【善美梦】
ジン・エラー 2020年2月3日
───冷たい。
背から伝わるのは冷たい非難と抵抗。
重くて苦しいわ。
さっさとどいてくれ。
──煩い。
物憂げに、聖者は体を起こした。
「ああ、」
ころりと言葉が腹から喉へ。喉から口へ。
落ちたものは、お前らが拾ってくれよ。返さなくていいから。
…落ちた?何故?
はた、と手で口に蓋をする。そんなことをしなくても、いいはずなのに。
ああ困った。アレを失くしてしまうとは。
こんな顔、誰も見せたくはないのだが。
だけれどまぁ、そういう時に、よりにもよって、そういったものはやってくるのも、知ってるが。
「聖者さま~~~~~!!!」
目の前の遠くの方、今この地に生えてきたように出てきたのは全身を真っ白にした少年だった。
息を切らしながらそばに来てみれば、真っ白なフードに隠れた茶色の髪。そして自分とはまた違った金の瞳。この子の方が鮮やかだ。それと、背はまだまだ。
ふぅ、ひぃ、と膝に手をついて息を整え、やがて顔を上げれば
「どこに行ったかとおもい………あれ?聖者さま、笑ってます?」
一応間に合わせたつもりだが、子どもは時に鋭いものだ。
「ギヒャハ!お前の一生ォ~~~懸命に走ってるのがクソ面白かったンだよ」
「え~~~!ひどいですよ!こっちは本当に一生懸命だったんですから!!」
全くもう!と拗ねた。が、こんなやりとりは日常茶飯事だ。だからすぐに元通り。
「シスターが夕餉時だと。聖者様、すーぐ遠くに行っちゃうんですから!」
ほら、行きますよ!と手を引かれる。特に抵抗はしない。する理由があるか?
これが"いつもどおり"なのだから。
*天良楽善感真日美親常成優可最賀慈祝豊温彩奇光健薫笑望優輝華聖*
──暖かい。
「「「「ごちそうさまでしたーーー
!!!!」」」」
バタバタバタバタと次々に食器を片付ける子どもたち。大人に近い子も居れば、蹴ったらそのままコロコロと転がりそうな子まで様々だ。
そんな光景に気を取られていると、視界に純金のような光が差した。
「……今日は、お口に合いませんでしたか?」
「いィ~や、今日もアンタの料理は………」
言葉を止めて、まだ皿に残ったシチューをかき込む。どんなものでも大体平気な喉が、なぜだかやけに熱がった。
「サイッコ~~~だぜ?ごちそうさん」
子どもたちのように手を合わせて笑ってやると、安心したようにシスターはにっこりと笑った。
シスターと二人で全員分の食器を集める。みんな綺麗に食べるもんだと感心するのも束の間、
「うわっ!?」
「きゃっ!」
どんがらがっしゃ、ん。
いっそ清々しい音が食堂に響き渡った。見ればどうやら、追いかけっこをしていた子どもがシスターにぶつかったようだった。
「おォ~~~~うおうおう、バカやってンなァオイ」
ケタケタと笑いにいってやる。その程度で子どもは泣かないし、シスターだって怒らないから。それになにより、尻もちをつくシスターは、ちょっと面白いから。
ほら、顔は怒ってないどころか、
「こ~~~ら~~~!やったな~~~~~!!」
「きゃあーーーー!!!」
「シスターが怒ったーーー!!」
片付けそっちのけで追いかけっこに混ざるシスターは、ちょっとどころかかなり可笑しい。まぁ、だからこそ面白いのだが。
別に、先程まで集めていた彼女の分を代わりに片付けることぐらいの仕事はいつもしているし。あの子たちが笑っているなら、そのぐらい安いものだ。
「ひィ、ふゥ、みィ………」
キッチンの流しへ食器を置く。大丈夫、全員分ちゃんと集めたはずだ。
未だに背後の騒がしい声は絶えない。それでいい。
「聖者サマはコツコツ善行を積みますよォ~~~~ってか!ヴァハハ!!」
あんな出来事よりよっぽど奇妙な光景が、しばらく続いていた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「かァ~まわねェよ。終わったか?」
「えぇ…一度みんなには外へ。騒がしくってごめんなさい……それより!もしかして──」
「そのとォ~~~~り」
「ああ…」
ピッカピカになった皿を見せてやれば、有り難いような、申し訳ないような。難しい顔。そんな顔を嘲笑うように聖者は笑ってみせる。グギャビャハハ!!
「さっさと終わらせてアイツら構わねェとまた戻って来るぜ~~~ェ」
「…ふふ、はい、そうですね」
阿吽の呼吸で食器棚へ片していく。
はい。おう。はい。あいよ。はい。う~ィ。どうぞ。あァ。は。ン。
さて、皿が終われば次はスプーン。これは、
「この辺だったかァ?」
「ええ、そこで大丈夫ですよ」
「ン」
やや高い位置。腕を伸ばせば届くぐらいの棚。慣れているので、今更自分の背丈を恨んだりしない。そもそもしたことすらないが。
スプーンを綺麗に並べて。取りやすいように。けれど子どもには届かない高さへ。
────、違和感、
──どうして?
──そりゃァ、危ねェからだろ
──何が?
