誰かに
御鏡・十兵衛 2020年9月12日
この一帯の遊郭の元締めである妙齢の美女は鋭い視線でこちらを見定めるように見やると、重々しい溜息と共に口を開いた。
「そう、アンタも猟兵なんだね」
しばしの沈黙。女中があなたに茶を出し、退室するまでを眺めきった後、彼女は再び口を開いた。
「身内の恥みたいな話さ。他言無用で頼むよ……あの子にもね」
かつてこの辺りには、荒ぶる神性や魔性に類する存在から人々を守る八坂と御鏡という二家が存在した。
烈火の如き武を以て神魔を滅することに長けた八坂と、舞を以て神仏を鎮め、時には味方とする御鏡。
手法は違えど、同じ目的を掲げる二家は互いに高め合う好敵手として共存していた。
「あの子の母親――胡蝶は元々花魁でね。ここらで一番だって評判になるくらいだった。それを射止めて身請けしてったのが御鏡・幻十郎……御鏡家の次期当主サマでね」
反対意見を抑え込んで強引に嫁にする程の熱の上げように家中からは不安の声も上がったが、心配をよそに胡蝶は生来の気立ての良さからすぐに家中へと馴染んで行ったという。
子宝にも恵まれ、幸せな日々を過ごして……
「――それで終われば良かったんだけど」
当時の八坂家次期当主であった八坂・火我美もまた、胡蝶に恋慕していたのだ。
武才に恵まれ当主としての能力も示していたが、先祖返りか羅刹としての性が強く、享楽的でどこか危うい。
そんな男が珍しく入れ込んだ女を持って行かれて我慢し続けられるはずもない。
「あの子が6つくらいの時だったかな……ヤツは胡蝶を殺した」
幻十郎を半殺しにした上で、己も愛した女を目の前であっさりと斬り殺して。
「……居合わせたあの子も無事じゃ済まなかった。顔をやられて、目もやられて……記憶を焼かれた」
霊的な炎まで使って、綺麗に”思い出”だけを。
「……乱心したヤツに襲われたり、抑えにかかった八坂と御鏡の郎党は全滅。幻十郎は片腕を失って身体も以前のように満足に動かせなくなっちまった」
どうしてそのような凶行に及んだのか、なぜ幻十郎を生かしたのか、なぜ記憶だけを焼いたのか。
「アタシも後で聞いた話だからね、その辺りの理由はわからないけど……何にせよ、それが原因であの子の人格は一度破壊された」
知識もあり、身体の動かし方も覚えている。けれど動かない。人間として大事なものを失くしてしまった抜け殻のような生き物だ。死んでいるのと変わらない。
「でも、そんなあの子が唯一興味を示したのが刀だったんだ」
母を刺した男が放り捨てた血錆びた刀を、無感動に眺める姿。
「幻十郎からしたら、希望にも見えたのかもしれないね。山に隠居した先代を頼って、自給自足の生活をしながら剣術を教える日々……数年前、幻十郎が病で死ぬまではそんな感じだったそうだよ」
身体にガタが来ていたのだろう。何も言い残さず、何も言い残せずに幻十郎はあっさりと逝った。
「しばらくして幻十郎の手紙をもってアタシのとこに来たあの子は、表面上は昔みたいに感情を取り戻した風だったけど……真似しているだけって感じで、剣を振るための絡繰りみたいな子になってた」
まるで斬れと言われたものを斬る道具のような。
「ああ、ダメだったかって思ったよ。でも放り出すわけにも行かないからね。アタシのとこで仕事を振ったりして面倒を見てやって……そしたらいつの間にか猟兵さ」
その後のことは、そちらの方が詳しいだろうと締めくくって。
「出てったかと思えば大けがして帰ってくるし、ヤバそうな相手と斬り合いしただのなんだのと、面倒見てるアタシとしちゃやめて欲しいんだけどね」
緩慢な動作で茶を飲む。ほう、とため息を一つ。
「……でも、最近のあの子はちょっと様子が違うんだ」
ぼーっとするのではなく考え込むような時間が増えたり、夜半に帰宅したかと思えば苦手な筈の酒を飲み始めたり。
猟兵にならなければ、きっと見れない光景だっただろう。
「良い方向か悪い方向か、いずれにせよあの子に変化が生じるのは喜ばしいし、アンタたちには感謝してる。だから――」
「――どうか、姉さんの忘れ形見のあの子を、これからもよろしくお願いします」
深々と頭を下げた女『蘭花』の髪は、淡い青色をしていた。
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御鏡・十兵衛 2020年9月12日
(十兵衛と1度絡んだ方なら、知っているとして構わない情報です。知らなくても大丈夫。適用可否はお任せしますし確認も不要です。公式の設定と齟齬が出た場合はそちらを優先します。)