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暗晦に芽吹く

#アリスラビリンス

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#アリスラビリンス


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 ――雨が、降っていた。

 あのおぞましい化け物たちから逃げ惑い、命からがらにたどり着いた一つの扉。
 それが、一体何なのかは分からない。ただ、「アリス」は漠然と知っていた。

 これを開けば、「アリス」は此の地獄より抜け出せる。
 これを開けば、「アリス」は此処ではないどこかに行ける。
 これを開けば、「アリス」は“わたしがいたところ”に帰る、ことが――。

「……わたしの、いたところ?」

 あと、少し。指の先を伸ばしさえすれば、「アリス」は扉に触れられる。
 何を躊躇う事があるだろう。此処にいれば殺される、あの化け物どもの餌になる。
 それが嫌で、「アリス」はここまで逃げて来たのだろう。
 化生を恐れて、帳を忌避して。あるやも分からぬ己の扉を必死に探して来たのだろう。

 なればこそ。「アリス」は一刻も早く、その扉を開くべきであった――はず、なのに。

「……ぁ、ぁぁ」

 ――雨が、降っていた。
 ノイズが走る。頭が痛む。チカチカと眩む瞼の裏に、いつかどこかの情景が映り込む。
 薄暗い部屋戸のスキマ風伸ばした掌揺れる視界灯の消えたランプだいすきな●●●●●「×め×なさ×」堅い床頬打つ雨伸ばされた腕ツキアカリ振翳された――つめたい、刃。

 知ってる。知っている。あの音も感触も冷たさも痛みもひかりも恐怖も、すべて。
 これは、紛れもない「アリス」の記憶だった。
 それは、だいすきなひとに裏切られた――「わたし」の記憶、だった。

「ぁぁあああぁああぁあぁあああああ!!!!」

 泣き伏せるように崩れ落ちる「アリス」の、その後ろで。
 鬼たるものの影が一つ、うそりと歪な笑みを浮かべていた。

●暗晦に芽吹く
「かの不思議な国に迷い込んだアリスは、いずれオウガへと変質する可能性を秘めているそうだね。最近では観測された事例も多いから、耳馴染みのある人も多いだろう」
 ぺらり。数多の報告書が挟まれたファイルを捲りながら、ハロルド・マクファーデン(捲る者・f15287)は猟兵たちへと語りかけていた。
 これより現地へ赴く彼等へ情報を伝えようとしてか、ハロルドの視線が紙面の上を滑っていく。
「だが、今回予知に捉えたアリスはまだ変質しきっていない少女だった。云わば種の状態だ……もっとも、このままでは芽吹くのも時間の問題だろうけどね」
 そう遠くない内に、「アリス」はオウガと化してしまうだろう。
 あなた方にはそれを阻止して欲しいのだ、とハロルドは言葉を続けていく。

「ただ、少女を助けるに当たって障害が幾つかあるようでね――順を追って述べよう」

 一。絶望しかけた「アリス」を“まるで護る様にして”寄り添うオウガの姿がある。
 二。オウガは「アリス」の絶望を深める為の「絶望の国」を作り上げ様としている。
 三。アリスの昏い感情を反映した「絶望の国」は、濃い狂気へと染まりつつある。

「このオウガというのがまた厄介でね、どうやら悪意の塊のような御仁らしい」
 曰く。凛々しい少女騎士のような姿をしたそのオウガは、絶望に暮れる「アリス」へ親身になって声を掛け、あたかも彼女の味方であるかのように振舞っているようだ。
 だが、その目的は救済とは真逆のもの。「アリス」の信頼を得た後に手酷く裏切り、より深い絶望へ落とす手段をこそ、そのオウガは好んでいるらしかった。

「現在、オウガはアリスを連れて扉から離れようとしている。アリスの方も、オウガに心を預けたわけではなさそうだが……元の世界には戻りたくないのだろうね。戸惑いこそすれ、大した抵抗もなく従っているみたいだ」
 もしも、彼女たちの前に邪魔者――猟兵たちが現れたなら。
 オウガはこれ幸いとこちらを悪者に仕立て上げ、「アリス」を護るという演出の材料とするだろう。「アリス」を確保した後の事を考えると、余計な手は打たせず早急に倒したいところである。

 そして、オウガが不思議の国を塗り替えて作ったとされる「絶望の国」。
 其処は「アリス」が取り戻した記憶に影響された世界になっているのだと言う。
 その詳細を告げようとするハロルドの眉間には、僅かに皺が寄っていた。
「……どうも、件のアリスは『信じていたものに裏切られた』記憶を甦らせてしまったみたいだね。おかげで、今の彼女は何かを信じる、信じ続けるという事に強い拒絶感を抱いている」
 そして、少女のその感情を源にした狂気が「絶望の国」全体に満ちている。
 その狂気は、「アリス」は元より――その場にいる猟兵たちにも、襲い掛かるだろう。

「その国に居れば居るほど、自分が信じている人やもの――己が重きを置いていればいるほどに、それらが『疑わしく』思えてしまう。強制的な猜疑心の芽生えだ」
 それは、大切な人に対してか。かけがえのないものに対してか。
 もしくは、自分自身にすら。その狂気は牙を剥いてくるやもしれない。
「外部からの精神汚染、とでも言うべきかな。影響の出方は人それぞれだろうが、放っておけば厄介なことになるだろう。アリスとの対話や、その後の戦闘にも差支えが出てしまう可能性もあるから、皆にはある程度の対策を考えておいてほしい」

 この狂気の源は「アリス」の感情だ。
 仮初めの疑心に惑わされず、無事に「アリス」の心を絶望より救うことが出来たなら。
 世界に満ちる狂気も薄れ、「アリス」を扉へ送り届ける事も楽になる筈だ。
 予知には例のオウガの他に、鋭い歯を持った植物のようなオウガたちが「アリス」の扉の前で群れている光景も見えていた。「アリス」を元の世界へ帰すためには、そちらとの戦闘も避けられないだろう。
「どうか、偽りの芽生えに惑わされないように。――アリスも、皆も、無事に帰れる事を祈っているよ」


瀬ノ尾
 こんにちは。瀬ノ尾(せのお)と申します。
 お目通し頂きましてありがとうございます。

 此度はアリスラビリンスでのお話です。

●第一章『マリスナイト』
 ボス戦。「アリス」を連れた、凛々しい少女騎士のような風体をしたオウガです。
 まるでか弱い者の味方であるかのように振舞いますが、心根は悪意に満ちています。
 「アリス」を護ると嘯きながら、猟兵たちを悪者に仕立て上げるために敢えて「アリス」に攻撃を誘導したり、それとなく『盾』の様に扱ったりもするでしょう。
 常に「アリス」の傍らに居続けようとするので、分断は難しそうです。手早く倒してください。

●第二章『狂気に満ちた満月の下』
 冒険章。満月の空の下、伝染する狂気に満たされた世界が舞台です。
 「アリス」の影響によって、あらゆるものに疑心が芽生えてしまいます。
 漠然と不安を覚える方、吐気を伴うような嫌悪感を覚える方。不安定な精神に身動きの取れなくなる方、「アリス」のように『何かに裏切られる光景』を見てしまう方もいるかもしれません。
 狂気の元である「アリス」をの心を救う事が出来たなら、影響は緩和されるようです。

 狂気からの脱し方は人それぞれに。何かを『信じ続ける』と決めた人の姿は、少なからず「アリス」に影響を与えるでしょう。

●第三章『ミミクリープラント』
 集団戦。鋭い歯をもった植物のようなオウガの群れです。
 ひたすらに数が多く、未だ狂気の影響が色濃く残っている場合は苦戦を強いられるやもしれません。

●「アリス」について
 10代前半と見受けられる少女。
 取り戻した記憶は断片的で、自身の名前すら思い出してはいないようです。
 痩せぎすの身体に、あまり上質とは言えない布地の服を纏っています。オウガから逃げ惑っていたこともあり、 全体的にぼろぼろの印象です。
 裏切りの記憶により、(連れ添うオウガを含め)相対するものすべてにひどく怯えています。彼女にもういちど、何か・誰かを信じる心を、それを抱く勇気を与えてあげてください。

 各章、どこから参加していただいても構いません。単章参加も大歓迎です。
 グループ参加の際は、迷子防止のために【お相手のID】もしくは【グループ名】をご記入下さいませ。

 また、各章の受付日などをマスターページにて告知させて頂く事がございます。
 お手数おかけ致しますが、一読頂けましたら幸いです。

 それでは、どうぞ宜しくお願い致します。
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第1章 ボス戦 『マリスナイト』

POW   :    アリスの仲間達よ、彼女を守るんだ!
演説や説得を行い、同意した全ての対象(非戦闘員も含む)に、対象の戦闘力を増加する【強い使命感】を与える。
SPD   :    アリスを惑わす敵は、私が排除する!
全身を【アリスを騙す為の白銀の鎧】で覆い、自身の【悪意】に比例した戦闘力増強と、最大でレベル×100km/hに達する飛翔能力を得る。
WIZ   :    悪意は主の元へ還る
【自分の細剣】で受け止めたユーベルコードをコピーし、レベル秒後まで、自分の細剣から何度でも発動できる。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​

種別『ボス戦』のルール
 記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※このボスの宿敵主はテンタクルス・ダークネスです。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


 ――雨が、降っている。

「大丈夫か、アリス。気分は落ち着いたか?」
「……」

 細剣を携えた女が、痩せぎすの少女を連れて歩いていた。
 空いた左手を少女と繋ぎ、気遣うように速度を落として。
 まるで「アリス」を労わるかのようにして、連れ添っていた。

 けれど、けれども。
 この人もまた、あの化け物たちの仲間だったのではなかろうか。
 自分を追い掛け回していた鬼たちの中に、彼女の姿はなかっただろうか?

「アリス?」
「……、ぁ」

 覗き込んできた女の顔を見て、少女はびくりと肩を揺らす。
 少女を「アリス」と呼ぶ女の眼差しは、どこまでも真摯なように、見えて。

「……だ、大丈夫……です」
「そうか、なら良かった。ここはまだ危険だ、安全な場所までもう少し着いてきてくれ」

 そう言って手を引く女に従うまま、少女は森の中を歩いていく。
 この人もまた、「わたし」を裏切るのかもしれない。今度こそ自分は食べられてしまうのかもしれないと――そんな疑いを抱きながら、それでも。

 『あそこ』にだけはどうしても、戻れなかったから。

「…………」

 ぎゅっと、少女は掌を握りしめる。頬を伝う雫は、きっと雨のものだけではなくて。


 俯きながら歩く少女を横目に、女は――オウガは、ひそりとほくそ笑んでいた。

 惑え、疑え。未だ信じるかどうかを悩み続ける「アリス」は、きっとよほどに『良い子』だったのだろう。
 そういう者こそ、ひとたび転がり落ちてしまえばあっという間だ。より深い絶望を覚えた「アリス」は、とびきり素晴らしい『仲間』になる。
 
 その時にこそ、きっと……私たちは、いい友達になれるだろう?
キイス・クイーク
●*
どん詰まりの臭いがする。
オウガより先に、扉の前で会えとったらなあ。
おれが背中押したげたのに。

この国にも、愉快な仲間がおるやろね。
この国には、時計うさぎがおるやろか。

おれの国のこと思い出して、ため息ついて。
かあいそうに。

倒すのはおれの仕事やない。
攻撃はね、しないよう。おれは弱いもの。
オウガにもアリスにも攻撃なんてできんもの。
でもねえ、おれ、臆病者やから。
ついつい咄嗟の一撃、出てしまうかも。

弱いものいじめはいかんよう。
おれは「アリス」よりずうっと弱いのによう。

か弱いおれのか弱い抵抗。
金銀銅のコイン、受け取ってやあ。

「アリスより弱い」は嘘やないよ。
だってあの子ら、オウガになるものね。


エンジ・カラカ
●*

ハロゥ、ハロゥ、ご機嫌イカガ?
ステキなナイトサマ
おはよう、バイバイ!

賢い君、賢い君、あのナイトは賢いンだろう?
だからこうやってアリスに寄り添っているンだろう?

なら、なら、ヤルしかないよなァ……。
アァ……うんうん、そうしよう。
邪魔しよう。
賢いナイトサン、コレとあーそーぼ。

鎧は邪魔だなァ。どーやって壊す?
腕を狙おう。
オオカミは足が速い、逃げられても追いつく自信はあるヨー
相棒の拷問器具の賢い君
賢い君の糸をナイトサンの腕にぐるぐる巻きつけて
アリスに手出し出来ないように封じよう

属性攻撃は君の毒
繋いだ糸は毒の糸サ
アリスよりもコレと遊ぼう
賢いヤツは好きなンだ

アァ……賢い君は情熱的だろう?


ニコラス・エスクード
人の心の機微とはかくも難しい
幾年を経てもいまだに理解に及ばぬ
この物の身にて答えに辿り着けるかは判りはしない
だが確かに一つ判っているものがある

少女がこの身を信じる必要などはない
我が身は主より賜った信に満ちている
幾年を過ぎようとも揺るぎはしない
なればそれに応じ報いるが
この身が成された理由であり、この身の有り様だ

故に守護で劣る訳にはいかぬ
ただの一人を救えぬ身であってはならぬ
我が身は正しく盾、故に写し身も正しく
錬成カミヤドリにて盾の群れを成す

彼の騎士もどきが少女に害を為すならば、
その全てを我らが身にて受け留めよう
騎士もどきの凶刃も凶行も
戦場の余波もすべて
その全てより護り抜く為に力を注ぐ



 においが、する。
 濡れる草葉、湿気った地面。
 雨に打たれる森特有のにおいに紛れて――昏い、絶望のにおいがする。

「どん詰まりの臭いやなあ」
 スンスンと、鼻を鳴らしたのは白ねずみ。しとしとと雨降る森の 中、遠目に見える影二つを眺めながら、キイス・クイーク(窮鼠・f26994)がぽつりと溢す。
 この国も、あの「アリス」も、もう間も無くにどん詰まり。
 何も立ち行かなくなって、どんよりとした蔭が満ちていって。そうして『絶望』に濡れた世界の中で、心がじゅくじゅくと腐っていく臭いを。この白ねずみは、よぉく知っている。
「オウガより先に、扉の前で会えとったらなあ」
 ――そしたら、おれが背中押したげたのに。
 はぁ、とキイスは嘆息混じりに言葉を落とす。ねずみの耳がぺちょりと下がって、真っ赤なお目々に影が差した。
 オウガによって作り替えられつつあるこの国にも、きっと愉快な仲間がいるのだろう。
 今は姿が見えないけれど、もしかしたら――時計うさぎも、いるかもしれない。
 どうしてもキイスの脳裏を過るのは、もうどん詰まりになってしまった国の事。うさぎが死んでしまったおれの国。何をも守れずに沈んだ白ねずみは、ぶかぶか帽子を握り締めて「かあいそうに」と小さく鳴いた。

 このままでは、「アリス」はきっと自分の世界へは帰れない――そも。今の少女は、帰る意志そのものを見失っているのやもしれないが。

「……難しいな、人の心は」
 低く、重い声音が落とされる。黒甲冑に身を包んだニコラス・エスクード(黒獅士・f02286)もまた、遠く森を歩く二人の姿を捉えていた。
 門繋ぎの者の予知によれば、かの少女も直前までは“帰ろうと”していたのだと言う。
 だが、今はこうしてオウガに促されるまま己の扉から遠ざかり、『絶望の国』を彷徨っている状態だ。
 己の記憶を思い出したのだという「アリス」に、どういった心情の変化があったのか。伝え聞いた話ばかりでは、凡そを想像することは出来ても真に迫ることは困難だ。
 ――ましてや、元が人ならぬこの身では。人の心の機微を察するはかくも難しく、幾年を経てもいまだに理解が及ばない。

 嗚呼、だが。理解及ばずとも、答えに辿り着けずとも。
 ニコラスは唯一つだけの、己の『為すべき事』を知っている。
「この身は盾なれば。少女の護りは、此方にて引き受けよう」
 ――故に、かのオウガへの攻め手は存分に行ってもらって構わないと。言外に告げるニコラスの、その横で。

 ゆうらり、身を起こす影一つ。昏い森に潜んだ黒いオオカミ――エンジ・カラカ(六月・f06959)の口元が、ニィと緩やかな弧を描いて。
「アァ……賢い君、賢い君」
 黒狼の囁く声は、己の懐より出でしツガイの器具へと向けられる。
 相棒の拷問器具、賢い君。ひそやかな毒を孕む君が、エンジの声に応えるようにゆらりゆらりと揺れている。

 なァ、賢い君。あのナイトは賢いンだろう?
 だから、ああやって「アリス」に寄り添っているンだろう?

「なら、なら、ヤルしかないよなァ……」
 うんうん、そうしよう。あの賢いナイトの、邪魔をしよう。
 どこか得心が行った様に頷いて、獲物を定めたオオカミの瞳がクイと細まる。ゆらりと君が揺れると共に、黒狼は音も無く地を蹴った。

 ――さぁ、狩りを始めよう。



 「アリス」は、森の中を歩いていた。
 横歩く女に手を引かれ、何処へ行くのかも分からずに。少しずつ、けれど確実に、あのこわい記憶を思い出した『扉』から遠ざかっていく。
 ……それで良いと、思っていたのかもしれない。今の「アリス」に、あの扉を開ける勇気はなかったから。扉の先に待つものを受け止められるだけの余裕を、少女はまだ持ち得ずにいたから。
 ぱしゃりと、踏み締めた水溜りから音が鳴る。冷えた足先は、ほのかに痛みを訴えていた。
 静かに降る雨は、さほどに激しくはないけれど。小さな「アリス」の体力を奪っていくには十分なものだった。少しだけ足を休めたくて、少女はおずおずと手を引く女へ声をかける。
「あ、あの……」
 それは、か細く、怯えを滲ませた声だった。自分が行動を起こした瞬間に、何かが――それがこの女人か、森に潜む何者かかも分からないが――己に牙を剥いてくるのではないかと。何もかもを恐れているかのような、声だった。
 そうして「アリス」が視線を上げた先――手を引く女の、其の向こう。
 先ほどまではなかった“お月様”がふたつ、此方を見つめているのが少女の目に入るだろう。
 咄嗟のことに驚いて「アリス」は小さく息を呑む。女に連れられて以降、“ひと”に会うのは初めてのことだった。

 ぼう、と薄闇の中に浮かぶ金の双眸。いつの間にここまで近づいていたのだろうか、ひそりと現れた黒い影――エンジが、木々の間から顔を出す。
 姿を現したエンジは、“お月様”ふたつをにんまり細めて。弧を描いた其の口が、「アリス」たちへ軽やかに言葉を吐き出した。
「ハロゥ、ハロゥ、ご機嫌イカガ?」
 ゆらり、エンジの指先で赤い糸が揺れて――刹那。
 誰の答えを待つ間もなく、オオカミは『君』を女へと差し向ける。躊躇いなく放たれた赤い糸、毒を滲ませた『賢い君』が、オウガを絡めとらんと牙を剥く。
「なっ!?」
「おはよう、バイバイ!」
 女の形をした人食いオウガ、「アリス」を連れ去る賢いナイトへご挨拶。
 だって、アイサツは理不尽と共に交わされるものだもの。ハロー。ハロー。ステキなナイトサマ。明日も月が見れると良いね。

 そうして差し向けられた糸に、言いも知れぬ怖気を感じて。女は手にした細剣で、『賢い君』を咄嗟に弾く。僅かに赤糸が触れた腕が、不自然な痺れを訴えていた。
「……毒か」
 そう判断するや否や。「アリス」を“庇うようにして”エンジの前へと出た女は、瞬きの間に鎧を纏うだろう。全身を覆う白銀の鎧は、まるで正義の騎士の様相そのものだ。
「アリス。あの危険な輩をすぐに片付けてくるから、お前はそこで待っていてくれ」
「えっ、あ……」
 目の前で瞬く間に交わされたやり取りに、理解及ばぬ状態ながらも。「アリス」は戸惑いを滲ませつつ、女の言葉に頷いた。
 その、一連の様子を見て。エンジは笑みを絶やさぬままに、目前の“騎士”へと声を掛ける。
「賢くてステキなナイトサマ。コレとあーそーぼ」
 賢いヤツは好きなンだ。だから、コレと遊んでくれるだろう?
 そうして、エンジは再び赤い糸を放つだろう。オオカミの意図を汲んだ『賢い君』は、迷い無く女の腕へと伸びていって――しかし。
 寸でのところで、女が地を蹴り飛翔する。咄嗟に足を捉えようと追い縋る『君』を置き去りにして、女は空へ飛び上がった。
「アリスを脅かす者め、覚悟しろ!」
 飛翔したままに、今度は女の剣がエンジへと向けられる。驚異的な速さで差し迫る剣の先、女の悪意によって威力を増した其れを、エンジは咄嗟に身を捩る事で回避する。夜闇を溶かし込んだ一房が、はらりと宙に舞って落ちていった。
「アァ……その鎧は邪魔だなァ」
 危なげなく体勢を整えながら、エンジが白銀の鎧を見据えて言葉を溢す。
 賢い君、賢い君。アレを、どうやって壊そうか?

 一方で。速さを存分に乗せた一撃を躱され、女はチッと舌を打っていた。白銀の鎧が無ければ、歪んだ女の顔が晒されていた事だろう。
 女は、すぐ様に二撃目を放とうと方向転換をして――直後。思わぬ光景に、目を見張る。
 今し方に仕留め損ねた男の向こう、「アリス」が言いつけ通りに佇むそこに。
 影が二つ、少女を守るかのようにして立っているのを、見て。

「――貴様ら、アリスから離れろ!!」



 「アリス」は、突如として現れた黒と白の影を前にして。状況の分からぬままに、ふるふると身を震わせていた。
 あの女人が飛び去った後、すぐ様に姿を現した二つの影。見上げるほどに大きな黒い鎧と、それよりは小さな、けれど少女よりは背の高い白いねずみ。
 彼らは一体何者だろうか。あの黒いひとの仲間か、それとも女のひとの同類か――全く別の、「アリス」を脅かす何かだろうか?
 小さな体をますます縮こませる少女の姿に、キイスは瞳を翳らせる。小さく吐かれた息には、哀しげな色が滲んでいた。
「かあいそうに。うさぎでなくて、おれたちみたいな『仲間』でもなくて。あの鬼に、捕まってしもうたんね」
 彼女がどんな記憶を思い出したのかは、分からないが。こんな“どん詰まり”に取り残されるくらいなら、無理にでも扉に飛び込んだ方が芽があったかも知れないのに、と。
 溜息を溢しながら、キイスは少女へと声を掛ける。ひどく怯える少女に、己の言葉が届くかは分からないけれど……この白ねずみは、かあいそうな「アリス」の味方であったから。
「『アリス』。おれは、なんも手は出さんよう」
 だって、おれは弱いもの。「アリス」は元より、オウガにだって、攻撃なんてできんもの。
 ――だから、少しは安心おしと。言外に告げるキイスを、少女は震えながら見つめ返す。
「え、ぁ……あの……」
 白ねずみの赤い瞳に、敵意はなく。彼らが何者だろうかと戸惑う少女は、けれどなかなかその問いを紡げずにいた。
 一度言葉にしてしまったら、明確になってしまうような気がして。誰が味方で、誰が敵で――誰が、自分を裏切るのかを思い知らされて――あの光景を、気持ちを、今一度突き付けられてしまうような気がして。少女は、本能的にその問いを抑えているようだった。

「……無理に信じずとも、良い」
 喉を震わせ、言葉を紡ぎ損ねる少女へと。声を掛けたのはニコラスだった。
 その言葉は、戸惑う少女への気遣いでもあり。同時に、彼にとっての真実であったから。
 例え、少女がこの身を信じずとも。ニコラスと云う盾は、嘗ての主より賜った信に満ちているのだから。幾年を過ぎようとも揺らぐことのない其れに、盾はただ応じ報いるのみである。
「俺は、我が身の有り様を示すのみだ」

 故に。ニコラスは、少女の前へと立つ。
 「アリス」に近付いた自分たちの姿を見とめて、その剣先を此方に――避ければ“少女へと当たる”軌道を描く、かの騎士もどきの凶刃の前に立つ。

「――貴様ら、アリスから離れろ!!」

 叫ぶ女の言葉とは裏腹に、その細剣の切っ先は迷い無くニコラスへ、その後ろに佇む少女へと向けられていた。「アリス」を確保しようとする猟兵たちの動きを、制限する為の一手。
 驚異的な速さを伴った突きは、並の兵を容易く貫くだろう。かと言って、其れを避けてしまえば少女の身に危険が及ぶやも知れない。
 ――が。ニコラスにとって、それは些末な事であった。何せ、盾は何があろうとこの少女を『護る』と決めている。
 少女を後ろにして、敵の一撃を避ける手段など。初めから勘定に入れてはいないのだから。

 嗚呼、守護で劣る訳にはいかぬ。
 か弱く、救われるべき少女の一人すら、救えぬ身であってはならぬ。
 我が身は正しく盾であり――その写し身もまた、その在り方を正しく示すのみ。

「……そのまま、動いてくれるな」
 小さく落とされた呟きは、少女へ向けたものか、はたまた味方の猟兵へのものか。
 彼が声を発した、次の間に。ズラリと顕現したのは、白妙の円盾――その、複製の群である。
 ニコラスを、そして少女たちを護る様にして現れたそれらが、女の凶刃を受け止める。
 その突きの鋭さ故に、幾つかの写しが貫かれ。追突の衝撃が余波となって彼らを襲うだろう。

 鼓膜を揺らす爆音と風圧。それらから少女を護るように、ニコラスは盾の幾つかを少女へと差し向ける。
 自らの近くへと寄ってきた盾に、少女は思わずびくりと肩を震わせるも――不思議と危機を感じぬそれらに戸惑いこそすれ、そこまでの恐怖心は抱いていないようだった。

「チッ、煩わしい……!」

 飛翔の速さを乗せた一撃を、猟兵たちの誰一人へ通すことも叶わずに。貫いた盾の幾つかを振り払って、鎧纏う女は悔しげに顔を歪ませた。
 だが、相手はまだ「アリス」を庇うようにして立っている。後ろに少女がいる限り、ニコラスは女の攻撃をただ受け続けるのみとなるだろう。
 ならば、存分に甚振ってやろうかと。白銀の鎧の下、女が悪意に満ちた笑みを浮かべて、今一度に細剣を振りかぶった――その、右腕に。

 ぐるぐると、後方より放たれた赤い糸が絡みつく。
 その細さからは想像出来ぬ頑丈さで、『君』は女の腕を捕らえるだろう。
「なァ。『アリス』よりも、コレと遊ぼう。賢い君と遊ぼうヨ」
 揶揄とも取れる声音で、女の背後に現れたエンジが言葉を紡ぐ。
 女の飛翔は、目を見張るほどに速いものだが。オオカミだって、足は速い。攻撃の矛先を変えた女へ追いつくのに、そう時間は掛からなかった。
 細剣持つ右腕を捕らえた赤糸へ、女は忌々しげに視線を向ける。劣勢とまではいかないが、思うように立ち回れぬ歯痒さが、殺気となって漏れ出していた。

 ――その、殺気を受けて。ピクリと耳を動かしたのは、少女の傍に控えていたキイスだった。ああ、ああ、こわいなあ。鎧に覆われた顔は見えんけど、きっと鬼みたいに歪んでるんやろなあ。
「弱いものいじめは、いかんよう」
 ちゃりん、と。キイスの手から咄嗟に放られたのは、キラキラ光る三枚のコイン。
 白ねずみにとってはガラクタ同然の、金銀銅の小さな金貨が。幾つもの盾の間をすり抜けて、女の纏う白銀へと触れた――其の、瞬間に。
「ッ!?」
 パキン、と。まるで脆いガラスのように、白銀の鎧が罅割れる。パキパキと蔓延る罅は止まらずに……次の間には、女の鎧は無残にも砕け散っていた。
 それは、か弱いか弱いねずみの抵抗。相手を害す手段を持てず、ただ我が身に降り掛かる危険を回避する事で精一杯の、臆病なキイスが持ち得た技のひとつ。
 嗚呼、そうさ。あの鎧を封じたって、オウガが恐ろしい事に変わりはない。細剣から繰り出される一撃は、無力な白ねずみを容易く屠ってしまうだろう。
 ――けれども。それは、この場に居るのが白ねずみ一匹だけだったらの話。

「っ、アアッ!?」

 じゅうじゅうと、皮膚の焼けるような音がする。
 女の腕に巻き付く赤糸が、ここぞとばかりに其の毒を染み込ませて。露わになった肌に、爛れる其れを贈るだろう。痛みのあまり、女が細剣を取り落とす。
「アァ……賢い君は、情熱的だろう?」
 にんまり笑顔のオオカミが、どこか嬉しげに嘯いて。『君』の毒を、女へと注ぎ続けていく。

 嗚呼、けれど。
 直に触れる毒に、たまったものではないといきり立って。身を捩った女は、左手で落とした細剣を掴み取る。効きの手ではなかろうが、思い切りに薙ぎ払えば――はらりと、赤い糸が解けていった。
 女は、咄嗟に地を蹴って跳躍する。鎧を纏う時ほどの飛翔能力はないが、それでも人外のものだからだろうか。常人では有り得ざる高さと速さをもって、女は猟兵たちの上を飛び越え「アリス」の後ろへと降り立った。

「逃げるぞ、アリス! 早く!!」
「ぇ、あっ……!」

 爛れた肌を隠しもせずに、女は「アリス」の腕を無理矢理に掴む。
 女の有様に、そして有無を言わせぬ力強さに。少女が喉奥で小さな悲鳴をあげたのを見とめて――キイスは、痛ましげに瞳を細めた。
「なあ。その子、どこに連れていくの」
 武器をなく、けれどそのままに連れ去られる「アリス」を思えば、何もしない訳にもいかず。小さく問い掛けたキイスに、女はキッと鋭い眼差しを向ける。
「お前らのような、危ない輩の居ないところだ! アリスを脅かす者どもめ!」
 ――そうして、力が篭る女の手の中で。少女の細い腕が悲鳴をあげているのに、このオウガは気付いているのだろうか。
「手を出すなんて、とんでもない。おれは、『アリス』よりずうっと弱いのによう」
 少女がオウガの傍らにある以上、キイスは無闇に手を出そうとはしなかった。元よりか弱いこの身では、出来る事は限られている。

 だから、己に出来るのは、せめて。

「だって、その子ら。オウガになるものね」

 「アリス」が、いつか気付けるように。
 小さな種を、撒くことだけだった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​


 女に手を引かれるままに、少女は森の中を駆けていく。
 痛みを覚えていた足が縺れて、けれど振り返らぬ女の背を見ながら。少女の頭の片隅に、先のやり取りが過っていく。


 すこしだけ、ふしぎなことがある。
 この女のひとは、あのひとたちを怖いものだと、危険なものたちだと言っていたけれど。

 でも、あのねずみさんも、遠くにしか見えなかったお月さまも。
 そして……あの、白い円盤のようなものを傍らにくれた、ひとも。

 あんなに近くにいたのに――「わたし」に、痛いことなんて。
 ひとつも、しなかったの。
ジュジュ・ブランロジエ
●*

聞いて、アリス
私達は貴女を助けにきたの
そこにいるオウガは騎士の姿をしてるけど貴女を騙そうとする悪者なんだよ
でもそんなこと言われてもすぐには信じられないよね
だから信じてもらえるよう頑張るよ
私達は貴女を決して傷付けない

白薔薇舞刃に氷属性付与し二回攻撃
あっ、ほら、オウガが貴女を盾にしようとした!
でも安心して
私の白薔薇はそこの悪者しか傷付けないから

コピーされたUCには炎属性付与した白薔薇舞刃をぶつける
同じUCなら属性的にこっちが優位!
さあ、まだまだいくよー!

アリスが巻き込まれないよう注意する
危ない場面があれば早業でオーラ防御を彼女に
傷付けないって約束したから
ほんの少しでも信じてもらえたら嬉しいな



 雨降る森を駆けていく影二つ。
 「アリス」の腕を掴んだまま、地を駆ける女は先の者達について考えていた。

 あれは、十中八九“猟兵”たちだ。「アリス」の確保に専心する者たちの話は、オウガである女も耳にしたことがある。
 あの程度の相手、一人二人ならすぐに制す事も出来るかもしれないが。どうしたことか、奴等は次から次に現れてくるのだと伝え聞いている。一箇所に止まっていては不利になるだろうと、女はひとまず逃げの選択を取っていた。
 だが。このまま「アリス」がオウガと化すまでに、逃げ切ることが出来るだろうか?
「――の、あの……!」
「!」
 背中から掛けれていた声に、はたと気付いて。女は、ようやくにその足を止めた。
 振り返れば、息も切れ切れといった少女が、何かを言いたげに此方を見上げている。
 うすらと瞳に張った膜は、体力の限界から来るものだろうか。痩せぎすな少女に、オウガの素早さは酷なものだったやもしれない……この「アリス」がオウガとなるまでに死んでしまっては、元も子もないのだ。
「ああ、すまないアリス。あいつらからお前を遠ざけようと必死になって……つい、急いでしまった。許してくれるか?」
「え、あっ、は、はい……っ、いえ。そうでは、なくて」
 息を切らしながら、それでも少女は言葉を続けていく。女を見上げる「アリス」の瞳は、戸惑いを滲ませてゆらゆらと揺れていた。
「あの、さっきのひとたちの、ことで……」
「――ああ、あの」
 スゥと、女の瞳が細められる。仄かに剣呑さを帯びた双眸に、少女はびくりと肩を震わせた。
「アリス、可哀想なアリス。あいつらに、何か吹き込まれたのか?」
 だとしたら、すぐに忘れてしまいなさいと。「アリス」の視線に合わせるようにして屈んだ女は、ひどく優しげな声音で口にした。あくまでお前のためなのだと、言外に含めるようにして。
「奴らの言葉を信用するな。如何に味方だと嘯いてこようが、惑わされてはいけない――あいつらは、お前の望まぬことを強いてくるのだから」
「……わたしの、“望まない”こと?」
 きょとりと。思わぬ言葉を掛けられて、少女は瞳を瞬かせる。一体何のことだろうかと疑問を抱く少女へ、女が解を示そうと口を開いた――その時、だった。

「だめだよ、アリス! その人から離れて!」
 どこか逼迫したような声が、少女の耳に飛び込んでくる。
 ハッとして振り返った先。白兎の人形を供にした少女、ジュジュ・ブランロジエ(白薔薇の人形遣い・f01079)が、「アリス」へと真剣な眼差しを向けていた。
 先程の声は、この人のものだろうか? その真意を測りかねてか、「アリス」は戸惑うような視線をジュジュへと向けている。
「聞いて、アリス。私達は、貴女を助けにきたの」
「たす、け……?」
 自らの置かれた状況の、全てを把握している訳ではないのだろう。おどおどとした様子で首を傾げる少女に向けて、ジュジュは真剣な声音で言葉を続けていく。
「そこにいるオウガは、騎士の姿をしてるけど。貴女を騙そうとする悪者なんだよ」
「ハッ、何を馬鹿なことを。アリスを騙そうとしているのは、お前たちの方だろう?」
 そんなジュジュの言葉を遮ったのは、オウガである女だった。あくまでも“猟兵たち”が「アリス」の敵であるかのような科白を放つ女に、ジュジュは「そんなことない!」と声を上げる。
「もちろん、すぐに信じてもらえるだなんて思わないけれど……でも、助けたいのは本当だから」
 私達は、信じてもらえるように頑張るだけだよ。
 ジュジュは、手にした弓をぎゅっと握りしめる。あの、瞳に深い哀しみの色を滲ませた「アリス」をこのまま放っておける筈がない。彼女の顔にも笑みを咲かせてあげたいと、ジュジュは強く願っていたから。
 その為にも、まずはあのオウガを少女から離さなければならない。手に握る金弓へ魔力を流し込みながら、ジュジュは改めて「アリス」を見つめる。

 はらはらと、弓が白の花弁へ姿を変えていく最中。
 冷たい雨に身を晒し、わけの分からぬままに震える少女へ。ジュジュは、晴れやかに笑いかてみせた。

「これだけは約束するよ、アリス。――私達は、決して貴女を傷付けない」
「――――、ぁ」

 力強い光を灯した眼差しが、惑う「アリス」を真っ直ぐに射抜く。
 煌く翡翠は、とても綺麗なもののように思えて。少女は、我知らずに小さく息を呑んでいた。

 ――次の、間に。
 ぶわりと。白い薔薇の花弁が、花の嵐となって彼女たちの周りに吹き荒れる。
「さぁ、ご覧あれ。白薔薇の華麗なるイリュージョンを!」
 仄かに光を帯びた白い花弁が、騎士を模した女の肌を撫ぜていく。
 それらは、まるで氷の刃の様な鋭さと冷たさをもって。オウガの身に赤い線を走らせた。
「っ、アリス!!」
 女が反射的に少女へ手を伸ばす。それは、一見無差別に吹き荒れる花の嵐に、少女の身を心配しての行動にも見えた。
 無論、そういった思惑もあるのやもしれないが。その根本には、「アリス」を傷付ける事を忌避する猟兵への、牽制が込められているのだろう。先の戦闘を経ても少女から離れようとしないのは、万一の保身もあるに違いない。
 そうして、女は少女を自らの傍らに寄せる――が、しかし。

 どうした事だろうか。舞い散る花弁は、少女を傷付ける事はなく。オウガである女“だけ”に牙を剥いている。
「なっ……!?」
「私の白薔薇は、悪者しか傷付けない――アリスを盾にしようとしたって、無駄なんだから!」
 女の行動を見据えたかの様なジュジュの言葉。驚きに目を見開いていたオウガは、それを受けて忌々しげに顔を歪ませた。
 これ以上余計な口を開かせてなるものかと、女は手にした細剣を掲げてみせる。鋭い切っ先をジュジュへと向けて、オウガは悪意に満ちた言葉を紡ぐだろう。
「ならば、この花弁はお前に返そう――悪者は貴様らだ、異界の者め!」
 それは、受けた術を反射する様にして撃ち返す技。今し方に女を襲った氷纏いの花弁が、その細剣の先より巻き起こる。
 己に向かって勢いよく放たれた花の嵐に、しかし。ジュジュは怯む事なく、狙い通りと言わんばかりに口角をあげてみせた。
 そっくりそのままの技のトレース。即興にしては上手だけれど、ただの真似ならまだまだ甘い。
 そうして、ジュジュが再び巻き起こすイリュージョン。舞い踊る花弁はその形こそ同じものだけれど――纏う魔力は、あつく、赤い炎のそれ。
 アンコールにちょっとしたアレンジを加えるのだって、旅芸人の技術の一つ。同じ技の撃ち合いなら、纏わせる魔力の相性で勝負をかけるのみ。
「さあ、まだまだいくよー!」

 再び、オウガと「アリス」が白い花弁の渦に呑み込まれる。
自身に寄り添う女が苦しげに呻くのを聞いて、少女はおろおろとするばかりだ。
 ――けれど。やはり、さっきと同じ様に。この白薔薇は、少女だけは傷付けない。

『私達は、貴方を決して傷付けない』

 真っ直ぐに放たれた『約束』の言葉が、「アリス」の耳奥で反響していた。

大成功 🔵​🔵​🔵​


 『約束』だって、言っていた。
 わたしを決して傷付けないって。見ず知らずのあのひとは、わたしを真っ直ぐに見つめていた。
 ほんの少しでも……『信じて』もらえたらって。

 キュウ、と喉の奥が締まっていく。
 優しそうなあのひとの言葉に、頷いてしまえば。楽になれたかも、しれないのに。

 ――その後に待ちうけるかもしれない『もしも』の想像が。
 どうしても。こびりついて、離れない。
冴島・類
●*

寄り添ってから裏切る…気分悪いね

降る雨の音、水滴
怯える子の瞳から流させないように
まず、武器は納刀したまま両手を上げ
彼女と…オウガに挨拶

こんにちは
どこに行けば良いか、迷子のお嬢さんと
拐かす騎士もどきがいると聞いて

知らない人ばかりで不安だよね
僕は類
この子は、灯環(ひょいと連れ差し出し
君と知り合いたくてきたんだ
傷つけたりはしないから、少しだけ
待っていてね

分断は出来ずとも
彼女を盾にしようとしたら割り入り
糸を編み、オウガの腕を縛り、止め

敵の攻撃は見切り芯だけ外し
受けてでも、誘導させぬよう印象づけ
踏み込み
至近で紡ぐ言葉に潜むものへ向け
問いの花を

ねえ
君の言う安全な場ってどこ?

悪意の色と笑みが、透けてるよ



 しとしと、昏い森に雨が降る。
 湿気た匂いに満ちる世界へ、静かに降り立つ影がまた一つ。
 カタン、と背に担ぐ箱から小さな音を響かせながら。冴島・類(公孫樹・f13398)は不思議の国――改め、絶望の国へと足を踏み入れていた。
「寄り添ってから裏切る……気分悪いね」
 ぽつりと。溢した言葉は、かのオウガへ向けた嘘偽りのない所感。
 人とまみえる際に纏う様な、穏やかな雰囲気は鳴りを潜めて。彼の瞳には、仄かに冷えた色が滲んでいた。
 ――だが。それも、瞬きの一つで掻き消える。
 次の間には、人好きのする柔らかな雰囲気を纏わせて。類は、森を駆ける少女達へと一歩を踏み出した。徐々に此方へと近づいてくる彼女たちに気取られないように――必要以上に驚かさないようにと、気を付けながら。

 やがて。遠目に見えていた二つの影が、人の形をはっきりと象り始めた頃。
 森を進む少女とオウガの前へ、類はその姿を現すだろう。
 得物は腰に納めたまま、行きずりの者であるかのように装って。類は、青ざめた顔の少女と……険しい顔をした女へ、にこりと柔らかに笑ってみせる。
 ひらりと会釈代わりに振った手は、彼の敵意の無さを示していた。
「こんにちは、道行くお二方。少しだけ、足を止めてもらっても良いですか?」
「……何者だ、貴様」
 鋭い剣先を向けてくる女に、類はどこ吹く風といった様子で笑んだまま。
 けれど、その瞳に――少しだけ、剣呑なものを宿しながら。
「どこに行けば良いか分からなくなってしまった、迷子のお嬢さんと――それを拐かす、騎士もどきがいると聞いて」
 声音にどこか挑発めいた響きを滲ませて、類はオウガを一瞥する。此方を警戒して……というよりは完全に『敵』と認識しているであろう女が、「アリス」の腕を掴む手へ力を籠めるのを、類は見逃さなかった――それによって、痛ましげに歪む少女の顔も。
 スゥ、と萌黄の双眸が僅かに細められる。頬を打つ雨粒が、いやに冷たく感じられた。
「……知らない人ばかりで、不安だよね」
 一歩。ゆるりとした足取りで、類は「アリス」である少女へと近付くだろう。
 戸惑いに身を震わす少女を怯えさせない様に、優しく語りかけながら。ひしひしと突き刺さる女の視線を素通りし、類は少女と視線を合わせるように屈み込む。
 ――すると。類の肩口から、ひょこりと。小さな毛むくじゃらが顔を出した。
「!」
 びくりと、少女の肩が小さく揺れる。突然姿を現した子に驚いて、けれどその愛らしさ故に興味を惹かれる心もある様子で。「アリス」の視線は、目の前の青年と、青年の肩でぴょこぴょこ身体を揺らす毛玉との間で揺れていた。
「僕は類。この子は、灯環と言うんだ」
 そう言って類が示した小さなヤマネ――灯環は、ぴょんと肩口から飛び跳ねて。徐に伸ばされた類の腕を駆け降り、彼の掌へと収まるだろう。類の掌へちょこんと座った灯環は、そのくるくるとした瞳を「アリス」へと向けている。
 愛らしく人懐こいヤマネの子は、まるで「撫でて、撫でて」とでも言っているようで。その瞳につられるように、少女はおずおずと手を伸ばす。近づく指先の匂いを嗅ぐように、灯環はスンスンと鼻をひくつかせていた。
「僕もこの子も、君と知り合いたくてきたんだ。君を傷つけたりはしないから――少しだけ」
 待っていてね、と。そう類が言葉を紡ぐと共に、灯環がぴょいと小さく跳ねる。類の掌から、少女の小さな掌へ。軽やかに移動したヤマネの子は、チチチと愛らしい鳴き声を上げていた。

 さて、と。
 徐に立ち上がった類は、彼の背に突き刺さる殺気の主へと振り返る。此方が未だ抜刀していないからか、女もまた手にした得物を揮いこそしないものの。その剣先は、迷いなく類の中心へと向けられていた。
「……まるで騎士とは程遠い振舞いだね。背を向けた相手に、剣を向けるだなんて」
「ぬかすな。アリスを連れ戻そうなどと画策する不届き者どもに、掛けてやる情けなど有りはしない」
 不遜極まる女の口振りに、類はぴくりと片眉を動かす。人の傍らに在りながら其を害す鬼が、言うに事欠いて不届き者とは――いや、それよりも。
「君の言い方だと……迷い人を元の場所に送り届けるのが、ずいぶん悪い事のように聞こえるけど」
「ああ、そう言っている」
 フン、と女が鼻を鳴らす。その瞳には、明らかな嘲りの色が浮かんでいた。
「アリスは『戻りたくない』そうだ。よって貴様らの出る幕はない、早々に立ち去るが良い」
 痛い目を見たくなければな、と。「アリス」の味方を装うような言葉を、女は口角を上げながら口にする。
 歪に口の端を吊り上げたそれは。自らの勝ちを確信するものが浮かべる、侮りに満ちた笑みであった。
「そうか。君は、あくまでこの子の為に動くのだと言うんだね」
「ああ。貴様らよりもよほどに、私は『新しき友』の事を思っているんだ。アリスを安全な場所まで送るのは、友である私の役目だろう」
 女は、気付いている。類が、猟兵たちが、“「アリス」がオウガへと変質すること”に気付いていると、気付いている。
 このまま「アリス」の絶望が芽吹くのを見過ごせと。この鬼は、そう言っている。

 それはいっそ、あからさまな挑発であった。そうすれば、目前の青年が激昂するのではないかと、女は目論んでいたのだろう。柔らかな物腰で「アリス」の心を解きかけた青年を、改めて『敵』であると少女に知らしめるために。
 いざ抜刀されたところで、この温和を体現したかのような優男ひとり、容易く屠ってしまえるだろうと。女は、なおも言葉を続けていく。
「可哀想なアリスの慟哭を、お前は聞いていないだろう? ――出遅れた貴様らに、為せる事など何もないんだよ」

 そうして、嘲りを浮かべる女は。
 躊躇いなく、虎の尾を踏み抜いた。

「……そう。ならば、あと一つだけ。君に聞きたいことが、あるのだけど」
 低く、感情を削げ落とした声で。類は、オウガへと一歩を踏み出すだろう。ぺきりと、足元で湿った枝の折れる音がした。
 手は出さない。刀を抜くつもりは毛頭ない――だが。
 この見え透いた悪意に、「アリス」を抵抗なく渡すつもりも、一切ない。

 自身へと向けられた細剣に、類は自然な動作で手を添える。彼の指から伸びる糸が、くるりと其の刀身に巻き付いた。
「!」
「ねえ」

 一歩。踏み込む青年の、開かれた萌葱の瞳に。
 女の浮かべる歪な笑みが――『悪意』の色が、映し出されて。

「君の言う安全な場って、どこ?」

 ――花が、咲く。
 瞳より芽吹く白は、邪を喰らい咲く情念の花。シンジツこそを求め語る、カガミウツシの存在問答。
 問われた女は、花の望む解を述べるに能わず。その邪に満ちた心を喰らわんと、瞬く間に其の根が張り巡らされるだろう。

 ひらりと。昏く染まった花弁が、雨降る森の中に舞っていた。




 はらり、はらり。苗床を失って、白い花弁が散っていく。
 命からがらに逃げ出した女と、それに連れられた少女の後ろ姿を視界に収めながら。
 青年は、咄嗟のことに置き去りにされたヤマネの子へと手を伸ばす。

 チチ、と。
 青年の腕を駆け上がった灯環が、少しだけ寂しそうに鳴いていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

冴木・蜜
……、
その絶望を知っている
裏切られたあの苦しみを 暗澹を
私は知っている

この絶望に沈ませたりはしない
彼女を救いましょう

アリスの安全を最優先
敢えて手ぶらのまま対峙します

オウガに都合の悪い事実を並べ攻撃を誘発
攻撃を受けると同時に身体を液状化
飛び散る血肉さえ利用し
捨て身の『毒血』

手ぶらの私を殺そうとする貴方の行為
アリスにはどう映るのでしょうね

アリスへ攻撃が及びそうになれば
身体を捻じ込んででも阻止

その娘は貴女を利用する鬼だ
傍に居てはいけない

信じろとは言いません
ですが貴女を護るのなら
もっとするべきことがあるのでは?

