大祓百鬼夜行㉑〜赤に宵闇、女王よ滅びを
忘れたくない。
忘れさせたくない。
この支部には、そういう人間が集まり過ぎていた。
それなのに――
●
それは等しく価値があり、等しく慈悲を与えられるもの。
そう――この世の一切は愛すべき無価値。
慈悲とは滅び。
さあ、私の慈悲を与えよう。この者どもに。
●
夏を待つ晩春の真夜中だった。
その支部に勤める職員、木戸陽は、額からとめどなく流れ落ちる己の汗をぐいと拭って、それから叫びたくなる衝動を抑え込んだ。支部の中は既に阿鼻叫喚だった――元より、自分たちは攻撃が得意な方ではないのだ。革靴で廊下を疾走しながら、木戸はできるだけ他職員の邪魔にならぬようなルートを選んで、その場所へと向かう。
木戸がここまで慌てている理由は、ただ一点に尽きた。
今発生している現象の正体がわからなかったからだ――ただのUDC怪物なら対処できる。狂信者でも問題ない。UDCオブジェクトであったとしてもどうにかできる。たとえ、猟兵の手を借りなければ解決できなかったとしても、ここまでの有様にはならないはずだ。
それなのに、これは、その中のどれとも違う。
『何者かが侵入しているのに、それがまったくの不可視であり、何の対処もできない』。
その一点のために、誰も何もできないまま、この組織の職員が徐々に『何者か』の餌食になっているのであった。『何者か』が通った後は、気まぐれに誰かの肉体が自壊した。その犠牲者のおかげで、『何者か』が『移動している』ことがわかるくらいで、それ以外の装置などには一切反応がなかった。
そして、自壊する仲間を見た恐怖から、その見えない『何者か』へ武器を向けた者は――全員、『何か』を忘れた。あるいは、戦う遺志を失った。
忘れたくないからと――ここへ来た者だっていたはずなのに。
同時に、『誰か』に『何か』を忘れさせたくないからこそ――ここへ来させた者もいたはずなのに。
戦うために、ここへ来た者だっていたはずなのに。
可能性としては、今進行しているという、他世界からの進行『大祓百鬼夜行』とやら――そして、それに伴って現れたという『UDC-Null』か。
(だが、何の理由で?)
木戸は職員のうちでも一部しか入れない緊急事態用のコントロールルームへ飛び込んで、既に来ていた別の職員と共に、監視カメラや区画ロックの状況を確認する。
そして――『不可視の何者か』が何を狙っているのかに初めて気づいた。
偶々木戸の支部へと本日付けで輸送されてきた、とあるUDC-P。部署が違うため木戸は詳しく知らなかったのだが――
それを保護している部屋へと、『それ』は――向かっているようだった。
あちらこちらを彷徨いながら、それでも『それ』は進んでいく。
「あのUDC-Pの詳細はッ?」
共にいた職員に訊く。が、返ってきたのは芳しくない答えだった。
「わからん。担当者が『忘れさせられた』」
「データくらい残ってるだろ! クソッ」
とにかく、猟兵を呼ばなければ。
超常の存在である彼らならば――きっと。
「これ以上誰にも、何も、忘れさせてたまるか……ッ!」
木戸は、多分――泣きたいような気持ちで、彼の知っているグリモア猟兵へと連絡をつけた。ロックをかけて時間を稼ぎながら。これ以上被害が出ないよう願いながら。
その感情が、祈りに似ているとは気付かずに。
●
「真澄正と言う男を知っておる、覚えておる猟兵ちゃんはおるであるかな」
葛籠雄九雀は珍しく手にしたスマートフォンを握り締めたまま、そんなことを言った。
「いや無論、知らずとも構わぬし、覚えておらずとも構わぬのであるが。仕事に差し支えはないであるからな。まあそういう男が以前おったのであるよ。薬を作るのが得意でな、邪神を一人で呼び出した男なのであるが」
色々あってそやつを引き取った支部が、現在UDC-Nullに襲われて壊滅状態へ至りつつあるのである、と九雀は、どこかわざとらしくも感じるほど『いつも通り』にあっけらかんと言った。
「どうやらその支部が保護しておるUDC-Pを狙ってやってきたようなのであるよな。一応簡単に聞いたところ、そのUDC-Pは、小さな奇跡を――たとえば、一滴の血液をルビーに変えられるような程度の奇跡が起こせるだとかなんとか……詳しいことはよく知らぬ」
担当しておった者が再起不能になったらしいのでな、と仮面は言った。
「それでオレに連絡が来たのであるが、如何せんUDC-Nullである故、組織の職員ちゃんでは何も調べられんでな。猟兵ちゃんたちに渡せる情報が碌にないのであるよ」
本当に申し訳ないのである、と仮面が頭を下げた。
「ただ、攻撃手段は、ある程度ならわかっておるのであるよ。一つは、肉体を過剰に『癒し続ける』ことによる『自壊』と死。二つ目は、何らかの手段による『忘却』。三つめは、これも何らかの手段としか言えず申し訳ないのであるが、相手の『遺志を砕く』」
その三つであるな、と、顔を上げて九雀は言った。
「対峙してからとはなるが、猟兵ちゃんたちならば姿を捉えられるはずであるから、それぞれがどのように使われるのかもわかると思うであるよ」
少なくとも職員ちゃんたちほど一方的に蹂躙はされぬはずである。九雀は、まだスマートフォンを握り締めたままだ。指の色が変わるほど力を込めて握っているのを、仮面は忘れているのかもしれない。
「こうして、情報が少ない中で頼まねばならぬのを――オレは、謝罪することしかできぬであるが……」
どうか、よろしくお願いするのであるよ。
そう言って、仮面は再び頭を下げたのであった。
桐谷羊治
なんだかポンコツなヒーローマスクのグリモア猟兵にてこんにちは、桐谷羊治です。
十一本目のシナリオも戦争シナリオです。今回は「白に月光、神よ祈りを」の続き物っぽい感じですが前作を知らなくても大丈夫です。
全部忘れて心を砕かれて肉体を自壊させられるUDC-Nullに支部が全滅させられてUDC-Pが取り込まれる前に助けてくださると幸い!というシナリオです。
そんなわけで、四本目のカクリヨファンタズムです。お手柔らかにお願いします。
プレイングボーナスは以下の通りです。
=============================
プレイングボーナス……UDC-Pやエージェント達と協力して戦う。
=============================
今回は(流石にもうスピードが出せないので)プレイング受付から少々ゆっくり目に書ける・書きたいプレイングを書いていきます。ギリギリのご返却になりがちだと思います。
また、書けると思ったプレイングを執筆させていただくので不採用が有り得ます。こちらも予めご了承ください。逆に、人数が多くても、送っていただければ採用する可能性もございますので是非ご参加ください。
