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🎃月の水底

作者：西宮チヒロ

　その占いに必要なのは、たったふたつ。飲み物と、それを注ぐ器だけ。

　前者は、なにか――茶葉なり、粉なり、澱なり――器の底に沈殿物の残るものが良い。なにせ、その沈殿物の形で“未来を視る”のだから。
　茶葉ならば、品種は問わないけれどあまり葉の大きくないもの。
　珈琲ならば、挽いた粉を漉さずに注いだもの。
　ワインならば、白より赤が好ましい。

　後者は、それこそよりどりみどり。
　陶器でも、玻璃でも、好きな材質のもので構わない。
　嗚呼――ただ、飲み干した器を逆さにする必要があるから、あまり高くも細くもない形が良いだろう。

　そうして揃えた飲み物を好きな器に注ぎ、味わいながらひとときを愉しんだら、空の器をひょいと返して、ソーサーや皿のうえに伏せてごらん。
　最後のひとしずくが落ちてから、再び器の底を見れば――そこに、沈殿物で描かれた“あなたの未来”があるはずだ。

　✧　　　✧　　　✧

「なぁ、ブルーアルカディアの祭に行ってみねぇか？」
　旅立ちの準備を始めた秋と、今年用の新たな靴に履き替えた冬の足音がそろりと聞こえ始めたころ。
　猟兵たちからもたらされた“ハロウィン”も兼ねて、ここブルーアルカディアの空を揺蕩う浮島のひとつでも一夜限りの特別な祭が開かれるのだと、楊・暁（うたかたの花・f36185）は淡く声を弾ませながら語り出す。

　祭のメインは、飲み物の器だけを扱う夜市と、飲み物で占いもできるカフェだ。
　海と見間違うほどに広い湖へと大きく迫り出す、円形の桟橋。
　そのうえで開かれる夜市では、天使核を利用して裡から灯るパラソルの下ひとつひとつに、各々の店主があちこちの浮島から収集してきた様々な器が取り揃えられている。
　材質や形状はもちろんのこと、ペア柄のもの、繊細な細工の施されたもの、宝石の嵌め込まれたものなど、同じものを売る店なぞないほどの品数があるだろう。
　中には、恐らくポットや急須などと揃いの品だったであろう、対となるソーサーさえ見当たらぬ、ひとつ取り残された器もあるかもしれない。
　頼めば贈りもの用にラッピングもしてもらえるし、ここで購入したものをカフェに持ち込めば、店員は快くそれを用いて飲み物を提供してくれよう。

「カフェの場所なんだけど……実は湖の中にあるんだ。桟橋の途中にある扉から、水中へと潜っていく階段と通路を辿って行けるらしいぞ」
　ふたり並べるほどの幅の通路を抜けた先にあるのは、ドーム状の硝子天井を擁した円形のフロア。
　日中ならば水に揺らぐ陽のひかりに包まれているであろうホールも、夜ともなれば紫紺を纏い、ほの暗さが落ち着いたな雰囲気を醸し出す。そこに灯るのは、テーブルに置かれたハロウィンモチーフのキャンドルと、周囲に在る桟橋から洩れるパラソルと――天頂に佇む、満月の明かり。
　空に最も近い場所にある水中カフェだからこそ、何処よりも清かな一条のひかりが、店内へと柔く注がれる。

「カフェにはハロウィン風のフードもあるけど、やっぱり気になるのは占いだよな」
　あ、フードメニューは後で共有するな、と添えながら、暁がほんのり眦を緩める。
「占いができるドリンクは、主に３種類。紅茶や緑茶、中国茶とかの茶葉を使ったお茶か、ドリッパーを使わずに淹れた珈琲……つまりトルコ式だな。あとは、澱の出やすい赤ワインだ。地域によって細かい部分は違うみてぇだけど、この浮島ではこんな感じで占うらしいぞ」

　１．運ばれてきた飲み物を、心を落ち着け、自分の名と占いたいことを心のなかで唱えながら、利き手と逆の手で飲む。
　２．全部飲み切らずにすこし残したら、器を時計回りに３回まわし、ソーサーや皿などに伏せる。
　３．器の底の水分が落ちきるまで、しばし待つ。
　４．器を戻し、底に残った沈殿物がどのような｜形《シンボル》になっているのかを見る。

【シンボル解釈の一例】
　四角　：平和。
　三角　：進化、変化。上向きなら良い方向へ、下向きなら悪い方向へ。
　卵　　：豊穣、繁栄、誕生。
　円　　：無から有へ。成果の現れ。新たな生命の誕生。
　三日月：進化、変化、偉大な成功への予兆。
　太陽　：繁栄、再生、勝利、成功。
　雲　　：偽り、裏切り、トラブルの予兆。
　星　　：幸運、希望の光。心に秘めた願望が叶う。
　鳥　　：自由、飛躍。
　蝶　　：再生、復活、愉しい予感。
　花　　：魅力の高まり、幸せ。逆向きは悪い誘惑。
　葉　　：身近な人の生、もしくは死に関わる出来事の予感。
　木　　：成長、健康、病気の回復。
　猫　　：自由、気紛れ。幸運が訪れるが、予想不能なトラブルに注意。
　犬　　：信頼できる友人の現れ、友人からの助力、友人からの救援要請。
　馬蹄　：幸運、大いなる守護。
　ハート：家族愛、恋愛運向上、ロマンスやパートナーシップに満ちる。
　鐘　　：自由、喜び、結婚の予兆、前向きな変化。逆向きは争い事への警告。

　特に形が見えなかったり迷ったりしたならば、なんとなく感じる印象――安心、幸せ、不安などで判断して構わない。
　無論、自身の占い方やシンボル解釈があれば、それを用いても良い。気軽に愉しむのが一番なのだから。

「飲み｜物《もん》の水面に満月映しながら飲んだら、なんか月の雫を飲んでるみてぇだよな」
　器を伏せた、最後の一滴。
　――その先に在る未来に、なにを馳せようか。

第1章 日常 『天空のナイトマーケット』

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●湖畔の夜市
　空を往く浮島だからか、それとも冬の足音が近づいて来ているからだろうか。首筋に触れた、ほんのりと冷気を孕む夜風に、真宮・律（黄昏の雷鳴・f38364）と真宮・響（赫灼の炎・f00434）はどちらからともなく肩を寄せた。
　周囲を囲む雲海とは反対に、島の中央を占めるその湖はどこまでも澄んでいた。風が止んだ水面には再び静寂が訪れ、紫紺の天穹から零れる金砂銀砂と、淡く光を纏った月を映してどこまでも燦めいている。
　湖の畔から沖へと円を描きながら伸びている幅広の桟橋には、内を縁取るかのように生成り色のパラソルが並び、天使核が柔らかに燈すそのひかりの下には、幾つもの器が所狭しと並ぶ。店の主は誰も、大声で客引きなどはしない。声を張り上げずとも会話できる程度の穏やかな賑わいのなか、訪れた人々は思い思いに器を手に取り、形や彩を愉しんでいる。
「思った以上に綺麗な風景だな」
「ああ。まさに“空の世界ならでは”、だ」
　感嘆の息を零す律に、響も瞳を細めて頷いた。
　魔獣から妻と娘を護り、その一度目の生を終えた律。その後、なんの因果か魂人として蘇ってすぐに始まったのが、この世界での大戦だった。
　それ以来、時々ふたりでこうして訪れるほどに思い入れのある場所だからこそ、そして今でも記憶にこびりついているあの凄惨な景色を知るからこそ、今のこの平穏な夜が余計にふたりの胸に染む。
「そういえば、子供たちはそれぞれペアのカップ持ってるが、アタシと律は持ってなかったねえ」
「ちょうど俺も、同じことを考えていたところだ」
「そうか。なら、いい機会だから揃えようか」
「ああ」
　まだ夜は始まったばかり。急ぐこともないと、ふたりはゆっくりと夜市を巡る。心のままに視線を巡らせ、気になったものがあればふと立ち止まり、まあるい光に照らされ艶めく器を前にふたりだけの言葉を交わす。
「……あ、響。これなんてどうだ？」
　何軒目かの店で目に留まったカップを前に、律が隣へと声をかけた。
「お、白をベースにアイビーの模様か。律もいいセンスしてるね」
「まあ、娘が２０過ぎで俺たちも４０過ぎだと、これぐらいさりげない方がいいだろ」
「だね。せっかくだし、このソーサーも買おう」
　話によれば、対となるソーサーとはぐれてしまった器も市にはあるらしい。ならば、こうして一式揃っているのもなにかの縁。敢えて離れ離れにさせることもないだろう。
「あとは……できれば、家族で食卓囲む時の大皿一枚欲しいけど……」
「そうだな。元々よく食べる娘夫婦に、食べ盛りの小さな子ふたりだしな……」
　目を瞠り、店のなかを隅々と探す響に倣って、律も辺りを見渡した。飲み物の器ばかりを集めた市とは言うが、ソーサーがあるならば皿もどこかにないものだろうか。
「なんだ、お客さん。なにかお探しかい？」
「ああ、実は――」
　人好きのする笑顔を見せた店主の男へと、ふたりが秘密の相談をする。“料理用の皿はないか。できれば、存分に盛ることのできる大皿が良い”――と。
「なら、このなかから選ぶといい。今回の市では売れねぇと思ったんだが、どうやらお前さん方と出逢うために在ったんだな、こいつらは」
　男が机の下から取り出したのは、丁寧に布に包まれた幾種類かの大皿だった。聞けば、今日の荷物に間違えて紛れ込んでいたらしい。
　異国情緒溢れる色彩と模様を前に、真剣な眼差しで選ぶこと暫し。律と響が手に取ったのは、星と月の模様が美しい１枚だった。
「「これにしよう」」
　図らずも重なった声に、すぐにふたりの笑み声が続いた。カップとソーサーとともに会計を済ませ、店を後にする。
「……やれやれ、結構な大荷物になったね」
「デートのはずだったが……まぁ、これも俺たちらしいというか。……はは、楽しいな」
「ああ、いい時間だ」
　互いに傍らを見遣り交わした微笑みが、月光を映した足許の水面に、淡く静かに溶けていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　｜俺たち《・・・》が知る器は、どれもプラスチックやステンレスのものばかりだった。
　戦場で重視されるのはいつだって、“如何に壊れないか”だ。道具も――そして、人も。
　そうして原隊から捨てられたレスパー・セヴンティセヴン（終戦場の置き土産・f44754）は、今宵、名も知れぬ｜青年の屍《身体》で空の夜市を訪れていた。
　そっと夜風が吹くたびに、ほろほろと光を燦めかせる湖面。円を描く桟橋に沿って並ぶパラソルはどれも優しくともる灯りを抱き、どこからか響く弦の音色に、行き交う人々の談笑が柔く柔く染みてゆく。どれもこれも、レスパーの記憶にはないものばかりだ。
　飲み物の器を集めた市ならば、と自分用のマグカップを求めて来たものの、何軒かの店を覗いてみたレスパーはちいさく息を吐いた。分かってはいたが、やはり此処には、いずれ壊れてしまう材質のものしかなさそうだ。
　それでも男は、目についた青磁のカップをひとつ買った。どうやら口下手らしい寡黙な店主は、代金を受け取ると、恰幅の良い見た目とは裏腹に繊細な手つきで器を包んだ。ありがとよ、と聞き漏らしそうなほどの声へと片手で応えながら、レスパーは再び桟橋を歩き始める。
　そぞろゆくその足取りを止めたのは、微かに夜気に混ざる珈琲の香だった。
（……そういや、カフェがあると言っていたな）
　グリモア猟兵の言葉を思い返しながら視線を巡らせると、すこし先にそれらしき扉があった。人々が疎らに出入りしている様子からも、恐らくあれがカフェへと続く通路の入口だろう。
　扉の前へと立ったレスパーは、静かにそれを引いた。通路は薄暗いが、どうやら壁は硝子張りになっているようで、パラソルのひかりを透いた湖の蒼が仄かに灯って歩くには困らなさそうだ。まるで海中を渡るかのような不思議な感覚のなか、ゆっくりと階段を下りてゆく。
「……っ、これは……」
　数メートルほど降りただろうか。階段が終わり視線を上げれば、燦めく蒼が視界いっぱいに広がり、レスパーは思わず声を洩らした。硝子製のドーム型天井の向こうには魚の群れが優雅に踊り、絶え間なくゆらめく水面の影が店内を幻想的に染め上げている。
　なによりも、あたりに漂う懐かしくも香ばしい匂いに、心惹かれずにはいられない。男は手近な席に座ると、メニューを見ずにまずは珈琲を注文した。程なくして、白のコックコートに異国柄の腰エプロン姿の店員が、くつくつと燻る銅製の手鍋を運んでくる。
「良ければ、この器に淹れてくれないか」
　そう言って取り出した青磁のカップを、店員は快く受け取った。丁寧にテーブルのうえへと置き、そこへ手鍋から珈琲を注げば、忽ち芳醇な香がレスパーの身体と意識を包み込む。
（この懐かしい香りだけは変わらない……そういえば、戦場以外で飲むコーヒーは初めてだな）
　給仕を終えた店員がほかのテーブルへと向かってから、男は改めてカップへと視線を落とした。そうして粉が器の底へと落ちきるのを待ってから、静かに持ち手に指を添え、一息に嚥下する。
　胸にじんわりと満ちてゆく、苦味と酸味。後に残る甘味の余韻に浸りながら、そっとソーサーへとカップを伏せた。また暫し待ち、縁についた珈琲が乾いた頃合いを見計らって元に戻す。
　底に在ったのは、歪みながらも描かれた三日月だった。
「読み方は任せるよ。今の俺は駆け出しの猟兵だ。行く先を占ってくれ」
　そう返すと、黒髪の店員は、月のひかりめく金色の双眸を僅かに細めた。言葉を纏めるかのように一度瞳を閉じ、ゆっくりと瞼を上げる。
「……あなたの行く先には、予期せぬことが起きるかもしれません。ですが、それはある意味“試練”でもありましょう。乗り越えることで、新たな変化や成長を得られるはずです」
　何事も慎重に、そして柔軟に。――あなたに良い未来がありますように。
　微笑みとその言葉を添え、一礼してまたホールへと戻っていった店員の背を見送りながら、男はもたらされた結果へと意識を巡らせる。
「変化や成長、か……」
　２杯目を頼むか、否か。
　もし頼むならば――今度は、たっぷりとスパイスの利いた料理を添えるとしようか。

