星廻:ましろの
ジャハル・アルムリフ 2019年10月12日
遠く――双つ星、ふた巡り目の冬のこと。
深く、深く。白に埋もれた丘の森で。
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ジャハル・アルムリフ 2019年10月12日
(――両手で抱えるのは筒状に丸めた厚い布。痩せた竜人の子供が、危うげに翼を羽搏かせて丘の上を目指し飛ぶ。驚く程の軽装は既に何度か墜落して雪塗れであったが、子供の瞳に諦めの色はなかった)(荒天続きに退屈したわけではない。したたかに扉で尾を挟んだ鬱憤でもない。子供は、知らなければならなかった。真は確かめずして得られはしないのだと幼心に決め込んで)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月12日
(ついに、冬のさなかにして裸足の足が頂を踏みつける。子供が振り返って見下ろした急勾配の崖は、『竜の背』と呼ばれていた。岩ひとつ頭を出さない純白の崖下に、遠く――ぽつりと一粒、目を見張るほどの輝き。此方を止めようとしているのだろうその姿へと、子供はいかにも強情に首を横に振った)
アルバ・アルフライラ 2019年10月13日
(髪を整えることすら、防寒用の外套すらも忘れ、無我夢中で真白の絨毯に足を取られながらもただ只管に走る)(幾ら呼ぼうと従順な従者の声は聞こえず。彼方此方部屋を覗こうと何処にも姿はなく。――つい暖炉のぬくもりに負け、惰眠を貪ったのがいけなかった。慌ててベランダより周囲を確認したならば、あろうことか扉から続く小さな足跡があるではないか!)――ジジ! おい、ジジ!!(軌跡を追う。指し示される方向に嫌な予感ばかりが脳裏を過り)
アルバ・アルフライラ 2019年10月13日
(嫌な予感ほど、良く当たるものである)(『竜の背』。一際黒いそれが、其処にはあった)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月13日
(何か叫んでいるらしき遠い貴石を一瞥。雪上に布を広げると、柔らかな青地に複雑な色彩で魔方陣が刺繍されていた。子供は理解こそしていないが、浴場にあったそれは実によく水を弾く効果を持つ絨毯である。なによりも、子供にとって『理想の』大きさだったのだ)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月13日
(坂下の輝きへ頷くと、子供は渾身の力で頂を蹴り――魔術布へと飛び乗った)(滑降のはじまりは緩やかに。間もなく急激に加速し、新雪を跳ね散らかしながら風と化す。子供の顔にこそ感情は宿っていないが、鉤爪となった指を絨毯に食い込ませて)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月13日
(そして絨毯に乗った子供は崖の縁――竜の背から勢いよく宙へ飛んだ。奇跡的に平衡を保ちながら、本人の覚束ない羽搏きより何倍も力強く)
アルバ・アルフライラ 2019年10月13日
(飛んだ。跳んでしまった)あわ、あわわ…!!(あの魔術布は相応の魔力がなければ飛行状態を維持出来ない。間違いなく、寸刻もすればしたたかに雪へと叩き付けられることだろう)(翼竜を喚ぼうにも時間が足りない。ならば、己のなすべきは一つのみ)(男は髪が振り乱れるのも厭わず、ヒールの靴で白雪を撒き散らし、只管に走った)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月13日
(聞こえるのは風切音だけ。冬の空でいっぱいになった視界に目を見開いて――間もなくそれは傾き、樹氷、雪面へと移ろう)(落ちているのだと子供が自覚できたかどうか。横合いからは、いつもの優雅さをかなぐり捨てて死に物狂いで駆けてくる青い光。すれすれでその指先を越えて、盛大な雪煙をたてて落下した)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月13日
(――水切り石のように跳ねた絨毯ごと転覆し、為す術無く雪の上を転がってゆく。最後に人型の穴を残して、白の中へと沈む)(静寂。黒銀色の尾先だけが、かろうじて居場所を示していた)
アルバ・アルフライラ 2019年10月14日
(褐色の指先が触れる。ほっと吐息を零し)……あ、(――たところで、その指はそのまま己のそれを過ぎる。ぼふん、音を立てて白い煙が視界を覆った)ジジ、ジジ……っけほ(思わず噎せるも、炎の魔術を用いて邪魔な雪を振り払う。幼子は、ジジは何処に行った?)(焦りに逸る胸を押さえ、周囲を見渡すと――其処に居た)ジジ! おい、ジジ!!(白に一際映える黒尾を引張らんとする。幾ら丈夫とは云え高所から落ちたのだ。大怪我をしていてはいけない)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月14日
……。(目に眩しい紅朱は青へ、白いかんばせに嵌まる双つの星条。根菜よろしく雪中から引き抜かれて、逆しまにそれを見る)…!(主君。主。そうした存在。子供は二、三度目を瞬くと絨毯を引っ掴む。雪まみれのそれを主君の胸へと押し付け)できた。ほんもの。(足りない言葉で満足そうに短く口にした。何の事であったか、しかし主たる貴石は容易く察せるのだろう)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月14日
(――そして、もう一度行ってくるといわんばかりに。尾を掴まれたままで翼を羽搏かせはじめたのだった)
アルバ・アルフライラ 2019年10月14日
(どすん、胸を叩く絨毯の感触。腕の下、ばたばたと白い翼を打つ幼子。幸い、何処も怪我をしていないらしい)(安堵に胸を撫で下ろす)――こんの、大莫迦者!!!(――と同時に、再び冷たい雪の中に褐色の頭を突っ込んだ)怪我をしなかったから良かったが、下手をすると大怪我では済まぬところだったのだぞ! 頭を冷やし猛省せよ!!(浮島全体に、男の怒号が響き渡ったことだろう。ぎゃあぎゃあと声を上げ、飛び立つ鳥達の音が聞こえた)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月14日
(ふたたび雪へと突っ込まれ、抵抗の気配を見せかけるも――厚い雪まで危うく震わす大音声に尾羽根が逆立つ。ピンと伸びた手足は次第に小さく丸まって
)………。(雪の上、狭い眉間に皺を刻んだ顔は反省しているとも言い難いが、もう暴挙に出る様子はなく。ねにしろ読み聞かされた物語の証明に、一応は満足していたのだから)(冷えたのは頭だけでは済まなかったか、犬がするようなくしゃみを一つ放つのだった)
アルバ・アルフライラ 2019年10月14日
(激昂していた感情は、ひとつのくしゃみで掻き消される。はっと我に返り、雪ですっかり白くなった従者の髪を乱暴に整える。きっと、己は酷くばつの悪い顔をしているのだろう)……ほら、屋敷に帰るぞ。帰ったら風呂に入りなさい。風邪を引いてもらわれては困る(ぶっきら棒に、有無を言わさぬ物言いで――然し、沢山の労わりを込めて未だ小さな手を握った)(今日の夕餉はシチューにしようか)
ジャハル・アルムリフ 2019年10月14日
(夕餉の名を聞けば頷いて、子供は雪に埋もれながらも確と握った手を離さぬよう帰路につく。一度だけ振り返り、たった今跳び越えた崖を見上げる。あとはただ、双色の輝きだけを仰いで)(ふたつの足跡を、引き摺られる絨毯が消していく。――軌跡は、箒星の尾にも似ていた)