ただ、冠達成時点で〆ますのでそちらのみご了承ください。
心情はあれば書きます。なくても多分大丈夫です。大体いつも通りです。
若輩MSではございますが、誠心誠意執筆させていただきたく存じます。
よかったらよろしくお願いします。
第1章 ボス戦
『悪因悪華』
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POW : 因果応報
【自身に武器】を向けた対象に、【忘却】でダメージを与える。命中率が高い。
SPD : 身口意断ち
【慈悲】を籠めた【装備】による一撃で、肉体を傷つけずに対象の【意志】のみを攻撃する。
WIZ : 授け三毒
攻撃が命中した対象に【過剰な癒し】を付与し、レベルm半径内に対象がいる間、【自壊】による追加攻撃を与え続ける。
イラスト:藤乃原あきひら
👑11
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴
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種別『ボス戦』のルール
記載された敵が「1体」出現します。多くの場合、敵は、あなたが行動に使用したのと「同じ能力値」の戦闘方法で反撃してきます。
それらを踏まえつつ、300文字以内の「プレイング」を作成してください。料金は★0.5個で、プレイングが採用されなかったら全額返金されます。
プレイングが採用されたら、その結果は400文字程度のリプレイと「成功度」で表現されます。成功度は結果に応じて変化します。
| 大成功 | 🔵🔵🔵 |
| 成功 | 🔵🔵🔴 |
| 苦戦 | 🔵🔴🔴 |
| 失敗 | 🔴🔴🔴 |
| 大失敗 | [評価なし] |
👑の数だけ🔵をゲットしたら、次章に進めます。
ただし、先に👑の数だけ🔴をゲットしてしまったら、残念ながらシナリオはこの章で「強制終了」です。
※このボスの宿敵主は
「💠納・正純」です。ボスは殺してもシナリオ終了後に蘇る可能性がありますが、宿敵主がボス戦に参加したかつシナリオが成功すると、とどめを刺す事ができます。
※自分とお友達で、それぞれ「お互いに協力する」みたいな事をプレイングに書いておくと、全員まとめてひとつのリプレイにして貰える場合があります。
ジニア・ドグダラ
久しい名前の方と思ったら、忘却を……。
『……今回は、ワタシに貸せ。とてもとても、気に喰わん』
ヒャッカとして行動。
敵は過剰治癒での細胞の異常増殖による自壊を施す。ならば過剰治癒が適切となるほど、己を壊すのみ。
呪言を詠唱しつつも姿を現し、敢えて攻撃を受けん。
と、同時に中にいる私「ジニア」との多重詠唱、かつ首元の瓶を砕きワタシの詠唱を高速化させ、棺を塞ぐ鎖を砕き死霊解放。
此処に、顕現せよ。
棺だけでなく損壊した研究員をも取り込み、憑依体へと変化。
元より死霊に命を喰らわせるモノ、過剰治癒の代価には丁度良い。
此の身より溢れ出る呪詛を以て、奴を呪縛させん。それと共に可視化された死霊で奴の所在を知らしめよう。
都槻・綾
壊し続けて無に帰して
其れで願いは果たされるのかしら
祈りは尽きるのかしら
死角と気配察知を補う第六感
急襲や意表の備え
UDC-Pやエージェント達の守護優先
オーラを広げ護り抜く
些細な情報でも聞いておきたい
建物の構造等
有利な場所への誘導なども
皆で苦難を切り抜けましょうね
元気付けの笑み
恐慌の中でも
どうか希望を忘れずにいてください
対峙時には
奇跡を欲する理由も知れるでしょうか
いのちの重さ
大事なことを忘れてしまっているのね
高速の詠い
符を挟んだ指で空に穿つ七つ星、七縛符
僅かな間でも
技を封じること叶えば重畳
一瞬の隙も逃さず
踏み込んで抜刀
一閃で斬り断つ
細い細い一縷の路でも
可能性を見出して
未来を拓くことを忘れずに居たい
冴島・類
そうか
あの人も…いる場所
UDCでは職員さん達には世話になりっぱなし
命だけでなく、理由も
失わせてなるものか
無事な職員さんに接触
UDC-Pのいる区画の位置を聞き
以降、管制室やPと遠い区画へ避難しそこへ至る道は封鎖し
かめらや放送でおよその移動位置を猟兵に共有依頼
保護対象や職員への被害は減らしたい
情報を頼りに探し駆け
発見次第、瓜江手繰り残像を交えたフェイントで気を引き
相手の武装と動きを注視、種類と射程を見切り
何とか直撃は避け
放つ花、縛る根で行動阻害を
誰か、一人でも
此処の方が貴女の慈悲を望んでましたか?
忘却は時に赦しにもなる
遺志が重くなる者もいよう
だが
望まぬ者へ向けるそれは、蹂躙だ
忘れさせないし
やらない
ヴォルフガング・ディーツェ
俺は多くを奪われた
…それ故、エージェントや真澄の覚悟の重さは少しは分かる
【指定UC】の強化技能でコントロールルームと同調
此方猟兵、真澄の「神降ろし」関係者だ!UDC-Pへの最短ルート提示を頼む!
…真澄、襲撃されたら教えろ。俺は行く末を見届けると決めた
職員や陽を「ジャミング」「オーラ防御」の力で護り連携
UDC-Pも同様
…心を持つものならば
嘆きも、怒りもあるだろう
だが今は協力して欲しい。君が生き残る為に
敵の興味は紅の涙か
ならばUDC-Pとエージェント達に惹き付けを依頼
自分は暗殺技能で急襲
敵の胎を抉り、焼き、記憶を蹂躙しつつ呼び掛け
俺に構うな、ありったけ攻撃しろ!
奪われた痛みを決して、決して許すな!
鹿忍・由紀
散々な有様だね
慈悲があるんだか無いんだか
まあ、どっちでも良いけど
普段と全く変わらぬ調子
施設内を軽く流し見ながら
通過した形跡を辿る
監視カメラに無表情のまま手を振って
来たよ、とでも言いたげに一応主張
見てる人がいるなら遠巻きから協力してね
職員を退避させ敵に対峙
忘れるのも死ぬのも怖くないんだから
なかなか適材適所でしょ
他者に委ねるつもりは更々無いけどね
俺からは何も奪わせない
暁で避けながら時間稼ぎ
敵の動きを確認しながら
ナイフでの一撃離脱を繰り返す
他に気が向くようなら鋼糸も絡ませて
決定打は他の猟兵にお任せ
慈悲もあげるばかりじゃ疲れちゃうでしょ
アンタも等しく無価値になってみたら良いのに
何にもないのも悪かないよ
ユキ・パンザマスト
は、慈悲とは!
一体何様で居らっしゃるのやら?
神様だとすりゃユキの嫌いな系統でしょう
そうでなくとも
ったく
反吐が出らぁよ
UDC-Pとの協力
“姿を拝借して、敵を誘導”
化術、ちょいと似姿借りますねえ
誘惑、UDC-Pの姿で
目立つ場所で待ち伏せ
【杯盤狼藉】
周囲一帯を異常増殖させた藪椿と侘助で埋め尽くせ
失せ物探し、情報収集、野生の勘、ハッキング
さぁさ、疑似神経として張り巡らせた百舌のホロの枝根と
五感六感フル動員!