信じられないというのなら
私たちを利用して下さい
どうか諦めないで

私は貴女の助けになりたいのです



 昏い、昏い森の中。
 重く、どんよりとした空気が、ソレの肩にのし掛かる。
 世界に満ちる絶望の気配、裏切りを切欠とした苦しみの顕れが。
「……、」
 細く、湿った息が溢れ出る。この世界に足を踏み入れてから、じわりじわりと浮き上がってくる感情を吐き出すようにして。人の形をしたソレは、あまりに覚えのある陰鬱さと相対していた。

 幼き少女が目の当たりにしたと言う絶望。心より信じていた人に、裏切られるという暗澹を。
 冴木・蜜(天賦の薬・f15222)は、その身をもって知っていたから。

「……彼女を、救いましょう」
 この絶望に、かの少女を――人を、沈ませるわけにはいかないと。
 昏い色を宿した双眸が、硝子越しに世界を見遣る。水気を含んだ前髪から垣間見える森の中、件の少女と『騎士』が駆ける姿をその目に捉えて。蜜は、彼女たちを待ち伏せようと歩を進める。
 ぴちゃん、と。黒い油のような水滴が、雨粒に紛れて地に落ちていた。



 ゆらり。木々の合間から突如として姿を現した影に、女は警戒して剣先を向けた。
 姿を現した影――蜜は、その手に何も携えることなく。一目で“無防備”と分かる風体で、静かにそこに立っている。
 得物を持たぬ相手を前にして、しかし。女は手にした細剣を納める事なく、依然として鋭い切っ先を蜜へ向けたまま。剣呑な眼差しで、目前の敵を見据えている。
「また先程と同じ手合いのものか……アリス。私から離れるなよ」
「え、あ……で、でも……」
 女の忠告に、けれど「アリス」はすぐに肯けずにいるようだった。
 先に遭遇した人々――猟兵たちは、決して彼女に敵意を向けずにいたから。
 もしかしたら、普通にお話が出来る人たちなのではないかと。少女は、そう言葉を続けようと、して。
「ダメだ、アリス」
「!」
 ギロリと。女に向けられた鋭い視線に、少女は思わず息を呑んでしまう。
「あいつらの言葉に、態度に惑わされてはならない――奴らは、お前をあの『扉』へ放り込む気だぞ」
「ぁ、」
 女の言葉を受けて、少女はびくりと肩を跳ね上げる。
 それは、それだけは。「アリス」は、受け入れることが出来なかった。あの『扉』へ、その先に待つ場所は、どうしても。行きたくなかったから。
 身を震わせながら俯いてしまった少女の姿を見て、蜜はスゥと目を細める。なるほど、このオウガはあのようにして「アリス」の意思を封じながら、ここまでやって来たのだろう。
「……そうは、言いますが。では、貴方はその少女をどうするつもりなのですか?」
 静かに、問う。冷めたさを滲ませた声が、蜜の口から溢れていく。
「この世界の中で、本当に安全を得ることが出来るのですか。今までも、その少女はたくさんの化け物に追われていたのでしょう――今の彼女の状態すら慮れぬ貴方に、その子を護り抜けると?」
「――何?」
 蜜の言葉に、女が眼差しを険しくする。
 けれど。その視線を受ける蜜もまた、仄かに眉を顰めていた。
 ほんの少し、少女の身体を見ただけで分かる。擦り傷だらけの足、うすらと痣の滲む腕。こうして足を止めて尚、整えきれぬ息遣いは寒さと疲弊による消耗故だろうか。
 「アリス」を救うのだと嘯きながら、このオウガは当の少女を顧みない。あまりに身勝手な押し付けだ。
「……その娘は、貴女を利用する鬼だ」
 蜜は、俯く少女へと声を向ける。自身へと放たれた言葉に、少女は小さく肩を震わせた。
「傍に居てはいけない。遠からぬ内に、きっと――」
「黙れ!!」

 一閃。間髪入れずに振るわれた得物は、女による口封じの一手であった。
 鋭い剣先が、蜜の纏う白衣を裂いていく。ぱくりと裂かれた白布から、“黒い”液体が飛び散った。

「アリス、耳を貸すな! こいつらの言葉は、お前を混乱させ、」
「――いえ、いいえ。話は、聞いておいた方がいい。相手が何を考えているのか、聞かぬままでは……真に、窺い知ることは出来ませんから」
 尚も口を開こうとする蜜に、女は小さく舌打ちする。追撃と言わんばかりに振り抜かれた鋭い突き、疾きそれを避けること叶わず――いいや。彼は、“避けようとすらせず”に。

 そうして、女の細剣が男の腹を貫く様を。「アリス」は、はっきりとその目に映すだろう。
 蜜が視線を滑らせれば、見開かれた小さな瞳と目が合った。
 片や、鬼の形相で相手に剣を突き刺す女。片や、何も持たずにされるまま嬲られる男。
 果たして、この光景を少女がどう取るか。目前の女は、それを考慮出来ているのだろうか。

 ふ、と。短く息を吐いてから――蜜は、己の身を貫く剣、其れを持つ女へと手を伸ばす。
 べとりと。裂かれ貫かれた際に、咄嗟に擬態を解いた己の毒血、其に濡れた掌が。剣持つ女の腕へと、触れて。
「ッ!!」
 途端に。肌が焼けるような感覚が、女の身に襲い掛かるだろう。
 身に染みるは黒油の毒。蜜そのものでもある毒血は、触れるだけでその効力を発揮する。
「ッ、クソ!!」
「ーー、は」
 痛みに顔を歪ませた女は、咄嗟に剣を抜いて距離を取る。
 ぼとぼとと。細剣が刺し貫いていた男の腹から、黒い液体が溢れ出ていた。
 黒血の滴る己の腹を抑えながら、蜜は少女へと視線を送る。
 戸惑いに瞳を揺らして、おろおろと狼狽るばかりの「アリス」。
 もはや何を信じれば良いのか、どうすれば良いのかも分からずに。
 もう、自分で判別することが出来なくなっているのかもしれない。

「無闇に信じろとは、言いません。……ですが、それはそこの鬼に対しても同じこと」
 この『騎士』を装う女が「アリス」を護ると言うのなら。もっと早くに、するべきことがある筈だ。
 そう言葉を続ける蜜の瞳は、少女の足元へ向けられていた。森の中を、無理に走らせ続けられていたせいだろう。見目にも痛々しいその姿は、蜜の顔を曇らせるに十分なものだった。

 最初は。この少女も、生きるために足掻いていたのだと聞いている。
 絶望に流され生への道を見失いつつある彼女へ、蜜はそっと声を掛ける。
 毒血に濡れるこの手を、今ばかりは伸ばせない。ならばせめて、言葉だけでも。

「生き延びるために、私たちを利用してください――どうか、諦めないで」

 ――私は。
 貴女の助けに、なりたいのです。




 よみがえるのは、『扉』の前で思い出したあの記憶。
 その色こそ違っていたけれど。少女も、あのひとと『同じ』であったから。

 ぼとり、ぼとり。
 滴り落ちる血が、少女の脳裏にこびりついていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

杜鬼・クロウ
●*
愛用の剣はガイオウガ戦で折れた
剣は無

俺で在る為の一つが誰かを信ずる心
其れは強さに繋がる
…だが信を置いた者に裏切られるのは
想像を絶する痛み、苦しみだろう
俺に出来るのは…
イヤ、今は目の前の敵に集中する

ひとの心の闇や弱さに巣食い、利用する卑劣な行為
見過ごせねェよ
仮面の下の醜い本性が透けて見えるぜ

(…縋る相手は今はそのナイトのみ、か)
アリス、聞いてくれ
その騎士は仮初の、
…分かってて(知った上で、見失ったか

靄が晴れず
だが足止める訳にいかず
【杜の使い魔】召喚
八咫烏に騎乗
上空から対応
アリスから離す
頭突きで鎧に罅入れる
敵の攻撃は見切り・第六感
翼で風起こし敵を薙ぎ払う

敵の刃を手で受け止め
悪意を己が正義で貫く



「……どれほどに、辛かっただろうか」
 雨粒が葉を打つ最中。ぽつりと言葉を溢したのは杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)だった。
 彼は、『裏切られた』という記憶のみを思い出した「アリス」の心へと思い馳せる。

 誰かを信ずる心。其れは、クロウが己自身で在る為の要素の一つでもあった。
 人の身を得た今、義を通す生き様をこそを男は選ぶ。今までも、そしてこれからも。
 其の心を持ち続ける限り、己は強く在れるのだと。人との繋がりを、縁を重んじる男は信じていたから。

 ――故にこそ、クロウは思う。
 信を置いた者に裏切られるのは、想像を絶する痛みであろうと。
 『信じることが出来ない』苦しみは、一体どれほどのものであろうかと。
 少女が心に刻んでしまった傷を思って、クロウの眉間には深い皺が寄っていた。
 そして、何より。ひとの心の闇や弱さに巣食い、利用せんとするオウガの、卑劣な行為を目の当たりにして。
「見過ごせねェよ。――なァ、ナイトサマとやら」
 キッ、と。男の携える夕赤と青浅葱が、目前に立つ『ナイト』を鋭く射抜く。
 一見にして、少女に寄り添い護るようにして立つ女の姿。しかし、其れが偽りに彩られたものだと男は気付いている。
 クロウは、そのまま傍らの「アリス」へと視線を滑らせた。色の違う一対の瞳に見つめられて、少女は反射的に肩を震わせる。あまりに弱々しいその姿に、男は思わず表情を曇らせた。

 ――縋る相手は、今はそのナイトのみ、か。

「アリス、聞いてくれ。その騎士は、仮初の――」
 仮初の味方、だと。そう口にしようと、して。
 薄く膜を張った少女の瞳と、男の視線が交錯する。その瞬間に、クロウはわかってしまった。
 少女はきっと、心のどこかでは気付き掛けている。傍らに立つ女が、真に己の味方ではないのだろうと。
 其の間違いを察して、なお――これ以上の変化を、裏切りを。突き付けられる事が、怖いのだと。
「……分かってて、」
 知った上で、見失ってしまったのか。
 今は何を持つこともない掌を、クロウはぐっと握り締める。数多のいくさを共にした相棒は、此処におらず。食い込む爪が、男の掌を傷付けていた。

 心に翳る靄は、晴れず。けれど此処で足を止める訳にはいかないと、クロウは小さくかぶりを振る。
 「アリス」の為に、己が出来ることはまだある筈だ。今は、目の前の敵に集中せねば。

「何をごたごたと――貴様もアリスを狙う不届き者だろう。返り討ちにしてくれる」
 声に敵意を、言葉に悪意を多分に含ませて。そう告げた女は、瞬く間に白銀の鎧を纏うだろう。
 見目だけであれば、なるほど。西洋の話に聞く高潔な騎士と見受けられるやもしれない。
「は、随分とご立派なナリになったな」
 あくまで騎士として振舞う女の言動に、片眉を上げながら。クロウもまた、彼女に対抗せんと己の式たるものへ呼びかける。
 剣構える女を見据えたままに、口を開く。言葉を向けるは杜の使い魔、濡羽の烏へと。
「古来より太陽神に司りし者よ。禍鬼から依り代を護られたしその力を我に貸せ――来たれ!」

 ――彼が、言を唱えると共に。
 巨大な身を持つ怪鳥が、吹き荒れる風と共に顕現するだろう。
 其は導きの鳥、八咫烏。らんと瞳を光らせた其れは、召喚者であるクロウの傍らへと降り立った。
「我が命運尽きるまで、汝と共に在り――八咫烏、上へ!」
 クロウを背に乗せた八咫烏は、瞬く間に空へと上昇していく。
 そうすれば。自らも飛翔の能力を持つ女もまた、此方を逃さんと続いて空へと昇ってきた。
「なんだ。アリスを置いてきて良かったのか、ナイトサマ」
「ああ。お前如き、直ぐ様に倒せるのでな」
 クロウの軽口に、女は侮りに満ちた言葉を返す。しかし、対するクロウも「それは好都合」と口の端を吊り上げてみせた。
 そも、彼が上空に場を移したのは「アリス」を巻き込まない為でもある。既に幾人かの猟兵から妨害を受けているからだろうこのオウガが、此方を排除せんと躍起になって『追いかけてくる』ことは容易く読めていた。

 告げた軽口もまた、挑発の一手。どこか余裕にも見えるクロウの様子を不快に思ったのだろう、女は舌打ちを溢しながら剣を構える。
 「覚悟しろ!」と。険を乗せた言葉と共に、女は一直線に飛ぶだろう。剣先をクロウの心臓へと定め、加速した女が瞬く間に接敵する。

 けれど。速さを重視するが故に単直となった軌道を、男は直ぐさまに読んでいた。
 迫り来る凶刃を、クロウは間一髪に身を捩らせる事で回避する。
 擦れ違いざま、男は向けられた刃の鍔を掴むだろう。グッと掌に力を込め、間近に迫った白銀の、其の下にある女へと視線を向けて。

「――仮面の下の醜い本性が、透けて見えるぜ」
 囁くように告げた、別れの言葉。
 次の間に。八咫烏の巻き起こした風が、速度を失った女へと直に叩きつけられる。
 パッと掌を離してやれば、風に嬲られた女は見る間に地へと落ちてるだろう。
「なっ――!?」
 息も儘ならぬ風の中。飛翔の力を使おうにも、体勢を崩された身ではそれも難しく。
 それでも。着地までにどうにか受け身を取らねばと焦る女の、其の頭上に。

 背に主を乗せた、一羽の烏が。
 鋭い嘴を向けて、差し迫っていた。

成功 🔵​🔵​🔴​

ヘンリエッタ・モリアーティ
悪役です、どうも
騎士は守るのが仕事でしょ?
だから、私は悪役らしい仕事をするわね

こんにちは、アリス
【世界の味方】です
言ってることとやってることが矛盾してる?そうね
あなたをだけを電磁結界で囲うことにしましょう
さあ騎士様、目の前でなぶられて頂戴ね
ほら、悪役っぽい

ねえ、アリス
「信じられないようなものを視る」目で私を視るのでしょうね
弱い命はみんなそうするの
知らないものは怖いし、信じられないものからは逃げたがる
ねえ、アリス
私、別にあなたに好かれたいわけじゃない
ただ、「強いもの」を教えてあげたいとは思うかな

強いものは良い
身勝手でいい、誰にも害されることはない
ほら、こうやって――害される前に

害せばいいのだから



 駆ける、駆ける。
 少女の手を引いて森を走る女は、幾多の襲撃を経て少なからず消耗していた。
 このままでは「アリス」を奪われてしまうどころか、己が力尽きるやもしれないと言う懸念が頭を過ぎる。だが、ここまで来てみすみす「アリス」を手放すのは――。

「――ッ、何者だ!」
 バッと。突然に現れた気配を感じて、騎士は勢い良く振り返る。
 咄嗟に剣を向けた先。風に揺れる木々の合間から、一つの影が姿を表すだろう。
 暗闇より出でしは、黒を纏った女の姿。硝子越しの銀が、彼女を睨む騎士のそれとかちあった。
「悪役です、どうも」
 不穏な言葉とは裏腹に。ヘンリエッタ・モリアーティ(円環竜・f07026)は、二人へ向けてにこやかに告げてみせた。己をヴィランだと自称する女へ、騎士は訝しげな視線を送る。
「――堂々と宣うとは。奴らの仲間にしては殊勝だな」
「ええ。何せ、与えられて久しい役柄なものだから」
 取り繕うべくもないのだと。ヘンリエッタは、ゆるく笑みを浮かべたままに言葉を続ける。
 飄々と嘯く女の真意が分からずに、オウガは瞳に険呑な色を滲ませるだろう。「何が目的だ」そう問いながら剣を構え直す騎士へ、女はくつりと喉を鳴らす。
「目的だなんて、何も。ただ、役の確認をしただけです」
 銀の月が、騎士を見る。昏い世界の中、孤月が冷えた光を宿している。
「私は悪役、そしてあなたは騎士様。騎士は守るのが仕事でしょ? だから、あなたが存分に勤めを果たせるように――」
 私は、悪役らしい仕事をするわね。

 ――そうして。
 バチリと迸った閃光を、少女は目にすることだろう。
 いつの間にか抜かれた刃、瞬く間の肉薄。相手を屠らんとして振るわれた雷纏いの一閃は、直前に気付いた騎士によって辛うじて防がれる。
 ギリギリと鍔競り合う最中。ただただ驚いて彼女達を見上げる「アリス」の視線を、ヘンリエッタは感じ取る。
 彼女が僅かに目線を下にずらせば、あどけなさを残した幼い顔が目に入った。驚きに目を見開いた少女へ向けて――にこりと、ヘンリエッタは当たり障りのない笑みを作ってみせる。
「こんにちは、アリス。ご機嫌麗しく、とは言い難そうね」
「え、ぁ……」
 迸る雷電、鬼気迫る騎士の表情。それらが間近にあるにも関わらず、女は何食わぬ顔で「あいさつ」を告げる。
 女の態度は、今までに遭遇した人々とは明らかに毛色の違うものだった。少女の瞳に戸惑いが浮かぶ。
「あなたも、『私が何者かわからない』と言う顔をしているわね」
「!」
 疑問を、言い当てられる。
 なんで、と口にしかけた言葉は音にならず。少女は呆けたように口を開くことしか出来ない。
「答えはさっきも言った通り。私は悪役で――≪世界の味方≫です」
「え、あ……でも、」
「言ってることとやってることが矛盾してる? そうね」
 バチン、と。一際に明るい光が迸る。
 ヘンリエッタの操る雷が、細剣を伝って騎士を怯ませると同時。彼女は、空いた片手を少女へと差し向けた。何者にも侵されぬ電磁結界――この世界の核たる「アリス」を守護するための切り札を、ヘンリエッタは行使する。
「ひゃっ……!」
「アリス。その結界は、あなただけを囲っています。これであなたは『誰からも』手出しをされない」
 そう、誰からも……ヘンリエッタはもちろん、目前で憎々し気な眼差しを送ってくる騎士でさえも。世界を守護する切り札を害することは出来ないだろう。
 突然自身の周りを覆う仄かな光の壁に、「アリス」は目を白黒させているようだった。それでも無暗に動こうとしないのは、少女がひどく素直だからか――いいや、それだけではなく。おそらくは、己から行動を起こす事を無意識に恐れている拒絶している所以だろう。
 裏切られた事に対する絶望が、状況が変化する事への恐れに繋がっている。己の意志を見失いかけている少女は、紛れもなく弱者であった。

 フ、と。少女から視線を外したヘンリエッタは、途端に浮かべていた笑みを剥がして。冷えた眼差しを、未だ細剣を降ろさぬ騎士へと送る。
 バチリバチリと。白い電光が、昏い森の中に奔っていた。
「さあ騎士様、目の前でなぶられて頂戴ね」



「――ねえ、アリス」
 語り掛けられる声は、ひどく落ち着いた、静かなもので。
 ケッカイと呼ばれた半透明の壁の中、「アリス」は身を震わせながらその声を聞いていた。

 少女の目の前には、二人の女がいた。
 一人は少女の傍らで膝をつき、一人はそれに剣を向けて立っている。

 少女へと語り掛けたのは“立っている”女だった。
 血に濡れた剣を持ち、硝子越しにもう一人の女を見つめながら。ヘンリエッタは、言葉のみを「アリス」へと向けている。
「私が怖いかしら。『信じられない』という様な顔を、しているでしょう」
 少女へ一瞥も向けぬまま、ヘンリエッタは言い切った。
 見なくても分かる。今しがた行われた戦闘は、結果的に一方的なものであったから。

 技返しの細剣は、その性質――≪世界の味方≫の発動条件故に、騎士の盾とならぬまま不発に終わり。初動に躓いたオウガは、襲い来る雷纏いの剣を捌くだけで精一杯だった。
 ならばと、オウガは敢えて「アリス」の前へ、斬撃に少女を巻き込みかねない位置へと移り動揺を誘うも、ヘンリエッタの太刀筋が鈍ることはなく。獰猛さを内包した無差別にも思える剣戟は、切り札により“騎士のみ”を抉る結果となっていた。

 だから、きっと。傍目には「アリス」を庇う騎士の図が成立していたであろうことは、ヘンリエッタにも容易に想像出来る。そも、そう見られるやもと理解した上で、彼女は刃を奮っていたのだろう。
 その上で、少女がどういった判断を下すか。様子を見るに、「アリス」は己の状況を判断するための材料を既に得ているだろうと思われた。もしも少女が、ヘンリエッタや他の猟兵との対話を経て尚、流されるままに生き筋の可能性を放棄すると言うのなら――ヘンリエッタ達が幾ら言葉を尽くしたところで、此度の「アリス」を救うことは叶わないだろうから。

「弱い命は、みんなそうするの。知らないものは怖いし、信じられないものからは逃げたがる」
 故に。語り手である女は、敢えて明確“過ぎる”言葉を口にした。思考停止を選びつつある生命へ、ある種のショックを与えるかのように。
 「ねえ、アリス」揺らぎの少ない、穏やかな声音で。女は言葉を編み続けていく。

「私、別にあなたに好かれたいわけじゃない――ただ、『強いもの』を教えてあげたいとは思うかな」
 ザクリと。女の持つ剣の先が、音を立てて地面を抉る。
 地につけられていた『掌』を縫いとめるようにして突き立てられたそれに、騎士は鈍い呻きをあげていた。

「きちんと『視る』事をおすすめするわ、アリス。あなたがまだ、死にたくないという欲求を捨てる気がないのなら」

 そうして。意志をもって揮う『強さ』を、女は示すだろう。
 か弱い少女の視線を、怯えの感情を感じ取りながら。躊躇う事なく、ヘンリエッタは血塗れの刃を揮うだろう。

 強いものは良い。
 身勝手でいい、誰にも害されることはない。
 だって、ほら。こうやって――害される前に。

「害せばいいのだから」

 ――ほら、悪役っぽい。

成功 🔵​🔵​🔴​

ニルズヘッグ・ニヴルヘイム
全く御大層なことだよ
あァ、知っているとも
――「悪」というのは、善なる隣人のふりをするのも得意なものさ

では私も貴様を騙そう、ナイトとやら
武器を手放し、丸腰で近付こう
致命の部位さえ避ければ良い
……これは撒き餌だ
天罰招来、【欺瞞の鏃】
――人間の世界では、先に手を出した方が悪いと知っているか?
故にこれは、「正当な報復」だ

この身は悪意で生き延びて来たようなもの
故に悪意を持って考えることは手に取るように分かる
我々をアリスの敵にしたいのであろう?
させないよ。知覚外よりの刃は貴様のみを穿つ
盾にも出来まい。そもそも斬られたことすら気付かんか

その綺麗な皮を剥いでやる
さァ、蝕まれる魂で、己の本性を曝け出せ



 骸の海へと葬られ、埋もれる筈だった過去によって齎される悪意。
 この不思議の国では特に顕著に見受けられるそれを、此度の鬼も持ち得ているらしかった。
 ただでさえ悲嘆に暮れる少女を、さらに突き落とさんとして画策する『騎士』とやら。腐りきった心根を持つそれを前にして、ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)は炎憑きの片目を眇めてみせる。
「全く、御大層なことだよ」
 か弱き少女を護る騎士だなどと嘯いて、未だその隣を陣取る鬼の女。ここに至るまでに、先行した猟兵達の襲撃に遭ったのだろう。其の身に少なくない傷を刻みながら、なおも「アリス」を手放さずに此方へ敵意を向けてくるオウガを前にして、ニルズヘッグは独り言ちるように言葉を溢す。

 かの鬼から漂ってくる匂いを、この竜は知っていた。
 人好きのする皮を被り、己の醜さを覆い隠して、滲む悪辣さを紛らわすようにお綺麗な言葉を吐き出しながら。けれど決して拭い去ることの出来ないこの匂いは、ニルズヘッグにとってひどく嗅ぎ慣れたものであった。

 あァ、知っているとも――『悪』というのは、善なる隣人のふりをするのも得意なものさ。

「なに、騙りを責めるつもりはない。貴様の行いに非を唱えられるほど、清廉な生き方はして来なかったのでな」
 一歩、踏み出す。湿った地面で踵を濡らしながら、ニルズヘッグはゆっくりと少女達へ近づいた。

 びくりと肩を震わせる少女と、その前に立ちはだかるようにして細剣を向けてくる騎士の女。女はその体裁こそ辛うじて保っているようだが、「アリス」が傍にいるにも関わらず、鋭い殺気が駄々洩れていた。どうやら、少女を気遣うよう装う余裕もなくなりかけているらしい。
 さて、その面を剥がすにはどうしたものかと思案しながら、ニルズヘッグはもう一歩を踏み出して――ふと。覚えのある気配を感じ取り、束の間にその動きを止めた。
 スン、と竜は小さく鼻を鳴らす。だいぶ薄くはなっているが……「アリス」の周りに漂う残り香は、彼にとっても馴染みのあるものだった。

 どうやら、この少女は愛しき妹の加護を受けていたらしい。
ならば。まかり間違っても「アリス」が傷付くことはないだろうと、ニルズヘッグは口の端を上げる。
 打つべき手は一通り思い立った。あとは、確保すべき少女からどう見られるか――女をどう動かすかに、心を砕くだけでいい。
 また一歩、ニルズヘッグは歩を進める。もう半歩ほど踏み込めば、女の掲げる細剣の間合いであるにも関わらず、彼はさした警戒もせずにいるようだった。傍目には寄り添う少女二人へ向けて、竜は落ち着いた声音で言葉を向ける。

「そう怯えなくていい。私からは何もしないさ」
「……どうだか。お前らの野蛮さは、私もアリスももうよく分かっている」
「ふむ、それは心外だな。どうも誤解があるらしい――では、」

 カラン、と。竜の手に在った槍が、音を立てて地面に落ちる。
 あっさりと得物を手放すニルズヘッグに、瞠目したのは女の方であった。信じられないと言わんばかりに目を見張る女の姿に、竜はクツリと笑ってみせる。
「ほら。これで、此方に敵意はないと分かってくれるだろう?」
「――貴様、正気か?」
「酷い言われ様だ。私としては、最大限の誠意を示したつもりなのだがなァ」
 何なら斬り払っても良いのだと、ニルズヘッグは瞳を細めながら続ける。
 その声へ――多分に、揶揄を含ませて。

 其れは、悪意の応酬であった。
 言外に、一挙一動に“意味”を滲ませる。真偽のほどは重要でなく、深読みさせる事にこそ狙いがある。
 何せ……悪意に塗れているという点で騎士と竜は同類であったから。自らが鬼の悪意をすぐさま感じ取ったのと同じように、相手もまた己の其れを嗅ぎ取っているのだろうと。ある種の信頼をもって、ニルズヘッグは己自身を『撒き餌』としたのだ。

 実際、騎士もまた、竜に染み付いた『悪意』の匂いを感じ取っていた。
 故に。さも裏があるかのように放られた得物に、そして放った本人に、騎士は意識を向けずにはいられない。
     ・・・・・・・
 必然的に高めさせられる警戒心。剣を握る手には力が篭り、見るからに緊張が走っていた――ほんの少し力が加われば、破裂してしまう風船のように。
 張り詰める空気、水面下での探り合い。互いに上面だけの言葉を交わしながら、相手の出方を窺っている。傍らの「アリス」には感知できぬ、内に怪物を棲まわせた者共のころしあい。

 ――口火は、唐突に訪れた。
 ピクリと。ニルズヘッグが空いた右手、其の人差し指をほんの僅かに動かした。何ということもない、“攻手”としては特に意味のない行動だ。……けれども、其れは膨張した緊張を刺激するには、十分過ぎるもので。

 刹那。空気を裂くような、鋭い一閃が振るわれる。
 半ば反射的に繰り出された細剣は、竜の腕を切り落とすかのような弧を描き。半瞬遅れて反応したニルズヘッグによって、其れは肉を裂く程度のものでおさまった。
 ぼたぼたと、竜の腕から鮮やかな血が垂れていく。決して浅くはない傷を押さえながら、ニルズヘッグは「はは、」と嗤いを含んだ息を溢していた。

「丸腰相手に本気で斬り掛かってくるとは……酷い話じゃあないか、なァ?」
「っ、貴様が怪しげな動きをしたからだろう! 何を企んでいる!!」
 ぎゃんと噛み付くように叫ぶ騎士に、対して竜は口の端を上げたまま。
 一体私が何をしたと言うんだ、と態とらしく首を傾げる始末であった。

 ゆらりと、瞳が弧を描くのに合わせて炎が揺れる。
 明らかに何かを企てているのに、其の正体が掴めない――それ故の焦燥が、騎士の思考に靄をかけていた。
 だから。女は、最後まで『撒き餌』に気付けない。

「あァ。ところで、ナイトとやら」
 ――人間の世界では、先に手を出した方が悪いと知っているか?

「ッ!」
 視線が合わさったと、同時。
 騎士の背に悍ましい寒気が駆け上がる。“嵌められた“のだと気付いて……其れで、仕舞いだった。

 ――天罰招来、≪欺瞞の鏃≫。
 其は魂を蝕む呪詛、知覚すら出来ぬ『致死』を宿す刃。斬られたとすら察せられぬ其れは、瞬く間に騎士の身を穿つだろう。不可視の斬撃が齎らすのは、肌を切る熱ではなく――臓腑を抉るような、呪いによる痛みであった。
 先に手を出したのは騎士である。故に、これは『正当な報復』だとニルズヘッグは嘯くだろう。
「ッ、ぐ、ぁ……!」
「おや、どうした。急に辛そうな顔をして」
 可哀想になァ、と。声に揶揄るようなものを滲ませながらも、一見にして『相手を心配するような』素振りでニルズヘッグは騎士の女へと近づいていく。
 じわりと、身の内に蔓延る呪詛を感じ取りながら。騎士は憎々しげにニルズヘッグを睨みつけていた。

 けれど。其の一連の変化に潜んだ事実に、肝心の「アリス」は気付けない。そも、鬼すら気付けずにいた一撃を少女が認識出来る筈もなく。突然に苦しみ始めた女に、「アリス」は訳もわからずおろおろと戸惑うばかりであった。
 だから、ニルズヘッグの行動も、其の言葉も。少女は敵意あるものとは見做さない。傍らの騎士が一方的に傷付けてしまい、其れでも此方を気遣うような『親切な道行きの者』として、少女の瞳には映るだろう。
「……我々を、アリスの敵にしたかったのであろう?」
 させないよ、と。密やかに囁かれた言葉が、女の耳に流れ込む。

 悪意で生き延びて来たのだと己を称する竜は、鬼の考えが手に取るように理解出来た。
 だから、己もまた。『善なる隣人』の皮を被って、騙り返したに過ぎない。

「その綺麗な皮を剥いでやろう――さァ」

 蝕まれる魂で、己の本性を曝け出せ。

成功 🔵​🔵​🔴​

穂結・神楽耶
そういう手段が有効であることは否定しません。
好まれるのも、まあ。
ですがわたくし、そういうの嫌いですので。
邪魔させて頂きますね?

おいで、【神遊銀朱】。
その細剣一本で複製太刀の雨をどの程度捌けるか、試してみましょうか。
当然切っ先は精密に制御、
アリス様を傷つけるなど絶対に致しません。
むしろアリス様を守る動きも致しましょう。

…ああ、コピーしても構いませんよ?
使いやすい太刀だと自負しておりますので。
ですが…その扱いで本家に敵うはずありません。
頼るなら最後、悉く撃ち落とし貫いてご覧入れましょう。

あと。
人のこと「アリス」としか呼ばないのどうかと思います。
お名前、教えて頂けませんか?



 悪意をもって正義を騙り、善なるものを陥れる。
 そういった手段が有効であることは、穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)も重々に承知していた。時として、ひとは悪意に滅法弱く。対象が純粋であればあるほどに、そういった搦手は存分に効果を発揮するだろう。
 だから、此度のような『弱った相手に付け込む』ような行為も、理解は出来る。この不思議の国に棲まうオウガは、ただでさえ在り方が歪んでいる輩が多いのだ。手段としてだけでなく、趣向として裏切りを好むというと言うのも、有り得る話なのだろう。

 ひとところより動くことの無かった昔であればいざ知らず。
 数多の人が織り成す酸いも甘いも、今の神楽耶は間近に見て、触れてきたのだ。其の在り方に対して、今更どうこうと言うつもりはない。

 ただ、それはそれとして。
            ・・・・・・・・・
 此度の騎士のやり方は、単純に気に入らない。
 ――なので。

「こんにちは、お邪魔させて頂きますね?」
「!」

 白銀、一閃。
 神楽耶が姿を現すと同時、突如として振り下ろされた太刀を騎士は間一髪で受け止めた。
 ガギン、と。刀がぶつかり合う音が森に響く。
「ッ、貴様もアリスを狙う輩の仲間か!」
 真上から降ろされた太刀を振り払うようにして、騎士は剣を横に薙ぐ。それを難なく躱しながら、ストンと、神楽耶は少し離れた場所へ降り立った。
 己たる太刀を構えたまま、神楽耶は少し思案するような素振りを見せながら口を開く。
「その問いに答えるのは、少々難しいですね……わたくしから見れば、貴女も『アリスを狙う輩』に分類されますから」
「……何を巫山戯たことを」
 騎士の眼差しに、剣呑なものが宿る。飄々と放たれた挑発とも取れる言葉に、こめかみがひくついているのが見て取れた。
 ちらりと、神楽耶は騎士の後ろに控えた「アリス」へと視線を滑らせる。此方をおそるおそるといった具合に窺っている少女は、けれど盲目的に騎士の言葉を信じているというわけでもないのだろう。怯えの色こそ見えど、それほど此方に『拒絶』を示しているようには見えなかった。

 ならば、あとはこの騎士を屠った後に言葉を交えればいい。裏切りに怯える少女の姿は、心痛むものがあるけれど。まずは彼女の安全を確保する為の手を、打たなければ。
「おいで――≪神遊銀朱≫」
 神楽耶が静かに唱えると、同時。『彼女』と同じ型をした太刀の群が、瞬く間に顕れる。
 真に己自刃ではなく、けれども己と同じ色を宿した複製の刀。其れらは神楽耶の動きに合せて、鋭い切っ先を『敵』へと向けていた。
「其の細剣一本でどの程度捌けるか、試してみましょうか」
「――ッ!!」

 雨が、降る。
 白銀の太刀が、騎士を騙る女へと次々に降り掛かる。
 先程は一太刀を受け止めた騎士であるが、こうも数が多くては儘ならない。一つを受ければ一つが足を裂き、一つを払えば一つが腹を抉る。降り落ちていく白銀の雨は、見る間に朱を散らしていった。
「ッ、アリス諸共に斬るつもりか!?」
「――いいえ? 『アリス』様を傷付けるなどと、絶対に致しません」
 苦し紛れに放たれた言葉に、神楽耶は凛とした声音で返す。
 実際、彼女の刃は「アリス」に降り掛かる事はなく。悪意をもって弾かれた太刀でさえ、護り神たる神楽耶の意志に沿って、決して其の切っ先を「アリス」へと向けずにいた。

「クソっ、ならば――」
 動揺を誘おうとして放った言葉すら、取りつく島もなく弾かれて。
 一向に勢いが収まらない猛攻に、このままでは攻めきられると危惧したのだろう。降り注ぐ太刀を凌いでいた騎士は、僅かな切れ間を突いて其の動きを変えた。

 女の手にした細剣が、仄かに光る。神楽耶の『太刀』を散々受けてきた其れが、次の間に――『結ノ太刀』の複製を、瞬時に作り出して。神楽耶がそうしたのと同じように、騎士の傍らへと顕現させていた。

「……ああ、貴女は技をコピー出来るのでしたね」
 一方で。自刃を模倣されたにも関わらず、神楽耶はと言えば落ち着き払った様子を崩さずにいた。
 技のコピー、大いに結構。我ながら使いやすい太刀だと自負しているし、かの騎士が其れを揮うことを諫めるつもりも毛頭ない。
「ですが……その扱いで、本家に敵うとお思いですか?」
 神楽耶が挑発めいた言葉を溢した――次の、瞬間。

 先程の鏡写しのように、神楽耶へと白銀の雨が降り注ぐ。
 鋭い切っ先が、少女の身を持つ宿神へと束となって襲い来る。其の一つ一つの切れ味は、神楽耶自刃と寸分違わぬものであった――しかし。

 其の太刀筋は、真なるものと程遠く。
 さしたる意志を伴わず、破壊と悪意を映した其れらは、刀の真価を発揮する事なく。誰よりも己を揮ってきた神楽耶によって、其の悉くを撃ち落とされる。
 同じ太刀を扱うのと言うのであれば。其の勝敗は、純粋な使い手の技量が反映されるのみなのだから。

「チッ……まあ良い。アリス! 今の内に!」
「え、あっ……!」
 思うような傷を与えられずに、舌打ちを溢しながら。騎士は、グイと傍らの少女の腕を掴み上げる。
 偽の白銀が尽きぬ間に、逃げに徹しようという算段だったのだろう。急に力を加えられて声を上げる「アリス」に構う素振りも見せず、騎士は神楽耶から距離を取ろうと、して。

「――ああ、そういえば」
 一閃。偽の太刀を捌きながらも放たれた≪神遊銀朱≫の一本が、進路を妨げるように騎士の鼻先を掠めていく。
「わたくし、少し尋ねたいことがございまして」
 思わず足を止めた騎士へ、そして彼女に無理に引っ張られる形となっている「アリス」へと。神楽耶は、遭遇時から抱いていた疑問の、其の一端を口にする。
「人のこと、『アリス』としか呼ばないの、どうかと思います。それは、彼女の本当の名ではないでしょう?」

 ねぇ、と。神楽耶は、穏やかな声音を少女へと向ける。
 騎士と相対していた際に見せていたような、鋭い刃のような雰囲気は形を潜めて。少女を見遣る神楽耶の瞳には、どこか柔らかな色が滲んでいた。
「お名前、教えて頂けませんか?」



 『名前』を、と言われて。少女は混乱の最中にあった。
 名前、わたしの名前。
 わからない。思い出せない。
 『アリス』とあのひとは自分を呼ぶけれど。きっと、それは己の名ではない。
 考えて、思い出そうとして。だけど、少女の得ていた思い出のカケラは、あまりに小さなものだったから。
 少女は、ついぞ其の問いに答える事は出来なかった――ああ、けれども。

 ぽたりぽたりと頬を打つ、あの雨の下で。
 だいすきな●●●●●が溢していた、あの、音が。

「――ぁ、」

 名は、思い出せなかった。けれど、ここに来てようやくに、少女は『思い出せない』ということを自覚した。

 ただの『アリス』から、誰かで在る筈だった『わたし』へと。
 小さな自我が、芽生え始めていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
◆SPD
アリスの保護を最優先に行動
アリスに危険があれば庇えるように構えておく
彼女が敵の誘導によって攻撃しようとしても、こちらからは傷付けないよう注意を払う

「安心しろ、俺はお前を傷付けたりはしない」
一言だけアリスに声をかける
混乱はさせたくないが、こちらが敵ではないという事だけは伝えておきたい
…今のアリスの状況で、信じるかどうかは分からないが

敵の速度と飛翔能力は脅威だ
しかし速度が増す程、攻撃の為に接近する程、その対象からの反撃は躱しにくくなるはずだ
攻撃の為の接近を確認したらユーベルコードを発動
こちらの行動速度を急激に上げる事で敵の対応を遅らせる
その隙にアリスに影響がない位置へ回り込んで反撃を試みる


水衛・巽
○*
アリスは猟兵を信頼するはずですが
それすら覆るとはどれほど手酷い裏切りだったのか
ともあれあのオウガを引き離すことに注力しましょう

今は手荒い真似になることは避けたい
コミュ力を活用しアリスに警戒されないよう声をかけつつ
女騎士に間に入られないよう接近する

貴女には帰る場所があったのではなかったのですか
辛い思いをした場所だっとしても
ここで野垂れ死ぬよりはましなはず
そのための扉はどこに?

さてそこの女騎士殿
ひとつ答えていただけませんか
何、簡単な質問です
『私の味方かどうか』だけを答えていただければよい ハイかイイエで
本物のアリスの守護者なら回答は一つだけのはず



 闘諍の音が、聞こえてくる。
 森奥より響いてくる其れを耳にしながら、水衛・巽(鬼祓・f01428)は手前の刀を手に佇んでいた。
 徐々に此方へと近づいて来る喧騒に注意を払いながら、彼は鬼に連れられているという「アリス」の状態へ思い馳せる。
「アリスは猟兵を信頼する筈ですが……それすら覆るとは、どれほど手酷い裏切りだったのか」
 此方の世界へ来る前に聞いた情報は、断片的なもので。果たして今の「アリス」がどのような精神状態にあるのかは分からないが、おおよそ良好とは言い難いのだろう。狼狽る少女の心境を、そして其れを利用しようとする鬼の策謀を思い、巽の瞳には剣呑なものが宿っていた。

 ともあれ。ひとまずはあのオウガを引き離すことに注力せねばなるまい。
 音は、すぐ近くまで迫っていた。先行していた猟兵との戦闘は終わったのだろう、激しい剣戟は鳴りを潜め、今は地を駆ける二つの足音のみが響いている。

「――来るぞ」
 低く、一言のみを呟いたのはシキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)だった。
 蒼の双眸が鋭く細められる。陽が隠れた薄暗いこの世界でも、狼の瞳は森を往く少女たちの姿を捉えていた。

 まずは「アリス」の保護を優先すべき、というのは二人の共通の見解であった。
 チラリと滑らせた視線が交錯し、どちらからともなく頷いて。

 雨降る昏い森の中。二つの影が、音もなく地を蹴っていた。



 先に仕掛けたのは、しろがねの毛を持つ狼の男。シキだった。
森を駆けていた騎士の、其の横面目掛けて。まず二発、弾丸を叩き込む。
「ッ!?」
 サプレッサーによって音なく放たれた其れらは、しかし。間一髪のところで察知した騎士の剣によって、辛うじて弾かれる。
 が、其れは同時に隙が生まれる動作でもあった。騎士の意識が狙撃の元、木々の間より姿を現したシキへと向いた僅かの間に、反対側からもう一つの影が飛び出していく。
 赤い狩衣をはためかせた巽が、意識の逸れた騎士と「アリス」の間に入り込む。ハッとした騎士が青年の介入に気付くも、時既に遅く。少女を背に護るようにして立ち塞がった巽は、帯刀した柄に手を添えることで騎士を牽制していた。

「貴様ら、アリスを……ッ!?」
 すぐ様に騎士が剣を向けようとするも、追撃として放たれたシキの弾丸が其れを阻む。
 騎士への牽制として残弾を全て撃ち込みながら、シキは巽と並ぶようにして少女の前へと位置取った。どうあっても「アリス」を護れるように、また罷り間違っても自分たちの攻撃が彼女へ飛び火せぬようにと意識して。

 チラリと、シキの瞳が後方にいる「アリス」の様子を窺うように向けられる。
 顔に怯えの色を宿す少女は、状況の変化について行けずに戸惑っているようだった。
 この少女が、自分たちをどう思っているかは分からない。騎士の事も信じ切れていないという話ではあったが、かといって自分たちに信用を向けてくれるかも難しいところだろう。

 ――『裏切り』を受けた者の気持ちは、多少分かるつもりだった。
 故に、シキは多くを語る事はなく。ただ一つだけ、今の彼が贈れる『確実』のみを口にする。

「安心しろ、俺はお前を傷付けたりはしない」
 小さく、けれど揺らぎのない一言。
 シキが「アリス」へと向けたの言葉は、其れだけだった。

 信じろとは、言わなかった。ただ、これから行う戦闘は「アリス」の『敵』としてではないと――決して傷付ける事はないとだけは、伝えたかったから。
 最終的に誰の手を取るか、判断するのは「アリス」である。ならばあとは働きで証明するのみだと、シキは目前の騎士へ再び意識を移した。

 騎士はと言えば、「アリス」の前に陣取った彼らが、そう簡単には離れないと察したのだろう。強制的に猟兵を、彼女にとっての障害を排除せんとして、女が纏ったのは白銀の鎧であった。
 如実に憤怒を表す女の表情を、清廉な鎧が覆っていく。矢鱈とご立派な姿になった騎士の姿から視線を外さぬままに、シキは手にした得物を取り替えた。
 ジャケット下のベルトにハンドガンを納め、代わりにと彼が掴んだのは対の石を嵌め込んだナイフだった。鎧を纏う女は、異常な速さを駆使するのだと聞いている――近距離での戦闘ならば、此方の方が都合が良い。

 ひとつ、息を吐いて――次の間に。
 先に動いたのは、鎧纏う騎士であった。
 グン、と。辛うじて目で追えるかどうかの疾さで、騎士がシキへと肉薄する。瞬く間に迫る剣先、其の軌道は、シキの身を確実に捉えて――。
「――ッ!」
 捉えていた、筈だった。
 人外の疾さをもって振るわれた細剣が、唸りを上げながら“空”を斬る。掴み損ねた手応えに、騎士は鎧の下で瞠目する。

 何があった、と。騎士が状況を把握しようとした、次の瞬間。
 獰猛な気配を感じ取り、騎士はすぐさま振り返る。

 ――其処に居たのは、『獣』であった。
 蒼の瞳を光らせ、獲物の首を掻き切らんと狙い定めて。己の牙となるナイフを構え、低く喉を鳴らすシキの姿は――人よりも、狼としての特徴を色濃く放っていた。

 其は、シキが普段抑えていた獣性を解放した故のもの。肉体のリミッターを一時的に超過し、人ならざる疾さを手に入れる。人外の強さを揮う鬼、オウガたる女に対抗する為のすべ。
 様変わりした雰囲気に、何よりその獰猛さに気圧されて。騎士が、束の間にその動きを止めて――。

 其の、瞬間に。
 狼の牙が、騎士への喉元へと差し迫っていた。



 鎧纏う騎士と、白銀の狼が刃を交える最中。
 彼らの行動を視界の隅に捉えながら、巽は少女への護りへと徹していた。

 今のところ、「アリス」自らが行動を起こす気配はない。どうにか此方への警戒を解けぬものかと、巽は少女へ視線を合わせるように屈み込んだ。
 びくりと肩を揺らす少女に、彼は努めて柔らかい声音で声を掛ける。ここまで年が離れてはいないが、青年は多くの異母妹を持つ身であったから。先達たちの見本もあり、それなりの対応は心得ているのやも知れなかった。

 「貴女には――」と。続く言葉を口にする前に、巽は少女の反応を窺い見る。
 ……怯えの色は酷いが、完全に心を閉ざしているというわけではない。己自身に降りかかった事柄を整理出来ず、また其の間を与えられずに惑っている、という印象だった。
 巽は、聞き及んでいた「アリス」の行動を思い返す。己を始めとして、猟兵たちはこの少女を護り抜くつもりではあるが、彼女自身が望まなければ「アリス」を真に救い出す事は叶わない――己が彼女に向けるべき言葉は、果たして。

「……帰る場所が、あったのではなかったですか」
 落とされた声は、ひどく静かなもので。耳朶を打つ穏やかな響きに、少女は震えを止めてそちらを見遣る。
 ようやく合わさった少女の瞳は、年相応にあどけなく。今にも零れ落ちてしまいそうな、薄い膜が張っているのが見て取れた。
「辛い思いをした場所だったとしても、ここで野垂れ死ぬよりはましなはず」
 しかと視線を合わせながら、巽は言葉を続けていく。
 恐ろしい『記憶』を垣間見たせいで、見るべきものから必死に目を逸らそうとする「アリス」。其の姿に思うところはあれど、巽は敢えて強めの言葉を口にする。

 心に深く翳を落としたとは言え、「アリス」は未だ『生』を諦めてはいない筈だった。何もかもを放棄するには、少女はあまりに迷い過ぎている。
 ならば、己はそれを引き出す手伝いをすればいい。望む者へ手を貸す先達たちと、同じように。少女が心の奥底に沈めてしまった願いを、浮き出してさえやれば。
「――そのための扉は、どこに?」
「っ、ぁ……」
 小さく、か細い声が溢れゆく。言葉を音にしようとして、けれど思うように紡ぐことが出来ず。少女は、口をはくはくと動かすのが精一杯のようだった。

 ――嗚呼、けれど。
 少女は、紛れもなく『意思』を見せようとした。あの騎士を騙る鬼に押さえ込まれ、悉くを摘み取られていた其れを、彼女は再び抱き始めている。

 其れで、十分だった。
 彼女を救う芽があると、猟兵たちが判断するには、それだけで。

 ス、と。巽は、徐に立ち上がる。
 彼は己の背後へ――シキの揮った刃により傷を負い、荒い息を吐いていた『騎士』へと視線を滑らせた。冷たい青の中に、静かな苛烈さを宿しながら。巽の瞳が、鬼たる騎士を鋭く射抜く。
「さて、そこの女騎士殿。ひとつ、答えていただけませんか?」
 ゆたりとした動きで、巽は騎士へ身体を向ける。宝刀は納めたまま、しかし唯ならぬ気配を放つ巽に、騎士は思わず身体を固くした。猟兵たちが物理的な技以外にも搦手を使ってくる事を、この鬼は身をもって知っていたから。
「何、簡単な質問です――『私の味方かどうか』だけを答えていただければよい」
 解は、ハイかイイエで。
 本物の『アリス』の守護者なら回答は一つだけのはず、と巽は言葉を続けていく。にこりと、女人と見紛うほどの綺麗“過ぎる”笑みが、動きを止めた騎士に向けられていた。

 ――答えは、騙り。
 悪意によって動く騎士が、真を口に出来る筈もなく。
 取り繕うようにして吐き出された解は、其れを口にしてしまった鬼は。瞬く間に、巽の使役する式の餌食となるだろう。

「――騙り喰らえ、天空」
 其れは、不実を、計略を象徴する凶将の権能。欺きを司る故に、何よりも確実に其を捉える十二天将が一つ、その力。
 巽が低く唱えると同時、その凶将は場に姿を顕わすだろう。擦り切れた古布を被り、貌の見えぬ老人が騎士の背後へと、顕現して。

 ――『騎士』の口より放たれた、声ならぬ悲鳴が。
 雨降る空の中に、溶けていった。


 
 狼の牙に、凶将に深く傷をつけられながらも。騎士は命からがらにその場を抜け出した。
 深手を負った身体を無理に動かし、猟兵に庇われていた「アリス」を強奪して。白銀の鎧纏う騎士は、有り得ざる速さで駆けていく。

 最早、騎士に「アリス」を気遣う余裕はなく――故に。
 少女の内に訪れつつある変化に。彼女は未だ、気付けずにいた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

鷲生・嵯泉
殊更珍しくはない……腐った輩らしい遣り口な事だ
大きく撓らせた枝程、放した時には強く撥ねるもの
奴は撓らせた侭折ってしまう心算なのだろうが、そうはさせん

何を以って惑わすなぞと云っているのやら
私は過去の残滓を潰しに来ただけだ
お前が如何な速度を得ようが構いはせんが
其の速度にアリスを巻き込めばどうなるか位は想像出来よう
其れでも彼女を連れて動くか?