大成功 🔵​🔵​🔵​

「姉、呼ばれたから来たぞ」
「あ、来た来た♪　やっほ～☆」
　そう花綻びながら自分へと大きく手を振る祝聖嬢・ティファーナ（フェアリーの聖者×精霊術士【聖霊術士】・f02580）へと、ティティス・ティファーナ（召喚獣「アストラル・エレメント（幽魔月精）」・f35555）も銀の双眸を柔く細めた。
　宵の帷が落ちたばかりとはいえ、宵闇のなかでもそのちいさな姿をすぐに見つけられるのは、どこか光を纏ったようなその快活さ故だろうか。
「んじゃ、ミンナも呼ぶね♪」
　声を弾ませながらフェアリーランドから呼びだしたのは、いつもの仲間――様々な精霊や、聖霊、月霊に始まり、戦乙女、天使に英霊、死神、そして小妖精たち。
「あっ、ティティス！　あっちが夜市みたいだよ☆」
「――……」
　大きな双眸を一層燦めかせながら振り向いた姉へと、ティティスが言葉を返そうとしたときには、もう祝聖嬢はぱたぱたと可憐な羽根をはためかせ先へと進んでいた。その声に惹かれるように後に続く仲間たちの背を追って――無論、映像記録用の適切対応可変型ファンネルビットを起動も忘れずに――ひとつ笑みを零しながら、ティティスも湖上へと続く桟橋を歩き始める。
　一体、幾つの店が今日一夜限りのこの祭に集ったのだろうか。湖の畔から伸びた桟橋は意外にも長く、大きく円を描きながら沖へと迫り出していた。その内周に連なるパラソルの数を、そして淡く灯るそのあかりの下で品々を眺める人々の様子を見れば、どれだけこの夜市を皆待ち望んでいたのかは容易く知れよう。
　彩も形も異なるカップの群れを眺めて愉しんだあとに向かうのは、勿論お待ちかねの水中カフェだ。
　思い思いの器を選び、とぽとぽと注がれる様子をじっと見守って。どんな形が現れるか待ち遠しくなる気持ちを一端どうにか落ち着かせた祝聖嬢が、ティティスの傍へとふわり移動する。
「私じゃグラスは持てないから……ティティス、お願いしてもいい？」
「分かった」
「持ったね？　じゃあ――」
　ふたり視線を合わせて、ティティスは祝聖嬢が飲みやすいように、ちいさなグラスをすこしずつ傾けた。ティティスも一緒に、心の裡で自分の名と占うことを唱えながら、利き手と逆の手を添えてこくりと飲む。
　予め少量にしてもらったお陰で、そう時間は掛からずに飲み終えた祝聖嬢は、満面の笑みで頷いた。その様子を見守っていたティティスもつられて微笑みながら、時計回りに３回まわしてから、そっと姉のグラスと自身のカップをソーサーへと伏せる。
「……もう良いかな？」
「計算上、問題ない」
「なら、開けて開けて！　どんな形が出てるかなー♪」
　仲間たちとともに顔を近づけ、ゆっくりと元に戻したグラスの底を覗いてみれば、そこにあるのは綺麗な四角形のなかに収まった一つ星。
「この形の意味は、何かな？　何かな？　――えっと、“平和”“幸運、希望の光。心に秘めた願望が叶う”……か。うん、良いことっぽそうだね♪」
「姉らしい。私が説明する」
　そう言って、漠然とした結果を姉にも分かりやすいようティティスが補足すると、祝聖嬢のちいさな手がふわりと妹の頭に触れた。姉妹で近しい色の髪へと愛おしい眼差しを向けながら、優しく撫でる。
「そっか、そっか♪　ありがとね、ティティス☆　――あ、そういうティティスのは？」
「私は、三日月だった。“遠からず、なんらかの転機や成長が見込める。将来の成功の第一歩となる可能性あり”……といったところだ」
「そうなんだ！　ティティスのも良い結果で良かったね♪」
　とびきりの笑顔を見せてから、運ばれてきたばかりの料理を前に、仲間たちと賑やかに語らい始める祝聖嬢。その姿を眺めながら、
（――姉と居ると、胸がポカポカして嬉しい）
　ティティスもまた、口許に手を当て美しく微笑むのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　夢幻のひかりに包まれた湖上の一角はまるで魔法をかけられたかのようで、アンカー・バールフリット（｜Sternliebhaber《星の恋人》・f43884）と浅間・千星（Stern des himmels・f43876）の唇から、知らずと感嘆の息が洩れた。
　天穹を映したどこまでも深く澄み渡る湖面を、時折、冷たさを帯びた夜風が柔く揺らす。そのたびに月明かりが淡く金糸を織り交ぜながら燦めき、桟橋を行くふたりの足許に光の花を咲かせてゆく。
　星々に一等近い場所だからだろうか。瞬くたびに燦めく彩を変える景色は、まさにこの湖へと星が落ちてきているようで、どうにも目が離せない。
　それでも、わたしは彼だけの一等星だから。変わらず傍にいるのだと傍らの手を取れば、アンカーもまた、同じ気持ちで愛おしいぬくもりを己が手で包み込んだ。
　頭上を満たす耀きのひとつひとつに、この世界ならではの星座がありまつわる物語があるとすれば、それは一体どんなものだろう――そう馳せていた想いも、傍らでどの星よりも眩く在る千星の微笑みに忽ち脳裏の隅へと追いやられてしまう。
　騒がしくもなく、急くでもなく、ゆったりと流れる雰囲気に溶けるように、ふたりもじっくりと市を巡る。今日のお目当ては海と星の描かれた揃いのティーセットだけれど、ほかの品々も目を惹くものばかりでつい寄り道も多くなる。
　そうして訪れた、数件目のパラソルの下。「お邪魔します」とぺこりお辞儀をしながら入った店先にあった一品に、千星の視線が引き寄せられる。
「アンカー、見てみて！　これ、これっ！」
「え？」
　くい、と腕を引かれるままに視線を移せば、そこには仲良く並ぶペアのカップとソーサーがあった。
　鮮やかな瑠璃に染み、月光を浴びた水平線のように縁を金で彩られたソーサーと、繊細な星空を身に纏った、緩やかな曲線が美しいティーカップ。微かに模様が違うことから、恐らく一品ずつ手で描かれたものなのだろうそれを前に、未だ見入りながら千星が零す。
「ちゃんと星空と海だし、ここの風景みたい。綺麗で可愛いっ」
「本当だ……まるで、僕たちのために用意されたものみたい」
「ねっ」
「……あ、ああ。この出会いもご縁だと思うし、これにしようか」
　燦めく双眸で傍らを見上げるも、どこか歯切れの悪いようなアンカーの様子に、千星は身体を起こしながらすうっと瞳を細める。
「……何考えてるの？」
　ほんの一瞬、自分の腹部へと向けられた視線を娘は見逃さなかった。誤魔化されないと言わんばかりの強い眼差しを向けられたアンカーは、眉尻を下げて早々に観念する。
「……星と海が一緒ってデザインは珍しいし、ペアだけじゃなくて子供の分も……って」
「っ！？」
　思いのほかストレートな言葉に、千星の頬に朱が走る。「相変わらず気が早いっ。それにまだいないよっ」と口早に返しながら、それでも娘は愛しいひとの掌へと柔く指先を絡ませた。
「……けど、先のこともちゃんと考えてくれて、嬉しい」
　大切にふたりの未来を考えてくれている。その想いに“ありがとう”を添えて。
　仄かに照れながらも眦を緩めるアンカーの肩に手を置き、屈んでくれた彼の耳許へそっと囁く。
　――その時が来たら、またお揃いを買いに来よう？