不可視だとて
物量が逃れる隙を与えませぬ
奴が知覚範囲に踏み入りゃ、早業
花群を喰いつかせましょ
生命力吸収、捕食
肉身を喰らえ、藪椿
略奪、マヒ攻撃
慈悲とやらを貪り奪え、侘助
お前に砕かれる意志なぞ、ねえんすわ
Acca〈無意味〉の女王に、滅びあれ。
●
――散々な有様だね。
UDC組織へと辿り着いた鹿忍由紀はそんなことを思った。膨れ上がって溶け崩れ、血肉をまき散らす塊へと変貌した、かつて人だったであろうものはそのまま転がり、蛍光灯に照らされたビルの廊下を真っ赤に彩っている。ひどい血臭が充満していて、特別鼻のよいものでなくとも、しばらく嗅覚がおかしくなるのではないかと由紀は思った。
(慈悲があるんだか無いんだか)
まあ、どっちでも良いけど。
強いて言えば、靴が汚れるのは少し嫌だろうか。普段と全く変わらぬ調子で、軽く施設内を流し見ながら、由紀は、例のUDC-Nullが通過していった形跡を辿る。どうせこの辺りにいないのは分かっているからと躊躇なく進んでいけば、靴底が、流れる血潮に音を立てた。転がる死体は、誰かが後でどうにかするだろう。
と、曲がり角に監視カメラがあったので、無表情のまま手を振ってみる。来たよ。一応、そういった主張をするつもりでの行動だった。勿論、監視カメラから反応はない。それでもおそらく、自分が猟兵であることくらいは他の支部から共有されているだろうし、あちらには伝わっているだろう。見ている人間がいればの話だが。
だが――そこで由紀は、ふと気付く。そう言えば、素直に正面入口の自動ドアから入って来られた。ということは。
「……見てる人がいるなら遠巻きから協力してね」
由紀はカメラに向かってそう告げてみる。マイクはなさそうだが、意図は伝わるだろう。自分がこうやって好きに歩けているということは、全滅してロックのたぐいが壊滅しているか、自分の侵入を許した何者かが存在しているかの二択のはずだから。
今度はこっち、次はあっちと血肉の跡を辿っていって、道中のどこにも生きている職員がいないことで、由紀は確信する――多分、由紀よりも先に退避を促した猟兵か職員がいる。
それならその方が都合もいい。退避させるのも手間がかかるし、部屋はどれもカードキーでのロックを掛けるタイプのようで、防火扉に偽装した区画ロックも、由紀がどうこうするには少々骨が折れそうだったので。
そうして淡々と歩く男が――同じく淡々と歩いていたその女の背を見つけたのは、当然の帰結だったと言えるだろう。
「――」
振り向きざま放たれた女の斬撃を、由紀は暁〈アカツキ〉にて避ける。女の動きの癖を瞬時に分析した結果と、それに合わせた直感で避けたのだが――成程、こんなもの、女の姿が見えていなければ避けられるはずもない。何が起こるかは知らないが、もらった情報のどれかが起きるのだろう。女が黙ったまま、表情も変えずに二撃目を放つ。
「――急かさないで」
もう一度、女の斬撃を暁で避ける。そこで女が、首を傾げた。白い髪に白百合、白い鳥。金色の瞳は蛍光灯に輝いて、翻る外套は、血肉にまみれた廊下よりも赤い。
(――銃、刀、杖……)
女の持つ武器を冷静に数える由紀に、『心底不思議そうな』、『自身の行為の正しさを些かも疑っていない』と容易に知れる声で問いが投げられる。
「……何故避ける?」
「なんで避けると思う?」
「わからぬ」
「そう」
相手も言葉数の多い類ではないらしく、会話はそれで終わりだった。『杖をついたまま』、女が三度放った、刀による鋭い斬撃を、半歩だけ軌道から外れて避ける。そうして女が刀を引き戻すより先に、すれ違うような気軽さで、脂でぬめる廊下を難なく蹴ると、由紀は手にしたナイフを女へと突き出す――が、即座に杖で受け止められ、弾かれた。その戦い慣れた動きに男は深追いせず、暁の予想を元にしたバックステップで、袈裟の斬り上げを避ける。
「嗚呼――」
表情も変えず女が言った。
「『愛しい』な」
「そう。愛しているんだ?」
「愛している――ああ、私は愛している。等しく、その無価値を……」
だから一切を無に帰そう。
「――身口意断ち」
先程から一歩も動いていなかった女が、ついに一歩踏み込んで――前傾に姿勢を取ると、一息に由紀との距離を詰めた。刀が閃く、童話の女王が如く、男の首を刎ねるために。
「――っふ、」
だが、女の動きは既に何度も見ている。己の記憶が乗算された暁によって、由紀は、僅かに膝を曲げてそれを避けた。髪の毛一筋さえも持って行かせることはなく、男もまた、短く息を吐いて、今度はスローイングナイフを投げる――女が杖から手を離し、ホルスターに入っていた銃へと手を伸ばすのが見えたからだ。
「っづ――」女の手の甲に、『DanCe-dead-DanCe』が突き刺さる。鈍い悲鳴と共に女が動きを止め、由紀を見た。
「私にはわかる」
「何が?」
「時間稼ぎをしているだろう」
――まさしく『その通り』だった。他の猟兵が退避を完了させるまでの、あるいは何らかの策を講じるまでの、この女を完全に屠る手段を得るまでの――時間稼ぎ。
「よくわかるね」
わかったからって逃がすつもりはないけど。由紀は自分に背を向けて杖を拾おうとした女に再度ナイフを投げ、そのリボンを――女が避けたので、狙った延髄に当たらなかった――引き裂いた。
「忘れるのも死ぬのも怖くないんだから、なかなか適材適所でしょ」
他者に委ねるつもりは更々無いけどね。
「俺からは何も奪わせない」
「……良いだろう」
その意志もまた、無意味であるが故に。手の甲へ刺さったままだったナイフを女が引き抜いて、血が溢れるのにも構わず、由紀へと投げた。それを避け、背後の壁へと刺さったナイフを、男は引き抜いて手元に戻す。
「私の慈悲を与えよう――愛しい無価値なる者よ」
その言葉に、由紀も言う。
「慈悲もあげるばかりじゃ疲れちゃうでしょ」
アンタも等しく無価値になってみたら良いのに。
「何にもないのも悪かないよ」
感情を滲ませない普段通りの声音で由紀が言い、血まみれの手で女が銃を引き抜く。女の銃口が由紀の眉間を狙う、ほぼ同時に、由紀のナイフも女の喉を狙う。
――鉄錆の深紅が舞ったのは、女の方だった。
「……残念、皮一枚か」
「こちらも残念だ――その意志を奪ってしまいたかったのに」
「意志なんて上等なものじゃないでしょ」
「意志は意志だ。それに貴賤はない」
しかしお前にこれ以上時間をかけるつもりはない。そう言う女の――背後で。
「……此処に、顕現せよ」
紫色の茨を顔に浮かび上がらせた、一人の少女が呪いの言葉を呟いた。
――格安プランのスマートフォンがメッセージの通知音を鳴らしたのは、その直後のことだった。
●
『真澄正、か』
(久しい名前の方と思ったら、忘却を……)
ジニア・ドグダラは、到着したビルの裏口から中へと侵入し、酸鼻を極めた廊下を走りながら、顔を歪めた。職員の被害状況までは詳しく聞いていないけれど、もしあの男が、あの時の全部を忘れていたら――自分はどうすべきだろう。どうもしない。あの男が、あの日と同じことをするのなら、同じように止めるため動くだろう。しないのならば――
(……あの日のようなことを、しないなら……)
ただ、あの人が失ったものを、『失ったことさえも忘れさせられてしまった』だけなのだとしたら。妻子を生贄にされ、憎み、狂い、恋焦がれたことを……すべて、一切合切、『忘れさせられた』だけだったのだとしたら。
あの日に集約した、男の愛のすべてを、無価値の忘却へと『くべられて』しまっただけなのだとしたら。
それは……それは、どうしようもなく。
頭の中で、ヒャッカが言った。
『……今回は、ワタシに貸せ。とてもとても、気に喰わん』
(……はい)
異論はなかった。
ジニアと交代したヒャッカは、まず廊下の有様に顔を顰め、例の唾棄すべき女への嫌悪を堪えながら、その写真をそっと仕舞った。それから再び女の元へと走り出そうとして――
「……りょ、猟兵さん、ですよね?」
突然、近くにあった部屋の中から声をかけられて、足を止めた。扉に窓はなく、中に誰がいるのかはわからない。カードキーのロックがついているから、ヒャッカの方から開くことができるものではなさそうだ。扉を壊せば別だが。
「じ、ジニア・ドグダラさん……で、間違いないですか?」
自分の名前までわかっているのか。驚きに少し辺りを見回すが、監視カメラなどは見当たらなかった。
(何故私の名前まで?)