頭や視線、身体、脚の向きから攻撃の方向を見極め
第六感の先読みで以って見切り躱す
戦闘知識を利用して衝撃波を飛ばし動きを制御
カウンターを叩き込み易い様、誘導した方向から攻撃をさせ
――壱伐覇壊、違わず抉れ
怪力乗せた鎧砕きの斬撃を叩き込んで呉れる
疾く潰えろ、惑乱者



 しとしとと。降り止まぬ雨が、男の頬を打つ。
 額に張り付く髪を払いながら、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は隻眼を森の奥、「アリス」を連れて駆ける標的へと向けていた。

 聞くに、かの騎士とやらは「アリス」の味方を騙り、信用を得ようと振る舞っているらしい。
 只でさえ、裏切られたという記憶に傷付いている少女へ、敢えて追い討ちを掛けようという魂胆なのだろう。……腐った輩らしい、陰湿な遣り口な事だ。
 か弱きを喰らう鬼が蔓延る、この不可思議な世界において。そういった悪意に塗れた輩の存在は、殊更珍しくはない。大きく撓らせた枝程、放した時には強く撥ねるものだ。

「奴は、撓らせた侭折ってしまう心算なのだろうが」
 ――そうは行かせん。

 低く、重い男の声が、落とされて。
 次の間に。森を駆ける騎士たちへ足先を向けて、嵯泉は静かに地を蹴っていた。



 白銀の鎧を纏ったままに、騎士は「アリス」を連れて駆けていた。
 全速力でこそないものの、常人ならざる力を備えた騎士の疾さは少女には酷なもので。「アリス」は半ば引き摺られる様な形となりながら、どうにか足を動かしている様な状態であった。
 それを訴えようにも、彼女は最早声を上げることすらままならず。雨の冷たさに痛んでいた足先には、黒々とした血が滲んでいた。
 どうしようもなく痛くて、冷たくて。このままでは死んでしまうやもしれないと、少女の頬に雫が伝い落ちた――その時だった。

「――感心せんな」
「ッ!?」

 一刀。上空より放たれた銀の一閃が、騎士の行手を阻む様に振り下ろされる。
 ザン、と。空を裂いた刀を翻し、嵯泉はすかさずに二の太刀を放つ。胴から切り上げる動きを察知して、騎士は辛うじて細剣にて其れを弾いた。
「ッ、また邪魔をする輩か……!」
 新手の姿に、騎士は忌々しげに歯噛みする。どうやら、次から次に襲い来る猟兵達に焦燥を煽られている様だった。
 タン、と。二太刀目を浴びせた嵯泉は、即座に地を蹴って距離を取る。
 刀を握ったまま、男は片の瞳を剣呑に細めていた。柘榴に似た赤が、白銀の騎士を鋭く射抜いている。
「随分と急いた様子だったが。其の速度にアリスを巻き込めば、どうなるか位は想像出来よう――其れとも、彼女を慮る余裕すら失くしたか?」
 嵯泉が指摘したのは、騎士の“疾さ”であった。
 騎士に連れられた少女が、相当な無理を強いられていただろう事は、今しがた顔を合わせたばかりの男にもよく分かる。先の一太刀で騎士の足が止まり、漸く一息吐く事が出来たのだろう。肩で息をする「アリス」の様子は、見るに痛ましいものだった。
 だが、騎士がそれを受け入れる筈もなく――おそらくは指摘通り、当初に比べ余裕がなくなっているのだろう。正義を、か弱き者の味方を謳っていた仮面は剥がれ落ち、白銀の鎧に覆われて尚、あからさまな敵意を醸し出している。
「五月蠅い! アリスを惑わそうとする輩が、偉そうに……ッ!」
 ビッ、と細剣を勢いよく男へ向けながら。騎士は噛み付く様にして形ばかりとなった科白を吐き捨てる。
 対して、嵯泉はさした動揺も見せず。はて、と騎士の放った言葉を復誦する。
「何を以って惑わすなぞと。私は、過去の残滓を潰しに来ただけだ」
 ザリ、と僅かに地へ沈んだ足先が音を立てる。重心を動かし、何時でも次の手を放てる様にして。両の手で握り締めた柄を顔の横へ掲げながら、嵯泉は騎士の動きを見定めている。
「お前が何を喚こうが、如何に動こうが構いはせんが。先の様にアリスに負担を掛ける行いは、看過出来ん」
 ふと。騎士の背後に立つ少女へと、嵯泉はひとときだけ視線を向ける。
 漸く思い出した記憶に絶望し、流されるままに扉から離れてしまった「アリス」。まだ幼い彼女の心を覆った陰が如何程のものか、当事者でない嵯泉には窺い知れない。

 だが――彼女は未だ、真に総てを喪った訳ではなく。
 もしも、まだ間に合うのなら。身を襲った絶望を乗り越えた先、少女が望むものが、あるとしたならば。

 其は、己が刀を揮うに吝かではない。

「今のお前に、彼女が守り抜けるとは思えんが。其れでも、彼女を連れて動くか?」
「――ほざけ!!」
 男の言葉を、挑発と受け取ったのだろう。白銀の騎士は、剣を構えたまま弾かれた様に前へ出る。
 異様な速さを以て繰り出される突きは、しかし。其の焦り故に、狙い読むも容易い。
 真っ直ぐに己の胴へと向かって来た切っ先を、嵯泉は僅かに身を捩る事で躱す。あまりの速さ故の衝撃で布が裂かれたが、さして問題はない。
 其のまま直進する騎士の背へ、嵯泉はすかさずに刀を揮う。其の刃は届かずとも、勢いよく放たれた鎌鼬は鎧の背を撃つだろう。ここに至までに相当のダメージを負っていたのだろう、白銀に僅かな罅が入る。

 渾身の突きを外した騎士が、踵を返す。次こそはと力む其の剣は、狭まった視野のせいか、矢張り愚直なもので。
 迫り来る剣を、騎士の鎧を視界に捉えながら。嵯泉は、短く息を吐く。
 グ、と腕に力を籠める。狙うは剣を躱した直後、先に罅が入った、脆き其処へ。
 不可避の斬撃を、叩き込め。

 ――壱伐覇壊、違わず抉れ。

「疾く潰えろ、惑乱者」


 ――ピシリ、と。
 騎士擬きの、堅き鎧が。音を立てて、割れていった。

成功 🔵​🔵​🔴​

狭筵・桜人
矢来さん/f14904

だから仕事ですって、仕事。
そういうあなたは自発的に人助けも出来ないんですか?
はぁ〜まったく素直じゃないですね。

私はマリスナイトの気を惹くため前に。
やあどうも。悪い騎士様からあなたを助けに来ました。

矢来さんが動いたタイミングでマリスナイトに拳銃の銃口を向けて。
アリスにだけ演技だとわかるようにこっそりとサインを送ります。

で、騎士様はアリスを助けなくていいんです?
助けに向かえば撃ちますけど。
大事なら傷のひとつやふたつ構わないでしょう?
武器を捨てて大人しくもしない?

ですって、アリスさん。

アリスがどれを選んでも敵を自由にはさせません。
UC発動。その細剣で受け止められるといいですね。


矢来・夕立
狭筵さん/f15055
シゴトじゃなくて趣味なんじゃないですか?人助け。
オレのシゴトも増えるので構いませんが。

●方針
敵ごとアリスを騙す・マッチポンプ

あっちがアリスを利用するならこっちだって使わせてもらいます。
気づかれずに近づけるのはオレですね。
《闇に紛れて》人質に取る。
卑劣ですか?そうですね。ご立派な騎士さまとは違うんで。

…狭筵さんがアリスにだけ合図を送ってくれるハズです。
オレやあのピンク頭を信じないなら別にいいですよ。
でもどこへ走るかは、今決めるのをおすすめしますね。
あの女か、あっちの男か、全然違う方向か、逃げないか。3秒で解放します。

【紙技・琴問】。
あなたは、アリスを騙している。そうですね。



 此度の仕事は、扉を潜り損ねた「アリス」の救出を目的としているらしい。曰く、件の少女がオウガへと変質する前に絶望から掬い上げ、元の世界に送り返して欲しいのだと。
 だが。新たな驚異、もといオウガが増えるのを防ぐと云う目的は理解出来るが。その為に見ず知らずの他人を絶望から救う――その心境を想像し治療するよう苦心しろと言うのは、なんとも。
 ふ、と。矢来・夕立(影・f14904)は瞳を伏せながら息を吐く。湿り気を帯びた溜息は、どこか物憂げな色が滲んでいた。
「――本人が戻りたくないと言うのなら、無理に手を貸さずとも良いと思いますが」
「だから仕事ですって、仕事。今回は『戻すように』との依頼なんですから」
 そう嫌がらなくても良いじゃないですか、と。夕立へ言葉を返したのは、傍らの木陰に蹲み込んでいた狭筵・桜人(不実の標・f15055)だった。ほんの少しだけ雨宿りが出来るその位置で、桜人は濡れて額に張り付いた前髪を摘んでいた。
 ちらりと、夕立は視線をやや下に滑らせる。薄暗い雨夜の中で、季節外れの春が妙に視覚を刺激していた。
「シゴトじゃなくて趣味なんじゃないですか? 人助け」
「はあ、そういうあなたは自発的に人助けも出来ないんですか?」
「生憎と、ソッチ系の趣味はないもので」
「イカガワシイみたいに言うのやめて貰えます?」
 ぽんぽんと交わされる言葉は売り買いに特化したものにも聞こえるが、両人共に反応はあっさりとしたものだった。淡々と言葉を吐く夕立に、桜人がやや態とらしく尻上がりにした声で返す。ここ一年ですっかり慣れたやり取りだ。
 「まあ、オレの仕事も増えるので構いませんが」と、聞きようによっては商魂逞しい発言を溢しながら、夕立は森奥へと視線を戻す。遠目に見えるターゲット達は、予測通り此方へと向かって来ているようだった。動くのであれば、そろそろ頃合いだろうか。
「手筈通りにお願いしますね。では」
「あっ」
 短く言い切ると同時、桜人の返答を待たずして夕立は隠密の姿勢を取る。ただでさえ視界の悪い森の中、木々の間に紛れて黒誂えの影形がすっかり見えなくなったのを確認しながら、桜人もまた徐に立ち上がった。
「はぁ〜まったく。素直じゃない人ですね」
 木陰から顔を出せば、相変わらずに降り止まぬ雨が頬を打つ。どこかげんなりとした表情を浮かべながら、桜人はゆっくりと一歩を踏み出した。

 ――「アリス」達は、もうすぐ其処まで迫っている。



「やあどうも。悪い騎士様からあなたを助けに来ました」
 邂逅一番、桜人の放った第一声が其れだった。
 ガサリと音を立てて茂みから現れた桜人に、騎士はすぐさま手にした剣を向けていた。「アリス」を背に隠すように前へ立ち、此方へと険しい眼差しを向けている。
「貴様らは本当にしつこいな……っ!」
「おや、もう何人かと会われた後でした?」
 にこにこと笑みを浮かべたまま、桜人は並ぶ二人へと言葉を向ける。
「では話が早いですよね。そっちの騎士様は散々ディスられて来た後だと思うんですけど、この辺りで私たちの方に乗り換えてみません?」
「巫山戯た事を。貴様らがアリスの『敵』でないと言う保障がどこにある」
 騙されるな、と騎士は今までも再三した忠告を「アリス」へと向けるだろう。
 奴らはお前を唆そうとしている、話に耳を貸してはならないと。「アリス」が猟兵達を拒むように、騎士は忠言を注ぎ続ける。

 ――すると。そんな騎士の言葉に対して、桜人は今までに遭遇した者達とは少し違う反応を示して見せた。反論するでもなく、攻撃を仕掛けて来るわけでもなく。
 うーん、と。貼り付けた笑みはそのままに、桜人は人差し指で頬を掻いていた。
 そのまま、コテリと。春を纏う少年は、些かわざとらしく、首を傾げて。

「――何でバレちゃいましたかねえ」

 にこやかに言い放ったと、同時。
 キャア、と。“少女”の小さな悲鳴が、森に響いて。

「な、アリス!?」
 背後からの悲鳴に驚き、瞬時に振り返った騎士はその光景を目にするだろう。
 何処より現れたのか、黒誂えの装束の少年が「アリス」の背後を押さえ。その細い首元に、鋭い刃物を押し当てているではないか。
「静かに。動けばこの子供を殺します」
「何……、ッ!?」
 すぐさま「アリス」を取り返そうとした騎士は、しかし。カチャ、と鳴った音に反応して、ピタリとその動きを止める。
 視線だけを横に滑らせれば、先程対話していた春色の少年、桜人が此方に銃口を向けているのが見て取れた。得物を構えながらも変わらずに笑みを浮かべている姿は、どこか薄ら寒いものを感じさせる。
「フフ、騙されちゃいましたねえ。騙す側だと思って油断してました?」
「……貴様ら、アリスを『助ける』のではなかったのか?」
 牽制により動けぬまま、騎士は歯噛みしながら問い掛ける。憎々しげに睨む様からは、溢れんばかりの殺気が滲んでいた。
 騎士の問いに口を開いたのは、「アリス」を確保している夕立だった。「敵の言葉を信じるなんて、随分と純真なんですね」少女の喉元に刃を添えたまま、彼は呆れたような口調で答えを返す。
「オレ達は、これ以上『オウガ』が増えるのを防ぎに来ただけですよ。手段は一任されているので」
「……アリス諸共に騙したと言う訳か、卑劣な輩め」
「そうですね。ご立派な騎士さまとは違うんで」
 飄々と答える夕立に、騎士はひくりと米神をひくつかせる。
 「で、騎士様はアリスを助けなくていいんです?」と、続けて声を掛けたのは桜人だ。相変わらず銃口は騎士へと向けたまま、彼は軽い声音で問いかけながら首を傾げみせる。
「まあ、助けに向かえば撃ちますけど。彼女が大事なら傷のひとつやふたつ、構わないでしょう?」
「…………」
「おや、どうしました? 武器を捨てて大人しくもしない?」
 にんまりと瞳を細めながら、桜人は言葉を続けていく。立て続けに問うその声には、揶揄うような色がありありと滲んでいた。

 ここまで来て「アリス」を殺されるのは、惜しい。かといってこのまま嬲られるのも性に合わないと、騎士はこの場を打開すべく頭を巡らせる。
 どうにか奴等の隙を突けないかと、騎士は策を弄しようとして――。

「ああ、そう言えば」

 ふと。急に何事が思い立った、と言うような軽い声で、夕立が騎士へ言葉を向ける。
 その声に釣られて、騎士は夕立の方へと視線を滑らせた。
 昏い森に紛れるような黒い影の、その中心に嵌められた一対の赤が、此方を見て。

「騎士さまにひとつ、尋ねてみたいことがありまして――」



 暗がりから突然に現れた影、首元に添えられた刃。
 突然の事に、少女は混乱の最中にあった。あの騎士の言葉を鵜呑みにするわけではないが、この人達も信じてはいけない者だったのだろうか? 間近に迫る『死』の恐怖を感じて、少女はひくりと喉を震わせる。
「……落ち着いてください。オレたちが『助けに来た』と言うのは、ウソじゃないですよ」
「――、え?」
 低く、けれど不思議と威圧を感じられない声が、少女の耳に入り込む。
 それは、少女に刃を向けている夕立のものであった。騎士には聞こえぬように、夕立はこそりと囁きながら言葉を続けていく。
「ほら、あのピンク頭の人。今は物騒なものを持ってますけど、割と無害なんですよね。少なくとも貴女に危害を加える事はないでしょう――ほら」
 見てください、と夕立が促した先。騎士の死角になるような位置で、後ろ手にピースサインを作っている桜人の姿が見えていた。戯れるようにゆらゆらと揺らしたり、チョキチョキ指を動かしたりしている辺り、どうにも気が抜けてしまう。
 巫山戯半分のそれは、敵意の無さを示す合図でもあった。これで「アリス」が信じるかは分からないが――様子を見るに、ちょっとばかり緊張を解すことには成功したようだった。
 騙されやすいと言うか、流されやすいと言うか。反応から垣間見える少女の気質に少しばかり呆れながら、夕立は再び口を開く。
「真偽の判断は任せます。オレやあのピンク頭を信じないなら、別にいいですよ」
 でも、と。言葉を続けながら、夕立は「アリス」から視線を外す。視線を滑らせた先、桜人と相対したままの例の騎士は、未だ此方の出方を警戒して行動を躊躇っているようだった。
「この後どこへ走るかは、今決めるのをおすすめしますね」
「……え?」
「あの女の元へ帰るか、あっちの男の方へ行くか。全然違う方に向かっても良いですし――逃げないと言う選択も、まぁ」
 それも有りでしょうと、夕立は提案の最後を締め括る。突然の話に目を白黒とさせる少女を尻目に、夕立は彼女の喉元に添えていた刃を僅かに離した。
「何であれ、貴女が決めればいい。では、あと3秒で解放しますので」
「えっ、あの――っ、!」

 トン、と。
 少女の行動を促すようにして、夕立が「アリス」の肩を軽く叩いたと同時。

 ――ひらひらと。黒い蝙蝠を象った式紙が、ひそやかに飛び立ってった。



「――騎士さまにひとつ、尋ねてみたいことがありまして」
 少年の口から紡がれる声は、ふと思い立ったかのような軽さで。
 しかしその実、騎士の挙動を具に観察しながら。夕立は言葉を続けていく。

 ひらりと。
 彼の袂より放たれた蝙蝠が、騎士の死角をなぞりつつ、近づいて。

「あなたは、『アリス』を騙している――そうですね?」
 問う。抑揚のなく放たれた声が、騎士を真っ直ぐに貫いていく。
 それは、確信をもった問い掛けであった。問いを受けた騎士は、その内容を理解すると同時に瞠目する。
 この問いは罠、もしくは何らかの術式の一環であると、騎士は理解していた。迂闊に答えるな、と頭の中で警鐘が鳴り響く。
 しかし。沈黙もまた不利に働くのだと、幾つかの猟兵達とのやり取りで騎士は学んでいた。何より、黙する事を赦さないと――目前の影は、抗い難い威圧を、放っている。
「――い、いや。いいや」
 引き攣った口を、無理矢理に動かす。漸くに絞り出した声は、いやに掠れていた。
「私は本当に彼女の為を思って、いる。アリスを騙す、などと――」
「おや、そうでしたか」

 パッと。両手を上げるようにして、夕立は「アリス」を“解放した”。
 突然の事に驚いて、騎士も「アリス」も束の間にその動きを止める。ぽかん、と二人は間の抜けたように口を開けていた。
 そんな二人を尻目に、夕立はのうのうと言葉を続けていく。力が抜けたように瞳を伏せ、すっかり敵意が無くなったかの様に振る舞いながら。
「それは失礼しました。貴女は、てっきり『アリス』自身はどうでも良いのかと思っていましたから」
「え、な、何を」
「でしたら話は変わって来ますね。ひとまず此方から提案できる落としどころは――」

 ……なんて。

「――ウソでしょう、それ」
「ッ、が、ぁっ!?」

 瞳を、開く。一対の赤が騎士を貫くと、同時。
 ≪琴問≫と共にひそやかに放たれた式紙が、騎士の肩を食い破るだろう。黒い蝙蝠を模した其れは、騎士のウソを見逃すはずもなく。彼女の利き手を封じる様にして深い傷を刻んでいく。

 突然の痛みに悲鳴を上げる騎士を、「アリス」は呆然と見つめていた。
 たった今、彼らの間で何が起こったのか。その詳細を見極める事こそ出来なかったが――それでも。
 今の彼女にも。分かる事は、ある。

「――ですって、アリスさん」
「!」
 少女に声を掛けたのは桜人だった。
 銃口は騎士へと向けたまま、桜人はにこりと「アリス」に笑いかける。まるで道行きに袖触れ合ったかの様な気軽さで、彼は言葉を続けていく。
「あの人、嘘付きだったみたいですよ。怖いですねえ。貴女を守るフリをして、一体何を企んでいたのやら」

 ――で。貴女は、どうします?

 揶揄う様に細められた瞳。こてりと首を傾げながら投げ掛けられた問い掛けに、「アリス」は我知らず、息を呑んで。
 ゴクリと喉を鳴らした――次の、間に。

 少女は、弾かれるように跳び出した。



「まっ待て、アリス!!」
 一人駆け出していった「アリス」に気付いて、焦った様に騎士が叫ぶ。
 手負いながらに駆け出そうとした、その足先に。足止めとして、桜人が一発弾丸を打ち込んだ。
 ギッと此方を睨む騎士に「わあ怖い」なんて嘯きながら。桜人は琥珀の瞳を柔らかく細めてみせる。
「あーあ、愛想尽かされちゃいましたねえ。――ねえ、知ってますか?」

 問う声は、軽く。
 友人を揶揄う様な声色で、春の虚は続けるだろう。

「嘘って、意外と変なところからバレちゃったりするんですよね。まあ、なかなか巧妙に仕込む悪質な人もいるんですが」

 虚が、語る。ひとならぬ怪物が、ひとのような微笑みを浮かべている。

「貴女の嘘はここまでだった、って事です。『アリス』も逃げてしまったことですし――」
 もう少しだけ、お付き合い願いますね?

 琥珀の視線が、騎士の其れと交わった、刹那。
 形を伴わぬ、虚の狂気が。騎士の精神を喰らわんと、其の顎を開いていた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​


 駆け出したのは、半ば無意識なものだった。
 弾かれたように飛び出した少女は、脇目も振らずに駆け抜ける。刃物のぶつかる音が、険しい怒声が、背中から追いすがるようにして近付いてきていた。

 ――本当は。たぶん、とっくに気付いていた。
 「アリス」の味方だと言って手を引くあのひとが、「わたし」に対してひどく冷たい目をして、嘲るような色を浮かべていたことに。
 それでも、あの『扉』から離れたいと心から願っていたことも本当だから。どんな目に遭ってしまうか分からなくても、あの場から動かしてくれた手を振りほどくことは、出来なかった。

 それでも結局、「わたし」はあのひとを始め、誰を信じることも出来ずにいた。誰の手を取ることも怖くて、でも“あの時みたいに”なるのは、もっと恐ろしくて。何にも気付けないふりをして、目を背けることで精一杯だった。

 だけど、もう。
 飛び出してしまった。逃げ出してしまった。
 あのひとは、きっと「わたし」を追い掛けてくる。断片的にしか分からなかったけれど、あのひとが「アリス」を別の「何か」にしたいのだという事くらいは、少女にも察することが出来ていた。
 もしかしたらそれは、本当に「わたし」の為になるのかもしれないけれど。今一度心に浮き出してしまった恐怖故に、少女は足を止める事が出来なかった。

 あのひとの元には、戻りたくない。かといって、『彼ら』が信用できるかも分からない。何を頼りにすることも出来ず、少女はひたすらに駆けていた。

 ――雨は、未だ降っている。
ジャック・スペード
●*

芝居は其処までだ
悪意の騎士――マリスナイト

アリス、あんたの目に
俺の姿は恐ろしく映って居るだろうか
それでも約束しよう
――当機は決して、あんたに危害を加えないと

まあ、其方の方が正義の味方らしい形だが
信頼は行動で積み重ねるものだ
いつものように、それを証明してみせよう

アリスを惑わすその鎧は邪魔だな
接近しブレイドを振い、渾身の怪力で砕いてやる
もし罅など入れば、気高いその姿も張りぼてだと
アリスにもわかって貰えるだろうか

万が一アリスを盾にされたら
ブレイドを棄てて攻撃を中断
叶う事なら、怖い思いもさせたくないな

鎧を傷つけること叶えば
片腕をガトリング銃に転じさせて零距離射撃
闇を纏った弾丸を其の身に撃ち込もう


揺歌語・なびき
呼びかけは今じゃない
心を救うことも

清々しい程の偽善者だ
それ位の方がこっちも都合がいい
ひとつも胸が痛まず殺せる

(ゆるく笑んで
ねぇお嬢さん
おれのことはひとまず信じなくていい
それより自分の命を考えて
【誘惑

どうせ騙されるなとか言われるんだろう
その隙に敵めがけて放つ拘束具
少女を騎士から引き剥がす為の手段
【目立たない、だまし討ち、罠使い

身動き取れぬ相手に銃撃を浴びせ
味方の支援に徹する
そろそろ真面目そうな顔はやめろ
嗤ってるのが、見え透いてる
【スナイパー、鎧無視攻撃、呪殺弾

攻撃は自分の勘で避けきる
当たった時は、多少は耐えられるし
【第六感、野生の勘、激痛耐性

お前みたいな奴は大嫌いだよ
本当の善性を持つひとを
汚すな



 逃げていた、走っていた。何処に行けば良いのかなど分からない、とにかくあの場から逃げなければとの一心で、騎士から離れた「アリス」は昏い森を駆けていた。
 けれど。只でさえ消耗していた少女にとって、雨降る森の小道は決して優しいものではなく。ぬかるんだ地面に足を取られ、「アリス」の小さな身体はバランスを崩して転がってしまう。
 ベシャリと。転んだ拍子に跳ねた泥水が、少女の頬を濡らしていた。擦り剥いた足が、じくじくと痛みを訴えている。

「――アリス!」
「っ!」
 しゃがみ込む少女の背後から、彼女を追いかけていた騎士が姿を現した。「アリス」に追いつく為に飛翔の力を使ったのだろう。騎士の纏った白銀の鎧が、ガシャンと音を立てて地に足をつける。
 其の音を聞いて、少女はびくりと肩を震わせた。今一度あの手に捕まったらどうなるか、「わたし」はどうなってしまうのだろうか?

 あからさまに怯えの色を宿す「アリス」の姿に、騎士は内心で舌打ちを溢していた。
 すんなりと彼女を懐柔出来れば良かったのだが、猟兵たちの妨害によって其れもままならず。このままではオウガへ変質する前に逃してしまうやも知れないとの懸念が、騎士の頭を過っていく。
 だが。「アリス」は騎士から逃げこそすれ、『扉』に戻るわけでもなく、ましてや猟兵たちの手を取ろうとしている様にも見えなかった。上手く操作すればまだ付け入る隙はあるだろう、と騎士は苛立ちに塗れていた思考を切り替える。
「アリス。きっとあいつらに戯言を吹き込まれたせいで混乱してしまったんだろう? 怒ってはいないから、どうか逃げないでくれ」
「……え?」
 ぱちりと。思いがけぬ騎士の言葉を受けて、少女のくるりとした瞳が瞬いた。
 其の反応を見て、矢張りまだどうにかなると踏んだのだろう。白銀の鎧の下、歪んだ笑みを浮かべながら騎士は言葉を続けていく。
「先程から襲ってくる奴らが、いつまた来るかは分からない。一人で居ては危ないんだ――分かってくれるな?」
 優しく、柔らかく。あくまで「アリス」の為であると諭す様な声音で、騎士は続けていく。
 一歩、白銀に覆われた足を踏み出して。突然の事に固まったままの「アリス」を捕まえようと、騎士は其の手を伸ばし――。

「芝居は、其処までだ」
 ――ザン、と。
 伸ばされた騎士の腕を阻むように、白縹の一刀が振り下ろされる。
「ッ!?」
 バッと。咄嗟に身を引いて、騎士は一太刀を躱す。何者だ、とすぐさまに視線を上げた先。彼女は、「アリス」の前に立ちはだかる様にして此方を睨む、黒鋼の巨躯を見るだろう。
 天竺葵を刻んだ刀を握り締め、ジャック・スペード(J♠・f16475)は正面から相対する様にして騎士に向かい合っていた。昏い空の下、仄かに光る金の双眸が、白銀纏う騎士を鋭く射抜いている。

「悪意の騎士――マリスナイト、と云ったか」
 あんたに「アリス」を渡すわけにはいかない、と。低く無機質な声が、黒鋼の軀より落とされる。
 再びの妨害に、騎士は鎧の下で顔を歪ませていた。本当にしつこい輩共だ、と小さく暴言を吐き捨てる。
 其の呟きを拾い上げて、ジャックは瞳を細めるかの様に双眼を明滅させていた。
 相対する騎士は、清廉な白銀の色を纏い。見目こそ立派な者であるが、心根までは伴わなかったらしい。なるほど、『悪意』に塗れていると称されるだけの事はある。

 目前の敵に警戒を向けながら、ジャックはチラと後方へ、背に庇う「アリス」へと視線を投げる。
 どうやらあの騎士から逃げていたらしい「アリス」は、しかし。突如姿を現したジャックへも、ひどく怯えている様だった。
 それは、少女の今の状態がひどく不安定だったからではあるけれど。もしや恐がらせてしまっただろうかと、ジャックのこころに少しだけ翳が差す。小さな、小さな少女からすれば、巨大な此の鉄の身は威圧を感じるものであろうから――本意ではなくとも、己の軀が与えてしまうであろう印象を、彼は重々に解っているつもりだった。

「……アリス。あんたの目に、俺の姿は恐ろしく映って居るだろうか」
 低く、少しだけ沈んだ声が、ジャックの口から溢れ出る。
 彼の双眼は、おそるおそるといった具合に此方を見上げる少女の視線を感知した。怯えてはいるものの、すぐに逃げ出そうとはしない少女へ。「それでも」と、ジャックは言葉を選びながら紡いでいく。
「約束しよう――当機は決して、あんたに危害を加えないと」
 此の身を賭しても、絶対に。記憶に傷付き、絶望に心を翳らせた少女を守り抜いてみせると。
 言葉少なに告げたのち、ジャックは再び目前の騎士へと視線を向けるだろう。
 白銀の鎧に身を包む騎士は、一見にして正義の味方らしい装いであるが。其の殻を砕いてさえ仕舞えば、抑え隠した『悪意』は姿を露わにするはずだ。

 信頼は、言葉で取り繕うものではなく。己が行動を以て積み重ねるものだ。
 自分は、ただ。いつものように、それを証明してみせるだけで良い。

 誓った言葉を真実とする為に。
 ひとを救わんとする黒鋼の男は、今一度、其の白縹の刃を振り抜いて――。



 ガギン、と。刃同士が幾度もぶつかり合う音が響く中。
 逃げる隙を見失って、ただ身を震わすばかりの「アリス」の傍らへ。灰緑を纏う影が一つ、ゆたりとした足取りで近づいていた。
「ねぇ、お嬢さん」
「!」
 穏やかに掛けられた声は、揺歌語・なびき(春怨・f02050)のもの。いつの間にやら近づいていた彼に驚いて、少女は弾かれた様に其方へ振り向いた。
 怯えの感情を色濃く映す「アリス」の瞳へ、視線を合わせる様にして。なびきは徐に身を屈ませながら、少女の顔を覗き込む。混乱の最中にある彼女が少しでも落ち着ける様にと、なびきはゆるく笑みを浮かべてみせた。
 彼の柔らかな雰囲気に当てられてか。僅かながらに、「アリス」は緊張を緩める事が出来た様だった。少女は、少しだけ長めの息を吐く――ずっと、かの騎士に連れられて森を駆けてきたのだ。落ち着いて息を吐くことすら、先程まで無意識に自制していたらしい。

 取り戻した記憶によって、心に深い傷を刻んでしまった少女。年端もいかぬ彼女の心情を思って、なびきは痛ましげに瞳を細める。叶うならば、傷付いた「アリス」をすぐにでも救ってやりたいと、心の片隅で思いながら――けれど。

 呼びかけは、今じゃない。
 心を救うことも、まだ。

「おれのことは、ひとまず信じなくていい。それより、自分の命を考えて」
 掛けたい言葉の幾つかを呑み込んで、なびきは端的に「アリス」へと告げる。
 まずは、彼女の身の安全を確保してからだ。「アリス」の心を掬い上げるのは、その後に。

 ――すると。剣戟の最中、「アリス」と、彼女の傍に近づくなびきの姿を捉えたのだろう。ジャックと刃を交えていた騎士が、ハッとした様に其方を見遣る。
 また邪魔をされては溜まったものではないと、騎士は慌てた様に声を上げた。険を乗せた甲高い声が、「アリス」へと向かって放たれる。
「そいつらの言葉を聞いてはダメだ、アリス! お前はまだ“戻りたくない”だろう!?」
「っ!」
 びくりと。騎士の言葉に反応して、「アリス」が再び身を震わせた。
 少女の反応を見て、矢張りと騎士は鎧の下でほくそ笑む。「アリス」が元の世界を拒絶する以上、此の世界の『絶望』に染まり切るのは時間の問題だ。目の前の猟兵たちを片付けてさえ仕舞えば、あとはどうとでもなる。

 ――なるほど、と。騎士の放った言葉を、そして纏う雰囲気を感じ取りながら。なびきはスゥと桜の瞳を細めるだろう。
 話には聞いていたが。かの騎士とやらは、清々しい程の偽善者だった。
 己の目的のために、か弱き「アリス」を躊躇いなく傷付ける。味方であると嘯きながら、少女の一番の傷である『裏切り』を好み画策する外道。
 不愉快ささえ感じる其れに、なびきは軽く鼻を鳴らしてみせる。

 嗚呼、けれど。それ位の方が、己にとっても都合がいいのだろう。
 何せ――ひとつも胸が痛まずに、殺せるのだから。

 クイ、と。歪んだ笑みを白銀の下に隠す騎士へ、なびきは手前の拘束具を差し向けるだろう。
 彼の指から放たれた其れ等は、許されざる者の足を瞬く間に絡め取り。悪意によって加速するのだという、自慢の疾さを殺してみせる。

「そろそろ、真面目そうな顔はやめろ」
 ――嗤ってるのが、見え透いてる。

 なびきが冷たく言い放つと、同時。
 拘束具によって動きが鈍った騎士へ、刀を握ったジャックが瞬時に接敵する。
 先までは、其の素早さにより決定的な一撃を与えられずにいたが。相手が疾さを失った今、彼の渾身の振り抜きは、容易くかの鎧へと撃ち込まれるだろう。
「その鎧は邪魔だな――アリスを惑わす口ごと、叩き切ってやる」
 ヴン、と。空気を震わせて、横に薙ぐ渾身の一刀。機械の身より放たれる其の衝撃は、只人であれば骨まで砕けてしまうに違いない。

 振り抜かれる刃、接触、衝撃。
 鼓膜を揺らす轟音の後――ピシリと。白銀の鎧に罅が入ったのを、ジャックのアイセンサーは見逃さなかった。

 振り抜いた刀を右手に携えたまま、彼は空いた左腕をすぐさまに変形させていく。
 此の身は異形なればこそ、我が黒鉄は其の総てが引鉄也。人ならざる故に持ち得た力を、鉄の男は人を救うために行使する。
「――砕け散れ」
 至近より放たれるは、彼の腕を転換させた機関銃。常闇の如き黒い気を纏わせた数多の弾丸が、罅割れた白銀へと撃ち込まれていく。
「――ッ!!」
 零距離で注がれる弾丸の雨は、騎士の鎧を撃ち抜いて。直に其の身へと叩き込まれるだろう。
 相次ぐ衝撃に、痛みに、脳が揺らされる。警鐘を鳴らしながらも、離脱すら儘ならぬ現状に、騎士は悲鳴を噛み殺しながらも視線を上げようと、して――。

 目が、合う。
 「アリス」を庇う様に立つ男の、桜が。仮面の剥がれかけた騎士の顔を、見て。

「――お前みたいな奴は、大嫌いだよ」
 ぽつりと。溢された言葉は、傍らの「アリス」すら聞き取れぬほどに小さく。
 けれども、其の瞳には険呑な光を宿らせながら。なびきは、掌に収るほどの小さな銃を、かの騎士へと向けるだろう。

 善を騙る、醜きものへ。彼が贈るのは「お別れ」だ。
 こんにちは、さようなら。君が、もう二度と彼女に遭いませんように。

 ――そうして。腹の底に淀む怒りを抑えながら、なびきは引き金を引くだろう。
 嗚呼、悍ましい。あの鎧程度で己が醜悪さを隠し切れる等と驕る、其の心根を嫌悪する。

 やめろ。囀るな。今すぐに、其の息の根を止めてしまえ。
 本当の善性を持つひとを。

「――汚すな」


 パァン、と。
 真っ直ぐに放たれた、呪いの弾が。
 怒りに顔を歪ませた騎士の頭を、貫いていた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

境・花世
●*

アリス、アリス、そんなに哀しい顔をして
むりやりにわたしたちを信じなくたっていい
きみを助ける、確かなその結果だけをあげるから

右目の花をくしゃりと潰して散らして、
異形の身体能力で敵へと肉薄しよう
仲間の攻撃を隠れ蓑にさせてもらう連携
さらに敵の頭上を飛び越えるジャンプや
死角をすり抜けるようにして──アリスの傍へ

いやなものが目に入らないように
血飛沫がかかったりしないように

オウガの攻撃に抉られても身を挺してアリスを守る
言葉より雄弁な、『きみを傷つけない』
泣いてる女の子を助けるのに、
理由も対価も要りはしないよ

至近距離から敵の身に燔祭を投げつけ、
悪意を苗床に絢爛に咲かせてあげよう
きみへの花束だよ、なんてね



 くしゃりと。昏い昏い森の中。薄紅の花がひとつ、潰れておちる。
 はらりと舞い散る花弁は、雨に濡れた地面に落ちて。黒々とした土の上を、鮮やかに彩った。

 ちぎれた華は八重牡丹。花咲の跡には、ぽかりと空いた虚が在る。
 其の、真暗闇の様な虚の中から。こぼれゆくは“化物”のちから。

 はらはらと。華を潰した掌から、細かな花弁が落ちていく。
 雨に紛れて降る其れを、片の瞳でチラと見てから。

 ――虚ろを抱えた女が、ひとり。
 泣いている「きみ」を助けるために、地を蹴った。



 少女は、「アリス」は、ただひたすらに駆けていた。
 追いかけてくる騎士の気配を、其の背にひしひしと感じながら。
 「アリス」はひとり、昏い森の中を走っていく。

 騎士を足止めしてくれた『誰か』に促されるまま、持ち得る全速力で真っ直ぐに――嗚呼、けれど。
 大きな木の根に躓いて、足がもつれた拍子。歪む視界の隅に、「アリス」は鋭く光るものを見るだろう。
 其れは、騎士の持つ細剣であった。既に鎧は剥がれ、あの恐ろしい疾さを失いこそすれ。「アリス」が多少逃げたところで、鬼である騎士が追いつくのは実に容易いことであった。
 けれど。幾重もの戦闘を経て傷を負い、騎士は焦燥に駆られていた。「アリス」を連れて逃げ切るのは、既に難しい。其れどころか、このままでは自らが滅してしまう恐れすらある。

 だから――騎士は、手早く『仲間』を作る為の一手を、取ろうとした。
 無論、殺すつもりはない。ただ、少し手負いにするだけだ。
 傷を負わせることで変質のトリガーになれば上々。もし其れだけで足りずとも、「アリス」が傷付けば猟兵たちへの牽制にもなる。奴らは、どうも「アリス」が傷付くことを嫌がっているようであったから――例え下手を打って連れ去られかけても、奴らは無理に「アリス」を走らせる様な真似は出来ないはずだ。

 故に。騎士は「アリス」へと剣先を向けていた。
 背後から一突きにしてやろうと思っていたが、どうにも間が悪かったらしい。木の根に躓いて体勢を崩した「アリス」は、偶然にも其れを見てしまった。

 細く、鋭い切っ先が。
 自分の身体へと吸い込まれる様にして向かってくるのを、少女は、見て――。

「止まらないで、アリス。そのまま駆けて」

 トン、と。軽い力で、背を押される。
 其れと共に。鮮やかな紅赤が、少女の視界を遮る様に広がった。

 其の紅赤は、八重牡丹の君の纏う色。
 境・花世(はなひとや・f11024)は、「アリス」を庇う様にして騎士との間に滑り込み。少女を刺し貫かんとした細剣を、其の身を以て止めていた。
 深々と刺さる剣は、けれど致命のものではない。痛みを感じながらも、花世はすぐに反撃の手を打った。

 花世が手にしたのは『燔祭』と称される花の種。血と狂気を糧に、爛漫と咲き誇る華の其れ。
 至近にて目を見開く鬼へ、花世は其れを投げつける。命を吸い上げて花開く其れは、かの鬼の悪意を苗床として芽吹くはずだ。

「今の内だ。アリス、行こう」
「え、あっ……!」

 瞬く間に咲き誇る花々を後にして、花世は「アリス」をひょいと抱え上げた。
 小柄な少女を、花世は軽々と持ち上げる――少女が痩せぎすなこともあるが、今の彼女は異形に近いモノであったから。ひと一人抱えているとは思えぬ軽やかさで、花世は地を蹴るだろう。
 まずはかの鬼から距離を取るために。花世は、そのまま駆け出していった。



「――ひとまずは、大丈夫かな」

 異形の力を以て駆けた先。雨を凌げる大木の傍で、花世は抱えていた「アリス」をゆっくりと降ろしていた。
 花世は、「アリス」の無事を確認するべく視線を滑らせる。ところどころ擦り切れて痛ましい姿ではあるけれど、先程の様に斬り付けられた場所はなさそうだ――と、一通り確認したところで。
 ふと。花世は少女からの視線を感じて顔を上げた。「アリス」はと言えば、ひどく狼狽した様子でぱくぱくと口を開けている。

「アリス? どうかした?」
「あの、なん、なんで――」
 なんで、と。吃りながら繰り返す少女の視線は、花世の身体に――先程貫かれた傷に、向けられていた。
 嗚呼、と花世は納得した様に頷いた。なんで、自分が傷付いてまで「アリス」を助けたのか――彼女の疑問は、こんなところだろうか。
「そうだなあ」
 ぽたりと、滴が地面に落ちていく。
 戸惑う少女に向けて、花世はあえかに笑ってみせた。
「理由なんてないよ。泣いてるきみを、助けたかっただけなんだ」
 ――泣いてる女の子を助けるのに、理由も対価も要りはしないよ。
 きみを傷つけない、傷つけたくはない。
 あるとしたら、その一心だけだ。

 そう答えた花世に対して――少女は、ひどく傷付いた顔を見せる。
 否。傷付いた、というには少し語弊があるかもしれない。
 彼女は戸惑って、其の言葉が受け入れられなくて――其の上で。信じられない自分自身を責めるかの様に。少女は、くしゃりと顔を歪ませていた。

 嗚呼、と。花世は、息混じりに声を溢す。
 違うよ、違う。きみにそんな顔を、させたかったわけじゃないんだ。

 「ねえ、アリス」と。花世は、戸惑う少女に語り掛ける。柔らかな声色は、聞くものを落ち着かせる様な響きを含ませていた。

 アリス、アリス。
 そんなに哀しい顔をして、まぁるい瞳を歪めないでおくれ。
 惑わせたいわけじゃない、苦しませたいわけじゃない。
 『信じる』のが怖いというのなら、そのままでも大丈夫だから。
 きみがきみでいることを、諦めないでいてくれるなら、それだけで。

「大丈夫だよ、アリス。むりやりに、わたしたちを信じなくたっていいんだ」
 答えなくていい、応えずともいい。振り返らなくたって構わない。
 わたしたちは、ただ――きみを助ける、確かなその結果だけをあげるから。

 今にも滴が零れ落ちてしまいそうな「アリス」の瞳を、花世は掌でそっと覆い隠す。
 そうして――静かに振り返った先。彼女たちを追いかけてきた鬼の姿を、花世は見るだろう。

 少女の視界を覆ったままに。そっと、花世は再び「アリス」の背を押した。
 これ以上、いやなものが目に入らないように。
 他者が傷付つくことでも傷付いてしまう、か弱くも優しい少女が。舞い散るあかを、見なくても済むように。
「さあ、行って。きみの思うままにすれば、大丈夫だから」
 そうすれば。
 背を押されるままに、少女は再び駆けていくだろう。

 そんな「アリス」を追いかけようと。鬼もまた地を蹴ろうと、して。

「ダメだよ、ここは通さない」

 瞬きよりも、早く。鬼へと肉薄した花世は、再びに種を撒く。
 絢爛に咲く血吸いの花が、今一度、昏い森の中に芽吹いて。
 少女を狙わんとする鬼を縫い留め、地へと根を張らせるだろう。

「きみへの花束だよ――なんてね」

 小さく、ひそやかに贈られた言葉を、最後に。
 花の苗床と化した鬼は、束の間に其の意識を失った。

大成功 🔵​🔵​🔵​

エドガー・ブライトマン
●*
ねえアリス君、俯くのはやめたほうがいいぜ
ほんとうのことが見えなくなるもの

今は難しくとも、すこしずつでも前を向いた方が良い

突然だけど、私の名はエドガー。通りすがりの王子様だよ
王子様であり、キミの味方でもある

そこのナイト君に用事があってね
護衛役の交代さ。そこをどきたまえ

“Hの叡智” 攻撃力を重視
キミの剣と私の剣、どちらが勝つか勝負しよう
きっと私は負けないよ

アリス君のことは決して攻撃しない
盾にするような仕草には《早業》で反応して対処

ねえ、アリス君。私を信じてみてよ
私は彼女みたいにキミへ攻撃を当てさせようとしたり
盾みたいになんかしない

キミのことを守ってあげる
私はね、ひとを導き守る王子様なんだ



 どうして、なんで。
 ひたすらに森の中を走りながら、「アリス」の中ではその疑問がぐるぐると巡っていた。
 騎士から逃げる中で、いいや、あの騎士に連れられていた時でさえも。身を挺して助けてくれようとした人たちに、少女は遭っていた。あの騎士は彼らが「アリス」を傷つけようとしているのだと主張していたけれど。其の真偽を、「アリス」は判断することが出来ずにいた。
 もう、少女は何を信じればいいのか分からない――否。何も、信じたくはなかったのだ。

 信じれば、裏切られる。あんな思いをするのは、もう嫌だったから。

 だから。疑問を抱きながらも、「アリス」は必死に見ないふりをしようとしていた。余計なことを考えちゃいけないと、かぶりを振る。未だ止まぬ雨の滴が、頬を伝って零れ落ちていった――その時だった。

「――ねえアリス君、俯くのはやめたほうがいいぜ」

 ふと。聞き覚えのない声が、「アリス」の耳に入り込む。驚いた「アリス」は、つい足を止めて声の聞こえた方へと振り向いた。

 少女が咄嗟に視線を向けた先。そこには、一つの影があった。
 「アリス」が見たことない様な、きらびやかな服を纏い。明るい金糸を揺らした、綺麗な顔立ちをした男のひと。晴れた青空のような瞳が、真っ直ぐに少女へと向けられている。
 その人は、ゆったりとした足取りで「アリス」へと近づいてくる。少女は、思わずびくりと肩を震わせるが――不思議と敵意の感じぬその佇まいに、毒気を抜かれてか。咄嗟に逃げ出すことはなく、おそるおそるといった具合に様子を伺っていた。

「俯いたままだと、ほんとうのことが見えなくなるもの。今は難しくとも、すこしずつでも前を向いた方が良い」
 落ち着いた、けれどどこか自信に満ちたような声音で、青年は言葉を続けていく。
 やがて「アリス」のすぐ傍まで足を運んだ青年は、少女に向けてスッと綺麗なお辞儀をして見せた。
「突然のことで驚かせてしまったかな。私の名はエドガー、通りすがりの王子様だよ」
 そうして青年――エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)は、少女へと名乗りを上げる。
 そのまま顔を上げたエドガーは、にこやかな笑みを浮かべていた。やはりと言うべきか、敵意は一片たりとも感じられず。うつくしい顔は「アリス」を見守るようにして優しく微笑んでいる。
 当の少女はと言えば、突然の邂逅に戸惑いながら、おずおずと首を傾げていた。記憶の大半を失っているせいだろうか、どうも『王子様』と言う単語に耳馴染みがなかったらしい。
「おうじ、さま?」
「ウン、王子様さ。――そして、キミの味方でもある」
 青空の瞳をやんわりと細めながら、エドガーはきっぱりと言い切ってみせる。
 そして、彼は腰に提げていたレイピアを徐ろに抜き取り――パッと、素早く後ろを振り返った。

 そこには。逃げる「アリス」を追いかけて来たのだろう、かの騎士が姿を見せていた。彼女は警戒心も露わに、エドガーたちを厳しい眼差しで睨んでいる。
 ひっ、と。騎士の姿を視界に捉えた少女が、喉を痙攣らせたような声をあげた。怯えの色を濃くした「アリス」を庇うようにして前へ出ながら、エドガーは騎士へと声を掛ける。
「やあ、ナイト君。ちょうど良かった、キミに用事があってね」
「……何?」
 にこやかな笑みを崩さぬまま、けれど手にはレイピアを携えながら。エドガーはスラスラと言葉を続けていく。
 一見にして敵意こそ感じられないが――確固たる意志を以て、エドガーは言葉を紡ぐだろう。
 みんなの希望に応えるのが、彼の責務である。後ろで身を震える「アリス」を助けることもまた、己の役割であると、エドガーは当たり前のように自認していた。

「護衛役の交代さ、ナイト君。キミにはお引き取り願おう」
 故に、そこをどきたまえと。エドガーはゆるく首を傾げながら、静かに告げる。
 ――しかし。騎士もまた、其れに従う道理は己の中になく。
 ハン、と。彼女は、王子の提案を鼻で笑い飛ばしてみせた。
「そうしてアリスに取り入ろうと言う算段か? 馬鹿馬鹿しい、従う訳がないだろう」
 小馬鹿にしたような声音で、騎士はトゲのある言葉を返す。あくまで己の目的のために「アリス」を連れ歩いて彼女には、エドガーの振る舞いの根幹を理解出来ないのだろう。

 ふむ、と。騎士の返答を受けて、エドガーは軽く思案する仕草を見せる。
「なら仕方ない。ここはひとつ――キミの剣と私の剣、どちらが勝つか勝負しよう」
 其れなら白黒はっきりつけられるだろう、と言葉を続けながら、エドガーはレイピアを構えてみせる。
 ピッと、真っ直ぐに相手へ向けられた剣先は鋭く。
 まるでお手本のように綺麗な姿勢は、作法のわからぬ「アリス」の関心すら惹いたようだった。

 自らに注がれる視線を感じて、エドガーはちらりと其方に顔を向ける。
 そして、彼を見遣る「アリス」と視線が合えば――パチリと。
 王子様は、綺麗な瞳を一つだけ綴じて。少女
にウィンクを贈ってみせた。

「問題ないさ、きっと私は負けないよ」

 ――彼は、未だ。
 剣を揮う際に大切なことを、きちんと覚えているから。

 深呼吸をひとつ。瞬きをふたつ。
 そして、みっつ。祖国の名を、心の内で唱えたならば。
 ≪Hの叡智≫――義を重んじるかの第三王子の教えは、エドガーの力となり。その剣捌きを冴え渡らせる事だろう。


 ――嵐の前の静けさが、彼らの周囲を覆い尽くす。
 剣を交える寸前の、極限まで高められた緊張の最中。
 視線は目前の騎士へと定めたままに――ふと。エドガーは、背後にいる「アリス」へと声を掛ける。

「ねえ、アリス君」
 私を信じてみてよ、と。視線を向けぬまま紡がれた言葉は、軽やかに、しかし確かな真摯さを以て告げられる。

 この「アリス」は、かの騎士を恐れて逃げたがっているようだった。
 騎士、もといこのオウガは、ひどく悪意に満ちた気質をしているのだと聞いている。少女の信用を得るために猟兵たちを悪役に仕立て上げることはおろか、わざと「アリス」に危険が及ぶような立ち回りもして来たのだろう。
 裏切る為に信じさせ、信じさせる為に裏切る。とんだ茶番劇だ。

「私は彼女みたいに、キミを危険に晒したりはしない。キミのことを守ってあげる」

 私はね、アリス君。

「ひとを導き守る――王子様なんだ」

大成功 🔵​🔵​🔵​

花剣・耀子
●*
ヒトを装った、ヒトを欺くものは嫌いなのよ。
逃がさない。

狙いはオウガ。
動きをよく見て、アリスの子には傷ひとつ付けないように。
猟兵をいいように使うなら使うでかまわないわ。
からだを盾にしてでも思い通りにはさせない。

随分と周到なこと。
おまえ、そうやって何人喰いものにしてきたの。
答えても答えなくても良いわ。
あたしの仕事は変わらない。
おまえを斬る、それだけよ。

あたしが気に食わないというだけだもの。
これは、アリスの子のためにしていることではないけれど。
でも。

きみが信じたいものを信じればいいとは思うのよ。
あれがよくないものだと言ったところで、信じようがないでしょう。
……、目を閉じないで。ちゃんと考えてね。



 雨が、降っている。
 ぱたぱたと、天より落ちる滴が葉を打つ音を聞きながら。この昏い月夜へと足を踏み入れた一人、花剣・耀子(Tempest・f12822)は、遠目にも確認できる「アリス」たちの様子を伺っていた。
 どうやら、今の「アリス」はオウガと別れて行動しているらしい。彼女にどんな心境の変化があったのかは分からないが――この状況は、仕事を果たす上で好都合なようにも思われた。

 逃げる「アリス」を庇うようにして、他の同僚たちもまた動いている。
 ギリギリまであのオウガを相手取っている彼らに続くようにして、耀子もまた己の得物を握りしめる。花散らしの剣の、手元に咲いた桜の花弁が。落ちる滴に打たれて、微かに揺れていた。

「……ヒトを装った、ヒトを欺くものは嫌いなのよ」
 ぽつりと。溢された言葉は、雨に紛れるほどに小さなもので――けれども。
 『敵』の姿を捉えた青の瞳に、仄かな熱を宿しながら。耀子は、硝子越しに世界を睨む。

 骸海に葬られてなお滲み出る、ヒトを脅かす過去の残滓。
 まるでヒトで在るかのように生暖かい言葉を吐きながら。騙り欺き、数多のヒトを喰らう紛い物など、絶対に。

 逃がさない。



 森を、駆ける。たくさんの人に助けられながら、「アリス」は尚も逃げていた。
 足先の痛みは、死を間近にした恐怖で鈍り。今の少女は、ただあの騎士に捕まらないようにとだけを考えて走っていた。たくさん向けられた“彼ら”の言葉に、無意識に背を押されながら。

 けれど。猟兵の足止めを振り切った騎士は、すぐに「アリス」へと追いつくだろう。
 「アリス!」と叫ぶ女の言葉が、すぐ背後に聞こえてくる。
ああ、ダメだ。これ以上速くは走れない。またあの声が、手が、「わたし」を捕まえて――。