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　流石に、風情という言葉は知っている。こと日本人であれば、移ろいゆく自然の有様、幾星霜を経て生まれた痕や形、そういった留められぬ儚さを佳しとする人も多かろう。
　だが、遠藤・修司（ヒヤデスの窓・f42930）にとってはそれだけだ。無論、そういった｜類《たぐい》に心動かされぬことがまったくないと言うつもりはない。それでも――すくなくとも飲み物を注ぐ器に対しては、皆無と言って良いだろう。
　今宵、男の脳内で滔々と語っている人格は、サイキックハーツ世界の少年だった。齢１７、オカルト趣味の灼滅者だ。
「カップを買うのにこんなとこまで来るなんて……１００均で買うのじゃ駄目なの？」
『駄目。１００均のじゃ、占いも雰囲気出ないし』
　溜息交じりに問うた修司の言葉は、無下にも一刀両断された。占いの結果を左右するわけでもなし、素人からしてみれば雰囲気なんて然程重要ではなさそうに思えるが、どうやらこの“僕”｜も《・》拘りが強い性格らしい。
（まったく……占い好きな“僕”がいるとは思わなかったよ）
　異世界の自分なれば様々な性格があって然るべきだとは思うものの、｜基礎《ベース》が僕である以上、根幹やら軸といった部分は同じ――と、そこまで思考を巡らせたところで、ほかの“僕”らからの文句が飛んできた。嗚呼、煩いったらない。
「……じゃあ、好きなのを選んだら？　あまり高いのと、洗いにくいのは止めてね」
　言いながら、静かにユーベルコードを起動する。じわりと意識が身体から離れ、僕の視点が“僕”らのそれと同じになる。
　ふぅ、とひとつ息を吐いた“僕”――１７歳の少年は、改めて周囲を見渡した。
　ビルはおろか、建ち並ぶ家々さえもない拓けた場所に佇む広大な湖。仰ぎ見た先に広がる茫々とした夜空はどこまでも高く、それでいて無数に耀く天満星は手を伸ばせば掴めそうなほどに近い。
　自身の居る世界では考えられぬほどの風景に微かに眦を細めると、修司少年は再び桟橋を歩き始めた。呼吸のたびに澄んだ夜気が肺腑を巡り、それだけでも気分がいい。
「全く、これだから“僕”は……ロマンってものがまるで分かってないんだから」
　折角、こんなにもお誂え向きの場所にいるのだ。僕が良いカップを選んであげなきゃね、と足取り軽く、得意とする占星術の知識を携え、ピンと来た店へと入ってゆく。
　白磁、青磁、硝子に金属。素材だけでもかなり豊富で、選び甲斐があるというものだ。
「――あ、こっちの銀のはいいね。魔力が籠もってそう」
『……扱いにくいのも無しね』
　間髪を容れずに入った身体の主からの要望に、修司少年が苦笑を洩らした。
「まあ、確かに銀は手入れが難しいしね。……しょうがない。“僕”でも手入れできる、初心者向けのにしてあげよう」
　無難と思しきものは、陶器や硝子あたりだろうか。そう考えを纏めながら――『良くやるよ……』と脳裏に洩れた主人格のぼやきには気にも留めず――また店を渡り歩き、漸く巡り逢った一品はまさに、“佳き風情”を帯びたアンティークのカップとソーサーだった。
　底にいくにつれ僅かに窄んだカップの縁は六角形と珍しく、三日月の金のハンドルはまだ鮮やかな耀きを湛えていた。紫紺に染まったその表には金銀で幾つもの星座が描かれ、乳白色の内には底にひそりと美しき装飾の六芒星。対なるソーサーは矢張り紫紺で、鏤められている金銀の繊細な模様はまるで星図のよう。どちらをも飾る落ち着いた金の縁取りが、天使核のひかりを纏って柔らかな輪郭を描き出している。
　――なるほど、それが。
　得心しながら零れた思考は口にせず、修司は少年の裡で微かに眦を細めた。
　手に取り、ひとしきり眺めたあとそれを店主へと渡すと、代金と引き換えに受け取った包みを大事そうに抱えながら修司少年は店を出た。
　その表情なぞ、鏡を見るまでもないだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　――水底に残る形、か。
　初めて聞く占い方に俄然興味を抱きながら、クーナ・セラフィン（雪華の騎士猫・f10280）は穏やかに賑わう夜市をまわっていた。程良く柔らかなパラソルの灯りはまるで月のひかりを宿しているかのようで、こうして桟橋を渡るだけでも胸の裡があたたかくなる。
　あちらこちらと巡りながら、店先にあった器に惹かれて入った店は、なんでも“片割れを失くした器”ばかりを取り揃えているという。言われてみれば、どれひとつとっても同じ柄のものがなく、なるほどと頷きながらクーナは店主へと語りかける。
「え？　占いに使う器……ですか？　あぁ、もしかして水中カフェの」
「そう。そこの玻璃とかは綺麗だけど……うーん、透けてると占いには不向きかな？」
　クーナからの視線を受けた人の良さそうな青年店主は、そうでもありませんよ、と笑顔を返す。
「どの飲み物でもそうですが、茶葉なり澱なりの形が見えたからと言って……」
「あ、そうか。結果に手出しできないのは同じだね。なら、これはこれで――」
　折角の占いなのだ。ここで巡り逢えた器とともに未来を視てみたいと心躍らせていれば、店主との会話も弾むというもの。すぐに打ち解けた青年は、「そうだ、お客さんにぴったりのがありますよ」と小振りの木箱を取り出した。
「わ……これって……」
「はい、小人族が造ったと言われる一品です。お客様のサイズにぴったりでしょう？」
　勿論、これも対になる品はありません。そう言って大切そうにカウンターへと置かれた器を、クーナも大きく瞳を瞬かせながら覗き込む。
　材質は、水晶――いや、硝子だろうか。嵌め込まれた紫の宝石も、なんとも言えず美しい。随所に施された細やかな装飾から、ちいさいながらも丁寧な造りであることが窺える。
　柄は、どうやら本来は対となるもう一式があったらしいと容易に知れるほど、露骨なそれだった。手に取り、全体を眺めてから暫し考えてから、クーナはそっと口を開いた。
「――うん、これに決めた」
「ありがとうございます！　あ、包装はどうされますか？」
「贈り物ではなく私が使うから、簡単で大丈夫だよ」
　再び歓談を交えながら、綺麗に包まれてゆく器を見守る。
　キミは、どこから来たの？　誰と一緒にいたの？
　この世界にひとりきりだからこそ、心惹かれるその存在を見つめながら、クーナは柔く眦を細めるのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　ほんのりと涼気を孕む夜風が、ふわりとふたりの間を抜けながら秋の終わりを教えてくれた。靡き波打つ水面が心地良い水の音を弾かせながら、軽く靴音を鳴らす榎木・葵（影狩人・f44015）と榎木・陽桜（ねがいうた・f44147）の足許へと光の飛沫を躍らせる。
「うふふ、葵さんの衣装、素敵なのです」
「ありがとうございます。陽桜さんの衣装も、良く似合っていますよ」
　今年のハロウィンの仮装は、ふたり揃いのモチーフ。『恋人』のタロットをイメージしたそれは、白のスーツとドレスに、葵は闇色の、陽桜は純白の羽をあしらっている。
「同じモチーフだからでしょうか。初めて見る衣装なのに、なんだか既視感があるのですよ」
「そうですね。色も白ですし――……」
　まるで婚礼衣装のよう、と突いて出かけた言葉を、葵は咄嗟に飲み込んだ。まだ、自分にはやることが残されている。式も――結婚も、まずはそれらを解決してからだと、心の裡で改めて決意する。
「？　どうかしましたか？」
「……いえ、なんでもありません。今日は楽しみましょうね」
　甘えるように腕に絡められた愛おしいぬくもりへと、そっと自身の手を重ねて。穏やかな秋の夜にしっとりと賑わう市を、ふたり並んで歩き出す。
　桟橋沿いに連なる生成り色のパラソルから洩れる、まあるい光。それに灯された器はどれも特別なもののように燦めいていて、鮮やかな色彩と無二の形は眺めているだけでも心が躍る。
「先日のお祭りとは、また雰囲気が違いますね」
「そうですね。ここにも、色々なお祭りがあるようです」
　夏の終わりに訪れた島では、星の花と呼ばれる特別な花を扱っていた。その記憶がまだ新しいからだろうか、ふらり立ち寄った店先で、対になるふたつのカップが目に留まる。
「葵さん、このティーカップとソーサー……上から見ると花の形をしてます」
　落とさぬようにそっと、陽桜がその片割れを両手で包んだ。掌のなかに収まるほどのカップは、ひとひらずつ立体的に造形された花弁がまるで本物の花のよう。
「確かに。素敵なカップですね。造形も丁寧ですし――色も、とても良いです。まるで、陽桜さんのようで」
　先の祭で陽桜から贈られたのは、ちいさな綺羅星を抱いた葵色に燦めくティーカップ。対して娘の手のなかにある器は可愛らしい桜色で、葵もふわりと微笑みを零す。
「……あの、これ買ってもいいですか？」
「ええ、もちろんです。いつか再開するお店に、とても似合うと思います」
　想い描くのは、ふたりで作るあたたかな場所。「似合うお店に、しましょうね」と双眸を細めた葵へ、陽桜も笑顔で頷く。
「あっ。せっかくですし、後ほどこれでお茶をしましょう？」
　ふたりで過ごす今宵は、今日一夜限りだから。
　いつかの前に、今を――カップをちいさく掲げてみせながら、娘はそう花のように綻ぶのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「おー！　ここが飲み物の器だけの夜市かぁ」
「ここから見えるだけでも、色々な器が揃ってるみたいですね。見て回るだけでも楽しそうです」
　誂えたばかりのハロウィンの仮装――対なるサクラミラージュ風の給仕服に身を包んだ陽向・理玖（夏疾風・f22773）と泉宮・瑠碧（月白・f04280）は、湖上でゆったりと賑わう祭の様子に目を瞠った。もう冬の足音も近づいて来ている頃合いだけれど、愉しそうな人々の声を聞くだけで自然と胸もあたたかくなる。
「さーて……どこから見てこうか。瑠碧、何か欲しい物ある？」
「そうですね……お揃いのマグカップなんてどうでしょう？　一緒に寛ぐときに使えるような」
　こてりと首を傾げる瑠碧に、成程と理玖も得心する。思えば確かに、対になるようなマグカップは持ち合わせていなかった。
「じゃあ、普段使いに出来るようなマグ買ってく？」
「はい」
　ほわりと微笑む瑠碧へ返す代わりに、その細い指先に自分のそれを絡めて。ぶつからぬよう、はぐれぬようにと肩を寄せながらふたり、桟橋の先へと歩き出す。
　湖上で大きく円を成す、幅広の桟橋。その内側の水面に映るパラソルの灯りは朧な輪郭を描きながら風に揺蕩い、月と星の燦めきと混じりながら柔く淡く宵闇へと溶けてゆく。それに紛れて耳許に届く弦の音色はどこまでも穏やかで、ゆったりとした｜調《しらべ》が刻の随にひそりと染み渡る。
「多様なカップがありますね……」
「本当、色々あるな。んー……どんなのがいいかなぁ。折角だから、やっぱペアっぽい方がいいよな？」
「はい、ペアが良いです」
　ぐぐっと拳を握り真剣な眼差しを向ける瑠碧へ、理玖は思わず笑み声を立てた。どうやら、愛しいひとの熱量は思いのほか高いようだ。
　ならばと理玖も改めて気合いを入れて、｜方々《ほうぼう》の店先へと――特に、瑠碧には見えないであろう位置の――視線を遣った。娘が気に入りそうな品揃えの店を見つけては、重ねた掌を柔く包みながらそちらへと案内する。
「細工が細かかったり宝石付いてるのも綺麗だけど、何か怖くね？」
　幾軒目かの店先で手に取っていた器を元の場所に戻しながら、理玖が傍らへと視線を向ける。
「怖い？」
「ほら、壊したら勿体ねぇかなって。いや、また買えばいいのかもだけど」
「あ、その懸念はありますね……」
　永久に形を保っていられるものなぞ、早々ありはしない。この夜市に集う器だってそうだ。たとえ異世界製のものだとしても、耐久度に大きな違いはないだろう。
「瑠碧はどんなんが欲しい？」
「普段使いですし、シンプルなカップで良いと思います。例えば……細工ではなく、模様が細かなカップとか」
「いいな、それ。そういうので、シンプルだけど特別な感じのがあったらいいなぁ」
　天使核の灯りの下、ふたり肩を寄せ合いながら様々なカップを見てまわる。幾つか気になるものにも巡り逢いつつ、もうひとつ足を伸ばした店先で理玖がちいさく唸りを洩らした。
「んー……ペアで一点ものってのも、おかしいかな？」
「そういうのも、あると思いますよ？」
「いや……あれはどうよ？　って思ってさ」
「……わ、綺麗な模様……」
　理玖が指さす先にあったのは、一本の蔓草が流麗に描かれた対のカップだった。一色の濃淡だけで表現された、シンプルながらも美しい一品だ。
「……あ。これ、カップを並べて置くと、蔓草がハートの形になりますね」
「ハートか。……いいな」
　言いながら、左右対称の模様を合わせて並べ置いた瑠碧の隣で、理玖が照れながらも口許を綻ばせた。包んで貰うかどうかを問い、瑠碧の希望通り店主へと包装を願い出る。
　木目の綺麗な箱の入った包みを受け取ると、理玖と瑠碧は店を後にした。娘に首元のマフラーを整え直してもらってから、互いの手を再び重ねて、もうしばらく市を愉しまんと爪先を外へと向ける。
「これから寒い時期だし、一緒に使うの楽しみだな」
「はい。何を淹れようか……楽しみですね」
　あたたかなリビングのテーブルのうえに並ぶ、揃いのカップ。
　その光景を待ち遠しく想い描きながら、ほくほくとした心地のまま、ふたつの影が躍るように揺れていった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「見てください、｜白い蝶《フラウ オンブラ》。あちらこちらに異世界のアンティークなティーセットがこんなに……これなら、掘り出し物も期待できそうですね」
　この市の様子を上空から眺めたならば、さぞ地上にも星々が燦めいているかのように見えるのだろう。それほどに闇夜に浮かぶ店々のパラソルの灯りに、エルフの魔法騎士の仮装で今宵を愉しむステラ・バールフリット（｜Reizend Zauberin《魅力的な魔女》・f44391）は傍らへと視線を遣る。
「ああ、勿論カフェでの美味しいスイーツも忘れていませんよ？」
『……ステラ。あんた、わたしが食べ物に釣られて来たと思ってない？』
「そんなまさか。でも、なにかに興味を持ってもらえたのなら、お誘いした甲斐があるというものです」
　事実、今こうして来ているのだからまんざら偽りでもないのでは？　と思ったとて、決してそれを口にしてはいけないことはステラも重々承知していた。誘う際には、夜市の器の話も、異世界の美しさも伝えているから、それらが総じて彼女の興味を惹くに値した――そういうことにしておこう。
　行き交う人々の穏やかな談笑を見送りながら、パラソルから洩れるひかりが照らす桟橋をゆく。時折、天満星と、そしてなによりも清かな月光を映した水面が風に揺れ、足許に金の宝石を鏤める。まるで天の川を歩いているかのような不思議な感覚を、傍らの娘も感じているだろうか。
「次はあちらの店を見てみませんか？」
『別に、わたしに聞かなくても、ステラの見たいところ見ればいい』
　存外、食べ物以外にも本当に気になるものがあったのか、そう言ってエトは嫌な顔をする様子もなく、魔女の行く先々についていった。店先でも表情は変えず、それでも普段よりはじっくりと――普段は一瞥すれば良いほうだ――色形の多彩な器を眺めている。
「これは……さすが星空の綺麗な浮島の夜市。宝石があしらわれていて、満天の星空のようなティーセットですね」
　とは言え、こうも煌びやかともなると、飾り皿よろしく鑑賞するならともかくも実用性には乏しい。ほかにも何かないかと視線を巡らせれば、蝶の意匠の――いや、寧ろ蝶そのものをカップの一部にあしらった品があった。
「フラウ オンブラ、あちら、見てください。あのカップ」
『何？』
　控えめに指を差せば、それを見つけたエトの双眸が僅かに開いた。
「ティーソーサーも花と葉をよく模していて、まるで美しい花にとまる蝶のようです。それにあの花、どことなくデイジーに似ていませんか？」
『……そうね』
「ブルーアルカディアにもあるんですね」
『……そうね』
　いつも通りの声音でいて、けれど視線はカップに釘付けだ。勿論、これも指摘してはならないから、ステラは唯僅かに唇で弧を描きながら店主へと声をかける。
「すみません、こちらお願いします」
『……それ、買うんだね』
「ええ。気に入りましたから」
　誰が、とは添えずに微笑むと、ステラは受け取った包みを手に店主へと別れを告げた。傍らを歩くエトは既に興味をなくしているのか、それとも気にしないふりをしているのか。普段通りの光灯らぬ双眸で、再び辺りを映し始める。
「さて、器は手に入りましたし……フラウ オンブラお待ちかねのスイーツが待つカフェに参りましょうか」
『……ステラ』
「そうですね。お待ちかねではありませんね？」
　すこしくらいふて腐れた表情を見せても良いのに、それすらおくびにも出さぬ娘へと魔女は――今宵の魔法騎士は、もうひとつ笑みを重ねるのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　水面に幾つもの波紋を描きながら、さらさらと柔く渡ってゆく夜風の群れ。その背に乗って、異国めく弦の音色が夜市を静かに満たしていた。連なる店々の多さを物語るのは、宵闇に灯る光の傘たち。この夜空に鏤められた星から零れたひかりの雫を浴びたかのようなその光は、このひとときを愉しむ人々の笑顔を優しく包んでいる。
　対岸が見えぬほどの湖は、雲海ばかりの浮島に在って、まるで海のようだった。手触りの良い白砂の続く畔から沖へと伸びた桟橋は、並んで歩いても人とぶつからないほどの幅はあろう。幾つかの階段を昇った先にある桟橋の始点こそが、待ち焦がれた時間の始まりでもあるのだと、冴島・類（公孫樹・f13398）と城野・いばら（白夜の魔女・f20406）は浮き足立つ心のまま其処へと向かう。
「足元気をつけてね」と微笑む類へと花笑みを返すと、いばらは差し出された手に己が手を重ねた。ハロウィンの夜でもあるならばと、ふたり選んだ仮装のモチーフは『不思議の国』。要所に和の要素やスートを取り入れて、“スペードの庭師”の類は、華やかなれど裾の長い“ハートの姫”のいばらを気遣い、紳士然とした所作で騎士のように姫をリードする。
「ふふ。ありがとう、リティのスペードさん」
「どういたしまして。君は僕のはーとのお姫さまだもの。えすこーとできる誉をいただけて、幸せだとも」
　幻想的なひかりのなか、そんな言葉をくれるのだもの。しかも、「その装いもとっても可愛いよ」なんて添えられたら、頬もほんのり薔薇色に染まってしまう。どきりと跳ねた鼓動すら聞こえてしまいそうで、いばらは一度逸らした双眸に眩い夜景を映してから、類へほわりとはにかんだ。
「綺麗だねぇ」
「うん……綺麗だねぇ」
　ぎゅっと握られた、掌。
　娘の頬のいろが、重ねたぬくもりが、確かな胸の高まりを伝えてくれるから。胸の裡で鳴り止まぬ心音を秘めながら、類もまた愛おしいひとへと眦を細める。