『……わからん』
(他の猟兵が来ていたとしても、私が来ていることはわからないはず)
『どうする? このまま捨ておくか』
交代し、ヒャッカの中にいるジニアが、数瞬考え込む気配がした。
(……いえ、他の猟兵が根回しをしてくれた可能性などもあります。返事をしましょう)
『わかった』
「……そうだが」
ジニアとの『協議』の末、ヒャッカは返事をする。
「ああ!」
よかった、と声が言った。それから、ピーッと音がして、扉が開く。現れたのは若い女職員だった、首から下がる名札には『檜木花蓮』と書かれている。一見したところ、何の変哲もない、ショートの黒髪に濃いブラウンの目をした、二十五、六のように見える女であった。
「本当だ、ジニアさんですね」
とりあえず中へ入って、と促され、若干警戒したものの、すぐに、部屋の中に並んだパソコン類の一つから、『ジニアは捕まった?』と、この百鬼夜行でよく聞いた若い声が聞こえてきたので――ヒャッカは大人しく中へと入った。女について、起動していたパソコンへ近付けば、モニターには、やはりここしばらくよく目にした若い人狼の男が映っていた。
「……ヴォルフガングか」
『ん――ジニア?』
警戒心を僅かに滲ませ、男が眉根を寄せた。そう言えば、『ヒャッカ』はこの男とは会ったことがなかった。
「ヒャッカだ。……直接会うのはおそらく初めてだろう。ジニアの第二人格、と言えば話は通じるか?」
『――ああ! なるほど。ごめんごめん――ヒャッカ、はじめまして』
にこっと微笑まれたが、ヒャッカが笑うことはなかった。元からそう表情を変える方でもないのだ、自分は。そしてヴォルフガングも、それに気分を害した様子もなかった。
「それで、どんな用件だ?」
『いやね、監視カメラで裏口から入ってきたのが見えたし、丁度よく檜木職員がそこに隠れてたから、少し協力してもらいたくてさ』
「わかった。こちらはどうする?」
『今から、ユキ――ああ、こっちで合流した、化術ができる子なんだけど、ユキがUDC-Pに化けることで、UDC-Nullを俺たちの用意した場所へ誘き寄せたいんだ。その上で、綾の――多分ジニアとは顔見知りかな? とにかく、綾のユーベルコードで、相手の技を全部封じる。そうして――最後は総出でUDC-Nullを殺してやろうと思ってね』
骨の髄まで、血の一滴まで、無価値にさ。
そう言う人狼の笑みは残忍で、だがきっと、ヒャッカと同じ感情を滲ませていた。
『奪う者を許さない』、『奪われた痛みを許してはならない』――その思いを。
「ああ」
『それで今、誰か猟兵が足止めをしてくれてるから――その付近に、俺たちの方で準備を整える。職員は今絶賛綾と俺で保護中だから、ジニア、いやヒャッカには、そこへ向かって欲しくて。場所はそんなに遠くないから。それでできれば、目的地の方へ誘導もして欲しいんだけれど――』
あ、とヴォルフガングが呟いた。
『えっ、そんなところに隠れてた子、よく見つけたね……全然気づかなかった……。ああ、類も来たみたいだから、ちょっとそっちにも連絡しておくね。――まあ要するに追い込み漁だよ』
そう言えば。
『知りたいかどうかわからないけど、真澄はまだ無事だよ。襲撃当時に居た場所が、最初に襲撃された場所から離れてたおかげで、他の研究者と一緒に非戦闘員として早々に隔離されたのが幸いしたみたいだね』
「……そうか」
それから幾つか話をして、ヒャッカは部屋の外へ出た。かの女を殺してしまうために。
指示された場所へと再び走り出しながら、ヒャッカは首元の瓶を砕き詠唱を始める。同時にジニアとの多重詠唱を行い、極限まで高速化、増幅させていく。
情報によれば、敵は過剰治癒での細胞の異常増殖による自壊を施す。
『ならば過剰治癒が適切となるほど、己を壊すのみ』
そして誘導されるようにヒャッカはその場所へと辿り着き――棺を塞ぐ鎖を砕き、死霊を解放する。眼前に現れた赤い女の背を、冷ややかに睨みつけながら。
「……此処に、顕現せよ」
再起犠者〈リベンジヴィクティム〉。
静かにユーベルコードを発動すれば――ヒャッカでさえもぞっとしてしまいそうなほどの死霊が彼女の身を包み、溢れ出す。棺の死霊だけでなく、損壊し、血肉の塊と成り果てた研究員たちをも取り込み、憑依体へと変化する。
「そう言えば――お前たちは私が見えるのだな」
これが猟兵というものか――女は、今更気付いたような口調で振り向き、銃をヒャッカの眉間――ジニアの眉間へと向けた。それを止めようと放たれた白金色の髪をした猟兵の鋼糸で、弾丸が逸れ、ヒャッカのこめかみを掠っていく。肉体は傷ついていない――けれど。
「当たったな」
女が言う。
「当たったがどうした?」
「『癒してやろう』。……授け三毒」
女の技で、肉体が回復していくのがわかる。
だが――ヒャッカが今使っているものは。
「……元より死霊に命を喰らわせるモノ、過剰治癒の代価には丁度良い」
死霊に喰われ、女に癒され――拮抗する自壊と治癒が、ヒャッカを未だ在らしめる。
「UDC職員には、お前が見えないと聞く」
だから、とヒャッカは言う。
「此の身より溢れ出る呪詛を以て、お前を呪縛させん」
お前の慈悲にて貶められた者の重さを知れ。指先を向ければ、可視化された死霊が女の手足へと絡みつく――決して外れぬ桎梏のように。
「――愛おしいな。どんな足掻きも、無価値なればこそ……」
女が囁いて。
狭いビルの廊下であるにも関わらず――ヒャッカと、鋼糸を投げた猟兵から逃れるように天井付近まで大きく跳躍した。死霊と鋼糸を、その身に纏わりつかせたまま。それを見ながら、ヒャッカと白金色の猟兵の二人は、『そちらへは行かせたくない』と言ったような焦りの表情を作る――その方向へと追い込むために。
そして女が、金色の目を鋭く光らせた。
●
(そうか)
あの人も……いる場所。
冴島類は真っ赤な廊下を、無事な職員を探して歩きながら、胸を締め付けられるような思いに唇を引き結んだ。
(UDCでは職員さん達には世話になりっぱなし)
楽しくて笑ってしまうような仕事の時も、怒りに震えるような仕事の時も、悲しみで苦しくなるような仕事の時も――いつだって、影で助けてくれたのはUDC組織の職員だった。
そんな彼らの、命だけでなく、理由も。
(失わせてなるものか)
燃える炎にも似た決意が、類を焦がす。真っ赤、ということは既に、かの敵が通った後なのは間違いない。ならば逆に安心か――そう思えども、『UDC-Pを探してあちこち彷徨っている』ということは、相手は正確な場所を分かっていないのだ。それが分かっていれば一直線に向かっているはずで、それはつまり、最悪の場合、戻って来る可能性があることを示していた。となれば、逃げ遅れた職員がいるならば、今のうちに逃がしてしまう必要がある。
その考えで、類は職員を探していた――のだが。
「……」
まさか、と類は思った。消防用の『ほーす』が入っている――『ホース格納庫』と白字で書いてあるから間違いないだろう――赤い扉から、僅かに白い布がはみ出ている。流石に、人が入ることのできる場所ではないと思うのだけれど――
「……もしもし」
とんとん、と赤い金属の扉を叩いてみる。返事はない。一瞬躊躇ったが、ここにUDC-Nullがいるはずもないだろう、と、もう一度扉を叩き、自己紹介をする。
「もしもし、猟兵の冴島類です。誰かいますか?」
バンッ!と、中から扉を叩かれて、類は驚きに若干跳び上がった。周囲の赤さや血生臭さと言い、状況的には完全に怪奇や恐怖を題材にした何かである。
『います!』
くぐもっているが、それは人の声だった。
『すみません、出られません! 出していただけると!』
「あっ、ああ、はい!」
