ、歌わなくても良いですけれど」
あなたの声から教わりますから――。
いっそ無垢なほどの悪意は、しかし何の他意も孕んでいない。絶望の果てに生まれ、世界を歪めるオウガとしての性が、生きながらにその中にいる彼女を狂わせているだけだ。
だから。
取り出した針に願いを込めて、嵐は深く息を吸った。
「なあ。それでも、自分の声で歌いたいんだろ」
――例え何を失っても、何が変わったとしても。
『それ』をするのは自由で――覚悟を決めたただひとりにしか、成し得ないことなのだ。
「おれの力を使えば、もしかしたらかつての声を取り戻せるかもしれねえ」
それは、あらゆる異常を穿つ力だ。
異常と判ぜられるものが何なのか、嵐には分からない。だから、見せられた希望に瞠目するオリビアが息を呑んでも、引き結んだ口角を持ち上げることはしなかった。
彼女にとっての異常は――。
病によって嗄れてしまった声なのか。或いは、声が出ないという、ただそれだけなのか。
「だけど、単に声が出るようになるだけで、その声は嗄れたままかもしれねえ可能性もある。そうなったら――」
きっと再び、その絶望をまざまざと突きつけられるだろう。
「――もしもに縋るのもいい、ただの可能性に賭けるのを避けるんもいい」
真っ直ぐに絡めた視線が交錯する。
返答を聞かずに刺し穿つことをしなかったのは、嵐の誠意だった。それを選ぶのは彼女だ。他人の勝手な『一か八か』に巻き込まれることなど、望む在り方とは程遠いだろうから――。
「後悔しねえ方を、選んでくれ」
沈黙が零れる。重く垂れ込めたそれを拾い上げるように、少女は己の喉にじっと触れた。
「私、は――」
ゆっくりと嵐に伸ばされた指先が、乞うように彼を見た。
頷いて――。
その喉へと差し込まれた針の先には、ただ、覚悟を固めた少女の眸だけがあった。
大成功
🔵🔵🔵
リア・ファル
己を捧げるくらいのモノが
理不尽に奪われたのなら、その痛みは幾許か
それでも最初に描いた形とは異なれど
道が潰えた訳じゃない
泡沫へと消えゆくにはまだ早い
心に描くべきは、その原点
母と娘の思い出の中にあるだろう、その想い
歌は好きかい?
じゃあ、歌で生きようと思い描いたのはいつだった?
『ライブラリデッキ』から、弾丸を生成
ボクの祈りと言霊を込めよう(祈り)
UC【音無の言弾】
『セブンカラーズ』から、非実体の言霊弾を撃ち放つ!
言霊の弾丸よ、彼女に届け
(スナイパー、浄化)
不格好でもいい、明日へ届くような魂からの一声を!
●
己の全てを捧げたものが奪われたとしたら、それはどれほどの痛苦を呼ぶだろう。
想起するにはあまりに辛く、されどリア・ファル(三界の魔術師/トライオーシャン・ナビゲーター・f04685)の眸は揺るがない。見据える先の少女は歌への喜びを取り戻し、一歩を踏み出す勇気を得た。それでも槍を握る指先の惑いは消えず、揺らぐ視線が不安を映し出す。
――だから、リアは。
描いた形と異なるそれを、泡沫と消える人魚姫の淡い夢にはしない。
「歌は好きかい?」
「ええ!」
屈託もなく頷く唇には、確かに『ひと』としての弧が描かれた。だからこそリアもまた、『ひと』に向ける微笑で、その言葉を受け止めた。
「大好きですよ。あなたは?」
「ボクも好きだよ」
そう頷けるようになったのなら、言葉にするべきことは多くない。語れば語るだけ、野暮になるだろう。
最後に残る揺らぎと迷いを断ち切るために、心に描くのは、最初の想いだけなのだから。
「じゃあ、歌で生きようと思い描いたのはいつだった?」
――それさえ忘れなければ、大丈夫。
祈りと願いのはじまりを紡ぎ、いつかそれを与えてくれたひとたちを喪って、けれどリアが宙を駈けられるのと同じ。いつだって大事に抱えておくべきものはひとつだけだ。世界の全てがそれを笑ったって、不屈の焔を心に灯してくれる、あたたかなはじまりの音。
生成された銃弾は、悪を穿つものではない。ひとの味方であり続けるヒトならざるモノの、祈りと言霊の具現。
見えず、触れず、聞こえず――けれど確かに心を奮い立てる、魂の音色。
躊躇なく向けたセブンカラーズの銃口が吠える。正面から受け止める人魚の瞠目には、痛みの色はない。
――穿つべきは世界の敵。ヒトを脅かすモノであり。
彼女が踏み出さんとする一歩に躊躇を差し向ける――その心に宿る、不安だから。
そんなものは吹き飛ばすように、自分の世界を今に作り上げるために。こんな地獄の底で、観客のいない舞台を続けるための狂乱に終止符を打つために。
生きるべき世界で生きる理由を、宣誓するために――。
さあ、叫んで。
「不格好でもいい、明日へ届くような魂からの一声を!」
巡る想いをかたちにして。どんな声でも、どんな言葉でも、それが湧き上がる限り歩みを止めないと、心に誓ったあの日の記憶を、今ここに呼び起こして。
いつかのやさしい祈りがあるのなら、その記憶と声と共に、褪せず理不尽に抗い続ける者であれ。
ボクの胸の裡の声の如く――キミの魂よ、震え、響け。
「私――自分の声で、歌いたいです。お母さんが好きだって言ってくれた、私の歌を――どんな声だったって!」
オリビアが心底から叫んだ声が喉を嗄らすから――。
リアはただ、真っ直ぐに頷いて、手を差し伸べたのだ。
大成功
🔵🔵🔵
穂結・神楽耶
○
声が出なくても歌えるんですよ。
知りませんか?
手を叩く。足を踏み鳴らす。
道具を使ったっていいし、楽器だってたくさんある。
最近は音声データを入力すれば歌ってくれるソフト? とやらもあるみたいですよ。
声だけが楽器じゃない。
あなたは自分には歌しかないと思い込んでいるのかもしれませんけれど。
そうじゃない手段はいくらだってあるんです。
世界はこんなに広いから。
あなたが見ようと願うなら、いくらでも世界は広がるんです。
だから、もっと音を──歌以外にもあるメロディーを楽しみましょう?
神焔拝領。
オウガの物語はここで結びに。
アリス──オリビア様。
寄り道は楽しいかもしれないけれど。
あなたの本来の物語へ帰りましょう。
●
覚えている沢山と、覚えていない沢山を、この身は知っている。
「ねえ、オリビア様」
重ねてきた五百年を内包して、穏やかな音色が空を揺らす。歌うような唇はお伽話を語るように声を紡ぎ、腰の鈴が涼やかに音を響かせた。
顕現した地獄におよそ似つかわしくない、少女のかたちをした清澄――穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)は、ひとに向ける穏やかな顔で、静かに笑った。
「声が出なくても歌えるんですよ。知りませんか?」
「知ってますよ」
足を踏み鳴らし、物に触れてつくり出す音楽を、焔蝶の竜が教えてくれた。
機械の声が音を奏でることも知っている。音を奏でる道具が沢山あるのだって、オリビアは分かっているけれど――。
指先で触れた喉を震わせて、人魚は深く息を吐いた。
「でも、私は私の声で歌いたいんです」
「――それしかないから?」
なぞる指先が止まる。
歌うことが好きで、楽しくて――『だからこそ』、それしかないと全霊を賭けた。辛いことも苦しいことも好きであればこそ乗り越えてきて、けれどその中に、一片の義務感と強迫観念があったことを、彼女は否定できない。
それだって、神楽耶には分かっている。
少女の頃の世界がひどく狭いこと。その中で必死に見つけたものが奪われること。
五百年間の殆どを焼べて、燃やして――それでも、彼女は『ひと』に寄り添い歩くモノだから。
「声だけが楽器じゃない。あなたは自分には歌しかないと思い込んでいるのかもしれませんけれど、そうじゃない手段はいくらだってあるんです」
それが自分には出来ないだなんて。
最初から諦めて切り捨てることは――自分の足で歩けば、確かな実感として心にひかりをくれる沢山の世界に、自ら蓋をするのと同じことだ。
見ようと思えば、そこには無限が広がっている。たったひとつだけを目指してきた目が、他の何かを掴もうとする難しさも知っていて――けれど、耳を塞ぎ続けているだけでは、何にもならないのだ。
――片割れからいつか教わった歌が、今に沢山の大切なものを繋ぎ止めるように。
「だから、もっと音を──歌以外にもあるメロディーを楽しみましょう?」
指先に止まった黒蝶がひらめく。意志なき破滅は、宿る刀の意によって羽ばたいた。
後悔を映し、降灰を越えて。破滅の焔であったとしても、今に涙を流すだれかを、救えるように。
『アリス』は処刑を免れる。元の世界に戻った彼女は、そのままきっと、普通を生きていくのだから。
「寄り道は楽しいかもしれないけれど。あなたの本来の物語へ帰りましょう」
悪縁を断ち、良縁を結んで。
残虐なるオウガとしての物語は、ここで結びにしよう。
大成功
🔵🔵🔵
陽向・理玖
ああ…分かるよ
俺も師匠に返したかった
俺の力で役に立ちたかった
けど
もう
…師匠はいない
覚悟決め
龍珠弾いて握り締めドライバーにセット
変身ッ!
衝撃波飛ばし残像纏いダッシュで距離詰めグラップル
拳で殴る
俺はもう何も返せない
…多分
生きる事でしか
けど
あんたはまだ生きてる
あんたの母親も
だから絶望すんにはまだ早い
歯を食い縛り
そりゃ
…俺も
戦う事しか出来ないから
もし戦えなくなったら
…何も出来なくなったらって思ったら怖ぇ
歌の勉強してたんだろ?
俺には分かんねぇけど
声が出なくても
…歌には関われるんじゃねぇのか?
曲作るとか色々
軽く言ってるよな
分かってる
けど
諦めるな
探せよ!
扉も、未来も!
一緒に探してやるから
まだ間に合うだろ
UC
●
「ああ……分かるよ」
零れ落ちた声は、思ったよりもずっと重く、地獄めいた地に転がった。
返したいひとがいることを知っている。沢山のものをもらって、けれど何も成せないまま、不甲斐ない己を嘆く苦しみも――分かっている。
――師匠の役に立ちたかった。
陽向・理玖(夏疾風・f22773)の心に凝り続けるその想いは、時間と共に消えるようなものではなかった。強く握り締めた拳に揺らぐ悔悟を振り払う。
もういないひとを悼む心に、押し潰されるわけにはいかないのだ。
「変身ッ!」
振り切るような声と共に、弾いた龍珠が覚悟に応える。身を覆う鎧は理不尽を払うための力だ。
跳躍と共に一気に詰めた距離で、躊躇なく振りかぶった拳を振り下ろす。咄嗟に翳された三つ叉の槍がそれを阻むのも気にせずに、理玖は歯を食い縛る。
「俺はもう、返したい人には何も返せない……多分、生きる事でしか」
拮抗する拳と槍の間に火花が散る。真っ直ぐに交錯する視線と視線は、猟兵とオウガのそれではない。
たったひとりの人間と、たったひとつの命だ。
「けど、あんたはまだ生きてる。あんたの母親も」
――だから、絶望すんにはまだ早い。
そう告げれども、理玖とてその想いを理解することは出来る。
奪われたものは遥かに大きかった。この手にあるのは戦うことだけで、それ以外のやり方など知らない。
これがなくなってしまったら、己は何も出来なくなる。
湧き上がる恐怖に、けれど腕に込める力は緩めない。拳と槍の打ち合いの向こうで、必死の形相をするオリビアの喉が鋭く音を立てるのに、畳みかけるように声を紡ぐ。
「歌の勉強してたんだろ? 俺には分かんねぇけど、声が出なくても……歌には関われるんじゃねぇのか?」
「それは――私には、そういう才能は、なくて。それに、こんなことして、お母さんに顔向けなんか――」
小さく、穂先が揺れた。
それが揺らぎを示しているようで――。
「諦めるな」
思わずと唇から零れたのは、心底からの言葉だった。
「生きてるんだろ? なら謝れば良い。許してもらえるまで、何回だって」
――言葉を交わすことが出来るのならば。
理玖にはもう出来ない。ここに命があって、声があって――力があっても。声を交わしたい人は消えてしまったから。
けれど、オリビアにはまだ残っている。命も、言葉も。
「探せよ! 扉も、未来も!」
その痛みを知らないからこそ、それは軽く響くのかもしれない。そんなことだって分かっている。分かっているけれど、それでも。
「一緒に探してやるから。――まだ間に合うだろ」
間に合うものに、届かぬ手であってほしくはないから。
振り下ろす拳と共に告げる言葉は、ひどく穏やかに、少女に手を差し伸べたのだ。
大成功
🔵🔵🔵
ロキ・バロックヒート
○
唯一を失くす絶望は識っている
別の道を選ぶことはこの子次第だろうけど
私には代替はないから示すことはできない
だから語りかけるだけ
こんにちはオリビアちゃん
君の哀しみと苦しみを聴いてあげる
きっと聞いてくれる者は居なかっただろうから
べつに私の声をあげても良いよ
でもなにも恨めなかった君は
誰かのモノを奪って平気なのかな
それで晴れ舞台に立って
お母さんの役に立ったとして
笑っていられる?