　今日のふたりのお目当ては、“揃いの湯呑み”。
　けれど、こんなにも素敵な宝物が集った場所でそれを探すのは、金銀の耀きでできた天の川でたったひとつの綺羅星を探すようなもの。だから類は高い場所へ、いばらは低い場所へと眼を向けながら、ふたり手分けをして探索に挑む。
（取っ手の無いコ、取っ手の無いコ……――あっ、）
　ひとつ瞬いたいばらの眸が、星のように燦めいた。
「ね、類」
「お。見つけたかい？」
　くいくい、と手を引かれながら名を呼ばれた類もまた、いばらの見つめるほうへと視線を向ければ忽ち喜色を湛えた。急く気持ちのまま足早に傘の下へと入ると、まさに求めていた品々の並ぶ様に感嘆の息を零す。
　言葉なくとも、その表情が物語っていたのだろう。こうした品を求めていたのかと問うた店主に頷きを返せば、「こういった品は、ここいらの浮島じゃ珍しいんだ。集めた甲斐があるってもんだよ」と立派な髭を撫でて男も和やかに笑った。
「これは……思った以上に種類があって、目移りしてしまうね」
　言いながらも、緩むことなく真剣な眼差しを器へと注ぐその横顔を、いばらはひそりと見守る。
（ふふっ。私はすぐ目に留まったコを選びがちだけれど、旦那さんは逆ね）
　故郷柄、湯飲みについては彼のほうが詳しい。だからこそ、そのお眼鏡にかなった器をと願ってやまない。
「陶器の、磁器の……あっちには木製のコもいるの」
　ふうわりとした色合いの青磁が気になっていた類は、傍らからの声に惹かれて視線を移した。天使核のひかりの粒子を纏い、優しい木目が一層ぬくもりを帯びているかのよう。
「ううん……どっちも良くて悩む……。――そうだ、リティ。ちょっと手に持ってみて」
「器を？」
「そう。こういうのって、大きさや肌触りも大切だからさ。どっちが手に馴染む？」
　答えが待ち遠しいと期待の眼差しを向けられながら、いばらはまず青磁の器をそうっと持ち上げた。肌に触れる表面の感触や、両の手で包んだサイズ感を記憶してから戻し、次に木の器を丁寧に手に取ってみる。
「このコは槐さんなのね」
　暖かくて穏やかな湯呑さん、と器へと花綻ばせるいばらの姿に、類は静かに瞠目した。まるで陽だまりのなかにいるような心地のまま、自分ももう一対のそれに触れてみる。
　丁度掌にフィットする、緩やかな曲線。丁寧に磨がれたのであろう、つるりと心地良い手触りに、自然と口許も綻んでゆく。
「折角なら、永くゆったり寄り添ってくれるコたちが良いね」
「そうだね。……なら、木の方にしようか」
　植物の息吹は、ふたりにとっても馴染み深い。木製ならば、長く使えばそれだけ色合いにも深みが出て、味わい深くもなるだろう。
「それに、槐の木みたいだから、魔除けや、長寿の意味でもいいかもしれない」
　この湯飲みとも――そして、互いにも。末永く連れ添いたいと想い願うのは、いばらも同じだから。「魔除けや長寿さん……すごいのね」とこくり頷きながら、旦那様の決定に笑顔で賛同する。
　丁寧な包装には、ふたりの彩のリボンを掛けて。「器も、良い出逢いができて喜んでいるよ」と礼を添えた店主に見送られながら、類といばらはまた、賑わい冷めやらぬ桟橋をゆく。
「ふふ、この後の占いも楽しみだね」
「ええ、湖さんの中でのお茶もね」

　こんな日々が、これからも変わりなく続いてゆきますように。
　――よろしくね、槐さんたち。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

第2章 日常 『宵のソラカフェ』

POW   :    少し冷えた時間に温かな料理を SPD   :    流れ星を探しながらドリンクを WIZ   :    目移りするスイーツを選んでじっくりと 👑5 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

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🎃𝕱𝖔𝖔𝖉 𝕸𝖊𝖓𝖚
　✦ハロウィンパフェ
　　a.Twilight Forest
　　　大粒の紫葡萄/カシスと紅茶のジュレ/葡萄シャーベット/オレンジケーキ
　　　カットオレンジ/グランマルニエのゼリー
　　　紫からオレンジへのグラデーション織り成す層。背高の器の外へと零るる
　　　葉付きの小粒葡萄を森に見立て、縁に燦めく満月のオレンジを添え。

　　b.Bloody Queen
　　　薄くスライスした苺/ブランマンジェ/カシスソース/レアチーズケーキ
　　　チョコレート/ラズベリー/コケモモのコンポート/コーヒージュレ
　　　金のラインで装飾されたグラスは女王の玉座。雪白なる大地に咲く
　　　薄紅の華の下には、血と闇に染まる“秘密”があるという。

　✦マシュマロおばけのガトーショコラ
　　濃厚でしっとりとしたガトーショコラの上に
　　親指ほどのマシュマロに顔を描いたおばけを乗せて。

　✦ジャックのパンプキンパイ
　　まあるい型で焼いたパイの顔はジャック・オ・ランタン！
　　複数人用の大きなサイズと、お一人用の小さなサイズがあります。

　✦パンプキンクリーミーシチュー
　　ミニ南瓜をくり抜いた器に入った、野菜と茸たっぷりほくほくシチュー。

　✦南瓜と紫じゃがいものストライプガレット
　　表はカリッ、中はモチッ。ボリューム感あるポテトガレット。
　　一口食めば、とろりとしたチーズとベーコンの塩気がたまらない。

　✦蜘蛛の巣伝うかぼちゃのスープ
　　濃いめのかぼちゃスープの上には、生クリームで描いた蜘蛛の巣を。

　✦黒猫シャルキュトリー
　　軽快に歩く猫のシルエット型プレートに盛り付けられた、チーズやハム。

　✦血の晩餐・厚切り肉のワイン煮込み
　　ほろほろ崩れるほどに柔らかなお肉は、
　　南瓜のピューレと真っ赤なベリーソースの2種のお味でお楽しみください。


☕𝕯𝖗𝖎𝖓𝖐 𝕸𝖊𝖓𝖚
　✦お茶
　　各種茶葉を取り揃えておりますので、お好みのものをオーダーください。
　　※占いができるのはホットのみ。

　✦珈琲
　　挽いた粉ごと淹れたもの。上澄みをお召し上がりください。
　　※ミルク入りもありますが、占いができるのはブラックのみ。

　✦ワイン
　　赤、白、ロゼ、オレンジのほか、珍しいグリーン、イエロー、黒もあります。
　　※占いができるのは赤または黒のみ。
　　※スパークリングワインもありますが、占いはできません。

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●月光に揺蕩う
　夜市の舞台たる湖上でまあるく弧を描く桟橋の、その途中から内側へと伸びる短い路があった。
　ほんの数歩ほどの長さを渡った先にあるのは、１枚の扉だった。その向こう側は、人が数人入れるほどの硝子で作られた箱状の空間があり、湖底へと続く螺旋階段が伸びている。
「これは凄いな……どういう設計なんだろう」
　硝子の壁越しに水面の境を眺めながら水中へと潜ってゆく不思議な感覚に浸りながら、遠藤・修司（ヒヤデスの窓・f42930）はそう独り言ちた。一段目こそ薄暗いものの、等間隔に並ぶ円形の窓から洩れるパラソルの灯りが、その先に続く階段を淡く照らしてくれている。
　数ｍほど下っただろうか。視線の先が今以上に明るいことに気づいた修司は、踏み外さぬようにと落としていた視線を上げた。
　瞬間、眩い青が男の視界を一気に染め上げた。思わず窄めた双眸をゆっくりと開きながら、今一度目を凝らす。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
　そう出迎えてくれた店員――白シャツに異国柄の腰エプロン姿の女性へと軽く会釈すると、修司は手近な空いている席へと座った。メニューを眺めたのち、珈琲と黒猫シャルキュトリーを注文すると、改めて視線を巡らせる。
　絶えず揺らめく水面の蒼を映した空間は、此処がまさに水中なのだと改めて教えてくれる。店内を包む硝子ドームの向こうでは幾つもの魚影が群れを成して嫋やかに躍り、夜市と、そしてなによりも天頂で佇む満月のひかりが水を透いて降り注ぐ。夜だのに月の懐に抱かれているような、そんな錯覚さえ起こしそうだ。
　然程待たずして運ばれてきた料理を前に、修司の口端が微かに上がった。黒猫型のプレートの片側にはプロシュートや生ハム、サラミが、もう片側にはクリーム、カマンベール、モッツァレラの３種のチーズが盛られている。
（あ、お皿が猫だ……可愛いなあ）
『ほらね、形や雰囲気も大事でしょ』
　無意識に呟いた心の声に、“僕”が得意気に言った。うーん、とちいさく洩らしながら、「まあそうかもしれないね……」と心中で返す。
　チーズのまろやかな風味とハムの塩気を堪能する傍ら、まだ熱を帯びている星空のアンティークカップを一瞥した。漉さずに淹れられた珈琲から漂うほっとするような香気が、修司の鼻腔を擽る。
（そういえば、占いはしないの？　やりたいなら交代するよ）
『やった！　じゃあ、せっかくだしお言葉に甘えて……』
　再び“僕”へと身体を明け渡すと、サイキックハーツ世界の僕は早速カップを持った。ふわりと香る珈琲に頬綻ばせながら飲まんとして――ふと、手を止める。
（名前……この場合、どちらの名前にしたものかなあ？）
　僕か、“僕”か。
　はたまた、ほかの“僕”という選択肢だってある。
（まあいいか。今回は“｜僕《彼》”の、今後の運勢を占ってあげよう）
　どんな結果であれ、それは｜僕《彼》がこの先歩んでいく道の標となる。それに、自分はサイキックハーツ世界で改めて占えば良いけれど、｜僕《彼》はこんな機会でもなければ屹度、自ら試すことなぞ唯の一度もないだろうから。
　修司の名を唱えながら、未来を乞う。酸味と苦味のバランスが丁度良い珈琲をじっくりと味わい、器を時計回りに３回まわしてから伏せる。そうして再びそっと持ち上げたカップの底を、己が眼で――それを通して、修司も共に――じっと見る。
『これは……十字架？　……にしては、横が短いね……』
（……あ、そうか。これ、剣だ）
　言って、僕の持つ魔術知識を手繰り寄せる。