自分で入って出られなくなってしまったのか。逆に言えば、それが功を奏したのかもしれない――開けてあげると、転がるように、白衣の男が出てきて、廊下の惨状を見て「ヒィ」と小さく悲鳴を上げた。何となく視線をやれば、格納庫の中は、人ひとりが入れるくらいの空間が確保されていた――逆に、消防用の『ほーす』はない。どうも、元から隠れるために造られたものであるようだ。
「かっ、解決したんでしょうか? 猟兵さん――ええと、冴島さん?」
「はい、冴島です。……残念ながら、まだ解決していません」
でも今から解決します、と類は研究員と思しき白衣の男の手を取り、立たせる。中肉中背と言った体格の男は、「あっうっ」と幾らか呻いてから、「お願いします」と頭を下げた。
「その前に、あなたを逃がしたいと思います。いいですか?」
「あっ、はいっ、ぼっ、ぼ、ぼく、はり、と申します、よっ、よろしくお願いします」
これぼくの名前です、と、男が首に下げた名札を類に見せる。そこには『波里悟流』と書かれていた。
「失礼ですが、下のお名前は何とお読みしたら?」
「あっ、さ、さとるです、すみません読みにくくて」
あとですね、と、波里が『すまほ』を取り出す。
「多分コントロールルームのカメラで見てたんだと思うんですけど、ぼくの方に、類さん宛のメッセージが届いていまして」
どうぞ、と差し出された画面には、囮を使って誘き寄せるから追い立てて欲しいと言う、ヴォルフガングからの旨と、この波里なる職員を無事に避難場所へ送り届けつつ、他猟兵の元へ合流できる道筋やそれに伴う隔壁封鎖解除時間が表示されていた。それから、自分たちが更に防護を強化している、という話も書かれていた。
(UDC組織の防御に加えてヴォルフガングさんや綾さんまで守ってくれているというのは安心できるな)
一通り読み終わって、類は礼と共に「こちら、しばらくお借りしても?」と問う。解除時間が秒単位だったので、覚えるよりは見ていた方が確実だと思ったのだ。
「どうぞっ、どうぞ、何なら差し上げます。携帯端末はいっぱい持ってますので」
「いえそこまでは……とにかく、それでは行きましょうか」
「は、はい」
表示された地図に従って類は波里を連れ、走る。開いて通って、四秒。五秒。ここは十秒開けておいてもらえるからこっちに曲がって――そんな計算をしながら、辿り着いたのは。
「こ、ここ……ぼ、ぼくのカードじゃ入れないですね……」
「もしかして、管制室ですか?」
「そ、そうです」
だが避難させるために指示されたのはここである。――と、扉が突然開いて、中からひょこっと見知らぬ男が顔を出した。揺れる名札には『木戸陽』の文字。
「早く中へ!」
波里の腕を取って男が引き入れる。「あーッ!」と波里の悲鳴が聞こえて、床に倒れ込む音と、「波里お前あんなとこにまた変なモン作って!」と誰かが叱責する声が聞こえる。一応類も部屋の中へと入れば、ピーッと扉から音がした。どうやら、封鎖されたようだった。
部屋には、綾と、それから十何人かの職員がいた。壁いっぱいに並んだ『もにた』には、そこかしこの『かめら』で映されているのであろう、様々な光景があった。その中には、戦う猟兵と――
(……椿と金魚?)
咲いた花だけではなく、壁に繁る枝や、床へ露出した根まであるその部屋は、少々異様である。そんな部屋の真ん中に置かれた白いテーブル、その上では、小さな赤い金魚が、丸いガラスの鉢に入れられて鎮座していた。
此処とは別の場所で作業をしているのか、『もにた』の一つに映っている、ヴォルフガングが言う。
『これで準備は終わった、後はやるだけだ』
「――大丈夫でしょうか」
ふと不安になって、類はそんなことを呟いた。あの金魚が化けたUDC-Pなのだとしたら――少し、怖いな。罠と気付かないだろうか? ヴォルフガングが少し驚いた顔をして、それから、『多分ね』と言った。
『それに、大丈夫じゃなくても最悪構わないんだ』
「どういうことです?」
『秘密』
まあ、もう一つ手段があるって言う事、と男が笑って、困惑しつつも、類は瓜江を連れて先に部屋を出、UDC-Nullの元へと駆けた。
既に管制室や本物のUDC-Pへ続く道は封鎖されている――元より類も『かめら』や放送でおよその移動位置を猟兵へ共有依頼するつもりだったが、ヴォルフガングの技術により、それらは更に緻密で、かつ堅固なものとなっていた。有難いな、と類は思う。保護対象のUDC-Pや、職員への被害は、出来る限り減らしたかったから。
無価値にしてしまわないために。
奪わせないために。
失わせないために――皆が動いているというのは。
きっと、こんな惨状においても、幸いと呼べるものだった。
――死霊と鋼糸をその身に絡ませたまま、赤い外套を翻して走る女と出くわしたのは、例の金魚が居る部屋の直前だった。ジニアと由紀が、少し遠くからそれを追いかけてきている。
この女性、かなり――動きが素早い。追い立てるために二人が速度を落としているというのもあるのだろうが、それを差し引いても、単純に戦闘能力が高いのが見て取れる。
「また――猟兵か」
身口意断ち。女が、一刀で類を斬り払おうとしてきたので、即座に瓜江を手繰り、残像を交えてそれを避け、跳ね上げるように追撃してきた更なる一刀を、その武装と動きを注視することでどうにか見切る。明らかに急所を狙ってはいるが、肉を斬るつもりではないようだ――『斬れればいい』。そんな雰囲気を感じる動きだ。もう一刀――今度は体重を乗せた踏み込みによる突き。その射程を見切り、類は瓜江と共に後ろへ――跳ぶ振りだけをして、横へと跳んだ。案の定、後ろへ跳ぶ類を追いかけるような形で突きが再度放たれて、女が金色の目で類を見た。――仄暗い、金色。
それを見ながら、類は『問う』。
「――誰か、一人でも」
存在問答〈カガミウツシ〉を、使用するために。
「此処の方が貴女の慈悲を望んでましたか?」
さあ、どうぞ続きを。
青い君とした問いかけが――残響のように残っている。だからこそ、瞳に宿るは同じ青。『鏡写し』の問いかけを、類は白い情念の花に乗せて、女へと贈る。
「――く――」
根と花に絡め捕られた女が、僅かに呻いた。
「此処の者どもが望む望まないなど、関係はない」
女が言う。
「私にとっては、生も死も、過去も未来も、善も悪も、記憶も忘却も、何もかもが等しく愛すべき無価値だ――だからこそ、私は、一切に慈悲を与える。愛しているが故に」
これは私の愛なのだ。花は白く――何色にも染まらない。
「――なんだ、それは」
類は、ぐ、と目を細めて唇を噛む。
「忘却は時に赦しにもなる」
自分は今、怒っているのだろうか?
「意志が重くなる者もいよう」
わからない――怒りとだけ呼ぶには、ひどく熱を帯びた感情だった。
それこそ、青く燃え盛る炎のように。
「だが」
だが、だが――愛と言いながら、慈悲と呼びながら、すべてを奪い去るならば。
赤を超え、青く燃え立つ激情が――類の口を動かす。
「望まぬ者へ向けるそれは、蹂躙だ」
忘れさせないし、やらない。
類の言葉が終わると同時、女が、様々なものに拘束されているはずのその身で、刀を振り上げる。攻撃に備えて身構えるが――
「愛とはいつも、一方的なものだ。ひとりだけで完結するものだ。そしてそれで――いい」
――女の刀は、ユキの化けたUDC-Pが居る部屋の扉を、斬り捨てていた。
●
策が始まる少し前、彼女が金魚へ化ける以前。
「――は、慈悲とは!」
ユキ・パンザマストは、ありったけの軽蔑を込めて吐き捨てた。UDC組織の職員と猟兵によって招き入れられたコントロールルームには、タブレット端末によるUDC-Pの資料と、血肉で真っ赤に染まった廊下をさ迷い歩く女の映像があった。嗚呼その、赤い絨毯でも歩いているかのような、堂々とした佇まい!