ねぇ―後悔しないのかな
声を奪うことに躊躇う素振りを少しでも見せたら
UCを掻き消し声を奪い返す
責めたりするつもりはないよ
ただ君が哀しむことになるなら
その道は進ませてやれないの
君の微かな光が見付かるまで
堕ちるのを少しだけ止めてあげる
●
唯一無二のものが零れ落ちていく感覚は、よくと知っている。
眼前の人魚が示された代替を選ぶかどうかは彼女次第だ。けれど己のそれに代えなどないから、その惑いには語りかけるだけ。
「こんにちは、オリビアちゃん。君の哀しみと苦しみを聴いてあげる」
誰の元にも辿り着けぬ悲嘆を聞き届ける。
それが、神であるロキ・バロックヒート(深淵を覗く・f25190)の役割だ。
悠然として、けれど静かな声は正しくどこか神の威光を纏う。少年めいた出で立ちに似つかわしくない空気にオリビアが僅かに足を引くのを見た。
それを意に介することはなく、瞬いた金蜜は誘うように、けれど淡々と告げる。
「べつに私の声をあげても良いよ」
――それは赦しだ。
天より舞い降りる御遣いが、人々に天啓を示すが如く。或いは試練の刻を示して、最後の審判を迫るが如くにも聞こえるだろう。ある種の威厳を持って零される許容に、オリビアの指先が、少しだけ揺らぐように槍を握った。
「良いんですか?」
「私はね」
母が望まぬことを、彼女は知った。
けれど――もしも母が望んだとして、誰かを踏み台にした先の彼女がどうなるのかは、想像がつく。
「でもなにも恨めなかった君は、誰かのモノを奪って平気なのかな」
病を治せなかった医者を恨めば良かった。
自分をこんな風に産んだ母を――こうなってしまった運命を、呪えば良かったのに。
行き場のない怨嗟が自分自身を責めたというのなら、きっとその先で、彼女は気付いてしまうだろう。自分が重ねてきた犠牲の重さを、真正面から受け止めようとするのだ。
「それで晴れ舞台に立って、お母さんの役に立ったとして、笑っていられる?」
母のために。
――己のために。
途方もない屍と悲しみを生み続けたことを。その先で笑っている舞台が、今ここに築かれた地獄に勝るとも劣らぬ、凄惨な血の海の中にあることを。
そして己が、その濁った海の中を、どこまでも泳いでいかねばならないということを――。
「ねぇ――後悔しないのかな」
「それ、は」
彼女はもう気付いているだろう。自分が生み出してきた断末魔が、綺麗な歌などではないこと。だからこそ、それを己の歌とする重みを、その槍に感じているのだろうけれど。
「責めたりするつもりはないよ」
放たれる閃光が、轟く雷を跳ね返す。垂れ込めた暗雲の中に差す一条のひかりを見つけ出すまで、ロキは神として、その悲嘆と苦しみを受け止めよう。
「ただ、君が哀しむことになるなら、その道は進ませてやれないの」
――だから、今は。
降り注いだ沢山の言葉の中から、本当の願いを見つけて。
「それまでは、堕ちるのを少しだけ止めてあげる」
首輪を課せられたこの身が齎せる僅かなひかりが、その目に届くうちに。
大成功
🔵🔵🔵
鷲生・嵯泉
……相変わらず腐った遣り口な事だ
己の拠り所とするものを失ったお前の痛苦を知る事は叶わんが
――其れだけしかなかったと云う、その在り様だけは解らんでもない
何も遺る事無く、此の手に掴めたのは刃のみ
戦う事でしか護る事も出来ぬ
人の理を外れた剣鬼としての、残り火の生しか此の身には無いと思っていた
だが――残ったものは、本当に他に何も無いのか
見られる眼も、支えられる手も、歩み寄れる脚もまだ在る筈
母親とてお前が愛しいからこそ、自身を責める姿を見たくはないのだろう
大切なものには……唯幸せで在って欲しいもの
話す事の叶う内に戻る事だ
――剔遂凄氷
戦闘知識と第六感に拠り攻撃起点と向きを先読み見切り
反す刀で斬り払うとしよう
●
絶望の傷に付け入り、その心を二度目の痛みに叩き落とすという。
「……相変わらず腐った遣り口な事だ」
地獄の土を重い音が踏みしめる。軍靴の踵を鳴らし、抜き放つ白刃に顰めた眉根を映し、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は顔を上げた。
歌を思い出し、その先に手を伸ばして尚、少女の槍は未だ手にある。
見返す眼差しの真摯さを見れば、そこに狂気は片鱗もない。眸を見返す嵯泉の成すべきは、新たな一歩に踏み出さんとするその背を押すことだ。
「己の拠り所とするものを失ったお前の痛苦を知る事は叶わんが――其れだけしかなかったと云う、その在り様だけは解らんでもない」
幸福は全て灰と潰えた。愛しいひとの命を見送った後に、手に遺っていたのは一振りの刃だけだった。
だから、それが残り火の成せる全てだと思った。
戦うことしか出来ないから、戦うことだけを成す。この身が理を外れた剣鬼となろうとも、その果てに誰かが救われているのならば構わない。
そうして、己の全てを灰にするはずだった。
「だが――残ったものは、本当に他に何も無いのか」
己の手を見る。
全てを喪って尚、気付けば手放すことの出来なくなったものがある。全てを棄てたはずのこの身にも、願い祈られる命が未だ残っているというのなら――。
まして、愛される彼女に、何もないはずがない。
「見られる眼も、支えられる手も、歩み寄れる脚もまだ在る筈」
一歩を詰める隻眼を、少女はじっと見返した。手にある白刃を一瞥した彼女が、まだ幾分の憂いを抱えているのに目を眇めて、嵯泉はもう一つ声を重ねる。
「母親とてお前が愛しいからこそ、自身を責める姿を見たくはないのだろう」
――それが、この場で重ねられた問いの答えだった。
命を奪い、他者を虐げて生まれる歌を喜びはしないのも。別人の声で奏でられる旋律が認められないのも。
そのままの己で良いのだと、笑っていてくれるだけで良いのだと――誰もが手を差し伸べたのも。
「大切なものには……唯幸せで在って欲しいものだ」
このひとに――どうか不幸の訪れぬように。
嘗て在ったものを、そうして想った。今ここに在るものを、そうして想っている。誰もがそうして――誰かを慈しむことを知っている。
穏やかに揺らいだ声に槍を手放した少女が、ゆっくりと顔を上げた。
「私、お母さんに会いたいです。今の声を、聞いてほしくて。今までみたいに歌えなくても――謝りたい」
「――ならば、話す事の叶う内に戻る事だ」
伝える言葉の在る裡に。
振り上げた刃に纏う氷獄は、宿した想いの熱さを知らしめるために。彼女の心が定めた道に、花の咲くように。
躊躇なく、少女に戻らんとするオウガの体を斬り裂いた。
大成功
🔵🔵🔵
第2章 ボス戦
『ホワイトアルバム』
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POW : デリシャス・アリス
戦闘中に食べた【少女の肉】の量と質に応じて【自身の侵略蔵書の記述が増え】、戦闘力が増加する。戦闘終了後解除される。
SPD : イマジナリィ・アリス
完全な脱力状態でユーベルコードを受けると、それを無効化して【虚像のアリス】から排出する。失敗すると被害は2倍。
WIZ : イミテイション・アリス
戦闘力が増加する【「アリス」】、飛翔力が増加する【「アリス」】、驚かせ力が増加する【「アリス」】のいずれかに変身する。
👑11
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●
人魚の鱗が解けて、地に足をついたオリビアが頽れる。未だ夢と現実の狭間を彷徨う眸に向けて、一人の猟兵が手を伸ばせば、おずおずと握って立ち上がる。
ようやっと瞬いた少女は一度、深く深く頭を下げた。持ち上げた顔は、年頃の娘らしくはにかんで、猟兵たちへと親愛の一歩を進めた。
「あら、お話出来るようになったのね」
――不意に響くその声は、全くの無垢を孕んだ。
オリビアが身を竦める。慌てて駆け寄る彼女を背に隠す猟兵がいて、もつれ転びそうになる彼女の手を支える者があるだろう。
そうして離れていく距離を、白い娘は埋めようともしない。
「思い出さない方が良かったって、思わなくなったのね。凄いことだけど、まあ――約束は約束だから」
ページを繰る指先はどこまでも穏やかに。猟兵たちを見渡す視線に敵意はなく。
「あなたたちのことも、一緒に食べてあげるね」
猟書家ホワイトアルバムは、ただそうとだけ笑った。
※プレイングの受付は『11/16(月)8:31〜11/19(木)22:00』とさせて頂きます。
蘭・七結
〇
おかえりなさい
無事に、戻ってきてくださったのね
此処から先はあなたの意思に委ねましょう
共に往くのならば、ご無理はなく
ご機嫌よう。無垢なるお嬢さま
あなたは幾人のいのちを屠ったのかしら
そして、お生憎さま
此処で喰われるつもりはないわ
あなたの純白に塗り潰されずとも
わたしたちは、わたしたちの彩を持っている
全てが白に呑まれてしまうのなら
その白を、斬り拓くちからで去なしましょう
白は、すきよ
こいしいと感じるほどに
けれどもそれは、あなたの彩ではない
番う幽世蝶の護りのひかりを纏い
共に立ち向かうあなたの身へも注ぎましょう
絶ち斬り、新たに結ぶ黒鍵の刃
無垢なる白のいろを薙ぎ払ってゆく
先へと往きましょう
わたしも、あなたも
●
「おかえりなさい」
オリビアの耳にまず届いたのは、嫋やかで優しい声だった。
「無事に、戻ってきてくださったのね」
花ひらくようにわらう蘭・七結(まなくれなゐ・f00421)の眸につと視線を結んで、オリビアもまた微笑んだ。
差し出された糸を手繰って、少女はここに戻って来た。もう一度下げた頭は、けれど敵前だから早くに持ち上がって、はっきりと意志を結ぶ。
後ろに下がるのではなく――引き上げてくれた皆の横で、一緒に戦うこと。
七結はそれを止めない。或いはその身が傷付くかもしれないと分かっていても、芽生えたひかりに蓋をするようなことをする気はなかった。
「ご無理はなく」
それだけ零された一言に、オリビアは浅く頷いた。
その目をじっと見返してから、七結は一気に足へ力を込める。
「ご機嫌よう。無垢なるお嬢さま。あなたは幾人のいのちを屠ったのかしら」
「覚えてないよ。わたしは全部、記憶も姿も真っ白だもの」
「そう」
肉薄する少女の眸はどこまでも透き通るよう。何の色も宿さぬそれに一度目を眇めて、七結の手の内で刃が翻る。
本の表紙にぶつかった一撃目が弾かれるのは織り込み済みだった。ちいさく笑うホワイトアルバムは、悪戯めいた声で囁く。
「食べられてくれる?」
「お生憎さま。此処で喰われるつもりはないわ」
その声は鋭利に、手の中の黒き刃が如くにひらめいた。
――白は、すきだ。
まなに結んだ祝愛のいろ。無し色に零されたひとつ、彼女をかたどる戀し色。忘れ得ぬその色彩は、けれど眼前の白とはおよそ似ても似つかぬそれだ。
あたたかさの欠片もない押しつけの白に、愛は宿らない。
「あなたの純白に塗り潰されずとも。わたしたちは、わたしたちの彩を持っている」
「あら、そう。残念」
後ろの少女ごと喰らおうとする白の一撃は、ひかり纏う蝶がふたりぶん遮る。殺しきれなかった勢いを受け止めるのは、先に見た――けれどそれよりもずっとちいさく、優しい泡。
振り返ればオリビアが笑う。人魚姫の残滓が、いまは味方となって背を守った。少しだけ汗を浮かべた顔に、七結は思わずわらう。
隙は見せない。迫る白を黒鍵の刃でいなし、そのまま一足飛びに懐まで潜り込めば、見開かれたホワイトアルバムの眸はすぐそこに。
翻るのは縁刻む黒。全てを呑み込まんと迸る残酷ないろを切り拓き、この足を前へ進めるための刃。
深く深く突き立てるそれに、今度こそ容赦はない。悲鳴も、歪む顔も、だれかを喰らい得た偽りの仮面なれば――。
悪しき縁を絶ち切って、無垢なる白を塗り替えてゆく。
「先へと往きましょう。わたしも、あなたも」
凜と響くその声に、確かに背の少女が頷いたのを、七結は感じた。
大成功
🔵🔵🔵
ハイドラ・モリアーティ
【BAD】
胸糞悪ィなァ
俺の嫌いなタイプナンバーワンって感じだ
「食べてあげる」?誰が食べてくださいってお願いしたんだよ
責任転嫁も大概にしなって話
テメーの胃袋くらい管理しろ。獣じゃあるまいし
いいや、――獣以下だったか
エコー、頼みがある
俺の前からアレ消してくれ
お前の剣に毒――俺の血塗ってやるよ
【LONELINESS】だ
頼むよ。俺の海賊さん
あんたの女のワガママさ
粒子レベルで脆いだろ?
一撃でどこまで消し飛ぶかな
種明かしの時間だ、全部台無しにしてやるよ
不快なんだよな。純粋に
善人みたいなツラで
それが一番でしょうって言いやがって
――オリビア、お前もアリスなら
……元アリスからの忠告だ
「じぶん」だけは大事にしなよ
エコー・クラストフ
【BAD】
ふぅん……ハイドラがそんな風にオブリビオンに怒ってるの、初めて見たかも
あぁ、何も問題ないよ。ボクの嫌いなタイプナンバーワンはいつだってオブリビオンだからね
了解。穢らわしいオブリビオンは皆殺しだ
……ハイドラの血か。すごい威力だね
でも武器とはいえ、ハイドラにあんまり血を流してほしくはないな
だから、節約しようか。より重く、より深く斬り込んで奴の身体の奥深くに毒血を送り込めば……より早くその身体も崩れ落ちるだろ
さっきのアリスを狙わせるつもりもない。ハイドラもアリスも、無駄な血は流させない……食べたければボクの肉で我慢しろ
お前が食えば食うほど強くなるように、ボクは食われるほどに強くなるぞ!