「――させないわ」

 ヴン、と。
 唸る駆動音。疾く振るわれた刻み刃が、風を斬る。

 其れは、今にも「アリス」を掴まんとしていた女へと振るわれた、角持つ少女の『クサナギ』の一閃。
 オウガが「アリス」を捕まえる間際、瀬戸際のところで間に合った耀子は、咄嗟の一太刀を紛いの騎士へと浴びせていた。『クサナギ』の刃が騎士の肌を裂き、傷口から血のような残滓が溢れて出ていく。

「っ、また新手が――!」
 すんでのところで「アリス」へと手が届かなかったオウガは、苛立ち混じりに舌打ちを溢す。
 騎士が細剣を構える様を見ながら、耀子は「アリス」を背に庇うようにし位置を取る。
 当の少女は、またも新たれた見知らぬ影をみとめて、どこか緊張しているようだった。

 ――聞いた話に寄れば。少女は未だ『信じる』ことに忌避感を抱いているのだと言う。
 あの騎士も、こちらも。どちらを信じることも出来ず、不安で押し潰される寸前なのだろう。

 チラリとだけ、「アリス」を一瞥してから。耀子は、すぐに目前のオウガへと向き直る。
 此度の其れは、ひどくヒトに似た形を模しているようだった。
 このナリで、まるでヒトのような口振りを用いて、甘言を吐いてみせるのだから。あまりにタチが悪いと、耀子は瞳をうすらと細めていた。冷えた青に、仄かな嫌悪の色が滲む。

「この子に、味方であると装っていたそうね」
「……装うなどと。私は本当に、アリスの友人として動いていたつもりだが」
 騎士の言い振りに、耀子はピクリと片眉を跳ね上げる。
 どうやら、アレはあくまで騙りを続けるつもりらしい。
 あれだけ騙りを重ねて、尚。「アリス」へ付け入る隙を狙っているのだと言うのか。
 グ、と。機械剣を握る手に、力が篭る。硝子越しの青が、オウガを鋭く射抜いていた。

「随分と周到なこと。――おまえ、そうやって何人喰いものにしてきたの」

 手にした『クサナギ』を、再び稼働させる。「答えても、答えなくても良いわ」そう続けて――次の、間に。
 タン、と。地を蹴った耀子は、瞬く間に騎士へと肉薄するだろう。硝子を打つ雨をものともせず、開かれた瞳で『敵』の姿を捉えたままに。耀子は、花散らしの『クサナギ』を振り翳す。
 如何なものが相手であろうと、どれだけ騙りの言葉を紡ごうと。彼女の仕事は、今までと何一つ変わることなく。

「あたしは、おまえを斬る。それだけよ」

 ――そうして。
 振り抜かれた一閃は、深く騎士の身を抉るだろう。すかさず次の太刀を浴びせようとして――しかし。一手遅れながらに対応した騎士の剣が、二撃目を辛うじて防ぐ。

 剣を弾かれた衝撃のまま、耀子は後方へと飛び退る。
 そして――ふと。その場に根が張ったまま、動けずにいる「アリス」へと視線を向けた。硝子越しに交わった視線に、びくりと少女の肩が小さく跳ねる。
「ぁ、あの――あなたたち、なんで」
 小さく、注意しなければ聞き逃してしまいそうな声で。少女は、疑問の言葉を零す。
 なんで、と。続けようとした言葉は、けれど音となることなく消え入った。問おうとした言葉に、自分でも確信が持てずにいるのだろう。何事かを言いあぐねた少女は、苦しげに自身の喉を押さえている。
 そんな「アリス」の姿を見て。耀子は、ふいと視線を逸らす。
 そのまま、耀子は双眸を目前のオウガへと向けて――ぽつりと。彼女もまた、小さく言葉を溢すだろう。
「……あたしが気に食わないと言うだけだもの。あまり深く考えなくても、良いわ」
 これは、「アリス」のためにしていることではないから、と。
 紡がれた答えは、少女を気遣ってか、それとも本心故か。淡々とした声音から、その真意を窺い知ることは出来ず。

 でも、と。
 視線をオウガから外さぬままに、耀子は言葉を続けていく。

「何がよいものか、よくないものか。他人から言われたところで、信じようがないでしょう」

 ――だから。
 きみが信じたいものを、信じればいい。

 はっとしたように顔を上げる少女の視線を、横に感じながら。耀子は再びオウガへ仕掛けるべく、手にした『クサナギ』を握り直す。
 最後に一度だけ――ちらりと。硝子越しの青が、一瞬だけ少女に向けられた。

「……、目を閉じないで。ちゃんと考えてね」

大成功 🔵​🔵​🔵​

鳴宮・匡
信じる、ってのは怖いことだろうさ
記憶がないって言うなら、尚更だ
自分のことだって信じられないのに、
世界、なんてものが信じられるはずがない

アリスを盾にさせないようにするなら
命中の瞬間まで攻撃に気付かせなければいい
【闇に紛れる】ようにして身を潜める
戦いの喧騒は気配を紛れさせるのに丁度いいだろう
相手の動きをよく見切り
どうあっても躱せない、アリスを身代わりに出来ないタイミングを狙って撃つよ

多分、彼女を“かわいそうだ”なんて思ってはやれない
それでも、何もかもを失ってここにきてしまったあの子が
これ以上苦しむ必要だって、どこにもないと思うし

……何より、人の心を欺いて、嘲笑う
そういうやり口は気に入らないんだ



 ――息を、潜める。
 雨夜に隠れて、木々に紛れて。
 影を消し、気配を消し。己が周りに、束の間の『凪』を作り出す。

 近場に聞こえる、戦いの喧騒に耳を傾けながら。
 鳴宮・匡(凪の海・f01612)は、静かに『敵』の姿を見据えていた。

 かのオウガを相手取っているのは、先に会敵した同胞だ。
 其方の剣を捌くのに忙しい今、オウガが匡の気配を捉えることは万に一つもないだろう。

 馴染んで久しい得物を手にしながら、匡は静かに戦況を視る。
 切り結ぶ影、駆け出す「アリス」。体力の限界なのだろう、ふらつきながらも必死に足を動かす少女の姿を視界に収めながら、匡は『その後』の状況変化を予測する。

 おそらく。騎士はどうにかして、少女を確保しようと動くだろう。
 多少無理をしようが、あちらは「アリス」を押さえて仕舞えば勝ちだ。すぐにオウガへと変質はせずとも、彼女の存在が自分たちの牽制になり得ると、あの騎士は気付いている筈だ。
 わざとアドバンテージを取らせた隙を狙う手も在る。……が、それには再び「アリス」に人質になってもらわなければならない。

 あの。何もかもを失って、こんなところに彷徨い来てしまった、あの子に。

「……“かわいそう”だって、思うんだろうな」
 ぽつりと。思ったままが零れ出たかのように、己の口から言葉が落ちる。
 真っ当に生きてきた奴なら、他者の気持ちを我が事のように思える奴なら。きっとそう思うのだろうと、匡は『己以外』の者の思考を想像する。
 自分では、どうしても――“かわいそう”とは、思ってやれなかったから。
 徒人とは致命的にズレてしまった己のそれを、匡はどこか俯瞰的に評す。
 幾多もの死線と対話を経て、漸く見つめ直すに至った己は……やはり、「ひとでなし」で在るのやも知れないと。知らず溢れ出た気息は、少しだけ湿り気を帯びていた。

 哀れむ心は、ついぞ持てず――けれども。
 人に怯え、世界に怯え。何もかもを信じれなくなってしまったあの「アリス」が。
 これ以上苦しむ必要だって、どこにもないと思うから。

「――、」
 銃を、構える。敵を視る。
 少女の逃げた方角、騎士の体の向き。同胞の剣の間合い、オウガの反応速度。
 全てを研ぎ澄ませ、行動を予測しろ。此の瞳に映る情報の、何一つを見逃すな。

 死を、見定めて。狙い撃て。


 ――そうして。
 追撃する猟兵の攻撃を振り払い、逃げ出した「アリス」へとオウガが意識を向けた――その、瞬間に。

 音も無く放たれた弾丸が、一つ。
 「アリス」へ手を伸ばすオウガの肩を、一直線に貫いた。



 ――やがて。
 程なくして「アリス」を追い掛けてくるであろうオウガを迎え討たんとして。
 逃げ出した少女の進行方向を予測し、先回りをした匡が。彼女の前に姿を現すだろう。

 チラリと。凪いだ瞳が、少女を一瞬だけ見遣る。
 怯えの色を顔に滲ませた「アリス」は、随分と憔悴しているように見えた。
 ――それもそうか、と。匡はどことなしに思う。

「……信じる、ってのは怖いことだろうさ」
 記憶がないと言うのなら、尚更に。
 己が何者かも分からず、僅かに思い出した記憶すら『裏切り』のもの。
 きっと。ひどく、狼狽えたのだろう。己が己で在る由縁を奪われ、縋るものすら失って。

 自分のことすら、信じられないのに――世界、なんてものが信じられるはずがない。

 『信じることができない』という感覚を、思い返す。
 だからだろうか。匡は、自分を信じろ、とは言えなかった。
 代わりに。ほんの少しだけ、少女の背を押す為の言葉を、彼は口にする。

「自分の思うまま走れば良いよ――そいつは、しばらくここで止めておくから」
 そいつ、と。匡が視線を向けた先。
 数多の傷を刻みながら尚も「アリス」を諦めぬオウガが、すぐそこまで迫っているのを少女も見るだろう。

 弾かれたように駆け出した少女と、迫り来るオウガの間に陣取るようにして。
 得物を構えた匡の、異質なまでに凪いだ瞳が『敵』を映す。

 潜ませていた悪意を滲ませて、怒りも露わに顔を歪ませる騎士擬き。
 あの少女を追い詰めんとするそのオウガへ、匡は今一度銃口を向ける。
 其れは、かの「アリス」を助けるためでも在るが――けれど、それ以上に。

 人の心を欺いて、嘲笑う。
 此のオウガを、阻むために。

「――お前のやり口は、気に入らないんだ」

成功 🔵​🔵​🔴​

都槻・綾
雨の檻に閉ざされた寂しい世界
アリスの心を描いた国

降り頻るのは泪雨か
空を見上げた頬に
雨滴が流れる

あなたの代わりに
そして
泣けぬ私の代わりに
あなたの苦しさを想って
天が泣いてくれているのでしょうか

怯える彼女へ
穏やかな笑みを向け
名を告げたなら
ゆるりと一礼

アリスを護ることを念頭第一に
第六感を研ぎ澄ませて戦況を把握

謀る者ほど
嘘に嘘を重ねてよく喋る

マリスナイトへ符を掲げ
高速詠唱にて先制
水の帳を破る鳥葬の羽搏きで啄み食らおう

万一
盾とされたり
追い詰められたマリスナイトがアリスを傷つけるような時は
少女の許へ駆け寄り
抱き包んで彼女ごと柔いオーラで防御

雨をやませに来たんですよ、と
微笑んで
少しでも温もりが伝わりますように



 ――しとしと、と。
 未だ止まぬ、雨が降る。

 天から落ちる雫が、透明な線を引いて地へ落ちる。
 雨の檻に閉ざされた、此の寂しい世界で。都槻・綾(糸遊・f01786)は、静かに空を見上げていた。

 此の国は、アリスの心を描いているのだと云う。
 ならば。昏い感情に染まりつつある此の異界で、絶えず降り頻る此の雨は。
「――天が、泣いてくれているのでしょうか」
 深い苦しみの最中にある、少女の代わりに。
 そして――涙を流せぬ、己の代わりに。

 ぽつりと。天を仰ぐ綾の眥に、泪雨が落とされる。
 其のまま頬を滑りゆく雨滴を、拭うこと無く。綾は、ひとつだけ瞬いて――其の青磁を、森奥より現れた「アリス」へと向けていた。

「――こんにちは、『アリス』」
 ゆるく、柔らかに其の双眸が細まって。
 穏やかな笑みを浮かべながら、綾は「アリス」へと声を掛ける。
 少女の瞳を彩る怯えの色を、ほんの少しでも和らげるように。右の手を己が胸元へ添えるようにしながら、綾はゆるりと一礼する。
「私は、綾と申します。どうか、あなたの道行きを護らせてくださいな」
「ぇ、ぁ……」
 たおやかな所作で為された時宜に、少女は戸惑ったような声をあげる。
 けれど、其れは不思議と拒絶を齎すものではなく。すぐに逃げ出さずにいてくれた「アリス」に、綾は心の内で安堵した。

 さて、と。
 緩やかな足取りで、綾は少女の近くへと歩み寄り――其の儘、通り過ぎる。
 彼女の背へと位置取った綾は、其の正面に立つ『騎士』の姿を見るだろう。
 「アリス」を庇うように立ちながら。綾は、騎士を騙るオウガへと言葉を向ける。

「此より先へは、どうぞ遠慮願いたく」
 どうしてもと言うのであれば、己が相手になりましょうと。
 緩やかに笑んだままに、綾はちらと騎士の様子を観察する。

 既に幾人もの同胞が、彼女の相手をしたのだろう。人ならざる騎士は、其の身に多くの傷を刻み。悪意を隠すための仮面を貼り付ける余裕もないほどに、消耗しているようだった。

「……貴様らは、どうしてもアリスの邪魔をしたいらしいな」
「――はて、」
 邪魔、とは。如何なものだろうと、綾はゆるく首を傾げる。
 そんな彼の様子を、騎士は鼻で嗤ってみせる。其の声音には、陰湿な悪意の色が滲み出ていた。
「貴様らは、アリスを連れ戻しに来た輩なんだろう。アリスは戻ることなど望んでいないと言うのに、実に節介焼きなことだ」
 ハ、と。嘲りを含んだ言葉は、ある意味で真実ではあるだろう。少なくとも今の彼女に、あの『扉』を潜る意思はない。
 けれど――語るオウガの言葉は、彼女の行動を制限するかのように悪意に満ちていた。此の騎士の正義とやらは、余りに傲慢で、押し付けがましい。
「私はアリスを理解できる、アリスが真に望むものを与えてやれる。アリスの良き友には、『私達』こそが相応しい!」
「――嗚呼、成る程。謀る者ほどよく喋る、と云いますが」
 実に、其の通りであるらしいと。
 悪意を、嘘を重ねて囀るかの騎士の言葉を、遮るようにして。

 かの青磁が取り出したるは、星綴りの白い薄紗。紅糸にて縫われた其れを、青磁はかの騎士へと向けるだろう。
 次いで、其の口から語り紡がれるは、骸海へと誘うシルベの詩。

 時の歪みに彷徨いし御魂へ、航り逝く路を標さむ――。
 彼の声が響くと、同時。仄かに輝いた薄紗が、瞬く間に其の姿を変えて往く。

 其は何ものにも染まり得る、白き羽持つ鳥の群れ。
 水の帳を破るようにして、其れらは疾てなる羽搏きを騎士へと贈るだろう。
 風が吹く、羽が舞う。束の間に動きを止めてしまったが最後、彼らの啄みが騎士の身を襲い来る。

 語る口を喰らい、騙る面を啄んで。
 騎士を覆い尽くさんとしていた幾多もの鳥の羽搏きが、やがて鳴りを潜めた頃。

 悪意を象った過去の残滓。騙りの騎士は、其の骨身全てを啄まれ。
 ――≪鳥葬≫は、正しく役目を終えたのだった。



 かの騎士の終わりを、見届けて。
 綾は、息を潜めて此方を見守っていた「アリス」へと振り返る。
 未だ、状況を把握出来てはいないのだろう。少女は戸惑いの色を瞳に浮かべたまま、露と消えてしまった騎士のいた場所を、茫然と見つめていた。

 ふと。雨に濡れる少女を庇うようにして、綾は彼女の頭上へと腕を上げる。
 ゆたりとした袂は簡易的な傘となって、降り頻る雨から「アリス」をまもるだろう。

 呆けたままに此方を見上げる少女と視線が合えば、綾は柔らかに微笑んで。
 ――あのね、と。内緒話をする子どもみたいに、彼は囁くような声を落とす。
「雨を、やませに来たんですよ」
 天の泪を、あなたの其れを。私たちは、やませに来たのだと。
 寄り添う身体から、少しでも温もりが伝わるように。

 どうか。昏く沈んでしまったあなたの心が、少しでも掬われますように。

大成功 🔵​🔵​🔵​




第2章 冒険 『狂気に満ちた満月の下』

POW   :    狂気にただひたすら耐える。

SPD   :    狂気を紛らわせたり軽減するような方法を取る。

WIZ   :    狂気に陥っても問題ないような対策をとっておく。

👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『冒険』のルール
「POW・SPD・WIZ」の能力値別に書かれた「この章でできる行動の例」を参考にしつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
 プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


 騎士を騙る鬼は姿を消し、世界に束の間の静寂が訪れる。
 あるものは「アリス」の姿をみとめ、その無事を安堵するだろう。
 あるものは「アリス」に語り掛け、彼女の話を聞こうとするだろう。


 ――雨が、降っていたのだと。
 ぽつりぽつりと、雨音に紛れてしまいそうな小さな声で、「アリス」は語る。

 薄暗い部屋、戸のスキマ風。
 伸ばした掌、揺れる視界。
 灯の消えたランプ、だいすきな●●●●●。
 「×め×なさ×」
 堅い床、頬打つ雨。
 伸ばされた腕、ツキアカリ。
 振翳された――つめたい、刃。

 彼女が得た記憶のカケラは、儚くも曖昧で。
 それでいて、語る声はひどく哀しみに満ちている。


 帰りたくないと言葉を溢す少女に、けれど。
 このままにはしておけぬと。再び『扉』に戻るべきだとして、誰かが、声を掛けようとして――けれど。


 誰かが、気付く。
 此の異界より降りた時から、僅かに感じていた其れ。「アリス」の心を核として、鬼が世界へと放った月の狂気。

 誰かは、門開きの猟兵の言葉を思い出す。
 曰く。此の世界に満ちた狂気は、強制的な猜疑心の芽生えであると。
 自分が信じている人やもの――己が重きを置いていればいるほどに、それらを『疑わしく』思わされる精神汚染。

 人に、物に、さらには自分自身へと。自分自信へと。此の狂気は、際限なく牙を剥く。

 抱いた不安に自由を奪われ、どうしようもない不快感が吐気を催す。隣立つ者を嫌悪し、己自身に刃を向ける。
 汚染され不安定になった精神は、ともすれば幻すら見せるだろう。

 いつか抱いたやも知れぬ、疑心の種が。
 なみなみと注がれた狂気によって、月明かりの下に花開く。


 かの鬼が遺した、悪意に満ちた呪詛が。
 彼らへの内へと、蔓延り始めていた。
冴木・蜜
ふと耳に届く
水滴の音

振り返れば
かつて信じていた彼が微笑んでいて
その手で傾けられた
わたしのくすり

ああ、そうだ
そうして私の薬は
貴方の手で毒となって
数多の命を融かした

わたしの毒に狂わされた人達の
私を責める声が反響して
塞いだ耳に彼の声が
私には誰も救えないと囁く声がする

息が詰まる
目の前が、視界が歪んで
私は、何をしたかったんだろう
わたしは…

――そう
私は誰かを救いたい

裏切られたとしても
私のねがいは変わらない
変わるはずがない

この絶望を知っている
あの裏切りを
でも私は信じることを止めるつもりはない
何度裏切られても救い続けたい

諦めてはいけない
折れてはいけない
償いも何もかもが終わっていない

アリスを
彼女を助けなくては



 降り止まぬ雨の中、月の狂気に満ちる世界で。
 昏く重い空気が、湿り気を伴って冴木・蜜(天賦の薬・f15222)の身に伸し掛かる。
 じわじわと精神を蝕む絶望は、己と在り方は異なれども――まるで、毒の様でもあり。ほんの少しでも気を抜いたら最後、ぺシャリと心ごと押し潰されてしまいそうだった。
 グニャリと歪む視界の中、己が身が崩れてしまわぬ様にと、蜜は“手足”に神経を張り詰める。青白いガワの表面に、汗にも似た液体が滲み出ていた。

 精神に干渉し、行動を阻害する類のものが影響を及ぼしてくるであろうことは聞いていた。其れでも、絶望に沈まんとする「アリス」を救う事が出来るのならと。覚悟の上で、蜜は此の世界に足を踏み入れたのだ。
 そう、「アリス」を。此の狂気は、かの少女の昏い感情を核としているのだ。此の身に感じる重さは、精神を侵さんとする悲哀と諦めの感情は、未だ彼女が救われていないと言う証に他ならない。

 嗚呼、早く。「アリス」を。少女を。人を。
 探さなければ。救わなければ。掬わなければ――。


『わたしたちをとかした、そのてのひらで?』

「――ぁ」
 ドクンと。形だけの筈の、心の臓が跳ね上がる。
 声が、聞こえた。あどけない子どもの様でもあり、歳を重ねた女人の様でもあり。誰とも判別出来ぬ、不可思議で聞き覚えのない――けれど、どうしてか知っている気がしてならない、声が。
 サァと、身体の熱が急激に冷める様な感覚に襲われる。血の気が引く、と称するものにも似た其れは、彼にひどく心地の悪い寒気を齎した。
 眩む視界、消えゆく葉音。溶け崩れる身体に引き摺られる様にして、蜜の五感が鈍っていく。
 其れでも。何かを掴みたくて、いつか取り零してしまった誰かを救いたくて。己を責める様な言葉の、声の主を探そうと。昏く閑かな世界の中、崩れかけた腕を徐ろに伸ばし掛けた、そのとき。

 ――ぴちゃん、と。
 “雫”が落とされる音が、して。

「ぁ……あな、た」
 振り返る。仄暗い世界の中に、彼がいる。
 かつて信じていた男。同じものを目指していると思っていた、旧き友と呼べる筈であった彼。
 青白い顔をした彼の、仄暗い双眸と視線が交わる。硝子越しの灰は、在りし日のように、柔らかく細められていた。
 彼は、穏やかな微笑みを蜜へと向けながら。その手にした試験管を――“わたしであった”其れを、傾けて。

 ぴちゃん。
「ぁ」
 雫が落ちる。くすりが落ちる。くすりとなる筈であった、『毒』が落ちる。

 ぴちゃん。
「ぁ、ぁぁ」
 薬が、落ちる。人に落ちる。
 たくさんの人が、其の命が。何もかもを融かし尽くす毒の沼に、おちていく。

 『いたい』ああ『くるしい』そうだ『あつい』あの声は『いたい』この叫びは『やめて』あの人が『とけてしまう』わたしの『いたい』わたしのくすりを『いやだ』くすり、が『たすけて』いいや、『いたい』どく、が『しにたくない』わたしの、どくが。

 どうしてなんでいやだやめてくれ溶ける融けてしまう何もかも嗚呼痛い苦しい熱い辛いからだが命が融けて溢れてどうして何故こんな違うやめてお願いだ助けて何で。

 ――どうして、わたしたちをころしたの。

「――、」
 コキュ、と。息が詰まる、喉の奥が締まっていく。
 声が。幾重にも重なった声が流れ込む、悲痛な其れが雪崩れ込む。
 蜜が――蜜の毒が狂わせた人の、融かしてしまった数多の命の、声が。
 彼を責める言葉を吐いて、苦しいと訴える言葉を紡いで。蜜の内へと、注ぎ込まれていく。
 ガラガラと、足元が崩れ落ちてしまったかの様な感覚に襲われて。蜜は小刻みに震えながら、己の“手”と呼ぶべき部位だったもので、どうにか耳を塞ごうとして――けれど。

 『だからね』と。
 囁く、あの人の声が。

『――キミには誰も救えないんだ』

 こびりついて、はなれない。



 雨降る月夜、くらいくらい森の中。
 黒い、泥の様な水溜りが在った。
 あらゆるものに害を及ぼす“毒”の黒油だった。ほんの少し触れただけで命を摘み取る、死を体現するかの様な黒油だった。あの囀りを奪い、たくさんの生命を無為にころして。どうしようもなく死毒でしか無かった己に、けれど手を差し伸べる人がいた。共に人を救おうと語る声に、眩しいまでの希望を見出し。死毒は人を救う薬とならんとして、けれどその切なる望みすら“裏切られた”。
 力無く折り重なった死体の山。突きつけられた『結果』を前にして、死毒の視る世界は昏くなる。
 グニャグニャ歪んでいく視界と己の身体。どうしてと、取り止めのない疑問だけが巡っていく。
 嗚呼、こんなにたくさんの『死』を齎して。私は、何を為したかったのだろう。

 毒は――蜜と云う化け物は。一体、何をしたかったと云うのだろう。
 わたし、は……。

「――、は」

 溶けゆく思考の中で。ひとつ、『それ』だけが形を持っていた。
 何もかもを放棄してしまいそうな絶望の中。其れでも捨てれず、手放せない『ねがい』があった。
 あの日、あの人に裏切られてなお。ずっと蜜の中に在り続けた、希い。
 は、と。漏れ出た息は、微かな自嘲の響きを滲ませて。人を真似た様な口の端がゆるく上がり、歪な弧を描いていた。

 ――そう。そうだ。
 私は、矢張り、どうしても。
 誰かを救いたいと、そう願うことを、止められない。

 幾年の時が経とうと、何度裏切りを受けようと。其のねがいだけは変わらない、変わるはずがない。
 どれほどに、此の絶望に身を浸そうとも。あの裏切りを、己の齎した『死』を突き付けられようとも。
 彼は、愚直なまでに救い続けるのだろう。数多を融かした此の手でも、いつか誰かを救えるのだと信じて。必死に、其の手を伸ばすのだろう。

 嗚呼、諦めてはいけない。
 此の様なところで、折れてはならない。
 未だ。償いも何もかもが、終わっていない。

「――アリスを。彼女を、助けなくては」

 そして。
 かつて薬となり損ねた化け物は――人の隣人たらんとする、蜜という生き物は。
 ドロドロに融けてしまった黒油の中から、其の“手”を浮かせたのだった。

成功 🔵​🔵​🔴​

ジュジュ・ブランロジエ
●*
メボンゴ=絡繰人形の名

私は輝く未来を信じてる
明日も明後日も、大好きなお友達がたくさんいて、居心地の良い場所がある
メボンゴと一緒に人を笑顔にできて、私も笑顔になる
そんな日々が続くって信じてる、信じてた、けど
本当に続くの?
いつか急に終わりがくるかも

不安になってメボンゴを抱きしめる
彼女は不変の友達
……違う。不変なものなんてない
私の腕が上がればメボンゴはもっと生き生きする
進歩する
終わりがきたならまた始めればいいんだ
私は輝く未来を創れるって信じてる
私だけじゃなく誰もが
もちろんアリス、貴女も
一人じゃ難しければ手伝うよ

ねえ、アリス
まずは自分を信じてみて
貴女は貴女が望んだ未来を創れる
信じることを恐れないで



 ――信じているものが、ある。
 数多の国を、世界を渡り歩く流れの奇術師。煌く翡翠の瞳を持ったジュジュ・ブランロジエ(白薔薇の人形遣い・f01079)には、昔も今も、真っ直ぐに信じているものがある。
 其れは、希望に輝く明日の朝日であり、笑顔溢れる明後日の夕餉であり。
 たくさんのお客さん、大好きなお友達に囲まれた居心地の良い場所で。愛しの相棒、白兎のメボンゴと一緒に、彼らを笑顔に出来る日々が続くのだと。彼らと共に、笑い合い生きていくのだと。
ジュジュは、心の底から信じている。
 疑いようもなく、真っ直ぐに。彼女は信じて――信じていた、のだけれど。

『――本当に?』
「っ!」

 ひそりと、囁く声が、して。
 其れは、ジュジュと同じ声をしていた。姿を伴わぬ悪意の声は、彼女の耳元で言紡ぐ。

『楽しくて幸せな日々、希望に満ちた輝く未来。本当に続くって思ってる?』
『どこにそんな保障があるの? 明日も、明後日も、明々後日も、いつ何が変わるかなんてわからない』
『定番の品目だって、些細なことでミスをしてしまう人もたくさんいる。楽しい時間も大好きな人たちも、いつか急に、手品みたいにあっさりすっかり消え去って。終わりが来る可能性だって、あるでしょう?』

「そん、な……」
 そんなことない、と。即座に返そうとして――けれど。
 口から溢れ出た声は、驚くほどに小さくて。徐々に消えゆく其れは、己の不安を表しているかの様だった。

 胸中に撒かれた不安の種は、瞬く間に芽吹いていく。
 サァと血の気が下がる様な心地がして、其の儘何もかもが失われてしまう気さえして。襲い来る不安に耐える様にして、ジュジュはぐっと口を引き結ぶ。
 湿気を多分に含んだ夜風が、彼女の肩を撫でて行く。長らく雨に晒された彼女の身は、ひどく冷えてしまっている様だった。

 煌めいていた筈の瞳が、僅かに翳る。
 冷えて固まり掛けた指先を、どうにか動かして。ジュジュは、傍らにいた相棒を抱き上げる。
 頼もしき旅の相棒、淑やかな白兎。ぎゅっと抱きしめれば、柔らかな触り心地のレースが頬に触れた。
「……終わらない。終わったりしないよね、メボンゴ」
 紡がれる声は細く、小さく。一人では拭い切れぬ不安を誤魔化す様にして、ジュジュは白兎に語り掛ける。ぎゅううと強まる腕の力を、兎の淑女はされるまま受け入れていた。

 メボンゴは、不変の友達だ。
 いつも変わらず、ジュジュの傍にいて。いつだって彼女を助けてくれる。
 どんな場所でも、どれだけ時間が経ったとしても。其れだけは変わらない。
 いつ終わってしまうやもしれぬ、未来の中で。メボンゴの持つ不変性は、ひどく頼もしく、心地良くて――。

 本当 に ? 何が あって も、 変 わ ら な い ?

「……違う」
 ぽつりと。落とされた声は、確かな想いを滲ませた否定の言葉。
 相棒を抱き締める力が、微かに弱まる。力の入り方が変わったせいだろうか、体勢の変わった白兎の頭がほんのりと上を、ジュジュの方を向いていた。

 違う、違うのだ。不変なんてものはない。ましてや此の友に、其れが当て嵌まる筈もない。
 例えば。ジュジュの腕が上がったならば、メボンゴはもっと生き生きとして動くだろう。
 ジュジュの経験した事柄を、気持ちを分け与える度に、相棒も共に進歩する。
 もちろん、全部が全部、上手く行くことばかりじゃない。今だって苦手な品目はあるし、ちょっと失敗してしまうことだってあるだろう――けれど。
 そんなの、彼女たちにとっては今更だ。たくさん失敗して、其のぶん目一杯に練習して。そうして、私たちの芸は日を追うごとに輝いて。
 たくさんの人を、一緒に笑顔にして来たじゃないか。

 変化は、ある。その度に、進歩だってある。
 もしも終わりが来たとしても大丈夫。また始めれば良いんだって、私達はちゃんと知っている。
 どんな運命が訪れたとしても――其の先に。輝く未来を創れるって、信じてる。
「……ね、メボンゴ」
 翡翠が、白兎の赤を見る。
 月の光を受けて、きらりと光る赤いまなこ。つるつるとした其処には、決意に満ちたジュジュの顔が映り込んでいる。

「私達の気持ち。ちゃんとアリスにも、届けに行こう」



 アリス、アリス。
 そう呼び掛ける声に釣られて、泣き伏せる少女は顔を上げた。

 唯一得た思い出を、口にして語った後から、ずっと。きゅうと胸の中心が締め付けられるような心地が少女の中に満ちていたから。
 月明かりに照らされた「アリス」の頬に、ぽろぽろと止めどなく、雫が流れ落ちていた。

「ねえ、アリス」
 泣き止まぬ少女と視線を合わせるようにして、ジュジュはしゃがみ込む。
 彼女の腕にいるメボンゴも、ひょこひょこと耳を動かして。泣いている少女を心配するように、まん丸のお目目を向けていた。

「アリス、まずは自分を信じてみて。貴女は、貴女が望んだ未来を創れるんだって」

 貴女がどんな過去を見たのかは分からないけれど。
 でも、このまま泣き伏せてしまっていては、「アリス」が笑顔になれる未来すら無くなってしまうから。

「私達は、皆を笑顔にしたいって。輝く未来を創りたくて、旅をしてるの」
 ぴょんっ、とジュジュの腕の中からメボンゴが飛び出して――もちろん、其れもジュジュによる手添えあってのものだ――愛らしい白兎が、「アリス」の方へと跳ねるように近づいた。
 メボンゴは、ぽろぽろと零れ落ちる少女の涙を拭うように手を振ってみせる。優しく触れた白のレースが、水に濡れてほんのりと色が変わっていた。
 「ねぇ、アリス」何度も呼びかけるようにしながら、ジュジュは言葉を続けて行く。

「そう思っているのはきっと、私だけじゃなくて。誰もが、自分の望む未来を創れるって信じてる」

 もちろんアリス、貴女だって。
 貴女が『未来』を少しでも望むなら、私達だって全力で其れを応援する。
 だって。私達はそのために、ここに来たんだから。

「一人じゃ難しければ手伝うよ。だから、アリス――」

 ふわりと。
 交わった視線の先。
 強い意志を灯した翡翠が、柔らかく細められていた。

「信じることを、恐れないで」

成功 🔵​🔵​🔴​

キイス・クイーク
●*
なんやこれ。不思議やなあ。
おれ、今ならオウガも倒せる気がする。
これが猜疑心の芽生え言うやつやろか。
「おれは弱い」を疑うとこんな風になるんやなあ。
けらけら笑っていたけれど、芽生えた猜疑心は昔まで遡って。

あれ。
おれ、あの時も、オウガを倒せたような ?

ーー あかん。
力まかせに近くの木を叩く。
たわい無い音に無傷の木、じんじんする手。

いつもと同じひ弱な腕や。馬鹿やねえ。
昔も今もおれがひとりでオウガを倒せるはずがないのに。

アリス。
おれにはきみの苦しさがわからんのよ。ごめんなあ。
せやから、わかることだけ言わせてや。
帰らんと帰れんようになってしまうよ。
人にもアリスにも戻れんで、オウガになってしまうよう。



 ――其れは、不思議な心地だった。
 何をも信じられなくなってしまうという月の狂気、植え付けられた猜疑心の種。
 其れは力の無い白ねずみ、キイス・クイーク(窮鼠・f26994)にも齎されていた。
 キイスは、ぱちくりと瞳を瞬かせる。ふつふつと湧き上がる此の気持ちは、ねずみにとって初めての感情だったのだろう。赤い双眸に戸惑いの色を浮かべながら、キイスは徐に掌で口元を覆っていた。

「……なんや、これ」
 不思議やなあ、と。
 小さく呟いた白ねずみの、指の隙間から覗く口の端は――うっそりと、歪に吊り上がっていて。

 おかしい、可笑しいなあ。
 オウガも世界も、此の小さな身より大きくて強いもの、全てを恐れるような、か弱い生き物であった筈なのに。
 何よりもいっとう弱いと信じて疑わなかった白ねずみ、誰よりも己の弱さを知っていた白ねずみ。
 月の狂気でくるくる狂うて、小さなねずみは「弱いもの」から「強いもの」へ。心に深く根付いていた筈の価値観が、キイスの中でひっくり返っていく。

「――はは。おれ、こんな気持ち、初めてや」
 ああ、もしかしたら。今ならきっと、あの騎士も、他のオウガも。「アリス」を脅かす全部、倒せてしまえる気がするなあ。
 けらけら、けらり。ひどく愉快な気持ちに満たされて、ねずみの笑い声が月夜の下に響いていく。

 嗚呼、そうだ。ねずみのひと齧りでアレは死ぬ。柔いところを引っ掻いて、傷口に病の血を垂らしてやれば。ヒトもオウガも、パタパタと容易く死んでいく。
 あの騎士だって変わらない。あの竜だって変わらない。そう、あのオウガだって――。

 あの、ときの。
 どん詰まりに沈んだ、あの国で。斃れた、オウガが……ぽちゃんと、落ちて……?

「……、あ、れ」

 あの時、アレを倒したのはおれだっけ?
 いいや、違う。アレは倒れた、ねずみが何をするでもなく斃れていた。ねずみが“何も出来なかったから”斃れていた。

 ぽちゃんと水溜りに沈んだ長い耳、どんどん真っ赤に染まっていく。
 刻々とソレの身体から流れていく其の命を。同じく“沈んで”しまっていたねずみには、どうしたって止められない。

 嗚呼、可笑しいなあ。此の高揚感は本物で、オウガを倒せてしまえそうな気持ちだって、嘘もなく本当のように思えるけれど。
 だけど、なあ。もし本当に、おれが「強い」ものだったなら。

 どうして、あの時――『うさぎ』は、斃れてしまったの?



「――、あかん」
 バシンと。乾いた音が、森に響く。
 其れは、キイスが傍らの木を叩いた音だった。力任せに振るった拳は、けれど丈夫な幹に傷一つ付ける事は無く。たわい無い音を響かせた、其れだけで終わりだった。

 そう、それだけだ。
 いつもと同じ、ひ弱な腕。非力な此の身では、何を為せることもなく。
 じんじんと痛みを訴える手に、どこか険しい視線を送りながら。
 ハ、と。キイスはひとつ、乾いた嗤いを溢してみせる。
「馬鹿やねえ」
 昔も今も。己がひとりで、オウガを倒せるはずがないのに。
 嗚呼。本当に、馬鹿みたいだ。


 未だ靄がかったような思考にかぶりを振って、キイスは昏い森を歩き出す。
 ひくひくと鼻を鳴らして、覚えのある匂いを辿って。
 そうして――か弱い白ねずみは、再び「アリス」を見つけるだろう。

 シクシクと泣き伏せる彼女の側へ、キイスはそっと近寄って。
 ぶかぶか帽子を、ぎゅっと握りしめながら。白ねずみは声を掛ける。
「なあ、アリス」
 ――反応は、無い。
 其れも想定内だったのだろう。キイスはさして戸惑う様子もなく、そのままちょこんと「アリス」の横に座り込んだ。
 ぽろぽろと玉のような雫を流し続ける少女の顔を、ねずみはちらりと盗み見る。

 きっと。思い出した記憶とやらに、ひどく傷付けられてしまっているのだろう。
 「かあいそうに」とキイスは小さく呟いて。けれども。
 此の無力なねずみには、どん詰まりに沈みかけた「アリス」の心を助けることも……逃げるための「穴」を作ってあげることも出来なくて。
 ぎゅううと、帽子を握る手に力が篭る。何をも守れぬか弱いねずみ、決して『うさぎ』にはなれない、小さなねずみ。
 だけど。まだ此の少女が、本当の意味で“どん詰まり”になっていないと云うのなら――白ねずみは、キイスは。己の無力さを噛みしめながらも、そっと口を開くだろう。

「おれにはきみの苦しさが分からんのよ。ごめんなあ」
 ――せやから、わかることだけ言わせてや。

 なあ、「アリス」。帰りたくない言うて、帰れないと泣いてしもうて。
 けれど、このままでは本当に、なみだの湖に沈んでしまうよ。

 帰らんと、帰れんようになってしまうよ。
 きみはずっと「アリス」のまま、いいや、其れすら赦されずに。

「人にもアリスにも戻れんで、オウガになってしまうよう」

 ぴちゃん、と。
 空から落ちた雫が一つ。泥濘の中に落ちていった。

成功 🔵​🔵​🔴​

矢来・夕立
狭筵さん/f15055

おかしくなる前にホントのことを言っておきます。
オレは狭筵さんではなく、後ろ盾の組織に利用価値を見出しています。
…けど、あなたが首輪付きでいるのは気に入らない。
別に可哀想とは思いませんよ。
でもそういう生き方が嫌になったら手を貸します。
同情でも取引でもなく、オレがそうしたいだけで。

これからひどいことを言ったなら、それは嘘です。
殺そうとしたら殺す気で止めてください。

狭筵さんが先におかしくなったら手を引いていきます。
現実が痛くても、苦しくても。
一緒に帰ると、最初からそう決めてある。
そういう減らず口を利ける間は大丈夫そうですね。
…喋ってればマトモでいられる気がします。鮴。


狭筵・桜人
矢来さん/f14904

ふうん。首輪のついてる動物を見て
「可哀想」って思うタイプでした?
生憎と室内飼いなんで一人じゃエサも取れないんですよ。
あなたと違って。
……変な趣味ですね。

別にいいです。
ひどいこと言われるのも殺されかけるのも。
これまでだって殴るわ蹴るわ
敵のど真ん中に投げ捨てるわで
今さら一度や二度裏切られたくらいで嫌ったりしな
……なんとも思ったりしません。あとで文句は言いますけど。

大体ねえ耐性もないのはどっちですか。
さては非正規だからって私がUDCエージェントだと信じてないですね?
ちゃんと連れて帰ってあげますよ。
あなたが腑抜けていたら助けるって言ったでしょう。

じゃあしりとりでもします?りんご。



 くるくる、ぐるぐる。
 耳奥の半規管が揺らされる。臓腑の底から、得もいえぬ不快感が込上げる。
 今にも“何か”を嘔げてしまいそうで、矢来・夕立(影・f14904)は思わずと云った風に喉元へ手を当てる。布越しに触れた詰襟の下、痛みを気にしなくなって久しい傷痕が、仄かに熱を孕んでいるような気がした。
 グ、と。喉元に触れた指先に、ほんの少しだけ力を込める。気道を塞ぐように迫り上げるソレを押し止めて、そのまま無理矢理に飲み干した。苦く重々しい、鉛を溶かし込んだような感覚が、不快さを撒き散らしながら腹の奥に沈んでいく。

 身の内に渦巻き続ける厭わしさは、筆舌に尽くし難いものであったけれど。
 それをツラに出さぬまま、夕立はチラリと隣へ視線を滑らせる。
 硝子越しに見遣った先にあるのは、雨夜の森に似つかわしくない春の色。彼と共にこの場へ訪れていた狭筵・桜人(不実の標・f15055)が、先と何ら変わらぬ様子で其処に立っていた。

 春の持つ一対の琥珀が、影を見る。
 常と同じように、柔らかな笑みを浮かべたまま。
 あたたかな春の色を張り付けた少年が、黒尽くめの彼を観る。

「……大丈夫です?」
「何が」
 間髪入れずに返された言葉に、春はいつものようにフフとわらった。可笑しかったからなのか、呆れたからなのか、笑声に含められた感情の類はわからない。
 どこか空々しい空気を纏ったまま、桜人もまた言葉を返していく。

「いえ? なんとなーく、お辛そうだなあと」
「別に」
「無理してません?」
「いいえ」
 軽い声音で問う桜人に、夕立が淡々と返答していく。
 傍目には見慣れた反応だった。特に変わりなく、いつも通りのように見えた。少なくとも、表面上は。

 ふと。隣人を横目で見るように向けられていた赤の瞳が、正面に戻される。
 しばしの間、影はそのまま虚空を眺めてから――溜息を、ひとつ。瞼を伏せながら、ひそり溢して。

「……少しだけ、気分は悪いかもしれません」
 腹の底に溜まった苦々しさを、少しだけ滲ませて。小さく、けれどちゃんと形ある言葉として溢された声に、桜人はぱちりと目を瞬かせる。
 ちょっぴりだけ、意外だったかも知れなかった。隣に立つ彼の状況が、ではなく。彼が其れを早々に認めて、他者に告げた事が。
 漠然とした印象を、そのまま己の内にしまい込んで。同じように瞳を伏せてから、桜人は再び口を開く。

「まあ、何かしら影響があるかもとは言われてましたしねえ。不信感がどうのとか。それで、気分が悪いだけ? 他に変化はありますか?」
「…………」
 ゆるく、どこか間延びした声が問う。春陽に晒されたぬるま湯のような、風に揺れる朧のような。
 最早聞き慣れた其の声を聞きながら、夕立は僅かに眉を顰めた。

 嗚呼、また。言い様のない不快感が、上って来る。
 桜の色を見る度に、春の声を聞く度に。腹の底に溶かし込んだ鉛が、徐々に形を変えていく。
 夕立の裡で淀む、どろどろとした得体の知れぬソレは。気を抜けばすぐに、彼にとって馴染んだ感情の型を取ってしまうだろう。
 この、一見にして毒にも薬にもならなそうな、取るに足らぬ春色の少年を。どうしてか……そう、どうしたことか。ふと、息を吐いたついでにも――ころしてしまいそうに、なる。

 グ、と。未だ喉元に添えていたままの指先に、再び力を込める。ゴキュリ。どこからか歪な音がした。


 一方で、桜人はと言えば。
 顔色こそ変わらぬまま、けれど微動だにしなくなってしまった夕立に、どうしたものかと内心で頭を捻っていた。
 伏せていた瞳をこっそり開いてから、桜人はちらっと横目で隣の様子を盗み見る。先程から同じ姿勢を保ったままの夕立は、やはりビクリとも動かない。なんかアレ、そう云う彫像みたいだ。
 鬼の呪詛がどうの、月の狂気がどうの。世界全体に満ちているのだと言われるだけあって、やはりそれなりに影響があるのかも知れない――元が虚ろな己では、どうも其の辺りの感覚が鈍いようだが。
 一向に返答を返さぬ夕立の様子を観察しながら、桜人はもう一度声を掛ける。声音は、あくまでいつも通りに。

「矢来さん?」
「……何ですか」
「いえ、だから他に変なところはないかと――と言うか、割とやばかったりしません?」
「いいえ」
「ふうん。本当のところ如何です?」
「…………」
「……意地っ張りですねえ」
「うるさい」
 徐ろに開かれた赤の双眸が、硝子越しに桜人を睨む。
 睨んだ、すなわち目が合った――と思った瞬間に。夕立は、彼にしては分かり易く眉を顰めた。
 ぱちくり。再び意外そうに瞬いてみせた桜人に、夕立は何か言葉を放とうと口を開きかけて……しかし。夕立は声を出す事なく、そのまま口を噤む。

 これ以上は余計な――心にもない事を、言ってしまいそうだと。
 ウソとはまた、少し違う。自分がそうと意識して出す言葉と、制御出来ぬままに放たれた言葉では、また意味合いが変わってくる。
 少しの間、夕立は沈黙を貫いてから……ハァ、と。一つ、深い深い溜息を吐く。
 喉に添えていたままの右手を、ようやく離して。そのままだらりと下げた右腕を、左の掌で押さえるように上から掴む。自分の意図せぬところで、勝手な悪さをせぬように。

 「狭筵さん」年相応に低い声で、名前を呼ぶ。「はい?」気の抜けた声が返ってくる。
 仕切り直した語り始めも、いつもとあまり変わらなかった。

「少しだけ、ホントの話をしておきます……これ以上気分が悪くなったら、何を言ってしまうか分からないので」
「――――」
 返事は、なかった。それを了承の意とみなして、夕立は言葉を続けていく。
「まず、仕事の話ですが。幾度かあなたとは取引をして来ましたが……オレは狭筵さんではなく、あなたの後ろ盾の組織に利用価値を見出しています」
 言葉を紡ぎながら、夕立は視線をそっと隣に滑らせる。
 特に意外な話でも無かったのだろう。静かに佇む桜人は、さしたる反応を示さない。
「……けど、あなたが首輪付きでいるのは気に入らない」
「……首輪付き?」
 ぴくり。少しだけ肩が動いた。
 ひとときの間を置いてから、桜人はこてんと首を傾げてみせる。
「ふうん。矢来さんって、首輪のついている動物を見て『可哀想』って思うタイプでした?」
 意外だ、と言外に語るような科白だった。空々しい声色に、ほんのりと揶揄が滲む。
「生憎と室内飼いなんで、一人じゃエサも取れないんですよ。あなたと違って」
 か弱く可愛らしい、室内飼育の愛玩動物。ただ、単に“そうだから”保護されているのだと言う雰囲気には、不思議と受け取れない語り口だった。
 煙に巻くような桜人の返し。常であればそのまま軽口にも発展しそうな言葉を受けて――夕立はひとつ、間を置く。
 正常な状態であれば、もう少し滑らかに言葉が出て来たやも知れないが。今の夕立は、蔓延る狂気のしで精神を消耗していた。ウソを、舌に乗せない程度には。

「――別に、可哀想とは思いませんよ」
 そうだ。首輪付きだろうが室内飼いだろうが、それ自体が可哀想だとは思わない。
 ……当人が、それに納得しているのなら。

「でも」

 けれど。
 もしも。“そう”では、ないのなら。

「そういう生き方が嫌になったら、手を貸します」
「…………」
 ちらりと、琥珀が影を見る。
 少しだけ、探るような目つきだった。何故、どうして? 不可解ゆえの疑問が、言外に滲んでいる。
 その無言の問いに対する解を、夕立は既に持っている。
「同情でも、取引でもないです。ただ、オレがそうしたいだけで」
「……変な趣味ですね」
 人助けには乗り気でない癖に、妙なところで手を差し出そうとする。
 全くもって悪党らしくない、とはどこぞの虚の所感だった。

 そうして、呆れたように言葉を返す桜人の声を。夕立はどこか靄がかったような思考の中で聞いていた。
 ノイズが、徐々に大きくなってきている。ふとした瞬間にも、手が得物を掴みそうになる。
 顔には出ていない、と思う。声も、まだ震えてはいない。
 だが、桜人にはおおよそバレているだろう。呪詛だの狂気だのと言った分野に関しては、あちらの方が専門だ。いつもと全く変わらぬ雰囲気でケロリとしている姿は、頼もしい反面、妙にムカつく。

 このムカつきは別に影響でもなんでもないな、と未だ僅かに残る冷静な部分で思いながら。
 口をついて出そうになる“別の言葉”を呑み込みながら、夕立はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だいぶ……気分が悪くなって、来たので。もしもこれからひどいことを言ったなら、それは嘘です」
 それと、と。喉に物が詰まったような顔をしながら、夕立は続けていく。
「オレがあなたを――殺そうと、したら。殺す気で止めてください」



「オレがあなたを――殺そうと、したら。殺す気で止めてください」

 随分と物騒な台詞だった。ある意味らしいな、と桜人はぼんやり思う――同時に、ちぐはぐだ、とも。
 そも。彼が息をするように物騒なのは、関わり始めた事から一向に変わらないし。ヒト殺し云々も重々承知している。その辺りについて、今更に桜人がどうこう言うつもりは――いや、日常的に理不尽かつ野蛮な暴力を振り翳さないで欲しいと彼は常々訴えているが――無いだろう。仮に桜人が何かを言ったところで、何か変化がある訳でもないだろう、とも。
 たまに仕事を依頼して請け負う、そう言った利害の一致とその機会が、偶々多いだけの相手だ。

 ――だと言うのに、まあ。
 自らを悪党だと称して憚らないこの男は。時折こうして、随分と“身内”に甘い言動をする。

「別にいいです。ひどいこと言われるのも、殺されかけるのも」
思い返してみてくださいよ、と。桜人は人差し指を顎に当てながら『今まで』の記憶をなぞる。
 懐かしいものから記憶に新しいものまで。桜人が彼から受けた暴力レパートリーは、両手指だけでは数え切れない。
「これまでだって殴るわ蹴るわ、敵のど真ん中に投げ捨てるわで。今さら一度や二度、裏切られたくらいで嫌ったりしな――」

 しない、と言い掛けて。桜人は、はたと動きを止める。
 幸いにも、と言うべきか。夕立の方はどうにも気が散っているようで、桜人の“言葉”を気にした風ではなさそうだった。人知れずに、桜人は小さく安堵の息を吐く。
 だって。嫌ったりしない、だなんて。それはある前提の元に出てくる言葉だ。たぶん、自分たちの関係には似つかわしく、ないような。

 コホン。やや態とらしい咳をしてから、桜人はそそくさと言葉を続けていく。

「……今さら、なんとも思ったりしません。あとで文句は言いますけど」
 多少の言動の物騒さは勘定に入れた上で、仕事の依頼をしているのだ。何もかも水に流すと言うつもりもないが、ある程度は許容範囲である。

「――狭筵さんの方は、だいぶ余裕そうですね」
 顔色の変わらぬ……いや。月明かりのせいか、少しだけ普段よりも青褪めて見える夕立が、徐に口を開く。
「あなたの方が先におかしくなったら、手を引いて行こうかとも思っていましたが」
「……はぁ。私がおかしくなったら、と」
 例えば、どんな風に。呆れ半分、興味半分と云った声音で桜人が続ければ、夕立は瞳を伏せながら、とつとつと言葉を溢していく。

「例えば……妙に帰りたくなくなる、とか」
「――帰宅拒否?」
「これは『アリス』の気持ち、とやらが元になった狂気でしょう。彼女の影響をダイレクトに受けるなら、そういったパターンもあるかと」
「ああ、なるほど」
 説明を受ければ、桜人はどこか納得したように頷いた。
 狂気の発露としては、十分にあり得る『可能性』だ。
「まだ彼女は『帰りたくない』と思っているでしょうしね。私の方は今のところそう言った感情にありませんが……矢来さんは?」
 そういった方向での狂気の発芽は、していないのだろうか。
 可能性を示されれば気にもなる。首を傾げながら問い掛ける桜人に、しかし夕立はゆるくかぶりを振ってみせた。

「生憎と、オレもそこまで共感しなかったようで。……彼女と違って、オレは帰りたいんです。現実が痛くても、苦しくても」
 それら全てを受け入れろだなんて言葉を、他人に押付けるつもりは毛頭ないが。
 少なくとも。夕立は今在る『帰る場所』を放棄して、どこぞに逃げるつもりはない。

 切っ掛けはなんであろうが、隣立つ彼と共に来た。
 ならば、共に帰るのだと。最初から、そう決めてある。

「――それで。狭筵さんの方は、特に影響はないんですか」
「……人の心配をしてくれるくらいなら、あなたもそこまで重症じゃなさそうですねえ」
 フフ、と息を含んだ笑いを溢しながら、桜人は一歩前に出て振り返る。隣り合っていた二人が、前後向き合う形になって。細雨の降る月の下、季節外れの桜がわらう。
「大体ねえ、耐性もないのはどっちですか。さては非正規だからって、私がUDCエージェントだと信じてないですね?」
 揶揄するような声が、夕立の鼓膜を震わす。朧げになりつつある意識の向こうで、ぼやけた春が咲っている。
「……そう言う減らず口を利ける間は、大丈夫そうですね」
「はあ〜〜、隙あらばそういうこと言う」
「どうも」
「褒めちゃいませんけど?」
 ハア、と。一際大きな溜息を吐いてから、桜人は夕立へ向けて右手を差し出した。
 掌を広げて、ちょっとだけ口を尖らせて。やれやれと言った雰囲気を纏わせながら、桜人は正面の影に声を掛ける。
「ほら、ちゃんと連れて帰ってあげますよ。あなたが腑抜けていたら助けるって言ったでしょう」


 ――雨は、まだ降っている。
 けれど、それも随分と小雨になってきた。
 泥濘む地面に足を取られぬよう気をつけながら、二人の少年が歩いている。

「……喋ってれば、多少はマトモでいられる気がします」
「じゃあしりとりでもします? りんご」
「鮴」
「初っ端から語尾攻めをしないでください。りす」
「硯」
「余裕かましやがって。り、り……リトマス試験紙」
「栞」
「しりとりやめます?」

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

冴島・類
● *

…無事でよかった

断片的でも話をと近づく、が
彼女が揺れると
強烈な頭痛が襲う

相棒に貫かれる、幻
並び立つ人影達が告げる
お前は要らない
早く、替われ

裏切られた、と言うより
むしろ、僕が裏切ったらなり得る姿
彼は…しないだろうが

一言灯環、と呼ぶ
気付けに噛ませ
軋む胸は気にせず、笑い
手を差し伸ばし

裏切られない為
ひとりでいるかい?