「一体何様でいらっしゃるのやら?」
コントロールルームの椅子に座って、資料と女を見比べながら、ユキはその凶悪な歯を剥き出しにして嘲笑を浮かべる。
「神様だとすりゃユキの嫌いな系統でしょう」
そうでなくとも。
「ったく、反吐が出らぁよ」
自分たち猟兵が来なければ、あの女は今頃、あの封鎖区域からとっくに脱出して、UDC職員を殺して奪って通り過ぎてを繰り返し、最終的にUDC-Pを取り込んでいたのだろう。
「UDC-Pの部屋がまだまだ遠かったのだけは幸いってやつでしたねえ」
本物をここへ持ってくるわけにもいかなかったので――未だ正確な場所が相手に割れておらず、更にヴォルフガングのジャミングがある程度効いているのなら、職員たちとUDC-Pを一ヶ所に固めていない方がいいというのは満場一致の意見だった――端末に表示された資料をユキは読み込む。金魚――真っ赤な。土佐錦に酷似、と資料には書いてあった。動画も添付されていて、丸い金魚鉢の中で、金魚は優雅に泳いでいる。
「こんな金魚が奇跡を起こすってんですから、驚きですねえ?」
「本当に些細ですけどね」
「一滴の血がルビーになるなら十分な奇跡でしょうよ。因みに喋るんです?」
「喋る……とは書いていないので、喋らないと思います」
お恥ずかしながらそこにある資料以上のことはまだわかっていなくて。そう言ったのは、ユキに資料を渡した、木戸陽という職員だった。本人の自己紹介によれば、きのとよう、と言うらしい。
「ふうん」
なるほどっすねえ、などと呟きながら、ユキは化けられるかどうかを考える。サイズ感が違うので難しいかとも思ったが、テーブルなどまで含めて化ければ問題なく化けられる範疇だろう。
(……これは、UDC-Pだからいいようなもんですねえ)
ユキはそんなことを思う。UDC怪物にこんな『些細な奇跡』が起こせたなら、どう悪く作用して、何が起きるのかわかったものではない。
『ユキ、出来そう?』
支部の各所や職員の通信機器をハッキングしながら、UDC-Nullへのジャミングも続けるヴォルフガングが、モニターの一つからそんな質問をした。それに少女はニィと笑う。
「勿論出来まさぁね」
姿は完全に覚えた。これなら化けられる。
「何か手伝うことはありますか?」
申し出たのは綾だった。だがユキは「いいですよ、なんにも要りゃしません」と断る。
「あなた方はちゃあんと、『その時』まで皆を守っておいてくれりゃそれでいいんすよ」
ただまあ、ユキとあの女がうっかり出くわさないよう、それだけは頼みますよ。少女はそれだけ言って、コントロールルームを出る。目に映るのは、白い廊下だった。このあたりはまだ血肉にまみれていない――ここまではまだ来たことがないのだ。それにもし、あの女が殺した職員のカードキーを利用して部屋や階段、廊下のロックを解除すると言う手を使ったとしても、あの部屋に使えるカードは限られているとのことで、更にそのすべてを木戸たちが既に回収していた。つまり、現在籠城するのには使える場所の一つなのである。おかげで重要拠点であるはずが、『最寄りの避難所』扱いになっているけれど。
ヴォルフガングにロックを解除してもらい、囮となる部屋へと入る。何もない、窓もない部屋だった。白いだけの部屋。聞くところによれば、実験室であるらしい――何の実験をするための部屋なのかは教えてもらえなかったが。ただかなり広さもあるし、戦うには丁度良さそうではある。
「……さてさて」
姿を拝借して、敵を誘導しましょうか。
――化術。
「ちょいと似姿借りますねえ――」
ユキはここにはいない金魚へそんなことを告げて、先程覚えたUDC-Pの姿と、それを乗せたテーブルへと化ける。本来は目立つ場所で待ち伏せるつもりだったが、追い込んでもらえるならそちらの方が確実だ。
そして金魚の姿で使うのは、杯盤狼藉〈ハナノエン〉。
そうら、宴です――そう笑いながら嘯けば、部屋中を、ユキから分離し、異常増殖させた藪椿と侘助が埋め尽くしていく。床も壁も天井も――実体ホログラムの『藪椿』、その花や、その一部である、同じく実体ホログラムの『百舌』の枝と根が埋めて――やがて、部屋そのものが、一つの『ユキ・パンザマスト』になる。
(さぁさ、疑似神経として張り巡らせた百舌のホロの枝根と、五感六感フル動員!)
失せ物探し、情報収集、野生の勘からハッキング。ユキに出来得る全部全部を使い切り、あの大っ嫌いな神様気取りの女を捕まえてやろうじゃあないですか。
あの女が、この部屋へ入ったが最後だ。目にも止まらぬ早業で、花の群れを喰いつかせてそのすべてを喰らってやろう。
しばらくもしないうちに、部屋の外から、複数人の走る音が聞こえて、いや、百舌の枝根に感知される――あの女のものと思しき声も。
『私にとっては、生も死も、過去も未来も、善も悪も、記憶も忘却も、何もかもが等しく愛すべき無価値だ――だからこそ、私は、一切に慈悲を与える。愛しているが故に』
嗚呼――くっだらねえご高説でございますねえ。部屋の向こうから聞こえる声に、ユキは憤りを募らせて、入って来るのを今か今かと待ち続ける。
『愛とはいつも、一方的なものだ。ひとりだけで完結するものだ。そしてそれで――いい』
(本当に――ひとりだけで完結していたら、誰も構いやしませんよ)
そのひとりだけで完結した愛を――振りまくから。だから――いけないんっすよ。そんなことをした時点でそれは、まさしく『独り善がり』で、最低で、虫唾の走る『何か』となる。少なくともユキは、多分、そう思っていた。女が、扉を斬り捨てた。部屋の中へと一歩踏み込む。
――今です。
肉身を喰らえ、藪椿。
慈悲とやらを貪り喰らえ、侘助。
二つの花群を喰いつかせ、女を咲き誇る椿の中へと埋めていく。女が、呻きながら徐々に動かなくなり――それなのに、突如、女の――足が。
ダン!と、血塗れになった女の黒い靴が、椿の隙間から一歩を踏み出した。その様相に驚き――そしてユキは憤りを露わにする。何がそこまでさせるのかわからないが――そこまでして、このUDC-Pが欲しいか。ぶちぶちと花や枝根を引き千切りながら、何度埋めても、女が、ユキまで近付いてくる。
――そして、『ユキの首を掴んだ』。
「――っ!!」
「……お前が偽物なのはわかっていた。誘導されているのも。お前の意志を砕いたら――否、お前たち猟兵全員の意志を砕けば、此処の者は皆、私の慈悲を受け容れるのだろうか?」
小柄なユキの体が女の腕に吊り上げられ、化術が解ける。
「ぐっ――かッ……!!」