●
思わず舌打ちした。
「俺の嫌いなタイプナンバーワンって感じだ」
低く漏れる声も、あからさまに眉間に寄った皺も、どうにも見慣れないものだったから――。
エコー・クラストフ(死海より・f27542)は、隣に立つ大切なそのひとの顔を、どこかきょとんとして見遣った。
一方のハイドラ・モリアーティ(Hydra・f19307)はといえば、表面を繕うことも、或いは己の感情を仕舞うことも出来ないほどには苛ついていた。爪でも噛み出しかねない程度には。
そういうとき、自分自らナイフを振るって死んでも殺す、生き返るから――なんてことをしなくても良い理由は忘れていない。一周回って冷静になるとはこのことか、それとも隣に立つ海賊が、心の中でずっと大きくなってしまったせいか。
「エコー、頼みがある。俺の前からアレ消してくれ」
――食べてあげる、だってさ。
食べてくださいって土下座したわけでもないのに偉そうだこと。自分の胃袋も管理出来ない獣以下の代物のくせ、尤もらしい責任転嫁だけはお得意と来た。
馬鹿にしてくれちゃって。
「頼むよ。俺の海賊さん――あんたの女のワガママさ」
囁くように紡いで深海の眸を見れば、エコーはほんの少しだけ相好を崩した。
オブリビオンに怒りを露わにするハイドラなど見たことがなかった。どちらかと言えば、彼女はエコーにとっては理解不能なまでに『外側』を気にする。まあまあ、どうどう、落ち着けよ――と、傍にいる間は大抵彼女を諫めて宥める側だ。
それが、今目の前で、こうして感情を爆発させている。『可愛らしい』我儘が付いてくるとなれば、死した少女がそれを受け止めぬはずがない。
「了解。穢らわしいオブリビオンは皆殺しだ」
――何も問題はない。
――ボクの嫌いなタイプナンバーワンはいつだってオブリビオンだからね。
自身の手で迷いなく切られたハイドラの手首から、赤く血が伝う。エコーが握る剣に塗りたくれば、即席の猛毒剣の完成だ。
「そのくらいで良いよ」
「もっとサービスしてもいいけど」
「大丈夫」
ぬらぬらと赤く光る剣に目を眇めて、エコーがそっと制止の言葉を零す。視線だけで見上げる愛しいひとに頷いて、彼女の唇は低く声を漏らした。
「仕留められる」
姿は即座に消えた。
無抵抗の白い少女に刃を振り下ろす。躊躇のないそれが体を引き裂いた。煩わしげな悲鳴一つでいなしたホワイトアルバムの体は、けれどすぐに異変を訴える。
――その愛らしい少女の仮面が、ぐずぐずに崩れ出す。
粒子となって分解されていく猟書家に、エコーは少しばかり目を見張った。凄まじい力だ。己一人ならば、斬り伏せることは出来てもこうはいかない。
「ふふ――面白いね、それ」
けれど、白い書は持ち主の死を食い止めた。
新たな少女のかたちが生まれ、再び斬られて消えていく。その狙いがオリビアとハイドラであると分かっているからこそ、エコーの斬撃はより深く、重くなる。理由は単純だ。たとえ一滴であっても、ハイドラには多くの血を流して欲しくない。
数多の刃に晒されながら、崩壊する幾つめかの少女のかたちは口を開いた。
「どうしてそんなに怒るのかな。辛い記憶なら思い出さない方が良いでしょう? 辛いことを二回も三回も繰り返すなんて、どうかしてるわ」
「はあ、どーも」
――これが地雷って奴か。
吐き捨てるような声はどこまでも刺々しい。再びの舌打ちと共に指を鳴らせば、これが種明かしというものだ。
「不快なんだよな。純粋に」
軽々しく言いやがって。吹き飛んじまえば良い。
「善人みたいなツラで、それが一番でしょうって言いやがって」
「事実じゃな――」
嘲笑うように開く唇を剣が撫でる。引き裂かれた少女の向こうで、エコーの眸がぎらぎらと憎悪を滾らせているのが見える。
「無駄口を叩くな」
再生するホワイトアルバムが、別のかたちを構成する前に牙を剥いた。狙う先のオリビアが鋭い声を上げるより先、死者の左腕が突き飛ばすように庇う。
――無駄な血を流させるつもりはない。
それはハイドラに限ったことではなくて、その隣の少女もまた、同様に。
「食べたければボクの肉で我慢しろ。お前が食えば食うほど強くなるように、ボクは食われるほどに強くなるぞ!」
吠えるエコーの刃が重みを増して振り下ろされるのを、どこか清々しい気分で見送りながら、ハイドラはそっと少女に向き直った。
これから自分の扉を探し、この世界を彷徨うアリスへ。
「――オリビア、お前もアリスなら」
元アリスが出来る、たった一つの忠告だ。
「『じぶん』だけは大事にしなよ」
手首を伝う深紅が既に流れないのを見遣ったオリビアは、唇を引き結んで頷いた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
キトリ・フローエ
○◇
オリビア、大丈夫よ
あたし達がついてるわ
オウガなんてやっつけてお母さんの所に帰りましょう
お母さんもオリビアのことを待ってるわ
オリビアを鼓舞しつつ
もしも戦う勇気が持てたなら一緒に戦いましょう
それでも彼女を危険に晒したくはないから
庇える程大きくはないのが残念だけれど
せめて代わりに攻撃を受けられるように立ち回るわ
ここには皆がいるし、あたし、空を飛ぶのには自信があるの
だからホワイトアルバムがどんなアリスに変身しようと怖くはないわ
思い切り驚かされたらすごくびっくりしちゃうかもしれないけど…
でも、怯んだりなんかしないわ!
攻撃は破魔の力を込めた全力の夢幻の花吹雪で
あなたが食べたアリスの魂ごと浄化してあげる
エドガー・ブライトマン
〇◇
オリビア君、気を付けて
私の後ろに下がっていればいいさ
脚を得たばかりの人魚は歩くのが大変だと聞く
だから無理しなくっていいよ
後ろから、ほんのすこし私の支援をしてくれればいい
ホワイトアルバム君といったっけ
私も記憶が欠けていても、毎日楽しいよ
でもキミのことはキライだ
ひとの記憶は大切なものなんだ
そのひとの過ごした時間、考え抜いた先の思い、すべてが詰まっている
それを軽んじるキミを、私が罰してあげる
“Hの叡智” 攻撃力を重視する
失われない、私の国への敬意が私を強くする
この矜持の剣をキミから逸らさない
攻撃は《激痛耐性》で耐えてみせ
好機を逃さず《捨て身の一撃》
負けられないよ
『記憶』を軽んじるキミには、特にね
●
ぐずぐずに零れた体から指先が伸びる。スプラッターめいた光景から逃れるようにして、オリビアが思わず一歩を引いた空白を、真っ直ぐに伸びた背筋が埋めた。
「オリビア君、気を付けて。私の後ろに下がっていればいいさ」
まさしく王子の微笑と共に、勇ましい晴天が雲を払う。
エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)の金の髪を目にして、オリビアの唇がはくはくと声にならない言葉を紡ぐ。
――王子様。
「オリビア、大丈夫よ」
その耳に囁く声は、今度はその体に違わずちいさく、そして優しく。
「あたし達がついてるわ。オウガなんてやっつけてお母さんの所に帰りましょう」
釣られて視線を向けた少女が、妖精さん――なんて目を丸くするものだから、キトリ・フローエ(星導・f02354)は思わずちいさく笑ってしまった。
助けてくれる王子様と励ましてくれる妖精さんなんて、きっとお伽話のようだ。ぱちりとウインクをひとつ。
「お母さんもオリビアのことを待ってるわ」
頷いた少女が足を踏み出そうとして、急に残骸から『新しい』かたちのホワイトアルバムが現れるものだから、その足がぐらつく。慌てるキトリのちいさな手が伸べる気遣いを補佐するように、体を支えるのはエドガーの方だ。
「ああ、脚を得たばかりの人魚は歩くのが大変だと聞く。だから無理しなくっていいよ」
「もしも戦う勇気が持てたなら、そのときは一緒に戦いましょう」
勇ましく剣を振るうのは王子様の仕事で、道しるべの花を咲かせるのは妖精の仕事だから。
守られるべきちいさなお姫様は、声援とほんの少しの支援をくれれば、それで良い。
震える足で、それでも立ったオリビアに笑いかけて、二人は同時に前を向く。
庇うには体の小さすぎるキトリに代わり、エドガーが盾を請け負うように真っ向切り込む。その剣戟を躱して浮かび上がるホワイトアルバムへ、許さないとばかりに夢幻の花弁纏う妖精が阻んだ。
舞う光は破魔の力。数多の魂を喰らい、その皮を被る悪辣なオウガを、裡側へと閉じ込められてしまった無数のアリスと共に葬るものだ。
無辜の魂は静かな眠りへ。それを食い物にする獣は、痛みと拘束を。
視界を奪われ動きを止めた隙を、エドガーが逃すはずもない。
「ホワイトアルバム君といったっけ。私も記憶が欠けていても、毎日楽しいよ」
「奇遇ね。そうでしょう?」
「でもキミのことはキライだ」
翻る刃は誇りの証。彼の握る武力は、王となるため生まれ、王として生きる矜持の元に振るわれる。
「ひとの記憶は大切なものなんだ」
――己の虫食いを知っているからこそ、強くそう思う。
過ごした時間と、考え抜いた想いの全てが詰まっている。目に見えぬからこそ、目に見えるどんなものよりも重いそれは――だからこそ、失うことを恐れるのだというのに。
「それを軽んじるキミを、私が罰してあげる」
深呼吸はひとつ。ふたつの眸を瞬かせて、みっつ祖国の名を唱える。
数多を取り落とし、なお忘れ得ぬ祈りと矜持と願いの先に、蒼天は煌めいた。白く全てを呑み込もうとする力がこの身を抉ろうと、エドガーの足は止まらない。張り巡らされる音符の形をした障壁は、その暴力的な色の前には焼け石に水だけれど――確かに、この胸に抱くものを強めるのだから。
祖国への敬意は、同時に人間への礼賛でもあり続けるのだから。
赤く地に飛び散るそれを心配げに見遣るオリビアの近くへ、ふわりと飛び寄ったキトリが笑う。
「大丈夫。あの人だって、皆だって、強いわ。それにあたし、空を飛ぶのには自信があるの」
剣戟のただなかへと飛び込むようにして、けれど彼女の狙いは別だ。飛び回るちいさな妖精へ、知らずホワイトアルバムが意識を逸らした隙へ、鋭利な先端が差し込まれる。飛び散る紅と同時、煩わしげな息を漏らしたオウガが、不意にキトリの眼前へと崩れた顔を露わにした。
ちいさな悲鳴と共に制御が崩れる。すぐに立て直そうとする体めがけて白が迸るのを、無数の泡が遮る。
思わず振り返ったキトリと、安堵したように笑うオリビアの目が合うから――。
「――ありがとう!」
笑みと共に零される確かな謝意を受け、アリスの少女は大きく頷いた。彼女が戦えるというのなら、その心を無駄にすることなど出来はしない。
再び飛び立つキトリに、眉根を寄せるのはホワイトアルバムだ。
「本当、一筋縄じゃいかないんだね、猟兵は」
面倒だとばかりの言葉を冴えたレイピアの軌道が遮る。
「負けられないよ。『記憶』を軽んじるキミには、特にね」
鋼の如き闘志を宿し、澄み渡る空のいろが、笑みなく声を零した。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
鏡島・嵐
○
結局、声までは元には戻らなかったんか。
……うん、少しだけ残念だし、正直悪ィことしたかなって気ィする。「めでたしめでたし」とはなかなか上手くいかねーよな、世の中ってさ。
でもお袋さんと向き合って、歌うコトを諦めねえで生きていってくれるんなら、おれからはこれ以上、何も言わねえ。
もういっぺん試そうかとも思ったけど……その様子じゃ、必要無ぇかな?
