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Bewußtsein

君影・菫 2020年11月19日


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 夢、ユメ――ゆめ。
 微睡みの先で、双瞼を落とす前に見たのは、互いの顔。
 畳の趣が仄かに香る、ゆるりとしあわせな空間で。
 陽だまりがやさしく差し込む穏やかな心地の中で。
 宵鍔・千鶴(nyx・f00683)と君影・菫(ゆびさき・f14101)は微笑み合って。
 ……おやすみ、と柔らかな紡ぎを届けた。
 お昼寝、そんな言の葉が似合っていたろう。



 🌸 🌸 🌸



 ――と、いうのに。


 目覚めた先は暗く、昏く、闇が漂っている。

 ……ゆめ?
       ……何方が?

 錯覚し混乱するには十分な程に感覚は鮮明で、生々しくて。
 地に伏している様子は瞼を閉じる前と同じ筈だ。
 そう互いを見て、手を伸ばして。そうして柔らかな眠りに落ちた筈なのに。
 ……なのに、違うのだ。色も、感覚も。居た筈の相手も見つけられない。
 噫、身体が軋む音がする。
 みしり、みしりと。今にも折れてしまいそうな程に脆い。
 危うい音から気を逸らせば次は鼻先を鉄錆の臭いが支配する。
 逃さないと、云われて居るかの様に。
 千鶴の思考は未だ、追いつかぬ侭だというのに。 
 突如として闇が形を成し、己に飛びかかれば鋭い牙が何処かを抉った。
 抉られた気がした。何処か? 解らない。
 理解する前に、その場所が増えてゆくだけ。
 なんと一方的な。まるで闇を携えた獣が昏き檻の中で狩りをしているかが如く。
 じくじくと、痛みが加速する。
 赫い雫に視界が霞んで、染められそうになった時。
 導きとなったのは『血彩』、千鶴の耳でいつも煌めき淡く闇を照らすいろ。
 歯を食いしばり、穴が空いたような心地の身体をがむしゃらに起こして。
 いつの間にか己の手に握られた『燿夜』を血溜まりの地面へと突き立てた。
「菫、すみれ」
「……ん、ここにおるよ」
 名を紡ぎ、彼女を探せば簪の娘は其処に居た。
 持ちうる手段は何も通じずなかったのか、翡翠は赫に塗れて。
 まもりたいと。
 そんな想いだけ菫は千鶴の前に、形も定まらぬ敵の前へと立っていたのだろう。
 怒られるだろうと思っていた。
 そんなことは知っていた、もちろん解っていた。
 だって彼と約束したのだから。
 ――自分を、大切にすると。
 其れを破ることになっても、破ったのだとしても、
「だって、大切なんよ」
 それは絞り出すような聲だった。昏くとも千鶴にはもう気付いて居る。
 あの闇が襲ったのは自身だけでは無いという事を。
 それは目の前の、きみにだって。
「うちはキミの、ちぃの雛で子やけど……それでも、な」
 まもりたいのだと、子供が駄々を捏ねるように零すのだ。
 念の力で操作する本体の簪を複製した其れ等も狙いは定まらない。
(そんなの、)
 
 そんなの、は。

「俺だって、同じだよ。菫」
 耳で煌めく血彩が嘗ての自分を包み込んでくれた欠片なら。
 ――きみは。
 もっと近くに在る優しいひかり。
 其処に確かにいるのだと信じさせてくれる存在だから。
「死なせないよ」
 鉄錆の味混じる喉で確かな音を置く。
 表情があやふやな顔で、それでも口元が次の音を紡ぐ。
 菫はただ識らぬ痛みの中、彼の。親の声を辿る事しか出来ない。
 モノは死なんのよ、なんて軽口も叩けやしない。
「我が子が為、親は身を差出すは道理なんだろう?」
 噫、そんなもの。
 存在する筈がないと思っていた。
 唯の綺麗事で、幻で。
 言の葉の上にだけのものだとさえ、思っていたのに。
 こころが理解する。
 識らなかった其れの輪郭を確かに象ってゆく。
 大切で。護りたくて。
 その為ならば此の身を差し出そうと惜しくないとさえ思える。 
 眸を閉じれば瞼の裏側に浮かびゆくのは。
(――貴女が最後まで貫いた思いと、願い)
 きっと同じだった。今なら解ると、千鶴が理解した刹那。

 世界は。

    嗤った。


 非情で皮肉に世界は牙を向く。
 奇跡にも近く出会ったヒトとモノの親子を嗤ったのだ。
 
 菫の身体がふわりと浮く。
 咄嗟に感じたものに反応するように強く千鶴の手を握り。
 彼も又、同じように返すけれど。
 世界は嗤う。嘲笑う。

 するりと、手のひらが抜けた。
 繋いだぬくもりが断ち切られて、途端に冷えてゆく。

「どうして。ねえ、どう、して」
 ……ちぃが遠うなるの?
 あんなに近かった、傍に居た、護りたくて前に立った。
 彼も前に立った、なのに。なのに。なのに。
 無情だ。
 再度伸ばした手はもう、届いてはいない。
「――菫……!」
 荒げた音と共に赫が地に吐き出される。
 枯れてもいい、潰れても良いとさえ思うのに。
「いや、厭や」
 幼子のように首を振る。識らぬ感覚に菫は顔を歪ませて。
 心の臓を握りつぶされそうな心地、焦燥感。
 こんなものは――知らない、しらない。
「――ちぃ、ちぃ……!」
 名前を幾度も呼び続ける。
 もう其れしか術を知らないかのように。
 知っていた世界が壊れてしまって不安に鳴く様に。
 聲が掠れ、喉に鉄の味が満ちるてゆくけれど、そんなもの関係ない。
 ずっと、ずっと。雛の様に千鶴を求め続けるけれど。
 望まぬ方向へ千切れる程の力で引っ張られてゆく。
 力が入らぬのも確か、けれどそれ以上に抗う事が赦されていない、と感じた。
 そんな子が、娘が自身を求めても、千鶴は動けない。
(如何して脚は、)
 ――動かないの。
(如何して君を呼ぶ声は、)
 ――出てこないの。