扉の向こうで褐色の肌をした猟兵が人形を操って女に仕掛ける。が、血塗れになって満身創痍であるはずの女は、刀を易々と振るうとそれをいなした。フードの女の死霊や、白金色の髪をした男の鋼糸も、同じようにいなされて、椿に覆われながらも女が謡うように言う。
「その意志が愛おしいよ、真実、心の底から……」
刀が、ユキの胸へと向けられて――少女は笑った。
「……何が面白い?」
「いやね……全部が面白いもんですから……」
動きを止めた赤い女の向こう側で、青磁の男が、符を構えていた――ユキを甚振るのに夢中で女は気付いていない、気付いていない! 首を絞められながら、アハハハハ、と少女は笑う。歯を剥き出して、獣のように。
「――お前に砕かれる意志なんぞ、ねえんすわ」
此処へやってきた、どなたさんにもね。
そして、綾の七星七縛符が女へ命中し――いつの間にやら潜んでいたヴォルフガングが、技のすべてを封じられた女へと襲い掛かったのであった。
●
誰よりも早く、最初にビルへと辿り着いた猟兵――ヴォルフガング・ディーツェは、あの『真澄正』を引き取ったという支部の傍でユーベルコードを展開しながら、考えていた。
「さあ開演だ――」
(――俺は多くを奪われた)
「――……指令『法則を我が意の儘に、戯れの幕を落とさん』」
調律・機神の偏祝〈コード・デウスエクスマキナ〉。増幅されたヴォルフガングの能力が、コントロールルームと同調する。
(……それゆえ、エージェントや真澄の覚悟の重さは少し分かる)
制御権を拝借した室内の通信機器から『もしかして猟兵さんですか!?』という、知らぬ男の声が響く。
「ああ――此方猟兵、真澄の『神降ろし』関係者だ!」
カメラやモニターの制御をこれも一部拝借し、画面に相手の顔を映す。これで、おそらく相手には自分の顔が見えているだろう。
『そのお顔は……ヴォルフガング・ディーツェ――さんですか?』
「そうだ、合っている。お前が木戸か?」
『はい、そうです』
「内部構造には詳しいか?」
『一番ではないですが、それなりには』
「そうか、ならばUDC-Pへの最短ルート提示を頼む!」
『はい!』
木戸が何かを操作して、ヴォルフガングの方へとデータを送信する。それを受け取って開けば、三次元にモデリングされた半透明のビル内部に、赤い線でルートが表示されていた。
『これが最短ルートですね。それからこれが、今のUDC-Nullの動き――というより、被害状況です』
男の操作で、青い線が出てくる。成程――近付いてはいるが、最短ではないな。
『動きを見る限り、時折扉を斬り捨てて近付こうともしているようなのですが、一応我々の方でもそう言ったものへの対処はあるので、それだけは未だ叶わないようですね』
「そうか……」
ヴォルフガングはトートの叡帯を操作して、青い線が彷徨う一帯の監視カメラを見る。生存者はいるか――カメラに映ってくれれば後で助けに行けるのだが。
「真澄はどうしている?」
『そちらは大丈夫です、元々部署のある階層が違ったので、今は襲撃場所からは遠いところに他の研究員と一緒に退避させています』
勿論最悪の事態があれば襲撃される可能性もありますが、と木戸が付け加える。
「俺からコンタクトを取ってもいいか?」
『コンタクト――ですか? 構いませんが……』
何も情報を渡していないので、内部構造には詳しくないですよ彼は、という木戸に、「どちらかというと個人的な事情なんだ」とだけ断って、ヴォルフガングは真澄の端末を探し出すと、ボイスでのメッセージを送る。ヴォルフガング・ディーツェと名前をつけて。
この声を忘れても――この名前を忘れたとは言わせない。
否、あの事件を解決へ導いた――すべての猟兵の名を。
忘れたなどとは、決して言わせない。
「……真澄、襲撃されたら教えろ。俺は行く末を見届けると決めた」
それだけ告げて、ヴォルフガングは、真澄の端末の情報を脇へと退けた。今は情報の整理と、その他の対処が先だ。生存者がいる状態で下手にジャミングをかけると、エージェント間の連絡が滞って逆に窮地へ陥らせてしまう可能性がある。ふむ、とヴォルフガングは考え――それから、幾つかの監視カメラを代わる代わる見ているうち、ひとりの男がビルの中へと入って来るのに気付いた。
(……綾か)
青磁の香炉のヤドリガミが、血塗れの地獄となったビルの中を歩いている。第六感の鋭い彼なら、ジャミングを掛けていてもエージェントに気付いてくれるだろうか? ふむ、と、ヴォルフガングはしばし考え――綾に任せることにした。ひとところに纏まってくれれば、自分か綾の方で幾らでも護れるし――隠れたエージェントを見つけてもらう前にUDC-Nullが綾に気付いてしまうと――『誰かがエージェントを救おうとしている』などと気付かれてしまうなど、色々と厄介なことが多い。
「木戸、今からUDC-Nullが徘徊している周辺へジャミングをかける。おそらくそれでしばらく時間が稼げるだろうから、その間に俺の仲間が連れて来るエージェントを、そこで匿って欲しい」
『わかりました』
木戸の後ろで、『まずいだろう、ここに一般職員を入れるのは!』などの声が聞こえてきたが、『人命優先に決まってるだろうが! 部屋の代わりなんぞ幾らでもあるが、人に代わりはいないんだよ!』と木戸が怒鳴ったことによって沈黙した。
「……木戸、可能ならば、で構わないんだが、UDC-Pにコンタクトは取れるか?」
返ってきたのは、思わぬ難色だった。
『取れる――とは思いますが。多分、意思疎通はできませんよ』
「うん? 君たちの保護したUDC-Pは、一体どういうものなんだ?」
『金魚です。真っ赤な土佐錦の』
「……成程」
言いたいことを理解した。それは確かに、意思疎通ができるかどうかわからない――というか、おそらくできないのだろう。
――UDC組織の職員であれば。
「俺は少しなら動物と話せる――繋いでみてもいいか?」
『動物と話せるんですか!? ……いいですよ』
ぎょっとした顔をした木戸が、驚愕をすぐに隠して許可を出す。それに従って、UDC-Pの居る部屋の観測装置へと接続し――ヴォルフガングは金魚を見た。真っ赤で小さな金魚は、外の喧騒のせいか、自分を狙っている何かがいると知っているのか――何処か怯えているようだった。そんな金魚へ、トートの叡帯を経由して、ヴォルフガングは話しかけた。
「怯えているのか?」
金魚が、くるくると回った。狼の操作する画面に、『怖い』と文字が出てくる。やはり、心を持っているようだ――ならば。
「……心を持つものならば、嘆きも、怒りもあるだろう」
だが今は協力して欲しい。君が生き残るために――そう告げ、敵の興味そのものである、この紅の涙を囮にする提案をしようとして――
(……誰だ?)