あとは、猟書家の方だな。怖ぇけど、ここで踏ん張らねえと。
可愛い恰好していても、中身は鬼と変わんねえよな。
おとぎ話のセオリー通り、悪ィ鬼にはお仕置きしねーとだ。
アンタらみてえな連中にとっちゃ、まともに戦うのが覚束なくなるくらい痛ぇからな。覚悟しとけよ。
●
喉をさする指先を見遣って零す声は、少しだけ悲しげな色を帯びた。
「結局、声までは元には戻らなかったんか」
鏡島・嵐(星読みの渡り鳥・f03812)の金の眼差しを、オリビアの眸がはたりと見上げた。その視線に苦いものが混じった笑みを向けて、彼は一つ目を伏せる。
望んだ通りの結末にはならないかも知れない――。
承知の上で結んだ、ある種の賭けだったというのは分かっているけれど――だからといって、ああそうかと納得出来るものでもなかった。落胆が心の一部に巣食うことを止め用はなかったし、罪悪感はずっと重く心を覆う。
嵐の眸を見遣って、少女は口を開いてちいさく咳をした。唇の前で人差し指を斜めに重ねる。それから、苦笑と言うには柔らかな色で、そっと喉に触れた。
――まだ、喋り慣れなくて。
だからこの後、ゆっくり練習します――とは、続ける余裕も、伝えるすべもなかったけれど。
オリビアの眼差しには確かな光が宿っているから、嵐も頷いた。
「お袋さんと向き合って、歌うコトを諦めねえで生きていってくれるんなら、おれからはこれ以上、何も言わねえ」
肩の力を抜いて、今度こそ笑みを描く。それがどんな色をしていたかは自分では見えなかったけれど、声音は確かに柔らかく響いた。
「『めでたしめでたし』とはなかなか上手くいかねーよな、世の中ってさ」
――でも、頑張ります。
確かに訴える眸に浅く頷いた。その意志さえ心に抱いてくれるなら、後は――。
向き直った先で、白い少女が小首を傾ぐ。この場にある少女の肉を狙う彼女の眼に、心の底から怖気が走るのを感じた。
それでも――嵐がここを退けば、今すぐにでも、オリビアは肉塊に変わると確信している。
庇うように一歩前に出る。震える足と荒くなる呼吸を、深く吸う息と滾る闘志に隠して、少年はそれと悟られぬように歯を食い縛った。
「可愛い恰好していても、中身は鬼と変わんねえよな」
「そうかな。わたしからすれば――あなたたちの方が鬼みたいに見えるわ」
指先は邪魔者を退かすように。開かれる本は白く邪悪な気配を漂わせ、ホワイトアルバムの顔が僅かに『誰か』のそれと混ざり合う。
「忘れた方が良いとは言わないけど、忘れたなら思い出さない方が良いに決まってるじゃない」
――辛いのだから。
事もなげに吐き出されるその台詞に、嵐が答えとしたのは、返す一撃だった。
突き出す針はオリビアに向けたそれと同じ。異常を穿つその針は、けれど存在そのものを異常と成すオウガにとっては、肉を断つ刃よりも鋭い一つとなる。
「アンタらみてえな連中にとっちゃ、まともに戦うのが覚束なくなるくらい痛ぇからな」
お伽話のセオリー通り――悪い鬼には泣くほど辛いお仕置きが必要だ。
「覚悟しとけよ」
低く零れる声と同時に、少女の悲鳴が高く響いた。
大成功
🔵🔵🔵
リゼ・フランメ
全てを真っ白に、なかった事になんて出来ないの
自らの祈りの記憶を喪う事も
胸に宿った願いと感情を消し去る事も
憧れという光と、罪という闇も同様
「貴方が幾ら姿を変えようと、人喰の罪と性は消えないように」
その罪咎、此処で斬りて焼かせて貰うわ
少女の肉を食べるのなら、その一瞬を狙いましょう
食らい付く瞬間は、必ず隙が生じる
手を動かし、口を開いて、囓り付く瞬間を見切り、相打ちで構わないと苛烈に、早業で繰り出すは劫火剣エリーゼの斬撃
この眸の前で新たな人喰の罪は赦さないと
続く焔蝶の群れで、その顔を、口を唇を、歯を焼き払い
「忘却された貴女の罪を、炎の裡で浮かび上がらせましょう」
ラメント――悲歌を手繰った鬼は炎にて葬る
●
過去は過去であり、事実は事実だ。
忘却とは人の得た生存のための能力である。都合の悪いことを広大な海へと流し、良いことだけを抱えて生きる。そうせねば心が壊れてしまうから。
それでも――記憶から消すことが出来たとて、『あった』という過去はなくなったりしない。
祈りの記憶は、それがどれほど絶望的なものだったとしても、その心の奥底で燻り続けるだろう。胸に宿った願いと感情が、決して白く塗り潰されたりはせぬように。
憧れという光がそうであるというのなら――。
――罪という影もまた、同様に。
「貴方が幾ら姿を変えようと、人喰の罪と性は消えないように」
リゼ・フランメ(断罪の焔蝶・f27058)は、うたうような声で前に出る。踊るように地を踏む焔蝶の静謐な爪先に、オリビアはちいさく唾を飲み込んで、自ら後ろへと下がっていく。
構えた真白の刀身が、赤く断罪の焔を纏う。煌々と照らされる業火の眸は、しかし静謐ないろを湛えた。
「――その罪咎、此処で斬りて焼かせて貰うわ」
「罪も咎も覚えてなくても?」
「ええ。記憶に拠りて在るのではないの」
「そう」
笑うホワイトアルバムが、さらりと白本のページをなぞる。
「書いてあることは増えそうね」
地を蹴ったのは同時。ホワイトアルバムの指先はリゼを喰らうために動き、リゼの刃は一拍遅れた。
最初から、そういう風に――踊るつもりでいたのだから。
喰らうという動きが分かっているのなら、そこに必然、隙が浮かび上がるもの。視線は品定めをするように。指先はこの身を捉えるように。唇は歯を見せるように。その全てが克明に見えている。
なればこそ――。
腕を狙い、伸びる手には構わない。交錯する体とその刹那、刃めいた歯が肉を僅かに抉る。痛みは灼くように身を巡れども、リゼの眸に燃える業火は絶えることなく。
――この眸の前で、新たな人喰の罪は赦さない。
深く深く、返しの刃は胴を抉る。真白が赤く染まるのは、少女の皮を被った悪鬼が零す血によるばかりではない。一斉に飛び立つ燃える蝶が、あかあかとその本性を映し出す。
「忘却された貴女の罪を、炎の裡で浮かび上がらせましょう」
何者も食らえぬように唇を焼き、何者にも見せぬように顔を炙り、何者をも噛み砕けぬように歯を溶かす。獄炎の断罪に響く悲鳴は、しかしそれが鬼であらば相応しい結末だ。
悲歌を手繰り、喰らい、踏み躙る鬼は――全てを灰と帰す焔にて葬り去るのみ。
静謐にくゆる夢と祈りの焔は、今はただ、眼前にて全てを食い潰し嗤う獣の命を引き裂くためだけに。
大成功
🔵🔵🔵
シキ・ジルモント
○◇
オリビアが加勢をしてくれるなら、大丈夫かと一度確認
オウガとなっていた身体に負担はかかっていないだろうか
それでも戦うなら背に庇いつつ後方支援を頼む
猟書家のオリビアの捕食を警戒、間に割って入るように動き、カウンターで銃撃を叩き込んで妨害する
現実を知ってなお戻ると決めた、彼女の覚悟を無駄にしない為に
交戦開始直後は、あえて単発の射撃で攻めてみせる
一箇所だけを防御すれば捌けると思い込ませて油断を誘い、隙を見せたらユーベルコードを発動
今度は狙える限りの部位を連射によってほぼ同時に撃ち対応を遅らせ、攻撃を通したい
オリビアは必ず家族の元へ帰す
…家族を失う事は、存在意義を失う事と同様に、辛いものだろうからな
スキアファール・イリャルギ
〇◇
オリビアさんを背に庇いオーラの防壁で包む
……大丈夫
これから辛いことが何度起きようが
あなたには帰る場所がある
声が無くとも、戻らなくとも
きっと笑って生きていける
だから帰りましょう
扉を見つけて――大切な人の元へ
(ひかりがオリビアへ寄り添う
声は無いけれど、大丈夫だよと励ますように優しく瞬く
あなたが奪う側にならずに済んでよかったと、思い乍ら)
私は――"私たち"は、護りましょう
『アリス』だった者として
オウガの成り損ないとして
前に進む覚悟を持ったあなたを
――行こう、コローロ
オウガに何を言われようとも、私たちは迷わない
侵略蔵書を呪瘡包帯で厳重に縛り呪詛で浸食し
きみの突進と私の霊障で、オウガをぶっ飛ばす!
●
負傷と消費した姿を埋め得るものは、ここには一つしかなかった。
剥かれた鋭い牙に身を竦める少女を背に庇い、影は人の形をして笑った。暖かなひかりの防壁は、その中に匿われる彼女を確かな温度で堅固に守る。
「……大丈夫」
ゆるゆると零したスキアファール・イリャルギ(抹月批風・f23882)の声は、戦場には似つかわしくないほどに静かだった。
その静謐を守るのは銃声だ。執拗に少女の血肉を求めるホワイトアルバムの目論見を阻まんと、前に出た人狼が引鉄を引く。
シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は多くを語らない。
元より寡黙な彼は、彼女へ語りかけんとするスキアファールを一瞥して、すぐに一歩を進めた。血眼になって手を伸ばすオウガの手からオリビアを引き離すために、握り慣れた銃は最適な道具だからだ。
吐き出した銃声は一つ。容易に防がれるということすらも、彼は計算の裡に入れている。
あくまでも今は牽制が目的だ。勝ち筋を探る冷徹な傭兵の眼差しは、寸分違わず指先を払い、襲い来る白を掻き消していく。
――シキがそうして前へ出てくれるからこそ、スキアファールも憂いなく声を続けることが出来る。
「これから辛いことが何度起きようが、あなたには帰る場所がある」
それは何たる僥倖だろう。
彼女は誰しもに不気味がられたわけでも、誰しもに排斥されたわけでもない。母は彼女の帰りを待ち続けているだろう。そうしてひたむきに頑張っていた彼女を応援してた友人たちは、掠れて発せぬ声とて受け入れて笑ってくれるだろう。
その温もりは――。
思い出さなくても良いようなものでは、決してない。
「声が無くとも、戻らなくとも、きっと笑って生きていける」
――だから帰りましょう。
「扉を見つけて――大切な人の元へ」
語らう声に頷くオリビアへと、そっと声なきひかりが寄り添った。ずっとずっとスキアファールの歌を聴いていたちいさなひかりは、笑むようにオリビアを見た。
――彼女には、そういう風に思えた。
声なき輝きが静かに温もりを伝えて来る。煌めきに照らされながら、明滅する『彼女』へ伸ばしたオリビアの指先を、包み込むような熱がある。
――あなたが奪う側にならずに済んでよかった。
その言葉の重みが、少女の胸を衝く。ゆるゆると力を抜いた彼女は、己を守る暖かなひかりに導かれるように、そっと一歩を踏み出した。
前に立つのは、膠着状態の戦場を抜け出したシキだ。
一瞥する眸は揺らがず、けれど少女には分かっている。低く、鋭利にも聞こえる短い言葉に、大きな心配が詰まっていることが。
「大丈夫か」
オウガとなっていた体には少なからず負担があるだろう。見目に傷付いた気配はないし、血のにおいも嗅ぎ取れないけれど――それは決して、体への負荷を正確に示すものではない。
けれど、オリビアはゆっくりと頷いた。眸に宿る色は確かな決意に満ちていて、故に彼はそれ以上の言及をせず、背に隠れているようにとだけ告げて再び戦場へと舞い戻る。
「オリビアは必ず家族の元へ帰す」
――現実を知って、それでも帰りたいと言った。
その覚悟を無駄にはさせない。思い出して尚も想いを募らせるほどの家族を、決して喪わせたりはしない。
それは。
存在意義を失うことと同じように、耐えがたい苦しみを生むから。
脳裏に過るものを振り払い、今度こそ連続で引いた引鉄が銃弾を吐き出す。一箇所を守れば勝てると思ったのが運の尽きだ。翳した侵略蔵書に守られぬ腕が、足が――銃弾に体勢を崩した刹那を、スキアファールは見逃さない。
「――行こう、コローロ」
私は――。
――『私たち』は。
かつてアリスであった者として、或いはオウガと堕ち損なった者として――今を生き、前に進むアリスを護り抜く。
ひかりは頷いた。重なった光と影がゆらりと揺れて、唸るように吠えるホワイトアルバムを睨む。
「ああ! もう! 皆、皆、失敗した癖にッ!」
――その負け惜しみに、何を思う必要があろうか。
開かれんとした白本を呪詛の包帯が包み込む。強く縛り付けたそれを浸食して、スキアファールの描く呪いが黒く塗り潰す。
悲鳴じみた絶叫を上げる少女の体に向けて、ひかりがいっそう強く煌めいた。質量を持ったそれがぶつかると同時に、その衝撃を殺しきれなかった体が倒れ込む。
その――。
大きな隙を目がけて。
吹き飛ぶように跳ねる頭に向けて放たれた最後の銃弾が、断末魔すらも穿つが如くに轟いた。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
兎乃・零時
心結(f04636)と!
詠唱含め○
あれ?心結もいたのか‥そいつぁ心強いぜ!
当然!
…オリビア
やりたい事
決まったんだろ
なら――望んだのなら、行動すべきだ
その為の道を
お前の母に至る帰り道を
俺達が、創る!
良いなそれ
歌ってくれりゃ百人力だ!
詠唱しながら援護射撃
だが敵が彼女ら狙うなら
手ださせるとでも、思ったか
喰わせるかよ
【激痛耐性×気合×捨て身の一撃】で相手の攻撃と己で無理やり受け止め
詠唱完了
UC グリッター
物体変質〖輝光〗
絶対、なぁ!
己自身を光に変え
装甲捨て
速度を上げる
気にすんな心結!
護りきるさ!
心結も
オリビアも
丸ごと全部!
ぶっ飛びやがれ、猟書家ぁ!
【全力魔法×限界突破×貫通攻撃】!
〖輝光閃〗!
音海・心結
零時(f00283)と
〇
――ねぇ、
零時ひとりだけだと思っていませんか?
みゆもいますよ
この子はオリビアとゆうのですね
無事に返しましょう
母親の元へ
ね、ねっ
みゆたちの為に歌ってくれませんか?
例えうまく歌えなくてもよいのですよ
歌は声じゃない
心で歌うのですから
【手を繋いで】から戦闘にゆきましょう
敵を【誘惑×残像】で翻し
時を見て攻撃をしかけましょうか
一発は弱くても確実に体力を減らしましょう
大きな一撃は零時に任せるのです
……っ!
れ、零時……!