ひとは
1人ぼっちで広い世界をいけるほど
頑丈じゃないよ

裏切られた
怖かった
「何故」が
わからなくて
知りたかったかい

強くなれとか負けるなとは言わない
でも
君は生きたいようにみえる

顔をあげてご覧
ひとりにしない

訳を求めるもの
再び見出すのも
君しか出来ない

こわくても探してみようよ
消えてしまうよりずっと



 未だ降り止まぬ細雨が、頬を打つ。
 薄く、しかし徐々に光を濃くし始めた月明かりの中。冴島・類(公孫樹・f13398)は、「アリス」の姿を探して森を歩いていた。
 あのオウガの気配は、既に森の中から消えている。おそらくは同胞の誰かがとどめを刺したのだろうと当たりをつけて、類は少女の捜索に専念していた。

 かの鬼に連れ回され、怯えを露にしながら震えていた少女の姿を思い返す。
 無理矢理に引かれていた腕は赤みを帯びて、雨にさらされていた身体も随分と冷えていたようだった。まずは彼女の無事を確かめねばと、類は少女の影を探していく。

 ――そうして、しばらく歩いた頃だろうか。
 喧騒の名残を辿るように進んでいった森の奥、類は力無く座り込んだ少女の姿を見るだろう。膝を抱えるように蹲って、小さな声ですすり泣く、薄汚れた小柄な姿。

 ギシリと。悲哀に暮れる幼な子の姿を目にして、片割れに預けた心臓が軋むような心地に襲われる。少女の涙を、どうにか止めてやりたくて。彼女が驚かないようにと気を付けながら、類はそっと「アリス」へと近づいていく。

 ふと。己の近くに現れたひとの気配を、感じ取ったのだろうか。
 泣き伏せていた「アリス」が、徐ろに顔を上げる。涙に濡れたまあるい瞳が、類の其れと、かち合って。
「――、ぁ」
「……無事で、よかった」
 合わさった視線。少女を安心させるように、類はゆるく眉を下げながら笑みを浮かべる。
 彼女と言葉を交わしたのはつい先ほどだけれど、あれから幾つか波乱もあっただろう。これ以上この幼な子の心に負担をかけたくはなくて、類は慎重に、ゆっくりと歩を進めていく。

 「アリス」が取り戻した記憶は、ひどく断片的だとは聞いている。
 けれども、まずは彼女の口から話を聞きたいと。類は少女に話し掛けようと、して――。

「…………え?」
 すぐ其処に、手を伸ばせば触れるほどの距離に在った「アリス」の姿が、ぐにゃりと歪んで。

 呆気に取られたように声を溢した、次の瞬間。
 強い、衝撃。鋭く突き刺さるような頭痛が、共鳴りのように類を襲う。
 頭が揺れる、視界が歪む。ガンガンと鳴り止まぬ激しい痛みが、類の内側で反響する。

「――ッ、!」
 今にも身が砕けてしまうのではないかと思う程の、痛みの中。
 彼は、どうにか倒れまいと、足を踏みしめようとして――刹那。

 ――トス、と。
 軽い、音が。“胸から”響いて。

 え、と。小さな驚きの声が、己の口から溢れ出る。
 音のした、先。緩慢に視線を動かせば――己の胸元から、見慣れた直刃が、生えていて。

「……瓜、江」

 微かに視界が捉えたのは、黒い半身の衣。己の相棒たる傀儡の姿。
 類の背後を獲っていたのは、彼と共に在る筈の人形だった。彼は、馴染みのある刀を手にして――寸分の狂いなく、類の中心を貫いていた。

 刀が、引かれる。
 途端に。支えを失った人形のように、類の身体が崩れ落ちる。
 ドサリと倒れ込んだ地面は、硬く。どこか、焼け焦げたような匂いがしていた。

 そうすれば。いつの間に、其処に在ったのだろうか。
 倒れ伏す類を取り囲むようにして現れた人々が、吐き捨てるようにして口々に言葉を放つ。

 『おまえは』『お前は要らない』『いらない』『お前ではない』
 『早く』『さあ』『早く』『――替われ』

 裏切られた――いいや、違う。
 これはきっと。類“が”裏切った際の、光景なのだろう。己自身の、零とは言えぬ可能性の一つ。狂気の月が映し出した、あり得るかもしれぬもしもの幻影。

 嗚呼、でも……もし、この未来が存在したとして。
 彼は、己に手を下さないやもしれないが。

「――、灯環」
 名を、呼ぶ。
 ぢう、と。己の呼び掛けに答えるようにして、小さな愛し仔の声がする。
 姿はない。けれど、きっと“其処”にいてくれているのだろう。寂しがりのヤマネの子は、ただ呼び掛けるに留まった類の声に、応えてくれる筈だから。
 ぢう。再び、あの子の鳴き声がして――類の指の先に、小さな小さな痛みが奔る。

 ――途端に、搔き消える人々の姿。靄掛かっていた視界が晴れて、湿った森の匂いが鼻をくすぐる。
 ちゃんと気付けの意を汲んでくれた灯環の頭を、感謝を込めて小さく撫でながら。
 類は、傍らに居る「アリス」へと、再び顔を向けるだろう。

 ギシリ、ギシリ。胸が軋んで、歪な音を立てたけれども。
 彼は、何を気にした風もなく。柔らかに笑いながら、蹲る少女へと徐ろに手を伸ばす。

「――君は。裏切られない為、ひとりでいるかい?」
 びくり。語り掛けられた少女は、思わずと言った風に肩を震わせる。
 けれども、少女に向けられた声は――ひどく、優しいものだったから。

 すぐに逃げ出そうとせずにいてくれた少女に、安堵して。類は、ゆっくりと言葉を続けていく。
「ひとは、1人ぼっちで広い世界をいけるほど、頑丈じゃないよ」
「……ひとり、ぼっち」
 ぽつ、と。おうむの様に言葉を繰り返す少女に、類は小さく頷いた。
「裏切られた、怖かった。それも勿論あるだろう。けれども、君は……『何故』がわからなくて、知りたかったんじゃないかな」

 ――きっと。
 信じていたひとに裏切られて。痛みで、心が張り裂けてしまいそうで。
 それでも彼女は、その誰かのことを、まだ、だいすきなままで。
 だからこそ、こんなにも怖がっている。自分から突き放すことも、捨てることも出来ぬまま。けれど再び傷付いてまで向き合う強さも持てないで、目を背けながら逃げている。

「強くなれとも、負けるなとも言わない。でも……君は、生きたいようにみえるから」

 全部、全部捨ててしまえるくらいなら。
 きっと、少女は扉にすら辿り着くことはなく。小さな命は、とうの昔に尽きていた。
 ――けれど。彼女は今、こうして、生きている。

 生きて……己の前に、現れてくれたから。
 手を伸ばせば届く、命の灯火を。鏡は、今度こそ溢れ落とさせたりはしない。

「――ほら、顔をあげてご覧。大丈夫、ひとりにはしない」
 優しく、ゆっくりと促すようにして。
 鏡のかみさまは、小さな迷い子に言葉を向ける。
 愛しい人の子の願いを、聞き届ける為に。少女が痛みの奥に仕舞い込んだ、大事な気持ちを引き出していくようにして。

「君の記憶にある出来事に、訳を求めるのも――信じたいものを、再び見出すのも。君にしか、出来ないことだから」
「……わたしに、しか」
「そう。他ならぬ、君にしか。……こわくても、探してみようよ」

 そうすれば。このまま、何もわからずに消えてしまうより、ずっと――良い星の巡りが、待っている筈だから。

成功 🔵​🔵​🔴​

シキ・ジルモント
咄嗟に空から顔を背ける
心身がざわつく、満月がそこにある

今にも満月を見て理性を失い、アリスを傷付けてしまうのではないか
疑心と共に自身への耐え難い嫌悪感が湧く
裏切ったかつての仲間の言葉が聞こえる
全てを見境なく壊す獣、あれがお前の本性だと

…いいや、違う
浮かんだ記憶を否定する
傷付けないとアリスに言ったのは自分だ
それを反故にすれば、裏切りと同じ
…俺はあいつらとは違う、絶対に裏切らない
揺らぐ自信の中に残った意思で自分を支え、狂気に耐える

アリスへ声をかける
その扉の向こうにあるのは絶望だけでは無い筈だ、と
少なくとも俺はそうだった
何も信じられなかった自分に手を差し伸べてくれた人が居たから、俺は今ここに立っている



 ――月が。
 狂いの月が、満ちている。

 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)が其の光に気付いたのは、奇しくも「アリス」の姿を見付けた、その直後のことであった。
 傷付けないと約束した少女が、ひとまずは無事であることを確認して。人知れず安堵の一息を吐いた、その時に。

「――――、!」
 天より降る光に、身体が硬直する。
 見上げずとも分かった。身を照らすそれが、心身をざわつかせる『満月』の光だと。誰よりもそれを忌避し、恐れていた彼だからこそに。

 ――何故。
 咄嗟に脳裏を過ったのは、その疑問だった。月の暦を、彼が間違える訳はない。例え生まれ育った世界と異なるとしても、夜であると言う時点で常に警戒を抱いていた筈だった。
 ……そうだ。警戒は、していた。月の隠れた雨夜であったとしても、万一があってはならないと。此方の世界に足を踏み入れた際に、彼は一番最初に空を見た。

 雲の切れ間から見えた月は。確かに、未だ欠けていた筈だったのに。

 結論から言えば。あのオウガが作り上げたこの「絶望の国」に限っては、月は狂気の依代としての役割を与えられていた。「アリス」の絶望を元にした狂気、それが世界に蔓延していくにつれ、欠けていた月もまた満ちていく。

 故郷の空に浮かぶ月とは、大きく在り方が異なる天の玉。
 けれども。狼の性質を有する彼にとって、ソレは紛れもなく『月』であった。
 鋭い蒼の瞳、その瞳孔がスゥと細まる。ぞわぞわと、全身の毛が逆立っていく。

「――ッ」
 思わずと言った風に掌で口元を覆いながら、シキは空を見ぬようにと顔を背けた。
 彼は咄嗟に俯向き、視線を地面に走らせて――その先に。「アリス」の姿がある事を、思い出す。

 ドクリと。心臓の跳ねる音がする。
 今にも『満月』を見て理性を失い、彼女を傷つけてしまうのではないかと。口にするのも悍ましい想像が、瞬く間に疑いの種を芽吹かせていく。

 月による疑心の狂気。彼のそれは、誰でもない己自身へと向けられるだろう。
 どうしようもなく鋭い牙を持つ、狼としてのシキに。『満月』を迎える度に嫌悪し厭うてきた己の獣性を、誰よりもシキ本人が信じきれずにいたから。

『――目を逸らすなよ』
 声が、聞こえる。

『よく見ろ、あれがお前だ』
 かつて、仲間と呼ぶべきであったやつらの、声がする。

『全てを見境なく壊す獣、それこそがお前の本性だ』
 己を指差し、嘲笑うように告げる。『裏切り』を与えたやつらの、声が。

 過去が、現在を侵食する。
 誰もが卑しくあらざるを得なかったあの街で。信頼していた筈の彼らが、口々に己を罵っている。
 白銀の狼はよすがを失い、心に昏い蔭を落として。誰も彼も、世界すら信じられずに、ひとりぼっちで――。

「……いいや」
 違う、と。己を呑み込まんと浮かびあがった過去の記憶を、シキはかぶりを振って否定する。

 もしも、などと。あいつらの言うままに、獣性をひとに――「アリス」に向けるなど。万一にもあってはならない、あってたまるか。
 「お前を傷付けたりはしない」と。少女に告げたのは、他でもない自分なのだ。それを反故にすれば、裏切りと同じになってしまう。

 ――己を裏切った、あいつらと同じに。

「……違う。俺は、絶対に裏切らない」
 崩れかけた矜恃を、全身の気力を振り絞って支える。
 口を覆う掌に力が篭る。ギリ、と歯を食い縛った拍子。尖った牙が口の端を切って、錆びた鉄の匂いが思考を現実に引き戻す。

 揺らぐな、耐えろ。
 狂気に呑まれるな、恐怖に呑み込まれるな。
 継いだ姓に、握り締めた誇りに誓え。確固たる意志を持って――抗って、みせろ。



「……『アリス』」
 低い声が、少女を呼ぶ。
 ビクリと、「アリス」は小さく肩を跳ね上げた。

 シキが、彼女へ声を掛けるまで――己の内にある狂気を振り払うまで、そう時間は掛らなかった。さすがに多少の消耗はあったが、今の彼は幾分が落ち着いて、瞳も常のものへと戻っている。
 とは言え、己の風貌はあまり子供好きのするものではないだろうと。あまり「アリス」を怯えさせないようにと少しだけ距離を保ったままに、シキは言葉を続けていく。

「扉へ、戻るつもりはないか。ここは、お前にとって安全とは言い難い」
「……で、も」
 ぽろりと、少女の頬を雫が伝う。彼女が『扉』という言葉に強い怯えの色を示したのを、シキは見逃さなかった。やはり、この子どもは、まだ。
「――怖いか?」
「っ!」
 びくっと、一際に大きく身体が跳ねる。
 きっと、図星だった。蘇った記憶の影響で、彼女はあの『扉』の向こうにあるものから目を逸らそうとしているのだろう。そうする事で、今にも崩れ落ちそうになっている自分を守っているのだろう。
 ――嗚呼、覚えがある。かつての自分も、そうであっただろうから。

「……俺もだ」
「――、え?」
 小さく告げたシキの言葉に、少女はぱちくりと瞳を瞬かせる。その拍子に、また雫が落ちてしまったけれど……それよりも、「アリス」はシキの言葉に気を惹かれているようだった。
 まんまるとした少女の瞳が、己に向けられているのを感じながら。シキは、言葉を続けていく。
「俺も、そうだった。裏切られて、何も信じられずに……自分で扉を閉ざして、絶望に暮れていた」
 同じだった。状況は違えど、きっと抱く気持ちは似通っていた。
 嗚呼、けれど、それでも。

「手を差し伸べてくれた人が、居たんだ」

 かけがえのない思い出の一つ。
 眩くも尊い時間の始まりを、シキはまだ覚えている。

「何も信じられなかった俺に、手を伸ばしてくれた。たくさんのものを与えてくれた。……だから、俺は今ここに立っている」

 世界には、己を傷付けるものしかないのだと思っていた。
 扉の向こうには、悍しく恐ろしいものしかないのだと思っていた。

 けれど。そうではないと、シキに教えてくれた人がいた。
 生きる術を教え、世界の明るさを示して。心に深い傷を追った狼に、再び光を与えてくれた人がいた。

 だからこそ、彼は手を伸ばす。
 かつて、己がそうされたように。昏い淀みに沈む幼子へと、手を差し伸べる。

 「アリス」。どうか、顔を上げてくれ。
 閉ざしてしまった扉を、今一度開いてくれ。

「お前の扉の向こうにあるのは――絶望だけでは、無い筈だ」

成功 🔵​🔵​🔴​

水衛・巽
●*
想像以上の異変がたやすく起こる世界、という知識はありました
些少ながら多少のことでは揺らがない覚悟も
ゆえに精神汚染とは何とも 不愉快な

【式神使い】で凶将・天空に心を守らせ正気を保ちましょうか
それともいっそ自ら汚染され蠱毒の底を眺めるのも一興というもの

抵抗するにしろあえて染まるにしろ
それを選ぶのは自分以外の誰かではなく私自身であり
私は私の意志でそうするのであり
他の誰かに決定権を渡したりなどしない

さて、『アリス』という名のそこの貴女
疑っても迷っても
たとえ猟兵を信じられなくとも
貴女にはその権利がある

しかしその上で訊きましょう
それで貴女は本当に納得できるのかと



 狂いの月が、満ちていく。
 じわりじわりと世界に浸透していく異変を、肌で感じ取りながら。水衛・巽(鬼祓・f01428)は、用心深く気を張り巡らせていた。

 此の『不思議の国』なる異界は、巽の生まれ育った世界よりも不可思議かつ不規則な事態を引き起こしがちな性質を持っている。想像以上の異変がたやすく起こる世界だと言う知識も、多少の経験と共に彼の中に在った。
「……、これは」
 肌を撫ぜる異質な気に、巽はスウと瞳を鋭く細めていく。術師であるかの青年にも、月の狂気は其の魔の手を伸ばし始めていた。
 じわじわと、思考に靄がかかるような心地に襲われる。努めて平静で在ろうとする巽の精神を、狂気が絡み取っていく。

 ぽつり、ぽつりと。透き通った水面に、黒い墨が落とされていくかのように。いつか抱いたものにも似たような“疑心”の雫が、巽の内に滲んでいく。
 信を置いているものにほど深く影響を及ぼすのだと云う精神汚染。次第に心の内に広がっていく其れは、実に――。 
「――何とも、不愉快な」
 短く、吐き捨てるように呟く。内心に渦巻く不快感に、巽は僅かに眉を顰めてみせた。

 とは言え。巽とて、幼き頃より術者として精進を重ねて来た身である。
 多少のことでは揺らがぬ覚悟も、精神も持ち合わせているつもりだった。

 現に、と言うべきか。
 不快感という形で表れこそすれ、月の狂気は彼にそこまで影響を及ぼしてはいなかった。
 植え付けられる不信と疑念――想起する感情はあれども、其れとて一度決着の区切りをつけたものだ。今更に、ひどく精神を掻き乱されると云うことはない。

 ……其の上で、今の自分がどれだけ精神汚染の類に耐え得るか。
 己の胎底に潜む蠱毒を眺めてみると言うのも、一興ではあるやもしれないが。
「――天空」
 静かに、虚空へ向けて呼び掛ける。巽の声に応えるようにして、ゆらりと“何もない”空間が揺らいで――瞬きの間に、ひとつの影が姿を顕した。
 其は、先の戦いでも姿を見せた十二天将がひとつ、天空だ。不実、計略を司る凶将の力を以ってすれば、此の混沌とした狂気を制する事も出来るだろう。
 古びた布を被った老人が、暗く黒い“貌”を巽へと向ける。言葉はなくとも、術者の意図を汲んだのだろう。己の心を守るべく精神に働き掛ける式神の力を、今の巽は正しく感じ取る事が出来た。
 件の『想起する出来事』に一枚噛んでいた存在の力によって、此度の厄災を防ぐと云うのは、少しばかり因果を感じる気もするが。既に諸々の事情も心情も呑み込んで、術者としての度量を示した身では在る。
 少なくとも、今此の場で――かの少女の前で狼狽を表に出すつもりは、今の青年には無いようだった。

 例の少女、「アリス」はと言えば。未だ細かに振り続けている雨の中、濡れる身体も気にせずに蹲っているようだった。話しかければ何かしらの反応を示してくるようだが……記憶の混乱もあるせいか、返す言葉はあまり要領を得ない。

 ふ、と。打たれる雨の中、青年は短く息を吐く。
 身の内に渦巻く狂気の名残を割り切るように、今ばかりは己の裡にある熱を抑えるように。
 ゆっくりと、一度瞳を綴じて――再び、開いたならば。
 静かな湖畔を映したような双眸に、惑いの欠片も見られない。

「――もしも」
 とつ、と。静かな、けれど真っ直ぐに通っていくような声が、夜の森に落とされる。
 傍らで蹲っていた「アリス」の耳にもまた、其の声は届いたのだろう。ピクリと、彼女の小さな方が跳ね上がるのを、巽は目の端で捉えていた。
 少女の意識が此方へ向いた事を確認して、巽はそのまま言葉を続けていく。

「何かを迷って、惑わされているのなら。其の惑いに抵抗するにしろ、あえて流され染まるにしろ、それを選ぶのは自分以外の誰かではありません。自分自身です」
 ざり、と。湿った土を踏み締めながら、巽は「アリス」の元に近づいていく。
 件の少女は――今のところは、逃げ出すような素振りは見せない。それならば都合が良いと、巽は語りを続けたまま歩を進める。

「少なくとも、私はそうです。私は私の意志で身の振り方を決めますし……ましてや、他の誰かに決定権を渡したりなどしない」
 ――さて、と。
 一歩。最後に踏み出したタイミングで、巽は明確に“少女”へと声を掛ける。
 ハッとしたように、少女が顔を上げる。視線を上げた先、波立たぬ藍の双眸が、少女を静かに見つめていた。

「『アリス』と言う名の、そこの貴女――貴女にも、その権利がある」
「……わた、し?」
 辿々しく反応を返した「アリス」に、巽はこくりと頷いた。
「何を疑っても、迷ってもいいでしょう。たとえ我々猟兵を信じられないと言うなら、それもまた一つの判断です。貴女の意志に従った故の決定であれば、私達は其れを尊重します」
「……わたしの、意志」
「ええ。しかし、その上で訊きましょう。それで今の貴女は――“本当に”、納得できるのですか?」

 惑いはないか。疑いはないか。
 ただでさえ記憶も少なく、あやふやな“自分”と言う存在の判断を、本当に受け入れる事が出来るのか。

「……、ぁ」
「重ねましょう。私は、貴女の意志を尊重します」

 どうしても信じる事ができないと、心に蓋をして周りを拒否をするのも一つの道だ。
 けれど、彼女がまだ迷っていると言うのなら。“猟兵”は、最大限に心を砕いて彼女に手を差し伸べる。
 もしも彼女が、自分すら見失っていると言うのなら。其れを捜すのに手助けするのも、きっとやぶさかでないだろう。

「これもまた、紛れもない私自身の意志です。……どうか、貴女自身の“解”をお聞かせください」

 惑いの月明かりが、夜の森を照らす中。
 静かな問い掛けの声が、一人の少女へと向けられていた。

成功 🔵​🔵​🔴​

鳴宮・匡



生きるために、心に映る全てを捨ててきた
そんな自分の中に芽生えたものは本当に“自分”だろうか
いつだって、それを疑い続けていたんだ

大切に想えるひとたちと日々を過ごしていく中で
少しずつ薄れていたその感覚が
色濃く、思考に影を落とすのが解る

まるで、深い海の底に堕ちたように
何もかもが遠く感じて

――でも

あると思いたいのなら、信じなきゃ始まらないと
そう教えてくれたひとがいることを、憶えている

だから、もう
それに囚われて、自分を見失うことはしないと決めている

自分のことだって信じられないのに
世界、なんてものが信じられるはずがない
何も信じられないのなら
まずは、――自分の形を定めなきゃいけないって
もう、知っているんだ



 じわりじわりと、月の狂気が心を照らす。不信の種が、芽吹いていく。
 其れは、かつて“凪”と称された男――鳴宮・匡(凪の海・f01612)も、例外ではなく。
 心の裡に感じる小さな、けれど確かに在る其の“細波”を、匡は確かに自覚し始めていた。

「……信じられなくなる、か」
 此の『絶望の国』が齎すであろう狂気。それが自分たちに及ぼす影響は、此の国に足を踏み入れる前にある程度聞いていた。あらゆる物への不信、強制的な心の反転。なるほど、咄嗟の判断ミスが命取りになる戦場において、これほど面倒な『罠』もないだろう。

 そう言えば。先日にあった対竜戦の最中にも、そう云った『罠』が仕掛けられた戦場がちらほらと見受けられていた。類似した幾つかの過去を脳内で反芻しながら、匡は静かに息を吐く。
 かの戦線に限らずとも。以前よりも、精神――及び“こころ”を対象とした罠との遭遇が多くなってきた様にも感じる。どれもこれも、あまり趣味が良いとは思えないが……効率を考えるならある意味当然か、と匡はどこか冷めた頭で思考していた。
 何せ、猟兵達は誰も彼もが並外れた身体能力の持ち主だ。共に肩を並べ背を合わせてきた者たちは特に、其の傾向が顕著だったように思える。彼等を相手取るならば、正面きっての戦いよりもまず搦手で仕掛ける方が得策だろう――其の手法を好むかどうかは、別として。

「……、ああ」
 ――ふ、と。
 思考の渦に陥りかけた意識が、浮上する。雨に打たれる木々の葉音が、いやに鼓膜を刺激していた。
 深く沈みかけていた凪の瞳に、僅かな光が灯って――しかし。
 其処に映る色は、どこか自嘲めいたものが滲んでいた。

 何もかもを、すぐ『戦闘』と結びつけて思考してしまうからだろうか――いいや。
 『仲間』と呼ぶべき者たちへの対象法を、ごく自然と考えてしてしまったからだろうか――いや、いいや。

 どちらも、生き延びる為にと今まで必死に培って来た思考の結果だ。其れを今更咎めるような精神も、非難する正義感も持ち合わせていない。其れ程度で揺らぐような男が、長年“凪の海”を勤められた筈もない。
 特に後者であれば。彼の『仲間』の中には、むしろ理解を示してくる者も多いだろう。
 あらゆる可能性を考慮し、模索する。互いが互いを“殺せる”程に把握しているならば、取れる策も格段に多く広くなっていく。実際に、模擬と称して本気で“殺し合った”事もそう少なくはない。

 嗚呼、そうだ。
 己の生き方を疑った訳ではない。
 仲間を、彼等を疑った訳でもない。

 疑うべきは――“其の間”にあるもの、で。

「――俺は、さ」

 雨に濡れて張り付いた前髪を、くしゃりと握る。
 表情こそ変わらぬまま、声音すらも揺らぐ事なく。
 けれど。ひそやかに零れ落ちる声は、男の自嘲は、自覚した『猜疑心』は。

「いつだってずっと――“俺”を、疑ってたよ」

 其れは何より――己自身へと、向けられていた。



 『匡』が其れを自覚したのは、きっとずっと前からだった。
 月に誘われる以前より、其れは己の裡に燻り続けているものであったから。

 生きるために、心に映る全てを捨ててきた生きもの。其れが己だ。
 数多の生を撃ち抜き、夥しい死を踏み付けながら歩んできた。誰かの泣き声に知らぬふりを決め込んで、誰かのしあわせを手折り続けて。生き汚くも息をし続けた、其れが己だ。

 目を瞑り耳を塞いで、こころと向き合う事なく捨て去ってきたのが、自分という生きものであると。
 彼はそう自認していた、筈だった。

 ――だと、言うのに。
 たくさんのひとと出会って。友と呼べる者を得て。大切と想えるひとを、見つけて。
 彼等と言葉を交わす度に、何かが積み上げられていく。空っぽだった己のなかに、少しずつ何かが注ぎ込まれていく。
 其れはあたたかく、やわらかく。時に激しく、彼の裡で渦巻いて。そうして注がれた何かは――いつしか男の中に、埋もれていた“自分”を芽生えさせていた。

 凪ぎを覚えて久しい世界が、潮騒の音を響かせる。
 大切だと想えるひとたちと過ごしていく中で、其れは顕著に育まれていった。

『――ほんとうに?』

 嗚呼、でも、けれど。

『ほんとうに、それは“おれ”なのか?』

 痩せ細った少年が、疑問の声を投げかける。
 身の丈に合わぬ銃を抱えながら、黄唐茶の瞳が匡を見つめている。

 空虚の中に芽生えた己は、本当に『自分』なのかと。
 絶えず問い続ける声は、彼自身の“疑い”そのものでもあった。
 其の声は、いつだって己の内に響いていた。

 皆と過ごす中で、少しずつ薄れていた其の感覚が、色濃く思考に影を落としていくのが解る。
 あの朗らかな笑声が遠くなり、代わりに“自分”の声ばかりが響いていく。
 あたたかな光が、色が。ぼんやりとぼやけて、薄れていく。

 それはまるで。深い海の底に、堕ちていくかのように。
 何もかもが、遠く。幾ら手を伸ばしても、届かぬものに、感じて。


 ――でも。

「――もう、決めたんだ」

 其れが「ある」と思いたいのなら、信じなければ始まらないのだと。
 そう教えてくれたひとがいることを、憶えている。
 生き抜く為に“こころ”を捨てて、あやふやな“ひとでなし”になってしまった己に。
 幾度も言葉を交わし、心を傾けてくれたひとがいることも、知っている。

 だから、もう。

「自分を見失うことはしない――もう、囚われない」

 きっと、まだ。自分を信じるだなんてこと、己には出来ないけれど。
 それでも。目を逸らさないと、約束した。逃げずに向き合うと、決めていた。
 まずは、それからだ。その一歩すら踏み出せずにいた嘗てに比べれば――きっと、彼は前へと進めている。

 俯きかけていた顔を、上げる。
 夜空に浮かぶ望月の光が、「アリス」の世界を照らしている。

『――信じる、ってのは怖いことだろうさ』

 脳裏に過るのは、先ほど独りごちるように少女の前で溢した言葉だ。
 自分のことだって信じられないのに。世界、なんてものが信じられるはずがない。
 何も信じられないのなら、まずは、――自分の形を、定めなければならないと。
 匡は、もう知っている。


 ――ザリ、と。濡れた地面を踏み締めて、匡は夜の森を歩き出す。
 未だ“探し続けている”己が、あの少女に道を示すことは出来ないやもしれないが、それでも。

 「アリス」が“自分”を見つめ直す時間を稼ぐことくらいは、きっと。
 今の『匡』にも、出来るだろうから。

成功 🔵​🔵​🔴​

エドガー・ブライトマン
●*
キレイな満月だなあ
しかしアリス君、なんだか不安そうだね。大丈夫かな

猜疑心か。たしかに胸のあたりがなんとなくざわざわとするかも
私はそういうのに鈍い体質らしいけれど
逆に、私ですらそう感じるってコトはよっぽどだね
《狂気耐性》《呪詛耐性》

私が信じているもの。それは紛れもなく私自身
歴代王家の長男が皆そうしてきたように
私も必ずこの旅の果てに王としての資質を身に着ける

――もしも、それが果たせなかったら
なんてことはあり得ない。私は必ず成し遂げる
過る不安は、青い表紙の手記の頁を捲って振り払う
私は確かに歩み続けているんだから

ねえ、アリス君。信じることは力になるんだ
その力、まずは自分に向けてみてもいいんじゃない



「――キレイな満月だなあ」

 煌々と世界を照らす、空浮かぶ月を見上げながら。
 金糸を揺らす美丈夫、エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)は、思わずと云った風に感嘆の声を溢していた。
 澄んだ青の双眸に、望月の光が映り込む。狂気を齎すと云われる其れを忌避する事なく、彼の瞳は真っ直ぐに天上の玉を捉えていた。

 其の最中にも、依然として雨は止まぬまま。天より垂らされた雨粒の一つが、月を見上げるエドガーの面貌へと振り落ちる。
 ピチャン、と。滴り落ちた雫が、彼の瞼の上で柔く弾けて――細かに別れた水滴の粒が、反射的に瞬いた睫の上に散らばっていく。再び瞳を開いた青年の視界には、満月の光を反射した雫の光が映し出されて。きらりきらりと、より一層に世界を輝かせていた。

 なんとも美しく、幻想的な光景だろうか。
 空に浮かぶ満月を、世界を彩る雨雫を。そして先の諍いを経た後の静謐さを、青年は存分に甘受する。
 今己が目にしている光景を、いつまで記憶していられるかこそ定かではないが。其の所以だろうか、その時その瞬間の感動を、此の青年は一際大切にしている様にも見受けられた。

 ――ふと。
 少し視線を下ろした先に、青年は俯いた「アリス」の姿を見とめるだろう。
 ポツリポツリと言葉を溢す少女の声を、エドガーもまた聞いていた。辛うじて思い出せたのだと言う記憶を語る彼女の言葉は、あまり要領を得たものではなく。説得は元より、このままでは会話を交わすことすら難しかろうと、エドガーは青褪めた彼女の表情を見ながら思案する。
 まずは落ち着いてもらおう、と。座り込んでしまった「アリス」と視線を合わせるようにして、エドガーは躊躇いなく片膝を着いた。濡れた土が衣装に付いてしまうも、特に気にする素振りも見せぬまま。エドガーは、少女の顔を覗き込みながら声を掛ける。

「アリス君、なんだか不安そうだね。大丈夫かな」
 小さな下の子に、語り掛けるように。柔らかな響きを含ませた声音に、「アリス」がピクリと反応する。少女はおそるおそると此方に視線を向けて――しかし。目が合ったと思った瞬間に、ふいと逃げるように逸らされてしまった。

 おや、とエドガーは目を瞬かせる。一瞬だけ見えた彼女の瞳に、戸惑いと怯えの色が見えたからだ。

 もしや、あの騎士を倒してしまった事によって彼女の信頼を損なってしまったのだろうか?
 ――いいや、それにしては大人しすぎる。現に彼女は、視線こそ合わせてくれないけれど、先のように走って飛び出してしまうような素振りは見せていない。だからと言って、此方を信じてくれているとも言い難いが。
 ぽろぽろと静かに涙を流し続ける少女を前にして、「ふうむ」とエドガーは片膝を着いたままに考える。通りすがったからには助けよう、と言うのが彼の信条だ。特に、少女の涙は拭われるべきものの一つである。
 彼女の心を覆っているものは、なんだろうか。記憶に対する哀しみはあるだろうが、それ以上に、何かが「アリス」の心に壁を作っている気がする。此処に来てから何があっただろうか? 門繋ぎの者は、何が在ると言っていた?

「……ウン?」
 何か心に引っ掛かるものを感じて、エドガーは小首を傾げる。
 そういえば、彼は時が経つに連れて狂気がどうの「アリス」の哀しみがどうの……と言っていた気もする。そう、確か――強制的な猜疑心の芽生え、だとか。

 猜疑心。何ぞを疑い、不信に思う心。
 それを誘発させる狂気が、此の「絶望の国」に満ちていると言うのなら。少女の不安定さも、其れに起因するのではなかろうか?

 ふむ、とエドガーは何やら得心いったように頷いた。生来の鈍さにより、あまり気にならずにいたが……たしかに、意識すれば胸のあたりがなんとなくざわざわとしている、かもしれない。
 この“鈍さ”と言うのは、断じて精神面のみの話ではなく。どうも“痛み”を感じにくいと言う彼の体質所以らしいのだが。逆に言えば、エドガーすらそう“知覚出来る”という事が、此の狂気の影響力の高さを物語っていると言えるだろう。

 なるほど、とエドガーは小さく呟きを溢す。ただでさえ不安な現状だろうに、此の狂気の下で少女が落ち着ける筈もない。
 特に。溢された「アリス」の言葉をそのまま受け取るならば、どうやら彼女はだいすきな誰かに『裏切られた』らしい。そんな少女が再び誰かを『信じる』ことは、狂気の影響がなくとも困難だろう。
 彼女を助けたいと思う心に、嘘偽りはないけれど。このままでは、幾ら言葉を尽くしたとて「アリス」の心を開くことは難しい。

 ――例えば。
 何かを信じる“きっかけ”を、示してみるのはどうだろうか?
他の誰かが、何かを信じている姿。それを示して、勇気を分け与えることは出来るだろうか?

 「アリス」にとっての他の誰か、すなわち自分≪エドガー≫。
 彼が信じているもの。それは紛れもなく“己自身”であった。
 歴代王家の長男が、皆そうしてきたように。
 彼もまた、必ずこの旅の果てに王としての資質を身につける。それはもはや“べき”と云う言葉を使うまでも無い、しかと定められた運命であり、揺るがぬ未来だ。

 嗚呼、だが。だがもしも万一、億が一に――それが、果たせなかったら?

「……なんてね」
 浮き上がり掛けた小さな疑問の声を、エドガーはかぶりを振ってふり払う。
 そんな“もしも”は、あり得ないのだ。だって――エドガーは必ず、成し遂げる。成し遂げてみせると、祖国に、皆に、何より己自身に誓っているのだから。

 ……だから。仄かに胸を撫ぜる此の“不安”は、月の灯りによる戯れで。
 月明かりに煌く金糸を揺らしながら、エドガーは徐に懐へ手を伸ばす。手袋越しに掴んだ其れは、旅の供である青い「手記」だった。
 波立つ心を鎮めるように、彼は取り出した手記の背を撫でる。そのままペラリと頁を捲れば、其処には――彼の歩んだ幾つもの道が、ちゃんと記されているから。

 嗚呼、そうだとも
 例え全てを、憶えていられないとしても。
 私は確かに、こうして――歩み続けている。

「――ねえ、アリス君」
 真っ直ぐ、青の瞳が少女を見る。
 それが少女の瞳と合わさる事はないけれど。そんな事は関係ないと言わんばかりに、輝く瞳が「アリス」を映す。
「信じることは力になるんだ。その力、まずは自分に向けてみても、いいんじゃないかな」
「……自分、に?」
「そうさ。たとえばね、私は私自身を、すごく信じている。今の私は旅の途中で、通りすがりの王子様だけれど。いつか強く、立派な――祖国を照らす王になれる、ってね」

 私の愛する国に相応しい、王に。
 そう続ける青年の声音は、明るく、力強く。確固たる自信と希望に、満ち溢れていて。

「まずは自分を信じてみてよ。他でもないキミが、キミ自身をさ」

 そうしたら。
 次に“王子様”を信じてみるのも、良いかもしれないぜ。


 おずおずと、青年の声に促されるようにして再び視線を動かした少女へ向けて。
 キラキラとした王子様は、パチリと。もう一度、軽やかなウインクを贈ってみせた。

成功 🔵​🔵​🔴​

揺歌語・なびき
ああ、まずい
これはだめだ、とまともな頭が警鐘を鳴らす

不安が襲うのはいつものこと
だからいつでも忘れぬように
何度も心で唱えてたのは

おれの味方はあの子だけ

崩される
雪と色硝子が
月明かりで首を横に振る

お願いだから
もう要らない、なんて
言わないで

いや、違う
そんな訳ないだろ
棘鞭で己の膚を裂く
痛みと呪詛耐性で思い出せ

あの子がおれを裏切っても
おれがあの子を信じ続けることを
どうして止めなきゃいけない?

怯えるアリスに
精一杯やわく笑んで

ごめんね、いきなり流血とか
びっくりしたよねぇ

きみの記憶が少なくても
きみが苦しいことはわかるよ
帰り道が、こわいのも

おれね
だいすきな子が居るんだ
その子が居る限り
おれの帰り道は、こわくないよ



 ――ああ、まずい。

 狂いの月に、晒されて。
 揺歌語・なびき(春怨・f02050)は、ひくりと己の喉が震えるのを感じていた。

 これはだめだと、未だまともな頭が警鐘を鳴らしている。
 満月ですら恐ろしいと云うのに。此の月の光は、常ならぬ狂気を孕んでいる。
 ぐらぐらと揺れる視界の中。どうにか正気を保とうと噛み締めた口の端から、仄かな鉄の味がしていた。

 嗚呼、けれど。不安が襲うのは、いつもことだ。
 だからいつでも忘れぬようにと、何度も心の中で唱えていたじゃあないか。
 繰り返せ、繰り返せ。おれの味方は、あの子だけ。
 あの子だけはきっと、おれを求めてくれる。あの雪と色硝子の輝きは、まだおれを見てくれる。
 大丈夫だよ。あの子が居てくれるなら、きっと。おれは、まだ――。

『――――、』

 崩される。彼の世界が、彼のすべてが。
 瞼の裏に在る、大切な大切な、あの子の姿。
 くすんだ琥珀が、ゆるやかに揺れる。輝く瞳は伏せられて、月明かりで首を横に振る。
 のこされた唯ひとつの雪氣硝が。傍らにある春を、拒絶する。

「――――――、ぁ」

 違う。違う、違う違う違う。
 まって、だめだ、違うどうしていやだそんな何で、何故。

『――、  』

 いや、いやだ。待ってくれ、お願いだから。
 言わないで、どうか、それだけは。

『         』

「……ぁ、ぁぁ」
 男の嘆願は、ついぞ聞き入れられる事はなく。
 角の少女は口にする、決定的な「要らない」を春に告ぐ。
 いつかの雪と色硝子の彩が、二度と桜を映す事はなく。
 前に進めぬ男を置いて、迷う事なく未来へ向かう。

 置いていた男は、不要を突きつけられた己は。遠ざかる少女の背に縋るようにして、其の手を伸ばしかけ――。

「……い、や」
 違う、違うだろう。
 此れは“違う”。彼女も、己も、何もかも。

 悲嘆に溺れて呆けるな、思い出せよ。
 いつか来るさよならを、己は受け入れた筈だろう。
 あの子が未来を望むなら、此の手はその小さな押しこそすれ。其れを奪うような事があっては、決してならない筈だろう。

 降ろした手が掴む棘鞭、直に触れた棘が己の膚を裂く。
 思い出せ。おれはもう、決めた筈だ。
 此れ以上の痛みをもって、誓った筈だ。

 ……嗚呼、其れに。
 この先、たとえあの子が、おれを裏切ったとしても。
 おれがあの子を信じ続けることを、どうして止めなきゃいけない?

「――は、はは」
 全く、おかしい。可笑しすぎて、笑いが溢れてしまいそうだ。
 幻の中でさえ、どうしたって儘ならない。なり損ないのどっち付かずで、まったく――厭になる。



「……ごめんね。びっくりしたよねぇ」
 ゆるり、と。
 意識の浮上と共に、なびきは「アリス」へと笑いかける。
 未だ月の影響は抜けきらず、いっぱいいっぱいではあったけれど。
 それでも、怯える少女を少しでも安心させてあげられるようにと。やわく笑んだ桜の瞳が、「アリス」へと向けられる。

 正気に戻る為とはいえ。いたいけな少女の前で流血沙汰を起こしてしまったと云う事実が、なびきの心に突き刺さる。ただでさえ不安定な彼女を怖がらせるつもりは、これっぽっちもなかったのだけれど。
 起こってしまった事は、仕方ないとして。せめてもと、なびきは負傷した手を背に隠す。未だダラダラと赤が流れるそれは、見ていて良い気分にならないだろうから。
 じくじくと痛む掌の感覚で、何とか頭を“まとも”にしながら。なびきは、改めて「アリス」へと語り掛ける。

「きみの記憶が少なくても、きみが苦しいことはわかるよ。帰り道が、こわいのも」
「……っ」

 帰り道、と云う言葉に反応したのだろうか。びくっと肩を小さく跳ねさせる少女に、なびきは眉を下げて苦笑する。
 わかるよ、とても。だいすきな誰かに裏切られたと感じる、その絶望も。
 それでも彼は――おれは、選んだから。

「おれね、だいすきな子が居るんだ」

 瞼を綴じれば、いつだって思い出せる。
 大切でだいすきな雪のきみ。きみのためなら、おれは“ちゃんと”在れるだろう。
 だから、いつか訪れるその時まで、きっと。きみの元へ『帰る』ことの出来るしあわせを、もう少しだけ甘受させておくれ。

「その子がいる限り――おれの帰り道は、こわくないよ」


 アリス、アリス。誰もいない世界で迷ってしまった、小さなアリス。
 きみのだいすきなひとは、きみのだいすきと云う気持ちは。
 まだ、元の世界に。きみの中に、残ってくれているだろうか。


 柔らかな色を宿した桜の瞳が。
 揺れる少女の其れを、静かに見守っていた。

成功 🔵​🔵​🔴​

穂結・神楽耶
世界の全てが、おそろしい。

傷つけられることを厭うことはありません。
そうした人々の盾になることが役割ですから。

一番信じられないのは己自刃。
いつだって大切なものを守れないわたくし。
燃え尽きたあの日の幻が、
焼け焦げたいつかの世界が、
『お前ごときが何を為せるのか』って。
『お前は早く燃え尽きるべきだ』って。

…知っています。
だって、ずっとそう思っているから。

…だからきっと。
これが、世界のすべてが敵になってしまったアリス様の世界。

掌に一筋、傷を刻んで。
握る痛みを縁にして。
ことばの代わりに旋律を乗せましょう。

「帰りたい」と思わなくてもいい。
だって、裏切りが痛いのは。
そのひとのことが大好きだったから、でしょう?



