白より浮かぶは、愛しい色
ふと見かけたのは、純白の花嫁衣装。
無垢に、純粋に、これから幸せの色彩に染め上がる色。
貴方の色に染めて欲しいと。
これからの未来を、共に綾描くように紡ぎたいと。
そう夢を語るような優しさで囁く真白き姿。
「…………」
硝子窓越しに飾れた衣装へと思わず零した吐息は、何だったのか。
永久なる幻朧桜の花びらが舞い散る中、斑鳩・椿(徒花の鮮やかさ・f21417)は胸の奥のざわめきを感じた。
きっと幸せなるものがあるのだろう。
花の蔦が絡み合うように、共にある想いと愛があるのだろう。
そういう願いを込めておられた花嫁衣装に、ただ、ただと斑鳩は息を重ねる。
一体、どうしてこんなに痛むのか、理解も出来ないままに。
昔、かつて斑鳩が結んだ婚姻はそんな幸せなものではなかったと思い出しながら。
ああ、と溜息が零れる。これではいけないと、飾られた花嫁衣装から視線を切る。
それでもと浮かび上がるのは昔の出来事。
前の結婚は封建的な故郷でのことであり、決して斑鳩の望みではなかった。
意思もなければ愛情もない。
が、幸せになれという周囲の声ばかりが続き、気付けば白い打掛を身に纏っていた。
隣にいるひとが自分をどう思っているかも解らず。
そして、斑鳩がこれから夫となるひとにどのような想いを向ければいいか解らず。
ただ悲しい程に白い姿が、そこにあった。
幸せなる純白などほど遠い、雪のように冷たい色艶を帯びていた。
そうして、時は流れて。
まるで役目のような婚姻は壊れて消え果て、斑鳩には今がある。
果てぬ夢幻の如く桜花が舞い散る世界はひとの意思があり、想いがあり、それを尊びて幸せを約束している。
桜が囁くのは慈悲であり、輪廻転生の果てに救済をもたらすのであれば、それはこの世界に生きるものも同じ思いを抱くというもの。
つまり、誰も彼もが幸せを願っている。
筈なのに。
――彼は、どういうものが好きなのだろう。
重なる斑鳩の吐息は、憂いに満ちている。
今の恋人の好みの結婚式というものが、どういうものなのか。
どんな幸せを思い描いているのか、斑鳩もまたついぞ知らない。
やはり洋式の、優美なるドレス姿だろうか。
いいえ、きっと白無垢。
産まれた故郷というのは夢や幸せの原因を形作る。
隣に座る花嫁という幸せ姿の色は、幼い頃から憧れた夢の景色に違いない。
ましてや、どのようなものとて受け入れる、この優しき桜の世界であれば、どのような夢とてと叶う筈。
ならば聞けばいいのだろう。過去の夫とは違い、確かな愛慕で結ばれている。
とはいえ、簡単に聞けるものではないのだ。
婚姻とはそれだけ重く、貴方の命を、人生をくださいと願うようなもの。
それでもと斑鳩が胸の中で思いが揺れる。まるで小波のように繰り返す、切ない痛み。
斑鳩は、自分が寡婦であると別っている。
だから十全に、他の色に染まっていない乙女のようにはならないだろう。
無垢なる純白というのは、かつての姿なのだ。
だというのに、婚姻を匂わせ、さらなる思慕の色香を纏い、愛しい彼をつなぎ止めたい訳ではない。
幸せとは、選ぶもの。
過去の斑鳩のように、他人に定められるものではないのだから。
だから、彼に、今の愛しいひとに聞いて、重荷を感じて背負って欲しい訳ではない。
筈なのに、どうしても気持ちが揺れて、揺れて、感情が曇っていく。
「どうして」
振り切るように街を歩いた。
花びらの中を、祝福するように舞うその中を。
ただひとり、斑鳩は歩み続けた。
「……どうして、そんなにひとりを想い続けるのかしら」
それでいいのだと。
さらさらと風の裡で擦れ違う花びらが、優しく囁いたとしても斑鳩は信じられない。
ただ幸せを欲している。
けれど、それが叶っていいのか解らない。
胸の裡で描いていいのかさえ解らず、それが純粋な愛なのか独占欲なのか解らずに、瞼を伏せた。
ならば背にある純白の花嫁姿を塗りつぶすように、白い色を見つけて手に入れてみよう。
幸せな白き愛の姿は手に入らなくてもと。
見上げる雲の姿を見つて何に似ているかと思い描く。
ああ、きっとあれは猫に似ている。
そう思えば、小さく微笑むことが出来た。
寄った店で甘くて白い洋菓子を頼んでみる。
冷たくて素敵。口の中に広がり、染み渡り、溶けていくのはまるで夢の味。
うっとりとすれば、そのまま指先に目がいく。
少しだけ綺麗になりたい。もう少しだけ美しくなりたい。
それは乙女であれば誰しもが思うことで、美しく飾ってくれる店で爪先を染めてくれた。
指の先に纏うは、爪を花びらの色で染める子供の遊びと違う優雅な色。
幼い頃は郷では花を潰してこうして色を纏ったものだけれど、今はもっと美しく輝くのかと、斑鳩は心に色を取り戻す。
そうやって沢山の店を巡って、嬉しい白を得ていく斑鳩。
気付けば胸の裡の切ない痛みは、揺れる情動は落ち着いている。
ただ、家の前までくれぎ、やはりまた独りかと気付いてしまうのだ。
路は尽きてしまうもの。
独りきりの家にそれでも戻ろうと、郵便受けを覗けば、よく見知った封筒がそこにはあった。
「まあ」
斑鳩は自分の声の浮かれ具合に、驚いてしまう。
でもその驚きも、弾んで跳ねる心に塗りつぶされてしまうのだ。
その封筒は、何時も恋人の彼が使うもの。
ならばと急いで家に入って手紙を開けば、そこにあるのはやはり愛しい彼の文字。
「え……明日?」
綴られた文に、斑鳩の尾が嬉しそうに、愛しそうにとゆっくりと揺れる。
「……湯殿を真っ白に磨いて、おにぎりも作らなきゃ」
彼のために。
愛しい彼を、迎え入れるために。
斑鳩は寡婦、過去の色を知ったものだけれど。
それでも、今はその全てを愛しい彼の溜めに。少し年下で、細身な身体なのに、激務にいそしむ彼を癒やしてあげたくて。
沢山食べる彼のことだ。斑鳩には遠慮なんていらないと、たくさんのおにぎりと、他にも美味しいものを用意しよう。
湯船で浮かんで、毎日の気疲れを溶かして欲しい。
穏やかなる斑鳩の心に浮かぶのは、溢れるばかりの鮮やかな愛の情念ばかり。
ああ、この色で。
未来は、明日は、ちょっとした先は真っ白で何も解らないものたけれど。
何処までも鮮烈で、美しく。
なにより愛しい色で、望む夢と幸せを描いていきたい。
花蔦が絡み合うような綾を描くことは、独りではできないのだから。
彼と斑鳩の思いと幸せの色で。
唐紅にも劣らぬ想いの色艶として紡いでいくのだ。
「あなたの感じる幸せを、私もまた幸せ」
だからそう。
重荷にはならず、痛みなど感じさせず。
花びらのように、あなたに触れる。
愛しい彼の思いと色を、声が欲しいのだと。
「だから、触れ合えるその時を、とても待ち遠しく思います」
そう囁く斑鳩は、白無垢のように純粋な想いを抱いていた。
――彼が向けてくれる笑顔と愛が、きっと明日の斑鳩をを染め抜く|思い《いろ》となる。
成功
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