ありがとですよ
守られるのが擽ったくて小声になってしまう
でも嬉しくて、すごく嬉しくて
友情って素敵ですね
本音が零れ
このかけがえのない友を守るためにも
みゆ「たち」は負けません
●
――ねぇ。
ふと聞き慣れた声を聞いた気がして、兎乃・零時(其は断崖を駆けあがるもの・f00283)が周囲を見渡した。
「あれ?」
はたり――目が合ったのは、大きな金色の眸をした、ちいさな少女。見慣れたその首が少しだけ傾いで、先に聞いた声と同じように笑った。
「零時ひとりだけだと思っていませんか? みゆもいますよ」
「心結もいたのか……そいつぁ心強いぜ!」
ふわりと踊るような軽い足取りで、音海・心結(瞳に移るは・f04636)が少年に並ぶ。一度目を合わせて、それから眼前で傷を負った猟書家を見――。
心結の眸は、後方の少女へ向かった。
「この子はオリビアとゆうのですね」
「おう」
現れた彼女が味方であると、零時との会話から察したのだろう。視線を向けられたオリビアは、どぎまぎと――けれど怯えることはなく、一つ頭を下げて挨拶に代えた。
笑ってそれに応えた心結の視線が、再び零時を捉える。その仕草だけで分かったのだ。彼女は、前を向いて生きる意志を固めたのだと。
だから――。
「無事に返しましょう。母親の元へ」
「当然!」
頷く零時と共に、今度はおずおずと頭を上げた娘へ近付いていく。真っ直ぐに見据える視線と視線が交錯して、決意を込めて瞬いた少女に、先に声を掛けたのは少年の方だった。
「……オリビア。やりたい事決まったんだろ」
碧玉の眸が静かに声を零す。深く、確かに頷いたオリビアに、憂いも惑いもない。
「なら――望んだのなら、行動すべきだ」
たった一人、この世界を越えていくことは、ひどく恐ろしいことだろう。彼女が辿る道程は、この不思議の国においても、或いはここを乗り越え己の扉を潜ったとしても――遠く、険しいものであることに違いはない。
だとして。
――彼女は独りではないから。
「その為の道を、お前の母に至る帰り道を、俺達が、創る!」
信じてくれと続けることもなかった。強く拳を握ったオリビアは、確かに胸元へと手を遣って、ちいさな笑みを描いてみせる。
――恐怖を握り潰すような仕草に添えるように、その手を包んだ心結を、少女の眸が不思議そうに見遣った。見詰める先の金色が、名案を思いついたとばかりに笑う。
「ね、ねっ。みゆたちの為に歌ってくれませんか?」
「良いなそれ。歌ってくれりゃ百人力だ!」
おずおずと躊躇う指先を、ちいさな手が包む。上手く歌う必要などないし、彼女たちはその声を笑いも撥ね付けもしない。
求めているのは、ただ、ひたむきな心だと。
告げる手に応じるように、オリビアが口を開いた。久しく声を出していなかったが故に、既に嗄れたそれは更にざりざりと、音程すらも危うく知った旋律を奏でる。
――その声を目がけて弾ける白の前に、立ちはだかるのは零時だ。
「喰わせるかよ」
迸る痛みと、噛み殺しきれぬ恐怖が電撃のように駆け抜ける。それでも止めぬ詠唱と折れぬ膝は、後方にて息を呑む二人を、絶対に守り抜くという強い意志と意地が故に。
「れ、零時……!」
「気にすんな心結!」
思わずと声を上げた心結を制すように、振り返った少年が血を拭う。俄に輝く体は、詠唱が完了した証だ。
光へと変わりゆく強い眼差しで、彼は不敵に笑ってみせた。
「護りきるさ! 心結も、オリビアも、丸ごと全部!」
その声が胸を衝く。心の底から込み上がる温もりは心結の胸をこそばゆくくすぐって、けれど自然と唇が弧を描いた。思わず握った手を胸元に当てて、俯きがちに零した声は、いつものそれよりずっとちいさく――けれど確かに空気を振るわせる。
「――ありがとですよ」
その声は、真っ直ぐに敵へと突進する彼に届いただろうか。届かずとも、きっと実感は揃っているけれど――。
「友情って素敵ですね」
思わず零した本音には、オリビアが笑って頷いた。再び声を張る彼女の鼓舞に応えるように、彼を襲わんとする白に向け、心結の手にて銀が光る。
響く歌声の道を切り開くため。このかけがえのない友を守るため。
――みゆは。
みゆ『たち』は――負けられない。
短剣だったそれを抜き放つのと、しなる短い刀身が鞭のそれへと変わるのはほぼ同時。駈ける体は幾重もの影を生み、零時の勢いを殺さんとする奔流が彼へと集中するのを許さない。
その間にもしなる鞭の先端が体を掠めれば、ホワイトアルバムの眉間の皺が増えていく。二人分の全力を一人で捌くなどと、元より無理なことであるのだから――。
眼前に迫った光塊に息を呑んだときには、もう遅い。
「ぶっ飛びやがれ、猟書家ぁ!」
その声を聞くより早く。
少女の形をした悪鬼の姿は、遥か後方へと吹き飛んだ。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
リア・ファル
忘却を伴うほどの絶望を受容れるには、
時が必要な事もあるだろう
無遠慮にソレを暴いて、アフターサポートも無しかい?
キミには、彼女の幸せの欠片と――「母に歌いたい」という、切なる願いは聞えなかった?
その響きが届かないから、キミは白く空虚な過去なのさ
「ヌァザ、リミット解除」
能動的に動くその刹那には、僅かでも力は籠もるモノ
ボクの演算把握で相手の挙動に合わせ、放つはカウンターの一閃
(リミッター解除、カウンター、情報収集、学習力、瞬間思考力)
UC【暁光の魔剣】で斬るのはその白き書物
因果は逆流し、喰らったアリス達の「幸せの欠片」と「明日への意志」が
頁から溢れ、ソレを奪ったキミへと向かうだろう
●
「忘却を伴うほどの絶望を受容れるには、時が必要な事もあるだろう」
受け容れるために誰かの手を必要としたアリスを知っている。それを受け容れることが叶わずに、道を閉ざしたアリスを知っている。この世界に迷い込む者は、誰しもが辛く苦しい記憶を失い、そしてそれを心に再び握るために戦っている。
それを知っているから――。
リア・ファル(三界の魔術師/トライオーシャン・ナビゲーター・f04685)の眸は、睨むように、意志を込めて白い娘を見た。
「無遠慮にソレを暴いて、アフターサポートも無しかい?」
オウガに道理はない。
だとしても、傷に塗れて不機嫌そうに眉を顰めながら、こちらを見遣るホワイトアルバムに問うたのだ。戻る答えなど知っていて――故に、更生の期待など一つもない。寧ろ、その声は断罪をするように響いた。
「キミには、彼女の幸せの欠片と――『母に歌いたい』という、切なる願いは聞えなかった?」
「もう。邪魔ばっかりして。辛い記憶しか持ってないアリスなんて、皆そんなものじゃない」
ある意味では期待通りの声に、リアの指先が肩の猫を撫でる。
――その切実な響きが届かないから。
「キミは白く空虚な過去なのさ」
故に、未来を見ることも、明日を作ることも叶わない。
「ヌァザ、リミット解除」
一声鳴いたその身が飛び降りる。刹那に生まれた剣を強く握って、見据える桃色の眸が一気呵成に踏み込んだ。
この剣は明日を切り開くもの。この身は祈りと願いを背負うモノ――なれば、それを塞ぐ者をこそ、その一閃で切り払うのみ。
白の奔流が身を焼こうとするのは、先の猟兵たちとの戦闘で確認している。詰めた距離で直撃を喰らえば無事では済まないことも分かっている。けれど、その目には既に、僅かな隙が生む死線が映っている。
指先が持ち上がるよりも、振りかざした剣が軌道を描く方が僅かに早い。その侵略蔵書を防御に転ずるため、咄嗟に翳すことも予測済み。
そして――。
本命は、深く剣が切り裂いた、白本だ。
「ひ――な、何――」
不意に恐怖に引きつった表情は、手にした本から溢れる苛烈な光を目にするから。無数の手となって伸びるそれは、深く強い生きる意志――。
ホワイトアルバムの脳裏に濁流が語りかけているだろう。かつて喰らった無数のアリス――今のその見目の者も、きっと混ざっているに違いない。彼女らの描いた幸福の欠片が、絶望の中でも望んだ明日への意志が、その全てを喰らった彼女を喰らわんとする。
振り払えど身を包む光の中で、ホワイトアルバムが悲鳴を上げるのを、リアは静かに見送って、踵を返した。
「キミは、自分が奪ったものに奪われるんだ」
大成功
🔵🔵🔵
天音・亮
良かった、オリビア
きみの本当の声が聴けて
もう心を見失わないようにね
きみの髪を撫でてから
ホワイトアルバムに向き合う
ダメだよ
オリビアはこれからも自分の声で自分の心を紡いでいく
だから、食べさせたりなんてしない
もちろん私も食べられるつもりなんてないよ
思い出さない方がいいと思う記憶は
もしかしたら誰しもにあるのかもしれない
抱えているだけで崩れ落ちてしまいそうになるなら
失くした方が楽なのかもしれない
でも、私は望まない
辛い記憶があったとしても、この記憶があるからこそ
乗り越えたいと
前を向いて駆けていきたいと思うから
──この途、止まれ
アルバムは埋めてこそ、でしょ?
思い出は未来の自分への贈り物だよ
私はそう信じてる
●
ざりざりと零した歌がそっと終わりを告げて、オリビアはひたむきな拍手に顔を上げた。
「良かった、オリビア。きみの本当の声が聴けて」
わらう天音・亮(手をのばそう・f26138)の表情は穏やかだった。そっと伸ばされる指先にくすぐったそうな顔をして、けれど少女はそれを拒まない。
優しく髪をかき混ぜられる感覚に、誰を思いだしたのだろう。慈しむようなそれを存分に受け取って、開いた眸には確かな喜色を宿している。
「もう心を見失わないようにね」
亮が囁けば、ちいさな子供のような顔をしたオリビアは、大きく頷いた。
だから、彼女もまた、目の前で傷に塗れる猟書家へと向き直る。
「ダメだよ」
――オリビアは、これからも自分の声で自分の心を紡いでいくのだ。
その道を閉ざさせはしない。ようやく受け容れられたものを、受け容れたこころを――再び壊させたりなどしない。
「だから、食べさせたりなんてしない。もちろん私も食べられるつもりなんてないよ」
「猟兵っていうのは皆そう言うね。なくしちゃうほど苦しいなら、良いじゃない。なくたってこんなに楽しいんだから」
「そうかもしれないね」
忘れれば幸福になるような記憶なんて、誰もが心の裡に隠している。
瓦礫の街。涙と傷に塗れた友人の顔。横転した車が上げる黒い煙と割れたガラスが、中にいたかもしれないひとの末路を暗示するような、全てを塗り替えてしまったあの日も。
――きみのいのちのひかりが瞬く時間の残酷な終わりを、知ってしまった日のことも。
「でも、私は望まない」
ひとりぶんの手には重すぎて、抱えているだけで膝をつきそうになる思い出があったとしても。不意に蘇って泣きたくなるような想いが、心の底で淀み続けるのだとしても。
その記憶があるからこそ――乗り越え、立ち上がって、前を向いて。
あの日零した涙を、今日に呑み込めるように、天を駆けて行きたいと思うから。
「──この途、止まれ」
囁き声は、遥か大きな歌となって響く。
飛び交う球体が限りなく増幅するその声が、雲を切り裂くように地獄の底を照らした。衝撃波となった音はホワイトアルバムの鼓膜をも打つ。光に満ちた祝福は、悪鬼にとっては脳髄をかき乱すノイズにしかなり得ない。
「アルバムは埋めてこそ、でしょ?」
苦悶の声を上げて蹲る彼女の手より落ちた白い本には、今は一つも記述はない。『自分』では埋め得ない空白は、誰かの希望を失った今、何もかもをなくしてただの本へと戻っていた。
だから。
「思い出は未来の自分への贈り物だよ。――私はそう信じてる」
唇にちいさな笑みを描き、独りごちるように零す声に、オリビアはそっと頷いてみせた。
大成功
🔵🔵🔵
穂結・神楽耶
○
嫌ですねぇ。
煮ても焼いても美味しく食べられないですよ。
わたくし、刃金ですから。
それに心神喪失状態でした約束が有効な訳ないでしょう?
それを許す本ななんて、この世にない方がいい。
この世界は、あなた方猟書家のためのものではないのですから。
ね、オリビア様。
あなたの言葉で、あなたの声で、応援してくださいますか?