三人目の猟兵の登場で、ヴォルフガングは言葉を飲み込んだ。小柄な少女である。骨で出来た尻尾を揺らして、きょろきょろと辺りを見回している。とりあえずコンタクトを取るか――丁度電子端末を持っているようだし。そう思い、ヴォルフガングは少女と会話をして。
彼女の名と共に、化術による囮の提案を受け容れたのだった。確かに、本物を使うよりも、余程リスクが少ない。
そうして綾が見つけ出せた限りのエージェントをすべてコントロールルームへと収容して救出し、由紀には直接そのスマホへと、ジニアへは一階に隠れてUDC-Nullの解析を行い続けていたエージェント檜木を経由して、類へは波里研究員の端末を利用して情報を共有し、最後にユキが金魚へと化けたのを確認してから――
ヴォルフガングは、ビルの外から内部へ侵入すると、誘き寄せたUDC-Nullの元へと一気に駆けた。その間にもジャミングは続け、オーラによるエージェントたちの保護も絶えず行い続ける。常人に成せる業ではないが、元よりこの狼はとっくに常軌を逸している。
そうして、綾が七星七縛符で完全に相手のユーベルコードを封じたのを確認すると――
ユキの首を絞めるUDC-Nullの胎に、魔爪を食い込ませて、抉り抜いたのだった。
あの白い工場で――あの白い神の胎を裂いた時のように。
そのまま再度敵の胎へと爪を立て、焼き、その記憶を蹂躙しつつ、周囲へと――この場の猟兵たちだけでなく、コントロールルームにいるはずのエージェントたちへも、ヴォルフガングは叫ぶ。
「俺にかまうな、ありったけ攻撃しろ!」
俺ごと千切れ、裂け、そして。
「奪われた痛みを決して、決して許すな!」
応報しろ。
己を貶めたすべてのものに。
自分自身へ言い聞かせるように――己が何者かさえも、もしかすると答えられない狼は、そう叫んだのだった。
●
誘導されたUDC-Nullが、徐々に化術で金魚へと変化したユキのいる部屋へ近付いていくのを見ながら、都槻綾は考える。
――壊し続けて無に帰して。
(其れで願いは果たされるのかしら)
祈りは尽きるのかしら――
そう広くはない『こんとろーるるーむ』に十数人を詰め込んでいるので、部屋の中は若干息苦しい。何が気を引くかわからないので、換気扇も止めているから余計だ。ここにいる人たちは皆、綾が見つけて連れてきた者たちだった。死角や気配の察知を補う第六感は、思っていたよりも役に立ち――急襲や意表を突く攻撃もなく、ただ、十数の命を救うという成果を出した。
意志を奪われ動けなくなった仲間を護っていた者。
ここが何処かもわからなくなって蹲っていた者。
血肉の塊となった誰かの傍らで、ただ呆然としていた者。
恐慌を起こして綾へ手近にあった椅子を投げてきた者。
色々な者を――綾は護り、連れてきた。正気を保った者から聞いた、この付近で一番安全だと思われるという、この『こんとろーるるーむ』へと。この部屋で画面越しのヴォルフガングと合流してからは、策を練るためにも、より些細な情報でも聞いておいた。建物の構造、どこが有利になるのか、どんな死角があるのか。実際に働いているひとたちの言葉に気付かされることもあって、綾たちは随分と助けられた。
「――都槻さん」
綾の連れてきた一人、鷹津宇美という研究員が、壊れた眼鏡をかけ直しながら、床に座り込んだまま、綾を見上げて言った。
「我々に、何か落ち度があったから――こんなことになったんだと思いますか?」
彼女の白衣もその下の服も、今は既に赤を通り越して黒く染まっていた。目の前で友人が崩れて死んだという彼女は、綾が見つけるまで、階段の踊り場でずっと、肉塊を抱えていたのだった――そんな高津に、綾は、目線を合わせるために己もしゃがみ込む。
「そんなことはありません。……と、私には、断言することができません」
したとしても、高津さんは、きっと納得しないでしょう? そう告げれば、長い髪を血でぐしゃぐしゃにした高津が、「いいですね、その返答」と笑った。
「自分は好きです。下手に『あなたたちは悪くない』と言われるより、ずっと慰められる」
因果応報だと言われた方が、ずっと楽なんですよ。高津が俯いて言った。
「悪因があったから悪果があるのだと――言われた方が、ずっとずっと楽です」
だって原因のない失敗ほど、対処できないものはないですからね。高津の口調は、何処か自棄の気配をさせていた。
「……私にできることは、皆さんを護り、戦うことだけですが……」
血で汚れたまま、未だ恐慌に震える高津の手を、綾はそっと手に取って握る。
「皆で苦難を切り抜けましょうね」
元気付けるために微笑めば、高津が、ふにゃりと笑った。
「ずるいですね、一番死にそうな場所へ行く人たちにそう言われたら、我々、いえ自分なんて何も言えないですよ」
「そうですか?」
「そうですよ。だって、そう言って一緒にいてくれたんですよ」
あの子、戦闘員だったから。
「じっ、じぶん、自分の――ために、し、死んだようなものなんですよ、あの子」
私が、戦えないから、だから。
「――恐慌の中でも、どうか希望を忘れずにいてください」
画面の中で、類とUDC-Nullが出逢う。そろそろ――行かなければ。
「あの画面を見ていてください」
他の者にも伝わるように大きな所作で戦闘やユキの居る部屋が映る画面を指さし、言う。画面の中のUDC-Nullは、猟兵たちの使った様々なものが絡んでいて、彼らにその姿が見えずとも、その場所は知れるようになっているのに違いなかった。
「きっと、私たちがこの夜を終わらせてみせますから」
綾はそれだけ告げると、すっくと立ちあがり、部屋を出た。ユキの居る部屋までの道順は覚えている、早く行かなければ。それでも綾はオーラを広げ、万一にもエージェント達の居る部屋が襲われぬよう、護っておく。
(対峙時には、奇跡を欲する理由も知れるでしょうか)
どうしてこの支部のUDC-Pを狙ったのか。
どうして、無意味に壊し、殺し、奪って回ったのか。
その理由を、聞けるだろうか――。
「私にとっては、生も死も、過去も未来も、善も悪も、記憶も忘却も、何もかもが等しく愛すべき無価値だ――だからこそ、私は、一切に慈悲を与える。愛しているが故に」
そう思いながら聞いたその言葉に、綾は思う。
嗚呼――いのちの重さ。
(大事なことを忘れてしまっているのね)
無価値、無意味。
あなたの愛と、いのちの重さは――本当に釣り合っていたのかしら。
憤りよりも悲しみを強く感じながら、符を取り出した綾の眼前で、女に首を絞められていたユキが笑う。彼女が刃で貫かれるよりも先に、高速の謡いと、符を挟んだ指で空に穿つ七つ星、七縛符。
こちらへ気付いていない女の背へと、綾は指に挟んだ護符を放つ。僅かな間でも技を封じること叶えば重畳、薄暗闇から飛び出したヴォルフガングが無防備な女の胎を裂いて吹き飛ばす。他の猟兵同様、どうするべきかと逡巡すれば、狼が咆えた。
「俺にかまうな、ありったけ攻撃しろ!」
俺ごと千切れ、裂け、そして。
「奪われた痛みを決して、決して許すな!」
応報しろ。
己を貶めたすべてのものに。
それは――誰への言葉だったろう?
死霊に両足を縛られ、投げられた刃に片手を縫い留められ、爪に胎を抉られ、赤い椿と、白い花に埋もれながら――女が、武器を持ち換えようとしたのだろう。刀を手放した。
その、一瞬の隙も逃さず。
椿の咲き誇る部屋の中を――綾は踏み込む。彼の間合いだった――そして抜刀。
一閃。
綾の繰り出した、清澄な刀身――『冴』が、ヴォルフガングの肩を過ぎって裂き、その勢いの儘、女の首を、斬り断った。
そして多分、それで終わりだった。
赤い血が噴き出して女の肉体が転がり、動かなくなる。ああ……そう言えば、百鬼夜行でUDC-Nullと呼ばれていたということは、この彼女も元は妖怪だったのだろうか。
けれど……。
「猟兵さん!」
エージェント達が、駆け付けて来る。ある者は泣きながら、ある者は笑いながら、ある者は怒りながら。
――そう。妖怪として、屠るには、多分。
もう――。
「……終わったんですか」
我々には見えなくて。そう言ったのは、木戸という男だった。
「……終わりました」
「そうですか……」
ありがとうございます、と男が頭を下げる。
「皆さん、本当に……助かりました」
一人一人に頭を下げて、木戸と同じくらいの役職であるらしい他の者も、同じように頭を下げていた。
お礼はいつか必ず、と最後に言って、男は、お前ら朝までに復旧するぞ、終わったら葬式の準備もしないといけないんだ、などとエージェント達に言いながら去っていった。葬式。
今晩だけで、一体何人死んだのだろう。
真夜中だったから……業務に従事していたエージェントは少なかったと、思いたい。
「……いつつ……」
ヴォルフガングが血塗れの肩を押さえながら綾へと近づいてくる。
「思い切りやったね、綾」
「やれと仰ったので」
「そういうとこ、嫌いじゃないよ」
「後で治療をしましょうね――」
そんな会話をして。
それでも、と綾は思う。この夜で助かった命はあって。失ったものも、変わったものも、きっとあった。
だからこそ。
(細い細い一縷の道でも)
可能性を見出して。
(未来を拓くことを忘れずに居たい)
そう強く思いながら――綾は、椿咲き誇る部屋に背を向けたのだった。
成功
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