 ――世界が、燃えている。
 ごうごうと音を立てて燃える炎の大蛇が、愛しき地を這いずって。
 何もかもを呑み尽くしながら、世界を赤に染めていく。
 いつも社に参じてくれていた老人も、可愛らしく唄を口遊んでいた幼子も。
 みんなみんな、顎門に呑まれて。すべてが炎の中に、消えてく。
 愛しき彼らの身を種として。忌まわしき炎が、燃え盛っていく。

 ずっと、ずっと。
 穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)の裡は、あの日から燃え続けている。

「――、っ」

 グラリと。歪む視界のままに傾きかけた身体を、何とか踏み止めて。
 荒く息を吐きながら、神楽耶は近くの木に身を預ける。此処で倒れてしまっては、きっと――近くにいる「アリス」に、いらぬ心配を掛けさせてしまうやもしれないから。
 まずは己の身体を落ち着けなければ、と。自らの中に渦巻く熱を吐き出すようにして、神楽耶は短い息を繰り返す。口から溢れ出すそれは、常人のものよりもひどく熱く。代わりにと吸い込まれていく冷えた空気が、ズキズキと身の内を突き刺していた。

 嗚呼、と。玉の汗を浮かべながら、神楽耶は己に降りかかった状況を整理する。
 此方に来る前に言われていた、疑心の狂気とやら。『裏切り』に怯える「アリス」の心を反映するかのように、類似した感情を強制的に誘発させるもの。
 己が其れを受けた場合、どのような効果となって現れるのか――想像はつけど、実際に現場に出て見なければ解らないと思っていが、なるほど。
 こうなるのですね、と。息を整えるように努めながらも、神楽耶はどこか自嘲めいた笑みを浮かべてみせる。

 己の裡に燃える炎が関わってくるだろうと、おおよその予想はついていたが。
 ふとした瞬間にフラッシュバックするあの光景を、瞼の裏に視ながら。神楽耶は己に訪れた変化を自覚していく。
 何時も絶えぬ悔恨、どう足掻いても救えぬと言う絶望。
 それに加えて、今の神楽耶は――嗚呼、今のわたくしは。

 世界の全てが――“おそろしい”。



 いつか、どこかの世界が燃えている。
 天をも喰らい尽くさんと燃え立つ炎の、其の内から。
 数多の声が、聞こえてくる。
『どうして、助けてくれなかったの』ごめんなさい。
『信じていたのに』信じてくれていたのに。
『まもりがみさまだって、いってたのに』そうあるべきだったのに。
『ぜんぶぜんぶ、燃えてしまった』間に合わなかった。
『わたしたちのこと、たいせつだって』そう、だから。
『まもってくれるって』まもりたかったのに。

 だから、だからせめて。
 遺ってしまった、此の刃で。多くの明日を、結ぼうと――。

『――うそつき』
『うそつきうそつきうそつき!!』
『ならば何故、其の刃は我らの為に振るわれなかった』
『どうして私たちの時に、間に合ってくれなかったの』
『いつもそうだ、いつだってそうだ』
『お前は何も守れない』
『大切だなんて口にして、護りたいだなんて嘯いて』
『本当は、何よりも自分が信じられない癖に』
『お前ごときに為せる事など、何もないと言うのに』
『何故、あなただけが、あの炎より逃れたの』
『あんなにあつくて、くるしかったのに』
『どうしてあなただけ』『どうしてお前だけ』
『焼け損ないが』『どうせ何もかも』『間に合わないのだから』『早く、早くに、貴様も』
『もえつきてしまえば、いいのに』


 ――刃が。
 夥しい数の言の刃が、神楽耶の身に降り注ぐ。
 かつて護りきれずに失ってしまった、愛しきものであった筈の彼等の声が。神楽耶の身を、心を裂かんとして。口々に、恨みの言葉を吐き出していく。

 おそろしかった。まるで、世界のすべてが敵になってしまったかのようで。
 燃え尽きたあの日の幻が、焼け焦げたいつかの世界が、炎に呑まれた人々が。彼女を屠らんと、刃を翳していく。
 どくどくと、傷付けられた心が血を流して。数多の刃が突き刺さり、鼓動を重ねる度に痛みが奔る。

 嗚呼、けれど。

「……知って、います」

 心に、心の臓に突き刺さった刃は、其のどれもが――“神楽耶そのもの”で。

「だって、ずっと……わたくしが、そう思っているから」

 恐ろしかった。何よりも、彼等の口を借りて“言わせてしまった”。
 己自刃の弱さが、どうしようもなく、恐ろしかった。

 嗚呼、そうだ。私は世界より何よりも――私自刃を、信じることが出来ないでいる。

 傷付けられること自体は、今更に厭う事はない。そうした人々の盾になる事こそが、彼女の本懐である故に。もしそう言った事態となれば、神楽耶は甘んじて其の刃を受けるだろう。
 だが。今までに神楽耶がそうして“傷付けられる”事は、無かった。無かったのだ。
 何せ、彼女を傷付けるべき存在は、もういない。誰一人残らず、いなくなってしまった。あの炎の中に、一片も遺さず消えてしまった。

 だから。
 彼女が傷付けられるとするならば。焼け遺った彼女自刃の他に、あるわけもなくて。

「――ごめんなさい」

 震える声を溢しながら、神楽耶は突き刺さる刃を握り締める。
 己たる太刀は、当たり前のように手に馴染んで。神楽耶はそのまま、其の抜身の刃を――己の掌に、当てる。

 ピッ、と。一筋の赤が、掌に刻まれて。
 握る痛みを縁にして、神楽耶は唄を口ずさむ。
 遺された唄を、旋律を、刀は刻む。もう姿も思い出せぬ誰かに、教えてもらったわらべ唄。
 茜小路で、さよならを。明日を結べなかった彼等へ向けて、未だ結べるやもしれぬ少女へ向けて。どうか、どうか、刃金の聲でも、響きますように。

 己の名すら見失ってしまった少女、「アリス」様。
 今ばかりは、「帰りたい」と思わなくてもいい。
 ただ、どうか。世界のすべてが敵になってしまったあなたの痛みを、少しでも癒せる事が出来たなら。痛みの向こうにある“こころ”を、掬い上げる事が出来たなら。

 ねえ、だって。
 『裏切り』が、どうしようもなく痛いのは。

「そのひとのことが大好きだったから――でしょう?」

 その気持ちを、記憶を、どうか。
 あなたはまだ、失わないでいて。

成功 🔵​🔵​🔴​

ニルズヘッグ・ニヴルヘイム
いつも何かを諦めてる
私が誰かの幸福を食って生きてること
誰の大切なものにもなれないこと
この世界の全てから、呪われて生きていくことも

私の大事なものは、私を顧みてないかも知れない
心の底で役立たずだと罵ってるのかも知れない
――私は、誰の心にも残ってなどいないのかも知れない

だとしても、諦めて歩こう
アリスを助けるために

ライターを握り締める
私のもう一つの心臓。帰る場所で、待つ場所
あいつだって、帰って来ないかも知れない。私を待ってなんかいないかも知れない

それでも良いと思って来た
今だって思ってる
私が大事にしてることと、あいつらが私を大事に思うかは別だ
最初から諦めてるはずなのに
……どうしてこんなに、苦しくなるんだ



 ――いつも。
 其の竜は、何かを諦めながら息をしていた。
 誰かが甘受すべきであった幸福を喰らってまで生きる、己の浅ましき性分を。
 誰の大切なものにも為れず、いつか取り残されてしまう存在であることを。
 そうして生き続ける限り。此の世界の全てから、永遠に呪われ往くであろう我が身の行末を。

 ニルズヘッグ・ニヴルヘイム(竜吼・f01811)は。全て諦めて、受け入れていた。

 竜は、あまりにも慣れ過ぎていた。
 疑う事も、諦める事も。どれだけの経験を得ても、どれだけの縁を繋いでも、其の習性が変わる事はなく。疑った端から諦めていく己を、ニルズヘッグは十二分に自覚していた。

『……私の大事なものは。私を顧みては、いないかも知れない』

 疑念の声は、常に付きまとう。
 狂いの月が満ちる前から。あの炎に呑まれ損ねた時から。

『たったひとつの願いすら果たせずに、遺った私を。心の底では、役立たずだと罵ってるのかも知れない』

 いつだって。己の裡から涌出る、声が

『――私は/おまえは』

 あたたかなひかりを見つける度に。
 ひとつ、約束をする度に。

 たえず、ずっと、囁いて。

『誰の心にだって。残れるはずがないだろうに』


「……、はは」

 乾いた、空虚な声が零れ出る。
 竜は、わらっていた。
 くしゃりと、困ったように眉をさげて。片の瞳に灯った焔が、雨に打たれては揺れている。

 今更だった、何もかも。
 月の狂気とやらの影響だろうが。裡に響き続ける声が、多少大きく、浮き彫りになったのだとしても。
 それは、元から“在った”ものだ。故に、己の何が変わるわけでもなく。聞き慣れた呪詛として、彼は其れをいつものように受け入れる。
 かつて、全て奪いつくしてしまった己には、それしかない。
 それしか出来ることはないのだと――もう、諦めている。

「……、あの子は」
 無事だろうか、と。ニルズヘッグは、先に相まみえた少女を思う。
 喧騒は、随分と前に止んでいた。鬼の脅威はなくなったのだろうけれども、彼女の無事までは解らない。
 ザリ、と。湿った土を踏み締めて、彼は歩き出すだろう。
 この世界の核とも言える少女、幼い「アリス」。あの迷い子を助けるべく、竜は月夜の森を往く。

 今の己はただ、そのために。



 ――雨は、未だ降っている。
 しとしと、しとしと。まるで、空が泣いているみたいだ、なんて。

 柄にもない感傷に、気息まじりの嗤いを溢す。
 顔を濡らす雫を乱雑に拭い、気付けのようにかぶりを振った。
 動物みたいだと、見知った誰はわらうだろうか。妙に靄がかった頭の片隅で、他愛ない想像が過っていく。

 しかし、月の出る雨夜とは珍しい。
 何となしに見上げた望月は、煌々と輝いていて。
 見るものを狂わすのだという其の月は――見慣れた琥珀が煌めく様と、似た色をしていた。

「――――、」
 無意識だったのかもしれない。濡れた手の先が、気付けば懐へと向かっていたのは。
 湿った布越しに、“あいつ”に貰ったお守りに触れる。握り締めた滑らかな銀の質感は、浸り慣れた日常を思い起こさせた。

 共に、在るのだと。そう誓った煙る男と己を繋ぐ縁、辿る為の灯。
 竜のもう一つの心臓。ニルズヘッグという存在が帰る場所であり――待つ場所でも、あり。

「……けど、さ」
 か細く、仄かに震えた声が、竜の口から零れ出る。

 本当は。
 あいつだって、帰って来ないかも知れない。
 私を待ってなんか、いないかも知れない。

 ――声が囁く。呪いのように。
 ――声が響く。呪うように。

 きっと。
 信じるとか、信じないとか。そういった類の話ではないのだろう。
 少なくとも、この竜にとって。己が彼の人へ贈る信頼は、疑いようもなく真だと言い切れるだろうが――己が、同じだけのものを受け取れるなどとは。どうしたって、思えない。

 呪われた命だった。呪いのような生だった。
 そんな己と共に在ってくれた彼を、彼らを。竜は間違いなく大事に、大切に思っている。
 ……けれども。あいつらが私を大事に思うかは、また別の話だろう?

「……あたりまえの、ことじゃないか」
 それでも良いと、思って来た。今だって、そう思っている。

 世界は愛と希望に満ちているのだと謳う、その口で。竜は、己に向けられるやも知れぬ其れ等を否定する。
 矛盾ではない。ただ――そう、ただ。彼が尽くすべき『世界』の中に、彼はいないと言うだけで。

 諦めているのだ、最初から。
 炎に呑まれた片割れにすら手を伸ばせなかった、あの時から。
 何者にも為れぬ、為って良い筈もない。こうしてひとの隣に在れるだけでも、己にとっては僥倖だろうに。
 そう諦めて、納得して。傷も痛みも仕舞い込んで、何でもないという風にわらってみせる。己はそうして生きてきた、これからもそうして往きていくのだ――その筈、なのに。

「……どうして、」
 声が、溢れる。
 答える者のいない、栓無き問い掛けが。降り落ちる雫と共に落ちていく。


 なあ、どうして。
 どうして、こんなに――苦しく、なるんだ。


 絞り出すように落とされた、竜の哭声が。
 降り止まぬ雨の音に紛れて、消えていった。

成功 🔵​🔵​🔴​

鷲生・嵯泉
月の狂気は古くから謂われる事だが……
此れは抗うには難い、か

信じると定めるのは総て己の裁量1つ
ならば至る狂気は誰より己に向く筈
――何を護る事も出来なかった刃が、何を穿つ事が出来る?
伸ばせど届かなかった手が、誰に届くと?
叶える事の出来ん言葉を、一体誰が信じると云うのだ

ああ、“お前”が信じてくれる「私」は、此れ程迄に信に値せん
いっそ潰えてしまえば、苦しめる事も無くなるだろうに――

……気付く。何処迄愚か者だ、私は
信の秤が己ならば、「誰」の言葉を量るかなぞ明白な筈だろう

煙草を取り出し、紫煙を肺深くへ落とし込む
願われた約束が此の身を浸す
いつ何時も疑う事すら思いもしなかった其の信が
私を「私」へと引き留めよう



 ――ぞわり、と。
 得も言われぬ『違和』が、肌を撫ぜる。抜いた刀の柄を握り締めたまま、鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は警戒も露わに周囲の変化を観察していた。

 諍いによる喧騒は、既に止んで久しく。雨が草葉を打つ音のみが鼓膜を刺激している。
 先から変化があるとすれば――そう。

 ・・・・・・ ・・・・・・・
 いつの間にか、月が満ちていた事くらいだろうか。

 柘榴の片瞳が、視線だけを動かして空を見る。
 徐々に光を、存在を濃くし始めた天の玉。夜空にぽかりと浮かぶ其の色合いは、誰ぞの瞳を想わせるものでも、あったけれど。

 ふっと脳裏に過った姿に、どこか予感めいたものを感じながらも。
 今は未だ、気を散らしてはならないと。僅かに瞳を眇めた程度に留めて、嵯泉は波立ちはじめた精神の分析に努める。

 不信や猜疑と言った思考を植え付ける狂気が、蔓延っているのだと。
 此方の世界に送られる際に聞いてはいた。あの少女の昏い感情が元になっているのだ、とも。

 狂気が世界に満ちる、とは。如何した状況になるのだろうと、気にかけてはいたが。
 なるほど。どうやらこの世界の狂気とやらは、あの『満月』に関係しているらしい。

 ――月の狂気は、古くから謂われる事のひとつだ。
 其の色に、満ち欠けに、人は意味を見出してきた。夜の帳を降ろして尚、遥か天上に輝く其れに、心惹かれる者も多く居ただろう。

 あの理を外れた鬼が、どういった手段を用いたかまでは分からないが。
 疑心の狂い種を月の満ちる様に合わせ、世界全体に広がるようにしていたのだろう。それが、いずれ出現するであろう猟兵達への牽制の為なのか、万一にも「アリス」を逃さぬように檻とする為だったのかは、わからないが。

 兎角、あの月が人の精神に作用する類のものである事は理解出来た――しかし。
 そうと理解っていても、此れは。

「――抗うには難い、か」
 グ、と。己の裡に染み込みつつある『狂気』の片鱗を感じて、嵯泉は眉間の皺を深くさせた。

 強く信を置いている程、濃く狂気の影響が顕れるのだと。出立前に聞かされていた話を思い出す。
 なれば、と。嵯泉にはひとつ、明確に思い当たる対象があった。

 信を置くものこそ多々あれど。信じると定めるのは、総て己の裁量1つ。
 ならば、至る狂気は――誰より、己に向くだろう、と。

 臓腑の底から這い上がってくる不快感を、歯を喰いしばってやり過ごす。
 己の内側を引っ掻き回されるかのような感覚。痛み始めた頭の奥で、警鐘が鳴り響く。
 気を散らすな、集中しろ。此の様なところで狂っては、救えるものも救えぬぞ。
 己の意義を見失うな。鈍った刃では、護るべきを救うどころか、敵を屠ることさえ叶わな――。

『――笑わせる』
 声が。嵯泉の思考を遮る様に、耳の奥へ入り込む。
 どこか聞き慣れた其の声は、嘲りの色を多分に含んで。

『お前の刃が、何を穿つ事が出来る?』
 問うてくる。出来もしないと、断言する様な声音で。

『何を護ることも出来なかった、お前に』
 突き付けられる。決して取り返す事の出来ぬ、あの過去を。

『伸ばせど届かなかった手が、誰に届くと?』
 嘲っている。純然たる事実を示して、あの絶望を想起させる。

『懲りず、叶える事の出来ん言葉を口にして』
 責めている。嘗て総てを喪って尚、新たに得ようとする男の様を。

『一体誰が――「私」を、信じると云うのだ』
 他の誰でもない、“己自身”が。
 己を赦せぬのだと。其の刃を、心の臓へと向けている。


「――、は」
 溢れる。諦めにも似た、嘲笑を滲ませた息が。

 あれほどに言葉を募らせながら。よすがと為り得たら、などと願いながら。
 “お前”が信じてくれる「私」は、此れ程迄に信に値せず。

 笑わせる。全くもって其の通りだった。
 此の様で、如何な誓いを果たせようか。如何して信に応える事が出来ようか。
 ああ、いっそのこと潰えてしまえば。これ以上、無為に苦しめる事も無くなるだろうに――。


『――おまえも、たまに馬鹿になるよなあ』


 ぽたりと。
 雫が一つ、額に落ちる。
 木々の葉に溜まった塊の、一つだったのだろう。雨粒よりも少し大きな其れは、妙な存在感を醸しながら。瞳を覆った黒を伝って、頬を流れ落ちていく。

 雫の触れた箇所が、いやに冷えた心地がして――同時に。
 気付く。己が今、何を考え掛けていたのかと。

「……何処まで愚か者だ、私は」
 ハ、と。息が漏れる。裡に篭る惑いを吐き出すように、息をする。
 こうも呆気なく呑まれ掛けるとは、と。精進不足を叱咤する様に、瞳を綴じた。
 信の秤が己ならば、「誰」の言葉を量るかなぞ明白だろうに。
今更に――揺らぐ、などと。

 男は、自嘲気味に口の端を吊り上げる。変わらず天に輝く月を仰ぎ見ながら、彼は徐ろに煙草を取り出した。
 手慣れた動作で火を点け、紫煙を肺深くへと落とし込む。
 覚えて久しい灰の味を呑み込む度に。願われた約束が、此の身を浸していく。

 いつ何時も、疑う事すら思いもしなかった、其の信が。
 ――私を、「私」へと引き留める。


 ……やがて。
 彼もまた、夜の森を往くだろう。
 歩む足先に最早惑いは見えず。紫煙の残り香を纏いながら、男は進む。

 手が届くはずのものを。もう二度と、喪わせぬ為に。

成功 🔵​🔵​🔴​

エンジ・カラカ
アァ……この場所はなーんだ……。
凄く気分が悪いなァ……。

俺が味わったコトのある感情が渦巻いている。
今はコレだ。
こんな感情は必要ない。

賢い君、賢い君、そうだろ?
うんうん、そうだよなァ……。
疑うココロ?
コレには賢い君がいるンだ。
賢い君は絶対に、ぜーったいにコレを裏切らない。
俺がコレを裏切っても賢い君だけは絶対に裏切らない。

コレは賢い君を信じている
賢い君は一度も裏切ったコトが無いンだ。
コレと君は二人で一つ。
コレは君に着いて行く。

コッチ?アッチ?ドッチ?
アァ……アッチ……。
賢い君、賢い君、導いてくれくれ。
俺もコレも君とずーっと一緒。

さぁ、アリスを探そう。



 嗚呼、アァ。一体なんだ、此の場所は。
 どんよりとした天幕が世界を覆って、じめついた空気が纏わりついて。
 昏くて重い不可視の何かが、ずしりと肩にのし掛かるような。言いも知れぬ不快な何かが、臓腑の底に入り込んでくるかのような、此の感覚は。

「悪い、凄く気分が悪いなァ……」
 雲の合間から溢れる、狂い月の光に照らされて。
 エンジ・カラカ(六月・f06959)は、唸り混じりの息を漏らした。睥睨したオオカミの半月が、雨夜に浮かぶ其れへと向けられる。

 アァ、知ってる。此の感覚を、コレの身体は知っている。
 あの月の齎す狂気を、身の内に渦巻く感情を。此のオオカミは、エンジはきっと知っていた。
 裏切りも疑心もありふれた、凄惨を檻とした牢獄の裡。数多もの灯火が消えゆく中、希望を垣間見る度に絶望する、そう云った地獄で隣人となったモノのひとつ。
 嗚呼そうだ、知っている。エンジは――“俺”は、此の感情を味わったコトがある。どうしようもなく、此の身体は覚えている。

 ……けれども。

「――賢い君、賢い君」
 呼び掛ける。いつものように、黒いオオカミは君を呼ぶ。
 賢い君、賢い君。今の己は君のもの、君の為の駒、君が為のコレ。
 ゆらゆら揺れる赤い糸、“相棒”の拷問器具の君。寄り添うツガイの、賢い君。

「うんうん、そうだ。そうだよなァ……」
 賢い君。コレを使う賢い君。
 疑うココロ? そんなのナイナイ。びっくりするほど的外れ。
コレには賢い君がいるンだ。賢い君は絶対に、ぜーったいにコレを裏切らない。

 そう、例え――“俺”が、コレを裏切ったとしても。
 賢い君、君だけは。絶対に、裏切るコトはない。

「コレは、コレ。今は、賢い君のコレだよなァ」
 コレは呟く、繰り返し。君に囁く、何度でも。
 言を呪とでもするように。自らを象るかのように。
 コレに為れない“俺”はさようなら。かぷり、牙が左の名無し指に喰い込んだ。
 異界に浮かぶ満月の下、オオカミは約束の痕を食む。いつものように、いつかのように。
 仄白い指に紅を指す。ぷつり。君と同じ“赤”が流れゆく。

 ――ほら、ほら。そうしたならば。
 腹の底に溜まっていた、苦くて重い感情は。“俺”の名残ごと消え去って。
 いつもみたいに、黒狼はわらう。にんまり口の端吊り上げて、君の隣でわらっている。

 今までだってそうしてきた。これからだってそうするさ。
 エンジは唯々信じてる。賢い君を信じている。
 どうして疑う必要があるだろう? 賢い君は、一度だってコレを裏切った事はないと言うのに。

 変な月、おかしなまん丸。ナイものを無理やりアルように見せかける。
 瞳を綴じる。――『キョウキ』が何をしてきたって知らんぷり。
 耳をふさぐ。――哭いていた誰かの声も知らんぷり。

 何があったって変わらない。オオカミと君は、二人で一つ。
 ゆらゆら、ゆらゆら。まん丸い月の下、二人おかしく揺れている。

「アァ、賢い君。ドコに行こう、ドコへ向かおう」

 コッチ? アッチ? ドッチ??
 オオカミの問いに応えるように、赤が揺れる。あっちあっちと、君が告げる。
 そうすれば。君に応えるようにして、エンジはのそりと動き出す。

 ――もう、月の光は気にならない。




 ゆらゆら。癖のついた黒毛が揺れる。
 サァサァと降り止まぬ雨の中。木々の枝をひょいと避けて、軽やかな足取りでオオカミは進む。
 賢い君の指し示す道なき道を、何の躊躇いもなく。深い森の奥へ向かって、エンジは進む。

 さぁ、「アリス」を探そう。コレの唯一、賢い君。
 ずっと、ずーっと一緒に居るから。“俺”も、コレも、君と共に往くと決めているから。


 君、君。毒孕む君、賢い君。
 どうか――コレを、導いてくれ。

成功 🔵​🔵​🔴​

ヘンリエッタ・モリアーティ
――誰に裏切られると思う?
「私自身」に。
――何度か裏切られてきた?
何もかもを忘れていた最初のころとか。
じゃあ、私が見る幻影は別物だ

【羊飼いの憐憫】の対象は自分自身へ
精神的に弱ったアリスを解剖するなんて、ちょっぴり残酷だもの
――ああ、「あの人」の死体がある
一番の裏切り者はあなただった
あなたにだけは裏切られたくなかったな
ねえ、シャーロック
どうして「助手」ではなくて「教授」と落ちてしまったの
ずっとあなたを追いかけている、今も
それでも、私はもう物語から外れてしまった
シャーロック
どうして、嬉しそうに死んでいるの

それでも、どこかでまたあなたと会えるのでしょう
信じてる。――愛してたのって?はは、
バカみたい。



 月が、夜を照らしている。
 満たされた玉桂、淡く煌めく金色のソレ。

 其の光は、此の世界に足を踏み入れた者達へと等しく降り注ぐだろう。
 嘆きに身を浸す「アリス」にも、どこぞで息を潜めた仲間たちとやらにも。
 猟兵と呼ばれる存在――ヘンリエッタ・モリアーティ(悪形・f07026)にも、また。
 天上に輝く、狂気を孕んだ金色が。悪が形をとった彼女の深淵を、覗こうとしている。

 ――誰に裏切られると思う?

 声が問う。いやというほどに聞き為れた、己の声が。
 突如として頭の中に響き渡った問い掛けに、さして驚いた様子もなく。ヘンリエッタは、薄く笑って『解』を示す。
 「それは勿論、『私自身』に」口を介さず、同じように頭の中で答えてみせる。幾度となく行なってきた問答の形を、なぞらえるようにして。

 ――何度か裏切られてきた?

 問いの行き着く先を、早くに察して。ひとつ、瞬いた銀の瞳が空を仰ぐ。
 煌く月と、目が合った。其れが此方を観るように、彼女もまた月を観る。月を通して、金を視る。
 『裏切り』には縁がある。それこそ数え切れぬほど、多岐に渡って。
 特に、彼女が目覚めた『最初』の頃などは最たるもだ。何せ、何もかもを忘れていたものだから。
 裏切られた、どうしようもなく惹かれる度に。裏切ってきた、どうしても“理解って”欲しくて。

「――I 」
 声が。月に向かって放たれる。
 今度は紛れもない、ヘンリエッタ自身が放った声だった。淡い色をした唇が薄く開いて、唄う様な言の葉を口にする。

 I don’t pretend to know you. I just understand you.
 あなたを知ったふりなんてしてない、私はあなたを知り尽くしてる。

 其は祈り、憐みを求むるひとのうた。
 ――ただし。彼女の内にある羊飼いが、決して善き者とは限らないけれど。

 祈りを唄えば、彼女の前にはひとつの影が現れる。己を知り尽くした幻影が、彼女自身を切り開こうと刃先を向ける。狂い掛けた精神を療す為のメスが、今にも痛み/癒しを与えんとして突き付けられている。
 ……本当は。此の狂気の元となっている「アリス」へ向けて、祈りを唱える案もあったけれど。あのいたいけな、精神的に弱った少女を解剖するなんて、ちょっぴり残酷な気がしたから。
 「アリス」が自壊すれば、きっと世界ごと狂気は滅び去るだろう。けれども――其の手段を取るのは、考え得る手を尽くしてからでも遅くはない。

 頭の片隅で、絶えず思考が巡っている。
 どうあったっていつも通りな己の様に、どこか可笑しそうに笑いながら。
 ひとつ、息を吐いて――ヘンリエッタは、目前の幻と対峙する。



 ――ああ、「あの人」の死体がある。
 叡智に煌く瞳は綴じられて、編まれていた筈の金糸が粗雑に広がっている。

 眠りについていた筈の己を目覚めさせたのは、あなただった。
 名を与えてくれた、親のようなひとだった。兄のように、姉のように、いつだって前を往く人だった。
 吾が道しるべ、愛しき隣人。友と呼ぶに相応わしい、『助手』にとっての、唯一で――いちばんの、裏切り者。

「……ねえ、シャーロック」
 喧騒と煙を纏ったひと、唯一のあなた。
 どうして『助手』ではなくて『教授』と落ちてしまったの。

 ずっと、ずっと。『助手』は『名探偵』を追いかけている。
 物語から外れてしまった今だって――幾ら願っても栓無い事だと、解っている筈なのに。

「――、どうして」

 ねえ、どうして。
 ――嬉しそうに、死んでいるの。


 ぐるぐる、ぐるぐる。
 胎の底で渦巻く、此の感情はなんだろう。
 あなたを喪った哀しみだろうか、結末を迎える事のできなかった後悔だろうか――それとも。己の根幹たる、怒りだろうか。

 飢餓が襲う。乾いた喉が張り付いて、喘ぐ様に息をする。
 硝子越しの視界が、グニャリと歪んで。谷底に伏す「あなた」の姿が、消えていく。

 ええ、分かってる。あれは幻、自己を見失わぬ為の治療薬。
 ただの反芻、ただのおさらい。此の森に、あの人の影がある筈もない。

 ……それでも。
 ここではなく、今日ではなく。けれどもいつか、どこかでまた、『名探偵』と巡り会う日が来るのだろう。
 どこか確信めいた予感があった。書き手たる『助手』は、今もまだ信じていた。
 あの宝石のような輝きを持つ唯一が。飄々とした顔をして、再び目の前に現れるのだろうと。

 ――愛してたの?

 声が問う。
 全部、自分でこわしたくせに。輝くあの日を懐かしむように、声が問う。

「……はは、」
 嗤いが溢れる、雨に紛れて。
 ある「ものがたり」に呪われた『助手』が、月の下でわらっている。


 嗚呼、なんて、本当に。
 ――バカみたい。

成功 🔵​🔵​🔴​

境・花世
●*

この躰に巣食うのは人を喰らう化け物
“わたし”は唯の器にすぎないのだと信じてたんだ

記憶も血肉も殆ど食い尽くされた空っぽな
痛みに苦しみに罪にも縛られないうつろな

――けれど、

ここにまだ、心があるというのなら
化け物である罪はわたしのものだった?
わたしは、生きていてはいけないものだった?

花びらの詰まった、軽いはずの躰が
ふしぎなほどに重くて、
ここから先へどうしても進めない

いずれ散るだけの、散らねばならない花なのに

蒼褪めた月がしたたって頬を濡らす、
つめたい感触に震えた躰がふるりと動く
今はまだ、どうか、まだゆるしてほしい
きみより先にはいかないと戯れに結んだ約束が
救いのように枷のように、この脚を繋ぐから



 種が芽吹く、疑心の種子が。
 花がひらく、歪な色を滲ませて。

 悲哀の雨を注がれて、狂い月の光を呑み込んで。
 昏い、昏い感情を糧とした花が。生ける者達の裡に、芽吹きはじめる。

 世界が、徐々に形を変えていく。
 昏く、淀んだ空気が森を満たす。どろりとた何かが肺を浸して、苦く重い感情が臓腑の底で塒を巻いて。不快さを伴う違和に喘ぐ間に、ひそやかに猜疑の種を植え付けられる。
 そうして、誰もが植え付けられた不信と対峙する中で――境・花世(はなひとや・f11024)は、ポツリと。
 ただひとり、取り残されたようにして。静かに佇んでいた。



 ――其の女は、花だった。
 見目にも華やかな花だった。人を惹きつける絢爛さをもった、艶やかに咲き誇る花だった。
 はらり、はらり。薄紅の花弁が開いてはおちる。百花の王の名に相応しき八重の牡丹が、女の裡より咲いていた。

 其の花の本質が――人喰いの、化生であると。
 彼女が正確に理解したのが、果たしていつだったのかは分かり得ない。
 ただ、今の彼女は。花世は、身をもって其れを識っていた。

 艶やかに花は咲く。巣食いし躰の血肉を啜って。
 絶佳の如き花が咲く。女の記憶も、感情も蝕んで。

 すべて、すべて。
 ふと気付いた時には、何もかもが食い尽くされたあとだった。

 空っぽだった、あまりにも。
 故郷はなく、寄る辺もなく。己が己たる記憶も喪って。
 自ら“生”を示すものが、欠片も遺さずなくなったのだと。そう気付いた瞬間に、彼女は漠然と理解した。

 ――こうして息をする“わたし”は、唯の器に過ぎないのだと。

 だって。喪失の痛みも苦しみも、最早抱くことすら出来なくて。
 罪にも縛られない、空虚な容れもの。其れが“わたし”。

 何もない、何も得られない。
 ただ喰らい、咲き続けるだけの、うつろな――。

「――おかしい、な」
 ぽつりと。淡く色づいた唇が、薄く開いて。
 零れ落ちたのは、疑問の言葉。限りなく空っぽに近い声音の中に、うすらと滲んだ不可思議の色。

 此の身は、此の心は。すべて、うつろな筈だった。
 けれども、なぜだろう。
 花びらだけが詰まった、軽いはずの此の躰が、ふしぎなほどに重くて。
 どうしても。ここから先へ、進めない。

 おかしかった。ふしぎだった。
 重いだなんて、苦しいだなんて。そんなのまるで――心が、あるみたいじゃないか。

 はらり、薄紅の欠片が落ちていく。
 露わになった片の眸がひとつ、ゆっくりと瞬いて。
 瞼の裏に、何もないと思っていた筈の己を視る。空っぽな筈の己の裡で、おかしいと訴える声を聴く。


 ねえ、だって。ここにまだ、心があると云うのなら。
 化け物である罪は、“わたし”のものだった?
 “わたし”は、生きていてはいけないものだった?

「――――、」
 息が、震える。
 蒼褪めた月がしたたって、乾いて久しい頬を濡らす。
 頬を伝うつめたい感触に、震えた躰がふるりと動く。

 己には、何もないのだと。思っていた、信じていた。
 何ものも得られぬ代わりに、何ものに捉われることもなく。
 持たぬ故の軽やかさで駆けて来た、いつ終わるとも知れぬ地獄を。いつか辿着くであろう、帳を信じて。
 なのに――だと、云うのに。

 早春に交わした杯。澄みきった白藍の天。戯れに降り落ちた雨の雫。
 日々に溶けるたくさんのもの、数え切れぬほどに交わした言葉。
 空っぽだった筈の“わたし”のこころ。“わたし”のせかい。
 いつの間に、こんなに色付いていたのだろう。

 ――いずれ散るだけの、散らねばならない花なのに。

 溢れる、落ちる。
 頬を滑っていった一際に大きな滴が、地面に当たって弾けて消える。
 俯いた女の表情は、濡れたくれないに覆われて見えぬまま。
 雨に晒された仄白い喉が、はくりと震えて音を出す。

「……今は、まだ」
 まだ。どうか、まだゆるしてほしい。
 いずれは逝く、けれどまだ。果たしていないものがある。

 きみより先には行かないと、戯れに結んだ指の先。
 あの約束が。救いのように、枷のように――この脚を、繋ぐから。

成功 🔵​🔵​🔴​

杜鬼・クロウ

アリスと呼ばず

断片的な記憶と纏う狂気に目細め

・光景
満月を映す神鏡と曇った鏡
俺と偽の弟だけが立つ
※A&W戦争で対への態度に異変有

一番身近にいるのに視れていなかった
今までの俺への疑心
自分の気持ちが分からず狂気伝染し吐き気
離別出来ない筈の彼が嗤って俺を裏切る夢
以前、一度だけ夢の中で弟を殺した事有

お前を殺すのは
俺だけでいい
俺が殺されるとしたら
お前だけ

アイツの所為で惑うコトなどなかったのに
クソ…またか
信じるも何も
他に誰がいてヤれる?
俺がいねェと生きれないヤツなンだよ

歪だが貫く


信じるコトは、希望だ
どうか囚われるな(彼女が寒そうなら外套羽織らせ
…他の猟兵が言っていたが
お前の名、思い出したら俺にも教えてくれ



 ――異質な気が、肌を撫ぜる。
 変化した世界の有り様を直感的に感じ取って、杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)は色違いの双眸を鋭く細める。天より降り注ぐ月の光が、濡烏の如き其の髪を照らしていた。

 ぞわりぞわりと、拭い切れぬ違和感が精神を侵していく。
 ある種の狂気が満ちつつあるのだとは、聞いていた。不信を齎す猜疑の種、少女の絶望に基づく感情の伝染。
 影響の出方は、人それぞれであるからと。明確な対処法こそなかったが、忠告をされていたことによりある程度の覚悟は出来ていた。
 あとはそれとどう向き合うか――己の猜疑心とやらが、どう牙を剥いてくるのか。

 精神を乱されぬようにと努めながら、クロウは静かに息を吐く。
 言い様のない不快感が、腹の底で渦巻くのを自覚する。ともすれば嘔げてしまうやも知れぬ其の感覚を、歯を食い縛ってやり過ごす。
 大丈夫だ、気を落ち着けろ。狂気なんざ知った事か。
 まずは、何より「アリス」を。あの少女を助ける事を考えろ。
 クロウの脳裏に、先に邂逅した少女の姿が過っていく。瞳に薄い膜を貼った、幼い子ども。未だ此の世界の何処かで、声も出せずに泣いているであろう彼女の元へ。早く、参じなければと――。


 ――待ってよ、兄さま。

「…………は、?」
 声が、した。
 あまりに聞き慣れた、聞き飽きた声だった。
 間違えようのない其の声が、クロウの耳奥で反響する。

 何故、どうして。アイツが、こんなところにいる筈は――。

 思考が。あり得ざるとして疑問の形を模ってしまった、其の瞬間に。
 男の意識は、蝕む狂気に呑み込まれていった。



 ――鏡が、在った。
 遥かな昔より存在する器物。神鏡と、曇った鏡。
 対のように並びながら、天上に輝く満月を映す其れらは。等しく己であり、『弟』であった。

 鏡は、いつしか人の型を得て。二つの異なる影が、立っている。
 幾年もの時を経て、人の身を得た宿神二柱。鏡写しの色を持ちながら、決定的に違う己と『弟』。
 片や宝物とされ、片や呪われし紛い物とし厭われて。
 人として『妹』を称するようになった彼を、己もまた厭うていた――はず、だった。

 『妹』として、嘗ての主である“お嬢”を象っていた、対の鏡。
 決して白になれる筈もないのに、映し取ることだけは得手としていて。
 どれだけ意識せずに努めようが、重ねてしまう。対の主に、己が恋焦がれたあの人に。
 ……いいや、違う。重ねぬように努めるどころか、己は放棄すらしていたのだ。彼がそう振る舞い続けるのを良いことに、傍に置いて利用していた。
 己無しには生きて往けぬのだという対の言葉を、汲み取るフリをして。誰よりも己“が”離せぬ事実を、自覚しながらも覆っていた。

 嗚呼、なんて笑い話。
 一番身近に居た筈の『兄』が――誰よりも、『弟』を視れずにいたなんて。

「……胸糞、悪ィ」
 取り繕い様のない嫌悪が、言葉となって溢れていく。
 彼が信用できないのは己自身、ぐちゃぐちゃになった己の感情。
 自分が何を考えているのか分からない、不制御故の混乱――いや、いいや。
 本当はわかっている、わかっていた。何よりも其れを“認めたくなくて”、分からぬふりをしていたに過ぎないのに。

 込み上げる吐き気に、咄嗟に掌で喉を押さえる。不信と嫌悪がない混ぜになった怒りのままに、己で己の首を締め付ける。

 ――兄さま。

 嗚呼、また。声が聞こえる。
 己を慕ってやまぬのだと、呪いのような愛を謳う声がする。
 どれだけ厭うても己から離れぬ、対の声が。
 ――まだそんなことを言っているの、兄さま?

「――、は?」
 ずぶりと。刀が肉を刳り突き刺す音が響く。
 同時だった。思いもよらぬ言葉に瞳を瞬いたのと、己の心臓から刀が生えたのは。

 どうして、と。思う前に、声が響く。
 わらっていた、嗤っていた。今更間違い様のない声で、対が己を嘲笑って。

「……嗚呼、」
 けれど。其れでも良いのかも、知れなかった。
 己とて、対を殺したことがある。嘗ては夢の中、あの少女のような見目ではなく、今と似た姿をした『弟』を。

 ――おかわいそうな兄さま。今でもまだ、オレを殺したいと思ってる?

 けらけら、けらけら。愛らしい顔を歪ませて、対が揶揄うように嗤っている。
 あれが本物の対で無い事くらい、頭では分かっているけれど。造りの良過ぎる幻影に、其れを生み出しているであろう己自身に反吐が出る。

「……嗚呼。お前を殺すのは、俺だけで良い」
 問いに、答える。言葉を吐くたびに、鉄の味を噛みしめながら。
 けらけら、壊れたように嗤い続ける『弟』に向かって――少しばかりのホントウを。言の葉に込めて、口にする。
「俺が殺されるとしたら……お前だけ」

 ピタリ、と。
 突然に、声が止む。
 あれだけ嗤いを響かせていたのが嘘のように、静けさが空間を支配する。

 ――そう。じゃあ。

 ――さよなら、兄さま。



 ふ、と。
 意識が浮上したのは、別れの言葉を聞いた直後だった。
 先程まで対峙していた対の姿は、影形もなく。
 昏い森の中で、唯一人。月の光を背にしながら、クロウは先と何ら変わらぬ姿で其処に居た。
 半ば無意識に、刀が突き刺さっていた箇所へと触れる。
 当たり前のように傷はなく――けれど。あの痛みだけは、今もまだ残っているかのようで。

「クソ……またか」
 思わずと云った風に、悪態を吐く。
 今までは対の、『妹』のせいで惑う事なかったのに。
 『弟』と為った途端にこれだ。我ながらに厭になる。

 惑わされるなよ、今更に。
 対が己を裏切るなどと、そう想像した己自身に唾を吐く。
 信じるも何も。己の他に、誰がいてやれるというのだ。
「――俺がいねェと、生きれないヤツなンだよ」
 己の歪さを、自覚していた。其れでも。
 貫くと、決めているのだ。

 ――ふと。
 己を気付けるようにかぶりを振った拍子に。木々の向こう、少し開けた場所に佇む少女の姿を、クロウは瞳に捉えるだろう。

 雨に打たれ、震える彼女の元へ歩み寄る。
 足音が耳に入ったのだろう。徐ろに顔を上げた彼女の瞳は、怯えの色に濡れていて。
 ぐ、と。告げる言葉を束の間に迷って、歯噛みする。
未だ裏切りの記憶に打ちひしがれる少女へ。己が掛けてやれる言の葉は、何か。
 少しの間だけ、逡巡して……やがて。男は、小さく、ひそやかに声を掛けるだろう。

「――信じるコトは、希望だ」
 どうか囚われるな、と。言葉を続けながら、クロウは彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込む。
 寒さに震える少女に、己の外套を掛けてやりながら。どうか少しでも、此の幼気な子どもが安心できるようにと、彼は努めて柔らかな声で言葉を紡ぐ。
「……他の猟兵も、言っていたかもしれねェが」

 ――お前の名。思い出したら、俺にも教えてくれ。

 男を見上げた、まあるい瞳が。
 ぱちりと一つ。戸惑うように、瞬いていた。

成功 🔵​🔵​🔴​

花剣・耀子
●*
疑心。諦観。不安。嫌悪に拒絶。
――嗚呼、良くない月だわ。

至らないことはたくさんあるの。
手が届かなかったことだって、何度も。
その度に正しかったのかと、
あたしが居ることは間違いなのではないのかと、
そう思ったことがないと言えば嘘になる。

“信じたいものを信じればいい”

……そうね。それは、あたしの本心。
善いでも悪いでもなくて、正しいでも間違っているでもないこと。
心の舵。進む道。
決めたから、そうしたいからそうするのだと、ただそれだけの。

あたしはシンプルにできているのよ。
できることしかできないし、やりたいようにしかやれないの。


いまのあたしにわかる、確かなことはひとつだけ。
ひとりぼっちで泣くのはだめよ。



 細雨降り止まぬ夜の空、仄かに輝く月が世界を照らす。

 月が照らすのは、ひとの心だ。
 疑心。諦観。不安。嫌悪に拒絶。
 誰しもが、己の底に沈ませていたであろう感情を。
 あの月は、あの光は。否応なしに浮かしてくる。

「――鳴呼、良くない月だわ」
 遥か天上に煌く其れを、硝子越しの青が睨む。
 得物を携え、此の異界の地に止まっていた花剣・耀子(Tempest・f12822)もまた。今にも精神を絡めとらんとする狂気の波に、抗っていた。

 心の裡を波立たせる狂いの月。あらゆるものへの疑いを植え付けてくるものなのだと、彼女も出立前に耳にしていた。明確な対処法こそなかったが、事前に情報があるだけでも有り難い。
 ……直接に斬り果たせないものが待ち受けているのは、少しだけ厄介かもしれなかったけれど。

 ざわりと波立つ心を落ち着かせるようにして、耀子は深く息を吐く。
 ぐるぐる、ぐるり。感じるのは、妙な浮遊感と不安定さ。気を抜けば思考が、己の制御を離れていってしまうような感覚。

 考えること自体は、むしろいつも推奨されている側だったけれど。
 今ばかりはそうも言っていられないのだと、誰にともなく独りごちる。
 其の思考と連鎖するようにして。耀子の脳裏に次々と過っていくのは、そう言ったお小言の数々――其れを貰うに至った、幾つかの仕事風景で。

 どれもこれも、己なりの最善を尽くして来たつもりではあったけれど。
 どうしたって思い浮かぶのは――たくさんの、至らずに終わってしまった数々のこと。
 傷付いたり、壊したり。そう言った事は、日常茶飯にあるけれど。
 より深く、耀子の心に刻まれているのは。傷付けてしまったり、間に合わなかったりしたものの方だった。
 手が届かなかったことだって、何度もある。目の前で――己を庇うように散ってしまった、ものだって。

 その度に。果たして、己の選択は本当に正しかったのかと。
 ――自身がいること自体が、間違いなのではないのかと。
 そう思ったことがないと言えば、嘘になる。

 己らしくないと、そう言われてしまうかも知れない言葉。決して口には出せぬ科白。
 心の奥底に仕舞い込んでいた気持ちが、浮き彫りになっていくのを。耀子は、どこかぼんやりとした心地ながらに自覚する。

「……調子が狂うわ」
 ハァ、と。吐いた息に、諦めにも似た色を含ませる。
 今のは、だいぶ呑まれ掛けていた……かもしれない。

 ぐ、と。彼女は、手にしたクサナギの持ち手を握る。
 ずっと、共に異界を渡って来た剣。何よりも強い縁を持つ其の存在を意識すれば、多少はマシになる、気がする。
 此の際、気のせいでも何でもいい。斬り果たせぬものを相手とするもどかしさが、少しでも紛れるのなら――。

『――剣の果てに、斬れぬものなし』

 はたと。突如として耳の奥に響いた声に、耀子が其の動きを止める。

『斬って祓って平らげる事こそ、我らが生業』

 いつの日か、諭すようにして落とされた声が。彼女の裡で響いている。
 斬り払えと――斬り祓え、と。
 瞼の裏で、いつか見た黒耀が告げていた。



 ――そうして。
 握り慣れた得物を手にしたまま、やがて彼女も辿り着く。

 世界を満たす狂気の元、「アリス」のそばへ。
 既に、あの鬼の影はなく。同胞の誰かが討ち果たしたのだろうと、耀子は安堵の息を吐いた。

 ゆたりと、歩む。力無く呆けたままの、少女の元へ。
 先の邂逅では、多くの言葉を交わすことは叶わなかったから。

 “信じたいものを、信じればいい”

 それでも、あの数少ない時間の中で。
 彼女へ向けた其の言葉は、紛れもない耀子の本心だった。
 善いでも悪いでもなくて、正しいでも間違っているでもないこと。
 天秤はあくまで己の中に。何よりも、“信じたい”と思う気持ちを、溢れ落としてしまわぬように。

 心の舵は己で取る、進む道は自らが示す。
 決めたから、そうしたいからそうするのだと。
 ただ、それだけの。至極単純で――何よりも大切な、こと。

「……あたしは、シンプルにできているのよ」
 ぽつりと。独りごちだ耀子の言葉に反応するようにして、少女がふと顔を向ける。
 其の頬が、瞳が濡れていたのは。きっと、雨のせいだけではないのだろう。
 どこか呆然としたままの少女と、視線を合わせるようにして。屈み込んだ耀子の、澄んだ青の瞳が「アリス」を映す。

 耀子という娘は。できることしかできないし、やりたいようにしかやれない性分だった。
 不器用だなんて言われる事もある。偏りが強い、と妙に嘆かれる事も多々。
 それでも。後悔はないようにと、自分なりに尽くして来たはずだった。

 だから、今も。
 耀子は、耀子が告げたいと思う言葉をこそ、口にする。

「今のあたしに分かる、確かなことはひとつだけ」

 空いた左の手の先を、「アリス」の濡れた頬へと伸ばす。
 いつだって傷だらけの、其の指が。
 少女の赤らんだ目元へと、――触れて。


「――ひとりぼっちで泣くのは、だめよ」

成功 🔵​🔵​🔴​

都槻・綾
くらりと眩暈
香炉が落とされた瞬間の、記憶
遠い日の幻

もう要らないと告げられて尚
顕現してまで永らえている己が
人を真似た此の「いのち」こそが
本当は偽りなのだと、

――疾うに知っているのに
今更突きつけられたところで
何としよう

潮が引くよに狂気が抜けていく
いっそ狂う程に
己を
主を
信じて居られたならば

アリスに向ける眼差しは
穏やかに凪いで

それでもね
私の「いのち」を
体温を
信じてくれるひと達も居るのですよ
だから私は、彼らを信じ続けます

あなたが信じられないのは
裏切った相手かしら
自分自身かしら
どちらも、かしら

驟雨は時に植物を薙ぎ倒すけれど
育てる栄養を持っている、慈雨でもあるの
あなたの中の温もりの種が
どうか芽吹きますように



 ――雨の最中に、月が出る。

 都槻・綾(糸遊・f01786)が其の月に気付いたのは、少女に語り掛けたあとのことだった。
 未だ振り止まぬ雨の中。ふと、頭上より落ちる光が、濃いものとなったように感じられて。
 月見の天気雨とは、珍しいと。青磁の双眸が、何気なく天を仰いで――其の、刹那に。

 くらりと。突として、不可解な眩暈が彼を襲う。
 瞬く間に霞み往く視界の中。此方を気に掛ける様にして見上げていた少女の瞳を見留めたのを、最後にして。

 彼の意識は。墨の様な真暗闇へと、落ちていった。



 ――瞼の裏に。其の光景は、いつだってよみがえる。
 忘れもしない、あの夕さりの薄明。遠い日の幻。
 あの、花鳥の紋を刻んだ香炉が――落とされた瞬間の、記憶。

 乾いた音が、草原に響く。香炉にひとつ、けれど決定的な瑕がつく。
 もう要らないと、告げられた。何よりも明確に、彼の人の行動を持ってして。
 問うことすら叶わずに、げに呆気なくも落とされた。

 それでも尚、砕けることさえ叶わずに。
 瑕付きの其れを依代として、顕現してまで永らえている己が。
 人を、彼の方の型真似た此の「いのち」こそが。
 本当は――偽りで、あるのだと。

「……ええ、そうですね」
 突きつけられた過去、決して望まれなかったであろう己の在り様。
 ああ、そんなこと――疾うに知っているのに。
 今更突きつけられたところで、何としよう?