　――【剣】。それは、力と豊穣。特に、誓いとともに行動することで、その未来が拓かれる。

『誓いかぁ……』
　露骨に重苦しい溜息を漏らす“僕”に、思わず苦笑が漏れた。確かに、彼が騎士然となにかを誓うような姿はそう簡単には想像できない。
（まあ、あまり気負わない程度に参考にするといいよ）
　そう言い残すと、再び修司へと五感が引き渡された。
　まだ舌に残るのは、上質な珈琲の余韻。
「……さてと。もう１杯、なにか頼もうかな」
　誓いよりも先に片付けるべくは、眼前のチーズとハムであることは間違いない。
　男は再びフォークを手に取ると、ゆるりと湖底での食事を愉しむのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　ふたり頭を近づけて、メニューと睨めっこをすること暫し。
「んー……よし、決ーめた！」
　そう言って意気揚々と店員を呼び止めた祝聖嬢・ティファーナ（フェアリーの聖者×精霊術士【聖霊術士】・f02580）は、ティティス・ティファーナ（召喚獣「アストラル・エレメント（幽魔月精）」・f35555）の開いていたメニューのうえをぱたぱたと飛びながらさくさくと注文していく。
「ボクは林檎と桃と、オレンジの紅茶をひとつずつ！　あ、ティティスは占いするからコーヒーと……食事は血の晩餐ね☆」
「分かった」
「それとー……――ああ、ちょっと待って待って！」
　ふたりの周囲であれやこれやと希望を連ねているのは、フェアリーランドから勝手に出てきたいつもの顔ぶれ――数多の精霊を始め、聖霊や月霊、戦乙女、天使、英霊、死神たち。“七色こんぺいとう”とは違うお菓子が食べたいと騒ぐ声を聞き取って、
「じゃあ、ミンナで食べれるジャックのパンプキンパイも！」
「バンザ～イ♪」
　追加でオーダーしてくれた祝聖嬢へと、皆も両手を挙げて大喜びだ。
　程なくして運ばれてきた料理を前に、一段と盛り上がる仲間たち。テーブルやグラスに変形させたファンネルビットを囲んで、それに乗ったり追いかけたり。
　まさにお祭り騒ぎとなったテーブルの一角へと双眸を細めると、ティティスは再び厚切り肉を口へと運んだ。どれだけ煮込まれたのだろうか、ナイフを入れたときも感じたが、食んだ瞬間の食感はそれ以上に柔らかく、ほろほろと口の中で蕩けてゆく。南瓜のピューレの優しい甘さとベリーソースの甘酸っぱさがそれぞれ異なる旨味を加え、濃厚でありながらもワインの酸味が後味を爽やかにしてくれる。
「――姉、そろそろ占うか」
「……ん。そうする！」
　一通り食べ終えた後、賑やかな最中で先に食事を終え、テーブルの端でフェアリー用のちいさなカップに注がれた珈琲をじっと眺め続けていた祝聖嬢へと声を掛ければ、ちいさな手でぐっと拳を作りながら頷きが返ってきた。なればとカトラリーを皿に置くと、ティティスも姉のフォローへと入る。
　ふたり視線で合図を送り合いながら、手順に倣ってカップを回し、傾け――そして、ソーサーへとそっと伏せる。
「これが女子力か……」
　雫が落ちきるのを待つ姉の様子に、ティティスがぽつりと零した。燦めくもの、不思議なもの、お洒落なもの。そういったものの良さは未だ性格に理解しきれてはいないけれど、興味津々な眼差しを向ける姉の姿には自然と感嘆の息が漏れる。
（……外で撮影している流星群や銀河も、後で見せねばな）
　どの世界よりも空に一番近い場所なればと、先に設置しておいた超望遠の撮影機材。
　きっと姉も喜んでくれるはず――そう微笑むティティスの横顔もまた、今日のひとときを撮影しているファンネルビットの記録に、鮮やかな思い出として残ることだろう。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「……素敵……水族館の大水槽とも違う趣ね」
　席へと案内され、注文を終えた夜鳥・藍（宙の瞳・f32891）は、改めて仰ぎ見た硝子のドームの様相に感嘆の息を洩らした。
　占いと聞いたのなら、訪れずにはいられない。だからこそ、浮き足立つ気持ちもそれへと注がれていたのだけれど、こうしてこの光景を――月と、星と、パラソルのひかりが水を透いて毀れ、夜風に揺蕩うたびにゆらゆらと耀きが降り注ぐ蒼の世界を目の当たりにすると、思わず浸り、見入ってしまう。
　すぐ傍らの硝子の向こうを、魚たちが流麗な帯を生みながら泳いでゆく。その奥に見える、翼を広げたかのような影はマンタだろうか。ひらりひらりと舞うよう漂う姿は愛らしくて、藍の眦もふわりと緩んだ。
　そうして幻想的な水中を眺めているうちに、ふうわりと美味しそうな香りが届いた。視線を戻せば、すぐ傍らから南瓜と紫じゃがいものストライプガレットと、パンプキンクリーミーシチューがテーブルへと並べられ、その見目も相俟って一層食欲が掻き立てられる。
「では……いただきます」
　カトラリーを手に取り、それぞれを一口ずつゆっくりと食む。ほくほくのポテトガレットは、カリッとした歯応えに続き、もっちりとした食感のなかからとろりと濃厚なチーズが口いっぱいに溢れ、その中にあるベーコンの塩気が良いアクセントになっている。片や、ミニ南瓜を器に見立てたシチューはごろりと野菜が詰まっていて、程良い南瓜の甘さに飽きることなく匙を進められる。
（この塩気と甘さ……交互に食べるとついつい夢中で食べてしまって……体重、大丈夫かしら？）
　一瞬過ぎった懸念も、この美味しさを前にしたらすぐに立ち消えてしまうもの。藍は幸せに浸りながら、暫しの間食事を心から満喫し――じんわりと裡からあたたかくなったところで、次いで運ばれてきた淹れたての紅茶のカップと対峙した。
「さて、いよいよね」
　一呼吸し、心を穏やかに整えてからハンドルを利き手とは逆の手でそっと持つ。裡で唱えるのは、己の名と、残り少ない年内までの運勢だ。
　すこしずつ傾けたカップから身体へと染みてゆく、茶葉の香りと爽やかな風味。これ単体でも十二分に満たされる心地に浸りながら、けれど決して飲みきらずに。ほんのりと残してカップを反転させて、待つこと数分。そろそろといった頃合いに元に戻せば、その白磁の底には半円の月があった。
　満ちゆくようにも、欠けゆくようにも見える形に、ふとムーンストーンの淡い燦めきが脳裏に過ぎる。
「これは……良くも悪くも、なにか変化があるのかも」
　――当たるも八卦、当たらぬも八卦。
　ともすれば、本当にささやかな変化やもしれないけれど。
　それに気づけるように在りたいと、藍はそっとカップを両の手で包みながら半月へと微笑みを零した。

大成功 🔵​🔵​🔵​

「湖の底にあるカフェか。相変わらず、このブルーアルカディアはおもしろい」
「本当だね。――あ、律！　あっちに鮮やかな色の魚の群れがいるよ」
　テーブルへと案内されながら、周囲で絶えず繰り広げられる魚たちのショーに、真宮・響（赫灼の炎・f00434）と真宮・律（黄昏の雷鳴・f38364）の声も弾む。ずっと眺めていたいほどだけれど、今日訪れたお目当ては食事と占いなのだと早速メニューを開けば、
「おお、ナイトマーケットもとてもいい雰囲気だったが、ハロウィン仕様のカフェのディナーも見事だ」
「そうだな。美味しそうなディナーが目白押しだ！！　ああ、何にしようか！！」
　忽ち双眸を燦めかせる律に、響が思わず笑みを零す。
「あ、健啖家の律の目がキラキラしてる。ふふ……これはテーブルが山盛りになりそうだねえ」
「まあ、俺達も４０代だしな。それなりにチョイスするさ。――では、クリームシチュー、ガレット、シャルキュトリーを。これでテーブルも一杯だろう」
「うん、たっぷりだね。トッピングも良くておいしそうだ」
　デザートと飲み物も合わせて注文し終えると、ふたりは再び他愛もない話に花を咲かせる。
　子供たちのこと、日常のこと、過去と、そして未来まで。淡い金と透いた蒼が陽炎のように揺らめき、テーブルを、互いの姿を魔法のような燦めきに彩るなか、語らう和やかな声と微笑みがゆったりと流れる時間に染みてゆく。
　そのひとときを一層盛り上げてくれるのは勿論、次々に運ばれてきた料理たちだ。
　まずは、優雅に歩く黒猫を横から見立てたトレーに並ぶ３種のハムとチーズで小腹を満たしてから、メインとも言えるポテトガレットとパンプキンクリーミーシチューへと手を伸ばす。
　ミニ南瓜の器を使ったシチューは、まろやかな舌触りと甘味。具だくさんの野菜はどれもほくほくと柔らかく、夜気に冷えた身体もすぐに温まるというもの。
　一口サイズにカットしたガレットは、口のなかに入れた瞬間、カリッとした歯応えに思わず笑みが洩れる。続けて、もちもちとした中からとろりと溢れるチーズとベーコンの旨味と塩気が一気に裡から満たせば、もうひとつ、またひとつとついつい食べ進めてしまう。
　そうして十分満足したふたりだけれど、食後のデザートも勿論忘れてはいない。
　極上の宝石のような燦めきを抱きながらテーブルに置かれた２種のパフェを前に、口許を綻ばせながらふたりはそっと匙を取る。
「スペシャルパフェなんて最高だな。響のパフェも、凄く似合いだ」
「私といえば赤だろう？」
「まあな。響は紅の華だし、女王の気品がある。その武人気質もな」
　くすりともうひとつ笑みを零しながら律は、まずは月に見立てたキャラメリゼされたオレンジを食んだ。煌めく月の、なんと美味なことか。
「え？　元々武闘派の女王の雰囲気あるのか？　アタシ。……ふふ、まあ名家の娘だし、戦士気質は否定しない」
　言って、響も薄くスライスした苺の花片にブランマンジェを絡めて食べ始める。つるりとした甘い食感と苺の甘酸っぱさは程良くて、これなら幾らでも食べられそう。
　すこしずつ、すこしずつ、パフェグラスを浚えて。名残惜しみながら最後の一匙を嚥下したら、最後は赤ワインで未来を占おう。
「「乾杯」」
　グラスを掲げ、すべてを手順通りに進めた末に現れた｜形《シンボル》をじっと見る。
「俺のは……馬蹄だな。“幸運と守護”か」
「あ、アタシのは太陽だ。“繁栄、再生、勝利、成功”……ね」
　それは、ふたりのことだろうか。家族のことだろうか。
　互いに知りたかった｜未来《もの》へと想いを馳せながら――辿り着いたのは、ひとりの姿。
「……太陽と言えば、響の父さんを思い出すな。夕暮れや夜明けの太陽のような人だった」
「うん、本当そういう人だよね。離れて暮らして久しいけど、今どうしてるんだか」
「そうだな……俺も、一度会ったきりだ」
　それでも、忘れることなぞできぬその姿を胸に抱きながら。どちらからともなく、交わる視線に笑みを重ねた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　あーん、と互いが自然に差し出した一口の美味を、榎木・葵（影狩人・f44015）も榎木・陽桜（ねがいうた・f44147）も笑顔で頬張った。
　その美しさに感嘆しながら、「なんだか満月の魔法を食べてるみたいです」と陽桜から向けられた一匙は、カシスと紅茶のジュレの爽やかな風味と舌触りに葡萄の甘味が余韻を残す。
「葵さんにもあたしからの魔法、なのですよ」
「ふふ、ありがとうございます。ストライプガレットも美味しいでしょう？」
　紫と黄で彩られた見目は勿論、カリッとした食感に続く、ほくほくもっちりポテトととろり濃厚チーズ。そこにベーコンの塩気が重なるのだから堪らない。陽桜はその贅沢な取り合わせを満喫しながら、ふわりと笑顔で頷きを返す。
　気を遣わずとも、流れるように身体が動き、共に食を愉しむようになったのはいつからだろうか。それでも、この“日常”が“特別”だと感じるのは、水の裡にありながらも柔く揺らぐキャンドルのひかりがあるから。
「すごく幻想的ですね」
　そう、淡い灯りに照らされながら微笑むあなたの姿も、惹かれずにはいられなくて。
「はいです。……月の明かりも、とても綺麗なのです」
　陽桜も夜の蒼に、花笑みを灯す。

　食後に――占いのためにふたりが選んだのは、紅茶だった。カシスの芳香を纏いながら、夜市で買った花の器が運ばれてくる。
「……では、占いをしてみましょう」
　真剣な眼差しで琥珀の水面へと視線を落とす葵を、陽桜もまた祈るように見守る。
　“彼の半身に関する手掛り”――それが、彼の占いたいことだろう。だからこそ、この桜色のカップが良い結果をもたらす鍵であってくれたら良いと、願わずにはいられない。
　すこしでも情報を欲する心を静めて、葵は眸を閉じた。手順を守りつつ、紅茶の風味を味わってから、伏せた椀をそっと戻しながら手繰り寄せた未来を見る。
「葵さん、そっちからだと何に見えますか……？」
「これは……“馬蹄”、ですか。“幸運、大いなる守護”……ふふ、当たっているかも知れませんね」
　そう、どこか愉しそうに眦を細めた葵が、テーブルのうえへと置かれていた陽桜の手に、己のそれを重ねた。
「僕にとって最大の幸運と守護は、陽桜さんと一緒にいることですから。……この手を離さないようにという、暗示かも知れませんね」
　いつだって向けてくれる、その優しさが、ぬくもりが、なによりも愛おしくて。娘もその想いのままに藍の双眸を緩める。
　ひとつ、道は示された。
　なれば、そこにもうひとつを添えよう。靄を手探りで辿るような道筋なのだ。標は多いほうが良い。
「では、あたしも占ってみますね」
　葵に倣って、裡なる静寂に祈りを灯す。どうか、どうかと、切に紡ぐ。
「あ……“逆向きの花”……」
「“悪い誘惑”……嫌な予感もしますね」
「……半身さん、誘惑されちゃってる？」
　そう小首を傾げた陽桜の不安を払うように、葵が硝子の奥の眸を細めた。
「ふたりでいれば大丈夫。……そういうことでしょう、きっと」
「ふふ、そうですね」
　重ねた掌をそっと返して、手を繋ぐ。