それだけでとても強くなれるんです。
きっと、あなたのお母様がそうだったように。
…うん。
聞こえましたよ、あなたの「声」。
おいで、『結火』。
白紙に塗り潰す未来なら燃やし尽くします。
必要なのは灯火。
オリビア様がこれから歩く道を照らすための炎。
真っ白な未来へ行くための、
餞に手向けられてくださいな。
●
「嫌ですねぇ」
軽やかに踏み込む少女の声は、刃のように澄み渡って地獄を裂いた。
携えた本体の冴えを一瞥した穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)の唇が微笑む。眸二宿す苛烈な業火の如き光とは裏腹に、どこまでも声音は凪いでいた。
「煮ても焼いても美味しく食べられないですよ。わたくし、刃金ですから」
「おいしそうに見えるのに。残念」
傷付き果てた少女のかたちが舌なめずりをする。その無垢なる本性を隠さぬのは、或いはなりふり構っている場合ではなくなったからか。
なれば――神楽耶もまた、必滅を期さねばなるまい。
「ね、オリビア様。あなたの言葉で、あなたの声で、応援してくださいますか?」
しなやかな繊手に、ひらひらと舞う焔蝶が音もなく留まる。それをじっと見詰めていたオリビアが、紡がれる声に視線を移した。
喉に触れた指先は躊躇うようだった。吐いた息が喉を撫でたのだろう、一つ咳払いをして違和感を追い払った彼女に、かみさまの残滓の暖かな声が届く。
「それだけでとても強くなれるんです――きっと、あなたのお母様がそうだったように」
それで。
真っ直ぐに持ち上がった眸と眸がかち合った。
ほんの少しの間があって、おずおずとその唇が開くのだ。
――頑張ってください。
「……うん」
空を揺らすに至らずとも。
「聞こえましたよ、あなたの『声』」
――だから、頑張りますね。
「おいで、結火」
年頃の少女が踏み出すのと同じ、軽い一歩が推進力を生む。指先の蝶が黒く深く色を纏って、燻る赤を塗り潰す。身を覆う破滅に足を委ねるようにして、神楽耶の半身が燃えさかる。
そのまま振り抜く刃が、白い本を切り裂いた。
「心神喪失状態でした約束が有効な訳ないでしょう?」
「思い出したいかどうか、聞いたのに?」
「その先で食べられるということは、伝えていなかったんじゃないですか」
防がれた一撃は織り込み済みだ。必要なのは次の一手――。
「それを許す本なんて、この世にない方がいい」
灯る破滅が白を呑み干す。
いつか全てを焼き尽くしたそれは、今は誰かの明日のためにある。踏み出した明日を照らすため、道行きを示すためにこそ――。
神楽耶の焔は、灯され続ける。
「――この世界は、あなた方猟書家のためのものではないのですから」
再び振るわれた刃が、今度はホワイトアルバムの命を捉えた。盛る焔の向こうから、苦悶の悲鳴を見遣る眸はどこまでも透徹に、悪縁を焼き尽くして立つ。
「真っ白な未来へ行くための、餞に手向けられてくださいな」
歌うような声とともに、一つ、鈴の音が鳴った。
大成功
🔵🔵🔵
陽向・理玖
○
変身状態維持
帰るところがあるなら
覚えてるなら帰りたいだろうよ
…くそが
あんたに彼女は食わせねぇ
オリビア姉さんに下がるよう指示
常に位置把握しつつ
残像纏いダッシュで間合い詰めグラップル
拳で殴る
肉好きとは少々気が合うが
…やらせねぇよ
限界突破しダッシュで割り込み
体でジャストガードし武器受け
痛みは激痛耐性で耐え
カウンターで拳の乱れ撃ち
アリスじゃねぇが
俺だって俺になる前の事は何一つ覚えてない
当然…幸せな記憶も持ち合わせてない
思い出したいのかどうかも分かんねぇ
けど
今の俺になってからの記憶は…大事なもんだから
あんたとは違う
彼女を送って俺も仲間のところへ帰る
負けらんねぇ絶対に
攻撃見切り掻い潜り懐へ飛び込みUC
●
もしも帰れる場所があるというのなら。
それに恋い焦がれて戻りたいと渇望することの、何が悪いというのだ。
「……くそが」
鎧越し、陽向・理玖(夏疾風・f22773)の声が小さく低く響くのを、聞き咎める者はなかった。蒼天の色を映した眸に闘志と怒りを燃やし、その足が重く一歩を踏みしめる。
「あんたに彼女は食わせねぇ」
「全く、寄ってたかって、酷い話ね」
言う襤褸の少女の幻影は、けれど所詮は仮面でしか有り得ない。ずたずたの靴が距離を詰め、ホワイトアルバムの眸が真っ直ぐに捉えるのは、その身を補うアリス――オリビアだから。
「オリビア姉さん、下がっててくれ」
呼称に瞬いたオリビアが、けれど我に返ったように頷いて後方に控える別の猟兵へと駆け寄った。逃がさないとばかりに駆け出す猟書家を、理玖の拳が許そうはずがない。
肉が好きだというところにだけは、幾分の共感がないわけではないが――。
「……やらせねぇよ」
それが人間の肉だというなら、話は別だ。
繰り出した神速の拳が、歪んだ白本によって受け止められた。超人めいた反応速度に、少年は僅かに目を眇める。
成程――一筋縄で行く相手ではないらしい。
迸る白の奔流に逆らうように、鎧が地を踏みしめる。視界が白んで目眩がする。足の感覚は砂に立つように遠のいた。立っているのか、或いはとうに押し流されているのかも分からない。
それでも、いつか波は引く。再び白が全てをなぎ払うより前に、一気呵成に飛び込んだ理玖は、肉薄する少女のかたちをした悪鬼を睨むように見た。
「アリスじゃねぇが、俺だって俺になる前の事は何一つ覚えてない」
ある日突然に奪われたものはひどく重い。日常から切り離されたのだという実感すらも湧かないほどに。
家族があったのかも知れない。友人があったのかも知れない。当たり前の学生生活と、当たり前の日々は、明日と地続きのところにあると信じていたのかも知れない――けれど。
全ては奪われた過去の先であって、今ではない。『理玖』が知っているのはただ、返しきれぬほどの恩と、返す宛を亡くした感情と、戦う力だけだ。
「思い出したいのかどうかも分かんねぇ。けど――」
拳を打ち付ける。金属の擦れる嫌な音がして、本の表紙とグローブが火花を散らす。
「今の俺になってからの記憶は……大事なもんだから、あんたとは違う」
オリビアに帰る先があるように。
理玖にもまた――戻るべきいまと、未来がある。
その全てをなくして笑う過去などに、二度と奪われてはならないもののために。
「負けらんねぇ。絶対に」
繰り出された必殺の拳は、悪鬼の顎を抉るように打ち抜いた。
大成功
🔵🔵🔵
クロト・ラトキエ
○◇
これ言うのも何度目でしょう…
なんて妙な感慨を抱きつつ?
まぁお約束。
僕なんか食べたら、お腹壊すくらいでは済みませんよー?
如何程の強化が成されたか、
或いは他のアリスに変わるか…
判らずとも、やるべきは同じ。
速度、威力、使い方を観測し、
術の予備動作、手足の挙動、視線、位置取り、話等より、
狙いを、次手を、見切り、
回避や損耗の軽減、若しくはより効率的な攻撃へと繋げたく。
周囲に鋼糸を張り、罠に、或いは足場に。
敵へは絡げ、引き斬り。近くに在らば刃で応戦。
扱うUCは
――拾弐式
無効化し排出、でしたっけ?
…やってみると良い。
『真っ白』な貴女。
眼も、経験と知識も無く、出来るなら。
でないと…ほら。
壊しちゃいますよ?
ヴィクティム・ウィンターミュート
〇◇
悪意も無けりゃぁ敵意も無い
なるほど厄介な存在だ…思わず気を許しちまうのも無理は無い
だが、"それだけだ"
行いを見れば明白なのさ……お前はどこまでも敵でしかない
さぁ、食ってみなよ
腹ァ下さなかったら拍手してやるぜ
単一の攻撃じゃ防がれちまう
だから俺は、選択を迫るだけだ
ナイフを左で握り、接近戦だ
しつこいくらいのインファイトで、決して逃がさない
上半身への執拗な攻撃を繰り返せば、自然と防御に注力するのは確実
そこで不意に足を踏みつけ、逃がさない
あからさまなまでに危険な力を秘めた銃、そして左腕の仕込みショットガンを同時に【零距離射撃】
どっち食らうか刹那で選べ
極限の思考状態で、力を抜いてる暇がお前にあるかな?
●
隠した敵意には敏感で、覆った裏にはすぐ気付く。
奇しくも戦場にはそういう男が揃っていた。故に彼らは理解している。眼前で不機嫌に眉根を寄せる少女の姿をしたものに、本当に『それ以上』の意図などありはしないのだ。
「なるほど厄介な存在だ……思わず気を許しちまうのも無理は無い」
バイザー越しに片眉を持ち上げたヴィクティム・ウィンターミュート(Winter is Reborn・f01172)は、目前の敵をそう評価する。悪意とは如何に隠しても滲むものだし、敵意にはどんな気遣いさえも覆すほどの力がある。逆に負の感情の一切を抱かないとなれば――初見の素人が白黒の判断をつけるのは、およそ無茶だと知れよう。
だがそれはそれ、これはこれ。
行いを見れば悪は明白。元よりそれを知っているヴィクティムらに、言い訳は通用しない。
――さて、敵の意図は食欲に紐つけられている。
クロト・ラトキエ(TTX・f00472)が顎をなぞるのは、何も逡巡が故ではなかった。少女のかたちをしていた程度で揺らぐものなど、生憎と持ち合わせていない。だからこれは、所謂感慨というものだ。
幾度口にしたか分からぬ台詞であれど、幾度も口にするからこそのお約束。茶目っ気すら含んだ蒼い双眸が眼鏡の底で瞬く。
「僕なんか食べたら、お腹壊すくらいでは済みませんよー?」
「そんなことないと思うな。強いのは美味しいのよ」
「そうかい? なら――」
ちきり。
音を立てて取り出すコンバット・ナイフに油断はない。シニカルな笑みを唇に乗せ、左手でひらめかせる刃とは裏腹に、両手を広げるような仕草で敵を煽る。
「さぁ、食ってみなよ。腹ァ下さなかったら拍手してやるぜ」
言いながら一歩を踏み出す寸前――。
少年の目は、確かにクロトの視線と噛み合った。幾度となく戦場で見た相手。奇しくも武器は目であり、或いは戦場の俯瞰能力であるが故、互いの得意不得意はある程度ならば知れている。
だからこそ、ヴィクティムの囁きは、クロトにとっては意外だった。
「俺が前に出る」
「おや、よろしいので?」
「策があるんだよ」
任せろ。
端役の自信ありげな笑みに、黒が返すのは常の微笑だ。場を打開する手段を有しているのならば口を挟む理由もない。己が得手とする距離を守れるというのなら、尚のこと。
「では遠慮無く」
クロトが下がると同時に迸る細糸の軌道は、全て見えている。
強く地を蹴って踏み込む先は、明らかに普段のヴィクティムが選ぶ距離ではない。肉薄する少女の眸に映る己の顔がよく見えるほど。
逆手に持ったナイフで一薙ぎすれば、予測通りに腕が動く。生命体の基本はいつでも変わらない。急所を狙えば、防御は堅固に、だが単純にならざるを得ないのだ。
嘗て生命だったことのあるオウガも同じこと。慣れた調子で持ち替えた刃が、その間隙にねじ込まれる。頬を切って赤を飛ばすナイフが見せた隙に、苛立ちと共に振り上げられた侵略蔵書を叩き付けんとする少女の腕は、しかし鋼の細糸に縛り上げられた。
振りほどくまでに一秒弱。僅かに見せたその空白が、ヴィクティムの攻勢を盤石なものとする。縦横無尽に張り巡らされた糸の刃は、自然とホワイトアルバムの動きを絡め取る。どこにあるかも分からぬ鋼の監獄に捕らわれているのは、しかし悲劇のお姫様一人だけ。
――ヴィクティムには見えている。
クロトが指先をしならせれば、意志を持つように迸るそれが。およそ常人の目に見て取れぬ武器は、けれど卓越した科学の前には、道筋を示すように見えている。
追い込まれた彼女の眉間の皺が増えていくのを、はっきりと見て取った。己の隙を狙うように差し込まれる攻撃に、辛うじて致命を取られぬように立ち回る彼女は、故に警戒を怠っていた。
――甲高い悲鳴が上がって、ヴィクティムの唇が小さく笑む。
思い切り踏み抜いたのは少女の足だ。上半身にばかり繰り返した猛攻は、下半身への意識を奪う。二つ以上の物事に同時に集中することの出来ない、生命の脳が持つ欠陥を利用したまでのこと。
「どっちで死にたいか、選ばせてやるよ」
体勢を崩したホワイトアルバムの眸に映るのは、刹那に構えられた二つの銃口。
一つは左腕から覗くショットガン。至近で一撃でも喰らえば、頭が吹き飛ぶことは確実だ。もう一つは――。
『鎮静』を孕む、凍てつく魔弾。
見開いた眸が迷うように揺れている――それじゃあ遅いんだよ。同時に手をかけた引鉄に、虚像が生み出される一瞬に、割り入る声が少女の思考を僅かに止めた。
「余所見してると――ほら」
眼も、経験も、知識もない。ただまっさらな、無垢の娘。
その生い立ちを初めて悔いるが良い。
「壊しちゃいますよ?」
ここにいるのは、己が利のために生きる悪党と。
――無慈悲な殺戮者だけなのだから。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
ジャガーノート・ジャック
(かつて僕が"怪物"から"人間"へと変遷を遂げた時のように、)君は君の解を得た。
あとはその解を君が在るべき場所で示せば良い。君なら出来るだろう。
――時に君はオペラやミュージカルに嗜みはあるか。
声楽家志望者としてその類にも嗜みがあるなら
今少し手を借りよう。
――"MOVIE SCENE".