 ふふ、と。
 息を多分に含んだ、笑みのような音が溢れる。
 狂ってしまった? そうではない。
 彼はただ。ずっと、ずっと理解っていただけ。

 知っている、識っていた。
 主に拒まれて尚も、生きようとする。道具として有り得ざる矛盾すら。
 ……だとしても。宿神としての姿を、力を得て。嘗て瞳を持たずにいた香炉は、ふと、其れを望んだのだろう。

 只。生の続きを、見たかった。
 彼の眼差しの先を、瞳に映してみたかったのだと。

 ――己の根幹は。きっと今も、変わらぬまま。

 潮が引くように、月の狂気が抜けていく。靄掛かった思考が晴れていく。

 ……ああ、けれど。
 もし、もしも。いっそ狂う程に、信じることが出来たなら。
 己を――主を。心より、純真に、信じて居られたならば。

「――、なんて」

 どうしようもない、たらればの話。
 取り止めもなく、有り得もしない栓無き事だと言うのに、と。
 薄い口の端が、ほんのりあがって己をわらう。

 ――嗚呼。それでも。
 ゆめにみたいと。思ってしまうことすら、罪であろうか。



 ――ふ、と。
 底に沈んでいた意識が昇る。過去を観ていた瞳が、うつつの景色を映し出す。

 変わらず天に輝く、月の光を感じながら。綾は、傍らに居る「アリス」へと視線を映すだろう。
 意識を手放していた時間は、さほど長くはなかったろうが。心配そうに此方を見上げる彼女の姿に、やんわりと眼差しを和らげて。

 穏やかに凪いだ、青磁のいろが。
 迷い子の少女を、見つめている。

「……あなたが信じられないのは、裏切った相手かしら。自分自身かしら」

 ――それとも。

「どちらも、かしら」
「……っ」

 穏やかに問う声に、少女が肩を震わせる。
 きっと。彼女の中に、既に解はあったのだろう。
 それでも尚、正面より見つめる勇気がなかったのだと。怯えの色を濃くした少女の瞳が、雄弁に語っていた。

 ああ、そのように怖がらないで。
 少女を安心させるように、青磁がわらう。艶やかに、穏やかに。

「――私も、ですよ」
「……え、?」

 意外な、言葉だったのだろう。ぱちりと、少女が大きく瞳を瞬かせる。

「私も。私自身を信じ切れてはいるとは、いえなくて」

 それでもね、と。柔らかな声音で、彼は続ける。

「私の『いのち』を、体温を。信じてくれるひと達も居るのですよ」

 脳裏に過る様々なひと。生を、いろを求めた先で、縁を紡いだ彼らの姿。

「だから私は、彼らを信じ続けます」
「……」

 ぐ、と。何かを堪えるようにして黙り込んでしまった「アリス」の姿を、優しく見つめながら。
 青磁は尚も、言葉を続ける。悲嘆に身を浸してしまった少女を、少しでも癒せるようにと、言葉を紡ぐ。


 ――ねえ、知っていますか?
 驟雨は時に、植物を薙ぎ倒すけれど。
 育てる栄養を持っている、慈雨でもあるの。

 ですから、どうか。

「あなたの中の温もりの種が――どうか、芽吹きますように」

成功 🔵​🔵​🔴​




第3章 集団戦 『ミミクリープラント』

POW   :    噛み付く
【球根部分に存在する大きな顎】で攻撃する。また、攻撃が命中した敵の【習性と味】を覚え、同じ敵に攻撃する際の命中力と威力を増強する。
SPD   :    突撃捕食
【根を高速で動かして、突進攻撃を放つ。それ】が命中した対象に対し、高威力高命中の【噛みつき攻撃】を放つ。初撃を外すと次も当たらない。
WIZ   :    振り回す
【根や舌を伸ばして振り回しての攻撃】を放ち、自身からレベルm半径内の指定した全ての対象を攻撃する。
👑11
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​

種別『集団戦』のルール
 記載された敵が「沢山」出現します(厳密に何体いるかは、書く場合も書かない場合もあります)。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
 それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。

 大成功🔵🔵🔵
 成功🔵🔵🔴
 苦戦🔵🔴🔴
 失敗🔴🔴🔴
 大失敗[評価なし]

👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
 ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。

※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。


 ……雨が、降っていたの。

 つめたい風の吹く、夜だった。
 お空には大きなお月さま。もうすぐ『満月』になるのだと、村のだれかが言っていた。

 わたしたちの村は、ずっとずっと、リョウシュサマにまもられていて。
 十と三つ、お月さまが大きくなるころに。だれかがひとり、リョウシュサマのところにオツカイに行くの。

『これからも、どうか、村をよろしくおねがいします』
 もしもオツカイに選ばれたら、そうやってちゃんとおねがいするのよって。何度も何度も、言われてた。

 前にオツカイにいったのは、三つとなりの家に住んでたおねえちゃん。
 元気でねと手をふってから、また十と二つ、お月さまが『満月』になって。
 つぎは「わたし」の番なのだと。村の一番のおじいちゃんが、●●●●●に言っていた。

 「わたし」は、村の大きな人みたいに力もなくて。おねえちゃんたちみたいに、キヨウでもなかったから。
 だから。今度のオツカイは、ちゃんとやり切って見せようって思ったの。こんな「わたし」でも、できることがあるんだって。いつも優しい●●●●●のためにしてあげられることが、あるんだって。

 言ったの、「わたし」。
 ちゃんとがんばってくるね、って。オツカイが出来てイチニンマエになったら、●●●●●もよろこんでくれるよねって。

 ……よろこんで、ほしかったの。
 それだけ、だったのに。

「――め、――さい」

 あのひとの、ゆびが。

「――ごめ、――い」

 ずっと、ずっと。おんなじ言葉を繰り返しながら。
 あのひとが。だいすきな「わたし」の●●●●●が。
 「わたし」の首を、ぎゅううっと。すごい力で、しめつけて。

 いたかった。
 息ができなくて、くるしくて。やめて、やめてって、何度もいった。

 けれど、あのひとは。なにかをずっと、繰り返すだけのまま。
 最後は、机に置いてあったナイフを、もって。

 ……おぼえているのは、そこでおわり。


 ――ただ。
 だんだんとぼやけていく世界のなか。まぶしいお月さまの光に照らされて。
 ぽつり、ぽつりと。頬に落ちてきた『雨』のつめたさが、ふしぎと心にのこっていた。



 少しずつ、少しずつ。
 彼らに問われ、掛けたれた言葉に応えるようにして。

 己の感情を、己の意思を。何よりも己自身を見失っていた少女は、砕け散った欠片を拾い集めるようにしながら記憶を語る。

 それでもやはり、全てを思い出したわけではなく。
 名前も分からぬ“あのひと”との最後の記憶が、少女の胸を締め付ける。
 キュウと、喉の奥が締まったような心地がして。「アリス」の頬を、雫が一つ流れて言った。

 けれど。
 誰かが言った――それでも、大好きだったのだろうと。
 誰かは言った――こわくても、もう一度。ちゃんと、前を向いてみようと。

 ひとりで押し潰されてしまいそうなら、傍にいる。
 怖いと思う気持ちも、迷ってしまう心もわかる。それこそ、痛いほど。
 それでも、だとしても。このままでは、取り返しが付かなくなってしまうから。

 どうか――もう一度、信じて欲しいと。

「……わた、し」

 告げられた言葉は、とてもやさしくて、あたたかくて。
 ちょっぴりだけ。いつか、“あのひと”と過ごしていた時の気持ちを思い出す。

「まだ、こわくて。おぼえてることだって、少なくて。『わたし』の名前だって、思い出せなくて」

 けれど。もし、あの『扉』の向こうで、“あのひと”に、もう一度逢えたなら。

「……『わたし』の名前、呼んで、くれるかなぁ」


◆◇

 誰かが。ようやくに掬い上げた『願い』を、聞く。
 少女が望むのであればと、彼らはかの『扉』への道を往くだろう。

 ――しかし。

 未だ誰にも喰われていない「アリス」の気配に釣られてか。
 複数のオウガが、「アリス」を食らわんとして其の姿を表すだろう。

 『扉』に至る道に、また既に『扉』の周囲にも。
 森の植物に擬態していたオウガが、鋭い歯を剥き出しながら蔓延っている。
 腹を空かせたオウガ共は、隙あらば少女へと食いつくだろう。

 少女と共に道を往き、護るも良い。先んじて『扉』に群がる者共へ手を打つも良い。
 どうあれ、少女を『扉』に送り届ける事ができたなら。
 今の彼女であれば、きっと『願い』に準じた選択をする筈だ。


 ――夥しい数の敵意は。もう、すぐそこまで迫っている。
エンジ・カラカ
アァ……帰りたいなら早く行けばイイよのサ。
だーってだって、ココにいたら食われる食われる。

食われたい?
コレはどーっちでもイイ。

食われたくないなら助ける。
そうじゃ無いなら助けない。
全部ぜーんぶ、自分自身!自分の意思!
さァ、どうする?どうしよう?

アァ……賢い君、賢い君、君は食べられないようにしないとなァ……。
コッチ目掛けて来たヤツは、コレが殺そうそうしよう。
「わっ!」て叫んで一気に吹き飛ばす。

コレの咆哮はスゴイ咆哮なンだ。
耳を塞いでないと大変なコトになるなる。
アリス、アリス、早く行け。
行きたくないなら一緒にバイバイ。

さァさァ、大きな口の鬼さん鬼さん。
あーそーぼー。


エドガー・ブライトマン
思いだせたかい?アリス君。
キミがいま思いだしたその気持ちは、とても大切なもの。
忘れてはいけないよ。思いだせるって、たぶん幸せなコトだ。

キミの願いをいってごらん。

私はキミの願いを受け入れる者。王子様だから。
キミが願うのなら、私はそれを叶えてあげよう。
それじゃあ行こうか、キミは扉の向こうへ進むべきだ。

アリス君とともにゆこう。
彼女の邪魔をするオウガは私が相手をする。
彼女に攻撃が及びそうであれば《かばう》
私は痛みに鈍い体質だから、多少の傷は気にしない。

剣ではきっと対抗しきれない数だから
“Bの花茨”
これはレディの花じゃあないけれど、負けないくらい誇り高い花さ。

この花を振り返らずに、進みなさい。アリス君。


花剣・耀子
●*
――、それでも。きみがそれをのぞむなら。
行きたい場所があるのなら、行くと良いのよ。
その先に何があるかわからなくても、良いとも悪いとも言えなくても。
自分で考えて決めたことには、きっと価値があるのだもの。

そのための道をつくるのが、あたしのお仕事。
随分と禍々しい花だこと。
平らげるのに罪悪感がないわ。

守るより攻める方が得意なの。
オウガが群れているのなら、その只中へ駆け込みましょう。
見える限りの擬態した植物へ【《花剣》】
ひとつやふたつ学習されても、それを上回る分斬れば良い。
おまえたち、旅路を飾るには向かないのよ。
ここで全部薙がせて貰うわ。

道を空けて、ちゃんと見送りましょう。
きみの願いが叶うと良い。



 ぽろぽろ、ぽろぽろ。少女の眸から雫が落ちる。少女の口から、言葉が落ちる。
 居合わせた幾人かの猟兵が、その声を聞き届けた。
 小さく、か細く。けれども確りと言の葉の形をとって溢れ落ちた、「アリス」の声を。

 なればと、彼らは各々に行動を起こすだろう。
 『扉』までの道を作るべく駆ける者、オウガの気配がより濃くなった『扉』へといち早く向かう者。
 そして――「アリス」である少女を導き護るために、手を伸ばす者。

「思いたせたかい? アリス君」

 ぺたりと、力なく地面に座り込んでしまっていた少女と視線を合わせるようにして。
 エドガー・ブライトマン(“運命”・f21503)は、片膝を付きながら「アリス」へと声を掛ける。
 真っ直ぐに少女を見つめる青は、快活さと慈愛の色。その瞳を柔らかく細めながら、エドガーは無垢な少女へと手を差し伸べる――御伽噺に出てくるような、王子様みたいに。

「キミがいま思いだしたその気持ちは、とても大切なもの。もう、忘れてはいけないよ」
 今度は、目線を逸らされることなく。青年のきらきらとした双眸を、少女はきちんと見つめ返すだろう。
 涙に濡れたまあるい瞳が、月に煌く金糸を映す。幾度も「アリス」に手を伸ばし、言葉を向けてくれた“王子様”。
 彼の姿は、いつかあのひとが寝物語に語り聞かせてくれたお話を想い起こさせた。未だうすぼんやりとした、けれども確かにあったであろう、あたたかな日々の記憶。

 こくり、と。青年の言葉に応えるようにして小さく頷いた少女に、エドガーもまた笑みを深めてみせる。
 いつだってみんなの夢と希望を映すその青に――ほんの少しの、羨望を滲ませて。

「それなら良かった。……思いだせるって、たぶん幸せなコトだ」
 小さく溢されたエドガーの言葉、そこに含まれた全てを理解出来たわけではないけれど。
 ようやくに取り戻した記憶の欠片を、確と己の内に抱きながら。少女はぽつりぽつりと言葉を続けていく。

「……ぜんぶ。ぜんぶは、わたしも思い出せなくて、でも」
 きゅっと、「アリス」は己の小さな手のひらを握りしめる。
 まだ、身体の震えは治まらなくて。こわいと思う気持ちだって、どうしようもなく根付いてしまっていて。

 でも、それでも。
 芽吹いた“想い”を、もう見て見ぬふりはできなくて。

「わたしのこと、ゆるしてもらえるかわからないけど、でも……もしもまた、会えたら。わたしのこと、呼んでくれるかなぁ」
 いつかみたいに、いつもみたいに。
 あたたかな笑顔で、柔らかな声で。少女の名前を、呼んでくれるだろうか。

 ――わからない。
 少女がつたなく紡ぐ言葉を聞きながら。花剣・耀子(Tempest・f12822)は、少女が語った記憶、その言葉を思い返していた。
 少女の大切なひと、だいすきな誰か。話を聞いた限りではあるけれど……きっと。その誰かもまた、「アリス」を大切にしていたのだろう。
 大切で、だいすきで。だからこそに、少女の命を奪おうとしたのではないだろうか。
 少女がリョウシュサマとやらの元へいってしまう前に。この幼気で無垢な命が、無残にも嬲られてしまう前に。

  ――わからない。わからないのだ。
 他者の心の内も、少女を待ち受ける運命の、その先も。
 仮に無事に元の世界へ戻れたとして、果たして少女の希望は叶うのだろうか。そも、少女の云う「あのひと」の無事すらも、定かではなくて。
 けれど――、それでも。

「……きみが、それをのぞむなら」
 傷だらけの指が、剣を握る。欠けた黒耀が前を向く。
 彼女のやるべきは、いつだって変わらない。手にした花散らしの剣を揮うに、躊躇う筈もなく。
 加えて――こうして願われたのであれば、尚更に。

「行きたい場所があるのなら、行くと良いのよ。その先に何があるかわからなくても、良いとも悪いとも言えなくても」
「……わたしの。いきたい、ばしょ」
 淡々とした調子で言葉を紡ぐ彼女の声は、けれど不思議と冷たくは感じられなくて。
 少女の瞳が、耀子のそれへと向けられる。硝子越しの青もまた、小さな「アリス」を見つめている。

「ええ、きみが行きたいと願う場所。――自分で考えて決めたことには、きっと価値があるのだもの」
 そう、価値がある。少なくとも、その声を聞き届けた彼女達の中では、絶対に。
 だからこそ、耀子は剣を握るのだ。俯向き翻弄されるばかりであった少女が、ようやく口にすることができた意思を、願いを。きちんと届かせるために。
 この小さな「アリス」のために道をつくる――それが、耀子の仕事。託された今の己が為すべき領分。

「わた、わたし、は……」
「アァ……帰りたいなら早く行けばイイよのサ」
 言い淀む少女の上から、被さるようにして。
 彼女の後ろに立ったエンジ・カラカ(六月・f06959)が、小さな「アリス」を見下ろしながら呟いた。
 突然に被さった影に驚いて、少女はパッと上を見る。そうすれば――うそりと弧を描いた三日月と、目があって。

「だーってだって、ココにいたら食われる食われる」
「え、ぁ」
「……アァ、それとも」
 どこか倦怠さを含ませた声音、緩く傾けられた首。
 少女を見下ろす双月が、スゥと、細まって。

「――食われたい?」
「っ!」
 びくりと、少女の肩が小さく跳ねる。
 “食われる”と聞いて想起したのは、あの『扉』に辿り着くまでのこと。「アリス」である少女を前にして、牙を剥き出しにしながら追いかけて来た数多の異形。あれらの本質こそ知らずとも、彼らの齎らした恐怖は少女の身に刻まれている。

「ち、ちが、わたし……!」
「アァ……うんうん、イイヨ。コレはどーっちでもイイ」
 否定するようにかぶりを振る少女を前にして、けれどもエンジは本当に、至極“どうでも良い”のだといった調子のまま。
 オオカミは、震えるばかりの少女へ言葉を落とす。交わす様で交わらぬ言の葉を、つらつらと。目前の相手を見ないまま、何が見える筈もない虚空へ向けて。

 何、難しいことなんて一つもない。話はとてもカンタンだ。
 彼女が、「アリス」が食われたくないというなら助けよう。
 もしもそうでは無いというならば。それならば、オオカミに助ける義理はない。
 力なき少女は、けれど“選択肢”を持っている。幸運にも、己の行く末を選択する権利を得ているのだから。

「決めるのは全部ぜーんぶ、自分自身! 自分の意思!」
 パッ、と。「アリス」の頭上に被さっていたエンジが背を伸ばす。
 急に明るくなった視界。上を見れば、月を背にしたオオカミが、貌を影に溶かし込んだまま。コテリと首をかしげては、口の端を吊り上げてわらっている。

「さァ、どうする? どうしよう?」
「ぁ、……」

 放たれた言葉が、少女の頭の中でぐるぐる回る。
 今に問われたもの、月の下で告げられたもの、あの道行きにて掛けられたもの。
 数多の声が、心の内を巡り巡って。未だあやふやな「アリス」の裡に落とし込まれていく。

「……アリス君」
 ふと。掛けられた声に導かれるようにして、少女は正面にいる青年を見る。
 先と変わらず、柔らかく細められた青の瞳。宝石のように輝くそれは、真っ直ぐに「アリス」を見つめている。

「キミが願うのなら、私はそれを叶えてあげよう」
 もしも、この無辜の民たる少女が願うのであれば。己は些かの躊躇いもなく手を貸そう。
 青年は少女の、みんなの願いを受け入れる者。そう在るべくして在る“王子様”なのだから。

 だから、ほら。

「――キミの願いをいってごらん」



  果たして。
 青年の差し出した手を取った少女、その後姿を横目に捉えながら。
 スン、とオオカミが鼻を鳴らす。夥しく悍ましい悪意の匂いが、すぐそこにまで迫っている。

「アァ……賢い君、賢い君。君は食べられないようにしないとなァ……」
 今も共に在る君を想って、エンジは揺れる赤をゆたりと撫ぜる。青白い指先に巻き付く赤は、オオカミの意図を汲んだかのようにして。『君』はその内に潜ませた獰猛な毒の気配を微塵も感じさせぬまま、ひそりと静謐を保っていた。

「アリス、アリス、早く行け」
 ちらり。己の腰の高さに届くか届かないかというほどの小さな存在に、エンジは今一度視線を向ける。
 見知った金色の青年と黒耀の娘、その間に佇む少女が振り返る。
 未だ不安そうな色を瞳に滲ませた「アリス」。けれども、既に彼女は立ち上がっていたから。

 だから、まあ。きっとダイジョウブなのだろう。

「行きたくないなら一緒にバイバイ。コレのやるコトはどっちでも変わらない」
 放った言葉は、いつもの嘯きの延長線。
 己の言を少女が受け取ったかどうかを確かめる間もなく――凡そ、その気すらなかったのだろうが――彼の月は『悪意』へと視線を移す。

 鋭利な牙を剝き出しにして、我先にと向かってくる鬼の群れ。
 己より強大なオウガの加護が消えた今、あれらが何事もなく“ご馳走”を見逃そう筈もない。

 「アリス」も「猟兵」も、諸共に食らわんとする牙を前にして。
 ――スゥ、と。オオカミは、深く息を吸う。

 その動きを察知して、猟兵の一人が咄嗟に「アリス」の手を引いた。
 弾かれたように駆け出していく気配を後ろに感じながら、エンジは数多の『牙』を視界に捉える。此方を目掛けて一目散に飛んでくる草の鬼、極上の獲物を前に涎を垂らすオウガたち。

 来るならこいこい。今日は賢い君はお留守番、アレらの牙には万が一にも触れさせない。
 だからアレらは――コレが殺そう、そうしよう。

 息を。更に吸う、冷えた空気が肺に満ちる。
 此方に向かってくるアレらが、一斉に根を伸ばして来るのが視界に見える。
 あの根に捕われてしまえば最後、鋭利な牙が身を抉る事だろう――嗚呼、だが。

 知ったことか、そんなもの。
 全て諸共に弾き飛ばしてしまえば問題ない。

「――――“わっ!!”」

 直後。
 鼓膜を破かんばかりの音が、かの黒狼の身より放たれる。
 ビリビリと音を立てて震える空気、質量すら伴った振動の全方位全力放出。

 常人が受ければ耳から血を流しかねぬ程の刺激。けれど、あらまあ。
 アレらには耳塞ぐ手もない様子。可哀そうに、のた打ち回って苦しんで。

 弾き飛ばされ転がり回るオウガたちの姿を眺めながら、エンジの口がうっそりと弧を描く。
 こちらまで届かぬ牙に、どうして恐れを抱く事が出来ようか。
 うすらと開いた唇の隙間から、己の牙を覗かせて。飄々としたままに、月下の黒狼が嗤っている。

「さァさァ、大きな口の鬼さん鬼さん。コレとあーそーぼー」

◆◇

「――随分と、禍々しい花だこと」
 迫り来る鬼の気配を感じ取りながら。ぽつりと言葉を零したのは、「アリス」と共に駆けていた一人、耀子だった。
 後方より聞こえた獣の如き咆哮によって、随分と数は減っていたが。かのオオカミの接敵範囲を避けて来たのであろう群れの幾つかが、今にも彼女たちを捕捉せんと迫っている。

 程なくして硝子に映ったのは、根の生えた球根のようなオウガの姿。
 蠢く根もとげとげしい牙も、心安らぐ緑彩りの其れらとは程遠く――平らげるのに、これっぽっちの罪悪感もない。

 ――タン、と。言葉のないままに、耀子は一つ踏み込んで踵を返す。
 射干玉を靡かせ、足先は後方へ。「アリス」に追いすがるように地を這うオウガの群れ、其の只中へと。黒耀の娘は、一切の躊躇も迷いもなく駆けていく。

 自分が「アリス」の傍を離れても、まだ彼女を護る者は多く居る。ならば、耀子は己の得意な領分にて役目を全うするまで。
 花散らしの嵐とも云われる彼女の得手――すなわち、攻めの一手を。

「おまえたち、旅路を飾るには向かないのよ」
 ヴン、と。鋭い歯を備えた彼女の剣が音を立てる。
 低い唸り声を響かせて、並んだ三つ目が『花』を映す。

 嵐の前に散らぬ花はなく、草はひと時にて薙がれるが世の道理。
 其が、多少生きているからと言って何だ。多少の牙を持ち得ているからと言って、何だ。
 見える限りの何もかも。この剣をもって、すべて平らげてみせればいい。

「ここで全部薙がせて貰うわ――散りなさい

 ――白刃。
 何かしらの術と云う訳ではない。種も仕掛けもない純粋な刃、其の斬撃。
 其の、ただ一薙ぎで。蠢く根が切断され、開いた顎が上下に別たれる。
 ≪花剣≫の名のもとに。オウガ“だったもの”が、瞬きの間に薙ぎ払われていく。

  そう、文字通りの根絶やしに。
 幸運にも刃を逃れた個体がいたとして、追い縋ってきた別の群れが来たとして。
 嵐は幾度も巻き起こる。剥き出しの牙にも悪意にも、硝子映しの青に怯えが滲むことはない。

 数が多かろうが如何した。仮にあれらがこの嵐に慣れ、此方にその牙が届く様な事があったとて。
 何度でも、何もかも。斬り果たして終えば、それで良い。

「……道を、」
 道を、空ける。あの少女が、迷い惑いながらもようやく見出せた“帰り道”。
 未だ失われてはいないそれを、みすみすと埋めさせてなるものか。
 此度、己に課した仕事の末。ちゃんと彼女を見送るのだと、そのための道をつくるのだと決めたのだ。

 そうして、「アリス」が無事に『扉』に行き着いたならば。希わくは、その先で――。

「――きみの願いが、叶うと良い」

 ちいさく。祝をねがう、言の葉ひとつ。
 唸る嵐の最中にて、音に紛れるように溶けていった。

◆◇◆
 
 ――駆ける。
 「アリス」を追うオウガの群れから逃れるように。
 けれども、あくまで“少女”の負担にならぬ程度に留めた速さで。

 繋いだ小さな掌の主の息遣いを第一に考えながら、エドガーは『扉』への道を駆けていた。
 如何に急ぎの道とはいえ、猟兵としての身体能力を基準にしては少女の体力などすぐに底を尽きてしまうだろう。
 かの騎士を模した鬼の轍を踏まぬように。何より「アリス」を無事に送り届けることを考えるならば、一段と気を配らねばならない――共に在る者が、あらゆる痛みに鈍い己なれば、ことさらに。

「――おっと!」
 ちらと横目で少女の様子を窺い見た、その瞬間に。
 茂みより飛び出してきた“根”を視界に捉え、エドガーは反射的に身を滑らせる。

 グンと。「アリス」を狙って振るわれたオウガの根。しなる鞭のようなその動きは、しかし既の所で阻まれる事となった。
 根が捕らえるは彼の腕。一見にして華奢なその左腕は、異形の膂力により瞬きの内にでも折られてしまうかと思われた……が、しかし。

『――!!』
 悪寒、とでも言うべきだろうか。名状し難い感覚に襲われて、根を伸ばしたオウガの動きが一瞬止まる。
 ただ少し力を込めれば、この人間の骨など容易く折って仕舞えるだろうに。苛烈な“情念”にも似た何かの圧が、その一瞬を生み出した。

 ――かの青年が剣を抜くには、十分なひと時を。

 次の、間に。
 鋭い針のような剣先が弧を描く。それは彼の腕を捕らえていた根を、その先にあるオウガの本体までをも切り裂いて。次いで此方へ飛び掛かろうとしていた異形の舌先を貫いて、横目に見えた別の群れへと放り捨てる。

「アリス君に手出しはさせないよ。キミたちは、私が相手をしよう」
 アリスを背に庇うように立ちながら、エドガーは湧き出てきたオウガたちの位置を把握する。
 一つ一つの個体は小さく、力も弱いと見えるが。其れ等を各個で対処するには、どうにも数が多い。根を蠢かせ、生えた蔦を威嚇のようにしならせるオウガの群。球根のようにも見えるそれらを『禍々しい花』と称した友人の、先の言葉が頭を過ぎる。

  嗚呼、ならば。
 此方は、色褪せることのない、誇り高き花を贈ろうか。

 パッと。手にしていた細剣を、エドガーが手放すと同時。
 はらはらと。その剣先が、紐解くように崩れて――否。崩れていくかのように見えながら、その刀身を“花びら”に変容させていく。

 ≪Bの花茨≫。儚くも愛しき王女に由縁する茨の園、かの彩りを形造る花弁の嵐。
 青年と共に在る“彼女”のものではないけれど、同じくらいに誇り高い薔薇の花。

 その、吹雪く花嵐を前にして。
 彼の背に居た「アリス」が、思わずと言った風に息を呑む。
 きれい、と。小さく溢された声を聞き留めて、エドガーは柔らかく微笑んだ。

「――この花を振り返らずに、進みなさい。アリス君」
 視線は、花嵐の向こうに在るオウガたちへと向けたまま。
 そっと、青年は後ろ手に「アリス」の背を押すだろう。

「え、ぁ」
 戸惑うような少女の視線、躊躇う息遣い。それを背中越しに感じて、青年は一瞬だけその青い眸を後方へと滑らせる。
 細められた瞳には、出会った時から変わらずに。ひどく優しげな色が滲んでいた。

「キミは、扉の向こうへ進むべきだ」

  それは、少女が先に取り戻した願い。
 この先、何があろうとも。
 己が、同胞が。「アリス」を必ず『扉』まで送り届ける。
 だから、キミはただ、願いを見失わずにいてくれれば良い。

 そう後押しの意を込めて言紡いだ――次の、瞬間に。
 巻き起こる紅の嵐が。煌く青も、怪異も、何もかもを埋め尽くすようにして。
 道行く「アリス」の旅路を祝福するかのように、咲き誇っていた。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​

鷲生・嵯泉
語られる其の片鱗は娘の身の上を測るには十分だろう
無理に思い出さずとも良い
唯、其の心に今宿る想いを大事にする事だ

往くならば途を開いて呉れよう
……振り返らずに行け

お前達の相手は此方だ
空腹ならば好きなだけ刃を喰らわせてやろう
――妖威現界、益を示せ
向きや姿勢等から攻撃の方向と起点を計り先読み躱し
衝撃波を飛ばして初動を潰す
なぎ払いのフェイント絡めて隙を作り
怪力乗せた斬撃で以って一気に叩き斬ってくれる

待つのは痛苦と知りながら送り出さねばならない痛みより
……己が手に掛ける咎を選ばざるを得なかった程の想い
行為を肯定する事は出来んが
――世界を敵に回す事も出来る程に……大切だったのだろう
其れだけは、解らんでもない


穂結・神楽耶
どれだけ怖くても。
どれだけ辛くても。
何が待っているか、わからなくても。
踏み出した足を止めないというのなら、背を押すだけです。
さあ、足を止めないで。
ここはわたくし達に任せて行ってください!

という訳で、道を開けてもらいますよオウガ達。
輝かしき未来を摘み取る愉悦は甘露でしょうけれど。
それを阻んでこその我々です。
その未来を守るからこそのわたくしです。
どいていただけますか?

───ええ、力尽くで。

開く道は最短最速の一直線。
たったひとりのための帰り路。
例え暗晦深くとも、明けない夜などどこにもない。
さあ、夜明けを始めましょう。
一番暗い時間は、もう終わったのですから。

薙ぎ払います────【神掃洗朱】!



 ――刃が、閃く。
 暗晦を切り開くように、二振りの刀が揮われる。

 ひとつ。其の刀は、災禍を絶ち切らんとして。
 ひとつ。其の刀は、己の在り方を違えぬ為に。

 刀を手にした一人が、迷いし少女を背にして前に立ち。
 刀である一柱が、少女に寄り添うが如く横に立つ。

 今にも飛び掛かからんとする、無数の怪異を前にしながら。
 得物たる刀を握り、鋭い視線を前方へと向けたまま。鷲生・嵯泉(烈志・f05845)は、己の背にいる娘御が溢した言葉を思い返すだろう。
 語られた其の片鱗は、娘の身の上を測るに十分なものだった。
男が思うは、此の娘御と――彼女を手に掛けんとした、『扉』の先に居る誰かのこと。

 恐らくは。
 あの昏く、陽を隠されて久しい異界の地にて。
 此の娘御にも、彼女の云う「あのひと」にも。心の儘に生きる自由など、碌な“先”など与えられてはいなかったのだろう。領主と聞いて想起されるのは、今まで音に聞き、目にして来た非道の数々だ。
 力ある者によって戯れに生かされ、戯れに摘み取られる。あれはそう云った理が蔓延ってしまった世界だった。なれば、「御遣い」に選ばれた幼き命の行く末など、想像に難くない。

 決して。少女の身に起こった事柄は、肯定出来るような行為ではなかった。幼き心に深く傷を刻み、それ以上に「あのひと」自身の魂も疵付く事を避けられぬであろう行いだった。
だが、それでも。

 ――世界を敵に回す事すら、厭わぬ程に。

「……大切、だったのだろうな」
 其は、小さく。息に紛れるほど密やかに。
 独口の様にして零された言葉は、きっと少女の耳には届かなかっただろう。
 けれども、何かを感じ取ってだろうか。「アリス」が不思議そうに此方を見上げる気配に、嵯泉はちらと其方を見遣る。

 片の瞳が、娘を見る。煤けた頬、痩せぎすの身体。腰まで伸ばされた髪は、道行きにてだいぶ乱れてしまっていたけれど。それでも長さを整えられた毛先を見れば、此の娘は慎ましいながらに“愛されていた”のだと見て取れた。

 待つのは痛苦と知りながら、送り出さねばならない痛みより……己が手に掛ける咎を選ばざるを得なかった程の、其の想い。
 ――其れだけは、解らんでもない

 ひとつ、息を吐いて。嵯泉は少女へ言葉を向けようと口を開く。
 語る言葉を多くは持たぬ身なれども。だからこそ、その音には至心の響きが込められて。
「過去を、無理に思い出さずとも良い。唯、其の心に今宿る想いを大事にする事だ」
 低く、紡ぐ。言の葉を口にしながら、嵯泉は再び前を向く。
「往くならば途を開いて呉れよう。……振り返らずに行け」

 その、言葉を聞いて。
 ふ、と。穏やかな笑みを溢したのは、穂結・神楽耶(あやつなぎ・f15297)だった。
 少女の傍らに寄り添った彼女もまた、其の手に刃を握りこそすれ。ひどく柔かな雰囲気を纏ったまま、己が心を贈らんと「アリス」に向けて語り掛ける。

「ええ。どれだけ怖くても、どれだけ辛くても。この先に――何が待っているか、わからなくても」
 神楽耶にもまた、少女の語る過去の経緯の凡そを察することが出来ていた。
 きっと。「アリス」の行く先は、ただ明るいものではないだろう。
 辛くて、苦しくて。いつか今日の日に“絶える”ことを良しとしてしまうような、そんな先が来てしまうかもしれない。
 それでも――今、この時の少女が。前を向くのだと、決めたのならば。
 神楽耶は、ただ。願いに応えるべく、己を揮うのみなのだから。

「踏み出した足を止めないというのなら、わたくしは背を押すだけです。貴女の行く先を、切り開いてみせましょう」
 さあ、と。明るい声音と共に、神楽耶は少女の背に手を添えた。
 彼女を見上げた「アリス」の瞳に、神楽耶の顔が映り込む。
 そのかんばせには、どこまでもひとを慈しむような笑みが、浮かべられていて。
「足を止めないで。ここは、わたくし達に任せて行ってください!」

 とん、と。優しく背を押し出された少女の、その後ろで。
 二つの影が、夥しい数の『悪意』と相対していた。



「――という訳で。道を開けてもらいますよ、オウガ達」
 駆け往く少女の足音を聞き留めながら、神楽耶は改めてオウガの群れへ向き直る。
 目を出した種子のような、根の生えた球根のような。植物を模しているのだろう怪異達は、未だ「アリス」を狙っているのだろう。彼女への道を遮るかのように、神楽耶はひとつ、前へと踏み出した。
 男と刀が並び立つ。互いに視線が交わることはなく、その視線も切っ先も、鋭いままに怪異へと向けて。
「輝かしき未来を摘み取る愉悦は、甘露でしょうけれど」
 焔を映す瞳が、其を見る。己の欲がままに、無垢な少女を餌とするオウガたち――人を脅かす『敵』の姿を、正面から見据えている。
「それを阻んでこその我々です。その未来を守るからこそのわたくしです。……どいていただけますか?」

 ───ええ、力尽くで。

 刹那。
 場の空気が変質する。暗く沈鬱なばかりだった気配が、まるで燃え焦がれたかのように、熱く揺らめいて。目前のオウガ共を圧倒させるほどの苛烈な気が、神楽耶の身より放たれる。

 其れを受けて、隣立つ男はチラと神楽耶の姿を一瞥する。
 彼女の根幹たる焔を思わせる気配、覚えのある其れ。刀の纏う気の変化を、嵯泉は直感的に理解していた。
 ビリビリと肌を撫ぜる“破滅”の予兆を感じ取りながら、男は薄く口を開く。
「――時間は」
「三十もあれば充分に」
「そうか」
 交わす言葉は、短く。そして、それ以上を必要とはしなかった。
 ザリ、と。男がさらに一歩、前に出る。
「お前達の相手は、此方だ」
 刀を向ける。切っ先を鬼の一つへ向ければ、相対するオウガもまた牙を剥き出しにして威嚇を返した。純然たる殺意が交錯する。
「空腹ならば、好きなだけ刃を喰らわせてやろう――妖威現界」

 相応の益を、示せ。

 ――ダン、と。
 一際大きく地を踏み締めて。先に動いたのは男の方であった。

 手にした一刀を振り抜く、其の間際。刃に添わせた左手の薄皮を裂いて血を“注ぎ”込む。
 血を喰らう刀は、人外の力を得るだろう。天魔鬼神を宿すした刃、其の一閃。その一振りは風すら巻き起こし、殺気を伴わせた圧がオウガ達へと叩きつけられる。
 グシャリ。響く鈍い音、手前に居た幾つかの鬼が潰れた。その牙に一欠片も肉を咥える事なく、無様にも顎を開いたままに絶えたオウガたち。其の上を飛び越えて、二陣目の個体達が飛び掛かってくる。だが。

「――弱いな」
 弱い。勢いも、殺気も、策も、何もかも。
 地の上なら機動力もあろうが、空中に飛んで仕舞えば其の利点も死ぬ。直線的な軌道、変化があるとすれば伸縮する根か蔦のみ。しなる其れ等に気を割きながら、まずは一つを叩き斬る。
 次。右斜め上に開いた顎門、左側面より鞭が如き蔦。
 左足を半歩下げ、直ぐ様に蔦へ刀を振り下ろす。勢いのまま屈み込めば、顎門は空を喰むに留まった。
 身を捻る。刃を翻す。間を置かぬ振り上げ、狙うは空中にて獲物を捉え損ねた其れ。
 手応え。肉斬りにも似た感触。真っ二つに裂かれた其れを一瞥だけして、男は直ぐに呼吸を整えた。
 気配。左斜め下――ちょうど、嵯泉の死角となる位置。剥かれた牙、同時に根が伸ばされる。死角を狙った其は、男の首を捕らえようとして……否、否。身をずらした男によって、根は他愛もなく避けられる。死角だからこそに問題はない、常に気を割いている。
 半ば反射的に、嵯泉は開かれた顎門に刃を突き刺さした。同時に理解する、是らは“死角”を突こうとするほどには知性があるらしい。なるほど、なれば遣り様もあると云うものだ。

 チラ、と。嵯泉は束の間に、後方にいる同胞へと視線を移す。
 今し方の攻防はひと時のものであったが。神楽耶は気の一切を此方に向ける事なく、ただ只管、己の詠唱に集中しているようだった。
 あれは恐らく、詠唱の長さに応じて力を増す種類の業だ。襲撃に動揺する事もなく、ともすれば警戒の気配すら見せずに。一心不乱に術を編む神楽耶の姿は、ある意味で嵯泉の予想通りのものでもあった。

 此方に一分の隙もなく信を置いておきながら。其の上で、息をするように覚悟を抱いている。
 あれは、そういう『娘』であったから。

 時は二十と一。三十まではあと少し。
 そう思考したと同時に――ふ、と。刀の持ち手である右腕の力が抜ける。
 否、力を抜いたのだ。遺憾なく膂力を発揮していた代償として、疲弊を表すかのように。
 そうすれば。あの腹を空かせた鬼共は、間違いなく『餌』に喰いつくのだから。

 案の定と云うべきか。未だ形を保っている個体のほとんどが、目の色を変えて嵯泉へと其の牙を向ける。本名である「アリス」でこそないものの、人の血肉は彼らにとって極上の馳走である故に。
 ……だから。あまりにも愚直な“欲”に支配された其れらは、己の終わりに気付けない。

「ええ、ええ。充分です」
 高く。鈴鳴るかの様な声が、響く。

 『其れ』はずっと、己の刃を研いでいた。
 『彼女』はずっと、内なる焔を燃やしていた。

 しかと見据える。いつかの焔を焼き付かせた瞳が、鬼を視る。
 悪意の一欠片とて、逃しはしない。あの少女の、愛しき子の行く末を、妨げさせてなどなるものか。

 開く道は、最短最速の一直線。
 たったひとりのための帰り路。
 例え暗晦深くとも。明けない夜など、どこにもない。

「さあ、夜明けを始めましょう」
 其の刀には、焔が宿る。何処までも追いかける破滅の朱。
 何もかもを燃やし尽くす災禍が、今ばかりは路を『創る』ために揮われる。
 この夜を切り裂く、暁の一刀を。明けの空を、道行く彼女に贈ってみせよう。

 あの少女にとっての一番暗い時間は。
 もう、終わったのだから。

「薙ぎ払います───神掃洗朱!」

 ――直後。
 森を、空を裂かんとするほどの斬撃が。
 群がるオウガの悉くを葬り去ったのだった。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

冴木・蜜
ああやっと
貴女とお話が出来ますね

大丈夫
貴女のことは護ります
だから、どうか――私たちを信じて下さい

アリスの安全を最優先
彼女に寄り添い守ります

体内毒を濃縮
アリスを『盲愛』し
彼女の傷を癒し
あらゆる攻撃から庇います
身体を液状化してでも
負傷しても構いません

アリスの脚には傷がありましたね
歩くのも大変でしょう
簡単な治療をしましょうか

私は嘗て信じた親友に裏切られた
それでも彼を憎めなかった
どうして、と
それが私の胸に残って

だから…状況は違うけれど
貴女の辛さは何となくわかる気がする

貴女の選択がどうであれ
私は貴女に後悔しないで欲しい

過去は変えられない
でも未来は自分で決められる
どうか自分を信じて下さい



 向けられたたくさんの言葉に、背を押されるかのようにして。
 「アリス」たる少女は一歩、足を踏み出した。
 その足取りは覚束なく、弱々しいものではあったけれど。彼女の小さな足先は、確かに『扉』へと向けられている。

 怖い、と。歩み始めた今でも思う。
 思い出せる記憶のそれも、あのたくさんの牙たちの存在も。
 それでも、ひとつ。「アリス」である少女は、もう“願って”しまっていたから。

「――っ!」
 音。ざわざわと、森の茂みを揺らしながら何かが這い寄ってくる音がする。
 きっと、さっきのオウガたちのものだ。直感的にそう判断する。
 四方八方から、ガサガサと。森の中を蠢く音の出どころを判別することは出来なかったが、おそらくまた相当な数が居るのであろう事は少女にも想像がついていた。
 緊張が走る。冷えた汗が流れ落ちる感覚。ばくばくと心臓が音を立て、瞬く間に恐怖が全身を巡っていく。今にも崩れ落ちてしまいそうな足を、「アリス」は必死に奮い立たせた。
 じり、と。震えながらもなんとか身体を動かそうとして、少女の足元で小さく音が鳴った――その瞬間だった。

「――!」
 茂みからオウガが飛び出してきたと、同時。
 真っ白な布地が、はためいて――グチャリ、と。
 鋭い牙が、獲物に突き刺さる音。けれど、それは鬼が好むような『肉』ではなく。肉体を模した『粘度を保った液状の何か』を食んでいるのだと、噛み付いたオウガは違和感を覚える。
 だが、驚きに動きを止めたのも一瞬のこと。「アリス」を食らう邪魔をするならば容赦はしない。肉だろうが液体だろうが、捕食してしまえば問題はない――と。

 『液体』を捉えた個体が、グッと、食い込ませた牙にさらに力を入れる。
 それが、致命的なまでの“間違い”だった。
『――ギ、ギァッ!』
 耳劈く高音。金切るような声は、獲物を捉えた筈のオウガより放たれた。
 ジュウジュウと、鬼の口から煙が上がる。牙が融ける、舌が焦げる。己の内が“爛れている”のだとオウガが自覚したのは、何もかもが手遅れになった後だった。

 融けた牙では獲物を捉え続けることもままならず。力無く顎を開けば、支えを失ったオウガはそのまま地面へと落ちていく。
見る間に融けていくその姿を、白衣の男――冴木・蜜(天賦の薬・f15222)は束の間に一瞥した。
 目の前でのた打ち回っているこの鬼の苦しみは、蜜の毒が齎したものだ。今にも死に逝く“それ”に噛まれた箇所を、蜜はそっと白衣の上から押さえる。
 ドロリ。白衣の下では、彼そのものである黒血が形を保てずに崩れかけていた。

「っぁ、あの」
 ふと。震えながらも溢された声を拾い上げて、蜜は其方に視線を向ける。
 硝子越しに見遣れば、今しがたあの牙より庇うようにして背にしていた少女が。負傷した蜜を、恐る恐ると言った風にして見上げていた。
 怯えさせてしまっただろうか、との懸念が蜜の頭を過ぎり――程なくして、気付く。
 少女は、突然の事に身を震わせこそすれ。彼女の瞳に浮かんでいるのは、紛れもない“心配”の色だ。

「……大丈夫、大丈夫です」
 言い含めるように、繰り返す。きっとまだ『ひと』が怖いだろうに、それでも己へ心を砕いてくれる彼女を、少しでも安心させてあげたくて。
 鈍く訴え続ける腕の痛みを感じながら。けれど、蜜はとろりと微笑みを浮かべてみせる。
「貴女のことは護ります。だから、」
 言葉を続けながら、蜜の脳裏を過るのは先に邂逅した時の事。
 あの騎士のようなオウガに引き摺られ、言葉を交わすこともままならず。
 この月夜の森にて、翻弄されるばかりであった少女。
 憂いを含んだ『雨』は未だ止まず。まだ蜜の、「アリス」の頬を濡らしている。
 ……嗚呼。噛まれた箇所が、服で隠れる場所で良かった。見目にも明らかに崩れてしまえば、己は彼女に“安堵”すら与え難かっただろうから。

「だから、どうか――私たちを信じてください」
「……、」
 言葉は、なく。
 けれども。ぎごちないながらに頷きを返した少女に、黒油はゆるく破顔したのだった。



「――すみません。少しだけ、失礼します」
 オウガ達の追跡から逃れるようにして、少しばかり移動した先。
 頃合いを見て、蜜は「アリス」の脚を治療したいのだと申し出た。
 オウガに無理矢理に連れ回されていた時に出来たのであろう脚の傷。初めて遭った時から、ずっと気掛かりであった其れ。
 歩くのも大変でしょう、と。昏い紫眸に痛ましげな色を浮かべながら、蜜は“自分自身”である毒の濃度を弄ってみせる。
 ≪盲愛≫。あらゆる生命を融かす致死の蜜毒を、体の中で凝縮させる。数多を凍らせた血のひと雫が、絶えた息吹を取り戻す呼び水となったように。蜜の毒は、今こそ彼の望み通りに発揮されるだろう。

「……貴女と。お話が出来たらと、思っていたんです」
 ぽたりと。「アリス」の脚に落とされた雫が、彼女の傷を癒していく様を眺めながら。
 俯いた姿勢のままに、蜜は徐ろに口を開く。
 彼女のことを聞いた時から。ずっと、言葉を交わしてみたいと思っていたのだ。
 大切なものに裏切られたのだという少女。先程まで森に満ちていた、心を押し潰さんばかりの狂気の源とまでなっていた彼女の嘆き。
 あれほどの絶望を抱えてしまった少女のことを、その境遇を。蜜はどうしても、他人事だとは思えなかったから。

「おはな、し?」
「ええ。貴女の話を聞いてみたかった。――伝えたかったことも、ありましたから」
 不思議そうに蜜を見上げる「アリス」へ、彼は少し不恰好な笑みを浮かべてみせる。
 へにゃりと、元々下がりがちな眉が八の字を象って。血の気のない唇が、続く言葉を探してか薄く開いて閉じてを繰り返していた。

 ――やがて。
 少しの間を置いてから、蜜は再び言葉を落としていく。
 どうしても脳裏に蘇る過去を思ってだろうか。その瞳を、ほんの少し翳らせて。

「……私、は」
 毒が、語る。
 嘗て。己は信じていた親友に、裏切られたのだと。
 深く傷ついた。齎された結果に絶望して、ひたすらに後悔を繰り返して。
 どうしようもない嘆きの底に沈澱しながら。それでも親友を、『彼』を憎むことすら出来ぬまま。

 ただ――「どうして」と。
 永遠に解を失ってしまった疑問だけが、ずっと。
 化ケモノの心に、残り続けて、いて。

「……だから、と言うべきなのでしょうか。詳細な状況こそ違いますが、貴女の辛さは何となくわかる気がするんです」
 少女の治療を終えた蜜が、立ち上がる。
 次の“群れ”が近づいてきた気配を感じ取ってか、レンズ越しの瞳が鋭く細められていた。
「あ……」
 再び鳴り始めた『音』に反応して、「アリス」もまた肩を跳ねさせる。
 びくりと身を震わせた少女を庇うようにして、蜜は今一度彼女の前に立っていた。
「貴女の選択がどうあれ。私は、貴女に後悔しないで欲しい」
 どれだけ悔やんでも、身が潰れしてしまうほどの悲しみを抱いても。
 過去を変えることなど、出来はしない。出来てはならないのだと、過去から湧き出る骸が示している。

 けれど、それでも。
 その生を諦めない限り。
 手を、伸ばし続ける限り――きっと。

「どうか――自分を、信じて下さい」

 望む『未来』は。まだ見ぬ『先』は。
 自分で、決められるはずだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​

狭筵・桜人
矢来さん/f14904

なるほど、話が見えてきましたね。
彼女に声をかけたところで
死に方を選ばせるだけかもしれませんが――

放っといて良いだなんて冷たいなあ。
でも、そうですね。私たちは草刈り担当で。
……だから私のことはいいですって。
あなたこそ、また具合悪くなっても知りませんからね。
ああもう、こっちもこっちで世話の焼ける。
今回は私があなたに金を払って連れて来てるんですから!
無傷で帰るオーダーです。聞いてないなら今言いました。
それくらい出来ますよね、矢来さん?