　大丈夫だと信じましょう。
　あなたの探索の旅も――ふたり歩み至る、その未来も。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　泉宮・瑠碧（月白・f04280）の手を引きながら、蒼に染まる階段を降りた先。紺青に揺らぐ水面の世界を前に、陽向・理玖（夏疾風・f22773）は思わず足を止めた。
「おー……すげぇ雰囲気あるな」
「はい。湖の中、というのも凄いですね……」
　昼間ならば燦々と降り注ぐ陽に燦めいているであろう硝子のドームも、今は夜空から零れる淡いひかりがあるばかり。あたりに置かれたハロウィンモチーフのキャンドルも、ちょうどそれぞれのテーブルだけを包んでいて、その仄暗さが落ち着いた雰囲気を醸し出している。
　いらっしゃいませ、と一礼を交え、席へと案内する店員の後に続く。着物にエプロンといったハイカラ給仕服に身を包んだふたりも、ここでは暫し給仕を忘れて客人として座すと、期待に胸膨らませてメニューを開く。
「わ、メニューもイベント限定が沢山ですね」
「だな。すげぇ、パフェとか凝ってて美味そ――……お？」
「……ん？」
　弾んでいた声がぴたりと止まり、瑠碧が視線を対面へと移せば、そこには真剣な眼差しで手許を見つめる理玖の姿。
「瑠碧……肉がある」
「え……？　あ、確かにありますね」
　普段から肉は食さぬ娘の手前、率先して注文するのも躊躇ってしまう。ここはパフェにすべきか――「肉……パフェ……肉……パフェ……」と呪文のように呟き、終にはちいさく唸りながらメニューと己を交互に見遣る理玖があまりにも愛おしくて、つい瑠碧の口から笑み声が洩れる。
「っ、ふふ……」
「瑠碧……その、肉……頼んでいい？」
　そう尋ねるその言外には、申し訳なさが滲んでいるのが分かるから。
「……いえ、理玖の食べたい物で大丈夫ですよ。私はパフェで……Twilight Forestにします。あと、ストライプガレットも」
　だから気にしないでください、と。娘も言の葉の端に想いを添えた。

　そうして待つこと暫し。その姿を見るよりも先に旨味を閉じ込めた肉の香に気づいた理玖が、反射的に運ばれてくる料理へと視線を遣った。すべての品が並べられれば、一層その眸が燦めきを増す。
「おおお厚切り肉！　旨そう！　じゃあ、早速――頂きます」
　言って、手を合わせるのも一瞬。すぐさまカトラリーを手に取り、一口大に切った肉を頬張って咀嚼する。
「柔らかっ！　旨！」
　かなりの長時間煮込んでいるのだろう、数センチはある厚みながらすこし歯を立てただけでほろりと崩れる肉は、食めば忽ちじゅわりと素材の旨味が口いっぱいに広がった。丁寧に仕込まれた極上の肉の上品な脂は癖もなく、赤ワインの酸味と相俟って雑味のない爽やかな後味を残してくれる。皿の上下に弧を描く２種のソースは、彩りも愉しめるばかりか、南瓜の甘さとベリーの甘酸っぱさがそれぞれ肉の味を何段階にも引き上げている。
「やべぇな……味変も出来ていくらでも食える……」
「ふふ、良かったです。理玖、ガレットも半分こしましょう」
　言いながら切り分けて、互いの皿へ乗せた一切れをぱくりとすれば、紫じゃがいものと南瓜のほくほくとした食感と甘さに、頬も自然と緩んでしまう。
「パフェは崩してしまうのが勿体ないですね……ん、おいひい」
　たっぷり熟した葡萄に、甘酸っぱいカシスと芳潤な紅茶の風味が絡まって、得も言われぬ美味に包まれた瑠碧の様子に、理玖の眦もまたふわりと緩む。
「……理玖も、一口どうぞ」
「お、ありがとな」
　食後のデザート代わりにと差し出された匙は、あーんと幸せ染む心地で頬張って。満足ゆくまで食を愉しんだふたりの前に、その香りだけでも心和む紅茶が運ばれてくる。
「んで……折角だし占う？　とはいえ、これといってなぁ」
「そうですね……悩みや心配事も、今は特に……」
「あ、そうだ。来年がどんな年か――みたいな内容でもいっか？」
「来年の象徴とか、そういう感じでしょうか」
　きょとりと瞬く瑠碧へ、そうそう、と理玖も頷く。たとえ微妙な結果だったとしても、それに気をつければ良い程度の――そう、指針のようなものだと思えば、あまり気負わずにも済むだろう。
「すこし残して……ん、飲み終えました」
「んで、回したら伏せるっと。――……そろそろいっか？」
「そうですね。さて、どんな形が……あ、私のカップのここ、イルカがいますね」
「俺のは……何の形だろ……瑠碧、分かる？」
「えっと……あ。ここ……ランプに見えます」
　自身から見てそう見えるということは、つまりは“逆さのランプ”。従来ならば“闇からの守護”を意味するそれも、逆さとなると“自己犠牲”の意味となる。
　対してイルカの｜形《シンボル》は、“浄化と豊穣”。
　ふたつの意味を胸に抱きながら――その青の双眸に互いの姿を映してふたり、未来へと想い馳せた。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「は～～南瓜の優しい甘味最高～～！」
「うーん……この季節になると温かいのが染み渡る……！」
　蜘蛛の巣伝うかぼちゃのスープとパンプキンクリーミーシチューを一匙すくって口へと運んだ海藤・ミモザ（millefiori・f34789）とクーナ・セラフィン（雪華の騎士猫・f10280）は、忽ち裡からじんわりと広がる幸せのままにほにゃりと頬を緩ませた。
「ミモザさん。私の、ちょっと味見してみる？」
「え？　いいの！？　じゃあ私のもどーぞ！」
　言って、クーナは人間サイズの匙を槍のように扱って、ミモザへ。ミモザは妖精猫用のちいさな匙で――Win-Winじゃなきゃね！　と自分が貰った量と同じくらいを、すこしずつ――クーナへ。似たようにクリーミーだけれど、濃く甘い南瓜と、ほんのり塩気のあるミルクのふたつの味が、ふたりを一層あたたかく包み込んでくれるよう。ゆっくりと愉しめればと選んだ品は、どうやら大正解だったようだ。
「雰囲気も何となく清らかなだし……いい感じだね」
「うんうん。なんか水族館のなかにいるみたいで、不思議な気分……！」
　すぐ傍らの硝子越しには、夜染む水中を優雅に泳ぐ魚たちの姿があった。所々に置かれた天使核の照明が魚の身体を七色に燦めかせ、昏いはずの世界に鮮やかな光と彩を鏤めている光景は、これだけの料理を前にしても容易く見入ってしまいそうなほどに幻想的だ。
　物足りない、とミモザが追加で注文したシャルキュトリーをおつまみに、ふたり改めて占い用の背丈の低いグラスへ注いだ赤ワインで乾杯！
「さて、占いをしようか」
「だね♪」
　愉しい気持ちも、今ばかりは暫し抑えて。落ち着きを取り戻した心の裡で、名と占う内容を静かに唱える。
（名は……クーナ。占いごとはー……『許せる日は来るのかな』）
　――私が、私を。そう付け加えながら飲み干したグラスを伏せると、ワインの雫が落ちきるまでじっと待つ。その僅かな合間にも、色々なものが――過去が、胸を過ぎる。
「そろそろ？」
「かもね。――じゃあ、どんなシンボル見えるかな……？」
　ふたり頭を付き合わせてグラスの底を覗き込めば、そこには緩やかな弧を描いた先に濁りの堪った澱があった。
「これはこれは……稲穂ですね」
「「稲穂？」」
　声を合わせて視線を向けたふたりに、白シャツに異国柄の腰エプロンを巻いた店員が説明を添える。
　稲穂とは、生命の大元であり刻の始発点。
「つまり、“原点回帰”です。いつかは｜そこ《・・》へ戻ることを意味しています」
「原点回帰……」
　呟きながら、クーナの裡にその言葉が染みてゆく。
　嘗て、二度の革命の中心に在り、大勢の運命を変えた。だのに自分は罰さえ受けることもなく、今はこうして世界を渡り人助けをしている。
　猟兵という立場から数多の未来を救ったとしても、己の過去は変えられない。それでもいつしか、変化の刻が訪れるのだろうか。
「……クーナさん、大丈夫……？」
「ん？　ああ、うん。妖精猫にも色々あるんだにゃー」
「じゃあ、そんなクーナさんに私の占い結果も捧げよー！」
「捧げる……？　ミモザさんは何を占ったの？」
　不思議を孕んだその双眸を受け止めた娘は、得意気に口端を上げる。
「『私がクーナさんになにかしてあげられることあるかな』って。――ねね、店員さん。これ、梯子に見えない？」
「そうですね。梯子の意味は、“努力と開花”。あなたのできることを少しずつ重ねていけば、結実するでしょう」
「そっか……よし！　じゃあ、まずは今日を愉しもう！　それで、明日からも一緒に遊ぼー♪」
「あはは……！　――うん、そうだにゃー」

　共に、ひとつでも多くの笑顔と歓びを。
　――それがきっと、未来の花へと繋がると信じて。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　待ち人を想いながら仰ぎ見た先にあるのは、綺羅星たちのひかりごと夜空を映した湖水の天穹。どこまでも澄んだ水面を通って降り注ぐ夜市や月光の明かりは、紫紺の世界を柔らかに灯しながら人々の談笑へと混じって溶けてゆく。
「んー……慣れねぇ……」
　UDCに対抗する日々故に、異形であればすっかり見慣れてしまったものの、こうした異世界感溢れる事象となれば話は別だ。都嘴・梓（｜嘯笑罪《ぎしょうざい》・f42753）の裡に根付いた現代日本ならではの文明や常識が、眼前に広がる幻想的な風景を解せずに未だぐるぐると彷徨っている。
　とはいえ、焦る必要はどこにもない。ここは既に大戦の終わった場所で、今日は長閑な祭の日。なれば梓も、吸血鬼の仮装姿でへらりと口許を緩めのんびると相棒を待つだけだ。
　｜顔なじみの猟兵《きつねちゃん》を手伝っているであろう一ノ瀬・漣（Pour une infante défunte・f44080）には、敢えて待ち合わせ時間は伝えずにいた。そのほうが彼も気持ちの余裕が持てるだろうし――梓としても、準備を整える時間が持てるから。
　月影が淡く落ちるテーブルのうえには、キャンドルウォーマーで温められたティーポットと耐熱シャンパングラスがふたつ、出番が来るのを待っていた。ポットの中身は、生とドライの両方のジンジャーをたっぷりと入れた特性フルーツティー。好みで追加できるよう硝子のミニピッチャーに入った蜂蜜と、語らいのお供たる黒猫皿に盛られたシャルキュトリーも揃っている。
「――あっ、梓！　待たせてごめんね……！」
「レーン、お疲れ様ぁ。いいよぉ、お手伝いしたんでしょ？」
　背中へと届いた相棒の声に、梓は肩越しに振り返りながら眦を緩めた。抱えるほどの赤薔薇の花束を片手に席を立ち、急ぎ早に――けれど、やはり現代日本人らしくこの不思議な空間へと一通り視線を巡らせながら――近づいてきた漣を迎えると、ゆるり手を伸ばす。
「いい子いい子、お仕事偉い偉ぁい」
　大きな手で、わしゃりと撫でて。
　流れるように指先で耳許に触れ、花束から棘を取った一等大きな一輪をそっと飾る。
「……ん、かわいいよ」
「あ、梓ってばもう……！」
　これまでにも幾度となく紡いだ言葉だけれど、どうやらまだ相棒は慣れる気配がないようだ。暗がりでも分かるほどに頬を赤らめた漣へと愉しげに喉を鳴らしながら、
「じゃ、カンパイしなぁい？」
　本日の特等席へと案内すべく、梓は｜黒魔術師《ネクロマンサー》へと恭しく｜頭《こうべ》を垂れる。