(ミュージカルのワンシーンのように彼女と共に逃避行動をとる。彼女を食もうとする敵の手管など、彼女を飾る演出にしかしてやらない。)
――これも君が望んだ景色とは違うだろうが
先へ進む君へ勇気を与える餞に
僅かばかりでもなれば良い。
――さあ、演出役が臍を噛んでる様だ。
望むなら主演の君から台詞の一つでもくれてやれ。
(ザザッ)
●
「君は君の解を得た」
それは、嘗てただの『怪物』だったものが、ようやく『人間』として呼吸を始めた日のように。
掴むべきものを見定めた。それが果てなき夢であっても、無情な現実を見据えたうえに立つ目標であっても、オリビアは確かに己の手で選択をした。
だから、ジャガーノート・ジャック(JOKER・f02381)が言うべき言葉は少ない。
「あとはその解を君が在るべき場所で示せば良い。君なら出来るだろう」
それでも、ノイズの混じるその声に、娘は確かに頷いた。浮かべた笑みは、不安と期待に揺れている。
――無理だったとしても、頑張ります。
示された沢山の選択肢と共に。意志の籠った眸に首肯を返し、ジャックの手が徐に差し伸べられる。
「――時に君は、オペラやミュージカルに嗜みはあるか」
――少しだけですけど。
「充分だ」
指先で示された、自信なさげな仕草は、けれどゼロでないことを示しているから。
「今少し手を借りよう」
重ね合わせた手を取って、リードするようにステップを踏んだ。
敵前にあって軽やかに舞う行為に、オリビアが動揺したのも束の間だ。流れぬはずの音楽がそこにあるように、足が軽くなるのを感じたのだろう。地を蹴る感覚に笑みを浮かべた表情は、一夜の夢幻のはざまを駆けるように見えた。
その最中を馳せる白い閃光こそ、ホワイトアルバムの繰り出す浸食の白であったとしても。
そんなものは、今この一時、主演を彩る演出にしかなり得ない。
心ゆくまで歌う、望んだ舞台ではないだろう。だとしても、夢を見るように踊るひとときが、少しでも彼女の足を支える時間となれば良い。
固めた意志と決めた覚悟が折れそうな刹那だけでも良い――ほんの少しの光となって、その心を照らせるように。
もう一つだけ、ジャックが促せる勇気がある。
「――さあ、演出役が臍を噛んでる様だ」
機械に包まれた手が示すのは、白の煌めきを生み続け、消耗しきったらしいホワイトアルバムだ。
「望むなら、主演の君から台詞の一つでもくれてやれ」
不敵に笑った少女は、大きく頷いて振り返った。白の奔流の向こう、苛立ちを露わにするその顔へ向けて、何か声を張り上げようとして――。
零れた咳を照れくさそうに笑って、その眸がジャックを見る。ゆっくりと頷いたバイザー越しの焦げ茶色は、知らず笑うように唇を緩める。
納得のいくように、幾らでもやり直せば良い。ここは、彼女の舞台なのだから。
ゆっくりと持ち上がった指先は宣戦布告の如く。芝居がかって大人びた視線が思わずと緩んで――。
オリビアは、思いっきり舌を出して見せたのだった。
大成功
🔵🔵🔵
リル・ルリ
〇
オリビア
人魚の君もかわいかったけどやっぱり二本の足が良く似合う
人魚姫はちゃんと足を取り戻したんだ
君はやっぱり笑顔がいい
あとはその足で歩んでいくだけ
君の舞台を最後まで
嫌だよ
何で僕が君に食べられなきゃいけないんだ?
彼女のことも食べさせない
守るよ
僕を食べていいのは、愛しい櫻の龍だけと決まってる
思い出さない方がいいことは
きっとある
その方が幸せでいられるだろうってこと
脳裏で響くは阿鼻叫喚の喝采と飛び散る命の聲
踊る黒薔薇
幸せを歌う女の声
心が焼けそうに痛い
でも
思い出は戻るべき場所に帰ってくる
歌う
白を薄紅に塗り替えるよう
「望春の歌」
黒い記憶を薄紅に染める
いつか僕の所にも
帰ってくるんだろうな
みたくない、それが
●
「オリビア」
ゆらりと揺らした鰭に目を奪われているらしい少女に、うつくしい聲が語りかける。
「人魚の君もかわいかったけど、やっぱり二本の足が良く似合う」
伸ばされたリル・ルリ(『櫻沫の匣舟』・f10762)の手は、おずおずと応えるオリビアの指先に触れた。歌に生き、歌へと全霊を捧ぐふたりの穏やかな共感が、今は苛烈な武を孕む必要はない。
――足を得た人魚姫は泡になってしまったけれど、歌に焦がれて人魚姫になった人間は、無事に足を取り戻しました。
めでたしめでたしのハッピーエンドに、リルの表情もまた、晴れやかな微笑へと変わった。
「君はやっぱり、笑顔がいい」
頷いたオリビアの眸が潤むように見遣るから、なかないで――と声を継ぎ足した。まだ、泣くには早いよ――とも。
「あとはその足で歩んでいくだけだよ。君の舞台を最後まで」
涙は、そこまで取っておいて。
扉を開いて戻った先に待っている、沢山のひかりと出会える日まで。
だからまずは、いつか訪れるはずのその日を阻む悪鬼を、ここで斃さねばならないのだ。
「人魚の肉っておいしい? お腹が空いてるの。一口ちょうだい」
「嫌だよ。何で僕が君に食べられなきゃいけないんだ?」
――戀囚獄の櫻戀贄を食べていいのは、愛しい櫻の龍だけと決まっている。
ホワイトアルバムを睨み遣る春空の眸を、不安げに見上げるオリビアへ、柔らかな声が応える。
「大丈夫。守るよ」
尾鰭を揺らすリルの眸は、今度こそ闘魚の苛烈さをひらめかせた。その言葉に一片の真実があったとして、その暴虐を許す理由にはならない。
――蓋をされた記憶の中には、きっと開けない方が幸福であれるものがある。
黒の街のグランギニョール。阿鼻叫喚の喝采と、飛び散る命の聲が脳裏を掠める。幸いと光のいまの隙間を、黒と赤に塗れた血の記憶が埋めている。
踊る黒薔薇――幸福を歌う女の声。胸を締め付け、焼くように走る痛みを振り払うように、リルの麗唇が音を紡ぐ。
それは父より託された歌。白も黒も、薄紅へと咲き誇らせる、春を望みわらう冬のうた――。
無数の泡と花吹雪が春告げを謳う。芽吹きのいろが世界に満ちて、白い浸食も、黒いいたみも、すべてを覆い隠して染め上げる。それでも尚、リルは知っている。
ゆきどけが呼ぶのが春だけではないこと。思い出はいつだって、戻るべき場所へ巡り来ること。
いつか。
――いつか、それが己の手へと戻ってきてしまうことも。
見たくないそれが、目を瞑っても突きつけられてしまうその日が来るまで――彼の抱える蓋は、今はまだ、閉じたまま。
大成功
🔵🔵🔵
朱赫七・カムイ
〇
よかった
オリビアがちゃんと路を取り戻せて
ひとは強いね
脆くて
つよくて
うつくしい
その足でそなたの扉を潜り逢いたい人のもとへ帰れるよう
再び笑顔で迎えられるよう
見送るよ
大丈夫
下がっていて
ちゃんと守る
その約束は破ってしまってもいい
なんて約である私が言うのはおかしなことかな
その約は
断ち切ろう
堕ちる神罰は身を枯れ果てさせ
春雷と共に駆けて切り込み
白に赫を這わせてなぎ払い
約ごと切断して散らす
ホワイトアルバム
白紙の頁
無垢の白
虚の白
希望をみつけた人の子を食べさせなどしない
私に過去はない
けれど思い出さねばならない事がある
きみのために
今度こそ
斬らねば…何かを
まだ思い出せない
だからね
そなたにたべられてはあげられないんだ
●
灯した光を辿り、再び前を向くことが出来る。
絶望が重いほどに希望は輝く。届かぬはずの手をそれでも延べて、いつか本当に掴んでしまうことすらする。
「ひとは強いね」
脆くて。
それを越えるほどに強くて。
――うつくしい。
朱赫七・カムイ(約彩ノ赫・f30062)の双眸が、穏やかに細められた。長躯を見上げるオリビアの眼差しが、いっぱいに赤を湛えて瞬くから、彼はゆっくりと声を紡ぐ。
「その足でそなたの扉を潜り、逢いたい人のもとへ帰れるよう、再び笑顔で迎えられるよう――見送るよ」
大きく頷いたオリビアの眸は、やわやわと笑んでカムイの声を受け止めた。だから神もまた静かに笑みを返して、一歩前に出ると同時に、ちいさな体が並ぼうとするのを制する。
唇を開きかければ、掠れた息と咳が漏れるのが聞こえた。
「大丈夫、下がっていて。ちゃんと守る」
包み込むような声音におずおずと引いた少女を背に、神の指先が朱砂の柄を握る。
立ち込める轟雷が春を呼ぶ。咲き誇る身を枯れ果てさせるは堕ちる神罰。巡り巡る眠りの冬は、いま斬り拓かれる目覚めの春を前に、ゆきどけを得るだろう。
手にした刃に力を込める。少女を喰らう悪鬼を前にして、踏みしめる足は揺るぐことなどない。
「その約束は破ってしまってもいい――なんて、約である私が言うのはおかしなことかな」
災厄を転じ、再約を結ぶ神は、少しだけ苦笑した。そうだとしても、成すことは変わらないのだけれど。
結ぶ約束は――倖を齎すために在るのだから。
「その約は、断ち切ろう」
解くように、絶つように。
振るった赫が白を裂く。冴えた軌跡は傷付き果てたオウガを容易に染め上げ、約は散桜の如くに蒼空へと舞った。
「ホワイトアルバム」
全てを白紙と成した頁。無垢の白、或いは――虚の白。
一度は黒く染まり果てながら、ふたたび希望をみつけたうつくしき人の子を、決して喰らわせたりはしない。
そして、カムイもまた。
――彼に過去はない。
一度は世界の敵と成したこの身は、祝福のひかりで再びの生を得た。その折、広大な過去の海に攫われた嘗ての記憶は、去来する想いとして、ほんの断片が宿るのみ。
けれど、奥底へと沈められたそれらの中に、手にせねばならないものがあると知っている。
それを――知らねばならないと、思う。
いつか誰かの記憶の底で傍に在った――今、傍に在る友。きみのためにしなくてはいけないことがある。
この刃で斬らねばならない。今度こそ、必ず。
――何を。
自問する心に答えはない。だからこそこの命を捨てることは出来ないのだ。今はまだ思い出せない、成さねばならない何かを為すまでは。
「そなたにたべられてはあげられないんだ」
春告げの雷と共に、赫熱は前へ往く。
大成功
🔵🔵🔵
ロク・ザイオン
◎匡と
オリビア。
怖いなら、その足で隠れてていい。
でも、立って、踏みとどまって、
おれたちと戦ってくれるのなら、キミに頼みたいことがある。
(「轟赫」八十八条をばらばらに広げ、匡が狙いやすいように追い込む
驚かせるような奇襲は【野生の勘】で察知
ならば翼持たぬ己たちに対して
あれは空の有利を取ろうとするだろうか)
オリビア!