──ガキが下手に掴んでみろよ
──"スプーンしか無いのに"?
────。
──────。
「………………なァ、シスター」
「はい、なんでしょう?」
「ナイぶご」
慌てて手を口へ。胃から、喉から、口から、ナニかが昇ってきたからだ。シチューなわけがないだろうが。熱すぎる。
刹那、飛び出していた。今まで出したことのない速度で。
シスタ●の声など、とうに聞こえていなかった。
────おねがい、待って。
*天悪梦善贋真非美夢異失劣不最欺慈呪悪熱狂瞞光健夢嘘望夢輝偽聖*
教会裏。かくれんぼでしか使われたことのない場所。そこで聖者は漸くせり上がってきたモノを吐き出した。
ごぼがぼげぼ。がばご。がら。げ。ぐあ。がしゃごぼがしゃしゃ。
どろりと赤く染まった液体と、じゃがいも、にんじん、豚肉、たまねぎ。
そして、ナイフとフォーク。それも大量の。
「──あ゛ァ゛……あ゛ァ゛~~~~」
せっかく美味しくいただいたものを出してしまったというのに。体から金属が出てきたというのに。その男は
「く、は、ばが、」
「ヒャヒャヒャア゛~~~ヒャバガビャハハハヴボエガギヒヒヒィ~~~~~~~
!!!!!!!!!!」
「ヴァァ~~~ガビェギヒガグァハヒヴェァハハハハハハ
!!!!!!!!!!!!!」
世界中に響き渡るぐらい、大きな大きな。呵々大笑。
"この"世界は、思ったより大きくはないかもしれないが。
「聖者様ッ!?」
先程の様子を見てか、狂った声に招かれてか。たくさんの顔がそばに並んでいた。困っている顔。哀しんでいる顔。心配そうな顔。
だのに、
「…嗤えよガキどもォ」
「え
………?」
もちろん誰一人、笑ってなど居らず。彼らは聖者の身を案じていた。案じているからこそ、聖者の背に触れた。シ●タ●だった。
「触ンなァ
!!!!!!!!!」
怒号のように叫ぶ。赤い沼に沈む銀を全て、余すことなく両の手に握って。この地を蹴り飛ばして彼らから離れた。
怯えているわけではないし怒ってすらいない。むしろ、可笑しくて仕方がないぐらいだ。この両の手に握ったモノで、肚を裂かれても笑ってやるよ。
けれど彼らは、己に触れてはいけない。触れさせてはならない。
例えこの世界が、夢であったとしても。
「テメェらはよォ~~~~、ナイフと゛ぼがぶフォ゛ーグって知っぼご………知ってるかよ」
聲と共に余計なモノまで吐きながら、聖者は問う。
『 『 『『『 『? ? ?? ??? ? ? ??? ??? ?? ?? ?? ?? ? ? ??? ? ? ? ?? ?? ? ? ? ? ?? ? ?』 』』』 』』 』
ゲームのバグかよ。
ただひたすらに、此処ではない何処かを見つめながら首を曲げるカレらを見て、聖者は思った。思っただけで、口には出さなかった。
否、出せなかった。
口にする度に大道芸の如く飛び出す凶器に、もはや喉など機能するものか。
地に転がる"凶器"。ふと、聖者は思う。
ああそうだ、もう使い物にならないのなら。
今の喉はただの管だ。
今の肚はただの革袋だ。
しまうには、ちょうどいい。
危ないモノは、しまっておこう。ね。
ほら、しまった後に、お口をチャック。
ごちそうさまでした。
「…聖者さま」
全てが狂ったこの場所で、唯一声を発することが出来たのは金の輝きを失った●●●●だった。
まるで、聖者が最後まで飲み込んでくれることを待っていたように。
彼女は、泣いていた。笑っていた。怒っていた。喜んでいた。
もはや顔の意味を為していなかった。
その手で持っていたのは、一本の包丁だった。
よく手入れされた、されど使い古されたモノ。
何故だかそれは、”渡したくない”ように見えた。
「聖者様」
どうか、これを、
『使わないで欲しい。このままここに居てほしい。』
『楽園で、どうか。一緒に。』
「そ゛ぃつァ、」
無理な相談だな。後に続く言葉は出なかった。
出せなかったし、別に出す必要もなかった。
明確な凶器を半ば奪い取るように受け取り、その鈍色に光る刃を見つめる。
"もう一人の自分"が、嗤っていた。
『幼稚なンだよ。』
ナイフとフォーク。凶器と凶器。
バカバカしい。スプーンだって折れば、曲げれば刺せる。喉に詰まらせても十分だ。
『おざなりなンだよ。』
皿が割れた音は鳴ったくせに、なかったことに。
都合が良すぎるだろ。
『粗雑なンだよ。』
白い大地に白い服?
"見失うわけがない"から許されてる世界だからだ。
思い返せば、簡単なこと。
気づかなかった自分が何よりも阿呆らしい。
ここが楽園なわけがない。
『"オレが救っていない世界が天国なわけがない"』
『"だからここは地獄だ"』
地獄から、地獄に行くだけ。
悪夢から、目を醒ますだけ。
ならば、凶器を凶器らしく使ってやろう。
夢は、"見る"ものだ。
──夢を、見なけりゃいいンだろ。
ジン・エラーは、
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