「わー……フルーツの良い香りー」
「そ。今宵はビタミンたっぷりティーナイトにしてみたんだぁ。……って、何その顔ぉ！」
「ふふ、ごめんごめん。てっきりお酒かなーって思ってたから」
「お酒のが良かった？　ごめん。今からでも――」
　店員を呼び止めようとした梓の手へと、漣が反射的に己のそれを添えた。手袋越しにぬくもりを重ねながら、ううん、と首を横に振る。
「オレのために用意してくれたんでしょ？　……ジンジャーたっぷりの、これ」
　言われずとも分かる。冬の気配を孕む夜気に煽られた身体は、まだ完全に熱を取り戻してはいない。高度が高いからか、水辺とはいえ空気も乾燥していた。そんな折りに鼻腔を擽るジンジャーは、その香りで肺腑を満たすだけでもあたたかくなる。
「へ？　あー、これねぇ。喉に良いお茶なんだって」
「さすが梓、めっちゃ気が利く。ふふ、ありがと」
「素敵な夜には、カワイー相棒のために一番良いやつ用意するのは当然でしょ」
　そう言って猫を思わせる笑みを見せてくれるから、漣も硝子越しの眸を細めて破顔した。ウォーマーのなかで揺れる炎を一瞥してから梓がティーポットを傾ければ、並べたグラスへとフルーティーな香りを孕んだ琥珀色を注ぎ、互いの前へとそっと置く。
「――じゃあ、天空の素敵な夜に？」
「はぁい、かんぱーい♡」
　どこよりも高く、だのに大地を器とした水中に在るこの不可思議を、ゆっくりと流れる異国の音色とともに足を組みながら臨む。これを最高と言わずしてなにをそうと言うのか。
「慣れねぇけど……景色は俺好き」
「うん。いかに文明が発展しても、オレたちの生まれた世界じゃこの景色は拝めないしねぇ」
　それこそ、現代日本人にデートスポットとして知られたらさぞ賑わいそう――なんて思うけれど。このひとときは“知る人ぞ知る”特別なこの場所をふたりで存分に満喫しようと、梓も漣も会話が弾む。
「ねぇねぇ。レンはどんなもの好き？　食べ物でも、飲み物でも」
「なに？　藪から棒に」
「ほら。俺ら、すっごいフツーな話、ちゃんとしたことないじゃん？」
「……っ、ふふ、あははっ。確かにそーだね。出逢いも交流も、大抵戦闘シーンだったもんね」
　口許を抑えながら肩を揺らす漣が、もう一口グラスを傾けてからサラミを美味しそうにひょいと食む。
「コレ」
「サラミ？」
　咀嚼しながら自分の唇を指さした相棒へとひとつ瞬けば、
「――とか、ハムとかチーズとか。塩気のあるもの。梓は？」
「俺？　んー、辛いの好きでしょー？　あとはー……どっちかってーと肉！　けど、別にレア派じゃないかんね？」
「レアって……くくく……そういや戦闘のときは、いつも｜未調理《そのまんま》だったね」
　そこから繋がるのは、これまでふたりで潜り抜けてきた闘いのこと。
　出逢ってからまだ４ヶ月、されど濃厚な４ヶ月だった。最初は探りながらだった足並みも、呼吸も、今では意識せずとも容易く汲み取れる。――その分、互いのことはまだ、知らぬことも多い。
「んーで、酒はワクかなー」
「オレは程々ー。ワインなら３杯くらいまでなら平気。てか、梓ってお酒好きなんだ。お茶は？」
「んー、苦いの好きだからコーヒー派ぁ！」
「ふふ、オレも。作曲で時間追われてるときとか、眠気覚ましにガンガン飲んじゃう」
　言いながら、なのに彼が今宵紅茶を選んだその理由に気づいて。
　漣は唇で弧を描きながら、相棒の想い籠もった一杯を、深く、深く味わうのだった。

大成功 🔵​🔵​🔵​

　アオイロの湖、その底へ――。
　ふと脳裏を過ぎったフレーズに、ステラ・バールフリット（｜Reizend Zauberin《魅力的な魔女》・f44391）は僅かに瞼を伏せながらちいさく嘆息した。
（ここでも“アオイロ”ですか）
　とうに心の区切りはつけたはずだのに、我ながら随分と感傷的なものだ。そう自身へと皮肉めいた言葉を零しながら、僅かばかりの光源が灯る薄暗い階段を躊躇なく降りてゆくエト・ケテラの背を魔女は眺む。

　――｜白い蝶《フラウ オンブラ》、この器、ご自身で持ちますか？
　――買ったのはステラでしょ？　それはあんたのものだよ。

　そう言ってエトが先を歩き初めて、ステラはその後に続いて。終ぞ眼前に広がった夜に染まる水影の幻想は、彼女の金の双眸にはどう映っているのだろう。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
　心地良いテノールで出迎えた、白シャツに異国柄の腰エプロンを巻いた店員へと一瞥してから、エトはホールの端にある一卓へと歩を進めた。穏やかな｜弦の音色《BGM》さえすこしばかり遠く聞こえるそこは、あらゆるものの光の加減でほかよりも紺藍めく空間で、なるほどどこか彼女の居たソウルボードに似た雰囲気だとステラも合点する。
　折角出逢えた蝶の器を壊さぬようにと隣の椅子へと置いてから腰を下ろせば、エトも音無く対面の椅子へと座した。
「さて、｜白い蝶《フラウ オンブラ》は何になさいますか？　ハロウィンにちなんだ素敵なパフェがあるようですよ」
　言って、メニューを見やすいように差し出す。色合いの好みで言えば、『Twilight Forest』だろうか。ただ、味ならば『Bloody Queen』のほうがより甘いだろう。そう思案し始めたところで、すぐに答えが向けられる。
『……このパフェ、両方』
　――両方。
　悩むという選択肢すらない、あの戦場での豪胆さがここでも遺憾なく発揮された様に、魔女は「両方ですね」と復唱するに留めた。人間のように食事が必須ではないとはいえ、摂取したカロリーはこの細身の身体のどこへ行っているのだろう。
「飲み物はどうされますか？　ちょっとした趣向で占いもできるみたいですし……何か占ってみます？」
『いい。あんたがやるなら、それ見てる』
「では、私は紅茶と……パンプキンパイにしましょう」
　メニューを閉じながら店員へとオーダーを済ませると、
『……それだけ？』
「……人間がスタイルを維持するのって、大変なんですよ」
　ある種の切なさを孕んだ言葉を返しながら、それでもステラは涼やかな笑みを湛えてみせた。

　高さと形の異なる、ふたつのパフェグラスと格闘を繰り広げ始めたエトを眺めながら、ステラもまた、一人用のパンプキンパイへとフォークを入れた。ジャックの顔を丁寧に切り崩しながら、南瓜の程良い甘さと、さくさくとしたパイ生地のコラボレーションを満喫する。
　時折、『なんかお酒の味がする』「ああ、きっとグランマルニエですね」『なに、それ』「オレンジリキュール……柑橘で作られたお酒ですよ」などと短い会話を挟みながら、最後は黙々と一気に食べ尽くしたエトが一段落したところで新たな話題を切り出す。
「さて、せっかくですから占ってみましょうか。――ステラ・バールフリットのジョハリの窓を」
　形となって顕現するのは、既にそこに在りながら見落としている何かか、それとも今はまだなき未知なるものか。どちらとて、魔女の畏れるところではないが。
（私は、無自覚に何を考えているのでしょうね）
　そう浮かんだ言葉すらもすぐさま消して、心に静寂を呼ぶ。魔女たるもの、精神統一はお手のものだ。淀みなく手順通りに進め、戻したティーカップの底へと視線を落としたステラは、思わず苦笑を洩らした。
『それ……蛇？』
「ええ。――このあたりで｜心機一転《変化や再生》といったところですね」
　心に浮かんだ想いも言葉もすべて飲み込み、唯微笑みを湛えるステラ。その姿を眺めながら、エトが言う。
『――わたしもやる』
「え……？」
『｜店員さん《そこの人》。わたしにも、同じ飲み物』
　どこか娘の興味を惹くところがあったのだろう。
　やはり迷いなく注文し、ステラと語らいながら新たな紅茶を待つ間もどこか待ち遠しそうに眸を細めるエトの姿に、ステラもまた微かに口端を綻ばせた。

大成功 🔵​🔵​🔵​

「わ、とりさんの衣装、上品！」
　先に席に着き、音は立てずに拍手の仕草をした彩瑠・さくらえ（望月桜・f44030）は、淡く照れを浮かべながら手を振ってやってきた神鳳・勇弥（闇夜の熾火・f44074）が座る様を繁々と眺めた。
　黒地に白いストライプのスーツに添えるのは黒の革靴。蝙蝠めいた黒の蝶ネクタイは肩を飾るほどに長く、その翼を広げている。骸骨を描いた手袋でクイと、眼窩を思わせるラウンドサングラスを上げてみせれば、まさしくハロウィンの主役たる骸骨紳士と言えよう。
「んー……特に小物の使い方がいいよねぇ。加具土先生には、今度うちの手伝いもしてもらいたいくらい」
「ありがとう。良ければ本人にも言ってやってくれ。きっと喜ぶ」
　容易に思い浮かんだのは、その柔らかな毛並みと同じチョコレート色の瞳を燦めかせるであろう、『Café：Phönix』の看板犬の姿。ふわり口許を綻ばせた勇弥に、さくらえも釣られて双眸を細める。
「にしても、元々仮装ってだけで照れるんだけど……まぁ、この場所のためなら甲斐はあったか」
「そうだよ。カフェの店員さんも僕らも、楽しんでこそだし」
　淡く朱に染まる顔に気づき、さくらえがくすりと笑みを深めれば、
「ああ。――さすが、そういうさくらは着こなしてるよな」
　これ以上話が続いては堪らないと言外に孕みながら、勇弥が話の矛先をさくらえへと向けた。こちらもまた、紫と黒、そしてアクセントにオレンジを使ったハロウィンらしい配色の上下のスーツ。普段和装姿が多いさくらえだけれど、洋装もまた似合っている。XIIの文字入りのマグカップを手にした姿は、さながら上品な“吊された男”と言ったところか。落ち着いた色合いや仕立てのなかにも、見た人を愉しませようという気遣いに溢れていた。
　興味深げにメニューを眺めたあと、珈琲をふたつと血ぬれの女王の名を冠するパフェをひとつ注文し終えたふたりは、改めて周囲へと視線を巡らせた。
「それにしても、猟兵になってなかったら絶対に経験できないヤツだよね」
　夜の水中ならばもっと昏いものと思っていたけれど、月やパラソルのひかりは存外明るく、各テーブルの手許のキャンドルもあたたかな彩を落としている。だからこそこうして、鱗を燦めかせながら舞うように泳ぎゆく魚たちの姿を堪能できるのだ。
「フィニクスのオープンカフェで再現できたら楽しそうじゃない？」
「ふむ……本当の水面は難しいけど、プロジェクターなら……」
「うんうん。今なら、飾り付ける手伝いの手も十分だろうし」
　こんな突拍子もない提案にも、真剣に応えてくれる幼馴染みへと一層眦を緩ませていれば、「呼んだ？」と言わんばかりに、何処から出たのかにゅっと勇弥の肩へと登った数体の式神が顔を見せた。その後ろから近づいてくる店員に気づき、またにゅっと身を潜めた式神たちの気配が消えたタイミングで、テーブルへと珈琲とパフェが並べられる。
　深煎りの豆がもたらす、芳潤な香りが辺りを包む。
「かつて“闇を飲む”、とか呪いめいたことしてた時期もあったけど、こうやって月を映して飲むと健全な感じがしていいよね」
「……やっぱりそういうことを考えてたんだな？」
　過去だとて、聞いてしまえば苦笑のひとつも零れるというものだ。呆れ混じりに口端を上げると、勇弥はカップの水面へと視線を落とす。
「闇以外の色も風味も、珈琲にはたくさん詰まってるんだからさ。苦さだけを飲む必要なんてないんだ」
　そう。ただ苦いだけの飲み物だとしたら、これほど世界中で愛されてはいないだろう。酸味と苦味、仄かな甘味や塩味、そしてコクと旨味。その複雑な味のアレンジは、どれほど追求してもし足りないほど。
「……そうだね。しかもこんないい場所で、月に願いをかけて未来を視るなら――全て、いい方向に転換できそうだ」
「だろ？　ほら。甘さと一緒に、さ」
「やったね。持つべきは甘やかせてくれる幼馴染だね」
　言って、差し出されたパフェスプーンを受け取ったさくらえは、ひょいとスライスされた苺の花片を数枚、ブランマンジェとともに掬った。程良い冷たさと甘さが、口のなかで溶けてゆく。
「さすが女王様……上品な甘さ。これ、もう一つのも気になるね。せっかくだから頼んじゃおうかな」
「良いな。そっちも気になってたんだ」
　頷きながら賛同した勇弥へと、「でもその前に」と微笑むさくらえ。
「まずは運試しから」
「そうそう。月の光を借りるなら、“のろい”じゃなく良い“おまじない”をかけないと」
　くつくつと笑みを重ねてから、そっと心を落ち着けて。手順に倣ってふたり、カップを伏せ――再び戻して底を見る。
「――ふむ。これは……横から見た足、かな」
　“力”にして“弱点”たりえるもの。それに心当たりがあるのか否か、さくらえは唯愉快だと言わんばかりに笑みを湛える。
「で、とりさんのは？」
「俺の方は……骨だな。骨っていうと、“生命”とか“不滅”とか……こういう占いなら『その人にとって決して崩れることのないものや事柄』ってとこか」
「へぇ、なるほど」