(オリビアがアリスの力でガラスの迷路で空を塞いでくれたらいい
その一瞬で【早業】全ての「轟赫」をひとつに束ね
鬼を貫きガラスの空に縫い留めよう)
鳴宮・匡
○ロクと
下がってても構わないぜ
手伝ってくれるなら――近くにいてくれ
その方が守りやすいからな
相手の動きの先を制するようにダメージを重ねる
ロクが追い込むから、動きはその分読みやすいはずだ
奇襲に動じるほど柔な精神はしてないつもりだ
ただ、オリビアの方はそうもいかないだろう
常に言葉で注意喚起しながら
もしもの時は背に庇い“影”を纏った半身で受け流す
通じないとわかれば手を変えてくるだろうが
――そんな見え透いた手にも対応できないやつを、俺は頼らない
相手が飛んだ瞬間に“影”を防御から攻撃へ回すよ
二人が動きを止めてくれたら
受け流した分の威力も込めた一撃をくれてやる
――こいつは未来を望んだんだ
その邪魔は、させない
●
「オリビア」
ざりり、荒砂の声が娘を呼んだ。
振り返ったオリビアの眸に、燃えるようなロク・ザイオン(変遷の灯・f01377)の髪が映る。ちいさく笑みを浮かべた女の瞬きへ、少女はそっと足を進める。
――もうじき、ホワイトアルバムの灯は尽きる。
さりとて手負いの獣が最も恐ろしいのだと、森番はよく知っていた。なればこそ、獲物となりうる彼女には、選択の余地があるべきだ。
「下がってても構わないぜ」
眼前に立ったオリビアへと声を遣りながらも、鳴宮・匡(凪の海・f01612)の手は粛々と準備を終えている。手にした無機質な銃器は、娘にとっては馴染みのない、けれど武力としての象徴であろうことは経験から理解していた。極力彼女が目を逸らそうとしているのも視えていたけれど――。
ここは戦場だから、仕舞うことは出来なかった。
隙間を埋めるように、ロクが声を上げる。
「怖いなら、その足で隠れてていい」
――そうすれば、森番はキミとキミの隠れ家を守るだろう。
「でも、立って、踏みとどまって、おれたちと戦ってくれるのなら、キミに頼みたいことがある」
真っ直ぐな蒼天に見据えられたオリビアに迷いはなかった。ゆっくりと頷いた彼女に、ロクがたったひとつの頼み事をする間に、セイフティが解除される。
じっと匡を見上げたオリビアが、大きく頭を下げる。小さな動きでそれに応じて、彼は自身のオーダーを告げる。
「なら――近くにいてくれ」
その方が守りやすいからな。
ほつりと零すように声を紡いでから、素直に傍へと寄る少女の姿を一瞥した。守りやすい。守りやすい――嘗ては思考を掠めたことさえない言葉が、今は己のものであることを確認する間も、構えた銃口は揺らがない。
ゆるりと満ちる緊張に、森番は狩りの始まりを予感する。頬を撫でる風、血のにおい、手負いとなった獲物の飢えた眸。睨み合う一瞬の、張り詰めた攻防。森に満ちていたいのちといのちのせめぎ合いは、彼女に『その時』を教えてくれた。
ホワイトアルバムが動き出すより刹那に速く、盛る焔のような髪が揺らめいた。地獄を切り裂き照らす火が、オウガの身を捕えるように伸びる。
八十八条の光を避けるとなれば、必然、その身が描く軌道は限られる。ただ一筋の致命を避けられる道に、死を敷くのは匡の銃弾だ。
三度の指切り発射が狙うのは頭と胸と足。既に本としての体裁すらも保てなくなりつつある白が、致命へ至る二点を防いだとて、足が動かねば生存率は著しく下がる。
距離を詰めることが叶わぬと知れば、最早空気の音しか漏れぬ喉から苛立ちの吐息を吐き出した悪鬼は、隙を作ることに注力するとみえた。
焔に照らされた影が蠢く。焼け朽ちた顔の誰かが迫り来るのは、いち早く焦げるにおいに気付いていた森番には分かっていたし――。
ロクが見え透いた手にかかるような『人間』でないからこそ、匡はその背を預けている。
けれど隣の少女は鋭い呼吸をした。思わずきつく目を瞑るオリビアへ向けて、血肉に飢えた手が伸ばされているのを、匡は視ている。
「右から来る。動かなければ外れるぜ」
外させる、とも言う。
思わず目を開いた少女の眼前、伸ばした腕には黒い影が纏わり付く。そのまま引いた引鉄と吐き出された銃弾は、迫るオウガの手を寸分違わず撃ち抜いた。
いよいよ後がなくなったとなれば――。
不意に生えた翼で、ホワイトアルバムが空へと舞い上がる。翼のない者たちには手の出せぬ領域であり、けれど。
森番は、吠える。
「オリビア!」
鑢声の咆哮が捻じ曲がった木々を揺らすのと、天空へと蓋がされるのは、ほぼ同時。
オリビアが放った硝子の迷宮の天井が、空より彼女らを制さんとした悪鬼の動きを阻む。強かに体をぶつけたそれが地に落ちるよりも先、八十八の焔は一つに収束した。
それは焔の楔。身を穿ち、燃やし、灼き尽くすための――。
腹に突き刺さる焔刃に、天井へと縫い付けられた少女が藻掻いている。その苦悶の表情までもがよく視えた。
だとして。
眇めた凪色の眸に宿す色は――緩んだりはしないけれど。
「――こいつは未来を望んだんだ」
望まぬ結末に身を浸すことも。
絶望の海に身を投げることも。
しないと決めて、戦っている者の未来を。
「その邪魔は、させない」
吠える銃口が、確かな意志と共に、悪鬼を穿った。
大成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵
鷲生・嵯泉
無垢で在ろうがおぞましさは変わらんな
何れにせよお前の好きにはさせん
娘には下がっている様に促す
お前が戦うべきは此処ではなく、元の世界へ戻ってからの事
其れでもと云うのなら仕方が無い
だが決して前へは出ず、後方からの支援に徹する様に指示
喰らいたいと云うのなら幾らでも刃を喰らうがいい
――遮斥隕征、無駄を知れ
機をずらしたなぎ払いの連撃で以って崩し、怪力乗せた斬撃で斬り伏せてくれる
抱えた目論見ごと骸の海へと疾く還れ
其の人物を“其の者”足らしめるのは
如何な苦しく苦い思い出であろうと記憶が在ればこそ
思い出さなくて良いと己を騙す様な事なぞせず生きる事は
失い空洞を抱えた侭で生き続けるより、余程――強いというものだ
●
眉間に皺を寄せていれば、少女には些か近寄り難い外見である自覚はある。
それでもオリビアが鷲生・嵯泉(烈志・f05845)を信頼の眼差しで見上げるのは、ひとえに彼もまた、彼女を引き戻す楔の一つだったからだろう。
その眸を一瞥してから、男は己が得物を抜き放った。
「下がっていなさい」
少女を巻き込む気は元よりない。彼女の戦うべき相手は深傷を負った猟書家ではなく、先に待ち受ける数多の困難だ。
けれど――。
おずおずと隻眼を見上げていた少女が、少しだけ俯いた。助けてくれた人たちの役に立ちたい――とは、読み取ろうとせずとも顔に書いてある。言葉通りに一歩を下がりながら、噛み殺せぬ落胆を浮かべる表情は誰かに似ていた。
――深く息を吐く。
「仕方が無いな」
ぱっと顔を上げた少女が周囲に展開させるのは、泡と音符の塊だ。支援のつもりだろうその足が、一歩前に出る前に、改まった声で制しておく。
「だが前には出ない様に。其れでの支援が有れば十分だ」
オリビアが頷いたのを視界の端に捉えて、軍靴が地を踏む。携える禍斬の刃の横をすり抜けていく旋律たちに紛れ、見遣る先のホワイトアルバムはひどく消耗していた。
だが――なればこそ、油断が為らぬということも知っている。
飢えた眸は真っ直ぐにアリスを見ていた。それを喰らえば新たな容が手に入るということを知る、捕食者の貪欲な眼だ。
――それを許さぬために、嵯泉は在る。
「喰らいたいと云うのなら幾らでも喰らうがいい」
但し、刃を――だ。
踏み込んだ不毛の地が割れる。衝撃と共に飛び込んだ懐はがら空きだ。胸部と腹を薙ぐように、僅かに機をずらして振り抜いた刃が描く軌跡は、悪鬼を覆う破魔の呪言を発現させる。
揺れる眸は読むに易い。己の裡から失われていく『喰らう力』に狼狽えるさまは、それだけならばいっそ幼子のようにも見える。
さりとて、オウガへ向ける刃の鋭さが変わるわけではない。
「何れにせよ、お前の好きにはさせん」
――呑み干すことに如何なる苦しみを伴おうとも、過去とは現在と未来を紡ぐ土台だ。
過去なくして、己が何者かを語れる者などありはすまい。下す痛みを厭うが故に、総てを忘却の坩堝へと返して歩む途に光は差さない。
忘れてしまったものにはそれだけの理由があるのだから、思い出さなくても良いのだ――などと、自己欺瞞で塗り固めた命よりも。
時に頽れながらでも痛苦を抱え、祈るように生きる者の方が――ずっと、勁いだろう。
だから。
「――抱えた目論見ごと、骸の海へと疾く還れ」
途を拓くべく振り下ろされる一刀が、少女の容をした悪鬼を、迷いなく断ち割った。
大成功
🔵🔵🔵
ルーシー・ブルーベル
【苺夜】
まあ、苺もいらしてたのね!
あなたに駆け寄る
だいじょうぶよ
あなたもケガはない?
あら、ルーシー達も食べてしまうの
でもね、大人しく食べられるわけにはいかないもの
オリビアさんは傍に居てね
ルーシー達がお守りするから
帰るための一歩を得た
あなたの強さを魅せてさしあげて
ルーシーは怖くないわ
だって、ふふ
苺がいるでしょ?
お出で
【およぐお友だち】
ホワイトアルバムさんを貫いて
麻痺のちから纏う角で狙うは足
返された時も苺やオリビアさんを庇ってね
苺達のコンサートはこれからよ
間もなく開演となりますので
お行儀よくお待ちくださいな
手を繋いで一礼
ふたりのうたが聞けるなんて
あなた、運が良いわ
きっと忘れられない日になるでしょう
歌獣・苺
【苺夜】
あ、ルーシー!
来てたんだね!
大丈夫?
怪我してない?よかった!
…っとと。
そうだ、オリビアさんは…
あぁ、よかった、よかった
おかえりなさい
よくがんばったね
こっちだよ立てる?
うん、よかった
…大丈夫。怖がることない
必ず守るよ
オリビアさんも、ルーシーも。
ルーシーが敵の
動きを止めてくれた
さぁ、オリビアさん
うたうよ
もう一度、一緒に…!
忘れてはいけない
この声も、音も
良い事も、悪い事も
辛い過去も、望んだ未来も
…全部。
覚えているから
優しくなれて、強くなれる
そして、今日この出来事も、
決して忘れてはいけない…!
ふたりの手を固く結ぶ
ーーー大変長らくお待たせ致しました。
『これは、貴方を忘れない詩』
●
どんな混戦の中だって、そのいろを見失ったりはしない。
「あ、ルーシー! 来てたんだね!」
「まあ、苺もいらしてたのね!」
手に手を取り合って、ルーシー・ブルーベル(ミオソティス・f11656)と歌獣・苺(苺一会・f16654)は眸を結んだ。大好きで大切な親友との出会いは、そこが地獄の底の戦場であることを、一瞬忘れさせるほど。
けれどそこは猟兵だった。まず視線を巡らせるのはお互いの体。どんなにちいさな傷跡だって見逃さない――見逃すはずがない。
「大丈夫? 怪我してない?」
「だいじょうぶよ。あなたもケガはない?」
「よかった! 私も大丈夫だよ」
無事を一頻り喜び合って、笑い合う顔は一緒に海に遊びに行くようなそれだけれど。
はっと我に返ったような表情で、苺が瞬いた。今回の主賓であるアリスは、果たして無事だろうか――。
巡らせた苺色の眸に、微笑ましげに笑うオリビアの色が映り込む。ユーベルコードを短時間に幾度も使ったせいか、へたり込んでいる。けれど彼女たちをにこにこと見詰める娘からは、ひとつだって黒い影は見て取れないから。
「おかえりなさい。よくがんばったね」
こっちだよ、立てる――だなんて問いかけながら、黒兎の指先が伸びる。その手に迷いなく応えたオリビアは、確かに自分の足で体を支えた。
「――うん、よかった」
心から安堵したようなその声に、娘はくすぐったそうに笑った。
ならば、残った仕事はひとつ。最後の障害を壊すだけ。
「大人しく食べられるわけにはいかないもの」
ね。
同意を求めるように、向けられたルーシーの眸が小首を傾ぐ。握った拳を胸の前に持ってくるオリビアへ、労るような声を向けた。
「オリビアさんは傍に居てね。ルーシー達がお守りするから」
だからあなたは、帰るための一歩を得たあなたの強さを魅せてさしあげて――と。
真っ直ぐに前に出るルーシーへ、おずおずとオリビアの唇が問う。それは、この戦いの間、ずっと思っていたことだった。
――皆さんは。
――怖くないんですか。
「ルーシーは怖くないわ。だって――」
たくさん、楽しいところに連れて行ってくれる。
たくさんの色を見せてくれる、大事な大事なともだちが隣にいて、どうして怯える必要があるだろう。
「苺がいるでしょ?」
思わずちいさく笑いながら、ルーシーの隻眼が苺を見上げた。深い信頼の籠った眼差しに応えるように、黒兎は凜と声を零す。
「……大丈夫。怖がることない。必ず守るよ」
ひかりを取り戻した少女のことも。
大好きで、妹のようでも娘のようでもある、大人よりも大人のような親友も。
立ち塞がるように前に出た苺の後ろで、ルーシーの指先は『お友だち』を手繰る。現れた一角のぬいぐるみが、泳ぐように宙を翻り、その鋭い角の獲物へと狙いを定めた。
「苺達のコンサートはこれからよ」
纏うのは麻痺の力。狙うのはぼろぼろになった足。舞台を邪魔しようとする無粋な観客には、力尽くでも席についてもらわなくてはならない。
最後の意地なのだろう。ホワイトアルバムの体から一気に力が抜けた。もはや人影とさえいえない淡い『アリス』の幻影が、返す鋭い一撃をオリビアへと向けるけれど――。
「間もなく開演となりますので、お行儀よくお待ちくださいな」
――とっくの昔に、ぬいぐるみは彼女の盾になっている。
ぼろぼろと崩れ落ちる一角獣は、けれど確かに仕事の全てを果たした。立ち上がる力すら失った猟書家には、もう三人を止めるだけの手など持っていないから。
動きが止まれば、そこからは苺の出番だ。
「さぁ、オリビアさん、うたうよ。もう一度、一緒に……!」
忘れてはいけないから。
この声も、この音も。星のように煌めく優しい思い出も、黒く渦巻く辛い過去も――望んだ光に満ちる未来も、確かな温もりと共にある、いまも。
去来する全てを覚えている。なにもかもが背を押してくれるから。この手を伸ばすために、この足を前に進めるために、苺のとなりに在るものだから。
今日に見たこの光景だって、忘れないために。
「ふたりのうたが聞けるなんて、あなた、運が良いわ」
今度こそ躊躇なく頷いたオリビアの隣で、ルーシーがゆるゆると声を上げる。
「きっと忘れられない日になるでしょう」
オリビアの右手を握るルーシーがちいさく笑う。左手を取った苺もまた、楽しげな笑みで彼女を見た。
両隣のふたりに笑いかけて、手を持ち上げて。三人揃って深々と礼をしたなら、ここはもう、未来を切り拓く歌姫の舞台。
「――大変長らくお待たせ致しました」
『これは、貴方を忘れない詩』――。
いまを、過去を、未来を奏でるために、ふたりの娘が息を吸う。
●
小さな舞台が終わった頃に、もう猟書家の姿はなかった。
元に戻っていく地獄の最中で、オリビアは深く頭を下げる。喉に詰まる何かを吐き出すように咳を繰り返し、制止に入ろうとする猟兵には首を横に振って、彼女は目を上げた。
これだけは、己の声で告げたいとでも言うように。
「――ありがとう、ございました」
ざらざらと嗄れたその声は、しかし幾分か、美しい響きの片鱗を取り戻していた。猟兵によって差した光をどうするかは彼女の自由で――しかし、その眸は自信に満ちる。
たとえ声が戻らずとも、或いは真に声を失ったとしても、彼女はもう絶望したりはしない。示された数多の道のどれかを辿り、或いはどれでもない場所で、己の夢を叶えるのだろう。
「こんどは、チラシを、わたします――わたしの、コンサートの」
――だから、いつかまた。
手を振り駆けていく少女の背が振り返る。笑って手を振る途の先を、雲間を割った陽光が、あかあかと照らしていた。
大成功
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