もう仕方ないなあ。――『怪異具現』。
自由に形状が変わる『影』のUDCを貸してあげます。
斬ってよし投げてよし。必ずあなたの“影”に戻ってきますよ。


矢来・夕立
狭筵さん/f15055

お金を取れそうな相手でもないんで、放っといて良いですよ。
彼女へ真摯に向き合うひとは大勢います。

…それより、そちらに異常はありませんね。
ないなら結構。いつも通りテキトーに茶々入れてくれればイイです。
無傷とは無茶振りですが、無理と言うのはウソになる。
誰が一人で前衛張ってきたと思ってるんですか。

武器になりそうなUDCがあれば貸してください。
大きな敵には大きな得物が要るので…ああ。これはよいですね。
鎌にも刀にも、盾にも囮にもなる。
扱い慣れない形状でも問題ないでしょう。
いっときでもオレが持ち主なら、死なせないよう頑張って補佐してくれるはずです。
標がなければ、影は生まれませんから。



 月夜の森を抜けた先。木々の開けた空間――『扉』の前にて。
 ぽつんと佇んだ影が、二つ。雨粒に身を晒しながら並んでいた。

 一つは夜闇に融けるかのごとくに昏く。
 一つは春に咲き誇るかのように明るく。

 どうしたって違う色を背負った二つの影は、けれども当たり前のように並んで其処に居た。

「ねえ、矢来さん」
 軽い調子で口を開いたのは、狭筵・桜人(不実の標・f15055)だった。
 桜人は、春色の髪を揺らせながら隣立つ影へ――矢来・夕立(影・f14904)へと声を掛ける。
「聞いてました? さっきの子の話」
「……あの少女の?」
 視線を向けぬままに答えれば、桜人もまた気にした風もなく。
 夕立の反応に慣れた様子で頷きながら、桜人は言葉を続けていく。
「ええ、あの『アリス』さん。彼女の居た村ね、『領主様』に守って貰っているんだそうです」
 そして、定期的な御使い――もとい、貢物を献上しているのだと。
 遠目ながらに聞こえた話を掻い摘みながら。桜人はふ、と溜息を吐いていた。
 話が見えてきましたね、と。かの「アリス」の境遇を慮ってだろうか。吐く息には、何処か憂鬱げな色が滲んでいる。
「どうしたものですかね。きっとあの子、そう遠くないうちにやって来ますが」
「どう、とは?」
「まあ、ですから。どう彼女に声をかけましょうか、みたいな……」
 ただ。自分たちが声を掛けたところで、結局は死に方を選ばせるだけかもしれませんが――と。
 頬に張り付いた髪を手持ち無沙汰に弄りながら続ける桜人を、夕立はチラと視線のみを動かして一瞥する。
 夕立の位置からは、髪が邪魔になって桜人の表情を窺うことは出来なかった……が。夕立は不思議と、彼のかおがどんなものか、見ずとも分かる気がしていた。特に根拠がある訳でもない。ただ、本当に、何となく。

 “だから”。夕立は、至っていつもの様に言葉を返すだろう。

「別に、如何とも。お金を取れそうな相手でもないんで、放っといて良いんですよ」
 はたから聞けば、まるで守銭奴の様な物言いだった。
 淡々と、小気味良いほど明け透けに。嘘と真の差異を極限まで無くすのは、彼の得意分野でもある。
「彼女へ真摯に向き合うひとは大勢います。それに、」
 す、と。夕立の視線が、先に抜けて来た森の向こう――生い茂った木々の方へと向けられる。
 赤の双眸が映すのは、茂みより出てきた件のオウガ達だった。一つ二つ、三つ……続々と姿を顕す鬼共は、見る間に両手指の数を超えていく。
「――此方の領分は、別にある」
 直ぐ様に仕事モードへと切り替えた夕立の姿を、横目に見ながら。
 桜人は「……全く」と、再び小さく息を溢していた。滲むのは呆れの色と――何処か、楽しげにも見える、笑みの色。
「放っといて良いだなんて冷たいなあ。……でも、そうですね。私たちは草刈り担当で」
 さあお仕事です、と。ぐっぐっと軽い屈伸運動の様な動きをしながら、桜人もまた姿を現し始めたオウガ達へと意識を向けた。
とは言え、此度もまた自分はサポートに回るのだろう。前衛で暴れ回るのは、隣のヤツの専売特許である。
「ああ、そういえば」
 ふと。わらわらと湧き出てきたオウガ達の位置を個々に把握しながら、夕立は思い立ったとでも云う風に桜人に声を掛ける。
「一応伺っておきますが。そちらに異常はありませんね、狭筵さん」
「……だから、私のことはいいですって。異常も何もないですよ」
 どこか苦虫を噛み潰した様な表情で、桜人が答える。「至っていつも通りですけど」と続ける彼に、夕立は満足げに頷いてみせた。
「ないなら結構。いつも通りテキトーに茶々入れてくれればイイです」
「茶々ってなんですか、茶々って。あなたの方こそ、また具合悪くなっても知りませんからね」
 ぷい、と。まるで拗ねてみせるかのように頬を膨らませる桜人に、夕立は軽く言葉を返そうとして……開きかけた口を、閉じる。
 ――『そうしたら、連れて帰ってくれるんでしょう』とは。頭に過ったものの、結局口には出さなかった。そんな夕立の思考を知ってか知らずが、桜人は「ああ、もう!」なんてふて腐れた雰囲気のままに、文句染みた科白を口にする。
「あちらも大変そうですが、こっちもこっちで世話の焼ける……今回は私があなたに金を払って連れて来てるんですから! 無傷で帰るオーダーです、良いですね?」
「……無傷ですか。初耳ですね、契約にそんな項目ありましたか?」
「ええ。もしも聞いてないなら、今言いました――それくらい出来ますよね、矢来さん?」
 不機嫌を滲ませた仕草から一転、どこか揶揄を含んだ声。まるで相手を試すかのような桜人の問い掛けに、ピクリと夕立の片眉が上がる。
「……」
「……。……あの、せめて何か答えてくださいよ」
「いえ。言うようになったものだな、と」
 思いまして。等と感慨深そうに続けた夕立に、桜人は再び苦虫を潰す羽目となった。この男、すっかり調子を取り戻しつつあるじゃないか。
 別に弱ったままでいて欲しいなどとは思わないが、せめてもっとこう……良い感じに中間のマイルドさを発揮してくれたりはしないものだろうか。事ある毎に極端なんだよなあ、と桜人は様々な経験を振り返りつつ思う。

 一方で夕立はと言えば。今し方に桜人から受けたオーダーを反芻し、改めて群がるオウガ達へと向き直っていた。
 大まかな数と位置取りは把握した。個体ごとの戦力差は無いようだから、下手を打って囲まれない限りは大事に至らないだろう。ただ、万全を記すには“もう一押し”が欲しいところか。
 仕方ない、とでも言いたげに一息ついてから。夕立は『依頼主』へ了承の意を示す。
「分かりました。ではその上で一つ、武器になりそうなUDCがあれば貸してください」
「ハァ。武器に、ですか?」
「『依頼主』の期待に応える為ですよ。大きな敵には、大きな得物が要るので」
 やや強調されたような呼称は、どうしてか妙なむず痒さを覚えるものだった。
 それはそれとして、この男の言うことにも一理ある。桜人だって、最大限サポートを尽くす気ではあるのだ。何せそういうオシゴトだし。
 とは言え。どう足掻いたって同じ土俵には立てないだろうと思っていた彼に、こうも素直に頼み事をされる日が来るとは思わなかった。それも同じ日に、連続して。

 ……今だって、この暴力の塊と己が対等だなんて決して思わないけれど。
 力の差は歴然。思考も手段も程遠く、たぶん細かな趣味だって合わないだろう。と言うか、趣味どころかこの男の好みすらほとんど知らないのだけど、と桜人は思う。
 いちごと比べたらメロンが好きで、飲み物は珈琲を選ぶ姿を多々見る。鮫がゾンビになっている映像ではしゃぎ、メイド服は着せるより着るタイプ。あと二輪のハンドルを握らせてはダメな人種で……いや、ロクなことしか知らないなと桜人は思考の途中でかぶりを振った。
 しかもこの男、今挙げた幾つを「ウソですよ」とのたまうやも分からない。息をするように嘘をつき、ついでとばかりに首を斬る。これはそういう人間だった。
 自称悪党で、合理的で、ビジネスライクを良しとするようなひと、だった筈だ。ならば、其のまま此方を一方的に利用してくれれば良かったのに――この影はどうも、虚をまるで温度のあるいきものであるかのように扱うから。

「もう仕方ないなあ。――使い勝手云々、あとで文句は聞きませんからね」
 小さく、溜息混じりに呟いて。
 桜人はトン、と爪先で地面を、地に写った己の影を軽く叩く。
 途端に。地面から鎌首をもたげるようにして起きあがった“影”が、ズルズルと夕立の下へと移動する。
 虚に与えられた数少ない権限、≪怪異具現≫。――こんなものでも、自分が手を貸せると云うならば、それで。
「形状は自由に変わりますが、本質は『影』です。斬ってよし投げてよし、どうあれ必ずあなたの“影”に戻ってきますよ」
 夕立の足元に移動した“影”が、ぐるりと彼の腕に巻きついていく。
 彼の右手を我が物顔で陣取ったそれは、暫く広がったり縮まったりを繰り返して。最終的には、大きな“鎌”にも似た形に収まったようだった。
「どうぞ、役立たせてくださいね」
「――上等です」
 ヴン、と。夕立はひとつ、手に馴染ませるように“鎌”を振ってから――次の、間に。
 『扉』へと集まってきたオウガ達の群れ、其の最中へと飛び出していった。



 一つ、振る。“鎌”の刃が鬼を斬る。伸ばされた蔦も根も諸共に、一振りにて薙ぎ払う。
 二つ、振る。飛び掛かってきた牙を“盾”が防ぐ。牙に焦点を当てることで、不定形による守備値の低さをカバーする。直ぐ反撃に転じれるのも勝手が良い。
 三つ。大振りの刃を掻い潜ってきた個体に反応して、“影”が瞬く間に凝縮した。馴染み深い“刀”の形を取ったソレを揮う。一刀、竜壇。潔い迄の真っ二つ。
「……ああ。これはよいですね」
 近づくものあらば“刀”となり、距離があるものには“鎌”となる。
咄嗟の“盾”にも、身代わりの“囮”にも。汎用性の効く“影”は、夕立にとって随分と相性が良さそうだった。状況によって形を変化させると言うのも、普段に己が千代紙を通してやっていることとそう変わらない。
 まあ、“鎌”と言うのはあまり扱い慣れない形状ではあったが。不慣れな間合いではあるものの、“盾”や“囮”といった手段があるお陰で危うい場面はほとんど無い。
 いっときでも主となったものを、死なせないように頑張ってくれているのだろう。桜人から借り受けたUSCは、実に素直に夕立の云うことを聞いていた。

 ……それもそうか、なんて。夕立はどこか他人事のような感想を抱く。
 何せ――“標”がなければ、“影”は生まれないのだから。

 ――『無傷で帰るオーダーです、良いですね?』

 ふと。“鎌”を振りながら頭を過るのは、先の桜人の言葉だった。
 無傷で、などと。この数相手に一人、無茶振りにも程がある注文だ。別に捨て身を前提とした戦いをするつもりも更々ないが、動きに制限が生まれてしまうのもまた事実。加えて、あの『無傷』とは恐らく“首斬り”も傷と含めた発言だろう。彼はあれを見る度に、どうにも痛ましげな顔をする。
 全く。追加注文の多い『依頼主』だ。……だが。

 ――無理と言うのは、ウソになる。

 刃を、揮う。足元を狙ってきた蔦を串刺し縫いとめて、頭上に飛んできたオウガを屈んで躱す。
 “影”を変化、穂先の入替。空振ったままに背を見せた個体を竜壇し、次いで横から根を伸ばそうとしたヤツを先んじて斬り払う。
「誰が、一人で前衛張ってきたと思ってるんですか」
 先の森では、随分な様を晒してしまったようだから。
 せめて、己の領分では期待には応えてみせなければ気が済まない。

 ……“  ”だから。などと、彼は言うつもりはない。きっと、思ってもいないだろう。
 だが、まあ。
せっかく、“  ”の前なのだから。
 少しばかりは良い格好をしたいと言うのも、在り来りな青年の思考ではなかろうか。

 ――そうして。
 “影”が振われていく様を、桜人は離れたところで見つめていた。
 手には、支給品の銃を握ったまま。討ち漏らしの個体が出れば牽制くらいは出来るだろうか、なんて思ってはいたものの。一騎当千もかくやと言った男の立ち回りは、オウガ達の意識を留めるに十分なものだったらしい。
 完全に緊張を解いてこそいないものの、どこか気の抜けた佇まいのまま、桜人は『扉』の横に立っていた。まあ物量戦は己の専売特許ではないので、収まるところに収まったのだと言うべきか。

 琥珀の瞳が、“影”を見る。素人目ではあるが、今のところ危うげな場面も見られない。
「――役に、立ってくださいね」
 ぽつりと。溢した言葉は、自分と故郷を同じくするUDCへ向けられて。
 独りごちるような呟きは、誰に聞き止められる事もなく。
 雨と喧騒と最中に、紛れていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

ジャック・スペード
●*

……帰る場所が有るのは、良いことだ
逢いたいヒトが居るのなら
胸を張って帰ると良い
きっとそのヒトも
アンタの「ただいま」を待っている

俺に言えることは多くないが
路を開き、その背を押すことは出来る

だから、オウガ達からアリスを守ろう
彼女を庇うように立ち回り
飛んできた攻撃はシールド展開し防ぐ

冷気を纏った涙淵を振り回し
その衝撃波で、寄って来たオウガ達を凍らせたい

取り零しは各個撃破
銀の弾丸を思い切り撃ち込んで
その身を薔薇妃の苗床に
ついでに蔦で物騒な口も塞いでやる

アリス、どうか後悔の無いように
アンタの願いが、此処まで路を切り開いたんだ
細やかなこの冒険が、その道行きに勇気を与えてくれることを願っている


揺歌語・なびき
迷子が帰りたいと思ったなら
その帰り道へと
送ってあげるのが大人の仕事だよ

己に催眠術をかける
瞑って、醒めて、獣を起こす
成りたくないと怯える癖を
忘れてしまえと、今だけは

彼女よりも先に扉へ駆ける
怖がらせたくないからねぇ

己の勘で潜む敵を見つけ出し
常に先制できるよう身を隠しつつ
群れた球根に素早く飛び掛かる
【目立たない、第六感、野生の勘

爪で裂いて、牙で砕いて
二度とこいつらが彼女を喰らわぬよう
【鎧無視攻撃、だまし討ち、傷口を抉る

だいすきな人のところに
彼女は帰っていいんだ
その為の遠吠えならば
あの子もきっと泣かずに赦してくれる

ただいまを言えたなら
おかえりと
彼女の名を呼んでくれることを
おれは信じている

信じたいのだ



 声を、聞いた。
 呼ばれたいのだと。会いたいのだと。――帰りたいの、だと。
 ちゃんと言葉にして願えた「アリス」の声を。

 なれば。彼らが力を尽くさぬ理由など、どこにもなくて。

「……帰る場所が有るのは、良いことだ」
 低く、無機質な――それでいて、ひどく穏やかで落ち着くような、声。
 其の声は「アリス」の頭上から溢された。少女が視線を上げれば、ジャック・スペード(J♠️・f16475)の金色の双眼と目が合うだろう。
 あのオウガ達から護るようにして、「アリス」と共に道を行く一人。ジャックは其の巨躯と硬さを以ってして、彼女の盾となるように動いていた。

 『扉』へは道半ば、といったところだろうか。
 襲撃してきたオウガ達の残党へトドメを弾を打ち込みながら、ジャックはセンサーを巡らせて周囲を走査していた。
 この森を抜けた先、開けた場所に敵性反応が密集している地帯がある。
 反応したものの幾つかは次々と消失しているようだったが、それと同等か、もしくは上回るほどのスピードで“集まってきている”のが感知できた。
 恐らくは「アリス」を待ち伏せしようと群がっていたオウガと、其れを狩ろうとする猟兵達の間で攻防が繰り広げられているのだろう。きっと、『扉』もそのすぐそばにある筈だ。

 多くの同胞の協力もあり、「アリス」に無理をさせる事もなく順調に進んでいる。
 少女の体力を考慮して、ジャックは一度その歩みを止める。息を整えるようにと促せば、「アリス」はふっと身体の力を抜いて。そのまま、ぺたりと力無く地面に座り込んでしまった。
 おそらく、緊張の糸が切れてしまったのだろう。此処まで逃げ通しだったのだ、無理もないとジャックは思考した。

 そうして。
 少女が息を落ち着ける間に、ジャックは言葉少な乍らに声を掛けたのだ。
 荒い息を整えていた「アリス」が、彼を見る。少女のまぁるい瞳に、無機質な己の黒が映り込む。

 己は。少女の言う「あのひと」の様な存在を知らず、彼女が語った事柄の全てを理解出来てはいない。
 己では、きっと。真にヒトである「アリス」の心に寄り添うことなど、出来ないのかもしれない。
 ――だが、それでも。

「逢いたいヒトが居るのなら、胸を張って帰ると良い」

 ヒトの温度を持たぬ、鉄の己でも。
 其の背を押すことは、出来るから。

「きっとそのヒトも。アンタの『ただいま』を待っている」
「――!」
 目を見開いた「アリス」に、彼は精一杯の“想い”を込めて頷いた。
 鉄で覆われた面の下。外に表れぬ口元が、緩やかに弧を描く。

 そのやり取りを、灰緑の青年――揺歌語・なびき(春怨・f02050)もまた、近くで聞いていた。
 座り込んでしまった少女に、視線を合わせるようにして。ゆっくりとしゃがみ込んだなびきは、目をぱちくりと瞬かせるばかりの「アリス」へと、ゆるく笑いかける。

「……そうだね。きっとそうだ」
 きみが『ただいま』を言えたなら。その人もきっと『おかえり』をくれるだろう。
 迷子が帰りたいと思ったなら。その帰り道へと送ってあげるのが、大人の仕事。
 きみを送り届けることに、おれたちは全力を尽くすから。

「だいじょうぶ」
 だいじょうぶ。声には出さずに、もう一度繰り返す。
 彼女に言い聞かせるように、己に言い聞かせるように。
 大丈夫――耳の奥で、いつか聞いたあの子の声がする。

「だいすきな人のところに。きみは、帰って良いんだ」

 ああ、その為なら。
 おれは、春の目醒めをも受け入れる。



 この子をよろしくね、と。
 道行きを共にしていた灰緑のヒトは、一足先にと駆けて行った。
 方角からしておそらく、オウガが集まっていた『扉』へと向かうつもりだろう。
 そう判断したジャックは、一つ頷いてその後ろ姿を見送った。

 まだ身体を休めている「アリス」の様子を気にしながら、ジャックは周囲の状況を把握しようとして――ふと。此方に近づいてくる反応を察知して、己の得物を握り直す。

 アリス、と。
 ひそやかに声を掛けてきたジャックへ、少女は緩慢に顔を上げる。
 此方に向けれれた視線を感知しながら、彼は言葉を続けるだろう。
「どうか、後悔の無いように。アンタの願いが、此処まで路を切り開いたんだ」
 得物の調子を確かめる。右手に剣を、左手に銃を。
 自らの回路も万全だ。狂い月の影響も薄れ、己が力を揮うに疑惧は無い。

 反応が近づく。もうすぐ視認できる距離になるだろう
 彼女と言葉を交わせるのはこれが最後の機会かもしれない、と。ジャックは今一度、「アリス」へと顔を向ける。
 束の間ではあったが、十分に身体を休めることが出来たのだろう。先程よりも良くなった顔色に、彼は人知れずに安堵した。

 ――彼女の“先”を、想う。
 きっと、計り知れぬ困難が待ち受けていることだろう。
 ちゃんと『扉』を潜れたとして。その先が『無事』である保障など無く、ましてや「あのひと」と会えるかも分からない。
 願いの全てを叶えることは、出来ないかもしれない……それでも。

「細やかなこの冒険が、その道行に勇気を与えてくれることを――俺も、願っている」
 願うこと、だけは。彼女にも己にも、ゆるされているはずだから。

 最後の言葉を届けたと、同時。
 此方へ目掛けて駆けて来たオウガの一陣目を視認して、ジャックは勢い良く前に出た。

 数と方向を把握する。握り締めるは白縹の刀、骸の海へと到る道を照らすモノ。
 ヴン、と。風を切るように得物を振り抜く。ヒトならざる膂力を以って振るわれた『涙淵』は、其の刀身に冷えた気を纏わせて。氷の粒を含んだ斬撃が、衝撃派に触れたオウガ達を次々と凍らせていく。

 ――反応。運よくも氷漬けを逃れた個体が、木々に紛れながら接近する。
 接敵を感知したと同時、ジャックは左の得物を其方に向ける。掌中にある銃口は、寸分の違いもなく其の獲物を捉えている。
『ギ、ァア!!』
 銃声。放たれた銀が身を貫く。歪な声を上げたオウガは、しかし致命傷には至らなかったのだろう。せめて肉の一欠片でも喰ってやろうと、鉄の後ろに隠れた「アリス」へ飛び付かんと其の身を起こしかけた、ところで。

「――咲き誇れ、紅き女王よ」

 花が、咲く。
 鮮やかな、紅の蔓薔薇が。
 芽吹かぬ筈のオウガの、其の血、其の心臓を糧として。華やかな大輪が咲き誇る。
 ひとつ、ふたつ。みっつ、よっつ。
 鋭い音が鳴る度に、銀の尾が引く度に。
 鬼の口を閉ざすように蔦が絡んで、代わりに薔薇が花開く。

 鮮やかな紅が。女王陛下から、『迷子の少女』への餞のように。
 その道行を彩るかのように、咲き誇っていた。

◆◇

 ――駆ける。駆ける。
 微睡の春を纏ったおおかみが、『扉』への道を駆けて往く。

 「アリス」はきっと大丈夫。頼もしき同胞たちが、きっと最後まで守ってくれるだろう。
 だから。自分は、自分に出来ることをしよう。
 ――己に出来る、全てを以って。

「……怖がらせたくは、ないからねぇ」
 すでに多く傷付き、震え、それでも尚進もうと顔を上げた少女の姿を思い返す。
 あれ以上の恐怖など、もう彼女に与えたくはない。これ以上怯えさせる必要など、決して無いのだから。

 だから、なびきは駆けて来た。「アリス」から遠く離れた場所で、彼はようやくに立ち止まる。
 は、と。小さく吐いた息が、ほんの少しだけ震えていた。

 ……だいじょうぶ。
 己が為すべきを、おれはちゃんとわかっている。

「――堕ちろ」
 低く。先に少女へと向けたそれと同じとは思えない、冷たい声が落とされる。

 堕ちろ、堕ちろ。
 瞑って、醒めて。遠吠えと共に、内に潜んだ獣を起こせ。
 深く、ふかく。成りたくないと怯える『己』を眠らせて、心の奥底に仕舞い込む。
 忘れてしまえと、今だけは。

   ・・・・
 ……目醒めろ。

「――――、」

 灰緑が伏せて、唱えて、眠りについて。
 そうして身を起こした、其処には――いっぴきの、獣がいた。
 彼と同じ毛色をした、大きな獣。其の身に桜を咲かせた、一匹の狼が。

 スン、と。狼が鼻を鳴らす。
 滑る視線、すかさずに駆ける脚。潜む敵の悉くを、この獣は見逃さない。
 音も無く草木に身を隠し、伏せたままに駆けて往く。
 十と三も歩を進めれば、其の瞳は鬼の群れを捉えるだろう。球根にも似た形のオウガが、数にして二十と少し。来たる「アリス」を待ち伏せてか、茂みの奥に潜んでいる。

 ――そう認識したと、同時だった。狼の『狩り』が始まったのは。

『ギッ』
『ァ、ギァ!!』
 爪を揮う。鋭利な其の先が鬼を裂く。
 顎門を開く。鋭い牙が、其の裂け目を狙って突き刺さる。抉られる、肉も似た感触。腐った土の臭い。
 木々の間を縫うようにして、桜咲きの狼が駆ける。
 通り過ぎ様に振われる爪が、オウガの蔦を切り裂いて。接敵と共に噛み付けば、深く抉った牙が其の息の音を止めるだろう。
 反撃の機も、逃げる隙すら与えることなく。狼はただ只管に『狩り』をする。
 鬼の悉くを噛み砕く。二度と、決して。こいつらが「アリス」を喰らわぬように。
 彼女を無事に帰すために、なびきは其の爪を振るうだろう。忌まわしき牙を、この時ばかりは全力で。
 だいすきな人のところに、彼女を返してあげるために。
 その為の遠吠えならば。あの子もきっと、泣かずに赦してくれるから。

 ――「ただいま」を待っている、と。
 同胞である鉄の彼が、少女に告げた言葉を思い返す。

 きっと、そうだ。
 己もまた、そうであると信じていた。信じたかった。
 「ただいま」を言えたなら、「おかえり」と。
 愛し子の名を呼んで、迎えてくれるはずなのだと。

「――おれ、は」
 信じている。
 きっと、首は振られないと。名を、呼んでくれるのだと。

 ――信じたい、のだ。

成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​

冴島・類
望みを聴かせてくれてありがとう
扉の先、呼んで欲しいひとへの道を
守るよ

必ず叶うとは言わなくても
笑って手を伸ばして背を押す
伸ばさないと届かない
もう、一歩近づいてるはずだ

君の名を呼びたかったな
けど、わからぬなら
ありすではなく
雨露の君と声をかけようか

目覚めた先
止まないかなしいはないから
晴れますように

共に寄り添うのと
道切り開くのは味方の他猟兵へ任せ
追いすがる多数を追わせぬ為
数を減らして行かせぬと後方で戦闘

恐れを少し拭えた彼女
その脚を捉えさせてなるか
真の姿解き
行動制限する火で縫い止める

いわれなき悪夢はおしまいに
ねえ君達
そんなに喰らいたいなら
目一杯の炎を君に
お腹の中から焼かれるかい

…呼び声が目覚めに繋がれば



 路が、開かれる。

 幼い命の声を、願いを聞き止めて。
 己が力を尽くさんと、森の最中にて喧騒が響く。

「――君の望みを。聴かせてくれて、ありがとう」
 つと。穏やかな声音で少女へと声を掛けた青年――冴島・類(公孫樹・f13398)も、また。
 彼女の願いを聞き届けた者の一人だった。

 騒めく森の中、彼は道行く少女の顔を見る。鶸萌黄に、幼き命の其れ映り込む。
 先に見掛けた彼女は、其の瞳を濡らすばかりであったけれど。
 少ないながらに思い出を、望みを取り戻した少女の双眸には。
 僅かではあるものの……“光”が、見えたから。

「必ず守るよ。扉の先――呼んで欲しいひとへの、道を」
 だから。類は優しく微笑んで、少女の背を背を押すだろう。
 願い叶うことこそ、必ずとは言えなくても。
 其に向けて必死に手を伸ばそうとする命のことを。彼は、決して無碍にはしない。

 ――大丈夫。きっと、届かさせてみせるから。
 立ち上がり、前を向いた君は。もう、一歩“そこ”に近づいているはずだ。

「叶うなら、ちゃんと『君』の名を呼びたかったけど……そうだな」
 「アリス」の……少女の呼び名を言いあぐねてか。少しばかり逡巡したのちに、類は再び口を開く。
 少年のようなかんばせに、やわらかな笑みを浮かべたまま。
 優しいかみさまは、少女にいっときの名を贈る。

「“雨露の君”。君の目覚めた先、止まないかなしいは、ないから」

 ――この小さき命の末を、近くで見守ることは出来ないけれど。
 想い願われた此の身、此の力の、ほんの少しでも。『君』に与え得ることが出来たなら。

 雨に濡れた『君』の頬を、そっと拭う。精一杯の希いを込めて。
 次に其の瞳が見る景色が。雲のない、明けの空でありますように。

「君の頬を打った雨が、晴れますように。――そう、祈っているよ」

 そう、言葉を告げてから。
 類は、踵すを返して“後ろ”へと振り返る。
 少女の周りには、頼もしき同胞たちがいる。寄り添うことも、道を切り開くことも、彼らが担ってくれる筈だから。
 故に、類は此処で止まる。彼女へと追いすがる“群れ”を止める為、行かせぬ為に。
 自らの役目は、“殿”だ。

 ――ありがとう、と。
 己を置いて駆け行く者達の足音に紛れて、背中越しに聞こえた幼い声に。
 ふ、と。かみさまは人知れず、笑みを溢したのだった。



 カタン、と。
 背にした箱から音がする。繋いだ赤糸が伸びた其の先で、『己』を埋め込んだ半身が、彼の心境に呼応するかのように小さな音を発していた。
 そっと、類は十指に結ばれた赤紐を撫ぜる。いつだって共に戦場を駆けて来た、頼もしい半身だけれど……今回ばかりは、我が身のみで向き合う心算だったから。

「――行かせはしないよ。君達はここまでだ」
 す、と。鶸萌黄の瞳が、前を見る。
 瞳に映るは、木々の影より這い出てきた無数のオウガ達。
 此処に至るまでも、随分と数を減らしてきただろうに。わらわらと集まってくる怪異へと、類は冷えた眼差しを送る。

 此処より先に行かせはしない。『君』の元へ、この悪意を届かせるわけにはいかない。
 たくさん傷付いて、震えて、それでも恐れを少し拭えた少女。
 その脚を――とらえさせて、なるものか。

 ――ボウ、と。
 炎が。月夜の森に、火が灯る。“類の身体の内から”、禍々しい炎が、涌き出てて。

 其は。純然たる呪い、かの者の身を蝕む地獄のほむら。
 これ迄に己が受けた呪が、身に刻まれた疵より湧き出でて。己はおろか、触れたもの全てを蝕む呪炎となって吹き荒れる。
 ただ一人の身で受けるには過ぎたる呪が。其の矛先を向ける相手を求めて、荒れ狂うように燃え盛る。

「ねえ、君達」
 森が燃える。空が燃える。
 乾いた空気が喉を嗄らす。罅割れた肌が、音を立てて崩れていく。
「そんなに喰らいたいなら。目一杯の炎を、君にあげよう」
 指を滑らす。爪の先まで炎に纏われた彼の指が、鬼を指す。
 獲物を見定めた“呪い”が、今にも飛び掛からんと顎門を開いている。

 いわれなき悪夢は、おしまいに。

「――お腹の中から、焼かれるかい」

 刹那。
 ごうごうと。大蛇の如き炎が、全てを呑み込んで燃え盛る。
 ひとつ、またひとつ。炎に飲まれたオウガが、断末魔を上げては消えていく。
 ただの一撫ででもされたなら、呪炎は其の神経を蝕むだろう。其の場に縫い止められたなら最期、炎は瞬く間に内に入り込み。塵と化すまで、ただただ燃え立つのみである。

「……、」
 燃え盛る炎の、其の只中で。
 焼け往く己の、罅割れる音を聞きながら。
 其れでも、類が想うのは。護られるべきである、幼い命のことだった。

 唯、願う。
 愛しき迷い子。“雨露の君”。
 君の道行きに、せめてもの光がありますように。

 ……どうか。
 呼び声が、君の目覚めに繋がりますように。

大成功 🔵​🔵​🔵​

シキ・ジルモント
アリスを先導し、扉に向かう
道を塞ぐ敵とアリスを襲う敵を倒して道を開く

ユーベルコードを発動
敵の来る方向を察知し、完全に接近される前に先んじて、敵を遠距離から射撃で処理する
それをすり抜けて攻撃を仕掛けてきたら、アリスと敵の間に割り込んで彼女を庇う
噛みつかれたらそのまま真の姿を解放(月光に似た淡い光を纏い、犬歯が牙のように変化し瞳が輝く)
力ずくで振り払い、追撃して倒し先へ進む

アリスを守れるのなら、この姿を晒す事も厭わない
壊すだけの力もこんな状況では役に立つ
アリスを怖がらせてしまわないかは気掛かりだが、今は彼女の決意を無駄にしない為に

守ってやれるのはここまでだ
元の世界に帰っても、お前の幸運を祈っている



 駆ける、駆ける。
 小さな足を動かして、オウガの襲来を恐れずに懸命に駆けていく。

 そうして『扉』への道を急ぐ「アリス」を見守りながら。
 シキ・ジルモント(人狼のガンナー・f09107)は周囲の索敵をしつつ、先導するようにして前を走っていた。

 『扉』への正確な距離は分からないが、近づいている事は確かだろう。
 先程から、追い縋ってくる鬼の気配が段々と減ってきた。その代わりに、前方での“待ち伏せ”の襲撃が増えつつあるのだ。
 件の『扉』の周囲には、オウガ達が「アリス」を求めて群がっていると聞いている。ならば、この接敵率の高さも妥当と云ったところだろう。

 そう思案しながら、シキは得物を握りしめたまま周囲を探るように警戒して――刹那。
 ピン、と。狼の耳が立つ。限りなく本能に基づいた直感、瞬時に接敵を予想する。
 そう判断したと同時、彼は五感をフルに研ぎ澄ませた。人狼の其れは並の人間よりも遙かに鋭く、時に忌まれるこの力を今ばかりは存分に発揮させる。

 ――左、二。右に三。
 匂いの濃さで数を、音で位置を判別する。
 鋭く光る瞳が、獲物の姿を捉えんと直ぐ様に向けられて――視認。的の幾つかが顔を出す。
「――、」
 瞳で捉えると同時。ブレる事なく向けられた銃口から、彼の牙たる弾丸が放たれる。
 発砲、命中、発砲。息吐く間も無く繰り返す。牽制などと緩い事はしない、確実に息の根を止めてやる。

 嗚呼、けれど。貪欲な鬼共は、一欠片でも「アリス」を喰らわんとして。
 被弾した同類を捨て置いて、間を置かずにに第二陣がやってくる。
 其れらは伸びた蔦で骸と化した躰を拾い上げ、此方へ放りながら向かってくる。遮られる射線に、シキは人知れず舌を打った。

「――あっ」
「!」
 直後。接近した個体の一つが、「アリス」へと根を伸ばしながら飛び掛かる。
 まだ距離はある、が無理を通そうと躍起になったのだろう。鬼気迫る勢いで同類の亡骸を飛び越えながら向かってくるオウガに、少女が喉奥で小さな悲鳴を上げていた。

 ――させはしない。
 束の間に。シキの脳裏を過ぎるのは、「アリス」と交わした言葉。告げた『約束』を違える事など、決して。

 考えるよりも、早く。
 シキの身体は、少女を庇うようにして其の身を滑らせていた。
 伸ばされた根の進路を遮るように、シキは咄嗟に腕を伸ばす。無意識に利き手と逆の腕を出したのは、長年の経験によるものだった。

「――ッ」
 掴まれる。振り払う間もなく、本体が瞬時に接敵する。開かれた顎門は、少しでも肉を喰らわんとして牙を剥き出している。
 このままでは、骨すら砕かれかねない――嗚呼、それ自体は問題ではない。
 身を削る覚悟など、彼はとうに出来ている。だが、此度に限ってはそれで終わる仕事ではなく。
 「アリス」を最後まで“護る”為に。シキが、己が、為すべきは。

 ――刹那。
 光が。月の其れにも似た淡い光が、彼の身を包む。
 蒼の瞳が仄かに輝いて、食いしばった犬歯が牙のように伸びる。
 抑圧されていた獣性が解放される。獣の、狼としての符号が、呼応するように顕れる。

 其は。彼が厭うていた筈の姿だった。
 満月を避け、人目を逃れるようにしていた、其の由縁である姿。どうしようもなく“獣”なのだと突きつけられるかのようで、目を逸らしていた己自身。
 今だって、忌避感がないと言えば偽りとなるだろう。人を、少女を怖がらせてはしないかと。躊躇う心が、欠片も無いと言えば嘘になる。

 嗚呼、だが、それでも。
 彼女を守れるのなら、この姿を晒す事も厭わない。
 壊すだけの力も、今なら存分に役に立つ。役立たせてみせる。

 交わした約束を守る為に。己の信条を違えぬ為に。
 そして、何よりも――「アリス」の決意を、無駄にしない為に。

「――――!」
 力を揮う、本能の儘に。
 人ならざる膂力をもって、獣の牙を振りかざす。
 腕に噛み付かんとしたオウガを叩き落として、巻き付いた蔦を引き千切る。
 頭上。今の間に距離を詰めて来たのだろう、飛び掛かって来た気配を察知する。
 反射的に右手を上げる。握られた得物、指は引き金に。理性を手放したとて、其の腕が衰える事はない。

 一頻りに牙を振るう、弾丸を放つ。
 そうすれば、程なくして道は開かれた。彼女の始まり、『扉』まではあと少し。

 ――“アリス”と。
 彼女を先導するようにして駆けて来た青年が呼びかけるのを聞き留めて、少女は其方へ顔を向ける。
 先程とは少しだけ雰囲気が変わった、其の姿を前にしながら。少女は静かに、彼の言葉に耳を傾けるだろう。

「俺たちが守ってやれるのは『扉』までだ」
 青年が語る。狼のような耳を、牙を備えた青年が。
 開かれた瞳孔は獣のそれであり、人としての本能が“危険”だと刺激する。
 ……けれど。少女は、知っていたから。

 ずっと、自分を守る為に力を振るってくれた頼もしさも。
 ずっと、何かを恐れながら。それでも「アリス」に力を貸して続けてくれた、彼の誠意も。

「――元の世界に帰っても、お前の幸運を祈っている」

 だから。
 祈るように告げた青年の言葉に。
 少女は一つ、頷きをもって返したのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

杜鬼・クロウ

狂気の余韻のその先で弟と話せた(RPで補完済
吐き気は消え
収まる所に収まり
こびりつく苦い感情は薄らいだ

雨で流す
後はアリスの事のみ

…そうか
”見つけたンだな”

お前がそう願うなら
俺達が活路を開く
オウガ共に邪魔立てはさせねェ
だから、前だけを向いてろ
もう一度と…信ずる心を大事に抱えて
大事なモンは手離すな(己自身へも向けて

大丈夫だ
俺達に最後まで見送らせてくれや

残念だったなァ
テメェ達の好きにはさせねェよ
俺が代わりに相手してヤっから…来いよ

敵へ挑発・恫喝
アリスと扉へ行き護衛
【聖獣の呼応】使用
複数敵へ破魔の羽根攻撃
根を羽根で縫い留め動き鈍らす
アリスへ攻撃飛んだらかばう

お前の名は…

(今度は、救ってヤれたンだろうか



 雨が。天より降り落ちる雫が、頬を打つ。
 其れは、この異界に足を踏み入れた時よりも、随分と勢いが弱くなっていたけれど。
 狂気に澱んだ頭を冷ますには、きっと十分なものだった。

 頬に張り付いた射干玉の髪を、無造作に払いのけて。
 杜鬼・クロウ(風雲児・f04599)は、ひとつ息を吐く。
 臓腑の奥底に蠢いていた不快感は、いつしか波が引くようにして無くなっていた。
 収まるところに収まった、と言うべきか。喉奥に込み上げていた吐き気も消え、こびりついていた苦い感覚も薄らいでいる。

 己はもう、大丈夫だと。一度だけかぶりを振ってから、クロウは傍らにいた少女を見遣る。
 この異界の核ともなるべき幼な子、此度の「アリス」。
 クロウもまた、彼女の道行を共に駆けて来た一人だった。
 俯いて嗚咽を零すばかりだった少女の姿は、ひどく胸が痛むものだったが。それでもようやくに己の記憶を、願いを、手にした「アリス」。
 そうして己の足で立ち上がった彼女を見て。そうか、とクロウは密かに安堵の息を溢したのだった。
 “見つけたンだな”と。クロウが小さく溢した声に反応して顔を上げた少女の瞳は、もう濡れるばかりではなかったから。

「お前がそう願うなら、俺達が活路を開く。オウガ共に邪魔立てはさせねェ」
 ――だから、前だけを向いてろ。
 もう、一度と。信ずることを思い出せたのならば。
 其の心を無くさぬよう、再びが無いように。大事に抱えておいてくれ。
「大事なモンは、手離すな」

 ――そう告げたクロウに。少女は唯、こくりと頷いて答えを返した。
 なれば。あとは我等猟兵が、力を尽くすのみである。

「……と。もう次のお出ましか」
 ざわりと。頸を撫ぜる悪意の気配を察知して、クロウはバッとそちらを向く。
 あの場所から今に至るまで、ずっと襲撃に遭い続けてはいたが。それでも初期に比べて格段に数が多くなったと、「アリス」を背に庇うようにしながらクロウは思考する。
 だが、それは裏を返せば“目的地に近づいている”証左でもあるだろう。
 茂みより姿を現した一団を見据えながら、彼は背にいる少女へと声を掛ける。
「大丈夫だ。俺達に最後まで見送らせてくれや」
 『扉』までは、もう近くまで迫っているからと。「アリス」を安心させるように言葉を掛ける男の声は、其の口調とは裏腹に穏やかなものだった。
 少女にその場から動かぬように告げてから。クロウは一歩、前に出る。

「残念だったなァ。テメェ達の好きにはさせねェよ」
 細められた瞳、ニヒルに吊り上げられた口元。
 群がる鬼どもを挑発するようにして嗤いながら。小さく言紡ぐは、聖獣と縁結ぶ為の言葉。
 香炉より賜りし朱の鳥。敵を切り裂く破魔の羽根が、彼の言に応えて顕現する。

「俺が代わりに相手してヤっから……来いよ」
 ク、と。
 科白に合わせて指の先をオウガたちへ向けた――次の、瞬間に。
 クロウの周囲へと顕れた朱の羽根が、鬼の群れ目掛けて一斉に降り注ぐ。
 破魔を宿すそれは、其の一つ一つが鋭利な刃となって。オウガの根を、蔦を縫い止める。
 そうして動きが鈍れば最期、追って顕れた羽根が其の身の悉くを切り裂くだろう。
 遠つ神の恵みは、加護を与えし彼に敵対する全てへと注がれる。
 敵意の一切を屠るまで、幾度でも。夜を裂くような朱が飛来する。

 ――そうして。
 朱の雨が降り止み、辺りに束の間の静寂が訪れた頃。
 彼らは、遠く開けた地に『扉』を見るだろう。
 先程、一度は逃げてしまった其の『扉』を前にして、「アリス」はびくりと肩を震わせる。
 進むと、帰るのだと決めてはいても。心の奥底にある恐怖が、身体を固まらせてしまうのだろう。
 ……蟠りの全てを払拭するには、時がいる。それが己の根幹に近く、強い感情であれば尚更に。

 それはクロウ自身にも覚えがある感覚だった。
 だから。身を固まらせてしまった少女を支えるようにして、彼は「アリス」の肩にそっと手を添える。

「あ……」
「大丈夫だ。最後まで、俺達が見送るから」
 先に告げた言葉を、もう一度繰り返す。
 恐怖を無理に抑え込めとは言わない。戸惑う心を否定するつもりもない。
 ただ。この不安定な少女の背を、少しでも押してやりたくて。
 少しでも――その心を、掬ってあげたくて。

「お前の名は……きっと。向こうに居る“あのひと”が、呼んでくれるだろうさ」

 だから、きっと大丈夫だと。そう告げれば、少女はおずおずと視線を彷徨わせながら。しばし逡巡した後に……こくりと。戸惑いながらに頷いた。

 『扉』は、見えた。同時に、まだ周囲に群がる鬼の姿も確認できる。
 少女をきちんと見送るために、最後まで見守るために。
 彼らは、今一度力を奮うのだろう。

 (――今度は、救ってヤれたンだろうか)

 ふと。心に浮かぶ問いに、答えるものは今此処になく。
 一度は飲み干した狂気の欠片が。臓腑の奥底に、棘の様に刺さっているのを感じたまま。
 クロウは再び、朱の鳥と共に前に進むのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

境・花世
●*
わたしに心が、魂があるのなら、
見えないそれを削って咲こう

高速移動でアリスに攻撃が当たらぬ位置へ敵を誘導
そのままかろやかに身を翻し、
捨て身ぎりぎりのラインで躱す

当たったって別に構いやしないよ
そしたら、ほら、紅い花びらが増えるだけ
戦場を爛漫に飾る春の気配は
空っぽの心に根を張るよりは鮮やかだろうか
それとも最初から同じ彩だったかな

血塗れで向かう先はまるで彼岸のようで
だけどちがう、わたしにはまだ願いがあるから
これは"生きる"ための戦いだ
それに――
ねえアリス、きみの選択を見守らなくっちゃ

扉の先へと願うのなら、
どうか幸せになるために行っておいで
沢山のひとがきみを救ったこと
大切な心と魂を、忘れないでいて



 ――“わたし”に心が、魂があるのなら。
 見えないそれを削って咲こう。この昏い世界の中で、せめてもの餞を、きみに。

 散るばかりの春が咲う。蕾が花開くようにして、艶やかに。
 ひとつ、ふたつ。みっつ、よっつ。目を惹きつける薄紅の百花が、其の身を、血を糧として。
 あかいだけ、あまいだけ。生を啜る“王”の、花の盛りが顕れる。

 ――境・花世(はなひとや・f11024)の命が、咲いている。

 トン、と。ひとつ地を蹴れば、彼女の身は瞬く間に森を駆けて往くだろう。
 あんなに重かった筈の躰が、脚が、今は不思議と軽やかで。
身軽さに任せたままに走り去る。散り逝く花弁を気にも留めず、削る命を惜しむ事もなく。
 唯ひたすらに、一心に。あの少女の道行きを思えばこそに、花世は絢爛に咲き誇る。

 駆けて、駆けて――そうすれば。
 程なくして、片の瞳に『敵』が映るだろう。悪意の鬼、「アリス」を狙わんとするオウガたち。
 奇しくも同じ“植物”を模した……過去の、骸。

 敵を見留めた花世の瞳が、スゥと細まる。
 オウガ達の前方、彼らの向かう先には影が見えた。幾つかの見知った色と、先ほどに邂逅したばかりの幼き命。
 彼らの周囲にもまた、別の群れがいるようだった。花世が見つけたオウガたちは、其の一団と合流する腹積りなのだろう。背後より距離を詰める彼女を気に留める様子もなく、鬼は牙を剥いたまま「アリス」へと意識を向けている。

「――させないよ」
 淡と。短く声を溢したと、同時。
 彼女は、春の形見を開かせる。閉じた骨を滑らせて、扇の先を『敵』へと向ける。

 一つ、振るえば風が吹く。水気を含んで冷えたそれが、オウガ達へ向けられる。
 二つ、振るえば“花”が散る。彼女の身に咲く大輪が、はらはらと。薄紅の花びらとなって風に乗る。
 ひらり。吹かれるままに散りゆく花弁が、其の風向きに逆らわぬまま。前を行くオウガ達、其の身へと、触れて。
『――ギ、』

 ――直後。
 耳を劈く高音が、森の最中に響き渡る。
 風に揺れる花弁へと触れたものから、次々と。痛みに喘ぐような啼き声が、共鳴するように発せられていく。

 其は血葬。イケニエを求めて咲き誇るもの、其の花弁。
 あのオウガ達が「アリス」の血肉を欲するように。この花びらの一片一片が血を、生の断末魔を馳走とする。命を啜る八重の華、身を蝕む“絢爛たる百花の王”。

 こうなって仕舞えば、もう。
 彼らは“花”に意識を向けざるを得ないだろう。それまで「アリス」を追い縋るように這っていた群れが後ろを向く。後方に佇む花を、女の姿を認識する。

 グワリ。血吸いの痛みにもがきながら、鬼の幾つかが顎門を開く。
 この花弁の大元が女であると、直感的に理解したのだろう。彼女を害すれば痛みより逃れられる筈だと、牙を剥き出しにして飛び掛かる。

 其れら一つ一つの動きは、今の花世にとっては遅すぎて。
けれども、数が多すぎる。全てを捌き切るには、どうしても手が足りない。
 ――嗚呼、でも。それがどうしたって言うんだろう?

「――、」
『ギァ、ッ!』
 牙が食い込む。肩が深々と抉られる。鋭い痛みが躰を走って、身に咲いた八重牡丹の花が散る――それと、同時に。

 花が、咲く。パッと、鮮やかな薄紅が。“花”に触れた鬼の身の内より狂い咲く。
 小さな断末魔を上げて地に転がり落ちたオウガへ、一瞥もくれぬまま。花世は変わらぬ様子で、春を溶かし込んだ末広を振るうだろう。
 飛来する蔦も、剥き出しにされた牙も、向けられた悪意にすら動じる事はなく。

 当たったって、別に構いやしないのだと。薄紅を散らせながら、女はあえかに咲ってみせる。
 蔦が触れて、牙に捉えられたとしても。
 そしたら、ほら、“紅い”花びらが増えるだけ。

 そうして、しばらく経ったのち。一群の全てに花を咲かせて、ひとつ、息を吐いた頃。
 気付けば、季節外れの春の気配が。雨降る森に満ちていた。
戦場を爛漫に飾る華のいろ。昏いばかりの月夜に、艶やかに咲く命の手向け。
 己の瞳に映り込む其れは。空っぽの心に根を張るよりは、鮮やかだろうか。
 ……それとも。最初から、同じ彩だったかな。

 華を散らして、命を注いで――こころを、削って。
 血塗れのままに駆けて往く。其の姿は、まるで彼岸への道を逝く者のようでいて。
 ――けれども。

「……今は、まだ」
 まだ。彼女には、願いがあったから。
 生き急ぐように身を削りながら、其れでも。春を映す瞳には、光があった。
 戯れに結ばれた小指の先、命繋ぎ止める“やくそく”が。

 だから。これは彼岸に逝く為ではなく、”生きる"ための戦いだ。
 それに――ねえ、「アリス」。

「きみの選択を、見守らなくっちゃ」
 顔を上げる。来たままの軽やかさで地を蹴って、『扉』への道を往く。

 深く心に傷を負い、昏い感情に身を震わせるばかりだった少女。
 頬打つ雨は未だ止まず。きっとまだ、其の心は泣いているのだろうけれど――それでも。
 ちゃんと、彼女は願いを見つけたのだから。

 ゆえに。花世もまた、少女を見送る為に往くのだろう。
 空っぽだった筈の裡から沸き出る言葉を、想いを。あの少女へと届ける為に。
 きみに、こころからの餞を贈るために。

 ――アリス、アリス。
 扉の先へと、願うのなら。どうか、幸せになるために行っておいで。
 沢山のひとが救ったきみを救ったこと。
 大切な心と、魂を。どうか。

「――忘れないでいて」

大成功 🔵​🔵​🔵​

都槻・綾
暗がりに燈る確かなひかりは、
芽吹いた温かな想いは、
決して摘み取らせやしない

少女の傍らで
妖しの群れを掃おう

第六感で死角を補い、潜む気配も見抜いて
策無き突進からも
不意打ちを狙う輩からも
護り抜く

広範囲に響くよう朗と謳い紡ぐ花筐
敵技も弾いて刻んで花霞

間に合わぬ時は少女を抱え
後ろに飛んで距離をとったり
扇状に開いた符を薙ぎ
衝撃波

扉の前にて
彼女の手のひらに小さな五芒星を描いて贈ろう

此の先にもまだ
悲しみや困難が待っているかもしれない
其れでも
挫けずに歩いて行けるように
大切なひとを護れるように
いのちという花を咲かせることができるように
破魔のお守り

名を思い出せたのなら、呼んで見送りたい
いつか雨上がりに虹も出るかしら



 ――駆けて。駆けて。
 泥濘んだ土を踏み締めて、繁った木々の間を通り抜け。
 降り頻る雨にも、襲い掛かる悪意にも、もう足を止めぬまま。

 前へと進んで来た「アリス」は、ようやくに其処へ辿り着くだろう。
 彼女の始まりであり終わりの場所――『扉』へと。

「あ……」
 はたと。見覚えのある場所を前にして、少女が僅かに動きを固くする。
 一度は逃げてしまった『扉』だ。再びと意を決したとは言え、迷いの全てを払えたわけでは無いのだろう。

 ふるりと、身を震わせながら瞳を彷徨わせる少女へ声を掛けようとして。
 傍らに立つ都槻・綾(糸遊・f01786)は、薄く口を開きかけ――ふと。
 背に突き刺さるような“悪意”の気配を感じ取り、サッと素早く視線を滑らせる。

 件の『扉』の前。森を抜けた先にある開けた場所。
 既に他の猟兵たちが掃討した後なのだろう、目に見える範囲に鬼の姿はなく。
 いつしか振り落ちる雨も勢いを弱め、周囲の森は痛いほどの静寂を保っている。
 ――だが。

「――、しばしお待ちを」

 居る。確実に。
 其れは、息を潜めて此方を見ている。
 ずっと、ずっと。機を狙って、気配を絶って。
 少女の喉元へ喰らいつかんと、より“欲の深い”妖しが潜んでいる。

 なるほど。ここまで息を繋いでいるだけあって、随分と狡猾な輩らしい。
 滲み出る悪意こそ伝われど。正確な場所を測りかねて、宵の瞳がひとつ瞬く。
 懐より取り出した符を構えた儘に。綾は一度だけ、傍らの少女へと視線を移すだろう。

 雨の檻に閉ざされていた幼い心。
 身を裂くような記憶を抱きながら、それでも我等の手を取ってくれた愛しい命。
 濡れるばかりであった其の瞳に、ひかりが灯った時。どれほどに安堵したことか。

 ――ええ。暗がりに燈る確かなひかり、芽吹いた温かな想いは。
 決して、摘み取らせやしない。

「――いつか見た」
 朗と。夜のしじまを裂くように、謡うような声が響く。
 謳い紡がれるは花筐。いつか青磁の瞳が映した彩りを、心に浮かべたいろを顕す爛漫を。
「未だ見ぬ花景の、棺に眠れ、」
 刹那。
 はらはらと、彼の手にした符が紐解くように綻んで。
解かれた先から象るは、うつくしきいろに染まった花弁。
 四季謳う彩りの花びらが。昏い森を覆うかの様にして、辺り一面に舞い散るだろう。

 花が咲く、花が裂く。
 潜んだ悪意も、獰猛な牙も、何もかも。
 はらりと。扇の様にして重ねた符を薙げば、清涼な風が巻き起こり。
 渦巻く其れに添った花びらが、森より湧き出し其れ等の悉くを包みこむ。
 しなる蔦を弾いて、伸ばされた根を刻む。朧げな花霞が、すべて、すべてを覆ってみせる。

 そうして。
 いずれ、彼らの前へ真にしじまが訪れた頃。

 ――長く、重い夜が。
 漸くに、明けようとしていた。



 『扉』が、在った。
 少女がそれを目にするのは、二度目だった。
 それに手を伸ばそうとするのも――どうしても、躊躇ってしまうのも。

 其の取っ手を掴みあぐねてか。
 腕を伸ばし掛けては、恐れるように指先を丸めてしまう少女の姿を見て。
 つと。静かに様子を見守っていた綾が、其の手を伸ばす。

「――手を。すこし、お借りしますね」
 少女の震える指先を、柔らかく包み込む様にして。
 青磁は、冷えた彼女の手のひらへと指を添える。
 そっと、その指先が描くは五芒星。不思議そうに彼を見る少女へ、綾はにこりと笑いかけるだろう。

「お守りですよ。――あなたの裡に芽吹いた花が、咲きますように」
 柔らかに細められた宵の瞳。其の奥で、彼は少女の“先”を見るだろう。

 此の先にもまだ、悲しみや困難が待っているかもしれない。
 其れでも、挫けずに歩いて行けるように。
 あなたの大切なひとを、護れるように。
 ――いのちという花を、咲かせることができるように。

 今は、名を思い出せずとも。
 あなたが望んだ通りに、“あのひと”に呼んで貰えることを願って。

「どうか、あなたの雨が上がりますように」

 願わくば。
 雨上がりの虹の麓で。あなたが笑えていますように。



 ――斯くして。
 伸ばした手の先すら見えぬ夜。ひどく心騒めく森の、其の中で。
 其の暗晦には。誰ぞ、ひとの想いが芽吹く。
 怯えていた。恐れていた。惑い悩んで、悔やみ憂いて。
 其を忌み、怨み、憔悴し。悲しみに伏す者も、憤る者さえ居ただろう。

 けれど。
 心に浮かんだ情動を、それでもと呑み込んで。
 刃を取った。銃を握った。剣を振るって、獣を宿して。
 身を賭しては心を砕き。炎を降ろして、我楽多を蒔いて。
 宵の帳を降ろし、己が未来すら削り乍ら――そうして。
 旅路の餞たる、花を咲かせた。

 --いつしか、雨は止んでいた。
 裡に芽吹いた願いは、想い注がれることによって花開く。
 一度は躊躇ってしまった『扉』の前、ここまで背を押してくれた彼等へと。
 少女は、笑みを咲かせてみせるだろう。

 まだぎこちなくて、ちょっぴりいびつで。
 先の見えない不安を、おそれを心に抱きながら、それでも。

 --それでも、花は咲いたのだ。

大成功 🔵​🔵​🔵​



最終結果:成功

完成日:2021年01月21日


挿絵イラスト