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暖かなカップの中には、優しい香りのカモミールティー。
蜂蜜を入れればその香りはより甘く、ほっとするものに変わっていく。
手元のカップを覗き込みつつ、カレル・レグロリエン(緑の夢に星を灯す・f36720)は思い出す。
自分がアリスラビリンスにいた頃、猟兵になる前のこと。
お茶会の国で過ごした、ある時のこと――。
アリスラビリンスに迷い込んだ者は記憶を失う。カレルも例外ではなかった。
記憶を取り戻すため、あるいはただ生き延びるため。カレルは相棒のリス『エステル』と共に、様々な国を彷徨っていた。
その時訪れたのがお茶会の国だ。比較的穏やかだったこの国では、愉快な仲間たちがお茶会を開いていた。
自分もその輪に加わってお茶を淹れてもらうことになった。穏やかな時間が過ごせるのは喜ばしいことだ。
愉快な仲間たちはとても優しく気が効いた。カレルに蓄積されていた疲労を感じ取ったのか、「よく眠れるように」ととっておきのお茶を用意してくれたのだ。
目の前に置かれたのは蜂蜜入りのカモミールティー。疲れた身体に優しい香りはよく染みて、ほっとしたのを覚えている。
「ありがとう、いただきます」
しっかりとお礼を述べて、お茶を一口。その瞬間のことは今も鮮明に覚えている。
カレルがゆっくりとカップを置くと同時に、頬に暖かな感触が触れたのだ。
真っ先に気付いたエステルが大慌てで飛び出して、騒ぎに気づいた仲間たちもすぐに駆け寄ってきてくれた。
周りの様子から、カレルもようやく異変に気がついた。あれ、どうして僕は泣いている?
訳も分からず涙を流しつつ、「大丈夫、痛いことや怖いことがあった訳じゃない、お茶も美味しい」とは伝えた。皆もカレルが無事だと気付けば、少しだけ落ち着いて。
カレルの涙が収まればお茶会も穏やかに再開した。カモミールティーも無事に飲み干して、優しい味を堪能出来た。
けれど――涙の理由は、最後まで分からなかった。
(……今なら分かる)
猟兵として記憶を取り戻した今なら、あの時の涙の理由も分かる。
カレルはUDCアースで生まれ育った、文章を書くのが好きな少年だった。
将来の夢は脚本家になること。その夢は今も諦めていない、大切なもの。
きちんと学校に通いつつ、帰宅して夕食を食べればすぐに課題を終わらせ、残りの時間はすべて執筆に回していたほどだ。
熱中しすぎるあまり、気付けば朝焼けに照らされることだってあった。
そんな風に活動していれば、母親が心配するのも当然だと思う。けれど彼女は無理やりカレルを止めるのではなく、別の手段を用意していた。
それがカップに注がれた、暖かな蜂蜜入りのカモミールティー。エルフの彼女らしい手段だ。
あなたが時間を思い出せますように。一時間後に眠れますように。
22時の報せと共にやってくる、優しい母の笑顔。今はちゃんと覚えているけれど、お茶会の時は忘れてしまっていた。
けれど心の奥底に刻まれた思い出は、忘却の中でも確かに存在していた。
愉快な仲間たちの思いやりと一緒に運ばれたカモミールティーは、優しい記憶を無意識に呼び起こしてくれたのだと思う。
(カモミールティーは、きっと僕の中で優しさの象徴になっているんだろうね)
だから今猟兵となったカレルも、変わらずカモミールティーを飲む。
優しく甘い味わいが、いつだって大切なものを思い出されてくれるから。
彼らから受け取ったものをしっかり抱え、前に進んでいきたいから。
これからも多くの人を救いたい。僕自身の夢も叶えたい。
カレルが受け取った優しさは、いつだって彼の進む強さになるのだ。
成功
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