 いや。いや。いや。
 菫の眸からはたと雫が落ちて赫へと混ざりゆく。
 それは彼女にとって初めての熱。
 皮肉も泪を知った瞬間。
 彼女が映すは必死に手を伸ばす千鶴の姿。
 初めての熱だけが千鶴の指先だけを濡らして、また、遠くなって。

 最後に映したのは、鳥籠の中で咲く菫色の桜。
 最後に紡いだのは、

「……はなれるのは、いやよ」
 おとーさん。
 ささやかな願いも虚しく儚くそれは花の様に散ってゆく。

 ――からん。
 細い金属音が鳴り響く。
 彼女は、子は、雛は、菫は居ないのに。
 娘の本体の簪だけが千鶴の前に転がった。
 本来の色を赫で塗りたくられたすみれ色は、あの娘のいろ。

 なぜ。何故。
 何で。如何して。

 ――俺から、いつも、奪うの?
 空を裂いた手のひらは糸が切れた人形のように力無く落ちて。
 握り締めた拳からはあたらしい赫が滴ってゆく。
 ぷつり。
 糸がひとつ千切れた音がした。
 
 鳥籠の中で咲く菫色の桜は彼女の色をした自分の好きな花。
 愛しくて憎い、けれど深く想いを宿した花。
 その花は静かに咲いているのに、彼女は居ない。

 キミの子になれるの?と首を傾げたあの子は居ない。
 けれど警戒心もなく己に預けてきた自身の本体は今や目の前に。
 思考がちぐはぐに成る。居るのに、居ない。
 居ないのに、居る?
 拾い上げて見れば、噫。
 確かに『在る』のに。
 然し居『ない』のだ。

 自分は今立っているのだろうか?
 自分は今歩いているのだろうか?
 きみの消えた方へ、行けているの?
 壊れる、歪む。
 崩れて、ゆく。
 狂った様な慟哭は闇の中で泣き声が如く響いて。
 糸が又、千切れるような綱渡りの感覚を浴びながら。

(また、俺は眼の前で何も出来ずに失くすのか?)
 あの時と同じ様に。
(まだ、あの日のまま檻の中で蹲っているのか?)
 何も出来ない己の侭で。

 答えは否だ。
「絶対に赦すものか」
 ゆうらり立って呪詛のように零した。

 ――奪われたのなら奪い返せばよい。

 囁くはもうひとりの。
 己に隠れ棲む獣。

 ――奪い返せ無いのなら、

 其れ以上の獣の言葉は遮った。
 奪い返す以外など、要らないのだとでも云うように。 


 菫色の簪を握りしめた侭、千鶴は嗤う。
 桜は世界を高らかに嗤い返し、空の月へ簪を翳した。

 それは。
 此の世界への宣戦布告。

 奪い返せた?
 取り戻せた?
 結末は桜と菫だけが知っている。
 おれは知らないけど、なんて。
 誰かが樂しそうに笑っていた気がしたけれど。
 もう、お終いだ。
 

 🌸 🌸 🌸


 冷たいゆめが醒める。
 赫が褪せたなら、あたたかい色が戻ってきて。
 噫、どうして。俺は。
 ね、どうして。うちは。

 ――泣いているんだろう?
  ――泣いとるんやろ?

 わからない。
 ぺたぺたと目許と頬に触れて首を傾げた。
 夢、ユメ――ゆめ。
 思い出そうとする程に朧気になってゆくものだけど。
 とても赫い夢であった。
 とても怖い夢であった。
 鮮明には思い出せないのに、恐怖が其処には合って。
 じんわりと目許を熱くさせるのだ。
 それでも言の葉には出来ずとも感覚で覚えたものがあって。
 理解したものがあって。
 桜狐と琴狐、親子の稲荷狐たちがふたりの傍に寄り添ってくる。
 あたたかい。ただ、ただ、あたたかくて。

「ねえ、菫」
「なぁに、ちぃ」
 ふたりで互いを確かめるように呼んでから。
「おはよう」
「ん、おはよ」
 しあわせそうに、咲った。
 


 ――ねえ、夢はどっちだった?




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君影・菫 2020年11月19日
行きたかった話にご縁が無くて、それでも生まれた想いは綴りたくてなあ。だからこないな形を借りさせて貰ろうて。ひとつ。
夢だったのか、何だったのか未だに解らんけども、ね。
ちぃはプレイングの提供と了承ありがとお。

・Bewußtsein(ベヴストザイン)
→意識、自覚
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宵鍔・千鶴 2020年11月22日
(夢か、現か、未だ境界線は曖昧なものだったけれど)
(二人の華を失くさぬように、きみが泣いたならすぐに涙を拭える隣で)

此方こそ綴ってくれて有難う。菫。
――さあ、お覚醒めの時間だ。
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