　好奇心に燦めかせた眸のまま向かいを見遣れば、その意味を探ろうと思考を巡らせる青年の姿。ならばと、さくらえは邪魔せぬよう、近くを通りかかった店員へとさらり追加オーダーを済ませる。
　心配なぞ、してはいない。
　彼の｜形《シンボル》が示す未来が何であろうと――彼ならばきっと、望む先へと往けるはずだから。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

「本当に不思議で綺麗……」
　オーダーを終え、今一度頭上を見上げた浅間・千星（Stern des himmels・f43876）の唇から、感嘆の息が零れた。
　ここが湖底だということを忘れるほどの、鮮やかな彩と灯り。紺碧の水面越しに見える満月は穏やかに揺らめき、連なる店々のパラソルのひかりを従えながら夜色の世界を柔く包む。瞬きをするたびにその景色は変わり、だからこそ瞬くことすら惜しいと思わず見入ってしまう。
（よくこんな施設を作ったなぁ……）
　カフェへと続く階段と通路を辿る間に過ぎった思いが、再びアンカー・バールフリット（｜Sternliebhaber《星の恋人》・f43884）の脳裏に浮かんだ。建造技術は勿論のこと、持続させるための運用やメンテナンスも相応の手間がかかるはずだ。天使核を生かしているのかもしれないが、とはいえその労力を思えば感心もするというものだろう。
　それでも、対面で眸を燦めかせる千星を思えば、さすがに無粋だろう。アンカーは苦笑とともに思考を払うと、愉しそうに視線で魚の群れを追う娘を見守る。
　そして、その星を抱いた双眸は次に、満を持して運ばれてきたパフェへと注がれた。
　夕暮れの森の名を冠するそれは、零れそうなほどの大粒の葡萄からはじまり、柑橘系の果実を交えながら、底にあるグランマルニエの優しいオレンジへと向かって緩やかなグラデーションを描いている。葉付きの小粒葡萄はグラスの縁から外へと枝垂れ、実りの秋をも思わせる。
「今は婚前ダイエット中だけど、今日くらいはいいよねっ」
「そうだね。せっかくのデートだもの、思いっきり楽しもう」
「うん。じゃあ、可愛くて食べるの勿体ないけど……――ん、美味しい……♪」
　満月に見立てた輪切りのオレンジを食み、続けて紫葡萄を口へと運ぶ。果実の爽やかな甘味が消えぬうちに、次の層――カシスと紅茶のジュレを贅沢にパフェスプーンですくって、ぱくり。紅茶の風味に甘酸っぱさが加わって、その上品で大人な味に頬まで蕩けてしまいそう。
　幸せそうに頬張る千星へと眦を緩めながら、アンカーもゆっくりと食べ進めてゆく。さっぱりとした葡萄シャーベットで一端リセットした後に、オレンジの甘味と酸味がふんだんに詰まったケーキと、ごろりとカットされたジューシーなオレンジ、そして最後にビターオレンジを用いたリキュール――グランマルニエのふわりと香る花の香と絶妙なバランスの酸味と苦味が、口のなかに深い余韻を残してくれる。
「フルーツのパフェだからもっとあっさりしてるのかと思ったけど、色んな層があって食べ応えあったね」
「だね。わたしもつい、ぺろっと食べちゃった……」
　これならもう一杯、なんて思ったとしても、カロリーを考えればここで止めておくのが正解だろう。それに、ダージリンの香りが消えぬうちに、占いと紅茶も味わっておかねば。
　視線を合わせ、微笑みを交わして。ふたりは買ったばかりの対なるカップに注がれた琥珀の水面へと視線を落とす。
　占いたいことはもう、決めてある。
（この先の、結婚準備期間中に起こりそうなことを。できれば誰とも揉めず喧嘩せず、穏やかに過ごしたい……アンカーと楽しく、結婚準備がしたい）
　唯でさえ決めることが多いのだ。勿論、ふたりで相談しながら準備を進めるのは考えただけで胸が弾むけれど、周囲との関係性もある。準備期間も数ヶ月に亘るとなれば、ひとつやふたつ、諍いが起こってもおかしくはない。
　杞憂で終われば良いと祈りながら、ハンドルに右手の指を添える。
　幼いころ怪我を負い、未だ後遺症の残る右手は、力もあまりなく、関節の動きも怪しい。せっかく見つけた美しい満天の星と海のカップを落とさぬよう、裡に浮かぶ不安を払うようにそっと左手の指でもカップを支えて、こくり、と裡に染み渡る紅茶へと想いを乗せる。
　フルーティーで芳潤な香りが鼻腔を擽り、深いコクと上品な渋みが喉と心を潤してゆく。そうして満ち足りた気持ちのまま、千星は丁寧に両の手でカップを伏せ――雫が落ちきったところで、再びカップを手に取った。
（何が見えるかな……）
　期待と不安が綯い交ぜになるまま、そうっと眺めた星空の底にあった形に、千星は瞳をまあるくする。
「千星、なにが見えた？」
「んー……シンプルな形の、鍵……？」
　こてりと首を傾げると、傍を通りかかった店員もまた、同意を示した。曰く、『鍵――即ちそれは、“秘密”、“慎重”、そして“知識”。なにか不透明な出来事があったとしたら、慎重に、そして情報や知識を活用して乗り越えましょう』とのこと。
「不透明な出来事……隠し事とかかな？　アンカーの方はどうだった？」
「えーっと、これは……丸？」
　円のようでいて、卵のようでもあり、太陽とも言えなくもない形。
「まぁ、どのシンボルだとしても、示す意味は良い意味ばかりで良かった」
　占ったものは、入籍日――来年５月４日の吉凶。９年前のその日に出逢った、ふたりにとって特別な日。千星と交わした誓いの指輪が薬指に耀く左手でカップを取り、手順通りに占った結果がこれであれば大丈夫だと、そわそわと落ち着かずにいた心が漸く安寧を得る。
「でも、お｜義父《とう》さんとの｜約束《授かり婚NG》には気をつけなきゃね……」
「確かにそうだね。この半年は、特に父と揉めたくはないなぁ……って、もしかして“秘密”って――」

　千星の言葉で互いの脳裏に浮かんだ、ひとつの可能性。
　それを咄嗟に振り払うと、『約束は守らねば』――ふたりは改めて、粛然とそう誓うのであった。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

　視界をささやかに燈す淡い青に導かれるように、暗がりを降りてゆく。
　足許は心許ないけれど、繋いだぬくもりがあれば大丈夫。それよりも闇のなかに浮かぶ幻想的な水の景色に、溜息さえ零れるほど。
「なんて不思議かしら」
「面白い作りだね」
　水にはとんと縁のないふたりが今、魚たちの視線でこの世界を愉しんでいる。
　きっと冷たいであろう水中の光景も、雑踏さえも届かぬこの深き湖底の静寂も、命のように灯る光があたたかなものに変えくれる。
　瞬くたびに瞼の裏に残照を残す、優しい青。聞こえ始めた異国めく弦の調と、ふうわりと鼻腔を擽る茶葉の香りに惹かれるままに歩を進めれば、透き通るほどの青と天上からほろほろと降り注ぐ柔らかなひかりが、一瞬にして視界いっぱいに広がった。
「リティ」
　短く冴島・類（公孫樹・f13398）に名を呼ばれ、城野・いばら（白夜の魔女・f20406）がぱちりと眸を瞬く。知らず、足を止めてしまっていたようだ。どこまでも神秘的なこの彩を静かに眺めていたいけれど、ほかにも――美味しい食事と胸躍る占いがふたりを待っている。
　お好きな席に、と案内されて選んだのは、壁際の席。硝子越しに近づいて来た鮮やかな色を帯びた魚たちが、ふたりへと挨拶をするかのように優雅な舞を披露した。
　卓上を飾る、ジャック・オ・ランタン型のキャンドルが灯してくれるメニューを見ながら、類といばらは早速今宵の晩餐を選び始める。
「槐さん達との記念すべきお茶は、やっぱり緑茶さんが良いわ」
「僕も飲み物は緑茶にしよう。折角の湯呑みさんだし」
「サムエンとの違いも楽しめたら良いね」
「ふふ、だねぇ」
　笑顔を重ねたふたりは、視線の合った店員へと緑茶をオーダーし、先に夜市で買ったばかりの湯飲みを預けた。入れ替わりに運ばれてきた水を一口飲み、再びメニューへと視線を落とす。
「食べ物は悩むなぁ……」
　塩味のあるものも食欲をそそるけれど、甘味も捨てがたい。どれもこれも、説明を読むだけで心惹かれてしまう。
「むむ、シチューカボチャさんと蜘蛛の巣ープさんが、私を誘惑してくるの……」
　如何しよう、と真剣な眼差しのいばらに、類も眉尻を下げる。どうやら姫も、同じ悩みを抱えているらしい。
「……類はガレットさん？」
「そうだね。リティがすーぷ系にするなら、がれっとに。――勿論、君にも半分こしたいな」
「それならリティはシチューさんに。此方も半分コしましょう」
　お腹は準備万端だけれど、それでも限界はあるから。目移りしてしまうのなら、美味しい幸せはふたりで分け合って――けれど、甘味は別腹とも言うもので。「あと、湖の中に佇む秘密の森さんを見てみたいわ」と、いばらはそっと、柔らかいタッチのイラストの添えられた黎明の森の名を冠するそれを指さした。
「ひとりだと険しい｜道のり《量》でも、ふたりなら、って……リティの庭師さん、叶えてくださる？」
「勿論。ぱふぇは気になってたし、お腹の具合は全然余裕。姫と森の恵みを頂戴できるの、嬉しい」
　ならばもう、迷うものなぞなにもない。
　弾む気持ちを抑えながらオーダーをして。暫くして運ばれてきた品々を前に、「いただきます」と手を合わせてからカトラリーを手に取った。

　はふ、とひとつ呼吸しながら、いばらは幾匙めかのシチューを口へと運ぶ。
　軽く食んだだけで、柔らかなホワイトソースに絡む良く煮込まれた野菜と茸がほろりと蕩ける。南瓜の器から移った甘さがほんのりと舌に残って、また次の一口を欲せずにはいられない。
　扇形にカットしたストライプガレットは、カリッとした食感に続くもちもち感がたまらない。がっつりとした料理ではないのに、とろりとチーズを纏ったベーコンの旨味と程良い塩気が、その見目以上に満足感を与えてくれて、ついつい食が進んでしまう。
　この美味しさを、あなたにも。互いに対面の愛おしいひとの喜ぶ顔が見たくて、「もっとどうぞ」「リティのも」と分け合って。お待ちかねの黎明の森は、上から順に代わる代わる匙を入れ、瑞々しい果実も、ジュレやシャーベット、スポンジケーキの異なる甘さと食感すべてを、ふたり一緒の想い出に残す。
　そうして最後を飾るのは、ふたりで選んだ槐の湯飲みと、丁寧に淹れられたと分かる緑茶の香り。
「月が映るのが素敵だね」
「ふふ、槐さんもお湯加減は如何かしら」
　よくよく見遣れば、めでたくもそれぞれに浮かぶ茶柱ふたつ。ちょっとした奇跡の贈り物が、占いを前にぴりりと張っていた緊張の糸を解してくれる。
　占うことは、互いに同じく『家庭運』。
　ご覧のとおり夫婦仲には欠片ほどの不安もないけれど、家族――いばらの薔薇園たる白夜の子らと仲良くして、庭もより賑やかにしていきたいと願う類に、いばらも共に挑みたいと想いを馳せる。
（未来の私には、何が必要かしら。槐さん、お月さん、アドバイスを頂けたら嬉しい）
　利き手と逆の手で湯飲みを傾け、最後の一滴も飲み干して。ソーサー代わりの木皿に伏せて暫し待ち、ふたり同時に元に戻して底をそうっと覗き込む。
「これは、靴……かな。リティはどんな形だった？」
「形は……直感が大事かしら？　あっ、今“目”が合ったわ」
　靴が意味するものは“愛情”と“謙虚”、目は“観察”と“判断”だと店員から伝え聞きながら、深く頷くふたり。同じ茶葉と器でも、現れる形はこんなにも違っていて、それがまた面白い。
「愛情と謙虚、か……どちらも大事なことだね。忘れないようにしよう」
「あら。旦那さんなら大丈夫よ？　リティが補償するわ」
「君がそう言ってくれるなら心強いな」
　力強くぐっと拳を握るいばらに、類の口許もふわりと緩んで。「リティも、大事なことを見落とさずに確りと考えるわ」と意気込む姿に、未来の彼女の姿を重ね見てもひとつ、笑みを刻む。

　月の水底に描く、遠いようで近い未来。
　そこへの路をどう歩くかは、僕ら次第だろう。
「悩んだら、相談し合っていこうね」
「ふふ、ありがとう」
　本当に頼もしい、リティのナイトさん。
　あなたとならば――きっと、月の涯てまでも。

大成功 🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​

最終結果：成功 完成日:2024年12月05日